九州国立博物館(2013.12.19)

九州の観光地で「定番の中の定番」と言えるモノの一つに太宰府天満宮が在ると思う。福岡の都心部から西鉄電車で手軽に訪ねることも出来る場所で、早朝や夜でもない限り、多くの人達が訪れて賑わっている…

鹿児島から肥薩線で八代に出て、鳥栖行の列車に乗車し、「鳥栖まで出てしまえば…博多も直ぐだ…」と思い付き、博多に至った…中洲のカプセルホテルに泊まることにし、福岡在勤の友人と夕食を愉しんだ…そんな翌朝…<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に西鉄電車に乗車した…

西鉄電車に乗車する際には…「通勤ラッシュが本格的に酷くなりそうな時間帯の少し前位までに移動を…」というようなことを考えたが、とりあえず訪ねてみることにした太宰府天満宮で、来訪者が少なめな間に建物等をゆっくり眺めたいという想いも在った…

生憎の風雨模様の中、太宰府天満宮を見学し、広い敷地を少し歩いた…

↓こんなに長いエスカレーターが在る…
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このエスカレーターを上がってみると…

↓こんな具合の、動く歩道を備えた通路が在る…
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↑SF映画のセットか何かのように、七色のランプが通路を照らしていて不思議だ…

この通路を抜けると…

↓巨大なガラス張りの建築物が…
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↑周囲の風景が巨大なガラスの壁に映り込む…

これが太宰府に設けられた、九州国立博物館である。訪ねた前日に在った友人によれば…「国内の何処の地方にでも在る訳ではない、“限られたモノ”である“国立博物館”が九州に在るというのは、九州の人の一寸した自慢」ということだった…

↓博物館のウェブサイト…
>>九州国立博物館:トップページ

上記サイトに在った館長さんの言によれば「独立行政法人国立文化財機構に属す国立博物館は東京、奈良、京都の3館がありますが、当館はこれに次ぐ4番目の国立博物館として九州・太宰府の地に建っております」とのこと…古い文物が多く伝えられている地域に立地しているのだと思うが、太宰府は古代から中世に九州統治の中心的な地域であった経過や、大陸との交易、文化交流が盛んであった経過も在る訳で、“国立博物館”の立地としては好適であるということになったのであろう…

開館と同時に中に入ったのだったが…

↓「福岡と言えば…」とばかりに、エントランスホールには大きな山笠が飾られている…
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↑展示室での写真撮影は「御遠慮願います」ということだが、こうした場所では差支えないそうだ…福岡以外の地域から訪ねた者の眼には、この巨大な山笠は一寸した驚きである…

↓山笠の陰になっている辺りに、かなり長いエスカレータが在る。
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↑一気に3階へ上がり、続いて短いエスカレータで4階の展示室に上がるようになっている…

この九州国立博物館の展示内容は、常設展と企画展で構成されている。

膨大な収蔵品が在る筈だから、時々内容の入れ替えは在るのであろうが、常設展は古代から中世に九州統治の中心的な地域であった経過や、大陸との交易、文化交流が盛んであった経過の在る太宰府について、更に古代から近世までの文化史のあらましが判るような展示が行われている。加えて、超高画質映像による、文化財を紹介するフィルムの上映を行うスペースも在り、訪ねた折りには五島列島等に残るキリスト教関係建築―所謂「西海の天主堂」―を紹介する内容が流れていた。

常設展の他、余所から借りるモノも含めた、期間限定の企画展が行われている。

実は…「“定番の中の定番”である太宰府…国立博物館か…」と調べていた際、九州訪問時期に開催中の企画展が『ロシアが見たアイヌ文化(Культура айнов:взгляд из России)』という内容であることを知った…

『ロシアが見たアイヌ文化(Культура айнов:взгляд из России)』というものだが、これはサンクトペテルブルグの博物館に伝えられている、サハリンや北海道で収集されたアイヌ関係の資料を借り受けて展示するという内容である。それを知り…これは「君!!きっと観に来なさい…」とでも“お招き”を頂いたような、不思議な気分になった…

ロシアでのアイヌ関係の資料…サハリンのユジノサハリンスクに在る郷土博物館で拝見しているが…サハリンでの研究が評価されているピウスツキを含め、何人かの人達がサハリンや北海道で色々なモノを採集していて、それがサンクトペテルブルグに伝えられている。「魚の皮で造った衣装」というような不思議なモノや、“トンコリ”というベースのような、弦が少ないハープのようなユニークな楽器や、毛皮製の衣類や、その他諸々が在ったのだが…日本では存在が余り知られていなかった、幕末期に描かれたアイヌの暮らしを伝える内容の日本人画家による絵画など、大変貴重なモノが視られた…

私自身は、開館直後の来訪者が少なめな時間帯からゆっくり展示を拝見したが…五島列島等のフィルムを拝見した後辺りには、旅行の人達や県内か近県の学校の生徒の一団等、随分と大勢の来館者が見受けられた…

戸外の風雨がやや強い中だったが…博物館で面白い時間を過ごした…

鹿児島の路面電車:504(2013.12.17)

鹿児島の路面電車と言えば、「芝生敷きの軌道の上を、新旧様々な車輛が行き交う」というイメージが在る…

↓「新旧様々な車輛」の“旧”の方である…
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↑これは2つの運行系統の電車が交錯する郡元停留所で見掛けた…そして乗車した…

このタイプ…“500型”は1956(昭和31)年に登場した車輛であるとのこと…来年で「58歳」ということになる…

↓「50年超」の車輛は、大概はこういう雰囲気の運転台だ…
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↑運転士が乗務していない後方の運転台を撮ってみた…

↓左が“504”で右が“1013”だ…
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↑“1013”は2001(平成13)年の登場…“504”との「年の差」は45年だ…

「新旧様々」と一口に言うが…登場時期に45年も差が在る車輛が左右で行き違っているような様子が見受けられるのは、路面電車位なものではないだろうか?面白い!!

島原(長崎県):武家屋敷(2013.12.16)

自身では“積み残し”と呼んでいるのだが、「思いの外に面白そうだったので、もう少しゆっくり出来れば…」というような場所が旅の途次で時々発生する…

今回、極短い時間立ち寄った島原は、そうした“積み残し”の一つのように思う…

JR九州の列車を利用するのであれば<青春18きっぷ>と<九州ネットきっぷ>が在れば善いが、各地の私鉄、第3セクターの列車を利用してみるとなれば<旅名人の九州満喫きっぷ>が善い…その<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、「長崎から鹿児島方面へ南下」という移動を試みた際、私鉄の島原鉄道と第3セクターの肥薩おれんじ鉄道を利用した。長崎県と熊本県との間の海は、「運航時間30分」を謳う高速フェリーを利用したのだった。

早朝の長崎駅を発ち、諫早から島原鉄道の列車に乗車し、高速フェリーの発着するターミナルが近い島原外港(しまばらがいこう)駅を目指した。途中、島原で下車し、近隣を少し見てみることにした。が、フェリーに乗り易い時間帯の島原外港到着を考えると…辺りを視られる時間は1時間程度だった…

駅前に出てみれば、島原城の復元天守閣らしきものが見えるので、そちらの方向へ足早に歩いた。島原城には資料館が在るらしいが、開館前と見受けられる時間帯で、フェリーに乗る思惑から時間的余裕も無い。ところがそこに“武家屋敷”なる案内表示が在った。

江戸時代を通じて、島原辺りの領主は何度も代わっているが、島原城は松倉家が築いた―1618年頃から1624年頃に工事が行われたようだ…―もので、以降の領主達の政庁も島原城に置かれた。

領主の政庁ということになった各地の城の周囲には、家中の武士達の住宅群が築かれるものである。そんな住宅群の一部が“武家屋敷”と呼び習わされ、往時の雰囲気を伝える街並みとして大切にされている訳だ…

広い敷地が明治時代以降に学校や官公庁の用地として利用されているという例が、各地の城址にはよく見受けられるのだが、島原城もそうした例の一つかもしれない。短い時間歩き回っただけでも、幾つか学校が見受けられた。丁度それらの登校時間帯に歩き回ったので、自転車や徒歩で学校に向かう制服姿の生徒達や、“交通安全週間”だったということで、生徒達の様子を見守りながら立っていた教員の皆さんを視掛けた…

何やら周辺の学校の一つの校門と見受けられる辺りに至り、「朝の挨拶運動」のようなことをやっていた生徒諸君に「おはようございます!!」と不意に声を掛けられて少々驚き、「おはようございます」と返礼をすれば“武家屋敷”というエリアに至っていた…

↓古い建築物も残る辺りで、背後に山が…山の頂は、柑橘類が実るような温暖な地域と言え低温らしく、雪が見受けられる…
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↑諫早から南下して来ると、「左手に海、右手に山」という具合に風景が佳い島原鉄道沿線だったが、「家並の向こうに山」というのが非常に「らしい」ような気がする…この種の、江戸時代の様子を伝える家並みや、頂に雪が見える山の頂というものは各地に在るだろうが、両者が組み合わさっているのが「島原!!」という感じがする…記憶に残る光景だ…

この武家屋敷と呼び習わされる辺りは、家中の中級、下級の武士達の家が集まっていたのだという…

↓住宅が並んでいる辺りの通…通の真ん中に水路が設けられている…
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↑なかなかに独特な感じだ…水路は「何の用途?」と少々ふし日に思える…

この通の真ん中に設けられた水路は、この地域の豊かな湧水を引いたもので、往時はここから水を汲んで、近くに住んでいた武士達が利用するようになっていたという。飲用水にもなっていたようだ…この水路の水については、“水奉行”という管理者が選任されて大事に管理していたそうだ…

辺りは注意深く景観を維持するようにしているが、基本的には普通の住宅地である。この水路の在る通と他の道路が交差―辺りは武士達が住むために碁盤目状に通を整備していたそうだ…―していて、ごみ収集の車や、近在の方が出掛ける車など「平日の朝の時間帯らしい」感の車輌が少しばかり行き交っていた…

島原の繁華街に相当する場所がどの辺りなのか、島原城の周囲を少しと、この武家屋敷辺りを歩いただけではよく判らなかったが、静かな街だった…

或いは、予定を変えて島原でゆっくりしても善かったのだが…船や海上交通に関心が在って、出発時の意識として「島原にフェリーに乗りに出る」というような感じだったことから、そちらを優先することにしたのだった…次の機会―そんなものが在るのか否かさえ判らないが…―には、「“積み残し”の島原を訪ねてみよう…」という意識で立ち寄ることも在るかもしれない…

人吉駅:キハ31(2013.12.18)

肥薩線は1909(明治42)年に開通した路線で、鹿児島へ通じる本線であったのだが、1927(昭和2)年に海岸側の路線が開通し、そちらを本線ということにしたことを受けて、旧肥後国と旧薩摩国を結ぶことから「肥薩線」と改められた路線である。八代から内陸側に入り、人吉を経て吉松へ至る区間を指す。

肥薩線は、山間部に敷設された長い歴史を誇る路線で、山間部を安全確実に車輛が通るために“スイッチバック”、“ループ”という工夫が施された鉄路が見受けられる。そうした工夫が残る場所を通る面白さと、雄大な風景が広がる車窓が好い…

鹿児島へ南下した際、肥薩おれんじ鉄道となっている、海岸側の路線を通っていたので、鹿児島から北上する際にはこの肥薩線を通ることにした。

吉松駅では紅い新しい車輛が現れ、それに乗って“スイッチバック”や“ループ”という独特な工夫が見受けられる人吉駅までの区間を北上した。

人吉では列車待ち合わせの間に街を歩いてみたが…やや強い風雨に悩まされ、駅の待合室にやや早めに入って、売店で求めた駅弁を頂きながら列車を待った…

↓現れた八代行…
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↑この姿!!少々驚いた…

↓稚内でお馴染みのキハ54…
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↑余りに似ている…

「もしかすると、同じ形式で仕様が少し違うということなのか?」と思った…そうすると、「互いに遠く離れて活躍する兄弟」ということになるが…こちらはキハ31と言うそうだ…一寸違った…

国鉄民営化の少し前、北海道、四国、九州の「三島会社」が継承する車輛に関して、経営基盤整備の一環として一群のディーゼルカーが準備された。北海道と四国に向けたものがキハ54、九州に向けたものがキハ31である。1986(昭和61)年頃のことである。

同時期に国鉄車輛として登場したディーゼルカー…なるほど、外見が似る筈だ…

外見は似ているが、中の雰囲気は少し違う。キハ54は扉がスライドして開き、運転台の設けられた場所と座席が据えられた場所との間に壁と扉が在る。キハ31は扉がバスのように折畳み式で開閉し、運転台の設けられた場所の後ろに壁や扉は無い。

九州に投入されたキハ31は、山間部等で軽快に走行することを旨とし、軽量ボディーが採用され、ワンマン区間も多くなりそうであることから、必要な装備を施し易くということが考慮されたという。

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このキハ31で八代へ向かったが…川に沿った路線を軽快に走っていた…このキハ31が運用されている区間は、どちらかと言えば限定的になっていると見受けられる。九州各地を訪ねた中、動き回った範囲では、この肥薩線の区間以外でキハ31を視ていない…

北海道内でキハ54を視る時…「例によって例の車輛が登場した…」という感じなのだが…九州でキハ31を視る時…「何か懐古趣味な…」という感じがする…

運行日誌―後記

昨夕は糠鰊を頂いた…旅に出る前夜にも頂いたモノで、久し振りだった…こうやって「何時ものモノ」に触れる機会が増える中で、“日常”へ少しずつ戻って行くのであろう…

休暇中は夥しい写真を撮った…これを順次整理している…整理公開には相当な時間を要してしまうかもしれないが、それも悪くはない…

撮った写真を眺めていると、撮った時の色々な様子を思い出すというものである…そういうのも好い…

旅の移動手段として、“普通列車”を主体に据えている。<青春18きっぷ>、<旅名人の九州満喫きっぷ>というようなもの…「安価で乗り放題」ということもあるのだが、“効率”は必ずしも好くない…

しかし、地元の人達が「一寸用事を足しに…」、「通勤通学に…」というような事由で利用する交通手段である“普通列車”には名状し難い「“普段着”の地域」が何処となく滲む…そうした私自身にとっては「縁薄い他地域」でありながらも、「“普段着”の地域」という状態に「紛れ込む」という、私自身にとっての「非日常」が非常に愉しいのだ…私自身、“旅行者然”としたトランクを持って行くでもない。ゴチャゴチャ使うモノや簡単な着替えを入れるので、やや膨らんだショルダーバッグ一つで出掛ける。時にはトートバッグを引っ張り出して、「帰る前に送ってしまえ…」というようなモノを持ち歩く場合も在るが…何となく「“普段着”の地域」に紛れ込んでいる…それでも「寒い時季に薄着な人が?」程度に見える場合は在るかもしれないが…

そんな具合に「“普段着”の地域」に紛れ込み、ゆったりと車窓を眺め―時には居眠りをしてしまって「何処だ?!」というのも在るが…―るようなことをしながら、気になった場所で列車を下りて、色々と歩き回るのである。或いは…“移動”もまた「旅の目的」、「旅の楽しみ」という面が在る…飽くまでも自分本位に旅を組み立てる…

そういう意味で、私が訪ねるのは「列車で近くに行って、主に歩いて行く事が可能な場所」が主体になってしまうが…そんな場所だけでも、面白そうな場所というものは、国内だけでも「一生掛かっても訪ねられない…」程に多々在るものである…

近年、訪問先として九州が何となく気に入っている。一寸動くと、前の場所とはやや異なった伝統を持つ、異なる雰囲気の場所に至る…「“色彩”豊かな国々」という趣なのである…鉄道部門以外の強化にも力を注いでいるらしいが、本業の鉄道でもなかなかに洗練された車輌を投入したり、“観光列車”という概念のモノに力点を置くなど「面白い!!」感じのJR九州の列車で、各々に個性が在る各地を訪ねることが愉しい…今般は、そのJR九州の他、島原鉄道、肥薩おれんじ鉄道、松浦鉄道、西鉄と地元に密着した各社の列車も利用し、加えて島原・熊本の高速フェリーまで利用し、九州だけでも「一生掛かっても訪ねられない…」程に興味深い場所が多々在るものだと思ったところである…

多少時間は要するが、旅の写真はゆっくりと整理し、それに関することも順次綴って行きたい…

吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)の<ウィンターバルーンフェスタ>(2013.12.22)

弥生時代に成立していた“クニ”と呼び習わされる大きな村落の遺跡で、推定した建物を復元し、何か「時間を超えた空間」という様相を呈している吉野ヶ里歴史公園…一度寄ってみたいと思いながら、アクセス方法等を調べていると、面白そうな話しを聞き付けた…弥生時代の村落を再現した公園の上空に、熱気球が舞う<ウィンターバルーンフェスティバル>という催しが在るというのだ…

吉野ヶ里歴史公園は、長崎本線の吉野ヶ里公園駅と神埼駅との間辺りの広大な敷地を占めている。公園の正面入口は東側の吉野ヶ里公園駅からなのだが、<ウィンターバルーンフェスタ>のために設ける臨時口は西側の神埼駅からということになる。

様子が判らない広大な施設での催事に行くのに、何も知らずに訪ねたのでは迷子になるだけだと思い、事前に公園の管理事務所にメールで問合せておいた…正解だった!!この時季の遅い夜明けの前に神埼駅に着いてみると、公園の方角は田圃の真中の様相で「こんなに暗い場所を歩いたのも久し振りだ…」という状態だった…しかし、事前に管理事務所からの情報を得ていたので、何らの問題もなく目的の臨時口に到達した。

早朝の催事となったが、地元のファンや旅行者が存外に集まっていた。親子連れも目立った…

熱気球を上げる…初めて視る…どんなことをするのか?

機材一式―膨らむ前の気球、ゴンドラ、バーナー、バーナーのガスボンベ、索類、その他―をギッシリ詰め込んだワンボックスカーが順次会場に到着すると、各々打ち合わせたポイントに散り、各気球の関係者が集まって支度を始める。視ていた限り、1つの気球を上げるのに、少なくとも6人かそれ以上は関っているようだ…

↓拡げた気球に送風機で空気を入れ、膨らんで来た辺りで適宜バーナーを点火し、気球内の空気を温める…
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↑あらぬ方向に気球が流れてしまわないように、索で機材を積んで来た車に繋ぐというのが定石と見受けられた…

↓やがて気球は立ち上がり、上昇出来るようになる…
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気球はカラフルだ…愛好者団体のロゴが誇らしげに入ったモノ、支援する企業や団体等のロゴが入ったモノなど、外見も様々だった…

↓やがて気球が上昇し始める。
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↑上昇や降下そのものは無音だが…上昇時に時々華々しくバーナーに点火される…

地元のファンのおじさんと言葉を交わしたが、熱気球は迫力の在る炎で空気を操る様が興味深いのだという。実際…邪魔にならない程度に近くで様子を視ていた気球で、ゴンドラにバーナーを設置して試験点火する場面に出くわしたが…冷えた冬の朝の空気が多少温まるような、凄まじい炎で吃驚した…

>>気球が上がる様をとにかくも御覧頂きたく…更にこの日の出来事で何となく刺々しい気分になったのを和ませようと見ていた動画を整理し、別途記事にもしている…

前日のやや強かった雨が夜遅くまで続いていたことから、催事関係者の皆さんも「開催出来るのか?」と危惧していたらしい。臨時口で言葉を交わした関係者の方は、「直前まで決められない…」とも仰っていた…

私としては、全く初めてのモノを視られて非常に嬉しく、愉しかったのだが…弥生時代の村落の上空を気球が舞ったという、時間と空間を超えたような演出が興味深いと思った…

地元のファンのおじさんによれば…暗くなってから、膨らんだ気球がバーナーの炎で輝き、点滅するような様や、炎の向こうに弥生時代の村の姿が浮かぶ様等も秀逸なのだそうだ…何時かそんな光景にも出会ってみたい…

佐賀は、川原の広く平坦な地形も在り、気流が比較的安定しているというようなことで、九州では熱気球が盛んな地域の一つらしい…10月末から11月初めにはかなり大規模な催しも在るそうだ…

何れにしても、佐賀で愉しい経験をさせて頂いた…

東京上空(2013.12.23)

余り細かい予定は決めずに「気侭に動く」ことを身上に旅に出るが…往路、復路の航空券位は押さえる…そしてそれを利用する訳だが、往路、復路の双方で悪天候に関連する“仕切り直し”が発生するとは!?一寸驚いている…

“仕切り直し”というような事情になれば「予期しなかったモノ」と出くわすことが在る。往路には「噂の豪華列車<ななつ星>に遭遇」という出来事が在った…復路は?

復路は福岡・札幌のフライトで淡々と“帰国”する筈だったのだが…札幌(新千歳空港)への着陸を断念した飛行機が羽田に下りてしまった。羽田では乗客に対してその日の東京・札幌のフライトへ振替をしていたが…大幅に遅れて無事に着いた便の他方に、引き返したり欠航する便が相次ぎ、混乱に付き合わされた人も多かったようだ…私は“仕切り直し”を希望し、「明早朝のフライトにしろ!!」ということにした…

羽田の空港から、比較的近い範囲で急遽宿探しだが…“都内”側は高く“神奈川県”側には少し安い場所も雑じるというものだ…結果…川崎泊にした…羽田から京急線で動けば、川崎は15分前後だ…近い!!とは言え、早朝は列車が少ないかもしれないと、一応駅で時刻表は確認しておいた…

「夜の残滓」というようなモノが感じられる川崎を歩いた。前夜から朝まで飲んでいたというような人達が散見する…駅手前のコンビニで珈琲を求めても、未だ前夜に確認した列車には十分に間に合う感じだったが…想定より早い列車に乗車出来た…

空港では前日に聴いていた指定のカウンターに足を運んで手続である。予定の便より早い“臨時便”が在るというので、それに乗せて頂くことになった。前日の混乱で動き難かった乗客を運ぶ目的…他には、昨日の夜に新千歳に居なければならなかった筈の機材を送り込むという目的も在って“臨時便”を急遽設定したのであろう…

B777-300が使用された“臨時便”…然程混んでもいなかった…搭乗直前、或いは搭乗後に外の様子を伺えば、天候は大変に良さそうだ…

↓街が朝陽の色に染まっている感…
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↑見入ってしまった…

東京辺りを訪ねたり、通ったりということ…念頭に無かった…「予期しなかったモノ」と出くわした訳だ…

↓更に富士山の山頂も視えた!!
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↑これこそ全く「予期しなかったモノ」だ…「予期した」ということになる桜島は、雨天で視えなかったのだから…

旅に出ると色々と在る…「暁の大東京」という感の、今日視た光景…好い想い出だ…

運行日誌(2013.12.23)

帰宅し、戸外に居た時のままの服装で、とりあえずストーブ点火…「冷え方」は想定していた程には酷くなかったのが幸いだ…稚内は風が微弱な状態…雪が少なめで驚いた…千歳から稚内までの明るかった車窓、居眠りしていなかった時の車窓は雪が多めになっていたのだから…近所の通で、路面が出ている箇所も多かった…

早朝に宿泊した辺りの京急川崎駅を発ち、羽田空港・新千歳空港間を飛び、新千歳空港駅から<青春18きっぷ>の残りを使い、札幌駅、岩見沢駅、旭川駅と乗り継ぎ、夕刻に稚内へ…

これは、運用車輌の問題で特急が運休に陥っており、代替輸送手段というようなことで、旭川・稚内間に快速列車を運行しているから可能になったことである。<青春18きっぷ>を手に、「とりあえず、遠そうな稚内へ…」というアイディアをお持ちなら、午後の時間の列車が<青春18きっぷ>で乗車可能な快速である期間は「チャンス!!」かもしれない…

昨夕は空港で何となく刺々しい気分にさせられたが…今日は空港に行ってみると、予定した便より早い時間帯に出発する“臨時便”に乗せて頂けることになった。昨夕から夜は随分と混乱したらしい…後から新千歳空港に着いた際、近くで電話で話していた人が「“羽田引き帰し”でゴチャゴチャして、夜も遅くなって、どうしようもなくなったから国際線の場所に居て夜明かしで、殆ど寝ていない…」等と言っていた。それを聞いて、私は正しい判断をしたと思った。天候が悪く、空港側が対応し難くなり、航空会社が困っているのに、一利用者が延々と付き合わされる必然性など無い。翌日に仕切り直ししかない…

今朝の東京辺りは、よく晴れていて、出発した辺りは「暁の大東京」というような感の美しい光景が眼下に拡がったのを愉しんだ。考えてみると…東京(または首都圏)で多少なりとも時間を過ごす展開に御無沙汰している…「空港を一歩も出なかった」という例が3月で、今回は泊まることにした川崎駅周辺と空港との往復をしたのみだ…眼下に拡がった光景に「随分御無沙汰しているね。たまには寄ってよ…」と声を掛けられたような気もした。

飛行機の着陸と、札幌で乗換えた岩見沢行きの列車は多少遅れたが、何れも“許容範囲”である。順調に交通が繋がったことは幸いだった。

「ハイライト」的な出来事は…車輌の問題で運休中の特急に替えて運行されている、旭川・稚内間の“臨時快速”に乗車したことだ…

少し噂の「お座敷車輌」に陣取った…あの中途半端な浅さの掘炬燵風な席とやや華奢な座椅子…時間が長くなるとやや疲れる…名寄を過ぎて暫らくした辺りで周辺が空いていたので、窮屈ながらも横になってしまった…確りした広いテーブルは、ノートパソコンを広げて写真の整理が一部出来たが…

>>12月23日の画…(後刻、後日追加予定)

少し噂の「お座敷車輌」だが…キハ40系をベースに改造を施した、以前は宗谷線の“急行”で活躍していた車輌を思わせるもので、赤い塗装を施してあって外見は好きだが…普通座席の車輌に引越ししようかと、乗客が減る名寄以降に様子を伺ったが…座席が少ないタイプのモノを使っていたので、空きは無かった…

ハッキリ言えば…運休中の特急と然程変わらない感じで移動出来る“臨時快速”は、なかなかに好いよ思うが…座席は普通のモノの方が楽だ…

今回の旅…往路も復路も“仕切り直し”が入った…出発前に思い描くことさえしない展開になった…風雨に悩まされた状況も存外に多かった…“積み残し”と思えるモノも多い…

時々思う。“幸せ”の“総量”というようなものは或る程度決まっていて、それが如何様に発現するのかは各人次第だというようなことである…私の場合は…見慣れぬ路の果ての見知らぬ街を気が向くままに訪ね、自身にとって“新しい”モノと色々な型で出くわす経験を重ねるということで、その“幸せ”が発現されているのかもしれない…

旅に関しては、膨大な写真を整理しながら、ゆっくりと降り返っていきたい…

それは好いが…昼に旭川で乗換え時に多少の間が在ったので牛丼を頂いた程度で…空腹だ…何とかしたい…

ビデオ 吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)の<ウィンターバルーンフェスタ>(2013.12.22)

「北海道…天気悪いんだね…」という事態が発生し、何か刺々しいような気分にもなるが…

↓何となく和み、面白い熱気球を上げる様の映像…

↑約11分弱に纏めた…バーナーを焚く場面が迫力!!そして巨大な気球が膨らんで音も無く上昇する様は神秘的だ…

早朝から移動…好天に期待!!

運行日誌(2013.12.22)

九州で「阿蘇の天然水」となっていたミネラルウォーターの2リットル入りペットボトル…当地では、殆ど同一デザインのラベルで「南アルプスの天然水」となっている…

“当地”?神奈川県川崎市である…旅に出る前には、全く想定しなかった滞在となっている…川崎…そう言えば余り来たことが無かった…

今日は…前半と後半とで明暗が分かれた感の一日だった…想定していた範囲では、明日の昼には稚内に着いていた筈だが…多分、到着は夕刻となるであろう…

九州北部…前日は夜遅くまで雨…それが上がり、朝の間、更に午前中のいい加減な辺りまで曇っていたが、天候は好転して行った…

真っ暗な早朝から動き始め、吉野ヶ里歴史公園を訪ねた…吉野ヶ里歴史公園そのものは、通常は朝9時から開園なのだが…今日は早朝の開園前の時間に<ウィンター・バルーン・フェスタ>という催事が在ったのだ。熱気球が上がる…

催しに関しては…ヤフオクドームでの催事の関係や連休の初日なので福岡市内に泊まり難いことが判明し、佐賀に宿を押さえた時、「そう言えば吉野ヶ里歴史公園が近かった…佐賀に到達する前か、佐賀から福岡空港へ向かう時にでも…」と調べていて、催事を知ったのだった…

前日の雨で「明日はどうか?」と思っていたが…<ウィンター・バルーン・フェスタ>は、高い空が薄い雲で霞む状況ながらも、風が微弱で降雨も全く無い中で無事に開催された!!

催しの開催を知った時、吉野ヶ里歴史公園の事務所にメールし、入口と行き方を尋ねておいたのだが、情報を得ておいて善かった…佐賀から列車で東へ向かい、神埼で下車してみれば、辺りは田圃の真中で真っ暗だったのだ…

やがて観衆が集まってきた…小規模な催しとのことだが、存外な数だ…気球の催事のファンであるというような、写真好きなおじさん達とも言葉を交わしたが、11月に大きな大会が催されており、なかなか凄い人が集まるそうだ…九州では佐賀の他に阿蘇地方でも熱気球の催事が在るらしい…また、北海道でも盛んな地域が在るのだそうだ…今回「北海道新聞」と大書された気球も在り、北海道のグループが来たのか、モノが送り込まれたのかという感であった…

北海道でも行われていると言う熱気球の催事…残念ながら訪ねたことは無い…ここで…全く初めて熱気球が宙に舞う場面を視ることになった!!カラフルなバルーンが、吉野ヶ里遺跡の、再現された弥生時代の村落を背景に飛ぶ…興味深い光景だ…

催事終了後…吉野ヶ里歴史公園にも普通に入場してみた…弥生時代に形成された“クニ”の痕跡を伝える遺跡であり、その村落を見事に再現している…

吉野ヶ里歴史公園を出た後、吉野ヶ里公園駅を利用した…きっちり1駅間…加えて公園への往復と公園内でかなり歩いた型になる…

そこから博多を経て空港に向かった…空港では、札幌行は新千歳空港周辺の雪でやや運航が乱れているとのことで、行先変更等も在り得るという話しだった…そういう話しは在っても、実際に「行先変更」になった経験は無い…「多分、どうということもないであろう…」と考えた…

ところが…新千歳空港は「雪による滑走路閉鎖」という事態に陥り、出発便や到着便が溢れて混乱しているらしい。福岡からの機は…秋田県上空から青森県上空に入った辺りで南下し、羽田に向かって行って着陸した…航空会社は「東京・札幌」に振替で新千歳空港に運んでくれるということだった…

「東京・札幌」に振替で新千歳空港に運んでくれるということだったが…午後5時20分頃に羽田で“到着”に出て、空港の端から端のような場所を歩いて手続をしに行けば、「午後6時30分の便」に振替と言い出す。新千歳空港の埒が明かないと、羽田に回り込んでいる間に状況が好転したのか?!そんな話しではない!!

かなり気分を害しながら、「明日の早朝に…」と空港の航空会社係員に希望を伝えた。先方は「宿代の要求」を警戒したようだが…(“タカリ野郎”だと見下されたか侮蔑されたかのようで、酷く気分を害した!!!!)「そんなモノは求めていない!!新千歳空港に間違いなく下りられるのか?!“振替”にしていした便も引き返す場合在りの案内で、次の便は搭乗手続き中断とそこで案内しているだろう!?明日仕切り直したい…もう一度保安検査で、また引き返して、また端から端まで歩いて、今やっている手続をさせるのか?!今日はもう沢山だ!!」と思わず言ってしまった…

結局、希望は叶った。明日の朝7時半に羽田から新千歳を目指すことにした…滞在は…空港ビル内のカフェに入り、パソコンを出して宿を…川崎に決めた!!京急川崎駅徒歩圏内であれば、京急で空港までは15分程度である…

早朝から歩き回ってさっさと動いて、さっさと休みたいところに、妙な事態である…刺々しい気分にもなったが…そんな時は、<バルーンフェスタ>の画でも視て和みたいというものだ…

>>12月22日の画(後刻、後日追加予定…)
空港のカウンターの傍を歩いていると、誰かが「北海道って天気が悪いんだね…」と話しているのが聞こえた…辺りの店舗の従業員であろうか?全く、今季は天候が悪い…旅に出て、往路も復路も“仕切り直し”を強いられている訳だから…

正直…川崎宿泊を決めて、何処か東京方面に行ってみようかと思わないでもなかったが…気持ち和む画でも眺めて、ゆったりとしている位の方が好い…少し遅い時間帯になって、新千歳空港へ付く便は下り始めている…あの航空会社で振替に指定してきた便も下りているようだが…1時間以上も遅れているし、後続の便で欠航してしまったものも在る。鉄道は問題が無い様子だが、許容範囲を超える程度に遅れてしまって「またダメ?!」と苛々させられて、遅過ぎて何も出来ない札幌に入るのも些か困る…明朝で善いのだと考えたい…

松浦鉄道 たびら平戸口駅(=日本最西端の駅)(2013.12.20)

↓こんな看板を視たら…どのような場所を思い浮かべるであろうか?
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↑酷く大袈裟なように思うが…

↓こういう雰囲気である…
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↑「小さな町の極慎ましい小さな駅」という趣だ…

駅に下り立って、駅前に出てみると少々驚く…小高い場所に鉄道が走っていて、駅もその小高い場所に在る。「最西端」と“端”とは言っても、松浦鉄道の線上なのである…

↓駅は何となくこういう具合で、ホームは2本在る…
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↑佐々、佐世保へ向かう列車が発着するホームと、伊万里へ向かう列車が発着するホームを有する。駅名表示は、多分JR九州の方式に倣ったのであろう…ここは「平戸大橋を擁する地域」ということで、橋のイラストが入っている…

↓改札口はこういう具合だ…
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↑「お客様へ 改札はいたしませんので発車時間にホームにおはいり下さい」とある…

松浦鉄道は「無人駅が標準仕様」という雰囲気である…幾つかの駅―佐世保、佐世保中央、佐々、たびら平戸口、松浦、伊万里、有田…のみ―には人が居るが、他は尽く無人駅だ…そして列車は全てワンマン運行である。利用者の料金支払い、定期券の提示は運転士に向かって行う…有人駅では定期券や各種切符の販売を行うなどしている。

このたびら平戸口駅…人は居たが、改札は無かった…下車した際も、運転士に<旅名人の九州満喫きっぷ>を見せた…改札口を通らずに、改札の向こうに相当する場所に在る御手洗にさりげなく入っていた…ここでは「あっ!?駅に人が居た…」と後から気付いた…

実は佐世保で松浦鉄道の列車に乗車する際、佐世保駅の松浦鉄道の乗場に改札らしいもの、改札を行う係員らしい人を視掛けなかったので…<旅名人の九州満喫きっぷ>に必要なスタンプは、JRの方に行って押印してもらった…

序でに言えば…たびら平戸口から伊万里へ向かい、伊万里で下車した際も運転士に<旅名人の九州満喫きっぷ>を見せた…

最西端の駅…独特な趣だ…田平天主堂へ向かうには、バスは無いに等しい…平戸市内へ向かうには…平戸口桟橋まで少し歩くのが現実的だ…さもなければ、駅前で待機しているタクシーを利用する他ない…

↓この駅で発着するのは1輌運行のディーゼルカーばかりだ…2輌以上の時も在るのかもしれないが…視掛けなかった…
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↑こういう、手が込んだラッピングの車輌も一部には見受けられる…

「最西端」に向かうのに「最北端」を出発したことになるのだが、何か感慨のようなものも沸き起こる…

運行日誌(2013.12.21)

この旅の期間を通じて、各コンビニの珈琲を何杯頂いたことか…大変に気に入っているのだが、現在も近くの珈琲をやっている店で求めたものを宿に持ち帰り、部屋で頂いているところだ…

戸外の雨は完全に止んではいない。多少弱まっていて、「その辺…」というレベルのコンビニに買物に行く程度のことをするのに差し支えはないのだが…長時間歩いたり、出くわした風景の写真を撮るには不向きだ…

今般は、何か「この雨にやられて♪」という感じが多かった…今日もそうだった…

昨夜も少しそういう場面が在った雰囲気だが…今朝の博多は少し強い雨に見舞われた。雨は短時間で弱まったようで、午前中にとりあえず戸外に出た時点では、雨は然程気にならなかった…

午前中は福岡市博物館の見学と、HRCに立寄って土産のTシャツを入手することに費やした。福岡の地下鉄の一日券を用意した。500円である。1回乗車すれば250円というような区間が多々在るので、なかなかに御買得だ…

福岡市博物館…なかなかに好い!!街の歴史がよく解る!!交易拠点となり、元寇のような事件も経験し、戦乱に巻き込まれることも在った博多だが、やがて近世には城下町の福岡が成立して「双子の町」の様相を呈し、近代の歩みが始まって現代に至っている。こうして綴ることが出来る程度には理解出来る訳だ…街の経過を説明するビデオ等がなかなかに佳かった…

ここには“金印”が在る。古代世界の外交関係を示唆するモノだ…これは…視付けた人は「金貨?!」とでも思ったであろう…そんな代物だ…

残念ながら…この博物館の収蔵品として知られる黒田長政の兜は展示していなかったが…色々と武士が用いたモノも在った。“日本号”と称する大きな槍には驚いた。戦国期の荒武者は、騎乗して戦場を駆けながら、あんなモノを振るって闘った訳だ…更に、古代の兵士が用いたとされる、出土した甲冑も在った…

こうした古い歴史を伝えるモノの他、福岡で人気だった喫茶店の様子を伝える展示や、福岡の若い技師が造ったという「初めて日本国内で製造された」とされる自動車、名付けて<アロー号>―製作者が矢野さんという人で、“矢”の字を取って命名したそうだ…―が、試しに博物館の敷地で動かしてみたビデオと共に展示されていた…

博物館を愉しんだ後、<ヤフオクドーム>の方へ…以前に視た際は<Yahoo!ドーム>となっていたが、確りとドームに着いたロゴマークも代わっていて、多少驚いた…ここでは催事が在る関係で、何やら賑わい始めていた…この傍にHRCが在る…2010年に寄り、その後、2011年、2012年も寄っているので、「4年連続4回目」という話しになる…

HRCで買物を終えた後、雨が降り始めた…やがて雷鳴も聞こえ始めた…何やら雨は弱まらない…

こうした状況の中、淡々と佐賀に移動した…福岡は催事の関係で宿が取り難いようなので、佐賀に予約して在ったのだ…そんな訳で「暗くなる前」(この辺の日没は5時台だ…)に泊まる場所に着くことになった。今般の旅では…多分初めてだ…

佐賀では…<駅前横丁>という場所で夕食を愉しんだ。何気なく眼に留まったが、昨年「刺身でも食べられる鶏肉をミディアムレアーに仕上げた」という親子丼を頂いた店が在ったことを思い出した。そこに至る前、焼鳥店にも寄った。“とり皮”があんなに美味いモノだとは知らなかった…そこでは“鍋島”という、現在の佐賀県の大半を封土としていた大名家の名を冠した、やや甘い日本酒を熱燗で1合愉しんだ…

>>12月21日の画…

いよいよ明日は“帰国”である…明日こそ晴れて欲しい…佐賀県辺りの予報は晴天なのだが…

平戸オランダ商館(国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建築物)(2013.12.20)

今般、<旅名人の九州満喫きっぷ>という、JR九州の普通列車のみではなく、所謂“3セク”を含む九州各地の鉄道と名の付くモノを全て利用出来るような切符を利用することに思い至ったのは、「平戸を訪ねてみたい」という想いが在ったからである。「平戸を訪ねてみたい」と思うに至った理由が、「再建が完成した“オランダ商館”を視たい」ということだった。平戸に至るルートとして、松浦鉄道の利用ということを考えた訳である…

↓平戸のオランダ商館に関することを知ったのは、下記の一冊の御蔭である…
>>『改訂版 平戸オランダ商館』

たびら平戸口駅に着き、「平戸へ行くバスが…なかなか来ない…」とその辺を歩き始め、“勢い”で田平天主堂を視に行ってしまい、往復7キロメートル弱も歩いてしまうような真似を仕出かして、平戸口桟橋を経て平戸桟橋にバスで辿り着いた…直ぐに観光案内所が眼に留まり、係のお兄さんに周辺地図を頂いた。序でに近所で軽く昼食を頂けそうな場所も伺った…

平戸では海岸に遊歩道を整備したところで、板張りのデッキのような遊歩道を歩くのが心地好かった…

↓平戸オランダ商館とは、このような建物である…
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↑これは倉庫として利用された建物だ…

「江戸時代のオランダとの貿易」と言えば、長崎の出島を思い出すが、その出島の以前にオランダ人が商館を設けていたのが平戸だった。出島よりも規模が大きく、貿易も華やかだったようだ…

この日の平戸は概して曇りであったが、時折少々晴れ間が覗いたり、少し強い光が差し込むことも在った。上述の本に在るが、史跡を入念に調査し、様々な記録や同時代の建築の検証を経て、平戸の建物は再建が成った。石造の建物で、屋根瓦は日本のモノを採用している。“1639”と竣工年次が刻まれたプレートが建物正面に嵌っているが、オランダ本国では幾らでも在るようなものだ。オランダ本国ではこの種の建築は珍しくないのだが、屋根瓦のように見える箇所の一部材料を“現地調達”している関係上、少し独特な雰囲気が在る…

↓オランダの建物に見受けられる「不思議な突起」…ロープを掛けて、重いモノを上階に揚げる装置だ…
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↓現代の目線では、「一寸昔風な外観の建物」という以上でも以下でもないが、江戸時代には「異国人が造った異様なモノ」に見えたことであろう…
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この建物の内部は、平戸オランダ商館の経過が解る展示がされている博物館になっている…当然、大変興味深く見学した…

平戸オランダ商館は、平戸の瀬戸を渡る風に晒されながら、この場所で展開した物語の痕跡を永く人々に伝えていくのであろう…

「訪ねてみたい!!」と願い、それが叶った…そういうことは逸早く伝えてみたいのである…

運行日誌(2013.12.20)

「元来はマンションか何かだったのでは?」と思わせる、博多の宿に入った…もう少し前進しようかとも思ったが…「無理はすまい…」という思いが生じ、「視付けるのが難しい?」と思っていた博多の安価な宿が在ったので、「“御導き”!!」と感じ、利用することにした…

今朝、佐世保駅にそれを伝える掲示が在ったことに気付いたのだが、佐世保駅は「JR最西の駅」ということになるのだという…佐世保は、長崎県では県庁が在る長崎に次ぐ規模、存在感を持つ街で、駅も大きく、“端”と言っても“行き止まり式”な鉄路になっているのは松浦鉄道が専用に使っている箇所位で、各地とを結ぶ列車が縦横に発着している…

「夜到着で朝出発」ということになると、何か「後ろ髪引かれる」という感も否定出来ないのだが、佐世保駅から列車で発った。夜の到着後には「とりあえず間に合うように“佐世保バーガー”!!」と繁華街方向へ少々歩いた程度で、駅の反対側を視ていなかったことから、出発前に眺めた…駅構内が原則禁煙なので、一寸煙草でも蒸かして、佐世保の朝の空を眺めてみたかったということも在ったのだが…駅の反対側は五島方面とを結ぶ貨客船が出入りする場所等も見え、“業界”的には「親水空間」等と称するような按配に整備が進められていた。最近、地元や地域初進出という色々なテナントが入った商業施設もオープンしたらしいが、その建物も見えた…

佐世保に関しては「また来てみたい…」と思ったが、列車本数が少なめな松浦鉄道を利用する関係上、「それはそれ」ということで出発した…

松浦鉄道は所謂“3セク”というもので、旧国鉄の廃止されようとしていた路線を存続させるために会社を興したのである。有人駅が限定されていて、佐世保市内の佐世保・佐世保中央・中佐世保を筆頭に駅間に乗降出来る駅を増やすなどの努力をして来た経過が在る…「無人駅が目立ち、1輌運行のディーゼルカーがワンマンで走っている」という辺り…地元の宗谷線等にも多少似ていなくはない…

この松浦鉄道で「たびら平戸口」を目指した。たびら平戸口駅は「日本最西端の駅」ということだ…非常に静かな駅である…

平戸に行ってみたかった…有名な長崎の出島の以前、オランダ人が平戸に商館を開いた。長崎以上に華やかに活動していたらしいが、諸般の事情で閉鎖して長崎に移った訳だが…その商館の建物の1つが見事に再建されている。それに関する本を読み、是非それを視たかった訳だ…

たびら平戸口駅が在る地区から平戸へ向かうには…平戸大橋を渡るのだが…駅から多少距離も在り、橋を渡った後も街中までにやや距離が…バスで移動するのが賢明と思われる…しかし!!バスの本数が少ない…駅前を通るモノが実は「1日に数える程」だったのだ…「バス…列車が着く辺りに合わせて来るのでは?」と勝手に思ったが間違っていた…

そんな訳で何となく歩き始めた…とりあえず、平戸大橋が見えるような辺りで遠くに橋を眺め、それからバスを捕まえてバスで橋を渡ろうと思った…そうしていると…「田平天主堂→」という案内表示を眼に留めた…

田平天主堂…太宰府の九州国立博物館で「文化財紹介」を旨とする超高画質フィルムを上映していたが、そのテーマが所謂「西海の天主堂」であり、訪ね難い五島各地のモノに加えて田平天主堂が紹介されていた…

最初は「→」に気付いて、九州国立博物館のフィルムで関心が沸き起こった天主堂が視られると、少し弾んで進んだ…やがて…次の「→」が在ったのだが…「2.7km」と在る…「往復1時間と少しか?とりあえず…」と、そのまま進み続けた。カーブした坂道を上がるような按配で、辺りは田畑と疎らな住宅が見える程度という状況になり、いよいよ「本当に天主堂は在るのか?!」と思えるようになって来た。平戸の瀬戸を渡る風が冷たい感じで、若干“ひんやり感”が強い中、只管に歩いた。そうなって、重ねて「本当にこの道で行けるのか?」と思うようになった頃、地元の農業高校のグランドやら後者も見え、「900m」というような「→」が在った。そして、雲の切れ間から光が差し込む様子が上空に見えた…「“御導き”か?」とも感じたが、何か「こうなったら天主堂に行くぞ!!」と力が入った。

歩き続け、いい加減に草臥れてきた頃…畑の真中のような場所に天主堂のレンガ造りの建物が浮かび上がるのが見えた。誇張でも何でもなく、「あぁ…」と声が漏れた…

そして天主堂をゆっくりと眺め、来た道を引き返した…途中「平戸桟橋」迄のバスが「数分後」となっていたバス停を視付け、バスで平戸を訪ねた…

ここのバス…不慣れであれば紛らわしいのだが、“たびら平戸口駅”も在る田平町側の停留所を「平戸口桟橋」と称し、平戸では「平戸桟橋」である…“口”の有無の違いである…

平戸ではオランダ商館を視たかったという思いを遂げ、結局、余りゆったりとしていても動き悪くなるので「平戸口桟橋」へ引揚げた…

たびら平戸口駅からは、松浦鉄道の未だ乗っていない区間であった伊万里までを利用した。伊万里ではJRに乗換えて唐津に向かった。

唐津に着いてみても、既に夕刻のやや遅めな、真っ暗な時間帯である…「何が出来るでもない…」と思っていたところ、ホームで「地下鉄乗り入れ」で博多方向に向かう列車が…これに素早く乗車した…

そして…博多には午後8時頃…「もう…休もう…」ということにした…後で判ったのだが、私が最初に視掛けた田平天主堂を示す「→」だが、「3.4km」と書かれていたらしい…その殆ど往復と、平戸での動きが在るので…10km以上歩いた型か?それも荷物は普通に持ってである…これは「無理はしない方が…」ということになるであろう…

>>12月20日の画(後刻、後日追加も予定…)

或いは…田平天主堂迄、多少の“距離”を歩いて往復というのは、何らかの“御導き”だったのかもしれない…確かに寒い感じだったが、吹雪いていたり、路面が凍っていたりではない。。多少悩まされた雨も降っていない。そう思うとどうということもないが…明日はどうしようか?

太宰府天満宮:麒麟(2013.12.19)

太宰府天満宮…訪ねた時には時折風雨が強まった…それに抗いながら歩き、写真も撮った…

“人気観光地”という一面も在る太宰府天満宮だが、来訪者が少なめな朝の早めな時間帯に訪ね、長い歴史を誇る神社の雰囲気、古めかしい建物が醸し出す空気感のようなものを愉しんだ…しかし、雨はややキツかった…

↓こんなモノが在った…
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↑“麒麟”である…「ビールのラベルのマーク?」という感だが…

麒麟とは想像上の動物で、「鹿に似て大きく、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、雄は頭に角を持つ」と言われているそうだ…動物園の人気者のキリンとは違う…

雨に濡れたこの種の像…なかなかに味わいが在る…

運行日誌(2013.12.19)

最近、半ば戯れに「感謝の納税」という表現を用いる…何処かを訪ねた際、訪ねた場所で煙草を一箱買えば、幾分かの税金が地元に入る…在るか無いか判らない次の機会までに、何かを整備する“足し”になるかもしれない…今回は各地を巡ってそれを実践しているような型になっている…佐世保の宿で、柳川で求めた煙草を蒸かしながら、何となく写真を整理していた…

何やら消防車らしいサイレンが聞こえているので、現在は多少騒々しいが、佐世保は夕べが静かな感じの街だ…

「福岡から佐世保」と動いたが、太宰府と柳川に寄り、「西鉄からJR」がスムーズということで、“回り道”ながら大牟田を経由した…福岡での小雨が太宰府で強まり、柳川では晴れた…その晴天傾向は続いていたが、佐賀県内、長崎県内では空気が“ひんやり感”を少々増し、佐世保では「雨が降り出すかもしれないような感じ」になっていた…

中州のカプセルホテルから天神へ歩き、西鉄福岡駅から動き始めた…西鉄二日市駅乗換えで太宰府駅を目指した…

太宰府は、「国内屈指」と言っても差し支えないような有名観光地でもある…混み合う前に本殿等をゆったりと見学したかった…それは叶ったが、風雨が…

「混み合う前に」と言えば<九州国立博物館>である。太宰府に在る…

この<九州国立博物館>では、『ロシアから見たアイヌ』ということで、サンクトペテルブルグの博物館で所蔵しているアイヌ関係のコレクションが持ち込まれ、展示されていた。これは貴重だ!!かのピウスツキ―政治犯としてサハリンへ流刑になったが、滞在中に民俗学研究を手掛けて有名になった人物…―を始め、色々な人が収集したアイヌ関係のモノが在る…「魚の皮で出来た衣装」というような不思議なモノも在るが、日本人が描いていて、ロシア人が持ち帰って保管していたことから日本では余り知られていなかったという、アイヌの暮らしを描いた画も在った…

この『ロシアから見たアイヌ』は期間限定の企画展だが、常設展も在る。これは「一通り近世までの日本史が判る」もので、同時に「文化流入の玄関」という役目も担った九州のことや、古代から中世に九州統治の中心的な役目を担ったとされる太宰府のことが判るようになっている。更に…超高画質映像の上映が在った。これは文化財等を紹介するプログラムを用意して順次上映することにしているのだそうだが…迫ってくるような超高画質画像で視たのは…五島に在る旧い教会だった…五島は簡単に訪ねられるでもない訳で、こうした映像で紹介して頂くのは有難い…

博物館の後には…太宰府天満宮の参道に在る茶店で“梅ヶ枝餅”を頂いた。店内で頂くように頼んだが、一寸待った…独特な餡が入った餅を焼いていた。なかなかに美味だった!!

風雨の中、太宰府駅から西鉄柳川駅へ移動した…次第に晴れ、柳川では晴天に恵まれた!!

歴史を誇る街では往々にして在るが、成立が古い中心的な市街に対し、現在も公共交通の大切な役目を担っている鉄道は時代が下った明治、大正、昭和に開通しているので、「中心的な市街等からメインの駅がやや遠い」という例が在る。柳川はその典型だ…

柳川…かの北原白秋の生家を訪ねることにした…竿で操られる小舟が時折行き交う濠のような川に沿って駅との間を往来した…相当に歩いたが、晴天だから出来たことだ…更に柳川では「鰻蒸篭蒸し」を確り頂いた…

以降は、佐世保までの移動だ…大牟田に南下し、鳥栖へ北上し、鳥栖からは西へ進み、少し北上すると佐世保である…「柳川→大牟田→鳥栖→肥前山口→早岐→佐世保」と5本の列車を乗り継いだ…

佐世保に泊まることにした…泊まることにした佐世保に入ったのはやや遅かった…「遅い!!」と言う程でもないが、「佐世保バーガー」の店を訪ねるには「遅め」だったのだ…間に合いそうな店の情報を得て、繁華街の片隅の店を訪ねた。そして頂いた!!

>>12月19日の画(後刻、後日写真を追加予定…)

何か長崎駅で求めた<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、文字どおり休暇の時間を満喫している…

吉松駅(鹿児島県):キハ220 1102号車(2013.12.18)

早朝の鹿児島中央駅を発ち、隼人、吉松、人吉と乗換えて八代に至る。「肥薩線を巡る」ということになる…八代以北は列車本数も多く、夕刻には博多に至る。夜まで動き回るつもりなら、更に先へも進むことが可能だが…

鹿児島中央・隼人間、隼人・吉松間は見覚えも在れば、乗車したことも在る型の車輌だったが…吉松・人吉間に関しては、「見覚えが無い…」と思える車輌だった…

↓こういう具合の紅いディーゼルカーである。“1輌運行”のタイプだ…
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「紅い車輌」そのものは、JR九州では赤がコーポレートカラーなので、然程珍しくはない。何やら見慣れないのは、真ん中に“展望窓”が据えられているという辺りである…

しかし、直に判った。これは、“2輌連結”が必須な“片運転台”で1991年に初登場したキハ200系から派生したキハ220系の“改造車”だった…

>>キハ200に乗車した経過(2011年12月)

“2輌連結”が必須な“片運転台”に対し、“1輌運行”を行う場合は車輌の前後に運転台が設けられる“両運転台”でなければならない。キハ200系を“両運転台”とし、“1輌運行”が可能にしたキハ220系が1997年に初登場している…

↓このキハ220の1102号車は、改装を施されて熊本に配置された…
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↑2011年秋のことであるという…

キハ200系、キハ220系…これは旧い車輌を更新する際に順次導入されていて、1990年代以降、現在でも増備されているようだ。車輌に関しては、吉松駅の駅員さんに少し教えて頂いたが、「運転し易い」とキハ220は乗務員の間でも評判が好いようだ…1980年代に初登場の車輌も在るが、1970年代に初登場の車輌が非常に多い。1970年代に初登場の車輌に比べると…キハ220のような車輌は、20年も「若い」車輌である…メカの性能は格段に良い筈だ…

展望窓が設置された車輌…車窓風景が「売り」な路線への投入…ということで肥薩線が活躍の舞台となった…肥薩線に関しては、旧型車を改造し、展望窓を設置した車輌を用意して<いさぶろう/しんぺい>と名付けた列車を運行し、“観光列車”と呼ばれて好評を得ている。或いは…キハ220の1102号車は、こうした事例のような運用も出来るかもしれない。

↓JR九州の近年の車輌は、快適性を高めようと工夫した内装が施されているが、キハ220もその例に漏れない…
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「乗物好き」の端くれとしては、旅をする際は「見慣れない車輌を使った列車」、「好感が持てるデザインの車輌を使った列車」等に乗車してみたいものである…そういうモノの登場を予期して列車を利用しようとする場合も在るが、何も考えずに乗車しに出掛けて、そこで「これは?!」と思える車輌に出くわすのは嬉しいものだ…

旅で出逢った鉄道車輌等に関しては整理もしてみたいが、とにかくも12月18日に出くわして乗車した様々な車輌の中では、この「キハ220 1102号車」が強く記憶に残る…

運行日誌(2013.12.18)

福岡在住の友人と連絡が取れた。「博多に着くので、都合が悪くなければ一寸会わないか?」という趣旨だったが…先方は歓迎してくれた。旅の前に、時季の都合を尋ねていて、今年は繁忙の度合いが強く、会えないかもしれないという状況だったので、非常に善かった。

最近、博多で人気が高いというラーメン店に出掛けた。ラーメン店と言っても、「ラーメンも頂ける居酒屋」という趣きである。一寸した肴に、モツ鍋を頂き、最後にラーメンである…

考えてみると…軽く呑んで、これだけ食べたという展開も久し振りであった…大満足で、中州のカプセルホテルへ…

いきなり一日の終盤から始めた型だが、実に長い一日であった…

早朝、鹿児島中央駅で日豊本線の始発に乗車…隼人で下車した…丁度、通勤や通学の時間帯に入っていて、何やら込み合っていた。込み合うと言っても、辺りの人口規模に見合った込み方だが…驚いたのは「最寄の隼人駅まで自家用車で送って…」と見受けられる車が、殆ど切れ間無く駅前に現れ続けた様子であった…

隼人・吉松間は通学の高校生諸君で列車内が賑わった。多くの高校生が通う学校の最寄駅では、「2輌運行のディーゼルカーに、こんなに乗っていたのか??」という按配で驚いた…

吉松…静かだった…肥薩線と吉都線が交錯する鉄道輸送の拠点という性質を帯び、嘗ては機関区や保線区も在って、多くの関係者が活動し、暮らしていたが…現在ではそういう歴史を伝えているというだけの静かな感じの駅だ…駅前にC55蒸気機関車が在る。C55の最終生産型を基礎に、「変更箇所が多いので新しい型番」ということで登場したC57は保存されている機関車も多く、牽引する列車に乗車したことも在る会津若松・新潟間の他、各地でイベント列車を牽引しているが…C55は保存例が少なめで、なかなかに貴重だ…

吉松では紅いディーゼルカーが随分早くから、人吉へ向かう乗客を迎えていた…「こんなに前から?」と思いながら駅員さんに「人吉はあれですよね?」と尋ねてみれば、「そうです。もう中でお待ちになって構いませんよ。御手洗いも在るので…今日は寒いですから、中の方が好いかもしれません…」というお話しだった。なるほどと思いながら、「新しい車輌ですよね?」と尋ねてみた…駅員さんは「よく訊いてくれた!!」とばかりにあらましを教えてくれた。“キハ220”…“キハ200”と基本的に同じボディーだが、3扉の車輌の真ん中に在る扉を潰し、代わりに展望窓とし、辺りにベンチやカウンターを据えて、景勝地を走る時に乗客が眺望を愉しめるようにしてある。新しいメカなので、運転し易いと乗務員にも好評であり、新しい内装は居住性も良好というお話しだった。肥薩線の新しい主力になるべく期待されているタイプだという…

その吉松駅の駅員さんがお奨めのキハ220で肥薩線を走った。「スイッチバック」や「ループ」という、山間に鉄道を敷設する際に行われた工夫が残る路線を、紅いディーゼルカーが駆けた…

人吉に着いてみれば…キハ220が駆けて来たコースで運行され、なかなかに好評を博しているという<いさぶろう/しんぺい>が待機中だった。肥薩線建設当時の功労者に因む列車名で、「人吉→吉松」を<いさぶろう>と呼び、「吉松→人吉」を<しんぺい>と呼んでいる。旧い車輌を改造したモノだが、なかなかに美しく、素敵な感じだ…それを眺めていると、人吉から熊本を経て大分県方面へ向かう、文字どおり<九州横断特急>と名乗る紅いディーゼルカーも人吉駅に現れた…美しい紅い列車が3本並んだ!!

人吉では街を歩き回ろうとしたが…風雨に阻まれた…余り歩いていない…少し長めに駅待合室で過ごし、そこで「遅い朝食」であると同時に「普通の軽いランチ」という感の駅弁<鮎すし>を頂いた…

人吉・八代間は、「国鉄時代終期」を思わせる雰囲気のディーゼルカーが現れた。稚内辺りで視掛けるタイプに外観がやや似ている…このディーゼルカーがトンネルが目立つと同時に、大きな川に沿って敷かれた鉄路を元気よく走る。速度はそれ程でもないのかもしれないが、一部区間は何か妙に勢いよく走っていたように思えた…

雨がちだったことから、「今日は移動だ!!」ということにしてしまっていたが…八代で少し晴れた…やがて北上するに連れて、雨天がちな状態は改善されて行った…

八代以北…電化されていて、沿線の都市間を結ぶ列車の本数も多めで動き易い…結局、博多に至った訳だ…朝5時39分に出る列車に乗車し、最後に乗った列車を下車したのは午後5時4分…その後は地下鉄で一寸動き、中洲・天神間を少々動いたが…

博多駅は華やかだ…あのイルミネーションは、私が承知する限り「日本一華やか」かもしれない…様子を眺めて写真を撮っていると、アジア系の外国人に英語で話し掛けられ、先方の記念写真のシャッターを押してあげた…あの人も、煌く様に驚き、故郷の家族や友人や知人に「凄かったんだ!!」と見せてあげたいと思ったのだろう…

友人との連絡で、中州から少し先の天神で落ち合い、ラーメン店に行った訳だが…何やら色々と旅行の話しをしていた。先方にしてみれば「休みを獲った!!旅行をする…」と、私が九州方面に出現するのは「“風物詩”化」しているらしい…「何となく至ってしまった博多から先、何処を訪ねるのか?」という話しが尽きなかった…「九州の住人」に対して、「北海道の住人」が<旅名人の九州満喫きっぷ>について説くという、妙な状態にもなっていたが…

>>12月18日の画(後刻・後日、写真は追加する…)

今日は、昨日から続いた状況では在ったが、「この雨にやられて♪」という感であり、風任せに移動していた…八代から肥薩おれんじ鉄道を経由して鹿児島に至り、鹿児島からは肥薩線で八代へ…「鉄道の旅」としては「好い型」に出来たかもしれない…が、短期間で「福岡→長崎→鹿児島→福岡」と、概ね九州の南北を縦断する動きを2回も…多少驚く…

鹿児島・知覧:“桜島小みかん”(2013.12.17)

昨年、佐賀県内を列車で通過した際、車窓に「みかん冷蔵倉庫」なる看板を視て、「九州は柑橘類の栽培が盛んな土地が多い…」等と思っていたが…今年は長崎県内、熊本県内、鹿児島県内で「樹が柑橘類の実を着けている」という様子を眼にして、些かの驚きを禁じ得なかった…

柑橘類が樹に実を着けることは承知している。何かの映像を視たような記憶も在る。しかし、実際に目の前に在る樹が柑橘類を実らせている様子を視たというのは、記憶が殆ど無い…私自身、柑橘類の栽培とは縁が薄い地域の人間だからかもしれない…

鹿児島から知覧へ向かった…知覧は中世の山城の址が見受けられ、近世には“麓”と呼ばれた城郭のような防衛機能を担うことを期待された集落が形成されていて、その様子をよく伝えている。加えて、戦時には飛行場が設けられていて、終戦近くの時期には“特攻”の拠点となったという記憶も有している地域だ。或いは「鹿児島県の歴史」、「日本史の一面」が凝縮されたような地域である…

この知覧での行動は…風雨に抗いながらのものとなってしまったが…“麓”の様子を伝える、所謂「武家屋敷」では、雨が醸し出す独特な雰囲気の庭園の風情や、“常在戦場”とばかりに日々の暮らしを営んだと思われる武士団が築いた町の雰囲気を愉しんだ…

↓こういう様子を視掛けた…
'Sakurajima-Ko-Mikan' at Chiran, Kagoshima Pref. on DEC 17, 2013 (3).jpg
↑奥の方の樹に橙色の実が?

↓小粒なミカン!?
'Sakurajima-Ko-Mikan' at Chiran, Kagoshima Pref. on DEC 17, 2013 (1).jpg

古くからミカンは愛でられていたと聞く…江戸時代の武士が自邸の敷地に植えていても不思議ではないし、邸宅を受継いだ人達が近代以降に植えることも在り得る…

このミカンが実る樹を視掛けたのは、見学者の拝観受付を行う場所の、一寸座って休憩も出来る係の方が居る辺りだった。係の方に、柑橘類と縁が薄い地域―北海道…―から流れて来ていて、何の樹か興味が在ると話してみると、「桜島小みかん」と教えてくれた。「どんな字を書くか?」とまで、重ねて尋ねてしまった…

「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」ということで、“みかん”と平仮名を使うのを公式呼称としているというようにも聴いた…「世界一小さな甘いミカン」とのことである…

風雨の知覧からバスで鹿児島市内へ引揚げ、路面電車の未乗車区間を愉しんで、宿の近くでも在る鹿児島中央駅前に至り、鹿児島中央駅の駅ビルに寄った。「食品売場?」と案内板を見れば、確り食品スーパーが在った…

「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」を探した…見付かったが、綺麗に箱詰めされた高価なモノだった…贈答用の高価なミカンをどうこうしたいのではない…

↓そこに、こんなモノが出て来た…
'Sakurajima-Ko-Mikan' (Kagoshima) on DEC 17, 2013 (1).jpg
↑一寸試食したいという場合、これで十分である!!

嘗て…駅の売店に“冷凍ミカン”なるモノが売っていた…小学生位の頃だった…そういう例に倣うでもないが、明日は列車で移動するので「車中のおやつ」にもなるかと考えた…

知覧での想い出を胸に、知覧で視掛けた“桜島小みかん”を手に、風雨がやや強まってしまった中を宿へ引揚げた。

雨で濡れた上着やシャツを脱ぎ、一息入れてから“桜島小みかん”を試した…「一種のミニチュアか?!」と思えるような、小粒なミカンだが…皮を剥くと、多少の果汁が手に着く位にジューシーで、「ミカンらしい!!」と思える「酸味を帯びた甘味」、「甘味を帯びた酸味」が強く感じられた。

秀逸だ!!部屋に居る間にどんどん頂いてしまった…結局…「車中のおやつ」の分まで残らなかった…

また一つ…好いモノを知った…

運行日誌(2013.12.17)

鹿児島中央駅東口側に在ったコンビニで珈琲を求め、店の前で一息入れながら頂いたのだが…西口のコンビニでまた珈琲を求め、それを宿の部屋に持ち帰ったところである…鹿児島滞在の名残を惜しみ、気に入っている屋台村に向かい、夕食を愉しんできた…本格焼酎…勿論“芋”だが…食事に合わせて少々頂いたのも当然というものだ…

結局“風雨”の一日となった…雨は一時と比べると弱めな感じだが、しぶとく降り続く…風はかなり弱くなっているようである…3月に鹿児島の天文館に在るコンビニで求めた折畳傘が手放せない感じの一日だった。傘は風に煽られて、頻繁に雨水を受ける皿のような形状になってしまったが、何とか壊れてしまわずに済んでいる…九州各地は雨模様だったらしいが、明日の予報でもその傾向は変わらない…

今朝は桜島の勇姿を眺めようと、一寸出てみたが…雨と雲で殆ど見えなかった…少々驚く…「遠くの島影」という次元でもない距離に在る筈だが…同時に些か寂しいものが在る…「鹿児島」と言うと、2011年12月、2012年12月、2013年3月と毎回のように何らかの型で「暁の桜島」を眺めていたが…今回は叶わなかった…

今日は知覧との間を往復し、半ばそれに尽きた…風雨で行動を妨げられ、些かの消耗感も否定し難い雰囲気だった…何か「多少の用事に出ながら、拙宅で少しゆっくりし、夕食を愉しんで帰宅」というパターンに似ている過ごし方かもしれない…

鹿児島と知覧との間は路線バスで結ばれている。鹿児島中央駅の案内所でとりあえず情報を得てあって、午前8時台に運行されると聞いていたので、それを利用して知覧に出た。

鹿児島市の領域はなかなかに広いが、その領域の南端部の方まで走り、山道のような場所を抜けると知覧に至る…1時間半弱のドライブだ…

“特攻観音入口”という停留所が終点で、そこには特攻の歴史を伝えるミュージアムと、南九州市立博物館とが在る…

特攻の歴史を伝えるミュージアム…入口の辺りで知覧の“飛行場”の経過を説くビデオが流れている。これが、知覧の経過を要領よく纏めてあって佳かった。

地形、地盤、当時の交通状況や戦略的な立地に鑑みて知覧に陸軍の飛行場が設けられ、当初はパイロットを目指す若者の訓練が行われていた…昭和19年に「最後の修了生」を贈り出し、以降は基地化された…基地化された頃、特攻という“作戦”の拠点になった…

色々な展示が在る…一式(隼)、三式(飛燕)、四式(疾風)と陸軍機の実機が在り、更に九州南部の海で引揚げられた、かの零戦が朽ち果てた姿で展示されていた…そうした整備された実機も見応えが在るが、或る意味で「実際以上に“らしい”」具合に仕上げられた、映画撮影用に造られた「一式(隼)=知覧(特攻隊)仕様」が外で雨に打たれていたが、「伝えなければならない歴史の証言者」という重責を担っていたように思えた…

10代終わり辺りから20代に入ったばかりという、“少年”と呼んでも差し支えない者が圧倒的多数を占めた特攻隊員達が遺した書簡の宛名を視ると、母親宛のモノが目立つ…そうしたことを踏まえて、「故郷で出征した息子を思う母」をイメージした像も在った…そして「とこしえ」という名が冠せられた隊員の像…色々なモノを視て、戦時の経過に想いを巡らせた…雨の平日ながら、存外に多くの来館者が在った…

特攻の歴史を伝えるミュージアムの入口で“共通券”という御買得なモノが在ったという切っ掛けだが…隣りに在るやや地味な南九州市立博物館も見学―何か“貸切”のような状態で見学…―した。ここがなかなかに秀逸だった。

知覧は古くからの豊かな歴史を誇る地域である。中世には大掛かりな山城が築かれていて、それを擁する陣営の一大防衛基地だった。そして近世には、島津家の領内で“麓”と呼び習わされていた「一種の“城”という性質を帯びた、多くの武士が住む集落」が形成されていた。この近世の“麓”の姿が知覧ではよく伝わる型で残っている。所謂“武家屋敷”だ…そうしたものの概要が5分以内で纏められたビデオが何本か在り、模型や旧いモノと相俟って、なかなかに好かった。他、農業や交易等の産業の発展を伝える展示もなかなかに佳い…

そうしたミュージアム見学の後、旅行者を主な利用者とする近在の店で焼き芋を求めた。安納芋…非常に甘い!!これが好い!!知覧へ発つ前に、コンビニの握り飯―バスで飲む飲物を求めようとすると、“枕崎かつお”と在るのが眼に留まったのだ…―を一つ頂いただけだったので、思わぬ御馳走となった…

“武家屋敷”は…「雨の風情」という感も在ったのだが、「風雨に抗いながら歩き回った」という感も強かった…近隣の“窓口”となっている店等で拝観料を支払うシステムになっていて、“エリア”に案内表示も整備されていて、それを辿って見学する…

見学場所となっている邸宅の他、一般の住宅も多いが、景観を保護することになっている地区で、ハッキリ言って「一般の住宅」ということが判り難い程だ…なかなか見事に「藩政時代の麓」の雰囲気が伝わる…とりあえず“邸宅”としているが、そういう表現を耳にした際に思い浮かべるような豪壮で大きなモノでもない。多分、家族や使用人等、6人とか8人が住んだり出入りしたりというような規模の建物だ…それらに、各々の家で趣向を凝らした庭園が設けられている。限られた庭園スペースが見栄えのするものとなるように工夫されていて、それが受継がれている。

武家屋敷の庭園の趣き…これを踏まえて「薩摩の小京都」という呼び方も在るのだが…“京都”というのとも些か異なる…庭園は、京都等で見受けられる、所謂“日本庭園”とは趣が異なる。植物に明るくはないが、それでも気付く程度に種類がやや異なっていて、何となく「薩摩辺りでポピュラーだった、独特な庭木のアレンジ」というようなものも感じられる…

最後に見学した庭園だが、“窓口”となっている店―“知覧茶”を販売しているようだ…―は入口の辺りに在って、私はそこの方に反対側の入口辺りで拝観料を支払った旨を告げて“入場証”になっているパンフレット―雨に濡れるのでバッグに入れて在った…―を示した。それが切っ掛けで多少話した…

庭の入口に柑橘類の樹が在った。橙色の実が成っていた…私は“窓口”の方に、「柑橘類の実が成っている場面とは縁が薄い北海道からやって来た」旨を話し、何の樹なのかを尋ねた。それは“桜島小みかん”の樹だという…「世界一小さな甘いミカン」という触れ込みの、桜島が起こりらしい、鹿児島県に独特なミカンだ…「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」というお話しが記憶に残った…

「風雨に抗いながら歩き回った」という感で、やや消耗したことから、鹿児島へ引揚げることにした…引揚げる際…途中の谷山で下車して、鹿児島の路面電車の未乗区間である谷山・郡元間を利用してみた…

鹿児島中央駅にやって来て…駅ビルの地下に在る食品スーパーに入った…「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」が気になったのだ…「在った!!」と最初に視付けたのは、贈答用に綺麗に箱詰めされた高価なモノだったが…直ぐに、小さな袋に入った、一般に食べるモノが在った。それを求めた…

「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」は本当だったが…宿に引揚げてミカンを試食する前に…「煙草と珈琲で生きていける訳ではない…」と思い至った…昨日の夜以来、握り飯1つに焼き芋1つしか頂いていなかった…眼に留まったラーメン店―鹿児島の老舗の支店―に立寄った…

“桜島小みかん”…「一種のミニチュアか?!」と思えるような、小粒なミカンだが…皮を剥くと、多少の果汁が手に着く位にジューシーで、「ミカンらしい!!」と思える「酸味を帯びた甘味」、「甘味を帯びた酸味」が強く感じられた。秀逸だ!!結局…明日まで残らなかった…

鹿児島の風雨は収まらず…何となくのんびりし、結局「名残を惜しむ…」と“屋台村”である…

今回…知覧に尽きてしまったが…知覧は中世から近世の歴史を伝えると同時に、戦時の重い想い出を抱えていて、「鹿児島の歴史」が、更に「日本史の一面」が“凝縮”されているような感が在った。「鹿児島の歴史」が、更に「日本史の一面」が“凝縮”されているような知覧…ここへ寄るために、長崎から長時間の移動―移動もなかなかに愉しいのだが…―をして鹿児島へやって来た甲斐があったというものだ!!

とにかくも知覧の思い出の概要を綴っておきたかったので、休む前にやや時間を設けた…

>>12月17日の画…(後刻、また後日に画は追加の予定)

明朝は…早くから動こうと思う…

>>ほぼリアルタイムな動きはこちらに…

鹿児島の路面電車:1016(2013.12.16)

昨日は鹿児島に着いたのだが…

↓食事をしようと、鹿児島中央駅前を歩いていると、これを視掛けた…
Tramcars at Kagoshima on DEC 16, 2013 (1).jpg
↑鹿児島で活躍する路面電車!!

多少、雨が滴る中だったが、暫し眺めてしまった…この1000型…鹿児島の超低床車輌の一つだ…

鹿児島中央駅徒歩圏内に陣取ったので、昨日は路面電車に乗車する機会は設けられなかったが…

↓眺めていると嬉しくなる!!
Tramcars at Kagoshima on DEC 16, 2013 (2).jpg

この型…「鹿児島の路面電車」と聞くと思い浮かべるモノの一つなのだが、昨日は“歓迎”の意で姿を見せてくれたのかもしれない…

今日は一日券も用意してあるので、路面電車に乗車する!!

運行日誌(2013.12.16)

未だ夜明けが遠そうな雰囲気の長崎を発ち、日が沈む辺りの鹿児島へ…一日の大半を移動に費やした…辿り着いた鹿児島は、何時の間にか雨模様で、3月にここ鹿児島で求めて以来愛用している折畳傘が少しだけ活躍した…

ここへ至るまでを簡単―と言いながら文字数が嵩む…―に振り返る…

今回は「旅名人の九州満喫きっぷ」なるものを利用した…“青春18きっぷ”の要領で利用する「有効期間内に3回(日)」利用可能な代物で、九州の中で“鉄道”と名が付くモノは「尽く!!」と言って差し支えない程に使用可能だ…JRの特急は“青春18きっぷ”と同様で、乗車券から全て用意しなければならないが…

↓未だ知名度が高いモノでもないと思われるので…詳しくはこちらに…
>>JR九州/旅名人の九州満喫きっぷ

これを利用すれば、“青春18きっぷ”では訪ね難い場所も含めて列車で訪れることが出来る。正しく「九州満喫」という性質を持っている…

これの存在を知り、「一寸試してみようか…」と思った…同時に、所謂「3セク化」が行われた路線の沿線に「面白そう?!」という場所が在ることに気付いた時、これの存在を偶々知ったという面が在る…

この“九州満喫きっぷ”はJR九州の主な駅で扱っているようだ…今般は長崎駅で求めた。窓口係の女性に「“青春18きっぷ”の要領で使用?各私鉄や3セクも可?長崎駅前を走っている路面電車まで可?」と確認して求めた次第である…

とりあえず、早朝の列車で諫早を目指した。夜中のようなくらい中で長崎駅に着けば、改札開始前で、改札開始は札幌駅のように「只今より改札を開始します」とアナウンスが在るでもなく、静かに始まった…

最初は佐世保行のディーゼルカーが出発し、続いて博多を目指す<かもめ>が発ち、やがて私が利用した列車が出る…

諫早では島原鉄道の列車を利用した。

↓島原鉄道のウェブサイト…
>>島原鉄道株式会社 ホームページ

黄色のディーゼルカーだった…通勤や通学と見受けられる利用者が存外に多く、2輌運行だった。沿線は無人駅が多く、車掌は色々と役目をこなさなければならないようで、何やらホームを小走りに動いていた様子が記憶に残る…

島原半島は風光明媚で、諫早から島原へ進むと、「進行方向の右手に山、左手に海」という按配に見える…次第に空が明るくなる中で見るそうした景色…忘れ難い…沿線に実を着けた柑橘類の樹が散見し、温暖な様子―「寒い」を話題にしていた方も多かったが…―を伺わせる状況ながら、遠くに望む山々の頂には若干の雪が見えた…

島原駅に着いてみる…城の中の建築物を想起させる立派な建物だった…駅員さんに「10時15分のフェリーを利用するが?」と間に合う列車を相談し、結果として小一時間で在ったが、島原の領主の家中に在った武士達が住んでいた辺りの雰囲気をよく伝える“武家屋敷”を視た…

島原には城が在り、再現された天守閣が建っている…城の用地が学校や役所に利用された経過が在る地方は多いようだが、島原でもそうした事例が在ったようだ。城が見える辺りに各種の学校が在った…その一つの高校では、教員が腕章をして交通安全指導というようなことで、路上に立っていた…校門の前では、生徒会の役員か、何かの当番か元気に「おはようございます!」とやっている光景も見受けられた…私も声を掛けられてしまったので、「おはようございます!」と返した…

やがて…決めた時間に島原外港駅に向かう列車に乗った。南島原駅で2輌だった列車を切り離して1輌とし、ワンマン運行に切り替わった。島原外港で折り返しの諫早行になっていた…

島原外港駅から3分か5分歩くと、フェリーターミナルが在る…

↓利用したのはこの熊本へ向かう高速フェリーだ…
>>熊本フェリー|長崎(島原・雲仙)と熊本を最短時間で結ぶ高速カーフェリー『オーシャンアロー』

このフェリーは“九州満喫きっぷ”では利用出来ない。が…800円である…近く値上げするが、それでも1,000円だ…熊本に着いてから熊本駅へ向かうバスも在るが、バス券とセットで1,100円というモノが在り、これを利用した…(これも近く値上げするようだが…)

一般的なフェリーは15ノット程度で運航するが、<オーシャンアロー>は30ノットだ…島原・熊本間は30分強だ…存外に賑わっていた…

島原半島の山が見る見る遠ざかり、熊本沿岸で養殖漁業を営んでいるような様子が見え、何時の間にか船を回して港に入った…

実は、昨日までに思い描いたのは、熊本駅へ向かうまでだった…以降は模様見としていた…熊本駅へ向かうバス―25分程度走る…―の中、時刻表を紐解いた…気付いた!!肥薩おれんじ鉄道で川内に行ける…丁度好い列車が…川内へ行けば鹿児島が近い…

↓肥薩おれんじ鉄道のウェブサイト…
>>熊本県八代と鹿児島県川内を結ぶ第三セクター鉄道、肥薩おれんじ鉄道

熊本から八代へJRで移動し、肥薩おれんじ鉄道の列車に…乗車前に球磨焼酎を求めた…不知火海に東シナ海と、美しい海岸を行く路線だが、天候が下り坂で、やや残念ではあった…川内に至ると、直ぐに鹿児島中央へ向かう列車が待機している…

八代・川内間と川内・鹿児島中央間…余りに違う…

八代・川内間は4人掛けボックスを一人で占有し続け、「酒を頂いて居眠りして…」という按配で進み、指折り数えられる程しか乗降の出入りが無かった…

川内・鹿児島中央間…これは県内最大の人口を擁する鹿児島市の“圏内”なのだろう…通学客が多い時間帯だったことも在るが…途中から酷い混み方だった…そして鹿児島中央駅に着いてみれば、折り返しの川内行にも多数の乗客が押し寄せていた…

こうして…鉄路、海路、陸路、鉄路で長崎から鹿児島まで、九州を朝から夕方までで縦断してしまった…こういうやり方での旅…新幹線や航空機では「感じ難い」かもしれないような様々なことを感じられる経験である…

鹿児島では…宿に一旦入ってから…多少親しんでいる“屋台村”に出掛けて、遅くならない間に引揚げた…とにかくも…連日のように中身が濃い…

長崎夕景(稲佐山からの眺望)(2013.12.15)

膨大な量の写真を撮ってしまい、若干の動画まで撮っていた12月15日…動画が面白いので整理をしていて、どの道“後日”ということになる写真の整理は、順番が後に廻ってしまっている…

それでも…「これだけは!」を整理した…「稲佐山からの眺望」である…

複雑な地形に建物を色々と建てている長崎は、灯りが入った夜の風情が佳い…天候が好かった一日なのだから、その眺望を愉しまない手は無い!!

この時季…稲佐山の上の展望台が「寒い」ことは承知している…M65のポケットにニット帽と手袋は入っている…確りこれは使った…“寒冷地仕様”を自認する私は、九州上陸後はこのニット帽や手袋は使っていなかったが、ここは“例外”だ…

稲佐山については、ロープウェイで上り下りだ…乗場は心得ている…今日は好天の日曜日…人出もなかなかだった…

↓日没を迎える辺り…
Mt. Inasa-Yama, Nagasaki on evening, DEC 15, 2013 (2).jpg
↑低い空が薄い雲に包まれたような感…やや空の色が濁っている…未だ灯りは目立たない…

↓日没後…灯りが目立ち始める…
Mt. Inasa-Yama, Nagasaki on evening, DEC 15, 2013 (5).jpg
↑“蒼い”感じの中で灯りが眩しい…

↓“ナイトブルー”が長崎を覆い、暗い感じになる…
Mt. Inasa-Yama, Nagasaki on evening, DEC 15, 2013 (9).jpg
↑沿岸部から坂の上まで、灯が入る…

灯りの数…「人生の数」と言う人も在る…“人生”と言う程に重みは無くとも、灯りは人の営みの証である…

灯りが、宝石を散らしたようになる辺りで、寒さがややキツくなり、下山した…

下山するロープウェイに乗ろうとした際である…係員が唐突に「チケット・プリーズ!」と言い出した…思わず「イエス!」と応じてチケットを見せた…一歩近付いた際、係員に「外国人に見えました?」と問えば、今日は外国の個人や団体が多かったのだという…実際、展望台で「日本語以外」もかなり色々と聞いた…

下山すると…何処かのグループの添乗員と思しき男性が、手で方向を示してグループを出口へ誘導していた。何処の人かと思えば…グループの誰かが、何処の言葉か判らない言葉で声を掛けて居た…アジア系の外国人だった…私が出口への通路に差し掛かった時、彼は手で出口を示したままだったので、私は「サンキュー」と言ってみた…彼は笑っていた…

何やら「外国人に紛れる」という顛末も在ったが…稲佐山で長崎の夕景を愉しむことが叶って善かった!!

↓因みに、昨年の様子はこちら…
>>長崎夕景(稲佐山からの眺望)(2012.12.19)

運行日誌(2013.12.15)

“平和町店”となっていたコンビニで<Peace>(平和)を求めた…その<Peace>を蒸かしながら、撮った画を視て、動画が面白かったので編集して公開した。存外に時間を要してしまった…

↓こういう具合に纏まった…
>>ビデオ 長崎の路面電車―5系統の367(2013.12.15)
↑詳細は上記記事に綴ったが、これを御覧頂くと「路面電車で巡る長崎」を“追体験”して頂けると思う…

今日は上記記事にも在るような具合で、“一日券”(宿のフロントで売っている…電車車内で求められないので注意が必要!!)を求め、途中に休憩も在ったが、朝から夜まで動き回った…こんなに動き回ったのは何時以来になるか?

その位に動いた割には気持ちが昂揚していて、何やら上記記事に在る動画編集のようなことに夢中になってしまう…

今般“鎮西入”に際しては、「長崎には、行程の何処かの時点で寄りたい」と考えていた…

フィクション、ノンフィクションで“長崎”に関するモノを色々と読んだ。昨年、初めて立寄って興味が強まったことによるのだが…

↓長崎を巡る話題…このシリーズが好い!!
>>ブック/長崎新聞新書
↑私が読んだモノの話題を上記に纏めてある…

長崎新聞の出版部門が手掛けるシリーズで、長崎の歴史に関係する話題が判り易く読める。このシリーズで読んだ“大北電信”―ロシア経由の電信網を整備し、日欧間の電信を手掛けたデンマークの会社―が仕事をしていた辺りを示す、小さく慎ましい記念碑―周囲に大勢の人が居る場所だが、眼に留めて感心していたのは私だけだった…―を視て嬉しかった…

↓こちらはフィクションだが、愉しい“時代モノ”である…
>>ブック/長崎奉行所 伊立重蔵
↑物語の舞台は長崎である…

長崎奉行には旗本が選任されていたのだが、旗本は家臣団を抱えていて、旗本が何かの役に就くと関係の仕事を行う。そうした関係の仕事を行う立場の主人公が、長崎にやって来て、長崎の事情故に色々と在る事件を巡って活躍する…

長崎を歩きながら、このシリーズのことを色々と思い出していたが…秀逸なのは作中に登場する長崎奉行所の一部が、長崎歴史文化博物館に再現されていることである。

こうした、読書を通じて溢れるようになったイメージを抱えながら、「路面電車と徒歩」で長崎を巡った訳である…結局、昨年気に入った場所と、「積み残し」のようになった場所とを織り交ぜて訪ねた…

朝から眼鏡橋を眺めに行き、諏訪神社に寄り、長崎歴史文化博物館に向かった。そこから孔子廟へ…大浦天主堂近くを歩き、中華街や出島辺りを経て浦上天主堂を眺めた。やがて唯一の「路面電車と徒歩“以外”」となるロープウェイで稲佐山を訪ねて、長崎の夕景を愉しんだ…

今日は終始天候に恵まれた。風がやや冷たく、酷く寒そうにしている方や、寒さを話題にしている方も見受けられたが、「興味尽きない、豊かな歴史を誇る街」を動き回るには好い按配だった…夥しい写真を撮ってしまったが…追って整理し、順次公開したい…

明早朝には長崎を離れるつもりだ…

ビデオ 長崎の路面電車―5系統の367(2013.12.15)

朝から夜まで、精力的に長崎を動き回った…明朝が早いので、宿でゆっくりしようとしていたが、撮った画を一寸視たい…

そうして一寸だけ視ていたが…S95の動画機能を駆使して撮影したモノが非常に面白かった…

↓“5系統”の電車で、長崎市内を動いている気分になれる画だ!!全体で約9分である…

↑長崎で頻繁に視掛ける、年季が入った感じの車輌の中から、乗務員の居ない後方の展望を撮ったモノが中心だ…“西浜町”から“石橋”までの区間だ…

走行音と揺れの中、街中の軌道に沿って景色が流れ、反対側へ進む電車の姿が次々と現れる…“大浦海岸通”の後、“大浦天主堂下”から終点の“石橋”までは単線区間になる…“石橋”で下車後、反対方向に去って行く電車を見送った…

車内の音声も好い…長崎の路面電車…ワンマン運行だが、運転士がよく喋る…車内に聞こえるのみならず、車外に並んでいる乗客に向かって喋る場面も在る…録音の案内アナウンスや広告放送も多い…一部の停留所では、日本語の他に英語のアナウンスの録音も入っている…外国人旅行客が多い―私自身も夕刻にロープウェイで係員に外国人だと思われた…―長崎らしい…運賃の案内では「大人120円、子どもさんは60円」と“子ども”に“さん”が着く…

367という電車…“361”から“367”が在るという「360型」である…「昭和36年に導入」に因んで“361”から“367”という番号を与え、「360型」と呼ぶことになった車輌だ…「昭和36年に導入」と言えば…1961年で、既に「50年以上」である。何となく、このような車輌に乗車すると、昔のドラマや映画の劇中人物にでもなったような気分になる…とは言え…長崎の路面電車にもICカード乗車券が導入されていて、乗降口で「ピポッ」と音がしてカードを備え付けられた機器にタッチしている光景が見受けられる。また「今日の乗物」であることを実感するのは、車中で“スマホ”を弄ぶ人が目に付くということであろうか…

こうした画…後方の窓が見える場所で、邪魔にならない辺りに陣取らなければならないが、運好く陣取っても車種によっては撮り悪い場合も在る。今般は「なかなかの幸運に恵まれた」と言えると思う。この車輌は“中扉”なので、後方の「運転士横の扉」の逆側は座席が在って、そこに陣取ると後方がよく見える訳である…

ビデオ冒頭に367の静止画を使っているが…これは…“石橋”で下車後に孔子廟を見学し、大浦天主堂近くまで歩き、「カステラソフト」なるアイスクリーム―ミルクセーキか何かのような味…美味い!!―を頂き、本で読んだ“大北電信”―ロシアを経由する電信網を整備し、長崎に拠点を設け、日欧間の電信を手掛けたデンマークの会社…―が仕事をしていた辺りという小さく慎ましい記念碑を見るなどして、“大浦天主堂下”停留所に近寄ると367が折り返して来ていて、眼前で信号停車したのであった…

長崎の路面電車を知っている方も知らない方も、乗車したことが在る方も無い方も、このビデオで“気分”を愉しんで頂ければ幸甚である…

長崎の路面電車:5001(2013.12.14)

長崎駅前に出てみると、巨大な歩道橋に少し驚く。歩道橋上の一部が小さな広場のようになっている箇所さえ在る…

歩道橋から、断続的に纏まった人数の人達が駅側へ進んで来るのに気付き、「何が在る?」と人が来た方向を見る…歩道橋の下に路面電車の停留所が設けられていて、歩道橋が跨線橋のような機能を果たしている…

↓随分な頻度で、各運行系統の電車が現れ、乗降が在って、信号待ちが在って、電車は各方面へ進んで行く…
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↑丁度車の流れが少し途切れた瞬間の画だが、長崎駅前は交通量がなかなかに多い。大きな歩道橋が設けられているのも頷ける…

実は全く初めて長崎に着いた昨年、歩道橋の駅と逆側に在るバスターミナルに至ったのだった…あの時は歩道橋に上がって、早速に路面電車を視て、「“路面電車の街”が歓迎してくれている!!」等と思ったものだった…

↓乗降と信号待ちで少し長めに停まっていた電車…
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↑最新の5001型の1輌だ!!

5001型…最近各地で導入されている“超低床”の車輌だ…長崎は水害のような天災や、原爆をも含む戦災という困難が在った街であるが、街の歴史と共に在って、毎日人々を運ぶ路面電車が活躍し続けている街である。“超低床”で、益々路面電車が利用され、親しまれることを目指している訳だ…

眺めていると、ドライバー各氏も心得ていて、路面電車の軌道に強引に入って来るように見える車輌は稀である…そんな様子に“路面電車の街”というものを感じる…

実は…少し長く、路面電車と付き合っていない…路面電車が行き交う街で、路面電車を利用してゆっくり過ごしたのは…3月の鹿児島に遡らなければならないかもしれない…長崎に着いて、路面電車を眺めているだけで気持ちが昂揚した…

この日は「僥倖!!」と思える「<ななつ星>との遭遇」も経験し、ゴチャゴチャしたのを解消して“鎮西入”も成り、走り回りたいような気分ではあったが…「宿に着いて…そのままゆっくりしようか…」と“身体”は求める状態だったことから、無理はせずに暫し路面電車を眺めていたのだった…

長崎滞在…決して長くはないが、それでも滞在中はこの路面電車に御世話になる…

長崎駅:行き止まり式ホーム(2013.12.14)

長崎駅に列車で到着し、改札口へ進む…

↓振り返ると、こういう具合に見える…
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↑行き止まり式ホームに列車が到着し、ここからまた列車は出発する…

下車して振り返った時もこういう感じだが、長崎駅へやって来て乗車する場合もこういう感じに列車が見える…

偶々気付いたのだが…

↓線路が行き止まりになっている辺りに注目…
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↑大きく“長崎駅”と書かれている…

これに、昨日気付いた…「だから?」という話しに過ぎないが…

出発した稚内駅も行き止まり式ホームの駅だ…途中、札幌・福岡は空路だが、到着した駅も行き止まり式ホームということで、何となく嬉しかった…

長崎駅:<ななつ星>(2013.12.14)

博多から特急<かもめ>に乗車し、「お楽しみ」な車内販売の珈琲を頂きながら、とりあえず長崎へ…

「着いた…」と長崎駅に下車してみると、不思議な列車が別なホームに…

↓これは!!かの<ななつ星>だ!!
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↑土曜日と日曜日は「1泊2日」の“クルーズ”で長崎辺りにやって来る…

「着いた…」という瞬間に「一瞥でも出来れば素敵だ…」と思っていた列車に出くわした!!僥倖だ!!

運行日誌(2013.12.14)

余りにも多くのことが詰まっていたような気がする一日だった…

長崎へ向かう途中の諫早の手前辺りで暗くなり、窓に映る自身の顔は…「昨日から半ば寝ないで動き回り、やや消耗している感が否定出来ない」という状態だった…気持ちが昂揚しても身体が気持ちに追い付かない…長崎駅からやや歩く―路面電車なら長崎駅前、五島町、大波止と2停留所分―が、昨年も利用した宿に入り、とりあえずゆっくりしている。

昨年から今年で、辺りは然程変わっていない…昨年利用した、宿の近隣のコンビニも健在…折角長崎に居るので、長崎県の酒が欲しかったのだが、四合壜しか無いので、やや無念ながら大分県の“いいちこ”を求めた…芋焼酎は…滞在中に鹿児島に到達の目論みも在るので、その時に…

↓とりあえず現時点では、長崎到着後に撮った画を整理してみた…
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↑写真は後刻、後日増えるが…とりあえず12月14日の画である…

写真の整理には時間も要するので、それは後回しにして、12月14日の顛末を…

12月13日は、何か“最終行程”に半ば足が掛かったような、岩見沢辺りから予定が狂っていた…結局、大阪のつもりが、札幌の“指定休憩所”で夜を明かした…

早朝…路面が凍る札幌都心を歩いた…新千歳空港へ向かうバスの出る停留所へ至ってみれば…運休を伝える札が…始発のバスがそこに登場し、運休は昨日の夕方から夜の話しだったことが判明した…

「航空会社による欠航」ということで、航空券の利用をキャンセルする羽目になった場合…始末は「代理店マター」である…バスで好天の新千歳空港に至り、航空会社の係員との話しで確認した…

他方で…今回の旅のために新たな航空券を用意する…何か「従前からの航空会社」と「最近のLCC」との“中間”のようなイメージを抱かせてくれる<スカイマーク>という会社が在る…午前中に新千歳空港を出て、昼に福岡空港に着くという便を運航している。空席が在った…料金も…納得!!それを求めた…

新千歳空港では…「時間を潰すならあそこ…」と聞いていた“温泉”を利用した…

空港ターミナルビル内のフードコートで朝食を摂りながらゆっくりしていて、福岡に着いてからの段取りをしようとも思ったが…素晴らしい好天で、特段に問題は無さそうでも、無事に着いてみないことには、段取りをする気が起きなかった…

飛行機は…実に順調に福岡空港に向かった…“第3ターミナル”という場所に着いた…

福岡空港に着いて一息入れながら、頭の中を占めていた「航空券の利用をキャンセルする羽目になった場合の始末」を…「代理店マター」なので、問い合わせ電話を確認して連絡…アッサリ解決!!

安堵感を胸に、地下鉄で博多駅を目指す…昨年、福岡空港を利用した際、友人の車で移動―博多駅で落ち合い、昼食を摂るなど道草して空港へ…―したが「近さ」に驚いていた。地下鉄の場合、更に驚く…“スイカ”や“パスモ”というような「首都圏の交通ICカード」が利用可能で、たったの2駅…5分程度…私が乗車した際、地下鉄博多駅に、空港から着いた列車と空港へ向かう列車がほぼ同時に着いたので、地上へ向かうエスカレーターが混み合った…その混み合ったエスカレーターを上がり、広い構内を歩いては方バスターミナルビルへ行く方が、余程時間が掛かった感じだ…

博多バスターミナルビル…館内の飲食街で昼食をそそくさと摂り、段取り…とりあえず長崎へ向かうことにし、切符と宿をネットカフェで手配した…

博多駅では…「人身事故によるダイヤの乱れ」というのが発生していて、それが収束しつつある場面のようだった…昨日の札幌駅を思えば、どうということもない…

忙しそうな博多駅の様子を眺めていて、やがて乗車予定の列車が…昨年、佐賀・博多間、小倉・博多間で利用し「あれ…好いな…」ということになった885系である。初めて導入された博多・長崎間の「起点から終点」で利用する機会を設けてみたかったのだが、それが叶った!!

そして暗くなっている長崎駅に着いてみると…何やら不思議な列車…記念写真を撮影している人多数…「あれは?!<ななつ星>!!」と停車している場所に走った…親子連れや鉄道ファン達、何かの関係者の皆さんと共に、<ななつ星>が出発する様を眺めた…

<ななつ星>は博多を出発し、火曜日から金曜日の3泊4日で鹿児島方面を巡り、土曜日と日曜日の1泊2日で長崎方面を巡るという、2種類の“クルーズ”をやっている…その「1泊2日行程」の一部に運好く出くわした。「XX県の○○ホテル館内」とでも言われれば信じる他無いような、豪勢な内装の客車…客車に合わせて、美しい外装をした機関車…走る姿が好かった!!実は「九州で“一瞥”でも出来たら、素敵だ…」と思っていたが、それが早くも実現した!!

朝、凍った歩道を踏んでいた靴底で、普通のアスファルトを踏む…地元の人は寒そう―長崎駅の改札で視掛けた若い女性…震えていた…―にしているが、私にとっては「好適!!」な気温按配だ…

初日にゴチャゴチャしたが…第2日は悪くない…気持ちの昂揚に身体が追い付かないという按配だ…“得意技”の一つでもある、「早寝早起き」を実践したい…明日の長崎…晴天の予報!!

旭川駅:キハ40系汽動車(2013.12.13)

↓名寄・旭川間で乗車した車輌だ…
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↑後尾は跳ね上げた雪で不思議な状態になるのが、冬の北海道の列車である…

キハ40系は、内装や外装が“地域”に合わせて異なっているものの、国鉄時代の生産数が多い車輌だけに、各地でその姿を視ることが叶う…

が…こういう様子は、非常に「北海道らしい」感じがする…

このタイプは、専ら名寄以南で活躍していたが、今年になって車輌の問題で特急列車の運休措置が発生し、稚内にやって来る「代替の快速」にこのタイプが見受けられるようになった…

旭川駅:711系電車(2013.12.13)

典型的な“後知恵”なのだが…

↓札幌から先に進めないのなら、これに乗っておけば善かったかもしれない…
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↑旭川から岩見沢へ向かう列車…711系電車である…

711系電車…もう直ぐ引退するのだが…北海道の国鉄(当時)で最初に導入された“電車”である…

既に日が落ちるような…或いは落ちた辺りの時間帯の暗さが、駅構内との対比では明るく見える…強力なライトを灯し、雪が降る中、雪景色に映える赤い車輌が多くの乗客を乗せている…

札幌:「厚切り炙り焼豚麺(味噌)」(2013.12.13)

空腹というものは…それに気付いた時点から急速に勢いが付いて、何か刻々と切実になってくる…

旭川から移動中、岩見沢の手前で空腹に思い至り、急速に頭の中に「如何にして空腹を満たすのか?」という課題が拡がるのが自覚出来た…

列車が86分遅れて札幌に到着した時、岩見沢辺りで考えていた「空港で何か…」という考えは粉砕されていた…空港へ向かうこと自体を諦めた…「とりあえず食事…」ということにした…

↓そして頂いたのがこれ!!雪が降る中を歩き始め…「熱い汁」の在るラーメンを思い浮かべた…
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↑私の普段の志向としては、ラーメンはやや珍しい…

「札幌の流儀のラーメン」…「味噌、塩、醤油」というような、数種類の味のスープが在るのが、「半ば当然」である…

このラーメンは、やや手が込んだ焼豚が確り乗っているのが“売り”だが、それでも「味噌、塩、醤油」が用意されている…

雪の中、路面も凍るような状況で歩いて、何気なく寄ったラーメン店で頂くとすれば…こってりとした感じの“味噌”が好い…

「札幌の流儀」の、黄色く縮れた麺がこってりしたスープによく絡み付き、札幌では定番中の定番な具材である“もやし”とも愛称が良い…この“味噌”には…「一味唐辛子を振らなければならない!!」のである…他地域では“札幌”を謳って味噌ラーメンを出していながら、一味唐辛子が不在な店も見受けられる…昔はそういうことに憤激し、爾来ラーメンは若干遠ざけるようになってしまっていたが…

この「厚切り炙り焼豚麺(味噌)」…“売り”の焼豚が秀逸である…

特段に“大盛”というようなことはしていないが…確りと空腹が満たされ、「熱い汁」で温まった…結局、私は「札幌の流儀のラーメン」が好い…

運行日誌(2013.12.13)

何時の間にか日付が変わってしまっている…先程まで気付かなかった…

思惑では、今頃は大阪辺りだった筈だが…未だ札幌に居る…“指定休憩所”と呼ぶ、何箇所かの1つであるのだが、気に入っているネットカフェで夜を明かす訳だ…

このようになってしまった顛末を綴っておかなければなるまい…

↓道中の名寄駅で見掛けたポスターである…
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↑<青春18きっぷ>の宣伝である…

「僕らが降りた終着駅は、誰かの旅の始発駅である」というコピー…秀逸である!!稚内駅を常用していると何時も感じることだ…稚内駅に到着する時は、“終着駅”に着いた達成感に満ちた人々を時々見掛ける…他方で、自分は何時も稚内駅から見慣れぬ鉄路の果てを目指している…自分にとっては“始発駅”なのだ…駅と名の着くモノが幾つ在るのかは知らないが、駅の数だけ、乗客の数だけ“終着駅”も“始発駅”も在って、同じ数程度の“物語”が在る…

この<青春18きっぷ>を手に出発した…音威子府以北は比較的穏やかで、曇天、若干の降雪、晴天という按配で「例年より積雪が少な目だ…」と車窓に驚いた。熊笹の緑や枯草の色が見える箇所が多々在る…

稚内から順調に南下したキハ54を名寄で降りる…名寄から先はキハ40で旭川を目指す…

名寄から旭川を目指す場合、塩狩峠を越える。峠…山の中の鉄路を行くが、雪が多くなっていて驚いた…そして旭川では雪が降っていた…

思惑では…今日は関西に飛び、以降は広島辺りに寄りながら“鎮西入”を果たそうということだった…午後7時40分のフライトに強引に間に合わせるべく、旭川・札幌間は、旭川駅で別途切符を求めて特急を利用することにしていた…

雪の中を785系電車は進み、岩見沢辺りで「視界不良区間で徐行したため、4分程遅れています」ということだった。その程度…許容範囲である…

というように考えながら、札幌から新千歳空港に向かい、夜の大空へ上がって関西空港を目指し、「こんな時間帯に、何故こんなに大勢の乗客が?」と「静か過ぎる街の住人」であることを丸出しにしたような感想を抱きながら天王寺に出て、大阪駅方面へ向かうというようなことを思い描いていた…その時、列車が急停車…やや珍しい“急ブレーキ”使用である…宗谷線で時々見受けられる「鹿が出現…」でも、この時程の“急ブレーキ”は余り無いように思う。

何やら、強風で緊急停止ということになり、風雪の影響を受けた一部ポイントを点検し、関係者が駆け付けて協議の上で列車を動かすというような案内が在った。長く停車していた…やがて最寄の駅にバックしなければならないような案内も在った…

結局列車は岩見沢から札幌へ若干寄った辺りの幌向(ほろむい)のホームに入り、暫し待機の後に、また札幌へ向けて前進…風雪が酷く、徐行した区間が長かったので、快速を誇る785系電車も随分ゆったりと進んだ…

札幌到着直前の案内では…列車は86分遅れだった…停車の事情だが、強風で緊急停止ということになって急停車したが、停車した場所が悪く、最寄駅へ戻さざるを得ないという相談になったようだ…

札幌駅へ着いたが…最早午後7時30分が近く、慌ててどうなるでもない…新千歳空港へ向かう列車の一部に運休の案内も在った…やがて、手稲方面が吹雪いて列車運転を見合わせているような案内も流れた。札幌駅は混乱気味だった…乗って来た列車を降りる際にも、札幌圏で吹雪いたので列車運行が乱れているという案内や、飛行機の欠航も目立っているという話しが在った…

午後7時40分の関西空港へ向かうフライト…無理だ…とりあえず混乱気味の札幌駅の改札辺りに出た…そして…「札幌で仕切り直しだ…」と街へ出た…飛行機の欠航がどうした、こうしたと話し合っている声も若干聞こえた…

少々雪も降る中で歩き始めて…朝の“焼そば”、出発時のコンビニの“握り飯”を頂いただけだったので、酷い空腹を覚えた…何気なく…私としてはやや珍しいが、ラーメン店に入った…

札幌都心部の降雪は何となく落ち着いたが、道路面が凍り付いたようになっていて非常に危なっかしかった…

そうこうしていて、“指定休憩所”に入って…「ここで夜を明かして仕切り直し…」という考えに至った…

最初に…新千歳空港の各フライトの情報を確認…

↓こんなことが判明…
19:40 日本航空 JL2518 関西空港 = 欠航(使用機整備中)

関西空港へ飛ぶ他の便も殆ど無い中…あの札幌駅から強引に空港を目指しても、どうすることも出来なかった訳だ…

↓12月13日の画…
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↑徒然に整理していた…

“鎮西入”は果たしたいのだが…途中行程は全面的に見直しが必要となってしまった…とりあえず、明日―精確には今日…―は朝から空港に行く…

こういう展開…時には在るのかもしれない…自身の旅では、2012年1月末から2月初めに、予定の列車の大幅遅延や運休という例が在ったが…

一杯の珈琲を頂いて…

今朝の稚内は「好天」と言って差し支えない。去年の今頃は酷く雪が降ったような記憶が在るのだが…今朝は晴天で風は弱めである。気温は“氷点下”域に入っているが、強風の日を思えば“体感”としては楽だ…

所用を足した…存外に呆気なく出来るものだが、どうしても今日足したい用事だった…安堵した…

安堵感を胸に稚内駅に寄った。<青春18きっぷ>を求めた。顔馴染みな駅員さんに尋ねてみると、今日は各列車共に平常運行である。10時51分に出る“名寄行”を利用出来る…

帰宅して<キリマンジャロ>を挽いて淹れた…平日に休んで、拙宅で珈琲を淹れて寛ぐ…好いものだ…<キリマンジャロ>は苦味の奥に微妙な酸味が隠れているような、なかなかに好い味わいの珈琲だ…

出発に向けて着替えた…「日中の最高気温がプラス10℃以上」な場所にも到達するので、何を着るか迷うが…

2009年に入手したダークインディゴの“501”を穿いた…新品時の色合いは想像し難いような感じになっていて、今年の1月に札幌で一寸補修もしたという代物だ…2009年以来、“12月”と言えば出番の一本だ…随分と色々な地域の空気に触れている「旅するジーンズ」である…

ロシアで入手のTシャツ…新品のままであったものを引っ張り出して着用した。ロシアではМВД(エム・ヴェー・デー)と称する内務省…その管轄下に在る警察系の機関で、“○○部隊”の隊員を含むスタッフが着用する「蒼系カムフラージュ」の代物だ…

そしてデニムのワークシャツをそのロシアのTシャツの上に…出る時にはM65ジャケットを着よう…履物は赤のコンバースにする…

いよいよ稚内駅へ向かう時間が近付いている…

>>ほぼリアルタイムな動きはこちらに…

丁度、<キリマンジャロ>を飲み干したが、煙草も切れた…

何ら特別ではない朝…

昨日は帰宅後に<ワイルドターキー・レアブリード>を少々ロックで頂き、夕食に出て“糠鰊”を愉しんだ。帰宅後に何時の間にか休み、午前3時台に眼を覚ました。少々煙草を…そしてまた眠った…

こういう流れで、概ね「普段の起き出す時間帯」には起き出した。遠くからカラスの合唱が聞こえるような静かな朝だ。何時ものことだが…

とりあえず…愛用のノートパソコンを持てば、出掛けることは可能という状態になっている…「可能という状態」と言っても、カメラ関係のモノとパソコンと時刻表を入れるようなバッグに、若干の着替えを詰めたというだけの話しだ。加えて、出先で嵩張る感じになったモノを入れたり、バッグを宿泊先などに置いて出る際に利用するトートバッグも詰め込んだが…

「休暇に何となく出掛ける」というような場合、「確り準備をして…」という緊張感めいたモノは無い…

多少の所用を足し、稚内駅で切符を求め、一旦帰宅し…というような按配で駅へ向かうと、丁度好いような時間帯の列車を利用する…

とりあえず…「焼かない“焼そば”」を朝食に頂いた…

“糠鰊”(ぬかにしん)は無さそうな…

気温は若干ながら氷点下側に寄っているかもしれない。が、“鋭利”に感じられるような風が吹き抜けるでもなく、相対的に穏やかな感じがする…日中も多少の雪は降ったが、相変わらず戸外は薄い膜のような積雪が街を覆っている。少しばかり、薄い積雪の一部が凍ったようになっている箇所が見受けられるので、歩く際には注意は必要かもしれない…

思い付いて近所の“W”で糠鰊を夕食に頂いた。鰊を糠に漬けておいて、頂く前に糠を取り除いて焼く…適度に塩辛く、非常に美味い焼魚になる…この「糠○○」…北海道では御馴染かもしれないが…他の地域ではどうなのだろう?これは定食の主菜としても好適―適度に塩辛いのが米飯に合う!!―で、酒の肴としても秀逸な代物である!!

近所の“W”で頂くメニューとして、糠鰊は「気に入っているモノの一つ」ということになり、時々頂くのだが、何か「非常に“地元らしい”」と思えるモノだ。“名物”というように喧伝されているでもなく、「これが美味い」と取り沙汰されるでもなく、「在ります」と言えば「アレだね…好いかもしれない…」と何となく「地元で存外に好まれる」というような代物…凄く素敵である!

実は…明日からはこの糠鰊が「随時頂くことが出来る」という訳でもなくなってしまう…少々出掛けることになった…出掛けることになったのだが、訪ねる先々で、“名物”というように喧伝されているでもなく、「これが美味い」と取り沙汰されるでもなく、「在ります」と言えば「アレだね…好いかもしれない…」と何となく「地元で存外に好まれる」というような代物…に出逢う機会というものが在るのかもしれない…

そういうことを思うと、出掛ける楽しみが増す面も在るのだが…実は私の場合、珍しい文物や景色や、慣れない乗物やら何かで読んだモノの本物に出くわしたりに夢中になっている間に…「腹は空いたが…いい加減疲れた…」と、「腹に入る任意のモノを詰め込んで休む」という“暴挙”に及ぶことを厭わず、またそれも多々在る…

例えば…糠鰊がポピュラーではない地域であっても、「糠鰊を取り寄せて頂く」ことは難しくない…同様に、他地域でポピュラーなモノを私が稚内で取り寄せて頂くことも難しくはない…他方…珍しい文物や景色や、慣れない乗物やら何かで読んだモノの本物に出くわしたりというのは…他所へ行かなければ出来ないことだ…だからそちらにより夢中になる…

風任せに気侭に過ごす時間…発見も多く、色々と夢中になることが出来るモノに出逢うことが出来る…好きな写真も飽きる程撮ることが叶う…明日からはそんな時間に入る…

冷静に考えれば、余り効率が好い訳でもなく、経済的なようでいて不経済なことも仕出かしてしまっているのだが…そういう全てを“含めて”の「風任せに気侭に過ごす時間」というものなのである…

暫し、随時頂いている糠鰊のようなモノから遠ざかるが…何れ戻って、糠鰊でも頂きながら、「風任せに気侭に過ごす時間」を振り返るのも愉しいことであろう…

『小型全国時刻表 2013.12』

全国の鉄道の時刻表が販売されていることは随分以前から承知はしていた…実際に購入したというのは…確か2009年だった…

あの時は横浜から<青春18きっぷ>を手に西へ進み、姫路駅に至ったのだが、駅で視掛ける列車の行先表示を視て、西へ向かうのか、東へ向かうのか、北へ向かうのか、見慣れない地名ばかりなので戸惑っていた…そこに…何気なく覗いた書店で、“小型全国時刻表”が眼に留まった…以降の行程で大変役に立った!!

そんなことが在ったので…2010年、2011年、2012年と、毎年のように“12月号”を稚内で用意するようになった…12月に旅をする場合に何時もバッグの中にこの“小型全国時刻表”が入っている…

↓2013年のモノを入手した!!
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例えば、「九州新幹線が全線開通」という出来事が在った2011年は、前年と比べて、殊に九州辺りで大きく時刻表が変わったが…そういうことでも無い限り、列車の時刻表は「驚く程に変わる」というケースは少ない…“臨時列車”は色々な事情が在るので、毎年様子が違うのだが…

この“小型全国時刻表”…私の場合、自宅では“地図帳”的な使い方もする…何かで不慣れな地名を聞くと、この時刻表で調べて、「○○県…○○の近く…○○線…○○から訪ねれば、特急で○○分…普通列車は○○分…なるほど!!」という具合に視る訳である…

他所の都府県の皆さんにとって、北海道内の地理は馴染みが無く、解り難いモノだと思うが、長く北海道に住む私にとっても、北海道内の馴染みが薄い地域は判り難いモノで、更に本州以南に関しても判り難いモノが多い…そんな判り難いモノに出くわす場合、時刻表は地図で視る単純な位置ということに留まらず、「聞いたことが在る範囲の地名で、何処に近い」とか、交通手段の情報によって“距離”というようなことも判る。場合によって、列車の運行本数から「人口が少ない地域」とか「大都市圏」というようなことまで判る…

また毎年のように何箇所か訪ねてみるということをしていると…「思い出の○○・△△間」という区間が幾つも出来るというものである。何気なく、それを思い出しながら時刻表を視るのも愉しい…更に「○○から△△への列車…」と何気なく視て、「これは?!多分○年に乗った列車!!未だ活躍している…現在はどんな車輌が使われているのか?」という具合に色々と考えるのも愉しい…

何となくこんなモノを眺めて休日にのんびりしていると…頭の中は方々の「見知らぬ路の果ての見慣れぬ街」へ飛んでしまう…

「12月」を振り返る…

10月16日に用事が在って出掛けた折り、北海道内各地で雪が降ったり、降り積もるという出来事が在った。そのために「今季は積雪が早いのか?」と思っていたのだが、稚内では11月9日から11月11日辺りに少々積雪が見受けられて以降、積雪が見受けられない。北海道内の他地域では、この数日で積雪が目立ち始めている様子だが…どういう訳か稚内は積雪を免れている…

積雪期が始まろうかというような時季には、朝起き出して窓辺を窺ってみることが、何となく癖になる…積雪が見受けられる場合には、窓辺の光の感じが明らかに変わる…今年は、未だそれが…昨年の今頃は、既に「積雪期に入った…」という感が濃厚で在ったのだが…もう直ぐ12月である…明日辺りは、稚内にも積雪が見受けられるであろうか?

例年12月が近付くと…「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、―中略―そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」と、かの『奥の細道』冒頭部辺りの言を思い浮かべる。『奥の細道』の時代には、先住民を除けば極々限られた人が訪ねるばかりであったと思われるような場所に住んでいて、『奥の細道』の言を思い浮かべるというのも妙なことかもしれないが…「何時の頃からか自身の中に膨らむ“旅をしたい”思いが抑え難く、何かに憑りつかれてでもいるかのように落ち着かない」というような気分を現す文章として「これ以上に適切」なモノが思い浮かばない…

時には「気儘な時間が流れるまま」というような何日間かを過ごしたい…然程面倒なことを考えるでもなく「○○に着く…」程度のこと位にだけ意を向けながら列車等の乗物に揺られ、乗換えや少し長い停車の時にはゆったり一服でもして、気が向いた街に降り立って、何やら面白そうなモノでも眺めながら歩いて、目に留めたモノの写真でも撮り、疲れたら休憩場所を確保し、腹が空けば何かを詰め込み…というようなことが好い…

この数年…何となく12月にそうした「気儘な時間が流れるまま」というような何日間を設けるようにしていた…

そんな折りの写真を纏めたリンクを下記に…

↓2008年は、途中で東北各地に道草しながら、列車や船で稚内・会津若松間を往復した…
>>Reise : Tohoku Region (Aizu and other places) in DEC 2008
↑「北方警固から200年」ということで会津若松の皆さんが稚内を訪ねたというようなニュースを聞き、俄かに会津若松に興味を覚えたのだった…

↓2009年は、東京上陸後に広島を目指し、京都、名古屋、横浜に寄って、東京から北海道へ引揚げた…
>>Voyage : DEC 2009 (Hiroshima & Kure, Osaka & Kyoto, Nagoya, Yokohama & Tokyo and other places...)
↑夜遅くの東京上陸後に横浜で夜を明かし、何となく西へ進み続け、永く訪ねてみたかった“原爆ドーム”に立ち寄ることが出来た…

↓2010年は、東京へ飛んでから横浜、静岡で寄り道して名古屋に至り、彦根、京都を経て瀬戸大橋を渡って四国に至ったものの、松山への移動に手間取り、何となく瀬戸内海を再度渡って呉に至り、西へ進み続けて九州上陸を果たした。その後、関西へ引き返してから北海道へ引揚げた…
>>Voyage : DEC 2010 (Yokohama, Nagoya, Hikone, Kyoto, Hiroshima, Shimonoseki, Fukuoka, Okayama, Wakayama, Sakai, Osaka, Asahikawa and other places...) ↑関西到達後、明石大橋を車窓に眺めて四国訪問を思い付き、瀬戸大橋を眺めて、それを渡ったまでは善かった…四国で「昼の事故の影響」とやらで列車ダイヤが乱れて思うように動くことが叶わず、夜遅くに漸く辿り着いた松山で、「四国は…また何時か…」ということにしたのだった…

↓2011年は、稚内・旭川・小樽・札幌・郡山・会津若松・新潟・新大阪・博多・鹿児島中央・枕崎と「鉄道による日本縦断」を達成した。鹿児島から夜行バスで関西へ引き返し、北海道へ引揚げた…
>>Voyage : DEC 2011 (Otaru, Aizu Wakamatsu, Fukuoka, Makurazaki, Kagoshima, Kyoto, Osaka and others)
↑この時は、関西から北海道へ引揚げる航空券のみを押えてあった。何となく「関西方面…」というような想いで居たが…出発が近付く中で、「稚内が鉄道の北の起点・終点なら、枕崎が南の起点・終点」というようなことが話題になっていて、「その南の起点・終点とやらへ…」と“勢い”で向かってしまった…加えて、前年はごく短く「上陸を果たした」ことに終始した九州で時間を過ごしてみたかった…枕崎到着は、稚内出発から第5日目の早朝だった…

↓2011年からはHDR画を多数創るようになっていた…
>>Photomatrix - Trip in DEC 2011

↓2012年は、大阪へ飛んでから熊本に向かい、鹿児島、宮崎、飫肥、大分、長崎、佐賀、博多、小倉、下関、門司港と九州7県と山口県に足跡を記した…写真はHDR画中心になった…
>>Photomatrix - Trip in DEC 2012
↑前年の旅から暫く経ってみると、「枕崎到達に時間を要し、博多に寄って、鹿児島が面白かったという以外、九州の佳さそうな場所を視ていない…視たい!!」という想いが膨らみ始めた。そんな訳で、福岡から北海道へ引揚げる航空券を押えて旅立ったのだった…

↓2012年のブラケット撮影ではなかった画…
>>Voyage : DEC 2012 (Kyushu island and some others)

こうやって「気儘な時間が流れるまま」というような何日間かを過ごした際の写真を視ると…随分と精力的と言うのか、慌しいと言うのか…「とにかく動きたい!」というような感じだ…

実際…出掛けている場面で、「○○か…面白そうだ…」とでも思うと「“次回”は何時になる?否、そもそもそんな機会が無いかもしれない…」というような発想をしているらしい。が、そういうことを重ねた中で、「あそこが殊に好い」と再訪の機会を色々な型で設けている場合も在る…或いは“積み残し”が在ると、「何とか!?」と再訪の機会を設けるようにすることも在ったかもしれない…

こうして過去を振り返るのは…“温故知新”を実践するためである…今2013年もまた、「気儘な時間が流れるまま」というような何日間かを過ごすことに決した!!