航海日誌:2011年6月9日

※<航海日誌>と題し、6月7日から6月9日のサハリンを振り返る内容を御紹介したい…

「出発が早い」という前夜に、どうしても眠りが浅くなる現象はサハリンへ行っても変わらない…多少早めに起き出した…

部屋で横になっていては居眠りをしてしまうので、朝食前に近所を少しだけ歩いてみた。降雨は免れているが、何時でも降り出しそうな、どんよりと曇った感じで空気はひんやりとしていた…

この日は「乗船客が多めで、コルサコフ港での出国手続に時間を要するかもしれない…」ということで、7時30分には早々と出発することになった…ということで、朝食の食堂も早めな時間帯から賑わった…

特段にゴタゴタするでもなく、7時30分頃にはバスが動き出し、8時15分頃にはコルサコフ港に到着した…

そこでの手続開始までの時間…長かった…手続が終わって、船に乗り込んだ時点で出航予定時間の10時は過ぎてしまっていた…船が出発する旅客を全員乗せて、準備を整えて動き始めた時点で11時を少し過ぎていた…

甲板で風景を眺めていた…往路では見えなかった、プリゴロドノエのLNG工場も姿が見えた…しかし、濃い霧に包まれ始め、薄暗い海面しか見えない状態だった…

そうしていた間に、甲板のベンチに腰を下ろしていた状況で居眠りしてしまったらしい…しかしながら、寒さで眼を醒ました…何か草臥れていた…

甲板はとにかく肌寒く、長い時間出ているのは無理で、船内で適当に横になったり、座ることの出来る場所を見つけて座っていた…

稚内港到着は1時間余り遅れてしまった…稚内で他の乗物を利用する皆さんは多少慌てていた…私は別段慌てる必要も無かったが…

稚内港到着後、ターミナルでの用事を足し、帰宅したが…足取りが非常に重かった…

今回は「慌し過ぎた」感で、“2時間時差”にほんの少しでも馴染む暇もなく、帰国の船に乗船したので異様に疲れてしまった…

ということで…とりあえず6月7日から6月9日のサハリン訪問は幕である…

航海日誌:2011年6月8日

※<航海日誌>と題し、6月7日から6月9日のサハリンを振り返る内容を御紹介したい…

稚内の自宅で「多少早いが…」と思いながら5時台に眼が醒めて起き出すことが在る。「6月頃の5時」と言えば、天候が優れずに薄暗い場合は在っても、日の出から1時間以上を経ているなりの明るい時間である…

サハリンのホテルで…「多少早いのか?」と思いながら眼を醒まして時計を視て、時間が5時台だった場合…6月頃で在っても暗い…日本時間の3時台と同じなのだ…日の出前に相当する…

そんな状況だったが…「6時から可」と聞いていたホテルの朝食を早々と頂こうと食堂へ向かった…

早速に朝食を頂きながら、窓を眺めた…戸外はどんよりと暗く、雨が混じっている…同じ行程でサハリンへやって来た中に“雨男”とか“雨女”が居るのか?予報では雨ではなかったような気もしたのだが…

ホテルの朝食は、所謂バイキング方式で、色々なものを選ぶことも出来、なかなかに好かった。

出発の朝、何となく肌寒いのでレザーのキャップを持って来ていたのだが、途中で雨に降られた場合に頭が濡れないようにそれを被り、戸外を散策してみることにした…

ユジノサハリンスクは18万人の人口を擁する街で、周辺の車で1時間とか1時間半という距離の地域を含めると「30万人程度の商圏の中核」ということになる地域だ…車の交通量も多く、何時も賑やかなのだが…「朝7時前」は流石にヒッソリとしていた…

滞在したホテルは、ユジノサハリンスクの都心に極近く、5分少々で1937年竣工の建物を利用し続けている博物館に行き当たる場所だった…その博物館や、少し先のロシア正教の聖堂、更に“無名戦士の墓”が在る広場等を散策してみた…空気がひんやりとしていた…

この日は用事を足す日に当っている…「2泊3日のサハリン」とは言うが…朝から夜まで丸一日動くことが出来るのは“中日”のみだ。第1日と第3日は移動に終始してしまわざるを得ないのだから…

という訳で、この“中日”の一日で出来ることなど…知れている…「最低限の動きで結構であろう」と思っていたのだが…結局「必要以上に忙しい」というような感じになってしまった…

一日を通じて…不順な天候は続いた…昼前から午後に掛けてコルサコフ方面を訪ねたが、その時間帯に多少晴れた以外は曇っていて、時折やや強い雨に降られた…

夕刻に暫時休憩―近くに煙草や、ホテル室内で飲む飲料を求めに出たが…―を挟み、会食も在った…

会食に利用したレストラン…これが意外に素敵である!!場所はホテルの近く、街の中のどうということもない場所だが、料理が好い!!かの『戦争と平和』の時代のロシア側の指揮官の一人であったバグラチオン公爵の名を冠したレストランで、何となく「貴族の館の料理」を思わせる雰囲気も在るのである…

会食は、必要以上に気を遣うでもない和やかな雰囲気のもので、大変に結構だったのだが…一日中動き回って多少草臥れてホテルに戻った…

ホテルでは“禁煙フロアー”に押し込められているので、玄関前の灰皿が在る辺りで一息入れていたのだが…ここでまた、予期せぬ型で、昨年までに何度か稚内に迎えた経過の在るサハリンの方に出会った。先方は、ホテル内のカフェで友人達と過していたのだそうだが「見た顔?それも稚内に行った時に…」と愕き、こちらに寄って来たという…

前日の「“本物”なの?!」に引き続き、なかなかに嬉しい小さな出来事だった…それから部屋に入ったが…服を脱いでベッドに横になって…何時の間にか眠ってしまった…

気付いて時計を視ると…午後11時頃だった…

ぼんやりと机に置いた煙草に手を伸ばした…そして数秒…“禁煙フロアー”に押し込められていたことに思い至った…服を着て、手近なモノを入れたバッグを持って部屋を出た…

6階の端に在る部屋からエレベーターを目指し、1階へ下った…そして玄関前へ…煙草に火を点けた…一本の煙草が美味い!!

部屋へ戻ろうと思ったが…1階のカフェに灰皿が据えられている…喫煙可!!結構である…スタッフに尋ねると、珈琲は110ルーブルだ…昨年利用した街の喫茶店では90ルーブルとか120ルーブルだったので、「そんな感じ…」と思える価格帯だった…

カフェで珈琲を愉しんでいた間に…日付も変わった…

航海日誌:2011年6月7日

※<航海日誌>と題し、6月7日から6月9日のサハリンを振り返る内容を御紹介したい…

「出発が早い」という前夜は、どうしても眠りが浅くなり、とりあえず早めに起床するのだが…

早めな起床の後は「また居眠りしてしまって…それで出発に遅れるというような事態も…」という不安が付き纏い、非常に心地が悪い時間を強いられてしまう…

そうした心地悪さの回避には…早めに出て、喫茶店にでも道草するのが好い…この近所で「朝!!」と言えば喫茶“B”である…

というような経過を辿りながら、稚内港のターミナルで<アインス宗谷>に乗り込む時を待った…

6月から9月、28往復56便が動く予定の<アインス宗谷>は、6月7日のコルサコフ行きが「今季最初の運航」ということになった。

俗に“ビザなしツアー”と呼ばれている、“ロシア政府決定397号(2009年5月7日)”による「72時間上陸」で渡航する旅客が70人以上居るので、ターミナルはなかなかに賑やかだった…加えて、日本での仕事を終えて帰国するロシアの人達が30人程度やって来て、乗客は100人を超えた…

4万円前後の旅行商品…募集期間は2週間と少々…20人前後も集まれば「善し」とせねばならないのだろうが…シーズン最初のフェリーに華やぎをもたらそうと“破格”で売り出したため、新聞の全道版で紹介―2つの大新聞で取上げられた…―されたことで反響―新聞掲載日、翌日位は、旅行会社の電話が鳴り止まなかったらしい…―が拡がり、参加者が70人にもなったのだった…要するに…「“破格”が“妥当な価格”で、これまでの価格が“高過ぎる”ことの証左」のように思える…

多少賑々しい雰囲気の中、出国手続きを経て乗船した…どんより曇っていて寒い…

その曇っていて寒い状態は…コルサコフ港到着まで延々と続いた…「甲板上で眺める景色」というものが非常に好きなのだが…そういうものが余り楽しめなかった…残念…

“ロシア政府決定397号(2009年5月7日)”による「72時間上陸」…例らしい例が無い“新方式”な訳で、コルサコフでの入国は若干気を揉んだが…何らの問題も無かった…

“ロシア政府決定397号(2009年5月7日)”による「72時間上陸」でコルサコフに入った70人以上の旅客は2台の大型バスでユジノサハリンスク市内のホテルへ移動した…

ホテルで部屋が割り当てられた…今回は初めて利用する、やや新しいホテルだった…幅の在るビルで、私の部屋は6階の端だった…

部屋の扉を見た…煙草の画にバツが着いている、私が嫌いなマークらしきプレートが…何としたことだ!?“禁煙フロアー”に押し込められた…

こういう個人的には「ロクでもない!!」状況に陥ったが、ホテルが“満館”で部屋を換えてもらう訳にもいかない…

荷物を置いてから、軽い夕食を摂ることを兼ねて散策をしようとホテルの玄関へ…玄関辺りには、フェリーの中で色々と話していた、同じ日程でサハリンを訪れた方が2人…

2人はユジノサハリンスク駅辺りを目掛けて、一寸歩いて軽く夕食を摂りたいのだという…

結局、ここで私は“押し掛けガイド”を買って出て、一緒にユジノサハリンスク駅側へ向かった…実は、駅の傍のハンバーガー屋に寄りたかった…ハンバーガーを仕入れてホテルへ戻るという選択も在ったが…店内で頂くことにした…稚内で2,000ルーブルを調達しておいたのが役立った…

そのハンバーガー屋に居ると…見覚えの在る顔が…「うゎー!!こんなところで!?」と昨年稚内へ来た経過の在る方が私に気付いて声を掛けてくれた。

こういうのは非常に嬉しいものだが…先方の二言目が振るっていた…「“本物”なの?!」という表現が出て来た…最近、サハリン辺りに私の偽者でも出没しているのだろうか?これも「予期せぬ場所で、海峡の向こうに居る筈の知った顔を見た」という驚きを示す、先方の瑞々しい感覚が吐き出させた表現であろうが…何となく不思議な感じがする表現だ…

こうして…日本時間では「子どもでも起きているかもしれない時間帯」ながら、サハリン時間―日本時間にプラス2時間―では多少夜が更けた…翌朝に備えて早々と休んだ…

ロシアで一番美味いかもしれないもの…

ロシアを訪問した、またはロシアに滞在した経験を有する人達の間で、時々話題になることがある…

「ロシアの黒パンが美味い…」ということである…

中には「サハリン旅行で食べられたのはパンだけだったような気がする…」という話しまで聞えてくる…

ということで…サハリンを訪ねた際に、思わず求めてしまった…

↓こんな具合のものが、スーパーの“パンコーナー”に並んでいる…
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↑小ぶりなのだが、何かレンガのようにゴツい…

↓私が求めたものは46ルーブルだったが…(※最近のレートは、1ルーブルが3円10銭台位…)
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↑重さが400グラムと表示されている…日本のスーパーで求める食パンの半分か三分の二位の体積と見受けられるのだが、ズッシリ重い…

帰宅後にこれを頂いてみたが…確かに美味い!!麦が凄い密度で詰まっているような感じだ…塊のままでは食べ悪いので、切ってそのまま頂くのが好いかもしれない…

或いは…高価なケーキよりも、このパンは美味いという面さえ在るかもしれない…

『旅客輸送許可を有するフェリーによって観光旅行目的でロシア連邦に到着する外国人及び無国籍の個人がロシア連邦内に滞在する際の手続きについて』(ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号)

記事件名に、敢えて馬鹿正直に長い長い名称を持ち出してみた…

6月7日から6月9日のサハリン渡航の際、この“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”による手続きで渡航した。稚内・コルサコフ航路で、これが試行されたのは初めてだった。

“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”による手続きは“ビザなし”と通称されている。

確かに、今回はビザが無かった。ロシアに渡航すると、パスポートにビザのシールが貼り付けられるのだが、それが無い。入国・出国のスタンプが押されるだけであった。ロシアのビザは「領事館にパスポートを持って行って、その場で直ぐにシールを貼るなり、スタンプを押すなりする」という型で発給していないようなので、パスポートを預けることになるのだが、今回はそれは無かった。ロシアのビザを申請する際には写真が求められるが、それも今回は用意しなかった。

しかし…「領事館が絡まるビザ手続き」は無いが、“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”による「事前手続き」は確りと行わなければならないのである。そして、ロシア国内に滞在が認められるのは“72時間”に限定される。

だから…「ある朝思い付いて、パスポートを持って稚内港のフェリーターミナルに行き、窓口で切符を求めて乗船し、コルサコフ港に上陸(ロシアへ入国)」ということが出来る訳ではない。

ということで…“ビザなし”と通称されているが、“ビザ以外”とでもする方が実態に即しているような気がする。

“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”の背景には、「バルト海クルーズ」というようなものでサンクトペテルブルグに立寄る外国人旅行客が従前から在ったものに関して、「その数を増やして“観光”による経済効果を得たい」というロシア政府の思惑が在るのだと思う。

恐らく「“バルト海クルーズ”というようなものでサンクトペテルブルグに立寄る外国人旅行客」に関しては、従前から“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”に記されているような手続きを経て、ロシア入国を認めていたのであろう。“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”では“クルーズ”に対応する、「それ以外の貨客船」という意味合いで“フェリー”という語句を用いている。そして、この“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”による手続きを実施する港が8港挙げられているのだが、その中にサハリンのコルサコフ港も加えられている。

6月7日から6月9日のサハリン渡航だが、“ビザなし”と通称されている手続きが初めて行われるということで注目されたが…実は「シーズン最初の船に旅客を多く集めたい」ということで、“破格”のツアーが「手続きを行うことが叶うギリギリな段階?」で発売され、それなりの人数(76名)が集まったということで、注目されたのではないかと思う。

「手続きを行うことが叶うギリギリな段階?」と“?”を付したが…“破格”のツアーの情報に触れて、「ではサハリンへ行ってみよう!!」と思い付いた人の中で、「パスポートを取得して…」という方については「間に合わない!!」タイミングでの発売になってしまったのだった…諸般の事情も在ったのであろうが…

「本当に“ビザなし”」なのであれば…「6月7日の出航前日である6月6日までにパスポートが取れるのであれば、参加可能」でなければならない筈で…ということは…“ビザなし”と通称されているが、“ビザ以外”とでもする方が実態に即していることになると思う…

実際、この“ロシア連邦政府決定 2009年5月7日付 397号”による手続きで渡航をしたが…普通にビザを取得して渡航する場合と、何らの変わりも無かった…

旅客を増やす上で、渡航に際して求められる手続きというものは「そういう風になっているのですか?そうですか…お願いします…」という以上でも以下でも無い…どうでもいいことのように思う…結局「妥当と思える金で旅行が出来るか否か」ということが問題であるように思う。

パスポートを取得するためには2週間程度を要する。それが挟まると手続きが間に合わないような、3週間程度の期間で70名も旅客が集まったという事実…或いはこれまでのフェリー運賃やら旅行代金が「高い!!高過ぎる!!」ことの証左かもしれない…

“島帰り”…

未だ、文字どおりにぼんやりしている…直ぐに休んだ方が良さそうな状況だが…しかし、空腹を満たしに出るには早い時間帯だったので…昨日辺りに撮影した写真を眺めるなどしてしまった…

↓「異郷の中の日本」というような画になった…
YS-RU-museum-2011JUN.jpg

撮影地はロシアのサハリンである。稚内港からフェリーで5時間30分…サハリンのコルサコフ港に至る…そこから車で40分程度…ユジノサハリンスクという街に出る…このサハリン州郷土博物館は、そのユジノサハリンスクに在る…

この建物が竣工したのは1937年…「サハリンのユジノサハリンスク」が「樺太の豊原」と呼ばれていた時代である…当時、この建物は樺太庁の博物館だった…ソ連の支配下になっても博物館として利用され、ロシア時代に入った今日でも博物館である…

樺太時代からの貴重な収蔵品も多い博物館で、それなりに見応えが在る。膨大な収蔵品を、年に何回か模様替えしながら展示しているようだ…

実は、大変慌しくサハリンを訪ねて用事を足した経過が在った…ゆったり博物館見学を愉しむ暇等無かったが、それでも宿泊した施設に近かったので、一寸写真を撮ることは叶った訳だ…何も無理に写真を撮りに出なくても構わないのだが…

1930年代頃に流行った様式なのかもしれないが、博物館は独特な見栄えの建物だ…或いは「建物自体が、博物館の目玉展示品」かもしれない…“積雪寒冷地向け”と言われる赤茶色の瓦が使用された屋根が美しい…

↓戯れにセピア色で写真を撮ったが…妙に似合う…
YS-RU-museum-2011JUN (1).jpg

サハリンは「不思議な場所」だ…セピア色が妙に似合うもの…ヴィヴィッドなカラーが似合うものが混在している…樺太時代以来、最近に至るまでの様々な時代の建物が並び、旧いものの外観にサイディングを施して現代風な雰囲気に改めたものまで混在している…

そういう様子を画で紹介したり、その外、サハリン訪問に纏わる話題をここで取り上げてみたい…記事は順次出したい…

>Photomatrix - Sakhalin, RU on JUN 2011

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