『海の十字架』

↓休日に書店で出くわし、入手して愉しく読んだ一冊である。

海の十字架 (文春文庫 あ 32-9)



↑6篇の時代モノの小説が収められた一冊である。各篇が各々に面白い!文芸誌の一冊に収まるような分量の篇が集まっているので、分量としても読み易いと思う。各篇を順次紐解きながら、素早く読了に至った。

6篇は何れも、「戦国時代」の人物や事象に光を当てた物語になっている。外国貿易、鉄砲や火薬、キリシタン、国内の交易や物流というような「海」が背景に滲んでいるような物語が選ばれた、或いはそういう事柄を意識して作品が綴られた時期が在って、それらが選ばれて本書に収まったのかもしれない。何れにしても「この作者ならではの…」という感じだ。

6篇各々の主要視点人物は、一寸「渋い」人選になっているかもしれない。

「最初のキリシタン大名」と目される大村純忠が取上げられている。

宗像大社に関連する宗像氏貞が取上げられている。

服部友貞という人物は、津島辺りで海運等で活躍が在った人で、織田信長と対立することになる。

三好四兄弟だが、これは兄弟で力を合わせて権勢を掴んで行く他方で、次第に力を失う。兄弟の一人である安宅冬康が小説の主要視点人物となっている。

津軽為信に関しては、出自に少し不祥な点も在ることから、それを活かした展開も入っていて、なかなかに面白かった。

長尾景虎は、後年に上杉謙信を名乗る訳で、各篇の主要視点人物の中では最も知名度が高い。本書の作品では、若き日に鉄砲と出会うというような挿話が描かれる。

各篇毎に「入り込む」というような感じで、各々に愉しんだ。御薦めだ!

『天馬、翔ける 源義経』

↓「上・中・下」の3冊から成る、時代モノの小説作品である。

天馬、翔ける 源義経 上 (集英社文庫)




天馬、翔ける 源義経 中 (集英社文庫)




天馬、翔ける 源義経 下 (集英社文庫)



↑或る程度は知られている挿話が入っている内容ではあるのだが、非常に愉しいのでドンドン読み進めて、素早く読了に至った感である。

本作は、題名も示すように、「翔ける天馬」のように源平合戦の時代に勇躍した源義経の物語である。と同時に、それ以前の時代とは「一線を画す」という体制である鎌倉幕府による支配を成立させて行く、兄の源頼朝の物語という側面も大きいと思う。

物語の冒頭の辺りは、平家追討の動きが起こり、各地の勢力がどう動くのかという状況であったのかというような中、源義経の様子や、源頼朝の様子が描かれる。

奥州の藤原秀衡の下に在った源義経は、庇護者たる藤原秀衡家中で様々な技芸を身に着けて、のびのびとした青年武将となっていて、平治の乱に敗れた源氏一門の再興を心に期し、平家追討の動きに身を投じようとしている。

伊豆で“流人”という立場で長く過ごしていて、地元の有力な豪族である北条家の婿ということになっていた源頼朝は、平家を討って源氏を再興する名目は立つようになった状況下ながら、平家の影響下に在る有力者達に囲まれる中で思うように出来るのでもない。複雑な状況の中を生き抜いて、何か猜疑心が強い男になっていたというような感である。

この両者が巡り会い、源平の争乱という局面に入って行く。義経は、兄弟で手を携えて、自身は総大将たる兄の下で先頭に立って勇戦するということ、肉親の情を求めるというようなことを求めるだけだった。対して頼朝は最初から「或いは?」と義経を危険視しているような面が覗く。“貴種”という輝きを放つ人物と見受けられる義経に出会い、場合によっては「義経を擁して自身に向かってくる敵」が現れることを、最初から危惧しているのだ。

この両者の感覚の違いが、全体の通奏低音のような具合になり、事態が色々と進んで行く…

平家との戦いが進む中、古くからの地盤を有するでもない義経が有能な家臣を従がえて勇戦することが叶ったのは、どういうことであったか?鎌倉幕府による全国支配の仕組みが築かれて行く過程はどういうことであったか?そういうようなことが、本書の物語を通じて色々と判るという面白さも在る。

「戦いの時代」を描く物語となる訳だが、本作で描かれるその戦いも、非常に魅力的に描かれていると思う。造り込んだ映像作品とは違う、「読み物の好さ」に溢れていると思い、一寸夢中になった。

俗に「判官贔屓」と言う。義経は、力を尽くして働いたにも拘らず、「余りにも正しく努力や成果が評価されない?!」という状況に陥ってしまう。その辺に理解を示す人達は、力を尽くして彼を助けるのだが、その限りでもない人達も多い。

対して、君臨しようとする最高指導者には「トップの孤独」がある。頼朝は、本拠地にした鎌倉辺りとは様子が違う場所で、“文化”が違う世界で育っているという経過、加えて“流人”という面倒な立場の故に「孤独」の中に在ったのだと見受けられる。そういうことが、体制が固まって、地位が高まる程に深まってしまっているというような様子が、本作では見受けられる。

色々な意味で興味深い作品だった!これに出会えて善かった!

『宗麟の海』

↓近所の書店でこれを眼に留めた時、「課題図書」というように眼前に現れたような気さえして思わず求めてしまった…

宗麟の海 (文春文庫 あ 32-8)



↑紐解き始めると、読む前に何となく思った以上に面白く、夢中になってしまった。時間を設けてドンドンと読み進み、気付けば読了していた…

題名の『宗麟の海』の「宗麟」とは、戦国大名の大友宗麟である。現在の大分県である豊後国を本拠地としていた。そして大分駅の辺りには、「旅の者よ!我が領国を観たか!」とでも言い出しそうな雰囲気を漂わせる大友宗麟の銅像が在った…

大友宗麟の“大友家”というのは、鎌倉幕府によって豊後の守護に任じられたという経過が在る一族で、九州に入った後に代を重ねていて、室町幕府の体制下でも守護を務めていた。大友宗麟はその“大友家”の「21代目」だった。彼の時代、戦国時代の時点で300年近い経過を辿っていたことになる。

大友宗麟は、各地の有力者の連合のような体制の中で“盟主”たる大友家の当主になって行く中で<二階崩れ>という呼称で知られる混乱を経験する。そういう状況を収拾して乗り切り、貿易利権を握って、方々との外交を展開し、敵対勢力との苦しい戦いを何とか乗り切り、豊後、筑後、肥後という古くから守護に任じられていた国々に加え、豊前、筑前、肥前の計6国の守護にも任じられ、室町幕府が九州全般を統べるとして設けていた役職である「九州探題」にも補される。大友家の最盛期、絶頂期を演出した人物である。

大友宗麟は、大友家の最盛期、絶頂期を演出したのだが、晩年に家中が少し混乱も来していたとされる中、最終的に九州統一を目指すようなことになった島津家との抗争で劣勢を強いられるようになって、豊臣政権の介入を図って豊後の大名としての生き残りを目指していた辺りで他界している。

大友家の最盛期、絶頂期を演出した他方、衰退の始まりに関わったような感も在って、何となく「それなりに有名である割に、余り詳しいことが知られていない?」というような感も拭えないかもしれない。時代モノの小説のような中でも、大友宗麟を主役に据えて、その活躍を描いているような作品は余り思い浮かばない…そういう意味でも、本作は貴重だが、それ以上にかなり面白い!

題名の『宗麟の海』の「海」であるが、これは大友宗麟の人生が「海」と共に在ったかもしれないということを示唆しているように思う。

大友宗麟は心臓に病気が在って、長時間の激しい運動のようなことはし悪いというような若殿として作中世界に登場している。健康上の些かの問題を抱えているが故に、自身の人生、自身の立場や役目、その他様々な事柄に関して思索的で、探求心が強い性格になっているような感でもある。

大友宗麟は、ポルトガルとの交易や明国(中国大陸)との関係、国内での交易というような海に関連が深い事項と関わるのだが、敵対する勢力との抗争という中でも海を制する、海を利用するということに意を向けて行くこととなる。そういう意味で題名に「海」なのだと思った。

大友宗麟は自身が文字どおりに軍勢の先頭に立って勇戦するということはしない。が、大友家の旗の下に集まった大軍勢の総帥として、戦いの全般の方針を構想し、構想に基づいて配下の将達に指示を与え、各将が役目を完遂することを助けるべく外交交渉や情報戦を展開させるのである。文字どおりに大友家の最盛期、絶頂期を「演出」ということになる訳だ。

大友宗麟は、父と未だ幼かった末弟が謀略で殺害されてしまった<二階崩れ>という呼称で知られる混乱を収拾して行った後、豊前、筑前に勢力を持っていた周防、長門の大内家を「近攻遠交」を排除してしまうことに成功する。そして周防、長門を手中にして行く毛利家との抗争に入って行く。

領国を護ろうとする大友家の戦いをプロデュースする総帥は大友宗麟であるのに対し、その領国を奪って傘下に収めようとする毛利家の戦いをプロデュースする総帥は老獪極まりない毛利元就である。あの手、この手と知恵と戦力を出し合っての抗争の場面は非常に面白い。

この他、宣教師が「豊後国王の悪妻イザベラ」と伝えている奈多夫人こと弘子との挿話や、晩年に同居する女性ジュリアとの出会いや展開の挿話、「やや残念?」な息子達の挿話等、面白い箇所が本作には満載である。

あらゆる手段を講じて領国を奪うべく侵入した毛利勢を、あらゆる手段を講じて跳ね返した大友宗麟であったが、そういう大きな仕事を成し遂げた他方で「全ての国を従がえる王となっても心が満たされるのか?」というようなことを想っているという辺り…興味深い。

或いは本作は「大友宗麟?」という問いに答える作品として、永く読み継がれて行くように思える。そういうことも思うのだが、それ以上に、単純に本作は面白かった!!

『蝦夷太平記 十三の海鳴り』

↓本書の登場を知って「期待し得る、非常に面白そうな作品」と思っていたが…新刊本として書店に入ったのを見て、「文庫化を待つか…」と思いながら「入手して読みたい!」という強い想いも沸き上がり…結局、一晩考えてから、天候が悪い休日なので読書に興じようかと、思い切って求めてみて…期待どおり、否、期待の何倍も面白いので一挙に読了に至ってしまった!

蝦夷太平記 十三の海鳴り



↑古く“蝦夷”と呼ばれた東北地方北部の勢力に属した人達の物語…何か「北の国の伝説の英雄譚」という浪漫溢れる物語だった…「浪漫溢れる物語」というように感じたが、他方で何となく思う以上に海上交易が盛んだった中世の東北地方北部や北海道という考察も反映されていて、非常に興味深い内容を含んでいる…

↓愉しく読了したばかりの作品の“シリーズ”ということで登場した1冊なので、酷く興味が沸いて手にしたという経過だった。出版社によるプロモーション映像も見付けた…


本作は先行していた作品の『婆娑羅太平記 道誉と正成』『士道太平記 義貞の旗』よりも「少し前の時期」を背景にしている。『婆娑羅太平記 道誉と正成』『士道太平記 義貞の旗』は「鎌倉幕府が滅んで行ってしまう戦いそのもの」を背景にしているが、本作はその戦いへ進んで行く時勢の中での東北地方北部の動きを背景としている。

本作の主要視点人物は安藤新九郎季兼(あんどうしんくろうすえかね)という青年だ。作中では殆どの場面で「新九郎」なので、以後「新九郎」とするが…

新九郎が<朝日丸>という船で航海していて、津軽地方の十三湊(とさみなと)へ引揚げようとしているという場面から物語は起こる。

新九郎は、古くは「蝦夷」と呼ばれた人達の流れを汲む安藤一族の若者だ。安藤一族は津軽地方等に勢力を持っていて、日本海側の日本国内各地や北海道、更に太平洋側へ乗り出す場合さえ在る海洋交易等を進めている一族だった。そして一族の代表は“蝦夷管領”と称していた。これは鎌倉幕府の最有力者ということだった北条得宗家が任じる役職で、交易による利益を北条得宗家へ上納する役目だったのである。

新九郎が十三湊へ引揚げ、航海の後始末や<朝日丸>の整備に取り掛かろうとすれば、一族の長で蝦夷管領を務める、やや縁遠い感の父である安藤季長から館に呼び出される。

呼び出された用向きは、一族の勢力圏である出羽の能代で叛乱が発生し、それを抑えようと出陣した次兄が討死したので、その叛乱を制するようにということだった。こうして新九郎は、全国の争乱にも繋がる津軽や出羽での争いの中に身を投じて行くことになるのだ…

新九郎が活動する主な舞台は、津軽や出羽と現在の東北地方北部、更に北海道の南側ということになる。作中には「蝦夷」と呼ばれた人達の流れを汲む東北地方北部の勢力に属する人達、鎌倉時代以降に東北地方に入った武士の流れを汲む人達、交易のパートナーとなっているアイヌ、そのパートナーとなっている人達に対峙するアイヌ、更に全国に倒幕の挙兵を募る後の大塔宮や彼に惹かれる各地の人達という多彩な人士が登場する。

新九郎は恵まれた体躯で膂力も在るが、武道の鍛錬を積んだ人物ではない。自身を「船乗り」と定義するような男である。その新九郎が勇を振るい、相談役となっている孫次郎や、弟分のようなアイヌの若者のアトイや他の人達と手を携えて、「交易で栄える豊かな北の国」を目指して戦う…

ハッキリ言えば、これまでの“時代モノ”の小説等で、新九郎が取上げられている例は思い当たらず、更にこの鎌倉幕府が滅びて行く少し前の東北地方北部というような事柄が題材になっている例も思い当たらない。そういう「新天地!!」を拓いた、浪漫溢れる作品だと思った。なかなかに愉しいので、広く薦めたい!

『士道太平記 義貞の旗』

↓書店で何となく見掛けた時…手を伸ばさずには居られなかった…そして入手し、ゆっくりと愉しく読了した…好かった!!

士道太平記 義貞の旗 (集英社文庫)



↑鎌倉幕府が後醍醐天皇の陣営に敗れ、その後の建武新政の混乱で南北朝時代に突入して行った経過―所謂『太平記』の時代―で活躍した新田義貞を主役とした物語だ…

↓「書店で見掛けて手を伸ばさずには居られなかった…」というのは、実は同じ作者による『太平記』の時代を背景として物語を愉しく読了して日が浅かったからに他ならない…
>>『婆娑羅太平記 道誉と正成』

臣下や様々な層の関係者に慕われる人格者で、大塔宮護良親王に心酔して義を貫こうとする楠木正成…剛勇を誇る名門出身の武人でありながら、用兵の駆け引きに巧みで、大胆な謀略を駆使してでも、自由に流通・商業を起こして安寧な領国経営をしながら全国に影響力を行使しようとする野心家の佐々木道誉…この2人を視点人物に据えた『婆娑羅太平記 道誉と正成』に対して、本作の視点人物たる新田義貞は、自身が信じるようになった物事を真直ぐに追い駆けようとする人物で、その真直ぐさの故に多くの人達に敬われ、愛された人物として描かれている…

「新田義貞」は、鎌倉幕府の本拠地である鎌倉を攻略した戦いの指揮を執っていた経過が在り、後醍醐天皇の陣営に在って最有力な指揮官の1人だった、言わば「史上のビッグネーム」である筈の人物だ。その他方で、この人物を主要視点人物に据えた小説等は余り思い浮かばない…本作はそういう中で「新田義貞」を主人公に据えた秀作として読み継がれて行くことであろう…

物語の前半は、後醍醐天皇の陣営ということになる“反鎌倉幕府側”が蠢動する中、“幕府側”として戦いの渦中に身を投じる、格式は高い他方で然程豊かでもない新田家の当主として登場している。その彼がどのようにして“幕府側”から“反鎌倉幕府側”に転じて行くのかというのが経糸で、そこに彼や周囲の人達の動きが緯糸となって絡まりながら展開する…

物語の後半は、“反鎌倉幕府側”となった義貞が軍功を重ね、大軍を率いる大将となり、やがて諸般の状況変化の中で苦闘するようになるという展開だ…

『婆娑羅太平記 道誉と正成』の佐々木道誉は大胆な謀略を駆使する人物で、対する楠木正成は「敢えてそういうことをしない」というような人物として描かれていた。彼らに対して新田義貞は、「そもそも謀略と無縁に闘いに身命を賭すような男」として描かれている。

本作の新田義貞は、“政治”とはやや縁遠いというような、“武人”で「ありたい」と考え、飽くまでもそれを貫いた「愛されるべき快男児」というように描かれる。実に気持ちの好い男である…

煩雑な感も否めない“『太平記』の時代”だが、これは「色々な地域や、色々な階層を背景とする多彩な人達が各々に動いた」という状況であったからなのかもしれない。商業、流通のような分野に関与して蓄えた資金力を背景に、様々な情報を持って謀略も厭わなかったという佐々木道誉のような人達に対して、時代の変化に苦慮しながらも「ありたい」を貫こうとした、「古き善き武士団の棟梁」という感であった新田義貞…本作で興味深い事柄の一つが、佐々木道誉や新田義貞が関り、『婆娑羅太平記 道誉と正成』で佐々木道誉の側から描かれた戦いが、新田義貞の側から描かれているというような場面だ…

複雑怪奇な展開の“政治”の下、荒廃も見受けられるような状況にも拘らず「ありたい」を貫く快男児…そんな男と出会える物語が非常に愉しかった!!或いは…「かくありたい」と、何となく思う一面も否定し悪い。

『婆娑羅太平記 道誉と正成』

↓書店で視掛けて、題名に酷く惹かれた…かの「佐々木道誉」と「楠木正成」とが登場する物語らしい…そういうように興味を覚えて手にしたが、手にする機会が在って本当に善かった!

婆娑羅太平記 道誉と正成 (集英社文庫)



↑敵対する陣営に在る者同士として出会う道誉と正成は、やがて手を携え、そして袂を分かって行くが…その両者を軸に描かれる『太平記』の世界が非常に面白い!少し夢中になった…

鎌倉幕府の時代の末期、建武新政、そして室町幕府が起こる南北朝時代の始まりというような時期は戦乱が相次いだ。そういう時代の群像を代表するような人物として、本作では佐々木道誉と楠木正成とを取上げて主要視点人物に据えている。

道誉は幕府方から観て“反乱軍”ということになる天皇方を討つ軍勢に身を置いている。そこから物語が起こる。

その“反乱軍”の指揮を執っている陣営に楠木正成の姿が在った。そしてその巧みな用兵で、幕府方は撤退を余儀なくされてしまう…

そういうように一進一退での戦いが続く中、当初は幕府方であった勢力が次第に天皇方に鞍替えして行く。そして時代が動くが…もたらされた“新政”が混乱をもたらし、また天皇方と反天皇方の争いが頻発するようになるのだ。

作中の佐々木道誉や楠木正成は、知行地や縁者の知行地等を結ぶ流通経路や商業に大きな影響力を持って、徴税権を行使して財力を蓄え、それを背景に味方への物資補給を行いながら軍勢を動かす勢力として描かれる。土地の産物を動かす、それに徴税する権利を有するに留まらず、流通商業に影響力を行使する勢力が伸びるという構図が、鎌倉時代末期には既に勃興していたとする訳である。

作中の「戦い」の描写が面白い。合戦そのものは、新旧様々な戦術が出て来て興味深いのだが、佐々木道誉の陣営も楠木正成の陣営も諜報活動を担う“忍者”に相当する配下を擁している。更に、足利陣営に在って本作では謀略を担っている足利直義は、筆跡を巧みに真似て文書を偽造する者まで擁している…

臣下や様々な層の関係者に慕われる人格者で、大塔宮護良親王に心酔して義を貫こうとする楠木正成…剛勇を誇る名門出身の武人でありながら、用兵の駆け引きに巧みで、大胆な謀略を駆使してでも、自由に流通・商業を起こして安寧な領国経営をしながら全国に影響力を行使しようとする野心家の佐々木道誉…作中の2人の中心的視点人物は何れも魅力的だ!

更に、作中の“新政”の時代だが…主流に立った者ばかりが色々な意味で有利になり、様々な利害が余り顧みられず、何やら混乱が深まる様…何処となく「現代」を想起させた…

非常に劇的で興味深い作中世界で、魅力的な中心的視点人物達、周囲の色々な人達が動く訳だが、大変に愉しく読了した!!“時代モノ”の背景になる時代として、この時代のモノは相対的に少ないかもしれないが、かなり興味深い。御薦め!!

『姫神』

↓書店で表紙を眼に留め…「古代の世界を背景とした時代モノ?」というように思ったのだったが…手頃な分量の作品で、何となく入手して読み始めた…そしてページを繰る手が停まらなくなり、素早く読了した…

姫神 (文春文庫) [ 安部 龍太郎 ]



↑「遣隋使」が派遣されたような時代…聖徳太子こと厩戸皇子が大陸へ使節を差し向けようとしていた中での、九州北部の宗像の人達が中心となる物語である。非常に興味深く、面白い物語であった!

この作品の中に、「宗像大社の原型」とでもいうような信仰の様子が描写されているのだが、実は一度、宗像大社―沖合の方ではなく、九州本土の社―を訪ねた経過が在る。

↓当時綴った日誌…宗像大社を求めて、かなり歩き回った件等である…
>>運行日誌:2016.11.25:「どうしようもない私があるいてゐる」…

↓宗像大社で撮った写真を使った記事も在った…
>>宗像大社の“御神木”=楢(2016.11.25)

玄界灘を往来して交易を行うというようなことをしていた人達が在り、その人達の間で起こっていた信仰が宗像大社になって行く経過が在り、祭礼等に用いられたらしい様々なモノが出土して伝えられている…

本作の物語は…遣隋使の一行を大陸へ送り届ける仕事に携わった、宗像の人達の指導者ということになる青年が隋の都に到着したという挿話の序章から起こる。そして、その遣隋使派遣が実現して行くまでのことが展開する…

本作の主要な視点人物は…宗像の指導者である“宗像君”(むなかたのきみ)の一族の娘で、巫女になって行くような伽耶や、“宗像君”の後継者ということになる青年の疾風である。

宗像の人達は、九州本土側の集落を拠点に、近在の島々との間を行き交いながら日頃の暮らしをしている。

ある日、その島に在った伽耶は、重傷を負った漂着者を見付けた。直ぐに手当てをしたいが、島の側に医術の心得の在る者が見当たらず、伽耶は島の長に断って本土側に漂着者を運び、負傷の手当てをした。

負傷の手当てを施され、とりあえず意識を取り戻した漂着者だったが、自身の素性等に関しては黙して語らない。不審な漂着者は海に追放することになるというのが宗像でのならわしだったが、伽耶は何となく納得出来ない。そうしている間に、漂着者は姿を晦ませ、人々が辺りを色々と探したが行方は判らなかった…

伽耶が出くわして助けた漂着者は何者だったのか?この出会いが、宗像を大きなうねりの中に取り込むことになって行くのだ…

「遣隋使」の構想を実現させようと、抵抗勢力の様々な妨害にも負けずに打ち込む熱い人達が在り、それに共鳴する宗像の疾風や、九州北部の水軍の関係者が在り、そういう男達の間で平和を願う可憐なヒロインの伽耶が在る。実に好い!!

一寸面白いのは…大和朝廷の人達や、彼らと接していて日本語を話す朝鮮半島の関係者は「普通の日本語」を話す。“姫様”の伽耶も「普通の日本語」だ。が、疾風達のような水軍の男達、或いは伽耶の身近に使える侍女は「バリバリな福岡弁」を話している。「古代の日本の話し言葉?」ということになるが、本作の感じは「中央や外国に対して地方」という具合なので「疾風達が話す福岡弁」が妙にハマる…

戦いを繰り広げる男達が操る船や武器、作中人物達が身に着けるモノや、細々したモノに関しては、それなりに“考証”もなされた描写で、加えて「未だに古い伝統を受け継いで、人々の立ち入りを制限している」という島も含めた自然、四天王寺のような大和側の都会や朝鮮半島や大陸の都市というような情景も生き生きとしている。本作を読んでいると、何か「7世紀頃の世界で冒険をしている」ような不思議な気分になる…

偶々ながら、なかなかに愉しい作品に出会った!!或いは…本作は「映画化?」ということにでもなれば、なかなかに華々しい作品になりそうだとも思った…

『維新の肖像』

↓手頃な分量の時代モノの小説だが、なかなかに重厚な感じのする作品だった…

維新の肖像 (角川文庫)



↑「明治150年」という中、昨年末に文庫で登場した作品だ…或いは「こういう年にこそ…」と読むべき一冊かもしれない…

重厚な物語は「二重構造」のように展開する。そういう意味では、時代モノの小説として「やや異色?」な感じがする。が、描こうとしている人物や時代に関して「少し下った時代に誰かが色々な人の話しを聴いている」というようなスタイルで展開する作品は幾つか読んだ記憶も在り、それ程に違和感は無い…

この物語は、所謂「薩摩藩邸焼討」という事態が展開しようとしていた時、江戸府中警備の任務に就いていた諸大名の一つである二本松丹羽家の家中に在った士、宗形昌武や周囲の人達の動きから描き始められる…

そして不意に1930年代に入った辺りの、アメリカの大学町に部隊が移る。アメリカの大学で歴史学者として活動する、60歳代に差し掛かろうという准教授の朝河貫一の様子が綴られる…

かの鳥羽伏見の戦いへ突き進んで行く所謂「薩摩藩邸焼討」の頃、二本松丹羽家の士として現場に居た宗形昌武は、作中で経緯が判るようになってはいるが、後に朝河正澄と名乗ることになる。彼は朝河貫一の父だ…

米国で歴史学者として活動する朝河貫一は、一時帰国して父に会った際、父から柳行李を貰った。中身を顧みることはなかったが、相当に時間を経てその中身に触れて衝撃を受けることになる。父が自身で綴ったモノや、書簡、或いはその下書きや写しが丁寧に整理されたモノがギッシリと詰まっていたのだ…

朝河貫一は、二本松丹羽家も参画した奥羽越列藩同盟のような幕府方が政府方と交戦に及んで敗れたという歴史に関して、「守旧派が無益な抵抗をして、奥羽に甚大な被害が生じてしまった」というような否定的な観方をしていた。が、日清戦争や日露戦争を経ての様々な動きに触れる中で、「違和感」を感じるようになり、「明治維新は何だったのか?」と考えながら時局を論じることもするようになっていた…そうした中で、父が遺した史料に出会うのである…

物語は戊辰戦争の渦中に在る父の様子と、1930年代に差し掛かった頃の米国の大学町に在る息子の様子が交互に描かれながら進む…

本作を読んでいて…何か息子の方、1930年代に差し掛かって60歳代に入った歴史学者というのが「作者の分身」に思えた…文庫本の末尾に在る説明では、本作は2015年に登場し、昨年末に文庫化されたということである。或いは「明治150年」という「盛り上がり(?)」のような中、それが近付いている状況下、「で…その明治維新とは?」と考えて問い掛けたい作者が在って、その作者自身と作中の朝河貫一とが「酷く重なる」のだ…

大きな影響を及ぼすような出来事というものは、多分「功罪相半ば」ということが多いような気がする…明治維新を巡る様々な挿話に題材を求めた小説や、様々な研究のようなモノには随分と触れている…そうした中で触れた本作だが…或いは「“正義”が“蔑ろ”にされたかもしれない?」という事が、明治維新の中には「在ったかも知れない?」ということに思い至らざるを得なくなる一面が在る…

また本作は、何となく反発して父を受け入れ難くなっていた息子が、改めて若き日の父の姿を知って、父が秘めていた思いに気付き、他界して久しい父を思い出すというような「反目し合った感の父子が和解する」というようなストーリーでもあると思う。

多彩な要素を含む、重厚で意義深いような作品…お薦めだ!

『レオン氏郷』

“時代モノ”の小説に関しては、古い作品では“主役級”というような扱いでもなかった人物が、新しい作品では“主役級”で取上げられるという例が多々在ると思う。或いは…現在の時点では“古い”作品でも、それが登場した当時の“新しい”時期には、その時点まで“主役級”でもなかった人物に脚光を当て、やがて後続作品でもどんどん“主役級”になっているという事例も在るかもしれない…

“蒲生氏郷”?かの織田信長に見出された武将で、豊臣政権期にも活躍したが、40歳で他界してしまった人物である…会津若松へ行くと、あの街のベースになる城下町の礎を築いた人物として記憶されている―彼の地で眼にした、小学生向けの郷土史の副読本に、街の昔のことを語るキャラクターとして“うじさとくん”というのが出ていたような記憶が在る…―ということも在るが、戦国時代末期の武将として然程有名でもないかもしれない…

↓その蒲生氏郷を主人公に据えた小説!文庫で登場したというので入手し、夢中になって読了してしまった!!

安部龍太郎/レオン氏郷(仮) Php文芸文庫
↑知名度は然程高くはないのかもしれないが、智勇兼ね備えた、同時代人から一目置かれていた人物で、独自の信念を胸に生きる氏郷の姿には惹かれた…

蒲生氏郷は、近江日野の蒲生家の出であり、勢力を拡大していた織田信長の傘下に蒲生家が入った後、蒲生氏郷は所謂“人質”ということになる。が、近習に取り立てられ、織田信長に気に入られて娘の冬姫を娶って“婿”ということになる。一門に準じる立場で重んじられるようになって行くのだが、そこに<本能寺の変>が発生してしまう…

<本能寺の変>の後、蒲生氏郷は豊臣秀吉政権の中で生きて行くのだが、次第に“乖離”を感じざるを得なくなって行く。そして関東・奥州を豊臣政権が平定した後、蒲生氏郷は会津に入る。会津に入ってからは、葛西・大崎旧領での一揆という問題を巡り、あの伊達政宗との“抗争”のような事態に及ぶ…そして1回目の朝鮮出兵の辺りで他界してしまう…

蒲生氏郷は、織田信長が着目していたらしい“世界”を非常に強く意識し、「世界の中に生きる日本」を築くことを目指そうとする。他方で、友人でもあった高山右近らの感化も在ってキリシタンとなり、“レオン”(獅子王)の洗礼名を得て、「デウスの理想」を追うようになる。

蒲生氏郷は、「野心に駆られて領国を切り取る」というような感の行動は取っていない。或いは“職業軍人”的に、織田信長や豊臣秀吉の傘下で戦い、戦功が在ったとしてより大きな知行地を与えられている。そうした中、自身は茶道や和歌等にも通じた文化人で、商業が盛んな日野の出身で古くから上人とも馴染みなので経済政策のセンスも在る為政者となっている。こういう蒲生氏郷に対し、飽くまでも我欲を追求するような豊臣秀吉や、野心の実現に何処までも冷徹に手を打ち続ける伊達政宗という“強敵”が立ちはだかる…

蒲生氏郷が40歳で他界したことに関しては、智勇に秀で、人望も在った彼が一部に怖れられていて、“毒殺”されたという説が在るようだ。本作でも、そうした説を踏まえた最期が描かれる…

よく在る「栓の無い“たら”、“れば”」なのだが、蒲生氏郷があと5年か10年生き続けて活動していれば、その後の歴史は少し様相が変わったということが在ったかもしれない…本作を読むと、本当にそういう気がする…

それにしても…「今の時代」に“蒲生氏郷”が物語の主人公として描かれることには、大きな意義が在るのかもしれない。蒲生氏郷は「交易で得られるモノが戦の帰趨を左右するようになった」とか「足利幕府に代る秩序の確立が模索されていた」という時期に、自身の色々な意味での“理想”を追い掛けようとした軍人、為政者、文化人、個人である。今の時代も、一口で巧く説明し悪い程度に、「過去の色々なモノの様子が変わってしまった」とか「新たな何かが求められる」という時期に在るのかもしれない。だからこそ、「自身の色々な意味での“理想”を追い掛けようとしてみること」が個々人に求められるのかもしれないような気がするのである…

『等伯』

多少、顰蹙を買うかもしれないが、敢えて綴りたい。私は読んでみる小説を選ぶ場合、所謂“○○賞”というようなことは気に掛けない…

読んでみる小説に関しては、何らかの型で紹介されているものを見たり、書店で本を視掛けて「面白そうな題材?」と興味が沸くか、何度か興味深く作品を読んだ作者の未読作品または新作であることに気付いて興味が沸くか…というのが、自身の選択基準である。飽くまでも「自分で読む」のだから、権威在る賞が在ろうが無かろうが、「読んでみる小説」を選ぶ基準は、それで十分だとずうっと前から思っているし、将来もそれは揺るがないと思う…

↓本作は権威在る“直木賞”を受賞した作品だが、これを読んでみたかったのはそれの故ではない。幾つもの作品を興味深く読んだ安部龍太郎の新しめな作品で、愈々文庫本で登場したからである。実際、期待に違わない、また期待以上の内容で、夢中で読了したところである。

安部龍太郎/等伯 上 文春文庫


安部龍太郎/等伯 下 文春文庫
↑“求道者”的な芸術家で、「地方の無名な」存在であったところから「都で大変な評判」というところへ上り詰めて行く物語で、創作活動や人生に思い悩みながら歩む主人公のドラマである。引き込まれた…

本作の主人公である長谷川等伯は、安土桃山時代に活躍した、実在の絵師である。実在の人物ではあるが、こうした一種の職人でもあるような人達の物語を綴るとなれば、また地方と都を往来したような経過が在って、伝わっている多くの作品が在る他方で伝記的記述が多く在るというでもなさそうな人物に関しては、小説の作者による想像の翼が羽ばたく余地は大きいのだと思う。そうした好い意味での“はばたき”も本作には感じられる。懊悩とその克服が繰り返される、求道者的な創作活動を軸とする主人公・等伯の人生が活写されているのが本作だ。

長谷川等伯は長谷川信春という名だったが、画壇に進出して当初は“等白”を名乗り、やがて“等伯”とするようになる。能登の守護であった畠山家に代々仕えた武士、奥村家の出であるが、少年時代に能登の七尾で仏画や染物を手掛ける商家の長谷川家に養子に出されている。本作の物語は、“奥村又四郎”からではなく、七尾で仏画を描く仕事に勤しむ“長谷川信春”と既になっていて、本人が30代に入った辺りから起こされている。

信春は、能登で仏画を描く仕事を通じて一定の声望も得ており、養父母の実の娘である善き妻と睦まじく暮らし、後継者になるかもしれない幼い息子も居て、長谷川家の主としての地位を確立していた。そうした満たされているような状態の他方、信春は「絵師としての更なる飛躍」を強く願っており、機会が得られて、また許されるのであれば都へ出て絵の修行をし、多くのことを学んでみたいと強く願っていた。

そんな心の奥に秘めた願いを、信春は実の兄と酒を酌み交わした席で、酔いに任せて思わず吐露してしまう。武士である兄は、能登を追われてしまった主家、畠山家の再興に執念を燃やす一派に加わって活動している人物である。その兄が、そんなに望むのであれば、都へ出る機会を設けようとし、結果的に信春は「ややこしい案件」に巻き込まれて行ってしまう…

冒頭部のそんな挿話から、信春の流転の運命が動き出す…浮き沈みを繰り返しながら、親しい人達を失いながら、画を創る道を邁進する姿が凄まじい…本作の等伯だが、武家の出であることから「実はなかなかの腕っ節」ということになっていて、「必死に奮戦」という場面や、揉め事で“実力行使”に近い振る舞いに及ぶ場面も在る…それも一寸面白いのだが…

信春改め等白、更に等伯となって以降も、彼は悩み抜いて新たな創作の道を見出すような、愚直なまでに熱烈に道を求める姿勢は一貫している…これにはとにかく惹かれる…何か、読み進んでいて、「傷心に沈む等伯」というような場面の他方で、それを愚直なまでに考え抜く等して乗り越える展開が繰り返され、何か“力”をもらえるような気にさえなってしまう…

本作には主人公の等伯と関ったり、擦れ違ったりする同時代の一定程度知られた人物をモデルにした劇中人物達も多く登場するのだが、何れも興味深い…等伯にインスピレーションを与えるようなことを語る僧侶達や、禅僧達との交流を介して親交の出来た千利休や、等伯のような“職人”には理解し難い政治の世界で暗躍する他方で「武芸から文化的活動まで、何でも出来る不思議な男」として、本作の最終盤では自身の存在を賭けるかのような態度で等伯を応援する近衛前久という辺りが魅力的だ。そして、やや複雑な魅力を発するのは、「斯界の貴公子」のような存在感を放つ、同時代の天才的な絵師であった狩野永徳である。「暗愚な権力者」に屈することを強いられ、何所となく屈折してしまった“天才”…そんな危うさが面白い。そしてこの作者は他作品でも一貫して「暗愚な権力者」的に描いているのだが…豊臣秀吉や側近の石田三成も目立つ…

熱い何かを内面に滾らせながら、創作の道に邁進する等伯…素晴らしい生き様かもしれない…

本作に限らず、この種の“職人”に題材を求めた時代モノ…秀作が目立つと思う…今後もこうした題材の作品には注目したい…

『神々に告ぐ』

近衛前久(このえさきひさ)(1536-1612)という人物が居た。当初は晴嗣(はるつぐ)を名乗り、1555年から前嗣(さきつぐ)と改め、1560年頃からは前久と更に改めている。故に“近衛前久”として知られているのだが…戦国時代から江戸時代初期の公家で、動乱期に関白左大臣・太政大臣を務めた人物である。

↓この近衛前久が“近衛前嗣”を名乗っていた時期を背景とする物語である。

戦国秘譚 神々に告ぐ(上)


戦国秘譚 神々に告ぐ(下)
↑非常に興味深く読了したところである。

本作の視点人物としては“近衛前嗣”なので、以下はそれで統一するが…

近衛前嗣は、後奈良天皇の崩御が間近であると感じ、容態の好くない帝が臥せっている御所に駆けつけた。朝廷の威光が衰退していた難しい時代であった。帝は駆けつけた近衛前嗣に、「朝廷の今後を頼む」としながら、また近衛前嗣が想いを寄せる祥子内親王を巡って謎めいた言葉を残して他界した。

天皇の崩御という事態になれば、“大葬の礼”を催さなければならず、喪が明けてからは次代の天皇の“即位の礼”を催さなければならない。多額の資金も必要であれば、都の警備の問題なども在り、なかなかに厄介だ…

この頃…都を実効支配していた勢力は三好長慶の一派であった。幕府の将軍であった足利義輝は都を追い出され、近江に亡命中であった。近衛家は将軍家との結び付きが強い…他方で朝廷内では三好一派に接近している公家達も在る…近衛前嗣は、こうした中で「幕府と朝廷との復権」を目指して活動を始める…

近衛前嗣が“行動”を始めた時期…三好一派が圧倒的な実力を持っていて、その名が知られた「戦国の雄」とでもいうような各地の大名は、未だ「勢力基盤を固めつつある」というような状況だ…こうした中で、近衛前嗣は、各地の力を結集して、三好一派を駆逐することを目論むのだが…彼の前に立ちはだかるのは、三好長慶に仕える松永久秀(弾正)である…

近衛前嗣の計略と、それを挫く松永久秀の対決、暗闘…それを軸に、「神々を祭る」ことで権威を持ち続けて来た朝廷という存在の意義を問うような内容も展開する…そして祥子内親王を巡る秘密も明かされて行く…

本作の中では、斬新な戦術を駆使して台頭して来た織田信長が、後に深い関りを持つことになる近衛前嗣や松永久秀と出会うという場面も在る…そして若き織田信長も少し活躍する…

本作の主人公としての近衛前嗣…面白い!!朝廷をリードする近衛家の後継者で、若くして関白に任じられた貴公子であるが、朝廷や幕府の明日を考えて「自ら動く」人物である。能書家で笛の演奏が得意で、学識が在る他方で、縁が在る薩摩の島津家から献上された短筒を愛用する射撃の名手でもあり、鷹狩りや乗馬も得意だ…こんな近衛前嗣が、躍動する物語である…

朝廷や幕府というような、永く続いた権威が揺らいだ時代に、その権威の根幹と向き合い、同時に来る時代でのそれらの在り方を模索しようとした貴公子の物語…一言で本作を語るとそういうことになるであろうか?そして祥子内親王を巡る、伝奇モノ、恋愛モノという要素も在る…

「永く続いた権威が揺らいだ時代」とさり気なく言ってみたが…或いはそういう辺りに“今日性”が深く根差しているかもしれない…

『彷徨える帝』

必ずしも作品が豊富でもない時代を背景とする“時代モノ”…そういう作品は「こういう時代が在ったのか…」と新鮮なのだが、それと同時に「なかなかに興味深い」内容を含むことも多い…

↓そうした「必ずしも作品が豊富でもない時代を背景とする“時代モノ”」に出会った。これがなかなかに面白かった!!

彷徨える帝(上)


彷徨える帝(下)
↑「必ずしも作品が豊富でもない時代」を背景としていると同時に、“伝奇”としての面白さにも溢れる作品で、一寸夢中になった…

「必ずしも作品が豊富でもない時代」を背景としている他方、本作の作中人物として、比較的知られている史上の人物である足利義教が登場している。

足利義教(1394-1441)…室町幕府の第6代将軍であった人物だ。

室町幕府の時代というものは、鎌倉幕府が倒されて建武の新政が興った後、足利尊氏が建武の新政を排して幕府を開いたことで始まる。建武の新政を興した後醍醐天皇は、幕府が開かれる辺りで排されてしまったが、それによって幕府が擁していた“北朝”と、吉野の山中に逃れた後醍醐天皇の後裔による“南朝”とが並立し、戦乱のタネになる等の混乱が続いた。室町幕府の3代将軍だった足利義満の時代、強大になった幕府の威光も背景に在って「南北朝の統一」が成ったとされる…

しかし…「南北朝の統一」の際に、北朝系、南朝系の皇子が交互に皇位を継承するとした約束が在ったにも拘らず、それが反故になった事等を受け、その後も“後南朝”とでも呼ぶべき一派が活動し、混乱は永く続いてしまっていた…そして、その辺は余り詳しく語られていない、或いはそういう時代を背景としたような“時代モノ”の作品は稀である…本作は、その稀な作品の一つである…

足利義教の表舞台への登場も、その「“後南朝”とでも呼ぶべき一派が活動していることによる混乱」を含む時代のことであった…足利義満の後を受けて足利義持が4代将軍となり、更に息子の足利義量が5代将軍に据えられた。他方で足利義持は実権を維持し続けていた…1425年に5代将軍の足利義量が急逝し、4代将軍だった足利義持が政務を代行する体制となった。やがて1428年に至り、足利義持も病に斃れてしまった。そして、足利義持の弟達の中から“籤引き”で選ばれた後継者が足利義教で、足利義持の逝去後、彼は6代将軍となった…

本作の物語は、この足利義教が幕府の権威の強化、中央集権的統治の実現に向けて苛烈な支配を強めていたという時代を背景に綴られ始める…

プロローグ的に…能楽師の観阿弥が、駿河での興行中に襲撃されてしまうという場面が配される…そして時間が経つ…

“後南朝”の流れを汲む北畠道円の下に在った若者、北畠宗十郎…将軍である足利義教の近習として仕える、駿河の今川家に縁の深い朝比奈範冬…彼らは各々に密命を受ける…「後醍醐天皇に縁が在る」という、また「重大な秘密が隠されている」という“能面”を探し出して入手するという密命だった…

件の“能面”は、同時代人の記憶に新しい、守護大名と幕府方の戦いの背後で蠢いていたものらしいが、宗十郎や範冬は各々にその謎を追う…

そうしている中でも、“後南朝”の流れを汲む北畠道円は南朝系皇子の即位を目指し、反幕府的勢力の結集と武力蜂起に向けて暗躍する…京都に在った将軍と対立的だった鎌倉公方の足利持氏を巡る動き等が展開する…

“能面”が秘める「重大な秘密」とは何か?それは人々や時代にとってどのような意味を持つのか?宗十郎や範冬の物語が展開し、やがて両者は争うことになって行く…

「謎解き」的な物語である以上、仔細にはこれ以上踏み込まないが…本作は密かに伝えられる後醍醐天皇の思い、それを受け止めようとし、色々と考える宗十郎を通じて、「日本の社会というようなものは、どういうものなのか?」を問い、考えているような感もする。そうした重厚なものが、“伝奇”という華麗な包装紙に包まれて提示されている…というようにも思った…

そして…史上の足利義教も“非業の最期”というような運命だが…本作中の足利義教もそれを免れていない…そこへ至るまでというのが、本作の一つの軸にもなっているように思った。

なかなかに楽しめる作品だと思う!!

『天下布武 夢どの与一郎』

時代モノの小説の中には「色々な要素」が入り込む余地が在ると思う。

武芸がぶつかり合うようなアクション…妖しい術を弄する忍者の暗躍…軍勢が勇壮に戦う合戦…誰かをはめようとする謀略の仕掛け合い…事件の謎解き…家族…恋愛…青春…と、「エンターテイメント」のあらゆるモノが入っていて構わない訳だが…

↓上述の「エンターテイメント」のあらゆるモノに加えて、「往時の対外国関係」を加味した仮説による、有名事件の「本当はこういうことだった?!」まで含めた、なかなかに壮大な物語だ!!

天下布武 上 夢どの与一郎-【電子書籍】




天下布武 下 夢どの与一郎-【電子書籍】



↑大変に愉しく読了した!!

本作の主人公は“長岡与一郎”である。この名を示すよりも“細川忠興”と言った方が、時代モノ好きには判り易いかもしれない。与一郎の父である細川藤孝―隠居後の“幽斎”の名の方が、少し知名度が高いかもしれない…―は、足利義輝に仕えていて、足利義昭擁立にも奔走したことが知られる人物だが、足利義昭が織田信長と袂を分かつことになった辺りで、細川姓を避けて、居城の青龍寺城―現在では寧ろ“勝龍寺城”という字を用いている…JR長岡京駅に近い…私自身、一度立ち寄ったことも在った…―が在る地域に因んで長岡姓を用いていた。本作で描かれるのは、この長岡姓を用いていた時期なので、主人公の名は“長岡与一郎”なのだ。

与一郎は織田信長の小姓を務めていて、後に「若き寵臣達」の一人として活躍していくことになる。この小姓を務めていた時期の仲間に万見仙千代、荒木新八郎が居る。本作は、この3人が対立したり、手を携えあったりというような「青春ストーリー」というようなものを一つの軸にしている。

与一郎、仙千代、新八郎の「青春ストーリー」を軸にしながらも、その底には「何故、織田信長は本能寺で謀殺されることになったのか?」という、「大きな謎解き」が在る…

所謂<本能寺の変>だが、これは実に“謎”が多い事件である。直接に現場で動いたのは、明智光秀の兵である。明智光秀が、何故この挙に及んだのか?様々な説が在り、その様々な説に依拠する物語が多く綴られている…

本作では、その<本能寺の変>の“謎”に「往時の対外国関係」を加味している。織田信長の軍勢と言えば、鉄砲を多用して火力で敵を圧倒する戦術を用いたことが知られるが…それが可能だったのは何故なのか?そういうような、深く広い考察を交えて物語が綴られている…それらが実に佳く出来ている!!“日本史”もまた「“世界史”の一部」なのだから、本作の仮説のような考え方も肯ける…

時代モノに登場する史上の人物達…少しくどい表現になるが「史上の人物達をモデルにした劇中人物達」というものは、作家によって、作品によって、色々な描かれ方をしている。私はその「大きな差異が在る“色々な描かれ方”」を多少比べながら愉しむのが好きだ…

本作の織田信長…作品によっては、やや狂気を帯びたような描かれ方になるように思うが…本作の信長は「理想を秘めた、思慮深い、“若き寵臣達”の“善き親父”」である…「対外国関係」を思案しながら、宣教師達から贈られて気に入っていたという地球儀を見詰める場面が在る…地球儀の中で“極小さな島々”にしか見えない日本で、彼はその“三分の一”程度に威令を発するばかりだ…苦慮しながら、地球儀の殆ど全てを自在にする夢想をするという場面だ…こんな様子に「思うままに出来るでもない中で如何にするのか?」を思案する様が強く感じられる…やがて、信長の思案の結果として、彼は陰謀に陥れられて行く…

そして与一郎…“細川忠興”がモデルなのだが…“細川忠興”は、他作品では「暴君」とか、「傲岸な印象」とか、「美しく聡明な妻に執着し、非常に嫉妬深い振る舞いに及んだ」というように描かれるのだが…本作の与一郎は、主君の信長が秘めた理想に心底共鳴し、それに一命を賭すような、理想家肌で熱い青年として描かれている…

本作は、とにかくも「様々な要素」が満載の、非常に愉しい作品だ!!他方で…「対外国関係」の“重さ”を寓話的に今日の読者に語り掛けるような一面も在るかもしれない…

『浄土の帝』

「やや比喩的?」な言い方になるのかもしれないが、“院政”という言い方を時々耳にする。名目上の、その時点でのトップに対して、より大きな実力を発揮している先代や先々代のトップが居て、活躍しているような事例を指し示す…

現在の制度下では、天皇陛下は“譲位”をすることが出来ないことになっているので存在しないが、嘗てはそれが出来ることになっていて、“上皇”或いは出家して僧侶資格を得て“法皇”と呼ばれた、やや妙な言い方かもしれないが「天皇位経験者」というものが存在した。そういう「天皇位経験者」が、皇位継承者決定で強い発言権を発揮するようになり、荘園の寄進で財力が集まり、その威光の下で力を振るう人達も現れた。そういうようなことが行われていた時期の政治状況を“院政”と呼んだ。“上皇”や“法皇”の御所を“院”と呼んでいたことから起こった言い方らしい…

そんな「“院政”の時代」というのは、平安時代の末の方、「武家政権の時代」へ移って行く辺りに相当する。殊に名前が売れている院と言えば…白河院、鳥羽院、後白河院ということになるであろう…

↓その後白河院が主人公となっている小説が在る!!

安部龍太郎/浄土の帝
↑大変に興味深く読了した!!

雅仁皇子は、当時は“今様”と呼ばれた歌謡に打ち込み、それがが得意で、気楽な暮らし振りだったが…皇位継承者を巡る鳥羽院と崇徳院との争いの最中、近衛帝が若くして病死したことを受けて、“ワンポイントリリーフ”的に皇位を継ぐこととなる。これが後白河帝である…

後白河帝の時代…鳥羽院の寵臣であった信西法師が専横を振るっていた時期で、政争が武力衝突に発展した「保元・平治の乱」も発生し、殺伐とした時代で、朝廷の権威が損なわれようとしていた時代でもあった…そういう「揺れていた時代」の皇族であった後白河院は、“何”を目指したのか?というのが、本作のテーマだ…

後白河院は、晩年近くには源平の争乱の“黒幕”的なイメージの動きも見せており、何か“悪役”風な扱い方をされがちなのだが…本作に出て来るのはそういう晩年近くの前に相当する、三十三間堂を竣工させる頃までの半生である…

本作では“間接的”にではなく、“直接的”に後白河院の様子が描かれる。小説の視点人物に据えられているのである。彼の眼線で、当時の貴族達の駆け引きや、武士達の戦いが活き活きと描かれている。そんな中で後白河院が目指したもの…或いは「天皇と日本人」、「日本人と天皇」というような深いテーマをも考えさせてくれる内容だ…

“時代モノ”の中には、こんな時代を背景にした作品は豊富とも言い難く、やや馴染みが薄い人物達が活躍している作品だが、これが面白い!!