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サハリンは、稚内にとって「"過去"(むかし)、"現在"(いま)、そして"未来"(あした)を繋ぐ存在」であることに想いを巡らさずには居られない…
この「"過去"(むかし)、"現在"(いま)、そして"未来"(あした)」という表現だが、これを思い付いた切っ掛けは「最近のサハリンの様子を見た」という経験が在ったからに他ならない。サハリンでは、"日本時代"のような、或いは"ソ連時代のような"旧いものと、最近登場したようなものが混在し、そこに将来の躍進を意図したような資源関係企業のビルやら真新しい商業施設やホテルが散在するような状態が見受けられる。"ソ連時代"を通じて老朽化した社会資本も、資源開発の余禄のようなもので改善が図られて、明日を目指して再生している様子も見受けられる。こういうように、「"過去"(むかし)、"現在"(いま)、そして"未来"(あした)」が"同居"しているのである。
サハリンに関して、最近の写真を御覧頂けるようにしてある。
↓2008年5月・10月に撮影のサハリンの様子を下記リンクから御覧頂くことが出来る。
Reise:Sakhalin island, Russia in MAY 2008
Reise:Sakhalin island, Russia in OCT 2008
↑上記リンクを開くと、写真が並んでいる。
その写真で気になったものをクリックしていただくと、“アルバム”風に纏まったものが出て来て、各写真を愉しんでいただける仕掛だ。
稚内にあって、サハリンの"存在感"或いは、"意識"というようなものは、永い間然程変わっていなかったと思われるが、最近十数年間には随分と雰囲気も変わっているように感じられる。
大雑把に考える…
永い間、"サハリン"というものは「稚内から島影を望む」という、地域を紹介する枕詞のようなものであったり、公園の記念碑等を介して伝えられる史実の舞台であるというようなことで、その存在感や意識に大きな動きがない状態が続いていたように思われる。一部、漁業関係でサハリン近海というものが意識されていたり、そこで色々な出来事もあったのであろうが、ある程度限られた範囲の人達の中に止まる話しのような気がする。
1990年代に入ると、「カニ船」という用語が人口に膾炙していたように思う。「サハリン辺りからの船が蟹を稚内に持ち込んでいる」というのが目立つようになっていた時期だ。
そしてその「カニ船」が増えるに連れ、「上陸船員は!!?」というイメージも拡がった。更に、その時期には稚内で"座礁事故"も何件か発生し、「カニ船」に関して「何やってんだ!?」というようなイメージも在ったように思う。(余談ながら、各地の外国船座礁事故で"後始末"が問題になっていたが、稚内では船主との交渉を重ね、地元の負担も一部生じたものの、"後始末"は無事に済ませている。)
「カニ船」という用語が人口に膾炙し、「上陸船員は!!?」というイメージも拡がった他方、次第に「彼らのお金」というようなことにも一定の耳目が集まるようになった。国外仕様家電(*日本は100V電圧だが、ロシア等外国では220Vの電圧の場合があるので、それに合わせた電化製品が要る。)を販売する店も登場し、ロシアの輸出入規則の変化のお陰で既に下火になって久しいが、彼ら向けの中古車販売が賑わった時期もあったのだ。
2000年代に入り、様々な事情でサハリン辺りから稚内へやって来る船も減り、上陸船員も当然減った。それでも「上陸船員は!!?」というイメージは存外根強いかもしれない。他方、「以前見掛けた、訳の判らんようなのは、実は極々少数なことに気付いた…」という感じ方になっている人達も多少増えているような感じもする。
サハリンも1990年代以降の様子の変化で、多少豊かになって来た。
こういう按配になると、「日本へ行って○○を買おう!!」とか「一寸変わった場所へ…」という考え方になる人達も登場し、そういう人達の層も時間と共に拡大する。
稚内はサハリンのコルサコフとの間を結ぶフェリーが発着する場所である。このフェリー航路の旅客輸送の経過を見てみる。数の増減にも目が向くのだが、寧ろその"構成"に目を向けるべきであるように思う。
1995年、稚内・コルサコフ航路が"開設"となった。「稚内からの目線」であれば、"開設"と言うよりも「海峡に航路が帰って来た!!」という想いが在り、寧ろ"復活"に類する表現が1995年辺りにも好まれていたような気がするが…
航路はその後、使用船舶の問題で一時"チャーター便"という扱いになり、1999年以降は東日本海フェリー(※現ハートランドフェリー)の<アインス宗谷>が登場し、今日に至っている。
当初、この航路の旅客と言えば「交流行事や視察等の日本人」が圧倒的多数であった。やがて「商用」という人達も一定数現れたが、それでも「日本人」が多数派である状態が続いた。しかし2006年に初めて、サハリンのロシア人が圧倒的多数だが、「外国人」が過半数を占めた。そして2008年に至ると…「のべ5千人の乗客が居て、3,500人がロシア人」というような状態になったのである。
「日本へ行って○○を買おう!!」とか「一寸変わった場所へ…」というサハリンの人達が増えていることが上記状況の最大の要因であろうが、日本人の現象に関しては、一時はブームの様相さえ感じられた"交流"が多少下火なことや「急激なビジネス需要で料金が高騰してしまったホテル料金がなかなか下がらないので"ツアー"を用意し難い」というようなことがあるのであろう。
というような変遷であろうか…
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