昨年12月に「7県全てに足跡を残してみよう…」と九州各地を巡った際、佐賀に立ち寄ったのだったが、佐賀は「人気観光地」ということでも「商用等で訪れる場合が多そう」ということでもないような感であるにも拘らず、強い印象を残してくれた。
幕末期に、かの鍋島直正―閑叟”(かんそう)という号の方が知られているかもしれない…―の指導下、当時の先進技術を積極的に導入し、人材を登用していた佐賀は、明治期、更に大正期に活躍する人材を多く輩出することとなった。そうした人達の事績等を伝える、幕末期の状況を再現したという建物に設けられた“佐賀城本丸歴史館”が非常に面白かった。更に、佐賀が輩出した人材の一人である大隈重信の記念館も興味深かった。
そのなかなかに面白かった“佐賀城本丸歴史館”では出版を手掛けていて、館内の展示で紹介する等している佐賀県に縁の人達を紹介するシリーズである「佐賀偉人伝」を出している。
↓既に何冊か視ているが、現在「順次刊行中」であり、少し前には未刊行だったものが現れた…
佐野常民(佐賀偉人伝)
↑佐賀関係の人材としては忘れてはならない人物かもしれない…佐野常民である…
これまで視てきたこのシリーズ…幕末期の佐賀の領主だった鍋島直正、明治初期の士族反乱の中で生涯を閉じた島義勇や江藤新平、明治・大正の政界で重きを為して首相も務めた大隈重信という人達を扱ったものだった。佐野常民はそうした人達に比べるとやや地味な感じがしないでもないのだが、実は彼こそが「鍋島直正が登用」という俊英の代表格のような事績を挙げた人物で、明治期にもなかなかの実績を挙げながら要職を歴任している。そして「日本赤十字社」の創設にも携わっている。
鍋島家中の武士の家に生まれた佐野常民は医師の佐野家の養子となる。少年時代から勉学に勤しむ機会を得ていたが、実家よりも裕福で“格上”な家の養子ということで、辛い思いをした場面も在ったようだ…
やがて彼は「日本国内では余り知られていなかった科学全般」というような意味合いで言う“蘭学”を学ぶようにもなり、「医師であると同時に、新技術に明るい」という“知識人”、“学識経験者”というような型で、鍋島家中で登用された。かの「長崎海軍伝習所」でも学び、幕臣達に次いで学んでいた者が多かった“佐賀グループ”のリーダー格のようになって積極的に活動していたようである…「長崎海軍伝習所」の活動停止後、彼は佐賀に還って、佐賀の“海軍整備”に勤しんだり、かの「幕末のパリ万博」に携わるのだ…
こうした若き日々のことから、明治期のことまで、本書には時系列に沿って判り易く説かれている。夢中で物事に取り組み、何時まででも自説を熱心に語る、過ぎる程に“熱い男”で、誤りと判ればそれに拘泥しない素直さや率直さを持ち合わせ、仕事への厳しさと同時に人々への優しさを併せ持ち、“鯨飲”するような豪快な一面も見せたという佐野常民の歩んだ道程と魅力が、本書には溢れている。爽快な読後感を与えてくれた!!
幕末期の佐賀に、佐野常民らが活動していた、操船等の海軍関係者の訓練を行う場、造船や船の修理や整備を行う場、装備品を開発・製造する場というようなことで「三重津海軍場」というものが設けられていたそうだが…現在は跡地が公園化されていて、生まれた場所の近くでもあるということで、佐野常民の記念館も設けられているのだそうだ…佐賀再訪が叶うのであれば、是非立ち寄ってみたい…
>>佐賀城本丸歴史館を訪ねた経過…
>>『長崎海軍伝習所の日々』/カッテンディーケ