「少年志願兵」のモニュメント(2017.09.23)

↓衣装が「少し昔風?」な感じで、何か「古き良き時代の少年達」という雰囲気の、少し惹かれる彫像を見付けた。
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↑アレクサンドロフスク・サハリンスキーの<生神女寺院>の近くに在るモノだ。寺院の敷地内から「あちらに彫像らしきモノ?」と視える位置関係に在る像で、後から近寄って視たのだった。

↓像はこういう具合に「高台から海に注ぐ川が造る独特な地形と海を望む」と同時に「街並みが少し覗く」という場所に建っている。
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol02 (13)

像の下のプレートには人名が多数並んでいるが、その標題として「ЮНЫМ САХАЛИНЦАМ - ДОБРОВОЛЬЦАМ」(ユーヌィム サハリンツァム―ドブロヴォリツァム)と在る。これは「サハリンの少年志願兵に捧ぐ」という意味だ。

「ドブロヴォリツ」(добровольц)というのは、直訳すれば「善意の人」ということになるが、意味合いとしては「自発的な意志で行動する人」ということになる。「自発的な意志」ということで、ここでは「志願兵」と訳出すべきだ。

第2次大戦期、徴兵年齢に達していない少年達の中に、「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」が多く見受けられたという。当時のサハリン、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを中心とする地域からもそうした「少年志願兵」が旅立った。そして、彼らの殆どは消息を絶ってしまったのだという。多数の戦死者や、戦禍で命を落とした夥しい人達の中で、彼らは命を落としてしまい、生還出来なかったものと推定される。

ソ連時代の終わり頃、1980年代の末に近い頃から“戦中秘話”とでもいうような「それまで余り伝えられなかった戦時下の色々な事」に関して、記録を残すべきであると生存者へのインタビューを基に綴ること等が始まり、それが公刊されたことを契機にそうした動きが拡がる、或いは古い未公開資料を精査するような研究が始まる等、色々な動きを受けて様々な事が伝えられるようになっている。

「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」の中には、どういう運命を辿ったのか仔細が不明なまま消息が判っていない人達も大勢居るようだ。そうした人達の中で氏名が判っている人達の名を挙げながらこうしたモニュメントを建て、理想に散った少年達を悼むと同時に「そういう時代が在った」ことを伝えようとしていることになる。

↓日が傾くような頃になると、西日に染まる空と海が視えるような位置に「少年志願兵」のモニュメントは佇んでいる。
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol02 (25)
↑或いはアレクサンドロフスク・サハリンスキーの「らしい感じ」な風景が視える場所に、生還出来なかった少年達をイメージした像が佇んでいると言えるであろう。

実物を見れば、コンクリートの台座に経年変化らしきものが見受けられないのが判るが、モニュメントが建ったのは近年のことであるらしい。近年の、古い未公開記録の研究の様なところから、こうしたモニュメントを設ける計画が持ち上がったのかもしれない。

単純に「少し惹かれる少年達の彫像」と眺めていたが、「平和の尊さ」に想いを巡らせることになった。

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.24)

人口1万人を切る程度の小さな街ということになるアレクサンドロフスク・サハリンスキー…飲食店が極端に少ないと見受けられ、日曜日の午後に座って休めるカフェのような場所が見当たらない…好天なので広場のベンチで少々ゆっくり…

↓そういう中で眺めたレーニン…前日とは時間帯が少々違うことも在るが、光の感じと背後の空の感じが異なり、少し違う表情を見せている…
Alexandrovsk-Sakhalinsky 24-09-2017 (46)

こういう具合に、同じ場所の同じモノでも、日や時刻が異なると違って視えるのが面白く、そういう様子を写真に撮ってみるのが愉しい…

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

↓アレクサンドロフスク・サハリンスキーの広場に佇むレーニン…方々の街で見受けられるが、ここにも…
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↑背景の空と雲の感じが好い!

ここのレーニンは、「コートの表現」が凄く立体的な感じなのが面白い…

特段に顧みる人も無いような感で、珍しがるように写真を撮っていたのは私位なものだった…この日は、何やら結婚式をやっているような様子も在ったが、或いはその人達もここで写真を撮っていたかもしれないが…

“Три Брата”(トリ ブラター)=<三兄弟>の岩:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

↓海の上に「石庭」でも設えたような…不思議な風情が在る…
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol02 (20)
↑アレクサンドロフスク・サハリンスキーの「地域のシンボル」のようになっている<三兄弟>の岩である…

初めて「アレだ!」と視て…辺りを歩いて色々な角度で視たが…なかなかに面白い!

運行日誌 - 2017.09.24-25

ティモフスコエの「街の中心」という感じのレーニン広場から徒歩で30分位の場所に鉄道駅が在る。駅名としては「ティモフスク」というようになっている。夜の静かな駅で綴っている…

アレクサンドロフスク・サハリンスキーでバスに乗車した…バスは非常に混んでいて“増車”という態勢になっていた…到着直後に入手した乗車券は、23席在る最初のバスの最後の一席である“♯23”だった。ターミナルに妙に人が多いと思えば、もう1台のバスが在ったのだ…

17時15分発から、現れない乗客が在るのでやや遅れて発車したバスで在ったが、途中の街中の停留所から乗車した人が2人在ったという有様で、数席の空席は見受けられたがほぼ満席で山道をティモフスコエへ向かった…何か資料館で「建設工事」という古い写真も視たが、そういう道をバスはゆっくりと、時に「船より揺れる…」という感じの勢いで進み、結局18時半頃に着いている…

バスは…“急行”ではない方の「ノグリキ・ユジノサハリンスク」の列車にも間に合ったが…取っている券は“急行”の方で、やや時間が在る…

バスの到着後は、駅にタクシーが見受けられるということだったが…それらしいものは視えない…そう思いながら…辺りの木の黄葉と紅葉が美しいので、それを眺めながらフラフラと歩いた…

「こっちが街の中心か?」と通り掛かった方に問えば、そちらは街外れの病院だそうで、街の中心の方向が分かった…そして進んで行き、更に通り掛かった方に尋ねてレーニン広場の方向が判った…

途中に教会を眺めてレーニン広場に至った…約30分の道程である…

ティモフスコエの街の中…静かな場所だ…綺麗にライトアップされた噴水等を眺めた…事前に「カフェが在る」とも聞いたが…場所がよく判らない…結局、広場でゆったりと座っていた…

「静かな小都市」であることに関して、アレクサンドロフスク・サハリンスキーと大差が在るとも思い悪いティモフスコエだが、少し街並みが整っているように見えた…

午後8時20分頃…広場の噴水が停まり、辺りは真っ暗となって来た…ティモフスコエのタクシーの電話番号も控えて在ったが…それはそれとして、街の中心へ辿り着いた際の薄暗い道を、そのまま引き返した…

駅へ続く最終区間…暗い…本当に真っ暗だが…アレクサンドロフスク・サハリンスキーで「流刑囚が掘ったと伝わるトンネル」に入る場合に備えて用意―ユジノサハリンスクの<テフニカ>という店で求めたいた…―して在った懐中電灯を引っ張り出し、それを使って無事に駅まで至った…

結局…随分歩いたが…途中でビールを売っている場所にふらりと寄り、何となくビールをグイグイと頂いてしまった…そういう感じで「夜行列車待ち」な状態である…

「古くは辺りを代表するような街で、大きな存在感を示していたが、時間が経つ中で街の相対的な位置が変わり、“小さな街”ということになっている。他方、史跡や資料館や景勝地が色々と在る」というような場所は、国や地域を問わずに色々と在るのであろう…アレクサンドロフスク・サハリンスキーはそういう場所なのだと想う。或いはティモフスコエも少し似ているのだろうが、夕刻に街へ入って、少しだけ散策したという状況なので、明確には言えないと思うのだが…

とにかくも、アレクサンドロフスク・サハリンスキー訪問は、強い印象を残してくれた…それに加えて「初めてマイナーな街にふらりと訪れて特段に問題は無いのだから、何処へでも…」という感覚も抱くに至った…

とりあえず…“ティモフスク駅”で列車待ちである…

ゆっくりと“ティモフスク駅”で過ごす中、次第に乗客や見送りの人達が集まって賑わい始め、列車は静かに登場した。客車担当の乗務員のチェックを受けて、無事に乗車した…

車中では…御手洗を利用した後、直ぐに休み、そのまま朝まで眠った感じだ…列車はピッタリと定刻で運行していた様子だ…

月曜日の朝…ユジノサハリンスクが、酷く賑やかに視える…静かな街を、それも静かな休日に巡って戻ったばかりなのだから…頻繁に利用する近所の店で珈琲を一杯求めたが…これが妙に美味い…

運行日誌 - 2017.09.24

早朝に気付いた時、「何処だ?何をやっていたんだ?」と思った…その位に深く、そしてやや長めに眠った…どうということもない、アレクサンドロフスク・サハリンスキーのホテルで、確か午後9時辺りだったが、眠気に抗わずに横になり、そのまま眠ったのである…

早朝の5時台、ホテル前で戸外の様子を伺ったが…真っ暗であるのは当然だが、然程寒くない…サハリンでは9月下旬に関しては「存外に寒い」とも聞いていたが、今季は然程でもない。深夜や早朝は10℃前後だが…好天の日中は20℃を少し切るような按配だ。アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、やや風が強い…この辺はユジノサハリンスク辺りとは少々異なっている…

早朝に戸外の様子を伺ったが…直ぐに部屋に戻って、また眠ってしまった…「スロースタートな日曜日」で構わない一日である…

少しゆったりと部屋で過ごし…昨日、飲物を求めた近在の店を覗けば営業が始まっていた…ソーセージのパン(Сасиска в тесте)を3つ…部屋での朝食に…1個36ルーブル…味は悪くない…

早朝はやや雲が多目で、その後次第に明るくなって、「晴れた日曜日」という風情が漂っている。昨日の土曜日も静かだったが、日曜日の朝は更に静かだ…

そしてチェックアウト時刻となっている12時が近付き、荷物を整理してチェックアウトした…「荷物」と言ってもリュックサックが一つという次元で、然程のものでもない…そのまま身軽に動き回ることが出来る範囲である。

チェーホフ記念館の在るチェーホフ通の先を進んで、高台から海岸に降りて一回り…以降は辺りをグルグルと廻って過ごす…天候が好いので、景色は素晴らしい…

アレクサンドロフスク・サハリンスキーには、飲食店が極端に少ないように見受けられる。加えて、その少ない場所も「日曜日=定休日」で営業していない…故に「座って休む」に事欠く感であった…が…天候が好く、寒くもないので、レーニン広場のベンチが格好の休憩場所になっていた…

或いは…冬季や早春は、やや過ごし悪い場所かもしれない…偶々なのだが「非常に好いタイミング」で、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねることが叶ったのかもしれない…19世紀末までに村が拓け、かのチェーホフも足跡を遺した街…日露戦争やシベリア出兵の関係で日本が占領した経過も在る、サハリン最初の州都…タタール海峡の海と複雑な地形とが創り出す絶景…勝手に思い入れを抱いて「とにかく行ってみたい…」と思っていた街で、愉しい休日を過ごすことが叶った…

とりあえず…格好の休憩場所となったレーニン広場で何となくノートパソコンを出して綴っている…もう暫くすれば…飲物等でも買入れて、バスターミナルへ向かい、ティモフスコエへ移動だ…ティモフスコエからは夜行列車でユジノサハリンスクへ引揚げる…

「アレクサンドロフスク・サハリンスキーで利用可能な、ロステレコム社によるフリーWi-Fi」なるモノでレーニン広場のベンチから記事を送信しておく…実は昨夜から今朝に掛けて、ホテルでも同じサービスを利用している…

ジョンキェル岬の灯台を望む:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

アレクサンドロフスク・サハリンスキーのジョンキェル岬には1864年創建で、2013年に自然災害で壊れてしまった後に再建されたという古い灯台が在る…これが視たかった!

最初は、<三兄弟の岩>が視える海岸を進んで、流刑囚が掘ったというトンネルに至って、そこを抜けた辺りから上る場所も在ると聞き、海岸を歩いてみたが…海岸が狭隘になっていて、夥しい海藻が打ち上げられている中を進めば、トンネルへ通じる辺りは海水にスッカリ使って歩行可能な場所が途切れてしまっている…辿り着けない…着けたにしても戻りが不安だ…「残念ながら」と引揚げた…

そして「灯台が視える辺り」ということなら、タクシーをチャーターして辿り着くことも適うと判り…ホテルでタクシーをお願いした。やや離れた南隣のドゥエを往復する料金に準じて1000ルーブルということになった。

山の中のような未舗装道路を上り下りしながら、一般車輌では入り悪い感じの小路の脇に至った。その小道を進み、崖の上へ…

↓眼下にこういう光景が拡がる!!
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol01 (39)
↑古い灯台が崖の上に建っている…サハリンの北寄りの西海岸…タタール海峡の海が眼前に…

息を呑むような光景だが…やや風が強い崖の上…少々危なっかしい…

これが視られたということだけでも、アレクサンドロフスク・サハリンスキーに来て本当に好かった!!

アレクサンドロフスク・サハリンスキーで迎えた朝の空…(2017.09.24)

全く初めて足を踏み入れた土地で夜を明かし、朝を迎えると、安堵感と感慨が交じり合ったような、独特な想いが沸き起こる…

前夜は「抗い難い眠気」に抗せずに早めに休んだ…と言って、暗い時間帯でこそあるものの、深夜とは言い難い時間帯まで長く眠って眼を開けた…そして…また眠ってしまった…「スロースタートな日曜日」を決め込んだ…

↓泊まった宿の裏側が東寄りの空だった…
morning sky over Alexandrovsk-Sakhalinsky 24-09-2017 (5)
↑初めて足を踏み入れ、初めて明けた朝がこういうように麗しい空であることは、訳もなく嬉しいものだ…

運行日誌 - 2017.09.22-23

ユジノサハリンスクからノグリキへ向かう列車は午後10時42分に発車するが、発車する30分前から乗客を迎え始める。

駅正面の、空港の保安検査のようなことをする場所以外からはホームに出入が出来ないような状況になっている…そこからホームへの出口へ向かう…

ホームでは…チョロチョロして列車の写真を撮るというようなことは出来ない感じである。直ぐに乗車する車輛を探さなければならない状況…「何号車ですか?!」と尋ねて来る係員が大勢居る…とりあえず乗車する車輛に至る…

各車輛に係員が貼り付いていて、手元の名簿と乗車券を照らし合わせ、パスポート等との書類とも照合する。

乗車券等を求める場合…パスポートの番号や氏名が券に記載される。これに誤記が在ると、乗車時に「乗車出来ない」ということになるのだという…そう聞いて、券を求める際には確かめることにしたが、駅の窓口の係員の側でも「お確かめ願います」と言う。実際、確かめるとどうしたものか氏名のアルファベットが一文字違った…直ぐに「ここが違いますが…」と訂正して頂いた…

こういうような調子なので、券の変更のようなことに関しては融通は利かないであろう。が、変更が容易な程の旅客列車の運行が見受けられるのでもない。

列車はディーゼル機関車が客車を牽引するというものである。上下2段で4人1室のような状態になった「クペー」と呼ばれる寝台…奇数番号が下段で、偶数番号が上段のようだ。指定されていた番号は35番だった。1車輛に36人分の場所が在る。乗った客車の車内は、概ね半分かそれ以上の乗客で埋まっていた。全般的にもそれなりに乗客が多かった…

車内では…券の下に薄い紙で券と同じような内容が入っているモノが付いていたが、乗務員はその薄い紙を回収した…そういうことが終わると…直ぐに眠った…

深夜に一旦眼を醒ましたが…結局6時前まで深く眠った感である…起きれば外は薄暗く、内陸の森の中で霧が掛かっていた…

ティモフスコエには確りと定刻に到着した…

直ぐにアレクサンドロフスク・サハリンスキーへ向かうバスへ接続…既にバスは待っている。そしてバスは満席状態で立席も…そして大きな荷物を持ち込んでいる人達が在って、バス車内の込み具合に拍車を掛ける…

アレクサンドロフスク・サハリンスキーの“アフトスタンツィヤ”と呼ばれるバスターミナルまでは、途中での下車も入って1時間20分程度だった…距離にして60㎞弱だ…

アレクサンドロフスク・サハリンスキー!終にやって来た!

到着後に最初にやったこと…明日のバス券を入手することだが…これはアッサリと巧く出来た…バスターミナルの窓口が普通に空いていたので、そこで頼んだというだけのことだが…

道すがらに教会を視て、その足で予約したホテルへ…この街では「ホテル」と言えば、私が滞在する一軒のようだ…ここは既に部屋も使用可能で、モノを置いて街へ出る…

チェーホフ関係の資料館、郷土資料館を続けて見学した…ここは一体的に資料館として整備するようにして来た様子だ…嘗ては少々様子が異なったとも聞くが…なかなかに興味深いモノが在った…

そして「凄く鄙びた…」場所を歩いて海岸の方へ…途中のАСМП(多分「アレクサンドロフスク・サハリンスキー・モルスコイ・ポルト」で「アレクサンドロフスク・サハリンスキー港」という意味なのだろう…)という文字が視える門が在った辺りで、数頭の番犬に追い掛けられ―繋がれていない…―て驚いた…

「酷い犬達だ…飼い犬はああいう具合だ…」と思いながらトロトロと歩けば、<三兄弟>の岩が視えた!!

その辺りの海岸を進み、嘗て流刑囚が掘ったというトンネルを抜けると灯台が在る辺りへ上ることも出来るということだったが…海岸は通ることが出来る場所が海水の下になっていて、進めない…打ち上げられた海藻でフカフカな海岸をかなり進んで近付いたのだが…「これは無理…かなり確りした長靴でも、足下が悪いので危ない…」と断念して引揚げた…

そしてホテルへ戻って一息…灯台に関しては、少し大きく廻って視える場所へ行く術が在るということで…ホテルでタクシーをお願いした…

やって来たタクシー…ドゥエの街の片道500ルーブルを往復するのに準じて1000ルーブルという話しになったのだが、その値は在った!!山道を廻りながら、途中の車輛通行は困難な脇道を徒歩で100m程も踏み入る…崖の上からあのアレクサンドロフスク・サハリンスキーの灯台というモノが視えるのだ!!これが見事だった…他方、崖の上は風が強く、足下も悪いのでややキツい…また、場所までは街から歩くにはやや遠い…

そうこうしている間に夕刻の時間が進み、陽が傾いて暗くなった…何やら精力的に動いた感…急に眠くなって来た…

針路、北西!! アレクサンドロフスク・サハリンスキー!! 前進!!

「サハリンに少し長めに滞在」ということになり、「何処か、訪ねてみたい場所は?」と尋ねられる場合が生じた。そういう場合、私は「アレクサンドロフスク・サハリンスキー!」と言い続けていた…

アレクサンドロフスク・サハリンスキー…北緯50度線のやや北に在る小さな街だ。1862年にアレクサンドロフスキー哨所というモノが開設され、1881年には流刑地の中心的な町ということになった。やがてロシア帝国領のサハリンの中心的な町となって行く。1905年に50度線以南が日本領になって以降もロシア領サハリンの中心的な町で在り続け、1946年にサハリン島全土がソ連化されて行くまでは州都だった…(サハリン島全土のソ連化の際、州都は嘗ての豊原に移り、街の名はユジノサハリンスクとなった訳だ…)

アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、ユジノサハリンスクから約560㎞も北に在る。ユジノサハリンスクから訪ねるとすれば、内陸のティモフスコエとの間を夜行列車で往復し、ティモフスコエと沿岸のアレクサンドロフスク・サハリンスキーとの間はバスで往復することになる。「車中2泊」で訪ねるような場所になってしまう…

古くサハリンの中心的な町であったアレクサンドロフスク・サハリンスキーには、1890年にサハリンを訪れている作家のチェーホフも訪れている。80日を超えるモスクワからの旅をしてやって来たチェーホフだが、往路の最終行程はニコラエフスク・ナ・アムーレから船でアレクサンドロフスク・サハリンスキーへ上陸するというものだった。その後、チェーホフは北部で活動し、サハリン滞在の後半は船でコルサコフへ移動して南部で活動している訳だ…

「何処か、訪ねてみたい場所は?」ということになれば…ロシア国内の色々な場所、殊に名前は聞くが訪ねた経過が無い極東の諸都市を訪ねるようなことがしてみたいと思っているのだが、それでも「サハリンに滞在しているからには、先ずアレクサンドロフスク・サハリンスキーである!」と強く思っていた…そして漸く、「よし!週末に行ってみよう!」という段取りに出来たのだ。

段取り?列車の券を駅で求める…ティモフスコエ発のバス券を売場で求める…アレクサンドロフスク・サハリンスキーの宿に電話して1泊お願いする…というだけである…後は、とりあえず遅れないように余裕を持って駅へ向かい、列車に乗るということになる…

旅は「計画を練っている時が最も愉しい」という見方も在るのかもしれない…が、今般は交通手段の選択肢が殆ど無いという状況で、計画も何も無い…段取りは「この日に出られる?天気予報?好天らしい?行くぞ!!」というだけの話しで、上述の交通と1泊を確保したというだけだ…“計画”を通り越して、「列車に乗るのを待つ」という感である…

とりあえず…このアレクサンドロフスク・サハリンスキー訪問に関する雑感等を綴っておくようにしようと思った…