>>『天皇の刺客』(みかどのしかく)
この『天皇の刺客』は1790年代後半頃、18世紀末頃の京都等を舞台とする時代モノだ。徳川幕府の体制は、創設・確立から時間を経て、社会の変化とも相俟って“制度疲労”のようになっていて、「現状に不満」という人が「実はサイレントマジョリティー?」という様相だった。そういう中で「民を慈しむ天皇」という存在が在って、「天皇を中心とした新たな統治体制へ」という考え方を抱くようになっていた人達も在った。そんな人達は、「民を慈しむ天皇」という存在を広く知らしめるべく、そうした事柄が記された『日本書紀』の知識を刷り物にして、密かに印刷して方々で配布しようとしていた。そんな企てを進める人達と、彼らの企てを阻止しようとする人達の暗闘が軸となった物語が展開するのが、この『天皇の刺客』だ…
その「『日本書紀』の内容を密かに普及させる」という企てに身を投じている人達の中に、「同じ作者による他のシリーズで活躍していた中心的人物」が見受けられるのだということを後から知った…
そうやって知ってみて、少し興味が沸いたのは…“祇園社神灯目付役”を務めていたという、公家の庶子という出自の男、植松頼助だった…「『日本書紀』の内容を密かに普及させる」という企ては、「朝廷の復権」に通じる運動で、公家の庶子がそれに身を投じるというのは判る。そしてそういう人物が、なかなかの武芸者であるというのも好い。が…“祇園社神灯目付役”なるモノ…「何だろう?」と感じながら、「“祇園社神灯目付役”の植松頼助が活躍するシリーズ」を読んでみたいと思うようになった。
「“祇園社神灯目付役”の植松頼助が活躍するシリーズ」が<祇園社神灯事件簿>で、5冊の文庫本が在る。各巻に4話が収録されている…
↓第1巻…
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↓第2巻…
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↓第3巻…
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↓第4巻…
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↓第5巻…
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各作品、どれも非常に面白く、次々と頁を繰って読み続け、何かあっという間に5冊を読了してしまった…或いは…「娯楽時代劇というのは、“こういう感じ”が好いかもしれない!!」と思えるような感で、読んでいて18世紀末の京都を舞台に展開する物語の画が頭の中に浮かぶようだった…同時に「許せぬ!征伐!!」と悪い奴を懲らしめるスッキリな物語も、必ずしも“ハッピーエンド”でもない哀切感溢れるような物語も織り交ざり、そこも興味深い…
ここで言う“祇園社”とは、私自身も京都を訪ねた折に何度か立寄ったり、近くを動き回った思い出も在るのだが、あの“八坂神社”のことだ。あの“八坂神社”は、明治時代以降にその名で呼ばれるようになって、「廃仏毀釈」の動きを受けて神道関係の建物だけが在るようになっているが…永く“祇園社”と呼ばれていて、「神仏習合」という中で神道関係の建物の他に仏教系の建物も在り、神官の他に僧も活動していた場所だった。
この“祇園社”の“神灯目付役”というのは、“祇園社”の境内や周辺の“御旅所”と呼ばれた関連施設で、灯籠等の火を管理して一体の見回りを行う「ガードマン」的な役目を担っている。本のカバーイラストにもなっているが、黒く見える制服に身を包んで、「祇園社神灯目付役」と小さく書かれた傘を被り、「迂闊に、御神灯に息を吹きかけてしまわないように…」と顔の前に前垂れを掛ける。結果的に忍者か盗賊のような、禍々しい雰囲気の出で立ちになる。対峙すると、「黒尽くめの姿に、眼だけが光っている」ような不気味な感じになる。祇園社への信仰と相俟って、「“神灯目付役”様と、じっと眼を合わせると善くない…」という話しになっていたり、「悪い子は“神灯目付役”様に言って…」という話しにもなっている…
古く、京都も含めた畿内の有力な社寺には、領域の警固や係争で“実力行使”となった場合の備えとして、武芸者を雇ったり、一部の僧等が武装するという例が多々在った。“僧兵”とか“神兵”というようにも呼ばれていたようだが、或いはこの「神灯目付役」は、平和な江戸時代になっても、極々小規模で維持された、その種の存在の後裔だったのかもしれない。表向きの、灯籠の火を管理する役目の故に“お火役”とも呼ばれたという“神灯目付役”は、その表向きの役目の他にも、祇園社の周辺地域での様々な揉め事の解決等にも奔走し、悪い奴に苦しめられている人達を助けるようなことも密かにしていた…というのが、本作の物語である…
第1巻の最初の方では…植松頼助が“神灯目付役”の仕事を始めるような辺りのことが描かれる。挿花の伝統を受継ぎ、それを教授する仕事もしていた公家が、出稽古先で出逢った商家の女性との間に設けた庶子である植松頼助は、鞍馬の村で育てられた。そこで村国惣十郎に出逢うこととなる。
この村国惣十郎は「深い因縁」で植松頼助と結ばれることとなるのだが、植松頼助が“神灯目付役”の仕事を始める時点では、植松頼助の「剣の師匠」で“後見人”だ…しかし村国惣十郎は、植松頼助と出会った際の負傷により、視力を殆ど失ってしまっている。そういう状態であるにも拘らず、村国惣十郎は恐るべき武芸者だ…
この2人に対し、永く“神灯目付役”を務める孫市が居る。孫市は、母親の生まれ故郷が公家の植松家の領地であることから、その血筋である植松頼助に対して臣従する態度を取る。祇園社の様々な謂れに明るく、周辺の街の裏表にも通じた人情味溢れる男である。植松頼助が凄まじい居合抜きである“馬庭念流”を使うのに対し、孫市は京都に伝わる小太刀の術を使い、長めの脇差を振るって戦う…
そして、村国惣十郎の永く離れ離れになっていて巡り合い、一緒に暮らすようになった息子の喜平太が居て、4人が“神灯目付役”のチームとして活躍する。
盲目ながら恐るべき武芸者である村国惣十郎は、「形式的に“神灯目付役”の棟梁」なので、「〆る場面」で時々現場に出て恐るべき技を振るうが…基本的には植松頼助と孫市のコンビが、色々な出来事に出くわし、それらを解決しようと奔走する物語である。
しかし…“神灯目付役”達は、“物語”の道筋を造ってはいるのだが、寧ろ「各話に登場する関係人物達」が「本当の主役」のように感じられる…そして、18世紀末頃の京都の様子等が活き活きと描かれ、色々な街の歴史や周辺地域の様子等の話題もさり気なく挟まれる…
“正義”とか、「人の在り方」とか、「善意と悪意」というような、何か考えさせられるモノも背景に滲む話しが多いが…とにかく愉しい!!




