名曲『カチューシャ』の由来…

↓一寸面白い話題を視付けた!!
>>ウラジオストクにカチューシャの記念碑 10.05.2013, 14:03

『カチューシャ』と言えば…「10人中8人や9人は知っていそう」な位に有名な「ロシア由来のメロディー」であろう…このメロディー…「ウラジオストク発祥」らしい…

記事によれば…「“カチューシャ”というのは、ロシア女性の名前エカテリーナの愛称形だ。沿海地方の郷土史研究家らは、歌のヒロインのモデルとなったのは、ウラジオストクの女性エカテリーナ・アレクセーエワだと突き止めた。彼女は1930年代に、レニングラード音楽院を卒業し、国境警備隊の将校と結婚、国境での慣れない辛い生活、愛する人を待ち続ける日々が、彼女のその後の生活となった。国境での戦いも経験した。“カチューシャ”という歌は、自分が愛する人を待つ女性すべてに捧げられた歌であり、それは、女性の愛と献身、愛国的精神の象徴と言ってよい」とのこと…

1938年に初めて演奏され、第2次大戦中に人気を博していたそうだ…

こういうお話し!!面白い!!

ロシアに秋田犬?

↓何やら「一寸変わっている?」と思ったお話し…
>>秋田犬を買いに日本に行こう! 極東から子犬買い付けツアー 1.08.2012, 08:39
↑「プーチン大統領に秋田県から秋田犬が贈呈された後、日本に秋田犬のかわいい子犬を買い付けにいく特別ツアーが極東で大ブームとなっている」という話題…

よく視ると、発信されているのは少し以前だが…一寸面白い…

確か、秋田県の大館駅だったと思うが、かの“ハチ”の故郷である旨の宣伝看板等が在った記憶が…あの“忠犬”は、秋田犬だった…

昔、モスクワで街角の空地のような場所に、大型犬を遊ばせてそれを見ている人達が居て、「ロシアでは“犬好き”が多いのか?」等と思ったものだった…

そのモスクワに居た頃、観に行った芝居の舞台に本物のボルゾイ―昔は貴族の猟犬だった種類…―が出て来て驚いた記憶も在る…確か…劇中人物達が散策から戻って来る場面で、愛犬を連れているという演出だった…

犬が切っ掛けで、来日するロシアの旅行者が多少増えるのは、歓迎すべきことのように思う…他方…秋田犬のような、少し大きめな犬を飼うには経済的負担も小さくはないので、「ロシアには“お金持ち”が意外に…」等とも思った…

ロシアに革命めいた事態は在るのか?

多少、記事の字数が嵩んでしまうが、思い立ったので綴っておきたい…

私自身は、所謂“ロシアウォッチャー”の端くれであると思う。ロシアの文物やニュースには何かと関心を寄せている…

何やらロシア発のニュースが少々賑やかになっている。

2008年以来、ロシアは“双頭政治”とも呼ばれる「メドヴェージェフ大統領+プーチン首相」の体制が続き、それなりに安定していたように見えた。が、2人の率いる<統一ロシア>が来年3月の大統領選挙に、憲法で禁止されている“三選”を回避して大統領を退任したプーチン首相を候補者として送り込むことを決め、そして臨んだ去る12月4日の下院議員選挙で“敗北”と受け止められる結果に至ってしまった。何やら「著名人!!」風な、<統一ロシア>以外(野党系)の政治家が多少パフォーマンスめいたことをしているらしい程度で、国会では<統一ロシア>が「圧倒的多数」を占め、「意のまま」に政策を推進出来た状態であったのだが…選挙結果で“過半数”は護ったものの、大幅に議席を減らしてしまったのだという。そして、その結果に関連して「選挙は不正なもの!!」と叫ぶ人達が結集し、何やら騒動になっているようだ…

このところ「強権的な政権を糾弾する動きが広がり、政権が交代する」というような現象が様々な国で見受けられる。近年の「情報ツールの著しい発展」によってそういう動きが“後押し”されている。実はロシアの今般の動きにも、そういうものが大いに関係しているらしい…

>BBC News - Profile: Russian blogger Alexei Navalny(英語)

「政府等による不正を糾弾しなければならない」という論陣を張るアレクセイ・ナヴァルヌィーという人物が居るらしいが…こういう人物の活動のようなものが方々で見受けられ、選挙結果を巡る動きが起こっているらしい…

ここで思い出すのは…1993年秋の動きだ…当時の大統領と、国会議長+副大統領が抜き差しならない対立をし、国会議事堂に戦車砲が打ち込まれるような騒ぎになった…国会議事堂の建物の白い壁の一部が黒焦げになった…あの時期に関して…(実はモスクワに居たのだが)事件直後の報道に“観覧席”という表現が在ったことを思い出す。高層マンションのベランダ等から、国会議事堂辺りでの騒ぎに関して、観劇でもするかのように眺める人達の様子が伝えられていた…結局のところ「実に多くの“醒めた大衆”」が「寧ろ多数派だったのでは?」という話しである。

今回の動きに関しても、落ち着いてみれば「実に多くの“醒めた大衆”」が「寧ろ多数派だったのでは?」というようなことになってしまうかもしれない。1990年代、ロシアは何やら“混迷”という按配であったかもしれないが、近年は寧ろ安定し、人々は「豊かさ」を享受している。実は稚内のような地方の小さな街で「歓迎!!ロシア人旅行者御一行様」というような声を上げている訳だが、これは彼らの「豊かさ」を頼みにしている以外の何物でもない…それ位にロシアは「豊か」になっている面が在るのだ…或いはそうしたものが、「とりあえず与党が過半数を取った」という結果に現れているのかもしれない。勿論、それが即座に、選挙結果を批判している人達が主張するような“不正”が無かった、という意味にはならないかもしれないが…

「実に多くの“醒めた大衆”」だが…他方に「選挙結果を批判している人達」が居るということは、「人々が自分達の社会に向ける眼」というようなものが、「或る程度肥えてきている」証左でもあるのかもしれない…例えば、BBCが取上げているアレクセイ・ナヴァルヌィーという人物…現在35歳らしい…彼の人生に在っては“ソ連後体制”の方が長い…という訳で、或いは「“ソ連後体制”下で価値観を醸成した世代」が台頭していることを認めなければならないのであろう。

何か選挙結果を巡る動きに関しては、「とんでもない事態?」のように思えないこともないが、方々の評者は、事態がとりあえず落ち着いて―或いは、手段を選ばずに落ち着かせるということも在るかもしれない…―みれば「実に多くの“醒めた大衆”」が「寧ろ多数派だったのでは?」というようなことになってしまうかもしれないと観ているようだ…

>BBC News - Russian media see election flaws(英語)

上記リンクで視た方々の評者によるコメントの中、少し強い印象を受けたものが在る。「この選挙の後“間合い”が在ることであろう…そして再度“安定化”する…しかし“永遠に”とはなるまい。“プロセス”が始まったところなのだ」(<ノーヴァヤ・ガゼータ>アレクサンドル・ルプツォフ)(拙訳)というコメントである。

何処の国の国民であれ、常に「未経験の時代」の中を生きていることになるのだと思う。何時の時代であろうと、“前の時代”とは多くが異なっているのだ。現在のロシアのような国に在っては、そうした“未経験”の“度合い”が高いように思う。今般の事態に関して、何時までも混迷してみたり、直ちに政権がどうかなるということはないかもしれない。が、“前の時代”とは「明らかに違うことを学び、考えた世代」が台頭しつつあることが明らかになった。そういう意味で何かの“プロセス”がここから始まっている…ような気がする。

被災者追悼の輪…支援…そして…

また、「ロシア発の日本語版ニュース」を視た…震災関連ニュースだが、ロシアでも伝えられている…

>【scrapbook】: ロシアでも日本の震災に関係した報道が続いている…

各国の援助隊も被災地へやって来て、支援の輪が拡がっている状況だが…多少愕きながら接したニュースは、「ロシアの一般市民の反応」である…サハリンでは、ユジノサハリンスクの日本国総領事館が入居するビルの辺りで、「災害の犠牲者に花を手向けよう」と人々が集まって追悼式が催されたというのだ…(皮肉な言い方で恐縮だが)「社会的な地位が在る人達のパフォーマンス」ということでもないらしい…とりあえず催された式の後も、大勢の人達が花を手向けているというのだ…彼らは、“彼らなりの流儀”で未曾有の大災害に見舞われた人々への“連帯”の心情を示してくれた訳だ…

ユジノサハリンスクの場合…地元テレビ局による番組の気象情報コーナーで“稚内”とか“札幌”という予報地点も映しているらしい…ということは…それなりに日本に馴染んでいる訳で、凄く気にしていてくれるのだろう…災害の規模が凄まじく、ロシアのメディアでも相当取上げられていて、更にインターネットを見れば世界中の報道機関が情報を出している。ユジノサハリンスク辺りに限って言えば、必ずしも一般的でもないのだが、稚内で視られる日本の衛星放送が映るので、それを通じて連日連夜伝えられる画を視ている方も在るのかもしれない…

こういう具合に紹介すると、何かサハリン辺りの“特殊事情”とも思えるのだが…そうでもない!!遠くサンクトペテルブルグでも、日本国総領事館が入居する建物に人々が集まって「災害の犠牲者に花を手向けよう」という動きが在ったのだそうだ…

偶々ロシアでの動きを伝えるものが眼に触れたのだが、多くの国々で、大勢の人達が被災地域の安寧を祈り、犠牲者を悼んでいる…そして居合わせた同国人の無事を願っている筈だ…

そんなことを思い、色々な国の報道機関による英語サイトに眼を通してみた…非常に大雑把にではあるが…

旧い友人からメールを頂いた経過が在ったので、ラトヴィアのサイトを視てみた…

↓これなどは、「ニュージーランド地震の際の、日本国内でのニュース」と“同工異曲”である…
>No information about ten Latvian residents currently in Japan - RIGA, March 13 (LETA)(英語)

>All Latvian tourists in Japan have been contacted - RIGA, March 14 (NOZARE.LV)(英語)
↑滞日中のラトヴィア人の中に、連絡が付かない人達が居て、夥しい数の避難者が居る中で、どうしているものか案じられるという内容…そしてそうした人達と、彼らの旅行手配をしたラトヴィアの会社との間で連絡が取れたことを伝えるものである…

恐らく、この種の話題は各国で在ることであろう。そして、日本国内の外国公館でも、登録されている滞日者の消息確認に躍起になっている例が多いものと想像する…

というようなことなのだが…現時点に至って、世界各国の関心は“軸足”を若干移している感も在る…

↓例えばこれである…
>Focus: Japan struggles to recover from earthquake, tsunami(英語)
↑これはドイツのサイトで、日本発のニュースを纏めたページになっている…未曾有の災害を受け、懸命に後始末が行われている様が伝えられているのだが…何時の間にか“原発”の件が比重を増やしている…

原発の件…“万が一”が発生してしまっている…これを巡り、欧州諸国等では「原発を巡る国内論争」というようなものが、不思議な活況を呈してきた模様だ…

↓例えば、このイタリアのサイトが伝える話しは、そういうものの“典型”かもしれない…
>Japan's nuclear woes rekindle debate on Italian plans - Milan, March 14 (ANSA)
↑ミラノから配信されている記事では、イタリア国内の「エネルギー政策論争」が熱くなってきた様を巧く纏めてある…

欧州諸国では、1986年の“チェルノブイリ”以降、原発は殆どの国々で新設することが忌避されてきた…しかし近年、石油資源等への依存に“限度”が在ることや、水力発電等の手段で電力を得る手段も難しいことから、原子力発電導入が検討され始めている。イタリアでも近く廃棄物処理施設の建設に着手し、2020年代には原子力発電を導入することにしていたらしいのだが…日本の事故を受けて、“反対派”、“懐疑派”の声が高くなって来ている…対する“推進派”は、地震、更に大地震の発生状況が日本とイタリアとでは異なること、日本で問題になっている機器と、導入しようとしている機器とでは“世代”も違っていて状況が異なること、昨今の“リビア情勢”のような不穏な事態で価格が乱高下する石油資源等への依存度を含める必要性、というようなことから“反対派”や“懐疑派”に反論しているという…

或いは、これは「日本での原発関連の議論」と“同工異曲”のようでもあるが…日本の事態を踏まえて、この議論が各国で熱くなっているようだ…

未曾有の地震災害で、原発の機器が想定外の壊れ方…この状況を見届けるべく、各国、或いは国際機関の原子力専門家が日本入りしようとしている話しも伝わっている…それは結構だが…現在、「非常に危険な状態」に入っているらしいのが非常に気になる…

世界中で伝えられる大震災―隣国ロシアでも…

昨夜、拙宅の電話が鳴った…何となく眠気が差していた中、電話に出てみれば…酷く懐かしい声と口調が、震災後の私の安否を尋ねた…

私は「当地―北海道の北辺り―はノープロブレム…私もピンピンしている…被害が大きかった地域の安寧を祈ってくれ…そちらの皆さんによろしく…」という主旨の返答をした…

電話はモスクワからだった…かなり旧くからの友人であった…先方は日本に縁が在って、何かで来日すると、ほぼ確実に連絡を寄越してくれる相手だ。会いに行って、一緒に“戦艦三笠”やら“鉄道博物館”やら、色々な場所を訪ねた想い出も在る…

電話の向こうの本人には言わなかったが、私はまた「来日中に、災害で交通が混乱した地域に居合わせて多少困っている…とりあえず電話が通じたので連絡でも寄越してきた?」と“非常に拙い事態”を想像し、頭の中で「月曜日から救出作戦に出動?!」とでも考えながら「モスクワからか?!」と訊ねた。「そうだ」と言うので大いに安堵した…

この他にも、今朝はオフィスで仕事上の付き合いが在るサハリンの方から、稚内の安否を尋ねる電話を頂いたし、週末にも国外の友人、知人、或いは少しだけネット上でやり取りが在るというような方からも、安否を問うメールを頂いた場面が在った…何れも「当地―北海道の北辺り―はノープロブレム…私もピンピンしている…被害が大きかった地域の安寧を祈ってくれ…そちらの皆さんによろしく…」という主旨の返答をしたのだが…

とにかく大震災は国外でも大いに話題になっている…

>ロシア発の日本語によるニュースから、それらを一部拾い出してみた…

ロシアでは、早速「災害が発生しているので日本への渡航は自粛」という話しになったのだそうだ…これは無理からぬ措置だと思う…被災地域に立ち入ることが出来ないのは当然だが…首都圏等は、地震・津波の被害が些少に止まった地域でも、電力供給に纏わる問題で、交通の混乱等が目立つ…何かの用でロシアの方が来日しても、混乱の中で困るばかりになってしまうかもしれない…これはまた、我々地方に住む者が首都圏方面に出掛ける場合にしても同様であろう…

今回の震災では“万が一”が発生してしまった…原発の故障である…これに関して、史上最悪の原発事故を経験しているロシアは「協力を惜しまない」と既に申し出ているらしい…これも「大変な事態」として広く伝えられている様子だ…

今回の震災では、世界の国々が様々な援助を申し出てくれている…有難い話しだが…ロシアもその例に漏れず、実際に援助隊の一陣、ニ陣が出動した旨も伝わっている…

当面、色々な動きが在るであろう…凄惨な被害の実情も追って明らかになる筈だ…多少、気が重いのだが、一日も早く被災地の人々に安寧が訪れることを願わずには居られない…実を言えば…2008年12月に巡った東北地方の広範な地域で大きな被害が生じていることについて、気持ちを曇らせている…

日本のミュージシャン…

日本の女性ミュージシャンがモスクワで公演を催すという記事を読んだ…

>読んだ記事…

その後に調べてみれば、彼女はモスクワだけではなく、ロシア国内やウクライナ、更にアゼルバイジャンのバクーにまで立寄るツアーを敢行していることが判った…

「これは!?」と興味を覚え、その作品に触れてみることにした…

“松居慶子”という日本語の漢字で綴る名よりも、何か“Keiko Matsui”というアルファベットで綴る名の方が知名度が高いのかもしれない…彼女は寧ろ米国に拠点を置き、方々で演奏活動やレコーディングを行っている。

>彼女のウェブサイトは英語である…

>ロシア・ウクライナ・アゼルバイジャンのツアーは“Tour Schedule”というページの2010年10月(OCT)の辺りに出ている…


松居慶子/Moyo
↑実に洗練された作品であると思った。

松居慶子はピアノやキーボードを担当しているのだが、他の楽器は各国の演奏家であるようだ…鍵盤の旋律やリズムを軸に、様々な要素を採り入れた音創りを試みている。何か欧州の何処かの国のアーティストの作品のようでもある…

音楽の世界では、この彼女のように国外を寧ろ拠点に活動している日本出身アーティストも存外に多いのかもしれない…

“音楽”というものに、“国境問題”は殆ど無い…昔は“人種偏見”のようなものが音楽の世界にも変な影を落としていたことも在ったらしいが、最近はそういう極端な話しは耳にしない…音楽の世界では、殊に優れた演奏家は何処の国であれ、評価をしてくれる聴衆や批評家が居れば、そこを活動の舞台と出来る訳だ…

ロシアでも、日本出身の演奏家等がコンクールで上位入賞を果たす場合も在り、時々そんな話題も伝わる。ということで、或る程度は日本人の名前がロシアの人々の話題に上る場合もあるであろう。

ロシアに於ける日本の文物…日本で思う以上にマイナーであるような、逆に想像以上にメジャーであるような…やや微妙である…

例えば…ロシアの若者が、私のような“おじさん”には一寸フォロー出来ていない年代のアニメ主題歌を上手に歌うような場面に出くわすと、かなり愕く…

例えば…茶道や華道のような伝統文化に妙に明るい方というのにも出くわす…かなり本格的に学んでいて、「日本の普通のおじさん」よりも余程詳しかったりで、かなり愕く…

他方で、日本でポピュラーな野球のようなことに関しては、話題になってもロシアの人は殆ど判らない…右利き用の左手に嵌めるグラブを試しに嵌めてみて、「右手のやつは無いの?」と真顔で訊ねてしまう位に…野球場で外野手を見て「何であんなに中心から遠く離れた所にユニフォームの選手が佇んでいるのか?出番前の練習か?」と訊ねてしまう位に…彼らは知らない…そういうことだから、野球はオリンピックの競技から外れるのだろうが…

それから…ロシアの人は、残念ながら日本ではそれなりに広く知られているような日本史の挿話を余り知らない…単純に、知識が流布されていないだけのようにも思うが…

冷静に考えてみれば、上述のような話しは“当然”なのかもしれない…日本人はロシアでポピュラーなことを全く知らないであろうし、それは珍しくも何とも無い…そして、何でも手近なところで「こういうものなんだ…」と互いに話し合ったり、興味を抱いてモノの本を紐解くという営みが在るのであろう…

日ロ間…彼らの用語では“ロ日間”には、大小様々な齟齬も在る…在るのだが、それはどんなに時間が掛かっても互いに学び合っていく外に、何ら出来ることもない…

日ロ間は何となく距離も“遠い”ような感じもする。殊に日本では、“齟齬”が在る故に心理的距離がより遠いような気がしないではない。「お隣の韓国」だの「お隣の中国」だのという表現は耳にする機会も多いような気がするが、「お隣のロシア」というのは…「国内他市よりもサハリンの方が物理的に近い」という稚内でのような“極特殊事例”を除外すれば非常に少ないのではないだろうか?しかし…例えばサハリン辺りでは、「“日本の人達”こそが、最も身近な“他所の地域の人々”だと思う…“(ロシア)国内他地域”ではない!!」という考え方をする人達にも時々出くわす…

ロシアのニュースで偶々知った松居慶子を切っ掛けに、やや話しが飛躍した感だが、いずれにしても「素敵な音楽を演奏する人が…」というような些細なことを入口に、諸外国の文物を学んでみるというのも大事なことだ…

“国勢調査”>“民族”>“チェチェン”…

5年毎の国勢調査の調査票を提出したのは今月のことで、マダマダ記憶に新しい。そう思っていると、ロシアでもその種のものが丁度行われているのだそうだ。

>“全ロシア人口調査”(日本で言う“国勢調査”)関係の話題…

ロシアでは、この種の調査は「概ね10年毎」というのが“普通”と考えられているようだ。大統領も大学院生の頃、調査員を経験したそうだが、ロシアの調査は「調査員が戸別訪問して調査票に記入をお願いする」方式のようだ。

10年毎…大らかな感じだ…日本では受け入れられないかもしれない…「街の人口規模」というようなことは、国内外の人を迎えた際に訊ねられることが多いが、逆に他所を訪ねた場面で訊ねることも多い。「都市の規模」を推し量る、何となく判り易い基準が“人口規模”である…が、「日本国内」に関して、“人口”は何となく都市の規模を推し量る基準に止まらない面が在るのかもしれない。それは“地方交付税”というような制度も在るが故だ…

日本の国勢調査では「外国籍の方は国籍を」という欄が調査票に在った。ロシアの場合「民族」というものも在るようだ…

>“調査”と“民族”の話題…

“民族”というのは、“科学”というよりも“自意識”の問題かもしれない。上記の記事では、これまでに確定している訳でもない民族名を名乗る人が在ったり、非ロシア人の両親の下に生まれている人がロシア人を名乗ったりする例が在ると紹介している。更に…“火星人”等と称する人まで在るらしい…

“自意識”が“民族”を規定する側面が在る訳だが、これには複雑な歴史的経過が絡まる場合もある。

今日のロシアだが、これはソ連時代を経てはいるが、“ロシア帝国”の版図のかなりの部分を受け継いでいる。“ロシア帝国”が版図を広げたのは、主に18世紀や19世紀と理解して差し支えないように思える。長い人間の歴史の中では“新しい”部類なのかもしれない。

様々な国々の人が移り住んだ米国は、ある程度“米国人”とか“米国市民”という概念を創り出して定着させたかもしれない。これは「旗の下に集まった」からであろう…対して…“ソ連人”とか“ソ連市民”という概念は“民族”の前に多少弱めだったかもしれない。何故なら「“民族”の“自意識”がそれなりに在る場所に旗を立ててみた」に過ぎないからであろう…

「ソ連の幕引き」という局面の1990年代初頭、「立てて在ったソ連の旗」が“無意味化”してしまったということになり、方々で“民族”の“自意識”が少し強く前面に出た。そこで“連邦構成共和国”と言われていた範囲で“新独立国”が成立した。

“連邦構成共和国”が“新独立国”になり、それぞれに歩み始めようとした他方、“新独立国”の一つということになる“ロシア連邦”には、非常に多くの“自治共和国”が在る。それらは「連邦内の“連邦構成体”」という位置付けになった。

しかし…“民族”の“自意識”が強まっている中で「連邦内の“連邦構成体”」という位置付けに“不納得”で異議申し立てを行う自治共和国が在った。その筆頭で、凄惨な紛争まで起こしたのがチェチェンである…

チェチェンでの“民族”の“自意識”には「歴史の怨念」も絡まってくるので、少々複雑だ…

チェチェンが在るのは、カフカース地域だ。“カフカース”と言うよりも、日本では“コーカサス”と言った方が通りが良いかもしれない。山がちな地域で、様々な民族が住み、各々の文化を培ってきた地域である…

ロシア帝国は、殊に19世紀にカフカースで大いに勢力を拡大した。18世紀末から19世紀中盤に及ぶまで、何度も戦いが繰り広げられ、終にはロシア帝国が地域を参加に収めてしまった…

カフカースと言えば…文学好きな方にあっては、ロシアの詩人レールモントフを思い浮かべるかもしれない。カフカース地域に足跡を遺しており、彼の地での経験が作品群にも活きていると言われている。レールモントフは「危険な思想の持ち主?」とされ、“左遷”のような具合でカフカースに送り込まれた経過が在る。丁度、かれが生きた19世紀の第2四半期辺りは、ロシア帝国が各地で戦っていた時期である…

チェチェンは、“正教”(キリスト教)ではなく“イスラム教”が広く普及している社会で、ロシアとは明確に異質で、永く独自に歩んできた経過が在る。彼らにとって、ロシアは“征服者”だった…帝国がソ連に変わっても、それは彼らの“自意識”の中では何ら変わらない…「ソ連の幕引き」という局面は、彼らにしてみれば「“征服者”が自壊した」という話しである。従って「“征服者”が居なくなった以上、チェチェンは旧に復する=純粋な独立国になる」ということになる。

チェチェンでは1991年頃から“独立”が叫ばれていたが、ロシアはそれを容れず、1994年には武力衝突が始まった。これが1996年まで継続し、後年「第1次チェチェン紛争」と呼ばれることになる。

「第1次チェチェン紛争」では、ロシア軍はかなり苦戦したようだ。「ロシア側が不慣れな山岳地域に踏み込んだところをチェチェン側が襲う」というのが典型的なパターンだったようだ。互いに人質を取っての小競り合いが際限なく繰り返され、犠牲も拡大した…この戦いの“大局”が判る訳でもないが、「戦いの情景」のようなものがよく伝えられているのが映画『コーカサスの虜』(DVDは中古で入手可能な模様…)である…

犠牲が拡大した「第1次チェチェン紛争」は停戦に至ったのだが、チェチェンの“独立”は果たされず終いだった。強硬な過激派は、これを不服としてロシアに対して“テロ攻撃”に出始めた…

1999年…相次ぐテロ事件に業を煮やしたロシアが軍事行動を始めた…後に「第2次チェチェン紛争」と呼ばれる戦いだが、2009年にロシアが安定したと宣言するまでの10年間にも及んでいる…

紛争での戦闘は凄惨を極め、大変な犠牲が払われたが、他方でロシアでの“テロ事件”も連発した…

そんな事件の一つに着想を得たらしい“アクション映画”まで存在する…




大統領のカウントダウン


飽くまで「ロシアのアクション映画!?」と愉しく観れば良い作品だが…映画は、チェチェンのテロリストの陰謀に嵌ったロシアの特殊部隊将校が、名誉挽回のために彼らや黒幕と戦うという内容である。が、“劇中の事件”は“実際に在ったもの”を想起させるに充分である…

チェチェンの紛争だが、結局“独立”は排された他方、ロシアによる支配を“バック”に勢力を伸張する派と、それ以外の派との対立のような別な要素も入り込み、チェチェンの問題は“複雑化”してきた面も在る…

>昨日の事件…

そういう中、昨日も事件が発生し、とりあえずは一件が段落した様子ではある…今後も、様子に注目したいと思う…

ところで…このチェチェンのような地域では、“全ロシア人口調査”はどういう具合に進むのだろうか?

☆参考
BBC News - Regions and territories: Chechnya (英語)

追伸
本文で映画も話題にしたが、ニキータ・ミハルコフ監督による『12人の怒れる男』にもチェチェンの描写が在る…

連載:ロシア発ニュースのスクラップから…

最近、妙に「ロシア発の話題」、「ロシア関連ニュース」というようなものに渇望感を覚えていた。

切っ掛けは「大統領が北方領土を訪問?」というニュースである。あのニュースだが、「サハリン州関係者が発言」、「大統領府広報からの情報」、「本人がカムチャッカでのインタビューで言明」とくどい位に伝えられた。そして何時の間にか「“戦勝65年”で大統領は北方領土に行ったんだ」と明言している人に出くわした…実際には「是非行きたい」と発言しただけで、行ってはいない。その理由は“天候不良”とされた。(同時期、ユジノサハリンスクから国後島の定期便は飛んでいたという説も聞かないではないが…)

この出来事を切っ掛けに、何か“一点集中”で「他の問題はどうでも…」とばかりに、よく見れば「何らの結論も無い」ような話しが繰り返し、繰り返し伝えられ、「情報過多による誤謬」まで発生しているような状況に、やや草臥れた…更に、「そう言えば“ロシア”というのは、(“北方領土”の他にも)それなりに色々と話題も在る国だ…」等と漫然と考えることが多くなった…

そういう時、下記のサイトに出会った…

The Voice of Russia

上記は、ロシアのニュースを各国語で配信しているもので、日本語でロシアの情報が簡単に読めるのである。

「これは好い!!」と愉しく読み始めたのだが…

何やら“ブログ”云々のリンクが各ニュース記事の脇に在った…

それを視ると…「ブログで紹介する:記事をコピーする際は、以下の形式で引用先を明示してください」というようなことが書かれている…

ということは…「記事のコピーを示して、何かを論じてみるようなことが容認されている」と理解出来る…

そう思いながら、“The Voice of Russia”で見掛けた記事の中から、気に掛かったものをメモする“スクラップブック”のブログを思い立った…

“スクラップブック”に関しては、文字どおり“スクラップブック”として、余り詳しいコメントは書かないことにした。そして、その“スクラップブック”へのリンクを入れながら、詳しいコメントを綴る場を設けてみた…

思い立ったことが、どの位続くのか…それはよく解らないが…

それにしても、私と「ロシアの文物」との付き合いは、何が切っ掛けだったのだろうか?

今となっては「酒を呑みながら“ロシア史”を“ネタ”にする…」位に親しんでいるのだが、何が切っ掛けでそういうことになったのか判然とはしない…

覚えている範囲では…小学生の頃にバレーボールの国際試合をテレビで観て、“ソ連チーム”のユニフォームに在った“СССР”のマークが気になり、百科事典を引っ繰り返して「日本の人が、他国の人には奇異に見えるであろう仮名文字を使うのと同様で、彼らも彼らの歴史の中で培われた独自の文字を使っている」という主旨のことに気付いた…というのが“最初期”の記憶ということになるであろうか?

とにかくも、折角思い付いて始めた事である…ゆっくりと続けてみたいものだ。