新千歳空港の“コカコーラ・ポーラーベアー”(2015.10.22)

少し「懐かしい」感じになった、昨年10月下旬の旅行の画を眺めていた…

↓こんなモノの画が…
'Cola Bear' at New Chitose AP on OCT 22, 2015 (2)
↑新千歳空港から出発する際に視付けたモノだ…

↓コカコーラだらけで、一寸驚く自販機が傍に在った…
'Cola Bear' at New Chitose AP on OCT 22, 2015 (3)

↓キャラクターを、何処と無く「北海道土産の木彫りの熊」というテーストを採り入れた具合にアレンジしているのが好い…
'Cola Bear' at New Chitose AP on OCT 22, 2015 (1)

「新千歳空港に寄りました」という記念撮影向けには、人気が高い場所になっているのだろうか?立寄ったのは、行き交う人がやや少なめの早朝だったので、その辺がよく判らなかったが…

小倉駅に着いた新幹線N700系(2015.10.22)

時間を設けて何処かへ出掛けるということになると…「あっちにも行きたい…こっちにも行きたい…そっちにも行きたい…」と何処にでも行きたくなり、結局、多少強引な移動を繰り返してしまうことになる…10月下旬の旅では、関西に上陸してから九州方面を巡り、広島に寄ってから関西方面に入るというような、多少強引なことをやってしまった…

関西に上陸した日…早速に姫路・小倉間を新幹線で移動し、更に翌日以降の段取りを考えて「朝の時点で熊本に居たい」と思い至って、更に新幹線で熊本へ移動した…

↓小倉駅で下車し、更に進んで行くのを見送ったN700系だ…「九州新幹線乗入」の仕様となっているモノだ…
Kokura Station on OCT 22, 2015 (3)

新幹線の小倉駅や博多駅は、少し面白い…小倉駅や博多駅は、九州に在って、JR九州の営業エリアで、小倉駅や博多駅はJR九州で最も乗降客が多いような駅でもあるのだが…新幹線の「博多までの区間」に関しては「JR西日本が運行」なのだ…その故か、小倉駅ではJR西日本の券売窓口と、JR九州の券売窓口とが在る…窓口の係員の制服が一寸違うので判る…

新幹線に縁薄い地域に住んでいるので、何かで新幹線の列車に乗車する機会が設けられると、妙に嬉しいものだ…

姫路駅の新幹線ホーム(2015.10.28)

関西の各私鉄に乗り放題という乗車券<スルッとKANSAI>を福岡で入手し、広島に立ち寄った後、「関西圏に入ろう!」と夜の新幹線の列車で姫路を目指した…10月下旬の旅では、関西圏では姫路を、九州では小倉を“起点”のようにして動き回った型になった…この両地域に所縁が在ると言えば…かの黒田官兵衛だ…

↓そういうつまらないことを思い出しながら、姫路駅の新幹線ホームに着いた…
Arrival at Himeji Station in night on OCT 28, 2015 (1)
↑列車の後尾側に乗車し、下車後に後ろから眺めた…これはN700系の「九州新幹線乗入仕様」だ…九州で勾配がキツい区間が見受けられることから、モーターが増強されていて、東京・博多間に投入されるN700系よりも短めな編成だ…勝手に「青磁色」と私は呼んでいるのだが、微妙に蒼が入った色合いが素敵だ…

新幹線の姫路駅に関しては、全ての列車が停車する訳ではない…通過する列車も多い…多くの駅で、ホームの列車が発着する辺りに柵が設けられているが、姫路駅にはそれが無かった…実は往路でも姫路駅から小倉駅を目指したのだったが…通過列車の“風圧”はなかなかなものだった。北海道新幹線に関して、「すれ違う貨物列車の関係で、青函トンネル内で速度が上げられない」という話題が在ったが…新幹線列車の通過をホームで見送ってみると、「なるほど…」と思う面も在る…

新幹線の姫路駅では、ホームは“対向式”になっている。往路は階段を下りて、また上がった所に在る反対側のホームを使ったのだった。「やれやれ、姫路に着いた…」と列車を眺めていると、列車は静かに加速して、東側になる神戸や大阪の方向へ進んで行った…

↓改札口へ通じる通路に繋がる階段を目指すと…窓が在った…
Arrival at Himeji Station in night on OCT 28, 2015 (4)
↑低い階層の在来線のホームが見えて、姫路の街の「より繁華?」と見受けられる方角が見える…遠くに…「姫路城?!」と思えるモノが…

↓一寸望遠を…間違いない!!姫路城が見える!!
Arrival at Himeji Station in night on OCT 28, 2015 (5)

姫路駅については…「そう言えば通り過ぎた…」という程度の浅い縁だったのだが、10月下旬の旅を通じて、何か「思い出の駅」に数えられるような感じになった。姫路城を訪ねたことも大きな要素だが、往復で新幹線の列車に乗車し、この駅を起点にしたので、何となく「我が駅」と勝手に思ってしまっている…

日豊本線:重岡駅に停車中のキハ220(2015.10.26)

時々、「少し前の旅」が妙に懐かしく思い出され、不意に写真を眺めてみるようなことが在る…

↓日豊本線の重岡駅である…
Shigeoka Station on OCT 26, 2015 (3)
↑1日に3往復の普通列車が停車するだけの駅である…

↓本当に3往復だ!!
>>重岡(しげおか) - JR九州/駅別時刻表

重岡駅は、大分県佐伯市に在る駅だ…2013年頃の資料で、1日の乗降客は…15人程度らしい…朝と、夕方と夜の計3往復だけなのだから…

佐伯市は大分県の南端の方で、宮崎県の北端の方を占める延岡市との県境という地域だ。佐伯・延岡間の往来は存外に盛んだ。そして福岡県から鹿児島県にまで延びる日豊本線の一部を為す区間だ。この佐伯・延岡の区間…主に特急列車が往来していて、普通列車は3往復に留まっている…

↓普通列車が3往復なのは、下記の区間である…58.4kmの区間だ…
佐伯 - 上岡 - 直見 - 直川 - 重岡 - 宗太郎 - 市棚 - 北川 - 日向長井 - 北延岡 - 延岡
↑この58.4kmの区間…特急列車は57分…各駅に停車する普通列車は85分を要する…

↓重岡駅のこんな写真…これは、特急列車の通過待ちで少し長く停車するから撮影出来る訳だ…
Shigeoka Station on OCT 26, 2015 (4)

この時は、宮崎駅を出発し、美々津に立寄ってから延岡に至り、「3本しかない普通列車の中の1本」を待って乗車した。九州域内の普通列車に乗り放題な<旅名人の九州満喫きっぷ>を手にしていたからに他ならない…

延岡駅で…写真の赤いディーゼルカーが現れた時には「来たぞ!!!」と少し興奮してしまう…延岡駅の辺りのベンチに座って、少し長く待ったからなのだが…そして、この赤いディーゼルカーのキハ220…好きな車輛である。力強い感じの形状で、JR九州のコーポレートカラーでもあるのだが、「ハッキリと濃い赤色」という車体は、何か見栄えもするような気がする…そしてセミクロスシートで、九州の車輛に見受けられる「木造調な椅子にクッションを貼った感じ」な座席も、意外に居心地が好い…運転時間がやや長めな場合も在る車輛であるため、御手洗も完備だ…

この時は…重岡駅での停車の後、少し居眠りをしてしまった…佐伯駅で…運転士さんに「着きましたよ!」と声を掛けられ、少し慌てて起きた…そして、佐伯から更に北上を継続したのだった…

2015年には「延岡・佐伯」という型でこの区間を移動したが、2014年には「佐伯・延岡」という型で移動したことも在った。個人的には…「普通列車の旅の“ボトルネック”」と呼んでいる区間なのだが…

そもそも…2012年に南宮崎・大分間を特急列車で移動した際、「延岡・佐伯」で「小一時間も真っ暗だったが…あそこはどういう具合になっているのだ?!」と思い、この区間を普通列車で移動することを思い立っていた…2014年は、佐伯で列車に乗車した後、直ぐに暗くなってしまった。あの時は日が短い12月でもあったのだが…今般、未だ少し明るい時間になる10月下旬にこの区間に乗車して、少し様子を視ることが出来たのだ。善かった…

こうやって「想い出の区間」が増えるような旅…機会さえ設けられるのであれば、何時でも行きたいものだ…

博多うどん(2015.10.27)

福岡の天神で友人に会った際…九州上陸後、宮崎で頂いたうどんが美味かったということを話題にした…そして、広島へ移動する夜行バスに乗車すべく、博多駅方面に向かうことを告げれば…「博多駅の地下街に美味いうどんの老舗が…」と友人が教えてくれた…

天神から地下鉄で博多に移動し…「どれどれ…」とうどんの老舗という店を探すと…アッサリ見付かった。食事時間帯のピークということでもなく、特段に待つでもなく入店出来た…

↓頂いたのはこういううどんだ!!
'Udon' at Hakata, Fukuoka on OCT 27, 2015
↑時間が経つに連れ…「あのうどん…佳かったなぁ…」と思い出す頻度が高まっている…

博多のうどん…かなり麺が太い感じで、柔らか目である…しかし柔かさは「過ぎない」感じだ。出汁は、色が薄めで、多分幾つかの材料を合わせているのだと思った。

うどんの“御先祖様”というような料理は、かなり古い時代に博多にもたらされたらしい。やがて、商家等の忙しい場所で手軽に頂ける食事として普及し、更に随時頂く消化の良い軽食として拡がった…らしい…

頂いてみた博多の流儀のうどんは、“丸天”と呼び習わされる、魚の白身で造る“さつま揚げ”のようなモノを合わせたモノだったが…これが出汁や麺に合う!!

旅から戻って、幾分の時日が過ぎているが…最近はぼんやりと「札幌・福岡…最安値の航空券?」と考えながら、航空券の価格の情報を眺めてみることが在る…「数万円の交通費がどうしたものか!?博多のうどんが!!」と思わないでもない…他方で、「あの博多うどんは素晴らしかったが…再会を果たすには、交通費が往復数万円…」とじっと腕組みをしてみたりする…

とにかくも「博多うどん」は、「あれが佳かった…」と「時々思い出すモノのリスト」に確り加わった…

福岡:水鏡天満宮(2015.10.27)

九州最大の都市である福岡市の都心部というのは、古くからの港と城下町の2つが合わさったような感の街なのだという。既に1979年に廃止されているものの、「西鉄 福岡市内線」という路面電車のベースとなった“福博電気軌道”、“博多電気軌道”が古くからの港を擁する博多と、城下町を前身とする福岡を結び付ける交通体系を準備し、そこから2つが一体化した発展の道筋が始まったようだ。

“博多側”には、九州各地を結ぶ鉄路や新幹線が乗入れ、福岡空港からも便利なJRの駅が在って、周辺が賑わっている。他方、“福岡側”では各種交通の結節点のようになっている天神周辺が、オフィスや商業施設の犇めく「都心!!」という雰囲気の強い地域になっている。

この“福岡側”の「天神」という地域名に関して、「所謂“天神様”が在って、そう呼び習わされた?とすれば、“天神様”は嘗て存在したのか、または現存しているのか?」と気になったことが在った…

↓鳥居の真中に<天満宮>と在る…所謂“天神様”だ!!
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (1)
↑天神地区の一隅に、辺りの地区名の由来となった“天神様”である「水鏡天満宮」は確り現存している。

10月27日…小倉を起点に、日田を経て久留米に至ったところで雨が少し強くなり、福岡に至っても雨は続いた。福岡まで至ると…正しく天神地区に在勤である旧友の顔でも視たくなる…連絡を取って、夕刻に「コーヒーブレイク」を愉しむという運びになった…落ち合って街のカフェに入り、その「コーヒーブレイク」を愉しみ、一寸辺りを歩いた時にこの水鏡天満宮に行き当たったのだ…

水鏡天満宮…“天神様”として祀られることとなる菅原道真は、京から太宰府―天神に在る西鉄の駅から列車に乗って訪ねるのが便利な場所だ…―へ向かう途中に博多を経由しているという。その博多上陸の際、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだという故事が伝えられ、水鏡天満宮が興ったという。城下町・福岡の建設に際し、1612年に黒田長政が「福岡城の鬼門」ということで、現在地の辺りに水鏡天満宮を遷して現在に至っているということだ…

そういう訳で、ずばり「天神様が在る辺り」ということで、辺りは天神と呼び習わされることとなるのである…

↓車輛や人々の往来が盛んな地区の一隅が「すっぽり」と「静かな境内」というような趣になっている…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (7)
↑こうした「賑やかな中に静かな空間」という「不思議な感じ」が面白い…

↓朱塗りの建物が、日が傾いて薄暗くなった中に在ると、何やら「艶めかしい」感じもする…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (4)

↓ここの様子を何となく視ていると、時々参拝する人の姿も見受けられる。受験をする学生さんという雰囲気の方が目立つ…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (2)

よく知られている神社ではあるが、仰々しい感じでもない、「街の普通の神社」という雰囲気ではある…何度か立寄っている福岡の中で、何となく気に入っている場所の一つである…

この後…博多駅周辺で過ごし、夜行バスで広島へ移動したのだった…

久留米:水天宮(2015.10.27)

列車で何度も通り過ぎているか、乗換でホームに立ったことが在る駅でも、「そう言えば、ここで下車して改札口から駅周辺へ出た記憶が無い…」ということになっている駅は存外に在るものだ…私にとって、久留米駅は長くそういう存在だった…

古くからの地名の由来というものについては、判り易い例も在れば、「実はよく判らない」という例も在るのだと思う。“久留米”は…一寸調べる限り…

上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、或いは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したという説…

944年に出た「筑後国神名帳」というものに「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとする説…

用明天皇の皇子で、603年に新羅との戦いのために筑紫へやって来て、そこで病死したという「来目皇子(くめのみこ)」に由来するという説…

筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするという説…

というような諸説が見当たるのだが、“定説”とされる話しは無く、「実はよく判らない」というのが結論のようだ…

それでもこの久留米という場所は、律令制による“国”が置かれて以降、筑後の国府が設けられていた地域に相当し、古くから栄えた地域であることは間違いない…現在でも久留米市は30万人規模の都市で、福岡市、北九州市に次いで福岡県第3位、九州全体では第8位の人口を擁している…

↓久留米駅の改札を出てみた…かなり天井が高い通路が設けられていた…
Kurume Station's building on OCT 27, 2015 (1)
↑久留米駅は、新幹線と鹿児島本線と久大本線の各列車が乗入れている…因みに…西鉄にも久留米駅が在るが、今般下車したJRの駅からはやや遠い…

10月下旬の旅は天候に恵まれた。「雨天で、やや行動が阻まれた…」という雰囲気になったのは…10月27日午後辺り、福岡県内であった…久留米駅から外へ出てみた際にも雨が交った…

駅の天井が高い通路の辺りに、地元の観光協会が設けたと見受けられる案内ブースが在り、水天宮への道順を尋ねると然程遠くないことが判り、簡単な周辺案内図まで頂いた…

↓多少雨が交った中、水天宮に着いた。筑後川の流れが見えるような場所に在った…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (1)
↑水と子どもを守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育てに関して篤く信仰され、各地に設けられている水天宮の「総本宮」が、この久留米の水天宮だという…

↓鳥居の脇の狛犬が、何となく…筋肉質というのか、細身な感じだ…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (15)

↓筑後川の直ぐ傍の境内は、「伝統の社」を擁する独特な雰囲気に満ちていた…若干の紅葉、落ち葉も混ざり、雨でしっとりと湿っていた…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (2)

源平合戦の後の時期、12世紀末に神社は興り、1650年に現在の場所に遷って整備され、それが今日の神社の基礎となっているのだということだ…

↓川を渡る風が、境内の木々に少し遮られる感で、雨交じりなりにも居心地は悪くなかった…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (8)

↓石造と視られる太鼓橋が好い…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (10)
↑平日で天候は好くなかったが、若干の参拝者も見受けられた…

↓境内に銅像が在る…久留米の水天宮と言えば…幕末の真木和泉である…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (6)
↑恐らく…最期を遂げた戦いに出陣した際の姿をイメージしたものだろうか…

真木和泉…真木和泉守保臣(やすおみ)…水天宮の第22代宮司だ。幕末期に活躍した人物である。所謂“国学”や“水戸学”の流れを汲む学問を収めていて、久留米の有馬家に藩政改革を建言したが容れられずに幽囚生活を送る羽目になった。その後、各地の志士と交わって尊王攘夷運動に身を投じる。京都で活動したが、1863年の「八月十八日の政変」で生じた“七卿落ち”で京都を離れた長州の関係者と共に離れた。やがて1864年の「禁門の変」に長州の同志達と共に参加する。久坂玄瑞ら同志達が討死した中で敗走して天王山に籠るが、追撃して来た会津勢や新選組との交戦で爆死してしまった。享年52歳という…

↓境内には、この真木和泉を祀る社も設けられている…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (12)

↓幕末の激動期に活動した人物に縁の場所でもあるが、永い伝統を誇る神社のような場所だけが醸し出すような雰囲気が非常に気に入った…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (4)

この久留米の後、福岡から広島、神戸、奈良を経て京都に至るのだが、京都では真木和泉が加わった「禁門の変」の戦闘が行われた現場の一つである蛤御門を視て、そこで京都御所一般公開に出くわすということも在った。振り返ってみると…水天宮に立寄って、甲冑に身を包んだ真木和泉の銅像を視たことで、何らかの「導き」が在ったのかもしれない…

水天宮というのは、方々で見掛ける。「海運に関連」ということで、眼前に船が行き交うような街に住む者としては、何となく親しみを覚えるのだが…その“総本宮”に立寄ることが叶って善かった…

広島の路面電車:<グリーンムーバ―・レックス>(1000型)(2015.10.28)

↓右側の車輛を視た時、思わず注目してしまった…
Tramcars at Hiroshima Station in morning on OCT 28, 2015 (2)
↑真新しい感じの低床型電車だ!!

↓路上の軌道で視ると、3連接の構造が判り易い…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (11)

この型は<グリーンムーバ―・レックス>の愛称を冠せられた1000型である。2013年に登場した型だ…

広島の路面電車に在って、サービスを向上させるため、「低床型の運行区間を増やす」ことが目指された。5000型や5100型は全長が長いので、利用可能な区間と、利用し悪い区間とが在る。そこで「少し短い低床型」が用意されることになった…そこで…5連接構造の5100型を3連接に改め、5100型で30m在った長さを18.6mとした…

この1000型は、広島電鉄の「100年記念」の車輛ともなり、1001号と1002号がそれに充てられ<ピッコロ>、<ピッコラ>という特別な愛称も与えられた。1003号以降は<グリーンムーバ―・レックス>の愛称を冠せられている。“レックス”(LEX)は「Light Excursion」(小旅行)から取ったとのことである…

↓2015年時点で、この1000型は8編成運用されているようだ…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (11)

↓右に1000型、左に5100型が見える…ドイツ生まれの5000型を参考に開発し、国産で調達することになった5100型と、「より多くの路線での利用」を図って5100型を「短く」するようにした1000型は、“親子”とか“兄弟分”という感じになるだろうか…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (9)
↑これらの車輛…きっと永く広島で活躍して行くことになるであろう…

乗降し易い低床型電車…「誰でも安心して利用」ということで、今後も導入が拡がって行くことであろう。この真新しい感じもする1000型が「若干、年季が…」と見えるようになる頃には、どんな車輛が登場するのであろうか?そんなことを思わせてくれる車輛だ…

広島の路面電車:<グリーンムーバ―>(5000型)(2015.10.28)

広島という街は「路面電車が元気」というイメージが強い。実際、方々で路面電車を廃止していた状況が続いた中、広島では路面電車の運行が続いていて、路線廃止で不要になった車輛を迎え入れて使用する事例も多く見受けられた訳である。

そういう土地柄なので、広島を訪ねてみれば、新旧様々な車輛に出くわし、それらが同じように軌道を行き交う様を視るのは、少し愉しい。

↓そうした中、出くわして「おっ?」と注目したのは、この型の車輛である…
Tramcars at Hiroshima Station in morning on OCT 28, 2015 (1)
↑広島駅で停車中の様子だが、その大きさが目立つ…

↓路上の軌道上でも、「かなり大きい」感じがする車輛だ…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)

これは<グリーンムーバ―>という愛称が冠せられた5000型だ。1999年から2002年に導入されたモノで、12編成が製造され、現在は1編成は「部品取用」になっていて11編成が運用されているのだという…

この5000型は、5連接になっている。A、C、E、D、Bという構成で、動力を備えた台車が先頭と最後尾になるAとBとに据えられ、中間のEに無動力の台車が据えられ、CとDとは浮いた型になっている。低床型の車輛である。大き目な窓と、低床の内装で、車内は広々した感じである。全長は30m52cmに及ぶという…大きい筈だ…

この車輛…ドイツ生まれだ!初めて導入された5001号は、ドイツの空港からロシア製の大型輸送機An-124―120tもの積載容量を誇る…全長=68.96m、翼幅=73.3mという巨大な機体の輸送機だ…―で広島空港に空輸されたのだそうだ…以降のモノは、ドイツから貨物船で日本国内へ運ばれて来たそうだが…

1999年頃と言えば…熊本で「日本初」の事例となるドイツ製の低床車が導入されて注目された直後だ。路面電車を元気に運用している広島でも、低床型に着目して導入したのである…

↓この車輛の独特な見栄え…出くわす都度に見入ってしまった…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (4)

ドイツのメーカーのモノであるこの型だが、正面のデザインは広島の側で指定をした形状になっているそうだ。定評が在るドイツの低床車輛…と言っても、風土が違うことから、冷房の按配に今一つ納得出来ないとか、「所定の出口から、料金を支払って下車」という「乗客が動かなければならないルール」がドイツ辺りとは違うので、通路の勝手が悪いというような「もう少し改良の余地?」という面も在ったようだ…加えて、車輛そのものも高価になり、部品の調達にも時間を要するというような事も在り、「何とか国産で?」という考えに傾き、5100型を開発して行くようになる訳だ…

↓広島では、朝から暗くなるまで、何度もこの<グリーンムーバ―>という愛称が冠せられた5000型に出くわした…
Tramcars at Hiroshima Station on in evening OCT 28, 2015 (1)
↑こういう長い連接車だが、広島では運転士と車掌のコンビが乗務している…

「より運用し易く」という意味で、後発の車輛の“国産”という方向性を導き出しはしたが、この5000型は「日本の路面電車に低床型車輛が普及する契機」になった存在かもしれない。「日本初」こそ熊本に譲った型だが、この車輛が10編成から導入されて動き回ることで、かなり多くの人が「低床型の好さ」を知ることになった訳である筈だからだ…

5100型は「本当に欧州風な、長い連接の低床型電車」という感だったが、この5000型は「本当に欧州生まれの、長い連接の低床型電車」である。またゆっくりと眺めたり、乗車したいものだ…

鹿児島:ザビエル公園(2015.10.24)

鹿児島の街で、“天文館”という繁華街の呼称をよく耳にする。路面電車の停留所にも<天文館通>という名前が在るが、他方で「天文館○丁目」というような住所は無いようだ…

繁華街の天文館辺りだが、歩き回ってみると「一寸、面白い!」というものに存外に出くわす…

↓こんなモノに出くわした…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (1)
↑古い建物の、壁の一部のように見える代物だが…それを以て“記念碑”のようにしているようにも見える…

これは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを記念して明治時代に建てられた教会の一部で、第2次大戦下に消失してしまったという建物なのだという…教会そのものは後年再建されていて、この“記念碑”のようになっている壁の傍に在るのだが、辺りは「街の小さな公園」という感じになっている。<ザビエル公園>と呼ばれる。

天文館地区というのは…藩政期(江戸時代)に「暦の作成」を目指して天体観測を行う場所を設けていたことに因む呼び名であるという。当時、辺りは島津家中の重臣達の屋敷が集まった地域だった。<かごでん>のガイドさんの受け売りだが、重臣達の屋敷というのは、今で言えば「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広いモノだったという。そういう屋敷の敷地が連なっているということは…灯りを使う建物の密度が薄く、夜間に星を望み易かったということになる…

「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広い屋敷を構えた重臣達…そういう人達は“千石”というような規模の知行を島津侯から与えられていた…そこで…辺りは寧ろそれに因んで「千石」という通称になって、それが後年に地名化した…この<ザビエル公園>辺りは、「東千石町」という住所だ…

↓古い壁の辺りに、少し年季が入った胸像が在る…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (3)
↑「S. FRANCISCO X.」…Sは「聖」で、「フランシスコ」の名はそのまま綴られ、「ザビエル」の姓はXに略されている…

1549年、イスパニアの宣教師フランシスコ・ザビエルは鹿児島・祇園之洲に上陸したと伝えられる。祇園之洲というのは…現在は<石橋記念公園>が設けられ、移築した江戸時代の石造橋梁が在る辺りに近い場所の海岸部だ…この教会の壁の一部を利用した記念碑は、1949年にザビエルがやって来て400年であることを記念して設けたものなのだそうだ…

↓直ぐ傍に3人の人物の像が据えられていた…概ね、人物達の等身大の像である…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (4)
↑これは1999年に設置されたものらしい…ザビエルがやって来てから450年の記念ということだ…中央がザビエル、左がヤジロウ、右がベルナルドだという…

ザビエルはヤジロウと共に鹿児島に上陸し、後年欧州へ出ることにもなるベルナルドと出会っているという…ザビエルは、鹿児島には1年間程度居たようだ…

ザビエルは鹿児島の後、肥前平戸、周防山口、更に堺を経て京に至り、山口や平戸での活動の後に豊後府内(大分)に入る。1551年に鹿児島のベルナルドらを連れて日本を離れている…そして1552年、ザビエルは中国で他界した…

「キリスト教伝来」や関連する様々な事柄は、日本史の中ではなかなかに大きな出来事の筈だ。そういう出来事を伝えるモノが、「街角の、近隣の子ども達が遊んでいる様子さえ見受けられる場所」にさり気なく置かれているのが、何となく好かった。

阪堺の路面電車:<堺トラム>(1001型)(2015.10.31)

「阪堺の電車」と言えば、新旧様々な車輌が見受けられるのが愉しいというようなことと、殊に非常に古い車輌も現役であるということを思い浮かべてしまうのだが…近年は低床型の新しい車輌も導入されている…

古い電車の中には、乗降口のステップが少し高い感じの車輌も見受けられる。阪堺の1日乗車券を手に方々を巡っていた中、小柄でやや高齢な方が、荷物を手に「どうやって乗車したものか?」た少々難儀をしていて、辺りに居た若い男性がすうっと近寄って、さり気なくその方に手を貸していた場面を視掛けた。大阪の南側から堺に掛けての、古くからの住宅や商店が入り交じったような街を行く電車での、何か人情味溢れるような光景でもあったが、それでも「誰でも安心して楽に乗降が可能」という車輌は望ましい筈だと思った…

↓そんな様子を視掛けた同じ日に…これに出逢った!新しい低床型の車輌である!!停留所の地面から車内へは、段差が殆ど無い。「エレベーターに入る」のに近い感覚で乗車出来るのだ。
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (10)
↑これが<堺トラム>という愛称を与えられ、現在は3編成が運用されているという、2013年に初登場したという新しい電車だ!!

↓一寸乗車してみた…シートには、なかなか凝ったデザインのクロスが掛けられていた…
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (16)
↑3編成在る<堺トラム>は、緑を使った1001号(「茶ちゃ(ちゃちゃ)」)、紫を使った1002号(「紫おん(しおん)」)、青を使った1003号(「青らん(せいらん)」)と各車毎にイメージカラーと愛称が在るようだ。私が乗車したのは1003号の「青らん」だったようだ。シートのクロスも青系だ…青は堺の海の色や、市の旗の色に通じるもので、「青らん」と平仮名の“らん”に敢えてしたのは色を示す“藍”や電車が「走る」(run)のランなど、色々な意味が込められているという…

他所の方が乗っていなかった、私が座った正面のシートの写真を撮ったが、車内のシートはクロス型とロング型のモノが混在していて、札幌で乗車したA1200(<ポラリス>)と配置がよく似ていると思った。札幌の低床型は2012年初登場で、堺では2013年なのだから、似たような時期に設計されている筈で、基本レイアウトは似て来るのであろう…或る程度座席を多くしながらも、通路や立席の部分の広さを確保し、加えて低床を実現するとなれば、自ずと車内のレイアウトも固まるような気もする…

↓こちらの角度は、1003号「青らん」の命名由来になった、青いアクセントが見え易いかもしれない…
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (15)

↓これは堺市内の軌道を走行している様子だ。(厳密には信号で停止している場面になるが…)
Tramcars around Myokokuji-mae Stop on OCT 31, 2015 (1)

↓我孫子道停留所近くの車輌基地にも<堺トラム>が停車していた。
Hankai Tramway Co. at Abikomichi, Osaka on OCT 31, 2015 (4)
↑これは1002号の「紫おん」のようだ。紫のアクセントが美しい!!

この<堺トラム>!!何か豊かな“商都”としての歴史を負い、その豊かさの故に育んだ麗しい文化の香りがするような色彩を帯びて、「今求められる!」更に「近未来も斯く在って頂きたい」というような機能を備えた車輌である。何か出くわすと嬉しくなる…

↓序でながら…こういう、ある程度精巧に車輌が再現されたNゲージも!!

鉄コレ阪堺電気軌道1001形「紫おん」【トミーテック・256571】「鉄道模型 Nゲージ TOMYTEC」



↑告白すると…入手してしまった…

<堺トラム>…また眺めに…更に乗車しに、沿線を訪ねてみたいという想いが膨らむ…

日田駅で見掛けたディーゼルカー(2015.10.27)

日田駅というのは、彦山線が乗入れていて、久大本線の上に在る駅だ。各路線の列車が発着していて、存外に色々な種類の車輛が視られる駅だ…日田から久留米へ移動しようとした際、「やや時間が在る」と思いながらも、「ホームで車輛でも眺めていよう」とホームに出ていたのだが、その僅かな間だけでも何種類ものディーゼルカーを見掛けた。この辺り…非電化区間である…

↓ホームに出て、こういう「鮮やか!!」という光景に出くわした…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (5)

右端の赤い車輛…キハ200だ。1991年に初めて登場した型で、近年に至るまで増備されており、九州各地で見受けられる。写真の赤いモノの他、蒼いモノや黄色のモノも在る。地域毎に色分けしているように見受けられる…

真中の白い車輛…キハ47だ。これは1970年代に登場した“40系ファミリー”の車輛である。九州ではJR化以降、この「アイボリーに青ライン」の塗装になっているようだ。長崎方面では、新しいキハ200系が投入されるか、他の種類の車輛が運用されていて見られないようだが、未だ九州各地で見受けられる。停車中の車輛は、日田へやって来た際に利用した彦山線を小倉方向へ進む予定の列車だったようだ…

左端の黄色の車輛…キハ125だ。1993年に製造された車輛で、主に各地のワンマン運行の区間―比率が高まっているように見受けられるが…―で投入されている。佐賀県方面で乗車した記憶が在るが、日田を含む彦山線や久大本線でも活躍しているようだ。この時は、入替の途中で、乗降する場所ではない線路の上に停車していた…

こうして視ると…JR九州を利用する旅に際して「或る程度高い確率で出くわすディーゼルカー」が勢揃いした感だ…

キハ200に関しては、“色違い”は随分と印象が異なるのだが、他に「1輛運行」に対応するように運転台を前後双方に設けたキハ220が在り、キハ220については運転台の上方の形状が少し違うモノも見受けられる…

キハ47…この国鉄時代からの車輛!これから先、どの位活躍し続けるのか判らないが、何か出くわすと少し嬉しくなる…

キハ125は、キハ200やキハ47に比べると、やや出くわす機会が少なめだが、これは少し面白い。“兄弟”とでも呼ぶべく基本設計が同じ車輛が他の鉄道会社でも見受けられる。新潟鐵工所が地方鉄道向けに製造した車輛「NDCシリーズ」というモノらしい。九州では島原鉄道のキハ2500、松浦鉄道のMR-400が見受けられるという。(双方共、利用した経過が在る…)

そういうようなことでディーゼルカーを眺めていると、赤いキハ200がホームを離れて場所を空けた。そしてそのホームに乗客が集まり始めた。「何か列車が来る?」と思って様子を伺っていると…

↓こういう車輛が現れた!!
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (9)
↑特急<ゆふいんの森>だ!!

<ゆふいんの森>は博多から鳥栖、久留米を経て日田に寄り、大分県内を進んで湯布院、更に大分や別府を結んでいる列車だ。(当然、大分県側から博多を目指す列車も在る…)

所謂“観光列車”として非常に人気が高いと聞く<ゆふいんの森>…「機会が在れば乗車してみたい」というように思ってはいたが…実は間近で視た記憶も無かった…今般、日田でこうやって間近に視られて好かった…

↓<ゆふいんの森>を見送った後…空いたホームに黄色のキハ125が滑り込んで来た…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (13)
↑これに乗車して、久留米を目指した…この種の車輛に乗車すると…何となく落ち着く…「短めな編成のディーゼルカー」というのに、近年は馴染んでいるからであろうか?

↓久留米へ向かう途中…<ななつぼしin九州>と擦れ違った…

↑車内で前方に歩み寄り、運転台脇の窓から動画を撮ってみた…そういうことをしていると、運転士さんはさり気なくワイパーを動かし、折から降って来た雨の粒を払い除けてくれた…(ありがとう!!)

考えてみれば…<ななつぼしin九州>も非電化区間を走る場合も在るので、先頭の機関車はディーゼル機関車だった…

日田に立寄り、JR九州が運用するディーゼルカー等「非電化区間で活躍中の車輛」を色々と視ることが出来た…

肥薩線・日豊本線<はやとの風>(2015.10.23)

2004年に九州新幹線が部分開業した際、鹿児島中央・吉松の区間に関して、鹿児島県内等を巡るための列車として新たな特急列車が設定された。それが<はやとの風>であり、これ以降に南九州等で“観光列車”が続々と登場する切っ掛けともなった列車である…

昨2014年の九州訪問で、鹿児島に滞在した後に「佐賀辺りまで北上…」と考えた場面で、この<はやとの風>をルートに組み込んでみた。鹿児島中央から吉松へ北上した…

↓昨年の“北上”での経過を纏めて在った…

>><はやとの風>が停まる嘉例川駅(2014.12.19)

>><はやとの風>が停まる大隅横川駅(2014.12.19)

>><はやとの風>から<しんぺい>に乗り継いだ吉松駅(2014.12.19)

今般は、吉松から鹿児島中央と“南下”してみた訳である…

↓<いさぶろう>が吉松駅に到着して、少し後に<はやとの風>が現れる。2輛で運行だ…<いさぶろう>の吉松駅到着時には「<はやとの風>へお乗換の御客様は、そのままホームで暫く御待ち下さい」という客室乗務員のアナウンスが列車内に流れる…
'Hayato no Kaze' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (1)
↑昨年は、この「少し後に現れる<はやとの風>」で吉松駅に着き、待機して<しんぺい>に看板を替えた<いさぶろう>の車輛に乗込んで北上した。綺麗に逆コースを進む型になった…

↓大隅横川駅では、北上中の列車が待ち合わせをしていた…
Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (1)
↑<はやとの風>が停車して程無く、列車は北上を再開した…

↓大隅横川駅も、味わい深い建物だ…
Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (4)

↓南下する場合、駅舎から離れた側のホームに列車は停車する…
'Hayato no Kaze' at Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (3)
↑この日の蒼空に、漆黒の車体が映える!!この<はやとの風>も、“40系ファミリー”のディーゼルカーを改装した車輛を投入している。

↓「鉄道というものが開通した頃」から「基本的に、ずうっとそのまま」という嘉例川駅…こういう場所で「一寸様子を…」ということも出来るように、5分間程度停車してくれるのは嬉しい!!
DSCN5480_1_2_3_4_tonemapped
↑それにしても…こういう程度の旧さの駅舎が、或る程度綺麗に残るというのも…「多量の積雪」のようなものでの傷みが少ないからであろう等と想像する…

↓「夕刻へ向かって行く」というような雰囲気の時間帯だったが…写真では「空が白くなってしまう」程度に陽射しが強く感じられた…
'Hayato no Kaze' at Kareigawa Station on OCT 23, 2015 (2)

↓やがて列車は、淡々と進んで鹿児島中央駅に至る…漆黒の車体が妙に好い…
'Hayato no Kaze' at Kagoshima Chuo Station on OCT 23, 2015 (3)

最近では…然程縁が在るでもないのにも拘らず、鹿児島中央駅に関しては「何度も乗降していて、何となく馴染み」と思っていて、到着すると「安堵感に似たような何か」を感じることが在る…

この日も、鹿児島中央駅で「安堵感に似た何か」を覚えながら、少しばかり馴染んだ鹿児島でゆっくりとしてみようと街へ出てみたのだった…

肥薩線 人吉・吉松間 <いさぶろう>(2015.10.23)

肥薩線の人吉・吉松間は、難工事の末、1908(明治41)年に開通した区間である。これに伴って、門司から鹿児島までの九州を縦貫する鉄路が出来上がったことになる…

肥薩線の人吉・吉松間が築かれたという史実には、「門司から鹿児島までの九州を縦貫する鉄路が出来上がった」という歴史的意義が在る訳だが、そこには長いトンネルや、ループ線、スイッチバックというような「山を越えて安全に列車を運行する工夫」が凝らされた区間も見受けられる。そういう鉄路が「敷設されていること自体」を、産業や地域の歴史を伝える財産と見做し、そこを列車で通って体感する“観光列車”というものが運行中である。

人吉・吉松間で最も長いトンネルである<矢岳第一トンネル>には、北側の入口に当時の逓信大臣であった山縣伊三郎の揮毫で「天險若夷」(てんけんじゃくい)という額が、南側には鉄道院総裁だった後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)という額が各々埋め込まれている。「天險若夷 引重致遠」で「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにした御蔭で、重い貨物を遠くへ運ぶことが出来る」という意味になる。

このトンネルを通ることになる“観光列車”について、「南(吉松駅)から北(人吉駅)へ」の列車は後藤新平がトンネル入口の額を揮毫したことに因んで<しんぺい>という愛称を与えていて、「北(人吉駅)から南(吉松駅)へ」の列車は山縣伊三郎がトンネル入口の額を揮毫したことに因んで<いさぶろう>という愛称が与えられている。

↓この“観光列車”について、2014年に吉松・人吉の区間で乗車してみた経過が在る…

>><しんぺい>が停まる真幸駅(2014.12.19)

>><しんぺい>が停まる矢岳駅(2014.12.19)

↑この時は「南(吉松駅)から北(人吉駅)へ」の列車で、<しんぺい>の愛称であった…これに乗車して以降、勝手に親近感も覚えて、明治・大正期に大活躍した後藤新平に纏わる本を幾分読んでみたということも在った…それも「興味尽きない旅の副産物」の一種ということになろうが…

“前置き”のような話しで文字数が嵩んでしまった…

今般、<SL人吉>で熊本・人吉間を南下出来ることになって、直ぐに思ったのは<いさぶろう>で吉松へ向かい、そのまま<はやとの風>で鹿児島中央に至り、多少馴染んだ鹿児島で「念願の8620型蒸気機関車牽引の<SL人吉>に乗車出来た」ことに関して、ささやかに“祝杯”ということにしたくなった…<いさぶろう>に関しては、混み合う場合も在るようだが、<SL人吉>のように「ダメで元々位の考えで、窓口に行って尋ねる」という程でもない…席は簡単に確保出来た…

↓吉松から人吉へ<しんぺい>として到着した列車が、<いさぶろう>と看板を替えて折り返す…隣のホームには、八代や熊本を経て、豊肥本線を通り、阿蘇を越えて大分県内の各駅を目指す<九州横断特急>が待機している…
Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (4)

↓この時間帯は、ホームの地点毎に「光の当たり方」に差が在り、列車の色の見え方が色々で面白い…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (3)
↑この列車は2輛で運行が基本のようだが、この日は増結車が加わって3輛で運行だった。車輛は、かの水戸岡デザイナーの案によるもので、「いさぶろう・しんぺい」と2つの愛称が大書されている。

↓小学生位の頃に乗車した記憶が在る旧い車輛以上に、「懐かしいような古めかしさ」を醸し出している。2004年頃に登場した車輛なのだが…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (6)
↑この「いさぶろう・しんぺい」として改装を施して登場したのは2004年だが、本体はもっと以前から活躍の“40系ファミリー”なディーゼルカーである…

↓車内の、私が陣取った辺り…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (7)

↓大畑駅周辺の、ループやスイッチバックが組み合わさった鉄路…見え易い辺りで、2分程度停車してくれる…
Around Okoba Station on OCT 23, 2015 (2)
↑難工事で開通したこうした区間…貴重だ!!旅客輸送の実績としては、廃止を余儀なくされてしまった区間よりも少ないらしいが…こういう「財産」を護っている様子に出会える!

↓<いさぶろう>は山間の鉄路を進み、この区間の概ね“最高地点”に相当する矢岳駅に着く…
'ISABURO' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (2)

↓この日は、逆光と順光で車輛の色の見え方が随分と異なった…
'ISABURO' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (1)
↑昨年は「積雪の見受けられる中」でこの車輛を視たのだったが、今般は「蒼く輝く空と、マダマダ濃い緑」が鮮烈だった…

↓好天が「過ぎた」ためか、遠景が酷く霞んでしまっていたが…この矢岳辺りの車窓は素敵だ!!
Views from train window around Yatake on OCT 23, 2015 (1)
↑ここでも列車は2分間程度停車してくれる…

↓“田の神さぁ”が迎えてくれた真幸駅…
Masaki Station on OCT 23, 2015 (1)

↓真幸駅に停車中の<いさぶろう>である…
'ISABURO' at Masaki Station on OCT 23, 2015 (5)
↑運転台の辺りに“ワンマン”の表示が在る。JR九州では、2輛で運行する列車は、原則的に「運転士のみの体制」で運行しているようだ。(時々、2輛でも車掌が乗務しているのを見掛ける…)<いさぶろう>等に関しては、車掌ではなく客室乗務員が乗務している。“乗客目線”では、客室乗務員も車掌に似たこともしているが…今般、増結で3輛運行だったことから、<いさぶろう>に車掌も乗務していた…

↓やがて列車は吉松に至る…
'Isaburo' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (1)

↓車輛はそのまま<しんぺい>と看板を替え、今度は人吉へ向けて北上する…
'Isaburo' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (4)

“40系ファミリー”なディーゼルカーを視ると、何か「鉄道車輛!!」と強く主張しているように思えて安心出来るのだが…その車輛を鮮やかで、同時に渋い赤系の色に染め、「本当の旧い車輛以上に、古めかしく懐かしい感じがする?」という内装にしたこの車輛による列車…また何度でも出会いたい感じがする!!

因みに…人吉・吉松間は5往復の列車が運行されていて、その中の2往復が<いさぶろう/しんぺい>である…

舞子公園&明石海峡大橋(2015.10.29)

特段に建築に明るい訳でも何でもないのだが…時々見掛ける「大きな橋梁」というようなモノについては、とにかく凄いと思ってしまう。

「大きな橋梁」と言えば…瀬戸内海であろう。「世界の大きな橋梁」というようなランキングに入りそうな巨大なモノが幾つか見受けられる…あれは2010年だったが、思い付いて岡山県の児島に立寄って、瀬戸大橋を眺めてみたことが在った…それを思い立ったのは、西へ向かって列車で移動中、車窓に明石海峡大橋を視たことが切っ掛けだった…

というようなことで、関西辺りから中国地方へ抜ける経路を通過中に、何度か明石海峡大橋を車窓に視た経過は在ったのだが、近くで眺めてみたことは無かった…今般、神戸空港から姫路への移動の途次、車窓に明石海峡大橋を視て「一寸寄りたい」と思ったのだが…姫路に入って姫路城を観る時間が足りなくなるかもしれないと、アッサリ通過した…その後は九州に渡り、広島まで戻って、“帰国”の飛行機を目掛けて関西に行くことになった際…「そうだ!姫路を“関西の起点”にして…」と思い付き、姫路で夜を明かして、早朝から山陽電車で動き始めた次第だった…

↓姫路から神戸三宮を経て大阪の梅田へ向かう列車が通る駅の一つ…神戸市域の西の端辺りに在る舞子公園駅だ。確り「明石海峡大橋まえ」とも駅名表示看板に書かれている…
Maiko Park Station-Sanyo on OCT 29, 2015

この辺りは、山陽電車の線路とJR西日本の線路が概ね並行して敷設されている。山陽電車の舞子公園駅の直ぐ海側にJR西日本の舞子駅が在る。そのJRの駅側に一寸進むと、直ぐに舞子公園が拡がっていて、明石海峡大橋も見える…

↓石碑と素直に呼ぶべきか…「石碑の体裁の看板」と呼ぶべきか…とにかくも<明石海峡大橋>と石に刻まれていて、眼前の巨大な橋梁が一体何なのかを訪れる人達に伝えてくれている…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (2)

↓とにかくも大きな橋で、対岸の橋の反対側は淡路島だそうだ…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (3)

全長は3,911mも在る…“吊り橋”としては、現在「世界最長」なのだそうだ…海の上に設けられた塔は高さが298.3mだという…

「高さ298.3mの構造物」というのは…日本国内でも東京スカイツリー(634.0m)、東京タワー(332.6m)、あべのハルカス(300.0m)に次ぐもので、横浜ランドマークタワー(296.3m)よりも高いということになってしまう…橋を支える構造物として海側に聳え立っているので、「大きいなぁ…」と何となく思う程度だが…あべのハルカスと大差が無い訳だ…

↓因みにこちらは天王寺で見掛けた高さ300mのあべのハルカス(10/31撮影)だが…明石海峡大橋の塔も、塔の足下辺りに近付けば、こういう感じで視える訳だ…
Tennoji area in Osaka on OCT 31, 2015 (9)

↓本州から淡路島へ…巨大な金属の生物でも横たわっているかのように架橋されている…思わず「概ね真下」のような位置から眺めていた…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (6)

この明石海峡大橋が見える辺りの舞子公園は、近隣の皆さんの憩いの場になっている様子で、訪ねた際には未だ“朝”の時間帯だったのだが、愛犬の散歩やジョギングという人達を存外に多く見掛けた。何やら“神戸マラソン2014”というようなロゴが見えるTシャツ―何時頃始まったのかは承知しないが、神戸でも大きなマラソンの催しが毎年在るのであろう…―を着ていた方も在って、所謂“市民ランナー”が練習をするコースにもなっているのだと思った…

↓橋の傍に、少し個性的な外観の建物が見受けられる…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (16)

この建物は<孫文記念館>というものだ。辛亥革命の孫文は日本に亡命して神戸に潜伏した時期が在るという。そうした縁で記念館が神戸に設けられたものである。個性的に視える外観の建物は、神戸在住の華僑が舞子地区に建てていたもので、明石海峡大橋建設に伴う周辺道路や公園の整備に際して現在位置に移築されたようだ…八角形の楼閣は、<移情閣>と言うそうだ。この別荘は、1913年に孫文一行が来日した際に歓迎会を催したという出来事も在ったという由緒が在るらしい…残念ながら…朝に時間帯に立寄り、記念館のオープンの前だったので、中は見学しなかったのだが…

↓「なかなかに好い場所だ…」と暫し眺めていた…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (17)

結局、この明石海峡大橋を望む舞子公園に暫く居た後、山陽電車で東へ進み、神戸市内に出た…移動しながら…明石海峡大橋を望む舞子公園を想い起し、「きっと再訪しよう」と考えていた…他方で、何度か「車窓に遠く望む」ということをしていた明石海峡大橋を間近で視られて非常に好かった…

京都御所―「一般公開」に遭遇(2015.10.30)

何処かへ出掛ける場合…「出先で少し変わった催し等をやっている」ということを承知した上で、それを「目掛ける」とか「場合によってそこにも…」と考慮に入れた上で出掛けるという場合も在ろう…が、特段にそうしたことを事前に承知せずに出掛けて、正しく「遭遇」という感じになる場合も在るであろう。

今般、その「事前に催し等を承知せずに出掛け」、正しく「遭遇」という感じになる場合という出来事が在った。京都御所の「一般公開」である…

京都で、思い付いて西本願寺に向かってから島原に寄り、京都駅に出てまた街を動き回ろうとした。何かで「平安京が建設されたような頃の大きな模型が在る資料展示コーナーが在って…」と聞いていて、うろ覚えで最寄駅らしい地下鉄の丸太町駅に行ってみた…うろ覚えで駅に向かい、「とりあえず出口案内でも視れば判るだろうか?」と思って案内を視たのだが、今一つ要領を得なかった…他方…丸太町駅は、嘗ての“御所”に近い辺りで、案内の中に<蛤御門>という文字を見付けた…

<蛤御門>と言えば…<蛤御門の変>という幕末の事件が知られる。長州勢は京都を追われる型になり、“巻き返し”の謀を巡らせるが<池田屋事件>でそれも潰えてしまう。そして長州勢は武装した軍を起こして京都に進撃し、幕府側勢力と武力衝突し、京都の市内や近郊で戦闘が展開した…<蛤御門>はその戦闘の舞台となっている場所である…

幕末辺りに、何かの事件が在った場所として知られているような場所に関して、その場所が綺麗に残っている場合も在るが、「小さな石碑が在るだけ」というような場合も多い…<蛤御門>は「どういう按配だろうか?」と近付いてみた…

↓<蛤御門>は、“門”の体裁を留めて残っていた…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (1)

↓門扉に「鉄砲の弾の痕?」と見受けられる、やや不自然な傷が…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑幕末に戦闘が行われたということを静かに伝えるような感じだ…

こういう様子を暫し眺めていると…門の辺りに警備員が配置されていることに気付いた…何となく思う以上に人の出入りも見受けられた。門の奥は、言わば公園になっている筈で、人の出入り自体はどうということもない…しかし!そのうち、タクシーやバスが門を潜って道路に出る光景が見受けられ…しかもそれが断続するようになった…「“禁門”とも呼ばれた、御所へ続く門の一つである<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?!?」と思い始めた…

やがて、門の辺りに配置されていた警備員と通り掛かった人の会話が聞こえて、「<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?」の事情が判った…御所の「一般公開」が実施中で、別な入口から敷地の駐車スペースに入れたタクシーやバスは、<蛤御門>を出口に指定されていて、御所の見学を終えた人達を乗せて出て来ていたのだった…

「一般公開」ということは?特段に事前申込をしていたでもないが、見学が可能かもしれない…と考えて入口へ向かってみれば…手荷物検めは在ったが、無料で中を見学することが出来た!!建物に上ることは出来ず、指定の順路を巡って、建物や庭園等の様子が眺められるのである。こういうものは「何時でも」という訳にも行かない…ゆっくりと見学させて頂くこととした。まさしく一般公開に「遭遇」した感である…

↓入口から入って程無く眼に留めたのは、「大正天皇の即位の際に整備」という部分だった…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (13)

京都の御所…天皇陛下の宮殿である訳だが、現在の京都に“平安京”が拓かれて以来、御所は存在した。しかし、火災や自然災害や騒乱で建物が損なわれた経過が非常に多い…

平安時代が進む中、摂関家が大きな発言力を持つ時代や、院政の時代というようになって行くが、次第に“御所”は特定の決まった場所ではなく、天皇の代替わりの都度、或いは在位中でも、有力者の屋敷等を移動していた様子である。“里内裏”と称するそうだ…

14世紀に入り、所謂“室町時代”になってから、御所は「現在の場所」に定まったという。これも“里内裏”と呼ばれたものの一つということになろうが、それでも概ね現在地に固定したようだ…

現在の京都御所は、14世紀前半辺りからの伝統を受継いでいることになるのだが、それ以降も京都で戦乱や火災は多く見受けられ、残念ながら御所の建物も損なわれたり、再建されたりを繰り返している。現在の建物の多くは、明治天皇の前の代、孝明天皇の時代に出来たモノのようだ。

明治天皇が東京に遷った後、御所や周辺は一時荒廃傾向を帯びてしまうが、明治天皇がそれを残念がったことから整備されるようになったのだという。更に、大正天皇や昭和天皇が即位した際には、京都の御所で儀礼が催されているという。殊に大正天皇の即位の際には、一部新築も含めて、建物に随分と手が入った様子だ…

↓御所の主要な建物である<紫宸殿>を囲むように設けられている部分…何か「昔の都…」を想像させるような造りで、これが空の蒼にもよく映えていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (29)

↓凄く大きな生花が飾られていた。恐らく「一般公開」に合わせて準備したのであろう…見事だった!!
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (24)

↓これが、天皇が公的な祭礼等を行う<紫宸殿>だ…<右近の橘>の側から視た感じ…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (46)

↓<紫宸殿>の真正面から、天皇が着座するとされる辺りを見上げてみる…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (42)
↑確か…この種の場所は「直視しない」のが、昔のマナーだったかもしれないと思いながら、暫くこういう角度で視ていた…

↓何箇所も設けられている門は、菊の御紋が飾られていて、地味なようでいて、華麗な感じがした…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (32)

↓「盛り」には未だ少々早い感じではあったものの、なかなかに美しく紅葉している木々も見受けられた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (38)

↓女官達の人形を配置して、中の様子を紹介している箇所も在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (53)

↓大小様々な建物が組み合わさって、内部は少し複雑な様子になっていることを想像させてくれるような様子が見え、少し面白いと思った場所…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (57)

↓庭園が一寸好い感じだと思って眺めていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (67)

こういう具合で、色々な建物が配置され、庭も設えられている御所の公開された区画を随分ゆっくり歩いて観て回った。天候も好く、なかなかに好い時間ということになった…

↓京都御所の画を多数含む、10月30日撮影の画を集めたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 30, 2015

↓興味深く見学をし、出口から街の道路へ続く側に出ると、こういう看板が在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (82)

公開されていた区画では、“宮内庁”という腕章をした係員が居たり、<皇宮警察臨時警備本部>というような札が掛かっている場所が在ったりという様子を眼に留めたが…恐らく、宮内庁や皇宮警察の関係者の皆さんの間では、この「京都御所公開」は年2回の定例的な一大行事で、きっと色々と大変なのであろう等と考えながら、烏丸御池駅の側へ歩いて行ったのだった…

室町時代位から“御所”だった伝統が在る一画ではあるが、より直截的には「幕末の様々な出来事の舞台」だった場所で、見学しながら色々な事が想い起された…その後、御所は明治時代から昭和の初めまでにも色々と使われた場所ということにもなる。

京都御所に関して「見学出来る」というように、事前には全く思っていなかったが、正しく“公開”に“遭遇”してしまった…御蔭で興味深い経験をさせて頂いた…実を言えば、「京都に寄ることが叶えば…こういう場所を訪ねて…」と全く考えていなかったということでもないが、それらを吹き飛ばして「御所の一般公開」で時間を費やしたが…それはそれで善い…一人で好き勝手に動いているのだから、そういう“計画外”も「在り」という型の行動をしてみるのも悪くは無い…

広島:夕刻の原爆ドーム(2015.10.28)

早朝に到着した広島で1日を過ごし、日が傾いた頃になり、再び原爆ドームの辺りに至った…

↓朝、到着した頃に視た角度から再び原爆ドームを視るが、今度は「建物越しに見える空」が沈み行く太陽の光の影響を受け易い方角になる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (11)
↑朝は然程気付かなかったが、辺りの木の一部が、存外綺麗に色付いている…

↓逆光気味になり、強い印象を与える“形状”が、半ばシルエットのようになる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (5)
↑「気になる場所」に関しては、この時のように「敢えて違う時間帯に写真を撮る」というのが好いものだ…

↓飛行機雲なのか、少し不思議な形状の雲も見受けられた…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (14)

↓原爆ドームの足下、芝生になっていた箇所には、存外に落ち葉が目立った…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (22)

辺りのベンチに腰を下ろしてみる等して、少しの間ゆったりと原爆ドームと辺りの様子を眺めていた…

老若男女を問わず、日本人らしい皆さんも、一目で外国の方と判る皆さんも、或いは話していた言葉で外国からの方と察せられた皆さん等、三々五々現れてはこの原爆ドームを見上げ、写真を撮る様子が見受けられた…各々に、原爆の史実や、この原爆ドームがこうしてここに保存されているということへの何らかの想いが在るのであろう…

どうしたものか、辺りで猫の一家を見掛けた…「一家」としたのは、何れも黒っぽい毛の猫で、仔猫も含めて何頭かが辺りをチョロチョロとしていた…或いは、原爆ドームに住み着いているのだろうか?何か不思議な雰囲気が漂う猫の一家だった…

↓西寄りの空が日没頃の色合いに染まり、辺りが少し暗い感じになると、原爆ドームを照らすライトが何時の間にか灯っている…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (28)

往時も現在も、この辺りは「街の真中」だ…“あの日”には、辺りに居合わせた人達は激しい熱と爆風で焼かれてしまったか…或いは近くで重傷を負ってしまったような人達が、川の水を求めて彷徨っていたか…そういう恐るべき事態の現場であった場所だ…そういうことに想いが至りながら、何となく周囲を見回す…現在のこの辺りは、“平和公園”の名のとおり、正しく「平和な都市公園の一画」である…広島を訪れている来訪者も、地元の人も、普通に歩き回り、直ぐ傍の道路は車の量も多く、加えて路面電車も行き交っている。路面電車の直ぐ傍の停留所は、開業以来長く<相生橋>となっていたが、「かの原爆ドームの最寄は?」と余りにも頻繁に尋ねられるというので、1974年以降は<原爆ドーム前>となったのだそうだが…

↓これ位に薄暗くなり掛けていても、辺りを行き交う人は存外に多いままだった…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (23)

今般、多少強引かもしれないような感じで「広島の1日」を日程に組み入れたが…善かったと思っている…次が何時になるのか、或いはそもそも次の機会が在るのか否かが判らないが、是非とも広島を再訪したいものだという想いが、時間が経つにつれて湧き上がって来るような気がしている…

モノクロ写真で振り返る5,300km…(2015.10.21-11.01)

現在、自身の“1号機”として愛用しているデジカメは<P7700>で、2013年の秋に入手したモノだ。「佳さそうだ…」と暫く“製品情報”を視ていた或る日、「後継機種<P7800>」の登場が伝わり、両者の仕様を見比べて大きな差が見当たらない気がした他方、価格的には<P7700>が「ガクン…」と下がったので、「好機到来!!」と入手した経過が在った。現在となっては、メーカーのカタログから、この<P7700>の系譜と一目で判る製品は見当たらなくなってしまっている…他メーカーでは、未だ「こういう感じのモノ」は見受けられるのだが…

この<P7700>では、主にカラー写真を「AEブラケット」(適正、アンダー、オーバーと露出を1段階ずつ換えて連写)という設定にして撮影しているのだが…この機種はダイヤルを一寸だけ弄ると、“EFFECT”なるモードになり、<クリエイティブ・モノクローム>と称するモノクロ写真が撮影出来る。同じモノ、同じ場面でも、カラーとモノクロでは出来上がった画の感じが異なって面白い…最近、それが気に入ってしまっていて、カラー撮影の合間に随時モノクロ撮影も行っている…

今般の10月21日から11月1日の旅でも、このモノクロ撮影を行った。かなり大雑把に、「鉄道車輛関係」と「鉄道車輛関係以外」という分類で纏めてみたのだが、総数は500枚を超えてしまった…

カラー写真に関しては、「AEブラケット」で撮った「5枚組」を駆使してHDR画を創り、ブログ上では「ランダムに、思い出すままに」というやり方で、写真に関連する事項を纏めているのだが…「大まかな旅の流れ」は巧く纏まらない…

そこで思い付いたのが、「概ね時系列に、代表的(??)と思われるモノクロ画を取上げて並べる」モノである。これで、「大まかな旅の流れ」を振り返り易くしようと思う…

【10月21日】

↓午後早く、稚内駅から出発…
at Wakkanai Station on OCT 21, 2015 (3)

↓幌延を経て、名寄、旭川、滝川、岩見沢と南下…
at Horonobe Station on OCT 21, 2015 (1)

↓夜遅くに札幌に至り、夜を明かした…
Sapporo on OCT 21, 2015 (1)

【10月22日】

↓早朝から新千歳空港を目指した…
New Chitose AP on OCT 22, 2015 (8)

↓午前中のフライトで神戸空港に到着…
Kobe AP on OCT 22, 2015 (1)

↓ポートライナーで三宮に出た…
at Sannomiya Station on OCT 22, 2015 (3)

↓三宮で地下鉄に乗車し、山陽電車に乗り継いで姫路に至った…
at Himeji Station-Sanyo on OCT 22, 2015  (2)

↓姫路の街を歩き…
Himeji on OCT 22, 2015 (1)

↓“大修理”を終えたばかりの姫路城に至り、見学をした…
Himeji Castle on OCT 22, 2015 (8)

↓全般的な配置、建物という大まかなところから、建物のディーテールに至るまで、ゆっくりと愉しんだ…
Himeji Castle on OCT 22, 2015 (7)

↓日頃は縁が薄い新幹線に乗車してみたくなり、姫路から新幹線の列車に乗車して北九州の小倉に至った…
at Kokura Station on OCT 22, 2015 (1)

↓小倉駅のJR九州の窓口で<SL人吉>の席が取れるか否か、「多分、満席でダメであろう…」と思いながら尋ねてみると…翌日の席を確保出来た!!やや強引に、再度新幹線の列車に乗車して熊本に至った…この日は熊本泊り…
at Kumamoto Station on OCT 22, 2015 (1)

【10月23日】

↓朝から熊本駅へ…
Tramcars at Kumamoto on OCT 23, 2015 (1)

↓熊本駅に、8620型蒸気機関車が牽引する列車、<SL人吉>が登場!!
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (1)

↓<SL人吉>の素敵な客車に乗せて頂いた…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (8)

↓熊本を発った<SL人吉>は南下を続けた…
'SL HITOYOSHI' at Isshochi Station on OCT 23, 2015 (2)

↓人吉に到着した…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (4)

↓人吉から<いさぶろう>に乗車…
'Isaburo' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (2)

↓列車は苦心の末に敷設された山間の鉄路を進む…
View from train 'Isaburo' window on OCT 23, 2015 (1)

↓<いさぶろう>は画の矢岳から山を下って、鹿児島県の吉松まで進んだ…
'Isaburo' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (1)

↓吉松で<はやとの風>に乗換えて、鹿児島中央駅に至った…
'Hayato-no-Kaze' at Kagoshima-Chuo Station on OCT 23, 2015 (1)

↓少し「勝手知った」感の鹿児島で過ごす…大きな催事の故に宿が取り悪く…ネットカフェで夜明かしを…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2015 (1)


【10月24日】


↓鹿児島では「気に入った風景」を訪ねる等して過ごした…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (6)
↑画は、古い石造の橋を移築して保存している、<石橋記念公園>…

↓桜島の眺めが好かった…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (18)

↓「実に鹿児島らしい!」感じの看板…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (16)

↓鹿児島中央駅に停車中だった新幹線の列車も眺めた…
'Shinkansen' at Kagoshima Chuo Station on OCT 24, 2015 (1)

↓今般は「ザビエル来日」の史実を伝える場所にも寄ってみた…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (20)

↓鹿児島から、バスで宮崎へ向かった…
Bus to Miyazaki on OCT 24, 2015 (1)

↓夜、少し遅めになって宮崎に至った…宮崎の宿に連泊した…
Arrival at Miyazaki on OCT 24, 2015

【10月25日】

↓この日は宮崎でゆっくりしていた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (14)

↓街が“エキゾチック”に見えた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (2)

↓宮崎神宮や県立総合博物館を視た後、県庁の建物を眺めた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (18)

【10月26日】

↓宮崎を発ち、日豊本線を北上…美々津に立寄った…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (5)

↓美々津の<日本海軍発祥之地>というのが記憶に残る…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (3)

↓美々津から北上し、延岡に向かった…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (1)

↓延岡城址を訪ねた…
Nobeoka Castle on OCT 26, 2015 (10)

↓大分県側へ向かう普通列車が極端に少なく、延岡駅周辺で少々待った…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (9)

↓こんな店で車中用の飲水を仕入れてみたりした・・・
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)

↓待望の、県境を越える列車が延岡駅に登場!
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (2)

↓所謂“秘境駅”というモノであろうか?宮崎・大分県境の区間に在る宗太郎駅で、少々停車時間が在る…
Sotaro Station on OCT 26, 2015

↓大分県側に至り、夜になっている中で、更に北上を続ける…
Beppu Station on OCT 26, 2015

↓大分県内の大神駅で、この日最後の列車に乗り、遅めな時間帯に小倉に至り、小倉のネットカフェで夜明かし…
Oga Station, Oita pref. on OCT 26, 2015 (2)

【10月27日】

↓早朝の小倉駅から出発…
Kokura Station on OCT 27, 2015 (1)

↓彦山線を行き、「夜明」という名の駅を通って日田に至った…
Yoake Station on OCT 27, 2015

↓日田の豆田町で少し過ごした後、久留米を目指した…
Hita Station on OCT 27, 2015 (2)

↓日田駅で、初めて<ゆふいんの森>を間近で視た…
Hita Station on OCT 27, 2015 (3)

↓久留米に至った…駅の通路が凄く立派だった…
Kurume on OCT 27, 2015 (1)

↓久留米の水天宮を訪ねてみた…
Kurume on OCT 27, 2015 (4)

↓久留米から博多に至った…
Hakata Station on OCT 27, 2015 (1)

↓福岡・天神で友人に会い、この日は夜行バスに乗車することに決めた…
Fukuoka on OCT 27, 2015 (2)

↓博多駅傍のターミナルから、広島を目指した…
Fukuoka on OCT 27, 2015 (3)

【10月28日】

↓早朝の広島で…早速に原爆ドームを眺めた…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (3)

↓広島は路面電車が元気一杯に活躍している街でもある…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑この日は、路面電車の1日乗車券を手に街を動き回った…

↓『空白の天気図』という本を通じて感心を寄せていた、<江波山気象館>(旧広島地方気象台)を訪ねた。
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)

↓明治末年の煉瓦造建築を活かした<郷土資料館>にも立ち寄った…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (2)

↓市内で活躍中の、新旧様々な路面電車に乗車したり、眺めたりしていた…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)

↓広島城の眺めが美しかった…
Hiroshima Castle on OCT 28, 2015 (3)

↓日が傾くような頃、この日の出発点だった原爆ドームの辺りに戻った…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (14)

↓今般の旅で3回目の乗車となった新幹線の列車で、姫路へ移動した…
Himeji Station on OCT 28, 2015 (1)

↓姫路駅の新幹線ホームから、姫路城が見えた…
Himeji on OCT 28, 2015 (2)
↑この夜は姫路駅近隣のネットカフェで夜を明かした…


【10月29日】


↓山陽電車で姫路を出発し、舞子公園に立寄り、明石海峡大橋を眺めた…
Kobe on OCT 29, 2015 (5)
↑この舞子公園辺りが、神戸市の西端寄りの地域に相当するらしい…

↓神戸市内を動き回る中、<鉄人28号>とも対面した…
Kobe on OCT 29, 2015 (17)

↓神戸の旧居留地地区を歩き回った…
Kobe on OCT 29, 2015 (20)

↓見学した<神戸市博物館>の階段…嘗て銀行であったという建物を利用したもので、展示も好かったが、建物も面白かった…
Kobe on OCT 29, 2015 (21)

↓街の緑地では、何やら不思議なオブジェを飾っていた…
Kobe on OCT 29, 2015 (22)

↓神戸三宮から、大阪難波を経て、真っ直ぐ奈良へ向かう、阪神・近鉄が直通の列車に乗車して奈良に至った…
Nara on OCT 29, 2015 (23)

↓鹿が多く居る奈良公園を散策…“エゾシカ”を見慣れている眼で公園の鹿を視て「小さい…」と驚いていた…
Nara on OCT 29, 2015 (7)

↓この日は、奈良に押えてあった宿に入り、ゆっくり休んだ…
Nara on OCT 29, 2015 (22)

【10月30日】

↓近鉄奈良駅から、京都へ向かう急行列車に乗車した…
Kintetsu-Nara Station on OCT 30, 2015

↓唐門が美しい西本願寺に立寄り…
Honganji Temple (West or Ryukoku) on OCT 30, 2015 (6)

↓太鼓楼に在った案内を視て、新選組のことを思い出した…
Honganji Temple (West or Ryukoku) on OCT 30, 2015 (4)

↓新選組の面々も寄っていた筈の島原に立寄り…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (2)

↓何度視ても、物々しい感じがする京都駅を経由しながら…
Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓門扉に鉄砲の弾の痕らしきものが見受けられる蛤御門に至った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (1)

↓蛤御門が「駐車場のゲート」のような様相になっているのを視て、「どういうことなんだ!?」と思ったが…期せずして、「京都御所一般公開」の日だった…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (2)

↓事前に何らかの手続きをしていた訳でもないので、入ることが叶わない場合も在ると思いながら近寄ると…アッサリと、普通に見学出来た…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (9)

↓京都から大阪に至り、天王寺の宿に入った…
Osaka on OCT 30, 2015 (10)

↓大阪へ行くと、視たくなる「ジーン・シモンズのブーツ」とも対面を果たした…
Osaka on OCT 30, 2015 (8)

【10月31日】

↓天王寺の宿で朝を迎え、近隣を散策…四天王寺を訪ねた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑早朝から、存外に多くの人が訪れている感じに少々驚いた…

↓阪堺の路面電車で、天王寺から南下しながら堺を経て関西空港を目指すこととして動き始めた…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (2)

↓通天閣の在る新世界に立寄った…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (2)

↓自身を含む「大阪以外の人々」が「大阪!!」と思うような雰囲気に溢れている界隈だと思ったが、ここで頂いた串カツが秀逸だった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (6)

↓住吉大社訪問には、阪堺の路面電車は非常に便利だ…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (2)

↓住吉大社は、4棟の本殿が並ぶ境内に、注連縄が付けられた古木が在って、何か「神社らしい…」雰囲気に溢れている感じがした…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (5)

↓七五三のお参りや、結婚式という人達も多く見受けられ、伝統を誇る格式が高い神社である他方、凄く地元の人達に愛されている住吉大社だと感じた…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (13)

↓阪堺でも、最近は低床型の電車が導入された…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (8)

↓阪堺の沿線で色々と道草し、路面電車を眺めながら南海の堺駅周辺に至った…
Sakai on OCT 31, 2015 (1)

↓堺駅の少し先に、近代以降の港の歴史を伝える明治時代に建設された灯台が在ったことを思い出し、一寸眺めて来た…
Sakai on OCT 31, 2015 (6)

↓堺駅から関西空港を目指した…
Sakai Station on OCT 31, 2015

↓関西空港から“帰国”のフライトへ…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (1)

↓新千歳空港に無事に到着し、列車で札幌駅に出て、駅の近隣のネットカフェで夜を明かした…
New Chitose AP Station on OCT 31, 2015

【11月1日】

↓無事に朝の都市間バスに乗車して稚内を目指した…画は羽幌での停車の時のもの…
Bus to Wakkanai at Haboro on NOV 01, 2015
↑バスは順調に進み、予定どおりに稚内へ到着…帰宅した…

日数がやや長いので、少し長大な内容になってしまったが…以上が「大まかな旅の流れ」だ…

↓ここで使用したモノクロの画や、その他のカラーの画は、下記の“コレクション”に纏めてある。表示される“アルバム”をクリックすると、各々の画が並ぶページが開くようになっている…
>>Voyage:2015 OCT-NOV (Kyusyu Area, Kansai Area and Hiroshima)

全く「出掛けるから撮る」のか、「撮りたいから出掛ける」のかよく判らないが、とにかく実に多くのモノを視て、思わず心動くという経験を重ねられるのが「旅に出る」という営みである…マダマダ気分的には“余韻”も強く残っているのだが、それでも「また一寸出掛けてみたい…」と頭の隅で思い始めていることに気付き、思わず苦笑いしてしまう…

京都:(西)本願寺(2015.10.30)

京都で“本願寺”と言えば2つ在る。何れも“自称”は「本願寺」のようだが、一般には「東本願寺」と「西本願寺」で通っている…

この両者の中、“東”には随分以前に立寄った記憶が在るのだが…“西”は寄った記憶が無い…そこで“西”を訪ねた一件を綴ろうとしているのだが…寺の名称に関して、とりあえず彼らの自称は“本願寺”なので、記事の題名は「(西)本願寺」としてみた…

前夜は奈良の宿に泊り、近鉄の急行列車で京都に移動した。近鉄の駅は、JRの駅と同じ大きな建物―『ガメラ3 邪神覚醒』という映画で、大怪獣ガメラが戦った場所…―に入っている…「京都駅から徒歩圏内」という場所を目指す場合、JRでも近鉄でも大差は無い…

後から気付いたのだが…嘗て島原という地区を訪ねた経過が在ったが、実は(西)本願寺はそこから遠くない辺りに在ったのだった…やや意外に思ったのだが、京都という街は、史跡やら名前が通った寺社が多いので「行ってみれば、知らずに近くに足を運んでいた経過が…」と気付くようなことも多そうだ…

↓立派な門から境内に入るようになっているが、凄く大きな御堂が並んでいる…(東)本願寺の流れや、その他の流れのものも合わせた話しなのかもしれないが、確か浄土真宗は「日本最大の宗派」だった筈で、その大本に相当する寺院だけのことは在る等と思って門を眺めていた…、
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (4)

↓門扉の一部に、なかなか手が込んだ透かし彫りが施された箇所が在った。こういう、大掛かりに見えるモノは、こうしたディーテールが面白い…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓敷地の周囲は、何か時代劇に登場する“大名屋敷”とか、小規模な大名の“陣屋”のようなイメージだ。周囲が一寸した濠のような構造になったモノに囲まれている…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (24)
↑偶々だと思う…この日、濠に水は無かったのだが…

↓境内に入ると、大きく判り易い案内図が在る…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (27)
↑この種の案内図…個人的には結構好きである…

↓驚いたのは、この銀杏である…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (32)
↑遠くから見れば「一体、何の木だ?!」という感じである。かなり背も高いが、相当に幅広く、枝が這うように広く拡がっているのである…

↓境内の様々な建物は、永い歴史の中で何度も損なわれたり再建されたりを繰り返している様子だが、この銀杏は相当に長く現在地に留まっている様子だ…そうでもなければ、如何にメンテナンスが行き届いていても、こんなに大きく育つ筈も無い…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (31)
↑銀杏は、近くで火災が在っても生き残る場合が多いと言われる種類の木らしいが…きっとこの木は、本願寺でかの新選組が寝起きしていた時期や、幕末に京都で発生していた騒乱を見詰めていたことであろうし、更に明治から大正に時代が移った際に京都で催された大正天皇即位に関連する催事や、戦時中の緊張した感じや、戦後の街の様子の移ろいをじっと見守っていたことであろう…

↓申し訳ないが…御堂も在り難いのだろうが、何かこの「永い歴史の中で人々と街を見守り続けたであろう巨大な銀杏」にすっかり見入ってしまった…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (34)

↓これが唐門である…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (13)
↑出入りを停めるため、下の方に柵が設けられているが、華麗な飾りは視られる…

本来は、(西)本願寺のメインの御堂である御影堂に通じる辺りに据えられた門であるとのことだが、1618(元和4)年に現在在る辺りに移したのだそうだ…

↓華麗な装飾に眼を奪われ、暫し見入ってしまった…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (14)
↑「1日中眺めて飽きないような華麗さ」という意味で、「日暮門」という異称も在るらしい…

↓門扉に相当する部分に、ここまで華麗な装飾が施されている…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (18)

↓夥しい装飾の一つ一つに、何らかの意味が込められているような感じで、少し驚いてしまう…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (16)

↓こちらは太鼓楼だ…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (9)
↑江戸時代には、ここで太鼓を打って時を告げていたそうだ…

↓この太鼓楼の辺りに掲出された案内板に、新選組に関する言及が在った…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (11)
↑新選組の初期から活動していた島田魁という人物…土方歳三等と共に箱館戦争にも従軍したのだったが、戦後暫く経って京都に住むようになり、晩年は(西)本願寺の夜警の仕事をしていたと伝わっている…そうした言及が在って、本願寺の後には新選組縁の島原を訪ねたのだった…

↓この他、(西)本願寺に関連しては、門前町となっていた辺りに佇む、明治末年(1912年頃)に出来たという伝道院もなかなかに見応えが在る…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (35)

ここでは、何か銀杏の存在感に圧倒された感である…そして太鼓楼で新選組を思い出した他、華麗な唐門にも驚いた…何か…「見落とし、見逃し」も在ったかもしれない…それでも満足度は高かった。そしてここが「京都駅から一寸歩く」という範囲の名所と判ったのも“収穫”だ。何かで京都に寄ることが在れば、再訪したいものだ…

鹿児島:磯海岸から望む桜島(2015.10.24)

鹿児島市内を動き回る際には、鹿児島市交通局の1日乗車券が心強い味方である。路面電車、路線バスと市営交通に一通り乗車可能であり、加えて市営交通が運営する市内の名所を巡るバス<シティービュー>にも乗車可能である。今般も、その1日乗車券を到着した日の夕刻に用意し、翌日の早朝から、鹿児島から発つ夕刻に至るまで確りと利用させて頂いた…

午前中の間、市街から桜島が見える東寄りの方角に関しては、「北の国の住人」の目線では「殆ど夏?!」というような強い陽射しのため、遠景が見え難い状態が続いていた…実際、「殆ど夏?!」と感じた24℃か25℃という気温で、長袖Tシャツ1枚にジーンズ穿きという出で立ちで動き回っていたのだったが…そうしている間に陽が高くなる昼頃となっていた…そうなると、東寄りの遠景も見易くなる…

そういう具合に考えて、鹿児島中央駅前から<シティービュー>に乗車し、仙巌園に向かった…

仙巌園とは…薩摩・大隅に君臨した島津家が江戸時代に設けた別荘で、磯と呼び習わされる海岸部に在る。眼前の錦江湾を池に、桜島を築山に見立てた庭園が知られる場所である。辺りの海岸から望む桜島が美しい…

その「歴代の島津侯も愛でた桜島の景観」を愉しんでみたくなり…仙巌園前に<シティービュー>で乗り付けた後、「過去2回立寄っているから、今回は…」と仙巌園に入場せず、海岸を目指して歩いた…途中にやや広い駐車スペースも在るコンビニが在る辺りを通り抜ければ、直ぐに海岸だ。鉄道の線路が通っていて、踏切も在るやや交通路が多めな道を渡るので多少は注意を払うべきだが、直ぐに海岸に至る。夏は海水浴を楽しむ人達が大勢やって来る場所らしいが、それ以外の時季にもマリンスポーツに取組む皆さんの活動場所となっているように見受けられる場所だ…

↓桜島が姿をくっきりと見せてくれた!!
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (1)
↑遥か昔から、この地方の歴史を見守り続けて来た火山…大正時代の噴火で、大隅半島と地続きになったということではあるが、正しく“島”として洋上に突き出した山である…何処と無く…地元の利尻を思い出してしまわないでもないのだが…

↓ギリギリの水際に歩み寄り、桜島の偉容を撮ってみる…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (5)

↓高い部分の岩肌…何か猛々しい感じだ…そして低い部分の緑が、何か柔かな感じがする…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (3)

暫く眺めてから、街の側へ向かう<シティービュー>に乗車しようと仙巌園前の停留所に向かった。「少々…暑い…」と、額に薄らと浮かんだ汗を長袖Tシャツの袖裾で拭いながら歩き…コンビニで思わずアイスクリームを求めてしまった…この日の25℃というのは…稚内では「正しく夏!!」なのである…翌日になって、稚内では「シーズン初めての降雪」ということが在ったのをしることとなったが…「時季外れの“夏季休暇”」と思いながら旅に出て、出先で「夏?!」という感じになった訳だ…

↓それにしても…「こんな風景を少し眺めてみる」というだけの目的で、遥々訪ねてみても後悔しない!!そんな感じだ…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (9)

この磯海岸から望む桜島も、何度でも出会いたいような「気に入った風景」の一つである…

鹿児島:夜明けの桜島(2015.10.24)

「地元以外」の地域に関して、“関係性”と言えば善いのか、“感じ方”と言うのが妥当なのか、巧く表現し悪い“距離感”というもので区別出来ると思う…

鹿児島に関しては…2011年に初上陸を果たして以降、2012年、2013年に2回、2014年、そして今般と「毎年」のように訪れている…巧く表現し悪いのだが、何処か「居心地の好さ」を感じると同時に、「気に入った風景」が幾つも在り、時々それらに出会ってみたくなるのである…友人に「また鹿児島に寄ってしまって…」と話せば、「半ば“実家”か何かのような頻度で行っていないか?もう“珍しいモノ”も然程無いであろうに…」と笑われてしまった…然程の縁も無い地域ながら、何か「気に入った風景」を何度でも眺めてみたくなるということで、心の“距離感”として「近い!」と勝手に思っているかもしれない。住んでいる稚内からは、かなり遠い地域ではあるのだが…

↓これはその、鹿児島の「気に入った風景」の一つだ…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (1)
↑鹿児島港の一隅に相当する辺りから望む桜島である…画は、日が高くなる少し前の時間帯に相当する…

この場所に関しては、2011年に初めて鹿児島に上陸しようとした際、図々しくも鹿児島市役所の観光の御担当にお訪ねして知ったのだった。「路面電車で訪ね易い辺りで、桜島が綺麗に見える場所?」という主旨でお尋ねしたところ、「繁華街の一画を占める“いづろ通”停留所から、地名の由来になった大きな石造の灯篭―“いづろ”とは「石灯籠」が転訛した語である。―が在る方向に向かえば海岸で、<ドルフィンポート>という商業施設が海岸部に在り、その先の緑地は桜島がよく見える」という情報を寄せて頂いた。2011年の初上陸の際に寄り、以降は鹿児島を訪ねる都度に立寄って桜島を仰ぎ見ている…2013年12月に立寄った際には、雨天で雲が垂れ込めていて、然程でもない距離に在る1,117mも高さが在る山ながら、視えなかった…その時以外は、「各々の表情」が視られた…

前日から好天であった。前日夕刻、好天の鹿児島に着いたが、何か「遠景が霞む」ような按配であった。早朝に至ってもそういう様子が続いているように見受けられた…

この<ドルフィンポート>辺りから視る桜島は、鹿児島の市街の東寄りに相当する。朝は、桜島の背後の空が暁色に染まる様が視られる場合も在る…

↓暫く様子を眺めていると、桜島の背後の空は色を変え始めた…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (2)

↓山の背後が暁色に燃え始めた…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (7)

↓程無く「燃える」感じは落ち着く…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (10)

こういうような桜島の様子が見られると、勝手ながら「桜島に到着を歓迎して頂いている」という気分になる…そして何度でもこの風景に触れてみたくなるのだ…

広島:朝の原爆ドーム(2015.10.28)

今般の旅では、「天候を司る何か」が私に好意的であった様子で、日程中に1日だけ「雨天に行動を阻まれ…」という感であったが、他は殆ど「好天!」だった…

実は博多駅隣接のバスターミナルで夜行バスに乗車する前…福岡県内で雨だったのだが…JR九州バスの真っ赤な車輛で到着した広島は好天だった…

↓真っ赤な車輛が到着した広島のバスターミナルは、都心部の紙屋町に在る…
The bus has just arrived at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑バスの案内に在った到着予定時刻よりも多少早い到着で、順調な移動だった…

「(広島も)好天に恵まれて好かった」と思いながら、半袖Tシャツの上に長袖のワークシャツでジーンズ穿きというような出で立ちで戸外に出てみると、同じバスに乗って着いたのか、若い男性が直ぐ傍で携帯電話を手に話しながら歩いていた。「めっちゃ寒い」という言葉が聞こえた…「やや冷え込んでいる」と言える状態なのかもしれないが、「夏が完全に過去形」であると感じられるようになっていた場所から行っている私の感覚としては、「陽が高くなって行く前の、やや涼しい状態」と思っていた…

「広島に立寄る」という考え…『空白の天気図』に描かれた気象台を訪ねてみたいということで強く抱くようになったが、他に「原爆ドームの写真を撮りたい」という想いも在った。原爆ドームそのものに関しては、永く「視たい…」と思っていて、2009年に初めて立寄ることが叶い、以降は御無沙汰してしまっていた。当時は、非常に小さいフォーマットで写真を撮っていたので、現在となっては「やや不満…」な感じなので、多少満足度が高い写真を撮りたくなっていたのである…

博多でバスに関してターミナルの窓口で尋ねた際、バスはバスターミナルに着くと判ったが「好都合!」と思っていた。紙屋町に在るので、原爆ドームが近いのだ…

↓明るくなって来た空に、原爆ドームの姿が浮かぶ…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (4)
↑建物越しに消え行こうとする月が見えた…この画の方角が、西寄りの空を望む方角だと判った…

↓こういう様子を視て、「初めて原爆ドームを視た時に感じたこと」を思い返していた…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (5)
↑初めて視た時、「存外に小さい?」と思ったのだったが…それも無理からぬことで、ドーム状の丸い屋根は「建物の真中辺り」に相当し、1915(大正4)年の竣工後に<広島県物産陳列館>として開館して、原爆投下当時は<広島県産業奨励館>と呼ばれていた建物は、ドーム状の屋根を頂いた部分の両脇に構造物が存在していたのである。「ほぼ真上」からの強烈な爆風で、両脇の構造物が粉砕されてしまい、「建物の“3分の1”か“4分の1”」というような部分が残っているので「小さい?」と思えた訳だ…

↓川の側、西寄りに回り込むと、少しずつ明るくなる東寄りの空が背景になる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (6)
↑こういう色合い…何か“寂寥感”のようなものを強く感じる…

↓この原爆ドームに近い橋が、原爆投下時の目標地点の目安にされたらしいが、そんな橋の側から原爆ドームを望んでみる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (9)

やがて、橋の辺りを少し歩き、やや遠ざかる原爆ドームを眺めながら…「早朝は、とりあえず珈琲を…」とコンビニで珈琲を求めて頂いた…

↓そしてこんな光景に出くわした…
An old tramcar with A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (1)
↑原爆ドームを背景に、年季の入った路面電車…“広島”と聞くと想い起すようなイメージかもしれない…

1950年代に入った頃には、ここは「原爆ドーム」が通称になっていたようだが…平和公園の整備も進められ、1960年代に入って、被曝が原因の病に侵された少女が「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」等と書き遺したことを切っ掛けに保存されることになったという原爆ドームである…人類の歴史というものは、或いは「戦争の連続」なのかもしれないが、原爆というのはそうした歴史の中でも「最も惨憺たる記憶」ということになるであろうか…そんなことを想いながらこれを見詰め、この日は例の気象台の建物を見学に行ったのだった…

広島:赤煉瓦造の建物が渋い<郷土資料館>(2015.10.28)

広島での午前中は江波山に向かった。広島駅辺りから視て南西側になる江波山に対して、南東側には宇品地区、広島港が在り、そちら側にも路面電車の路線が延びている。<江波山気象館>を見学する等した後、路面電車を乗り継いで、宇品地区へ足を延ばしてみた…

宇品地区というのは、明治時代から港として軍民に利用された経過が在る地区で、広島の発展を支えていた側面が在る。殊に日清戦争の頃には、折良く山陽線が広島まで延伸された直後であって、他地域との間を鉄道で結ぶ他方で、宇品の港から戦地となった中国大陸との間を往来するということになり、広島に“大本営”も開かれて明治天皇が広島入りしたということまで在ったのだった…そうした経過から、広島に関しては“軍都”という呼ばれ方も在ったようである…

宇品地区に路面電車で至ってみれば、「少しだけ都心から離れた」という風情で、住宅街が広がる中にオフィスや商店等が散在しているような雰囲気だった…そういう中を歩き回り、ソースの芳香に惹かれて“お好み焼き”で腹ごしらえもしながら、<郷土資料館>という場所を目指してみた…

↓この日の青空の下に、赤煉瓦の建物がなかなかに映える!!
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (1)
↑これが<郷土資料館>である…

↓古い建物を整備して利用している資料館であることが判る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (3)
↑建物そのものは、1911(明治44)年に登場したモノが基礎になっている。ここは陸軍の“糧秣支廠”と呼ばれた施設だった…

“糧秣支廠”というのは、兵士の食料である“糧”と軍馬の餌である“秣”を調達・製造し、部隊に送り込むことがその役目という軍関係施設である。より詳しく言えば、この赤煉瓦の建物は缶詰工場として使われた建物の一部であるという。往時は近くのグランド辺りまでのもっと広い敷地が“糧秣支廠”となっていて、缶詰に加工していた食肉を処理する場所まで在ったという…この建物は原爆を乗り越えた建物であるというが、一部の鉄筋に、爆風の衝撃による傷みの痕跡が残っているという…戦渦が著しい広島に在っては、明治期から昭和初期の建築は、他地域と比べて殊更に貴重な存在という一面が在るのだと想像する。そうしたことで、この建物は<郷土資料館>として整備され、街の歴史を学ぶ場とされているのであろう…

↓明治末年頃の煉瓦の積み方を伝えるという壁である…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (10)

資料館としては、正しく「街の歴史を学ぶ」という趣で、市内の小学校の見学グループが丁度館内に居合わせた。説明員が港が整備された経過や、古い道具が在る場所で昭和30年代頃までの生活の様子等を説明していた。<江波山気象館>で見掛けた小学生は、何やら歓声を上げていたが、こちらで見掛けた小学生は真面目に説明員の御話しに耳を傾けている様子だった…

常設展示の中では…申し訳ないが「殊更に関心を湧き起こすモノ」は少な目であったが、驚いたのは、缶詰の缶の代用品として用いられたと伝えられる陶器製の容器であった…硝子ケースに収まって、写真撮影はし悪い代物だった…正しく「大きめな湯呑みのような容器に蓋が付く」という雰囲気の陶製容器で、湯呑みか何かのような部分に「缶詰の中身」に相当するモノを詰めて蓋をしたのであろう…「戦時中の話し」として、“金属供出”と言って、寺院の釣鐘や公園の銅像から、子ども達が学校等に持参する弁当箱に至るまで、方々の金属製品を集めたという話しを聞いた―“弁当箱”で航空機や軍用車輌が出来る筈もなく…古びた釣鐘を鋳潰して、何が出来るのか?!何か「凄く妙な話し」と感じる…―記憶が在る…更に、この資料館の前に立寄った<江波山気象館>で、1939(昭和14)年頃から鉄筋コンクリート建築は「金属資材の調達難」で廃れたようになってしまったことから、1934(昭和9)年竣工の気象台は、「戦前の鉄筋コンクリート建築としては“末期”なモノ」という解説に触れたばかりでも在った…そういうことは聞いているにせよ、「軍で用いる缶詰」に至るまで、「金属の利用制限」が在ったとは…率直に驚いてしまった…

↓開催中だった“企画展”が、なかなかに興味深かった…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (11)
↑これは広島市が市内の個人から寄贈を受けた資料を中心に展示したもので、士官として出征した日中戦争で戦死した方が残したものや、関連事項の紹介という展示で「戦禍や身近な人の戦死が身近だった時代」を語ろうとするような企画だった…多少の語弊を怖れずに言えば「少し洗練された、戦時の歴史の見せ方」のようにさえ思った…

“H氏”とされていた方…この展示の“主人公”ということになる方だが…広島で育ち、京都の同志社で学んでから広島に戻って活躍し、士官として出征して戦死したということだが…少年期の学校のことを挙げながら、当時の教育や学校のことを紹介し…彼が打ち込んでいて、広島でも競技普及に尽力していたというラグビー―彼が学んだ同志社と言えば…今でも関西の学生ラグビーのチームとしては「伝統を誇る名門チーム」として有名だ…―の様子など、現在も一定の人気を持っているスポーツが普及していたという時代を紹介し…様々な書簡等から、中国地方各地に展開していた軍の部隊のことや、入隊した人達の様子や周囲の人々の様子を紹介し…広島で同じ学校に学んでいた経過が在って、顔見知りであったという軍医に看取られて戦地で最期を迎えた経過や、軍の士官としての“H氏”が遺した制服や身近な装備品等が紹介されていた…「昭和20年頃まで」という、場合によっては「やや遠い」ものにも感じられる“時代”が「かなり身近に迫って来る」ような感じの展示だった…未だ暫くはこの企画展をやっているらしいので、近くにお住まいの方や、広島を訪ねて多少の時間が在る方にはお奨めしたい感だ…

↓好天に恵まれたこの日…敷地の樹木が凄く鮮やかに見えたことが、何となく記憶に残る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (7)

今般は<江波山気象館>と合わせ、街の歴史を語る建物を利用した<郷土資料館>に立寄ることが叶った。非常に善かったと思う…

大阪:串カツを頂いた“新世界”(2015.10.31)

“帰国”のフライトの前夜、大阪の天王寺の宿に泊まった。夕刻のフライトまでの時間は、阪堺の路面電車の1日乗車券を手に、沿線でゆったり過ごそうと考えた…

阪堺の路面電車そのものは2010年12月に乗車した経過が在った。が、堺市内から天王寺駅前に至る部分を乗車したのみで、住吉から枝分かれして恵美須町に至る路線には乗車していない…そこで、天王寺駅前から住吉に出て、乗換えて恵美須町に向かってみた…

↓恵美須町の停留所に阪堺の路面電車が着いた…背後に通天閣の頂上部が僅かに覗く…
Tramcars at Ebisucho Stop on OCT 31, 2015 (2)
↑ここは“新世界”と命名された地区の一画を占める場所でもある…

この辺りは1903(明治36)年に開催された第5回内国勧業博覧会を契機に市街化が進んだのだという。博覧会後も鉄道の開通等で往来が盛んになり、元会場の東側が<天王寺公園>として整備され、西側が「大阪の新名所」という触込みで「新世界」と命名され1912(明治45)年に登場し、通天閣等が開業したのだという…

新世界は大阪の発展の中で浮き沈みが色々と在った。通天閣は戦時中に解体され、戦後に現在の姿で復活している。永く低迷した感であった地区だが、1990年代辺りから「古き良き昭和」なイメージが好意的に評価され、2000年代に入って色々な飲食店の進出も相次ぎ、現在ではなかなかに賑わっている。或いは、大阪以外の地域の人達にとって、「典型的な大阪の感じ?」と受け止められるのが、この新世界の周辺になるのかもしれない…

↓通天閣を望む商店街を歩いてみる…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (4)
↑辺りは、通天閣を中心にして放射状に街が拡がっているようなイメージも受けた…

↓歩道には高い屋根が掛かってアーケード街になっているが、屋根の下にこんなバナーが在った…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (3)
↑「愉しくて、温かい町」というキャッチフレーズが好い。そして、ほのぼのした感じのイラストが凄くキャッチフレーズに合っている…

↓残念ながら見受けられる、好ましくない行為を諌める掲示が在るのだが…「あかんで」というのを視て、何か近隣の方の話し口調を思い浮かべてしまった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (14)

↓漫画『きん肉マン』に登場の超人“ロビンマスク”…「通天閣の警備員になったのか?」と笑ってしまった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (7)
↑こういう奇抜なモノが置かれていても、それが妙に様になる、不思議な雰囲気の地区だ…

↓アーケードの商店街と逆側に行くと、華々しい看板が乱舞する飲食店街だ…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (9)
↑こんな「フグ料理の大きな看板と通天閣の画」というのが、他地域の人達にとっての「大阪!!」というイメージかもしれない…

↓場所によっては「派手過ぎ…」と批判されてしまいそうだが…こういう「真っ赤!!」が妙に似合うような気がする地区だ…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (11)

↓人気メニューの串カツを売る店が多く見受けられた。“○○店”という具合になっている場所が多かったが、恐らく大阪市内や近郊等で何店舗か営んでいる会社が運営しているのだろう…「朝食に遅過ぎ、昼食にやや早い」という時間帯で、未だ串カツの店も然程混み合っては居なかった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (12)
↑画の右下にビリケン (Billiken)像が在る…方々に在ったが、これは通天閣の展望室に置かれているというモノのレプリカであろう…人気のキャラクターのようだ…

↓串カツを頂いてみた!!
'KUSHI-KATSU' at Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑確か…右から牛、豚、ししゃも、うずら、ささ身…だったと記憶するが、何れも好かった!!

串カツ店の店員さん…上記の串カツをお願いすると、材料を串に刺してあるモノを順次取り出し、手早く粉を付けて素早く揚げてくれる…そして揚げ物を揚げた時に使う小型のバットに載せてカウンターの席に出て来た。付け合せにキャベツも出る…

「ビールより、多少割安か?」と思って頼んだ日本酒を頂きながら、順次この串カツを頂く…比較的有名な「ソースの二度付けは禁止やで…」のマナーを守り、カウンター上のソースをたっぷりと1回付けてサクサクと頂いた。ソースは、市販の何かのソース単体ではなく「多分、何種類かの調味料を交ぜている?」と思えるような味だった。そしてそれが串カツに合う!

「やや早めのランチ」ということで、日本酒を冷で啜りながら熱い串カツということをしたが…何か「大阪の休日」という、好い気分で一時を過ごした…

↓「先へ進もう…」と、「やや名残惜しい」という気分で、新世界を後に…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑見上げた通天閣が「また、来てや…」と微笑みかけてくれたような気もした…

この“新世界”での写真は「大阪の想い出」という雰囲気で、何れも気に入っているのだが…「次の機会」が在れば、少し違う時間帯に訪れてみたいという気がする…更に…是非とも「次の機会」を設けてみたい感である…

延岡:徐福の像(2015.10.26)

九州の東海岸を、概ね海岸線に沿って南北に延びる日豊本線を普通列車で移動しようとする場合、宮崎県と大分県の境界を越える延岡・佐伯間が、言わば“ボトルネック”である。普通列車は「1日3往復」で、朝の早めな時間帯の後は夕刻まで運行が無い…この区間は、宮崎県内各地と大分県内各地とを結ぶ特急列車が盛んに運行されていて、それを利用するのが一般的と見受けられる状況ではある…

そうした状況なので、「宮崎から小倉へ北上」という企図で動く場合、延岡から佐伯に向かう列車が発車する少し前に延岡入りするのでもない限り、延岡で些かの時間を過ごすこととなる。そこで今般、延岡での道草ということにしてみた。

天候に恵まれた中、宮崎を発って美々津に立寄ってから延岡に着いた。延岡では延岡城址を訪ね、近隣を少し歩いた。「ランチに遅く、ディナーに早い」という中途半端な時間帯に差し掛かってしまい、ゆったりと食事を愉しむという感じでもなかったが…延岡駅周辺を動き回り、結果的には移動の車中で飲む水をスーパーで求めるなどしていたが…然程賑やかでもない商店街を動き回っていた…

↓商店街の一画に不思議なモノを見付けた…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)
↑「古代中国の貴人??」というような雰囲気だ…

これは延岡に伝わる言い伝えに因むものなのだという…

↓これを視て「古代中国の貴人??」と思ったのは、長崎の孔子廟で、孔子の弟子達であるという、こういうような衣装の人物像を視たからなのだが…これは徐福という人物だ…秦の始皇帝の時代の人物である…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (6)
↑武将というようなタイプではなく、学者という感じの人物だ…

徐福は紀元前219年に、始皇帝が求める不老長寿の仙薬を求める旅に出て、海路で当方の蓬莱山に辿り着いたという…その“蓬莱山”が、延岡では市内の今山に比定されていて、徐福の一行が色々な知識を伝えたとされているのだそうだ…

徐福の“徐”は「スロー」で、“福”は「ハッピー」である。「ゆったりと幸せな人生を…」というイメージになるであろうか…そして徐福は「薬の神」、「健康・長寿の神」でもあるという。そこで延岡の商店街で、「健康で快適な暮らしのお手伝いをする商店街」を標榜し、そのシンボルとして徐福の像を設置したのだそうだ…

徐福に関しては、日本国内各地で様々な伝承も在るようだ…そんなものの一つに、思いも掛けずに触れる結果となった…

宮崎県内では、この延岡の徐福に加えて、美々津の神武天皇の伝承にも触れたが…何か宮崎県に関して、「伝説に彩られた日向の地」というイメージを抱くようになった…

宮崎県庁(2015.10.25)

土曜日夜と日曜日夜に宮崎で2泊ということにした当初、「日曜日は宮崎を起点に何処かへ出掛けようか?」とも考えていたが…結局、「宮崎でゆっくりしようか…」ということにした…

宮崎神宮、宮崎県立総合博物館を訪ね、宮崎神宮駅から宮崎駅へ列車で移動し、比較的静かな宮崎市内を歩き始めて思い付いたのは、何かで写真や映像を視た宮崎県庁を眺めに行ってみるということだった…

街の中の案内表示に従い、橘通から「県庁前の道」に入り込んだ…

↓率直に驚いた…大きな楠の並木だが、枝が大きく伸びて「道路に屋根?」というような具合になっている…
Around Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (1)

↓並木道の左側でも右側でも、とにかく見事な並木に驚く…
Around Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (3)
↑この辺りは、木が大きく立派に育つような気候条件なのか?

聞けば、幅が30mの通で、約650mが樹齢百数十年の楠の並木になっているのだそうだ…

↓やがて県庁の建物が見える…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (9)

↓「温暖な地域ならでは」な感じがする植物が建物の周りに植えられている…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (1)
↑私の目線では「異国情緒」というようにさえ見えた…

この県庁舎本館は、1932年に竣工したものであるという。2008年には宮崎市が“景観重要建造物”に指定したものだそうだ…

↓いずれにしても見栄えがする…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (3)

この日は、県庁が通常の業務を休む日曜日で、周辺は非常に静かであった…休暇の最中にゆったりと散策するには、この日の好天と相俟って好適であったが…

広島の路面電車:広島港停留所に停車中の5100型(2015.10.28)

広島と言えば、“市民球団”のカープが在るが…

↓そのカープのロゴが入った路面電車が現れた…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (12)
↑四国や離島への各種客船が発着するターミナルに隣接して設けられている、広島港停留所で、こうした各種車輛が発着する様子を暫く眺めていた…

カープのロゴが入った車輛を視て「当地らしい…」と思う他方、随分と大きな、他地域では見掛けないような種類の車輛だと思った。

↓これはカープのロゴが入った車輛と別の同型車輛だが、こちらには都市間バスの広告が貼られていた…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (6)
↑これはカープのロゴが入った車輛と逆の向きから視た様子である。

広島港停留所では、奥側に入った車輛は「回送」という表示にしてあって、手前に入った方の車輛が先に出発し、奥側の車輛は少し後に出発していた。そしてこの広島港に着くと、乗務員は近くに設けられていると見受けられる待機所に下がり、出発に合わせて乗務員がやって来て、乗込んで乗客を乗せて発車する…

↓隣りに停車中の700型と比べると、特徴的な風貌が際立つ感だが、この5100型は低床型の車輛である。
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (8)
↑5100型は低床型で5連接になっていて長大な車輛だ…3つの台車に、5つの車体が載る構造である…

この型は2004年に初登場した後、2005年から2008年に製造配備されたもので、現在は10編成が活躍中だ。Green mover max(グリーンムーバーマックス)という愛称が与えられている。全長は30mに及ぶという…

「ULTIMATE(アルティメート)究極の+URBAN(アーバン)都会的+USER FRIENDLY(ユーザーフレンドリー)お客様にやさしい」の「U3」を標榜し、国内の車輛メーカーと広島電鉄が開発した車輛である。広島電鉄では1999年に、ドイツのメーカーによる<コンビーノ>というシリーズの低床型路面電車を5000型として導入していた。それが好評であったことを受け、国内メーカーでも低床型電車を製造する機運が盛り上がり、「<コンビーノ>に改良を加えた新しい車輛」を目指して5100型の開発が手掛けられたのだという。

この型の車輛は、市内の路面電車区間に加えて、宮島まで延びる専用軌道も走る。そしてこの車輛は、運転士に加えて車掌が乗務している。ハッキリ言えば、長大な車輛なので、後ろの方は運転台からでは眼が届かないからであろう…広島では、低床型の以前から、車長が長い連接型の車輛が運行されている…

こういうような、「本当に欧州風な車輛」という路面電車…広島でしか視られない…

広島:<江波山気象館>(旧広島地方気象台)(2015.10.28)

江波山(えばやま)というのは、広島の街の南西寄りに在る小高い山で、辺りは住宅街という趣で、周辺に公園も整備されているようだ。広島駅前から紙屋町を経て、江波山の麓辺りの江波へ向かう路面電車の路線も在る。

この江波山に気象台が設けられていた。1934(昭和9)年に建物が竣工して気象台が江波山に立地した。1987(昭和62)年に気象台は市内の合同庁舎に移転し、建物が江波山に残り、広島市が管理する博物館<江波山気象館>となった…

この建物の存在を知ったのは、『空白の天気図』という本を通じてである…

「1934年から1987年」という稼動期間を視てお気付きであろうが、原爆の1945(昭和20)年8月6日にも、この気象台の建物、勤務していた人々は原爆投下の惨禍を見詰め続けていたのである…原爆の爆心地から概ね3.7kmという直線距離が在るこの気象台だが、爆風による被害は免れず、建物の一部が被害を受け、内部に置かれていた様々なモノが壊れて負傷者も多く、観測機器も損なわれた。それでも、気象台では動ける関係者が活動を続け、使える機器を使って観測が続けられていた…

そういう「凄まじい経過だ…」と思った話しだったのだが、その時の建物が残っていて、博物館になっていて自由に訪ねられることを知り、「是非とも立寄ってみたい」と思うようになっていた。爾来2年余りになるが、漸く願いを叶えた次第である…

↓路面電車の江波停留所の辺りの電車庫を眺めながら少し歩き、山頂を平らにして建物が在る辺りへ通じる階段を視付けた…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (3)
↑歩き回って、こういう通路を視付けながら目的地を目指してみるというのが、意外に愉しい…半袖Tシャツの上に長袖シャツという程度の出で立ちで丁度好いような気温帯で、好天だったので街を歩き回るのが心地好かった…

↓現在となっては、高速道路が近くに通っていて、随分と拓けた住宅街のように見える一帯だが…恐らく昭和前半辺りには「街の端の方」というイメージだったのではないか?そんな場所の、山の上に立てた気象台というので、もっと小さなモノを想像していたが、存外に大きかった…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (4)
↑正面入口から入り、入場券(100円)の販売機が在って、中に入るようになっている…

↓昭和の初め頃の鉄筋コンクリート建築…重厚な雰囲気が漂う…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (5)
↑昭和に入る辺りまでに、鉄筋コンクリート建築は盛んになったようだが、1939(昭和14)年頃を境に「鉄筋の調達難」という傾向が見受けられるようになったらしく、例が少なくなってしまった…この気象台は「戦前の鉄筋コンクリート建築の末期」というような按配の建物ということになる…

↓被爆の際、凄まじい爆風で窓や、屋内の書棚等の硝子の多くが割れて砕け散り、それによる負傷が多く発生したそうだが、金属性の窓枠の一部は歪んでしまったという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (6)
↑この爆心地方向を向いているという窓枠は歪んでしまい、戦争が落ち着いた頃になって硝子が嵌められるように関係者が修理をしたものだという…

↓この辺りが、爆風をまともに受けたと見受けられる辺りだという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (10)
↑<気象館>として整備保全の工事をした際、この「被爆の痕跡」が窺える壁面は、敢えてその痕跡を遺したという…

館内は、被爆の経過も含めた『空白の天気図』に描かれた時代のことを伝える展示や、ビデオ上映が在って非常に興味深い。他方、ここは「気象の不思議」に関して子ども達が学ぶ施設である。小学校の学校行事と見受けられるグループが幾つか来ていて、気象関係の一寸したアトラクションのような展示で歓声が上っていて、なかなかに賑やかだった…

『空白の天気図』に描かれているのは、原爆の時の様子や、同じ年に発生した“枕崎台風”の辺りの必死の観測活動のことだ。原爆の爆風を受けてしまった時には、負傷者を必死に助けようとする人達の声が廊下に響いたことであろう。“枕崎台風”の時には、戦争の後遺症で通信状態が悪い中、警報を巧く伝えられないことに苦悩する関係者が必死に観測する姿が視られ、山の木を伐採し尽したこと等で土砂崩れが多発して死傷者がどんどん発生する様に眉を顰めた人達が駆け回っていたことであろう…そういう「悲壮な現場」に「子ども達の歓声」である…或いは、こういう平和が尊いと強く思った…

↓小高くなった辺りの建物の屋上は、なかなかに見晴らしが好い…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (9)
↑この方角が“爆心地”側らしい…かなり大きなビルも点在する、正しく広島の都心部として大きく発展している様子が窺える…

私自身を含め、他地域の人達の間では“被爆建物”であり、同時にその頃に凄まじいドラマが展開されていた舞台であるこの<江波山気象館>(旧広島地方気象台)は、然程知名度が高くはないと思う。しかし、ここは「静かな歴史の証言者」というような感の場所で、なかなかに尊い訪問先だ…辺りも好天時には好い散策コースとなる場所だ…加えて、江波の電車庫の在る辺りに路面電車で訪ねてみるというのも愉しい…

広島が、何となく「頭の隅に引っ掛かる」というように感じられるようになった切っ掛けは、この江波山の旧気象台な訳だが…

↓切っ掛けとなった本の感想を綴ってあったので、リンクをこちらに掲載しておく…
>>『空白の天気図』

大阪:四天王寺(2015.10.31)

↓2012年12月15日撮影の画である…
Shitennoji-Temple, Osaka on DEC 15, 2012 (6)
↑雨交じりの早朝に撮った画だった…

この2012年12月の状況…夜のフライトで関西空港に着き、北海道内でも使っていた<青春18きっぷ>が未だ有効なので、関西空港駅から天王寺駅へ移動し、「これ以上先に進むと“終電”が絡まる時間帯で、移動継続困難…」と考えられたので天王寺のネットカフェで夜を明かし、迎えた朝に四天王寺を訪ねてみたという場面だった…直ぐに雨が降り出し、やがて雨が強くなる一方で、地下鉄の駅に向かい、地下鉄で新大阪駅へ移動してから、新幹線で九州を目指したのだった…

今般、確りと事前に押えた宿に宿泊する型であったが、久し振りに天王寺で夜明けを迎えることとなった。やや早めに休み、確りと深く眠って、未だ暗い時間帯に起き出し、戸外に出てみた…戸外に出たのは、近所のコンビニから嵩張るモノを送ってしまいたかったからというのも在ったのだが、2012年の時とは異なり、雨が降りそうな気配も無い中だったので「四天王寺を再訪」と思い付いたのである…

「この辺だったか?否!間違えた…」という具合にドタドタとしながら、半袖Tシャツの上にデニムのジャケットというような身軽な服装で歩き回った。十字路の上に、環を描くようになった大きな歩道橋が設えられている天王寺駅周辺からであれば、阪堺の路面電車の軌道が敷かれている大きな道路の、軌道が無い側を進めば四天王寺の在る辺りに至るのだ…

↓幾つか在るらしい境内への入口の一つから、未だ明るくなり切らない境内に入り込んだ…一部に拝観料を支払って入る場所が在るのかもしれないが、四天王寺の境内は夜明け前のような時間帯でも入り込むことは出来る…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑古い伝統を受継ぐ鐘楼の背後に、天王寺駅周辺に聳え立つ<あべのハルカス>の姿が覗く…

四天王寺は推古天皇元(593)年に、かの聖徳太子が開いたと伝えられる、日本最初の官寺だという…日本で普及する仏教の源に近い存在なのだ…

この四天王寺が立地する天王寺という地区―“天王寺”という地区名自体が、四天王寺の略称に由来するようだ…嘗て辺りは「天王寺村」と称した時代も在るらしい…因みに“天王寺”という寺は無いそうだ…―は、古くから堺・大坂・京を結ぶ経路の上に位置する要衝だった。そういう事情も在り、天災の他に戦禍も在って、四天王寺の古い建物は余り残っていなかったのだというが…第2次大戦下の空襲に至るまでに色々と失われたり再建された理を繰り返していたが、現在の四天王寺の伽藍は1963年に飛鳥時代の様式を模して鉄筋コンクリートで再現したものなのだそうだ…そうは言っても「鉄筋コンクリートで再現」と聞かなければ、そういうことになっているとは気付かない…大寺院の「(日本での)最も古いスタイル」を今日に伝える立派なものである…ただ、現在は五重塔が修理工事中であるようで、何やら覆いが被されていて見えなかった…

↓明るくなる前の境内に入り込んだが、方々に色々な灯りも見受けられた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (9)

10月の末という時季…12月程ではないにせよ、明るくなる時間帯は遅めになって来ている…そういう事情なのか、未だ暗い間から談笑する声が聞こえてきた…御近所にお住まいの方達と見受けられる人々が、明るくなり行く境内を随分多く往来していて、知った顔どうしで挨拶を交わす様子も多々見られた…

↓立派な門が設けられている…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (12)

↓門の金剛力士像の“阿”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (14)

↓こちらは“吽”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (15)

↓次第に明るくなる中ながら、西方寄りの空には月が見えた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (16)

「月と反対側が東寄り…」と見当を付けて空模様を伺ったが…劇的な朝焼けとはならなかった…

↓それでも東寄りの空は、微妙な暁の色彩を帯びた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (21)
↑淡い感じでグラデーションになっているのが好かった…

↓少し驚いたのは…「朝食前??」というような時間帯でありながら、何やら連れ立って四天王寺の門を潜って境内に入って行く人達が存外に多かったことだ…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (1)

天王寺は、JR、近鉄、地下鉄、阪堺と各鉄道が集まり、バスも色々と運行されている交通結節点で商業地である他方、古くからの住宅街も多く見受けられる地区だ…そんな場所に、古くからの「聖徳太子への信仰」を担う伝統の四天王寺が在る…そしてそこが、近所の人達の「オアシス」的な様相も見せていた…なかなかに興味深い…季節や時間帯が異なる条件下で、再訪してみたいと思わせるものが在った…

延岡駅:<サンシャイン宮崎> 713系電車(2015.10.26)

最近は「国鉄時代」の車輛に関して、運用している地域で独自に改造を施したり、独特な塗装を施している事例を眼にする。北海道内で運行中の「国鉄時代」の車輛についても、往時とはイメージが異なる塗装が施されている例を多く見掛けるが、他地域でも同様だ…

↓美々津から延岡まで乗車した電車である…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (5)
↑以前に南宮崎駅や都城駅の近くで見掛けたことも在って、「何か気になる車輛だ…」と思っていたが、今般乗車機会を得た…

「国鉄時代」の車輛に鮮やかな赤系の塗装が施され、<サンシャイン>の黄色いロゴ、太陽をデザインしたマークまで入っている…

↓何か「正統派!!」という雰囲気の、「国鉄時代」な外観だ…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (2)
↑それでも、こうして鮮やかな塗装に「陽光煌めく宮崎県」というイメージの“太陽マーク”まで在ると、「少し特別?」という感じがする…

この車輛は713系電車というもので、1983(昭和58)年に地方での「普通列車の電車化」を促すべく試作された車輛だという…4編成8輛が新製されて、九州に投入された…結果的に、諸般の事情によって4編成8輛以降は製造されなかった…

1996年に宮崎空港線が開業し、この713系の4編成は宮崎空港線に投入されることとなり、<サンシャイン宮崎>の愛称が付いた。やがて、2008年に鹿児島車両所で改造が施されている。

改造は、外見の塗装の他に、クロスシート部分は旧い特急型車輛のシートを移して使用するようになっていて、ロングシート部分はバケット型の椅子を並べた体裁の、新しいロングシートに換装されている。延岡から宮崎空港の区間…存外に時間も掛かる場合が在る区間―延岡・宮崎空港間を全て普通列車で移動すれば、直通の列車で1時間40分程度、南宮崎駅で乗り継ぐと2時間弱となる。沿線各駅からの利用で、1時間前後の乗車という例が多そうな感じである…―だが、車内の居住性も良好なものになっている…

今回は美々津から延岡の40分弱の区間で乗車したが、ロングシート部分の新しいバケット型シートは、なかなかに乗り心地の好いものだった…

↓延岡駅の跨線橋から713系電車<サンシャイン宮崎>を望む…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (3)
↑勝手に「正統派!!」という雰囲気の「国鉄時代」な外観と呼んでいるが…こういう感じの外見は、何か“安堵感”のようなものも覚える…

考えてみると…近年はこの種の「正統派!!」という雰囲気の、「国鉄時代」な外観に出くわす機会が減っている…

広島の路面電車:京都からやって来た1907<銀閣>(2015.10.28)

広島という街の発展経過を視ると、宇品地区の港が整備されて色々と利用されるようになった経過を看過する訳には行かない。宇品地区には、嘗て軍が糧秣廠として利用した煉瓦造の建物を活かした、市の資料館も在るという。

そういう事情から、路面電車の1日乗車券を手に宇品地区へ出掛けた…新旧様々な車輛が行き交う軌道を窓から眺めながらの移動は実に愉しい…

↓停留所で電車を下り、「ここまで乗せてくれて、ありがとう…」というような具合で車輛を眺めてみる…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (7)
↑少々「微妙な違和感」のようなものを覚えた…ICカード乗車券に対応する機器が搭載されている旨が運転台下に掲出されているのだが、その下に<銀閣>と書かれている…

<銀閣>…あの有名な、京都の慈照寺…足利義政が建てたという、京都の東山のアレのこと?

↓暫く経って、<銀閣>が停留所に停車中の様子に再会した…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (10)
↑深いグリーンとクリーム色で、オレンジの帯が入っている…重厚な感じの、やや年季が入った車輛だ…

実はこの1907を含む1900型というのは、1978年に京都の路面電車が廃止された時に広島にやって来た車輛なのである。そこで、乗客アンケートで京都の地名から各車に愛称を付けたのだという。1907の<銀閣>は「京都出身!」を主張するものなのだ…

京都でこの車輛が初登場したのは1957年だという。京都では21年間活躍した訳だが、広島に移ってからは既に37年も経っている…1978年にやって来ているというが、広島で運用し易いように改装を施す等しているので、1907の場合は1980年から動いているようだ。それでも35年だ…

1907同型車輛となる1900型は、15輛在る。どっしりした京都出身の車輛は、扉も大きくて乗降が円滑で、乗客の収容力も在るので、旧い車輛が徐々に活躍の幅を狭めている中でもなかなかに元気に活躍している…

この1900型だが…1980年代初めに「路面電車への冷房導入」に関して、先駆的な役割を担った車輛でもあるという。やや大柄に見えるこの車輛…機器を増設するベースとして都合も好かったのであろう…

或いはこの、嘗て京都で走っていた路面電車は「他所から移って来て、広島で活躍中」という車輛の代表的な存在と言えるのかもしれない。運行密度が濃い時間帯に限定されずに走っている同型車輛を随分と見掛けた…

神戸・長田:<鉄人28号>のモニュメント(2015.10.29)

詳細な予定を立てるでもなく動き回る中、偶々見掛けた案内を通じて「そう言えば、そういうモノも在った…」と思い出してみたり、「どういうモノだ?一寸視たい…」と考え、正しく「ふらり…」と寄道をするということが在る…

↓神戸の地下鉄の新長田駅である…
Shin-Nagata Station or 'In front of TETSUJIN' on OCT 29, 2015
↑電車が入る箇所の壁面に「新長田」と、地下鉄の駅では何処ででも見掛ける駅名表示が為されているのだが…「鉄人28号前」が気に掛かった…

今般、神戸空港に到着した後、ポートライナー、地下鉄、山陽電車を乗り継いで姫路に出たのだったが…その際に既にこの「鉄人28号前」が気に掛かっていた…姫路の後に九州へ向かい、広島を経て関西に戻った訳だが、この気になっていた「鉄人28号前」で下車してみようと思っていた。

神戸の地下鉄では、この「鉄人28号前」のように、駅近隣の学校の名前を記す等して「○○前」と、「○○が在る○○駅」という具合の表示をしている例を幾つか見掛けた。或いは、こういうのは「当駅下車 ○○」と“広告”として掲出されている事例も多いような気がするのだが、この「鉄人28号前」のような表示も、一寸面白いと思った…

恐らく、<鉄人28号>を視るために新長田駅で下車する人も多いのであろう。<鉄人28号>の場所を示す案内は多々在って、全く初めてでも難なく<鉄人28号>と対面することが出来た…

↓こんな具合に、広場に佇んでいる…
'TETSUJIN' at Nagata, Kobe on OCT 29, 2015 (8)

↓青空に映える勇姿だ…
'TETSUJIN' at Nagata, Kobe on OCT 29, 2015 (7)
↑概ね、漫画の設定に準じた大きさなのだろうか?大きい!!

神戸は、阪神大震災を経験し、そこからの復興を目指して“まちづくり”に邁進した経過を有している街だが、「力強い復興」をシンボライズするような意味も込め、神戸出身でもある漫画家の横山光輝の代表的作品の一つに登場する<鉄人28号>のモニュメントが登場したそうだ。完成したのは2009年だという。

個人的には、<鉄人28号>は自身で親しんだヒーロー達の「少し前」のモノになるようにも思うのだが…それでも漫画の設定そのものの大きな<鉄人28号>が街に佇む姿との対面は嬉しかった。後で知ったことだが…近所で色々と関連グッズが売られていたらしい…それらは、何時か神戸を再訪した際にでも…

姫路城(2015.10.22)

大手航空会社の航空券をウェブサイトで手配するような場合、行先空港で「大阪(すべて)」という選択をすると、伊丹の大阪空港、関西国際空港、神戸空港を発着する各便が画面に出て来て、それらの中から希望の便を選んで予約することとなる。今般、何となく往路は神戸空港、復路は関西空港として、新千歳空港との間を往復することとした…

神戸空港を利用することとなった時…何となく姫路城を思い浮かべた…

確かあれば2009年だった…<青春18きっぷ>を手に、早朝の横浜駅を発って東海道を西へ進んで、更に山陽道に入った…最終的に、かなり遅めな時間帯に広島に至ったのだったが、陽が傾きかけたような時間帯に辿り着いた、途中の姫路駅で一息入れることにし、駅周辺で食事を摂った…その時、駅前に立つと姫路城天守閣の姿が遠くに見えた…ゆっくりと訪ねてみるには、やや遅い感じがする時間帯でもあったので、「また機会を設ければ善いだろう」と考えた…その少し後からである。<平成の大修理>という展開になった…

<平成の大修理>の最中、「滅多に視られない角度や高さから、修理中の建物が観られる」というのも話題になっていたのだったが、結局のところ姫路城を訪ねるという機会は設け損なったままとなっていた…そして今年に至り、「修理完成!」という話しが伝わった…そして「完成したのであれば、是非とも機会を設けて、姫路城を観たい」と思うようになっていた…

姫路城というのもは、漠然と「日本の城」とでも言ったような場合に、あの白い壁の大きな天守閣を多くの人が思い浮かべるような存在感を持っているように思う。そして、江戸時代辺りまでの建物が良好な型で残る、数が限られている城の中、姫路城は「規模が大きな建物」が残っている場所でもある。かなり興味が湧く代物である…

神戸空港に降り立ち、とりあえずポートライナーで、神戸都心部の交通結節点である三宮に出た後、「利用した経験の無い交通手段で動くのが、多分面白いであろう…」と思い、地下鉄と山陽電車を乗り継いで姫路へと直ぐに移動してみた…

新幹線も発着するJR姫路駅からでも、山陽姫路駅からでも、姫路城までの距離は大きく変わらない。姫路城の大手門から城下町に延びていた道が、その基礎となっているらしい大きな通をゆっくりと進み、姫路城を目指した。

↓門が在る手前…城の中に入り込む辺りで、とりあえず遠くに見える天守閣をハッキリと視た…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (1)
↑白の石垣の周辺は、車が多く行き交う道路になっているが、広い歩道も設けられている。門に近い、藩政時代には重臣が屋敷を構えていたのであろうというような辺りは、広場、または小さな都市公園という設えになっていた。辺りは、平日の昼間でありながらも、なかなかの人出であった…

↓とりあえず門を潜り、今日“史跡”、“文化財”として保存が図られているという意味での敷地に入り込み、辺りをぐるぐると巡ってみた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (7)

↓所謂「近世城郭」の“代表選手”のような、現在の姿になるかなり以前から、姫路城は色々な勢力が分立していたこの辺りの地域での軍事拠点だった経過が在る訳だ…複雑に積み上げられた石垣を視て「激しい争いの時代を潜り抜けた」という史実に想いを巡らせていた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (4)
↑更に、石垣の隙間に植物が繁っている様を視て、永い年月を超えて今日に至っている構築物であるということを実感してしまった…

↓見学者入口が在る場所を見付け、入場券を求めて中に入ってみた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (11)
↑この日は好天だったので善かったが…中に入ると存外に歩く…

↓塀や石垣が複雑に組み合わされていて、大雑把に大きな螺旋形を描くように、天守閣へ向けた通路が設けられている。
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (13)
↑逆に言えば、侵入した敵勢の動きについて、螺旋形を描くように進むことしか出来ないように仕向けて、そうやって螺旋形に進んで来る敵を様々に迎え撃つ仕組みを造っている訳である…

↓ぐるぐると廻りながら天守閣に上った…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (2)
↑上層まで上る以前の段階で、外が見えると面白い…屋根や、植えられている木が美しい…どうしたものか「桜??」という花が咲いている木が在った…

↓上層の方へ向かうと、「嘗ての城下町」ということになるであろう、街並みも見えるようになる…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (22)

↓天守閣の屋根には、鯱も在る…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (4)

凄い人出で、天守閣に居た間に「一時的に入場制限」で入る人数を調整しているらしい場面も在った様子だった…

↓瓦には、城が現在の姿に整備されたような時期の城主だった池田家の家紋と見受けられるものが在る…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (6)

何か、城主の権威を示すような、華麗な建物が石垣の上に聳え立っている姫路城だが…未だ「戦国の余燼」というようなものも感じられるような、江戸時代初期に整備されたことから、「入り込んだ敵に、とことん抵抗する」ことを念頭に、随分と工夫されていることが伺えた…

↓天守閣内の見学は、原則的に一方通行で、見学を終えると出入口に通じる道へ向かう。途中に少し広い場所が在り、天守閣を見上げることが出来た…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (10)

↓こうした「櫓状の構造物が重なるように見える様」というのが、意外に好きだ…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (8)

↓然程、注目されていたのでもないが…「柑橘類の木」というのは「北国の人間の目線」では「おぉ!」と注目してしまう…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (13)

結果的に…姫路城に関しては2時間程度歩き回ったことになるであろうか…関西入りした直後から、いきなりエネルギーを随分使った感であったが、それでも「念願叶った」という満足感、「大修理完成の年に視られた」という「幸運だった!」という感じ…忘れ難いものである…

↓こういう角度が、何となく「御馴染な画」かもしれないが、姫路城は視る角度が変わると、表情が異なる…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (21)
↑恐らく、違う時間帯に視ると、様子も大きく異なることであろう…

また今般は「修理完成直後」なので、手が入った場所はピカピカで、何か「新造の城の出来栄えを満足げに検分する城主…」というような気分にさえなった…そういう、少し不思議な気分も味わいながら考えたのだが…また居合わせた“ガイドツアー”的なグループの皆さんの中で話題になっていたのが聞こえたことでもあるが…藩政時代には、現在は大きな広場になっているような辺りに“御殿”と呼ばれた、城主の公邸であって政庁というような建物が在り、藩政に携わる人達や、日常の細々した仕事をするような人達は、その御殿に居た筈で、天守閣は「城の防衛戦が発生した場合に将士が立て籠もる」場所と位置付けられ、建物の管理をする役目とされた少数の人達が出入りするに留まっていた筈だ…そういう場所に、「入場者数の調整」という場面も発生する程度の、大勢の見学者が訪れている…建設に携わった人達も、ここの管理に携わったであろう藩政時代の関係者も、こういう事態は想定していなかったことであろう…

姫路城は、訪ねてみて「なかなかに満足度が高い」場所である。そして、存外―訪ねてみるまで、もっと小さな場所が現在の城のエリアになるのだと勝手に思っていた…―に広い場所で、入場券を求めて入るエリアは上り下りの多い複雑な経路が組まれていることで、見学には存外に時間を要する…或る意味では、より広い場所である筈の大坂城や名古屋城よりも見学時間は多めに必要な感さえする…

今般は、「とにかく一度視たい!!」ということで姫路城に足を運んでみたが…また、機会を設けることが叶うのであれば、是非とも立寄ってみたい感である…

↓多数の姫路城の画を含む、10月22日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 22, 2015

広島の路面電車:北九州からやって来た602(2015.10.28)

路面電車が愉しいと思うのは…様々な時代に製造された、新旧の車輛が各々に元気に軌道上を往来している様子が視られるからなのだが…広島は殊更に多様な車種が見受けられる…

↓こんな様子!「美しい!!」と思った…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑“アーバン・グレイ”とでも言うような色合いの街並みに、赤とクリーム色のやや年季が入った路面電車が映える…やや細身のシルエットが美しい!!

この602という車輛…3輛在った600型の中、唯一残っている車輛だという。1輛は事故関係で損なわれ、もう1輛は老朽化で不具合が目立つようになったことから廃車になったそうだ…

この602は、1975年に西鉄が北九州市内の路面電車を廃止した関係で余剰となった車輛を、車庫火災で車輛が不足していた広島電鉄が引き取り、1976年に広島へやって来て活躍するようになったのだという。北九州時代は500型と呼ばれていたもので、初登場は1948年である。既に67年経つ!!

1970年代辺りには、各地で路面電車の縮小や廃止が相次いでいたが、そういう時期を中心に路面電車がマダマダ活躍中の広島へ各地からやって来たという車輛が多く存在する。それらの中には現在も運航中である車輛が多く含まれており、広島の軌道は「動く博物館」の様相を呈しているかもしれない…

それにしても…たった1輛だけ残った602…主に、運行密度が濃い朝のラッシュ時を挟む時間帯で動いているようだが…永く活躍し続けて欲しいものだ…

改装された日田駅の駅舎(2015.10.27)

以前から、何となく日田に興味が在り、今般は小倉から福岡を目指す際に、彦山線の小倉・日田間の列車に乗車し、日田から久留米に出て、そこから博多駅を目指す経路を辿ることを思い付いた…

↓これが日田駅の駅舎である…
Hita Station's building on OCT 27, 2015 (1)
↑建物そのものは、決して新しい感じでもないが…「手が入った」と思わせる雰囲気であった…

日田駅は久大本線の駅であり、彦山線の列車も乗入れている駅だ。現在の駅舎は1972(昭和47)年に完成したものであるという。そのように言われてみると、なるほど「昭和40年代から昭和50年代位の建物」という雰囲気が在るように見える…

↓到着した列車から降りてみる…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (1)
↑小倉からの列車が着いたのは、駅舎に接しているでもないホームである…

このホームから、跨線橋ではなくホーム端の階段を下り、地下方式の通路を経て改札を通って駅舎に出ると…新しい木造建築に入り込んだ際の、「新しい木材の芳香」のようなものが感じられた…

一寸調べてみると…2015年7月から「おんせん県おおいた」という“ディスティネーションキャンペーン”を催すことになって、それに合わせて改装を行ったとのことである。2014年から工事を行い、2015年3月に竣工してオープンしたようだ…

↓日田駅の改装竣工を伝える報道…
>>JR日田駅:木の香り漂う駅舎 42年ぶりリニューアル /大分 毎日新聞 2015年03月29日 地方版

日田の辺りは、古くから林業が盛んな地域であった経過も在り、<日田杉>という木材が知られるらしいが、改装に際してはそうした木材を積極的に取り入れたようだ…

↓驚いたのはこれである…
Hita Station's building on OCT 27, 2015 (3)
↑インテリア会社のショールームではない…日田駅の待合室の一部である…

多少驚きながらも、インテリアの感じを視て「所謂“水戸岡デザイン”であろう…」―博多で展覧会を催していたことが在って、折良く博多に居合わせたのでゆっくりと見学したことが在り、巧く言葉にし難いものの、何となく水戸岡氏の“特徴”というようなものが頭の中に在る…―と思っていたが、そのとおりだった。JR九州関係で「弁当の包み紙から新幹線車輛まで」と大活躍の水戸岡氏がデザイン監修で、この日田駅の改装は進められたようだ。

「昭和40年代から昭和50年代位の建物」という雰囲気が在るように見える形状―各地の「○○地域の中心的な都市」という雰囲気の一寸した規模の街で、見掛けるような感じの建物だと直ぐに思った…―だが、少し思い切ってダークグレーの塗装としてみると…何か「新しいデザイン」ということで雰囲気が随分と変わるように思う。そして地元の地名を冠した<日田杉>という木材さえ在るということで、大胆に木造、または木造風な設えを、辺りに木材の芳香が漂う程度に豊富に採り入れている…気になるお値段だが…上記に引いたリンクの報道によれば「1億円」だそうだ…建物を新たに建てるのであれば、その5倍も10倍も必要であろう…

「昭和40年代から昭和50年代位の建物」と言えば…概ね40年ということになり、場合によっては少々の傷みや、「旧い…よな…」という雰囲気も漂うのであろうが…この日田駅の駅舎は、そういう感じ方とは無縁であった。私は建物の型等から「改装」と直ぐに思ったが、例えば関係者等に「新築です!!」とでも言われたら、多分それを信じると思う…

強く感じたのは、この日田駅の駅舎改装のように、多少古くなって、場合によって草臥れた感じであろうと、熱意在るデザイナーを迎えて工夫するようなことをすれば、最低限の改装工事費で「好い雰囲気だ…」と思えるようなモノを造ることが叶いそうだということである…

日田に立寄った際には、この日田駅の駅舎のように「こういうの…好いなぁ…」と思ったことも、「もう少し何とかならないのか?」と思ったことも在った。何れにしても、古くは鉱山関係の輸送手段であったという彦山線を経て辿り着いた日田の訪問は、然程長くはなかった滞在ではあるが、大いに記憶に残るものとなった。

鹿児島の路面電車:<かごでん>=101(2015.10.24)

鹿児島の路面電車は、1912年12月1日から運行を始めたとのことである…

この運行開始から100年という2012年12月1日、「101」の車番を与えられた車輛が新たに運行を開始している。

↓今般、その「101」に乗車する機会を設けることが出来た。
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (16)
↑鹿児島中央駅前に登場した様子である・・・

「101」は、詳しく言えば「百之壱」である。これには「100年目の記念に1輛造られた特別車」という含意が在るらしい。「鹿児島の電車」という程の意味も込められているのであろうが、<かごでん>という愛称も与えられている…

鹿児島で路面電車を運行している鹿児島市交通局では“観光電車”というものを運行している。休日等に運行するもので、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前に至った後、高見馬場から郡元へ向かい、郡元から鹿児島中央駅前に向かうという具合で、鹿児島駅前での10分間程度の停車を挟んで約70分間で市内の路面に敷設されている軌道を、概ね一周するものだ。料金は、鹿児島駅前を挟んで「2回乗車した」という扱いになり、2回分の運賃で乗車可能だ。車内では、地元のおじさんやおばさんがガイド役を務め、沿線の様々な話題を伝えてくれる。「市内巡り観光バス」を路面電車で実施してしまうような企画である…

鹿児島では、新幹線によって他地域と往来し易くなることを受け、「来訪者が気軽に愉しんで、鹿児島のことをよく知ってもらう取組」という機運が盛り上がったらしく、“観光電車”もそうした中で登場したようだ。当初は<ユートラム>、<ユートラムII>というような、鹿児島市交通局が誇る新しい低床型電車が“観光電車”に投入されていたらしいが、「電車開業100年記念事業」の一環というようなことで、“観光電車”を「主な役目」とする車輛を仕立ててしまったのだった…それが<かごでん>である…

<かごでん>は、開業当初の大正時代から昭和の前半位までに見受けられた、「角張った型の木造車輛」をイメージした車体を設え、旧い足回りの上に載せてしまった“大改造”の車輛である。これが実に美しい!!

2012年12月、この実に美しい<かごでん>が登場することを知り、鹿児島に立寄って車輛を視て、更に乗車もしたのだったが…今般、肥薩線の各列車を乗り継いで鹿児島に至って夜を明かした後、次の場所―結局バスで宮崎へ向かったのだったが・・・―へ向かうまでに時間が在ること、加えて丁度運行の日でもあることから、<かごでん>に乗ってみることにしたのだった…

↓<かごでん>は車内も美しい!!シートは、赤系の薩摩切子をイメージした柄の、特注のクロスで覆われている…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (17)
↑その他、細々とした箇所は、難燃性の部品に極薄の板を貼って仕上げるような手法で「昔の木造車のような風情」も醸し出すようにしている…

↓好天の街を悠然と走り、鹿児島駅前に到着したところである。鹿児島駅前では、フォーク状に3本の軌道が配されて屋根が被った場所を停留所としており、ここに入った電車は小休止をして、またそれぞれの行先に向けて発車して行くようになっている…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (18)
↑左が<かごでん>…真ん中が、5連接構造で車体を延長して乗客定員を増やした低床型の<ユートラムII>…右は鹿児島に初めて導入された低床型の<ユートラム>で、本来は黄色の塗装なのだが、最近は御覧の赤のような広告塗装(ラッピング)も増えている…

↓概ね10分間の停車の中、他の軌道の車輛は入れ替わり立代りだった…こうして佇む<かごでん>…実に美しい!!
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (21)

↓出発が近付き、隣に2121が並んだ…2121の2100型は、低床型が普及する少し前辺りの時代の車輛で、方々で見掛ける路面電車によく在るような雰囲気だ…そういうよく在りそうなデザインと並ぶと、「旧いモノ」をモチーフに造った<かごでん>の個性が際立つ感じである…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (24)

↓停留所名が示すように、JR鹿児島駅の入口の前に在る訳だが、天候条件によって背後に桜島の一部が姿を覗かせる…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (30)
↑路面の軌道だが、交差点のような一部箇所を除き、原則的に芝生が敷かれている。音が静かになり、周辺の気温上昇を多少押え、照り返しが抑えられるので運転し易いというような、様々な長所が在る芝生敷き軌道であるが、「緑のカーペットの上を電車が往来」というような美しい光景を醸し出している。この芝生も、交通局で随分と工夫してメンテナンスを行っているらしい。何時視ても、芝生が綺麗で感心する…

↓「物凄く古い車輛」のようだが、「実は新しい」という辺りが、何か妙に面白い…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (27)
↑鹿児島駅前で停車していた間、随分と写真を撮った…

この日、鹿児島の街では間近に近付いていた<おはら祭り>への備えの、提灯の飾り等も一部に見受けられたことから、ガイドさんは大勢の市民が繰り出して踊る祭りについて、電車も含めた車輛全般の通行を停める様子を話して下さった。そういう話題も含め、なかなかに愉しいお話しを伺えた…

↓やがて電車は鹿児島中央駅前に引き返して来る…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (31)
↑自身で乗車した機会以外にも、鹿児島で何度か見掛けているこの車輛だが…再び乗車する機会を設けることが叶い、実に善かった!

<かごでん>は、“観光電車”の他に“貸切”で運用されている場合も在るそうだ…或いは…「開業100年記念」で登場したこの電車が「開業200年」の日にも元気で走り続けている…ということを願いたい…

いずれにしても…<かごでん>は「何度でも再会したくなる」ような車輛である!!

大阪:「セント・ラファエロチャペル御堂筋」(2015.10.30)

奈良を発って京都に至り、更に大阪に至って天王寺の宿に落ち着いた。早速に「大阪の街を少々歩いてみよう…」と思い立ち、荷物も置いて身軽になったところで地下鉄に乗り、なんば駅で下車した…

なんば駅から道頓堀周辺に出て、御堂筋を少し歩いてみた。既に日が落ちて、街の灯りが目立ち始めたような時間帯である…

<御堂筋>という名は、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来するのだそうだ。どちらの御堂も訪ねたことは無いが…大阪市の北区から中央区にかけての延長4,027メートルの道路を指すのだという…丁度、地下鉄の御堂筋線が通っている所の上に相当する訳だ…

御堂筋を歩いてみると、見慣れない種類の車が飾られた外国車のディーラーや、宝飾品や高級ファッションに明るい訳でもなくとも名前位は聞いたことが在るようなモノの看板も見え、何となく華やかな感じがする…

↓そうした御堂筋で、こんな建物を視掛けた…
Evening walk on Mido-suji str., Osaka on OCT 30, 2015 (6)
↑何か、酷く重厚な感じがする…暫し眺めて、思わず写真を撮ってしまった…

聞けば…この建物は結婚式場なのだという…一寸驚いた…

阪堺の路面電車:501(2015.10.30-31)

大阪の天王寺駅近隣に、幅が広い道路が交差している十字路が在り、十字路の上で環を描くようになっている大きな歩道橋が設けられている。奈良から京都を経て大阪に入り、天王寺に至ってこの大きな歩道橋に至った時、歩道橋の下に阪堺の路面電車の停留所が在ったことを思い出した…

↓「あの方角か?」と様子を伺うと、停留所が見えた…
Tennoji, Osaka on OCT 30, 2015 (1)
↑少し年季が入った感じの車輌が停車中だ。鮮やかなオレンジ色の広告塗装が施されている…夕刻に入って、少し忙しい時間帯だ。こちらから視て、右側が下車した人達で、左側が乗車しようとしている人達であろう…

この鮮やかなオレンジ色の車輌…今般の旅で、初めて視た阪堺の電車ということになった…

翌日には、1日乗車券を求め、視掛けた阪堺の路面電車を利用して沿線を巡るというプランを温めていたのだったが、何か「年季が入った感じのデザインである車輌に鮮やかな塗装」という車輌を視掛けて、非常に心が弾んだ…

↓翌日…前日に天王寺駅前で視掛けた車輌と再び出くわした…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑住吉大社の近くである…

日が高くなっている時間帯で、街が“アーバン・グレイ”とでも呼ぶべき色彩に見える中、路面電車のオレンジの塗装と、その塗装で際立つ独特な形状が「光って」視える…

↓「昭和の風情」という形状であるが、運転台上の行先表示は、電光掲示のモノに改装が施されている…他方で、金属板のプレートに“ワンマンカー”と書いたモノを運転台の下辺りに掲出している…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑何か、新旧様々なモノが微妙なバランスで結び付いたような…不思議なムードの車輌だ…

これは“モ501”という型式の車輌で、1957(昭和32)年に登場している。阪堺電気軌道が現在の会社体制になる以前のことで、南海が帝國車輛工業に発注したモノだという。

“帝國車輛工業”というのは…1890年頃に堺で起こった個人の工場が母体となっていて、1941年に“帝國車輛工業”という社名にしたのだという。鉄道車輌の製造等を手掛けた会社だが、1968年に東急車輛製造と合併していて、現在は無い会社である…

“モ501”は501から505の5輌在る。1976年にワンマン化の改造が行われ、1985年から1986年にかけて冷房が施された。2013年には行先表示の方向幕がLEDランプの電光掲示に変更され、運賃箱も新しいモノに換え、ICカードの読取機器も設置したのだという。それでも“ワンマンカー”のプレートを従前と変わらずに据え付けているのが面白い…

↓その後、我孫子道停留所近くの車輌基地でも視掛けた…
Hankai Tramway Co. at Abikomichi, Osaka on OCT 31, 2015 (6)

この501は「1957年登場」というから、「もう直ぐ還暦」ということになる車輌である。ワンマン運行…車内の冷房…ICカード乗車券への対応…どれも時代が移ろう中で「当然化」して行ったもので、この車輌は必要に応じて、初登場した時には考え難かったそれらに対応しながら、時を超えて街を走り続けている…広告塗装―これも初登場した時代には考え難かったモノかもしれない…―のオレンジが凄く目立って、強い印象を受けたのだが、何かこの車輌…凄く愛しくなる雰囲気が漂っている…

京都・島原(2015.10.30)

過去の国内旅行で、何度も京都には立寄っている。そうした中、2010年12月には島原地区に立寄った経過が在った。偶々読んだ『輪違屋糸里』という小説が気に入って、その舞台となった島原地区を視てみたくなったのだ…

今般…近鉄奈良駅から近鉄の急行列車に乗車し、京都駅に着いた後、西本願寺を訪ねてみようと歩き始めた。“東”は寄ってみた記憶が在ったが、“西”には寄った記憶が無いというだけの理由で、何となく向かったのだった…

その途中…“島原”という地名が登場する案内を視て、「西本願寺そのものには立寄っていないが、直ぐ傍までは来ていた…」と気付いた。京都は方々に旧跡が在るので、そういうことも在るであろう…

寄ってみた西本願寺で、掲出された案内を視て新選組を思い出した。西本願寺の敷地そのものが、新撰組の屯所として利用された経過が在ったのだが、その事実以上に「強く響いた」のは、かの土方歳三と共に箱館の戦いに参加し、戦いに敗れた後には京都に住んで、晩年は西本願寺の太鼓楼で管理人をしていたという島田魁という人物に、掲出されていた案内は言及していた…

そんなことが在って…妙に島原に寄ってみたいと思った。新選組は「壬生浪士組」と呼ばれていた草創期には、西本願寺より少し北の辺りの壬生に屯所が在って、隊士が増えて行った中で西本願寺に移転している。その京都で活動した彼らが、一貫して出入りしていた歓楽街の一つが、西本願寺の少し南辺りに在る島原だ。

気に入っている小説の『輪違屋糸里』というのは、「壬生浪士組」が登場し、新選組として武名を馳せて行くようになるような時期の島原が舞台の物語だった。主人公は、島原の遊郭である輪違屋(わちがいや)に居た女性、糸里である…

物語は糸里や他の女性達の目線も交えながら、「壬生浪士組」が「新選組」と成って行く、体裁を整えて行く時期のことが描かれている…

清河八郎の献策により、「上洛する将軍の警護」を名目に集められた浪士隊に参加した者達は、京都に着いて間もなく、清河八郎の発案で江戸に引き返してしまう…その江戸へ引き返すということになった時、「それはおかしい!!」と強く異論を唱えた者達が在って、彼らは京都に残留し、「京都守護職御預」ということで、形式として京都守護職を務めていた会津松平家の指揮下で「壬生浪士組」を立ち上げた。

この草創期の「壬生浪士組」…大別すると“水戸派”と“試衛館派”とに分かれていた。後者の“試衛館派”は、江戸の道場である試衛館の関係者で、近藤勇や土方歳三等が居た。“水戸派”は芹沢鴨を中心とする一派だ。「壬生浪士組」は芹沢鴨の矯激な振舞い、蛮行というようなことが在って、怖れられ、同時に忌み嫌われる面も在る存在になって行った。そして、それが「行き過ぎ」ということになり、やがて“試衛館派”が“水戸派”を排除するようになる…

物語の中では、“試衛館派”は「真の武士になりたい男達」として描かれ、“水戸派”、殊に芹沢鴨は「“武士になりたい男達”が踏み越える壁のように存在する武士」という具合に描かれる。糸里の他、女性達は両派の男達の間で揺れ動いている…

少し長くなったが…上述のようなことを考えながら、西本願寺辺りから、途中で<鰊そば>を頂きながら島原を目指した…

↓これが島原の入口である大門だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑恐らく、新選組の面々も、肩で風を切るかのようにしてここを潜ったことであろう…またこの場所には、西郷隆盛や久坂玄瑞というような人達も足跡を残しているという…

島原は、1641年に現在位置辺りに移転した。「島原」という呼び名は、移転した時の騒動が<島原の乱>の乱れた様子に似ていたためという説や、周りが田原であったため、島に譬えて呼ばれたという説等、諸説が在るそうだ。

↓これが<輪違屋>だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (5)
↑辺りが一般の住宅等になっている中、現在でも芸妓を擁して営業しているという…

↓江戸時代の造りを伝える建物が好い…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓こちらは<角屋>だ…幕末期には、大きく立派な店として御馴染だったようだ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (10)
↑新選組が集まりに使ったことでも知られる…

↓<角屋>は、現在「島原」と呼ばれる地区が成立した頃から在ることになる…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (13)

↓島原を抜ける辺りに、島原住吉神社が在る…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (14)

この島原住吉神社を抜けた辺りに鉄道の高架が見えて、京都中央卸売市場の一隅の脇を通って、JR丹波口駅に行くことが出来る…

何か、久し振りに「あの新選組の面々が動いていたであろう地区」を歩いてみて、何か幕末関係の小説を読んでみたいような気分になった…そういうことを想いながら、丹波口駅から京都駅へ移動し、私なりの流儀での京都市内巡りを続けたのだった…

広島の路面電車:原爆ドームの傍を行く352(2015.10.28)

広島については2009年と2010年に立寄っているが、「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」というようなことはしていなかった…2009年は原爆ドームや資料館を視た後に呉へ向かった…2010年に関しては門司港から移動開始で本州に上陸し、雨天の中で大阪方面を目指した中、一寸だけ広島駅周辺で寛いだという次元の立寄り方だった…

そういう訳で、広島で「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」というようなことを是非やりたかった…今般、九州上陸後に“帰国”のフライトに向けて関西方面に引揚げる必要性が生じていたが、「途中で広島に寄る」というプランが浮上した。方法として…「福岡からの夜行バス」が好いと思い、博多駅に隣接するビルのターミナルからバスに乗った…

バスそのものは福山まで行く。宮島サービスエリアで停車し、広島市の領域に入ってからは幾つもの停留所で下車可能だが、広島での主要な停車は広島のバスターミナルということになるであろう。私自身も含めて、多数の乗客が下車していた…

広島のバスターミナルは紙屋町に在る。紙屋町は商業施設も目立つ「広島の都心の一画」という趣の地区だ。よく視て覚えていた地図では、あの原爆ドームが近い…

明るくなり始めている広島の街に入り、とりあえず原爆ドームを目指した…後から「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」ということをやってよく判ったが、紙屋町で色々な路面電車の路線が交わっているので、道すがら幾つもの路面電車の軌道を見掛けることとなった…

原爆ドームを紙屋町寄りの側から視た後、川の側から視ていた。やがて川の側の近くにコンビニを見付け、珈琲を求めてみるなどして一息入れていた…

↓「さて、どうしようか…」と動き始めた時、こういう様子を見掛けた…
An old tramcar with A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (2)
↑背景に原爆ドームが見える状況で、少し年季が入った路面電車が走っていて、信号待ちをしていた…

この352…1958(昭和33)年に851~853ということで登場した車輛の中の1輛である。既に57年間も運用されていることになる…当初は850型と呼ばれていたが、1971(昭和46)年に350型と改称されて今日に至っている…当初は宮島方面へも向かっていたが、1971(昭和46)年以降は市内線で運用されている。

「背景に原爆ドームが見える状況で、少し年季が入った路面電車」という、「広島らしい!」と思える光景をいきなり視てしまった…結果的に「数え切れない程度に路面電車に乗車した」ということとなった1日のスタートだった…

美々津(「日本海軍発祥之地」他)(2015.10.26)

↓美々津(みみつ)駅である…日豊本線の無人駅である…画の待合所が設けられ、ホームと跨線橋が在る…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (2)
↑宮崎駅から北上すれば1時間弱で、延岡駅から南下すれば40分強の場所である。何となく「宮崎・延岡の中間点のような感じ」と思えた…

↓九州各地で活躍する、正面の黒いカラーリングが渋い817系電車で到着してみれば、行き違いの787系電車による特急列車が駅で待機していた。特急列車の方は、817系電車が走行していた“単線”の箇所が空いたことを受けて直ぐに発車した…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (1)

今般、最終的には“帰国”のフライトに搭乗するために関西方面に戻らなければならなかったのだが、その前に九州北部への移動を企図した。宮崎から、日豊本線を北上すると<旅名人の九州満喫きっぷ>で乗車可能な普通列車だけで、夜遅くに小倉にまで至ることが出来る…延岡から北側、県境を越えて大分県の佐伯に至る区間が、極端に普通列車が少ない“ボトルネック”になっているのだが、その区間を行く夕方の列車に間に合うように、宮崎県内での道草ということにした…

美々津…“津”という文字が示すように、古い港である…室町時代には明国とを往来する船が寄港していたそうだ…戦国期には大友家と島津家の日向国を巡る争い―大友軍が島津軍に敗れた「耳川の戦い」の耳川も近いようだ…―に巻き込まれた場所で、江戸期に入れば高鍋秋月家が物資輸送拠点として利用していた。明治期にも西南戦争時の戦闘が近くで行われたらしい。現在では宮崎県日向市の一部である訳だが、港としての独自な歴史を伝える古い町並みが知られる。

古い町並みが知られる美々津だが…更に言えば、ここは神武天皇が東征に出発した場所であるとも伝えられているのだ…

↓美々津駅の案内掲示を参考に、宮崎県の海岸線を貫いて大分県側と結ばれているように見受けられる国道に出て、20分程も歩いたであろうか…こんな看板が見えた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (1)

↓看板に導かれて歩を進めると、両側が木立に覆われた細い路の向こうに、「映画撮影のセット?」を想起するような、如何にも「古い町並み」という雰囲気の家並が覗いた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (2)

「月曜日の午前中」という時間帯であった…美々津は静かだった…本当に「映画撮影のセット?」というような感じもしたが、実際に「暮らし」が営まれていることが判るモノも色々と見受けられる。御近所の方が動き回っているような様子も散見した…

↓かなり古そうな建物も、寧ろ新しいように見える建物も混在していたように思ったが、一様に「古くからの様式」を綺麗に踏襲した建築で、「古い町並み」の趣が確りと護られているような感だった…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (11)

↓海が見える辺りに、不思議な記念碑が在った。旭日の軍艦旗が翻っている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (4)
↑これが「日本海軍発祥之地」の記念碑だ…

「日本海軍発祥之地」の碑は、1940(昭和15)年に神武天皇の東征の故事を記念し、出航の地と伝わる美々津から大阪まで航海し、「即位の地」と言われる場所に在る橿原神宮に“神楯”を奉献したということが在ったという。それを受けて1942(昭和17)年にこの記念碑が建立されたそうだ。「神武天皇が率いる船団」となれば…或いは「最初の日本海軍」ということなのであろう。“日本海軍発祥之地”という文字は、首相を務めた経過も在る、海軍大将の米内光政が揮毫しているそうだ…

↓神武天皇の船団に加わっていたと推察されるような古代の船が記念碑に付いている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)
↑宮崎神宮で展示されているのを観た<おきよ丸>の型の船だ…

↓軍艦の錨も、記念碑の横にモニュメントとして据えられている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (6)

美々津は、神武天皇の神話と結び付いている…それだけでも「相当に古い歴史を有する港」ということを想起させて余り在る…

↓家並が途切れる辺りで、海がよく見える場所が在った。
Sea at Mimitsu on OCT 26, 2015 (1)
↑少し大きくうねる浪の向こうに、少し大きな岩が在って、灯台が佇んでいた…

この美々津については、「遍歴の句人」とでも呼ぶべき、かの種田山頭火が1930(昭和5)年に立寄っている経過が在るのだそうだ。

「墓がならんで そこまで 波がおしよせて」
↑山頭火が美々津で詠んだと伝えられる句である…

山頭火が美々津に立寄った当時、家並が途切れて海がよく見える辺りに墓地が在ったとのことで、墓地の間近に大きな波が寄せている様を詠んだらしい…

こういう事がさりげなく紹介されていたりしたが…私が思い出したのは…「どうしようもない 私が 歩いている」という山頭火の句だった…

↓国道側から家並に至った直ぐの辺りに、名前は知らないが、花が咲いていた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (13)

美々津というのは、何か「神話の時代」から「昭和」に至るまでの時間が、ひっそりと古い町並みの中に留まっているような、何処と無く不思議な場所であったように思った…そして「どうしようもない 私が 歩いている」等と思いながら、美々津へ至るまで歩いていた国道を駅の側へ引揚げ、延岡へ向かう列車を待った…

↓10月26日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 26, 2015

宮崎神宮(古代船<おきよ丸>他)(2015.10.25)

地元に帰着してみれば「終始肌寒い」状況下に在ることから、出先の「温かかった」感じが殊更に懐かしいような気がする。そうした意味で、「シーズン最初の雪」というニュースが在ったその日に「Tシャツ姿で戸外に…」という状況だった宮崎のことを何となく思い出す…

宮崎に関しては…鹿児島からバスで夜に着き、その晩と翌晩に連泊で滞在するということにした。好天にも恵まれたことから、10月25日の日曜日に、宮崎を起点に何処かを往復するようなことを考えないでもなかったが、結局「近隣でゆっくり…」ということにした。“緩急”の“急”というような雰囲気が続いたので、“緩”という時間が在っても悪くないと思った訳だ。

宮崎駅前から延びる高千穂通が橘通と交差する辺り、滞在した宿―他所の大きなビルの陰で見付け悪かったのだが、なかなかに居心地も好く、朝食バイキングで出ていた「鮎の炊き込み御飯」というのが妙に懐かしくなる…館内のコインランドリーも利用した…―の近隣から、ゆったりと橘通を進んで宮崎神宮に至った…

↓社殿等が在る辺りへ通じる道…街の真中のような場所から然程遠くもないが、何か「鎮守の森」という雰囲気が漂う木立が心地好い…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (5)
↑温暖な気候の故なのか、宮崎では「立派に育った木々」を視て感心する場面が多かった…

↓社殿が近付くと、何やら池が在った…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (1)

↓池に木々や隙間の空が映り込むのだが、何か「水の底にまで鎮守の森が拡がっている」ような、少し神秘的な感じがした。
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (2)

↓少し不思議な船が飾られていた…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (6)
↑これが名付けて<おきよ丸>…古墳から出土した船型の埴輪等を参考にして想像復元した「古代船」である…

<おきよ丸>は全長12m、全幅2.2mの船で、これは「神武天皇の東征」という神話に因むモノである。日向を治めていたイハレヒコ(後の神武天皇)は、船団を仕立てて美々津から東征に船出をしたと伝えられる。出航の日、夜明け前に「起きよ!」と近隣に触れ回って、東征に参加する人々を集めて回ったということも伝わっていて、それに因んで船を<おきよ丸>としたそうだ。

神武天皇の神話に纏わるモノが飾られている宮崎神宮は、神武天皇を祀っている神社である。古くから「神武天皇宮」、「神武天皇御廟」と称されていたものが、1873(明治6)年から「宮崎神社」を名乗るようになり、1913(大正2)年からは「宮崎神宮」となって今日に至っているのだという。

↓天皇関連の神社に見受けられる御紋が門扉に飾られている…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (2)

↓好天の休日で、七五三や結婚式という地元の皆さんが多く見受けられる感じだった…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (1)

↓結婚式が何組か行われている関係か、拝殿に巫女さんが居た…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (4)

宮崎神宮は地元では「神武さま」として親しまれているのだそうだ。日向国から日本の天皇になった「神武さま」…色々と御利益が在るのか?そんなことも思ったのだが、そういうこと以上に、遥かな昔からの「国を興した英雄」への人々の想いやエネルギーが渦巻いているような「場の雰囲気」に強い印象を得た。更に…近くの広場で青少年の剣道大会が賑々しく催されていて、元気な声が反響していた中、宮崎県立総合博物館に向かったのだった。

↓10月25日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 25, 2015

旧堺燈台(2015.10.31)

他地域へ出掛けてみる場合…全く未踏の場所を訪ねてみることも善いのだが…「あそこ…何か好かったよなぁ…」と記憶に残る場所を再訪、再々訪してみることも悪くはない。寧ろ、そういう再訪、再々訪は好きだ。

↓2010年12月22日に撮影していた写真である…
Sakai-HDR on DEC 22, 2010
↑南海の堺駅から10分少々歩いた場所だった…

今般、“帰国”のフライトに登場する前日は大阪の天王寺に泊り、阪堺の1日乗車券を駆使して沿線を巡って楽しみ、堺から列車で関西空港に向かうことを思い描き、実際にそのようにした。

なかなかの好天に恵まれ、阪堺の1日乗車券を駆使しての沿線巡りも愉しいものだったが、「そろそろ空港へ向かう列車を…」と思いながら、大小路停留所から堺駅へ向かう道すがら、「2010年に堺に立寄っていて…その時に視ている…」と幾つかの記憶に残るモノに気付いた時に思い出した。「駅からそう遠くない場所に、古い灯台がモニュメントになっている場所が!」とである。頭の中を巡っていたのは、上記の2010年撮影の画だ…

堺は“政令指定都市”ということで大きな人口を擁しており、大阪から堺を経て関西空港までは列車運行本数も十分で、「フライトに間に合わない!?」ということも無いと思ったが、一応「遅れないためには、この列車に乗れば…」を駅で確認した後、記憶を辿って灯台を目指した。

何時の間にか、前回訪問は「5年近くも以前」となっていたので、どういう経路を辿って灯台に至ったのかが、頭の中で曖昧模糊としていた…概ね一日を通じて蒼天に輝いていた太陽は、西寄りの空に大きく傾き始め、空の色はグラデーションを帯び始めている…高速道路へ通じる経路になっているような、妙に交通量が多い箇所も在って、何やら行ったり戻ったりを繰り返すような始末で、少々苦戦してしまった…

「ここまで至って…無念の撤退で駅で列車に乗るか?」と思い始めた時…

↓「在ったぁ!」と内心で快哉を叫んだ…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (2)
↑これが<旧堺燈台>である…

この灯台の位置は“旧港”の端に相当するという。1877(明治10)年―西南戦争の在った年…―に、堺市民の寄付や、当時の堺県からの補助で建てられたものであるという。以降、この場所で1968(昭和43)年―札幌医科大学で日本初(世界30例目)の心臓移植が行われたり、<プラハの春>に関連する「チェコ事件」等、多くの出来事が在った年…―まで稼働―91年間に及ぶ…―し続け、周辺の埋め立て等で灯台としての機能が損なわれてしまったことから、港の歴史を伝える記念碑のようになって現在に至っている。2000年代の初めに、老朽化が著しかったことから修理を施しているという。「現地に現存する木造洋式燈台」としては、国内最古のモノの一つで、1972(昭和47)年に国指定史跡に指定されたのだそうだ。灯台の高さは12mとのことである…

“旧港”の端に相当というが、灯台を視て左側に高速道路の高架の一部が見えて、遥か彼方に港湾施設が拡がっているように見える…随分と積極的に港を拡大して行ったという歴史に気付き、少し驚く…

↓昔は「“灯台”というのは、こういう感じ」というデザインであったのだろうが、現在眼にするモノとは少し違い、何か非常に個性的で美しく見える…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (5)

↓次第に西の空が染まって来る中、独特な形状が浮かび上がる…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (14)

この日、辺りにはカメラを手にした写真好きな人達の姿が見受けられた。私自身、この場所を訪ね易い場所にでも住んでいれば、相当な頻度で立寄って写真を撮るであろうと思う…日が相当に傾き、沈んでしまった後辺りには空の色が劇的に視える…そんな状況を眺めてみたいとも思いながら、「そろそろ駅へ行くべきか…」と思える時間帯に差し掛かり、「後ろ髪引かれる」という思いで、ここから辞去したのだった…

↓旧堺燈台の様子を含む、10月31日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015

人吉駅の<SL人吉>―到着後の様子(2015.10.23)

総移動距離が約5,300kmに及んだ旅で、夥しい写真を撮った。それらを順次整理しながら振り返っているが、「蒸気機関車の画」というものは、殊更に「早く整理して、ゆっくり観たい!!」と思う代物な訳で、帰着後に不意に出現した祝日の日中を利用して整理をしていた…

<SL人吉>車内で、隣の席におじさんが座ったのだが…

彼は、各駅の到着時刻案内が刷られたモノを視て「人吉?こんなに時間が?」と首を捻っている。そして、「この列車…速さはどれ位でしょうかね?」と私に話し掛けて来た。「恐らく時速40km前後では?最近の電車やディーゼルカーの列車は、速めな区間で時速90km位、場合によってそれ以上も出しているように思いますから…」と応じた。おじさんは「そんな感じかもしれませんね…」と納得した風だった。

実際、乗車していて感じる“速度感”は、各地の列車のモノとやや異なる。路面電車より速く感じるが、各地の普通列車が駅間で速度を上げている場面よりは明確に遅い…大きな街で乗車するバスに一寸似ている気もしていた。そこで、おじさんに尋ねられて「時速40km前後では?」と応じたのだった。

沿線の風景をゆっくりと愉しみ、停車駅でも機関車の様子を外で眺めるなどして、列車は人吉駅に到着した…

↓凄い“存在感”だ…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (1)
↑人吉駅では、この<SL人吉>を迎える人や、観に来た人が大勢居た…

↓暫くの間、ホームに<SL人吉>は停車している…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (6)

熊本から人吉に南下して来た列車は、この後に人吉駅に近い車庫に一旦下る。そこで機関車に石炭と水を補給し、ターンテーブルで方向転換をして出発準備をし、人吉駅に登場する。そして列車は人吉から熊本に北上する…

やがて、車庫へ向かうために列車が動くので、ホームに集まって機関車を眺めている人達等に注意を喚起する案内放送が流れる…

↓こういう具合に、バック運転で車庫に向かって行く…思わず動画機能を駆使してしまった…


何かこの、バックで車庫へ向かう様子を視ていて…「ありがとう“ハチロク”…」というフレーズが頭の中に浮かんだ…

この後、<いさぶろう>、<はやとの風>と各列車を乗り継いで鹿児島へ向かったが、列車まで時間が在ったので少し駅の外で過ごし、やがて駅に戻った…

<いさぶろう>に乗車しようとホームに出てみると…

↓「あっ?!居た…」と口を突いてしまったが、機関車がホームから見える位置に在る車庫に入っている…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (22)

↓こういう感じも…「好いなぁ…」と暫し眺めてしまった…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (19)
↑白い煙に「隙間の光」が射し込んでいる…車庫の壁が左端に見えるが、石造である…

今般は<SL人吉>の席が取れて乗車出来たことが幸運だったが、運行日に好天に恵まれたのは更に善かった…非常に愉しかった!!

熊本駅の<SL人吉>―出発前の様子や客車内(2015.10.23)

平日のやや遅めな時間の到着限定であるという、安価な“素泊まりプラン”を提供していた熊本市内の宿で朝を迎えた。「樺太や台湾に至るまで同型機が動いていた、大正生まれの8620型が牽引」という列車、<SL人吉>への期待が高まっていたのだが、一寸戸外を伺うと、輝くような南九州の青空が拡がっていて、著しく気持ちが昂揚した。

こういう時には、著しく気持ちが逸り、目的の場所へ異常な程に早く向かってしまうことが往々にして在るのだが…宿の近所で仕入れた“おでん”を朝食に摘み、珈琲も求めて気を静めて、<SL人吉>が熊本に現れるのを「少しばかり待てば…」程度の時間帯を目掛けて出発した。

熊本駅で駅員さんに尋ねると、<SL人吉>は出発の20分程度前に現れることが判った。多少駅前の様子を伺って、それからホームへ向かうと好い程度だった…

3月から11月までの運行で、地元では「酷く特別」でもなかろうし、平日であったことから「到着を待つ」という人はそれ程多い感じはしなかった…

熊本駅の在来線は、地上部のホームと、高架部のホームが在る。<SL人吉>は高架の側に現れる…

↓熊本駅に<SL人吉>が現れる時は、こんな具合だ…デジカメの動画機能で撮ってしまった…

↑列車の後尾にディーゼル機関車を連結し、後尾から列車が牽引されて現れる…発車時には、蒸気機関車を先頭に進むようになる…ディーゼル機関車は、何時の間にか切り離され、静かにホームから出て行ってしまう…

↓列車が停止すると、機関車の見易い位置に半ば駆け足で寄ってしまった…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (1)
↑大正生まれの機関車だが、磨き上げられてピカピカだ…

↓恐らく、石炭を加えた際に黒い煙が煙突から吐き出されるのであろう…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (2)
↑蒸気機関車の煙は、白いモノや黒いモノが混じっていて、視る都度に様子が異なっている…

↓蒸気機関車にマッチする黒系の客車…乗降口には「ハチロク」という機関車の愛称を想起させるロゴマークも入る…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (26)
↑古い車輌に見受けられるように、号車番号や行先表示は、「プレート(ボード)を嵌める」方式が採られている。それでも、「黒地に金文字」に揃えられている…

↓客車の中…昔の車輌を想起させる、木製風(実際には金属等の車体に板を薄くしたモノを貼るのであろう…)な感じで、クロスシート方式に座席を配している。
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (21)
↑「鉄道車輌の中」という雰囲気でもあるが、寧ろ「街の洒落たカフェ」という風でも在るように思った…

↓私が陣取ったシート…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (22)
↑本当に、カフェやホテルのロビーで視掛けるような椅子に似た座り心地だった…

↓3輌編成で、1号車と3号車には画のような展望ラウンジが設えられている。
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (25)
↑私自身は2号車に陣取ったが、2号車には売店が在る…そうした設えであることから、3輌編成では在るが、一般的な列車よりも座席数は少なめだ…

↓次第に乗客も集まり、機関車の運転台でも準備が整って来た様子だ…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (20)

↓発車が間近になる…車掌さんがハンドベルを鳴らしながらホームを歩き、乗客に乗車を促す…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (27)
↑やがて「発車ッ!!」と大きな掛け声が聞こえ、汽笛が鳴り、列車は進み始める…

青空の下、<SL人吉>はゆっくりと進み始める…平日とは言え、「僅かな空席」という程度で、小さな子どもの居る親子連れからお年寄りまで、幅広い層の乗客がそれぞれの想いで乗車していた…

鹿児島の路面電車:<ユートラムII>に<ユートラム>が後続(2015.10.23)

九州へ上陸すれば…<旅名人の九州満喫きっぷ>というモノが在る…

この<旅名人の九州満喫きっぷ>というのは、JR九州の各駅窓口で購入出来る乗車券なのだが、<青春18きっぷ>の要領で、有効期間の間に連続、不連続を問わずに3日間利用可能で、普通列車には乗り放題である。加えて路面電車や地下鉄も含めた九州各地の私鉄にも乗車可能である。当初は、季節を限定して発売していた様子だが…現在は年中何時でも売っている!!ということは…年中何時でも「<青春18きっぷ>の旅」が出来て、加えて「第3セクター鉄道等の区間も、1枚の券でそのまま移動出来る」訳で、「大変に有難い!!!」代物である。

今般…この<旅名人の九州満喫きっぷ>と、利用不可である特急列車乗車区間は別途に乗車券を求め、熊本から鹿児島へ南下した…精確には、熊本市内の宿に間近だった新水前寺駅から熊本駅の区間から<旅名人の九州満喫きっぷ>の仕様を開始した。

この<旅名人の九州満喫きっぷ>が有難いのは…例えば鹿児島中央駅に到着した後、「鹿児島市内で動こう…」と鹿児島中央駅前停留所に行って路面電車に乗る際、そのまま券を乗務員に提示すれば乗車が出来てしまうということである!!

鹿児島市内に関しては…既に何箇所か「お気に入り!!」な場所も在る。陽が傾きかけた時間帯に鹿児島中央駅に着き、他方で夕食を愉しむには「やや早め?」に感じられる時間帯でもあったことから、路面電車で少々動いた…

<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、鹿児島の路面電車に乗車…“1日乗車券”で乗車する時の要領で、下車時に券を乗務員に提示するだけのことだ…

そうやって動き回り始め、「そろそろ日が沈んだか…」と思いながらいづろ通から電車に乗った…

↓こういう様子が見受けられた…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (3)
↑信号停止の間隙にシャッターを…なかなかに気に入った画となった…

乗車していたのは<ユートラムII>という愛称が与えられた7000型…何やら「アニメに登場する○○メカのコックピットを連想するような雰囲気の運転台…」と後部の空いている運転台を眺めていると…後続する電車が接近…黄色い車体の電車は、<ユートラム>の愛称を持つ1000型だ…

7000型<ユートラムII>も、1000型<ユートラム>も低床型の新しい車輛だ。

鹿児島で「新しい低床型車輛を導入」ということになった際、1000型が登場して<ユートラム>という愛称が与えられた。3連接方式で“低床”を実現した車輛だ。

やがて新幹線の部分開業等も在り、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前までの天文館地区を抜ける区間を中心に利用者が増え、「1000型は快適な他方、やや狭く、多めな乗客が乗り悪い場面も…」という話しになって来た…そういう時期に登場したのが、<ユートラムII>の愛称が与えられた7000型である。これは1000型と似たような仕組みながら、5連接にすることで車体長を延ばし、その分で乗車可能な乗客数を増やした訳だ。

↓これは鹿児島駅前での画だが、右側が7000型<ユートラムII>だ…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (17)

↓これも鹿児島駅前での画だが、左側が1000型<ユートラム>だ…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (8)

こうした低床型の新しい車輛…外見が好いばかりではなく、実用面でも優れている。鹿児島では、車椅子の方が単独で電車に乗降している様子を何度か見掛けているのだが、低床型の車輛は「誰でも安心して乗降」出来るのが何と言っても善いと思う。

今般立寄った鹿児島では…残念ながら宿泊施設を取り損なったのだが…それも主な要因と見受けられるのが、路面電車を活かしたまちづくりに関する大きな会議が開催中で、各地の人達が相当数鹿児島入りしていたからだったらしい…そうした意味でも、鹿児島の路面電車は、あの街の未来に在っても一定の役目を担い続けることであろう…

↓鹿児島に到着した日に乗車、または観た路面電車の画を含む、10月23日撮影の画が掲載されたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 23, 2015

白石駅(肥薩線)に停車中の<SL人吉>(2015.10.23)

「10月下旬」を「旅の時季」としたのは…“イベント列車”、“観光列車”として運行される「蒸気機関車が牽引する列車」を観たい、出来れば乗車したいという想いが頭の隅に在ったからである…

<SL人吉>とは、熊本・人吉間で運行されている「蒸気機関車が牽引する列車」である。列車の好評を踏まえて特に用意した3輛の客車の先頭に立つのは、1922(大正11)年製造であるという8620型機関車だ。

この型は「蒸気機関車国産化技術の確立」という意図も込めて1914(大正3)年に登場し、1929(昭和4)年までに672輛が製造されたという。「ハチロク」という愛称が知られる。<SL人吉>の機関車、「58654」も、この「ハチロク」の中の1輛ということになる。

「ハチロク」は日本全国各地で活躍したが、同型の機関車が台湾や樺太でも活躍したことも知られている。

「蒸気機関車が牽引する列車」に関しては、停車駅や走行する沿線で動く姿を視たり、写真を撮るような愉しみ方も在ろうが…私としては「列車に乗車してみたい!!」と考える…殊に「ハチロク」は、「樺太でも走っていた型」なので興味津々だ。「ハチロク」の「動くモノ」は、私が承知する範囲では、京都の<梅小路蒸気機関車館>―現在は<京都鉄道博物館>への改装中で利用不可…―に在った位で、他所では観られないのだ…

そこで…大修理が完成して多くの人で賑わっていた姫路城を観た余韻の中、新幹線で小倉駅に至り、窓口で乗車の可否を尋ねてみたのだった。<SL人吉>の3輛の客車だが、1号車と3号車には展望室、2号車には売店が在ってスペースがやや少なく、そこに対面クロスシートの客席を配しているので、座席はやや少ない…そして全席指定…“満席”が常態化している…ということから「ダメで元々」と思いながら窓口の方に尋ねてみたが…「23日なら」と席が確保出来たのだ!!

前置きが長くなったが、小倉から急いで熊本に移動して泊り、迎えた朝から無事に<SL人吉>乗車を果たすことが出来た…

↓沿線の白石駅で停車している様子の画である…
'SL HITOYOSHI' at Shiroishi Station on OCT 23, 2015 (1)

蒸気機関車は「金属の塊」だが、何か「生命を帯びている」かのようにも見える…黒い煙を吐出しながら、年季の入った建物を擁する駅で一息入れている感だ…

↓煙は、やがて蒸気が多い白いモノに変る…
'SL HITOYOSHI' at Isshochi Station on OCT 23, 2015 (4)

この<SL人吉>に乗車したことは、今般の旅の“白眉”だと思っている。これだけでも相当に多くの写真を撮ってしまったが…順次整理をしたい…

白石駅停車中の画を最初に御紹介することにしたのは…偶々ながら、両者に関係こそ無いものの、札幌にも在る名前の駅である「白石」に親近感が在ることと、黒い煙を吐く様子が「らしい!!」と思えたからである…

↓蒸気機関車「ハチロク」を含む、10月23日撮影の画が掲載されたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 23, 2015

関西国際空港駐機場(2015.10.31)

「出掛けたから写真を撮る」のか、「写真を撮るために出掛ける」のかよく判らないのだが…10月21日から出掛けて、11月1日に戻って来た…

この間、10月27日に福岡県内に滞在中、「風雨で行動を阻まれる?」という天候の傾きに出くわしたが、それ以外は行く先々で好天に恵まれ、夥しい数の写真を撮ってしまった…

近年、旅に出る場合、出先でも写真の整理に随時着手し、「特に記憶に留めたい」モノ等を出先からでも随時紹介していたのだが…今般は好天の故に写真枚数が増え、カメラ用SDカードの容量が直ぐに溢れそうになっていたことから、出先では写真整理に可能な限り勤しみ、その御紹介は後回しになってしまっていた…

そうした事情で、漸く各写真の紹介に着手だ…

↓関西国際空港の駐機場である…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (3)
↑既に日が落ち、“夜”の時間帯に差し掛かった…登場したB737-700がボーディングブリッジの辺りで出発の準備をしながら待機中である。

駐機場そのものは照明にぼんやりと浮かび上がっているが、滑走路辺りには星が散った夜空のように各種信号灯が点き、りんくうタウンの高層建築や観覧車を含む街の灯りが、“人造島”である空港と街とを隔てる海を挟んで輝いている…

↓「搭乗前に何か飲みたい…」と思い…「私の選択」としては若干珍しいが、缶ビールを選んでみた…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (5)

凄まじく“エネルギー”を費やした感の旅だった…様々な想いをビールの泡と共に、身体の中に流し込み、待機中のB737-700に乗って帰路に就いたのだった…

↓10月31日撮影の写真を掲載したアルバム…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015

帰路に就いた時の、空港の様子を振出として、順次写真の紹介を手掛けてみたい…

運行日誌総集編―約5,300km…

アンダーシャツに使用していた普通の半袖Tシャツを、「温かく軽い」という触れ込みの長袖のモノに換えてみる…そんなことをしてみたくなった…“不在”の間隙に季節が前進していたということを、やや強く感じている…この辺りの場合、「暑さ」が他地域に比べて「ソフト」である分、「厳しい寒さの時季へ向かって行く」という時季の方が季節の前進を強く意識するような気がする…

昨日、札幌からの都市間バスに乗車して稚内に戻った…乗車した距離は、概ね330kmだ…東京・新潟間の新幹線に比肩する距離だ…

他方で稚内を離れた日…普通列車を乗り継いで札幌に至ったのだったが…乗車した距離は396.2kmになる。日本海岸の道路を南下してから内陸に入って札幌を目指すバスに対し、内陸部を真っ直ぐと旭川に南下して、そこから南西側の札幌へ続く鉄路を行く列車の方が距離は長くなる…

そういうことを不意に思い出すと…今度は「この何日間かで、どの位の距離を動き回ったのか?」ということが気に掛るようになる…

↓一寸調べた…

10月21日
稚内-札幌=396.2km

10月22日
札幌-新千歳空港=49km
新千歳空港-神戸空港=1072km
神戸空港-山陽姫路=68.8km
姫路-小倉=463.4km
小倉-熊本=185.6km

10月23日
熊本-人吉=87.50km
人吉-鹿児島中央=103.50km

10月24日
鹿児島-宮崎=122km

10月26日
宮崎-小倉=339.9km

10月27-28日(※夜行バス移動在り)
小倉-日田=83.3km
日田-久留米=47.6km
久留米-博多=35.7km
博多-広島=280km
広島-姫路=249.9km

10月29日
姫路-神戸三宮=57.3km
神戸三宮-近鉄奈良=65.2km

10月30日
近鉄奈良-京都=39km
三条-淀屋橋=49.3km
淀屋橋-天王寺=6.2km

10月31日
天王寺駅前-大小路=8.8km
堺-関西空港=33km
関西空港-新千歳空港=1072km
新千歳空港-札幌=46.6km

11月1日
札幌-稚内=330km

↑以上が今般の旅の「主な移動区間」となる。

10月24日の鹿児島市内での路面電車等による移動、10月28日の広島市内での路面電車による移動、10月30日の京都市内や大阪市内での地下鉄等による移動は割愛した。10月31日に「天王寺駅前-大小路」と在るが、これは関西空港へ向かう列車に乗車すべく、天王寺から堺を目指すために最低限必要な区間で、実際は阪堺の電車で行ったり来たりとかなり動いてはいる…

加えて「経路の違い」による「距離の差」は判る範囲で反映させるようにしてみた…航空路から新幹線、蒸気機関車が牽引する列車からディーゼルカーや電車の各種鉄道、都市間を結ぶバス等、様々な交通機関を利用している…

上気に挙げた距離を表計算ソフトに書き出して合算してみた…5,291.8kmとなった…概ね5,300kmに及んだ旅だった訳である…「空路」を除外しても3千キロメートルを超えることになる…正直、自身の理解や想像を超えてしまった…

この5,300kmに及ぶ移動の期間…5泊(熊本、宮崎×2、奈良、大阪・天王寺)は一般的な宿に泊まったが、1泊がバスの車中泊(福岡・広島間)で、5泊はネットカフェ(札幌×2、鹿児島、小倉、姫路)で夜を明かした…多少「過酷?」なことを仕出かしたかもしれない…

今般の旅に関しては、話題も多く、加えて未整理の「順次公開すべき画」も多数在る…追ってそれらの話題を綴るようなことはしたいが…とりあえずは移動距離の決算をしたという次第だ…

帰着した…

札幌市内から、バスが高速道路に入ったことが判らず、砂川サービスエリアで停車する少し前に気付く…

何時の間にか留萌でバイパスを下りたと思っていて、車窓に海を見た後に記憶が途切れ、羽幌で停車する辺りに気付く…

何だかよく判らず、気付くとバスが幌富バイパスを走っていて、見慣れたような光景に…

こういう具合に、乗車時間の相当なパーセンテージを眠っていて…「普通な速さと所要時間」ながらも「早い…」感じで、無事に稚内に着いて拙宅に入った。

拙宅の鍵を開ける際…「知らない土地の宿に入って、部屋の鍵を開ける」という場面のような気がした。やや居住歴が浅めだが、見慣れきっていた筈の拙宅だが…

稚内…「雪の報」に覚えた不安に比して、どうということもない…しかし、半袖Tシャツの上にワークシャツがやや寒く思えて、一寸パーカーを着たが…

今日の稚内は穏やかな好天だ!!