『改訂版 平戸オランダ商館』

最近は多数の写真を撮る機会も在ったので、それらの整理等に勤しんでいて、こちらで本の紹介をしていなかった期間が続いたが…実は色々と愉しんでいる…

↓かなり興味深かった一冊を御紹介する。



平戸オランダ商館改訂版 復元された日本最古の洋風建築(長崎新聞新書)

↑“改訂版”と在るのは…一度上梓された後、“状況”が動いたため、関係情報を書き加えているという意味である…

平戸…長崎県の北側の島である。島では在るが、現在は九州と橋で結ばれている。この平戸は、長崎の出島が成立する以前にオランダ商館が設けられていた土地だ。

本書は、その平戸で永く仕事をしていた方が著した一冊で、平戸を巡る歴史の紹介と、オランダや英国にも足を伸ばした平戸のオランダ商館の調査研究のあらまし、平戸で進められ、そして竣工したオランダ商館の再現のお話しが纏められている。“改訂”の前はオランダ商館の再現が竣工していなかったようで、その話題を入れて“改訂”したのである。

本書に関しては、かなり夢中になってしまうものが在った…「平戸オランダ商館」という、約40年間の繁栄を誇ったモノに関して、“キーマン”と言うべき何人かの人達に関することや、「鎖国!!」の一言で括られている状況に向けた幕府外交政策の変遷等、「主題とするモノの背景」が非常に判り易く興味深い。そして、これに加えて大変な労苦の末に竣工した“商館”の物語である…

実は…長崎で元の出島の場所に再現された建築群を大変に興味深く見学したことが在るのだが…この平戸も何時か訪ねてみたくなった!!

『大北電信の若き通信士』

長崎県の様々な話題を掘り起こす「長崎新聞新書」というシリーズが気に入ってしまった…よく知られている話しの裏側や、余り知られていないことや、知っているような知らないようなことに、各分野で活躍する著者が見事に光を当てている秀作、力作が多かった!!

↓その気に入ってしまったシリーズの新刊…大変興味深く読了したところである…



大北電信の若き通信士 フレデリック・コルヴィの長崎滞在記(長崎新聞新書)


“大北電信”とは何か?これはデンマークの企業である。“大北”というのは、デンマーク語やその英訳(デンマーク語:Det Store Nordiske Telegrafselskab A/S、英語:Great Northern Telegraph Company)の社名を和訳したものなのであろう…

“大北電信”は、1869年6月にデンマーク・コペンハーゲンで国際通信社を目指して創業されている。1871年に上海・長崎間、ウラジオストク・長崎間に海底電信線(海底ケーブル)を敷設し、1872年から欧亜陸上電信線を経由して「ロシア経由で欧州諸国と極東を初めて電信で結ぶ」ことを事業化した。(因みに…“大北電信”は日本政府の要請を容れる型で朝鮮半島の釜山と呼子とを結ぶ海底ケーブルを敷設し、そのことを切っ掛けに国際電信の独占権を得た。“大北電信”は、その後一部のケーブルを日本政府に売却はしたが、日本政府からこの海底ケーブルの利用料金を徴収し続けていた。1940年にドイツがデンマークを占領するに及び、日本政府は会社と海底ケーブル業務を譲渡させる契約を結んだ。戦後、これが“戦後補償”の案件化し、1955年9月20日に「大北電信会社請求権解決取極」が締結され、この問題の補償金として30万ポンドが支払われている。更に…同社は1940年代から1970年代に多角化してグループ化していたが、1980年代になると音響機器メーカーとなり、現在も社名を変更して存続しているが、電信事業は行っていない…)

こうした事業に関連して、1870年代に“大北電信”の関係者が来日し、日本に滞在している。こうした人達の中には、なかなかに興味深い研究や手記を遺している人達が居る。長崎には基地局が設けられていたことから、彼らの中には長崎で暮らしていた人達も居る。本書の主人公ということになるフレデリック・コルヴィも、そうした人達の一人である。

長崎に滞在したコルヴィが遺したものは、個人的な日記であった。デンマークと日本との交流の歴史等を研究している著者が、デンマークの公文書館に在ったこの日記に回り逢い、本書のような型で紹介するまで余り知られていなかったモノである。

「個人の日記」という性質上、“史料”ということでは著者が本作の中でも指摘するように、多少の偏向は在るものの、「(当時の)最先端技術を駆使して大胆な事業に挑む会社の仕事に身を投じた、デンマークの20代の若者」の目線で自身の経験、見聞が率直に綴られたモノは大変に貴重だ。明治時代初期の長崎の雰囲気も、なかなかによく伝わる。

本書は、著者の解説でこのコルヴィの日記に綴られている内容を紹介するもので、なかなか夢中にさせてくれた。

本書では、コルヴィの日記だけではなく、同時代にデンマークからやって来た人達が遺したモノに関する紹介も在る。コルヴィの友人でもあった人達が遺したモノとしては、長崎から島原や熊本・八代を訪ねた経過を綴った、結果的に類例が殆ど見当たらない「明治初期の九州の地方」を記録したことになる旅行記や、古銭蒐集趣味が入口になり、古銭の発行時期や発行された時代の背景を探ろうとしたことが切っ掛けで生まれている「日本の暦の研究」等が存在する。

デンマーク…欧州の北寄りに在る小さな国ではあるが、明治期には本書のコルヴィ達が働いていた“大北電信”に関連することや、当時は外国人の経験者を雇うことも多かった海運や貿易の分野で、デンマーク人達は存外に大きな足跡を残している。そんなことを思いながら、本書を大変興味深く読んだ。また本書の末尾には、長崎の郷土史家による解説も付されているが、そちらも非常に好い。

『壱岐焼酎』

“酒”というモノは、或る意味では「文化の粋」だと思う。普通に“食糧”ということにもなり得る“材料”を使って造るものである以上、そうした産物の生産が「充分な量を確保し得る水準」に至っていなければならず、そこに醸造、蒸留というような技術が発達していて、場合によってはそれらが流通して人々が呑む文化的な到達、経済的な到達が無ければ、恒常的に酒が造られ続け、それが或る地域の伝統と言えるようにはなって行かないであろう。言葉を換えると、「酒が造られ、それが続けられる」ためには「或る程度“高度”なもの」が現場に無ければならないのだ。

本書を刊行しているのは、長崎県で活動する新聞社なのだが、本書では長崎県内に在って、そうした「或る程度“高度”なもの」が在る現場である「壱岐」のお話しが綴られている。

↓大変な期待と共に頁を繰り始めたが、最後まで期待は裏切られなかった。非常に愉しく読了出来た一冊である。



壱岐焼酎 蔵元が語る麦焼酎文化私論(長崎新聞新書)

↑「好きなタイプ!!」の一冊である!!

本書の著者は、壱岐で焼酎蔵を営む会社の会長である。祖父が興した蔵を、父、長兄が受け継いでいたが、長兄が急逝したことから、余所で会社勤めをしていた著者自身が蔵を受け継ぎ、現行の法人体制に改めるなどし、更に焼酎づくりの伝統を受け継ぎながら販路拡大の努力を重ねてきたという。壱岐は決して大きな島では無いが、焼酎を造る蔵は7件も在るという。著者は、業界としての様々な取組にも尽力し、或る意味では「壱岐の焼酎業界のスポークスマン」的な役目も担いながら活躍されている。

本書は、“酒”というモノが作られるようになった歴史、壱岐で行われている焼酎造りの手法の紹介、“醸造酒”が「醪(もろみ)を蒸留」という“蒸留酒”になって行った経過、蒸留技術の伝播に関する考察、壱岐に於ける酒造や酒を巡る風俗の変遷、著者の会社の歩み、“壱岐”という“ブランド”の経過等が語られている。言ってみれば「壱岐の焼酎を入口に、酒に関連する薀蓄が盛り沢山!!」という具合になっている。

実は壱岐を訪ねたこともなく、壱岐の焼酎に親しんでいる訳でもないのだが、それでも本書は面白かった!!

長崎県は、その領域の殆どが「山がち」な地形で占められている。そうした中、壱岐は“島嶼”ということになるにも拘らず、県内屈指の面積を誇る平野が在り、古くから米や麦を多く生産しているのだという。米は年貢として多く徴収され、厳しく管理されていたことから、規制が緩い麦が酒造材料に用いられるようになって行ったと見受けられるということだ。

嘗て焼酎等の酒類は、“自家製造”または「近所の人達や気の合った者のグループ」で必要な道具類を揃えて製造するものが多かったという。それが、明治時代に酒税を導入して酒の製造を管理する、酒造の免許制を始めたことから、これまで酒造を担っていたグループの一部の人達が免許を取って、今日の蔵の起こりとなるモノを興したのだという。

焼酎に関しては、「沖縄の泡盛が南九州へ伝播」という考え方が在るのだが、沖縄の泡盛は「タイ米をそのまま発酵させて醪にして蒸留」なのに対し、南九州の焼酎は「米麹と材料を併せて醪を造って蒸留」というように製造時の方式が一寸違う。壱岐の焼酎は「米麹と材料(麦)を併せて醪を造って蒸留」という製造法だ。壱岐の位置は、大陸からの直接、間接の技術伝播―蒸留術や、醪を造る際に使う大きな甕を造るノウハウや、甕そのものを確保することなど―の上で優位なため、今日に受け継がれる焼酎造りの基本がかなり早く確立したと視られている。そうしたことと、製造方式の共通項から、「壱岐で確立した焼酎造りのノウハウが九州各地に伝播」という考え方が出来るというのが、著者の見解である。言わば「壱岐は焼酎の発祥の地」ということになる…

この「壱岐の焼酎を入口に、酒に関連する薀蓄が盛り沢山!!」という具合の一冊…素面で読んでも、グラスを傾けながら読んでも面白い!!

『シーボルトと町絵師慶賀 日本画家が出会った西欧』

本を通して、「知らなかった人物」の事績や人生を知るというのは、実に愉しい営みだと思う。

↓こんな一冊を通じて、“町絵師慶賀”という人物の事績や人生を知ることになった…



シーボルトと町絵師慶賀 日本画家が出会った西欧/兼重護

↑なかなかに面白かったので、この一冊は広くお奨めしたい…

医師として来日し、滞日中には熱心に資料や情報を集め、日本の事を欧州に紹介したことが知られるシーボルトには関心が在った。本書の題の“シーボルト”を視て、「何だろう?」と思ったのだが、本書はシーボルトから仕事を請け負った絵師の川原慶賀が主役な一冊である。

川原慶賀は、どういう人生を歩んだのか、仔細が伝わっているでもないのだが、出島への出入りを許された絵師で、シーボルトが来日する少し以前から出島のオランダ人達と交流が在った人物である。博物学的な日本研究に勤しむことになったシーボルトと接し、シーボルトが関心を寄せた、図鑑の挿絵のような動植物などの画や、街や自然の景観、人々の様子を描くことを依頼され、そういう画を多く描いた人物である。シーボルトが商館長と共に江戸へ向かう旅をした際、川原慶賀はシーボルトに請われて同行し、彼の“記録係”というような仕事もしている。

この川原慶賀の作品だが、シーボルトの依頼を受けて描いたようなモノが多いため、寧ろ欧州諸国で「日本を紹介した19世紀の…」というようなモノの中に多く残っている。他に、日本国内に伝えられている作品も在る。

“絵師”という存在…彼らは“画家”、言葉を換えれば“芸術家”でもあるかもしれないが、同時に「発注主の意向を踏まえて“描く”という技芸を発揮する」という“職人”でもある。川原慶賀は、「新しい技法を貪欲に学び、自分流に消化しながら試行し、それを積極的に仕事に採り入れる」というタイプの“職人”だったのであろう。向上心、見慣れない表現技法への好奇心が旺盛な人物でもあったのだと思える。

こんな川原慶賀の作品、その作画技術の変遷、作品が描かれた背景に在ったと思われる事情等を、美術史の研究者である著者が懇切丁寧に説いている本書は、なかなかに興味深かった。「欧州に日本を紹介」ということで有名なシーボルトの脇に、「新しい技法への好奇心が旺盛で、向上心溢れる職人」が居たということ…その職人たる川原慶賀の物語を知ることが出来て善かった!!

ところで…長崎にはこの川原慶賀作品も含めて、古くから伝えられている画等を所蔵している博物館等が在るようだが…長崎を訪ねた時には、街を動き回ることに夢中で、余りそれらを顧みなかった…何時か、そういうものも視に出掛けたいものだ…

『ちゃんぽんと長崎華僑』

長崎で「ちゃんぽん発祥」を謳う老舗を訪ね、その“発祥”の味を伝えるというちゃんぽんと、更に「最初に世に問われたバージョン」であるという皿うどんも頂いてしまい、大変に愉しかった。

その際に、現在の社長による著書が存在することを知ったのだったが、後日確認してそれを入手し、大変愉しく、また勢い良く読了した…

↓こんな一冊である…
ちゃんぽんと長崎華僑―美味しい日中文化交流史 (長崎新聞新書)
陳優継/ちゃんぽんと長崎華僑 美味しい日中文化交流史

著者は私自身より少しだけ年長ということで、「同世代が聴いた、或いは同世代から視た曽祖父、祖父、父の世代」という話しや料理の話しは大変に興味深いもので、同時に“華僑”という中国大陸に縁が在る一家の一人である著者による、御自身を含むそうした人達が伝えている催事の非常に詳しい紹介や、一家のルーツを探るべく中国を訪ねた際のことに絡めて紹介される、中国の家族で伝えられている伝統に関することなど、非常に面白い。或いは…何代か先の世代の誰かが「長崎に起こった料理店を経営した4代目が遺した著作によれば…」とでも綴りそうな、“未来の史料”という価値も在るように思えた程だ…更に言えば…そういう“未来の史料”を綴るということも著者の意図の一部なのかもしれない…

4代前…古く「蝙蝠傘1本持って」と表現したらしいが、陳平順という人物が“身一つ”という状態で、福建省の貧しい村から上海を経て長崎にやって来た。身元引受をしてくれた貿易商の伝で行商をして働き、7年程経って店を持つに至った。その店が現在にまで続く老舗の“四海楼”である。そしてちゃんぽんや皿うどんというような、現在にまで続く名物料理も登場した…

長崎という街の盛衰の中で生きた陳平順と家族、彼が興した店の経過というものが活き活きと綴られ、非常に興味深かった。現在にまで続く程の老舗のことなので色々と記録が残っていたということも在るのであろうが、極若かった頃に陳平順の下で働いていた経験を持ち、本書の著者である4代目の現社長とも親しいという方が、本書出版時点で94歳の高齢で健在であるということで、その方を含む多くの方達の証言を集めて本作が綴られたことであろう。あの“四海楼”には、ちゃんぽん発祥のこと等を伝える「資料館」が在り、そこも確り見学していた。そこで視たことが、本書のお蔭でより詳しく判った…

本書のお蔭で、偶々「ちゃんぽん発祥」と聞いて訪ねた老舗で味わったちゃんぽんを入口に、「長崎の豊かな歴史の一面」を深く知ることが出来たと思う…これは大変に有益な経験だ…

『シュガーロード 砂糖が出島にやってきた』

長崎の路面電車の停留所に“出島”というものが在るが、その停留所の傍が正しく出島であった。その出島であった場所だが、19世紀前半位の様子が再現されていて、なかなかに興味深い場所になっている…

出島に再現されている建物だが、“オランダ商館”のオランダ人達が活動していた場所や、出島で行われる貿易や人の出入りを管理していた“乙名”(おとな)と呼ばれた日本人関係者が活動していた場所が目立ったが、中には倉庫も在った。

貿易関係の場所だったのだから、倉庫が並んでいるのは当然かもしれない。その倉庫に関して、「中に収められていたモノ」ということで“砂糖”が在ったことを紹介していた…

「砂糖が重要な交易品だったのか…」と「出島と砂糖」というようなことに興味を覚えたが…

↓そういう興味に合致した一冊を視付けてしまった…

シュガーロード砂糖が出島にやってきた長崎新聞新書
↑大変に興味深く読了したところである…

砂糖というものは、今では珍しくも何ともないものだが、日本にそれが伝わって普及するまでには永い年月が費やされている。そして普及が見られるようになると、その勢いは凄まじいものだった…

本作は、アレキサンダー大王の時代から大航海時代までの「砂糖の拡がり」を俯瞰した後、砂糖が出島に至り、出島でどのように取引されていたのか、更に日本での砂糖の普及というようなことを説くもので、なかなかに愉しい内容である。

出島に砂糖が登場…これはサトウキビで作る砂糖というものが、大雑把に言って地球を一周して辿り着いたということになるのだという…

出島から入り込んだ砂糖は、大きな利益をもたらす交易品で、砂糖が普及するに連れて扱い高は増えたが、他方で国産砂糖等別の供給路も登場した。それでも贈答向け奢侈品としての「出島に舶来の砂糖」という存在感は大きかったのだという…

また砂糖は、インドネシアと長崎とを往来したオランダ船にとっては船の安定を維持する“バラスト”という機能も担ったモノで、「長崎に着いて砂糖を下ろし、代わりに銅を積んで戻る」という営みが「貿易の実体」のようになっていた一面さえ在るという…

砂糖は「余りにも身近」で、在るべき場所に在るのが当然のように思えて、或いは「そこに在る理由」を考えることさえしないような代物だが、その背後には「壮大な人類文明史」が在り、「日本の経済史・社会史」が在る…非常に興味深い!!

『霧笛の長崎居留地』

永年の「時代モノ好き」である故か、“長崎”には何処と無く惹かれるものが在ったし、現在も在り、これからも在り続けるのであろうと思っている。実際に一度長崎を訪ねてみて、そうした漠然とした想いは確信の領域に踏み込み、何時になるのか、また実現の可否さえ判らない“再訪”を希望していることを自覚するに至っている…

そういう最近の気分を反映してなのか、札幌の大きな書店に立ち寄った際、“長崎関連”と言える書籍が随分と眼に留まった…不思議なものである…

↓これはそうして札幌の書店で出くわした一冊である…
霧笛の長崎居留地―ウォーカー兄弟と海運日本の黎明 (長崎新聞新書)
霧笛の長崎居留地―ウォーカー兄弟と海運日本の黎明 (長崎新聞新書)
↑大変に興味深い内容で、素早く読了してしまった…同時に広く奨めてみたくもなった…

妙な喩えかもしれず恐縮だが、“歴史”には「ケーキのような感じ」が在ると思う。ケーキは“12等分”に切ることも、“8等分”に切ることも、“半分”に切ることも出来る。他方、丸毎食べてしまうことも出来る。“丸毎”、“12等分”、“8等分”、“半分”と「同じケーキ」でも見え方は全く違う。味に差異等無い筈だが、食べた時の感じ方はやや違うかもしれない…というように、ある国や地域の人々の上に流れた時間は同じであっても、それを振り返る際の“切り方”が変われば、“見えるもの”、“感じられるもの”等々は違う…故に「妙な喩え」を持ち出してみたのだ。

本作は「少し独特な切り方」をして、「明治時代の最初の辺りから終戦までの日本」を一定程度“通史”的に語っている。

その「少し独特な切り方」とは…“長崎居留地”に住んでいた外国人達の様子、ビジネスマンとして、専門技術者として来日した彼らの活躍やその仕事の推移や長崎の盛衰というようなことを、結果的に「“長崎居留地”に住んでいた最後の外国人」ということになったロバート・ウォーカー2世を輩出した“ウォーカー一家”の辿った道程を軸としながら語っているのである…

明治時代に入った頃、英国人のウォーカー兄弟はかの三菱の創業者となった岩崎弥太郎に雇われる。彼らの仕事は“船長”だった。当時の日本人が未だ豊かな経験を有していた訳でもなかった帆船や蒸気船を運用する遠洋航海…それを自身で仕切ったり、或いは日本人に対して指導するというのが彼らの仕事だった…

ウォーカー兄弟は船長を出発点としながら、やがて実業家となって行く…そして結婚もし、子ども達も生まれ、孫達も生まれていく。

そうした彼らの人生の歩みと並行し、明治・大正・昭和の日本が辿る経過が在り、そんな中で長崎という街も反映と衰退と変化を経験することになる。

長崎のグラバー園には、最も著名なグラバー邸の他、“長崎居留地”の様子を伝える様々な建物が集められている。こうした本は「訪問前」に読むのも結構だが、「訪問後」に訪ねた時の様子を思い出しながら読んでみるのも善いものだ…

本作の著者ブライアン・バークガフニ氏はカナダ御出身ということだが、永く長崎に住んでいる。大学で教壇に立っている他、グラバー園の名誉園長を務めるなど、地域の歴史を紹介する仕事を多く手掛けているという。そもそも、グラバー邸を見学し「ここに住んでいた人達の末裔はどうしている?」と素朴に思ったらしく、そこから「“居留地”に居た人々や、彼らの事績に関する研究が存外に浅かった」という状況に気付き、研究を重ねるようになったのだという。

「少し独特な切り方」で綴られる、「長崎から」目線の明治・大正・昭和の通史…意外に読み応えが在る!!