『デウスの城』

↓紐解き始めてみると、頁を繰る手が停め悪くなってしまい、素早く読了に至った。

デウスの城



↑3人の主要視点人物が設定されている。3人が交代しながら様々な場面が展開し、物語が動いて行く。そういう感じなので、「こちらの動き…他方…」と展開のテンポが好い感じになっていたと思う。

題名に在る“デウス”はキリスト教の神のことで、信者が「キリシタン」という呼び方だった戦国時代や江戸時代に多用されたらしい。そういう話題が出て来る時代モノの小説だが、所謂「時代モノ」を少し突き抜けた、より普遍的な何かを感じた。

同郷である3人の若者達が、揺れ動いた時代の中で各々の路を往くこととなった。やがて3つの路は、長い年月を経て交差することとなる。そういう中で「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」というようなことが問われ、各々の路を往く3人の言動がそれを示唆し、読む側に考えさせてくれるというような感じだ。

主要視点人物である3人は、彦九郎、善太夫、左平次である。

物語の冒頭、彦九郎と善太夫は関ヶ原に在る。小西行長に仕える小姓として関ヶ原合戦の陣中に在った。他方、左平次は小西家の本拠地である肥後国の宇土城下で、戦時に護りを固めようとしている家中の人達と共に在った。

この冒頭の関ヶ原合戦の頃、3人は15歳だった。この15歳の頃から、50歳代となる島原の乱という頃迄の人生や時代が描かれるのが本作である。

彦九郎、善太夫、左平次は小西家中の武士である。当主の小西行長はよく知られたキリシタン大名であった。小西家は肥後国の概ね南半分を知行地としていたが、その域内で、また家中の士の中ではキリシタンが多数派だった。彦九郎、善太夫、左平次もまたキリシタンだった。

関ヶ原合戦で小西行長は西軍に参画する。そして寝返りが続出した戦場で、西軍は敗れてしまう。小西行長は戦場を離れるが捕えられ、後に処刑される。本拠地の宇土については、加藤清正が占領し、後に加藤家が加増された際にその知行地に組み込まれる。

こうした中、彦九郎、善太夫、左平次の各々の運命も動いて行く。

小西行長に従って関ヶ原合戦の戦場を離れた彦九郎、善太夫は、滞在していた村から各々に離れて各々の歩みを始めることになる。左平次は肥後国で自身の人生を拓こうとする。

結局、彦九郎は「イルマン」と呼ばれる修道士になり、善太夫は以心崇伝の下で活動し、左平次は加藤家に仕官する。三人三様の経過、動く時代の中での生き様というのが本作の肝であると思う。

キリシタンに関して、暫くは禁じられたと言っても未だゆとりが在ったが、次第に苛烈な弾圧という様相になって行く。そして島原の松倉家の苛政によって人々の不満が高まる中、キリシタン信仰を護って盛り上げようという隣接する天草での動きと相俟って「一揆」が起こってしまうのだ。

この島原での状況の中、彦九郎、善太夫、左平次の各々の路が交差して行くこととなるのだ。

「信じている」に対して「知らない」というのも在る。或いは「信じている別な何か」を重んじようとしている場合も在ろう。そういう時に「知らない」や「別な何か」は排除されなければならないのか?心の中で各々が思う何かを、各々が大切にしていればそれはそれで善いのかもしれない。本作の作中では、こういうような問答のような内容が繰り返されていると思う。そういう様子が、キリシタンの弾圧や、島原の乱のような大事件が起こって行くという中で問われている訳だ。

最近は、より多様な価値観が各々に尊重されるべきであるとするような考え方の他方、或る観方が「正しい」というようなことになると「少し違う」を封じてしまおうとするかのような空気感を感じる場合もないではない。そんな中で、似たような生い立ちの3人が各々に全く異なる路を往く中で、「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」を問うような本作は少し沁みた。或いは「心の在り方の自由」というようなテーマが含まれているとも思う。御薦めしたい一冊だ。

『覇王の神殿(ごうどの)』

↓古代史に題材を求めた時代モノの小説だ。

覇王の神殿 (潮文庫)



↑この小説の主要視点人物となっているのは「蘇我馬子」である。個人的には、この人物を主人公的な位置に据えた小説に余り思い当たらない。そう思いながら紐解き始めたが、非常に興味深く、素早く読了に至った感である。

蘇我馬子は551年頃の生まれと伝わり、626年に他界したと伝わる。敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕えて権勢を振るったとされている。

最近では「聖徳太子」という通称を余り使わなくなったようだが、その厩戸皇子が同時代では知られている人物ということになるかもしれない。或いは遣隋使の小野妹子というような名が上るであろうか。

「6世紀後半から7世紀前半」というのも、「歴史の教科書に出ていたか…」とぼんやりと覚えている感じで、「形を結ぶ何か」にやや乏しいかもしれない。が、一部にその時代のことを伝えるよく知られた場所も在る。

酷く有名な場所としては、法隆寺が厩戸皇子に大変に所縁が深い場所だ。自身でも訪ねてみた想い出が在る。また蘇我馬子に所縁と伝わる石舞台古墳も、やや訪ね悪い明日香村に在るのだが、凄く知られていると思う。明日香村には飛鳥大佛を要する飛鳥寺も在るが、これは蘇我馬子が築かせた寺の流れを汲み大仏は蘇我馬子の時代に造られたモノがそのまま受継がれているらしい。この石舞台古墳や飛鳥寺も訪ねる機会が在って、想い出に残っている。因みに、斑鳩に在る後の法隆寺や飛鳥寺は作中にも登場している。

前置き、関連が在りそうな余談で文字数が少し嵩んでしまった感であるが、本作に関してだ。

蘇我一族は、蘇我馬子の世代の後に討ち滅ぼされてしまう。冒頭でその様子が暗示されるプロローグが在る。

その後の本作の主要な内容は、蘇我馬子の20歳代から70歳代迄の一代記である。蘇我一族の代表という位置を父から譲られ、父が就いていた大臣の位に就き、政治の世界に身を投じるようになってから、老いて息子の蝦夷に後事を託すという物語ということになる。

蘇我馬子が歩む道は「争い」が絶えない状況と言えたかもしれない。仏教を巡る考え方で対立した物部守屋、天皇(作中では“大王”)の後継に関することで争った穴穂部皇子、外交政策等の考え方の違いが際立って排除される危機を感じざるを得なかった崇峻天皇等と争う。そして直系の皇子が他界して厩戸皇子への妬心から後継者としないようにしようとする推古天皇の頑迷な様子に悩み、高い能力を発揮する実力派の厩戸皇子に蘇我氏が排斥されてしまう可能性を危惧するというように、「争い」の中の人生になってしまっている。

そういう中、蘇我馬子はブレていない。仏教文化が花開く、諸外国との安定した関係の中で繁栄を求め得る体制の確立を目指すということは一貫している。そこに横槍を入れるようなことをする勢力との対立や抗争が生じる訳だ。

本作の蘇我馬子は、抗争の場面では愛馬を駆って活躍する他方、謀略を巡らせ、更にロマンス迄在って、凄く魅力的だ。この魅力的な主人公を軸に、「6世紀後半から7世紀前半」というぼんやりとしたモノに形が与えられる感じになっていると思う。

なかなかに興味深い作品に出遭えて善かった。

>>法隆寺を訪ねた経過(1)
>>法隆寺を訪ねた経過(2)
>>法隆寺を訪ねた経過(3)

>>石舞台古墳を訪ねた経過

>>飛鳥寺を訪ねた経過

『囚われの山』

↓色々な作品に親しんでいる作者による作品で興味を覚えたのだが、漠然と思った以上に興味深い内容だったと思う。

囚われの山 (中公文庫 い 132-5)



↑作中でも話題にしている出来事から「120年」ということを踏まえて登場した作品というようである。

極個人的なことになるが、自身は積雪寒冷地に住んでいる。冬季の氷点下気温、凍結、降雪、吹雪という様子には多少馴染んでいる。降雪や地吹雪が入り混じった「ホワイトアウト」も知らないではない。

そういうような、冬季の風雪が激しい状態に出くわすと、頭の中で「“八甲田山”…」という語句を思い浮かべる場合が在る。現在となっては少し古い映画―主要な役を演じた皆さんは、惜しまれながら他界した有名な俳優ばかりだと思う…―で、リアルタイムで映画館に足を運んだでもなく、何かで映像を観ているのだが、あの映画のイメージが何時までも頭の中に残っているということかもしれない。「激しい風雪の中で酷い目に遭う」ということを“八甲田山”と呼んでしまうような感じだ。

その“八甲田山”と「激しい風雪の中で酷い目に遭う」ということに代名詞のようにしてしまいたくなるような事件が発生したのが1902年だという。陸軍の演習で八甲田山を越える道を行進することになったが、風雪が激しくなって進路を見失って遭難したという出来事であった。

本作は八甲田山での出来事を題材にしている。1902年の出来事だが、往時の様子を、往時の視点人物の目線で綴った部分も在るが、寧ろ「“1902年”を見詰める現代の目線」で綴っている部分が多く、内容の主軸を成している。

歴史雑誌の編集者である菅原が在る。菅原には社内の人事上の色々な事柄や、私生活での事情も在るのだが、雑誌の売れ行きが伸び悩み、伸び悩むどころか減少という状況さえ在って何とかしなければならない状況下であった。そんな中、1902年の八甲田山での出来事に纏わる特集記事を出すという計画が持ち上がった。そして菅原はこの事案の主担当ということになる。

199人の犠牲者が生じてしまった八甲田山での出来事を巡り、菅原は国会図書館で資料を逍遥して、青森へ飛んだ。自衛隊の駐屯地内の資料館を訪ね、更に八甲田山の地元に所縁が深い、高校教師が本職であるというガイドの案内で現地を巡ることになる。

行軍演習に発った兵士達の様子や、事故後の処理の様子に関し、菅原は少なからぬ疑問を抱く。更に、行軍演習参加者の中に、その存在が曖昧になっている者が1名居るのではないかということに気付く。最初の誌面での特集が一定の好評を得て、再度の特集に向けて、菅原は冬季の八甲田山へ赴き、自身の疑問を確かめようとするのである。

本作はこの菅原が取組む調査の顛末が軸となっているのだが、現場での苦闘の様子の章が挟まり、菅原の日常の中での様々な想いという部分も在り、なかなかに夢中になった。

作中、菅原がガイドと共に現地を巡って取材している場面が在るのだが、これを読んでいて「或いは作者もこういう具合に現地を訪ねたのか?」と感じ、何となく興味深いと思った。が、その中で明らかになるのは、八甲田山の出来事の凄絶な有様である。悪い夢でも見そうな程度に凄まじいと思った。

未だ新しい文庫本なので筋書等には踏み込まないが、遠い時代の出来事に向き合いながら、自身の手近なことにも区切りをつけて行こうとするような菅原の様子が興味深かった。或いは、別作品で「この後の菅原」が登場するようなことにも期待してしまった。広く御薦めしたい作品だ。

『一睡の夢 家康と淀殿』

↓幾つもの新作を愉しんでいる作者が、また新しい作品を上梓したと知って本を入手した。

一睡の夢 家康と淀殿



↑紐解き始めると、読んだ部分の続きが気に掛り、何か「停められない…」という具合で、細かい時間を設けてドンドン読み進め、素早く読了に至った。そして読後の余韻に些か浸っている。

少し前に同じ作者による『天下大乱』を読了している。『天下大乱』は関ヶ原合戦を描く物語であった。本作はその『天下大乱』の少し後の時代を背景とする物語だ。大坂城で豊臣家が滅びてしまう「大坂の陣」を背景としている。

『天下大乱』では毛利輝元と徳川家康が主要視点人物とされて物語が展開した。本作は、その『天下大乱』で描かれた関ヶ原合戦を戦った徳川家康の「その後?」という雰囲気も少し滲む。本作では徳川家康が一方の主要視点人物となり、大阪城の側で淀殿、または御袋様こと茶々が他方の主要視点人物となっている。徳川家康側の挿話、淀殿側の挿話と交互に現れて物語が進んでいる。

物語は1606年頃から起こる。将軍の座を後継者の徳川秀忠に譲った徳川家康が在り、自身の来し方を振り返りながらも息子の豊臣秀頼が後継者となっている豊臣家の行く末を想う淀殿が在るという情況だ。本作は“前史”というような辺りから「大坂の陣」の様相を説くような物語になっている。

小説や映像作品に登場する“史上の人物”は、結局は「“史上の人物”に着想を得た“劇中人物”」ということになるのだとは思う。が、その“劇中人物”が醸し出すモノによって、“史上の人物”について「こういうような感じ…」という「幅広く人々が抱く感じ」が形成される側面も在るかもしれない。

「大坂の陣」の「攻める側」ということになる徳川家康と、「攻め滅ぼされる側」ということになる淀殿に関しては、実に多くの小説や映像作品に登場している。故に“劇中人物”として「幅広く人々が抱く感じ」が或る程度拡がって、何となく「公約数的なモノ」が在るのかもしれない。

しかし本作では、そういう「公約数的なモノ」が排されていると思う。徳川家康も淀殿の各々に「擁している後継者を見守り、自身の来し方を振り返りながら、次代に想いを巡らせ、動く“事態”に臨む、または動かそうとする」というように造形されていると思う。

本作は「合戦絵巻」的に「大坂の陣」が描写されるというのでもない感じだ。「合戦絵巻」的な感もする物語は、別な作者の作品を比較的最近も何作か読んだが、それらとは明らかに異なる。「大坂の陣」へ至ってしまうまでの、2人の主要人物達の想いの遍歴、そして戦いの真只中での彼らの想いという辺りが主題だと思う。それ故に「長き人生を振り返って…」とでもいうような問いに対する回答例の一つのような「一睡の夢」という語句が題名になったのかもしれない。

更に本作は、織田信長、豊臣秀吉という「天下人」達と徳川家康との「大きな差異」を解き明かすような感も強いかもしれない。「大きな差異」とは「築き上げたモノを後代へ受継いで行く」という事への意識の向け方と活動ということになるであろう。

加えて本作では「“政”?」というようなことを強く感じさせる部分も在ったと思う。徳川陣営の部内の様々な動きや、目的に合わせて事態を動かすというのか、起こった事態に応じて目的を鮮明化することを図るというのか、或いはこういうのは「時代を超えている」という現象かもしれないと思った。

徳川家康による部分と、淀殿による部分とが交互に現れる本作だが、自身の好みとしては「来し方」の部分がより多いような淀殿の部分がより好きかもしれない。少女時代以来、「落城」の中に3回も身を置くこととなった淀殿の波乱の生涯は余りにも劇的だ。

「擁している後継者を見守り、自身の来し方を振り返りながら、次代に想いを巡らせ、動く“事態”に臨む、または動かそうとする」という2人の主要人物による物語なのだが、何か「仄かに現代が投影?」というような気がしないでもない。そういう余韻が深いと思う。広く御薦めしたい作品だ。

『もっこすの城 熊本築城始末』

↓少し独特な感じもする、戦国時代の終わり頃から江戸時代最初期の頃を背景とした物語である。

もっこすの城 熊本築城始末 (角川文庫)



↑なかなかに愉しい作品で、紐解き始めると「続き」が気になって頁を繰る手が停められなくなり、素早く読了に至った。

所謂「大名家」というのは、大名を筆頭として、その家臣として様々な人達が在って「御家中」が形成される。武士とは「戦闘集団」ということになるので、武器を手に戦うことを第一義的な役目とする人達が主流となるのかも知れない。が、大名が例えば「〇〇国一円」とか「〇〇国の北側の半分」という程度の広い版図を知行地とするような場合、統治のために様々な仕事が生じる。仕事の内容によろうが、技術ノウハウや、それらが合わさった知恵の積み重ねというようなモノが必要な筈である。

本作は、その技術ノウハウや、それらが合わさった知恵の積み重ねというようなモノを持つ者として、大名に仕えてそれらを活かして活躍したという人物を主要視点人物としている。戦国時代の終わり頃から江戸時代最初期の頃を背景とした物語の中では少し異色であるかもしれない。が、その異色である様子が魅力的なのだ。

プロローグは安土城での出来事である。

「本能寺の変」で織田信長が謀殺されてしまったことが伝わった安土城で、家中でも最強とも目される手勢を率いる戦巧者の明智光秀が事件の首謀者とも伝わり、主が留守の安土城を護る役目の者達が動揺しながら議論をしている。やがて、何時の間にか何処かへ去る者や、口実の下に安土城を離れようとする者ばかりが目立つようになる。そうした中、木村次郎左衛門は飽くまでも安土城を護るべきだとして、志を同じくする者達と共に押し寄せる明智勢を迎え撃とうとする。そして妻と子ども達を逃がす。

木村次郎左衛門は「城取り」という役目を負って織田家中に在った。城の基本設計、土木工事、建築工事全般を取り仕切り、計画期間の中で竣工させる。専ら城ということに限らず、技術系の仕事を広く担うような面も在ったようだ。「城取り」たる木村次郎左衛門は、安土城の築城に在っては奉行の直ぐ下の現場統括責任者だった。手掛けた安土城を最後まで護りたかったのだ。

この父の薫陶を受け、父の背中を見ていた木村藤九郎が在った。母と弟の藤十郎、妹の里を伴い、父に指示されたように甲賀へ難を避けた。が、父の木村次郎左衛門は安土城で討死してしまう。

このプロローグの後が本編となる。

安土城の一件から5年程を経て、木村藤九郎は尾張にやって来ていた。

安土城から難を避けた後、藤九郎は甲賀で母や弟と妹と共に小作農のような暮らしをしていた。何処かに仕官をして、生活の向上を図ろうと、藤九郎は行動を起こす。豊臣政権の下、加藤清正が大名に抜擢され、急激に拡大した知行地での様々な仕事のために仕官を希望する者を大々的に募っていたのだ。

藤九郎は「秘伝」と呼んでいたが、父の次郎左衛門が書き残した、城の基本設計、土木工事、建築工事全般、仕事の進め方、その他の様々な事柄の知識を持っていた。何時もそれを読んでいたが、そういう知識を活かし、「城取り」としての仕官を望んだのだ。

こうして藤九郎は加藤清正の御家中に仕官をする。或いは加藤清正と巡り合うということになるのだ。どのような経過を辿るのかということが、本作の物語ということになる。

藤九郎は種々の任務に全力で取組む。次第に重責を担う現場責任者として台頭する。実に様々な出来事が在る。

当初は加藤清正の新たな知行地となった地域で治水工事や街道整備のようなことに携わる。やがて朝鮮出兵の局面で、名護屋城や朝鮮の戦地での城に携わり、漸く帰国する。その後、国内情勢の様々な動きの中で隈本城(現在は「熊本城」と書く)に携わる。様々な困難を乗り越え、様々な人達と出会い、父の遺訓を受け止め、何時も懸命な藤九郎の物語が展開する。何れもなかなかに凄い挿話なのだが、事案に懸命に取組む藤九郎の様子は夢中になってしまう。

本作に関しては、「藤九郎の目線で描かれる加藤清正」という要素も大きいと思う。華麗な軍装に身を包んだ、恵まれた体躯が躍動する豪勇の士というイメージの加藤清正だと思う。が、善良で理知的な為政者であり、藤九郎やその他の家中の士を励まし、導くような、なかなかに素晴らしい指導者として描かれている。個人的には本作のそういう部分にも惹かれた。

何時の間にか少し旧い話しになったが、以前に熊本城を訪ねてみたことが在った。そこで観た様子が出来上がる迄の様々な物語が、本作の主要なテーマの一つだと思う。非常に興味深く読んだ。地震災害を受け、長く時間を要する復旧工事が進んでいるようだが、それは正に「現代の城取り」の取組だ。

色々な愉しみ方が叶いそうな本作である。広く御薦めしたい。

『天下大乱』

↓「御予約受付中」(=近日発売)という様相で発見し、発注して入手した。そして早速に紐解いて愉しんだ。好かった!

天下大乱




本作は「関ヶ原合戦」を背景にした時代モノの小説である。

「関ヶ原合戦」ということになると、物凄く知られている戦いである他方、色々と小説家の想像の翼が羽ばたく余地も多々在るかもしれない出来事であると思う。旧いモノから近年のモノまで、合戦そのもの、合戦の前後のこと等を色々と取り込み、様々な人物を中心視点人物とする小説等の作品が在ったと思う。が、本作はそれらの何れとも「似ているようでいて、全然似ていない」という面白さが在る。

本作は2人の主要視点人物が設定されている。そして2人の視点による物語の一部が交互に綴られ、そして事態が少しずつ展開している。

2人の主要視点人物というのは、徳川家康と毛利輝元である。東西の各陣営が形成されて争ったとされる「関ヶ原合戦」だが、徳川家康は東の、毛利輝元は西の“総大将”である。東西各々の「最高指揮官」の目線で語られる戦いの物語ということになる。

物語は、豊臣秀吉の病床に呼び寄せられた徳川家康というような場面から起こる。そういう場面の後には、太閤薨去の報に触れている毛利輝元という場面が続く。本作は、こういう様子で「東西交互」という感じに展開している訳だ。

太閤薨去の後、色々な出来事が在って、徳川家康が「五大老と五奉行による統治」というような体制を蚕食し、加賀の前田家を屈服させ、会津の上杉家を討伐しようかという動きが続く中、「次はこちら?」と思案する毛利輝元が在る。そして「反徳川家康陣営形成の構想と挙兵」という話しに身を投じる、または巻き込まれる。更に様々な思惑で動く、色々な人達が在る。

本作は東西各々の「最高指揮官」の目線で、進行中の出来事や回想も含めた作中の時代や、様々な思惑で動く、色々な人達の様子が分厚く語られている。

「関ヶ原合戦」に纏わる物語は多々在るのだが、本作のように「毛利輝元」に大きな光を当てた小説等は、過去例が思い浮かばない。或いはそこが「新しい!」かもしれない。

本作の徳川家康は、長く苦楽を共にした、または台頭した少し若い世代の家臣達に支えられ、相談しながら次々に断を下すと同時に、当時として最大の知行地を有する最有力大名として求心力を持つ人物と描かれていると思う。

この徳川家康に対する毛利輝元である。過ぎる程に偉大な祖父の後継者であるが、中国地方の領国は「諸勢力の連合体」という様相で、その“神輿”というような存在感で、一族、一門という近しい人達の間でも何かと軋轢が在る中で色々と考えている。そして毛利輝元が代表ということになる西の陣営は、様々な思惑が行き違い勝ちになる。そういう様子が或いは劇的だ。

少し「ネタばれ」に近くなってしまうかもしれないが、本作では「毛利輝元の目線で語られる豊臣秀頼」という劇中人物が少し面白い存在になっている。また、両陣営が夥しい軍勢を動員した他方で「1日の決戦」というような様相にもなった合戦だが、その「何故?」に答えるような内容も本作には含まれていると思う。

古くから多く取上げられている題材である「関ヶ原合戦」だが、「それでも新しい」という本作であると思う。本作は“変化球”のようなモノを駆使するのでもなく、力の籠った“直球”で真正面から挑むような空気感が在る。

非常に愉しかったので、広く御薦めしたい。

『維新と戦った男 大鳥圭介』

↓少し前から眼に留めていたのだったが、今般これを手にし、愉しく読了に至った。

維新と戦った男 大鳥圭介 (新潮文庫)



↑主要視点人物が大鳥圭介となっている。幕末から明治の初め、「箱館の戦い」に至る旧幕府系の人達の物語である。

「箱館の戦い」に身を投じた様々な人達を取上げた小説等は多く在ると思う。色々なモノに触れていると思う。そういうモノの作中に大鳥圭介は色々と登場もしている。だが「大鳥圭介」を主要視点人物とした作品は余り記憶が無い。そういう意味でも少し惹かれたのだった。

本作では、鳥羽伏見の戦いの後に、新政府側に対して抗戦を唱える人達が各々の行動を始めようとしていたような頃から物語が起こっている。

幕府の中でも「精兵」と呼び得る、当時のもっとも新しい理論に基づく、フランス人顧問団の指導も受けた<伝習隊>は、鳥羽伏見の戦いの後に大坂城から徳川慶喜が強引に江戸へ舞い戻った頃にも健在であった。大鳥圭介はこの伝習隊の指揮官であった。

可能な限り戦って、巧く“戦後処理”を進めることを思い描いた大鳥圭介であったが、関東で新政府側勢力と転戦し、やがて会津へ向かって会津で展開した戦いに身を投じていくことになる。そうした展開の合間に、大鳥圭介の来し方が振り返られ、戦いに身を投じる本人の「想い」に繋がるモノが語られる。

新政府側に対して抗戦を唱え、最後の戦いということになった「箱館」にまで行った人達の多くは、江戸時代を通じて代を重ねて一定以上の重い立場を占めていたというような人達ではない。それが「何?」、または「如何いうことなのか?」という問いが、本作の底流に流れていることのような気がした。

例えば大鳥圭介自身は、累代の幕臣ということではない。地方の医家の出であるが、学問を通じて取り立てられたという人物である。欧州からの新たな知識を紹介するような仕事を重ね、欧州の用兵理論のような事の紹介という辺りから伝習隊に参加し、自らも訓練に積極的に参加しながらその指揮官ということになった人物である。

作中の多くの人達は、大鳥圭介のように、それぞれの努力や獲得した知識を活かして自身の立場を造ろうとしてきたという人達である。「御家が…」の名目で「吾身だけが…」というだけで「本当に善いのか?」という「想い」に、彼らは突き動かされているのかもしれない。

或いはこういう作中の様子に触れる中、「現在の、我々が生きる時代の巷??」という「仄かな問い」というようなモノを感じないでもなかった。そういう辺りが、「箱館の戦い」に身を投じた様々な人達を取上げた小説等が長い間に随分色々と創られ続けている理由なのかもしれないとも思った。

本作の大鳥圭介は、多くの人達が知らなかった新知識を紹介すべく学ぶことで取り立てられるに至ったという大変に強い自負と同時に、共闘する様々な人達を認めて慮る謙虚さを持ち合わせていると思う。作中の、共闘する人達とのやり取り等は強い余韻を残すようなモノが在った。更に、大鳥圭介が指揮を執った戦いでは、実は余り勝っていないのだが、それでも生き残るという、或る意味での強運の持ち主かもしれない。

大鳥圭介達は、会津で「力及ばず…」という展開になった後は箱館に向かう。概ね本作の後半はこの箱館の戦いの経過等が非常に詳しい。或いは?本作を原案に映像作品を創るようなことになれば、多分「凄まじい…」という感じになるであろうと、頁を繰りながら思った。少し夢中になってしまった。

また、現在は函館の五稜郭に「箱館奉行所」の建物が再現されている。作中、大鳥圭介が属した箱館の陣営が本拠地にしていた場所である。自身にはその「箱館奉行所」を見学した経過も在る。作中の色々な描写に触れながら、訪ねて観た「箱館奉行所」の様子も少し思い出していた。

こういう“時代モノ”というのは、史上の人物をモデルとする作中の主要視点人物と対話するというのか、その生涯等を追体験してみるようなことで「で?生きている現在は?」というようなことを考える材料とするような性質のモノなのかもしれない。

今ここに、改めて「大鳥圭介」と出逢うことが叶ったというような感だ。本作は広く御薦めしたい。

『天下を買った女』

↓未だ発売から日が浅い一冊を読む機会を得られた。大変に幸いだ。

天下を買った女



↑紐解き始めると、頁を繰る手が停まらない、否、「停められない」というようになってしまい、素早く読了に至ったのだった。

「応仁の乱」の時代を背景とした物語である。主要視点人物は、室町幕府の8代将軍であった足利義政の正室、日野富子である。

“室町幕府”の体制に関して、持続していた制度が疲弊、或いは形骸化し、様相が当初とは大きく変わり、様々な混乱が生じていたような時期、方々の有力家門での内訌が折り重なるようなこととなり、東西各陣営が形成されて戦乱が生じてしまうという時代、そしてその戦乱を収拾して「静謐」をもたらすことが難航したという時代の物語である。

そういう時代の中、「将軍家に嫁ぐ」ということを半ば運命付けられていた日野富子が「如何に生きようとしたか?」、「自身の歩みの中で何を見出すか?」というのが本作である。

世に「静謐」をもたらすためには如何にすべきか?日野富子は考える。そして行動する。そういう他方、妻として、母として、女としての生き様が在る。それが活写されていて、実に興味深い物語となっている。

更に、持続していた制度が疲弊、或いは形骸化したが故に混乱が生じていることに関しては、「属人的な要素」が追い打ちを掛けてしまっている側面も在る。それを「高い位置に在る者」として見詰め、行き詰った様相を何とか打開しようと奮闘する日野富子の姿という物語とも言えるかもしれない。

本作に登場する人物達だが、ヒロインの日野富子に限らず、夫の足利義政に息子の足利義尚、兄の日野勝光、細川勝元や山名宗全という人達、或いは土御門帝、その他多くの面白い人物達が登場する。正しく「大河ドラマ」だ。

或いは「この作者らしい?」とも思ったのが、「後の北条早雲」が「伊勢新九郎」として意外に大切な役割を担っていることである。

実は、最近偶々京都を訪ね、一条堀川やら相国寺、或いは御所(京都御苑)の傍を歩き廻る機会が在った。その辺りというのは、本作で描かれる「応仁の乱」の戦いが展開したような場所でも在る。一条堀川の方面は、「応仁の乱」に由来する「西陣」という通称が残っている訳だ。そういう意味でも興味深かった。

地位や名誉を賭しての武力衝突と国土や人民の疲弊という状況に対し、人々のあらゆる営為を支える経済活動というモノが在る。その後者に着目したという女性が、激震した時代をどのように駆けたか?非常に面白い物語だ!!

『威風堂々(下) 明治佐賀風雲録 』

↓「上巻」を読んで、同時に拝借した下巻も勢い良く読んだ。出会って善かった作品だと改めて思う。

威風堂々(下) 明治佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]



↑「上巻」の冒頭で、最晩年に至った大隈重信の所に、佐賀での少年時代から互いを知っている、早稲田大学の講師になっていた久米邦武が訪れる序章が在る。その場面に戻る訳でもないが、この下巻は「明治時代の大隈重信」が一貫して語られ、最終的に大正時代に2度目の首相を務めて他界してしまう辺り迄の物語が綴られる。

「何事かを夢見た若者達の一群」の中に在った大隈八太郎が明治政府の官吏、やがて政治家となって行くまでが描かれた上巻に対し、下巻は明治時代以降の「より大きな動き」の中での大隈重信が描かれることになる。

明治時代に、或る時は主流を、或る時は非主流、更に反主流という場合さえ在った大隈重信であるが、同郷の人達が巻き込まれた事件や、自身を襲った悲運というようなことを乗り越えながら歩むこととなる。そういう様子が生き生きと描かれているのが本作だ。

そういう傍ら、現在でも一定の評価を得ている私立大学を起こすというような活動もしたのが大隈重信だった。場合によって、少し位は疎まれようとも、それをものともしない。正しく小説の題のとおり「威風堂々」という生き様が、読んでいて少し心地好い。

作中、友人と言い得る間柄の五代友厚が、抜きん出た才気の故に孤高になってしまい易い大隈重信の性質を指摘する場面が在る。そういう一面は否定出来ないのかもしれないが、それでも「迎合し過ぎない」というような姿勢を大隈重信は貫いた感が在る。

何やら「同調圧力」のようなモノが異様に強いような、少し複雑化しているように見える現代であるからこそ、「抜きん出た才気の故に、傍目に不器用にも見える生き様」という大隈重信の有様が眩しいような気がする。

本作は新聞に連載された小説作品を単行本に整理したというモノであるようだ。そういうことで、「連載の痕跡」というような適当な区切りも在るので、或いは読み進め易いかもしれない。が、自身は兎に角夢中で「如何する?如何なる?」とドンドン読み進めた。

分量が多めな上下2巻の小説だが、夢中になってしまい、あっという間に読了に至ってしまった。少し旧くなるのだが、佐賀に在る大隈重信の生家や記念館を訪ねてみたことが在った。そこを再訪してみたいという思いが強まった。

広く御薦めしたい作品だ。

『威風堂々(上) 幕末佐賀風雲録』

↓「登場!」という話しを耳にして少し強い興味を憶えていた。偶々図書館で眼に留め「是非に!!」と拝借したのだが、出逢えて善かった一冊だ。

威風堂々(上) 幕末佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]




「大隈重信」という人物に関してはかなり詳しい伝記の新書や、故郷でもある佐賀で出された評伝や、その他に様々な形で接しているのだが、本書は或る意味で「決定版!」的な迫力も在る小説になっていたと思う。

大隈重信は大正時代まで生きて、晩年近くになっても色々と活躍している。様々な挿話に彩られた人物が。本書は「幕末佐賀風雲録」となっていて、「何事かを夢見た若者達の一群」の中に在った大隈八太郎が、幕末の揺れる情勢の中で様々な活動に携わり、新たに登場した明治政府の官吏になって活躍するようになるまでが描かれる。

少年から青年になるような頃、「あのようなモノ!」と少し毛嫌いしていた『葉隠』のような古典について、少し年輪を加えた中で「自身が直面している時期、時代なりの解釈」ということで少しずつ「得心し得るモノ」にして行くような経過が何やら面白かった。そしてよほど名前が売れているとか、立場が酷く上というような人士と臆せずに向き合って何事かを話そうとするような辺りなどが酷く面白かった。

幕末期の大隈重信は、長崎での様々な活動に携わり、他方で来日したオランダ系米国人の宣教師であったフルベッキが主宰した教室に出入りして英語を学んでいたという。そういう経験が後に生きて来る訳である。

大変に面白い人物である大隈重信だが、これまで小説やテレビドラマ等で主役的な扱いになっていた経過は余り思い浮かばない。そんなことも在って、少し力が入りながら本書を読んだ。

実は、やや旧い話しだが、「九州各県に足跡を…」と佐賀に立ち寄ったことが在り、その際に大隈重信生家という場所も訪ねていた。父親が比較的早くに脳出血らしい症状で他界したことから、姉や母親と暮らしたという家が、当時の雰囲気のままで大切に保存されている。傍らに、明治期の礼服に身を包んだ様子の大隈重信の銅像と、事績を伝える記念館が在った。何れも興味深く見学した覚えが在る。

本当に小説の題名のとおりに「威風堂々」と己の道を突き進む大隈重信の有様が痛快だった。「下」の明治時代以降の動きが何やら酷く愉しみだ…

『家康謀殺』

↓御近所の書店で入手し、大変に愉しく読んだ小説集である。

家康謀殺 (角川文庫)



↑単行本として6篇を収めて登場し、文庫化に際して“特別収録”を1篇加えたという。7篇からなるのだが、各篇共に少し夢中になる。

本書の各篇は、終焉へ向かって行く時期に差し掛かっている戦国時代の主要な戦いに関連するような出来事が扱われている。桶狭間の戦いに関連すること、失脚して自決した豊臣秀次に関連すること、朝鮮出兵に関連すること、関ヶ原合戦に関連すること、大坂の陣に関連することである。“特別収録”は織田信長に関連するのだが、少し独特なファンタジー的な色彩も帯びる。

各作品共に勇壮な合戦絵巻というような感は薄く、「謀略渦巻く激動期を生きた主要視点人物」のドラマに仕上がっている。殊に強く記憶に残る篇を挙げておきたい。

偶々、比較的近年に近江八幡を訪ねた経過が在って、現在は「金剛峯寺」と呼ばれる「青巌寺」という物語終盤の舞台そのものへも訪れている関係で、豊臣秀次に関連する事項を扱った『上意に候』が最も気に入って、読了して暫く経ってから再読もした。

豊臣秀次は、豊臣秀吉の姉の子である。立身を果たす秀吉の手駒のように数奇な運命を辿った。関白を務めるようになっていた時、後の豊臣秀頼が誕生し、その地位に在るということが「問題」と化してしまう中、進行する事態と秀次の回顧とが織り交じるように物語が進行する。

表題作の『家康謀殺』は「大坂冬の陣」に向けて駿府から大坂を目指す徳川家康の周囲での出来事という物語だ。「そういうこと!?」と少し驚くような展開で面白かった。

“特別収録”の『ルシファー・ストーン』はローマ教皇の下に伝わる伝説的なモノを巡って、舞台が日本になって展開するという物語だ。何か豪華な造り込んだ美しい画の映像作品が似合いそうな感じだ。「そう来るか?!」という面白さが在った。

何れも読み易い分量でなかなかに熱い物語である各篇が集まった、広く御薦めしたい一冊である。

『西郷の首』

↓紐解き始めると、頁を繰る手が停まらなくなった…

西郷の首 (角川文庫)



↑幕末期から明治期を舞台とする時代モノだ。「意外に知られていない?」と見受けられる事柄が扱われている。そして「時代の奔流」という中で生きた“竹馬の友”という2人が主要な登場人物ということになる。

冒頭の「プロローグ」で、80歳代に差し掛かった男が高台に上って故郷の街を望むというような場面が在る。題名の『西郷の首』の「西郷」が在る故に「桜島が視える鹿児島」でも登場するのかと思えば、「加賀百万石」と謂われた前田家の城下町であった金沢が出て来る。

本作は、西南戦争の際に『西郷の首』に関わることとなった、「文次郎」こと千田登文(せんだのりふみ)と、その“竹馬の友”ということになる「一郎」こと島田朝勇(しまだともいさみ)の物語である。2人は加賀の前田家中の士であった。家中では低い位置付の足軽であった。

文次郎や一郎が中心視点人物となって展開する物語であるが、何方かと言えば一郎が中心となっている場面が多かったような感である。

激動の幕末期、加賀の前田家中でも佐幕派と尊王派との内訌のような状態は見受けられ、他方に開国後の経済の色々な動きや天候不良による凶作という領内の混乱等の様々な事情が生じていた。そんな中を文次郎や一郎が駆け抜ける。所謂「水戸天狗党上洛」の一件や、その後の「戊辰戦争」という大きな動きの中で2人は活動し、戦いにも参加した。そういう他方に各々の人生も在る。

激動の幕末期を共に駆け抜けた文次郎と一郎であったが、時代が明治になった中で「各々の道」を歩み始める。明治初期の様々な動きの中、高まる不満という背景の中で政治運動家的な動きに身を投じる一郎と、職業軍人として生きようとする文次郎とが各々辿る運命が綴られる。そして行き着いた先は?

互いの良さを認め合った「真の友」という感の文次郎や一郎だが、「時代…」の故に結果的に袂を分かつこととなって行く様が描かれる作品だが、強く引き込まれる。そして、江戸幕府の時代に「最大の大名家」であった加賀の前田家中の幕末の様子に関して、正直余り知らなかったので、そういう辺りも興味深く読んだ。

非常に興味深い物語である…

『修羅の都』

↓猛々しい不動明王の像というイラストの表紙カバー…何か「闘争」を想起させる…「鎌倉時代の政治ドラマ」という感の、時代モノの小説だ…

修羅の都 (文春文庫 い 100-5)



↑少し夢中になって、素早く読了に至った一冊だ…

一言で本作を形容すれば「鎌倉時代の政治ドラマ」ということになる。鎌倉時代辺りの“大鎧”というような華麗な装備に身を包んだ武将が勇躍するような場面が多々在るような物語ではない。源頼朝と妻の北条政子との物語ということになる。

鎌倉幕府が成立して、安定して行くという過程の中、源頼朝は「敵対的勢力が擁立し得る“旗頭”になりそうな人物」ということになる、兄弟や縁続きの源氏系の武将を排するような政治闘争を随分と行っている。本作の物語の基礎となっているのはそういう経過である。

鎌倉幕府が成立して、安定して行くということは、「そこまでの時代の社会の在り方」を「抜本的に変えて行く」という大事業であった。源頼朝はそれに邁進した。が、「敵対的勢力が擁立し得る“旗頭”になりそうな人物」を排することを繰り返す中、「自身の血脈を護る」ということが様々な活動の目的であるかのように、何やら“質的変化”をしてしまう…

そんな源頼朝を支える妻の北条政子である。4人の子達の人生を見守って行くというような「母親の歓び」というような事とは、何時の間にか距離を置くような羽目に陥って行った。結局、彼女は4人の子達の全てに先立たれているのだ…

源頼朝の生涯の最後の方、脳卒中か何かと想像される症状によって公衆の面前で落馬してしまい、そこから運ばれて、やがて落命してしまったという挿話が伝わるのだが、史料の散逸というようなことも在って「晩年の様子」には不明点も多い。本作はそういう「不明…」な部分に関して大胆に想像の翼を羽ばたかせている一面も在る。

或いは「難解?」な面も在るかもしれない諸情勢を、「理想に向かって邁進するが故に、個人的な人生という意味での“不幸”に絡め捕られてしまった?」という感の「頼朝・政子夫妻の物語」として、見事に語り切ったという感の作品だ。

なかなかに愉しむことが出来た!!

『敗者烈伝』

「歴史を学ぶ」とか、学ぶという程度の真摯さに欠ける「親しむ」というようなことも含めて、何か「不当に“無価値”呼ばわれ」をされていると、私自身は長く思っていた。「いた」と過去形にしたが、「いる」と現在形で述べなければならないかもしれない…

↓本書は「歴史を学ぶ」、または「親しむ」ということの意義を改めて世に問うような、時代モノを多く著している作家による一冊で、非常に面白い!!

敗者烈伝 (実業之日本社文庫)



↑内容が面白いので一々感心しながら読み進めたが、同時に“日本史”のキーパーソンと言って差し支えないかもしれない人物達の話題を読み易い形で紹介してくれる、非常に価値在る一冊になっている。或いは、「“時代モノ”の作家として作品化してみたい人達を列記」という面も在るかもしれない。作者の作品に関しては意外に好きで、色々と読んでいるので益々そう思った側面も在るが…

「勝敗」というようなモノは、「一定のルール」の下に争われる、例えば野球、サッカー、バスケットボールというようなモノの試合でもない限りは、些か抽象的で、同時に相対的ということになってしまうかもしれない。そういう意味で、本書で取上げられる人物達の中には「或る意味で勝者」という人達も多く挙がっているような気もする。が、それでもそういう「或る意味で勝者」という人達も含めて本書では「敗者」と位置付け、「“敗因”というようなモノ?」を考えようとしているのである。それが酷く面白く、なかなかに読ませるのだ。

「歴史を学ぶ」とでも言えば、何やら人名、地名、事件名、年号というような「無駄!!」な何かを「無理に覚える」というように、勝手に貶められているような気がする。「歴史を学ぶ」というのは、過去の人達が紡いだ物語の中から、自身の人生や社会の在り方、自身を含む社会の未来を考える材料を探り出すということなのではないであろうか?この『敗者烈伝』は、そういう「歴史を学ぶ」ということに意義に即した内容であると思う。

小才子であるだけでは足りない?大人(たいじん)であるだけでも足りない?真直ぐ過ぎるのも足りない?ブレ過ぎるのも足りない?色々と「“敗因”というようなモノ?」は上がるであろう…或いは、本書に挙がる人達のような、その時代の政権を担うとか、領国等での覇権を賭して争うとか、そういう次元のこと等「無関係!」という人が読者の圧倒的多数かもしれない。が、本書で示される「敗者」の物語は、多くの「普通の人達」にとっても「人生の在り様」とでも呼ぶべき様々なことを示唆してくれると思う。

多くの皆さんに御薦めしたい感の一冊だ。

『悪左府の女』

↓所謂「時代モノ」の小説等で多く取上げられているというようにも思い悪い時代の、広く知られているか否かも少し疑問な人物に光を当てた作品だと思う…

悪左府の女 (文春文庫)



↑主に2人の作中人物達を主要視点人物としながら物語の世界、平安朝の「貴族の時代」が「武家政権の時代」へ移ろおうとしている時代が描き出されている。

題名に在る「悪左府」である。「悪左府」と呼ばれたことで知られる史上の人物?これは<保元の乱>で敗れた藤原頼長のことである。

「左府」とは、朝廷の「左大臣」のことである。「左大臣」の位に就いたような上級貴族を「左府」という異称で呼ぶ場合が多々在ったようだ。そして「悪」だが、これは“悪役”のようなことではなく「強い」というような含意で用いられた表現だという。「強力に手腕を振るった」とか「強い個性が際立つ」とか「存在感の大きな人物」という意味合いで「悪○○」という呼び方が在ったようだ。

題名に在る「悪左府」は、「辣腕を振るう大きな存在感を示す、あの左大臣」というような含意なのであろう。

更に題名に在る「の女」であるが、これは「悪左府」こと藤原頼長の妻や愛人というようなことでもない。政争の“駒”のように動かそうとした女性が在ったということである。

題名の『悪左府の女』とは、「悪左府」こと藤原頼長と、彼が動かそうとした或る女性の物語ということになる。その女性の名を栄子という…

やや変わった題名と思ったので、題名からの話題が少々長くなってしまったが…

平安時代には、藤原氏の一族が、一族の娘を天皇の后とし、生まれた皇子が即位した際に“外祖父”として摂政や関白という地位を得て実権を振るう「摂関政治」という在り方が見受けられた。これが続いた後、藤原氏の一族の者が“外祖父”として摂政や関白という地位を得られなかった間隙に、天皇の位を退いた院(上皇。または僧籍を得て法皇とも称した)が「治天の君」と称して実権を掌握してしまう「院政」という在り方が登場した。

藤原頼長の時代には、寧ろ「院政」という時代になっていた。が、藤原頼長は「摂関政治」のような枠組みを再構築して行くことを目論み、自身の高い能力を振るい、謀も巡らせた。

「摂関政治」のような枠組みの中でも主流と非主流との綱引きが在り、「院政」の枠組みの中でも主流と非主流との綱引きが在る。そんな背景で物語は起こっている。

藤原頼長は「摂関政治」のような枠組みの中での主流として、その位置を盤石化することを謀る。既に自身の娘は天皇の后だが、非主流たる兄の娘もまた中宮である。何れか、皇子を産んだ方の背後に在る藤原頼長、または兄が「次の天皇の外祖父」となる可能性が高まる。他方、この頃には後継の天皇を選ぶ場面での院の勢力の大きな影響も無視し悪くなっているのだが…

藤原頼長の娘は未だ少し幼く、天皇は后というより大切な妹というように接している。対して兄の娘である中宮に関しては、女性として接しているらしい。そのように聞き及んだ藤原頼長は、后に使える女官に栄子という女性を送り込むこととした。

弦楽を得意とする栄子は、風貌が中宮に少しにているとも言われた。天皇は音楽を非常に好むということから、后の傍に在れば遠からず面識も得られる筈である。この栄子に対し、藤原頼長は「皇子を産め!」と命じる訳である…そうなると藤原頼長の側が「直ぐ先の天皇」を掴むこととなる筈だ…

そういうことで、この栄子が天皇に抱かれるという目論見を有する他方で、楽師という役目、后の所での役目を誠実に果たそうとしている様子や、手近で色々と起こるという部分の物語が在る。それと並行し、様々な勢力の綱引きの中で動く藤原頼長の動きの物語が在る。

栄子の目論見の他方、藤原頼長は重層的に起こる様々な争いの末に追い詰められるような形になり、武士団を動員する武力行使での紛争解決を目指すようになって行く。そうして行く、或いは行かざるを得なくなることで、「貴族の時代」が「武家政権の時代」へ移ろう過渡期の出来事である<保元の乱>の展開となる。

視点を適宜入れ替えながら、或る女性の少し不思議な運命と、一度は絶大な力を手にしながらも破滅への道を、自身が属する階層の危機を招いてしまうという男が辿る運命が綴られる本作である。なかなかに愉しく読み進め、素早く読了に至った…

何れにしても、この<保元の乱>の頃のような時代も「激動する時代背景」な訳で、興味深い物語には好適な舞台を提供してくれると思う。

『城をひとつ:戦国北条奇略伝』

↓なかなかに夢中になってしまって、素早く読了に至ってしまった一冊である…

城をひとつ: 戦国北条奇略伝 (新潮文庫 い 117-3)



↑所謂「北条五代」(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の中、二代目の氏綱の頃から、豊臣秀吉との戦いに敗れる五代目の氏直の時代までを背景に6つの挿話で構成されている物語である。

6つの挿話を通読すると、北条家が勢威を拡大し、関東の覇者となり、そして滅ぼされてしまうまでの経過が視えるのだが、本作はそういう経過を少し変わった視点で描いている。代々の北条家に仕え続けて独特な活動を展開していたという大藤家の人達を主要視点人物に据えて各挿話が綴られているのだ。

最初の挿話の冒頭は「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞で始まる。この『城をひとつ』が最初の挿話の題名であり、同時に本作全般の題名ともなっている。

この「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞を口にする男、大藤信基(だいとう のぶもと)が挿話の主人公で、やや先走ればその息子達、孫、曾孫が各挿話の主人公となって行くのだ。

紀州の根来から北条氏綱を訪ねて現れた大藤信基は北条早雲と交流が在り、北条早雲に仕えると約束していたが、身辺整理に手間を要していた間に北条早雲が逝去してしまったので、後継者である北条氏綱を訪ねて仕官を願い出ているということだった。その仕官を願い出る場面の描写が物語の冒頭で、「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞が出て来る。

“城”というのは、軍勢が拠る場所で、諸勢力が争う場合の拠点となる場所であり、時代が下ると一帯を差配する領主の権威の象徴となって行く場所である。その“城”を「取る」というのは、正しく「言うは易く、行うは難し」というものである。戦国時代には方々に“城”と呼ばれるモノは夥しい数が在った。戦いの焦点となった“城”も多い訳だが、「お取りすればよろしいか」と簡単に陣営が切り替わった例が多々在るのでもない。

この「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞を口にした大藤信基という男…何をどうしようというのか?

この「何をどうしようと?」が最初の挿話の顛末であり、以降は大藤信基の一族が北条家の下で展開する「独自の戦い」の有様が綴られる挿話が折り重なっている。

中には、他の作家がその作品で題材に求めたという記憶も在る戦いが含まれているが、本作では少し独特な解釈になっていて、酷く面白かったという例も在った。とにかくも「痛快!」な活躍が展開している。

“戦国時代”というモノの中には、勇壮な合戦譚も多々在る訳だが、そればかりでもない色々な要素が在る訳だ。本作はそういう方面に光を当てるような物語である。

大藤信基は晩年に金谷斎と号する。北条家の家臣として「根来金谷斎」という人物が在ったと伝えられているようだが、恐らくはその人物がモデルとなっていると見受けられる。この大藤信基が夢見て、北条家にそれを託し、北条家の後継者達や己の子孫がそれを受継いだという側面も在るのだが、それは何だったのか?少し考えさせられる側面も在る。

何れにしても、本作は夢中になってしまうものが在る。「城をひとつ、お取りすればよろしいか」と言い出して、何がどうなるのか?是非、本作で!!

『走狗』

↓「明治時代の警察官?」という感の制服姿の男というイラストが入った表紙だ…これは警察の礎を築いたと言われる川路利良を主人公とする小説だ…

走狗 (中公文庫)



↑「表舞台に出た」とは言い悪いのかもしれないが、薩摩の島津家中に在って、寧ろ低い身分であった川路利良が明治初期の警察のトップとなって活動するという経過の物語で、色々な意味で興味深かった…夢中で素早く読了に至ったのだった…

物語は<禁門の変>―政変で京都を追われ、<池田屋事件>でのダメージも受けた長州が京都へ出兵し、京都に在った諸藩の軍勢と衝突した…―の辺りから起こる。薩摩勢の中に在った川路利良は、長州勢の有力な指揮官の一人であった来島又兵衛を狙撃して斃すという勲功を挙げて注目されたのだった…

そして川路利良は揺れ動く幕末の情勢下、西郷隆盛や大久保利通の下で働き、戊辰戦争の時代を駆け抜けて行く。やがて明治政府の中で、川路利良は警察機構を整えて警察の指揮を執る仕事に携わり、大久保利通の下で歩むことになる…

現在にも受け継がれている「警察」という制度の礎を築く大変な努力というようなことの他方、かの<西南戦争>を巡る動き等は…何か凄いモノが在る…

題名の“走狗”という言葉は、作中の川路利良が自問する、望んだか、望まなかったか、彼が歩むことになった「生き方」を形容した表現…ということになると思う。その辺りに関しては、何となく色々と考えさせられるものも在る…

非常に面白い幕末・明治初期を扱った物語である。

『横浜1963』

「1963年」とでも聞けば?かの<東京オリンピック>の前年で、56年も前ということになる。そんな時代を背景に、現在の時点で何かの物語を綴るなら?それは「少し広い意味」で“時代モノ”ということになるのかもしれない…

↓そんなことを思い付いたのは、多くの“時代モノ”を送り出している作者が、1963年の横浜を舞台にした小説を出したのを読んだからである…

横浜1963 (文春文庫) [ 伊東 潤 ]



↑一定程度、史実に依拠した、史上の人物をモデルとしている劇中人物達が織りなす“時代モノ”を得意とする作者が、「1963年の横浜を舞台に、創作された劇中人物達による“事件モノ”」を送り出したのだ。これがなかなかに味わい深い…頁を繰る手が停まらなくなった…

本作には主要視点人物が2人設定されている。

神奈川県警の外事課に勤務する刑事のソニー沢田が第1の視点人物だ。「ソニー」は通名というのでもない本名である。彼は米国人の父親と日本人の母親との間に生まれている。父親の遺伝要素が濃いようで、誰もが白人と見紛う風貌の持主だ。

NISと呼び習わされる、米海軍で憲兵の役目を担い、軍関係者の犯罪の摘発や捜査も手掛ける機関が在る。横須賀の米海軍基地で、そのNISの仕事を手掛ける下士官のショーン坂口が第2の視点人物だ。ロサンゼルス出身の日系3世である。祖父母も父母も日系人で、日本人そのものの風貌や体格の持主である。

本作は「米国人の風貌を持つ日本人」(=ソニー沢田)と「日本人の風貌を持つ米国人」(=ショーン坂口)という“境界”に在るような、やや複雑な背景の視点人物達を設定している。そして物語が、「戦後から高度成長の真っただ中へ」、「オリンピックを経て大きく踏み出そうとする前夜」という時代の“境界”という状況下に在る1963年の横浜で展開するのだ。

物語は…

横浜港で女性の遺体が発見された。刃物による傷が見受けられ、他殺として神奈川県警は捜査を始める。ソニー沢田も捜査に加わる。

女性の身体に見受けられた傷は、米海軍の将兵に支給されているナイフの特徴が見受けられるモノであったが、それ以外に被疑者に結び付く証拠等は出ない。捜査が暗礁に乗り上げ、打ち切られるような状況下、ソニー沢田は英文の報告書を作ってNISへの情報提供、協力依頼を独断で行う。

NISでソニー沢田に対応したのはショーン坂口だった。報告を受けたが、その内容だけでNISとして捜査を行うようなことは出来ないとした。が、佐世保に出張したショーン坂口は、佐世保基地に近い地域でも少し前に類似事件が発生していたという事実に行き当る。

暫く経った頃、ソニー沢田が再びショーン坂口を訪ねた。横浜で、また一度報告した事件と似たような女性の刺殺遺体が発見されたというのである。連続犯?2人は密かに手を携え合う…

こういうような具合だ。謎解きの要素を多く含む物語の性質上、これ以上の仔細には踏み込まない…

“境界”に在るような、やや複雑な背景の視点人物達が、警察官や憲兵という「正義を貫く職分」で「正義を貫きたい」とする強い想いを抱きながら、「色々な事情」の下で苦闘する、“境界”を蠢くというような感もした物語だ。全般として、各々の社会で「やや異質?」な者達が自身と社会との“境界”で強い想いを貫こうとする物語である。そして1963年という時期の横浜、日米関係を見詰めているような物語である。なかなかに読み応えが在る。

作者自身による<あとがき>に、御自身が横浜出身で現在に至るまで住み続けているという思い入れが示されているのだが…本作の読後に一寸気になる「ソニーやショーンのその後」を絡めて、“横浜シリーズ”でも展開して頂きたいものだ…

『吹けよ風 呼べよ嵐』

↓表紙イラストを視て…「上杉謙信??」と思ったが、案の定であった…

吹けよ風 呼べよ嵐 (祥伝社文庫) [ 伊東潤 ]



↑かの「川中島合戦」に関する物語で、かなり勢い良く読了に至った…

「川中島合戦」は、信濃に侵攻した武田信玄に対して、信濃の諸勢力が越後の上杉謙信―御本人は何度も名乗りを変えていて、少し煩雑なので、敢えて最も知られている名で綴っていることを御容赦願う…―に支援を請い、両陣営が計5回に亘って戦ったというものである。

本作では、信濃の諸勢力である須田弥一郎満親という主人公を据え、「川中島合戦」が起こった経過や展開を軸とした物語が展開している。

信濃の諸勢力は村上義清を旗頭に、武田勢を迎えて善戦したが、次第に圧迫を受け、調略で結束を崩され、劣勢に陥ってしまい、越後へ逃れて長尾景虎(上杉謙信)の支援を乞うことになる…そして始まる戦いの1回目から4回目までの状況が詳しく描写されている…

他方…信濃を覆った戦雲の中、須田弥一郎満親は幼少の頃から仲良く育った縁者と敵味方に分かれて戦う羽目になるという運命にも見舞われる。そういう中で、戦国の世というモノが何なのか、というような話しにもなる…

本作では、甲斐から信濃に進出し、やがては日本海側へ進むように所領を拡げようとする武田陣営に対し、独自の“正義”を掲げて、武田陣営に故郷を追われた信州北部の人達を支援しようとする上杉謙信という図式が伝わって来る…

こういうような…かなり知られた史上の人物をモデルとすることが明らかな劇中人物ではなく、知名度が高いでもない、小説を読む分には「作者の想像上の人物?」と思える劇中人物―因みに信濃出身で上杉家に仕えたという須田満親は実在している…―を中心的視点人物とするような「造り方」…好いかもしれない…

本作は「合戦の場面」が非常に多い…殊に「最大の激戦」と伝えられる“第4回”の戦いの辺りは凄い…

何か…欲深き者に欲無き者の平穏がかき乱されるというようなことがあって、それに抗うという、作中の越後・信濃陣営が掲げる“正義”というようなモノに共感を覚える面も在る…

『江戸を造った男』

↓「造った男」という題名と、「工事中」というような様子を見守っている風な人物という表紙イラスト…何か惹かれるモノが在った…

江戸を造った男 (文庫) [ 伊東潤 ]



↑これを入手して紐解き始めれば、かなり夢中になってしまい、素早く読了に至ってしまったのだ…

「造った」には色々な意味が込められているように思ったのだが…これは「江戸時代」というモノを通じて維持され、発展して来た“仕組み”のようなモノ、経済と社会の礎というようなモノを起こすことに携わったという人物の物語である。

河村瑞賢…歴史の教科書に在った名だが…本作では「河村屋七兵衛」という名で登場する。

瑞賢というのは、晩年に名乗った号であり、士分ということになって河村姓を名乗るのも晩年近くであるということで、「河村屋七兵衛」と自ら名乗り、また呼ばれていた期間が、この主人公の人生の大半を占めるのである…「河村屋」という名乗りは、元は武士の家だったことから、その時代の姓に因むモノであるようだ…

物語は、材木商の七兵衛が雪の木曽路を苦労しながら旅している場面から起こる…そして、彼がそういう旅をすることになった切っ掛けである「明暦の大火」という出来事が描かれる…

「河村瑞賢」として後世に知られることとなる七兵衛が生きた時代…「明暦の大火」で江戸が壊滅的な打撃を受けたところから立ち直ろうという動きや、治水事業や、大都市での物資の確保に向けた輸送路の整備という動きが在った…七兵衛はそういう時代の動きに大きく関わっていくこととなるのだ…

七兵衛は自らも「明暦の大火」で被災していながらも再起に向けた“商機”を求めて行動を起こした…そして、夥しい被災者の遺体をどうにかするという一件を通じて、素晴らしい理解者となる保科正之と知り合う…七兵衛自身が何かの高い技術や深く広い知識を有しているのでもないが、七兵衛は「仕事を円滑に動かす仕組み」を作ることに長け、同時に人格者であった…保科正之はそういう七兵衛を買っていて、色々な仕事を依頼することとなる。そしてそれは、保科正之の後任というようなことになる稲葉正則にも受け継がれて行く…

江戸時代の全国の米やその他の産物を海路で動かす東西双方の航路を確立する仕事…これは七兵衛が手掛けたものだ…更に七兵衛は越後や大坂での治水事業等にも携わる…

こういう幕府の大きな仕事を請け負うまでに、七兵衛は様々な事業を一定程度成功させて、信頼出来るネットワークのようなモノを築いている…そういう七兵衛の「驕り高ぶらず、正直に仕事や交際をして、堅実に生きる」という様子が描かれるのが本作だ…

冒頭の方で、木曽を訪ねた七兵衛が出くわした地元の子ども達に「一寸した玩具」として、子ども達が珍しがった銭をあげる場面が在る…七兵衛が大物になって行く前の、「明暦の大火」というようなことで江戸が大変な騒ぎだったような時代…「全国津々浦々で銭が幅を利かせていたのでもない」という状況が反映されている…七兵衛が手掛ける航路のような、全国各地を結ぶ輸送ルートが拓かれ、定着して発展する中、全国津々浦々で“貨幣経済”ということになって行く…或いはそれが「江戸時代の社会変化」な訳で…正しく七兵衛は「“江戸時代”と呼ばれるモノの礎を造った」ということにもなる訳だ…

或いは…「“ビジネス書”的な“時代小説”」という感じがしないでもないが…“ビジネス”ということではなく、「驕り高ぶらずに、正直に仕事を続けようとした男」の物語、息子達に先立たれるというような不幸も在りながら、それを乗り越えて精力的に仕事に邁進する生き様…そういうようなモノが活写され、夢中になってしまった…

『鯨分限』

↓大きな鯨に立ち向かう江戸時代の漁師達…そんなイラストに惹かれるものが在り、入手して紐解いた一冊だ…なかなかに愉しく、夢中になった!!

鯨分限 (光文社文庫) [ 伊東潤 ]



↑紀州の太地という土地で、鯨漁の組の棟梁を代々務めていて“分限”と言われ、地域社会の中心的な存在でも在ったという一家が在ったという。本作は、その家で江戸時代の終わり頃から明治期に掛けて棟梁だった太地覚吾という人物を主人公に据えた、或る種の大河ドラマである。

和歌山県…和歌山市内に立ち寄ってみたことは在ったが、県内を動き回ったことも無く、物語の舞台となっている場所をよく知らなかった…

↓本作の読後に多少気になったので、地元の町役場のウェブサイトを一寸視てみたのだが…
>>古式捕鯨発祥の地、太地町公式ホームページ

物語は…明治11年の冬、太地の捕鯨船団が沖の大きな鯨を狙って出漁しているというような状況から起こる…そして、主人公の過去のパートと、明治11年の冬の或る日の出来事に関するパートが概ね交互に現れて展開する…

紀伊半島の沖には鯨が泳ぎ回っていて、古くから捕鯨が行われていた…江戸時代辺りになると、現在では“古式捕鯨”と呼ばれている、人々の工夫が積み重なって編み上げられた独特な組織的な漁法が成立し、大型の鯨を捕るようにもなって行った。(基本的に漁師達が人力で漕ぐ、様々な役割分担の船を連ねて、巨大な鯨に挑むということになる訳で、なかなかに凄い話しだ…)

この大型の鯨を捕って、それを処理して油や肉やその他のモノを利用するというのは、多くの人々が関わる営為であり、当時の太地のような地域の「産業、経済、社会の構造を創る営為」ということになっていた。

主人公の覚吾は、この地域の「産業、経済、社会の構造を創る営為」を、やがて束ねて行く立場、棟梁の後継者として生まれ、一本気で精力的な青年に育って行くこととなるのだ…

本作は覚吾という人物が、幕末期から明治期の「大きな時代のうねり」という中で、個人的な事や仕事の様々な問題、時代の動きの中で生じた出来事に「飽くまでも諦めずに、果敢に挑む」という姿が描かれる…覚吾の“後半生”とでも呼ぶべきか、“区切り”とでも呼ぶべきか、或いは“曲がり角”となって行くのが「明治11年の冬の日」の出来事である。その出来事の顛末と、そこまでの道程が語られる訳だ…

「産業、経済、社会の構造を創る営為」を束ねて行く立場の人物…小説の劇中人物として登場する場合、色々な描かれ方が在るのであろう…本作の覚吾は、「なかなかに惹かれる人物」で“力”を分けてもらえそうだ…

そういう愉しさが在るのだが、本作には「産業、経済、社会の構造を創る営為」の中心人物、換言すると「地域に糧をもたらすことに懸命な人達」の目線で、「揺れた幕末期」を鳥瞰するような感も在って興味深い…

なかなか愉しい作品に出会うことが出来た…

『池田屋乱刃』(2018.05.26)

眼に留めた文庫本を求めて、持ち歩いて方々のカフェ等で何となく読む…稚内に在る場合にはよくやることなのだが…「何ヶ月かぶり…」でそういうことに興じた…

↓文庫本として登場して、日が浅い作品である…以前に題名は聞いたことが在ったように思うのだが…何か興味が沸いた…

池田屋乱刃 (講談社文庫)



↑これは手にしてみて、一寸夢中になった…あっという間に読了である…

本作は『池田屋乱刃』という題名のとおり、幕末史に在ってよく知られている“池田屋事件”を扱った時代モノである。

“池田屋事件”は、かの新選組が勇名を馳せることになった出来事で、作中で新選組の関係者が主要人物として登場するような多くの小説等で扱われている。そういうモノには多く触れている…かの近藤勇が「御用検めである!」と旅館の池田屋に乗り込み、集まっていた志士達と出くわし、乱闘が始まる。近藤に従って池田屋に向かった永倉新八、藤堂平助、沖田総司らが剣を振るう…「恐らく本命の会合場所」と新選組が考えて土方歳三が率いた多数の隊士から成る主力隊が、別地点から遅れて駆け付け、逃走を図る志士達と戦う…戦いの最中、結核を患っている沖田総司が吐血してしまい、藤堂平助は負傷してしまう…やがて京都守護職の会津松平家の手勢が辺りを取り囲み、騒然となる中で乱闘が終了…多数の志士達が斬られてしまった…

と、思わず言葉が多くなるが、こういう様子は多く語られ、何度も触れているのだが…「新選組に斬られた側」に関して語られている作品というのは、意外に少ないような気がする…

“池田屋事件”に関しては、「多くの有為な人材が損なわれてしまった」とか「“明治維新”が数年遅れたかもしれない」というような評があるかもしれない。が…新選組やその上部機関ということになる京都守護職は“治安警察”という性質の機構である以上、志士達が企てていたとされる「放火・暗殺・誘拐」を阻止する必然性が在った。その時代は、そういう行動に際して刀を手に戦うことになってしまう以上、「不穏分子は斬る」ということにならざるを得ない。或いは、こういう種類の事件が多く在って、新選組の幹部達は「必要以上の怨恨」を受けて、のちに辿る経過が出て来るのかもしれないが…

そして『池田屋乱刃』という作品である。読み始めて、「或いは小説誌に連載されたモノがベース」と感じたのだが…実際にそうであるらしい。作品は長編ということでもなく、読み易い分量、何となく「分厚い小説誌の1号に掲載の分」と思えるような短編、中編という、同じテーマの小説が寄せ集まって“全体”を構成している。

各編は、“池田屋事件”で「新選組に斬られた側」の人物達に関して、場合によっては大胆に想像の翼をはばたかせている内容も含むような気がするのだが、各々の目線で詳しく描かれたモノとなっている。クライマックスの“池田屋事件”の場面は、「同じ現場を視る、異なる幾つかの目線」で繰り返し出て来ることにもなる…

各編の主人公達…福岡裕次郎、北添佶摩、宮部鼎蔵、吉田稔麿という散った人達…更に最後の編は、この事件で生き残った桂小五郎が木戸孝允となって、その木戸孝允から“池田屋事件”の時に自身が取った行動の真相を打ち明けられる、当時の長州藩邸留守居役だった乃美織江である…

各々の編が、各々の編の主人公達の人生を掘り下げながら、何処となく「映像ドラマ風」な展開で綴られている…各編が各々に好い…そして、各編で各々の視線で描かれた事件の最中、生き残った桂小五郎が何をどうしていたのか、大変な事態を藩邸で見守る羽目になった乃美織江が聞かされる…

巻末の解説によれば…小説誌に作品が登場した際に、最初に発表されたのは乃美織江の編だということだが…「文庫本の順番」が「正しい」ように思う…

ところで…“池田屋事件”が起こった池田屋の跡に関して、現在は“池田屋”という名を入れた居酒屋が営業しているらしい…事件が在った場所であることを伝える小さな石碑が歩道に在ると聞いたこともあるが…思えばそこも視に行ったことは無い…或いは、何時か京都に立ち寄る機会を設けられたなら、そんな場所を訪ねるのも一興かもしれない…

『天地雷動』

↓書店で視掛けて「これ!!」と大変な期待と共に入手したが、期待以上に面白い時代モノの小説であった…

天地雷動 (角川文庫)



↑織田・徳川連合と武田が激突した「長篠の戦」を背景とした物語である…夢中で読了に至った…

本作は複数の視点人物が据えられた型で物語が進行している…

先ず武田勝頼…偉大、或いは偉大に過ぎた父、武田信玄の急逝後、家中を纏め上げることに苦慮している。他方で、遠江方面への進出をなかなかに巧く進めている…

徳川家康…織田信長の同盟者ということになっているが、何か“傘下”というような具合になっている。武田の進出が進む遠江を領国としていて、苦しい戦いの渦中に在る…

羽柴秀吉…織田信長の下で必死に働き、出頭して来た男…“難題”と思えるような事案を次々に片付けて今日に至ったつもりだが、また難しい課題に取り組むことになった…

そして武田の領国である信州の伊奈の地侍である片切監物や宮下帯刀…前線を駆ける彼らの視点で、武田陣営の戦いが綴られている…

主に上記4者の視点で、事態が進んで行く…

織田信長は、伊勢長島の戦いで自軍に大きな犠牲を生じてしまっていて、親類筋の武将を多く失っていることも在って、「兵を極力損じない戦法」を確立することを企図する。そして「鉄砲の大量投入」を思い立つ…

その「鉄砲の大量投入」の実現を命じられるのが羽柴秀吉だった。堺の商人である今井宗久と協力して、不良品が少ないようにして同型の鉄砲を大量製造する工夫を巡らす。そして、織田家中に在って鉄砲の専門家として知られる長谷川一巴の協力を得て、新規雇入れの要員に射撃訓練を重ねさせる…

それまでの常識を超える数の鉄砲を扱うには、当時の重要戦略物資であった“玉薬”(硝石や火薬)を大量に確保しなければならない…当然、それを巡る他陣営との“綱引き”というものも在る…

本作は、凄絶な戦いが繰り広げられた長篠の、“開戦”に至るまでの「経済戦」や、対峙する各陣営の指導者の「心理戦」が深く描かれている。そこが面白い。また、長篠の時期まで、或いはその後に武田陣営を掌握して行く勝頼の苦闘のようなモノが深く描かれている…そして武田陣営では…かの長坂釣閑斎が暗躍している…

或いは作者は、武田勝頼という人物が「気に入っている」のかもしれない…他作品でも武田勝頼が登場して随分と活躍している…

>>『北天蒼星』
↑この作品では、主役は「ポスト上杉謙信」の越後の内訌で一方の旗頭となった上杉景虎なのだが、内訌に介入しようとした北条や武田の動きが描かれ、「ぶれる」対応を重ねる武田勝頼が出て来る…

>>『武田家滅亡』
↑この作品は、作品の登場こそ先ではあるが、描かれている時代としては『天地雷動』の続篇的な色彩が濃いように思える。『天地雷動』で描かれる「長篠の戦」の後、武田は何とか盛り返す他方、様々な打つ手が“裏目”になることが繰り返され、やがて滅びてしまうまでの物語だ…

武田勝頼という人物は、偉大、或いは偉大に過ぎた父、武田信玄の陰で精彩を欠くように視られてしまっているのかもしれないが、同時代の有力大名の中でも決して凡庸ではなかった筈の人物だ…こんな人物の「光と影」というようなもの…この作家が掘り起こしている各作品は何れも興味深い…

本作を読むと、時代や場所が変わっても“戦争”は「戦場そのもの以外」の様々な要素で勝敗が決してしまうということに想いが至る…

本作の最後の方で、羽柴秀吉と長谷川一巴が、敗れた武田勢の将兵の遺骸が無数に拡がる様を視ながら語り合っている場面が強く記憶に残る…火器の専門家である一巴は、鉄砲の登場以来、武器がどんどん進歩しているので、何れ一撃で眼前の将兵の遺骸の山というものを遥かに超える犠牲を強いるような、とんでもないモノが出て来るのかもしれない等と言うのだ…彼らの時代の400年以上後に居る目線で言えば、一巴の感じたことは、そのとおりになってしまうことが判る訳だが…

その他にも、どうしたものか不利な戦いとなり、自軍が大敗を喫した中で「何とか帰ろう!!」と必死な監物や帯刀達の様子も、何か強い印象を残す…

『天地雷動』は、よく知られている戦国時代の合戦と言い得る「長篠の戦」の裏表が多面的に描かれ、一軍の将から、兵站担当者、前線の兵というような多層的なドラマが展開する作品である。なかなかに面白い!!

『北条氏照』

↓夢中で読んで、素早く読了してしまった一冊…

北条氏照 秀吉に挑んだ義将 PHP文庫 / 伊東潤 【文庫】



↑豊臣秀吉に敗れた北条陣営の物語である…

作者は、小田原の北条家に興味を覚えて時代モノの小説を発表するようになったと見え、北条家が関連する事柄を取上げた作品を色々と発表している。それらも読んでいるが、本作も非常に面白い!!

小田原の北条家は、版図の関東を“独立王国”のように、北条早雲が掲げた理想に基づいて統べることを念願としていた。本作は、その理想が崩れ去って行く様を、北条家4代目当主だった北条氏政の弟として家中を支えた北条氏照を視点人物として描いたドラマである…

北条家は永く今川家、武田家との間で“三国同盟”という関係を続けてきたが、今川義元が討たれてしまって今川家が弱体化した中、武田信玄は“駿河進出”を意図するようになり、北条家との間に激しい抗争が起こる。本作は、そうした北条家対武田家の抗争が激化している時期から書起される。

北条氏照は、北条家の軍事の中では、言わば“東部方面司令官”という位置を占めていて、武蔵国方面を拠点にしている。彼は「関東を統べる」という北条家の目標に向かって、短期間で落城して破却されたことから「幻の」ということになっている八王子城を築く…

戦国時代後期のこの時代、「同盟関係と裏切り」が続々と起こり、北条家も目まぐるしく変わる状況に苦慮しながら対応する…“駿河進出”関連で激しく争った武田信玄が他界した後、武田家では武田勝頼が実質的当主に納まるが、彼の「場当たり的で腰が定まらない外交」に北条家も振り回されてしまう…

そして迎える豊臣秀吉の北条征伐である…巷間言われる“小田原評定”という情勢…(作中ではその“小田原評定”という表現に言及しているでもないが…)本作ではそれが詳しく描き出されることとなる…

豊臣秀吉が、その時点で“史上最大”と見受けられる20万にも及ぶ大兵力を動員し、関東各地の北条家拠点を攻めながら小田原を攻囲した時期…北条家は5代目当主の北条氏直の時代に入っている。この氏直と、先代党首の氏政の弟達の1人である氏規は“恭順派”で、氏政と氏照が“抗戦派”で、まとまらない…そして発言力の在る重臣達もそれぞれの立場が在り、中には“調略”を受けてさり気なく“利敵行為”か、それに近いことをする者も在る…

この“史上最大”と見受けられる大兵力に抗するに際し…北条家では、永く続けて来た「当主の独善を排する」意味での“合議制”の故に纏まらなかったことや、戦国時代の「最も優れた軍事指揮官」と言って差し支えないような上杉謙信や武田信玄を寄せ付けなかった小田原城への過信のようなもの、それらに絡み取られて、何か次第に身動きが出来なくなって行ったような一面が見受けられる…

或いは“歴史”は「勝者のモノ」なのかもしれない…しかし本作は「敗者の目線」で綴られている…「理想に殉じる」ことを善しとした、“対豊臣抗戦派”の首魁格であった北条氏照という漢…なかなかに魅力的だ!!

『武田家滅亡』

文庫本の巻末に“解説”というモノが在って、作品や著者やその他の話題に関するコメントが綴られていることが在る。そうした中に、同じ作者の“関連作品”が挙がっている場合が在る。

↓過日読了の『北天蒼星』の解説に在った“関連作品”で、興味を覚えたので入手して読んでみた…夢中で読了に至った…

武田家滅亡
↑これは素晴らしい!!題名のとおり、滅亡へ至ってしまった時期の武田家の物語ということになる…

本作で描かれる背景となる時代は、“長篠の戦い”で武田家が敗戦し、武田信玄の時代に活躍した人達が多く討死してしまった後の時期である。主な視点人物は、北条家から武田家に嫁いだ桂と、彼女を迎えた武田勝頼ということになるのだが、本作は“群像ドラマ”の体裁だ。“派閥”のようなものが形成されて纏まらない武田家中の人々から地侍に至るまで、多くの人々が登場し、それぞれの「武田家滅亡」が、勝頼・桂夫妻の運命に収斂して行く…

“群像ドラマ”と形容したが…記憶に残るのは…“敵役”的な大きな存在感を見せる長坂釣閑斎…伊奈の地侍で「老練な小隊長」という風情の“親父殿”こと監物、“親父殿”と共に永年務めている帯刀、意気軒昂で半ば少年のような若者で帯刀の息子である四郎佐…纏まらなくなった家中から弾き出され、各々の道を辿った内膳と弥兵衛…こういう人達だ…

本作は“群像”の人物像が掘り下げられながら、「如何にして強大だった武田家が衰亡の道を歩んでしまったのか」が綴られる物語である。

“長篠の戦い”で人材が多く損なわれ、武田勝頼が意気消沈していた時期も在って、武田家は立ち直りに一定の時間を要してしまったことは間違いないのだが、それでも「“信玄政権”を“勝頼政権”へ再編」という過程が進行し、桂が嫁いだ辺りではその「新しい体制」の下に在った…それが衰亡したのは…一言で言えば“場当たり”で「戦略のぶれ」が大きく、不利な方向へ傾くことを繰り返し、“信玄政権”下で拡張したモノを維持出来なかったのである…

本作の前半の辺りは、正しく『北天蒼星』と対を成している。越後の内訌に介入していく経過である…当初は北条家、上杉家の同盟が揺らいだ中で、北条家が武田家に接近し、最終的には「3家連合で織田家等の西方の勢力に対峙」ということが目指された筈だった。そこで越後の内訌では、上杉景虎を北条家と武田家で支援する筈だった。が、上杉景勝陣営が武田家に巧妙に刺さり込み、武田家の方針がぶれてしまう。そこから“場当たり”で不利な方向へ傾くことの繰り返しが起こり、悪循環のようになってしまう…

“勝頼政権”に在って「政を壟断した」とされる長坂釣閑斎…その“権勢”への執念は何処から?「“場当たり”な献策」はどういう理由で?その辺は、本作の「面白い場所」ということになるのであろう…

そして勝頼自身の心情…彼は複雑な経過で武田家を継いでいるが、“名目”としては正式後継者ではない。“実質”の当主という立場になる…そして諏訪御前を母に持つ訳だが、その母を少年時代に喪い、政略結婚の最初の妻も息子を産んで程無く他界している。何か「愛する者、愛すべき者」との「縁が薄い」人生を送っている男である。越後の内訌への介入の件では、そういう男にもたらされた“ある事情”が「判断のぶれ?」をもたらしてしまう…

この勝頼に尽くそうとする桂…非常に健気な感じがする…“外野”の介入によって損なわれた夫婦間の信頼と、その回復が物語の一つの軸だと思う…

こうした「上の立場」の物語も在るのだが…本作に関しては、「伊奈の地侍達」や「内膳と弥兵衛」というような男達の物語に強く惹かれる…

本作は、何か「強い余韻」のようなモノも残る作品だ…或いは…本作のような「敗者の物語」というものは概してそうなのかもしれない…

『北天蒼星』

或る程度「知られている史上の人物」に関しても、「小説『○○』のヒットが切っ掛けで…」ということが、実は多く在るようである…

↓そんなことを思い出したのは、本作と出くわしたからだ…

北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録
↑なかなか愉しく読了した…

表紙イラスト…これは作中に描写が在る、合戦に出る際の主人公と思われるモノだが…主人公は“上杉景虎”という戦国時代の人物である…

“上杉景虎”?知名度は高くないと思う。時代モノで“上杉”と言えば、「かの上杉謙信か?」となるであろうし…彼が“謙信”と名乗る以前、“輝虎”、更に以前には“景虎”を名乗ったことは、少なくとも時代モノが好きな人達の間では多少知られているであろう。そういう訳で“上杉景虎”と言っても、「史上の人名にヒントを得て命名された、漫画か映画か小説の劇中人物か?」という感さえ抱いてしまうかもしれない…

この“上杉景虎”という人物は、上杉謙信の養子である。上杉謙信が急逝した後、上杉景勝と後継者の座を巡って争い、越後を二分した、後世<御館の乱>と呼ばれた内戦に突入したという出来事が在った。“上杉景虎”は、この内戦の敗者である…従って、「ポスト謙信の越後」に関する言及が在る各種の時代モノで、「内乱状態になってしまい、敗れた側の代表」として「名が出て来る」機会が幾分在るばかりで、彼を主人公に据えて掘り下げたような物語は殆ど聞かない…

本作は堂々とその“上杉景虎”を主人公に据えたドラマだ。なかなかに面白い…或いは本作が広く話題になるようなことが在れば…上杉景虎の知名度が大きく向上するようなことも在るかもしれないが…

上杉景虎は「関東の覇者」と呼ぶべき北条氏康の息子である。僧籍に在ったが還俗し、北条の家中で一門として処遇されて妻も娶ったが、彼はそれらを全て棄てて越後へ赴くことになる。

当時は各地の勢力が合従連衡と離反を繰り返していたような状況だった。北条氏康が君臨した関東を巡っても、嘗ては北条(相模)、武田(甲斐)、今川(駿河)が“三国同盟”という情勢で、東海地方以西の勢力を牽制していたが、今川が今川義元を討たれた後に衰退したことから、武田が「駿河・遠江進出」という路線を採り初めて同盟が瓦解した。そこで北条氏康は、上杉(越後)と同盟し、武田(甲斐)に対抗しようとした。更に、上杉に加えて、遠い将来には武田も向かえて“三国同盟”として東海地方以西の勢力と対抗しようと構想したのである…

北条と上杉とは、「関東を実効支配する側」と「幕府の関東管領であるとして軍事介入する側」という型で何度も合戦を繰り返した間柄である。その両者が一転して同盟ということになったのである…そして上杉景虎が登場だ…

所謂“人質”であるが、同時に北条と上杉との間を取り次ぐ“特命公使”のような役目も期待されて登場した北条家出身の上杉景虎…謙信は彼を養子として自身の初名を名乗らせた。そして「後継者にする可能性」をも示唆し、身内である“華の方”(上杉景勝の妹)を娶らせている…非常に厚遇した訳だ…

というように上杉景虎は厚遇され、「やがて謙信の後継者になり、東国に安寧をもたらし…」という期待感も膨らんだが、情勢は次々と変化する…実父である北条氏康の思惑であった“三国同盟”というような思惑の実現が覚束無くなる他方、上杉家中は“景虎派”と“景勝派”とに分かれてしまう…やがて謙信の「不審な死」―明確に後継者指名をせずに他界した旨は知られている…また、騎馬で移動中にも呑める“馬上杯”なるものが伝えられる程度に、大の酒が好きだった謙信の死因は、急性の脳卒中だったと推定されているようだ…―という出来事を契機に、“景虎派”と“景勝派”との争いが勃発する…

運命に弄ばれるかのようであり、同時に「徒手空拳から運命を拓く」かのように争いの一方の頭領格となる上杉景虎…揺れる心情や、迫られる選択等、景虎の生き様が活写される本作である…

本作では…かの『天地人』の主役である直江兼続や上杉景勝は、「かなり手強い敵役」として登場している。彼らと対峙する上杉景虎が目指したモノは何だったのか?

上杉景勝らは、上杉景虎との争いでは勝者ながら、かの関ヶ原合戦では敗者だ…その敗者に敗れた者として、注目度や知名度は高くないが…作中の、実家の北条家に怨恨を抱きながらも、景虎の息子を「失った我が子に似ている…」と可愛がる上杉憲政が「徒手空拳で越後にやって来て、“旗頭”になって闘うのは立派…」としていたが、上杉景虎は結局「なかなかの人物」だったのであろう…

或いは「時代モノの愉しみ」の一つに、有名、無名を問わず、場合によっては“架空”かもしれないが、「過去の或る時代を生きた“なかなかの人物”と出逢える」ということが在るように思う。小学生時代からテレビの時代劇ドラマに親しみ、いい加減な“おじさん”になっても頻繁に時代モノの小説に触れるが、これまでに幾多の“なかなかの人物”に出逢えたと思う。それが「どの位役立っているのか?」は判らないにしても…本作は、ともかくも“上杉景虎”という“なかなかの人物”を教えてくれる作品だ…

『義烈千秋 天狗党西へ』

↓かの“天狗党”の物語…書店で視掛けて、何か妙に気になった…

伊東潤/義烈千秋天狗党西へ 新潮文庫
↑大変興味深く読了したところである…

天狗党の事件は、やや煩雑な事件かもしれない…大雑把に纏めると…

幕末期、急速に貿易が進み、経済に混乱も生じた中、水戸の尊皇攘夷派有志が徒党を組み、攘夷―外国勢力を打ち払うこと―を実践し、国内秩序の快復を目指すことを主張した。この最初に集まった同志達の一部が、宿場町を焼き払う等の騒動を起こしてしまった。そこから「騒乱の鎮圧」ということになるが、集まった尊皇攘夷派の人達を快く思わない、後に諸生党と呼ばれる人達が彼らに対峙する。更に尊皇攘夷派に同情的な人達が事態沈静化に動こうとしたが、混乱が拡大してしまった。最初に決起した人達と、混乱の中で合流した人達が改めて天狗党を結団した。そして彼らは、京に在る、彼らが敬愛する烈公こと水戸徳川家の斉昭の息子でもある一橋侯―水戸徳川家から一橋家に養子入りした慶喜―に面会を求め、攘夷の実践を訴えると決し、西への旅をする。天狗党に関しては、空前の規模の“追討令”が発せられ、彼らの旅は逃避と闘いの日々となる。苦難の道筋の末、彼らは加賀藩に降伏して敦賀に収容される。そしてそこで、彼らの多くは無残に刑死してしまう…

という具合になるであろうか…ある種の“一揆”のような感で、“内戦”のような感で、志士達による運動のような感の、複雑な事件だ…

本作は、天狗党の「実質的な若き領袖」であった藤田小四郎を軸に、事件の渦中に身を置いた人達を描く、一種の群像劇の様相を呈していると思う。そして劇中の人々は、各々に“等身大”に描かれている。迫るものが在り、夢中になってしまった…

“小っちゃん”こと藤田小四郎…陽気で前向きな、理想家肌の若者が「志士達による運動」という感で出陣する場面…私は物語序盤に在るこれを読んで、本作に引き込まれ、以降は頁を繰る手が停まらなくなった…心を通わせる身分違いの女が寄り添って来て、「必ず帰って来る」と言いながら、結局は帰ることの無い旅に出る…彼がどうするのか、どうなるのかが物語として展開する訳である…

急速に貿易が進み、経済に混乱も生じた中、「何とかしたい!」という想いは、圧倒的多数の人達に“共有”の思いで在った時代だったかもしれない…それでも戦いが発生し、天狗党に身を置いた人達や、彼らを迎え撃つことになった人達に犠牲が堪えない道中が続く…虚しい…そういう在り方が、切々と綴られる物語だ…もしかすると、劇中の人々は貧しかったかもしれない。それでも“幸せ”に暮らしていたと思っている。それが崩れたと感じられる中、“運動”に身を投じる成り行きになった…

そういうような、劇中人物達の“迷い”のようなものが赤裸々に綴られる感で、少し圧倒された…そういう辺りが、この天狗党の一件を扱った従前の作品とは一味違うと感じた…

↓以前に読んだ、“天狗党”に題材を求めた、以前に読了の吉村昭作品…
>>『音の惑星』 on the web...: 『天狗争乱』―“敗者”の足跡を執拗なまでに丁寧に描く…(2009.09.16)

余りにも多くのことが次々に起こる時勢の中、とにかくも信じるところを訴えようとした一団が在り、無残に粛清された…敢えて一言で言えば、“天狗党”の歩みはそういうことになるのだろうか?何かそういう辺りに、煩雑な経過の“時代モノ”でありながら、強い“今日性”を滲ませる物語だった…更に余計な話しをすれば…本作は“映画原案”として好適かもしれないと読後に思った…

序でに言えば…本作の末尾に後日談的に綴られていることでもあるが…この“天狗党”の一件等を通じ、水戸では然程大きな意義を持たなかったかもしれない内訌で、多くの有為な人材が損なわれてしまったという側面も在る…これに関しては、有為な人材を多く輩出した佐賀の挿話等に親しんでいる関係で、率直に残念だと思った…

『虚けの舞』

↓一寸“渋い”感じの小説に出くわした。時代モノである…

虚けの舞 [ 伊東潤 ]

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(2014/10/27 08:58時点)



↑“視点人物”が2人配されている。「作中の現在」は、かの朝鮮出兵が始まった辺りの1年程度の期間であるが、視点人物各々の回想が入り込み、“時制”としては「行きつ、戻りつ」に展開し、若干複雑だが…なかなかに「示唆に富む」内容で、頁を繰る手が停まらなくなり、スッキリしない天候の休日に楽しく読了した。

2人の視点人物…織田信雄(おだのぶかつ)(1558 - 1630)と北条氏規(ほうじょううじのり)(1545 - 1600)である。必ずしも広く知られているでもない2名だ…

織田信雄は、かの織田信長の次男である。本能寺の変で信長と、兄の信忠が他界した後、弟の信孝と共に“ポスト信長”の動きに関わることになる。豊臣秀吉が結果的に天下を奪うこととなったが、その時期には大大名であった。豊臣秀吉が、関東の覇者であった北条一門を攻めた際には、秀吉側軍勢に従って、韮山城の戦いで総大将を務めた経過も在った。が…戦後処理を巡り、改易の憂き目に逢っている…

北条氏規は、“北条五代”と謳われた北条家の3代目である北条氏康の息子だ。氏政、氏照、氏邦という兄達が在る。長兄である北条氏政は、北条家の4代目となっている。氏政は実権を握り続けたものの、息子の氏直に家督を譲っていて、氏直が5代目だ。

北条氏規は、豊臣秀吉の進攻を招く事態と進攻の渦中に在って、一門として一定の発言力を有してはいたものの、事態を主導するには至らなかった。豊臣政権下での北条家生き残りを目指そうとしたが果たせず、戦いの最中では韮山城の戦いの指揮を執り、寄せ手を翻弄する活躍を見せた。戦後は生き残り、極小規模な知行を得ていた…

「どういう人物か想い起す」ことに、思わず少々手間を掛けてみたくなる程度に、広く知られているでもない2名が“視点人物”で展開する。織田信雄は改易後に配流の身となり、出家して“常真”を名乗っていて、本作ではその名で登場し、名護屋城に召し出されて秀吉の御伽衆ということになる。北条氏規は、小大名として参陣している。互いに戦った経過の在る両者は、秀吉の互いに傘下に、やや肩身が狭い立場で共に在る訳だ…

誰にでも“たら”や“れば”は在り、現在の境遇を素直に受け入れ難いような思いや、色々と考えて受け入れる「何かを見切った」ような思いというようなものが在ることであろう。織田信雄も北条氏規も、言わば“負け組”である。本作は“負け組”の回顧と、“負け組”同士の邂逅、そして「現在の境遇を素直に受け入れ難いような思い」が、寧ろ「何かを見切った」ような思いに昇華する様が描かれているような気がする。

織田信雄は、今にも天下統一を成し遂げようとしていた父、信長とその後継者である信忠が謀殺されて急に居なくなり、「正当な後継者として父と兄が手中にしていたものを引継いで天下を取る」という“可能性”に恵まれていた面が在ったが…その“可能性”を活かし切ることが叶わない凡庸な男だった…“運”が在っても“器”が伴わない…

北条氏規は、万単位の寄せ手を、数千程度だったとも千未満だったとも言われる少数の城方で翻弄するという韮山城の戦いでの指揮ぶりで窺える様に、“智将”、“勇将”と呼び得る“器”を持っていた。しかし“覇者”と呼ばれた家の一門ではあっても、主導的役目を担い悪いポジションに在って、しかも家は衰運の中に在った…“器”は素晴らしくとも“運”が伴わない…

或いは…巷には「“運”が在っても“器”が伴わない…」という人や「“器”は素晴らしくとも“運”が伴わない…」という人が寧ろ多いものなのかもしれない…「“器”も“運”も」というような人は、途轍もない人物なのかもしれない…

織田信雄の回顧する「“運”が在っても“器”が伴わない…」という歩み…何か「哀愁を帯びた喜劇」という感もする…他方、北条氏規が回顧する「“器”は素晴らしくとも“運”が伴わない…」歩み…何か「悲劇の英雄の物語」という感だ…他方…両者に対する“勝ち組”ということになる「“器”も“運”も」という面が在る豊臣秀吉…そしてその側近達が本作で描かれるのだが…何か“悪役風”だ…

とにかくも“渋い”感じに纏まった物語である…