<はやとの風>から<しんぺい>に乗り継いだ吉松駅(2014.12.19)

吉松駅という駅は、“鹿児島本線”の旧ルートである肥薩線と、“日豊本線”の旧ルートである吉都線とが交差している駅である。場所柄、機関車を換えたり、機関車に補給を行う必要性が在り、嘗ては「鉄道基地の町」という様相でもあったようだ。

2013年に、「肥薩線経由で鹿児島から福岡まで北上」ということをやってみた経過が在り、吉松駅には立寄っていたが…今般、吉松駅を“乗換駅”として利用した。

鹿児島中央駅から<はやとの風>で北上する。嘉例川や大隅横川を経て、列車が吉松に至ると、隣のホームに赤い<しんぺい>が待機している。北上を続ける場合は、そのまま<しんぺい>に乗り換えると好い…

↓こういう具合に2本の列車が吉松駅で並ぶことになる。

↑右の黒い列車が鹿児島中央駅から乗って来た<はやとの風>で、左の赤い列車が人吉駅まで乗って行く<しんぺい>である。

↓<はやとの風>は鹿児島方面へ引揚げるようだ…


↓人吉へ向かう<しんぺい>の更に左隣りには、都城へ向かう吉都線の列車が待機中だった…

↑結局、“40系ファミリー”の黒、赤、白の色違いが吉松駅に集合していたことになる…

<しんぺい>は、何故そういう列車名なのか?

人吉・吉松間の路線が開通した頃の逓信大臣だった山縣伊三郎と、鉄道院総裁だった後藤新平に因み、「人吉→吉松」の列車を<いさぶろう>と、「吉松→人吉」の列車を<しんぺい>と名付けたそうだ。

この人吉・吉松間には矢岳第一トンネルという2,096.17メートルのトンネルが在る。人吉側からの入口には、山縣伊三郎が揮毫した「天険若夷」(「てんけんじゃくい」は「天険、夷(い)の若(ごと)し」で、「天下の険しい難所を平地のようにした」という意)の額が、吉松側からの入口には後藤新平が揮毫した「引重致遠」(「いんじゅうちえん」は「重きを引いて遠きに致す」で「重い物を引いて遠くに至ることが出来る」という意)の額がそれぞれ在るという。揮毫者の名を冠する列車が、揮毫した額に向かって走ることになるように、「人吉→吉松」の列車を<いさぶろう>、「吉松→人吉」の列車を<しんぺい>としたのだそうだ…

「天険若夷」と「引重致遠」という額…苦心の工事でトンネルを開き、鉄路を敷いて輸送の可能性を拡げたという、当時の関係者の「鉄道開通に賭けた情熱の迸り」が感じられるように思う…

↓待機中の赤い列車…<いさぶろう・しんぺい>の専用車輌である…

↑<いさぶろう・しんぺい>と言うと「何かのキャラクター?」という感じだが、実は鉄道開通時に、トンネルに掲げる額を揮毫した、往年の関係者の名前を頂いているという話しである…

↓車内はこういう具合…「往年の客車」を意識したらしいが…なかなかに見栄えがする!!


↓この吉松から人吉を目指す場合、列車は<しんぺい>だ…


この<はやとの風>から<しんぺい>に乗り継ぐコース…初めて利用したが、なかなかに愉しい!!早くも「是非、また機会が在れば…」と思っている程である…

鹿児島:<ドルフィンポート>辺りから夜明けの桜島を望む(2014.12.19)

「“行ってみよう!”と訪ねた“鹿児島市内で最初の場所”」であり、桜島の眺望が美しい<ドルフィンポート>の辺り…夕刻に足を運んだ翌朝…再度、足を運んでみた…

桜島は、鹿児島中央駅から天文館、更に鹿児島市役所や鹿児島駅というように拡がっている側、“市街”から視て「東側」に相当する。<ドルフィンポート>辺りから眺めると、薄暗めな桜島の背後になる空が暁色に染まり、後背側から強い光で照らし出すような具合に朝陽が上がって行き、桜島と海と街を照らし始めて、新しい一日が始まる訳だ…

12月の半ば…日が上る時刻は、他時季よりも遅めである…「普通な時間帯に起き出した」という次元―今般停まった宿に近い停留所で、路面電車の発着も見受けられるようになっている時間帯…―で、一寸散策に出ると、好天でさえ在れば見られることになる…

桜島の背後の空…正しく「暁の空」だった。桜島の向こうの、大隅半島側の山地の向こうから朝陽が上がる筈だが、空は刻々と色を変えていた…



12月17日から12月19日辺り…「シーズンでは最高の寒さ」ということになっていたようだ。好天の日中には「積雪も見受けられる北海道から訪ねている」自身としては、「温かい訳でもないが、酷く寒いとも思えない」という感じだったが…早朝は少々風が冷たく、「軽く刺さる?」感じだった。<ドルフィンポート>の辺りで、思わず上着のポケットから取り出したニットのキャップを被りながら、刻々と変わる朝の光に照らし出される桜島を見入ってしまった…







桜島に見入った後…路面電車が通っている辺りまでの道すがらに在るコンビニで、「宿の部屋で“茶代わり”に…」と<黒白波>のペット容器を購入するなどしていた…そんなモノ等の入ったレジ袋をぶら提げて電車に乗ると…「朝の通勤・通学」という趣の時間帯になっていた…

福岡空港&新千歳空港:ANA 特別塗装機 “スターアライアンス”のB777-200(2014.12.22)

飛行機での移動…何やら非常に煩わしく感じる“保安検査”を潜り抜け、待合スペースに入ると、安堵感というのか、フライトへの期待感というのか、なかなかに愉しい気分が沸き起こる。

そうした中で、飛行機の姿が近くに見えると、愉しい気分が更に盛り上がる…

確か…他界して久しい、岩見沢に住んでいた祖母は「鉄の塊が空の上に浮かぶ?信じられん…そんなモノには乗りたくない…」と言っていて、私が学生だった頃、“親父殿”に伴われて、従姉妹の結婚式に顔を出そうと<北斗星>で東京に登場したことが在った。空港で飛行機を見ると、何となくそういう挿話を思い出してしまうが、「大勢の旅客を乗せて、標識が在るでもない雲の上を迷わずに、目的地へ向けて安全に飛ぶ」という飛行機は、「凄い発明!!」だとつくづく思わずには居られない…

↓福岡空港で眼に留めた機体…B777だ…現在では大手航空会社の“主力機材”の一つに数えられているモノだ…

↑やや見慣れないマーキングである…「明確な宣伝」と言うのか、「キャラクター」というようなマーキングでもない…「何処の会社の飛行機?」と思いながら眺めていた…

↓何やら、作業員が色々と動き回っている。出発準備中のようだ…

↑よく視ると…私が利用予定のANA289便の搭乗ということになっている位置に駐機中だ…

↓これはANAの機体だった…「安全のしおり」に画が在る、「白と青」が「ANA機!!」というイメージだが…

↑これは、ANAが参加している<スターアライアンス>の宣伝のために、その塗装を施したということなのだろう。各機種で行っているようである…

↓新千歳空港に着いた…こちらの到着の通路の方が、機体が見え易い…何か…渋い感じだ…

↑よく視ると、機首側に「ANA機」を示す、通常塗装で使用している青系の色で構成する帯が描かれていた…

B777-200について、ANAでは2014年3月末現在で28機を運用しているそうだが、その中の2機が“スターアライアンス”の特別塗装機であるようだ…

「28分の2」という確率…高いような、低いような感じだが…こういう“特別”に出くわして搭乗出来るというのは、少し運が好いような気がする…前年同時期には、空路の乱れの影響を被る場面が在ったのだが、今般はそういうこともなく、愉しい空の旅となった…

こういう具合に空港の駐機場で、貨物を下ろしていたりする飛行機を視ると…「おい!この寒い中、無事に着いたぞ!!“次”はどうなっているんだ!!今日はマダマダ飛ぶぞ!皆の衆!!早く支度をしてくれ!」と飛行機が意気込んでいるかのように見える…実際…我々が御世話になる旅客機は、日に5回や6回は飛行して、移動距離は相当なものになる筈だ…そしてそれは、非常に大勢の人達の努力で支えられている…こうして飛行機を眺めながら空港の出口へ歩むと、そうした大勢の皆さんへの感謝というものも沸き起こる…

こんな殊勝なことを言いながら…“欠航”というような話しに影響を受けると…「止めちまえ!!馬鹿野郎!!」という具合に荒れてしまうのだが…それもまた、運航に向けた関係者の努力への信頼と期待の高さ故というものかもしれない…

※参照
>>事業規模│企業情報│ANA

名寄駅(2014.12.23)

「稚内から他地域を訪ねて、引揚げる場合」について、“選択肢”は然程潤沢ではないかもしれない…と言うより、稚内は他地域との交通アクセスに関して、或る程度の“制約”を免れ難いかもしれない…

そうした中…<青春18きっぷ>のようなモノを駆使して「普通列車で移動」というやり方は、「趣味人の道楽」に留めておくには「惜しい」と思える場合もないではない…

「稚内から他地域を訪ねて、引揚げる場合」について、「速くはないが早い…」と形容しているのは、「旭川駅を午前6時5分に発ち、稚内駅に午前11時56分に着く」という普通列車を利用する方法だ…前日夕刻、或いは夜中までに旭川入りし、泊まるなり夜を明かすなりして、早朝の旭川駅に乗り込んで列車に乗る…「気付けば○○」という具合に「半ば居眠りも可」という状況で列車に乗っていると…“ランチタイム”には稚内である!!私の場合…稚内駅近所の、頻繁にランチに寄る店が営業している日なら、「駅から直行」でそこに寄り、「ごきげんよう…」等と「何時もの席」を占めて昼食を愉しんでから行動する…

そんな旅が、この数年は気に入っているのだが…

↓最初の「気付けば○○」は名寄駅であることが多い…


名寄駅では数分間の停車だが、何やら乗務員の交代等が行われている様子だ…

旭川・名寄間に関しては「大きな街の旭川に対して、旭川に向かう人達をそれなりに多く擁する小さな名寄」という関係性が見受けられ、この間の列車は「相対的に混む」ように見えるのだが、名寄以北は急に“静か”になる…

北海道の冬季の列車内…強めな暖房で、長く乗っていると少々ぼんやりとして来る場合も無いではないが…少しばかり長めな名寄の停車時間でホームに出ると…「シャキッ!!」とする…氷点下10℃前後が頻発するのが、名寄辺りの冬季だ…低温で雪が多目な内陸の気候である…

↓乗降が落ち着き、乗務員交代も完了し、発車準備が整い始める…

↑冬季のこの時間帯…殊に天候が好い日には「冬の朝!!」という美しい風情が見られるように思う…

↓冬の列車の後尾は何時もこんな感じだ…走行する都度に線路の雪を掻き上げ、そんな雪が車体後部に付着してしまう…

↑えびの辺りではくいう状態にはなっていない…結局「北海道の氷点下気温の下での粒子が細かい雪」であるが故に発生する現象なのだ…

更に…上記の画では、画面左側が跨線橋の出入口になるのだが、屋根に夥しい量の雪が積み上がっている…こういう状況を視て…「名寄…雪が多い地域…」と嘆息する…

この列車…マダマダ長い行程の三分の一程度を進んだ辺りである…

福岡:<JR博多シティ>のイルミネーション(2014.12.21)

博多駅…「九州最大の都市」で、他地域と九州とを結ぶ玄関口というような感でもある福岡に在って、「街の玄関」というような存在感を占めているような感じがする…

福岡という街は、「古くからの商人町で港町」の“博多”と、「江戸時代を通じて一帯の領主だった黒田家の城下町」であった“福岡”との「ツインシティー」(双子の街)として発展してきた。“国鉄時代”以来、九州内外の各地とを結ぶ列車が発着する駅は博多駅で、“JR時代”に至ってもそれは変わらない。他方、“福岡”側には、正式には「西鉄福岡駅」と言うらしい西日本鉄道の駅が天神地区に設けられていて、西鉄の列車が発着している。更に“天神”は、市内外、県内外と福岡の街中とを行き交うバス等が発着する場所という性格が在り、「街の玄関」と言って差し支えない。

そうした事情は在るものの、個人的には、縁薄い地域については「列車で他地方から向かうと着く場所」を何となく「玄関」と受け止める傾向に在る。関西や中国地方からの新幹線等の列車は博多駅に到着していて、東京や札幌などから空路で空港入りする場合にも、「街へのアクセス」としては博多駅への行き方が真っ先に上がると思う。(尤も、福岡空港からの地下鉄に乗ると、博多駅を通り過ぎて、そのまま天神駅に行くことも可能になっていたりするが…)そういう訳で、私は「博多駅」を「街の玄関」と認識している…

この博多駅に初めて辿り着いたのは…2010年12月のことで、事前に何らの思惑も無いままに何となく「やや遅い時間帯」に辿り着き、周辺を何となく歩き回り、偶々現れたバスの行先“ヤフードーム”に興味を覚えてその辺りへ出て、駅の傍へ戻ってからは“休憩所”で夜を明かして、翌早朝には門司へ向けて出発してしまったのだった…そんな訳で、博多駅を詳しく知ることが出来た訳でも何でもないが、当時は…「何やら?工事中?」という感じで、しかも夜のやや遅めなくらい時間帯で「よく判らない?!」という按配だった…

そういう事情から、「実質的に初めて博多駅と向き合った」という感じなのは…2011年12月に、福岡へ立ち寄った時だった。その時には、現在の<JR博多シティ>と呼ばれる大きな駅ビルがオープンしていた。2011年3月の「九州新幹線全線開業」の少し前にオープンしたようだ。

その2011年に立ち寄った際、博多駅から新幹線の列車で夜に鹿児島へ発ったのだったが、列車に乗る前に駅に至り、少々驚いたことを忘れられない。何時の頃からか、12月辺りに「大きな駅の駅ビルや周辺でイルミネーション」というようなことをやることは珍しくなくなったが…<JR博多シティ>で見掛けたモノに関して…「自身で承知している“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」と思った。とにかく華やかだった…

各地の大きな街に関して、12月のイルミネーションのような「街を飾り立てる」ようなことに関して、「そういうのが好き?」とか「そういうことが得意?」と見受けられるような街も在るのかもしれない。2011年に初めて<JR博多シティ>を視た際には、「或いは博多(福岡)も街を飾り立てるのが好きだったり、得意だったりするのか?」とも思った。他方…<JR博多シティ>としては「開業初年」だった訳で、「スタートなので景気好く!!」と張り切ったのかもしれない…

それから3年…2014年12月に至るまでに、この<JR博多シティ>のイルミネーションを何度か視ているのだが…「“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」という感じは、変わっていない。「開業初年」に「張り切った」ということだけでもないようなのだ!!

偶々、今般の旅でも視た<JR博多シティ>のイルミネーション…振り返ると「少々文字数が嵩む」程度の付き合いに、何時の間にかなっていた…

今般、<JR博多シティ>のイルミネーションを視たのは、“帰国前夜”に博多に泊まった際にであった。

昼頃に長崎駅からの列車で博多駅に到着し、その足で市内を少し動き回った後、予約してあった宿に入った。博多駅に着いてから宿に入るまでの間、曇天ではあったが降雨は見受けられなかった…

“夕刻”が近付き…友人と会う約束も在り、その前にも辺りを散策しようと外に出ようとした。身軽な出で立ちで宿の入口に至り、戸外を視て「?」と思った。「存外な強さ」を伺わせる雨音が聞こえた…傘を使うことにした…用意の折畳式傘を使用することにしたのは、今般の旅の終盤に至ったこの日が初めてとなった…

雨音を傘越しに聞きながら博多駅に至った…何やら、人の出入りが少なめな屋根の着いた通路の出入り口らしきモノが在った。“雨避け”に好適と思えたので、何となく佇んだ。よく見ると、そこは「地下駐輪場」の入口で、階段とスロープで自転車を押して地下のスペースに入れて、逆に々会談とスロープで自転車を押して地上に出す。どうも午後に至ってから降り始めた、または降り方が強くなったらしく「雨…強くなった…」と自転車を押して空模様を伺い、やがて意を決したように自転車で出発する「地下駐輪場」の利用者が散見した。雨の中、傘を片手に自転車を操って出て行く人も居た。私自身は敢えてやったことのないことなので、やや驚きながら、そんな様子も視ていた…

好い按配の“雨避け”を得て、<JR博多シティ>の様子を伺う。「日曜日の午後。夕方の時間帯に入る辺り」ということで、ビルの前に設えられた催しのステージにミュージシャンが登場して演奏を行う段取りが在ったようだ…

↓とりあえず、出演するミュージシャンの“サウンドチェック”の音が聞こえる中、未だイルミネーションは点灯していない…


↓「午後5時になりました!」と司会者の声が聞こえ、ミュージシャンの演奏が始まる旨を紹介しながら、イルミネーションの点灯が告げられた…

↑辺りは「少し眩しい?」という位になる…

博多辺り…午後5時では「完全に暗い」感じでもない…が、「明るい」でもない…イルミネーションの華やぎが悪くない時間帯だ…

↓雨で広場が湿っていて、若干水が溜まっているかのような箇所も多く、“水面”にイルミネーションが映っている…

↑刻々と辺りの暗さが増すと同時に、イルミネーションの輝きも増して行く…或いは「イルミネーションというものの魅力」であろう…

こうやって<JR博多シティ>の「休日の夕方」というものが、雨天をも厭わず、「華麗な幕開け」を見せた…

「何度視ても…ここは凄い…」という思いを新たに、友人と会うことにしていた天神地区に向けて、地下鉄で移動した…

それから…愉しい一時を過ごし、宿に引揚げるべく、上機嫌で博多駅に戻って来た。雨は少し弱くなっていた…

↓未だ、少しにぎやかな音楽も聞こえていたが、イルミネーションは「雨交じりの夜」を青紫に彩っていた…


能書きが長くなった序だ!!2011年から2013年の、<JR博多シティ>のイルミネーションの画も、ここに掲載しておきたい…

↓2011年12月18日…

↑この時は…枕崎―稚内から全行程を鉄路…―へ向かう途中に寄り、友人と会って呑んだ…呑んでから、新幹線に乗る前に駅へやって来た場面で視た光景だ…

↓2012年12月21日…

↑この時は…確かビル内で水戸岡デザイナーの展覧会が開催中で、立寄ってなかなかに愉しかった…九州を一回りして、後先を考えずに佐賀から博多に至り、この後はハードロックカフェで呑んで、“休憩所”で夜を明かし、翌日は下関や門司港に寄ってから小倉に泊まったのだった…

↓2013年12月18日…

↑アジア系の外国人の青年に話し掛けられ、彼の記念写真のシャッターを押してあげたという出来事が在った…この後、友人と食事を愉しみ、カプセルホテルに泊まって、翌朝は太宰府や柳川と「福岡県の定番!!」な場所を西鉄で巡って、そのまま佐世保まで行ってしまった…

如何であろうか?私自身の行動も振り返ると妙だが…それは置いておき…こうして過去画像も視ると、「開業の年」の2011年から、この<JR博多シティ>のイルミネーションは、毎年華やかである…

何となく思うのだが…ここのイルミネーションが華やかさを保っている間は…この国も「豊かで平和」な状態なのかもしれない…などとである…

ハッキリ言えば…私自身にとっては、通勤や買物というような「日常生活の範囲」というものを「100%逸脱している場所」である<JR博多シティ>だが…2011年以降、何となく「毎年1回」視ているような按配で…何時の間にか「これを視ないと、無事に12月を迎えられないような気がする…」と感じる程度に、私の頭の中で“定番”になり始めていることに思い至る…不思議なものだ…

鹿児島:<ドルフィンポート>辺りから日没が近付く時間帯の桜島を望む(2014.12.18)

2011年に「鹿児島に至る…」ということになった際、一寸思い立って鹿児島市の観光の御担当にメールで照会してみた。「路面電車で鹿児島中央駅辺りから訪ね易いエリアで、桜島の眺望が楽しめる場所は?」と尋ねてみたところ、丁寧な回答を寄せて頂いた。

そこで挙がっていたのが「<ドルフィンポート>の辺り」である。親水緑地風になった港の一部で、商業施設になっている建物が在る場所だ。ここへ向かうには、路面電車で<いづろ通>停留所に向かい、そこから海の側に少し歩くだけだ。海岸沿いの道路の車輛交通量が存外に多く、横断歩道はやや待つが…親水緑地のようになっている辺りが近付くと、「桜島でごわす…」とばかりに「海に浮かぶように見える山」が姿を見せる…

2011年に初めて鹿児島に至って以来、ここは「行ってみよう!」と訪ねた「鹿児島市内で最初の場所」のようなもので、「早速気に入った!!」という場所ともなった。鹿児島に寄る機会が生じる毎に足を運んでいる。

訪ねる都度、各々の時間帯や天候によって雰囲気が異なる桜島が見えるのだが、2013年12月に立ち寄った折には…少し強めな雨のため、この場所で桜島の姿を視ることが出来なかった…

その「昨年は視られなかった…」という想いが在って、「今回は…」という気持ちが高まっていたのだが…この12月18日は「桜島を眺めることに尽きた…」かのような一日の過ごし方となった…

“12月”としては「珍しい」らしいが、桜島に冠雪が見受けられた。何箇所か場所を変えながら、この「冠雪している桜島」を眺めていたが…日が傾く頃になって、「“行ってみよう!”と訪ねた“鹿児島市内で最初の場所”」であり、桜島の眺望が美しい<ドルフィンポート>の辺りに足を運んでみた…

この日は、朝はやや雲が多い感じであったものの、次第に天候は好転して行った。昼頃には「見事な蒼空!!」というような様子さえ見受けられた…

↓<ドルフィンポート>の辺りでは、こんな感じの風景に迎えられた!!


↓或いは…夕刻近くになると、「雪で染まる岩肌」の部分が少々少なくなった…または少な目に視えるような気がする…

↑西日の故に何とも言い難い色彩の岩肌…低い辺りの濃い緑…沿岸や港の営み…紺碧の錦江湾…豊かな色彩感が溢れている!!

桜島の位置だが、これは鹿児島中央駅から天文館、更に鹿児島市役所や鹿児島駅というように拡がっている側、“市街”から視て「東側」になる。だから、「日が西側に傾く」時間帯になると、桜島の「市街から見える側」にスポットライトのように光が当たる。日中は「上から」で、朝は「背後側から」と一日を通じて「陽の光が当たる方角」が違うので、「時間帯毎に感じが違う」のが桜島の風景である。

こんな風景が望める街…実に素晴らしい!!

鹿児島:みなと大通公園のイルミネーション(2014.12.18)

鹿児島に2系統運行されている路面電車だが、両系統とも行き交っている区間が在る。<高見馬場>から<鹿児島駅前>の区間だ。精確には、1系統と2系統の<高見馬場>停留所は場所がずれていることから、次の<天文館通>と<鹿児島駅前>は完全に同じ軌道を使用していて、停留所も同じである。「お乗り間違えのないようにお願いします」というような運転士さんによる案内も時々耳にする区間だ。

この区間で電車を利用していると…「次は市役所…<市役所前>です」というアナウンス―停留所名を2回言うようだが、一回目は最後まで名称を言わず“市役所”で、二回目は“前”まで付けて“市役所前”と言っている…―がテープで流れる停留所が在る。何処と無く歴史を感じさせる鹿児島市役所本庁舎を仰ぎ見る場所に停留所が在るのだが…

↓市役所庁舎の真ん前が都市公園になっている…なかなかに心地好さそうな「街中の緑地」である…

↑既に暗くなって、少し経っていた午後6時前に着いた…噴水がライトアップされて華やかだ…水を噴く部分にランプが仕込まれているようだ…

↓市のウェブサイトで、どういう場所なのか紹介されている…
>>鹿児島市ホームページ |みなと大通公園

“12月”という時季にこうした噴水を見ると、私自身のような「寒冷地に棲息」という者は「非常にエキゾチック!!」と少しばかり嬉しくなってしまう。“12月”と言えば…「積雪期に管理困難」な噴水は「確り閉鎖」で、やや言葉が悪いが“残骸”のような寂しい様相を呈しているものなのである…そして積雪期には深い雪に完全に埋もれて、そこに噴水が在ったことを半ば失念してしまう…

↓対して、ここの噴水は随分と景気良く…

↑制御プログラムで、噴き上げる水の高さや場所をランダムに変えて、「水流と光のショー」のような様相を呈している…

↓やがて噴水が少しの間静かになり、公園の木々等のイルミネーションが点る…


↓暗くなるに連れて、イルミネーションと噴水の光が、暗い街に華やぎを添えるような按配になる…


直ぐ傍のコンビニで求めた珈琲を啜りながら、暫しこうした様子を眺めていたが…何か「心身共に…少々寒々しい…」という妙な気分になり、殆ど一日中動いて桜島の眺めを追っ掛けていた疲れが少し強まった感じで、そそくさと鹿児島中央駅近くの屋台村に路面電車で移動し、焼酎のお湯割りを美味しく頂いた…

<はやとの風>が停まる大隅横川駅(2014.12.19)

1903年1月に国分(現在の隼人駅)―横川(現在の大隅横川駅)間の鉄道が開通しているそうだが、この「鉄道が開通したような頃」の駅舎が未だに残って使用されている例が在る。嘉例川駅(かれいがわえき)と大隅横川駅(おおすみよこがわえき)である。

この1903年1月に開通したという隼人駅―大隅横川駅間を含む経路を行く列車<はやとの風>は、鉄道開通当時の趣を伝える駅に確り停車する実に在り難い存在である…この列車に乗って「鹿児島から北上」の移動を愉しんだ…

↓大隅横川駅に<はやとの風>が到着した様子…

↑列車の後尾側から…

↓こういう駅舎だ…

↑「開業当初(100年以上前)の様式」とでも言うのか…先に視た嘉例川駅に似ている…ここでは、新年の門松の準備もされていた…

大隅横川駅も「100年超」の駅舎だが、色々とあったようだ。1945年7月30日、辺りが空襲を受けていて、駅舎には機銃の銃弾痕が残っている柱も在る…

現在の大隅横川駅辺り…大変に静かな場所だが、空襲当時は周辺の建物が相当に被害を受けてしまったようだ…それでも…駅舎は残った…そんな挿話を聞くと、何か駅舎への「地元の皆さんの思い入れ」のようなものも覗える…

↓空襲の件を伝える掲示が行われている…

↑ホームから改札口側辺りの柱に瑕が残る…

駅舎内には、夥しい数の爪楊枝に彩色を施してパネルに貼り、「駅舎の画」を造ってしまったモノが飾られている。これは地元の生徒の制作らしい…一寸驚いた…

↓なかなかの力作…一寸見入ってしまう…


この大隅横川駅でも「旧くで新しい感じ」な<はやとの風>が停まっていると、何か“時間”がそこで交錯しているかのような、不思議な感じがする。



この大隅横川駅の駅舎は、地元自治体が建物を買い取った経過も在るということで、地元で大切にされている。「そこに駅舎が建っている」という「事実自体」を或る種の“産業遺産”とか“文化遺産”と捉え、「守り伝えたい…」としているような様子が感じられる。

“移動手段”として偶々<はやとの風>を利用した型であるが、こうした「一寸は知られた駅舎」で「敢えて数分間停まってみる」だけで、何か「大切なものを伝えて頂いた」という気分になれた。そういうのが「鉄道の旅の好さ」の“核心”なのかもしれない…

↓<はやとの風>…「記憶に残る列車」となった…

<はやとの風>が停まる嘉例川駅(2014.12.19)

嘉例川駅(かれいがわえき)という駅が在る。この駅は、「鉄道が開通したような頃」の駅舎の姿を現在に伝えているというような駅である…

大変に興味が在ったのだが…この駅に関して調べると「列車で訪ね悪い駅」という思いが募ってしまう。

「列車で訪ね悪い駅」というのも“修辞矛盾”のようだが…極限られた本数の列車が運行されている区間で、駅での短過ぎる停車中に写真でも撮るということにもなり悪く、1本列車を見送ってしまえば、次が「数時間待ち」という状況さえ在るような場所なのだ…

そういう中…<はやとの風>を知り、これへの乗車機会を設けることが叶った!!

<はやとの風>は、「鉄道が開通したような頃」の駅舎の姿を現在に伝えている嘉例川駅等の「観たい!!」駅で敢えて数分間停車してくれるのである。停車時間内に駅舎の見学や写真撮影などが可能である。実に在り難い!!

↓嘉例川駅に<はやとの風>が到着…

↑列車の後尾側から…

↓列車の先頭側に回り込む…


「鹿児島から北上して熊本県内、佐賀県内へ」ということをする場合、他の経路も在ると思ったが…<はやとの風>を選んでみた。

嘉例川駅は1903年(明治36年)1月に営業を開始したそうだ。1903年1月に国分(現在の隼人駅)―横川(現在の大隅横川駅)間の鉄道が開通していて、それに伴って途中の嘉例川駅も開業している。この駅舎は開業当初からの木造建築である。

↓本当に“年輪”が感じられる建物だ…


<はやとの風>は、“40系ファミリー”の少し古いディーゼルカーを改装している車輛を用いている列車だ。眼に馴染んだディーゼルカーの形状ながら、黒系の塗装が施されている。鹿児島中央駅で黒系の<はやとの風>を視た際には「やや斬新な感じ…」と思ったのだが、嘉例川駅で視ると…「往年の蒸気機関車のイメージ」で黒系を採用したのだろうか、等と感じた。



「旧くて新しい」感じの<はやとの風>が、「鉄道が開通したような頃=1903年」からの建物が残る駅で停車する様…何か“時間”がそこで交錯しているかのような、不思議な感じだ…

運行日誌(2014.12.23)

「静かな休日」という感の稚内で、「休日に有り勝ちな雰囲気」という過ごし方をしている…

私が北海道を離れていた間、道内は天候が荒れて、稚内辺りと他地域を往来する交通は尽く乱れてしまった場面も在ったようだ…

そういう情報から、稚内への移動は「どのようにしようか?」とも思ったが…迷ってみても結論は出せず、何となく最初から思い描いていた「新千歳空港→旭川―(宿泊)→稚内」という、気に入っている「旭川・稚内間の、旭川を早朝に発つ普通列車」を利用する方式を考えた。

結果として…新千歳空港・札幌間、札幌・岩見沢間、岩見沢・旭川間、旭川・稚内間と普通列車を乗り継いだが、大きな問題は無い移動が出来た。

考えてみると、今般の旅では、気象条件等による交通の乱れの影響を免れ続け、途中には「好天と好い風景」にも出会うことが叶った。えびのの雪に関しては、やや辛いという面も在ったが、「珍しい感じの光景に出会えた…」程度に思っている…期間中に傘を敢えて使ったのは…“帰国前夜”、福岡で少々雨が強めになったので、折畳式傘を使用した程度だ…「“何”に対してなのか?」ということも在るが、とにかくも“感謝”という感である…

昨年は…スタートから雪で交通が混乱し、夜に関西方面へ飛ぶつもりだったフライトがキャンセルになり、改めて航空券を用意して翌朝に福岡へ飛んだ…復路は福岡・札幌のフライトが羽田に着陸し、羽田からの夜のフライトに振り替えようとする航空会社の社員に異を唱え、翌朝の便に振り替えさせた…そして途中も雨が多く、折畳式傘が手放せなかった…

そうした意味で、今般の旅は善かった…色々と細々したことは…夥しい写真を整理しながら、順次纏めて振り返っておくようにしたい。

今般の旅のような…「“出掛けてみる”こと自体が半ば目的」というようなこと…時には善いものだと思う…早くも「また何時か…」という想いが頭の中に浮かび始めている…

未だ暗い中…

昨夜は久々に友人と会い、愉しい一時を過ごすことが叶った。友人の「郷里の銘酒」ということにもなる<霧島>を少々頂き、何となく興味が在った「日本で唯一の出店」であるフィンランド発祥の珈琲店<ロバーツ・コーヒー>でコーヒーを愉しんだり、焼鳥に、屋台の一寸した肴に、辛味噌を入れた博多ラーメン等を頂いた…大変に好かった!!

古くからの友人と一時を過ごすと…互いに何らの利害が在るでもなく、全く「昔のまま」に近い状態で色々と語り合えるものである。

冗談に「北から“寒気”を持込んだのか?15日頃から九州は寒くなっている…」という話題も在ったが…私はどうも“定番”と言うのか、「紀行番組が押えるようなこと」(温泉やらグルメ…)を外しながら、何やら徘徊している…昔から、私は「やや変な嗜好」で、友人は「より普通」だったかもしれないが…私にとって“九州の旅”は、「異なる文化や伝統を有する地域が折り重なった場所を気が向くままに駆け巡る」ことに他ならない…色々と情報を集める中で“定番”の場所を訪ねてみようという意図も沸き起こるが、結局外してしまっている…友人によれば、私のような者が「定番の温泉巡り」でも始めた日には、“異変”だというが…

天神地区の雰囲気に親しみ、地下鉄の一日券で博多駅に戻り、宿に引揚げたのだが、直ぐに酷く眠くなった…抗わずに眠ってしまった…徐に起き出し、また寝てということを多少繰り返していて、「帰国の朝」になった…「朝になった」と言っても、今の時季には明るくなるのが遅い…何か「夜の残滓」という感じの中でモゾモゾとしているような雰囲気だが…

「帰国の朝」と言えば、嵩張る着替えや土産等を送ってしまうのが、私としては定番だが、確り箱を近くのコンビニから頂いておいて、それを利用してその店から発送した。今日は22日だが…「福岡・稚内」で「24日に着く予定」という話しだった…そういうことなので24日夕刻にモノを受取る段取りとした…天候等で輸送が乱れないことを祈るばかりだ…今朝の福岡は小雨交じりのように見受けられた…

博多駅から福岡空港は近い…一寸驚く程度だ…ハッキリ言えば「福岡空港から博多駅に地下鉄で到着」という場面では、「地下鉄の乗車時間」以上に「地下鉄博多駅の込み合うホームから改札口に向かって、そこから何処かへ向けて歩き始める」までの時間の方が、余程掛るような気さえする…だから…余り慌てて空港へ向かっても、時間を持て余してしまうかもしれない…

そういう訳で…今朝は“茶代わり”に<薩摩一>のペット容器入りを視付けた。16度にした飲み易い代物だ…それを開けた後…コンビニの珈琲と“霧島”を謳うミネラルウォーターを頂く…

北海道方面は…「“普通”な冬の天候」のようだが…どういう按配か?何か、不在中に「とんでもない荒天」だったようだが…期せずして「避難した…」ような按配になっていた…

“メモ”のこと…

旅に出ると…或る程度“リアルタイム”に出来事や雑感のメモを綴る場合が在る…

今般もそういうことをしている…

>>12月14日

>>12月15日

>>12月16日

>>12月17日

>>12月18日

>>12月19日

>>12月20日

>>12月21日

これらのメモは、「旅の機会毎」でもなく、「旅」として一貫して纏めてある…時々読み返して思い出すと、意外に面白い場合も在る…

長かったようで短かった…短かったようで長かった…何となく「“帰国前夜”の感慨」というようなものだ…

運行日誌(2014.12.20-21)

迎えている12月21日朝は「“帰国”前夜」の一日ということになる。今日は長崎から博多に出て宿泊し、明日午前中のフライトで札幌へ飛ぶ…

随分と長い期間に及ぶ旅を企図したかのように思えたが、実際に動いてみれば、あっという間に「“帰国”前夜」の一日である…

12月20日は、佐賀から長崎へ移動した…

JR九州が運用中の特急列車用車輌にも色々と在るが、JR九州の様々なデザインを手掛ける水戸岡氏の声望を高めた787系電車に興味が在った。当初は九州を縦断する特急列車<つばめ>に供するべく登場し、新幹線の部分開業後には<リレーつばめ>という型で運用されたが、現在は九州各地の特急列車として活躍中である。昨日は、この787系に乗車した。

これまで、特急用車輌としては783系電車、885系電車には乗車したことが在った。883系電車は専ら博多・大分間なので、その方面で出くわす機会が在ることを期するばかりだが、787系電車については方々で動いているので、出くわす機会は多い筈だ…そういうように思っていたのだが…なかなか乗車する機会が無かったのだ…

昨日朝の佐賀は雨だったが、長崎でも小雨だった…やがて雨が上って晴れ間が広がったが、結局また雲が多くなって雨が交じり、さらにまた雨が上った…

長崎では…眼鏡橋を眺め、大浦天主堂やグラバー園を訪ねた。グラバー園を訪ねた後、宿にチェックインしようとしたが…路面電車で座って居眠りをしてしまったようだった…下車しようとしていた停留所を乗り過ごしてしまうところだった…

宿で一息入れた後は、長崎県美術館の屋上庭園からの眺望を愉しんでいた…やがて宿に戻り…直ぐに眠ってしまい…気付くと5時間程度も経っていた…妙な時間帯に眼を覚まし、今度は直ぐに眠ることも出来ない…若干、写真の整理をした…

今一度眠り…普段、朝に起き出すような時間帯に眼を覚ました…近所のコンビニに出て珈琲等を求めたが…昨夕はやや強めに感じられた風が、多少穏やかで、雨も降っていない。大変に結構だ…

今般は<九州ネットきっぷ>を計3回利用したことになる。鹿児島・佐賀はやや特殊なように見える内容をお願いしたが、佐賀・長崎、長崎・博多は“定番”な経路で、<九州ネットきっぷ>は安価だと思う。九州では<旅名人の九州満喫きっぷ>という、JRの普通列車と各私鉄・三セクの列車に乗り放題というモノが在る。昨年はこれの御世話になったのだが…これは「有効期間内の3日間」使える。それの「1日あたり」の価格と、“定番”な経路での<九州ネットきっぷ>を比べると…後者が安価に思える場合も在る。今般はそれに該当した訳だ…

今般の旅では<青春18きっぷ>も使用している。札幌で求め、最初は札幌・新千歳空港間をそれで移動し、福岡に着いた後は博多・小倉・門司港・下関・小倉というような動きで使用している。翌日は小倉・宮崎間で、翌々日は宮崎・えびの・都城・鹿児島でそれぞれ使用している。未だ有効な部分が残るが、それらは“帰国”後の北海道内で使用するつもりだ…

窓から少しだけ明るくなった戸外を伺うと…今日の長崎は雲が多いようだ…

博多に移動し、今日は福岡在住の友人と会う計画も在る…楽しみだ!!何も、慌てる程のことはない…宿でゆっくり過ごして、長崎駅に向かうだけの感じだ…

鹿児島中央駅の新幹線ホームを鳥瞰出来る喫煙コーナー(2014.12.19)

昨年12月、鹿児島中央駅に寄った際には何やら工事中だった…商業施設となる駅ビルの“新館”を建てていたのだ…

今年9月末にその“新館”がオープンしたと聞いていた。鹿児島中央駅に到着した時も、昨年のような“工事中”は無かった…

<はやとの風 4号>で“昼食後”な時間帯に鹿児島を発つことに決めたことから、「“新館”を一寸眺めて、何処かで少々早めに昼食を摂って…」程度のことを考えた…

“新館”は7階まで在る…各フロアを眺めていて、7階に至った…何気なく“喫煙コーナー”が眼に留まった…中に入ってみた…

↓真正面の硝子窓にこんな光景が!!


居合わせた場所は、鹿児島中央駅の新幹線ホームの真上だった…到着して折り返す列車が、ホームで待機している様子が見えた…この日は素晴らしい天候で、各車輌も青空に映える!!

何か「好い場所!!」が偶々見付った感である…この“青磁色”(?)というようなN700系新幹線…2011年に博多・鹿児島中央間、2012年に新大阪・熊本間で乗車したことがあるだけなのだが…眺めながら「また何時か…」という想いを抱いていた…

鹿児島中央駅のコインロッカー(2014.12.19)

馴染みが薄い土地で視掛ける“広告”は、地域でポピュラーな産業や、地元企業の名前を知る切っ掛けとなり、なかなかに面白かったりする…

鹿児島では…焼酎の広告をよく視掛ける…鹿児島中央駅は、市内や近在の焼酎の消費者のみではなく、遠来の人達も行き交っているので、焼酎のブランド名等を宣伝するには好適な場所と考えられているのであろう。色々な焼酎の広告を視掛けた…

↓これが秀逸だった!!


「微妙な位置に<桜島>の看板?」と思っていたのだが…コインロッカーにラッピングを施してあるのだ!!

「うわぁ!!」と注目したのだが…場所柄、旅行者や買い物客が存外にコインロッカーを利用している様子が見受けられた…

コインロッカーというようなものは、何処でも似たようなモノで、沢山在ると「何処に荷物を預けたか?」となる場合も在るかもしれないが…こんなに煌びやかにラッピングが施されていれば、場所を覚えて見つけ易いかもしれない…

<桜島>はポピュラーな製品で、北海道内のコンビニでさえ視掛ける焼酎だ…一升瓶とロゴの他、命名由来となっている“桜島”のイラストも美しい…

長崎県美術館 屋上庭園から望む長崎港(2014.12.20)

今般の旅も終盤に差し掛かっている…鹿児島から佐賀へ移動し、「ここからどうする?」と迷ったが、長崎へ足を運んだ…結局「長崎ファン」なのかもしれない…

小雨な中で到着し、昼食を愉しんでいた間に晴れ、晴天の中を歩き回れば雲が多くなり、雨が交じった…更にまた雨が上った…

長崎で宿泊したことが在る宿…考えてみれば現在居る場所ばかりだが、ここは長崎港から出る旅客船のターミナルや、ウォーターフロントの商業施設等に近い場所だ…最近、近くに“長崎県美術館”が在ることを知った。

長崎県美術館は、港の緑地に近い。「海辺の公園の中の美術館」という趣だ…夕刻…とりあえず雨が上っているので、この長崎県美術館に足を運んでみることにした…

美術館の展示を愉しもうという趣旨でもない…屋上庭園の眺望を愉しもうとしたのだ…

長崎県美術館は、展示を観るのは有料だが、中には無料で入ることが出来、屋上庭園にも入場料は不要だ…

屋上に出てみれば…海を渡る風が存外に冷たい…ニットのキャップや手袋を上着のポケットから出して着用した…

↓とりあえず…女神大橋や造船所が「煙っている」感じに見えた…


残念ながら雲が厚めで、見ている側が西の空の筈だが、夕焼けに染まるでもなかった…そうした中で次第に灯りが目立つようになって行く…

↓画面左端に大浦天主堂が見える…

↑大浦天主堂と言えば…密かに“信仰”を護って来た人達が“発見”された切っ掛けになった場所で、1865年の出来事だったという。年が明ければ150年…往時はライトアップこそ無かったであろうが、現在のようにビルが在るでもないから、日中は遠くからも天主堂の威容がよく見えたことであろう…

↓目を転じると稲佐山が見える…

↑一昨年と昨年は、長崎で天候に恵まれたこともあって、稲佐山に日没の少し前に上った…山頂部の風はなかなかに冷たかったが…あの山頂から、この時に居た辺り等を望んでいたことになる…

↓女神大橋も照明が目立つ感じになって来た…


今回の長崎…極短時間の寄道で、“新規”に何処かを訪ねてみたという程のことは無かったが…この長崎県美術館は初めてである…

長崎県美術館の後…宿の傍の<スターバックス>で、一番大きなサイズの珈琲を買込み、宿に持ち帰って頂いたが…とんでもなく眠くなり、寝入ってしまった…気付けばかなり遅めな時間帯になっていた…そんなことも在る…

長崎の夜景…稲佐山のような“鳥瞰”も好いが、こういう感じも好きだ!!

運行日誌(2014.12.18-19)

鹿児島に着いた12月17日夜…「県内の何処かへ?」とも思っていたが…朝になってみて…「桜島でも眺めて…」と思い付き、結果的に“絶景”に昂奮!ゆっくりと過ごした…

余勢を駆って、「黎明の桜島」を愉しんだ後、移動開始…

JR九州による“ネット予約”はなかなかに使い易い…2012年に試用し、なかなか好かった―定番の都市間の移動では、“2枚きっぷ”とか“4枚きっぷ”と呼ばれる往復割引の片道相当額で求められたりする…私のように「敢えて往復はせずにグルグルと各地を巡る…」ということをする場合にも使い易い!―ので2013年にも使い、今回2014年にも使ってみた…

↓下記のコースに必要な「鹿児島中央・佐賀」の乗車券に、各特急券と指定券を纏めて予約出来、更に鹿児島中央駅の自販機で切符を受け取ることも出来るのだ…
鹿児島中央・吉松=特急<はやとの風 4号>
吉松・人吉=<しんぺい 4号>
人吉・熊本=特急<九州横断特急 8号>
熊本・大牟田=普通列車
大牟田・鳥栖=快速列車
鳥栖・佐賀=特急<かもめ 45号>

多分…鹿児島中央から新鳥栖まで新幹線で出た場合の倍以上の時間を要するであろう…しかし…<はやとの風>や<しんぺい>は「乗車自体も“旅の目的”」になるような感が在る…<九州横断特急>も、本来の“目玉”である「阿蘇の高原を越えて熊本から大分」を明るく、景色が見える時間帯に乗車するなら、それ自体が“目的”になりそうな列車だ…

ところで何故佐賀に来たのか?理由は無い…要するに<はやとの風>や<しんぺい>を使おうとしたのだが…長崎辺りへ入るか、福岡県内で動くか、大分県内で動くか、何となく決め損ねて…「では、それらの“狭間”の佐賀…」と思い付いたのだ…

考えてみると、金曜日の夜だ…博多・長崎間の<かもめ>の“途中区間”に短時間乗車したが…車内は酷く混み合っていた…

佐賀を今夜の滞在に選んだのは…佐賀駅の「少し静かめな側」の宿に、2012年、2013年と各々1泊し、居心地が好かったことと…駅の反対側の居酒屋で頂いた親子丼や焼鳥が好かったということを思い出したからだ…

宿に入って、少し落ち着いたので…夜食にでも出てみたい…

御来光!!

通勤通学のお忙しそうな皆さんの傍らで、「北の国からの徘徊者」は、コンビニのレジ袋を抱えてふらふらしていた訳だが…

今朝は“いづろ通”電停から少し先の<ドルフィンポート>辺りに、早朝で冷えていたのでニットキャップを被って出掛けた。黎明の桜島!!素晴らしい!!

暫しその「黎明の桜島」の風景を愉しみ、朝食にサンドイッチを買込み、“茶代わり”に<さくらじま>のペット容器を…

今朝はスロースタート…昨日求めた切符は、午後に発つ列車のものだ…

今般の鹿児島…素晴らしい風景に出会っている…実に嬉しいことだ!!

鹿児島:西田橋(石橋記念公園)越しに望む桜島(2014.12.18)

仙巌園の辺りから“シティービュー”に乗車した。“シティービュー”は決められた順路を巡回して運行しているのだが、2系統在る。仙巌園は両系統のバスが停まるが、往路と復路で乗車したバスが偶々別系統のバスだった…

海岸の美しい眺望を楽しみながらバスに乗っていて…往路では通らなかった石橋記念公園辺りの停留所を通ることを思い出した…

停留所が近付くと下車希望の押しボタンを押して、「西田橋はここでしたよね?」と運転手氏に尋ね、「あちら側ですよ」と指し示されながら下車した…

↓西田橋の在る辺りから、こういう具合に桜島が視える…

↑以前に鹿児島を訪ねた経過の中でも寄ったことが在るのだが、バスの中で「今日は見栄えがする筈…」と思ったのだ…

天保年間、甲突川に石造の橋が架けられて永く使われていたが…“五大石橋”と呼ばれていたモノの2つが水害で損なわれたことから、残った、また傷んだ3つを公園内に移築しているのだ…

その3つの橋の中、西田橋は“領外”への街道に通じる道筋と繋がっていて、島津家中の要人や関係者が通り過ぎた場所でもある…歴代の島津侯が参勤交代で渡り、将軍家に嫁した篤姫のような身分の高い女性を含む一行が渡り、島津斉彬侯の特命で各地を駆け回ったという若き西郷隆盛のような人達が渡ったという橋だ…更に…今回は敢えて寄らなかったが、近くに資料館が設けられていて、“建築技術”の観点でも興味深い西田橋の紹介も在る。

↓こうして桜島を視ると…「相当に高い山?」というようにも思える…


この後…路面電車の停留所が在る鹿児島駅辺りへ少し歩いたが…ペット容器の焼酎を求め、「絶景に乾杯!!」と“茶代わり”にコンビニの店先で頂いた…

鹿児島:磯海水浴場から桜島を望む(2014.12.18)

城山を訪ね、概ね30分間隔の運行で市内を巡るバス“シティービュー”を待とうとベンチに腰掛けて居た時、辺りの売店を営んでいる方と言葉を交わした。

「今日は桜島の眺望が殊更に佳い」という主旨の話しになったのだが、“冠雪”という状態が見受けられるのは、大概は「2月頃」なのだそうだ。「12月中」は「一寸珍しい」らしい。

実は昨年…鹿児島に寄った時がやや強い雨で、桜島の姿が見えなかったので、非常に残念に思っていた。或いは…「去年は申し訳なかった…」と“桜島どん”が美しい姿を見せてくれたのかもしれない…そんなことを思い、“僥倖”に感謝!!

そういう想いで、仙巌園と尚古集成館とを、久し振りに訪ねて美しい風景等を愉しんだが…宿の在る方へ引揚げる前に、一寸道草を…

↓こんな様子を…

↑天候が好転し、「輝く蒼天と錦江湾」に桜島が浮かび上がる感じになって来た…

陽が高くなり、桜島の陰影が濃くなって来た…素敵だ!!

鹿児島:城山から冠雪した桜島を望む(2014.12.18)

「早朝出発」が続き、何となく「普通な朝…」と思い…結局「鹿児島でのんびりと…」ということにした…

“1日券”を手に“シティービュー”という30分間隔で動くバスや路面電車で動くことにした…

気に掛かったのは…「桜島の眺望」である…昨日、鹿児島に向かう途中、かなり雲を被った様子が見えていた。冠雪していた…

バスで城山に向かう途中にも少し見えていたが…

↓城山ではこういう具合に桜島が見えた!!


「曇り後晴れ」という天気予報…的中だ!次第に天候は好転したが…天候が好転する最中、冠雪した桜島に光が降り注ぐ感である…

↓雪、緑、岩肌が組み合わさった、なかなかに鮮やかな装いの桜島である…

↑「12月に冠雪」というのは、少し珍しいそうだ…

実は昨年、「桜島が視えない程度の雨」という中で鹿児島に滞在した…その分の“埋め合わせ”というのでもなかろうが、今日は美しい様子が見えた…

こんな光景が視られる街…ファンになってしまう!!

“普通”(?)なスタート…

早朝であれば“順番待ち”は発生し得ないであろうと、宿のコインランドリーを利用した。便利なものだ…“全自動”で大変結構だが…案内に在る時間以上に、乾燥までに時間が掛りそうだ…

「小倉から大分県内を縦断して宮崎へ」にしても、「宮崎からえびの、都城を経て鹿児島へ」にしても、「未だ暗い」時間帯からの始動であった…今日は「明るくなってから」動き始めることとした…

明日…佐賀へ移動することにして、鹿児島にはもう少し滞在する…別段に用事が在るでもないのだが…今日は「“緩急”の“緩”」という感じか…

今日は…何をどうするか、余り考えていない…

運行日誌(2014.12.17)

「縁が濃いでもない」とは言え、何度か足を運んでいて「多少、勝手知った場所」という感じの鹿児島に滞在中だが…何か“安堵感”のようなものを感じるようになっている場所だ…何らの深い縁が在るでもないが、鹿児島中央駅の改札口を出ると、頭の中で「還って来た…」と感じていることに気付き、何となく苦笑する…

そんな鹿児島には、多少馴染みな“屋台村”も在るが、「何か逸品突いて、軽く呑んで、何軒か…」というスタイルで、ついつい寛いでしまう…

宿へ引揚げる場面で、路面電車の停留所2つに相当する距離を歩いたが…降り頻る雪の中、田圃の真中のような場所で誰も居ないような中、とにかくも線路らしきモノを遠くに望んで“2駅”を歩いた苦しさを思えば…「全くの日常」という範疇だ…

「福岡到着から鹿児島まで」の道程だが、小倉から大分県に出て宮崎県に入ってから来ているので、“屋台村”で言葉を交わした、大変に気に入っている豚丼を出してくれる店の店主氏の表現を借りると「遠回り」で辿り着いたことになる…

その「遠回り」の後半が今日の行程だが…寄道、回り道もしている…

宮崎→都城(乗換)→えびの
(えびの→えびの飯野 の2駅間は徒歩…)
えびの飯野→都城
都城→西都城
西都城→鹿児島中央

驚いたのは「えびのの雪」である…早朝の列車で移動中、都城を出て程無く雪が見受けられ、高原(たかはる)以西では随分と雪が見受けられた…午前10時台の列車で引揚げた際、えびのは相当な雪であったが、隣りの小林に行けば少な目になり、以降は都城まで雪は無かった…えびの辺りは「極端に雪が多い」感じであった…

都城や鹿児島でも、今日は風が冷たい感じだった…近所であれだけ派手に雪が降っていれば、冷たい空気も近くに在るのであろう…

都城では<ななつ星in九州>を目撃した…実に美しい列車だ!!

今日の状況に関しては…順次、画を整理して公開しながら、追って仔細を紹介したいところである…とにかくも…「よく動いた…」感じである…

明日はどうしたものか?余り詳しく考えてはいない…

運行日誌(2014.12.16)

とにかくも、宮崎駅直ぐ傍の宿に入った。部屋では、買込んだ<霧島(20度)>のペットボトルを呑み、一人で“安着”に乾杯である…

午前6時前から、午後9時過ぎまで動き回った型になる…「バタン!!」と眠ってしまう可能性も在るので、とりあえず一日を振り返っておく…

結局…

小倉→中津=散策
中津→杵築=散策
杵築→大分=昼食
大分→臼杵=散策
臼杵→佐伯=休憩と宿の予約
佐伯→延岡→宮崎=宿泊

というような具合で、移動は全て普通列車である…強いて言えば、杵築の市街が駅から一寸遠いので、往路はバス、復路はタクシーだったが、散策時等は全て徒歩だ…

小倉から大分県内に出て宮崎に至るコースは、“日豊本線”の命名由来になっている日向と豊前・豊後を結ぶラインで、“日豊本線”の大半を「普通列車だけで丸一日がかり」で踏破したことになる…

大分県内の、街を散策した各地だが…市町村合併により、人口はそこそこである他方、街は何れも静かで、各々に古くからの伝えられてきたモノが垣間見える…何れもなかなかに好かった。もう少し天候が好ければ、更に好かったが…

無制限に膨大な「訪ねてみたい地域のリスト」から…今般はとりあえず大分県内を動き回った…

明日はどうするか?起き出してからハッキリ決めよう…

始めたばかり…

門司港駅から歩き始めて、和布刈の高台を上り下りし、“関門人道”で下関に侵入…他にも札幌で多少歩いているが…

現在は「多少、歩いたから、身体を休めて…」というのではなく、「大橋梁を手に取るように眼下に望む」とか、「海底を歩いて“県境”を越えた」というようなことに昂ぶっているのであろう…「長く眠る」というより「深く眠ってしまう」という感で、“早起き傾向”だ…

今日は少し南下を試みたい…先程、「風雨?」とも思える音が聞こえていたが…動き始めた後は…「成り行き」に乗るのが私の流儀だ…

和布刈(めかり)から望む夜の関門橋(2014.12.15)

九州上陸―2010年、2011年、2012年、2013年(2回)に続いて、通算で5回目…―に際し…「関門橋をゆったりと眺めたい」等と思い立った…

門司港駅から少し海側に行った辺りで見えるのは承知していたが…和布刈(めかり)という高台から鳥瞰も可能である旨を知った…

「暗くなってから」という時点で行動を起こし…暗くて看板が見えないとか、足下に要注意という中、門司港駅から歩いて<めかり公園>に何とか至り、高台に上った…

↓坂道を上って行けば…途中でこういう様子が見える…


↓上りきってしまうと、こんな様子が!!

↑暫し見蕩れた…

↓左側に下関の市街が拡がっている…

↑九州の北東端部が、本州の西端部と結ばれているのだが…視ていると「同じ陸地」と錯覚してしまう…

駐車場に車が若干出入りしていた…殆どが「デートの類」と見受けられる男女組…私のようなおじさんが、一寸したカメラ機材を小脇に抱えて、歩いてうろうろしているのは…「不審な行動」に見えたかもしれない…

復路、高台から下りる際…「こんな場所?通ったか?」というコースに迷い込んだが…“関門人道”なるものに続く道路に出た…門司港から和布刈の高台に上って、下りて、“関門人道”を歩いて下関に侵入し、バスで下関駅―途中に“壇ノ浦”という停留所も在り、赤間神宮や唐戸や水族館の辺りを通る…3枚目の写真の左側へ進んで行くと下関駅が在る地区になる…―に行って、列車で小倉の宿に引揚げた…

いきなり「かなり歩いた」感だが…浪漫溢れる大橋梁を鳥瞰して、少し充足感が…この「関門橋の画」は、どういう出来栄えか、早く視たかった…長時間露光等をしたので、ゆっくり視なければ出来栄えは判り悪いのだ…暗い中で、多少苦戦しながら歩いただけのことは在ると思える画になった…

下関駅へ向かうバスを十数分待っていて、午後9時を少しだけ回ったが…その頃には橋梁のライトアップは消灯となっていた…

運行日誌(2014.12.15)

普段は眠っている場合も在る時間帯まで…精力的に動いてしまった…経過だけ簡単に振り返る…

「空路で鹿児島を往復」ということをした2013年3月以来の「羽田空港乗り継ぎ」で福岡に入り、途轍もなくスムーズに博多駅から門司港へ向かう列車に乗車…途中で快速に切り替えた…

小倉に着いた時は真っ暗で…「劇的な光」が期待出来るでもないので、ひとまず宿を取って入った…

午後7時前になって、活動開始…門司港駅へ列車で向かった…

門司港では…「関門橋が視たい!!」と“めかり公園”の方へ歩いて、山道を上って“パーキングエリア”から巨大な橋梁の鳥瞰を愉しんだ…

山を下って…何やら寂しい辺りに至ったが…“関門人道”という、海底トンネルの歩道に行き当たり…「海の底は“県境”でござります…」と山口県側へ…海底トンネルでジョギングやウォーキングに勤しむような人達が存外に多く、少々驚いた…

やがてバスで下関駅へ…その名も“壇ノ浦”という停留所が途中に在った…

下関からは列車で小倉に引揚げた…とりあえず…コンビニ食料で空腹を満たした…

明朝も早くから動く計画…

早暁(?)に…

「コンビニ直結」という宿なので、不意に珈琲が欲しくなった時には助かる…

概ね「普段に眠気が射す、やや早めな時間帯」に眠ってしまい、深く眠ることが出来たらしく、「やや早い?」位で目を覚まし、また少々休んで起き出した…もう一寝入り位しても差し支えないが…

昨日、休む前に“選挙速報”を一瞥し、起き出してから更に視たが…「想定どおり」と言うのか…“低投票率”というようなことで、“想定”された傾向が「更に後押し」されたと言うのか…所謂“サプライズ”というようなことにはならなかった…

「選挙」と聞いた時…「A、B、Cの3候補から1人が当選というルールで、例えばAが当選したとして、B+Cの得票がAより多かったとする。或る案件で、Aが“積極推進”を唱えていて、BやCが“慎重論”を唱えていたような場合、“有権者の真意”はどうなるのか?」というようなことを思った…視れば、A、B、Cの3候補が出ているような選挙区では、「当選A 対 落選B+C」の得票差が「5.5対4.5」程度の選挙区も、「4対6」程度の選挙区も、「3対7に近い(D候補も居たような場所)」程度の選挙区も在った…気になっていたところで、或る日読んだ新聞には、現行制度に関して「3割程度の得票で7割以上の議席が得られる」という解説が在った…

偶々目に留めた選挙区で、「9万票台」で当選している候補の他方、他所で「10万票を少し超えた」得票で次点になっていた候補も在った。こういうのを「一票の格差」と呼ぶのだろうが…こういうことよりも、上述の「“有権者の真意”が汲まれ易い状況か否か」という方が、「より大きな問題」のように思う…

現在の制度になってから少し時間が経った…そろそろ「本当にこれで善いのか?」という話しも出て来る頃かもしれない…他方…「本当にこれで善いのか?」を雄弁に語ることが叶うのは、“後世の史家”な訳だが…

滞在中の宿の部屋には、「些か不恰好?」とも思える程度に大きなテレビが据えられている。この部屋なら…「ベッドの端から視る」ようなことでもしなければ、落ち着いて画面が視られない大きさのように思う…そんな理由で、この部屋でテレビは点けていない…選挙速報はノートパソコンを使って、ニュースサイトで視た訳だが…

↓こんな按配だ…

↑こういう感じ…最近は視掛ける機会が多いような気もする…

「だから、どうした?」程度の話しかもしれないが…昨夜、休む前に気象情報をブログに表示出来るようにしてみた…「札幌の最低気温は氷点下7℃で、福岡の最高気温は10℃…その差は“13℃”である…」としたが…正しくは“17℃”だ…小学生の頃…それこそ、路面電車のすすきの停留所で昨日視掛けた少年のような年恰好だった頃、“算数の問題”と言えば「○○がこうなって、△△の時、□□は幾つですか?」というようなモノの計算式は、他の誰も出来ていなくても造ることが出来たが…計算を頻繁に間違えた…「計算の出来ない子ども」だった訳だが、そのまま“おじさん”に至ってしまった…それにしても…今日の夕方には着く予定の北部九州は、「10℃前後」で場合によって「多少低めな気温」という辺りだと思われる…「10℃以上の温度差?」という大枠は間違っていない…

「計算の出来ない子ども」だった頃、漫然と思っていたようなことを、今ならもう少し“言葉”に出来る…「他所の人は計算が出来て、自分は出来ないのなら、計算は他所の人がやれば善い。他所の人が式を思い付かず、自分は思い付くなら、自分がやれば善い」というようなことだ。多少“一般化”するなら…「出来る人が出来るようにやる。出来ない人は出来る人にやって頂く。出来ない人でも、出来ることが在る時には、それをやれば善い」ということになるだろうか?或いは、世の中には余りにも色々なことが在るので、各々のことに関して“専門家”とか「得意な人」というのが居て、各々の“専門”とか“得意”が持ち寄られて「社会」が成り立っている…何時の間にか、こういう考え方を「地で行く」ような雰囲気になっていたような気がするが…“同質化圧力”のようなものが少々強い感じの巷では、これは「はみ出し者の理」のような側面も在るのかもしれない…

考え事をしている間に、珈琲も無くなってしまった…「深く眠ることが出来たらしい」ので早く目覚めたが…それ以外にも…7月末、8月初め以来となる「飛行機でのお出掛け」なので、「愉しい遠足前夜の子ども」のようにワクワクして寝ていられなかったのかもしれない…

札幌の路面電車:SNOW MIKU 2015(2014.12.14)

札幌都心を少々歩き…西4丁目に差し掛かった…

↓路面電車の西4丁目停留所にこれが現れた…

↑少女のキャラクターで彩られた華々しい電車…

これが<SNOW MIKU 2015>である!!

これもまたラッピング広告な訳だが…

↓広告主が出している情報だ…
>>SNOW MIKU 2015 | 雪ミクラッピング市電

↓ラッピングのモチーフになっている“雪ミク”とは、「冬の北海道を応援するキャラクター」とのことである…
>>SNOW MIKU 2015 | キャラクター紹介

そもそも“ミク”というのは、札幌に本社を構えるソフトウェア会社が手掛けた、音声合成システムに対応したボーカル音源を駆使して、メロディや歌詞の入力により合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することが出来るモノと、そのイメージキャラクターらしい。イメージキャラクターとしての“ミク”は、言わば「ヴァーチャル・アイドル」である…

↓今季は、ペットのウサギを従えているようだ…


この“雪ミク”のラッピング電車は、近年、毎シーズンやっている…とにかく派手なので、札幌の電車沿線で、この車輌は非常に目立つ!!

ふらりと歩いて、西4丁目停留所辺りを通って出くわした…何か「運が好い」ような気になってしまう…

明日の気象情報…

表示出来るようにしてみた…

↓出発地・札幌…


↓経由地・東京…


↓到着地・福岡…


明日以降、この記事を開くと、開いた日に出る予報に切り替わって行く筈だが…

記事を起こした時点で表示される12月15日の予報によると、札幌の最低気温は氷点下7℃で、福岡の最高気温は10℃…その差は「13℃」である…

札幌の路面電車:“クリスマスバージョン”の“221”(2014.12.14)

札幌市電の“221”は「赤いコカコーラのラッピング」で長く走っているようだが…

↓この時季には「華やかさ」を増すようだ!!

↑鐘の画や“雪マーク”が加わっている…

宿に入って一息入れてから、「一寸その辺を散策…」と思い立って出て、すすきの停留所を通り掛った際に現れたのが、この“クリスマス・バージョン”となった“221”である。

↓よく視ると、クリスマスの“リース”まで飾られている…


この電車から最後に下車した親子連れが居た。「お母さんとお出掛け」という風情の、小学校低学年位と見受けられた少年が「カッコウ好い電車だね!!」と暫らく車輌を眺めている。お母さんと見受けられる女性は「行くよ!!」と促したそうにしていたが、無邪気に「好いなぁ…」と赤い電車を眺める少年を見守っている…

私は何気なく「美しい!!あの“221”…」と写真を撮っていたが…「カッコウ好いから、何処かのおじさんが写真撮ってるよ!!」と少年の声がした。敢えて構わなかったが…「ボクの言うとおりさ…好いじゃないか…この電車!!」と内心では思っていた…

↓やがて電車は、仄かに染まる西の空の方角へ、乗客を沢山乗せて去って行った…

↑少年は電車に手を振っていた…そして、お母さんと見受けられる女性に手を引かれて去って行った…

12月半ばに、「札幌に着いて、最初に視た路面電車」がこれだった…何か、時節に相応しい歓迎をして頂いたようで、少し嬉しい!!

運行日誌(2014.12.14)

「以前に利用した際、居心地が好かった」という理由で、価格的にも好かったので予約してあったすすきの地区の宿の部屋でゆったりとしている…

この宿は、1階から戸外に出ないで同じ建物に入居しているコンビニを利用可能だ。エレベーターの傍にコンビニへの出入口が在る。私は8階の部屋だが、エレベーターに近い位置に陣取っている…何時でもコンビニを利用可能な状態…ということで、何やら珈琲を買込んだ…「美味い珈琲」がリーズナブルな価格で、この寒空の戸外に出ずに…拙宅に居る時に自身で淹れるのも好いが、こういう「手軽!!」なのも好い…

そんな具合にして入手した珈琲を頂きながら、今日を振り返る…

今日は…結局、「札幌に出て来て、宿で寝る」というだけのような感じだ…明日から「本格的に動く」ことに先駆けて、便利な札幌まで動いたという話しになる…

朝の稚内は「軽い地吹雪」という寒々しい感じだった…曇天基調の中でバスは南下したが、順調なペースだった…留萌辺りでバイパスに入るのだが…その手前辺りで居眠りをしてしまった…気付けば深川周辺であった…

深川周辺でバイパスから高速道路に乗るのだが、その辺りで天候が好転し、何か「積雪が眩しい…」という感じがした…やがて江別の近くに至ると…「舗装路面」が車窓に見えた…

確か12月6日辺りに札幌を訪ねた方が「雪が無い!!」という話しを伝えてくれたが…その後に聞けば、12月7日辺りに雪が降り積もったらしい…その後、降った、降らないと何日か経っている型だが…札幌市内は雪が少ないように見える…

「都市間バスの御案内」に示された時間帯で、確りと“大通バスセンター前”に着き、ゆっくりと街を歩き始めた…歩く箇所に関しては、一部に積雪や凍っているようになっている箇所も見受けられるが、概ね「歩き易い」状態…舗装が覗いている状況だ…

振り返ると…昨年も同じような時季に動き、「夕刻までに新千歳空港に行って、飛行機に…」と計画し、列車が85分も遅れて、札幌でも駅が混乱していたので空港入りを諦めた…後で聞けば、予定していたフライトも欠航していた…翌朝に「仕切り直し!!」で新たに航空券を用意して出発したのだった…

そういうことが在ったから…「最初は“札幌に出て、宿で寝る”で結構…本格的に動くのは、その次の日の朝から…」という計画にした…そして…「普通列車を延々と乗り継いで…」というのも愉しいのだが、それは「これから!!」にして、素早く(?)都市間バスということにした…都市間バスにしても、「天候が?」と思わないでもなかったが、今日は極めて順調に動いた…時には好いものだ…

札幌も好天であったが、何か氷点下2℃程度で、空気の“冷涼感”は強めだった…多少散策もしたが…こんな感じの冷涼感に対応するような、例えば「(サハリン仕入れ)ロシアの警察仕様の防寒ジャンバー」というのではなく、“出先”を顧慮して「(裏地は無い)M65」を引掛け、<アンダーアーマー>の寒冷季用のアンダーウェアに、デニムの長袖シャツというような“極軽装”で登場した。ニットのキャップや手袋は確り持っていて、それらを使うが、余り長く戸外を動き回ると…“冷涼感”が少々堪えた…

宿の部屋で…今日の写真を若干整理した…“私の基準”では「然程撮っていない」感じではあるのだが…「白い世界」な稚内から、一転して「冷えた青空」の札幌に至り、少々華々しいイルミネーションも交えた感じになるのが、少々面白い…

↓12月14日の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC 14, 2014' set on Flickriver

「気侭な旅」ということになれば、行程の中で「ネットカフェ夜明かし」も厭わずにガンガン動き回る…存外に体力も要る…結局今夜は「力を温存」という按配か?時にはこういう過ごし方も好いかもしれない…

前夜…

或る意味「正しい休日」と言えると思う。心穏やかな土曜日を過ごし、夜を迎えた感だ…

選挙の“期日前投票”とやらに出掛け、「出口調査」とやらに愛想好く応じた足でサウナに行き、道草をしてランチを愉しみ、更に道草で喫茶店に寄った。喫茶店で…「北海道一周ドライブ中」と聞いていた友人が姿を現し、久々に語った…思い付いてのドライブ旅行で、道路状況が想像以上に悪くて苦戦も強いられたらしいが、色々と“発見”も多かったようだ…そんな話し等も伺った…

そんな愉しい出来事も在って、何か想定以上に遅めに帰宅である…

帰宅して、宮崎県の飫肥に興った、伝統を誇る酒造会社が“昔風”を謳う、その会社の輝かしい歴史を象徴する「昭和天皇への献上酒」も「こういうものだったのか?」と想像させてくれる本格焼酎をゆったりと頂いた…

そうした事情も手伝って、何やら眠気が差す夕べだ…現在も「何時でもお休み頂いて結構です…」という態勢で大人しくしている…

今日出くわして、久々にゆったりと語った友人は、何年前であったか精確に記憶していないが、稚内から他所に転出している。そうした意味で「久々」ということになったが、双方共に市内に居た頃には、会う機会も多かったし、色々なことを一緒にやったし、様々なことを語ったものだ…久々に会えば…往時の「どうも!」とか「毎度!」が、「久し振りだな!!」と“冒頭の挨拶”が往時と変わっただけで、後は全く変わらずに語り合うことが出来る…

永く続く「友好的な付き合い」というのはこういうものだ…今日出くわした友人との付き合いは…十数年に及ぶと思うのだが…相手が二十数年の付き合いであろうと、数年の付き合いであろうと、「友好的な付き合い」というのは「各々の尊い」と私は思っている…

或る時、何処かの方が「友好最先端」なる表現を用いた。すると別な方が「友好最先端」なる表現に飛び付いて連呼している…ふと思った…「“友好最先端”なる表現は“どういう意味”か?」とである。「友好最先端」なる表現に飛び付いて連呼している方に追随している方達の一部にそれを尋ねてみた…「○○が言った」という応えしか無かった…では「“○○”が言ったことは全部正しいのか?」と思うが、それに関しては未だに不明だ…確か10年かそれに近い年月が経っているが、未だに「友好最先端」なる表現の“意味”は不明で、連呼していた人さえいたが、現在は人口に膾炙しているとも言い難い…

「友好的な付き合い」というのは、「各々の付き合いが、各々に尊い」ということで充分な筈で、“最先端”とか“発展途上”というような尺度で比較するようなものでもないと思う…もしそういうように、「友好的な付き合い」というのが“最先端”とか“発展途上”というような尺度で比較するような筋合いのモノであれば、現在でも「友好最先端」なる表現は人口に膾炙していなければならないのではないか?

折しも友人がドライブ旅行をしていた最中…私は「気侭な旅」に出る前夜を迎えている…立寄る先に関しては、「何度目かの訪問」となる場所も、「初めての訪問」となる場所も在るのだと思うが…“訪ねる先”との関係も…「友好的な付き合い」の一種のようなもので、各々の場所との各々の関係が各々に尊いのだと思っている…明朝に出立だが…交通の乱れが無いことを祈るばかりだ…

気になる…

「出掛ける」という予定が近付くと…「出先の天候?」と妙に気になる…

>>九州北部地方週間天気予報 平成26年12月12日10時36分 福岡管区気象台発表

予報期間 12月13日から12月19日まで

向こう一週間は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、雨や雪の日が多いでしょう。
なお、期間の中頃は、発達する低気圧や強い寒気の影響で、荒れた天気となるおそれがあります。 
最高気温、最低気温はともに、平年並か平年より低く、平年よりかなり低い日もあるでしょう。
降水量は、平年より多い見込みです。
海上は、波が高い日が多く、しける所もあるでしょう。


>>九州南部・奄美地方週間天気予報 平成26年12月12日10時35分 鹿児島地方気象台発表

予報期間 12月13日から12月19日まで

向こう一週間は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、期間の中頃にかけて雨や雪の降る日があるでしょう。
なお、期間の中頃は強い寒気の影響で、荒れた天気となる所がある見込みです。
最高気温・最低気温ともに、平年より低い日が多く、かなり低い日があるでしょう。
降水量は、平年並か平年より多いでしょう。
海上は、波の高い日が多く、期間の中頃はしける所がある見込みです。


若干の雨が交じるという感じか?或いは曇天基調か?どんな様子なのか…興味津々だ…

「12月」と言えば…

早くも、12月ももう少しで“第1旬”が去ろうとしている…12月に月が改まった直後、稚内では殆ど積雪が無かったが、12月2日以来、殆ど連日のように降雪の時間帯が在るような有様で、何時の間にか「時季らしさ」が増している…

こういう時季を迎えると…「急がない用事は“年明け”で構わないか…」というような考え方をする場面が多くなる…何か、「何も考えずに、ふらふらと何処かへ…」というような気分が募る…

過日読了の小説『浄土の帝』―かの後白河院を主人公としている…―に「九州之地者一人之有也」(九州の地、一人の者にこれ在るなり)という“保元の乱”(1156年の事件)の後に出されたという文章の一部が引かれていた。これは「九州の地は一人(=治天の君)の所有である」という意味で、公領も私領も最終的な権利は天皇家に在るとする“王土思想”を打出したものだ。

ここで言う“九州”というのは、古い中国の言い方に想を得た「日本の国土全体」を示す“雅称”である…「○○州、○○州…」と数えて9つということでもないようだ…

「“日本の国土全体”を示す雅称」としての“九州”は、上記の“保元の乱”に絡むモノのように用例は限られている。“九州”と言えば…「島の名前」、「地方の名前」という用例がより一般的だ。

古くから“五畿七道”というように全国各地を区分していたが、九州方面は“西海道”と言われていた。この“西海道”の中、陸続きの部分を指すところから、“九州”という言葉が起こっているように見受けられる…

旧く「○○国」という言い方が在り、“国”の意味で“州”を用いる場合も在った。だから“九州”と言えば「9つの国」ということになる。

「9つの国」?筑前国、筑後国、肥前国、肥後国、豊前国、豊後国、日向国、大隅国、薩摩国の9つだ…明確にこれらを指して“九州”としたのは戦国時代か、もっと下った江戸時代辺りらしいが、何時頃から定着しているのかは明確ではないらしい…戦国時代なら…例えば九州の諸大名を傘下に従えるべく出陣した豊臣秀吉は、それを「鎮西入」と呼んでいたらしい…寧ろ“西海道”から転じた“鎮西”という表現の方が、戦国時代辺りには人口に膾炙していたのかもしれない…

因みに、上記の9つにに対馬国、壱岐国を加えて「九国二島」、「九州二島」という言い方も在ったようだ…

今でも駅の名前や地名に上記の旧国名が登場する場合も在るが…現在では九州は「7県」で構成されている。

これは…明治時代になってから、江戸時代の大名達の知行地が単位となって県が設置され、それらが合併するなどしていった過程で現在のような型になって行ったものだ。

極大雑把に言って…筑前国、筑後国と豊前国の一部が福岡県、肥前国が佐賀県と長崎県(長崎県には対馬国、壱岐国の“二島”が加わる)、肥後国が熊本県、豊前国の一部と豊後国が大分県、日向国が宮崎県、大隅国と薩摩国が鹿児島県ということになるだろうか…

こういうような経過の九州…現在となっては「同じ県内」、「同じ市内」となっているような場合でも「異なる伝統を有する諸々の地域が寄り集まっている」ということになる。

「徒歩の旅」が基本であったような時代には、現在では「通勤・通学をしている人が大勢居る」ような距離の街と街でも、「一日掛かり」であったり、山や川のような自然の状態故に往来が更に困難であった場合も在った訳だ。また、「各々が異なる領主の下に」ということで、互いの往来に煩雑な手続のようなことを求められた場合も在るのかもしれない。だから、各々の街に各々の産業や伝統が育っていたとも言える…

現在は、乗物で嘗ては「一日掛かり」とか、「数日の旅」であった距離も手軽に移動出来る。従って…「手軽に、折り重なった多彩な伝統や、それが滲んでいる多様な地域に触れられる」ということが叶うのである。

九州を訪ねるようになって以来…未だほんの数年である…それまでは「縁が薄い未踏の地」に過ぎなかった…

初めて九州の地を踏んだ時―下関でビルの展望室から「間近に迫る九州の陸地と巨大な関門橋」を視て、「辿り着いてみたい!」という衝動を覚え、門司に至って博多まで足を延ばして引揚げた…―や、その翌年の再上陸の時―「関西方面に到達して北海道へ引揚げる」程度の考えで出発し、“勢い”で枕崎に至り、鹿児島から夜行バスで大阪に引揚げた…―には、「手軽に、折り重なった多彩な伝統や、それが滲んでいる多様な地域に触れられる」という九州を然程意識しなかった…

「手軽に、折り重なった多彩な伝統や、それが滲んでいる多様な地域に触れられる」という九州の面白さを意識するようになったのは…「枕崎まで至ったのは好かった。鹿児島が面白かった。途中の福岡で友人と会えたのも善かった…」の他方で、「多々在るという、九州の有名な場所に行けていないじゃないか?!」と“微妙な不満”を感じ始め、“再々訪”をした際のことだと思う。

「7県を結ぶ」というイメージだと思うが、特急列車に「7羽の燕が輪を作っている」様子のマークを使ったJR九州の列車や、九州ではかなりポピュラーと見受けられる都市間バスや、伝統を誇る各地の私鉄や、地元の皆さんが大切にしているであろう“三セク”等で方々を巡るということを、「年に一度位は…」と繰り返していたが、正しく「手軽に、折り重なった多彩な伝統や、それが滲んでいる多様な地域に触れられる」というのが愉しく、「止められない…」感じになっている。

以下、2011年、2012年、2013年に九州で撮影した画を含む“コレクション”へのリンクを挙げておく…各ページを開くと“アルバム”または“セット”と呼ばれるモノのリンクが並んでいる。それらをクリックすると、各々に収められた画が出て来る仕組みになっている…

↓2011年の画…
>>Collection: Photomatrix - Trip in DEC 2011

↓2012年の画…
>>Collection: Photomatrix - Trip in DEC 2012

↓2013年の画…
>>Collection: Voyage:DEC 2013 (Kyushu island and some others) (incl. Photomatrix)

「手軽に、折り重なった多彩な伝統や、それが滲んでいる多様な地域に触れられる」という九州だが…吉野ヶ里遺跡のような遥かな古代の様子を伝える場所も在れば、近世城郭の到達点のような感であると同時に西南戦争の戦跡でもある熊本城や、近世城郭を核とした古い城下町の風情を湛える飫肥や、交易の窓口としての経過から多彩なモノが伝わる長崎や、築いた人達の情熱が伝わるような大正時代位までに建設された古い天主堂や、ドラマチックな時代であった幕末の色々なことを想起させる鹿児島や佐賀や、伝統が生きている他方にアメリカの街か何かのように華やかな街が見受けられる福岡等、正しく“多彩”である…

実は今…「また、九州へ行こう…」と画策中である…

私の場合、出掛ければ「行ってみたい!!」、「視たい!!」が余りにも多く、「乗物による移動」自体も「見慣れない列車に乗車するのが嬉しく、愉しい!!」という性分なので、随分慌ただしく方々を駆け巡ってしまう…過去にもそういうようなことを仕出かした事例ばかりが思い浮かぶ…

近年の例では…2012年は訪ねた先々で比較的天候に恵まれていたと思う…2013年は雨天がやや多かった…雨天勝ちであると…「とりあえず何処かへ動こう…」という気分が募ってしまう…2012年は「綺麗に九州を一回り」というような感じだったが、2013年は「やや無駄に動いた?」という傾向が在ったかもしれない…

2014年12月の旅…どういう具合になるのか?出発の日までを指折り数えるばかりの昨今である…