連載:『シカゴ―風の街』6

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季節の変わり目には、前の季節を思い出し、季節の半ばには来る次の季節を思う…

人間というものは、身勝手と言えるような気がする…稚内は今が丁度季節の変わり目―何時も釧路方面、根室方面と「桜前線の国内最終」を争っているが、2009年は“同着”で、5月10日だった…―のような趣であり、そういうことを考えていた…

他所の土地を訪ねる…ということになると、それは“機会の有無”に左右されるもので、更にその訪ねた時期のことしか知り得ない。それでも、訪ねた土地では、何時ものような身勝手な考え方をしていることに気付く。知り得ない来る季節を、或いは過ぎた季節を思っている…

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(氷が浮かぶ川:2002年撮影)

シカゴについて、私は現時点で冬の様子しか知らない…冬のシカゴを二度訪ね、訪ねた都度に春と秋、更にはそれらの間にある夏までを思っている…

冬のシカゴについては、積極的に「凄く良い!!」と絶賛する声を耳にしたことは無い…

「シカゴの冬はとんでもなく寒いので、出来れば他の季節が良い」という声が大勢を占めるように思う。寒い、逆に暑いというのは身体には堪える。出来れば避けたい。そういう意味では両者とも大差は無いように見受けられるのだが、どちらかと言えば、寒いことについて否定的な見方が強いように感じる。

私個人は暑い方について、より否定的な見方をしている。身体を動かせば益々暑くなり、裸になろうとも避ける術が無い上、私の住む稚内のような土地では冷房が普及していないので如何ともし難い状態に陥ってしまう。寒い場合は、着込むことが簡単に出来、用事があって外を歩けば身体は火照る。更に稚内のような土地では屋内の暖房は完備されている。その条件は、寒冷地には或る程度共通していると思えるが…

そういう事情で、シカゴを全く訪ねたことの無い段階で「冬の旅」という状況になった際には「冬は寒いのかもしれないが、大勢が住んでいる大都市なのだから、暖房などの対策も完備されており、南極点のような途轍も無い気温ではないのだから、着込んで凌ぐ術もあるであろう…」という見方をしていた。

“寒さ”というものは、少し興味深い。気温のような誰にでも見える数値で判り易く示し難い場合が多いと思う。例えば稚内は、気象情報で示される冬季の気温を単純に信じる限りにおいては、北海道内でも「凄く寒い場所」という程でもない。しかし、実際には海からの冷たい強風のため、氷点下3℃でも内陸の氷点下20℃より辛く感じられる場合さえある。こうした“体感”は数字にはなり難いが「風速○mで○℃低く感じる」という目安はあるようだ。

初めて訪ねた際、シカゴには雪があった。シカゴ空港のビルに入る前は、積雪で滑走路が塞がっていることを受けて、除雪のために待たされた。この時は直ぐに空港から乗り継いでしまったが、復路では市内に出た。薄らと雪が積もっていたり、所々積雪が溶けて凍ったりという具合だ。気温の方は0℃から氷点下4℃程度だった。「最悪!」という程でもない、北国なら何処にでもある程度の寒さだと感じた…

二度目は事情が少し違った。積雪は無かったが、気温は氷点下10℃前後だった。北極の寒気が居据わっていて、寒気に冷やされて半ば凍った湖面を渡る冷やされた風が時々市街に舞い込む状態だった。ジッとしていると頭痛がする…アイスクリームを勢い良くガブガブと食べた時のような感じだ…ニットの帽子、ロシアでもあるような毛皮の帽子、スキー場で見かけるようなフェイスマスクと街中で「防寒具の見本市」のような様子が見受けられる…

空港の離発着が若干乱れる様を目の当たりにしたが、シーズンに何度かは、酷い雪などで市内交通などに影響が出てしまうこともあるように想像する…冬というものは、ホワイトクリスマスのようなロマンティックな面ばかりではない…

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(氷結する湖:2002年撮影)

ただ、こうした厳しい自然も、シカゴの個性の一部なのだろう…頭が痛い寒さも困るが、それもまたシカゴの一面ということで大事にしたいような気分である…

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連載:『シカゴ―風の街』5

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シカゴの“空の玄関”という趣のオヘア空港に到着し、都心部へ向かう場合…“CTA”(Chicago Transit Authority)こと交通局が運行する“L”(エル)の愛称で親しまれる地下鉄・高架鉄道を利用するのは有力な選択肢であると思う。

空港に到着し、「街へ出るには“L”…」とウロウロすれば、天井からぶら下がっていたり、床面に大きく描かれた電車のマークが眼に止まり、それに導かれて歩を進めれば、とりあえず地下に在る乗り場に辿り着いてしまう…

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(オヘア空港地下の“L”乗り場:2002年撮影)

シカゴ市自体と、シカゴ市の周辺の様々な理由でシカゴ都心とを往来する人が生活している“都市圏”はそれなりに広く、“車社会”であることに間違いは無いと思うのだが、他方で「シカゴは公共交通が便利」な感じもする。東京や近郊の通勤通学時間帯のような凄まじさこそ、私の極短いシカゴ訪問期間に見掛けたことはなかったが、“CTA”が運行する“L”やバスは、「割に賑わっている」という印象を与えてくれた…尤も私の場合、「“バスが混み合っている”のは…珍しい…」というような、静かな街から出て行っているので、そういう感じ方をし易いのかもしれないが…

そういう「極個人的な感じ方」のことを割り引いて考えても、“CTA”は住民や来訪者の需要に応えられるような運行体制を築いているように思える。

“CTA”はシカゴの“都市圏”でかなり多彩な電車・バス路線―“L”の愛称の電車関係で8系統、バスは150以上の路線が在るらしい…―を手掛けているので、“路線図”も色々と在るようだ。

↓その中から、都心の“L”を中心とした図が見易いので挙げておきたい…
“CTA”の路線図(英語)(PDF)

シカゴは五大湖や大河を利用した水運の拠点で、全米に広がった鉄道網が交差する場所としての歴史が在り、“物流基地”という性格を帯びながら発展している。輸送手段の中で航空輸送の位置が大きくなってからは、大手航空会社が各方面の路線を集めて、乗り換え・積み替えで接続して網目のように各方面を結び付ける、所謂「ハブ&スポーク」と呼ばれる輸送システムの“ハブ”という大空港を擁するようになった。そういう大きな街には、大企業の拠点や有力大学等も立地するが、交通の要衝であることとの相乗効果で「研究会、見本市等、人が集まる催しが多い場所」にもなっている…

という訳で、“CTA”が担うような公共交通は「住民のため」と同様に「来訪者のため」に活躍する必要が在る。という訳で、凄い路線網が発達したのであろう。電車・バスの「1日あたり利用者のべ数」は160万人にもなるらしい…

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この“L”だが、「何故“L”なのか?」という由来が少々気になる。

“L”は「elevated」(高架)の省略であるという。旧くは綴りの頭を採って“EL”(読み方は“L”と同じだ…)とした場合も在ったらしいが、現在は専ら“L”だ。これに関しては…シカゴ都心部の環状線区域が“ループ”(Loop)と呼ばれており、これの頭文字である“L”と引っ掛けて定着していったのかもしれない…

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(シカゴ都心部に在る“L”の環状線:2002年撮影)

この“L”だが…1892年に最初の区間が運行を始めたらしい…地下鉄部分は時代が下って1943年頃のようだが…

様々な街に「画が出ると、街を思い浮かべるモノ」というのが在ると思われるが、シカゴに関しては「“L”の高架になっている部分」がそれに該当するように見受けられる。

シカゴを訪ねた折り、環状線に乗ってみた。また、走っている様子を眺めもした。この区間では「カクッ」と曲がるように線路が敷かれているので、車輌は長さがやや短い感じで、小回りが利きそうだった…ゆっくりと走行し、結構揺れて、独特な音がする…路上で“L”を見上げる分には、金属の車輪と金属の線路が擦れ合う「ギー」という独特な音がして、思わず見入ってしまう…慣れている地元の人は、当然ながら素通りだが…

シカゴは全米屈指の大都市であり、様々な映画やドラマの舞台にもなっているため、「“L”の在る光景」は存外見掛けると思う。日本国内では、ドラマ等で例えば「ウィスキー会社の巨大な電光看板が輝く交差点」が出て来ると「ススキノ…札幌」と多くの人が理解する…これと同じように、米国では「一寸独特な“L”…シカゴ」と多くの人が理解することが出来るのであろう…

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(映画やドラマに在りそうな「“L”の在る光景」:2002年撮影)

仮令、極短い滞在であっても、シカゴのことは色々と想い出す。殊にこの“L”に関しては「忘れ難い代物」のような感だ…何時かまた、シカゴを訪ねて“L”に乗車したり、街角で独特な音で走る様を眺めてみたいと何時も思っている…

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(線路の真下からも写真撮影を試みた…:2002年撮影)

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連載:『シカゴ―風の街』4

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初めて訪ねたシカゴで何をしたのか?単純なことだ…「大好きな映画のロケ地を観た」というだけのことである…

↓このブログの各記事を御覧頂いている読者諸賢にはお馴染みかもしれないが、「大好きな映画」とは『アンタッチャブル』に他ならない…
/アンタッチャブル (Cled)


これから映画を観る人の楽しみを奪うような野暮な真似にも繋がるので、作中のディーテールを語ることは“最小限”に止めたいとは思うが…“ロケ地”を説明するために一寸触れざるを得ない…

もし「自分はこれから映画を…」という方が在れば、以下―「ストーリーを振り返る」から「ストーリーである」の間―は読み飛ばして頂いた方が善いかもしれない…

『アンタッチャブル』のストーリーを振り返る…

禁酒法の取締官としてワシントンの財務省からエリオット・ネスがシカゴに赴任して来る。

シカゴは、あらゆる公的機関の関係者を買収して、好き放題を働くカポネ一家の根拠地であった。

カポネ一家の最大の収入源は、密造酒、密輸酒を売り捌くことだった。禁酒法取締官は、カポネ一家と対決することになる…

しかし、彼に協力する筈の地元警察は、カポネ一家に買収されており、仕事が捗らない…

カポネ一家とのトラブルによる爆破の巻き添えで、無垢な少女が爆死するなどの事態に、取締官としての無力さを呪ったエリオット・ネスは、老警官と出会う…退職間際の高齢に至っても、買収などを無視し続けた故か、一介の巡査だった。一警察官としての矜持を大切に生きる彼とネスは意気投合した…そして、カポネ一家の脱税調査をして活動を押さえようと提案した税理士と、警察学校から呼んだ青年との4人で仕事をすることにした。

4人は買収を撥ね付け、酒類の密輸を摘発するなどし、カポネ一家のボスだったアル・カポネ脱税の証人を押さえた。しかし、カポネ一家は証人もろとも税理士を殺害し、更に老警官をも殺してしまう…

証人を失い、脱税容疑でのアル・カポネの公判が維持出来ない窮地に陥ったが、カポネ一家の会計士がユニオンステーションから列車でマイアミに逃げるところを取り押さえ、彼を証人にしてアル・カポネを有罪に追い込む…

とここまでが大雑把なストーリーである…

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(ユニオンステーション:2001年撮影)

この最後の方の場面に出て来るユニオンステーション…交通の要衝としての歴史をも有するシカゴの“らしい”感じがする場所だが、公開当時にも「美しい画」で話題になった場面が撮影されている…証人の会計士を取り押さえるユニオンステーションは、作品の盛り上がる場面となっている。殊に映画では、カポネ一家と対峙するエリオット・ネスが駅の階段で銃撃戦を演じる中、通行人の女性が上げようとしていた乳母車が階段を滑り落ちるシーンが有名だ!!

好きな作品の舞台となった土地というのは、何時も訪ねてみたい場所として頭の隅には残るものだ。「シカゴであの場所を!!」ということで、ユニオンステーションに立ち寄るというのは、初めての訪問での大きなテーマとなった。2001年1月だった…

「シカゴは寒い…」というのはよく耳にする。冬は実際に厳しい。1月という冬季にシカゴを好んで訪ねるというのは、余り普通ではないようである。しかし、それでもアメリカの諸都市を訪ねようという運びになった中、シカゴを選んだのは「ユニオンステーションが観たい!!」という一心からだった…

そしてユニオンステーションを訪ねた…映画で観た場所に間違いない!!が、映画で観た感じより狭く見えた…

ユニオンステーションの階段を、確か15分程度漫然と眺めていた…今にして思い返すと、あの“911”事件の前で良かったと思う…“911”事件後であれば「駅の階段を漫然と眺めている妙な男」ということで、警察官か兵隊がやって来て、ややこしい話しになったかもしれない…そうなっても「大好きな映画のロケが行われた場所を観たかっただけで他意は無い!!」と主張するだけのことだが…

CHI_union_02.jpg
(ユニオンステーション:2001年撮影)

こうして、『アンタッチャブル』の盛り上がるシーンが撮影されたユニオンステーションは、「忘れ得ぬ場所」となった…欲を言えば…このユニオンステーションから列車に乗って、広大なアメリカを旅してみたいというのが“一寸した夢”なのだが…

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連載:『シカゴ―風の街』3

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シカゴを初めて訪ねた時のことを時々思い出す。あの時は「=初めての米国」でもあった。何時の間にか、存外旧い話しになっている…

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(シカゴの街並み:2001年撮影)

成田空港から出国―国外旅行に発つ―する時、北海道を起点に考えると、「東京都内から成田空港への移動」が億劫だ…北米へ向かう便は午後の出発が主流のようなので、飛行機の運航時刻表を見る限りでは「朝の飛行機で千歳空港を発ち、羽田に下りて成田へ向かう」というのも無理な日程ではない。初めてシカゴの地―より精確には空港ビル内の床…―を踏むことになった際、その経路での移動を計画した。

千歳空港でチェックインをした際、航空会社の地上職員に「預ける荷物がある場合、羽田で一旦受取って成田でもう一度チェックインする際に預けなければならない」旨を告げられた。私の場合、機内持込手荷物のみでの移動だったため、心配は無用だった。羽田空港も、当時既に京浜急行の電車がターミナルビルの地下まで乗入れていたので、何処へ行くにもそれなりに便利だ。

この路線には、都営地下鉄を経て京成の路線に入り、成田空港まで行く列車もある。もしそれがあれば、黙って乗っているだけで、しかもバスのように「道路の混み具合」を心配する必要も無いので、快適な移動となる筈だった。ところが日中…この「羽田から成田へ真っ直ぐ」は1時間に1本程度しか運行していない…

千歳から羽田へ向かう飛行機は「機材繰りの都合…」などというアナウンスが入って、定刻から20分程遅れて離陸し、到着も20分以上遅れてしまった。成田への移動と、その後のチェックインがあるので、時間が気になる…小走りに広い空港ビルを動き回り、地下の駅に着いた時、「成田空港へ真っ直ぐ行く列車」は「1分前に発車した」という状態だった…次の同じ列車は1時間後で、それを待ったのでは成田空港に遅れてしまう…次の列車に飛び乗って乗り継ぎを重ねて成田空港へ向かった…

これも考えてみると、自分一人で、機内持込手荷物のみだったので予定どおりに動けたという話しで、何人かのグループだったり、大きな荷物を預けてというような場合なら、成田空港出発に間に合わない事態も発生し得る…

最初から走ることになったが、シカゴでも慌てる羽目に陥った…

2000年から2001年にかけての旅行では「シカゴでワシントン行きに直ぐ乗り換え、ワシントンでドイツのフランクフルト行きに乗る」ことになっていた。国際線に付いている、飛行機の現在位置を示すモニターが、殆ど定刻でシカゴ上空に差し掛かったことを示したが、なかなか着陸の案内が無い…

「世界一忙しい」という説もあるシカゴの空港のことで、何かで少し遅れる場面もあるだろうが、それにしても不自然だと思い始めた頃、案内があった。「滑走路除雪作業のために45分から50分程遅れる」ということだった。乗り継ぎが非常に気になる。

案内どおりに下りて少し安堵したが、米国への入国希望者が形成する長い行列に加わって気を揉んだ…

米国へ入国する外国人は、所定の書式に必要事項を記載し、旅券(パスポート)と併せて係官に提示することになっている。この中に「米国での滞在場所」という項目がある。私はこの時、その欄に何も記さなかった。それを係官に見せた。必要事項を書き漏らして、係官に促されて加筆するという例も多々あるようで、係官は私に記入を促そうとしたが、私は撥ね付けて航空券を示した。「これからドイツへ飛びます。米国とは、あと数時間でお別れです…」と言ってスタンプをパスポートに押してもらって通過した。続く税関で乗客に質問をしたり荷物検査をしていた係官は、機内持込手荷物のみで「先を急いでいるから通してくれ!」と言わんばかりにパスポートを提示する私に、「あなたはもういい…」と言わんばかりに手を振って出なさいと促す。勢い良く出口の辺りに行き、航空会社のカウンターで談笑していた数人の職員を見つけると「ワシントンは何処だ!モニターのとおりか?」と問う。「間違いございません…」との回答を聞くか聞かずで駆け出し、搭乗の案内が始まっていたワシントン行きに乗ることが出来た…

というように、初めて上陸したシカゴでは、とにかくも走っていた…

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(シカゴの空港:2002年撮影)

その後…精確には二度目ながら、実質的に初めてシカゴに入ったのは、2000年末から2001年初頭の旅の復路だった。ドイツのフランクフルトからシカゴに入ったのだった…

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連載:『シカゴ―風の街』2

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現在“シカゴ”として知られる地域に「初めて住んだ人」というのは、恐らく判らないだろう…

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(歴史を感じさせる摩天楼:2002年撮影)

それは太古の昔のことである。何処かを掘り返した時などに発見される遺構などをよく分析して旧い時代に迫る考古学によって、そうした角度での回答は得られるかもしれない。

が、誰かが判読可能な型で書き残したものに依拠して旧い時代を語る歴史学の角度で考えて、“最初のシカゴの住人”とされているのはデュサーブル(Jean Baptiste Point du Sable)と伝えられる。

デュサーブルは、フランス領だったサント・ドミンゴ(Santo Domingo)―カリブ海の島で、今日のドミニカ―からやって来た毛皮商人で、黒人だったという。彼がシカゴ川河口に定住したのが1779年と伝えられている。サント・ドミンゴを領有していたフランスでは革命が起こっていたような頃だった…

1830年になり、ミシシッピー川とシカゴが運河で結ばれるようになると、シカゴのあるイリノイ州やミシガン湖の対岸にあたるミシガン州への入植が活発化し、1833年には“シカゴ町”が設けられた。

シカゴという名称の由来はネイティヴアメリカンの言葉で「強く偉大である」という意味の語句に由来するらしい。

1837年、人口が4,170人にまで増えたことを受け“シカゴ町”は“シカゴ市”となった。1848年には、シカゴは運河と鉄道が交わる場所となり、流通拠点としての地位を得た。そのことにより、シカゴへの人口流入は加速し、“3年間で3倍増”というような勢いで急速な発展を続けた。

が、1871年…シカゴに大火が襲い掛かった。300人が死亡し、90,000人が住む家を失い、被害額は2億ドルにも上ったという凄まじい大火であった。被害は甚大であったが、逆に新たな計画を練って、新しい市街を再建する好機となった…

1893年には、半年の開催期間で約2,600万人の来場者を数えたという万博が開催された。この時期から、今日お馴染みの高架鉄道の建設も始まり、オーケストラや博物館など、シカゴの文化を支えているものも登場し始めた。

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(歴史を感じさせる摩天楼:2002年撮影)

今日“摩天楼”と称される高層建築の“元祖”とも呼ぶべき建物が出現したのは、1885年のシカゴであったという。爾来、シカゴでは才能溢れる建築家達が活躍し続け、アメリカの建築の歴史に特筆すべき建物が続々と出現した。

シカゴの“生い立ち”は、ざっとこんなところである…

私が興味を覚えるのは、シカゴは大火による壊滅的な打撃―1871年当時に記録された“2億ドルの被害”という額は、今日の貨幣価値であればどの程度なのか、想像も出来ない…―を受けながら、それを都市計画の好機として活かしてしまっているということである。

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(シカゴのウォータータワー:2001年撮影)

現在、シカゴの揺籃期でもある1871年以前の雰囲気を微かに伝えるのは、ミシガン・アヴェニューに立っているウォータータワー程度のものである…こうした“生い立ち”を振り返り、改めて偉大なリンカーンが生まれた大草原に建設された偉大な都市、というシカゴのイメージを、そしてこの街の名が「強くて偉大である」という意味だったことを思い起こす…

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連載:『シカゴ―風の街』1

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シカゴという米国の都市には、何となく惹かれる…映画『アンタッチャブル』が直接の切っ掛けなのだが…

/アンタッチャブル (Cled)


シカゴの名所に数えられる、北米一―少し前までは世界一だった…―高いビル、シアーズタワーを訪ねると、何やらビデオの上映をやっていて、シカゴの街やシアーズタワーの空撮映像が見られる。

その冒頭の辺りで、多分何処かでロケをしたのだろうが、美しい草原が映り「150年程前…この辺りは草原でした…」という場面が冒頭にある。

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(シカゴのシアーズタワーからの眺望:2002年撮影)

150年程前ということで、件のビデオが念頭に置いているのは1830年代から1840年代であろう。その頃の日本は江戸時代の終わりが見えて来る辺りの天保年間であろうか。その草原に街が姿を現し、急速に発展して摩天楼が肩を寄せ合うような都市となった。凄い速度かもしれないが、アメリカという国自体、1976年に漸く建国200年を祝った若い国ということになるのだから、それ程愕くことではないのかもしれない。

「外国の偉い人」という漠然とした括りで、私が一番最初に名前を覚えたのは、この建国200年を祝っていた頃の米国大統領フォードである。後年、歴史を学ぶと、フォードという大統領は少し特殊であったことが判る。フォードの前任者はニクソンだった。ニクソンはウォーターゲート事件で失脚してしまった。大統領に事故があった場合―ニクソンのような辞任、或いはケネディのような暗殺、F・ルーズベルトのような病死などで任期中に空席になること…―は、副大統領が昇格して大統領職を務めることになる。フォードは副大統領だったので、ニクソンが辞任した後の大統領となった。しかし、フォードは副大統領の職をも、前任者が辞任したため、ニクソンの党であった共和党国会議員を代表して指名を受けて得たのだった。米国の大統領選挙では、大統領候補は自分を補佐する副大統領の候補とコンビで選挙戦を戦う。フォードはそういう型で選挙戦を戦っていない。大統領候補としても、副大統領候補としても選挙を経験しないで大統領になったという特異な例なのだ。

このフォード大統領には、自分の姓に引っ掛けた得意な台詞があったという。「私はフォードで、リンカーンではない」というものだった。フォードは大衆車で、リンカーンは高級車である。彼の言辞の解釈は「自分は国民の多くと同様であり、高級車を乗り回すハイクラスな人間ではない。国民の多くにより近い立場に居るし、居たいのだ」というようなことだろうか。高級車の代名詞としてフォード大統領が用いたリンカーンも、大統領の姓である。南北戦争という米国史上未曾有の危機の中で大統領を務めたリンカーンは、高邁な理想を謳った高潔な人物だったという。実はこのリンカーンは、シカゴがあるイリノイ州の開拓民の子として、粗末な丸木小屋でこの世に生を受けていると伝えられている。

「150年程前…この辺りは草原でした…」という言葉でシカゴの歴史が語り始められる時、思い起こしてみたい。偉大なリンカーンが生まれた大草原に、偉大な都市が建設され続けて来たということを。ビデオを見た後、そんなことを考えながら、一番高いビルから眼下に摩天楼を眺め、シカゴが、そして米国が過ごした200年、またはそれ以前からの歴史を思った。

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