↓近所の書店でこれを眼に留めた時、「課題図書」というように眼前に現れたような気さえして思わず求めてしまった…

↑紐解き始めると、読む前に何となく思った以上に面白く、夢中になってしまった。時間を設けてドンドンと読み進み、気付けば読了していた…
題名の『宗麟の海』の「宗麟」とは、戦国大名の大友宗麟である。現在の大分県である豊後国を本拠地としていた。そして大分駅の辺りには、「旅の者よ!我が領国を観たか!」とでも言い出しそうな雰囲気を漂わせる大友宗麟の銅像が在った…
大友宗麟の“大友家”というのは、鎌倉幕府によって豊後の守護に任じられたという経過が在る一族で、九州に入った後に代を重ねていて、室町幕府の体制下でも守護を務めていた。大友宗麟はその“大友家”の「21代目」だった。彼の時代、戦国時代の時点で300年近い経過を辿っていたことになる。
大友宗麟は、各地の有力者の連合のような体制の中で“盟主”たる大友家の当主になって行く中で<二階崩れ>という呼称で知られる混乱を経験する。そういう状況を収拾して乗り切り、貿易利権を握って、方々との外交を展開し、敵対勢力との苦しい戦いを何とか乗り切り、豊後、筑後、肥後という古くから守護に任じられていた国々に加え、豊前、筑前、肥前の計6国の守護にも任じられ、室町幕府が九州全般を統べるとして設けていた役職である「九州探題」にも補される。大友家の最盛期、絶頂期を演出した人物である。
大友宗麟は、大友家の最盛期、絶頂期を演出したのだが、晩年に家中が少し混乱も来していたとされる中、最終的に九州統一を目指すようなことになった島津家との抗争で劣勢を強いられるようになって、豊臣政権の介入を図って豊後の大名としての生き残りを目指していた辺りで他界している。
大友家の最盛期、絶頂期を演出した他方、衰退の始まりに関わったような感も在って、何となく「それなりに有名である割に、余り詳しいことが知られていない?」というような感も拭えないかもしれない。時代モノの小説のような中でも、大友宗麟を主役に据えて、その活躍を描いているような作品は余り思い浮かばない…そういう意味でも、本作は貴重だが、それ以上にかなり面白い!
題名の『宗麟の海』の「海」であるが、これは大友宗麟の人生が「海」と共に在ったかもしれないということを示唆しているように思う。
大友宗麟は心臓に病気が在って、長時間の激しい運動のようなことはし悪いというような若殿として作中世界に登場している。健康上の些かの問題を抱えているが故に、自身の人生、自身の立場や役目、その他様々な事柄に関して思索的で、探求心が強い性格になっているような感でもある。
大友宗麟は、ポルトガルとの交易や明国(中国大陸)との関係、国内での交易というような海に関連が深い事項と関わるのだが、敵対する勢力との抗争という中でも海を制する、海を利用するということに意を向けて行くこととなる。そういう意味で題名に「海」なのだと思った。
大友宗麟は自身が文字どおりに軍勢の先頭に立って勇戦するということはしない。が、大友家の旗の下に集まった大軍勢の総帥として、戦いの全般の方針を構想し、構想に基づいて配下の将達に指示を与え、各将が役目を完遂することを助けるべく外交交渉や情報戦を展開させるのである。文字どおりに大友家の最盛期、絶頂期を「演出」ということになる訳だ。
大友宗麟は、父と未だ幼かった末弟が謀略で殺害されてしまった<二階崩れ>という呼称で知られる混乱を収拾して行った後、豊前、筑前に勢力を持っていた周防、長門の大内家を「近攻遠交」を排除してしまうことに成功する。そして周防、長門を手中にして行く毛利家との抗争に入って行く。
領国を護ろうとする大友家の戦いをプロデュースする総帥は大友宗麟であるのに対し、その領国を奪って傘下に収めようとする毛利家の戦いをプロデュースする総帥は老獪極まりない毛利元就である。あの手、この手と知恵と戦力を出し合っての抗争の場面は非常に面白い。
この他、宣教師が「豊後国王の悪妻イザベラ」と伝えている奈多夫人こと弘子との挿話や、晩年に同居する女性ジュリアとの出会いや展開の挿話、「やや残念?」な息子達の挿話等、面白い箇所が本作には満載である。
あらゆる手段を講じて領国を奪うべく侵入した毛利勢を、あらゆる手段を講じて跳ね返した大友宗麟であったが、そういう大きな仕事を成し遂げた他方で「全ての国を従がえる王となっても心が満たされるのか?」というようなことを想っているという辺り…興味深い。
或いは本作は「大友宗麟?」という問いに答える作品として、永く読み継がれて行くように思える。そういうことも思うのだが、それ以上に、単純に本作は面白かった!!