「喫煙は…」 そこまで言う…

10月1日から煙草が値上がりした…20本入りのモノで、110円から140円の値上がりだ。従前の300円程度が、410円とか440円になった…

実は今朝、近所の自販機で煙草を一つ求めたのだが…確り440円になっていた…喫茶店で珈琲を愉しむと、当然ながら場所によって異なるが、概ね400円前後のように思う。一杯の珈琲より、一箱の煙草が高い勘定になる…

9月13日から9月17日にサハリンを訪れたのだったが、その出発前にロシアルーブルの現金を用意した。頭の中に在ったのは「到着した夜に、軽食、飲み物、更に煙草位は求めたい…」ということだった…実際、9月13日の夜、それらを入手した…

サハリンで煙草を求めようとすると、色々な場所で求めることが出来る。“キオスク”と呼ばれる街角の小さな店でも色々と在り、日本でも見受けられるが、スーパーマーケットのレジ辺りで求めることも出来る…サハリンでは、例示した両方のパターンで煙草を求めた…

サハリンでは様々な煙草が売られている…ロシア製のモノから輸入されたモノ、ライセンス生産と見受けられるモノなど実に色々だ…日本でも名前を聞くような、米国起源のモノなどは50ルーブルや60ルーブルというような按配である。が、私はそういうものは気に掛けない…専ら、ロシア国内の銘柄に眼を向ける…それらは、一箱20ルーブル前後で入手可能だ…

サハリンで煙草を求めようとすると「20ルーブル前後から60ルーブル前後」と随分と幅が在る…日本での煙草値上げという“事件”に記事冒頭で触れた中で、喫茶店の珈琲を引き合いに出した。ユジノサハリンスクで何軒かの喫茶店に立ち寄り、珈琲を愉しんだ…私が立寄った所では、120ルーブル、100ルーブル、90ルーブルというような価格帯だった…ということは…「20ルーブル前後から60ルーブル前後」と煙草の価格に幅は在るのだが、サハリンでは「煙草一箱は喫茶店の一杯の珈琲より安価」という話しになるのかもしれない…

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9月13日から9月17日にサハリンを訪れた辺りで、1ルーブルは3円程度だった…ということは、「珈琲が370円程度から300円程度で、煙草は180円前後から60円前後」というような理解になるであろうか?

便宜的に「1ルーブルは3円程度」を持ち出した…そして、「20ルーブル前後の煙草を買うと60円前後」ということに思い至った…最近の“400円以上”という日本の煙草価格を思うと、途轍もない安さだ…

しかし…彼の地の中で、これが安価なのか高価なのかを論じる訳にはいかないと思う。何故なら、「1ルーブルは3円程度」という“レート”というものは、「ルーブルが通用している国(ロシア)の中での賃金体系や物価体系など」と「必ずしもリンクしていない」からに他ならない…

一昨年から昨年に掛けて、日本では給与所得者の平均給与が下降したそうだ…それでも“円高”だということは…給与が下降している人の給与を“レート”を用いて外貨に換算し、“外貨の額”で比べると「下降などしていない!?」ということも起こり得るのだ…同じ100万円でも、「1ドルが100円」なら1万ドルだが、「1ドルが85円」なら1万1,764ドルである。“レート”はこの位の幅で動いている…これ位動いていれば、“円高”が“給与下降”の分を吸収してしまって、“外貨の額”で給与を見てみると「下降?!」ということも充分に在る…報じられているところでは「428万円が405万円に下降」ということらしい。428万円の時に「1ドルが100円」であれば、4万2800ドルだ…405万円の時に「1ドルが90円」にでもなれば、4万5千ドルだ…下降どころか増えてしまう!!

という具合に考えると、“レート”を持ち出して外国の物価を高い、安いと論じても然程意味が無いことに気付いて頂けると思う。我々の給与は増えておらず、逆に減っていても、円高が勝手に進むと“外貨の額”では減らないどころか増える場合さえ在るのだから…その「増えた」という話しをされても、それは我々の感覚とは大きくかけ離れている…それは頭の隅に常に置いておかなければならないと思う。

サハリンで求めた煙草の価格のことから、一寸話しが逸れたので軌道を戻したい…

ロシアの煙草の箱を見ると、よく在る“警告”が書かれている…控え目なものから、箱の美しいデザインを台無しにする無粋なものまで様々だ…

見掛けた“警告”を幾つか御紹介したい…

Минздравсоцразвития России предупреждает : КУРЕНИЕ ВРЕДИТ ВАШЕМУ ЗДОРОВЬЮ
(ミンズドラフソツラズヴィーチヤ ラッシー プレドゥプレジュダーイェット:クリェーニエ ヴレディット ヴァーシェム ズダローヴィユ)

↑これはかなり以前から見掛けるもので、控え目に書かれている場合が多いものだ…

「ロシア保健社会発展省は警告します:喫煙はあなたの健康を損ねます」という程の意味合いだ…実はソ連時代のロシア土産の煙草にも、似たような“警告”は在った…冒頭の“○○省”が確か「ソ連保健省」だったと記憶するが…

これなどは、以前の日本の煙草にも在った「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」のようなものだ…

見掛けることが急に増えたのは以下のようなものだ…

КУРЕНИЕ УБИВАЕТ
(クリェーニエ ウビヴァーイェット)

↑箱の表側、三分の一程度に大きな文字で書かれている…結構目立つ…

「喫煙は(人を)殺す」という程の意味だ…「Smoking kills」(スモーキング キルズ)の直訳である…“欧米スタイル”の“翻訳”であろう…

この箱の表側、三分の一程度に大きな文字で「喫煙は(人を)殺す」と在るものを裏返すと…概ね半分程度に大きな文字で色々と書かれている…幾つもヴァリエーションが在るようだ…

例えば以下のようなものが在る…

КУРЕНИЕ МОЖЕТ ВЫЗВАТЬ БЕСПЛОДИЕ
(クリェーニエ モージェット ヴィズヴァーチ ビェスプロヂエ)

「喫煙が不妊を引き起こす場合が在る」という程の意味だ…

更に…

КУРЕНИЕ МОЖЕТ ЯВЛЯТЬСЯ ПРИЧИНОЙ ИМПОТЕНЦИИ
(クリェーニエ モージェット ヤヴリャッツァ プリチーナイ インポテンツィイ)

「喫煙はインポテンツの原因となる場合が在る」という程の意味だ…

こういうのを視ると…「そこまで言う?!」という気もするが…

先程、煙草の価格についての箇所で、喫茶店の珈琲の価格を引き合いに出した。サハリンの喫茶店だが、喫煙席と禁煙席を確り分けた造りの店も在れば、中は全面禁煙になっている店も在った…煙草は、“喫煙可”の場所で程々に愉しみたいものだ…

正教…

9月13日から9月17日でサハリンを訪ねたのだったが、戻ってきてからも何やら「サハリン関連ニュース」のようなものに触れる機会が少なくないような気がしている。

>ロシア正教総主教 サハリン初訪問 北方領土は悪天で見送り(09/21 北海道新聞)

“総主教”というのは、ロシア正教のトップである。その方がサハリン州へやって来て、滞在期間中に国後、択捉、色丹訪問を計画したそうだが、“天候”で訪問を見合わせたのだそうだ…日本では、“要人”と“北方領土”が絡まれば、場合によってロシア国内以上に大袈裟に報じられる場合さえ在るかもしれない…

“宗派”の名前としては“正教”が正しいのだが、ロシアでのそれに関しては“教会組織”である“ロシア正教会”と半ば混同されて、日本では「ロシア正教」と呼ばれる。ロシアで主流を占めていると見受けられるキリスト教の一派である…(以降、「最も判り易い」と見受けられるので“ロシア正教”とさせて頂く…)

ロシア正教は、公式的には西暦988年からロシアでの歴史を歩み始めている…988年、キエフ大公ウラジーミル1世が東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の皇帝バシレイオス2世の妹アンナを妃とし、公式に東ローマ帝国の国教である正教会の洗礼を受けた時から始まるとされているのである。

キリスト教は、「ローマ帝国の国教」ということになった。その後、ローマ帝国が東西に分かれた。“西”でのキリスト教が後の“カトリック”の基礎となっている。(かなり時代が下って、そこから“プロテスタント”等が色々と発生している…)“東”でのキリスト教は“正教”となった。

ロシア正教も含め、「○○正教会」という教会組織を持ち、「○○正教」等と日本で呼び習わされる“正教”は各地で見受けられる。ルーマニアやらセルビアやら、欧州のやや南東で多いような気がするのだが、それも無理からぬことである。正教を国教にしていた“東”の帝都コンスタンチノープルは、今日のトルコのイスタンブールだった。(FIBA2010が記憶に新しいが…)そこから各地への布教も行われていた。であれば、今日の“正教”の地理的分布も、何となく判り易いような気がしてくるというものだ…

ロシア正教は、“東”との関係強化を目論んだ、ロシアの起源とされている“ルーシ”の支配階級が入信したことをもって起源とされてはいるのだが、“東”による布教の努力も在った…ロシアで使う文字を“キリル文字”と呼ぶ場合がある。これは“キリーロス”という布教者に因んでいる。今日使用されているロシア語の文字は、ロシア革命以降に整理されたものだが、それ以前はピョートル大帝の活字が基礎になっていて、そのまた以前は“東”の布教者が聖書の言葉をロシア人達が使っていたスラブ系言語―多分、現在のロシア語とは様子が異なる古語…故に「スラブ系言語」等と呼ばせて頂いた…―に翻訳して伝えようとした際に編み出した代物だったのだ…

帝都コンスタンチノープルは帝国が瓦解してしまった後、イスラム教を奉じるトルコの帝都に様変わりし、イスタンブールと改名してしまった。各地に拡がっていた正教は、各々に「○○正教」という歩みを始める…

ロシアに在っても、“タタールの頸木”と呼ばれる東方からの侵出に苦しんだ時代を経て、モスクワ大公が実力を蓄え、やがて混迷の後にロマノフ朝が登場するに至る経過の中で正教会も各地に根を下ろして発展し続けていた…

そんなロシア正教だが、ロシア革命後のソ連時代は不遇だった。政権党である共産党が宗教を敵視したという話しも在るが、実際には国の隅々の村落に至るまで根を下ろし、一声掛ければ寄進が在ったり、勤労奉仕に名乗りを上げる人が大勢居るという教会の存在が、政権にとって“邪魔”だったので排斥された…というのが、より真実に近いのであろう…

そしてそのソ連時代が幕を下ろすと…ロシア正教は俄かに“復権”する…各地で教会が補修されたり、再建されたり、新設されたりと賑やかになった…大統領就任式にもロシア正教的なセレモニーが容れられ、指導者達も信者で在るという所作を堂々とする―“共産党側”以外の何者でもない、KGBの将校であった首相(前大統領)さえ例に漏れない…―し、正教会トップの総主教が逝去すれば“国葬”である…

話しをサハリンに戻す…

サハリンには、殊に1945年から1946年以降にソ連が支配していた“南樺太”では、ロシア正教の教会など長く無かった…しかし、1990年代半ば辺りから方々に新設され始めている…

サハリンの南部だが、一部にやや記録が曖昧な地域も在るものの、ロシア人の足跡も19世紀以降に結構残っている…或いは、その時代には村落に素朴な教会は在ったであろう。しかし…今日のサハリンの都市は、その多くが後年に日本人が築いた都市を基盤にしているので、多くは“新設”で間違いない…

サハリンを訪ねて、このロシア正教関係の建築を眺めるのは、存外に愉しいと思う。独特な様式の建築だ…

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(ユジノサハリンスク)

最も著名なのは、ユジノサハリンスクに在る、地域の正教会の中心となっている聖堂であろう…が、寧ろそれ以外のものを眺める方が面白いかもしれない…多くは、ロシア人が漠然と憧れるような「旧い時代の精神世界」を体現したかのような、木造風の外観であったりする…

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(コルサコフ)

日本では、正面切って“宗教”は語られないかもしれない。これは何処の国でも同じである。しかし…多くの国で、日本の村落に神社や寺院が自然に在るように、教会のようなものが存在している…ロシアは、「理屈と都合」でそれを大っぴらに容認しないようなことをしてきたが、最近はそれを止めている…そういう意味でも“普通”になっているのかもしれない…

ところで…“領事館”と言えば、領事以下の各スタッフの他、館員の食事等を担当する調理人や、健康管理を担当する医師などが居る様子は想像に難くない…が、「僧侶が居る」とか「神主が居る」という様子が想像し難い…

と思うのだが、幕末期にロシアが箱館に初めて領事館を開いた頃、彼らは一寸違った…ロシア正教の司祭がやって来ていた…それが、かのニコライである…領事館は、自国出身の人間が管轄地域で他界したような場合、死後の始末をしなければならない訳だが、ロシア人にとってはロシア正教の司祭がそういう場面で必要であったのだろう…また、館員の日常の中でも不可欠だったのだと考えられる…(尤も、今日の各国のロシア領事館は、日本のそれと同様で、宗教関係者等居ないであろう…)

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(東京)

かつては、開設したばかりの遠国の領事館にまで司祭がやって来る程に深く浸透していたロシア正教…或いは今、「“光”を全土に…」とばかりに、活動を積極化、活発化しているのかもしれない…記事冒頭に掲げたニュースを見て、そんなことを思うのであった…

>Collection: Voyage : SEP 2010 (Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on Sakhalin, Russia)

“チェーホフ生誕150年”にほんの少し関連して…

夕方のテレビで“チェーホフ生誕150年”を巡る話題が取上げられていて、ゆっくりと拝見させて頂いたところだ。

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“チェーホフ”は「超有名作家」と言って差し支えないとは思うが、と言ってその名を頻繁に耳にするでもない…そうした意味で、彼の名が「普通のニュース・情報番組」取上げられたのは興味深かった…

更に言えば…番組中で「日本人研究者」と紹介され、特に氏名は出ていなかった方―回りくどく紹介したが、友人である…―が登場したが、実は彼から「金曜日の夕刻に…」という情報を得ていた故に番組を拝見したのであったが…

日本では、街の通の呼称、乗物関係の呼称、施設の呼称に“人名”を殆ど用いないと思う。例えば、砕氷艦の<しらせ>でさえも、1910年の南極探検を行った白瀬中尉に因む命名であることは明白ながら、公式的には「南極の“白瀬氷河”に因んだ命名」という話しにしている程だ…何故なのかはよく判らない…

これに対して諸外国では、街の通の呼称、乗物関係の呼称、施設の呼称に“人名”を用いるのは然程珍しいことではない。色々な国で「“人名”センター」というような呼称の施設を見聞しているし、列車を利用した欧州諸国では、詳しく時刻表を確認すると列車に運行地域に少々縁が在った文化人の愛称が冠せられたりしていたものだ。物騒な話しだが、何処かの国ではミサイルに大統領の名前を冠しているものまで在った記憶が…

ということで、ロシアやサハリンもこういう事例に漏れないと思う。過日訪ねたばかりのサハリンでも、幾つかの“人名”に出逢った…

日本では、かの<しらせ>でさえも公式的には「“人名”ではない」としているのだが、サハリンの港で見受けられるロシアの船では、“人名”は珍しくはない。

コルサコフ港でフェリーの乗降りをする辺りに、港内に停泊中の船を見回していると<イーゴリ・ファルフトディーノフ>という貨客船を視掛けることが在る。これは先々代の州知事の名で在る。

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ファルフトディーノフ知事は、その手腕が高く評価されていて、中央政界との繋がりも強く、「遠くない将来には要職に抜擢?」という噂さえ在ったようだったが、残念ながら航空事故で他界した…彼の事績を偲び、サハリンの海で活躍する船にその名を与えたのである…

巨大な“大陸国”であるロシアでは、“サハリン州”というものを他地域に向けて語る際、「島々から成る州」という表現を好んで用いる…とりあえず「州の領域が全て島嶼」なのは、数多いロシアの連邦構成体の中では他に例が無い。そうした意味で、ファルフトディーノフ知事を顕彰する意味で、船にその名を与えるというのは粋なことかもしれない…

因みに…最近読了した『エネルギー』という小説に、ファルフトディーノフ知事が実名で、“劇中人物”として登場している…

ロシアやサハリンで、上述の例のような場合以外に、“人名”は何か「○周年」に因んで現れる傾向も在るのかもしれない…

1970年…この年はレーニンの生誕100年だったようだ…この辺りの時代に建設されたらしいアパートの壁面には、それに関係した大壁画が見受けられた…

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レーニンに関しては、“ソ連時代”にはサハリンに限定せず、方々に溢れていた面は在ったかもしれない…これもサハリン限定ではないと思うが、“ソ連時代”に「現れて、そして影が薄められた」という“人名”も在る。スターリンである…

実は偶々、サハリンの少し旧い写真が載った本を拝見する機会が在ったのだが…今日のユジノサハリンスクの“コムニスチーチェスキー・プロスペクト”は、ソ連が統治し始めた当初は“スターリン通”と呼ばれたらしい…最近まで知らなかった…

今年…チェーホフは生誕150年だ…そして「サハリンでチェーホフが殊更に敬愛されている」ような気にさせてくれる、『サハリン島』の取材を行った旅から120年である…しかし…“チェーホフ”に関しては、既に方々に名前が在るので、新規に登場する何かは無い様子だ…

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それでも「○周年」は重んじられ、サハリンでチェーホフに関するシンポジウムが催され、冒頭に触れた友人もそれに足を運んだようだ…

チェーホフのシンポジウムは、ユジノサハリンスクで催された…ユジノサハリンスクでは「1882年の“ウラジミロフカ村”の開村」を「街の起こり」と考えている…今日の街の中心部は、寧ろ“豊原”である…“ウラジミロフカ”という村は、現在のユジノサハリンスク都心よりも北西寄りの辺りだったようだ…

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1890年に綿密な取材をしたチェーホフ…『サハリン島』の中で“ウラジミロフカ”にも言及している…当時は「46戸、91人(男性55、女性36)」という村で、「牛100頭以上、馬40頭」という農村だったようだ。今日では18万の都市だが…

ところで…以前は『サハリン島』はやや入手困難だった…

しかし、ベストセラー小説で言及が在って話題になったことから、本が再販になった!!

↓一寸御紹介しておく…

サハリン島

因みに…昨年はこの『サハリン島』をネタにした芝居をサハリンで大変興味深く鑑賞したのだった

<航海日誌>:9月17日

*旅行期間中のメモを整理し、<航海日誌>と題して公開する…

9月17日(金)

前夜の“心配のタネ”であった「寝坊」という状況は発生しなかった。杞憂に終始した…或いは、このサハリン滞在期間を通じて、毎度奇妙なまでに早起きだった…

↓これがサハリン時間だ…


↓そしてこれが日本時間…


通常は1時間…“サマータイム”の期間である3月末から10月末は2時間の時差である…

自身は「然程神経質でも無い…」と自己評価はしているのだが、枕が変わって微妙に眠りが浅いのかもしれない…加えて「日本時間より“2時間早起き”で動く…」という変な緊張感が在ったのかもしれない…

早朝からサハリンの名残を惜しむかのように、ホテルの部屋でスポーツニュースやらミュージッククリップを観ながら、出発の支度を整えた…

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やがてホテルの朝食を確りと頂いた…馴染みのホテルは朝食がなかなか好い。肉類や魚類に付け合せがなかなか好きだ!!

考えてみると…滞在中はホテルで朝食を確り摂り、精力的に動いて昼や夜はいい加減だった…或いは“健康的”だったかもしれない…

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朝食後に戸外へ出た…風が刺さる…雲も厚めで、やや薄暗い…前日までの「やや暑い」様子が嘘のようだ…北の島の秋は駆け足なのかもしれない…

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戸外へ出て…ホテル近所のスーパーへ…24時間営業で、色々と売っているスーパー…なかなかに重宝だ…フェリーで飲む水を求めた…銘柄は大変気に入っている“コルサコフスカヤ”だ。

約束の時間にやってきた車でコルサコフ港へ移動…型どおりに手続きをして乗船した…

今年の稚内・コルサコフ航路は「6月から9月に28往復運航」ということだったが、このフェリーが「28回目の復路」ということで、「今年最後の便」ということになった…

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雲が厚めであったのだが、「今年最後の出航」を祝うかのように、若干の陽射しも見受けられた…

船では…勝手に“専用席”とか“特等席”と呼んでいる甲板の一隅に場を占めていたのだが…若干寒かった…

やがて登場したYAGIさんのミニライブを愉しむなどしていたのだが、連日の早起きによる若干の疲れと、「後は船に揺られて還るだけ…」という安堵のお陰で妙に眠くなってしまい…船が込んでいなかったこともあって、2等船室の土間で毛布を拝借して1時間半程眠った…多分高鼾をかいていたことだろう…

そんなことをしていた間に、くすんだ色の浪や海面と、若干垂れ込めた雲の間に、稚内が姿を現した…

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こうして2010年9月13日から2010年9月17日の“航海”は無事に終了した…

>>Voyage : SEP 2010 (Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on Sakhalin, Russia)

<航海日誌>:9月16日

*旅行期間中のメモを整理し、<航海日誌>と題して公開する…

9月16日(木)

昨日は、午後5時前には「何か眠い…」という雰囲気になってしまった。月曜日、火曜日と中途半端な睡眠が続いてしまい、他方でそれなりに歩き回ったので、流石に多少草臥れたのかもしれない…

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そういう訳で、多分7時何分かには眠ってしまった…「サハリンで気に入っているモノ」の一つでもある“コルサコフスカヤ”というビールをぐうっと呑んで横になったためかもしれない…

気付いてみれば…朝4時であった…何か妙に清々しい感じの朝となった…

ホテルで朝食を摂った足で戸外に出た。半袖Tシャツの上に長袖シャツ…朝の時点ではこれで善かった…しかし…稚内の最高気温が24℃だったらしいが…今日のユジノサハリンスクは27℃にまでなった…日が高くなるに連れて、何か酷く陽射しがキツくなった…

こういう中で精力的に動き、途中ホテルでの休憩を挟んで夕べを過すこととなる…夕刻、長袖は止めて半袖Tシャツを着用したが…何か腕に当る陽射しが「やや痛い」感じさえしてしまい、日が落ちても生暖かいような気さえしたのだった…

今日はコルサコフを訪ねてみた…稚内からのフェリーが到着するコルサコフは、ユジノサハリンスク都心から40分程度で着く場所だが、“素通り”も多く、歩き廻ったことが余り無い…

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朝、鉄道駅脇のバス乗り場に行ってみると、程なく朝一番のコルサコフ行きバスがやって来た…それに乗込んでみた…

バスは座席が20席前後のやや小型な感じの車輌だった。運転手の他に乗務員が居て、車内で切符を売ったり「下車される方はいらっしゃいませんか?」等と案内もしている…

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車内で80ルーブルを払うと、何か日本のバスの回数券のようなものを料金相当分寄越してくる。乗務員はロール状になった、その券を持っていて、必要枚数を千切って乗客に寄越す…

ユジノサハリンスク・コルサコフ間には、こじんまりした住宅地も在り、両都市間を単純に往来するのみではなく、そうした住宅地と両都市の間の往来、或いは住宅地間の往来にも利用されているようだ。乗車距離が異なると、料金も異なるらしい…

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往路のバスは、何か暁の中を進み、車窓からは次第に高くなる朝陽を観ていたような按配だった…

コルサコフに到着する…市役所や、多少賑やかなソヴィエツカヤ通辺りへは徒歩10分弱の辺りにバスが着く…以降は市内バスを利用するか、歩くかである…私は歩いた…

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結局…約3時間、市内を歩き回った…相当歩いて、港を見下ろす辺りまで辿り着いた…港を見下ろす辺りには“涙の塔”というらしいが、故国に帰り損なった朝鮮半島出身者等―所謂“サハリン棄民”等…―が故郷を思って海を眺めたと言われる場所に記念碑が在る…ここに立つと、コルサコフ港が一望の下である…他にも、皇太子時代の昭和天皇が視察の際に立ったという話しも伝わる高台も在るのだが…そちらは既に訪れたことが在るので、今回はこちらに寄ってみたかったのだ…

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更に…建物の存在は知っていて、近くに寄ったことが無かった教会も眺めてきた…木造の、何か「旧き善き正教会」という風情が漂う代物だった…

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コルサコフは複雑な地形を切り開いたような趣で、“段々”に整地した場所に集合住宅が並んでいる等、些か特徴的な雰囲気が漂っている…

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コルサコフの市役所前に凄く広い広場が在る…広場の隅の記念碑には「日本の帝国主義者からコルサコフ市を解放した英雄に捧ぐ」というような献辞を掲げた記念碑が在る…その広場から、港の方向に延びるソヴィエツカヤ通は、原則“歩行者天国”になっている…

そのコルサコフからの復路…朝に辿り着いたバス停から、再びバスに乗車した…この頃になると…陽射しがややキツかった…

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バス停近くの売店で、確りとミネラルウォーターを求めた。サハリンでミネラルウォーターを求める場合、私は“コルサコフスカヤ”というのが在れば、それを優先的に選ぶ…文字どおりコルサコフに在る会社の製品である…ビールや“クワス”も造っている…私は欧州旅行等でも利用した機会が在るので“ガス入り”でも嬉々として頂く…と言うより…“ガス入り”を希望してしまう…

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復路の車窓は、何か妙に眩しい“夏の景観”だった…何となく、ユジノサハリンスクのテリトリーに入って程なく登場する“シティー・モール”というショッピングセンターで下車してみた…ショッピングセンターを文字どおりほんの少し眺めた…何を求めたでもない…中を一寸歩いてみただけだ…

“シティー・モール”からは、彼らが運行している“無料送迎バス”でユジノサハリンスク市内へ移動である…

ユジノサハリンスク市内では、また市内バスを利用した。今回は“丁度14ルーブル”が手元に無かった…そこで思わず100ルーブル紙幣を支払ったのだが…運転手はハンドルを握りながらも、実に器用に86ルーブルの釣銭を寄越して来た…小さな驚きだった…

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ユジノサハリンスクの街は、“夏の装い”の人が多数派に見えた…

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大型バスの中には、運転手横の出入口を開け放したままにして走っているものも見受けられた…風を入れていたのであろう…

何か不思議な感じがする…お陰で私も酷く汗をかいた…明朝には去ってしまうことになるのだが、時間の経過が早かった…

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夕刻の街…薄暗くなっても人通りが絶えない…些か驚く…

酷く汗をかいたTシャツがなかなか乾かないので、出発直前に鞄に入れようなどとホテルで考えていると電話が鳴った…

一昨日会っているヴィターリーさんが別れを告げに訪ねて来たのだった…「サハリンに来る機会が在れば、何時なりと一報を…」ということだった…大変有難いお話しだ…

“用事”も無事に足り、何となく愉しい時間も在り、心配のタネは「明朝の寝坊」だけという状態になった…

>>Voyage : SEP 2010 (Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on Sakhalin, Russia)

<航海日誌>:9月15日

*旅行期間中のメモを整理し、<航海日誌>と題して公開する…

9月15日(水)

酒というものは、「些かのカロリーが在る麻酔薬」のようなものである…ヴィターリーさん達とウォッカを少々頂いた…そのためか、ホテルに着いてから即座に横になって寝入ってしまった…

そういうことをすると…未だ暗い、早朝と深夜の狭間のような、妙な時間帯に目を醒ましてしまう…

テレビを点ける…何処でやっているのか、“生中継”でアイスホッケーの試合が流れている。

ロシア国内は時差が在る訳だから、サハリンの早朝に「プロスポーツの試合をやっている夕方から夜」の時間帯になっている場所も多々在る訳だ…

最近のロシアのアイスホッケー…КХЛ(コンチネンターリナヤ・ホケイナヤ・リーガ)(“カー・ハー・エル”)と言うらしい…昨日もニュース番組のスポーツコーナーで試合結果を紹介していたのを視たが…1993-94シーズンにモスクワで視た“スパルターク”、“ツェスカ(CSKA)”、“サラバト・ユラーエフ”等、記憶に在るチーム名も散見したが、知らない名前が妙に多かった…

テレビ中継でアイスホッケーのリンクを視ると…どうしても1993-94シーズン辺りと比べてしまうのだが、場内に広告が多々掲示されている様子に愕く…あの頃はもっと地味だった…

現在は「氷に浮かぶようなスタイル」(アイスホッケーのセンターやアイシングのラインを造るのと同じ方式で広告を埋め込むのであろう…)のモノまで多々見受けられる…厳つい面を着けたキーパーが護るゴールの後ろに“何とかバンク”と金融機関らしい広告、アイシングのライン手前に“メガフォン”という携帯電話会社のマーク…何か凄い…リンクの壁には、ロシア国内外の色々な企業の広告がビッシリだ…“ガスプロム・バンク”(かの天然ガスのガスプロムが出資している金融機関であろう…)などとロシアらしいものも在るが、“ペプシ”とか“ニコン”と日本でも馴染みのモノも見受けられる…

試合そのものよりも、場内の様子に注目という妙なことをしていた間に試合は終わってしまった…妙な時間の過し方をしたものだ…

時間を持余し気味になってしまった早朝…と言えば散歩が好い…レーニン通からコムニスチーチェスキー通にかけて、少々歩き、博物館の建物が見える辺りまで歩いてみた…半袖Tシャツの上にデニムのジャケットという出で立ちで戸外に出たが、その程度が丁度良いような外気の感じであった…

朝6時台は、稚内の朝4時台と似たような明るさ…或いは暗さである…未だかなり静かで、街は「眠い目をこすっている」ような感じである…

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その薄暗い中、州政府本庁舎のライトアップが妙に煌々と輝いていた…

やがて…7時近くともなれば、昨日の“ゴールヌィー・ヴォズドゥフ”の側(=東側)の空が暁色に輝き始めた…そして車輌の通行量が増え始める…

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今の時季のユジノサハリンスクだが、何となく「日の出と共に街も目覚める」という趣が在る…これからの時季は、加速度的に日の出が遅めになり、他方で日没は早めになる…ロシアで採用されている“サマータイム”を切り替える10月下旬ともなれば、夜明けが妙に遅い、少々不思議な雰囲気になっていく…

コムニスチーチェスキー通というのは、鉄道駅の辺りから東側に延びる大通りである。この通の辺りは、文化施設や官公署、オフィスのビルが比較的多い…人の気配が無い映画館や劇場の建物も在れば、既に述べたライトアップの眩しい州政府の本庁舎、裁判所やらロシア銀行(通貨を発行する中央銀行)のサハリン州支店やら、“サヒンセンター”という大柄なビジネスビルやら、大学の校舎に利用されているビル、そして博物館が在るのである…

人の気配が無い劇場の辺りで足を止めた…未だ本格的に今年(この秋・冬)の“シーズン”ではないので、“近日上演”の掲示には何も無かったのだが…「チェーホフ生誕150年」の懸垂幕が建物の左側に在り、右側には「企画公演」の懸垂幕が在った…

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「企画公演」…9月末に札幌の劇団がやって来るという…そして11月には、かの<A.P.チェーホフ記念モスクワ藝術座>(МХАТ)(ムハート)がやって来る!!これは凄い!!

そんなものを眺めながらの一時であった…蒼空が輝きを増し始め、通を行き交う車輌も益々増える…大型の路線バスが通るのを視ると、通勤・通学と思しき人などが存外多く乗っている様子も見え始めた…そんな様子を見ながら、ホテルでゆったりと朝食を愉しんだ…

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今日もまた、「秋の風情の朝…夏の面影の日中…」という按配で、日が高くなるとやや暑くなった…「夏の装い」という風情の人も多く見掛けたが、他方で風が少々爽やかに感じられ、キツい按配でも無かった…

用事を足した際、また市内路線バスを利用した…

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訪ねる場所は、覚えている“つもり”という状態で、場合によっては「反対側にかなり歩いてしまってから、“どうなっている?!”と苛立った辺りで間違いに気付く」というのをやらかすことが危惧された…また“訪問”、“待合せ”に際しては「遅れるよりは“一寸早く着いて…”とその辺で一服という方が良い」という考えも在るので、早めに出掛けた…が、危惧は杞憂に終始した…拍子抜けする程簡単に目的地に辿り着いた…

とりあえず滞りなく用事を足すことが叶い、大変に安堵した。先方の好意で、訪問先からホテルへ車で送って頂いた…大感謝である…

ホテルの近くの、一寸気になっていた店で昼食を愉しんだ。“お奨め”の品の看板を造って、店の前に出している…頻繁に看板を視ていたので、中を見たかった…食事を所望すると、“カフェテリア”になっている部分に通された…私が入らなかった方は、多分カフェになっているのだろう…

カフェテリアでは“プロフ”と称する中央アジア起源の、羊肉が入った炊込み御飯とスープを頂いた…

ロシアでスープを頂くと思い出すことが在る。ロシア語で「スープを頂く」という場合は「食べる」と表現する。「飲む」ではない…今日は細かく刻んだ具材が豊富に入ったスープを頂いたのだが、そういうものは「飲む」よりも「食べる」の方がしっくりとする感じだ…

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今日は博物館の傍を通る機会が在り、立寄った。実は昨日会ったアレクサンドルさんが“新展示”について教えてくれたのだった。彼はかの“iPhone”に一寸似たタイプの携帯電話を愛用しており、それで画を見せてくれた…私は「これはこの眼でも視ておこう!!」と心動かされた…

博物館の「心動く新展示」とは…旧帝国陸軍の95式戦車である…占守島に在った、錆鉄の塊のようになっていた戦車を持込み、丁寧に直したモノが博物館敷地の屋外に飾られたのである。

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戦車の砲身は折れてしまってはいるのだが…95式戦車の全般的な形状はよく留めている…この戦車に旧帝国陸軍が戦車に施していた特徴的な迷彩塗装を確り施している。そして…砲等には“士”のマーキング!!これは、当時の占守島に配置されていたのが第11戦車連隊で、彼らは“十”と“一”を組合わせて「“士魂”の“士”!!」と部隊のマークにしていたというのだ…

実はつい最近、占守島の戦いを扱った本を読了したばかりである…95式戦車を駆って勇戦した将兵の物語も綴られていた…彼らこそは“士魂”を語るに足る“武士”(もののふ)であったと思う…

この95式戦車を眺めながら、色々な想いを巡らせていた…同時に、「“士魂”の“士”!!」という謂れのマークも含めて、忠実に95式戦車を展示用に直した博物館関係者の皆さんの努力にも敬意を表したいと思った…

今日もなかなかの好天に恵まれた一日であった…

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<航海日誌>:9月14日

*旅行期間中のメモを整理し、<航海日誌>と題して公開する…

9月14日(火)

昨日は移動で少々草臥れたのか、早々に眠ってしまった…他方、真夜中の妙な時間に目を醒まし、今度は寝付かれずに多少困った…

朝7時台…日本時間の5時台に起き出した…ホテルの朝食を頂く…

ホテルの前に半袖Tシャツ1枚で出てみれば…やや肌寒かった…しかし次第に「やや暑い…」という按配になってきた…内陸型気候のユジノサハリンスクである…

今日はバスに乗った。“バス”と言っても、日本のバスのイメージに近いものではなく、10人程度が乗込めるワゴン車のような車輌を利用した代物だ…実は…こういうものには初めて乗った…

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乗込むと運賃の14ルーブルを運転手に渡すようになっている。運転手席に手が届かない場合は「ピェレダイチェ…」(渡して…)と近くに陣取った人を経由して手渡す…降りたい停留所の辺りで「アスタノーヴィチェ…」(停めて…)などと運転手に声掛けして停車する…乗客はそのまま下車する…

細かく乗客は入れ替わる…時々誰かの携帯電話が鳴る…何か派手目な着信音を採用している人が多いようだ…華々しい“着ウタ”風のものが目立つ。中には「ナターリャ…クトータズヴォーニット…」(ナターリャ、誰かから電話だ…)とSF映画のメカのように、妙な合成音声の呼び掛けを入れている人も…これを聞いて、笑いを堪えた…

そのうち、「何語?」という按配の、明らかにロシア語では無い話し声がしている…“多民族”な国である…帝政時代には「諸民族の…」…止めておこう…

その「何語?」という按配の話し声の主は…運転手だった…運転手がハンドルを片手に何やら電話をしていた…「頼むぞ!!安全運転…」と何やら落ち着かない気分になる…

やがて私自身の目的地に到着し、用事を足しながら市内を歩き回った…これまで歩いたことが無かった辺りから、多少勝手知った辺りとゆっくり動いた…

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「ゆっくり動いた…」としたが、次第に動くのがキツいような陽射しになってきた…朝夕と日中の温度差が大きめなようだ…途中でスーパーマーケットを覗いて飲み物を仕入れてしまう…

街では、朝夕を考慮して上着を引っ掛けている人達が暑そうにしている他方、“夏の装い”という風情の人も多い…何か妙な按配だ…

鉄道駅近くの、都市間バスの切符売場の脇にカフェが在った。ピザの看板が出ているが…ピザを前面に押し出して売っている訳でも無かった…“カフカース風料理”と称して、幾分のメニューが在った…

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その“カフカース風料理”の中から、“シャシリク”というものを頼んだ。串に刺して焼き上げた肉だ…串から肉を外して、皿に載せて温め、付け合せに玉葱が添えられ、辛口ソースも付いて供された…悪くない…

そうこうしていたが、何か陽射しがキツくなってきた…ホテルで休憩の前に、近所のスーパーで部屋用の飲み物を求めることにした…飲み物の序でに、5月に気に入っていた“マッシュポテトの入ったピロシキ”を求め、これを「休憩のおやつ」ということで頂いた…

休憩を挟んで活動再開ということにした…

夕刻から夜は、稚内を訪れたことのあるジャズバンド<ヴレーミャ・ジャザ>のメンバーに会うことにした。「サハリンへ来て、時間が在れば是非一報を…」ということで、連絡先を残してくれてあった…今回はその一報が叶った訳である…

再開が叶ったのはベーシストのヴィターリー・ブィチコフ氏(以下ヴィターリーさん)と、ギタリストのアレクサンドル・ヴォルコフ氏(以下アレクサンドルさん)である…世代も近く、話しも合う。愉しい一時を過すことが叶った…

「下の娘の“チャイルドシート”」を確り備えたヴィターリーさんの愛車で彼らは待ち合わせのホテル前に登場した。「何処かへ一寸行ってみるか?」という話しになり、“ゴールヌィー・ヴォズドゥフ”(山の空気)へ上がってみた…

“ゴールヌィー・ヴォズドゥフ”(山の空気)というのは…ユジノサハリンスク市街の東側の山で、スキー場である。スキーのオフシーズンも、週末は山上へのゴンドラが動いているのだが、ウィークデーは動いていない…しかし、脇の道路から山上に上がることは出来る…

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実は、この高い場所からユジノサハリンスク市街を望んだということが無かった…一度視てみたかったのだが、お陰さまでそれを実現することが叶った訳だ!!手前の緑の向こうには、半ば夏のような陽射しに浮かび上がる市街のやや南寄りな辺りが拡がり、西寄りの郊外に農地らしきものが見え、西海岸のホルムスク方面に向かう際に越える峠道を擁する丘陵地形が影のように背景を構成している…

その後、ヴィターリーさんの御宅に御邪魔して“夕食会”というような運びになった…土産に<レズ・ツェッペリン>(女性4名で“レッド・ツェッペリン”作品を演奏しているバンド)や<ブライアン・ブロンバーグ・プレイ・ジミ・ヘンドリックス>(ジミ・ヘンドリックスによるギターの有名曲を、各種のベースを駆使して演奏したというユニークな作品)のディスクを持参したのだったが、気に入って頂けて幸いであった…殊にアレクサンドルさんはかなり熱心な“レッド・ツェッペリン”のファンで、偶々<レズ・ツェッペリン>を初めて聴いて、大いに興味を示していた…

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愉快な一時というのは直ぐに過ぎてしまう…タクシーを呼んでホテルへ帰還である…ユジノサハリンスク市内は、夜でも存外な交通量で少々愕く…

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<航海日誌>:9月13日

*旅行期間中のメモを整理し、<航海日誌>と題して公開する…

9月13日(月)

FIBA2010の結果を視た後、何となく支度をした…

支度と言っても、何をした訳でもない…半袖シャツを着るのか、長袖のシャツを着るのか迷い、結局半袖のサッカーユニフォームを着た…そして、風が冷たくなった場合を考慮し、その辺に在ったで求めたトートバッグを掴み、最近時々着用し始めたデニムのジャケットを放り込んで持参した…

稚内港の国際旅客ターミナル…私にとっては見慣れた場所だが、今日は「酷く混雑」という意味では必ずしも見慣れたいう訳でもない光景が広がっていた…

フェリー<アインス宗谷>の2等船室というのは、利尻・礼文航路の旧い船同様の“平土間”である…私にとっては、必ずしも居心地が良い訳ではないタイプだ…そして混んでいる…

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船に乗ると、直ぐに幕の内弁当が配布された…何ということもない代物だ…それを抱えて、指定された区画を無視―下船するまで、場所を確認することさえしなかった…―して後部甲板に向かった…

結局、航海中は殆どの時間を後部甲板で過した…途中、若干中に入って煙草―免税故の1カートン1,900円は有難い!!―や飲み物を求めたが…

後部甲板には、私と似たような感覚で混み合った“平土間”を厭う若干の日本人が見受けられた他、戸外を気持ち好いと考えるらしいロシア人グループが目立った…

稚内が遠ざかった…利尻富士は残念ながら見えなかった…やがて宗谷の“風力発電”が視える…進行方向に対して右舷側である…

やがて…海峡を渡る風が多少冷たく感じられる―上着を持込んで正解だった…―ようになり、船は国境に近付いた…国境と言っても海上に何かが在るでもない…そして左舷側にサハリンの陸地が見えた…

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サハリンの陸地が見える辺りで、低温の海水と、陽射しで温められた空気が触れ合って霧が発生していた…その霧が晴れた辺りで、イルカが海面に跳ね上がる様が見えた…甲板に居た人達から歓声が上がった…巧く写真こそ撮れなかったのだが…

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到着まで1時間を切ってくると…大型タンカーやLNG船が見える…そして進行方向右舷側にLNG工場が見える…この工場を建てるまでの顛末が出て来る『エネルギー』という小説を読了したばかりだった…

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コルサコフ港が近付くと…モーターパラグライダーをやっている人が居るのが見えた…モーターパラグライダーというものを初めて実際に視た…今日のような晴天であれば、酷く気持ちが好いことであろう…

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フェリーは定刻の日本時間15時30分、サハリン時間17時30分に到着した…混雑していただけに、上陸までやや時間を要した…フェリーが埠頭に着いてから、入国手続きをする場所までバスで動く…バスが一寸揺れたが…今日のフェリーはバスよりも揺れなかった…素晴らしい船旅だった!!

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コルサコフからユジノサハリンスクへ移動…郊外風の場所を通り抜け、ユジノサハリンスク市内に入ると、次第に交通量も増える…そして馴染みのホテルに到着してチェックイン…

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とりあえず空腹を禁じ得ない…1,000ルーブルを準備しておいて正解である…駅前のハンバーガーショップへ向かった…途中の広場に設けられた噴水がライトアップされていて、なかなか綺麗だった…

ハンバーガーショップ…何となく緩い感じもする雰囲気だ…客足が絶えないのが多少愕く…“ダブルチーズバーガー”、“スパイシーチキン”、“マッシュバーガー”(ハンバーガーにマッシュポテトが入っている!!)と買い込み、ホテルに引揚げた…

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何か…日本時間では中途半端な時間帯ながら…サハリン時間では何時の間にか微妙に遅めな、居眠りしていることもあるような時間帯になってしまう…

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宗谷(ラペルーズ)海峡にアコーディオンの音…―YAGIさんのミニライブ…

9月17日…コルサコフ港から稚内港へ向かうフェリーに乗船すると、甲板で催しが在る旨の案内放送が在った。「何かやるのか?」程度に聞き流していたのだが…やがて見覚えの在る人物に出くわした!!

出くわした「見覚えの在る人物」とは…アコーディオン奏者のYAGIさんだった…と言うよりも…些か失敬かもしれないが、特徴在る風貌なので、居合わせると気付く確率も高いような気がするが…

>アコーディオン演奏ヤギの自己紹介

彼と初めて出くわしたのは今年2月だった…彼は“雪まつり”等で賑わう札幌都心各所を、各地から集めた“ゆるキャラ”と共に巡って演奏をしていた。私が居合わせたサッポロファクトリーにもやって来た。彼は稚内のキャラクターである“出汁之介”(だしのすけ)に回り逢った…

“出汁之介”(だしのすけ)に回り逢った彼は…彼自身が幼稚園辺りまで住んだ経過の在る稚内への親近感を甦らせ、また日本にアコーディオンが伝えられた起源に関する「樺太のロシア人から伝わったらしい…」という話しを思い起こした。そして「稚内から船でサハリンへ渡航可能」なことを知り、船関係の仕事に携わった経験故に「船旅好き!!」という血が騒いだのか、「サハリンを訪ねてみたい!!」という想いを膨らませたようだ…

やがて彼は6月末から7月初めに初めてのサハリン訪問を実現させ、今回「2回目」ということになった。そして船上でミニライヴを催したのである…

アコーディオンは、なかなか表情豊かな音が出る楽器だ。特段に面倒なセッティングが無くても、アコーディオンを抱えた演奏家が一人居れば、ライブの始まりである!!

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少しばかり耳に馴染みが在る、色々な国のメロディーをYAGIさんは愉しげに奏でた…ロシア人やそのほかの幾つかの国の人達、日本人と色々な乗客が足を止めて演奏を愉しんだ…

YAGIさんは、外国人が眼に留まれば英語を話し、日本人が目に留まれば日本語を話す…というような調子でミニライブを進めた…

時に愉しげな、時にやや哀愁を帯びたアコーディオンの音が、フェリーのエンジン音と海峡を渡る風や浪の音の隙間に聞えるという風情だった…

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↑写真を撮りながら演奏を愉しませて頂いた。何か「CDのジャケット風?」な按配でカッコウ良いものが撮れた…もう少々陽射しが強めな方が、クッキリした写真になったかもしれないが、淡い光加減が「北の海…」の風情で善いような気がする…

>YAGIさんの演奏の様子(画)

何度も利用した稚内・コルサコフ間のフェリーで、この種の趣向は初めてだった…時には良いものだ…

>アコーディオン弾きヤギの視聴ページ―(MP3形式) 2007/9/12収録

>YouTube - コアックマ meets アコーディオン奏者 YAGI

彼は稚内到着後、直ぐに札幌方面へ移動し、また方々の催しで演奏をする計画なのだそうだ…今頃は何処に?サハリン関係の今季の活動が、また今後に繋がることを祈らずには居られない…

追伸
>今回のサハリン訪問関係の画…

Остров Сахалин(サハリン島)早速に写真を…

一寸した“用事”を抱えて、サハリンを訪ねていた…9月13日朝に出発し、今日戻った…

サハリンは酷く暑かった…

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「白・青・赤」の、「かのピョートル大帝がオランダ国旗の真似をして拵えた船に掲げる旗が起源」という説も耳にする鮮やかなロシア国旗が青空に映える日が続いた…

“寒冷地仕様”を自認する私のような者には、強めな陽射しや若干の高温はキツかった…しかし「黙って座って居て汗がダラダラ」という次元の多湿な状態ではなかったのが幸いだった…

そういう状態であったものが…急に「例年こういう按配だ…」と思えるような、涼やかな秋が今朝になって不意に訪れた…

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ロシアでは、今年から9月2日を「第2次大戦終結の日」ということにした。サハリンでは記念行事を色々と行ったらしく、街には関係のデコレーションが多々残っていた…

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今回は、滞在期間中の天候が素晴らしかったお陰で、想定以上に精力的に動き回った。写真を多々撮影した…

サハリンは「日本時間+2時間」である…にも拘らず…「現地時間の7時に眠って4時に起き出す」という次元のことを繰り返してしまった。恐らく“日本時間”で確り調整されているであろう“体内時計”的には「午後5時就寝・午前2時起床」のようなことになっているのであろう…

こういう場合は…「華麗なる夕べin日本時間」ということをして、休日の明日は朝寝でもするのが「格好の調整」というものだ…

その「格好の調整」を前に…写真の整理に着手した…

↓御報告したい…名付けて「コレクション―旅:2010年9月(ロシア・サハリン ユジノサハリンスク&コルサコフ)」である…
Voyage : SEP 2010 (Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on Sakhalin, Russia)
↑整理し始めた各セットが並んでいる。それらをクリックするとセットが開いて各写真をお楽しみ頂ける。各写真を開き、“右クリック”すると色々なサイズで御覧頂くリンクが開く…

ということで、マダマダ作業を始めたばかりだ…