早朝の旭橋を視てから戻り…

“三連休おでかけパス”(普通列車)を手に、「鉄路が始まる稚内」から、同じく「鉄路が始まる増毛」を訪ねて戻ってきたばかりだ…未だボウッとしている…

実は今日は早朝から動いている…

晴天が予想された中、朝陽を受ける旭橋を視てみたかった…

という訳で、日の出の時間の辺りに、旭川駅周辺から旭橋まで早足に歩いた…

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↓朝陽を浴びる旭橋…
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前日の暗くなる辺りの様子との比較で、一層印象強いものになった…

この旭橋に見蕩れてしまったのだが、6時5分に出る列車に乗るため、旭川駅へ早足で引き返した…

↓旭川から稚内の様子はこちら…
wakkanai097 - View my 'The Way : Asahikawa - Wakkanai (Train)' set on Flickriver

というようなことで稚内に昼頃に戻ったが…昼食後は少々長めな居眠りであった…そして迎えている夜だが…また眠くなってきた…

旅の途中ながら、道程を振り返る…

眠れない…こうなったら眠らない…

ということで、未だ稚内へ引揚げる行程が残ってはいるが…ここまでの道程を振り返っておきたい…

2011年5月4日
06:24 稚内 - 08:40 音威子府 09:53 - 10:54 名寄
12:56 名寄 - 14:17 旭川
14:26 旭川 - 14:59 美瑛
16:28 美瑛 - 17:02 旭川

この日は…「肌寒さに若干の不満を感じながら、多少馴染んだコース―稚内・旭川間…旭川・美瑛間は美瑛下車は初めてであるものの、何度も通過している…―を進んだ」という按配だ…

↓5月4日の移動の様子…
wakkanai097 - View my 'The Way : Wakkanai - Nayoro - Asahikawa - Biei - Asahikawa (Trains)' set on Flickriver

2011年5月5日
08:33 旭川 (増毛ノロッコ1号) - 11:39 増毛
15:47 増毛 - 17:13 深川
18:10 深川 - 18:37 旭川

この日は…旭川・深川間は「馴染み」ながら、深川・増毛間は「未踏にして未知」な区間で、「多少の昂奮」が在ったかもしれない…

“増毛ノロッコ1号”…「車窓を愉しむために一部区間は敢えて低速運行」というJR北海道が展開する“イベント列車”を初体験した…それも面白かった!!

“増毛ノロッコ1号”については「留萌・増毛間」が「低速運行」だった…復路は通常のキハ54による列車を利用したが、往路と復路とで所要時間が10分近くも異なったので“低速”が理解出来た…

往路の“増毛ノロッコ1号”では、旭川辺りにお住まいと見受けられるお年寄りのグループの近くに坐っていたが…そういうグループの他に家族連れが目立った。JR北海道も「道北一日散歩きっぷ」なる手軽な“一日乗車券”を売り出して集客したようだ…

“増毛ノロッコ1号”車内で近くに居合わせた御年寄りグループは、途中の到着・停車を詳しく記していないチラシしか持っていなかったので、詳しく記したものを所持していた私は、彼らに状況を一寸教えてあげるなどしていた…こういう“道連れ”も悪くはない…

それにしても…「機関車が客車を牽引」という列車…随分と久々だった…何となく「揺れ方」が違う気がする…

↓5月5日の移動の様子…
wakkanai097 - View my 'The Way :Asahikawa - Mashike - Asahikawa (Trains)' set on Flickriver

「3日間普通列車に乗り放題」という“おでかけパス”…「稚内起点」で利用すると微妙かもしれない…と言うより…道内の場合、何処でも「都市間の特急列車中心の運行体制」なので、“普通列車のみ”というのは勝手が好くないのかもしれないが…

仮定をしてもどうにもならないが…「もう少々有効期間が長い」のであれば「更に南下…」ということも顧慮したかもしれない…

しかし!!“キマロキ”を視たり、天候好転のお陰で大変心地が好かった増毛散策が愉しかったり、気に入っている旭橋も眺めた…それは善かった!!

北海道では上川管内、留萌管内、宗谷管内を一括りにして“道北”と称することが在るのだが、或いは「“道北の好さ”を確認する旅」という雰囲気もなくはない…

結局…眠れなかった…

増毛の桜!!

多言を弄するまでもない…

↓増毛で桜を視た!!
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増毛町の“郷土資料館兼図書館”風な建物の脇に、年季の入った桜の木が在り、見事に開花していた!!これが「今季初めて生で視た桜」ということになった…

暫し見蕩れてしまった…

↓増毛の桜!!
wakkanai097 - View my 'Sakura at Mashike on MAY 05, 2011' set on Flickriver

増毛・国稀…

北海道を代表する日本酒の一つ…“国稀”は増毛の酒である!!私の好きな銘柄の一つでもある…

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明治15年と言うから、1882年である…本間家が酒造業を興したのだが、それが現在の“国稀”へと続いているのだ…

歴史的な雰囲気が色濃く漂う建物で、製造・試飲・販売が行われている…酒造は冬季に行うものなので、現在は試飲・販売のみだが…

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芳醇な酒を試飲するのも愉しい―遠慮なく酒を試飲出来るのも、列車の旅の好さだ!!―が、会社の130年もの歴史を感じさせてくれる建物を見学するだけでも愉しい…

↓“国稀”の様子…
wakkanai097 - View my '

ここは…専属の駐車場担当ガードマンが登場する程度に賑わっていた…今や…「増毛の代名詞」的な存在かもしれない…

増毛:旧本間家…

然程広大でもなく、歩いて巡ることが叶う範囲に歴史的建造物等が散在し、気持ちが好い海岸の町である増毛…好天だったお蔭かも知れないが、非常に愉しかった!!私のような「列車で何処かへふらりと行って、辿り着いた先で散策」というようなことを好む者には、“訪問好適地”である!!

増毛の歴史の中で、“本間家”は大きな存在感を有している…その“会社兼住宅”だった建物が博物館になっている。職員の方が解説をして下さるのだが、実に面白かった!!

↓増毛駅から、かの有名な酒造会社“国稀”の方へ進むと、直ぐに判る…
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↑見るからに「史跡!!」というオーラが出ている…

本間家の初代…彼は佐渡から小樽に出て来て、呉服商をやっていた。鰊漁で栄えていた増毛は、当時の行商を盛んにやっていたという呉服商の業界では“重要地点”だったのだが、やがて増毛に呉服の店を開いた…

増毛で“丸一”の屋号の下に始めた呉服店は繁盛し、やがて酒造、海運、漁業等の事業に乗り出し、本間家は「町で一番の豪商」となっていく…

↓建物には、本間家の屋号である“丸一”の暖簾が掛かっている…
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↑館内の職員の方も、このマークが入った半纏を羽織っている…

現在、博物館になっている家は、明治時代に通算10年間程度で築いたという“会社兼住宅”だ…一見すると質素だが、細かい箇所に随分と手間(金!!)を掛けている建物である…

建物は最近まで本間家の関係者が住んでいた…累年の色々なモノが在る…

増毛では大正時代に電気が入ったそうだが、本間家は電力供給の会社を興し、逸早くこの建物にも電灯を導入したという…そのシャンデリア風照明が残っている…

「明治時代の呉服商」というものは、何となく「江戸時代以来の雰囲気」を残していて、時代劇のセットのような場所も在るのだが、その空間の隅にさりげなくハイカラなものが入っていたりするのも面白かった…

冠婚葬祭では“4部”に分けて、大勢の関係者を隈なく招いたそうだが、広めな廊下は畳を入れてその種の催しに対応するようになっている…

随所に、明治時代の高名な書家の作品が貼られていたり、黒檀のような高級木材がさりげなく使われていたり、漆塗りを施した箇所が無造作に在ったり、当時どころか現在でも珍しい“模様入り摺り硝子”がさりげなく使われていたりした…余りに豪勢なので、「女中の部屋」ということになっていた場所を視て、ホッと安堵した程だった…

この種のモノ!!とにかく愉しい訪問先である!!

↓旧本間家の様子…
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旭橋との再会…

旭川の“例の場所”で夜明かしだ…

ここで、今般の小さな旅で撮影した写真を整理している…“例の場所”で夜明かしするのも、「撮った写真が見たくて仕方がない」からなのである…

4月20・21日で旭川を訪ねた折り、早朝の徘徊で出遭った旭橋が大変に気に入った経過が在った…

「旭橋に再会を期す」というのも、今回の小さな旅の中で何となく“目標”のようになっていた…

実はまた5月5日の早朝に訪ねることを企図したのだが、曇天であったため、また眠かったので止めた…

そして5月5日夕刻…深川から旭川へ向かう711系電車の旧いデザインのシートに陣取り、車窓を視て思った…素敵な空だと…

留萌に入った午前10時台から天候が好転した…その後は夕刻まで、行く先々の何処もが晴れていた…

列車は旭川駅に18時37分に到着した…それから旭橋まで、早足で歩いた…手前のロータリーの辺りに据えられた時計は18時57分…20分掛かっていない…私は比較的歩くのが早いが、それでもなかなかキツかった…

そして…完全に暗くならない空を背景に、端に据えられた照明と、通行する車のランプで輝く旭橋の美しい姿を視ることが叶った!!

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軍艦か何かのような厳しい旭橋の下を悠然と流れる石狩川の川面が、灯りを照り返していて、上空には月も視える…

↓今般撮影の旭橋…
wakkanai097 - View my 'Asahibashi-Bridge on MAY 05, 2011' set on Flickriver

40分間前後になるであろうか?夢中で写真撮影に興じ…やがて辺りが完全に暗くなり、撮影を止めた…

そして途中のベンチで一息入れながら、旭川駅周辺にゆっくり引揚げた訳だ…

“キマロキ”のこと…

“三連休おでかけパス”(普通列車)を入手して、早朝の稚内駅を発ってみようと思い付いた切っ掛けの一つは「名寄で“キマロキ”を観たい」という希望が在ったからかもしれない…

この“キマロキ”は名寄の博物館の屋外展示物で、春から秋しか観ることが出来ない。これまで、「名寄で一寸時間が」という場面が在ったのは主に冬季で、間近でこれを観たことがなかった…

“キマロキ”…これは「機関車―マックレー車(積雪を崩す)―ロータリー車(雪を飛ばす)―機関車―車掌車(保線業務関係者が乗る)」という編成のことである。要するに「豪雪対策特殊ユニット」とでも言うような、昔の鉄道車輌のことなのだ…

これが綺麗な型で残されて、展示されているというのは…多分、名寄位の筈だ…それは廃止された名寄本線の跡地に展示されている…

↓先頭の機関車は“59601”…「9600型501号」という意味である。
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↓“59601”という車体横のパネルの下に“大10川船”の文字…
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↑“大10川船”とは「大正10年 川崎造船にて製造」という意味合いだ…

“大正10年”…1921年である…アメリカの大統領は29代目のハーディングで、原敬首相が暗殺された騒ぎが在った…そんな年である…挙げてみた人名を見れば、「如何に“昔”か」ということが御理解頂けると思う…

“59601”は製造後に北海道にやって来て、大正11(1922)年から名寄に配属された。以後、昭和47(1972)年に退役するまで働き続けた…「勤続50年」である…

50年も名寄に居た“59601”…或いはこの辺りの“鉄道の歴史”そのものと言っても過言ではない存在だった筈だ…名寄が鉄道拠点として発展し始めるのは1920年代からなのだから…稚内に身近な例だけ挙げても、名寄を経て延びる天北線(現在は廃止)や宗谷線が完成したのも1920年代なのである…

“キマロキ”に戻る…

↓先頭の機関車の後には、雪を崩すマックレー車と、雪を飛ばすロータリー車が続く…
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↑何れも、雪対策ということで、札幌の苗穂工場で造ったものだ。昭和14(1939)年頃から使われている…

↓ロータリー車の巨大なプロペラ…これで線路脇から崩した雪を遠くへ飛ばしてしまい、線路を通行可能にするのである…
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ロータリー車は、蒸気機関車を改装したような、酷く仰々しく見える車輌だった…確かサハリンにも、こういう種類の車輌が展示されていた…

↓先頭の機関車の牽引のみでは、重量の在るロータリー車を動かす上で不安なため、後尾からD51が推す…
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↓D51の動輪!!強そうだ!!
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そして末尾に車掌車が連結され、保線業務関係者が乗り込むようになっている…重量級の編成で、ロータリー車の処理速度の関係もあるので、この編成は概ね時速10km前後でゆっくりと走行したらしい…

天候が今ひとつであったが、この迫力の編成に見蕩れてしまったのだった…

名寄駅に着いて、駅員さんに「“キマロキ”を観たいのですが…あちら側ですよね?」と尋ねれば、実に親切に―声を掛けた人と、後ろに居合わせた人が競うように答えてくれた…―教えてくれた。彼らも、名寄で活躍した先達の勇姿を伝える展示に愛着を持っているのかもしれない…

幼少の頃…今にして思えば「最後のSL」であった、D51を岩見沢辺りで視ている。凄まじく迫力が在るものだと思ったのだった…爾来、SLには妙に惹かれることが在る…

そんなSLへの想いが在る訳だが、とにかくもこの“キマロキ”のような「豪雪地帯で冬季に働く姿」を保存したものが視られたことは非常に嬉しかった。実は…私が会ったことのない…と言うよりも会える筈がない、“親父殿”が中学生の頃に他界してしまったという祖父は、鉄道の保線に携わっていたのだという。きっと祖父も、受け持ちの線区で、冬になればこの種の仰々しい車輌を誘導して、沿線住民の交通手段や、祖父の時代には盛んであった石炭等の輸送路を護っていたのであろう…

北海道各地の街の歴史を紐解けば、それは「鉄道の発達と共に…」という側面も在る…そんなことを思う時、この“キマロキ”のようなものが随分と活躍したであろうことを忘れてはなるまい…

名寄での一寸した寄り道という感じで目にすることが出来る“北海道の歴史”…素晴らしい!!

↓空が暗いが…“キマロキ”の画を御覧頂きたい!!
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