ユジノサハリンスク:チェーホフ像(2013.09.09)

街角の“銅像”とか“胸像”というようなものは、辺りを動き回る際の目印になり易い。「あそこの○○さん(の像)の辺りで…」と、動き回る場合の目印にしていることが繰り返されると、妙に“親しみ”を覚える…

稚内の私が動き回る範囲では、残念ながらその種のモノは無い…強いて挙げれば…時々寄るマクドナルドの辺りの駐車場に、記念写真を撮る等の場となっている、ベンチで寛ぐ“ドナルド”が在るが…あそこは“ドナルド”以上に、高々と掲げられた有名なマークが目印になるので、余り彼を気に掛けることも無いが…

「何度も目印にして親しみを覚える」という像が、地元以外で何となく思い浮かぶのだが、ユジノサハリンスクの“チェーホフ像”はその一つだ…

↓“彼”はこんな具合に、外套を引っ掛けて、帽子を手に腰掛けて寛いでいる…
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↑街の美術館と図書館の間の、少し広くなった、日本の用語で言う“都市緑地”のような場所だ…高名な作家であるチェーホフの像が鎮座―文字どおりに坐っている姿だ…―する場には似つかわしいように思う。恐らく、“彼”の背中側に在る図書館にも、彼の著作や、彼に纏わる話題を扱った本や資料が多々収蔵されているのであろうから…

“彼”は何時も、直ぐ手前のバス停で乗降する人々や、所謂“目抜き通り”となるレーニン通を行き交う人々や車輌を見詰めている…

ユジノサハリンスクを訪ねた際に利用機会が多い宿は、画の右側…“彼”の何も持っていない左手の側ということになる。私は何となく、宿を基点に「チェーホフさんの手前」、「チェーホフさんの向こう」という感じで、周辺に在るモノを認識している。これは格好の“目印”なのだ…

チェーホフは、短篇小説等で或る程度知られるようになってきていた1890年、思い立ってサハリンを訪ねている。チェーホフ自身は医学を学んだ“科学者”でも在った訳だが、そうした科学者的姿勢で、当時は“流刑地”でもあったサハリンのレポートを作成した。それが『サハリン島』である。

『サハリン島』の後、チェーホフは<モスクワ藝術座>という素晴らしい表現者集団が現れたこともあって、戯曲作家として有名になっていく。そして晩年―他界した時は44歳…―は<モスクワ藝術座>で活動していた女優、オリガ・クニッペルと結婚している。

そんなチェーホフについてだが、「何度も寄っているサハリンに足跡を残している高名な作家」ということで、かなり旧い話しながら「モスクワでその戯曲による芝居を色々と観た思い出」の故に、私は何となく親しみを持っている。初めてユジノサハリンスクのチェーホフ像を視たのが何時だったか、余りよく覚えていないが…このチェーホフ像に関しては、何時も“目印”とさせて頂いている。視掛けると、「また会いましたね!!」という感じである…

極最近、偶々チェーホフやオリガ・クニッペルの話題を扱った本を、爽快な気分と共に読了した。その本の末尾の方でも、私も知っているユジノサハリンスクのチェーホフ像の話題が一寸だけ出て来るのだが…「そう言えば、青空になった日に撮ったチェーホフ像の画が…」と思い出し、この記事に纏めてみた。

ユジノサハリンスクでは「現在の市の領域で1882年にウラジミロフカ村が起こったこと」を以って「街の起源」としているようだ…実際には…1907年頃から建設された“豊原”の基盤が、1945年、1946年頃から“ソ連化”して“ユジノサハリンスク”となり、地域の行政・経済、更に文化活動の中心になったということで今日の隆盛に繋がっているのだと思えるが…

チェーホフがサハリンを訪ねた1890年頃、“ウラジミロフカ村”は住民が「何十人」という次元の「本当に小さな寒村」だったようだ…写真のチェーホフ像が鎮座する辺り…少し時代が下った“豊原”の頃に会社等が集まる地域になった場所―“彼”の左手側に美術館が在るが、建物は“豊原”時代に日本の金融機関が支社として建築し、使用していた経過が在るモノだ…―で、チェーホフ自身は足を踏み入れていない可能性…否!「森の中」のような場所で、踏み入れられなかったかもしれない…時々、そういう余計なことも考えてみたくなる…

↓チェーホフの目線…何処を見詰めているのだろうか?サハリンは資源開発を契機に、近年は発展著しい…チェーホフが視た寒村の面影など無い…
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そのうち…“彼”とまた出くわすことも在るかもしれない…

ユジノサハリンスク:レストランの箸(2013.09.04)

外国人ゲストと食事に出掛ける。出掛けた店で箸が出て来る。「すみません…フォークか何か…」と頼まれる。よくある光景だ…

外国人ゲストと食事に出掛ける。出掛けた店で箸が出て来る。外国人ゲストは出て来た箸を使って食事をする。「お上手ですね…」と日本人が言う。よくある光景だ…序でに…それ以降、話しが弾まないのもよくある光景かもしれない…

近年は後者の「お上手ですね…」の機会の方が、若干優勢になっているようにも見受けられる。

「箸を使って食事」というのは、着実に方々の、「箸を知らなかった」と見受けられる地域の人達の間にも浸透しているように見受けられる…

↓サハリンの飲食店でこんなモノが出て来た。
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↑袋に「使い方」の図解解説が入った箸だ…

少なくとも…私が1990年代に訪ねた諸外国の中華料理店等で、この種のモノを視掛ける機会は多々在った。

「箸を入れる袋」のような独特な形状のモノに、わざわざ個人的にパソコンとプリンターを駆使して図解解説の「使い方」を刷り込むなど…途轍もなく面倒なことで、専門の印刷業者に頼むべき筋合いの仕事だ…また、わざわざ店名や住所・電話番号のような「特定の場所でしか利用し難い何か」を入れるのでもなければ…“既製品”的に何処かで夥しい量を刷って、単価が下がっているモノを使えば用事は足りる筈だ…

従って、この種のモノについては…「何処かに“既製品”も在って、相当広く出回っている」、更に「驚く程に広く用いられている」と考えるべきなのであろう…

こうしたモノまで広く出回っている中、「お上手ですね…」が多いのは、或いは「当然の帰結」である。

何処の人にも、自国の伝統的慣習のようなものを「(実際以上に)特殊なモノ」と考える傾向を帯びた人が在るかもしれないが…実は知らない所で「特殊でもない」ということになっている事例は存外に多いかもしれない…

ロシアで販売されている珈琲豆<Петр Великий>(ピョートル・ヴェリーキー)(ピョートル大帝)(2013.09.06)

サハリンのスーパーマーケットで珈琲豆が売られているのを視て、入手して自宅に持ち帰ると「意外に好い!!」ということが8月に在ったことから、9月にも珈琲豆を入手していた…既に<モスクワ珈琲店―アラビカ>の方は愉しんでいたが、もう一つ在る…

↓こういう代物だ…
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↑"Петр Великий"(ピョートル・ヴェリーキー)とは、かの「ピョートル大帝」のことである。

何か「如何にもロシアな…」という感じがする命名の商品だ…ピョートル大帝という人物は、彼が玉座に就く以前からの伝統的なモノを西欧諸国の流儀に改めようとするなどしていた人物で、「アンチ“ロシア的なモノ”」なのかもしれないが…現代となっては「誰でも知っている、昔のロシアの皇帝の名」ということになり、そういう意味で「如何にもロシアな…」というように聞こえる名だ…

或いは、ロシアで「欧州諸国に在るような色々な文物」が導入されたり普及した経過を探ると、西欧諸国の流儀を採り入れることに熱心だったというピョートル大帝の時代周辺に遡るというのがよく在るようだ。ロシアでの「珈琲の事始」というような話しは聞いた記憶が薄いが、或いは外国由来の日用品に“ピョートル大帝”というような商標を付けると「文明開化の…」というような雰囲気を帯びるのかもしれない…

ところで、人名である"Петр"(ピョートル)の"Великий"(ヴェリーキー)は「偉大な」という意味である。ここでは、英語で在る“The Great”の意味合いで用いられている。英語で在る“○○The Great”は「○○大王」とか「○○大帝」となるが、それと同じ感覚で用いられている。英語の場合は“The”というモノを用いるが、ロシア語はそういうモノが無い…

この<ピョートル大帝>だが、モスクワに本拠地を構える、1994年創業という会社の製品だ。業界最大手を謳う企業である。

↓販売している会社のウェブサイト(ロシア語)
>>Кофе натуральный в зернах и молотый от Куппо

この<ピョートル大帝>を淹れてみた…これまでに愉しんだ「ロシアで出回っているモノ」の<フレンチロースト>や<モスクワ珈琲店―アラビカ>の流れだ。「ブレンドのミディアムロースト」というようなことなのだが、これまで愉しんだ<フレンチロースト>や<モスクワ珈琲店―アラビカ>よりも、「ややアッサリ」しているように思ったが、好感の持てる適度な苦味が心地好い!!序でに、この<ピョートル大帝>は、上気の会社の“ベストセラー”であるらしい…

「一寸試してみたい…」と遠慮がちにサハリンで珈琲豆を求めてみるのだが…「なかなか好いじゃないか!!」と愉しんでいて、「これ程に好いなら…今度機会が在れば、もう少々多めに仕入れてみようか…」等と思ってしまう。

Эклер "Ванильный"(エクレール"ヴァニーリヌィー")(ヴァニラ・エクレア)(2013.09.09)

ユジノサハリンスク市内で一寸時間が出来るなら、カフェで「ケーキと珈琲」でも愉しむというのが非常に好い…

↓この店…何箇所か視掛けた…チェーン店で“メーリニッツァ”という…
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↑“メーリニッツァ”というのは、昔の粉挽きに用いた風車のことで、その風車が店のマークになっている。

昔の粉挽きに用いた風車をマークにしているこの店…パンやケーキを製造しているメーカーが営んでいる店である…市内のスーパーマーケットのパンを売っているコーナーでもこのマークの袋に入ったパンを視掛けることが在る…

このカフェだが、パンやケーキを買って持ち帰ることも出来るようになっている店で、日本でも視掛けることが在るタイプの店だ…

以前にこの店でチーズケーキを頂いて、それが大変に気に入っていたので、それを探したが見当たらない…

↓「何か他のモノ?」と思って試してみたのがこれだ!!
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↑55ルーブル(※訪問時期前後で1ルーブル=3円強だった…)の“ヴァニラ・エクレア”…ヴァニラクリームが「これでどうだぁ!?」とばかりにたっぷりと入っている…或いは「旧き善きエクレア」という感じがした…

サハリンで頂くことが出来るこの種のモノ…レベルが高いと思う…

ユジノサハリンスク:韓国製のバス(2013.09.07)

サハリンを訪ねて「纏まった人数で行動」という話しになると、「バスをチャーター」というようなことになる。

↓人数が多いと、こういう大型なバスが現れる…
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↑“ЗАКАЗНОЙ”(ザカズノイ)…「チャーター」という黄色の札が出ている…

サハリンは“右側通行”であるが、“左側通行”である日本から輸入された乗用車が目立つ場所だ。そんな場所では在るが、「座席数が多い車輌」に関しては「“右側通行”仕様の車輌でなければ公道を走ってはならない」という規則が在るらしい。

乗用車を利用したタクシーや、何処かの機関等で利用している乗用車型の車輌、友人や知人の愛車というようなモノに乗る場合、“左側通行”である日本から輸入された車輌に出くわす確率が圧倒的に高い。が、10人前後が乗るワンボックスタイプの車輌、20人弱が乗るバス、写真のような30人以上が乗る大型バスのようなモノに関しては「“右側通行”仕様の車輌でなければ公道を走ってはならない」という規則が適用されるため、色々な種類の車輌に出くわすことになる…

「10人前後が乗るワンボックスタイプの車輌」については、ロシア製、欧州諸国製、米国製、欧米メーカーの車種のロシアでのライセンス生産のモノ、日本メーカーの“完全輸出仕様”等、様々なモノに出くわす。20人、30人という次元の人が乗車するバスになると…サハリンでは、韓国メーカーの車輌を視掛ける機会が圧倒的に多いように思える。新車で入っているモノも中古で入っているモノも、色々と混ざっている様子だ…

「バスをチャーター」という場面で様子を見ていると、日本で見受けられるような「地元バス会社の“貸切”部門」というようなモノが活動しているというよりも、“個人タクシー”的に車輌を持った運転手氏が旅行会社等から仕事を請け負ったり、何台かの車輌と何人かの運転手氏から成る小グループ的な会社が仕事を請け負うという状況で運行されている例が多そうだ。バスを利用する際、運転席を見ると、運転手氏のラッキーアイテム的なモノと見受けられる画や写真やグッズがドライバーシート辺りに飾られている例を存外に視掛ける…野球中継のラジオが流れている場合が在る日本のタクシーでもないが、貸切バスではラジオの音楽が何となく流れている場面も存外多い…

慣れない土地を訪ねた場合ならではの、こういう事情もなかなかに興味深いものだ…

コルサコフ港に到着した<アインス宗谷>(2013.09.06)

サハリンの“玄関”でもあるコルサコフ港を擁するコルサコフは、深いアニワ湾の奥に位置し、平坦な海岸部と丘陵が組み合わさった地形の街である。

コルサコフ港は、“大泊港”として1920年代に基本的な整備が行われた箇所と、ソ連時代に整備された箇所とが組み合わさったような港である。実際には港のやや東側なのだが“南埠頭”と呼び習わされている辺りが、1920年代に“大泊港”として整備された箇所に相当し、埠頭には稚内港との間を行き交うフェリー<アインス宗谷>も発着している。

この“南埠頭”の直ぐ後ろが丘陵状の地形で、集合住宅などが並んでいるのだが、海や港が見える展望台的な場所が在る…

↓こういう具合に港が見える…
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↑稚内港からやって来た<アインス宗谷>が到着したところだ…

多くの船が行き交っているのが見えるが、この日は前日に強風等で船の出入りをしないようにした措置が在った影響で、何時もよりも賑わっていた様子だ…

実は<アインス宗谷>の到着は前日の予定であったが、前日の珍しい“欠航”を受けて、朝の間は未だ強いうねりも見受けられたという海峡を越え、定刻よりやや遅れて到着した場面である。「船は来ないか?」と到着の様子を見守っていたのだった…

ユジノサハリンスク:日本から輸出された缶コーヒーと自販機(2013.09.08)

ユジノサハリンスクの商業施設<シティーモール>館内を歩いていて、妙なモノを目に留めた…そして足も停めた…

↓こういうモノだ…
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↑館内3階、飲食店の入口が在る辺りで、御手洗いにも近い場所なので、存外に視掛ける機会は多いかもしれない…

日本国内の商業施設等でこんなモノを視掛けても、然程注意は払わないと思う。余りに当たり前だからだ…しかし、ユジノサハリンスク市内となれば、こういうモノは限られた場所にしか無いので、思わず注目してしまう。日本国内で視掛けるメーカーの名前が自販機には在る…

1ルーブル、2ルーブル、5ルーブル、10ルーブルの各硬貨、10ルーブル、50ルーブル、100ルーブルの各紙幣が利用出来る、飲料の自販機である…その旨が代金を投入する辺りに書かれている…自販機で売られている飲料は80ルーブル程度であった…冷たい飲料―“仮面ライダー”の画が入ったサイダーも!!―も在れば、ホットも在る…

ここにこの自販機が設置されていることには以前から気付いていたが…館内のスーパーマーケットでミネラルウォーターを求めれば、サハリンの企業で製造されているモノ等は20ルーブル前後で求められるので、敢えてこの自販機で80ルーブルの飲料を求めたことは無かった…

が…今般は好奇心に突き動かされた…100ルーブル紙幣を挿入し、ボタンを押した…缶入りの飲料が出て来て「チャリーン」と10ルーブル硬貨2枚の釣銭が出て来た…何となく不思議だ…

↓求めたモノはこれ…何処からどう見ても「日本のモノ」である…
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↑温かいコーヒーだ…ミルクや砂糖が入っている…この銘柄は日本国内で求めた記憶が偶々無いものだが…最近は、缶コーヒーを求める場合は“ブラック”を選ぶことが圧倒的に多いということも在るからかもしれないが…

これは「日本から輸出されたモノ」で間違いないようだ…

↓“輸出品”(ロシア側目線では“輸入品”)であるモノには、こういうシールが貼られる…
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↑非常に細かい文字で読み難いが、製品名、主な内容物、輸入者名等が記載されている…

この缶コーヒーはウラジオストクに本社を構え、モスクワにも営業拠点を有している企業が輸入を手掛けたモノらしく、よく視ると社名の辺りにウラジオストクとモスクワの住所が記載されている…

缶には“スチール”というリサイクルマークが在って、横に「たんぱく質 0.7g 脂質 0.3g…」等と在るが、“輸入者”が貼り付けたシールにも、それと思しき数字が在るようだ…

「日本から輸出=ロシアで輸入」ということは…輸出されるモノがロシアでのモノを巡る規則等に照らして問題が無いことが明らかにされて―所謂「認証(GOST)取得」―いて、輸入者が責任を持って通関手続をしたことが明らかでなければならない。そして、食品の場合は消費者に“中身”が判るように、シールを貼る等して示す必要も在るということだ…殊に“日本語”の場合…ロシアでは日本の文字を、古代エジプトの遺跡から出土するモノに描かれている象形文字を指し示す場合と同じ用語―иероглиф(イェローグリフ)―と呼んでいる程だから「何とかしてくれ!」ということにもなってしまうであろう…

そう言えば…6月にネベリスクから児童生徒の一行が稚内へやって来たのだったが…1人の10歳位の少年が言っていた…「日本は何処にでも自販機が在って好いな…」とである。少年は自販機で求めた飲料を、何やら妙に美味そうに飲んでいたが…ネベリスクのような、サハリンの中の小さな地方都市では、自販機にはお目に掛かる機会が全くと言って良い程に無いのであろう…ネベリスクからユジノサハリンスクは、車やバスで2時間程度は掛かるので、彼も頻繁にユジノサハリンスクに出ているでもないのだろうから…

ユジノサハリンスクでは、缶コーヒーの他にも“シール”が貼られた“輸入品”は存外に多く視掛ける…

ユジノサハリンスクで頂いた“イスケンダル”(2013.09.08)

ユジノサハリンスク最大の商業施設<シティーモール>の館内には、飲食が出来る店が色々と入っているのだが、一寸目を引くのは“フードコート”である。広い館内の3階の、少し広めな一画にテーブルや椅子が並ぶ広場のようになっている場所が在り、広場を囲むように色々な飲食物を供する店が並んでいる。

フードコートに入っている店では、メニューに在る写真等を示して注文して、少し待っていて出て来るモノを受け取り、テーブルに持って行って頂くという塩梅になっている。「持ち帰り」が可能なモノも色々と在る…

ここには、ハンバーガーやピザやドーナツ、果てはラーメン―頂いた方のお話しでは、「何処となくうどんを想起させるものが在る…」ということだが…―や寿司弁当―私の近くに陣取った人が頂いていたのを視掛けた…―のようなものまで色々と在って、なかなかに選択の幅は広い…

このフードコートで昼食を愉しもうとして、眼に留めたのが<ИСТАМБУЛ КАФЕ>(イスタンブール・カフェ)という看板だった…

↓然程詳しい内容は記載されていないが、<シティーモール>のサイトに一応紹介されている。「トルコ料理の店」を謳っている…
>>Истамбул. ТРК Сити Молл г. Южно-Сахалинск
↑トルコに繋がりが在るような、中央アジアやコーカサスの文物がそれなりに入っているロシアなので、この種のモノは意外にウケるのかもしれない…

“イスタンブール”というのに妙に惹かれて、ここのモノを頂いてみることにした…昔流行った「飛んでイスタンブール♪」という歌を思い出した訳でもないが…

偶々…「そう言えば日曜日は『宇宙戦艦ヤマト』が放映される日で…あれもテレビ放映のシリーズは間もなくイスカンダルに辿り着く筈だった…」等と思い出していたのだが…“イスタンブール”で眼に留めたのは…“イスケンダル”という代物だった…早速頼んでみた…

↓これがその“イスケンダル”…肉は牛肉だったように思う…スパイスと塩の味が染みていた…
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↑10分間程度待ったが…タップリの肉が嬉しい!!サワークリームが少々付けられていた…300ルーブルと少し…「千円少々」の感覚…私としては満足度が高かった…

後から知ったが、“イスケンダル”とはトルコや中央アジア方面等でポピュラーな“ケバブ”と呼ばれる焼肉料理の一種で、肉にヨーグルトを添えて、それを点けて頂くようになっているものらしい…若干の酸味が在るヨーグルトが、肉には存外に合うと思う…ユジノサハリンスクで頂いたモノは、寧ろサワークリームのように思えたが…ところで、サハリン辺りではサワークリームのようなものの需要が高いらしく、スーパーマーケットの牛乳やら乳製品を扱っているコーナーでは、その種のモノを色々と視掛けた…

“ケバブ”と呼ばれる「トルコ等の流儀の焼肉」は、「大きな塊の肉をじっくり焼き上げたモノを削り取って…」という“ドネルケバブ”というモノを何度か頂いた―稚内の祭りの出店の列の中でも出くわしたが、やっていた人はきっと各地の祭り等の機会を捉えて営業しているのだと思う…―記憶が在るが…こんなにボリュームたっぷりの「トルコ流焼肉」を頂いたのは初めてだ…なかなかに気に入った!!

余談だが…“イスケンダル”を思い出しながら、「イスカンダル」が出て来る『宇宙戦艦ヤマト』は、知人が録画していたモノを確り見せて頂いた…

<ЗЕМФИРА Лучшее>(“ゼンフィーラ”の2枚組みベストアルバム)(2013.09.06)

サハリンでCDを眺めて、気に入ったモノを入手して愉しむ…私が好きな行動パターンだが…

↓こんなモノを眼に留めた…
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↑「女性アーティスト…誰?」と何となく手にして…

↓裏側!!写真が渋い!!2007年、2008年頃の写真らしい…
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↑2枚組みCDである!!

これはウラル地方のウファ出身の女性アーティスト、ゼンフィーラの作品だ…この2枚組みは“ベスト”ということらしい…

1999年にロシアでメジャーデビューの彼女…自らのファーストネームでもある“ゼンフィーラ”という名を冠したグループで歌っている…2013年までに6枚のアルバムが登場しているが、これは5枚目迄の各作品からの選曲となっている…思わず入手である…

ネット上でも、音や画像は色々と愉しむことが叶うが…「とりあえず一曲」ということで、個人的に気に入っている最初期の作品ということになる<До свидания>(ダ・スヴィダーニャ)を御紹介しておきたい…入手したアルバムにも当然収録されている!!

↓レコード版…

↑「少し懐かしいポップスの香り」である!!

↓ライヴ版…

↑「旧き善きロックバンド」という風情が好い!!

歌のサビの部分で「До свидания. Мой любимый город.」(ダ・スヴィダーニャ モイ・リュビームィー・ゴーラド)と入る…実は、色々な街を訪ねて、そこを去る時点になって、唐突に思い出すことが在るフレーズだ…

これは「若い女性シンガーの普通な言葉」としては「さようなら…大好きな街…」という按配だろうが…方々の街を彷徨い歩く中で思い浮かべるフレーズとしては…「再び見えん…愛すべき街よ…」程度の訳語を宛ててみたくなる…

ゼンフィーラは色々な要素を大胆に取り入れた作品創りを続けている。今や“古典”の、ソ連時代末期のロックのカヴァーさえ交じる…多様な作品が在るので「似たような感じ」が少なく、“ベスト盤”を何となく聴くのが非常に愉しい!!

とりあえず、サハリンで視付けて来た、最近のお気に入りである…

ユジノサハリンスク:<シティーモール>(2013.09.08)

「ユジノサハリンスクを訪ねる」と言えば、フェリーでコルサコフに上陸して北上するか、飛行機でユジノサハリンスク空港に下り立つことになる。コルサコフ港から北上すると、空港側へ通じる道路の辺りを少し過ぎた辺り、空港からであれば市内中心部へ通じる街道のような道路に出て少し経った辺りに、「ようこそ!」と来訪者を迎えるかのように大きな建物が見える…

↓こういう大きな建物だ!!大型商業施設の<シティーモール>である…
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↑確か開業は2009年だったと記憶している。大型商業施設である。建設工事が進んでいた最中から酷く目立ち、コルサコフからユジノサハリンスク市内を目指すバスの車中では、誰かが「あれは何?!」と多少事情に明るそうな人に尋ねている光景が、必ずと言って差し支えない程に見受けられたものだ…

9月8日の朝、開店の1時間程前に現場に着いてみて、何となく撮影した画だ…ここに着くと、とりあえず建物の巨大さに圧倒され、土産話のタネに建物正面の写真を撮ってみることも多いが、こういう具合の「事業構想計画書」にでも在りそうな“施設全景”の画は、意外に少ない…

↓ロシア語のモノだが、とりあえず施設のウェブサイトが在る…
>>ТРК Сити Молл. Покупки и развлечения для всей семьи. Южно-Сахалинск↑「ショッピング・エンターテイメント複合施設 シティーモール:ショッピングとエンターテイメントを全ての御家庭に ユジノサハリンスク」というタイトルが冠せられている…

当然ながら「サハリン最大」の商業施設であり、「極東屈指」とも言い得る<シティーモール>は、サハリンではスッカリ大きな存在感を示しているように見受けられる。

稚内でサハリンから来た方に「○○のモノは在りませんか?」とでも尋ねられたら…「<シティーモール>に在りませんでしたか?」とでも答える…こういうことをしても“冗談”や“ネタ”ではなく、“事実”と思える程に何でも売っている。そして映画館や飲食店等も在る…

この<シティーモール>が在る、「ユジノサハリンスク市南郊」とでも呼べるような辺りは、多少新しい“戸建住宅”が目立つようになってきている。そういう住宅で“庭弄り”、“ガーデニング”を愉しもうとする方が使うような用品に関しては、その品揃えについて「辛うじて稚内市内のホームセンター等に分が在る」と思えるのだが…他は「ユジノサハリンスクの<シティーモール>に分が在る」という感じだ…

私自身、ここに初めて立ち寄ったのは2010年5月だった…永く「理論上存在するが、実際には聞かない表現」と思っていた「お買い上げありがとうございます」という言葉を初めて耳にするという経験を、館内でTシャツを求めた際にしたことを覚えている…色々な意味で“新しいサハリン”を象徴しているような感がする施設だ…

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『ユージノサハリンスク市民と旭川市民の友好関係強化記念碑 1981年7月吉日』(2013.09.09)

“秋晴れ”の趣だったユジノサハリンスク…南北に街を貫くレーニン通を北上し、交差点でサハリンスカヤ通に入り、西寄りから東寄りへ進む…

↓サハリンスカヤ通に在る、有名な石油会社の関連会社が入居している建物の傍に、誰かが足を止めるでもない小さな石碑が…
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↑“縦書き”なので「日本語!?」と思わず足を止めた…

碑には「ユージノサハリンスク市民と旭川市民の友好関係強化記念碑」と在る…

「友好関係強化記念」とはどういう意味なのだろうか?両友好都市関係者が集まった席等で、誰かが「友好関係の益々の強化を御祈念申し上げます」程度のことを言う場面は多々在ろうが…

ユジノサハリンスク市と旭川市の友好都市提携は、「ロシア革命50年」を踏まえた1967年であったと聞く。西暦の下一桁が“7”の年が「○十年」で、“2”の年が「○五年」である筈だ…写真の記念碑が登場した、「1981年」という時期がよく判らない…

多分これは…1979年に旭川市で公園整備をした際に“ユジノサハリンスク広場”を設けたことを受け、“返礼”的に設置したモノ…と推論するが…他方でユジノサハリンスク市内には“旭川”の名を冠した緑地も設けられている…よく判らない…

いずれにしても…ロシア語が一杯―当然かもしれないが…―な街で、不意に眼に留まる日本語は少し面白い…

ユジノサハリンスク:消防士のモザイク画(2013.09.09)

ユジノサハリンスクの街を歩くと、「少し昔風な飾り」が施された建物が散見する。そういうものを何となく眺めることが、存外に興味深い…

↓こういうような具合だ…
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↑存外に手が込んでいるモザイク画だ…

これは「火災現場から乳幼児を救い出す消防隊員」という画だ…ここは消防署の建物で、事務所が入っていると見受けられる他、この画の横辺りに車庫も在って、時々職員が車輌や装備を点検したり洗ったりしている様子も視掛ける…

恐らくは消防隊員の士気を上げる意味で、また危険な任務に邁進する消防隊員への地域住民の敬意と感謝を込める意味で、何時の頃かにこうしたモザイク画を飾ったのであろう…何気なく目立つ画なので見入ってしまうのだが、人命救助や危険な火災を収拾するという役目を担う人達の使命感や矜持というものに“国境”や“社会状況”など無関係なのだ、と感慨のようなものも起こる…

ロシアでは、消防関係の仕事は連邦政府系の機関が担っているようだ。

↓サハリンの各都市で活動する消防隊等を纏める部局のウェブサイトだ…
>>ГУ МЧС России по Сахалинской области
↑URLに在る“65”は自動車のナンバープレートにも見受けられる、サハリン州のエリアコードだ…

この消防関係の仕事をする機関はМЧС(エムチェーエス)と呼び習わされている。公式には「Министерство Российской Федерации по делам гражданской обороны, чрезвычайным ситуациям и ликвидации последствий стихийных бедствий 」(ミニスチェルストヴァ ラッシースカイ フェデラーツィー パ ヂェラム グラジュダンスカイ アバローヌィ、チレズヴィチャイヌィム シツアーツィー イ リクヴィダーツィー ポスリェトスチヴィー スチヒーヌィフ ビェトストヴィー)と言う。「ロシア連邦民間防衛非常事態及び自然災害対応担当省」という程の意味―官公署の呼称等に関しては、この種の煩雑なモノが多い…―で、「非常事態省」が定訳のようになっている。ロシア全土に「○○地方局」が在って、その指揮下で現場の部署が活動しているようで、サハリンには「サハリン州局」が設けられているようだ…

この辺りはユジノサハリンスクに滞在する際に通り掛る頻度が高いのだが、何時も見入ってしまう画だ…

コルサコフ港のナナカマド(2013.09.10)

9月3日から9月10日でサハリンに滞在した。9月4日、9月5日は「曇天基調雨交じり+(殊に5日は)強風」だったが、それ以外は好天に恵まれた…

↓何やら忙しい日々を過ごす羽目で、「漸く稚内に引揚げか…」とコルサコフ港のターミナルに着いた9月10日の朝である…
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↑“КОРСАКОВ”(コルサコフ)の看板の前の木…ナナカマドだ…

ナナカマドは実が綺麗な紅色になっていた…間もなく葉も色付くのであろう…晴れ渡った日中、精力的に歩き回ると汗ばむ状況だが、午前中などは寧ろ爽やかだ…

誰かが一寸巧いことを言っていた…9月5日辺りの好天は「“夏”と“秋”とが入れ替わる直前の、両者の鬩ぎ合いのようなものか?」とである…空には「夏の残滓」のような雲が見受けられる場合さえ在るが…サハリンは既に“秋の空”の趣で、ナナカマドの紅色の実が映える…

<Московская кофейня на паяхъ> (モスクワ珈琲店合資会社)の<АРАБИКА>(アラビカ)(2013.09.06)

ユジノサハリンスク市内最大の商業施設内に在るテナントで、食品や日糧雑貨を扱うスーパーマーケットに立ち寄った際、珈琲豆を眼に留めた…8月に「ロシア企業がロシア国内等に向けて出しているモノ」を視付けて。それがなかなかに気に入っていたので、「機会が在れば今回も入手したい」と思っていたので、正しく「渡りに船」である…

↓こんなものを視付けた!!
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↑レシートを紛失したか棄ててしまったのだが、200ルーブル程度だった…

眼に留まったのは、上の方に在るロゴマークの“Московская кофейня”(モスコーフスカヤ・カフェイニャ)である。“Московская”(モスコーフスカヤ)は「モスクワの」という形容詞である。“кофейня”(カフェイニャ)は「コーヒーハウス」とか「珈琲店」というような意味である。口語的には「喫茶店」、「軽食と飲物の飲食店」というような感じで“кафе”(カフェ)が耳目に触れる場合が圧倒的に多いような気がするのだが、“кофейня”(カフェイニャ)も結構視掛ける。

「“モスクワの喫茶店風ブレンド”という按配か?」と何か期待が沸いてきて、思わず入手した…

↓入手した珈琲豆の上の方に在るロゴマークは、一寸調べると会社名であることが判った。下記は会社のウェブサイトだ…
>>Московская Кофейня на Паяхъ

モスクワ郊外に工場を構え、業界では五指に数えられる会社だということだ。何となくサイトに昔風な写真を使ったり、会社の電話連絡先を示す場所に古風な電話機の画を入れるなどしているので、この社名を敢えて邦訳にするとすれば「モスクワ珈琲店合資会社」位の多少古めかしく聞こえそうな感じがしっくりするような気がした…

“製品名”としては<АРАБИКА>(アラビカ)ということになる。上気のサイトで視ると、コロンビアの豆を使っているようだ…

ユジノサハリンスク市内等で珈琲を頂くと、「所謂“フレンチロースト”に類する、きつめな焙煎のブレンドかな?」という濃くて熱い珈琲が楽しめるのだが、この<АРАБИКА>(アラビカ)もそうした「濃い!」という系統の焙煎である。淹れてみると、珈琲らしい苦味の奥に若干の酸味という具合で、非常に好ましい感じだった。

この「モスクワ珈琲店合資会社」はロシア内外で商い―ロシアで一定程度の規模の会社となれば、“旧ソ連”であるCIS諸国やバルト3国で自社商品を扱うのは珍しくない…―をしているらしく、「茶色地の上にオレンジの細かい文字」で読み難いが、袋の横に英語(GB)、ウクライナ語(UA)、べラルーシ語(BY)、カザフ語(KZ)、ラトヴィア語(LV)、リトアニア語(LT)で製品紹介と思われること―英語のモノを判読しようとしたが、細かい文字がテカテカ光って、判読困難だった…―が書かれている…

どうでもいいが…正しく「朝のコーヒーは心を浮き立たせてくれる」というものである…

Песни о Великой Отчественной Войне(大祖国戦争期歌集)(2013.09.06)

サハリンへ出掛けて、その辺の店でCDを仕入れる…時間が許せば必ずと言ってよい程にやってしまうことなのだが…今般の“島流し”でもそれをやってしまった…

↓今般視掛けて、思わず入手したモノの一つ…
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↑勲章のようなモノが大きく描かれたジャケットが妙に目立った…

ロシアでは1941年から1945年の第二次大戦を「Великая Отчественная Война」(ヴェリーカヤ・オッチェストヴェンナヤ・ヴァイナー)と呼ぶ。「大祖国戦争」である。これは、1812年のナポレオンの侵攻を「Отчественная Война」(オッチェストヴェンナヤ・ヴァイナー)(=「祖国戦争」)と呼んでいたのに対し、「より一層大規模で苛烈だった戦い」という意味合いで出て来た表現であるようだ。

「Великая Отчественная Война」(ヴェリーカヤ・オッチェストヴェンナヤ・ヴァイナー)とロシアの人達が言う時、それは主に“独ソ戦”を指す。軍人のみならず、民間人にも夥しい犠牲が発生していて、「誰しもが一族の誰かを戦死、戦禍で失っている」という一面が在るのである。そうしたことから、ロシアの人達の多くは「先人の苦労を偲び、犠牲を悼む」という気持ちを強く持っているように見受けられる…

更に、「戦時の苦労を偲ぶ」というようなことは、私自身位の世代にもそれなりに伝えられている様子だ。過日、世代が近いロシア人の知人と話した中で偶々話題になったのだが、その方の祖母―日本流に言えば大正後期に生まれている方のようだ…―は“レニングラード封鎖”(ドイツ軍が3年近くに亘って現在のサンクトペテルブルグを攻囲したことが在った…)当時に現地に居て、食糧難で大変に苦しんだ経験を持っていることから「モノを粗末にしてはいけない!!」と厳しい一面を見せることが在ったという想い出が在るという…

というような「Великая Отчественная Война」(ヴェリーカヤ・オッチェストヴェンナヤ・ヴァイナー)の時代の歌曲等を集めた二枚組のCDが在る訳だが…

↓9月前半辺りにユジノサハリンスクを訪ねるとこの種のモノを視掛ける…
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↑「偉大な勝利を想い起こそう」というようなことが書かれている…

「Великая Отчественная Война」(ヴェリーカヤ・オッチェストヴェンナヤ・ヴァイナー)と言った場合、ロシアでは先ず“独ソ戦”なので、それが終結した5月9日が重要な記念日ということになる。他方、サハリンでは近年、“対日戦”が公式に幕を閉じたことになっている9月2日に「先人の苦労を偲び、犠牲を悼む」ということをやり始めた。このシュの動きは、この5年程に盛んになっているように見受けられる…

私が9月6日に入った店で、眼に留まり易い場所に<Песни о Великой Отчественной Войне>(大祖国戦争期歌集)を置いていたのも、「9月2日関連」であろう…

帰国・帰宅して迎えたぼんやりとした朝、このCDを聴いている。勇壮さと哀愁感とが交じったような行進曲風な作品も見受けられるが、多くは「1940年代歌謡」という具合で、「何処か懐かしい」感じもするメロディーの歌である。何れも好い!少し驚くのは…日本では何となく“民謡”的な受け止め方をされる『カチューシャ』もこの「1940年代歌謡」の範疇に数えられて、確りと収録されていたことだ…

時には、“島流し”の思い出を振り返りながら、この種の音楽を愉しむのも善いのかもしれない…

運航日誌(2013.09.10)+α…

サハリン時間では「9月11日6時半」であるが、稚内では「9月11日4時半」である…昨日は帰宅してから…何となく横になり、そのまま眠ってしまった…一旦眼を開けたような気もするが…気付くと朝だった…

昨日、帰宅直後に「多少、空気が篭っている…」と窓を少し開けたが…その窓は開けっ放しである…稚内港帰着後に会った同僚によれば、9月5日の荒天の後、稚内は温かめな感じが続いていたという…そんな訳で、特段寒いということもなかったのだが…

“フェリー欠航”という「珍しい事態」に至った9月5日は、海が見える辺りに行くと、なかなかにワイルドな浪で、欠航で足止めとなった人達は「これは船を出すべきではないだろう…」と口々に話していたようだが…翌日にややうねりが残る中でサハリンへ渡った人達が大勢乗船した9月10日の船は、実に穏やかな海を越えて稚内港に到着したのだった…

コルサコフ港の周辺は、好天で上昇した気温と、冷たい海水温との温度差の故なのだろうが、霧が立ち込めた。やがてクリリオン岬周辺では霧が晴れ、景色が素晴らしい感じになった…波静かな海上を、<アインス宗谷>は滑るように走った…稚内港へ着いてみれば…多少驚く程に盛大に関係者が我々を迎えてくれた…

稚内では、夕方の列車で地元を目指す皆さんを見送るなどし、何となく帰宅したという按配だった…9月3日から9月10日の“島流し”…長かったような、短かったような感である…

久々に…拙宅で<モカ・イルガチェフ>を淹れた…ユジノサハリンスクでも珈琲を頻繁に愉しんだが…あちらでは、恐らく所謂“フレンチ・ロースト”に類するブレンドが主流であるように思える。高価と見受けられるマシーンで淹れているカフェが存外多い…そういうモノを愉しんだ後、「拙宅でハンドドリップ」という按配で、個性的な<モカ・イルガチェフ>を頂くのは好い…

多少ぼんやりしてしまっているが…今日(9月11日)は平日だ…

ЗДЕСЬ НЕ КУРЯТ(ズヂェシ ニェ クリャット)「ここは禁煙です」(2013.09.09)

商業施設館内に在るレストランで会食ということになった…タクシーに分乗して現場に向かい、私は先発組で後続を施設入口付近で待っていた…

↓施設の入口辺り…24時間稼動のATMが据えられている。ゴミ箱や灰皿も周辺に見受けられるのだが、何やら不思議な看板が掲出されている…
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↑“禁止”の意味の「赤丸の中に斜線」の図なのだが、モノクロの肖像写真のようなものが見える…

「これは何の看板だ?」と訝りながら近くへ…

↓こんな看板だ…
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↑煙草を燻らす様子の画が記憶に残る著名人の写真に“禁止”の意味の「赤丸の中に斜線」を被せて、「ここは禁煙です」という訳だった…

御一緒した皆さんと話題にしたのだったが…ゲバラ、チャーチル、アインシュタインは判ったが…もう一方…名前が出て来ない…

いよいよサハリンを発つ朝を迎えている…昨夜“先送り”にしてしまっていた荷物の整理も片付き、一寸だけ気になった画を視ていた…

ユジノサハリンスクの蒼天(2013.09.09)

トランク―ミュンヘンのデパートで“特売”だったRIMOWAのモノ…求めたのは198年だったか?何時の間にか適度に年季が…何処だったか、ルフトハンザ・ドイツ航空の航空券を扱う店でLufthansaのロゴが入ったバンドも求めて、それを合わせて使っている…―に持ち込んだ衣類等を詰め込まなければならないが…「明朝に“先送り”!!」を決め込んで休もうとした…

しかし、“先送りせず”に綴っておこうと思ったことが在った…

何処へ行っても…と言うよりも地元でもやることだが、空を見上げるのが好きだ…同じ色も二度とは視られないし、雲の形状も、雲と交わる光の感じも常に変わる…「一生に一度」という眺めなのである…

↓ユジノサハリンスクでも空を見上げた…
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↑朝夕が「冷え込んでいる?」という按配になり、空は「秋色」のように見えなくもないが、何処と無く「夏の残滓」が感じられ、「夏風な装い」の人が散見する…

9月6日以降、ユジノサハリンスクは好天が続いた。パタパタと用事に勤しみ、何となくこうした好天に余り眼を向けられなかったかもしれない…或いは、9月5日辺りの荒天は、「夏から秋へ」という幕間に発生した両者の鬩ぎ合いのようなものだったのかもしれない。

例の『道北物産展2013』(ВЫСТАВКА-ЯРМАРКА "СЕВЕРНЫЙ ЗОККАЙДО")のような催事で、小さな子どもが、会場内で配布されている何かを貰うような場面…その子どもの手を引く保護者が「こういう時はСпасибо(ありがとう)だよね?」とか、「○○ちゃん、Спасибо(ありがとう)は?」というような具合に子どもに声を掛けているような状況を時々視掛けた。「心優しき“普通”な家族」の暮らしが垣間見えるような一瞬だ…

最短距離で稚内市内から43km…稚内・コルサコフ航路で159kmと、名寄(約170km)、留萌(約190km)、紋別(約210km)というような「隣りの市」よりも近い距離に在りながら、異なる文化的背景、歴史認識を有する人達、異なる人種の人達も住むサハリン…しかし、文化的背景、歴史認識、異なる人種であろうと、圧倒的多数の人達は、何処かに確り境界線が引かれているでもない蒼天の下に居る「“普通”な人達」だ…

ふと見上げた蒼天と白い雲の様子を想い起こし、そういう「当たり前なこと」を改めて考えていた間にサハリン時間で日付が変わった…

運航日誌(2013.09.08-09)

何となく夜が更けている…

日曜日の日中が瞬く間に過ぎ、夜は“宿題”に勤しみ、朝を迎えた…

考えてみれば9月6日以降は好天に恵まれていた…今日も「秋晴れ!!」風ではあったものの、日中は23℃程度で、多少暑いように思った…半袖Tシャツで動き回って丁度好い程度だった…他方で早朝や夕刻には「もう一枚」という按配であったが…

今日は色々な人達と会う用事が幾分在ったが、朝から深夜まで色々とやっていた6日から8日を思えばゆとりが在った…

ゆとりが在ったような、無かったような状況だが…Tシャツ、CD、煙草、珈琲と「サハリン仕入れ」が愉しいモノは確り購入している…序でに「カフェでケーキを頂く」ということも確りやっている…今回…久々に宿の近くの銀行で日本円をロシアルーブルに両替した…昨年は「5回」の“島流し”で1回やった記憶が在るが…今年は「2回」の中で1回だ…

今晩は軽く呑んだ…ビールをガブガブと呑むような感じだったが…休む前に宿の館内に在るカフェ・レストランで「お休み前の一杯」という珈琲を頂いた…

“荷造り”がとりあえず必要だが…明朝に先送り…

ユジノサハリンスク:“セイコーマート”(2013.09.09)

↓ユジノサハリンスク市内を少し歩いて、思わず足を止めた看板…
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↑オレンジ色で“seicomart”(セイコーマート)というロゴ…北海道ではお馴染みなマークだ…

看板にはロゴを中心に、「低価格で北海道の商品を御提供」というような意味合いの文字が並んでいる。これは随分以前から見知っている小さな食料雑貨の店だ…北海道内では、この“セイコーマート”は「街の○○商店がフランチャイズに加盟」というスタイルで店舗数を増やしている例も在る訳だが、何かそういうような現象でも始まっているようにさえ見えて驚いた…

“セイコーマート”は、カップ麺や飲料などの「自社ブランド」(所謂“PB”)を色々と用意し、積極的に販売している。

所謂“PB”は、スーパーマーケットやコンビニ等が独自に設定するブランドで、方々の製造者にそれを入れた製品を造って貰うものである。製造者としては、「安定的な受注」が確約される。販売者としては「少し安価に販売可能なモノが入手可能」である。スーパーマーケットやコンビニ等のチェーンストアは、積極的にこの“PB”を展開しているように見える。

“セイコーマート”は、この“PB”の商品をサハリンに輸出し始めた…偶々通に面して看板を出している事例の他、食料品を扱う方々の店に“コーナー”が出来ていて、「稚内のセイコーマートと同じモノ」が売られていた…“セイコーマート”は、サハリンでは「食品等の輸出商社」的な活動を目指すように見受けられる。サハリンにも、チェーン展開するスーパーの仕入れ部門や、小さな店に品物を卸す業者が見受けられる訳で、そういう場所に対して営業しているのであろう…

“時代”は動いている…稚内に上陸したサハリンの旅行者が「近所に在るのと同じマークだ!!」と稚内のセイコーマートを指差して言っている…ような光景も見受けられるようになっていくことであろう…

ユジノサハリンスク:或いは夕陽を受け、或いは朝霧の中に佇む市庁舎(2013.09.07-08)

例によってユジノサハリンスク市庁舎に近い宿に滞在している。滞在中は、市庁舎近隣、同時に巨大なレーニン像が据えられた広場の近隣にも相当する辺りを少しばかり散策していた…

↓好天に恵まれた9月7日の夕刻である…
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前日からの流れでやや草臥れていたのだが、やや旧い建物に綺麗な外壁材を貼った美しい庁舎が夕陽を受けて輝く様は好い…「街の平和な土曜日が暮れる」様を静かに見守っているような感である…

↓翌日朝…9月8日である…朝食前に戸外へ出てみた…
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↑前日の夕刻とは趣が大きく異なる…

ユジノサハリンスク辺りは、地形の状況故なのだろうが、朝夕と日中との気温差が少々大きめであるように見受けられる。そのためか、好天の朝に霧が立ち込める場面も多々在るようだ…

街のど真ん中の市庁舎だが、何か「霧の立ち込む、森の奥深く♪」というような雰囲気も漂う…

↓順次追加中のサハリンでの画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Sakhalin, Russia on SEP 2013' set on Flickriver

「少し長い?」と思っていた“島流し”だが…明朝には帰国の途である…

運航日誌(2013.09.07-08)

朝起き出して、「暗い」というこちら(サハリン)の感じに、妙に馴染んだような感じがする。「暗い」と一口に言っても、「厚めな雲に覆われていると思えるような感じ」と、「明るくなり切っていない晴天」とでは雰囲気が大きく異なる。今朝は後者のように思える…

昨日は催事の現場に居て、「長いようでいて、それ程でもない」という按配で時間が過ぎた。時折、好天の空を見上げて、「いい加減に引揚げて、その辺を一回り歩きたい…」等と思っていたが…

西日が眩しい感じの中、チャーターのバスで宿に引揚げた。何やら大回りをして、20分の行程に45分を要したような按配であった。とりあえず宿の部屋で椅子に座って、一息ついて立ち上がってみると、何か「足が浮く感じ」がする。こういう時は、とりあえずゆっくりすべきである…

結局、煙草を買いに出て―特段に何も持たずに出て、8箱求めて、小さな売店だったので手頃なレジ袋も無く、無理矢理ジーンズのポケットにそれらを押し込んだ…―、直ぐに宿に戻り、館内のカフェ・レストランで珈琲を頂いた。

珈琲を頂いて間もなく休んだ「つもり」であったが…何となく午後11時頃に気付いて、再び館内のカフェ・レストランへ…静かに珈琲を頂こうとしたが…何やら相当に「聞こし召していらっしゃる」方がいらっしゃって、「煩い…とっとと消えろ…事と次第では消してやろうか…」程度に思ったが、周囲の人が引っ張って行って直ぐに姿を消した。

何か、「日付が変わる前辺り」の時間帯に珈琲でも頂いてゆっくりするというのは、場所を問わず好い…そこから、少しだけ写真を整理して、何となく休んだ…

↓順次追加中のサハリンでの画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Sakhalin, Russia on SEP 2013' set on Flickriver

眠りは深かったようで、多少スッキリした…考えてみれば…今日は「日曜日」だ…

ユジノサハリンスク:レーニン像(2013.09.07)

巨大な大陸国の隅々に至るまで、主な街の通や広場にその名を刻んだ男が居た。

巨大な大陸国の東端付近の「島々から成る州」の中心都市では、彼が打ち立てた国の赤い旗が下ろされた後もそのまま彼の名は通の名として残り、彼の巨大な像はその名を冠した通を見詰めている。

↓通を見詰めているようにも、東の空を見上げているようにも見える像だ…
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↑目線の先に何が在るのか?

彼の足下を、父親に手を引かれた幼い少年が通り過ぎる。

幼い少年にとって、父親は「何でも知っている人」に他ならない。少年は問う。「これは何なの?」と。

父親は一瞬息子を見下ろした後、巨大な像を見上げた。父親は言う。「レーニンだ」と。

少年は重ねて問う。「何をしているものなの?」と。

父親は進む先に目線を向けたまま、「彼を記念したものだ」と答える。

親子連れは足早に去って行った。交わされる言葉は直ぐに聞こえなくなった。少年の記憶に、この像は「どのようなもの」として刻まれるのか?

好天の日の夕暮れである。「秋晴れ」という形容が似合いそうな様相を呈している。こんな時季、街を行く人達は「Tシャツ、短パン」の人も在れば、半袖も長袖もノースリーブも見受けられ、他方で温かそうな上着を着た人や、軽めなセーター姿の人も居る。「時季だから○○な服装」という概念は希薄なのかもしれない。

↓夕焼けを背景に佇むレーニンの足下に、大勢の人達が集まっている…
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↑何か催しが在るでもない、「或る晴れた土曜日」以上でも以下でもない…

ВЫСТАВКА-ЯРМАРКА "СЕВЕРНЫЙ ХОККАЙДО" 2013(ユジノサハリンスク道北物産展 2013)開幕(2013.09.07)

「北海道内の食品等の販路を隣国のロシア、殊に隣接するサハリンに求める」というようなことは、既に永く言い続けられていることである。そうした文脈で、旭川、士別、名寄、留萌、紋別、稚内の道北6市が参加して、ユジノサハリンスクで物産展が催される運びとなった。

「販売をする」ということであれば、「正規に輸出を行う」ということになる。「輸出」ということは、「輸入する側の国に在るモノに関する諸々の規制に照らし合わせて問題が無い」ことを明らかにしながら、通関することになる。そうした手続に関する経費と輸送コストが販売価格に転嫁されることとなるので、店頭に並ぶ場面では、“微妙”な価格となる。

「輸出する側」での価格が極端に安いのであれば、「輸入する側」で諸経費を価格転嫁した後でも、「普通に競争力が在る」価格で店頭に登場する。その限りでも無い場合は、特殊用途であるというような事情や、質の圧倒的な違いというような事由でもなければ簡単に輸出が促される訳でもない。

「輸出」を目指そうとして「輸入する側の国に在るモノに関する諸々の規制に照らし合わせて問題が無い」ことを明らかにしようという手続の中で、モノそのものに関すること以外の、流通上のルールや慣行が問題になる場合も出て来るものだ。

色々な“壁”を越えて送り出された「輸出品」は35品目ということになった。これは参加6市で生産されているモノや、参加6市の企業で販売を手掛けているモノである。もっと間口を広げてモノを募集しても40品目前後程度にしかならなかった例も過去には在るので、“大健闘”であろう。

「モノが無い!!」という場所に向けてであれば、恐らく「何故?」というようなモノであろうとも、輸出をすれば相当に売れることであろう。が、「何でも在る!!」場所に関しては…簡単ではない。それは例えば「何でも在る!!」状態の日本国内で、「何らの縁も無い場所に全く新規に店を出して、ありきたりなモノを販売しようとする」ことに似ているかもしれない。

サハリンには何でも在る。ハッキリ言えば、「ユジノサハリンスクに在って稚内に無いモノ」は非常に多いと思う。が、「稚内に在ってユジノサハリンスクに無いモノ」など…思い付くのは“マクドナルド”位だ…そういう場所に向けての「輸出」は、手続等々の壁を度外視しても難しい。拙宅近所の店では視掛けないが、日本国内のコンビニで、「100円台、200円台の飲料が売られている箇所に400円以上のウーロン茶が売られている」のを視掛けることがある。「何らかの事情、事由」で一定程度の売上げが在るが故に、販売品の棚からそれは撤去されずに残っているのであろう。北海道からサハリンへの「輸出」に関しては「コストが価格転嫁される」という意味で、何を出しても「100円台、200円台の飲料が売られている箇所に400円以上のウーロン茶が売られている」という例のような状態が出来するのである。

拙宅近所の店では視掛けないが、日本国内の「100円台、200円台の飲料が売られている箇所に400円以上のウーロン茶が売られている」のは「何らかの事情、事由」で一定程度の売上げが在るが故に売られ続けている例のように、コスト転嫁で高価になりがちな輸出のモノを売り続けるためには、輸出入に関与する当事者間で「何らかの事情、事由」を見出す活動を継続的に行うしかない。“回り道”は無制限に在ろうが、恐らく“近道”は無い…

前置きが長くなったが、こういうような事情は「無視されがち」、または「実は判っていない」にも拘らず「判っている」などとされ易いので敢えて綴ってみた…

ВЫСТАВКА-ЯРМАРКА "СЕВЕРНЫЙ ХОККАЙДО" 2013(ユジノサハリンスク道北物産展 2013)の現場に居合わせたが、この催事に関しては、想像を超える勢いで、サハリンで情報発信が行われてきた様子だ。普段は必ずしも人で溢れているでもない「朝=開店時」の商業施設内に人が溢れた…

「おめでたい席での日本の流儀」を紹介する意味合いも込めて、オープニングセレモニー―施設入口辺りで催されたが、動けない程に人が集まった…―で“鏡割り”が行われた。樽と日本酒を用意しての「普通」なものと合わせて…「用意の樽にウォッカを注いで」という「(恐らく)史上初」と思われる「ウォッカの鏡割り」も行われた…

↓そういうオープニングセレモニーの直後辺り…
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↑自身が混雑に対する免疫が弱く、具合が悪くなりそうだった…とにかく集まった…

先日の、宿の館内に在るカフェ・レストランの店員さんとの話しで、先方は「日本のモノ」に関して、想像を遥かに超える“信奉”とでも言い得るようなことを言っていたが、「日本からの商品が展示販売」という場合の「サハリンでの期待の高さ」はとにかくも判る…

↓こちらのコーナーは「開店から2時間足らず」で、「第一日目の予定販売数量」が売り切れてしまった…
稚内から輸出した米、スイカ、メロン、業務用麺は11時40分頃の時点で「7日分」が完売.JPG
↑こちらではメロン、スイカというような実績が在るモノ、人気が高く「稚内・コルサコフ間のフェリーを利用して」という型では恐らく初めて輸出される米等を扱っていた…

この凄まじい行列で争うように買われる状況…或いは「何だか判らないが、金を払ってモノを袋に入れて貰い、帰宅してから開けて“これは?”…」となるような状況…「雰囲気買い」、「お祭り」というようなことなのかもしれない。ここで飛ぶように売れたモノが、「次回に輸出されたとして、勢いよく売れるか否か」はよく判らない。或いは、この場で「雰囲気買い」、「お祭り」というようなことで求めたモノをよく視て、違和感を覚えるような例が在ったとしてもおかしくはない。

「日本からの商品が展示販売」という場合の「サハリンでの期待の高さ」は、サハリン側での熱心な情報発信で夥しい人がВЫСТАВКА-ЯРМАРКА "СЕВЕРНЫЙ ХОККАЙДО" 2013(ユジノサハリンスク道北物産展 2013)に大勢が集まったことを割り引いてしまったとしても、とにかくも非常によく判った。「今後の問題」は、モノを売り続けるためには、輸出入に関与する当事者間で「何らかの事情、事由」を見出す活動を継続的に行うことが叶うのか否かということに他ならない。

「催事に多額の経費を要した」として、「早急な成果」を論じるような事例が在るように思うが…こんな問題に関しては、「早急な成果」等論じられる筈が無い。より重要なことは「今後の問題」で、それの進展には相当な時間を要する。そういう意味合いでの“継続”が大切なのだ。

運航日誌(20013.09.06-07)

何となく“サハリン時間”に馴染んでいる…8月以来「何となく前倒し…」に寝たり、起きたりということになっていたが…9月3日以来のサハリン滞在で、スッカリ馴染んでしまった…

ということで…朝は出発が早めであることに合わせて、若干夜更かし気味であったにも拘らず、早めに起き出すことに成功した…

昨日は素晴らしい好天に恵まれた。日中は20℃近いような按配だった…

そんな好天の中、集合住宅が在る辺りの緑地で、古い大きな木が倒れている場面を視掛けた。9月5日辺りに強風が吹き抜けたことを物語る光景である…風に関しては“耐性”が在るので「大したことでもない…」と思っていたが、実際に強風だったのだ…

コルサコフ港にフェリーを出迎えに出掛けた。欠航の結果として「1日遅れ」になっていて、クリル諸島へ向かう客船の出発と、稚内からのフェリーの到着が重なってしまい、狭隘と言われるターミナルが異様に混み合った…

船から下りた方によれば、稚内出航後に「うねり」が残っていて存外に揺れたそうだが、速度が上がらなかったのであろう…16時30分の予定が、16時50分頃に下船可能な状況になり、手続を経て乗客が順次下り始めた。最後の方のグループも揃って、結局午後7時20分を過ぎてしまった辺りにユジノサハリンスクへ向けて用意のバスで出発である…

夜…今日と明日の催事の準備である…「13名分」として4台のタクシーを呼び、順次乗車で現場ということになる<シティーモール>へ向かった…普段のサハリン訪問では余りやらないことなので、なかなかに面白かった。<シティーモール>は一部の飲食店や映画館が遅くまで営業しているので、日付が変わる辺りにもタクシーが待機していて、復路はそれで戻ったのだった…

そうやって戻ってみれば…美味い珈琲も在る、館内のカフェ・レストランも営業を終えたところで、素直に部屋に戻った…そして…直ぐに寝付かれず、少し起きていた…

そんな経過で迎えた朝である…

↓寧ろ「夕方向き」かもしれないが、<ヴレーミャ・ジャザ>の演奏等を愉しんだ…


可能な範囲でゆっくりと朝を過ごしたいが…今日も好天の時間帯が多そうだ…

↓順次追加中のサハリンでの画…
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運航日誌(2013.09.06)

日付が変わる前に休み、朝7時前には確り起き出した。考えてみると…昨日は宿の館内のカフェ・レストランで、お店の方2人とお話ししてゆっくり珈琲を飲んでいたのだが…何か「小さな街の暇なスナック」にでも立ち寄ったような風情だったかもしれない…

気になっていたフェリーだが…フェリー会社のサイトで「本日通常運航」の旨を確認し、安堵していた。本当に善かった…

ヴォリュームが在って気に入っている宿の“朝食ヴァイキング”…ソーセージと、付け合せにジャガイモを頂いた。何という品種か知らないが、こちらで頂く付け合せのジャガイモは美味い…

Tシャツ4枚、デニムのシャツ1枚、ジーンズ1本を“ランドリーサービス”に出して来た…着替えのTシャツが少なくなってきたからに他ならないが…発つまで未だ日がある…先はやや長い…

例によって“カフェ席”で珈琲を啜りながら一服…非常に善い時間だ…天候は好転している。窓からの陽射しが少々眩しくなって来た…ユジノサハリンスクの朝の空気はクールだが…

ユジノサハリンスク:<シティーモール>に掲出された『道北物産展2013』(ВЫСТАВКА-ЯРМАРКА "СЕВЕРНЫЙ ЗОККАЙДО")の看板(2013.09.04)

ユジノサハリンスク都心部とユジノサハリンスク空港とを結ぶ道筋の、空港寄りの辺りに、「サハリン最大にして極東屈指」の商業施設<シティーモール>が在る。食品、日用品のスーパーマーケットから、携帯電話や服飾や玩具やその他色々なモノを扱う商店や、映画館や飲食店やスポーツクラブ等々がテナントとして入居している施設だ…

込み合うのは昼頃から夕方である様子だが、「巨大な建物を囲む大きな駐車場」という感じの威容は凄い…

↓入口辺りからの画…
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↓巨大な壁に大きな広告看板が掲出されている…
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↑右端の、女性向け衣料品の店の広告に妙に惹かれたが…館内の店舗や催しの広告が出される…

↓これである!!
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↑9月7・8日の催事案内!!

実はこれの関係者の多くが9月5日にコルサコフ港へ着く予定であったが…フェリーの欠航で来られなかった…しかし、催事は9月7日に予定どおり始まるのである!!

運航日誌(2013.09.05)

昨日は音楽を愉しんだ昂ぶりで、やや夜更かしになっていたが、“普通”に7時台に起き出し、何となく8時台に朝食を愉しんでいた…

朝のユジノサハリンスクは雨交じりであった…やや薄暗い…そんな中だが、宿の朝食バイキングの豚肉グリルを頂いて「朝から“焼肉定食”風か?」と優雅に朝食を頂いていた…

そこに急報!!迎える予定の関係者が稚内から乗って来る筈だったフェリーが欠航になったというのだ…第一報は同宿の別グループの関係で訪ねてきていたサハリンの知人から「船動かないそうですよ…」と聴いたのだった。“冗談”かと思ったが、そうではない…やがて「聞きましたか?」と話しが拡がった…フェリー会社でも「09月05日の運航は低気圧の影響により全便欠航となっております。 稚内⇒コルサコフ 09:00~14:30【欠航】 」とアナウンスしている…

こういう時、バタバタしてどうなるものでもない。とりあえず待機だ…

という場面から始まった一日で、結局宿周辺を少し動いただけに止まる1日ながら、何か「気が張る」感であった…迎える予定の関係者の予定変更に掛かる情報が入った時点で、それを稚内へ伝えるというようなことをしていた次第だ…

確かに天候は優れなかった…が、ユジノサハリンスク都心部に居る限りでは、「荒天でフェリー欠航」という程には思えなかった…それでも時々風が多少強くなったが…風に関しては、稚内で“耐性”が高まっているので「どうということも…」という感じ方をしたのかもしれないが…

夕刻は雨だった…歩き回るには不適なので、“御用達”化したスーパーマーケットで色々と買込み、宿の部屋でゆっくりと過ごした…

やがて…「休む前に珈琲…」と思い、館内のカフェレストランへ…偶々“貸切”次元に空いていた。カウンターに陣取って、お店の皆さんと何となく話していたが、面白かった…

一方は、休暇旅行で2回訪日している…2回共に東京に行ったそうだ。「2回も同じ場所?」と周囲は言ったそうだが、それだけ好かったのだと言う。お台場らしいが、東京では温泉でゆったりと過ごしたらしい。街を動けば、ユジノサハリンスク育ちの目線では「地下鉄が行き交う巨大都市」で、一寸した冒険だったようだ。和食はかなり気に入っていて、遠縁を訪ねて他の国へ行った際に“日本料理店”に行って、「これは…違う!?」と驚いたのだそうだ。逆に、サハリンで少しポピュラーなわさびは辛さが「知れたもの」なので、日本で同行者がどっぷりと付けて料理を頂こうとした場面では、件の同行者も目を白黒させる羽目になり、周辺に居合わせた日本の人達も驚くやら笑うやらだったのが忘れられないという…

ホテル館内のカフェ・レストラン…「朝から夜」なので、働いている人達は“早番”、“遅番”が在って、12時間勤務になっているのだという。例えば“早番”で2日働いて1日休み、休みの後は“遅番”で2日働き、また1日休むという勤務体制なのだそうだ。こんな話しも面白い…

もう一方…“ホテル館内”という場所柄、「“000号室XX”に付けておいて…」というのが在って、日本人宿泊客に「お部屋の番号とお名前を書いて下さい」と紙とペンを出してお願いする“訊ね方”の日本語を尋ねられた。その前に「日本の方ですよね?」と尋ねられたのだが…「少なくとも持っているパスポートは日本のモノらしいが…行く先々で米国人、ウズベキスタン人、スコットランド人に間違われて、地元ではロシア人と間違われて…何かよく判らなくなっている…」で大笑いである…

日本語に関して尋ねられ、真摯な様子なのでそれらを説明していた。大学生のアルバイトなのかと思えば、そうではないのだが、中学・高校で日本語を学んだと言う。聴けば、コルサコフの学校で、講師は知人である…「世間の狭さ」に驚いた。その知人でもある講師は、随分永く生徒諸君に日本語や日本文化を教えている方で、卒業生の中には進学して日本語や日本関連の事項を学ぶようになる人さえ在る。或る意味では、なかなかの功労者である。

「コルサコフの学校で日本語」ということだが、これは“必修”ではなく“選択”で、サハリンの各市で見受けられる、日本の学校で言う“クラブ活動”にやや似た感じの「芸術学校」とか「スポーツ学校」に近い仕組みのようだ。日本語を学習する場には、市内各学校の希望者が集うようになっていて、学校の普通の教科で取上げられる英語よりも「熱を帯びた」感じであるようだ…

学校で日本語を学ぶ場合、「家族の中での会話」、「学校での会話」、「旅行に出た場面での会話」というような感じのものは題材になり易いが、「カフェの店員と客の会話」というようなものは題材にはなり悪いかもしれない。「相手に呼び掛ける」表現として“あなた”がとりあえず一般的だが、「カフェの店員が客に呼び掛ける」ような場面では、多分“お客様”であろう…では“お客様”が妥当な状況を定義付けるとすれば…「友人・知人の範疇ではない相手=敬意を表する相手=店員に対する顧客」というようなことになるであろう…そんな話しをしていた…

こういうような「学校の様子」関連の話しは、なかなかに興味深い…

ということで何となく寛いだ気分で居るが…明日からは忙しい…

ロシアの歯ブラシ(2013.09.04)

宿の部屋に歯ブラシが備え付けられていなかったことを失念していた…

ユジノサハリンスクでもスーパーマーケットを覗けば、歯ブラシは幾らでも売っている。一寸、求めてみることにした…

↓こんなモノを求めてみた…
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↑1本18ルーブルだった…最近のレートで言えば50円強という感じか?2本求めておいた…

歯ブラシの値段…この18ルーブルが最も安価だった…40ルーブル前後、60ルーブル前後、100ルーブル前後、それ以上と実に様々なモノが在った…

日本国内で見慣れている最近の歯ブラシ…ブラシ部分が小さめなように思う。それに近いイメージのモノが在ったので見てみると…何やら児童向けなキャラクターが入っている…「子どもの歯ブラシを頼まれて買っている」という状況は珍しくはないとは思うのだが…自分用にそれを求めるのも、何か気恥ずかしい…

「普通の大人が何となく使うようなモノ」ということで、1本18ルーブルの歯ブラシを求めたが、ブラシ部分が何となく大きい…以前はこうした大きめなモノが主流だったような記憶も在るのだが…

こうした「どうでもいい」ような日用品にこそ「所変われば…」という面白さが在るのかもしれない…

運航日誌(2013.09.04-05)

「午前1時就寝、午前7時頃起床」と言えば“普通”な感じだが…“日本時間”では起床時間は“午前5時頃”である。窓の外は、未だ暗い…

宿での朝食をゆっくりと愉しんでいたが、曇天基調に変わりは無い…何やら薄暗い…宿の部屋は、カードキーを扉の横の指定場所に挿入すると電源が入る、イマドキのビジネスホテルによく在る方式だ。曇天故に部屋が薄暗いのは差し支えないが、奥の御手洗いが真っ暗なのは按配が悪い…朝や日中は、何時もカードキーを指定場所に挿入するのを忘れて、御手洗いを使おうとして慌てる…昔は「停電が時折発生…」という状況も在ったようだが、近年では然程多くない…

結局、午前9時半から午後5時20分頃まで精力的に動いた…何となく落ち着き、宿の部屋で一息入れた…何となく曇天基調は変わらない一日だった…

実はコルサコフへ向かって来る船上で“超重要情報”がもたらされた…あの<ヴレーミャ・ジャザ>の演奏を聴くことが叶う機会が在り、それが相対的に動き易い9月4日夕刻のことだというのである…

<ヴレーミャ・ジャザ>…4回の来日を果たしたサハリン随一のバンドである…

↓過去の経過から…

>>2012年の旭川…ここでは“ゲリラライヴ”まで在った…

>>2010年の稚内…

>>2009年の稚内…

と、実に思い出深い訳で…彼らに会いたかった!!

多少の雨等気にも掛けず、宿から会場まで約40分間歩いた…そして、「彼ら」との再会を果たしたのだ!!

密かに写真や、極々一部は動画も試してみた…

↓艶やかさを増している…

↑2007年に稚内に初登場し、たった1回の公演が語り草になり、2009年、2010年は複数回の公演を…そして2012年には旭川進出…彼らに会えたことが嬉しかった!!

>><ヴレーミャ・ジャザ>関係の、今般の詳しい経過はこちらに…

素晴らしい時間を過ごして宿に戻り、部屋でのんびりとしているが…余りにも「好い具合に昂ぶった」感じで…眠れぬ夜を過ごしている訳である…

<ヴレーミャ・ジャザ>は元気です!!(2013.09.04)

稚内には2007年、2009年、2010年、2012年の公演を通じたファンが確り居て、2012年の初登場で旭川でも「野外ライブをやって“買物公園”を“制圧”した幻のバンド」として一部に知られている、サハリンのバンド<ヴレーミャ・ジャザ>…2013年は来日公演の機会を設けられなかったが、サハリンで元気に活動している…

非常に幸運なことに、彼らの演奏と歌を聴く機会を持つことが出来た!!この感動を確りと整理しなければなるまい。素晴らしい演奏を聴いた昂ぶりの後であるが故に、早寝はし難い気分だ…

<ヴレーミャ・ジャザ>はサハリンのチェーホフ劇場に所属するバンドで、リーダーのピアニスト、ウラジーミル・キンジーノフの下に各メンバーが居て、様々なジャンルの演奏と歌を披露するバンドだ…

キンジーノフ氏はサハリンのネベリスク―1972年以来の稚内の友好都市―での教員を経て、チェーホフ劇場の音楽家となってバンドのリーダーになったのだが…ネベリスクでの教員時代、ソ連時代末期に差し掛かっていた中「簡単に往来出来る定期交通機関は無い現状だが…友好都市の稚内という所へ、ヨットを仕立てて行ってみよう!!」という『友好の白い帆』と名付けられたプロジェクトに誘われ、それに参加した。「初めて訪ねた日本」という思い出を大切にしていて、彼は『ワッカナイ』という曲を創り、ネベリスク時代にも披露していた程だった…

やがて「サハリンのジャズバンドを稚内へ?」という話しになった2007年、キンジーノフ氏は「懐かしき稚内」と再会し、稚内の音楽ファンは彼の素晴らしいバンドと出逢うことになる…

「懐かしき稚内」と再会したキンジーノフ氏は『ワッカナイ』の新ヴァージョンを用意し、2007年に稚内でそれを披露した…

稚内の音楽ファンは…「“幻”のようなものになったあの1回では勿体無い…」感じていたが…<ヴレーミャ・ジャザ>は何度も稚内に現れるようになった…その中で、彼らは全公演で必ず『ワッカナイ』を演奏するようになった…

やがて『ワッカナイ』は駅や空港で流す観光宣伝フィルムのBGMになり、稚内を訪れる多くの人達の耳に残るようになっている…

『ワッカナイ』はともかく、「サハリン随一のバンド」が何度も稚内にやって来てくれている訳だが、これもリーダーのキンジーノフ氏が「懐かしき稚内」を大切に思っていて下さるからこそであろうし、各メンバーも来日機会に色々な想い出を持ち帰っているからであろう…こうした辺りに「友誼に篤い」一面を見せることも在る「ロシアの人達の善さ」に気付かされるような気がしないでもない。或いは、所詮人間には「友達と友達になっていない人」の2種類しか居ないというようなことに行き着いてしまうのかもしれないが…

その<ヴレーミャ・ジャザ>のキンジーノフ氏と懇意にしている稚内在住の方が、今般サハリンを訪ねている。私自身とは全く別なグループなのだが、一緒になったフェリーの船上で「彼らの演奏を聴くことが叶う場面が…」という“超重要情報”がもたらされた…私自身稚内で、加えて昨年の旭川でもメンバーと接点が在り、時々彼らを思い出していたので、「多少強引にでも出掛けて…」と密かに期するところが在った…

小雨が降る中、「こんなものは雨の範疇では無い!!」と、少し懐かしい皆さんとの再会を期して会場となったホテル館内のレストランへ約40分の道程をものともせずに歩いた。そして嬉しい再会を果たした!!

↓演奏と歌を披露する<ヴレーミャ・ジャザ>…
wakkanai097 - View my 'группа 'Ваемя Джаза' из Сахалина (SEP 04, 2013 at Hotel 'GAGARIN' in Yuzhno-Sakhalinsk, Sakhalin, RUSSIA)' set on Flickriver

この日登場のメンバーは…

ウラジーミル・キンジーノフ(ピアノ)
ウラジーミル・マシキン(ドラムス)
ヴィターリー・ブィチコフ(ベース)
ユーリー・スヴォーロフ(サクソフォン)
ゲオルギー・ゾボフ(シンセサイザー)
エレーナ・アクシェンツェワ(ヴォーカル)
エレーナ・トロヤン(ヴォーカル)

キンジーノフ、マシキン、ブィチコフ、アクシェンツェワの各メンバーは4回の稚内公演全てに登場している。ゾボフは2010年、2011年に登場していて、トロヤンは未だ登場していない。スヴォーロフは2012年の稚内・旭川で初来日を果たした。

曲毎にヴォーカルは交代し、時々合唱になる曲も在るのだが、今般はその合唱になるモノは演奏しなかった…そして、「極東屈指!!」の呼び声も高いスヴォーロフのサクソフォンの音を軸にしたインストゥルメンタルの曲が素晴らしい…

↓今般の『ワッカナイ』(ライヴヴァージョン)を撮ってしまった…


素晴らしい生演奏に触れる…貴重な経験だ!!日本中、否!!世界中の人達に彼らの演奏と歌の素晴らしさを、是非知って頂きたいものだ…

Гренки чесночные(グリェンキ・チェスノチヌィエ)(ロシアのガーリック・トースト)(2013.09.03)

↓これがなかなかに気に入った!!
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昨年3月に知り、同年6月にも利用した宿の近所に在る店を思い出して、夕食を愉しみに寄ってみたのだったが…実は過去の利用の際にも確り頂いていた…

ロシアの色が濃い黒パンをカットしたものをガーリックオイルを付けて焼いたという代物である…

Гренки(グリェンキ)が「(パン等を)焼いたモノ」のことで、чесночные(チェスノチヌィエ)はニンニク(ガーリック)の形容詞である…従って「ガーリック・トースト」である!!

これを摘んでビールやウォッカを少々頂いて歓談…なかなかに好い…

日本国内でこれを愉しむとなれば…ロシアの流儀の色が濃い黒パンが、やや入手難かもしれない…私の中では「サハリン屈指のつまみ」という感である…

運航日誌(2013.09.03)

半ば戯れに“島流し”と呼ぶ、「用事を抱えてのサハリン渡航」だが…何か、今ひとつ“やる気”が盛り上がらないまま、出発の朝を迎え、早起きして珈琲を頂いてから旅支度を整えて出発である…

8月の状況よりも幾分少なかったが、今日の<アインス宗谷>の乗客もなかなかに多目であった。「最後の方の順番で、ゆっくりと乗船すれば善い…」と悠然と乗船…二等船室の“平土間”には眼もくれず、勝手に“専用席”と呼んでいる「甲板のベンチ」に直進し、その辺りに陣取った。海峡を抜ける風を警戒し、半袖Tシャツ―8月にサハリンで求めた蒼系迷彩のモノを着用していた…―の上にデニムのジャケットを引っ掛けていたが…20℃前後で適度に風が抜ける「快適!!」な状況である…

船は宗谷岬とクリリオン岬の間、「本当に洋上!!」という辺りで多少揺れたが、波は静かで、“揺れ”の按配としては列車やバスと何ら変わることもない、快適な状況だった…嘗て「窓から海面が見え、直後に空が見え、更に海面…」という「悪夢のような揺れ方」も経験―あの時は本気で具合が悪くなった…―しているので、どうということもない…そもそも荒天時には“指定席”の甲板ベンチは使えない…

↓宗谷海峡航行中の画…
wakkanai097 - View my 'Wakkanai (Hokkaido, Japan) - Korsakov (Sakhalin, Russia) on SEP 03, 2013' set on Flickriver

船上では、乗り合わせたツアー客に何やら尋ねられ、色々と説明する「ガイドのおじさん?」のような真似に及んでしまった場面が多々在った…こういう状況も余り記憶に無い…今日の便では日本人旅客(=ツアー等)が多数派だったようだ…今季の稚内・コルサコフ航路だが…日本国内からの旅行者が増えた他方で、ロシア人旅客が減少していて、全体的には対前年比でやや旅客が少なめで推移しているようだ…

好天の甲板に陣取り…何となくうとうとと座ったままで居眠りの場面も在ったようだ…気付くと夏季の晴天時に発生する霧に包まれていたり、誰かが洋上のイルカを観て喜んでいたりというような場面がいきなり現れるという経験をした…

乗客が多目だったので、物理的な手続時間は要したものの、何らの問題も無くコルサコフ港で入国を果たし、ユジノサハリンスク市内の宿に向かった…

ユジノサハリンスクでは…昨年3月に知り、6月にも寄っているホテル近所の店で、同行した皆さんと軽く食事を愉しみながら、明日からの用事の成功を期して極軽く呑んだ…

宿に引揚げてのんびりしている間に…“サハリン時間”で日付が変わった…

↓サハリンでの画…(可能な範囲で順次追加予定…)
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Sakhalin, Russia on SEP 2013' set on Flickriver