連載:Sakhalin (OCT 2009)― Desmostylus(デスモスチルス)…

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ユジノサハリンスクは約18万人の人口を擁し、「車で小一時間」というような範囲の“商圏”を顧慮すると「二十数万人の人達が活動する街」ということになる。それだけの規模の街ともなれば、少々目立つ建物も在る。街の写真を撮るのが好きな者には、そうした建物はなかなか嬉しいものでもある…

そのユジノサハリンスク市内でなかなか目立つ幾つかの建物の中で、一際個性的な外観をしたものが在る。多分、ユジノサハリンスクの建物としては、最もよく知られているものかもしれない。それは“サハリン州郷土博物館”の建物だ。

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この博物館の建物…「サハリンにお城が在るのか?」等とよく問われる…この建物は“樺太庁博物館”として1937年に竣工したものである。1946年に“豊原”が“ユジノサハリンスク”となった後、この“樺太庁博物館”が“サハリン州郷土博物館”ということになった。建物は、「日本統治下に日本人が設計・施工した」ものである。

現在のサハリンで活躍している皆さんの多数は、1946年以降にサハリンへ移って来た人達、またはその後裔ということになる。1940年代後半から1950年代位のソ連は、大きな被害をもたらした独ソ戦からの復興が目指され、利用度の低い地域への入植者を募るような動きが在った。その際には、例えば「通常55歳で支給する年金を50歳で支給」とか「モスクワ近郊の同一職種の賃金に比べて“割り増し”を出す」というような優遇措置も講じられ、ソ連全土からサハリンのような“新天地”に沢山の人達がやって来た…

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こういう中で「日本の樺太の豊原」が「ソ連のサハリンのユジノサハリンスク」へ変貌を遂げていくことになる。

“サハリン州郷土博物館”は、アレクサンドロフスク・サハリンスキーで1896年に郷土資料を展示する博物館がオープンしたことを“起源”と考えている。1946年にサハリンの行政の中心が移ったことを受けて、“樺太庁博物館”に移ったと考えている訳だ。

サハリンの文化施設の中には、その歴史について、こういうような考え方をしている例が見受けられる。例えば“チェーホフ劇場”も、現在のようにユジノサハリンスクで活動しているのは1947年からだが、起源は1930年にアレクサンドロフスク・サハリンスキーに起こった劇場と考えている。従って彼らは「2010年で劇場は80年」としている。

1946年頃、“樺太庁博物館”の学芸員等、関係者は貴重な収蔵品等を“サハリン州郷土博物館”に巧く引き継ごうと心を砕いたらしい。そういう訳で、“通”が見ると感嘆するような、動植物の貴重な標本や、民俗学関連のコレクションも、“サハリン州郷土博物館”で今でも大切に保存されている。ロシア・ソ連では、博物館というものは意外に大切に扱われていて、関係の仕事に就く専門家育成を念頭に置いた大学の学部等も存外見受けられる。

“樺太庁博物館”の関係者が「うちの大切なコレクションをよろしく…」と話し合った時代の職員達の中にも、そういう専門教育を受けた人達は居た。そして今日の“サハリン州郷土博物館”でも、そんな専門教育を受けている学芸員等が活躍している。

9月に稚内で講演をして下さった現在の館長さん…あの方も博物館で活躍する専門家育成を念頭に置いた大学で学んだ方で、民俗学者だ。あの時は「サハリンで見受けられる少数民族が受け継いできた伝統が、間宮林蔵の記録に多く残されていて興味深い」」と、各地を取材した写真や博物館で大切に収蔵されている物の写真をスライドで上映しながらお話しをされていた…

今回のユジノサハリンスク滞在中、微妙に時間が出来た。9月に稚内からサハリンへ帰る際、波によるフェリーの揺れを凄く危惧―随分以前にフェリーを利用した際、揺れて辛い思いをされたそうだ…―していた館長さんが無事に戻ったものか、不意に思い出したので博物館に寄ってみた。残念ながらお目に掛かることは叶わなかったのだが、元気に活躍されているようだった…

何度もサハリンを訪ねた中で、この博物館にも何度か寄っている。博物館は膨大な収蔵品を有しており、随時展示を入れ替えている。ということで、訪ねる都度に微妙に違う内容も見られる。博物館の展示室は1階と2階であるが、1階は“自然科学系統”、2階は“人文・社会科学系統”が基調と見受けられる。

今回、この博物館に寄ってみた。多分1年半ぶり位になると思う。入場券の他、“撮影料”を払うと館内の写真撮影を許可してくれる仕組みである。今回は“撮影料”を払って、気に入った展示を記録に残しておくことにした…

1階の“自然科学系統”の展示で、一際眼を引くもの…少し大きな動物の化石、1頭丸ごと分の骨格を組上げた代物だ…これは“レプリカ”だ…

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1935年…樺太では日本の考古学者が化石の発掘等を手掛けていた。当時の北海道帝国大学(現在の北大)のチームが「1頭丸ごと分」の動物の化石を発見した。これがDesmostylus(デスモスチルス)だ。

Desmostylus(デスモスチルス)は、約1900万年前から約1000万年前に北太平洋沿岸に生息していた大型の水生、もしくは半水生の哺乳類であるという。他の動物に見られない円筒を束ねた特殊な歯の形態を持ち、系統や生態が不明だったため、「幻の奇獣」とも呼ばれていた。当初は頭部の化石が発見され、その型や大きさから、アザラシやトドのような姿が想像されたのだったが、1935年に1頭丸ごと分の骨格が発見され、4本足で歩行していたことが判明した。こうした形態の復元は進んだが、近縁な動物が現生に存在しないため、化石の形態に直接残されない食性や生態は未だに明らかになっていないという。

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このDesmostylus(デスモスチルス)の化石は、樺太に調査チームを送り込んでいた北海道大学に本物が在る。札幌の北海道大学構内に在る“北海道大学総合博物館”に展示されている。北海道大学が輩出した先輩研究者の仕事を伝えていることになる…

“サハリン州郷土博物館”は1990年代以降、北海道の学術機関や民間団体とも盛んに交流をしているようだ。当然、北海道大学との交流も在る。北海道大学では、樺太での大変貴重な発見であるDesmostylus(デスモスチルス)をサハリンでも広く紹介すべきであると考えたようで、この化石の精巧なレプリカを造り、“サハリン州郷土博物館”に贈ったという訳だ…

2階の“人文・社会科学系統”の展示…個人的にはこれが好きだ。今回は、1940年代にソ連全土から大勢の人達がやって来た辺りから、石油・ガス開発で沸く最近までの流れがわかる展示が見受けられた。こういうものの他方、何となく「チェーホフの時代」を紹介したような展示が気に入った…大陸からアレクサンドロフスク・サハリンスキーに入っていた船の模型に見入ってしまった…

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ということで“サハリン州郷土博物館”はなかなか良いと思うのだが、ここを見る都度に強く感じることが在る。それは、この博物館に在って「建物そのもの」が“最も目立つ展示品”ではなかろうか、ということである。

聞けば、この博物館の建物は1970年代に“再建”という話しが在ったのだそうだ。しかし、「貴重な建物」ということで大切に使うという意見が優勢を占め、新しい建物にする計画は沙汰止みになったそうだ…

1990年代以降、流石に老朽化が著しくなった博物館の建物について、「サハリン州と北海道との交流」というチャンネルを通じて日本人専門家を招いての修復も手掛けられている。更に、2000年以降にユジノサハリンスクでの“都市整備”機運の盛り上がりの中で、博物館の敷地内も「市民の憩いの場」として美しく整備されている。また、少数民族の住居を再現したものを据えるという様な“野外展示”も取り入れられている。

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ユジノサハリンスクを何かの用事で訪ねる方の中に「用事で忙しくなりそうだが、一箇所位は名所を見物したい」という方が在れば…この“サハリン州郷土博物館”は是非候補に入れて頂きたいと思う…

この先…サハリンを訪ねる機会が巡って来るのか否かは判らないが、訪ねる都度に微妙に違う内容が見られる“サハリン州郷土博物館”には寄ってみたい…また、館内を見る見ないは問わず、美しい庭園で季節の空気を愉しむのも悪くは無いと思う…

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(Charlie at Wakkanai)

→今回のサハリンの写真はこちら…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 黒パン…

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サハリンに出発した数日前、サハリン駐在経験を有する先輩と予定に関することなどを少々話していたのだが、不意に彼が言った。「サハリンか…御無沙汰している黒パン…たまに食べたくなるよな…」とである。

旅に出たり、他所の地域に暫く滞在して何かの活動をするというような場合、私自身は「行った先で気に入る食べ物もあるかもしれない」程度に考える。他方に「普段、馴染んでいるようなものでなければならない!!」というような方も在る。そういう方の中には、お話しを伺って「お気の毒に…」とさえ感じてしまうようなことを仰る方も見受けられるのだが…

サハリンでの食べ物…変に辛いとか、甘いとか、そういう“極端”な感じがするというモノは余り見掛けない。出て来る料理は、何処も「それなり」であるように思う。頂く個々人の好き、嫌いは在るだろうが…

そういう状況の中、「記憶に残り易い食べ物」が在るとすれば、それは黒パンであろう。

サハリンでは、色々な料理が供される場面では、とりあえず適当な大きさ、薄さに切り分けられたパンが何枚も皿に積まれて出て来る。「料理の前から」、「料理と一緒に」という感じでそのパンを頂く…そのパンには色々な種類が見受けられる。概して「日本国内の“近所のスーパー”のような所で、袋に入って売っている“ふかふかの食パン”」のようなものに比べて「ズッシリとして食べ応えがある」パンが多い。

その「ズッシリとして食べ応えがある」パンの中に、見かけが白っぽいものと、黒っぽいものがある。白っぽいものに関しては、日本国内でも最近は色々なパンが在るので、「サハリンで食べるもの」としての印象は弱まってしまう。が黒っぽいものに関しては、なかなかインパクトが在る。或いは黒っぽい方のインパクトで、白っぽい方の印象が薄まってしまうのかもしれないが…

「ズッシリとして食べ応えがある」黒っぽいパン…これが黒パンである。これは“ライ麦パン”というものであるようだ。若干の酸味が在るものも見受けられ、概して味は個性的だ。つい先だって、知人が「ロシアの一寸酸っぱいパンが意外に好き」と話題にしていたのだが、正しくそれがこの黒パンである。日本国内でも、最近はこの黒パンを製造販売しているような事例も在るとは思うが、少なくとも私の手近では無い…ということで、冒頭の先輩のように「サハリンか…御無沙汰している黒パン…たまに食べたくなるよな…」というお話しになるのだ。

今回は「宿泊先近くのスーパー」というのが随分“活躍”だが…そこでこの黒パンも求めてしまった…一口に「黒パン」と言っても、随分と色々な種類が在った…過日、サハリンへ行って来た方から“土産”に黒パンを頂いたことも在ったのだが、それに似たタイプのものも、そうではないものも多々在った。

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眼に留めたのは、四角い小ぶりなもので、25ルーブルのものと46ルーブルのものが在った…とりあえず両方を各々何個か求め、宿泊先で頂いたり、話しの冒頭に出て来た先輩や他の何方かへの土産にしたりした次第である…

パンは小ぶりに見えるのだが…ずしりと重い…“450г”などと表示されている。“г”は“g”でグラムのことだ…

この黒パンは、パン単独でも美味いが、肉や魚との相性が良い。更に牛乳、ビール、ウォッカとも相性が良い…なかなか良いものだ!!

随分昔となってしまった学生時代…面白おかしくロシアの話しをしてくれた先生が居たのだが、彼が「ロシアの黒パンが美味いので、ロシアへ行って帰国する際、手持ちの鞄に2斤位入れて持って帰って来たこともある」等と話していたことが在った。「そんなものか?パンね…」と思っていたのだが…その先生が言っていたように、自分自身でもさりげなく手提げ袋に入れてサハリンから黒パンを持ち帰ってしまった…

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(Charlie at Wakkanai)

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 漸く纏めた写真…

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去る10月20日から23日のサハリンで、何時の間にか一寸した枚数の画を撮っていた…

それらを少しずつ纏めていたのだが、漸く段落した…

去年の10月は、復路の船が酷く揺れて身体が弱り、一寸体調を崩してしまった…今回は元気に帰ってきたものの、急に寒くなってきて、何時の間にか風邪をもらってしまい、週末を大人しく過ごしている…

写真を整理したウェブギャラリー…とりあえず“コレクション”というまとまりを出し、後は気になる各セットを開いて頂く仕組みになっている。

今回は、宗谷(ラペルーズ)海峡や稚内港、コルサコフ港という往路・復路の画というような、毎回必ず撮ってしまう画も在るのだが…錦秋のユジノサハリンスクを撮ってしまったものの点数が多い…

また“土産話”シリーズで取上げたようなグッズを撮ってみたものも在る…それから、博物館やロシア正教の聖堂など「画になる!!」ものも若干用意出来た…

→今回の写真はこちらから…

今回は、多少エネルギーを多めに傾けて“土産話”を纏めているが…実はこの『音の惑星 on the web...』以前のブログ『倶戴天』にも過去の“土産話”を掲載している…

→2007年8月

→2008年5月

→2008年10月

今回の拙作を御覧頂き、サハリンの話題に関心を寄せて頂けた方が在れば、上記も合わせて御覧頂ければ幸甚である…

この連載…もう少々継続する構想である…

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(Charlie at Wakkanai)

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 『故国の朝』…

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最近は何処の地方でも「歓迎・修学旅行御一行様」であると思う…稚内でも大都市圏の学校からの修学旅行を多少迎えている。

聞いた話しだが…関西の高校生が稚内に来た際、移動のバスの車窓から牧草地が見え、草を食む乳牛が姿を見せた時だった。ある生徒が「“ナマウシ”…初めて見た…」と言い出し、車内が賑やかさを増し、「流石は“北海道”だ…」というようなことになったらしい。

稚内で彼らを迎えた関係者の間では、“ナマウシ”(生きていて動き、目の前で餌を食む牛のことを言っている…)という、「“今時の若者”風な表現」に意表を突かれたという“笑い話”的な挿話として伝わっているようだが…“牛”は「牧草地を動き回って草を食む」という以上でも以下でもない…“ナマ”を付けて「生きていて動き、目の前で餌を食む」という“当然の生態”を強調する感覚には愕かされる…要するに若者達は「観たことがない」ので「とにかくも愕いていた」という訳だ…

結局のところ…大都市圏の若者は「牛の沢山居る北海道」という強いイメージを持っていて、「正しくそのイメージどおり」の光景が車窓に広がっていることに感心したのであろうと思う…それが彼ら流の“ナマウシ”という表現で口を突いたということだ…

稚内では現在、“農業”と言った場合、「牧草を育て、乳牛を肥育し、牛乳を出荷する」という“酪農”と殆ど同義になってしまう。稚内での所謂“農業生産”というものは「牛乳の出荷額」と換言してしまって、間違いではないのだ。多分それが、“農業生産”の99%、或いはそれ以上を占めている筈だ…

稚内もかつてはジャガイモ栽培等が盛んに行われていた。が、種芋を蒔き、その芋が巧く育って美味しい芋が出荷できれば良いが…寒冷地故に不作も在る…所謂“冷害”だ…そして種芋を蒔き、無事に芋が育つのは年に一回…“冷害”が発生すれば、忽ち農家の経営は危険な状態に陥ってしまう…

そうした事情から、稚内では1950年代辺りから、ジャガイモ栽培のような畑作を諦め、酪農を盛んに行うようになった。牧草は、稚内のような寒冷地でも育つ…牧草を確り育てて牛を肥育すれば、牛乳は1年を通して安定的に出荷出来る。農家の経営は安定する…

稚内の事情に文字数を割いたが…サハリン辺りは、自然条件は稚内辺りと酷似している。サハリン南部には、「写真を撮って、“稚内の郊外”と言って見せて、誰も疑わないであろう…」というような場所も散見する程である。遥かな太古の昔には、サハリンと北海道は陸続きだった時期も在ったらしいが、そういう話しに妙に納得してしまうものがあるのだ…

自然条件が酷似…農業の基礎になるものが酷似していることになるが、稚内辺りとサハリンの農業の様子はかなり違う。それは“歴史”が違ってしまっているからに他ならないのだが…

サハリンの農業は、稚内などのように“酪農”に特化している訳ではない。

ソ連時代を通じて、サハリンでは“コルホーズ”(集団農場)や“ソフホーズ”(国営農場)等と呼ばれた、「農業を営む法人」のようなものが農業の主要な担い手であったのだが、農場では畑作も牧畜も「可能と思われる営農は一通りやっている」というような状態だ。更に、北海道の北の方では例を余り聞かないような、「大規模な温室を建設しての野菜栽培」という例さえ、“極限られた例”とは言え見受けられる程で、一寸愕いてしまう…

“ソ連後”については、嘗ての“コルホーズ”(集団農場)や“ソフホーズ”(国営農場)を母体にした法人や、その他の個人経営の農場などが農業を担っているようである。それでも、様々な種類の畑作が見受けられ、他方に牧畜も見受けられる。

稚内で“農業”が“酪農”に特化していくプロセスの中では、ある程度安定した価格で、各牧場から出荷される牛乳が取引される仕組みが整備されていた訳で、そういったもののお陰で、稚内などは“酪農地域”として努力を重ね、色々と細々した問題も工夫して解決を図って今日に至っているのだが…サハリンでは、そういう辺りが必ずしも行き届いていない面もあるかもしれない…色々と研究中のようだ…

サハリンという地域は、サハリン以外の地域から色々なものの移入が見受けられる地域ではあるのだが、それでも“賞味期限”が限られる生鮮品などは極力地元で賄う努力も行われている。牛乳もそうした製品の一つである。

あれは一昨年だった…サハリンの方と「サハリンで、牛乳1リットルはどの位の値段でしょうか?」という話しをする機会が在った…「50ルーブルでお釣が来るような値段で…今のレートで200円一寸?」という話しをしていた記憶が在る。今回、ユジノサハリンスクのスーパーで牛乳を見つけた。四角い1リットルパックが、46ルーブルだった。多分、これは一昨年と然程変わっていないであろう。当時は1ルーブルが4円以上だったので200円程度だ…今はレートが変わり、1ルーブルが3円弱なので140円程度となるが…レートを基準にして、高い、安いを論じることの意味は薄い…

実は、サハリンで産業振興の仕事に携わる方が稚内にやって来て、稚内や周辺の農場などの関連施設を見学に行ったということがあり、それに同行した経験が在った。ユジノサハリンスクのスーパーで1リットル入りの牛乳というものを見て、そんなことが妙に懐かしく思い出された。

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このユジノサハリンスクのスーパーで見つけた牛乳のパックが妙に好い!!サハリンの地図が描かれていて『故国の朝』という商標である。牛乳は何時でも飲むが、サハリンでも「朝食の時に頂く」というのがポピュラーなイメージなのだろうか?

稚内辺りのスーパーでも、牛乳関係は結構色々な種類が在るのだが、ユジノサハリンスクのスーパーでは、或る意味では稚内以上に種類が豊富かもしれない…と言うのは、“ケフィール”と称するヨーグルトドリンクのようなものや、“スメタナ”などと称している料理に入れるサワークリームのようなものなど、「牛乳を試飲?」というつもりで買い求めると、多分困惑するような代物がゴロゴロと並んでいるのだ…そして、何となく眺める限り、その「“牛乳を試飲?”というつもりで買い求めると、多分困惑するような代物」が妙に多い…それぞれどういうものなのか、よく判らない…恐らくは「乳製品の利用方法が違う」ということなのだろう…或る程度話しは聞いていたが、こうして実際にスーパーの棚で眺めると、何か凄いものがある…

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私はやや慎重に「молоко」(マラコー)を確かめようとした。「サハリンの牛乳」と書いてあるパックを見付けて、「これだ!!」ということにした…

購入したパックを宿泊先の部屋で開け、グラスに慎重に注いでみた。間違いなく“普通の牛乳”だった…「朝に牛乳」というのも定番かもしれないが、「夜の風呂上り」というタイミングで頂くのも定番の一つであろうと、部屋のシャワーを利用した後だっただけに、妙に嬉しく牛乳を頂いたのだが、一寸気付いた…少々“軽い”感じがする…改めてパックをよく見た…「3.2%」とあった。“低脂肪牛乳”である…お陰で飲み易く、これはこれで愉しんで頂いたが…

稚内辺りで売っている牛乳だが、パックの表示は3.7%とか3.8%程度になっている。3.2%というのは普通ではない。そういうのは“低脂肪牛乳”ということになる…

牛乳というものは、通常は加熱殺菌するのみで、中の成分に手は加えない…ここで思い出した。サハリンの牛乳は、稚内等の牛乳に比べると、脂肪分が若干低いのが普通であるという情報をである。そう言えば、小学生位の頃だったが「○○3.4牛乳」というようなのを近所の店でよく見掛けたような記憶がある。あの頃は多分、一般的な牛乳の脂肪分がそんな程度だったのであろう。現在はその「○○3.4牛乳」というようなものは見ない…多分「3.7%程度が当然化していて、“3.4”というような看板は具合が悪い」ということになっているのであろう…

宿泊先の部屋という、不自由と言えば不自由な中での極短い滞在であったが、今回は近所のスーパーのお陰で、色々と「一寸した暮らしの様子」が見え隠れする経験をさせて頂くことが出来た…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 黒っぽい茶色の1.5l入りペットボトル…

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ユジノサハリンスクの宿泊先の近所に在ったスーパーにお惣菜コーナーを見付け、“プロフ”という料理を求めて愉しく頂いた話しは既に紹介した。その時、食料品を中心とした品揃えの店の中を好奇心旺盛に見て周り、幾分「?」なモノを求めてみた…

濃い目な、黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル…少なくとも、稚内の近所の店では見掛けたことが無い…札幌の大きなスーパーでも見た覚えがない…更に新宿区内に住んでいた学生時代―何時の間にかかなり旧い話しだが…―にもそんなものを見た記憶は無いし、日本国内の旅先でも見た記憶は無い…

そういう不思議な「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」なのだが、実はサハリンでは何度か見た記憶が在る…丁度、「宿泊先の部屋で飲むモノが…」と思っていたので、その「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」を1本111ルーブルで購入してしまった…

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この「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」の正体は…ビールである…

“ビール”と聞けば…飲食店に在るようなサーバか、それでなければ壜や缶が“普通”なように思う。“ペットボトル”というのが、“ビール”と結び付き難いような気がする…

私は「何時ものビール」に拘り―最近は、酒類と言えばビールよりも焼酎や日本酒を頂くことが多いような気がするが…―を持つ方ではなく、「ビールが…」と思った際には色々なモノを愉しむ。旅先では「ビールでも…」というタイミングで「(訪ねた)土地のビール」というものが眼に触れれば、迷わずそれらの中から好みに合いそうなものを選ぶ…

国内では、“地ビール”と称して、一定の地域で限定量を生産しているビールが方々に在る。その種のモノは、“地ビール”の工場や関連会社で営業する飲食店でサーバから供されるか、さもなければ壜詰が多いように思う。最も最近では、今年7月に旭川に用事で寄った際に「大雪地ビール」なるものをいただいたが、あの時は工場か関連会社で運営していると見受けられる旭川都心の宮下通に在る店に立ち寄り、サーバからグラスに注がれたものを頂いたのだった…

国外では…様々な種類のビールが見受けられる欧州諸国を訪ねたが、彼の地では飲食店ではサーバ、その辺の店では壜や缶だった。デンマークのような、環境分野の諸政策を積極的に推進する国では、「或る程度再利用し易い壜が当たり前」という状況であり、“缶ビール”は「客船の中」というような状況以外では見受けられない状態だった。米国でも飲食店ではサーバであった。米国の街の“その辺の店”では「米国に特有?」という印象の液量単位“オンス”(oz)で容量を記した缶ビールをよく見掛けた…何れにしても、“サーバ”、“壜”、“缶”で“ペットボトル”は見た記憶が無い…

ロシア…サハリンは最近何度か訪ねているが、他地域は随分と御無沙汰している。「(ロシアの)他地域」と言っても、街を歩いたことがあるのはモスクワやサンクトペテルブルグなのだが…色々な缶ビールは見た記憶があるし、普通の壜も」記憶が在る。他方、“ペットボトル”となると…思い出せない…

ややくどくなってしまったが、とにかく「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」のビールを宿泊先近所のスーパーで求めた。あの店では、日本国内のスーパーでも見掛ける、“冷蔵庫棚”にこのペットボトルを並べていた。随分大量に在って愕いたが、よく見れば「色々な色のラベル」が在る。銘柄は同一のようだが、色々な種類のビールが在るようだ…

私は、余り深く考えずに何となく1本選んだ。色々な種類を沢山買込んでも、極短い滞在では飲み切れない…とりあえず1本にした…そして思ったのは「各種類のモノを沢山揃えているということは、“少なくともこの店の利用者の範囲”では、少なくとも“そこそこ”には“好評”ということであろう」と推量した。でもなければ「随分と沢山売っている…」という印象を与える程に積まれていたのは、少々おかしい…そう考えながらも「ロシアは“やや不思議”なことも在りそうな感じもしないではないが…」と自分で考えていたことを混ぜ返してみたりもしたが…

そして宿泊先の部屋で、この「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」のビールと“御対面”である…不思議な容器から、部屋に在ったグラスに中の液体を注ぐ…中から出て来たのは…やや褐色のビールだった!!所謂“エール系統”のビールである。日本国内でポピュラーなタイプである「黄色味がかったビール」よりも度数がやや高い場合が殆どで、微妙に甘い場合も在る代物だ…

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やや「カッコウを付けた」言い方をすれば、注いだエール系のビールを「眼で愉しんだ」後、ゆっくりと飲んでみた…「美味い!!」と思った!!

実は“エール系”のビールは好きだ!!スコットランドでは、街角で随分と“エール系”を頂いた。「A pint of ale, please...」(ア パイント オヴ エール プリーズ)という、約470mlのジョッキ一杯のビールを頼む表現は、「英国旅行では必須表現」と私は思っている…他所の人が「英国に行く」とでも言い出せば、「これだけは覚えろ!!」と真顔で言ってしまうだろう…また、ラトヴィア、ポーランドというような、極短い滞在をした国でも“エール系”の度数がやや高いビールを愉しんだし、リトアニアで口に合ったビールも“エール系”であった…とにかく私にとって、“エール系”のビールは「勝手な思い入れを抱く存在」である…

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「勝手な思い入れ」が在る“エール系”をサハリンで頂いた…何か妙に満足し、ゆったりとペットボトルのラベルを見た…洒落た“帆船のマーク”のラベルをよく見ると…“КОРСАКОВСКОЕ”(コルサーコフスカヤ)の文字!!なんとこれは、稚内からのフェリーが到着するコルサコフの工場で製造されている製品だったのだ!!

コルサコフの工場ではビールの他に、同じく「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」に入った、“クワス”というロシアに独特な醗酵飲料や、普通の透明なペットボトルに入ったミネラルウォーターなどを製造している。ミネラルウォーターには、欧州のミネラルウォーターによく在るガス入りと、ガスが入っていないものが在り、容器にも色々なサイズが見受けられる…

このビール工場はコルサコフでは「地元の代表的企業」として健闘しているらしい。コルサコフでは、この工場の他にもオーストリアとの合弁でビールを製造し、地元の店でそれを愉しむことが出来る場所が在る…(今回はそこへ寄る余裕は無かったが…)

サハリンではこのコルサコフの工場以外にも、何箇所かビールを製造している会社が在るようだ…サハリンでそういうものに出くわすのも愉しい…

ビールの話しだが…サハリンでは、地元以外の大手のロシア国内メーカーの製品も、外国製品も求めることが出来る。日本のモノも在る。ビールは存外愉しまれている。日本製も含む“外国製品”は、地元のモノやロシア国内のモノと比較して割高なようである。今回“КОРСАКОВСКОЕ”(コルサーコフスカヤ)を求めた店にも色々と在ったが、別段興味が無かったので値段はチェックしていないが…

ロシア国内のビールでは、Балтика(バルチカ)という銘柄のものが人気なようだ。これはバルト海に因む命名で、どうもサンクトペテルブルグ辺りに本拠地を構えるメーカーらしい。色々な種類が在り、ブランド名称の“Балтика(バルチカ)”の後に番号が付される。これはサハリンの様々な飲食店でも見掛ける…地元の人ばかりではなく、日本人を含む来訪者の間でも割合にポピュラーと見受けられる。

Балтика(バルチカ)の話しだが…日本でも輸入している業者が在るようだ…日本国内でも飲める場所が在る。実際、稚内の副港市場に在るロシア料理店でも愉しむことが出来るのだ…

やや話しが拡散しているので、「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」に戻す…偶々「勝手な思い入れ」が在る“エール系”に出くわしたが、この不思議な容器に入ったコルサコフのビール…また何時か色々な種類を試してみたい気もする…

知人に、「過日サハリンで、ペットボトルに入ったビールを愉しんで…」などと話した…すると知人は「ペットボトル?変に気が抜けていたりするような問題は無いのだろうか?」と気に掛けた。私が飲んでみた範囲で、別段に問題は無かった…

1.5lのビール…2人、3人なら直ぐ空いてしまいそうな量だが、1人ではやや多い…10月21日の夕刻にこれを求めたが、10月22日にも“残り”を頂いた。1日、2日なら、冷蔵庫に残しておくことが可能という意味で、この“ペットボトル”も悪くはない…

この「黒っぽい茶色の外観の1.5l入りペットボトル」のビール…何処かに似たようなものは在るのかもしれないが、とりあえず「コルサコフの工場で製造」、言葉を換えると「土地のモノ」というのが好い…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 時差…放送…

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サハリンを訪ねた10月20日頃の時季、稚内では朝の6時頃から明るくなる。サハリンは2時間の時差がある。私が滞在したユジノサハリンスクは、稚内からであれば多分「直線距離で190km程度北東」といった辺りだ。留萌辺りと似たような距離に過ぎない。日の出のタイミングは大きく変わらないのだ。という訳で、両地域の“時差”である2時間を加えた「8時頃」が明るくなる時間である。

稚内から「直線距離で190km程度北東」に過ぎないユジノサハリンスクとの間に時差が在るのは何故か?極短く言ってしまえば「“時間”というのは、各々の地域が傘下に置かれている政府で人為的に決めているものだから」ということに他ならない。

もう少し文字数を費やす…

“時間”は英国ロンドン近郊のグリニッジ天文台辺りを通過する“経度0”の“子午線”から、15度ずつ24に地球上の地域を分け、時間帯を割り振るのが基本原則である。が、機械的に「この地域は東経○度なので、時間帯は△」と割り振る訳ではない。地域が属する国の都合などで時間帯が決められるのである。

日本の版図は、南北に拡がるばかりではなく、東西に関しても存外広い…日本の政府は、その「版図の東西の拡がりの真ん中辺り」を“東経135度”と設定している。そして、そこの時間帯を“日本時間”にしたのである。

ロシアの版図は、東西の拡がりに関しては「地球の半分弱」になる。国内で11の時間帯を設けている。サハリン辺りは、日本時間と比べると「+1時間」の場所の時間帯ということになっている。

というように“時間”は日本の政府、ロシアの政府が各々に(勝手に)決めているので、稚内とユジノサハリンスクとのように、南北に少々隔たっているに過ぎなくとも“時差”が生じてしまう…

更に、ロシアは“サマータイム”を採用している。3月末から10月末の期間、「時計を1時間進める」ということをしている。日本ではこれを採用していない。従って、この期間は「+2時間」ということになる…余計な話しを加えておくと、1990年代前半まで、サハリンは日本時間に比べて「+2時間」の設定だった。何時の間にか「+1時間」にしたのだが…「+2時間」時代の夏季には、時差は「+3時間」だった…

今年の場合、10月25日が「10月第4日曜日」で、同日の午前2時に「時計を1時間戻す」ということをしている。本稿執筆時点では既に「+1時間」だが、今回ユジノサハリンスクに滞在していた期間は「+2時間」の状態だった。

ややくどい感じになったが、「稚内とユジノサハリンスクとの2時間の時差」に関することを紐解いておいた…

ユジノサハリンスク滞在中、「朝9時頃から活動開始」というような予定であった。これは通常であれば、別段に特記すべきことでもない…

「朝9時頃から活動開始」というような予定であれば、ゆっくり朝食を愉しんだり、他のことをするために起床時間は6時台から7時台を想定するのが普通なように思う。余りギリギリまで寝ていたのでは慌てなければならなくなる…

が、ユジノサハリンスクが明るくなるのは「漸く8時」である。普通に起き出せば「確実に屋内は暗い」ことになる。対して、普段の稚内での暮らしの中では「やや早く目覚めた…」という場合には暗いが、大概は「ぼんやり明るい…」という中で起き出すのがこの時季なのだ。

“時差”の理屈は非常によく理解しているつもりである。そうであっても“感覚”が“知覚”に巧く追随出来ない…「5時も6時も7時も真っ暗で、8時を過ぎて漸く明るくなる」状態に違和感を禁じ得ないのだ…

この“違和感”に、「枕が代わって眠りが浅めになる」という“症候群”も少々影響する…拙宅の旧い寝具に比べれば、宿泊先のものは新しく清潔で、大変に結構な筈なのだが、それでも“慣れ”というものがあって、「より快適な筈」がそうはならない…“波長”というようなものなのだろうか?

こういう“複合症状”で、この時季のサハリンは「妙に朝がスッキリしない」ということになってしまう。更に、極短い滞在なので「“感覚”と“知覚”が漸く折り合いを付ける」ような頃には、「帰国の船」が待っていたりする…更に、帰国してから「やや早めに眠気が…」ということにもなる…

この“複合症状”に追い討ちを掛けるものが…テレビである…

スッキリしない朝、何気なく宿泊先の部屋でテレビを点けてみる。流れている画が眼に入る…何かの写真や映像で顔を見た覚えがある国会議員が妙に熱く「つかみ合いの喧嘩でも始まるのではないか?」と心配してみたくなるような勢いで討論をやっていたり、サッカーやバスケットボールの結果や試合ダイジェストをやっていたり、ルックスの良いアナウンサーが淡々とニュースを読んでいたり、学者か専門家風の人が何かの解説の話しをしていたりと、内容は様々だ。ぼんやりした頭で、とりあえず内容をフォローしてみようなどと考えるのだが、数秒でそれが出来なくなる。画面の隅に出ている“時間”が22時とか23時、或いは1時だったりするのだ…慌てて手元の時計を見る…時間は起床を想定した時間の周辺である…非常に“坐り”が悪い…

この「朝にも拘らず、夜中の時刻が画面に出るテレビ」というのは、サハリンのテレビ事情のお陰だ。サハリンでは、通常の地上波、衛星、ケーブルと様々なテレビ放送を観ることが出来る。殆どが「モスクワの番組をそのまま流す」型になっている。そのため画面に時刻が出る場合には“モスクワ時間”が表示されるのである…

こういう事情も理解しているつもりだが、「朝なのにテレビは夜の時刻!?何事だ?!」と戸惑う“感覚”を“知覚”が巧く制御出来ない…ずっとサハリンに住んでいる人は、こういう状況に慣れ切っていて、私のような状態は“奇妙”以外の何物でもないと観るのだろうが…

何故だろうか?恐らく、日本では、朝の時間帯については「時計代わりのテレビ」というような雰囲気が在って、自身がそれに「無意識的に嵌っていて、何らの疑いも持っていない」ということなのであろう…

実は昨年も同じ10月後半にサハリンを訪ねる機会が在り、全く同じような感じ方をした。“知覚”はそれを“学習”したつもりなのだが、“感覚”は“出来なかった”ということになる…こういうのは“感覚”とか“知覚”というのではなく“生理”なのかもしれない…

10月にはこういう苦々しい思いをするサハリンだが、5月から8月という時季にはこういうことはない。何故なら、起き出した頃には明るいのが普通で、テレビを点けて「夜中の時刻」が表示されても「これは時間帯が異なるモスクワからの配信だから…」と直ぐに“感覚”と“知覚”が並走出来るのだ…そして、「枕が代わって眠りが浅めになる」という“症候群”でやや早起きしても、「明るい…天候が良さそうだ…一寸その辺を散策…」ということなどを考え「少し得した気分」に浸る場合さえ在る…

テレビの話しの序にラジオの話しも…

サハリンで聴くことの出来るラジオだが、「ニュースやトークが多いもの」以上に「流れる音の大半が音楽」というスタイルの放送局が目立つ。そしてFM局が多い…これはサハリンやロシアに限らず、私が承知する限り、欧州諸国全般に言えるような気がする。

私は永く小さなラジオを愛用している。記憶が確かなら1993年に求めたモノだ…それを色々な国々に持ち込んで、各々の土地でラジオを聴いてみた結果、欧州諸国では「“流れる音の大半が音楽”というスタイルの放送局が目立つ」という結論を得た…

サハリンのラジオに関しては、サハリンに在る放送局による“自社制作”の比率が或る程度高いと見受けられる。時報、或いはアナウンサー、パーソナリティーの声で時刻を伝える場合に「В Южно-Сазалинске」(ヴ ユージノサハリンスキェ)と「ユジノサハリンスクでは」という、場所を示す表現を添えている。これを聴くと安心である…

ラジオで時間を言う場合だが…ラジオでは“24時間制”で言う場合が圧倒的に多いような気がする。午前の時間帯は、例えば“4時”とか“7時”とか“11時”と言うが、午後に関しては“16時”、“19時”、“23時”と言っている…これらの時刻を示す表現の前か後ろに、上述の「ユジノサハリンスクでは」という意味になる場所を示す表現「В Южно-Сазалинске」(ヴ ユージノサハリンスキェ)を添えるのだ。

話しを一寸テレビに戻す…

サハリンではケーブルテレビで色々なチャンネルを観られるようだ。様々な国や地域の人も宿泊する場所では、そういうものも取り入れているようだが、時々「チャンネルの入れ替え」も在るようだ…

5月にサハリンを訪ねた際、宿泊先のテレビで「お気に入りのチャンネル」を発見した。RU.TV(ルー・テーヴェー)というチャンネルで、「流行の音楽のプロモーションビデオをガンガン流す」というものが放送時間の大多数を占めるようなチャンネルだ。

ロシアのヒット曲のプロモーションビデオ…少し凝ったドラマ仕立てであったり、なかなか神秘的でアートセンスが感じられる画が在ったり、米国辺りのモノを妙に意識したものだったり、途轍もなく美しい女性が登場したりと「お楽しみ満載」である…

今回、5月にも利用した宿泊先に滞在した。部屋のテレビで、この「お気に入りのRU.TV」を観ようとしたが…映らなかった…ケーブルテレビの“チャンネル入れ替え”で他に切り換えたのであろう…尤も、あの宿泊先の日本人客で「嬉々としてRU.TVを観る」というのは“少数派”に止まっていたであろうが…5月には沢山の同行者が居たが、部屋でRU.TVを嬉々として観ていたのは「私だけ」だったようだ…

更にサハリンでは…日本のBS放送が受信可能だ…これは稚内辺りと同じようなアンテナとBS放送受信可能な機器が在れば良いのだ…宿泊施設に限らず、一般家庭でも愉しんでいる方が多々見受けられる。

実は今回、部屋で日本のBS放送も観た…私自身がサハリンを訪ねた場合としては「多少の例外」である…私は「地元ではお眼に掛かり難い“訪ねた土地のモノ”を愉しむ」のが好きなのだ…

今回はプロ野球の“クライマックス・シリーズ”が放映された。これは“例外”という話しになってしまう。10月21日のイーグルスVSファイターズ…「9回裏にファイターズが5得点で逆転サヨナラ勝利」という“漫画”や“テレビドラマ”でもやらないような展開だった試合である。私は「イーグルス先行」の辺りを見ていて、疲れて眠ってしまい、愕くべき場面は見逃したのだが…

この中継に関しては、買い物をして午後8時頃に部屋に戻ってみると、丁度“試合開始直後”の時間帯だった。日本では“午後6時頃”だった訳である。何気なくテレビを点けて「そう言えばこれをやっていたんだ!!」となった訳である…

私はこの状況に身を置いて、“米国のスポーツファン”を想像した。例えば、「シカゴ辺りに居て、サンフランシスコ辺りで開催の試合が気になる」という場合、「サンフランシスコ辺りの試合開始時間6時」が「シカゴ辺りの8時」になる。テレビ中継が在るなら、8時にテレビを点ければ良い…

それにしても、「稚内とユジノサハリンスクと」の「2時間の時差」…これは本来は「シカゴとサンフランシスコと」の東西距離で発生するような代物である…不思議だ…そして思う…「“時間”の基本原則に従えば、稚内の経度なら“日本時間”より“サハリン時間”の方が正しいかもしれない」とである…また、「理屈では“人為的”に決められている“時間”も、何時の間にか“生理”になってしまっている」というようなことにも思いを巡らせてしまう…

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(Charlie at Wakkanai)

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― お惣菜…

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稚内からコルサコフへ向かうフェリーの中で、ロシア人の父娘を見掛けた。

ガッシリした体躯の若いお父さんと、小学校低学年位の年頃と見受けられるブロンドの小さな娘さんだった…お父さんが一寸立ち歩けば、「パパ!!」と元気な声がして、小さな娘さんが駆け寄って来るという様子を何度となく見掛けた。お父さんが甲板で外を眺めているところに、上着を着ないで駆けて行った場面もあったらしく、お父さんは「寒いじゃないか…」と半ば娘さんを抱えるように早足で一緒に奥に引っ込み、やがて娘さんに上着を着せてから一緒に甲板に出ていた…というような様子も見受けられた…

あのフェリーには“食堂”が無い…5時間30分の航海…朝、昼、夜のどの時間帯に運航しても、1回位は食事の必要性も生じると思えるのだが…

という訳で、あのフェリーの船内では乗客に弁当が配布される…稚内・コルサコフでは、利尻・礼文へ向かうフェリーのターミナル内に在るレストランで手掛けているらしい、なかなか感じの良い弁当が出る。コルサコフ・稚内…稚内で積み込むのだと思うが、パンとほんの少しの“つまみ”という、軽食、おやつ的な内容だ…

稚内からコルサコフへ向かうフェリーの中で見掛けた父娘の娘さんの方が、その弁当を大切そうに抱えてチョロチョロとしている。「何処か場所を見付けて、パパと一緒に食べるのだろう…」と観ていると、その小さな娘さんが船内売店の脇に進んだ。船内売店脇には電子レンジとお湯の電気ポットが備えられている。売店で、カップ麺やレンジで温める方式の食糧を些か売っているからなのだが…娘さんは、大切そうに抱えていた弁当を電子レンジに入れた。そしてダイヤルを回し、弁当を温め始めた。少しして慎重にレンジから弁当を出し、手で触って首を傾げ、もう一度レンジに入れて弁当を温める…やがて娘さんは弁当を出して「パパ!!」と小走りに去って行った。去って行った先で、何やら「これでいいの?」みたいなことを言っている彼女の声がした…この小さな娘さんは、お父さんの弁当を温めていた訳だ…

微笑ましい父娘連れだったが、私は「小さな女の子が電子レンジを普通に使った」ということに驚いた。1993年、1994年頃、モスクワとサンクトペテルブルグで普通の家庭に何度か御邪魔したことが在ったのだが、あの頃に電子レンジを見掛けた記憶は無い…意外に立派なオーブンが据えられていた台所は見た記憶が在るのだが…それだけ、電子レンジが一般化したということなのだろう…考えてみれば、1990年代前半頃から家電の輸出、或いはロシア人が近隣諸国等に出掛けて購入というケースは増えているのである。私が見掛けた小さな娘さん…多分2000年前後…もしかすると2003年位か?そういう時期に生まれている年頃だ。物心付いた頃には、家の台所に電子レンジは在った筈だ…

往路の船で、そういうようなつまらないことを考えていたのだったが、「電子レンジが普及した事情の一部」らしいものをユジノサハリンスクで見掛けることとなった…

10月21日…実質的なユジノサハリンスクでの1日目であった…用事を済ませ、夕刻の宿泊先から近所に出た。「何処かで食事でも…」という考えであったのだが、近所のスーパーの前で足を止めた。

近所のスーパーは“24時間営業”を謳う店で、食料品関係を中心にした品揃えであるらしい。硝子張りになっている正面から店内の一部が窺えたのだが…そこに日本で言う“デパ地下”風な“お惣菜コーナー”が在ったのだ。店員が客の注文を受け、備えてある料理を容器に入れ、ラップで包み、値段シールを貼り付けて、会計は他のものと合わせてレジで…というスタイルに見受けられた。1分程度、さりげなく見ていて、周囲に「不審な男…」とでも思われるのも困るので、「さりげなく一服…」という雰囲気で煙草を点け、更に少し様子を硝子越しに見ていた。肉類が硝子に近い辺りに見え、少し奥にサラダか何かのようなものなど、随分種類が豊富だ…

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3分位見ていただろうか…「何処かで食事…」という考えを却下し、「お惣菜を買込んで、宿泊先で頂く…」ということにした…吸殻を店の前の屑篭に捨て、店に入った…

スーパーのお惣菜コーナー…中で見ていると、目移りがする位に色々と「これは美味いかもしれない…」という物が在った…

私が眼を留めたのは“プロフ”という代物である。これは肉が入った炒め飯で、トマトソース等で味を添える…“チキンライス”的な、或いは“チャーハン”的なものである。通常、こういうものは「料理の付け合せ」として用いられる。ロシアでは、これを「皿に沢山盛って、ガツガツと頂くというもの」とは考えられていないようだが、私はそういうことが好きだったりする…

この店に在った“プロフ”は、小さな塊のポークを使ったもので、若干のガーリック風味も添えられたものであったようだ…

なかなか客が切れず、店員にお願いするのを少々待つ…その間に“プロフ”を見ると「100グラムで56ルーブル」というような値札が在った…「“御飯一合”が200グラム弱か?」などと思案していると、店員が「はい、どうぞ…」と私に促す…私は眼に留めた“プロフ”を指し示しながら、「“プロフ”を200グラム…」と言った。店員は容器にそれを適当に入れ、秤で計ってラップで包んでから、キーを押すと出て来る値段シールをそれに貼った。品物を差し出しながら「これだけ?」と他の注文は無いことを確認する。私は「どうも…」とそこを立ち去る…

このお惣菜の他に幾分の食糧や飲み物の買い物をした。そして、“プロフ”のために、ピクニック等に使うプラスチックのフォークも求めた。沢山入って14ルーブルだった…(余したフォークは稚内まで持ち帰ってきたが…)

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求めた“プロフ”…味は大変良いと思ったのだが、やや冷めている…ここで、フェリーで見掛けた父娘を思い出したのである。「お惣菜は家で電子レンジを使って温める訳だ!!」と思い至ったのだった。ユジノサハリンスクの家庭でも、こういうお惣菜を求めて、温めて頂くというようなことをしているのであろう…

10月22日…劇場に出掛けた後だったが、何処かに寄って食事を愉しむとかなり遅くなってしまうので、またお惣菜の“プロフ”を求め、宿泊先の部屋で夜食ということにした…

という訳で2回もお惣菜コーナーのお世話になったが、店員が注文を聴く場面での2つの違った言い方に出くわした…

その1
Говорите. (ガヴァリーチェ)
直訳すれば「(あなた)言ってください」である。命令形だ。
最初の日、次々と客が切れない中で、何か「はい、お次!!どうぞ!!」というようなムードの中で聴いた表現である。

その2
Слушаю. (スルーシャユ)
直訳すれば「(私は)聴きます」である。
2日目は、時間がやや遅く、客が少なかった中である。「いらっしゃいませ。どうぞ…」的に聞こえる…
よく“教科書”に在る「お買い物の場面」で見掛けるのはこちらだ…

ついでに…「これだけ?」と注文完了を確認する表現は…

Всё? (フショー)
訊ねる場合は語尾がやや上がって聞こえる。
「全部だ」と言い切る場合は“?”が“.”に変わるだけだが、語尾は上がらない。
「これだけ?」と注文完了を確認する問いを投げかけられれば、上述のように「全部だ」と言い切る他、黙って頷けば用事は済む…

ということで、“おまけ”なロシア語の話しも綴ったが、今回利用したお惣菜は存外気に入った…サハリンでは、男性も女性も、仕事をする人はバリバリと活躍している。何かの役職に就いている方で、女性も意外に多い。そうなれば、こういうお惣菜のようなものは、意外に好評を博すのかもしれない…そんなことも思った…

どうでもいいが…“プロフ”が美味かったので、早くも「また頂きたい…」と気になってきた…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― ロシアの煙草…

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稚内とコルサコフを往来するフェリーの船内売店では、免税の煙草を求めることが出来る。日本国内の街で一箱300円程度で売られているものが190円だ…

手持ち無沙汰な船内では、何となく煙草でも蒸かしてみたくなるので、そのために船内売店で幾分求めるのも良いのだが…私の場合、殊に往路ではそれ程利用しない。と言うのは、「サハリン上陸後にロシアの煙草を求める」というのを“小さなお楽しみ”と考えているからだ…

サハリンの街では、スーパーのレジの辺りで、一寸したモノを売っている街角の小さな売店(“キオースク”などと呼ばれる…)で煙草を求めることが出来る。サハリンで宿泊先に荷物を置くと、とりあえずその種の場所を覗き、煙草を少々求める…

売られている煙草は、実に様々だ。日本国内でも見掛ける外国銘柄が、なかなかに豊富だ。中には、“日本未発売”な色の箱まで在る…どうも最近は、その種の外国銘柄の種類が増え、ロシアのモノは見掛ける頻度が減った。2007年、2008年、2009年という極短い期間で、何かロシア煙草は“駆逐”されているかのようでさえある…

サハリンで売られている外国銘柄の煙草は、一箱40ルーブルから60ルーブル程度だ。対してロシアのモノは…一箱20ルーブル以内である…

ロシアの煙草…「昭和20年代かそれ以前に見受けられたような…」と言いたくなるような、良質とは思い難いものも在るのだが、「これ!!好いじゃない!!」というものも在る。その「これ!!好いじゃない!!」は、大概18ルーブルから20ルーブル程度である。

今回、その「これ!!好いじゃない!!」を若干探した。前に求めた、“取扱場所”と記憶していた場所を覗いてみたのだが…無い…

漸く見付けたのが“Ява”(ヤーヴァ)という銘柄のものだ。金色のボックス!!何個かまとめて机の上に積んでみると、何か金塊でも弄っているかのような、妖しい感じもする代物だ…吸ってみると…意外に“パンチ”が在り、なかなか口に合う!!これは一箱20ルーブルだった…

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“20ルーブル”…最近のレートでは、1ルーブルは3円弱である…20ルーブルということは、60円でお釣がくる…2008年5月には4円弱で、2007年8月には4円強だった…その頃の20ルーブルは、70円台とか80円台だ…レートは25%から30%も動いている。他方、今回20ルーブルだった煙草は…2007年には19ルーブルだった…5%程度の動きである。為替レートと、通貨が使われる国の物価は無関係であることが実感出来る…

例えば…最近のレートでは「18,000ルーブルで5万円強」ということになる。ほんの少し前なら「5万円強は12,000ルーブル」だったのである。ある商品を“5万円強”で提供しようとして、そしてそれが“割安”、“買得”だったとして…ルーブルという通貨を日常使用している人達にとっては“割安”でも“買得”でもない…

ものの値段は、そういうようにやや面倒なものだ…

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サハリンでも“室内禁煙”、“屋内禁煙”ということになっている場所は多い…そういう意味で“喫煙席”が確り在ったКАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン) は“貴重”だと思った…

今回サハリンで求めた煙草“Ява”(ヤーヴァ)…幾分持ち帰った…暫くは拙宅や近所でも愉しむことが出来る…

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(Charlie at Wakkanai)

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― КАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン) お洒落なカフェ…

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1992年から1997年迄に何度もサハリンを訪ねた頃、ユジノサハリンスクに“らしい”感じの喫茶店は見当たらなかった…あの頃は「終いに暴れるぞ!!」という位に予定も多く、普通にその辺を散策したこともなかったが…それにしても喫茶店の類を見掛けた記憶が無い…

2007年に久々にサハリンを訪ねると…その種のものを見掛けた…その訪問の以前に、その種の店がどんどん開業しているという話しは耳にしていたのだったが、実際に見掛けて「寄ってみたい!!」と思った…ただ、その訪問の際は宿泊先の部屋で多少“宿題”もせねばならないような状況で、時間を設けることが出来ず、訪問は叶わなかった…

2008年5月・10月、2009年5月とサハリンを訪ねる機会は巡ってきたが、上述の2007年の時と同様であったり、「一寸、小一時間お茶でも…」ということをするのに気兼ねが生じるような状況で、残念ながら立寄る機会は設けられず終いだった…2008年10月は、寄れないこともなかったが、やや予定がキツくなってしまっていた…

今回のサハリン訪問で「或る程度は“個人的興味”に応じた動きも可能な状況」という中で、別段に出発前に意識していたという訳ではないのだが…一寸“時間”が出来た時に「“念願”の喫茶店だ!!」という考えが頭を過った…

「“念願”の喫茶店だ!!」などと、1940年代や1950年代辺りでもあるまいし、やや大袈裟かもしれないが…それでも「一寸寄ってみたいな…」が約3年間も頭の中を巡る中で、想いが「“念願”の!!」と膨らんでしまったのだ…

寄ってみることにしたのは…КАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)である。レーニン通の、鉄道駅にも近い辺りである。この辺りは“豊原”時代からの中心街である。その証に、現在は美術館になっている往時の“北海道拓殖銀行”の支社ビルなども残っている…

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通りに面した側が総硝子張りの洒落た雰囲気で、硝子の扉にロゴマークが描かれたКАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)に入ってみた。

入口にはスーツ姿の男性従業員が居て、「こんにちは…」と迎えてくれた。素早く、胸の辺りにロゴが入った揃いの黒いTシャツのウェイトレス、ウェイターが何人かと、ウェイターやウェイトレスと比べるとやや年嵩なマネージャー風の女性が現れた。

「お一人様?」と問われて頷くと、「お煙草は?」との問い…私は“大”の文字が付く程の愛煙家である…その旨を伝えると、店の右側の区画に案内された…どうも右側が“喫煙席”で、左側が“禁煙席”となっていたようだ…マネージャー風の女性が席に案内してくれた…場所を示すので「どうも…」と言うと、彼女は頷いて去った…スッキリした都会的な内装で、アーティスティックな写真等が飾られ、なかなか寛げる雰囲気だった…(「店内の撮影は御遠慮ください」なので、そういう様子が判る画は撮れなかったのだが…)

着席すると、例の黒いTシャツのウェイトレスが灰皿とメニューを抱えて現れた。「大っぴらに屋内で、着席で煙草を蒸かして、誰にも咎められない!!」と、近所で求めたЯва(ヤーヴァ)というロシア製の煙草を取り出し、愛用のオイルライターで火を点けながらメニューを眺める…

このКАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)のメニューはなかなかに豊富だ。ビール、スピリット、カクテル、ミネラルウォーター、ジュース、紅茶、珈琲と色々揃い、食事のメニューもあれば、挙句に“ワインリスト”なるものまで在った…ロシア語と英語が列記してあるメニューだった…

とりあえず珈琲が愉しみたかった…メニューの珈琲の欄を見た…カプチーノ、エスプレッソ、カフェラッテ、どういうものかよく判らないもの…色々在るが「珈琲下さい…」で出て来るような「普通の珈琲」がどれなのかよく判らない…

そして眼に留めたのが…Американо(アメリカーノ)なる文字…「“アメリカン”ということか?」と訝りながら、それを頼んだ…

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暫くして角砂糖の入った容器―私は珈琲に砂糖は入れないことが多いが…―と共に登場したのは…フランス、ドイツなどで出くわしたことがある「かなり濃い感じの、濃厚で熱い珈琲」である。「これだ!!」と思った。正しく私が求めていたのは「濃厚で熱い珈琲」である!!日本では“アメリカン”と言えば、淡白な珈琲が登場するのだが、このКАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)では欧州諸国で出くわす濃いものが出て来る…

このАмерикано(アメリカーノ)を愉しんでいて、気付いた…煙草を蒸かしながら珈琲を頂いていたのだが、灰皿に吸殻が2本か3本入ると、ウェイトレスが灰皿を交換に現れるのだ…これは…「日本で時々見掛けるマニュアル」である…後から聞けば、何件かの飲食店で、似たようなことをしているらしいが…

更に…隅の方で2人のウェイトレスが何やら話し込んでいると、マネージャー風の女性がさり気なく間に入って止めさせている…従業員への指導が、なかなか厳しい様子だ…「良質なサービス」という気遣いをしていることが感じられる…

珈琲は口に合った。「もう少々頂きたい…」と思ったので、今度はЭспрессо(エスプレッソ)を頼んだ…

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実に可愛らしいカップでエスプレッソが登場した…文字どおり「もう少々…」という按配である。飲んでみた…「Американо(アメリカーノ)と大差が無い…」と感じた…口に含んだ時の“触感”のようなものは確かに違うのだが、飲み込むと“刺激”は大差が無い…

次の予定―劇場へ出掛ける前に寄ったのだった…―が在るので、そちらへ向かう前に御手洗いを拝借しようと思い立った。野暮な“御手洗いマーク”は見当たらないが、何人かの女性客がさり気なく奥の扉を開けて入り、暫くして出て来るのを見掛けたので、そこへ行ってみた。静かに扉を開けた…赤系の内装で、可愛らしい…「女性用?」と思い、思わず近くに居た従業員に尋ねてしまったが、何のことはない“共用”だった…

КАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)の珈琲だが、1杯120ルーブルだった。市内の店では、安くはない部類らしい…

支払いを済ませた後、レシートと釣銭が挟まれた紙のバインダー風のものがお洒落だと思った…消耗品のように見受けられたので、「貰って帰って構わないのか?」と訊ねると、そういうものではないという話しだった。

「“念願”叶って、美味い珈琲を愉しんだぞ…」と通に出ると、後ろから男性が駆け寄って来て「ミーステル!!」(*英語のMrをこのように発音するロシア人は意外に多い…)と声を掛けてきた。何事かと思えば、КАФЕ №1 (カフェ・ノーメル・アディーン)の入口で見掛けた、スーツ姿の男性従業員である。「フォアユー!」(For you)と彼は徐に「レシートと釣銭が挟まれた紙のバインダー風のもの」を私にくれた。お礼を言うと、彼は小走りに去って行った…何に使うというのでもないが…想い出を挟めておくバインダーというところか…良い土産である…

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ユジノサハリンスクも、他の外国の都市のように「一寸歩いてみると面白い」という感じになってきている…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)

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「“土産話”の類をまとめてみよう」と思い立った直接的な切っ掛けは、「サハリンで芝居を観た…それが素晴らしかった!!」ということなのかもしれない。とにかくも、この観劇が大変愉しかったので、それを多くの皆さんに伝えてみたかったのである。

今回のサハリン訪問で「或る程度は“個人的興味”に応じた動きも可能な状況」という中で、「面白そうな催し?」と情報収集を試みた。そんな中で「10月22日19時開演 新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)」という事実に触れた。10月22日夜と言えば…帰国前夜である…「行ける…」と思った…

ユジノサハリンスクの通称“チェーホフ劇場”…専属の劇団等を擁する、本格的な欧州スタイルの劇場だ。通常、劇場は10月か11月頃から年末年始を挟んで4月か5月位までの期間を“シーズン”と称して、様々な演目の興行を催す。そのシーズンは始まったばかりである…ということで、新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)は「今シーズン初」の上演である。“新作”なので、やや大袈裟に聞こえるかもしれないが「世界初」の上演ということになる。

予め劇場の予定を調べて旅程を組むでもない限り、「新作舞台劇の初演を、旅先である劇団の本拠地で観る」という機会など、滅多に在るものではない。今回の「10月20日から23日のサハリン訪問」というのは、随分以前から決まっていた日程だ。フェリーの“今季最終”という運航日程に鑑みて決めたという日程に過ぎないのだが…

10月22日にこの新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)の初演が在ることを知って「行ける…」と思っていたが、少し時間が経つと「お招きを頂いた…」と勝手に思い込んでいた…

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10月21日の日中、劇場の発券窓口を訪ねてみた。「明日の…」と問えば、係の人に「最後の1枚…」などと言われたが、600ルーブルの券が入手出来た!!大変幸運だと思った。通常、劇場の券には席番号が書かれてあるのだが、今回は指定席制ではない旨、係から一言添えられた…細かいことはどうでもいい!!券を入手出来たのだ!!有名なチェーホフの肖像画を入れた、やや手の込んだデザインの“生誕150年”が絡む2009-10シーズン向けに用意したと見受けられる美しい券を大切に財布にしまい込んだ…

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2010年はチェーホフの生誕150年である。また、サハリンの劇場も現在地に来る以前の、アレクサンドロフスク・サハリンスキーで劇場が興ってから80年目でもあるという。新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)は、そうした“記念の年”を彩る、劇場としての意欲、野心が込められた力作ということになる…

この新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)について、私自身は7月に聞いていた…

7月…このチェーホフ劇場を拠点に活動するジャズバンド<ヴレーミャ・ジャザ>が稚内にやって来た。この際、劇場の館長さんがバンドに同行して稚内に登場した…一度お眼に掛かると、なかなか忘れられない、独特な雰囲気の在る方だったが…

その7月の稚内で、この館長さんと一寸お話しをする機会が在った。館長さんは、劇場が力を注いでいる新作舞台に関して、非常に熱く語っていた…「チェーホフの『サハリン島』の舞台劇をやる。3人の俳優と2人のミュージシャンという出演陣で、50名、60名の小規模な会場で上演するような感じになる。スタッフ一同、精力的に準備に勤しんでいる。“サハリンを代表する作品”に育て、方々に出向いて上演出来るようになれば…」とである…

チェーホフの『サハリン島』…1890年、永い旅の果てに“流刑地”であったサハリンを訪ねたチェーホフが、旅のことと人々の様子を丹念に綴った“ルポルタージュ”的な作品である。ハッキリ言えば「どうやって“舞台劇”の原案にするのか?!」という作品に思える…

10月22日夕刻…これまで「寄ってみたい…」と思いながら、なかなか機会を設けられなかったレーニン通の喫茶店に立ち寄り、珈琲をゆったりと愉しんでから、家路を急ぐという風な人や車が多いコムニスチーチェスキー通を進み、劇場へ向かった…

振り返ると、1998年にモスクワで芝居を観て以来の“ロシアの劇場”である…「印刷実費?」というような30ルーブルのプログラムを入手し、ホールへの入場までの時間を館内で過ごす…俳優の写真が貼ってあったり、作家の胸像が据えられていたりと「ロシアの劇場の定番な内装」で「久し振りだ…」と妙に嬉しくなった。1993年9月から翌年6月までモスクワに滞在した頃、舞台劇が面白いので、周囲の人が愕くような頻度で随分と観に出掛けていたことが非常に懐かしく思い出される…

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ベルが鳴り、ホールへ誘導されてビックリである。何と、大きなホールのステージ部分の端に60席程度のシートが据えられ、「招待者指定場所以外は御随意に…」ということになっていたのである…その招待者というのは、恐らく州行政府の文化関係の局長さんか、部長さんかという雰囲気の二方だったが…結局、演者達が動き回るスペースの目の前、演者が語気を荒げて大きな声でも出せば、唾が飛んで来るかもしれないような距離で、60人程度の観客が開演を待ったのである。

新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)がいよいよ始まった…始まって数分で「『サハリン島』をどうやって“舞台劇”の原案にするのか?!」という、事前の懸念は吹き飛んでしまった。こういうのは、野暮な素人の“余計なお世話”である…上演時間は1時間35分から40分程度だった。飛ぶように時間は過ぎ、「もう終わった?こんな時間?」と終わってみると驚いてしまう程に引き込まれた…あの見事な脚本…出版されるようなことでもあれば欲しい位だ…

一口で筋書きを言ってしまえば…30歳の青年チェーホフが、“流刑地”サハリンを訪ねることを思い立ち、永い旅を経て辿り着いたサハリンのアレクサンドロフスクで様々な見聞をし、船でコルサコフへ出発する…という話しである。これが、或る意味では「原案の『サハリン島』以上」の迫力で観る者に迫る按配に仕上げられている。脚本を練った人、演出をした人、演じる人達…相当な努力が窺える…青年の心の旅…というような雰囲気であろうか?大変素晴らしかった!!

3人の俳優と2人のミュージシャンという出演陣…これが実に面白かった!!

劇中の効果音などは、アコーディオンとドラムスを軸に、2人のミュージシャンが担っている。一部のシーンでは2人も声を出していたようだ…何れも「なるほど…そういう具合に表現するか…」と唸ってしまった…

3人の俳優は男性2名、女性1名である。

男性の1人は“青年チェーホフ”の役である。冒頭「インフルエンザっていうやつか…」などと具合悪そうに部屋で蹲っている場面から、遥かなサハリンへの旅、アレクサンドロフスクで様々な人達と出会ったり、彼らからの聴き取り内容をカードに整理する様、更に旅を続けようと船に乗るという最後のシーンまで、“青年チェーホフ”はずうっと出ている。博物館の写真で見る御本人とそっくりという訳でもない―この俳優の方が、今風の好男子かもしれない…―のだが、何か「1890年のチェーホフ青年」が眼前で“心の旅”をしているかのようだ…

もう一人の男性…この人の“熱演”、或いは“怪演”には惹かれる…この人は、旅先からの手紙を受け取る人、チェーホフがダンテの『神曲』を読む場面での「心象風景に現れる松明を手にしたローブ姿の男」、複数の流刑者、巡察に現れた総督、官吏、ギリヤーク…と「各場面に必要な“チェーホフ以外”の全ての役」を一人でやっていた…話し方の癖、所作、表情、早替りの衣装で「同じ俳優が演じていると判りきっていながら、各場面の“役”に見える、感じられる」という見事な活躍ぶりだ…「“俳優”って凄い…」と感心するばかりである…

そして女性だが、彼女も「各場面に必要な“チェーホフ以外”の全ての役」というスタンスで、主に女性役を担っていた。一部、男性の役もやっていたが…乙女から老婆まで、何でもやっていた…この彼女はバイオリンを弾いたり、歌ったりと、なかなか器用な面も見せていた…これもまた見事だった!!

ステージ部分の端に陣取って、上記の「3人の俳優と2人のミュージシャン」が紡ぐ『サハリン島』の世界に引き込まれた。

舞台のセットには、とんでもなく大雑把に言って、「手が込んだものを造る…」という方向性と「抽象…」という方向性が在るように思う。「手が込んだものを造る…」ということでは、過去に観たものの中には「客席を何列か潰して、本当に水を張って劇中の湖を表現」してしまったものが在った…「抽象…」ということに関しては、程度の差は在るが、舞台劇では大概が用いている手法である。それでも、象徴的に舞台中央に据えられた“皇帝の玉座”のようなものが、妙にリアルで愕いたというような例は思い出すが…

新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)は完全に後者である。それも、かなり徹底的に「抽象…」している。何本かのベンチ、ベッドのような枠にスクリーンのような布を貼ったもの、大きなトランクというようなモノで各場面を見事に抽象していた。「舞台劇のパフォーマンスとはこういうものだ!!」という秀逸な演出だ!!トランクとベンチを駆使して、河を行く船、列車、馬車、船というような長大な旅の時間を表現した辺りは、殊に面白かった。演出と言えば…実物の石油ランプや、小さな花火も出て来てビックリしたが…

今回の新作舞台劇『サハリン島 第1章』(Остров Сахалин, часть первая)の演出だが、スウェーデン人の舞台監督が手掛けたものだという…或いは、サハリンのチェーホフ劇場が「“看板作品”として世界に発信」という野心を抱いていることが伝わる事実だ…

大喝采で上演が終了した…この劇を観て「“パワー”を貰った…」と思い、余韻に浸りながら引き揚げようとすると…唐突に“日本語”で「コンバンハ…ワッカナイノカタ?」と声が掛かった…60人程度入った観客を見渡した感じでは、私以外に“日本の人”と見受けられる人は居なかった…

声を掛けてきたのは劇場の職員だった…7月にジャズバンド<ヴレーミャ・ジャザ>が稚内にやって来た後、コンサートの写真をウェブギャラリーに載せた旨を館長さんに連絡してあったのだが、それが関係者の間で御好評を頂いたらしいのだ。それで私とバンドの皆さんや館長さんとが一緒に映っている、彼ら自身が持っていた記念写真も関係者の眼に触れていて、職員の方が記憶していたという次第だ…

その方と一寸お話しして、帰り際に“青年チェーホフ”を演じた俳優さんと握手をして貰い、皆さんに「大変素晴らしかった!!」ということと、「偶々こちらに来ると、やっていたので幸運だった…」という話しをし、劇場を後にした。

どうも館長さんは「7月の稚内」が非常に面白かった―丁度“北門神社”の祭で、館長さんとバンドのメンバーはそちらの方も愉しまれていた…あの時は天候もなかなか好く、街を歩くのも心地好かった筈だ…―らしく、土産話を繰り返ししている節が窺える…それは大変に結構だが…件の館長さんは出張中だったということで、御挨拶をすることは叶わなかったのだが…もしかすると劇場の部内で「『サハリン島』の初演には、例えば彼のように、わざわざ稚内からフェリーで観に来た人も居た…」という話しになっているかもしれない…苦笑してしまうが…

それにしても…こんなに上質な舞台劇がサハリンで観られる!!素晴らしい!!今回は本当に幸運だった!!今後、世界へはばたくかもしれない新作劇が登場した瞬間に、「多分、唯一の地元在住以外で外国人の観客」として立ち会う結果になったことは、大変なことだ!!そして、この新作舞台劇について是非とも御紹介したいと、多少文字数は嵩んだが、確り綴ってしまった…

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(Charlie at Wakkanai)

→今回のサハリンの写真はこちら…

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連載:Sakhalin (OCT 2009)― 所謂“土産話”…

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去る10月20日から10月23日の日程でサハリンを訪ねた。当然ながら、「フェリーの旅」である…

往路は10月20日朝に稚内港を発ち、夕刻にコルサコフ港…復路は10月23日朝にコルサコフ港を発ち、午後に稚内港…サハリンでの実質的な滞在は10月21・21日の両日、朝から夜までである…二日間だ…単純に遊びに行ったのではなく、用事を抱えて出掛けた訳だが…

二日間というのは実に慌しいもので、「もう、帰国の朝か…」と時間があっという間に経ってしまう感もあるのだが、それでも今回は用事は在ったにしても「朝から夜までビッシリ予定…」(最も酷い場合は、宿泊先の近くに煙草を買いに行く暇も無い…)とか「気兼ねをする必要が…」という状態ではなく、或る程度は“個人的興味”に応じた動きも可能な状況だった。

ということで、非常に僅かな時間であったにも拘らず、“土産話”に類する話題は幾つも在る状態だ。

好天のお陰で快適だった「フェリーの旅」を終え、何となく過ぎる時間の中で、何度と無く“土産話”に類する話題が頭の中を渦巻く…そういう中で、「“土産話”の類をまとめてみよう」と思い立った…

“ミニノート”持参で立寄った朝の喫茶店で、本稿を起こし始める…

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(Charlie at Wakkanai)

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