連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―5 2002年のベルリン

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ベルリンへ到着すると“ICH BIN WIEDER HIER”(イッヒ ビン ヴィーダー ヒーア)、「再びここへ…」と頭の中で反芻している。たまたま手にしたCDに入っていた曲のタイトルなのだが、独語に明るくはない私は何やら辞書を片手に多少意味を調べ「こういうことか…」と納得した。

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(2002年撮影)

“世界一周航空券”を利用する旅行計画を練り、その一環として立ち寄ったドイツで、慌しくこのベルリンへ寄った。シカゴから大西洋を越え、フランクフルトに下りてから、古都バンベルグを経てニュルンベルグへ南下し、夜行列車に乗って早朝の到着である…

2002年1月…ヨーロッパでは欧州共通通貨ユーロの現金が導入されたばかりだった。“EURO”は独語では「オイロ」と読む。この旅ではこの独語風呼び方しか耳にしなかったので、以後“オイロ”と呼ばせていただく…

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(2002年撮影)

フランクフルトの空港などでオイロを手にし、既に何回か支払いに使用していたが、少々戸惑ったのはコインロッカーであった。旅先では、身軽にしているとは言っても嵩張るものが在るので、コインロッカーを私は多用する…

ニュルンベルグでは、そのコインロッカーに“2DM”と表示されており「どうしたものか?」と0.5オイロコインを2枚入れると、ロッカーが使えた…早朝のベルリンで、またロッカーを見つけて愕く。“nur EURO”(オイロオンリー!)というステッカーがあり、“1.00”とオイロで料金表示がされていた。ドイツの場合、マルクとオイロは概ね2対1だったので、余所の国よりも判り易いのかもしれない…が、「街中がお金に不慣れ」という不思議な状況に終始愕いていた。私のように外国からふらりと訪ねた人ばかりが街に溢れている感じだ…

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(2002年撮影)

そうした変化を感じつつ街を歩いてみた。

以前は随分目立った建設現場も、然程気にならない感じになっていたし、何の知識も無く訪れたのであれば、嘗ての東や西を意識せずに街を歩くことが出来るであろう…

ところが、都心部の通りに設置された市内案内地図を見ると、“壁”があった場所に線が引かれている。そして私は、目抜き通りという趣になっているフリードリッヒ・シュトラッセに“チェックポイント・チャーリー”を見つけた。地下鉄の駅も確認したが、好天に恵まれていたので歩いて行くことにした。華やかな専門店や飲食店が並ぶ間にオフィスビルが点在する洒落た通りである。未だ人出も少なめな早朝の通りを進んで行くと、何度か写真で目にした風景が眼前に現れた…

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(2002年撮影)

東西ドイツの分断からの再統一、オイロの登場と、この10年に大きな変化がこの街を通り過ぎているが、この場所は厳然と一種の“史跡”の趣を醸し出していた…

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(2002年撮影)

やがて冬の短い日が傾く頃、私は夜のハンブルグを目指してこのベルリンを辞去した…

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連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―4 2001年のベルリン

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新千年紀を経て、新世紀に突入しようとしていた。

新しくなった議事堂を見学に行った帰り道、広場状になっていて人が自由に往来していた場所に、何やら線が引いてあるのを見かけた。何の線なのか、それに沿って歩いてみると「ベルリンの壁」というプレートが埋め込まれていた。

というように、20世紀の出来事が“眼前の現実”から“歴史”になろうとしていた。こうした雰囲気の世紀の変わり目に、ベルリンに対面したかった。

2000年の末にドイツへ真直ぐと飛ぶ術を見出そうとしたが、混雑で航空券は厳しいキャンセル待ちであり、価格も少し高めであった。ところが、「北米大陸を経て―太平洋を越えてから大西洋を越える…―型」であれば、真直ぐ欧州へ向かう航空券より若干安く、しかも空席が見付かった!これを利用しない手はない。2000年12月29日夜に稚内を発ち、東京、シカゴを経て、フランクフルトに着いたのは2000年12月31日の早朝…実に長い旅だった…何か「そう言えば…機内で提供されるものしか食べていないのでは?」という状態で旅をしてドイツに入ったのだった…

ICEの車窓でドイツの初日の出を楽しみながら、前夜の後始末をしていたベルリンへやって来た。

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(2001年撮影)

当時のベルリンで一寸話題になっていた様子だったのは、<壁>の跡で建設が進んでいた商業施設などが完成したということだった。ベルリンを分断していた大掛かりな構築物が撤去されてしまえば、そこには巨大な遊休地が発生する。これを巧く利用することはベルリンの課題として急浮上し、様々なものの建設に着手された。

こうしたものの中で、殊に著名なソニーセンターを訪れた。SFに出て来る宇宙空間の人口天体―例えば『機動戦士ガンダム』の“スペースコロニー”のようなもの…―に建設された都市が地上に現れたような、不思議な様相だった。前年の同時期には見られなかった積雪もあり、気温は0℃を挟んで推移する程度だったが、そこに集う人々の熱気が溢れ、厳重に管理しているものと推察されるが、植え込みの緑も眩しい。

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(2001年撮影)

都市の規模を考える場合、自治体としての○○市に実際に住んでいる“定住人口”で考える場合も多いが、様々な活動に関して考えるならば、周辺の町との間を往来する人々も考慮に入れるような“交流人口”で考えた方が実態に即している。その“交流人口”で考えても、「ドイツの大都市」と言われるフランクフルト、ハンブルグ、ミュンヘンなどは200万人規模であろう。ところがベルリンは700万規模になるのである。大型商業施設を立ち上げるには絶好の場所ということになる。

何やら凄いものが出来たと愕きながら街を歩いていると、前年には一寸した緑地になっていた場所で何かの建物を建てる工事が始まっていたりした。ベルリンの建設ラッシュは未だに止まらない…

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(2001年撮影)

新しい世紀を迎え、依然としてエネルギーを発散するように変わり行く新首都は、どのような21世紀を紡ぐのであろうか。更なる興味を掻き立てられつつ、南ドイツの古都へとベルリンを辞去した…

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連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―3 1999年のベルリン

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<壁>というものがベルリンに存在していたことを、私自身は知識としてしか知らない…

初めてベルリンを訪ねたのは1996年で、<壁>が撤去されて久しい時期に入っていた。流行の音楽や映画ではないので、こういう表現が妥当か否かは疑問だが、私は言わば「壁を知らない世代」に属すると思われる。

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(1999年撮影)

<壁>のような街の中の構築物は、老若男女を問わず向き合わされるものであり、それを知っているかいないかを世代で語るのは、些か妙な感じもしないではない。

ただ、例えば蒸気機関車のようなものや、現存しない会社のマークのようなものであれば、それを「覚えているか?覚えていないか?」で一種の“世代論”もあり得るだろう。<壁>について、敢えて世代的な語り方をするなら、それは「壁が象徴した一時代との関わり方」というような話しになるような感じがする…

実は1999年をフランクフルトのホテルで迎えた。<壁>が象徴していたものの一つであった“東西対立”が乗り越えられ、欧州連合による欧州の統合が進み、共通通貨ユーロ-独語ではオイロ…が登場―「現金の流通」は2002年だが…―したというのが1990年代の凄まじい勢いの流れであり、そうした中で希望の多い新千年紀を迎え、新世紀に流れ込もうというのが当時の空気だったような気がしている…

と考え、私はとにかくも2000年をベルリンで迎えようと企てた。他方、この数年の“首都ベルリン”という動きを踏まえたものとして、ベルリンの旧帝国議会議事堂が、ドイツ連邦共和国連邦議会議事堂として新生したとの報があったのも1999年だった。

更に1999年は、コンピュータの日付関係のプログラムが、年号の“99”から“00”へ切り替わることを巧くコントロール出来ず、とんでもない混乱が起こる事態が危惧された。<2000年問題>である。

旅の前半では議事堂を見学し、旅の締め括りはベルリンでの新年ということにして旅立った。ベルリンへは、旅行期間中2度立ち寄ることになる。この時の旅行から、インターネットを少々利用しつつ、訪問予定地の情報収集などもするようになった。この時はベルリンの議事堂についてなど、色々と調べた…

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(1999年撮影)

建物の天井をドーム状にするものが欧州の建築では多く見受けられる。これは、何か「天の下に人々が集う場」であることを象徴するように見受けられるが、連邦議会議事堂は、昔は石造りだったドームを硝子のものにしている。これには、「開かれた欧州の開かれたドイツで、開かれた空の下に国民の代表が集う」というような願いが込められているように見受けられた。朝の見学開始時間を目掛けて訪ねたが、世界中からの来訪者であっという間に長蛇の列が出来、見学を終えて帰る頃には随分と込み合っていた…

12月31日は、007の『ワールドイズノットイナフ』をベルリンの映画館に入って“独語吹き替え”で観るという間の抜けたこともしたが、新千年紀前夜に沸き返る街へ繰り出した。とんでもなく通行規制がなされ、30分も掛からずに歩ける場所が、大きく迂回で3時間を要する羽目に陥った。所構わず花火が鳴らされ、音楽イベントなどの照明が華々しく、スパークリングワインやビールが酌み交わされていた街の空気を堪能した…

ホテルの部屋に用意しておいたスパークリングワインを一人で1.5Lもがぶ飲みし、風呂に浸かって死んだように眠った…目覚めて窓の外を覗くと、Sバーンの電車が正常に動いていた…<2000年問題>は大きな問題にならなかったのだ…

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(1999年撮影)

<2000年問題>は、人間が築いた便利な文明が、それを創った人間に牙を剥くような話しであった。苦労があって、長い時間も要して乗り越えた“東西対立”もまた、人間が造ったものと人間が造ったものとのぶつかり合いだった…そうしたものを乗り越えた所に辿り付けたというような空気で、2000年は始まった。

「今を生きる者達に幸いあれ!」という感じである。

そんなことを思いながら、前夜に出たゴミの山に辟易し、スパークリングワインを呑み過ぎてしまったフラフラの状態でベルリンを辞去した…

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連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―2 1998年のベルリン

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1997年には大欧州漂泊の機会は得たものの、ドイツへは全く立ち寄らず、ルーマニアとスコットランドを訪ねた。他方1998年は「ドイツを発着する飛行機で旅に出るが、ルーマニアとロシアへも足を延ばす…」と「何処へ何をしに出掛けるのか判らない」ような状況で出発した。

実際この年は、5月頃から12月まで、連日朝の6時台から夜の11時台まで書き物をしていたため、何もかも投げ捨てて、あても無く彷徨してみたかった。他方でロシアもご無沙汰しているし、ルーマニアの知人にも会いに行きたいしと、欲張りな願いが頭を擡げる。

最初はルーマニアとフランクフルトを往復し、ドイツを北東へ進みがてらロシアを目指し、またフランクフルトに戻るという強引な案を思い描き、年次休暇を殆ど纏めて取得し、12月8日に勝手に“御用納め”をしてしまい、旅立った…

フランクフルトからミュンヘンを経て、夜行列車でベルリンに入った。ベルリンから先はリューベックに寄ってキールに出て、バルト海を船で横断してリトアニアへ渡るという型だった…

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(1998年撮影)

ベルリンには、初対面の時の「建設現場的な雑然とした雰囲気」は薄くなっていることに気付いた。改装中という雰囲気だった街中のSバーン駅も、普通な状態に仕上がっていた。だが、出来上がったと見られるものから少しずれた辺りで、別な建設工事が行われていた…

初めての時は敢えて訪ねなかったテレビ塔へも足を運び、拡がる街を鳥瞰してみた。旧、新、最新が折り重なったような独特な街が大きな範囲に拡がっていた…

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(1998年撮影)

分断都市という特異な状況を脱し、新しい首都になったという複雑な歴史の原因の一つに、第2次大戦を挙げなければならない。

第2次大戦の頃、戦況が悪くなるに連れて苛烈さを増したとも伝えられるユダヤ人の迫害が行われていた。実はこのベルリンの直ぐ近くに、それが行われていた現場の一つである収容所の跡がある。ザクセンハウゼンである。ザクセンハウゼンは、ベルリンの都心から1時間程度のオラニエンブルグの街外れにある…巨大都市の喧騒が嘘のような、荒涼とした車窓に続いてこじんまりした街に着き、20分程度歩く…

旧、新、最新が折り重なるベルリンが向き合っている過去の重みを思い知った訪問となった…

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(1998年撮影)

その重みの意味を考えながら、北ドイツの古都へ向かってベルリンを辞去した…

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連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―1 1996年のベルリン

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初めてベルリンを訪ねたのは、1996年の10月ということになる。この年の旅は、9月にスコットランドを訪ねる機会を得た後、10月に大欧州漂泊の機会を得た…

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(1996年撮影)

コペンハーゲンで欧州入りし、コペンハーゲンから帰国する型とした。最初はリトアニアのヴィリニュスへコペンハーゲンから飛び、ヴィリニュスから戻って各地を列車などで訪ねる型とした。今となっては、欧州で全く足を踏み入れたことがない国や地域を挙げた方が早いような感じ―それでも存外多い…―もするが、当時は未踏国ばかりであった。1994年頃から欧州を盛んに歩くようになり、その時点まででドイツはハンブルグとキールに立ち寄った位だった。ベルリンは未だ見たことがなかった。聞いたことがある話しで、頭の中は溢れんばかりになっていたが、現場は全く知らない…

20世紀後半の国際関係を特徴付けた感もある“東西対立”の前線、或いは象徴という感の<壁>が、東ドイツ政府の路線変更で無意味化し、「こんなものは壊してしまえ!」という熱狂に沸き上がり、実際に取り壊しが決定したのは1989年で、1991年には“統一ドイツ”となり、丁度この1996年頃にはベルリンが新首都に決まった。

コペンハーゲンを少し北上し、フェリーでスカンジナビア半島とコペンハーゲンがある島で形成する海峡の一番狭い部分を越え、スウェーデン南部では一番大きな街ということになるマルメーに寄ってベルリンへ向かう列車に乗った。少し込み合っていた座席指定で、客車ごとフェリーに積み込まれ、北天の星々に見守られながらドイツに上陸した辺りで、緑系の制服に身を固めて腰からトランシーバーをぶら下げた係官が現れ、パスポートにスタンプを押してもらい、薄暗い北東ドイツをベルリンへ向かった。その間、転寝気分で、時々目を醒ましてはベルリンの経過を思い起こしていた…

東ドイツ時代の名残で、“ハウプトバーンホフ”(中央駅)となっていた、その後のオストバーンホフ(東駅)に列車は着いた。丁度東の空が明るくなり始める頃合だった。眼前に浮かぶのは、所々に建設工事のクレーンが見え隠れする巨大都市だった。東ドイツ時代にソ連軍が駐留した名残か、ソ連軍グッズのようなものも道端で随分売られていた。と思えば、分別を前提にしたごみ収集所が見受けられるなど、こうした環境分野で取り沙汰されるドイツへ来たことも実感した。

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(1996年撮影)

そうしたドイツの巨大都市に辿りついたという感覚を怪しくしてくれたのは、名所ジーゲスゾイレの近くに広がっていた森のような公園だった。それを包み込む巨大な都市というものは、ある種“一つの王国”のような感じさえする。

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(1996年撮影)

何処もかしこも工事中のような雰囲気で、少し汚い古い駅も改装中で、森の側で建設中の都市に足を踏み入れたような感覚がした。そして、この後の展開を見届けなければならないという思いと、遥か1万キロ彼方から私を引き寄せるような、何らかの発散されるものを感じ、私は「方々見たい!」という欲張りな予定で慌しくベルリンを辞去した。

これが私に取っての、ベルリンとの初対面であった。

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連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―序

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80年代のドイツのヒットソング『99 Luftballons』に関することを綴っていて、妙にベルリンのことが気になった。

ベルリンに関しては、90年代に“大欧州漂泊”などと称して欧州で鉄道旅行をした際、何度も立ち寄った経過がある…何か気になる場所だったのだ…

“中世の街”などという言葉が、存外安易に用いられている。「中世とは何なのか」というのは、実は恐ろしく難しい問題なので、この種の言葉を見かけると抵抗感を覚えてしまう。が、使用される文脈を考えると「欧州の古色蒼然とした、古い建物などが多く残る街並みがある場所」という意味合いで用いられている様子だ。

そういうことであれば、20世紀の2回の世界大戦で主戦場になって―殊に第2次大戦では激しい空爆に曝された…―いながら、戦禍を免れたり、或いは街の人たちの想像を超えるような努力で再建がなされた“中世の街”が多く見られるのがドイツである。ドイツを訪ねる人たちが期待するものの大きな部分を、こうしたものに触れたいという思いが占めているであろうことは想像に難くない。

こうした期待でベルリンを訪ねるという方がもしあれば、私は直ちに「止めておいた方が良い!」と僭越ながら助言させていただく。何故なら、ベルリンにはそうしたものが期待出来ないからである。それ以上でも以下でも無い。

例えば、国王のような力を持った存在が「この地に都市を建設せよ!」とでも命じ、「この都市を○○と命名しよう!」というようなことでもやり、それが行われた年代が何かに記録されているのであれば、かなりの確信を持って「○○の街はXXXX年に開かれ、今年は開基XXX年を祝おう!」という話しにもなるのであろう。しかしそれは寧ろ“例外”で、多くの都市の場合はそうではないと見受けられる。何かの記録で名前が登場しているとか、北海道の街などでは初めて役場が設置されたというようなことまである位で、便宜的に開基時期を決めているに過ぎない例が世界中に溢れている。

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ベルリンもそうした多数派の例にもれていない。

ベルリンの生誕年には二つの説があり、その古い方である1237年が採用されているようである。ベルリンと言えば、1989年11月まで存在した<壁>によって東西に分断されていた街という印象が強い。が、その起源にあっても、街道と川が交わる辺りの両岸に曖昧な型で発生していった双子の集落だったと伝えられている。今日の姿からは想像だに出来ないが、河岸地帯は漁村を形成しており、食料となる魚を供給していたという。双子の集落は、渾然一体となった双子都市となり、そのまま発展を続け、やがてベルリンの街となって行くのである。

欧州の都市の経過を考える中で、欧州の封建制度の雰囲気が判らないと、話しが見えないことがある。封建制度の中では、領地、点在する都市、そこから徴税する権利や警察権や司法権などのあらゆるものが、領主個人または領主の家の財産と考えられる。だから領主Aの公認を受けて自治権を行使していた都市も、ある時Aの様々な都合で別な領主Bの傘下に組み込まれるということはよくあったのである。ベルリンを含む一体は、“神聖ローマ帝国”という欧州を覆った封建秩序の中で<ブランデンブルグ辺境伯領>と位置付けられ、様々な事情で“辺境伯”の爵位が家から家に移る都度、都市ベルリンの権利や義務を規定する事情は変わっていった。

“神聖ローマ帝国”は頂点に皇帝をいただく型となっている。長い間、オーストリアのハプスブルグ家がこの地位を世襲していたが、原則論としては、“選帝侯”と呼ばれる権門の投票によって選出されることになっていた。その“選帝侯”のホーエンツォレルン家が15世紀になって“辺境伯”の爵位を手にするようになると、ベルリンは彼らが居城を構える場所となる。ホーエンツォレルン家の君主と街の人たちとの摩擦もあったようだが、以降、ベルリンは一地方都市から領邦の首都という立場になり、発展して行く。

それ以降の経過は、ご案内のとおりである。ホーエンツォレルン家はやがてプロイセン王国の王家となり、プロイセンがドイツ統一の母胎となってホーエンツォレルン家の君主がドイツ皇帝となると、ベルリンは帝国の都となった。若き日の森鴎外など、先進科学を学ぶべく渡欧した明治の先人達は、この帝都となった“伯林”と邂逅している。そして第2次大戦の激しい戦禍があり、<壁>による分断を経験する羽目に陥る。

現在のベルリンは、“<壁>があった場所”という空間を孕み、同時に統一されたドイツの新首都としての機能が立地することを求められる、「何かの力が蠢く場所」という様相を呈している。

私自身がベルリンを初めて訪ねたのは、新首都に確定して日が浅かった1996年のことであった。どんどん大きな存在感を示すべき位置に押し上げられ、建設と破壊が繰り返されたベルリンは、或る意味では「まだまだ発展途上」だったのかもしれない。そういう訳で、訪ねる都度に位置を少しずつずらして建設ラッシュが続く状況も「そういうもの…」という感じになっていたのかもしれない。

そして私は気付く。こういう街を訪ねる都度、頭の中で「帰って来たぞ!」と反芻している自分にである。そして…そういうことをする機会を逸し続けて、意外に長く経ってしまったことに気づく昨今である…

そんな訳で、旧い記録を改めて整理してみたいなどと、『99 Luftballons』に関することを綴っていた時に思い付いたのだ…

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