『相剋 警視庁失踪課・高城賢吾』

シリーズ作品の第1作に出逢って気に入ったとして、既に多数の作品が送り出されているという状況の場合には、即座に次の作品を手にすることが叶うことになる。

↓シリーズ第1作が気に入ったので即座に手にしたシリーズ第2作なのだが、少し夢中になった。

相剋 警視庁失踪課・高城賢吾 (中公文庫) [ 堂場瞬一 ]



↑警視庁の架空の部署に所属して活動する警察官が主要視点人物となり、一人称の語りのように綴られている本作は、探偵が活躍する所謂“ハードボイルド”を想起させる雰囲気も漂う。そういうのもかなり気に入っている。

主要視点人物となる高城賢吾警部はかなり「訳アリ」な人物だ。その身に降り掛かってしまった事件を乗り越え切れなかったような面が在り、酒浸りのようになってしまい、幾つかの所轄を異動し続けていた経過が在る。現在でも酒は止められず、序にヘビースモーカーである。そして渋谷中央警察署に間借りしている失踪課第三方面分室へ配属された。

失踪課は、設置当時の都知事の孫であった予備校生が姿を眩ませて程無く遺体で発見されたという事件を踏まえ、失踪者捜索の願いに関する聴取を真摯に行い、必要に応じて捜査を行うということで設置された部署である。が、失踪者については「家出」という状況も多く、結果的に「訴えている失踪者の関係者の話しを聴いた」というアリバイづくりのような、本流を外れた閑職という雰囲気が漂っている部署でもあった。そういうことで、何処か「訳アリ」な者達や、人事の偶然で配置されたというような者が集まっている場所だった。

本作の物語である。3月下旬の出来事となっている。

捜査一課の管理官からの協力要請という話しに高城は憤りを禁じ得なかった。傷害致死事件の情報提供をしたいと申し出る者から連絡を受けたが会うことが出来ず、本人を特定して見付け出す情報も殆ど無い中、失踪課で探して欲しいということなのだ。筋違いで、捜査一課のやり方も杜撰だと高城は憤る。

そういう様子であったが、室長はこの要請を受けると決めた。定年間近の大ベテラン捜査員であるが、心臓を患った経過で失踪課に異動となった「オヤジさん」こと法月と、“玉突き人事”で不本意な形で失踪課に異動している女性捜査員の明神がこの事案を担当することになった。

高城には別な役目が巡って来た。失踪課第三方面分室を訪ねて来た相談者が在るので対応ということになったのだが、現れたのは新年度から高校に入学するという中学生の少年だ。友人の女子生徒が行方不明なのだという。高城は少年の話しを聴いた。

少年が言うには、仲の好い仲間で出掛ける約束の日に件の女生徒は姿を見せず、連絡も付かなかったのだが、その連絡が付かない状態が数日続き、誰も姿を見ていないので、警察に相談して捜してもらうべきだという相談になり、仲間を代表して少年が相談に現れたということであった。保護者による捜索願というようなことでもなければ公式の事案ということにもならないのだが、高城は非公式に少し調べるということにした。

高城は女生徒の母親と電話で話そうとしたが、父親に訊けの一辺倒で話しにならず、会社を経営しているという父親と話してみれば娘が時々家出をしていて、今般もそれであるので何の問題も無いと冷淡であった。相談に訪れた少年以外の友人に会って訪ねれば、女生徒は「学校が始まって以来の」と言われる程に学業成績が優秀で家族仲も悪くない筈で、女生徒は家出をしそうな感じでもないという話しであった。高城は女生徒の件が非常に気になる。

やがて高城は、元野球選手という少し変わった警察官であり、子育ての都合で住まいに近く通勤し易ければ何でも構わないと失踪課第三方面分室に在る醍醐を相方として女生徒の一件、その父親の会社に纏わる事柄等を調べるのである。

こうして失踪課の面々が向き合う事態が意外な結び付きを見せ始める。人間関係を丁寧に解き明かし、緊迫する状況や、捜査員達の奮戦という場面も在る。やがてほろ苦い幕引きだ。

「友人を案じる少年の願いに向き合う、少し風変わりなおじさん」という風で、同時に執念深く関係者に食い下がりながら事態を明らかにする高城の活躍が非常に面白い。本作と共に在った短い時間が非常に充実していた。御薦めである。

『蝕罪 警視庁失踪課・高城賢吾』

↓紐解き始めると「続き」が気になって落ち着かなくなる。そこで時間を設けてドンドン読み進む。やがて何時の間にか読了だが、気になっていた「続き」を知って大満足という感じである。

蝕罪 警視庁失踪課・高城賢吾 (中公文庫) [ 堂場瞬一 ]



↑2009年に登場した作品で、10冊に及んだシリーズの最初の作品であるという。初登場がやや以前ではあって、その当時の雰囲気を反映している描写も在るように思ったが、それでも古くは感じない。一定程度普遍性を帯びた事案内容と、関わる主要人物達の造形が面白いからなのであろう。

本作の作者である堂場瞬一は、警視庁の警察官が各々の担当部署で活躍するシリーズを何本も展開している。そうした中、近年は或るシリーズの作品と他のシリーズの作品とが「関わる」というような演出が比較的多く見受けられるように思う。他のシリーズに出て来る部署や人物に纏わる言及が在る、他シリーズの人物が一寸した登場をする、更に共演や競演という場合等、その程度は様々だ。

そういうことなのだが、幾つもの作品で「失踪課」という用語や「高城」という人名が出て来る。警視庁部内で少々煙たがられている部署として「失踪課」が挙がるというような感じで言及が在り、「高城」が独自な勘で動いて成果を挙げて来た少し知られている捜査員であったという言及も在る。更に幾つかの作品では、この「失踪課」の捜査員が「他部署の仲間」として現れて少々活躍というのも在った。

そんなことが繰り返され、「失踪課の高城?」と思うようになり、本作を紐解いてみることにしたのだった。

前置きのようなモノが長くなった。本作についてである。物語は、主要視点人物の高城賢吾の一人称の語りという調子で進行している。このスタイルは、読む側が主要視点人物の目線で作中の事案に入り込み易いと思う。雰囲気が外国の探偵モノを翻訳したかのような感じにもなるかもしれない。

冒頭、高城は異動で配属された部署に現れた。酷い二日酔いという様子でようやくオフィスに足を運んでいるという風であった。

異動したのは失踪課第三方面分室で、渋谷中央署の中にオフィスが設けられていた。警部である高城は、分室内では室長に次ぐ立場ということにはなる。失踪課は、失踪人に関して関係者の事情を聴き、必要に応じて捜査活動をするということになっている部署だ。が、当時の都知事の孫が失踪して遺体で発見されたという事件を受け、失踪人に関する捜査活動をしているという「アリバイ作り」のような受け止め方も部内ではされているような部署で、色々と難が在る捜査員が殆どという感じだった。

高城自身も難が在った。或る事件が身に降りかかり、少し私生活が荒んだ。酒浸りのようになってしまっていた。そういうようになって、捜査一課から所轄署に異動で、7年近くも積極的に活動をしていたとは言い難い状態だった。そして失踪課へ異動である。

異動した初日に高城に割り当てられた事案は、婚約者の失踪ということで届出をした女性が、婚約者の母親と共にやって来るということで、その対応をするということだった。高城は同日に異動して来た女性刑事の明神愛美と共に対応することになる。相方となった明神は若くして捜査一課の捜査員に抜擢されることが内定していたのだが、自殺者が発生して色々と人事の“玉突き”が生じてしまい、偶々失踪課に異動という経過を有していた。何か不機嫌で尖った雰囲気の女性である。

相談に訪れた女性は、婚約者の長野県内の実家を一緒に訪ねる約束であった日に予定どおり現れず、連絡が取れない状態になって数日経っていると申し出ている。様子が変なので実家の母親もやって来て、一緒に相談に訪れたのであるという。婚約者は職場での仕事振りも評価され、人柄も好いと評判も悪くない。姿を消してしまわなければならないような事情も全く思い当たらない。女性は婚約者の母親や、年が離れた小学生の妹とも折り合いが好く、新しい家族として人生の歩みを進めようとしている矢先に妙な事態になってしまったのだ。

この話しを聴き、高城と明神は活動を始める。行方不明の男性の辿った人生を遡るように、丹念に調べ、意外な事実に突き当たって行くのである。

身に降りかかった事件を乗越えられていないような、酒浸りに陥ったという辺りを克服したようなしていないような、そして降り掛かった事件に纏わる幻影を見てしまう場合もあるという、序にヘビースモーカーで、そういう他方で「不敵なベテラン捜査員」という一面を持つ高城賢吾の人物造形が凄く面白い。「如何する?高城警部?」という感じで、ドンドン読み進めてしまう感じだ。

高城も「訳アリ」だが、失踪課第三方面分室に居る面々は各々に色々な事情を持っている。そういう事柄もシリーズを通じて描かれる様子だ。本作で高城は、捜査活動に打ち込むという感覚を取り戻して行く感じだ。明神は偶然で不本意な異動をした中から、新たなやり甲斐を見出して活動しようというような感じになって行く。(それでもやや不機嫌で尖った雰囲気は続く様子だが…)

「失踪課」のシリーズそのものに触れ、作者が他のシリーズで何となく言及する、更に「失踪課」の捜査員が他のシリーズに客演ということをしてみる感じが凄く判ったような気がする。当分はこのシリーズの作品に夢中になりそうだ。

『歌舞伎町ララバイ』

↓愉しく作品を読んだ経過の在る作者による新作と聞き及んだので入手して読んでみた。頁を繰る手が停められなくなった。

歌舞伎町ララバイ



↑休業日に紐解き始め、昼と夕刻に時間を設けて読み、就寝前迄に素早く読了に至った。「続き」が気になって、待ち切れなくなるのだ。

15歳の七瀬という少女が登場する。2019年の或る日、彼女は東京の新宿の歌舞伎町に在った。

七瀬は所謂「トー横キッズ」である。行き場が無く、歌舞伎町にたむろしているティーンエイジャーの1人ということになる。群馬県の小さな町を飛び出して、歌舞伎町に辿り着いたのだという。

この七瀬の日常、そして関りを持って行く様々な人達、そんな中で或る出来事に巻き込まれて行く。

やがて5年の月日が流れた、2024年の歌舞伎町ということになる。

前半は専ら七瀬が視点人物というような感じだが、後半は事案に関わる様々な人達が視点人物になっている。

極若いヒロインの大胆さ、歌舞伎町に蠢く何かと、凄く引き込まれる。何か「続篇」のようなモノも期待してしまうような感じの終末だった。愉しいので御薦めだ。

『写真が語る満州国』

↓豊富な、そして貴重なモノと見受けられる写真を添えて「満州国」に纏わる事柄を語る一冊である。読み応え、写真の見応えが在った。

写真が語る満州国 (ちくま新書 1804)



↑日露戦争の辺りで大陸に権益を求めてそれを獲得して行き、中国大陸での様々な行動という前日譚のような事柄が在って、やがて満州国が建国されて行き、満州国での産業活動や文化活動や建設や入植が在り、日中戦争や太平洋戦争という局面になり、戦争に敗れて満州国の経過に幕が引かれる。そうした経過が非常に判り易く纏められている本文が在るが、本文の各章の始めに貴重と見受けられるモノも含む豊富な写真を説明を添えた形で示している。時間と空間を越えて「満州国」というモノが登場し、姿を消して行く迄の経過を眼で視ているような感じにもなると思う。

本書に関しては、写真部分と本文とのバランスが好いと思う。相互に補完して、「満州国」というテーマを身近にしてくれていると思う。個人的には街の建設が進められている様子、「あじあ号」のような鉄道、産業活動や文化活動に纏わる写真が興味深かった。加えて、一部に写真も在ったが、教育や移民という事柄は考えさせられた。

「五族協和」や「王道楽土」という満州国のスローガンだが、言葉自体は何時の時代にも目指されるべきことなのかもしれない。諸民族が手を携えて平和で豊かな国づくりを目指すということ、「覇道」の対極に在る「王道」というような善政が敷かれた体制を目指すということなのだから。が、満州国での実態は如何だったのか。その辺が本書では詳しく説かれている。

また本書では、満州へのソ連軍進攻で戦争が終結へ向かって行く頃の凄惨な戦いや混乱した様子というような事柄も詳しく説いている。「T34戦車に肉弾戦」というような無茶な様子、そうやって近在の村を護ろうと必死だった様等が伝えられる。そうした例の他方、方々へ軍隊を送り出してしまった後なので、無理矢理に人手を集め、普通は兵士が携行している銃の一丁も無かったというような様子や、引揚げようとした人達の苦難ということも伝えられていた。

所謂「戦後」も既に80年であるが、それ程に時間を経ても、本書のような形で伝えられるべき色々な事柄が在るのだと思う。なかなかに有益な一冊に出逢えたのは善かった。広く御薦めしたい一冊だ。

『室町幕府論』

↓「よく知られている用語」ではあるものの、その内容に関するイメージが些か不鮮明かもしれない対象について、研究の成果を一般読者にも読み易い「物語」のように提示していると思う。本書はなかなかに好い一冊だと思う。愉しく読み進め、素早く読了に至った。

室町幕府論 (講談社学術文庫 2767)



↑本書は、「室町幕府」が起こって日が浅い頃から、3代将軍の足利義満の頃、更に4代将軍の足利義満の頃迄の様々な事象、社会の仕組みや性質、経済活動の変化に着目して論じ、やがて戦国期へ向かって行くという「室町幕府の時代の特徴」を論じようという趣旨であると思う。非常に興味深い。細々とした様々な事象を「物語」として、「こういうようになった時代」という研究成果のようなモノを巧みに伝えていると思う。

京都の「大人気観光地」に挙る嵐山に天龍寺が在る。あれは室町幕府が起こって日が浅い頃に開かれた寺だ。室町幕府は起こったその時に「南北朝」という問題を抱える。室町幕府は北朝を後援するが、かの後醍醐天皇の南朝が抗う。その後醍醐天皇が崩御した際、大変な怨念を遺したとされた。それを鎮めようと天龍寺が起こされることになったのだった。

こういうような「大規模造営」というようなことが見受けられたのが室町幕府の時代だった。これは嵐山同様に「大人気観光地」に挙る鹿苑寺金閣の足利義満の時代迄は見受けられた傾向だ。鹿苑寺金閣を統括している相国寺という寺が同志社大学の近くに現在でも在るのだが、その相国寺も足利義満の時代に起こっている。

この足利義満の後継者であった足利義持は、異母弟を強く寵愛した父への反発なのか、父の政権下で非主流であった人達の後援を受けたからなのか、足利義満の路線を否定する。これは父の時代と色々な様子が変わってしまっていたということも在ったのかもしれない。が、何れにしても足利義持の時代には幕府として「大規模造営」というようなことは行わなくなった。他方で守護大名がその種の活動を行うようになり、守護大名の連合が将軍を擁立というような室町幕府の様子が構成されて行く。

更に守護大名が京都に常駐し、比較的京都に近い彼らの領国が「首都圏」というような様相を呈し、大名家や大名家に縁が在る寺院、加えて活動を拡げる商業者が都鄙を往来する中で金が動くというようになって行った。

また室町時代は「南北朝の混迷の中で起こった」ということと「“応仁の乱”で色々なモノが損なわれた」というように語られる。その“応仁の乱”で損なわれたモノとして古くからの儀式というようなモノが挙るが、それらに関しては室町幕府の時代に「復興」という動きが在った。「復興」していたが故に、戦乱の影響で「損なわれた」という話しになった訳である。

本書では、室町幕府の時代の経済活動や財政に脚光を当てていて、その辺が凄く興味深い。課税、または税というのとは少し違う感じの資金調達の様相が在って、それらの変遷で社会の様子が少しずつ変わる様が見える。そして何らかの庇護や権益を得ながら活動の幅を拡げる商業者達の活動が社会を変える様も見える。

本書の中、室町幕府の時代の商業者、貸金業者というような人達の活動が取上げられている部分が非常に興味深かった。室町幕府の時代には一定以上に「銭」が普及していた。銅銭だが、アレは1枚が4グラム程度らしい。「1貫文」というのが1000枚で4kg程度というようなことになるというが、それが多分「10万円程度」であるらしい。とすると「10万円程度」を持って何処かへ行くのに、「1リットル入りのペットボトル4本」という重さの「荷物!」を持つことになる。それでは不便だということで、「信用状」のようなモノを遠隔地に届けて資金を動かすというような仕組みが、この室町幕府の時代に起こって発展していたらしい。

前の時代である鎌倉幕府の頃、後の時代である江戸幕府の頃の何れとも違う「室町幕府の時代」のイメージが鮮明になるのが本書だ。そのイメージとして、本書では相国寺の辺りに聳え立っていたという「大塔」に関する話題が在る。

本書とは無関係だが、偶々観た映画『室町無頼』には京都の街に聳え立つ巨大な塔が登場している。現在も在る東寺の五重塔が高さ55mであるのに対し、相国寺の辺りに聳え立っていたという「大塔」は100mは在ったらしい。そういうモノが登場し、密かに姿を消してしまったという経過が興味深い。

造営事業、儀式というようなことで見える幕府と朝廷との関係性、商業活動の拡がりと課税というような幾つかの柱で論じ、「室町幕府」というモノが京都に在った時代を描き出そうというのが本書である。「ダイナミックな物語=歴史」という感じで実に面白い。人名、文物の呼称、年号を憶えるようなことに留まらない「有意義な学び」を供してくれる本書だと思う。広く御薦めしたい。

『「千羽鶴」で国は守れない 戦略研究家が説くお花畑平和論の否定』

↓程好い分量の文庫本で、素早く読了に至った。

「千羽鶴」で国は守れない 戦略研究家が説くお花畑平和論の否定 (光人社NF文庫 光人社NF文庫) [ 三野正洋 ]



↑戦後日本の軍事関係の事柄や、方々での戦争の経過を踏まえて論じるというエッセイである。なかなかに興味深かった。

題名の「千羽鶴」という語であるが、これは「平和や安寧を独善的な迄に只管に祈る行為」を象徴させている表現だ。「只管に祈る」だけでは平和や安寧が得られるのでもないのだから、色々な事柄を学んで考えることをもっとしなければならないという意図だ。加えて、紛争地や災害の地域へ祈りを込めて「千羽鶴」を贈るというのも見受けられるが、これは贈る側の独善であるという場合が殆どであろうという話題も提起されていた。

日本国内では「軍事」というような事柄は、特殊に過ぎるか、極一部の好事家が関心を寄せることであるかのような扱いかもしれない。が、存外に重要な事柄で、時には顧みる位の必要性は在るであろう。本書では「戦死」というような事柄を巡る事象や、過去の戦争の終幕というような事柄、更に日本の周辺で発生し得るかもしれない事象や、最近のガザやウクライナの件等に関しても論じられている。

「国防」という事柄や「国連の役割の経過」という事柄は非常に有益な情報であるように思った。例えば海保と海自が連携して輸送船段を護るというような想定の演習のようなことは聞かないが、想定すべきが余り想定されていないかもしれないのが「国防」かもしれない。そして、過大な期待は禁物だが、過小評価して無視する訳にも行かないのが「国連」なのだとも感じた。

本書は学び、考えるヒントを色々と与えてくれるエッセイである。広く読まれるべきであると思った。

『<ヴィジュアル版> ニッポン景観論』

↓<ヴィジュアル版>と敢えて題名に関して在るが、写真が豊富で、豊富な写真を見ながら本文を読んでいる中でドンドン進んでしまい、素早く読了に至る。

<ヴィジュアル版> ニッポン景観論 (集英社新書)



↑「進んでしまい」としたが、内容に引き込まれて、写真を観る眼の動きと、頁を繰る手の動きを停め悪くなってしまい、素早く読了に至るということなのだ。

この本は「2014年9月」に「第一刷」で、「2020年12月」に「第五刷」である。この辺りに少し驚いた。概ね10年も前に初登場で、それ以来何度か刷られている本ということになる。そういう状態だが、本書が提起する問題は「10年位も前の話し」というように看過することが出来ない、または看過しては「ならない」ようなことかもしれない。逆に言えば、10年位前に本書で提起されたような問題に関して、何らかの対応が為されたという話しが聞こえる、その以前に検討が重ねられることが在ったのか否かさえ不明確だと思う。著者が御自身で色々と考えて活動した例が本書に在るのだが、その話しを本書を通じて初めて知ったというような状況である。

本書で論じられているのは、何処の街でも電線等の埋設が進まない状況で、必要以上に看板や自販機が溢れ、周囲の景観を度外視した駐車場の配置や、奇抜な建造物が辺りの雰囲気をオカシイ感じにしてしまうようなことが何十年も罷り通り、なかなか改善されないということである。

電線等の埋設ということに関しては、各地に見受けられる「伝統的建造物群保存地区」等で見受けられる程度であろう。「古都」と呼ばれるような場所でも、必ずしも進んでいないようだ。ロンドン、パリ、香港、シンガポールというような世界の方々の都市で100%実施されているという電線等の埋設、「無電柱化」だが、日本国内では例えば東京23区で8%、大阪市内で6%という様子らしい。方々で計画は出ているようだが、速やかに進んでいるようにも見えない。

こういう問題に力を入れる、或いは妙な看板を外す、奇抜な建造物を増やさずに機会が在るなら壊す、古くからの建物等は可能な限り壊さずに「リノベーション」するというようなことで、そうやって「街の心豊かに、安らかに過ごせそうな景観を護る」ことに意を向けて然るべきだというのが本書の主張だ。

日本の人達は、或いは「自己肯定感」が低い、言葉を換えると「矜持に欠ける」ような面が在って、育まれて来た大切なモノを損なうようなことを繰り返し、積み重ねてしまっているというのが本書の主張に入っているが、これには大きく頷いた。本書のような問題提起に向き合って、問題意識を持つようにするというのは大切なことだ。

繰り返すようになってしまうが、初登場が10年位前という本で提起された「問題」が「縮小」や「前進」したとも思い悪い状態に在ると思う。或いは大規模催事や大規模な街の再開発のようなことが過去10年位で積上げられ、或いはこれからも突き上げられ続けて「問題」が「拡大」や「後退」ということになっているかもしれない。考えさせられる内容だ。本書は「読むべき一冊」だと思う。

『東大生に教える日本史』

↓大変に愉しく読了した。「教える」ということで、大学の講義の雰囲気で8つの篇を纏めている。順次読み進めると素早く読了に至ってしまう。

東大生に教える日本史 (文春新書 1483)



↑専門的な研究に携わる著者が、その知見を基礎にしながら、広く一般向けに話しを纏めて綴るというのは、凄く新書らしいと思う。

著者が東京大学に勤めているので「東大生に教える」となっているが、これは偶々であって、他大学に在れば「X大生」に替っていただけであろう。内容は寧ろ「誰にでも興味深く学ぶことが出来る日本史」というようなことなのだと思う。鎌倉時代以降の事柄が扱われ、8つの篇=講義が一冊に収められているのだ。

著者は大学の研究所で活動をしていて、御自身の御研究の半ば一環で、研究者を志す方が大半を占める大学院生の指導を行っているのだそうだ。そういう様子なので、日頃は学部の学生、研究者以外の様々な進路に向かって行くであろう新入生のような人達に講義をする機会は無いそうだ。

ところが、教養課程に学ぶ新入生に向けて講義を行うという機会が生じた。そこで著者は、大学新入生達が付き合って来た「受験の日本史」とは一味違う話しをしようと準備した。そういう講義の内容を読物として整理したのが本書である。

本書の8篇、8回の講義で扱われるのは所謂「武家政権の時代」である。契機となる出来事が幾つも在って、鎌倉幕府が成立して動き始める。本書では年号や用語を覚えるような方向に話しは展開しない。或る出来事や成立した体制の以前と、何が如何変わり、何故そういうようになったのかという推論を重ねる。著者は「歴史」というのは、史料を精読して積上げて行くモノに加えて、何らかの理由で欠けてしまった部分や、何かの思惑で敢えて綴られていない可能性も在る部分を「推理」しながら繋いで行く面が在るとしている。そしてその「推理」を巡って「諸説在る」というようなことになって論争のような感じにもなるのである。

本書では、鎌倉に武士、殊に御家人達の幕府が登場し、それまでの時代と何が変わったのかという辺りの話しから入る。やがて源頼朝が他界した後、後継者となった息子達が排されて、鎌倉幕府は維持されるが、それが何故だったのかというようなこと、承久の乱による揺らぎとその後の体制の強化という話し、更に元寇での変化とそれに対応しようとした勢力が排されて揺り戻しが在ったという事等が論じられている。こういうように「考えながら移り変わる時代を観る」ということが「歴史を学ぶ」ということなのだと示しているのが本書の内容だ。

鎌倉時代の後も、室町幕府は本拠地を何故京都にしたのか、どのように展開したか、更に織田信長の「革命的」な要素、戦国大名達と“権威”というモノの関係、豊臣秀吉の際立った特徴、彼らに対する徳川家康、そして江戸幕府の展開や江戸時代から明治時代への変遷、加えて宗教を巡る動きというようなことが本書の各篇では取上げられている。何れも「考えながら移り変わる時代を観る」という流儀で語られている。ここで余り諄く語るべきでもない。是非、本書を読んでみるべきだと思う。

本書は「歴史を学んでみる」というのは「こういうようなこと!」と教えてくれるような気がする。そして「現在に連なる様々なモノ」が時間を掛けて形成されたような所謂「武家政権の時代」の「肝要な要素」が或る程度網羅されてもいると思う。広く御薦めしたい一冊だ。

『飛脚は何を運んだのか 江戸街道輸送網』

↓なかなかに興味深い内容で、愉しく読んだ一冊だ。

飛脚は何を運んだのか 江戸街道輸送網 (ちくま新書 1841) [ 巻島 隆 ]



↑或る職業、業界に関する事柄を取上げて時代や社会を観ようというような事柄は面白いと思う。本作もそうした取組に相当すると思う。「飛脚」という仕事、またはそういう事業、事業を展開しようとした人達、その様子の広い範囲の事柄が本書では取り上げられている。少しボリュームが在る新書のような感じだが、全く飽きない。

「飛脚」という用語は、提供されるサービスや業種を表す用語としては明治時代に「郵便」や「運輸業」「運送業」という用語を使うようになって以降は用いられていない。(江戸時代の「飛脚問屋」の後裔と呼んでも差し支えないかもしれない運送会社というモノは在るというが。)そういう状況だが、それでも「街から街へモノや書類を届ける」という営為の「イメージ」としては社会の中に残っていて、運送業者でそのイメージのイラストをトレードマークにしていた例も思い当たる。

現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた江戸時代に「飛脚」というサービス、その事業の拡がりや様々な展開が在った。この「飛脚」という用語は意外に古い。源平合戦の頃に用いられ始めたのだという。

色々な国や地域の文明の展開の中で、馬で書類を携えた使いが往来するというような通信手段が登場していた。(極一部に例外も在るらしいが。)古代の日本でも「駅」という連絡拠点が設けられて、馬で使いが行き交って重要な通信を行うという仕組が現れた。そういう馬を前提とする通信の他方に「便りを届けて欲しい」と送り出されて、歩くか走るかで相手先を訪ねて書類を届けようとする例も見受けられるようになった。そういうのを「脚力」と呼んだのだそうだ。文字どおりに、脚の力で用事を足した訳である。

時代が下って源平合戦の頃となった。源氏陣営、平家陣営の軍勢が各地に展開し、各地で合戦が繰り広げられる状態になった。そうなると軍勢の動き、合戦の展開や結果というような情報が求められ、関係者はそれを発信しようとする。そんな中、「便りを届けて欲しい」と使いの者を送り出し、場合によってはリレー方式で陣営の中枢に情報を報せようと努力するようにもなる。そういうことで送り出した者を「飛ぶ鳥のように早く駆けて書状を届けよ」ということで「飛脚」というように称する例が現れたのだそうだ。

源平合戦の頃に「飛脚」という用語が現れたが、それは以降の時代にも受け継がれる。時代を下っても、各々の時代に「便りを届けて欲しい」という求めは生じ、それを受けて「飛脚」と称する者達が動いたのだ。そういう経過等も本書の最初の方には詳しい。

そして大掛かりな戦乱が続くのでもなく、現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた江戸時代に入って行くと「飛脚」という事業の拡大や発展が見受けられ、関係者が課題に直面してその解決への努力を重ねたというようなことが見受けられた。それが本書の「何を運んだのか?」または「街道の輸送網」という話しになるのである。本書の核心である。

現代とは勝手が違う江戸時代のサービスを論じるということで、本書では冒頭部に「飛脚を頻繁に利用し、その件を日記にも綴っていた人物」が登場する。かの滝沢馬琴である。『南総里見八犬伝』の作者として知られる滝沢馬琴は江戸の流行作家であって、その作家活動や活躍も長い年月に及ぶ。残念ながら消失してしまったモノが多いということだが、滝沢馬琴は几帳面に日常の様々を記録する日記を綴っていたことでも知られる。そこから伺えるのは「色々と細かい事に煩い親父さん」であった様子である。

本書と関係無いが、少し前に観た映画『八犬伝』で、創作された物語の映像化と、滝沢馬琴の暮らしや人生という描写が在った。本書の一部と、映画の滝沢馬琴の暮らしや人生の部分の画とが頭の中で交差して、少し迫って来た。更に江戸時代の宿場町の雰囲気や様子が伝わるような場所―滋賀県の草津、三重県の関、長野県の奈良井―を訪ねてみた想い出も在るので、本書で説かれる宿場町を巡りながら目的地を目指す飛脚の様子が頭の中に浮かんだ。

本書に戻る。取り上げられている滝沢馬琴は、作品を大坂の版元から出したという経過も在って、そうした版元とのやり取りに飛脚を多用している。その飛脚を利用した経過のことを紹介し、本論の飛脚の事業を紹介する辺りに巧く反映させているのが本書だ。また飛脚そのものを利用する以外に、色々な場所の様々な人達とのやり取りが生じるが、滝沢馬琴の様子を例にそうした「通信サービス」を紹介するような拡がりが在るのも本書の面白さだ。

飛脚は事業者が組合のようなモノを起こし、それらがネットワーク化されて各地の街で書状やモノが運ばれる体制が作られた。そして方面毎に馬に荷を積んで街道を行き、一部は途中から人が歩くか駆けるかでリレーをするというようなことで目的地の宛先を目指したのだ。そして少し驚く程に細かく「〇〇の街へはX日で届く」というような内容と料金が設定されていたようでもある。

江戸時代に街道を往来するとなれば、川の増水というような自然条件で動き悪い場面が在ったが、飛脚もそういう様子に悩んだ場合が在った。加えて飛脚の場合には馬や人の都合がつかずに困る場合も在った。またモノを水に落として濡らしてしまう、災害に巻き込まれて紛失してしまう、火災に遭う場合や、盗難に遭う場合も在ったようだ。

飛脚のネットワークによって、種々の商品や代金決済の為替や現金が行き交い、江戸時代を通じて発展した商品経済が支えられていた一面が在る。加えて災害や事件等の情報が行き交う場合にも飛脚のネットワークが活かされたようだ。

更に飛脚の、纏まった資金を預かって動かすというような仕事、或いは街道を走り回って様々な危難に出くわす場合も在りそうなことが色々と想像を掻き立てるということで、文学作品の題材に取り上げられている例も幾つも在るようだ。

現代とは勝手が違う江戸時代ではあるが、それでも現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた。そうした例の中で非常に大きな存在感を放っていたと見受けられる「飛脚」を詳しく広く論じた本書は非常に興味深い。飛脚を論じている本書だが、映画、小説、その他の本で得たような江戸時代に纏わる知識やイメージ、当時の様子や雰囲気を伝えるような各地での見聞を、街道を駆け抜ける飛脚のように結び付けてくれたかもしれないとも思う。広く御薦めしたい一冊だ。

『英雄の悲鳴 ラストライン7』

気に入っているシリーズの新作に出くわすと、「遠方の友人の近況」に触れるような気分で愉しく読むことが出来る。

↓本作もその気に入っているシリーズの新作だ。紐解き始めると、頁を繰る手を停めることが困難というのを通り越し、停めることが不可能という程度に夢中になって読み進めた。今作はこのシリーズの各作品の中でも抜きん出たような感じになるかもしれない。

英雄の悲鳴 ラストライン7 (文春文庫 と 24-26)



↑加えてこのシリーズに関しては、主要視点人物或いは主人公が自身と同世代なので強く親近感を覚えて夢中になるというような要素も在るかもしれない。

「ガンさん」こと岩倉刑事は50歳代半ばに差し掛かっている。昇進して役職に就くようなことに関心はなく、現場捜査員として活動し続けることを希望している。シリーズが始まった頃、思うところが在って警視庁本部捜査一課から所轄署の刑事課に異動した。蒲田や立川で勤務したが、また本部の捜査一課に戻っている。本作はその捜査一課に戻った「ガンさん」こと岩倉刑事が取組む事案の物語である。

捜査一課では係単位で行動する。取組むべき事案が生じると、決められた順番で係単位で方々の捜査本部に出向いて捜査活動に入る。現在、捜査一課では少し以前からの連続殺人と見受けられる事件のために多くの係が捜査方々の本部に出ていたが、岩倉刑事の係はそれらの事件の担当にならず、待機状態が続いていた。岩倉刑事が捜査一課に異動した少し後、女性の伊東美咲刑事が異動で同じ係になった。岩倉刑事が所轄に出た時、新人刑事として一緒に仕事をした経過が在るのだが、なかなかに優秀な女性捜査員で、岩倉刑事は頼みにもしていた。

待機状態が続いていて些か倦んだような気分にもなっていた時、現場に出ることになった。町田市内の公園で、刺殺と見受けられる男性の遺体が発見され、町田署に捜査本部が設けられた。岩倉刑事は伊東刑事達と町田へ向かって捜査活動に就く。町田署の若い捜査員達を率いて、岩倉刑事は伊東刑事を相棒にして捜査に取組み、不明朗であった男性の身元に迫った。そしてその人物像を調べようとしていた。

そんな活動の最中、捜査本部が設けられた町田署で妙な話しが起っていた。早朝とも言い得るような深夜の時間に、負傷している女性が街に在って、通り掛かったタクシーの運転士が救急車を呼んで、女性が保護されたのだという。病院に収容された女性だが、如何した訳か病院から抜け出してしまって行方がよく判らないというのだ。やがてその事案を扱った地域課が騒がしい感じになった。岩倉刑事と近い年代の男性が地域課に捻じ込んでいる。聞けば大学生の娘が早朝の変な時間に帰宅し、大事な用事が在ると称して自家用車で出てしまい、連絡が付かなくなっているのだという。行方不明なので真面目に探してくれと騒いでいたのだ。岩倉刑事は男性の話しを聴いて宥めた。結果、娘の件で激しい調子で騒ぐ男性と「話しが出来る岩倉刑事」というようなことになってしまっていた。

刺殺と見受けられる男性の一件、姿を消した女子大生の一件と並行して対応が進む。女子大生の一件は失踪課の捜査員達も乗り出してくる。岩倉刑事は両方の事案に関わるようになって行く。やがて意外な事の真相が明らかになって行くのである。

なかなかに優秀な伊東刑事と岩倉刑事のコンビの感じ、町田署の若い捜査員達を導こうとする岩倉刑事の感じ、大学生の娘が在る50歳代男性として事態を見詰める岩倉刑事の感じと、色々と好い要素が多い本作だ。意外に過ぎる事実が明かされようという時、慌てずにそれを確かめようとする。そして如何なるのかという辺りも、少し重い感じになって行っている。少し深い余韻が残る感じだ。

シリーズ作品なので、過去の作品を踏まえた本作ということも在る。が、本作は「或る大ベテランの捜査員が在って…」というような、独立した作品、または本作を第1作とする新シリーズという感じでも差支えないかもしれないような感じだ。このシリーズの各作品の中で、殊更に強く記憶に残る感だ。

本作読了後、直ぐにこのシリーズの行方が気になった。次作にも期待したい。