“三連休おでかけパス”(普通列車)を入手して、早朝の稚内駅を発ってみようと思い付いた切っ掛けの一つは「名寄で“キマロキ”を観たい」という希望が在ったからかもしれない…
この“キマロキ”は名寄の博物館の屋外展示物で、春から秋しか観ることが出来ない。これまで、「名寄で一寸時間が」という場面が在ったのは主に冬季で、間近でこれを観たことがなかった…
“キマロキ”…これは「機関車―マックレー車(積雪を崩す)―ロータリー車(雪を飛ばす)―機関車―車掌車(保線業務関係者が乗る)」という編成のことである。要するに「豪雪対策特殊ユニット」とでも言うような、昔の鉄道車輌のことなのだ…
これが綺麗な型で残されて、展示されているというのは…多分、名寄位の筈だ…それは廃止された名寄本線の跡地に展示されている…
↓先頭の機関車は“59601”…「9600型501号」という意味である。

↓“59601”という車体横のパネルの下に“大10川船”の文字…
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↑“大10川船”とは「大正10年 川崎造船にて製造」という意味合いだ…
“大正10年”…1921年である…アメリカの大統領は29代目のハーディングで、原敬首相が暗殺された騒ぎが在った…そんな年である…挙げてみた人名を見れば、「如何に“昔”か」ということが御理解頂けると思う…
“59601”は製造後に北海道にやって来て、大正11(1922)年から名寄に配属された。以後、昭和47(1972)年に退役するまで働き続けた…「勤続50年」である…
50年も名寄に居た“59601”…或いはこの辺りの“鉄道の歴史”そのものと言っても過言ではない存在だった筈だ…名寄が鉄道拠点として発展し始めるのは1920年代からなのだから…稚内に身近な例だけ挙げても、名寄を経て延びる天北線(現在は廃止)や宗谷線が完成したのも1920年代なのである…
“キマロキ”に戻る…
↓先頭の機関車の後には、雪を崩すマックレー車と、雪を飛ばすロータリー車が続く…
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↑何れも、雪対策ということで、札幌の苗穂工場で造ったものだ。昭和14(1939)年頃から使われている…
↓ロータリー車の巨大なプロペラ…これで線路脇から崩した雪を遠くへ飛ばしてしまい、線路を通行可能にするのである…
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ロータリー車は、蒸気機関車を改装したような、酷く仰々しく見える車輌だった…確かサハリンにも、こういう種類の車輌が展示されていた…
↓先頭の機関車の牽引のみでは、重量の在るロータリー車を動かす上で不安なため、後尾からD51が推す…
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↓D51の動輪!!強そうだ!!
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そして末尾に車掌車が連結され、保線業務関係者が乗り込むようになっている…重量級の編成で、ロータリー車の処理速度の関係もあるので、この編成は概ね時速10km前後でゆっくりと走行したらしい…
天候が今ひとつであったが、この迫力の編成に見蕩れてしまったのだった…
名寄駅に着いて、駅員さんに「“キマロキ”を観たいのですが…あちら側ですよね?」と尋ねれば、実に親切に―声を掛けた人と、後ろに居合わせた人が競うように答えてくれた…―教えてくれた。彼らも、名寄で活躍した先達の勇姿を伝える展示に愛着を持っているのかもしれない…
幼少の頃…今にして思えば「最後のSL」であった、D51を岩見沢辺りで視ている。凄まじく迫力が在るものだと思ったのだった…爾来、SLには妙に惹かれることが在る…
そんなSLへの想いが在る訳だが、とにかくもこの“キマロキ”のような「豪雪地帯で冬季に働く姿」を保存したものが視られたことは非常に嬉しかった。実は…私が会ったことのない…と言うよりも会える筈がない、“親父殿”が中学生の頃に他界してしまったという祖父は、鉄道の保線に携わっていたのだという。きっと祖父も、受け持ちの線区で、冬になればこの種の仰々しい車輌を誘導して、沿線住民の交通手段や、祖父の時代には盛んであった石炭等の輸送路を護っていたのであろう…
北海道各地の街の歴史を紐解けば、それは「鉄道の発達と共に…」という側面も在る…そんなことを思う時、この“キマロキ”のようなものが随分と活躍したであろうことを忘れてはなるまい…
名寄での一寸した寄り道という感じで目にすることが出来る“北海道の歴史”…素晴らしい!!
↓空が暗いが…“キマロキ”の画を御覧頂きたい!!
