にほんブログ村
ユジノサハリンスクは約18万人の人口を擁し、「車で小一時間」というような範囲の“商圏”を顧慮すると「二十数万人の人達が活動する街」ということになる。それだけの規模の街ともなれば、少々目立つ建物も在る。街の写真を撮るのが好きな者には、そうした建物はなかなか嬉しいものでもある…
そのユジノサハリンスク市内でなかなか目立つ幾つかの建物の中で、一際個性的な外観をしたものが在る。多分、ユジノサハリンスクの建物としては、最もよく知られているものかもしれない。それは“サハリン州郷土博物館”の建物だ。
この博物館の建物…「サハリンにお城が在るのか?」等とよく問われる…この建物は“樺太庁博物館”として1937年に竣工したものである。1946年に“豊原”が“ユジノサハリンスク”となった後、この“樺太庁博物館”が“サハリン州郷土博物館”ということになった。建物は、「日本統治下に日本人が設計・施工した」ものである。
現在のサハリンで活躍している皆さんの多数は、1946年以降にサハリンへ移って来た人達、またはその後裔ということになる。1940年代後半から1950年代位のソ連は、大きな被害をもたらした独ソ戦からの復興が目指され、利用度の低い地域への入植者を募るような動きが在った。その際には、例えば「通常55歳で支給する年金を50歳で支給」とか「モスクワ近郊の同一職種の賃金に比べて“割り増し”を出す」というような優遇措置も講じられ、ソ連全土からサハリンのような“新天地”に沢山の人達がやって来た…
こういう中で「日本の樺太の豊原」が「ソ連のサハリンのユジノサハリンスク」へ変貌を遂げていくことになる。
“サハリン州郷土博物館”は、アレクサンドロフスク・サハリンスキーで1896年に郷土資料を展示する博物館がオープンしたことを“起源”と考えている。1946年にサハリンの行政の中心が移ったことを受けて、“樺太庁博物館”に移ったと考えている訳だ。
サハリンの文化施設の中には、その歴史について、こういうような考え方をしている例が見受けられる。例えば“チェーホフ劇場”も、現在のようにユジノサハリンスクで活動しているのは1947年からだが、起源は1930年にアレクサンドロフスク・サハリンスキーに起こった劇場と考えている。従って彼らは「2010年で劇場は80年」としている。
1946年頃、“樺太庁博物館”の学芸員等、関係者は貴重な収蔵品等を“サハリン州郷土博物館”に巧く引き継ごうと心を砕いたらしい。そういう訳で、“通”が見ると感嘆するような、動植物の貴重な標本や、民俗学関連のコレクションも、“サハリン州郷土博物館”で今でも大切に保存されている。ロシア・ソ連では、博物館というものは意外に大切に扱われていて、関係の仕事に就く専門家育成を念頭に置いた大学の学部等も存外見受けられる。
“樺太庁博物館”の関係者が「うちの大切なコレクションをよろしく…」と話し合った時代の職員達の中にも、そういう専門教育を受けた人達は居た。そして今日の“サハリン州郷土博物館”でも、そんな専門教育を受けている学芸員等が活躍している。
9月に稚内で講演をして下さった現在の館長さん…あの方も博物館で活躍する専門家育成を念頭に置いた大学で学んだ方で、民俗学者だ。あの時は「サハリンで見受けられる少数民族が受け継いできた伝統が、間宮林蔵の記録に多く残されていて興味深い」」と、各地を取材した写真や博物館で大切に収蔵されている物の写真をスライドで上映しながらお話しをされていた…
今回のユジノサハリンスク滞在中、微妙に時間が出来た。9月に稚内からサハリンへ帰る際、波によるフェリーの揺れを凄く危惧―随分以前にフェリーを利用した際、揺れて辛い思いをされたそうだ…―していた館長さんが無事に戻ったものか、不意に思い出したので博物館に寄ってみた。残念ながらお目に掛かることは叶わなかったのだが、元気に活躍されているようだった…
何度もサハリンを訪ねた中で、この博物館にも何度か寄っている。博物館は膨大な収蔵品を有しており、随時展示を入れ替えている。ということで、訪ねる都度に微妙に違う内容も見られる。博物館の展示室は1階と2階であるが、1階は“自然科学系統”、2階は“人文・社会科学系統”が基調と見受けられる。
今回、この博物館に寄ってみた。多分1年半ぶり位になると思う。入場券の他、“撮影料”を払うと館内の写真撮影を許可してくれる仕組みである。今回は“撮影料”を払って、気に入った展示を記録に残しておくことにした…
1階の“自然科学系統”の展示で、一際眼を引くもの…少し大きな動物の化石、1頭丸ごと分の骨格を組上げた代物だ…これは“レプリカ”だ…
1935年…樺太では日本の考古学者が化石の発掘等を手掛けていた。当時の北海道帝国大学(現在の北大)のチームが「1頭丸ごと分」の動物の化石を発見した。これがDesmostylus(デスモスチルス)だ。
Desmostylus(デスモスチルス)は、約1900万年前から約1000万年前に北太平洋沿岸に生息していた大型の水生、もしくは半水生の哺乳類であるという。他の動物に見られない円筒を束ねた特殊な歯の形態を持ち、系統や生態が不明だったため、「幻の奇獣」とも呼ばれていた。当初は頭部の化石が発見され、その型や大きさから、アザラシやトドのような姿が想像されたのだったが、1935年に1頭丸ごと分の骨格が発見され、4本足で歩行していたことが判明した。こうした形態の復元は進んだが、近縁な動物が現生に存在しないため、化石の形態に直接残されない食性や生態は未だに明らかになっていないという。
このDesmostylus(デスモスチルス)の化石は、樺太に調査チームを送り込んでいた北海道大学に本物が在る。札幌の北海道大学構内に在る“北海道大学総合博物館”に展示されている。北海道大学が輩出した先輩研究者の仕事を伝えていることになる…
“サハリン州郷土博物館”は1990年代以降、北海道の学術機関や民間団体とも盛んに交流をしているようだ。当然、北海道大学との交流も在る。北海道大学では、樺太での大変貴重な発見であるDesmostylus(デスモスチルス)をサハリンでも広く紹介すべきであると考えたようで、この化石の精巧なレプリカを造り、“サハリン州郷土博物館”に贈ったという訳だ…
2階の“人文・社会科学系統”の展示…個人的にはこれが好きだ。今回は、1940年代にソ連全土から大勢の人達がやって来た辺りから、石油・ガス開発で沸く最近までの流れがわかる展示が見受けられた。こういうものの他方、何となく「チェーホフの時代」を紹介したような展示が気に入った…大陸からアレクサンドロフスク・サハリンスキーに入っていた船の模型に見入ってしまった…
ということで“サハリン州郷土博物館”はなかなか良いと思うのだが、ここを見る都度に強く感じることが在る。それは、この博物館に在って「建物そのもの」が“最も目立つ展示品”ではなかろうか、ということである。
聞けば、この博物館の建物は1970年代に“再建”という話しが在ったのだそうだ。しかし、「貴重な建物」ということで大切に使うという意見が優勢を占め、新しい建物にする計画は沙汰止みになったそうだ…
1990年代以降、流石に老朽化が著しくなった博物館の建物について、「サハリン州と北海道との交流」というチャンネルを通じて日本人専門家を招いての修復も手掛けられている。更に、2000年以降にユジノサハリンスクでの“都市整備”機運の盛り上がりの中で、博物館の敷地内も「市民の憩いの場」として美しく整備されている。また、少数民族の住居を再現したものを据えるという様な“野外展示”も取り入れられている。
ユジノサハリンスクを何かの用事で訪ねる方の中に「用事で忙しくなりそうだが、一箇所位は名所を見物したい」という方が在れば…この“サハリン州郷土博物館”は是非候補に入れて頂きたいと思う…
この先…サハリンを訪ねる機会が巡って来るのか否かは判らないが、訪ねる都度に微妙に違う内容が見られる“サハリン州郷土博物館”には寄ってみたい…また、館内を見る見ないは問わず、美しい庭園で季節の空気を愉しむのも悪くは無いと思う…

(Charlie at Wakkanai)
→今回のサハリンの写真はこちら…
↓DELLのミニノートで更新中…
Dell-個人のお客様ページ

稚内の物産ショッピングモール