サハリン州郷土博物館の建物は、「ユジノサハリンスクで最も有名な建物の一つ」と言って差し支えないと思う。初めてサハリンを訪ねる同行の皆さんと共に、この博物館に立ち寄って見学をした…
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地元の歴史等を伝える“博物館”に類する場所で、その「建物そのもの」がなかなかに価値が在って立派なモノであるという事例…意外に在るようにも思うが…ユジノサハリンスクで視掛けるこの博物館も、「先ず、建物そのものが、大変立派な“展示品”だ」と何時も思う…
何かの都合で変わる場合も在り得るのだが、ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館では概ね下記のような展示が視られる…
1階左側:古生物、自然、動物
1階右側:考古学系のモノ、北方少数民族関係
2階左側:19世紀から20世紀前半の歴史
2階右側:第二次大戦期以降の歴史
こういう具合なのだが…1階から2階へ階段で上った辺りで来館者を見詰めている銅像が在る…
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この人物…ゲンナージー・イワノヴィチ・ネヴェリスコイという…
ネヴェリスコイは19世紀のロシア海軍の軍人だ。1853年に、今日のコルサコフに砦を築いた人で、それまで“タタール湾”とされていた箇所を“海峡”と改めたとされている。「タタール海峡」…要するに「間宮海峡」であるのだが…
サハリンでは、このネヴェリスコイは「地域を拓いた先人」として大変な敬意が払われているようだ。樺太時代には“本斗”と呼ばれていた街は、このネヴェリスコイに因み、1946年に“ネヴェリスク”と改名して今日に至っていたりする…
サハリン州郷土博物館には、このネヴェリスコイも含め、サハリンへやって来た航海者達も紹介されている。日本関係の最上徳内、間宮林蔵、松浦武四郎という辺りも確り紹介されていた…
やや厳しい感じで博物館を訪れる人々を迎えているネヴェリスコイ…辿り着いた極東の島が資源ビジネスで注目されている今日の様子など、想像だにしなかったであろうと想いながら像を見上げるが…同時に「こういう顔や体格のおじさん…意外に視掛ける…」などとつまらないことも思ってしまう…
↓1階左側に、にこういうものが展示されている…
![7344671924_3df7c60aa3[1].jpg](http://mirage-hdr.up.269g.net/image/7344671924_3df7c60aa35B15D-thumbnail2.jpg)
旧い哺乳類の骨格が化石化したものである。水辺に棲んでいたと考えられる“デスモスチルス”なる動物であるという。カバのような動物ということになるのか?
殆ど全部の骨が在り、“デスモスチルス”なる動物の姿を伝えてくれるこの化石だが、サハリン州郷土博物館に在るものは精巧なレプリカである…
これの“本物”(オリジナル)は、札幌の
北海道大学総合博物館に在る。レプリカは、北海道とサハリン州との善隣交流に寄与すべく、
北海道大学総合博物館がサハリン州郷土博物館に贈ったモノのようだ…
この化石は、樺太時代に当時の“北海道帝国大学”(現在の北海道大学の前身)の調査チームが樺太に出向いて発掘した代物である…
↓
北海道大学総合博物館の
サイトに在る“データベース”に下記のような説明が記載されていた。
デスモスチルス
Desmostylus hesperus
哺乳類 MAMMALIA
産地 ロシア連邦サハリン州スミルヌィフ地区スミルヌィフ町旧気屯川支流初雪沢4号堤(樺太庁敷香郡敷香町気屯・気屯川支流初雪沢4号堤)
【旧】 樺太敷香町気屯川支流初雪沢4号提
【英】 Smirnykh, Smirnykhovsky Dist., Sakhalin Oblast, Russia
年代 新生代新第三紀中新世
地質 本斗層群内幌夾炭層
「樺太敷香町」(からふとしすかちょう)とは、現在のポロナイスクである…北緯50度線の少し南側の東海岸に在る街だ…そして「気屯」(けとん)はもう少々内陸にあたり、現在はスミルヌィフという別な町ということになっている…私自身、残念ながらポロナイスクやスミルヌィフを訪ねたことはないが…
館内の写真を載せているが…50ルーブルの入場料の他に、70ルーブルを支払って許可を受けると館内での写真撮影が許可される…
↓建物の周りは2000年代に入って綺麗に整備され、市民の憩いの場になっている…
![7344680318_d4d05fc1a6[1].jpg](http://mirage-hdr.up.269g.net/image/7344680318_d4d05fc1a65B15D-thumbnail2.jpg)
↑この日は、市内なのか他所から来ているのかは判らないが、児童生徒の団体が存外多く来ていた…この庭で記念写真を撮っていた。記念写真と言えば、この場所で記念写真を撮る新婚カップルもよく視掛ける。この日は居なかったが…
建物は「コンクリートの建物に、和風な瓦屋根を取り付ける」という、1930年代に日本で流行った“帝冠様式”というもので建てられている。日本国内でも、この時代の建物、この様式に数えられる建物は限られたものしか残っていないが…広大なロシアでも、こんな様式の建物はこれ位なものであろう…
この建物は、1937年に竣工した“樺太庁博物館”だった。1946年のソ連化以降も博物館として使用され続けている。“機構”としては、「アレクサンドロフスク・サハリンスキーに在ったサハリン州郷土博物館」が“移転”という型になっていて、「博物館の歴史」は「アレクサンドロフスク・サハリンスキーで興り」という所から綴られるのが現在の通例のようだ。
↓中の階段もなかなかに堅牢そうだ…
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↑こういう雰囲気…「軍隊の司令本部か何か」を想わせるが、ここは飽くまでも博物館である…
↓偶々、出入口辺りをゆっくり眺めてしまった…
![7159470987_156d37aa8c[1].jpg](http://mirage-hdr.up.269g.net/image/7159470987_156d37aa8c5B15D-thumbnail2.jpg)
↑扉に「菊の御紋章」が浮き彫りになっている…
扉の「菊の御紋章」に初めて気付いたのだが…また改めて訪ねると、新しい発見が在りそうである…