『「線」の思考』

↓所謂“紀行”というような分野の文章になるのであろうか?本書はなかなかに面白い!

「線」の思考 (新潮文庫 は 50-3)



↑副題のように「鉄道と宗教と天皇と」というように掲げられている。鉄道沿線を動き回り、古いような新しいような、日本の歴史の中の様々な事柄を考えようという内容である。

古い時代の出来事や、伝えられている話しに想いを巡らせながら、何処かを訪ねるということが在るであろう。特定の地点を取上げる「点」という考え方も、そういう「点」を幾つも含む「面」という捉え方も在る。これらに対して「線」という考え方を打ち出すのが本書の各篇である。

「線」と言う場合、古くからの街道に沿った地域というようなことも在れば、それに概ね沿うように敷設された鉄道というモノ、古くからの街道と無関係に敷設された鉄道、かなり古い街道が廃れた後に敷設された鉄道が廃れた街道に概ね沿っているというようなモノ等、色々な事例が在り得る。本書は、そういう事例を拾い、沿線の様々な旧跡や現存する史跡を訪ねてみるという内容だ。

雑誌連載に供するべく、著者と雑誌編集者との小グループで各地を旅するという様子で、或る程度はその旅の雰囲気を伝える様子も織り込みながら綴られている。通読して「マダマダ、国内には少し思い付いて巡ってみる、興味深いコースが色々と在る」というように思った。

近くに行った経過が在る場所も、近くに行っていながら全然知らないという場所も、全く知らない場所も色々と在る紀行を大変に愉しく読んだ。鉄道沿線が基礎では在るが、タクシーやレンタカーで辺りを動くという展開も少し目立つ感では在った…

8つの篇が収められているが、旭川を巡る篇は秀逸だ。市内線、郊外線というかつての鉄道が廃されてしまった後、その跡を訪ねるというような主旨と、旭川周辺に皇室の離宮を設けるような構想も在ったということ等、豊富な話題が溢れている。これは殊更に面白かった。

恐らく、本書で取上げられた場所以外にも、色々な面白い「線」は各地に在るのだと思う。そういうモノを見出したいという気にさせてくれる一冊だ。

『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか デジタル時代の総力戦』

↓本書の題名を見た際、「読むべき?」と思ったのだが、読了に至ってその思い付きは間違っていなかったと確信できる。これは「読まなければならない」と言って差し支えない。言葉を換えると「必読書」に挙げるべきかもしれない。

ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか デジタル時代の総力戦 (文春新書 1404)




「前史」というような展開は長いのだが、とりあえず“戦争”ということになったのが2022年2月であるから、既に1年4ヶ月間も続き、直ぐに1年半になってしまう。こうなると「何故終わらない?」という表現が口を突くというものだ。

本書は複数の執筆者による論考を纏めているのだが、論考を綴ると同時に纏める作業を担当した編者は、テレビ番組等でコメントを求められ、「何故終わらない?」または「落としどころ?」というように尋ねられる場面が在り、そんな中で考えを色々と整理することを重ね、本書という形に纏まったということであるようだ。

本書の各論考は、旧ソ連諸国や欧州の地域事情等を専門とするということではなく、所謂“安全保障”全般や、技術と社会というような事柄等、地域事情に拘泥しない論点を有する人達が手掛けている。それが凄く面白い。

たった一言で“結論”を敢えて言えば、目下のウクライナとロシアとの戦争は「簡単に終わるようには見えない」ということに他ならないかもしれない。それは「何故?」ということを本書では説いている。

ハッキリ言えば、ウクライナとロシアとは、経済規模や開戦当初の軍隊の規模等が「10倍以上の差」であった。そういう情況にも拘らず、ウクライナが善戦して持ち堪え、戦闘が膠着する場面も生じて、長期化している。その辺りの技術的なことも判り易く纏めているのが本書だ。

一言で言えば、“成功体験”から「詰めが甘い?」という感で開戦に踏み切ったロシアに対し、苦心しながら備え、必死に抵抗し、効果的な反撃で持ち堪えるウクライナという図式になるであろうか。「国の一部に組み込んでしまえ」と攻めるロシアに対し、「それは断る」と守るウクライナで、両者の“自己同一性”を賭しているような情況になっていて、目下の戦いの“終わり”は見え悪い。

「戦争」というような様相は、“外交”、“情報”、“軍事”、“経済”という諸要素が複雑に絡み合っている。そんな様相を、新しい意味で「総力戦」とでも呼ばなければならない筈で、目下のウクライナの戦争もそういう例に入らざるを得ないとしている。

そして「戦争」は、或る1国で勝手に決断すれば起こしてしまうことは出来る。が、その結果として「交戦相手」が生じてしまう以上、少なくとも2国以上で何とかしなければ、簡単には終わらない。要は「始めてしまわないように…」としなければならないのが「戦争」なのかもしれない。

このままであれば「厭戦ムード」が高まる迄の「更に数年?」というような時間が「終わり」に必要ではあるかもしれない。が、それは早ければ早い方が善いことは疑い悪いとは思う。国土が荒廃―通常兵器の激しい交戦の結果、「原爆??」という程度に破壊されてしまった都市も既に在る訳だ…―し、人々の生命が擦り減らされるばかりなのだから。

この戦争の件に関しては、「考える材料」を怠りなく集めるべきだと思う。そういうことで、この種の本は積極的に読まなければならないと思う。

本書の好さは、地域事情等でもない「外交や軍事や技術の全般」という視座でウクライナで起こっていることを説こうとしている点で、それ故に「非常に判り易い」という辺りだ。広く御薦めしたい。

『ウクライナ戦争の軍事分析』

↓関心を寄せている問題に関する本で、こういう本は積極的に読んでみるべきだと思っている。そういう訳で興味深く、素早く読了した。

ウクライナ戦争の軍事分析 (新潮新書)



↑ウクライナでの戦争は、残念ながら、未だ進行中である。だからこそ、「何が起きた?何故そうなった?」を少し整理する必要性も高いように思う。本書はそういう必要性を過不足なく満たすべく綴られたとしている。そして、その目標とした辺りには到達していると思う。

両陣営が武器を置いて、停戦というようなことになっても、状況が落ち着くのに相当な時間も要してしまいそうな状況になってしまっているようにも見える。戦闘そのものは「膠着」と呼び得るような時期も経ているのだが、本書は開戦の頃やその以前の話題から、本年4月頃迄の事柄、ここまでの経過を踏まえた展望というような内容になっている。

本書は「ここまでのあらすじ」ということでもないが、“開戦”以来の主だった戦闘を巡って伝えられていることが巧く整理されていて、非常に好かったと思う。

また、話題になっている事柄に関して、「それはこういうモノである」と要領よく説明しているのも本書の好さだと思う。「ドローン」やら「無人機」から、兵士が携行する対戦車ロケット、大口径榴弾砲やロケット弾発射装置、各種艦艇や航空機というような、ニュースに登場するモノが判り易く説明されているのだ。

ウクライナの戦禍の件は「進行中の事案」であり、「虚実入り交じっていると見受けられる多くの情報が飛び交っている」という情況であり、様々な観方、意見の発信も在る。そういう中ながら、本書は「後世の人が“あの時期?”と思いながら顧みることも出来るかもしれない」というような感じ、「判る範囲で“歴史”として事態を見詰めて綴る」というような雰囲気が感じられた。そういう意味で、出逢って善かった一冊だ。広く御薦めしたい。

『海と月の迷路』

↓上下巻の2冊から成る小説だが、なかなかに夢中になった。

海と月の迷路(上) (講談社文庫)




海と月の迷路(下) (講談社文庫)



↑過去に実在した少し特殊な場所を作中世界の舞台とし、出来事の謎を解明すべく作中人物が行動する。そして如何なるのかということになる。

作中「H島」となっているのは「端島」をモデルとしている。長崎県の「軍艦島」という通称で知られている場所だ。本作は、過去のこの場所の様子を「舞台」として使っているが、作中での出来事等は、飽くまでもフィクションである。それはそれとして、独特なクールで美しい映像で綴られる映画でも観ているような感じで本作を読み進めた。

小さな連絡船で近くの別な島や本土との間を往来することが出来るのみの、周囲が1km余りの小さな炭鉱の島で、日本初という話しも在る高層アパートが建った経過が在る程に人口密度は高く、5千人以上の人口を擁している。こういう様子そのものが「創作」のようにさえ感じられるが、実在の「軍艦島」の様子なのだ。本作は飽くまでもフィクションであるが、島の様子、季節の催事というようなことに関しては、資料に基づいてリアルに描写されている。と同時に「他の場所と隔絶された感じの、狭い場所」での展開というのは、興味深い物語を産み出す装置となり得るであろう。

本作の物語は、街の料亭での宴席という場面から起こる。

県警の警察学校で校長を務める荒巻警視の退職が間近になっている。歓送会ということになり、多くの人達が集まった。県警の要職に就いているような人達から、一緒に仕事をして来た人達や、警察学校で荒巻警視の薫陶を受けた若手に至る迄が集まっていた。

宴が進む中、次第に退出する人達も多くなり、荒巻警視自身と、会の幹事役を買って出た永年の仲間である刑事部長、そして荒巻警視を慕う若手だけが残った。そんな状況下、刑事部長は「若い連中にあの話しを…」と言い出した。「あの話し」というのは、24歳の巡査だった荒巻が、「H島派出所」に勤務した日々の件である。

そして「昭和30年代…24歳の荒巻巡査…」の物語本編に踏み込んで行くのである。

荒巻巡査が赴任したH島は、実に独特な環境の、高層住宅が入組んだ迷路のような場所だった。炭鉱を営む会社の職員、会社との契約で働く炭鉱に入る鉱員、下請け業務に携わる組夫、そういう人達の家族、商店や飲食店に携わる人達、医療機関の仕事に携わる人達、公務員や一部の家族という5千人余りが密集して住んで居る場所でもある。荒巻巡査は、赴任して以来、少しでも早く馴染んで行こうとしながら、先任の岩本巡査と共に勤務を続けていた。

或る日の夕方、鉱員の娘である女子中学生が帰宅しないという騒ぎが起こった。島での様々な出来事に際しては、働く人達のトラブルを収める鉱山会社の総務課の下に在る外勤係が色々と動き回っていた。その外勤係も警察―荒巻、岩本の両巡査―も動いたが、中学生の少女は見付からない。

そして一夜明ければ、中学生の少女は遺体で発見された。事故という見立てとなった。その死を巡って波紋が広がる。ここで話題になったのは、8年前にも女子中学生の死亡事故が発生していたということである。そして「不思議な共通項?」ということになる。荒巻巡査は密かに調べようとするのだ。

荒巻巡査の周囲では、この事故死に纏わる調査の他にも、幾つかの波紋が起こるのだが、それでも荒巻巡査はこの「禁断の捜査」に取組むことになる。その行方は如何に、というのが本作の物語の肝である。

二転三転し、意外な事の真相が少しずつ解き明かされる。その様が非常に興味深い。これは一寸夢中になれる作品だ…

『黒石』(ヘイシ)

↓<新宿鮫>のシリーズは、文庫化されている11冊の長篇と、1冊の短篇集を全て読んだ。そうなると、この未だ文庫にはなっていない最新作が気になってしまう。文庫の登場を待つことが出来ない、待つ時間が耐え難いと考え、単行本を入手して紐解いた。そうした甲斐が在った!実に愉しく読んだ…

黒石 新宿鮫?



↑色々と「訳アリ」で新宿署の現場に在る、実は警察庁キャリアで警部の鮫島が奮戦するというのが<新宿鮫>のシリーズということになる。長く続くシリーズは、近年に至って「第2期」という趣になっているかもしれない。が、それでも変わらずに魅力的である。

本作は、何やらの会の会員向け事務連絡のような不思議な文章が冒頭に掲げられ、そして鮫島が連絡を取っているという場面から起こる。

作中の鮫島の言い方を借りると「矢崎くん」と連絡を取っている。矢崎は前作の『暗躍領域』にも登場している若い刑事だ。公安部に在る。

この矢崎は<金石>に関連することで鮫島に相談しているのだった。

<金石>というのは、鮫島が関わった事案に何度も関与していた集団である。中国残留孤児2世や3世等の互助的な集まりに起源を有するらしいのだが、日中両国の人達と交流、交渉し得ることから、様々な正規、不正規な事業を展開する関係者も在り、犯罪をも厭わない例が見受けられる。<金石>は、明確な頭領を戴くピラミッド型の組織を有する結社ではなく、様々な関係者のネットワークという存在である。

この<金石>の関係者である高川という男が在る。高川は矢崎を通じて「警察の保護を求める」というような、妙な話しをしているというのだ。高川が言うには、<金石>の中で一定の発言力を有する者達の連絡網となっているインターネットの掲示板が在り、その中で“徐福”と名乗る者が、組織の改革を叫んでいるのだという。そして反対する者は粛清するとしている。そして<黒石>(ヘイシ)という殺し屋が蠢いているらしい。高川は自分も危険なのだとしている。

鮫島は阿坂課長の了解と協力を得て矢崎と行動を共にすることになった。鮫島は矢崎と共に高川から事情を聴くことになる。

<金石>の関係者の間では、互いに面識も在る、または会ったことが無くても何処の誰かは判るという場合の他、素性がよく判らない、関係者なのか否かも不明瞭という場合も在るのだという。雑多な人達によるネットワークであるが故である。問題のインターネットの掲示板の中で“徐福”と名乗る者に関して、鮫島と矢崎が事情を聴いた高川はよく判らないということであった。

<黒石>(ヘイシ)という殺し屋は、鈍器で額から頭頂部を強く打ち、一撃で相手を絶命させるという方法で“仕事”をしているようであった。或いはその方法の被害者と見受けられる事例が発生した。調べると、その被害者は問題のインターネットの掲示板の中で“徐福”と名乗る者に反対意見を表明していた者であるらしかった。

そこから、類似の死亡事案を見出そうと、鮫島と矢崎、阿坂課長と鑑識係の藪が記録を調べてみれば、鈍器で額から頭頂部を強く打ち、一撃で相手を絶命させるという方法で殺害されたと見受けられる事案が幾つも見付かった。

色々な角度で調べ、謎の殺し屋<黒石>(ヘイシ)や、それを動かしているらしい“徐福”と名乗る者の正体を探って行くというのが物語の肝である。「続き」が気になって、頁を繰る手が全く停められなくなってしまった。

或いはこの<新宿鮫>のシリーズは「第2期」というような展開になったかもしれない。時代がどんなに変わろうと、「護るべきだと信じる何かを護ろうと闘う」という鮫島は不滅だ。遠からず「次回作」が登場することも願う。文庫化が待ち切れず、単行本を入手して読んだが、非常に好かった!

『新宿鮫』

↓「頁を繰る手が停められない」と夢中で読書に興じる事を表現してみる訳だが、本作は正しくそういう表現を使ってみたい作品だ。仮令僅かであっても時間を設け、「続き」を知るべく本の頁を繰ることが止められなくなるのだ。

新宿鮫 新装版: 新宿鮫1 (光文社文庫)



↑現在(※本稿を綴っている2023年6月)に至る迄、文庫化された長篇が11冊、未だ文庫化されていない長篇が1冊、シリーズ関係の短篇集が1冊と、計13冊が在るシリーズであるが、その「出発点」、「原点」が本作である。「第1作」である。

<新宿鮫>シリーズは、色々と「訳アリ」な新宿署の鮫島警部が、様々な事件の解決に向けて奮戦するという物語である。本作は「第1作」であるので、その「訳アリ」に関係する事項も色々と描かれている。シリーズの後の作品で言及が在る場合も多いのだが、本作はその「訳アリ」に関連する部分が詳しいのが面白い。

新宿署防犯課(※作品が登場した頃の呼び方で、現在の「生活安全課」である。)の鮫島は、何時も一人で“遊軍”的に捜査活動をしているのだが、細かいことから大掛かりなこと迄、管内で様々な事件が起こる新宿署では事件の被疑者の検挙数が多く、少し知られた存在となっている。

本作はその鮫島が、或る男を探し、一人でその立ち回りそうな辺りで活動をしているというような辺りから起こる。

鮫島が追うのは木津要という人物だった。木津は銃を密造している。鮫島が嘗て逮捕した経過が在ったが、多数製作していた銃や“工房”を発見する事等が出来ず、比較的短期の服役で出所していた。そしてその銃の密造をまた始めている可能性が高いと考えられた。

木津は「狂気の天才職人」とでも呼ぶべき存在で、相対的に入手し易い材料等を工夫し、用途に応じた十分な殺傷力を持ち、街で持ち歩いても銃を持っているとは思い悪いようなモノに偽装されているという、極めて厄介なモノを密かに製作し、暴力団関係者等に売っていた。“作品”はなかなかに高価でもあった。

そういう中、新宿署管内で警察官が殺害される事件が発生した。2人が前後に並ぶように自転車で巡回中であった制服姿の警官達の、後側の警官が撃たれ、身体を突き抜けた銃弾が前側の警官に当り、2人共死亡してしまっていた。強い貫通力の在るライフル弾のようなモノでも使ったと考えられるが、その種の弾丸を放つ狙撃銃のようなモノで狙い撃ちが出来そうな様子でもない。

そしてその警官殺害の捜査が難航する中、更に2人が殺害された。パトカーの横に停車したバイクに乗っていた者が、車の窓越しに銃弾を撃ち込んだのだという。

こういう中であったが、鮫島は警官殺害の捜査本部への参加を断り、執念深く木津を追っていた。

ということで、事件が如何に展開するのかという物語だ。少しずつ謎を解明し、手掛かりが手繰り寄せられ、緊張感溢れる闘い、追跡も織り交じりながら進展する。

ハッキリ言えば、初登場が1990年頃で、そういう時代の雰囲気の描写、登場するモノが在るのだが、「変な古臭い感じ」ということは全く感じない。

本作には、シリーズを通じて登場する桃井課長、鑑識係の藪、交際している晶(しょう)という、鮫島に身近な人達も初登場で、後の作品で言及されている挿話も在る。そしてやや“敵役”的な存在感も在る、何作品かに登場する鮫島と警察庁の同期ということになる香田も本作が初登場である。

偶々、最近登場したシリーズ作品の文庫を読み、かなり以前に読んだという記憶の在る作品も交るが、仔細を覚えているのでもないことも在り、ランダムにシリーズ各作品を愉しんでいた昨今である。「原点」の「第1作」を今般読了し、「文庫化済作品は全部読了」ということになった。

「護りたいモノを護るようにするだけ」と「孤高」な「闘い」を続ける、このシリーズの鮫島は凄く好い。「“刑事モノ”の小説シリーズ」というようなモノの「歴史」を創り続けているようなシリーズだと思う。改めて出会い、各作品を愉しむ機会を設けられて善かったと思う。

『毒猿』

↓少し「訳アリ」な新宿署の鮫島警部が奮戦する<新宿鮫>シリーズの一冊で、紐解き始めると頁を繰る手が停められなくなり、素早く読了に至った。

毒猿 新装版: 新宿鮫2 (光文社文庫)



↑本作は、『新宿鮫』の好評を受けて登場した第2作である。が、これも非常に面白いということになり、シリーズが続いて現在に至っている。長期間に亘って創られ続ける人気シリーズの道筋を拓いたというような作品と言えるであろう。

多くの部分が鮫島の目線で綴られるのだが、事件関係者等の目線に適宜切り替わることで、物語が立体的に、クールな映像作品のように展開するというのがシリーズ各作品の雰囲気なのだが、本作もそれは変わらない。そして本作は、鮫島の目線で綴られる部分に登場する男、彼らが捜そうとする男、その男と縁が生じた女、その男が追う仇敵という幾つかの目線が効果的に使われ、交錯している感じである。それが非常に好い。

物語は、防犯課(本作発表当時の呼称で、現在は生活安全課と呼ばれている部署)の日常的な業務に勤しむ鮫島の描写から起こる。トルエンの密売の取締り、違法な賭博場の監視の手伝いというような様子が描かれる。

その賭博場の監視の手伝いという時、鮫島や何人かの捜査員が「あの男?何者?」と注目した人物が在った。台湾人のホステスを連れて賭博場から出て来た男は、何か「只者ではない?」という雰囲気を放っていたのだった。

やがて鮫島は、賭博場の件で注目した男を見掛け、件の男と知り合うこととなる。男は台湾からやって来た郭だ。郭は台湾で刑事をしているのだという。

鮫島と郭は語らった。郭は少し長く休暇を取り、訪日して新宿に滞在しているのだということだった。話しの中、郭は重要な件を切り出した。台湾の所謂“黒社会”、犯罪関係の世界で「職業兇手」と呼ばれる「プロの殺し屋」が日本に潜入した可能性が高いというのだ。

郭が気に懸ける「職業兇手」と呼ばれる「プロの殺し屋」は“毒猿”という通称の男である。軍の特殊部隊の元隊員で、様々な武器の扱いに長けているに留まらず、身体能力が高く、テコンドーの達人という恐るべき男であるという。

この“毒猿”に台湾で仕事を頼んだマフィアの大物が裏切り、“毒猿”の愛する者の生命が損なわれたことから、“毒猿”はこのマフィアの大物を仇敵として追っているというのだ。

台湾のマフィアの大物は、交流の在る日本の暴力団を頼みとし、そこで匿われているらしい。郭は、“毒猿”は手段を択ばずに仇敵を探し出すことであろうと言う。そしてその正体は、郭が知る人物なのだという。

この“毒猿”を巡って次々と事件は起こる…そして如何なってしまうのかという物語だ。

本作の登場当時に少し話題でもあった“黒社会”の影が色濃い。そういう中、“毒猿”と縁が生じるのは、中国にも日本にも帰属意識が持ち悪いような、中国残留孤児2世の女だ。「情報提供者」という名目で鮫島に郭が同行する場面も多いが、2人の間には友情、絆のようなモノが育まれ、そういう中で共闘する。更に“毒猿”が仇敵として追う台湾マフィアの大物、それを迎えたことで面倒な事件に関る暴力団の幹部達の姿が在る。

考えてみると、初登場からかなり年月を経ているのだが、そういうことが全然気にならずに夢中になった。本作は今や「古典」と呼んで差し支えないかもしれない。御薦め!!

『炎蛹』

↓最近、凄く楽しんでいる<新宿鮫>シリーズの一冊だ。

炎蛹 新装版: 新宿鮫5 (光文社文庫)



↑このシリーズは、「訳アリ」な新宿署の鮫島警部が、各作中での様々な事件に向き合って奮戦するという内容だ。シリーズの各作品で各々の味わいが在る。「各々の味わい」としたが、鮫島と一部の劇中人物達が共通する「各々の雰囲気が在る」のが好いのだ。

シリーズ各作品は、基本的に鮫島の目線で綴られるが、事件関係者等の目線で綴られる部分が適宜入り込んで切り替わりながら展開している。何処か「クールな映像作品」にでも触れているような気分になる場合も在る。

本作の題の『炎蛹』であるが、作中に登場する(架空)の害虫の名を和訳した字を宛てている。害虫の件が鍵にはなるが、次々と起こる様々な出来事がスピーディーに、複雑に絡み合いながら進む。続きが気になって、頁を繰る手が停められなくなってしまう。

物語は、深夜の道路でハンドルを握る鮫島が或る車を密かに追っている場面から起こる。“尾行”をしながら様子を観ているのだ。

鮫島が追っているのは、大規模な窃盗と盗品売買を展開するイラン人グループであった。新宿周辺で、多くの家電製品等が密かに多数売られている様子が見受けられた。そういう様子を内偵し、やがて窃盗と故買に携わるグループ関係者と見受けられる者達を見出した。彼らを追い、盗品を保管する倉庫のような場所を割り出そうというのである。

やがて鮫島が追う車は東京都の境を越えて埼玉県内に入り込んだ。そして倉庫と見受けられる場所に到着した。鮫島は慎重に様子を伺った。

そんな頃、新宿では複数の事件が殆ど同時に発生してしまっていた。路上で外国人娼婦が刺殺され、ほぼ同時にラブホテルが火災に見舞われた。ラブホテルの火災は放火と見受けられた。

新宿の様子を知らない鮫島が倉庫を注視していれば、そこに別な一団が乱入した。イラン人グループと対立していた中国人グループと見受けられた。後者が前者を襲撃したのだ。双方に死傷者が生じる大混乱となってしまっていた。

娼婦の刺殺の件と、窃盗と故買のグループの件に彼らが絡む抗争の件、放火の件と様々な事案の狭間で鮫島は活動しようとする。

そうしていると、今度は管轄内のアパートで別な外国人娼婦が刺殺されてしまった。殺害されたのは、アパートの部屋の住人ではなく、自身のアパートに入る迄の間に身を寄せていたという女性で、玄関扉の前の通路で遺体が見付かったのだった。部屋の住人は、警察への通報をするのでもなく姿を消した。そして姿を消した女性はイラン人男性と交際していると見受けられた。

深夜の出来事であった。翌朝からの捜査に備えるという段に至り、鮫島はもう1件の娼婦刺殺や、イラン人グループの件等に想いを巡らせながら現場を見詰めていた。そうしていると、現場保存の意図で警備に立っていた署員と何者かが言い争う声がした。

深夜が寧ろ早朝になって行く時間帯に、見慣れないやや年配の男が、警備に立つ署員と押し問答し、アパートの部屋の中を見せろと強く主張していた。鮫島は押し問答に割って入り、男の話しに耳を傾けた。

男は甲屋(かぶとや)と名乗った。植物防疫所の技官であるという。アルゼンチンの研究機関に問い合わせた結果、深刻な農業被害をもたらす危惧が在ることの判明した害虫の繭が付着したモノが持ち込まれているという。その情報を得て、直ちにと現場に飛んで来たのだと甲屋は説いた。

殺害されてしまった外国人娼婦の妹が少し遅れて来日していた。コカインの所持が見付かり、拘束され、強制送還ということになっていたのだという。その外国人娼婦の妹が、植物防疫の規則で持込が厳しく禁じられている稲の藁で出来た民芸品を持っていた。それには赤く小さなモノが多数付着していた。それが未だ日本国内に入っていない種類のゾウムシの繭だった。そして甲屋は「出身地の縁起物なので、先に日本に入国した(殺害されてしまっていた)姉が同じモノを持っている筈」だと聴いたというのだ。

鮫島は甲屋の話しを聴き、一緒にアパートの部屋を調べたが、該当するモノは見当たらなかった。姿を消した住人の女性が、殺害された女性が妹と住もうと用意したアパートにでも持って行ってしまったと推測された。しかし、その場所の情報は無い。更に、その姿を消した女性は、鮫島が追うグループに関わるイラン人と行動を共にしている可能性も在る。

結局、甲屋は鮫島に同行し、捜査活動の中で問題のモノを何とか回収して、植物防疫所で処分することを目指すということにしたのだった。

こうして鮫島と甲屋という、異色な臨時コンビが登場した。2件の殺人、放火の件、窃盗と故買の件、外国人グループが抗争状態のようになっている件、加えて害虫の件と、様々な出来事が錯綜しながら展開する。明らかになるような、同時に謎が深まるようなという展開である。

異色な臨時コンビは、日頃の活動分野も違い、経歴も年代も各々に異なる訳だが、共に「護るべきモノを護るために力を尽くす」という生き方を択んでいるような一面が在る。そういう共通項の故に、互いに気持ちを開いて、難しい事件の中で力を合わせる様子が凄く面白い。また本作は、御馴染の桃井課長や鑑識係の藪の他、消防庁の吾妻、機動捜査隊の野本というような人達、加えて鮫島の交際相手の晶(しょう)という面々に甲屋が絡んで、被疑者が何者が推論を重ねるような場面も在って、それも凄く愉しい。

大都市では、同じ日の殆ど同じ時間帯に、一つの警察署の管轄区域で複数の事件が起ってしまう場合も在るであろう。そういう状態で展開するスピーディーで重厚な本作はかなり面白い。

『日本の死角』

↓少し話題になっているというように見受けられる一冊だ。興味深く、素早く読了に至った。

日本の死角 (講談社現代新書)



↑16本の論考が一冊に収められている。初出から少し年数が経っているモノも見受けられるが、内容自体に古さは感じ悪い。(それだけ、或る時点の課題のような何かが、延々と続いているのかもしれない…)年数を経たモノに関しては、一部の加筆修正等は施しているようだ。

そういう、コンパクトな論考を纏めた一冊なので、1篇ずつゆっくりと読む感じで向き合うと、存外に素早く読了出来る。また、1篇ずつ向き合うという方式で、短い読書時間を積み上げて読了に至るのも容易だと思う。

と、コンパクト、短いという話しをしたが、「内容」は濃く、強く迫って来るような場合も在る。そこが肝要である。

題名に在る「死角」というのは、射撃関係の用語に源が在るそうだ。障害物や地形の関係で、見えないので狙い悪いというようなことだ。そこから転じて、「見えない角度」ということになった訳だ。

『日本の死角』という題には、「日本に在る我々が、普段佇んでいる辺りから視えていないかもしれないような事柄」という含意が込められているのであろう。本書に収められた各篇を通じてそういうことを感じた。

最近の流行りに関する疑義を論じているような内容も在る。が、多くは「その“当り前”のようになっている事柄は“正しい”とか“妥当”と考えていて差し支えないのか?」という、強く迫って来るような内容だと思った。

未だ新しい本で、“ネタバレ”というような詳述は避けたいが、「災害時の避難所」の事や「いじめ」の事を論じた篇は大いに考えさせられた。何れも「最近の流行り」ということでもなく、長く在る課題だ。

「災害時の避難所」が(学校等の)“体育館”という様子が妥当なのかという話しが在った。一晩凌ぐという臨時的な措置でもない限り、劣悪な環境で体調を崩し、場合によっては亡くなる人達迄現れる状況は改善が必要な筈だという話しだ。加えて、諸外国の様子を観れば、「災害時に居宅等を喪った」というような状況下では「手を差し伸べて頂く“権利”」が人々には在り、そういう人達に「手を差し伸べる“義務”」が政府等には在るという展開だった。或いは人々の権利と、政府等の義務がゴチャゴチャして、何やら「自己責任」なるよく判らない話しになる辺りは、災害対応に限らないのかもしれない。

「いじめ」の篇である。これは大規模災害で居宅を喪った家族の子どもが、引っ越した地域の学校で何年間にも亘って「いじめ」被害に遭い続け、総額で150万円にもなるような金を撒き上げられ、それを訴えて「“いじめ”に相当しない」という話しが出て騒ぎになったという一件を引いて論じている。“学校”という場そのものが「異常?」ということに関してである。脅して金を撒き上げるようなことは“恐喝”という犯罪で、犯罪を犯しているとして処断するのが一般社会の常識だ。「いじめ」なる特殊な教育上の問題ではない筈だ。“学校”という場は、「独自の価値観を中に在る児童生徒に押し付ける」という異様さを放ち、独自の妙な論理で犯罪を重ねた新興宗教団体や過激派グループの様子にさえ似ているかもしれないとしていた。

この2篇が殊更に記憶に残ったが、こういうような「死角」は多々在る訳だ。

本書の各篇は、「死角」を謳うだけに、或いは多数派を占める観方でもないのかもしれない。が、各篇や、各篇の中で取上げられている事柄を題材にして「“当り前”のようになっている事柄は“正しい”とか“妥当”と考えていて差し支えないのか?」と問うてみることは重要な筈だ。

こうした本は意外に価値が高いと思う。広く御薦めしたい。

『屍蘭』

↓休業日に入手した本を、入手した日から早速紐解き始め、頁を繰る手が停められなくなり、素早く読了に至った。暗く重い事件が発生するという物語ながら、素早く読了に至ったというのは爽快かもしれない。

屍蘭 新装版: 新宿鮫3 (光文社文庫)



↑少し「訳アリ」な鮫島警部が、事件の解決に向けて奔走する<新宿鮫>シリーズの1冊だ。最近、シリーズ各作品をランダムに読んでいる。本作は、大胆なアクションが入る動的な感じというよりも、密かに悪事を重ねる人達の思惑を挫こうと奔走する様子の静的な感じと言えると思う。シリーズ各作品では、そういうように動的なモノも静的なモノも入り混じっていて、それらは各々に面白い。

物語は西新宿の高層ホテルの1階に在る珈琲ラウンジから起こる。

鮫島は盗品等を売買する故買屋の三森という男を見張っていた。ラウンジに現れて、何者かと話し合っていた。

鮫島の大学の同期に滝沢という男が在る。国税庁に査察官として勤めている。通常、国税庁の査察官は警察に表立って協力を要請しない。が、滝沢は非公式に鮫島に申し入れた。追っている事案に関与しているらしい三森の人物を特定したいというのだ。鮫島は三森を知っていた。そこで、決まった事務所を構えるのでもなく、ホテルの喫茶室のような場所に現れて用談をしているという三森を探し出して、滝沢と共に見張ったのだった。

やがて三森が去ると、滝沢は三森を静かに追って去った。三森と会っていた男がエレベーターに向かう。その男と言葉を交わす男が在った。鮫島と面識の在る浜倉という男だった。浜倉はコールガールの元締めであった。数人の女性を抱えて管理売春をしていることになる。暴力団等との繋がりは無く、独立的にそれを行うという男だった。

鮫島は浜倉と言葉を交わした。浜倉が言葉を交わした男が、鮫島が新宿署に来る前に退職した光塚という元刑事だと知った。更に、ホテルの上階に在る高級エステサロンの仕事をしているということも知った。そして浜倉の近況を聴けば、或る病院に苦情を申し入れようとしているという話しだった。浜倉の下で仕事をした女性が、内縁の夫との間に子が出来たことで仕事を退いていた。その女性が腹痛を起こし、近くの病院に駆け込んだところ、緊急手術と称して子を堕胎されてしまった。供養をしたいから遺体を引き渡すように申し入れても、処分したとの一点張りだった。浜倉は、それでは余りにも酷いと、苦情を申し入れるというのだった。そんな話しを聴いて、鮫島は浜倉と別れた。

やがて浜倉が死亡したという情報が入った。発見された遺体は、他殺か病死か判然としない状態であった。遺体を解剖すると、白血病や癌の患者に発生する場合が在る、血栓が方々に発生する状態だったという。浜倉はその種の症状を患っていた訳でもない。関係者に話しを聴こうにも、表に出し悪い仕事を手掛ける浜倉の関係者を見出すことは難航した。

こんな状態から起こった事案に、鮫島は関与して事案の謎を解こうとする。妙な横槍も入りながら奮戦し、恐るべきことが進行していて、関連して次々と人が死ぬ事態にもなってしまっていることを知るのである。秘密めいたモノを持つ高級エステサロンの女性経営者を核に進む事態に、鮫島は如何に向き合って行くのか?

という物語である。1993年頃に登場で、既に読了という方も多い作品であるとは思ったが、“ネタバレ”を避ける程度に内容を振り返っておいた。何か妖しい感じが立ち込める中で展開する物語だ。

この<新宿鮫>シリーズは、“山脈”のように、秀作が連なっていると思う。「今更…」かもしれないが、愉しんでいる。

『サーシャ、ウクライナの話を聞かせて』

↓美しい画と平易な文章から成る「大人の絵本」のような一冊だが、大変に好い内容で、広く読まれるべき一冊であると思った。

サーシャ、ウクライナの話を聞かせて



↑平易な文章で、文量が多いのでもないので、紐解き始めてから直ぐに読了に至ってしまった。

本書を読んでみて、題名がなかなかに秀逸だと思った。

例えば…“サーシャ”という人物と何処かで知り合い、語らう中で「ウクライナ出身」と判り、「ウクライナ?」ということになり、「サーシャ…ウクライナの話を聞かせて?」とでも問い、「故郷のウクライナは…」とサーシャが話してくれる内容が綴られているという感じだと思う。

本書は通訳・翻訳をこなすと同時に美術家でもあって、数々の企画に携わっているという日本の方と、ウクライナからドイツを経て米国に避難しているという女性の共作である。

本文はウクライナ女性のサーシャの言である。現在24歳だというが、結局「2回の革命に加えて戦争」という事を経験する羽目になってしまった。「そんな若さで?!」と、些か驚く。そういう話題は在るのだが、本書に綴られる内容は、とりあえず大学を卒業して、未来に向けて人生を拓こうとして、避難ということになった「普通の個人」が、伝え聞くウクライナ国内各地の様子、国民性や慣習や文化、人々が少し強く意識する歴史に関係する事柄等を判り易く語っているというものである。

何か特別な地位や立場に在るのでもなく、何かの運動や潮流に関与または傾倒しているのでもない、「本当に普通の、ウクライナに数多く居る20歳代前半の若者」による「普通な知識に基づく普通な想い」、少し言葉を換えてみると「バイアスが掛かっているのでもない人達の素朴な想い」或いは「サイレントマジョリティの声」が吐露されているように感じられる本書の内容には惹かれた。

ウクライナは様々な各々の伝統を有する各地方が集まったような美しい国だ。各地方を訪ねて休暇を過ごしたこと等を大切な想い出とする人達も多い。思うことを率直に語り合うことを好むような人達が多く、様々な分野で顕著な活躍をする人達も輩出し、より豊かな未来を目指す若き国の民であることに矜持を持っていた。それが現在は戦禍の中に在り、破壊の脅威や生命の危険に晒されている人達や、そういう人達を案じる人達が溢れるような哀しい状態になってしまっている。

少し「刺さった」部分が在る。戦禍を逃れようと欧州諸国へ出たウクライナの人達に対し、欧州諸国の人達は「理不尽な攻撃で危険な欧州の同胞を援ける」と手を差し伸べた。対して、「同じような起源を有する兄弟」と称するロシアはその「理不尽な攻撃」の当事者で、戦禍を避けてロシアに入った人達にも冷淡と見受けられるというのだ。

ウクライナでも学校で英語やドイツ語を学ぶ。英語やドイツ語を話せる人も、話せない人も在る。欧州諸国の人達とは言葉は通じ悪いが、援ける動きは在って、それに感謝するという人達が在る。ロシア語に関しては、ウクライナでは常用している人達も多く、ロシア語話者と自認していなくても話せて解せる人達も多い。ロシアではロシア語話者が圧倒的多数だ。故にウクライナの人達とロシアの人達との間で言葉は通じる。それでも解り合えていないかもしれない。そして「解らない」という度合いが、戦禍が続くに連れて拡がってしまっているかもしれない。

本書の叙述に関しては、「色々と窺い知る余地」が大きく、殆ど悉くが興味深かった。殊に、教育や言語の事情に関連する事項は興味深かった。

本書のサーシャは1998年生まれで、東部のドニプロ出身であるという。学校では1990年代からウクライナ語の学習が始まったが、ロシア語の学習も在り、同世代では両国語を自在に使う人達が多いという。他方、50歳代、50歳前というような彼女の両親は「ソ連時代の教育」で、自在に使うのはロシア語のみである。故に、サーシャは「友人同士でウクライナ語を話し、家庭等でロシア語を話す」という様子も在ったようだ。こういう中で、2014年以降の「ウクライナ語化」であった。実際、如何いうような按配なのか?

極々最近に至っても戦禍は長引く一方だ。少しでも早く平和が回復する事を願うばかりなのだが、本書のような「バイアスが掛かっているのでもない人達の素朴な想い」或いは「サイレントマジョリティの声」に触れてみることは重要だと思った。気軽に読める一冊で、画も凄く美しいので、多くの人達に本書を御薦めしたい。

『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』

↓大変に興味深く、素早く読了に至った。何か、本に関しては「大変に興味深く…」と綴る場合が多いような気がしている。が、「大変に興味深く…」であるからこそ、感想等を綴っておき、同時にそれを公開して多くの方に御薦めしてみたいとも思うというものだ。

今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる (講談社現代新書)




宮本常一(1907-1981)という人物は、民俗学研究を核に、様々な活動に携わった人物で、その書き綴ったモノも多く伝わっているという。申し訳ないが、この人物のことは知らなかった。本書を手にしたのは、この宮本常一の名が題名に在ったからではない。「歴史は庶民がつくる」という表現に惹かれて興味を覚えたからに他ならない。

「歴史」と言えば、誰かが書き綴った記録に依拠しながら過去の事象を考証する、解き明かすという話しになる。が、そういうモノは政治体制を設けた、支えた、換えたというような「体制側」の話しが大きな部分を占める。

こういうような「歴史」だが、それが語られている空間の中に流れた時間を生きていた筈の人達を考えてみると、政治体制を設けた、支えた、換えたというような人達は寧ろ極々限られた数であった筈で、空間と時間の中に在った、敢えて一括りの呼称を与えるなら「庶民」とでも呼ぶべき夥しい数の人達が在った筈だ。

その「庶民」とでも呼ぶべき夥しい数の人達が「如何に歩んだのか?」に着目し、考証し、解き明かそうというような事柄を端的に言うなら「歴史は庶民がつくる」ということになるのであろう。

この「庶民がつくる」という「歴史」を考証する手段として、宮本常一は「民俗学」という方法を用いた。

「民俗学」とでも聞けば「口承文芸」というようなことを思い出す。何処かの地域で、代々口伝で伝わっている物語のようなモノを聞書きするようなことをし、それを読み解いて「人々の心情」、「心情の移ろい」というようなことを考証する訳である。

宮本常一は「口承文芸」というようなこと以上に「モノ」と「使い方」と「暮らしの変化」というようなことに着眼し、それに関係する聞書きのような調査を重ねて考証した。

例えば、或る地域で良質で使い易い釣糸を製造する、または仕入れる術を得て、それが普及すると共に一本釣り漁法が発達するとする。そうなれば、やがて釣糸を方々に売るようになり、売りに行く場合には行った土地で釣糸を使う一本釣り漁法を指南する。そうなればより広い範囲で良質の鮮魚を得るようになる。やがて輸送手段が発展し、辺りの大きな街に鮮魚が出回る量が増えることになる。

こういう例のような、「或る道具」が契機で、活動の様子が少し変わり、それが拡がり、別な要素と組み合わさって人々の暮らしに変化がもたらされるということは多々在る。それが「庶民がつくる」という「歴史」という観方に他ならないと思う。

本書では、宮本常一の様々な仕事を取上げていて、何れも興味深い。が、釣糸の経過のことを挙げて説くような「庶民がつくる」という「歴史」という観方が殊更に面白いと思った。考えてみると、災害等は見受けられたものの、長く続く戦乱というような混乱を免れた江戸時代辺りには、本書で引かれた釣糸の挿話のような変化が、色々な分野で在って、少しずつ変容が重なり、明治期へと流れているように思う。農業や漁業、流通や取引に纏わる金融等、絡まり合って次第に変わる、換えるという中、無数の「庶民」が寧ろ「歴史」を「つくる」ということになったように思う。

本書は本当に示唆に富む一冊だと思う。「歴史は庶民がつくる」という観方を、歴史に触れる場合に持っていると、画期的な程に理解が深まるかもしれない。

本書には宮本常一が書き綴った様々なモノの中、代表的とされるモノ、見出し易い書籍となっているモノを巻末で幾分紹介している。その部分も好い。機会を見出して、宮本常一の書き綴ったモノも読んでみたいと思った。

今般、この一冊に出遭えたことは、大変に善かったと思っている。

『無間人形』

↓気に入ったシリーズの各作品をランダムに愉しんでいる。これも凄く愉しかった。

無間人形 新装版: 新宿鮫4 (光文社文庫)



↑「訳アリ」な鮫島警部が奔走し、事件の解決を目指すという<新宿鮫>シリーズである。近年の作品を読んでいないと手を着け始め、随分以前に読んでいた可能性も在る作品に辿り着いたが、一度読んでいたかもしれないにしても、記憶が曖昧になっているので、新たに出会うのと同様に愉しく読んだ。映像ソフトが少し入手し悪くなっているように見受けられるが、本作を原案とするテレビドラマが在ったことも憶えている。

<新宿鮫>シリーズは、主人公の鮫島の目線で綴られる部分と、作中の事件関係者等の目線で綴られる部分とが適宜交わりながら進むのが通例である。現在時点では「比較的初期の…」と呼び得る本作も、そういう方式が採られている。本作は、鮫島、交際しているロックバンドのボーカルの晶、地方の街にある彼女の嘗てのバンド仲間、バンド仲間の在る街で大変な影響力を有する地方財閥関係者と、「様々な人達の各々の物語」が作中の事件を交差点にして交じり合いながら展開する感である。

物語の冒頭は新宿の街中からである。

鮫島は不審な少年グループを見張っている。少年グループ側も周辺を警戒している様子が見受けられ、鮫島も慎重に様子を伺っている。違法薬物と見受けられるモノの密売をしたという様子が見受けられ、鮫島は彼らを捕えようと駆け寄る。格闘も交えて、鮫島は負傷もしたが、グループの1人を取り押さえる。逮捕した少年が所持していたモノの中から、錠剤が出て来た。10代の若者等の間で流行りつつある代物で「アイスキャンディー」という通称だった。この錠剤は、微量の覚醒剤成分を含む危険なモノであった。

鮫島はこの「アイスキャンディー」の事案に取組んでいたのだ。逮捕した少年が通称「アイスキャンディー」を売り捌くようなことをしていたことから、入手先を聴取し、その入手先の人物を監視し、何とか流通ルートを暴き出そうとしていたのだ。

鮫島は、少年が自白した、少年に通称「アイスキャンディー」を売ったという人物を監視し始めるが、麻薬取締官に出くわす。麻薬取締官達も、この「アイスキャンディー」の事案に取組んでいた。異なる捜査機関の思惑がぶつかり合うこととなって行く。

他方、或る地方から出て来た偽名を名乗っている男が在って、新宿を本拠地とする暴力団の幹部とやり取りをしている。密かに「アイスキャンディー」を流通させようとしているのだ。そして、当初は安価で流通量を増やそうとしていたものの流通量を絞り込み、値上げを図るような思惑と、随意に必要量を得て利益を増やす思惑とがぶつかり合って行くこととなる。そしてこの偽名を名乗っている男の複雑な背景が在る。

そして晶は、大きくヒットしているのでもないバンドのデビューアルバムのプロモーションも兼ねて地方公演に出るのだが、その途次に単独で或る街を訪ね、嘗てのバンド仲間と再会し、嘗ての仲間が携わるライブハウスを訪ねようとしていた。が、各々の道で各々が活動していることを言祝ぐような、古い仲間の愉しい再会で終始し悪くなるような予兆が立ち込めようとしていた。

こういうようなことから展開する物語は、「続き」が気になって、頁を繰る手が停められなくなってしまう。終盤側では凄惨な闘いというような場面、複雑な想いが交錯する場面が相次ぎながら、鮫島は奮戦し続け、事件は収束する。

シリーズの各作品、何れも甲乙点け難いのだが、本作は秀逸だ。

『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』

↓題名に強く惹かれ、入手して紐解き始めると、なかなかに愉しかった。出逢えて善かったと思える一冊だ。

「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史 (講談社現代新書)



↑研究成果や論考を、幅広い読者に向けて判り易く説くという、「新書」らしい感じの一冊だ。題名から受ける、少し厳めしい感じでもない。6つの章が在るが、各章での話題は何れも面白い。

第2次大戦の前後で「戦前」、「戦後」という言い方を広くしていると思う。両者は、何となく「別」であるかのように感じさせられているかもしれないようにも思う。「戦前」の範疇に産れた人達の人生が「戦後」にも続いている例は多く、「戦前」に定着したようなモノが「戦後」に在り続けている例も多いであろう。更に「戦後」の中だけでも、様々な変遷が在って、「そう言えば以前はもっと様子が異なった?」も多々在るのだと思う。漫然とそういうような問題意識も在ったので、本書で取上げている話題は何れも非常に興味深かった。

明治期以降、「中世」を「キャンセル」して、神武天皇に起源を有する古い時代の「神話」を半ば創出し、それに依拠した考え方を推し進めたと言える面が在るのだと本書は説く。そしてその「神話」の扱いを巡って様々な展開が在る。色々と言われるように、国家が様々な事柄を主導しようとした一面は在るが、「下からの」とでも呼ぶべき、民間から起こった動きが国家の中に採り入れられたというような事柄も在る。「国家が打ち出した物語」とでも呼ぶべき「神話」が時代を牽引していたような様子を「戦前」とすべきなのかもしれない。そういう柱で、幾つかの話題が展開しているのが本書であると思う。

「戦前」というモノは、強い批判という目線で取り沙汰される場合も在れば、大いに賞賛、称揚するという目線で取り沙汰される場合も在る。が、両者の何れにしても、少し考えてみると「本当は?」というような、考える余地が大いに残るかもしれないというのが、本書で論じられている数々の内容だ。言わば「大いに誤解されているのかもしれない“戦前”なるもの」というようなことが、一口で言う本書の主題かもしれない。

或いは、本書のようなテーマを考えてみるということが、「歴史を学ぶ」という上で有益であり、求められることなのかもしれない。非常に興味深い一冊なので、広く御薦めしたい。

『鮫島の貌』

↓10篇の短篇を収めている1冊である。各篇を順次愉しく読み、何時の間にか10篇を読了し、少し余韻に浸るような感じである。

鮫島の貌: 新宿鮫短編集 (光文社文庫)



↑各篇は、2006年から2011年というような時期に雑誌等の媒体に初登場していて、それらを集めたということになる。<新宿鮫>のシリーズに登場する鮫島警部に纏わる物語だ。

「鮫島警部に纏わる物語」だが、鮫島の目線で展開する篇の他方、シリーズ中で馴染の人物の目線で展開する篇や、鮫島と出くわす人物の目線で展開する篇も在る。多角的に鮫島という男の「貌(かお)」が伺えるような感になっている。

或る人物に関しては、当該人物自身が考えていることや行動することを描写するという描き方が在るのであろうが、他方に近くにある人物や、何かで偶々関わっている他人の目線で描写するという描き方も在る。多分、前者の方が一般的で判り易いのであろうが、後者の「或る人物を視る他人目線」は、小説を読む側と重なり易く、非常に面白いのかもしれない。本書に収録されている各篇に触れて少し強く思ったことでもある。

<新宿鮫>のシリーズでは、静かに鮫島を支える上司の桃井課長、職場での数少ない友人とも呼び得る存在である鑑識係の藪、鮫島と交際しているロックバンドのボーカリストである晶というような人達が各作品を通じて登場しているが、本書にも彼らが登場する篇が在る。それが面白いのだが、それ以上に面白かったのは、「偶々出くわした」というのか、それに近い形で鮫島と接した者達の目線で綴られた篇であった。更に、人気漫画の劇中人物をモデルにした作中人物が現れる篇も在り、本書は愉しい。

或いは、<新宿鮫>のシリーズに親しんだ読者が「番外編」として愉しむことも出来ようが、本書は「シリーズを知らない読者」にも「入門編」として楽しめる要素が大きいと思う。なかなかに愉しい1冊だった。

『Yahoo! ニュースが認めた細かすぎる公式コメントを さらに細かく深掘りしたロシア・ウクライナ戦争解説』

↓大変に興味深く拝読した1冊である。

Yahoo! ニュースが認めた細かすぎる公式コメントを さらに細かく深掘りしたロシア・ウクライナ戦争解説 (ワニブックスPLUS新書 379)



↑極個人的には「本の題が長過ぎて頭に入り悪い…」と思うのだが、要は「ロシア・ウクライナ戦争」を巡って著者が発信した各種コメントに補足したモノを纏めたという1冊である。見開き2ページで、発信したコメントと関係事項の補足のような内容が纏められたモノが111件収録されている。短い文章を折り重ねている構成なので、「少しの隙間の時間」にドンドン読み進められる感じである。

「ロシア・ウクライナ戦争」を巡っては、実に様々な事柄が伝えられている。戦禍が拡がってしまうに至った過去経過、最近或いは現在の戦禍の中での出来事、政治や経済、ウクライナの国内事情、ニュースに名前が出た人物達のこと、習俗や慣例のようなこと、“情報”を巡る検証的なこと等々である。これらに関して、専門家としてウクライナの事柄を研究し、彼の地の様々な人達と接して来た、同時に現在も向き合っている著者が、一部に個人的な想い出に纏わる事柄も交えながら「細かすぎる」という感じで綴っているのが本書だ。

やや勝手な命名だが「ポストソ連」とでもいうような、“ソ連”が「連邦構成共和国が12の独立国家へ」ということになってからの20年間程度の期間は、その少し前までの時期ということになろうが、何か「第2次大戦後の40年間程度の変化」のようなモノが「倍速の早回し」で進んだようにも見える。1980年代半ば以降に、それ以前の色々な事柄が更に加速して変化したように思えるが、それと半ば重なりながら、“ソ連”であった国々も更に加速的変化を経験しているのだと思う。“ソ連”が内包した不安定さが、一定程度は安定したというような一面も在るのだろうが、独立国家として行った過程の粗雑さのようなモノが、何やらの歪みやひび割れを順次表面化して行ってしまったのかもしれない。

こういう想いも背景に持って「ロシア・ウクライナ戦争」に関する話題に触れているのだが、本書ではそういう中で気になった事柄について「痒い所に手が届く」という程度に解説されている。ウクライナは“戦時”を何とかしようとしているのだが、同時に「国内の諸問題」ということで、所謂「汚職」というような深刻なモノも含めた課題への取組にも懸命である。

本書の中、「ロシア・ウクライナ戦争」の見通しについて「長期化?」という観方が多いことを取上げ、「これだけは予想が外れて欲しい」と在った。全く同感だ。多くの人達の生命を擦り減らすようなことは停められるべきであると思うと同時に、戦禍が続けば続く程に彼の地の破壊や荒廃が進んでしまい、ややこしい装備を使用するようなことになれば復旧、復興を妨げてしまう程度の損失まで発生しかねないとも観ているからだ。

「ロシア・ウクライナ戦争」に関しては、ハッキリ言って「余りにも色々なことが在る」というような感ではあるが、本書のような「小分量を話題を折り重ねたモノ」は、状況を少しなりとも知る上で非常に有益であると思う。

『風化水脈』

↓発表順を度外視し、ランダムに読んでいるシリーズ作品の中の一作である。読み始めると停められなくなるモノが在るシリーズだと思う。

風化水脈 新宿鮫8~新装版~ (光文社文庫)



↑新宿署に在る、少し「訳アリ」で、街のワルにはその姓にも引っ掛けて“新宿鮫”と綽名される鮫島警部が奮戦するというシリーズである。物語の大半は鮫島の目線で綴られるが、適宜作中の事件関係者等の目線に切り替わる箇所も交じる。二転三転しながら、鮫島が出逢った、関わった事案の顛末がテンポ好く描かれる。そういう雰囲気は本作でも健在だ。

好評を博しているシリーズが続く中、シリーズの過去作品の「続き」的な要素を巧く織り込むということも出来ると思う。“新宿鮫”のシリーズは、そういうことを巧くやっているシリーズだと思う。と言って、過去作を余り知らなくても、作中人物達が想い起す過去、来し方として内容が巧く処理されているので、過去作の事柄が初めて作品に触れる読者にとっての“敷居”には決してなっていない。その辺が、このシリーズが長く続いている一因であるようにも思う。

本作の物語冒頭の方は、鮫島が過去の事件で逮捕していて、少し長く服役し、出所して街に戻っているという人物と偶々出くわすというような辺りから起こっている。暴力団構成員の真壁という男は、中国人グループとの抗争で関係者を殺傷しており、自身でも重傷を負いながら新宿署に出頭し、鮫島に逮捕されたという経過が在った人物である。

真壁のその後も気になる鮫島ではあったが、捜査に勤しんでいる事案が在った。車輛の窃盗である。管轄内で高級車の盗難という届け出が相次いでいるのだが、通過車両のナンバー等の情報が記録される“Nシステム”に、盗難の旨が届け出られた車輛の情報も入らない。幹線道路等に設置された“Nシステム”の場所を避け、比較的近い場所に設けた場所に入って、車輛のナンバープレートを換えてしまう、場合によって色を塗り替えてしまうようなことをして、何処かの場所に移動して集積した上で、恐らく国外に盗んだ車輛を送り出してしまっているのだと鮫島は推測していた。更に、推測したようなことが行われるとすれば、様々な役割分担が生じると見受けられることから、大掛かりなグループが犯行に携わっていると鮫島は想いを巡らせた。

やがて鮫島は、推測した条件で犯行グループが使えそうなガレージや修理工場のような場所を、管轄内の目星をつけた辺りを丹念に動き回って調べていた。そういう中、西新宿の駐車場で管理人をしている大江という老人と知り合う。大江が居る駐車場の傍には数十年前に建てられたと見受けられる、空家である期間が相当に長いと見受けられる家屋が在る。その家屋の脇に、少し新しい大きなガレージが建っている。何やら不思議な様子だ。

こうして鮫島が事件の謎に挑む中、犯行に携わる者達と真壁の因縁という話しが在り、更に新宿の街の過去、遠い過去の出来事等が交錯しながら物語は展開する。また真壁と相思相愛のホステスが、偶々出くわして少し親しく語らう客の男というのも興味深い。

本作は1999年に新聞連載で初登場し、2000年に単行本化、その後文庫化されている。考えてみると20年以上も経つ。が、全然「古さ」を感じない。変貌を遂げ続ける巨大な街で、ブレずに活動を続けようとしている主人公が、最新の事件と遠い過去の事件が交差する地点に入り込み、そこでの様々な事柄の顛末という様子になっている物語だ。かなり面白い!

『マンモスの抜け殻』

↓最近、何作品か読んだ作者の作品で、少し気になって入手した。紐解き始めてみれば、何か夢中になって、素早く読了に至った。

マンモスの抜け殻



↑題名は物語の冒頭寄りの様子から採られている。作中、「マンモス団地」と呼ばれていた集合住宅の集まった団地で事件が発生し、その団地で育ったというベテラン捜査員が最初に現場を訪ねた時に呟いた表現だ。高齢化が酷く進んで閑散とした様子の団地を視て、様子を「抜け殻」と評する訳だ。

この「抜け殻」のようになった場所で何が起こったのか、主要人物達の人生と共に描かれるのが本作の物語である。作中世界の“現場”は新宿区内の古い団地をモデルとしているが、架空の地名としている。が、作中の新宿区内の地名、その他の都内の地名は実在するモノが使われている。極々個人的なことだが、自身は新宿区内に在った経過が在り、その当時に少し馴染んでいたような地名が頻出する関係で、何か酷く手近で起こっている実際の出来事の物語を読んでいるかのように入り込んで夢中になった面が在る。

冒頭にプロローグが在る。1980年の夏の或る日、大きな団地での様子が描かれる。子ども達が遊んでいて、親が帰って来て声を掛けてというような、往年の団地の賑やかな様子が在る。その中に勝也、尚人、環という2人の少年と1人の少女が出て来る。

本編に入ると、プロローグの3人の子ども達が長じた姿が現れる。1980年の夏の或る日から40年程を経ている。

仲村勝也は警察官だ。警視庁の捜査一課の捜査員である。妻と高校生の娘が在り、父が他界した後に団地から近所に引越して来た高齢の母も在る。

松島環は投資会社を営んでいた。外資系の会社を経て独立し、新規に起業をする会社への出資等を手掛け、国外の投資家ともやり取りが在り、なかなかに成功している。

石井尚人は高齢者施設に勤めていた。施設入居者の食事を用意する等、施設内で色々な仕事をし、デイサービス利用者の送迎を行う等していた。

この3人は、或る事件を契機に暫く振りに再会―5年程以前、仲村勝也の父が他界した際の葬儀に、松島環と石井尚人が顔を出している…―し、事件と向き合って行くことになる。

その事件というのは、3人が育った団地で藤原光輝という男が殺害されたという事案だった。団地の高層部分、建物の12階に在るバルコニー状の通路から地上へ突き落されたと見受けられる状況であった。そしてこの藤原光輝という男は古くから団地に縁が深い男で、3人も子どもの頃から見知った人物である。

捜査一課長は仲村が事件現場の団地で育っていて土地勘が在ることを勘案し、牛込署に設置された特捜本部に参加するように命じる。仲村は牛込署の関刑事とコンビを組んで、事件関係者の人間関係等を調べる「鑑取り」に参画して行くことになった。

藤原光輝が最後に会った可能性が在る人物を探ろうとすれば、そこに松島環が浮上した。事件現場に近い喫茶店で会っていて、話し合いが口論のようになっていたことが判ったのだ。仲村は松島から事情を聴く。何を話し合っていたのかは、投資案件に纏わる守秘義務が在るので話せないの一点張りだった。が、仲村は松島が藤原の事件に関係していないと感じる。

というようなことから展開して行くのだが、話は意外な方向に展開して行く。目が離せない物語となる。

本作は「同じ団地で子ども時代を過ごした3人」が各々の人生を経て、また邂逅し、過去の深い傷を乗り越えて「時代の課題」に向き合うことになるという物語であるように思った。同時に「時代の課題」の際たるものである「高齢化と介護」という事案を巡る問題提起も含まれている。

他方で、刑事の仲村勝也が何か惹かれる。機動捜査班を経験していて様々なノウハウを持っているベテラン捜査員としてブレることなく捜査に邁進し、上司である“若様”ことキャリアの管理官に食って掛かることも厭わない硬骨漢である。他方、負傷で不自由になってしまったことを契機に認知症の症状が散見するようになった80歳代に入った母を案じ、その世話を主婦の妻に任せざるを得ない状況を少し心苦しく思い、同時に娘を見守る優しい父親である。また、捜査で出くわした旧友に、友人としての想いを奥に、寧ろ職業刑事として真摯に接している。

こういう仲村刑事が向き合う事案の物語は広く御薦めしたい。

更に言えば、「大都市圏で70年代に開かれ、80年代頃に酷く賑やかな団地が、何十年かで著しく高齢化して人口も減り、閑散とした地域に色々と課題が在る」という様子は、個人的にも「非常に身近な話し」でもある。正しく「時代の課題」ということで、それを真正面に捉えた作品だった。

『蟻の棲み家』

↓愉しく読んでいた作品が「シリーズ」であると知れば、該当作品を読んでみたくなる。そういう切っ掛けで手にした一冊だが、出逢えて善かった。

蟻の棲み家 (新潮文庫)



↑本作は雑誌記者、ライターの木部美智子が“探偵”ということになって展開する事件モノである。

本編は主要視点人物である木部美智子の目線で展開する部分に、事件関係者が視点人物となる箇所が織り交ざるような形で展開している。事件の舞台となっているのが、木部美智子が普段の活動をしている東京である。故に、木部美智子の日頃の人脈の中で情報を集める、関係者間で協力をするというような具合に展開する。

プロローグが据えられ、本編へ流れて行くという造りは、読了済のシリーズ作品である『殺人者』に少し似ている。

プロローグでは吉沢末男という男の歩みが語られる。

吉沢末男は、売春のようなことをしていた若い母親の下に産れていた。父親はよく判らない。貧しい状況で、母親の周辺には暴力を振るう場合も在る男たちが出入りしている。そうしている中で7歳の頃に妹が産れた。自身も育児放棄のような状況下に在ったが、妹も同様で、彼は何とか妹を護って育てようと懸命である。学んで働いてというように出来るようになりたいと、妹にもそう在って欲しいと懸命だが、色々な事に巻き込まれ、止むに已まれずに非行にも至ってしまう。そして非行歴は重なりながらも、何とか自力で高校に進んで卒業する。が、その後も非行歴等による偏見で、思うようには過ごせていない。行き掛りで多額の借金も負うようなことにもなってしまっている。

こういうキーパーソンのプロフィールのようなモノが示され、本編に入って行く。

暑い夏に入っている中、他殺体と見受けられる遺体の発見が相次いだ。男性が1名、女性が2名である。女性に関しては相対的に早く身元が判明した。が、2人の女性は何れも拳銃弾を1発撃ち込まれて殺害されていた。「連続銃殺」という恐るべき事態である。

ライターの木部美智子は、この2人の女性の「連続銃殺」に関して、その他の様々な事案と並行して取材に取組むことになった。判明した身元から周辺の人々等を色々と探る中、幾つかの奇妙な事案が視えて来る。「連続銃殺」の被害者の周囲に在った人達、身元がなかなか判明しなかった遺体となってしまった男性等、事件関係者の複雑で濃密な関係が徐々に紐解かれる。

恵まれない境涯から抜けようという意欲が在っても、貧困や暴力や犯罪の連鎖から抜け出せないような状況が在る。他方に、大変に恵まれた境涯からの転落と、そういう様子を隠し通したい意図が在る。何か意味合いが異なる「暗部」が複雑に交錯する世界である。

『蟻の棲み家』という題名ではあるが、昆虫の蟻が出て来るのではなく、比喩的に用いられている題名だ。地表に蟻が出て来る場所は限られた部分に過ぎず、地下に複雑にトンネルが拡がり、地表で見受けられる蟻の何倍もの蟻が地下に在るのだ。本作は、正しくそういう様相を想起させる。

何か「格差」というようなモノが定着してしまい、恵まれない境涯に在れば簡単に抜け出せないという情況が在るが、他方で転落は存外に容易かもしれないという様子が酷くリアルに描かれていると思った。作中、ライターの木部美智子は、培われた「人間観察の眼」と、丹念に聴き取った話しで「事の真相」に迫って行く。そんな中で「“蟻”?」という問題意識に行き当たる訳だ。

2018年頃に登場した作品と聞く。「こういう時代」ということか?何か深く考えた…

『殺人者』

↓読み始めると「続き」が酷く気になってしまう。少しずつ読み進めて、素早く読了に至った。

殺人者 (新潮文庫)



↑作中世界は2000年を舞台にしている。「少し前」だが、それは余り気にならない感じだ。2000年代初めに発表された作品であるようだ。

本作は、作中世界で起こった事件の真相に挑むという内容である。事件関係者の目線にある部分も在るのだが、主要視点人物は雑誌に寄稿するライターの木部美智子である。(作中で「美智子は」、「木部君」、「木部さん」と幾つかの呼称が登場するのでフルネームを記しておいた。)

警察のような機関の捜査員とは少し違う立場で、話題になった事件の判らないことを明らかにしようと様々な角度で探る記者という仕事を、或る程度リアルに描き出すような中、作中の少し不可解な事件の謎が明かされるのだ。或る意味で記者の木場美智子が「“探偵”役」ということになるのかもしれない。

プロローグでは原田光男という男が登場する。普通に幸せに暮らしていると言い得る状況の男だ。高校生の頃は、所謂“不良”で、仲間とつるんで悪さもした。そういう中、一つ深刻な事案が在ったが、それとは離れて久しい。そんな原田光男にに危難が降り掛かった。

そして本編である。

木部美智子は、雑誌記事とは違う小説でも綴ろうかと旅館に籠ってみたのだったが、思うように執筆は捗らず、元の仕事に戻ろうと雑誌の編集部に足を運んだ。編集部で待っていたのは、話題になっている事件の取材という話しだった。

大阪のホテルで殺害されたと見受けられる男性が相次いで発見されていた。2人の犠牲者が生じているのだが、何れも猟奇殺人とでも呼び得るような惨い状態の遺体となっていたのだという。2人の犠牲者は大阪の住民ではなかったが共通の事項が在った。神戸の郊外の地区の出だったのだ。そしてその地区は、木部美智子が逗留した旅館が在る場所でもあった。

木部美智子は、思うように執筆が捗らなかった旅館を再び訪ねて逗留する。そして大阪で発生した2件の殺人を巡る事柄の取材を始める。同業者と情報交換をし、伝手で地元地方紙関係者と接触して協力しながら、被害者の背景や大阪での捜査の進捗などを探る。様々な人物の色々なことが浮かび上がって行く。

残忍な犯行が繰り返されたのだが、事件は未だ終わっていなかった。「どんでん返し」な展開が続き、木部美智子は勝手知っているでもない神戸や大阪で、苦心しながら丹念に事件の真相を追うのである。次々と犯行に及んだ者は何者で、その行いの背後には何が在ったのか?

或いは?「2時間ドラマ」に在りそうな内容かもしれないと思った面は在るが、何か夢中になって離れ難くなった物語だった。或る犯罪で損なわれたモノは、取り返すことが出来ない場合が在る。その当事者は何を如何思うのか?そんなことを想いながら作中世界に入り込む感じで頁を繰り続けた。御薦めだ!

『ロシアの眼から見た日本: 国防の条件を問いなおす』

↓出先の書店で見掛け、題名に惹かれた。そして登場して日が浅い一冊であることを知った。そして紐解き、大変に興味深く読了に至った。

ロシアの眼から見た日本: 国防の条件を問いなおす (NHK出版新書 699)



↑本書の本文や「おわりに」という部分から、著者は2023年4月時点迄、本書に手を入れていたと察せられる。と言って、本書は「最新情勢」を説こうということでもない一冊だと思う。「最新情勢」も念頭に置きながらも、「積み重ねられた観方」、「(観方から)導き得る可能性」や「向き合うべき課題のような何か」を説こうとしているのだと思う。

日本国内で「ロシア」とでも言えば、色々なイメージが在るのだと思う。逆にロシア国内で「日本」とでも言えば、色々なイメージが在るであろう。更に「ロシアの〇〇」、「日本の〇〇」と踏み込めば話しは拡がり、深まる筈であるが、結局両者の互いに対するイメージがぶつかり合う、擦違う、そういうことから何かが生じる、または生じないという中で、日ロ間の関係というモノが経過しているのである。

本書は「ロシアの〇〇」、「日本の○○」の“〇〇”に「(広義の)外交」、または「国際政治」を入れていると思う。

「(広義の)」と敢えてしてみたのは「防衛」や「軍事行動」に踏み込んでいるからである。更に「または」として、「外交」と「少し被る?」という感も否めない「国際政治」としたのは、「両当事者」という感の2国間関係だけが決定的とはなり得ないという情況、多国間関係の中で色々な思惑が折り重なって動く情況というモノを、歴史を踏まえながら説いているからである。

ロシア国内で「日本の(広義の)外交」または「日本の国際政治」とでも言えば、当然ながら様々な観方が在ろうが、それらの中に公約数的な観方とでも呼ぶべき何かが在る筈だ。それが本書の題名になっている「ロシアの眼から見た日本」に他ならない。それを説きながら、その公約数的な観方を踏まえて、日ロ間の関係の経過を詳細に振り返り、現今のウクライナ情勢や「在り得るかもしれない日本の課題」を大局的に論じているのが本書であると思う。

上述の中に在るが、本書に綴られた詳細に振り返る日ロ関係の経過は、なかなかに秀逸だ。「日ロ関係の歴史」というような話しにでもなれば、本書の該当部分を一読すると好いと思った。幕末頃からの所謂“近代”の日ロ関係は、潜在的な敵対またはそれに準じた相互関係が明確な敵対に転じ、やがて互恵的連携を模索するようになるが、また敵対し、第2次大戦を経た多国間関係の中での両当事者としての関係性の構築、互いの認識が在るということが纏められているのだ。

現今のウクライナ情勢は、ウクライナとロシアとが両当事者であるが、実は最初から2国間の何事かに留まらない、多国間関係の中で色々な思惑が折り重なって動く情況という様相を呈している。本書ではそういうことがかなり判り易く整理されていると思った。更に翻って「日本が位置する極東の近未来?」ということ、「何を如何考え、如何して行くのか?」を考える材料を供してくれているように思う。

著者は「外交」を現場で知り得る、外務省勤務経験者で、日ロ関係を担当して様々な現場を知っている。そうしたことから幅広い理論と、様々な意味合いでの現場経験を織り交ぜて、本書を纏めることが叶ったのだと思う。

現今のウクライナ情勢に関しては、個人的には生命を擦り減らすような振舞いが少しでも早く停まることを祈るばかりであるが、情勢を「考える材料」は幅広く求め、それらに積極的に触れ、静観しながら考えたいと思っている。本書は、そういう自身には不可欠な内容を示唆して頂ける1冊だった。他の方にも広く御薦めしたいと思う。

『血の雫』

↓これは凄く面白かった!夢中になって素早く読了した。

血の雫 (幻冬舎文庫)



↑怪事件に挑む捜査員達、現代社会の問題、その現代社会の中で生きる人達の問題、そういうようなモノが交錯し、所謂「ミステリー」の枠を踏み出した、独自な大きな存在感を放つ小説かもしれないと思った。

冒頭、何人かの男女の日頃の様子を綴ったプロローグが在る。そして本編に入って行く。

本編冒頭、警視庁捜査一課の捜査員である田伏刑事が特捜本部の会議に出ている。中野坂上で25歳の女性が刺殺された事件の捜査会議である。事件発生から数日、捜査の進捗が芳しくない。捜査会議に捜査一課長の上田が現れ、捜査員達を督励する。その上田が田伏に声を掛けるのだが、田伏の事情が示唆される。事情で田伏は現場を少し離れていて、今般の一件で本格的な復帰ということになっていたのだった。

そうした中で田伏は所轄の若手、若宮刑事と捜査に勤しむ。女性の関係者に丹念に当たる“鑑取り”に勤しむ。簡単に事件に結び付くような情報はなかなか得られずに苦戦している。そこに若い捜査員の長峰刑事が連れて来られ、上田課長は田伏刑事に長峰刑事と組んで活動するように指示する。長峰刑事はIT業界から警察に転職してサイバー捜査の担当だったのだが、今般は現場に入るということになったのだった。

やがて高円寺で、45歳の男性が刺殺体が発見された。杉並区の警察署にも特捜本部が立ち上げられた。やがて視察に用いられた今日気が同じモノであるらしいということになり、2つの特捜本部が連携することになった。田伏と長峰のコンビは、両本部の中で遊軍となって動くことになった。

25歳の女性はモデル等をしていて、45歳の男性はタクシー運転手で、両者の関係性が判らない中で、同一犯による連続と見受けられる犯行である。事件の謎が深まる。やがてインターネットを駆使した犯行声明が出て、事件は劇場型犯罪の様相を呈し、更に被害者が生じてしまう。

現場を離れる羽目になった大きな“傷”を負ってしまった、40歳代半ばの田伏刑事と、警察官の世界とは違う背景で過ごして転職した若い長峰刑事というコンビが、事件の謎、犯人の意図を探ろうと奮戦する。「訳アリ」な故に特捜本部内でやや敬遠されるような空気感の田伏刑事と、他の捜査員とぶつかりそうになる独特な長峰刑事とは「水と油」のような感じで、戸惑いながら動き始める。が、次第に職人的な刑事の仕事を教えるようにして推理を巡らせる田伏刑事と、持っている知識を活かして独自の発想で事件の真相に近付こうとする長峰刑事は好いコンビニなって行く。

田伏・長峰コンビは残忍な殺人を続ける犯人の、犯行の背後に在る悲しみや怒りを次第に明らかにして行く。田伏も過去の「訳アリ」な一件を何とか乗り越えようとし、長峰も新たな仕事や出逢いの中で自身に向き合う。何か夢中になった。或いは?この田伏・長峰コンビが新たな事件に挑むような作品でも登場すれば読んでみたい。

『幕府海軍―ペリー来航から五稜郭まで』

↓「幕府海軍」なる本書の題名を眼に留め、凄く強く惹かれた。「読みたい!」また「読まねばならない!」と強く思い、読了して大いに満足している。

幕府海軍-ペリー来航から五稜郭まで (中公新書 2750)



↑なかなかに興味深い一冊なので、是非とも御紹介して広く御薦めしたいと思った。

色々と織り交じった経過で、幕末期の色々なことに関心を持っている。幕末期の出来事や人物等を取上げた種々の本をこれまでにも色々と読了している。

幕末期は、新たな技術や知識、そしてそれらに依拠する新しい概念を持ち込む、創出するというようなことを試みた人達が多く見受けられる時期だ。その「(当時として)新しい」の中、際立っているのは「海事関係」なのではないだろうか?

現代に通じるような国交の概念の下、外国との間を船で往来するようなことが試み始められ、それまでに扱ったことが無かったような船で、外洋を帆走する、更に蒸気機関を搭載した船を動かすということになって行った幕末期だ。「海事関係」では、新しい規則や慣行を知りながら、新たな機械を駆使し、そういうモノの維持管理や修繕、更に製造迄する術を身に着けなければならなかった筈である。「海事」には「海軍」も当然含まれると思う。民間でも軍でも「海事」としては、とりあえず船の運航に関するあらゆる事柄が在ろうが、「海軍」ともなれば「作戦運用の能力」、「戦闘」という要素が加わる。そういうことを思うと「担い手=将兵」の「教育・訓練」や「処遇」というようなこと迄も色々と考慮しなければならない筈だ。

本書は、ペリーが来航したような頃から五稜郭の戦い迄の「極限られた期間」に活動した「幕府海軍」とでも呼ぶべきモノに関して、上述したような幅広い問題が、何かの研究成果として煩雑なモノになることを巧みに避け、「一般に広く話題を提供する本」として判り易く網羅されている。

本書で語られるのは、その時代以前の人が知らなかった“新技術”である欧米式の航海術や蒸気機関等の事を学ぼうとしたということから、創設された海軍の運用ノウハウが育っていく経過、海軍の担い手の処遇に関わるようなこと、そして幕府の艦船が登場した主な戦いの経過等である。そして「幕府海軍」が明治期以降に「遺したモノ」を取上げる。

本書が非常に面白いのは、日本では「幕府海軍」というような頃に現れた「“海軍”という存在」が、現在の社会や世界の中で持つ意味、世界各国の海軍関係者の研修・研鑽の場で論じられているような事柄への導入となるような話題迄提起されている。

或いは「非常に新書らしい」という本書を、“あとがき”によれば様々な経緯で時間が掛かりながら執筆されたという労作だ。本書の著者は、防衛大学校の教員として歴史研究をされているのだが、海上自衛隊の佐官でもあり、近年も幕僚として各種の連絡調整任務に就いた経過も在る方だという。

実は、幕末期の幕府の艦船が動き廻るような物語を色々と読んでいて、江差町を訪ねてかの<開陽丸>を再現した資料館を見学したことが在る。そういうことも手伝って、本書の戦いに関する叙述ではあの<開陽丸>で見学した様々なモノを思い出しながら夢中で読んだ。その江差町訪問も2012年の話しで、随分と時間は経ったのだが。

本書に関しては本当に興味深く、この一冊を送り出して下さった著者や出版関係の皆様に感謝したい。そして、この一冊に偶々出会えたことに感謝したい。

※参考(拙作写真・記事)
>>写真:江差町で観た再現された<開陽丸>(2012年7月)
記事:江差・<開陽丸>(2012.07.13)

『氷舞』

↓最近、ランダムに読んでいる<新宿鮫>シリーズの一冊だ。愉しく読了に至った。

氷舞 新装版: 新宿鮫6 (光文社文庫)



↑題名は「薄い氷の上で動き回っているような、何かの弾みで冷たい水に落ちてしまうかもしれない様子」ということで出て来た表現なのだと思う。「訳アリ」で独特な動きを見せる鮫島刑事が、何時の間にか危険と隣り合わせになるような中で、事件の解決に向けて奔走する物語だ。例によって、大半の部分の視点人物は鮫島刑事である他方、適宜他の人物が視点人物に切り替わる部分も在り、何となく「映像作品に触れるような感覚」も湧く、巧みに素早く場面が切り替わるような感じでの展開だ。

本作は、少し意表を突くような感じで物語が起こる。鮫島刑事が演劇鑑賞をしている…そしてそこから「張り込み現場」での夜間の活動に向かうのだ。

鮫島刑事が、協力を得て利用しているコンビニの2階から張り込んでいたマンションの部屋には日系コロンビア人と称する人物が夜ごと出入している。盗難に遭ったクレジットカードを不正に使うという事件が相次いでいて、その件への関与が疑われている。他方、渋谷で活動する暴力団の構成員が訪ねていたということも在り、事件の拡がりも懸念される様子だった。

そういう活動に勤しむ鮫島刑事は連絡を受けた。西新宿のホテルの部屋で、外国人男性が殺害されたと見受けられる状態で発見されたのだという。そして室内にコカインを隠し持っていた痕跡が認められたという。鮫島刑事は現場へ駆け付ける。

鮫島刑事が現場へ駆け付けてみれば、公安の捜査員達が現れ、新宿署の刑事課、そしてコカインが在るらしいとして呼ばれた生活安全課は締め出されてしまった。聞けば、殺害された外国人男性は引退したCIA関係者であったというのだ。ホテルの部屋に事務所兼用のような形で長期滞在していたのだという。現場のホテルでは、深夜のことで人の出入りが少な目な中、外国人と見受けられる女性が出入りした様子が従業員に目撃されていた。

事件の闇が深まる中、日系コロンビア人の事案や、引退したCIA関係者のコカインの事案について鮫島刑事は知ろうと独自に活動をする。そして現れる、過去の事件で出くわしている正体不明な男や、CIA関係者の事案で蠢いているらしい思い掛けない大物や、その意を汲んで暗躍する人物が在る。

そんな他方、鮫島刑事は活動を通じて出くわした或る女性に惹かれる。そしてその女性の秘密に近付いて行くことにもなる。

古い出来事が引鉄となって、事案が静かに展開し、その謎に迫って行くという鮫島刑事だが、何時の間にか危険と隣り合わせになるような中での奮戦振りには夢中になった。

『絆回廊』

↓「酷く目立つ分厚い文庫本…」に変に惹かれて紐解いた『暗躍領域』の前に出ている<新宿鮫>シリーズの作品が本作だ。『暗躍領域』の中で、鮫島刑事が「少し前の出来事を想い起して…」という風に触れられる出来事が、“進行形”で起こっているのが本作の物語である。

絆回廊 新宿鮫10~新装版~ (光文社文庫)



↑何やら、発表された順番を度外視して、シリーズ作品をランダムに読み漁るような体裁になってしまっている。が、頭の中で、何年か前のこと、数日前のこと、当日のことと時間軸が乱れ飛びながら色々と思い出すというように、記憶している事柄の時間軸が何時も整っているのでもない面は在ると思う。それ故に、シリーズ作品をランダムに読み漁るような体裁も悪くないと思う。他作家による別シリーズだが、そういうことは過去にも色々とやって来た経過が在る…

<新宿鮫>シリーズは「訳アリ」な新宿署の鮫島刑事が活躍する。キャリアとして警察官になった鮫島だが、色々な経緯で警部の階級に留め置かれたままで、新宿署の現場に在るという人物で、部内的には「近付かない方が…」という扱いで敬遠されているので、刑事の定石を外れて単独で活動する場合が多い。逮捕することを「噛む」と隠語で表現する場合が在り、その「噛む」ことに関して遠慮が無く、執念深く被疑者を追うことから、姓に引っ掛けて<新宿鮫>と綽名される鮫島刑事である。こういう彼だが、理解者で協力も支援も惜しまない上司の桃井課長、「アイツは銃のオタク」と言っている好き仲間の鑑識係の藪という警察部内の数少ない人達、そして交際を続けているロックバンドのボーカリストである晶(しょう)という、近しく大切な人達も在る。そういう中、鮫島刑事はシリーズ各作品で様々な事案に臨んで行くことになる。敵役ということになる犯罪事件関係者等に関しても、シリーズの複数作品に跨って登場している例が存外に在るかもしれない。

<新宿鮫>シリーズは、本稿を綴っている2023年5月時点で12作の長篇が発表されている。それらの中の11冊が文庫本化されている。既読の『暗躍領域』は11番目で、本作『絆回廊』が10番目ということになる。

シリーズ各作品に共通すると思うが、大半の部分で、視点人物は鮫島刑事である他方、適宜他の人物が視点人物に切り替わる部分も在る。<新宿鮫>シリーズの作品を原案にした映像作品(映画やテレビドラマ)も在るのだが、本作を読んでいても、何となく「映像作品に触れるような感覚」も在る。テンポが好く、映像作品のように巧みに素早く場面が切り替わるような感じがした。こういう感じも好きだが、本作もそこは変わらない。

何か前置きめいた話題が長くなってしまった…

冒頭部に、20年を超えるような長期間に亘って不在をしていた人物が戻って来るということに関する、或る人物の独白のような短い節が在る。本作の鍵になる人物達のことが示唆されている。

そういう辺りから鮫島刑事の新宿での日々というような展開に入って行く。違法薬物の密売を、長い間に亘って巧みに続けている、他方で証拠が無いので逮捕に至らないという、顔馴染の「街の売人」に出くわして言葉を交わした鮫島刑事は、「ネタが在る」と言う男の話しに耳を傾けた。

男は、出くわした男に拳銃を売ってくれというような話しをされて当惑したのだという。出くわしたのは少し目立つ程度に大柄な男で、やや年配と見受けられた。その大男は、拳銃を入手して恨みが在る警官を撃つというように息巻いたという。その時の話しの中で、一昔も前に解散した暴力団の組の名を口にしていたことから、「長い間、刑務所に在って、出所して日が浅い?」と推定されるということになった。

警官を撃ち殺すと息巻き、拳銃の入手を図ろうとしていて、本気であるように見える者が在るというのも物騒な話しである。鮫島刑事は男と話し合い、情報を集めながら警戒するということにしたのだった。

他方、鮫島刑事の個人的な事柄でも動きが生じた。交際を続けている晶がリーダー格であるバンドのメンバーがその交際相手の事案を契機に薬物事案で逮捕され、晶自身を含むメンバーが捜査対象になってしまった。晶は悩んで鮫島刑事に相談する。

問題の「警官を撃ち殺すと息巻き、拳銃の入手を図ろうとしている」という“大男”の影を追う中、鮫島刑事は“大男”が口にしたという、一昔も前に解散した暴力団の組に関係が在った者等を探るのだが、何やら死人が発生する事件が相次ぐ。そして正体が判り悪い、犯罪や暴力を厭わない集団の影に行き当たる。

“大男”の正体、犯罪や暴力を厭わない集団の実体と、鮫島刑事は桃井課長のバックアップを受けながら奔走して探り出す。その事案の行方、そして晶の問題の行方と、最終盤まで目が離せない。

長くシリーズを読み継いで来たファンが衝撃を受けるような結末かもしれない。他方、いきなり本作に触れたにしても、ハミダシ者な主人公にとっての、年長の好き仲間であると同時に上司の桃井との共闘振りは熱く、意外に過ぎる組合せである互いの立場を超えて、人対人として絆を保ち続けた晶との情愛の行方も心揺さぶられる。

シリーズ各作品を愉しんだ後に愉しむべき作品かもしれないが、最初からこの作品でも酷く熱い…御薦め!!

『狼花』

↓少し前の作品ながら、偶々出くわして気に入ったシリーズの作品で、愉しみながら素早く読了に至った。

狼花 新宿鮫9~新装版~ (光文社文庫)



↑少しばかり「訳アリ」な新宿署の鮫島刑事が活躍する<新宿鮫>のシリーズだ。

鮫島刑事は取り調べを担当することになった容疑者がナイジェリア人であったことから、それまで知らなかったナイジェリアに想いを巡らせているというような辺りから物語は起こる。

公園で外国人男性が言い争っていて、喧嘩沙汰になっているというような通報で警察官が駆け付けた。一方が刃物を振るい、他方が腕に負傷して、持っていたバッグを奪われたということだった。負傷してしまった男を救援しようとすれば、その男は大麻樹脂を持っていた。そして逮捕ということになった。負傷した腕を吊った状態で、鮫島刑事と取調室で向き合っている男である。

鮫島刑事は、逮捕された男が奪われてしまったバッグの中身が大麻樹脂に違いないと観ていた。そうした違法なモノも含め、奪ったモノ、盗んだモノを取引する“泥棒市場”というような場が在る筈だと考えられた。鮫島刑事は情報収集を始めた。

新宿では、様々なモノを買取る業者が一部に話題になっていた。ブランド品等を鑑定して値付けをする女性が在って、活動をしているのだという。その女性の背後には、鮫島刑事とは過去の事件で関りが在った「仙田」等の偽名を名乗る正体不明な男、更に関西の大きな暴力団の関係者と見受けられる人物等の影が在ることが次第に明らかになる。

その他方、警察の改組で登場した組織犯罪対策部に、鮫島刑事の同期である香田が理事官として異動したという。暴力団事案、外国人犯罪事案等を担当する組織犯罪対策部は、香田が勤め続けた公安部とは少し色合いは違う。敢えて異動をした香田が目指すモノは何なのか?香田理事官の思惑と、鮫島刑事の動きとが交差する。

犯罪者を追う側である鮫島と香田、追われる側である正体が簡単に明らかにならない女とその背後の「仙田」や暴力団幹部と、各々の陣営で「思惑の交錯」が積み重なり、事態が二転三転しながら進む。全く目が離せなくなり、頁を繰る手が停められない。

『レッドネック』

↓休日の昼前に入手し、紐解き始めると頁を繰る手が停まらなくなり、夜遅くまでに素早く読了に至った。

レッドネック (ハルキ文庫 あ 32-3)



↑明確に「XX年」という年号は無いが、初出の時期の様子を反映していると思われる描写が多いので、現代の日本を舞台とした小説ということになると思う。そして描き出される「虚構」が何か妙に迫る感じだ。

題名にもなっている“レッドネック”という語に関しては聞いたことは在った。米国の俗語で、何時の頃からか「Fで始まる4文字」のように、公の場では余り使わないという語句になっているらしいが、相対的に貧しく、社会的地位等が簡単に上昇するのでもない層の白人を示すという語だ。屋外での労働に従事して、首のあたりが真っ赤に日焼けしているという様子が“レッドネック”という語の起こりであるそうだ。古くから在る表現でもある。

この“レッドネック”という、日本国内では「余り耳慣れない」というような表現が、本作の作中世界では「密かに進められている或る計画」のコードネームとして登場している。故に題名に冠せられているのだ。

冒頭、本作の中心視点人物となる矢吹瑩子が交際中の男性と旅行に出る準備をしている最中、実施された都知事選挙で女性候補が圧倒的な得票で勝利した旨が伝えられている。

そこから数年経ち、都知事選挙に関しても話題に上る場合が在るような時期が巡って来る。そういう辺りから物語の本編が動く。

矢吹瑩子は結婚後のビジョンで意見が合わなかったということから交際中の男性とは別れてしまっていた。そして転職し、外資系の大手広告代理店に勤めるようになっていた。カナダのバンクーバーへの出張ということになり、単身で或る人物と会うことになった。

或るクライアントが、矢吹瑩子が会う人物に依頼するプロジェクトについて、勤務先の大手広告代理店が仲介の労を取り、日本国内での活動をサポートするというようなことになっていた。矢吹瑩子はその相手であるケビン坂田に会い、会社から預かった契約書案を示した。ケビン坂田は「もう一声」と料金を上げることを示唆し、矢吹瑩子は上司の久保部長に電話を架ける。少し待って折り返しの電話が入り、クライアントが条件を呑んだという。半年程度のプロジェクトで60億円という驚くべき内容であった。

ケビン坂田とは大学の経営学の講師を務めているという。この人物が来日し、矢吹瑩子はオフィスの確保等に動く。ケビン坂田が「ここが好い」としたのは、高田馬場に在るビルであった。感染症の問題で畳んでしまったガールズバーが入っていたフロアを居抜で賃貸するということになった。ケビン坂田本人は、その場所にハンモックを据えて寝泊りし、近所の銭湯を利用し、近隣の飲食店等で食事を摂って暮らすのだという。

そういうケビン坂田の東京での行動が始まって行く他方で、何人かの人達の日常が描かれる。何れも、必ずしも潤沢な収入が得られるのでもなく、仕事を通じて自己実現を出来ているとも言い悪いという感じで、政治経済に関心が高いとも言い悪い人達だ。描かれる人達については、バンド<疾風舎>の熱心なファンという共通項が在った。

高田馬場のビルで、ケビン坂田は近くの大学の優秀な学生であるらしい3人のアシスタントを雇い、黙々と仕事に打ち込んでいる。矢吹瑩子は何が如何なっているのか関心を抱くのだが、ケビン坂田は「レッドネック」というプロジェクト名を告げただけで、内容は一切語らない。苛立つ矢吹瑩子だが、仕事が生じる。バンド<疾風舎>の事務所と接触し、スポンサーとのタイアップでライブのコンテンツをネット配信するような展開の仕組みを作ることになる。矢吹瑩子はその役目に邁進した。

こういうように展開するのだが、「レッドネック」なるプロジェクトは一体何なのか?目が離せなくなってしまう。

拡大し、固定化してしまう社会の中での格差という中、何かを歪ませてしまってでも目的を達しようというような人達が現れてしまう場合も在る。そういう危うさ、恐ろしさに警鐘を鳴らすような内容であると思った。他方、閉塞した状況を打破するには妙な手段でも講じる他無いのだろうかとも思った。が、そうやって打破したつもりの閉塞状況は、結局更に閉塞するのかもしれない。

或る仕事に偶々携わった女性会社員の奮戦記のような体裁でもありながら、閉塞した社会に警鐘を鳴らすような秀作である。

『灰夜』

↓偶々眼に留めて愉しく読了した作品が“シリーズ”であったので、読了した作品より以前の作品で面白そうなモノを探した。そして見付けて入手したのだが、紐解き始めると面白いので少し夢中になった。休日の昼頃に読み始め、翌朝に迄時間を設けて続きを読み、素早く読了に至った。言葉を換えると、そう「させてしまう…」モノが在る。

灰夜 新装版: 新宿鮫7 (光文社文庫)



↑本作では主要視点人物が「何時もの場所」から偶々離れた時に“事態”に巻き込まれてしまう。そしてその“事態”を何とか収拾しようと奮戦する様が描かれるという物語だ。

冒頭、鮫島が気付くと、何やら酷く妙な寒々しい檻のような場所に閉じ込められてしまっていたという状態から物語が起こる。不慣れな地方の街で、鮫島は拉致されてしまったのだった。

拉致されて妙な場所に閉じ込められている状態から、そこに至る迄を回顧し、やがて事態が動きながら物語は展開するのである。

鮫時は新宿署の生活安全課の刑事だ。警部の階級で新宿署の生活安全課に在るのだが、所謂“キャリア”として警察庁に入って警察官になっている。かなり「訳アリ」で、現在の境遇に在るのだ。通常は数年で警視の階級に進み、様々な場所での役職を経験することになるのがキャリアだ。が、鮫島はその限りではなかった。

鮫島には、キャリアとして警察官になった同期に宮本という男が在った。宮本は思い詰めて自殺をしてしまったのだが、自殺の直前に“遺書”を認めて、それを鮫島に送ったと言われている。その件が鮫島の「訳アリ」の一部ともなっている。鮫島は同期の友人を悼む気持ちを持ち続けていたのだが、7回忌の法事について家族からの案内を頂いたということで出席することにした。そして宮本の郷里である九州の街を訪ねたのだった。

法事の席で、鮫島は宮本の古くからの友人であるという古山や木藤と会う。冷淡な木藤に対して、古山は鮫島と親しく接した。意気投合という感で古山が馴染のバーを訪ねる等していた。

そういう様子の後に、鮫島の危難である。鮫島は辛くもその危難を脱するのだが「一体、何が起こっているのか?」という様相である。鮫島を眼に留めて接触して来た福岡から出張の麻薬取締官が連絡を絶つというようなこともあり、何やら深刻な事態となる。鮫島は、地元の酷い悪徳刑事というような人物とも出くわし、地元県警との距離を如何取れば好いのか決めかねる。事案を巡って動いている県警の公安部の刑事達とのやり取りも生じる。

「東京の刑事」とは言え、地方の県に行けば「別段に職権を有するのでもない一個人」である。その「一個人」という立場になった鮫島が、男気溢れるような古山を何とかしようと、何人かの協力者の支援も得ながら、許し難い悪徳刑事や、暴走する極道を向こうに回して奔走する様が酷く面白かった。

如何でも構わないが…本作に登場する「九州のとある街」は具体的な名前が出ない。麻薬取締官の事務所が在る場所、九州一円で大きな勢力を誇る暴力団の本拠地というようなことで福岡というような実名は出る。が、鮫島が同期の宮本の故郷を訪ねるということでありながら、その名称は出ない。宮本が芋焼酎を好んだとか、街の路面電車が見えるというような辺りで「鹿児島?」というようにも思ったが、何処となく「宮崎?」というような感じもしないではない。その辺は不覚追及するのが野暮というものであろう。

本作は、「何時もの場所」を離れた鮫島の孤軍奮闘というような感じが際立つ物語であると思う。古山と木藤の「微妙な立場の中での各々の選択」というような事柄、地元の悪徳刑事の行動等、何やら色々と考えさせられた。愉しい1冊だったと思う。

『暗躍領域』

↓よく見掛ける文庫本を2冊かそれ以上重ねているような、非常に分厚い感じの本で酷く目立つ。そんな本だが、なかなかに夢中になってしまい、頁を繰る手が停められず、存外に素早く読了に至る1冊だ…

暗約領域 新宿鮫11 (光文社文庫 お 21-29)



↑よく知られている<新宿鮫>シリーズの第11作である。第1作の登場が1990年頃と聞くが、長く綴られ、読み続けられているシリーズということになる。かなり「訳アリ」な、新宿署の生活安全課(最初期には防犯課であったが、警察署の一般的な機構が変わったことから、生活安全課になった。)に在る鮫島刑事が、「訳アリ」な故に単独で遊軍的に動き回って、事件解決を目指すというような基本的な筋で、シリーズ各作品の色々な展開が在る。

本作はその<新宿鮫>シリーズだが、シリーズ他作品を然程知らずとも愉しめるようになっていると思う。本作の中には、シリーズ前作での出来事を示唆する内容、前作迄に登場した人物の再登場、シリーズ各作品に登場するライバル的人物が現れるという展開は在る。が、それらは「作中人物の来し方」や「一寸思い出した事柄」というような感じの描写で綴られている。大半の部分で、視点人物は鮫島刑事である。が、適宜他の人物が視点人物に切り替わる部分も在る。<新宿鮫>シリーズの作品を原案にした映像作品(映画やテレビドラマ)も在るのだが、本作を読んでいても、何となく「映像作品に触れるような感覚」も在った。テンポが好く、映像作品のように巧みに素早く場面が切り替わるような感じがした。こういう感じも好きだ。

冒頭の方で、鮫島刑事の長年の理解者であった前の課長が事件関係の出来事で他界してしまっていて、“代理”として庶務をこなしながら捜査活動に邁進しようとしている様子が描かれる。正規の手続きを経ないで民泊を営む“ヤミ民泊”ということになっているマンションの1室で、違法薬物の取引に纏わる動きが在るらしいという密告を受け、鮫島刑事は張り込んで現場を押さえることを画していたのだった。

問題の“ヤミ民宿”のマンションを張り込んで程無く、鮫島刑事は一室で遺体を発見した。発見時点の少し前に、消音機を着けた拳銃により発せられたと見受けられる、たった1発の銃弾で射殺されていた。遺体は男性だが、身元を明らかにする手掛かりになるようなモノは何ら無かった。“ヤミ民宿”のマンションの一室という場所柄、アジア系の外国人という可能性も高いと考えられた。探るべき事項は多々在った。

新宿署には新たな生活安全課長として阿坂警視が着任した。女性の阿坂課長は鮫島刑事に対して、捜査活動に際しての行動原則、2人以上で動くことの遵守を強く求めた。新たに着任した若い矢崎刑事が登場し、鮫島刑事は彼と共に捜査活動に取組むこととなる。

身元不明の男性の射殺体が発見されれば、殺人事件として捜査体制が組まれるのが通常なのだが、事件は公安部の担当事件という形で捜査が進められることになった。新宿署や刑事部の手を離れてしまった事件ではあるが、鮫島刑事は「管轄内での“ヤミ民宿”に関連する事案」として、矢崎刑事と組んで独自な捜査活動を続けることになる。マンションの物件に関して、“ヤミ民宿”を営む者に関して、その他少しずつ解って行く。

そういうことで話しが二転三転しながら、射殺された謎の男が何をしようとしていたのか、何が蠢いたのか、何故殺害されたのかと、様々な事柄が順次明かされる。そう言う事柄が集まって「非常に分厚い感じの酷く目立つ1冊」が出来上がったという次第だ。如何いう相手であろうと切り込んで情報を引き出す鮫島刑事だが、得た情報は手探りで組み立てて事の真相に少しずつ近付くという感じだ。「誰が相手でも遠慮なく噛む(=逮捕してしまう)」ということで、名前に引っ掛けて<新宿鮫>という通り名が出来てしまった鮫島刑事が、「正義の追求」だけを慮って悪漢たちが蠢く巷で事件の真相を探るというこのシリーズは魅力的だ。

かなり「訳アリ」な鮫島刑事が迫る事件関係者というのも、各々にかなり「訳アリ」な男女である場合が多い。本作の、事件の背後で動いている人達も各々にかなり「訳アリ」な男女だ。結局、各々の「訳」との向き合い方というようなモノが、人の「生き様」のようなモノを創るのかもしれない。そんなことを想いながら本作の頁を繰っていた。強く引き込まれ、ボリュームが気にならない感じでドンドン読み進めた作品だった…御薦め!

『乱都』

↓何気なく出くわした感の一冊だ。時代モノの小説である。以前にも作品を読んでいる作者なので「好さそう…」と思って入手したが、実に好かった。素早く読了に至った。

乱都 (文春文庫)



↑「乱れる都」というような感の『乱都』という題名だ。物語の主要な舞台となるのは“都”たる京都である。

全体として7篇の物語が在って、“序”や“幕間”という繋ぎの極々短い部分が在り、“終章”という篇が末尾に添えられる。或いは京都が「最も乱れた?」と言い得るような時期、応仁の乱からの概ね100年間というような物語である。

7篇の物語には各々の中心視点人物(=主人公)が据えられている。畠山義就(はたけやまよしひろ)、細川政元(ほそかわまさもと)、大内義興(おおうちよしおき)、細川高国(ほそかわたかくに)、法華一揆に加わっていた商人の椿屋平三郎、足利義輝(あしかがよしてる)、足利義昭(あしかがよしあき)という7名の、時間を超えた中心視点人物(=主人公)が据えられ、各篇が展開し、この中心視点人物(=主人公)の物語、併せて彼らが生きた、或いは生きようとした時代の、“都”の宿命のようなモノ、彼らと“都”との関りというようなことが各篇の物語となる。概ね100年の「移ろう時代と、時代の中で確かなモノを掴んだのか、翻弄されたのかが判じ悪い人達の物語」という風情だ。

畠山義就は「応仁の乱」の原因の一部になった人物であり、長く続いてしまった戦乱を駆けた武将だ。細川政元は「応仁の乱」の後の時代に謀略を巡らせた政治家だ。大内義興は周防国や長門国の大名として、京都の戦乱に関わる羽目になった。細川高国は細川政元の後の時代の混迷の中で台頭し、やがて排される人物である。椿屋平三郎は法華宗に帰依する商人だが、一向一揆や法華一揆が政争に巻き込まれ、武力衝突をした時期を生きるという羽目になった。足利義輝はそういう時代の後に幕府を建直すことを図って、やがて排される。足利義昭は、自身では期せずして、室町幕府の最後の将軍になった人物だ。

「応仁の乱」を契機に「戦国」という局面に入って行くとされている。その「戦国」というような時期の「京都」を、7人の中心視点人物(=主人公)を介して描き出している。実に興味深い。

他に個人的な話題を少し加える。少し以前に京都市山科区を訪ねる機会が在った。彼の地には「山科本願寺」が在ったことを紹介するパネルが掲出されているような場所が在る。政争、戦という中で一向宗や法華宗に帰依していた人達が軍事行動に巻き込まれて行く経過が描かれる篇が本作に在るのだが、現地で観たパネルの事等を何となく思い出していた。加えてその篇に登場する椿屋平三郎の店舗兼住宅が在る場所は「烏丸五条」ということになっている。最近、京都を何度か訪ねた経過で何度も歩いていたようなエリアだ。

末尾に添えられた終章には足利義昭が登場する。畠山義就が駆けた「応仁の乱」以降の「戦国」が行き着いた先で、足利義昭が観たモノ、感じたことは何だったのか?そこへの時間旅行という感の作品だと思う。御薦め!!

『小説・日本の長い一日』

↓「一部に話題になっている」というように見受けられる本に興味を抱き、入手してゆっくりと紐解いた。そして素早く読了に至った。

小説・日本の長い一日



↑本作はフィクションである。「2022年7月の或る日に事件発生」という辺りから物語は起こる。勿論、実際の事件に着想は得ているのだが、飽くまでもフィクションである。とは言え、「飽くまでもフィクション」と断ってみたくなる程度に、「事件が在ったとすれば起こり得る事柄」がリアルに描き込まれていて引き込まれる。

物語は「事件発生」から起こる。

群馬県高崎市の高崎駅前で、衆議院選挙の街頭演説が催されようとしていた。地元出身の元総理が議員を退き、息子が立候補している中で応援弁士として登場しようという時だった。銃声がして、元総理は斃れてしまった。

この事件を巡っての警察官僚等の動き、解明し悪い事件の真相、そして「その後?」というように物語は展開して行く。

本作の、殊に最初の方は異常な事件が起こってしまっている中で、適宜様々な場所に在る人達が視点人物となるのだが、全般的には元首相の事件が発生した時点で47歳の警察官僚である山田が主要視点人物となっている。

元首相の事件が発生した時、山田は警察庁の外事課長であった。事件発生と続報が伝わる中、直ぐに逮捕されたという被疑者の氏名に引っ掛かりを覚えた。同年齢で、友人と言い得る間柄の、防衛相の情報課長を務める井上との非公式な遣り取りで取沙汰していた名であったからである。

事件そのものの謎を解くというよりも、事件を巡って起こる様々な事態と、それらを経ての関係者が目指そうとするモノということが主眼になる物語である。

実は作者は、警察の公安部門での長い勤務経験を有している人物であるという。外事課や危機管理部門で勤務していたそうだ。そういう経験に依拠した見聞や発想が散りばめられた本作は、少し独特な空気感を放っていると思う。

単純に物語を愉しむという意図で読んでいても、何か「色々な事柄を考える材料」という雰囲気も帯びる。なかなかに興味深い読書経験が出来ると思う。御薦め!

『東京、はじまる』

↓偶々出くわして、大変に愉しく読んだ小説だ。明治期から大正期を背景にした物語ということになる。素早く読了に至った。

東京、はじまる (文春文庫)



↑本作は、日本橋の日本銀行本店や東京駅の建物を手掛けた建築家、辰野金吾の物語ということになる。

記憶が確かなら、日本橋辺りに三越前駅という地下鉄の駅が在り、その辺りに日本銀行の本店が在った。本店の建物そのものではなく、近くに日本の通貨の歴史が判る、古い貨幣のコレクションを展示している日本銀行関係の資料館が在って、立寄ったことが在ったような気がする。その建物の建設に辰野金吾が携わっている。

そして東京駅は、戦災等で傷んでしまった後に修復した状態で長く使用されていたが、創建時の様子を再現するとして工事が行われ、現在ではその創建時の姿になっている建物が見事なのだが、その創建時に建設を手掛けたのが辰野金吾であるという。

こういう、或る程度広く知られた建物を手掛けた人物の物語ということで、日本銀行の件や、東京駅の件は物語の重要な柱ともなっている。

物語は、辰野金吾が英国留学から帰国したという辺りから起こる。横浜港に下立つと、友人や妻が迎えに来ていたというようなことになる。英国帰りの辰野金吾は、未だ江戸の面影が色濃く残る東京について、「東京そのものを建てるのだ」と意気込む。

物語は主に辰野金吾の目線で綴られる。が、時に同郷の友人である曾禰達蔵(そねたつぞう)の回顧や、終盤には息子の辰野隆(たつのゆたか)の目線の部分も在る。英国帰りの辰野金吾が色々な事に取組もうとする様子と並行し、戊辰戦争位の頃に10代後半辺りだった世代ということになる辰野金吾や曾禰達蔵の来し方が振り返られる部分を交えて展開する。辰野金吾が何を目指したか、如何してそう考えたか、そして日本銀行や東京駅という、当時の「空前の大建築」に取組む様子が描かれる。そして最晩年の様子へ進む。

偶々なのだが、比較的近年に東京駅の建物を眺める機会が何度か在った。そんなことも在って、辰野金吾が当時の“大計画”に邁進した様を、本作に描写される往時の辺りの様子を想像しながら大変に興味深く読んだ。少し夢中になってしまう雰囲気が溢れる作品だ。

読後の余韻に浸りながら、少し思った。辰野金吾が近年の東京を観たら、如何いうような感想を漏らすであろうかというようなことをだ。本作はとにかく愉しかった。

『新任警視』

↓書店で眼に留め、入手して紐解き始め、少し夢中になって素早く読了に至った。上下2巻という、少し大きい分量も気にはならなかった。そういう程度に面白い。

新任警視(上) (新潮文庫 ふ 52-55)




新任警視(下)(新潮文庫)



↑作者は「警察庁キャリア」として警察に勤務した経験を有している方であるという。そういう訳で“現場”での豊富な見聞も在る訳で、そういうことも伺わせる、諄い程に緻密な現場の描写というのが見受けられ、それが面白いと思う。「新任」というキーワードで始まる同じ作者の作品は幾つか在る。読了した経過の在る作品も在るのだが、それに関しては「御仕事モノ」という感、「〇〇の仕事の舞台裏」や「本当に〇〇の仕事に携わる人達の目線で観る巷」という描写が多い。そういう中、「警察モノ」な訳で、作中で事件が展開していて、それを巡って事件の謎を究明するという筋書きが流れている。

「警察庁キャリア」と呼ばれる人達は、警察官としての研修を受け、警察官としての階級も有していて、警察庁の内部に留まらず、全国の都道府県の警察の現場に出て、加えて他の官公庁等に出向する場合も在って、数年毎に色々な場所へ異動している。仕事を始めて4年位で“警視”という階級へ進むのが通例であるのだという。

“警視”については、地方の警察署長、警察本部の課長というような“所属長”という立場と、そういう立場ではない場合とが在るそうだ。「警察庁キャリア」と呼ばれる人達が“警視”になる場合、地方の警察署長、警察本部の課長というような“所属長”という立場で各地の現場に入る例が多く在るという。

本作の主人公となる「警察庁キャリア」の司馬達(しばとおる)は、仕事を始めて4年位で“警視”という階級へ進んだが、異動の際に「愛予県警察本部公安課長」を拝命した。上巻はこの拝命する迄、拝命して“愛予県”へ赴任して活動を始めるというような展開が詳しく描かれる。

正直、「警察庁キャリア」と呼ばれる人達のように、20歳代で機構部内で一定の位置を占める位階が与えられて、“所属長”というようなことで現場を任される、預けられるというような立場等は全く想像出来ない。そういうような立場というモノを慮った事等は無い。が、本作では司馬達の想い、周囲と接する中での様々な事柄が詳しく描写され、半ば「御仕事モノ」ということで様子が酷くよく判る。

本作の物語は「1999年」が背景となっている。1999年の夏、「警察庁キャリア」の司馬達は“警視”という階級へ進み、「愛予県警察本部公安課長」を拝命して赴任する。作中では、或るキリスト教系の団体が、所謂“カルト”として問題視されつつある状況だった。1999年の年末に、何やら妙な行動を起こすことが危惧されていた。“カルト”による恐るべき振る舞いが問題視されて警察も対応した経過の中、新たな“カルト”の抑止が目指された。“愛予県”というのは、その“カルト”の総本山のような、彼らの用語で「教皇庁」と呼ばれる本部も在った。司馬の前任者も、その“カルト”への対応に努めていたのだった。

「20歳代で機構部内で一定の位置を占める位階が与えられて、“所属長”というようなことで現場を任される」というのはやや特殊かもしれないが、現実にそういうようになっている以上、何とかうまくやらなければならない。そういうような中での司馬の成長、それを促す現場の諸先輩というような描写が何か凄く好い感じなのが本作である。或る種の「少し風変わりな“青春”」という雰囲気も在るのだが、作中世界の禍々しい事態は蠢いていて、警察本部の公安課として活動を続けなければならない。その活動の様子、そして種々の挿話に纏わる描写が「ばら撒かれた伏線」で、終盤にそれが回収されて行くという下巻の様子は、少し力が入る。

最終盤、「色々と思うところ在って…」という様子の司馬が如何なるのか。如何するのかという辺りも、少し面白いポイントだと思う。

なかなか愉しく読んだ小説だった。が、作中の事案のような事柄が現実に在ったなら…一寸、嫌だと思った面も在る。それはそれとして、愉しい作品だった。

『暇と退屈の倫理学』

↓出先の札幌で書店を覗いた時に眼に留めた。そして入手した。紐解き始めて少し夢中になった。

暇と退屈の倫理学 (新潮文庫)



↑2011年に最初の単行本が出て、改訂が在って、そして最近文庫になったという本だ。その文庫本を手にした。主に学生達が利用する大学生協の書籍部門でベストセラーで在り続けていたという経過も在るらしい。何か「新たに“古典”になって行く過程に在る名著」に偶々出くわしたというような気もする。

題名に「倫理学」と在る。「社会に在って人々が依拠すべき規範を確認」という「道徳」に関連する「倫理」というモノだが、これは所謂「哲学」という分野に在る。そういう「哲学」を論じるというだけで「酷く敷居が高い」と感じられ、「そういう本は、多分ずうっと読まない…」とか「無理!判らない…」ということになってしまうのかもしれない。が、本書は決してそういう「無理!判らない…」でもないと思う。「哲学」を研究していると称する、少し話しが巧い方の御話しにゆっくりと耳を傾けてみる感覚でゆっくりと愉しく読み進められる一冊だ。人文科学に関心を寄せる大学生が読み継いできたという感じに頷ける。

「暇」や「退屈」というのは、多くの人達にとって酷く身近な感覚なのかもしれない。もしかすると、「暇」や「退屈」という言葉が語彙として定着していないような幼児期から、既に「暇」や「退屈」と称するような感じ方を既にしているのかもしれないというようにも思う。

そういう程度に「余りにも当り前」という具合、「過ぎる程に身近」という感じであるからこそ、「暇」や「退屈」という概念は「少し突き詰めて考える」というような、「哲学」の題材に好適なのかもしれない。

本書は極々卑近な感じ、「暇」と「退屈」とが「似て非なるモノではないか?」ということから、人類の発展経過や、経済の発展経過という事柄に話しが拡大し、やがて過去の哲学者の考察や、生物の在り方に纏わる「環世界」という概念を用いた話しになり、そして「退屈」というのが如何いうモノなのかに立ち返る。非常に幅広い様々なことが、「とりあえず通読する一冊の本」に巧みに纏められている。

本書を読んでいて、また読了後に思い至った。自身の振舞いに関して、他の方は「酷く退屈なのでは?」と首を傾げる場合が在るが、自身では「愉しんでいる!」という例が在る。こういうような「退屈」と「退屈しない」との、個人差が大きな境目というモノが在る。そんなことを考えてみると、日頃の暮らしがほんの何パーセントかでも愉しくなる、または「何となくゆとりが生じる」のかもしれないと考えた。

或いは向き合うのか、或いは避けるのか、人の人生は「退屈」と称するモノと手近な所にあるのかもしれない。もっと踏み込むと「ヒトである以上、“退屈”は織り込み済み?」という一面さえ在るのかもしれない。

「倫理学」だ、「哲学」だと言えば、何やら大袈裟で面倒な気がしてしまう。が、一寸だけ立ち止まって、卑近な色々なことを少し突き詰めて考えてみるようなことも、時には好いように思う。そういう材料に本書は好適だと思う。好い一冊に出会うことが叶った。広く御薦めしたい。

『トッド人類史入門 西洋の没落』

↓出先の札幌で出くわして入手し、その後素早く読了に至った一冊であった。

トッド人類史入門 西洋の没落 (文春新書 1399)



↑題名の「トッド」とは、フランスのエマニュエル・トッドのことである。独自な研究で世界を語るという感のエマニュエル・トッドである。近年『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』という人類の歴史を鳥瞰しながら、幾分掘り下げて行くという、長きに亘る研究の集大成的な本を上梓している。日本語版も登場して然程の時日が経っていない。この本の内容を念頭に、片山杜秀、佐藤優の両氏が「トッドの論点」で最近の話題等も掘り下げて論じるという感の一冊である。

本書は、トッド自身のインタビュー、トッド、片山杜秀、佐藤優の3氏による鼎談、片山杜秀、佐藤優の両氏による対談というような体裁の各部、5つの纏まりから成っている。各々に興味深い。が、個人的には「ウクライナ戦争と西洋の没落」、「第三次世界大戦が始まった」という部分に殊に引き込まれた。

「ウクライナ戦争と西洋の没落」、「第三次世界大戦が始まった」という部分に在る論点は、これまでにエマニュエル・トッド関係の本で論じられているモノに触れている内容と被る。それに佐藤優関係の本で論じられているモノも加わり、鼎談として内容が交差しながら掘り下げられている。

色々な経過を辿った人類の経過の中、現在に至って「第三次世界大戦」とでも呼ばれるようになって行くかもしれない事態に「踏み込んでしまっている?」ということに「気付かなければならない?」ということが本書では示唆されていると思う。

ウクライナの戦争に関して、本書の中では「思いも掛けぬ長期化」という見立てが色濃いかもしれない。他方に、1年程度の期間で何らかの収束が図られるかもしれないという見立ても在るのかもしれない。「あんた個人が如何思おうと、何ら関係無い…」とでも言われてしまうかもしれないが、それでも個人的には「人々の生命が擦り減らされるようなことを少しでも早く停めて頂きたい…」というように思いながら、この事案に纏わる情報に触れている。

そしてトッドの研究の出発点でもあるような「家族」という問題を論じた部分も興味深い。表層的に然程の影響が無い様で在りながら、しぶとく影響力を行使し続けるような文化を「ゾンビ〇〇」と本書の中では呼んでいる。「ゾンビ儒教」とでも呼ぶべき、深く浸透した儒教の影響を免れ悪い地域の国々では、「子どもの面倒を」、「親の面倒を」と何でも背負い込むような感が在り、現に要る老いた親の面倒を見る関係で、未来を担う子どもに関する事柄を推し進め悪い側面が否定出来なくなるという論が展開されていた。日本もここで言う「ゾンビ儒教」という域内に入ってしまう。少し考えさせられた。

初出が雑誌という部分が殆どなのだが、本書は何か「読み応えが在る記事を集めて一気に通読」という感じでもあると思う。本書のような、大著の内容を念頭に、その「触りの議論」へ一般読者を誘うような本は、なかなかに好いと思う。

『ガラパゴス』

↓上下巻から成る小説である。

ガラパゴス (上) (小学館文庫)




ガラパゴス 下 (小学館文庫)



↑上巻を紐解き始めると、頁を繰る手が停められなくなり、直ぐに下巻に遷って、素早く読了に至った。

『ガラパゴス』というのは少し不思議な語感の題名かもしれない。

ガラパゴス諸島―「ゾウガメの島々」という意味らしい…―という南米の東太平洋上の島嶼が在って、大陸と陸続きになった歴史を持たず、島々の生物は飛来したか海を渡って漂着したものの子孫に限られ、他では見受けられない固有種になっている様子が多く見られるのだという。但し、主に19世紀頃から多くの人々が入り、外来の生物も持ち込まれ、様子が変わってしまったということも在るようだ。

このガラパゴス諸島の名から転じて「ガラパゴス」という言い方が在る。周囲から隔絶した環境の中で独自に進化しているかのように、様々な国や地域での基準を外れてしまったような状態に在るという意味で用いられるようになった。主に日本の様子を、少し揶揄的な意味を込めて言う場合に使うのかもしれない。独自の方向で高機能化した製品やサービス、海外進出への消極的な捉え方、排他的で規制の多いマーケット等が、国際基準から離れた状態で進化してしまっているという観方だ。

本作の『ガラパゴス』は、この「日本の様子」に関する言い方から来ている。作中でも、後半の方で劇中人物がこの「ガラパゴス」という語を用いる場面が在る。

本作は刑事が事件解決を目指して奔走するという物語である。が、「ガラパゴス」という様相の巷で、刑事達は驚くべき状況を知ることとなるのだった。

警視庁捜査一課で継続捜査という担当の田川刑事が在る。妻に成人した娘、更に孫も生まれたという年代のベテラン刑事だ。継続捜査の担当というのは、捜査が膠着した殺人事件に関して、実質的に一人で調べて被疑者の逮捕を目指すという活動である。

田川刑事がオフィスの自席に在って、その担当している継続捜査の活動で、被疑者を確保して起訴に至ったと安堵していたところに同期の木幡刑事が現れて「手伝って欲しい」と懇願される。

木幡刑事は強行犯係で殺人事件の捜査に従事するようなことを得意としている人物だが、人事ローテーションの関係で現在は鑑識課に在る。担当しているのは、身元不明遺体の身元を何とか確定するという事である。発見された遺体の発見時の状況等の綴られたファイルが在って、多くは火葬されて遺骨が保管されている状態なのだ。

木幡刑事は田川刑事と一緒にファイルを見て、身元確定に向けた端緒を拓こうとしたのだ。「“貸し”が一つだ…」と言いながら田川刑事は木幡刑事に付き合う。

2年程前に発見された身元不明遺体のファイル、「903」というモノを見た田川刑事は、発見時の遺体の写真を訝しんだ。

「903」の遺体は竹ノ塚の旧いアパートで発見された。発見時の状態から一酸化炭素中毒が死因と考えられ、自殺と見受けられると記録されていた。が、添えられた遺体の様子は、青酸化合物の摂取による死亡と見受けられる特徴が在った。であれば、他殺の可能性も在る。ところが、その可能性を排すること無く捜査が行われなければならない。しかし、そういう形跡が見受けられないのだ。

田川刑事と木幡刑事は様子を益々訝しむのだが、遺体発見の日付を見て思い出した。夥しい死傷者が発生してしまった通り魔事件が近隣で発生し、多くの警察関係者が事件の処理で多忙を極めていた中、この旧いアパートの一件が見落とされていたのだった。

田川刑事と木幡刑事は「903」の正体を懸命に探る。やがて「903」は「仲野定文」という沖縄県の宮古島出身の男性と判明する。そこから、仲野定文の身に何が起こったのかを捜査することとなり、田川刑事が専従捜査員ということになるのだった。

捜査活動中に耳目に触れた事柄は、殆ど悉く手帳に書き記し、ドンドン分厚くなってしまう手帳の頁を繰りながら考えるという流儀で、田川刑事は丁寧に事件を、そして仲野定文の来し方を探る。そして話しの発端に関わった木幡刑事も活動に参加し、仲野定文の身に何が起こったのかを探って行くことになる。

所謂「就職氷河期」というような頃に社会に出た人達の中に見受けられる、過酷な情況と、その過酷さが拡がり深まるような様、そういう様子に翻弄される人達という様に、田川刑事達は出遭ってしまうことになる。「非道?」というやり方まで出て来る。本当に「何時の間にかそういうことになってしまった?」という様子である。

そして家電や自動車というような、日本をリードして来たような業種が何処か「ガラパゴス」な様相を呈し、労働慣行も何やら「ガラパゴス」になってしまい、安心して心豊かに暮らすことが叶う人が少なくなって行くというような様相も見受けられる様が作中世界に展開する。これは凄く考えさせられた。

本作は、過日読了の『アンダークラス』と同じ作者による作品で、『アンダークラス』の少し前に登場している。両作中の田川刑事は同一人物だ。『ガラパゴス』で、田川刑事の娘と孫は、その夫の勤務先の関係で新潟に在るが、『アンダークラス』では新潟から東京に遷っていて、田川夫妻の家に或る程度頻繁に現れているという言及が在るというように、少し明確に「続き」を示唆している描写も見受けられる。

丹念に事件を負う捜査員の活動を介して「何時の間にかこういうことに?」を提示するような感じの作品だ。広く御薦めしたい。

『アンダークラス』

↓読了したばかりであった小説と同じ作者による近作が文庫で登場して日が浅かったということを知り、入手して紐解き始めた。

アンダークラス (小学館文庫 あ 16-8)



↑休業日の日中に紐解き始め、夕刻から夜にも読み、夜中に目を開けて更に読み進めた。頁を繰る手が全く停められない。そして翌朝に時間を設けて読了し、何やら余韻に浸る感じだ。

基本的には、刑事達が出くわす事件に関して、懸命の捜査で謎を解明するという物語である。が、取組む事件の背景には、歪になってしまっている現代社会の縮図が在り、劇中人物達の様々な想いが丹念に描き込まれている。作品に魅せられた。

秋田県内の高齢者施設で、老女と介護職員の女性とがやり取りをしているプロローグの後、物語が動き始める。

霞ヶ関のコンビニで田川刑事が買物をしているような場面から物語は始まっている。

田川刑事は成人した娘と孫が居るベテラン捜査員だ。警視庁捜査一課で追跡捜査の担当となっている。捜査が膠着してしまっている殺人事件を、実質的に単独で捜査するという担当だ。深酒で肝臓を患った経過等も在って、この追跡捜査の担当ということになっていた。

この田川刑事がコンビニから自席へ戻ってみると、警察庁キャリアの女性である樫山警視が現れた。そして樫山警視は田川刑事に協力を依頼したいと言い出す。

田川刑事が話しを聴けば、樫山警視は或るベトナム人女性を探し出したいのだという。キャリアの警視というのは、警察庁内部、各地の県警、警視庁の様々な役を務める他、在外公館へ出向という場合も在るものだ。樫山警視は在ベトナム大使館に出向していた経過が在る。その時代に知り合ったベトナムの女性が、技能実習ということで来日していたが、何時の間にか連絡がつかない“失踪”という状態になってしまっているというのだ。

そんな話しをしているとニュースが飛び込む。秋田県警がベトナム人女性を逮捕していて、その女性が樫山警視が探し出そうとしていた人物であったというのだ。

事態に接した樫山警視は方々と調整して、田川刑事を伴って秋田県能代市に向かい、事情を聴くこととした。

ベトナム人女性の逮捕容疑は「自殺幇助」ということだった。高齢者施設で介護員として働いていた女性は、入所している85歳の老女が車椅子で散策に出たのに付き添ったという。そして、病気を苦に自殺すると言い出す老女の車椅子を押して、冷たい用水路に落としてしまった。我に返って施設に駆け戻り、通報して救急隊を呼ぶ等の救助を試みたが老女は助からず、死亡してしまったというのだ。

樫山警視と田川刑事は、秋田県警の許可を得てベトナム人女性と面会して言葉を交わしたが、「自殺幇助」で逮捕されてしまった経過の話しをするばかりだった。

その他方、田川刑事は秋田県警によるここまでの捜査資料に眼を通した。そして老女の遺体を撮った写真に注目する。田川刑事が眼を奪われ、違和感を覚えたのは「手」だった。「自殺」ではなく「殺害」の可能性を感じる。

こうして、逮捕された女性の勾留期限を鑑みて、限られた期間ながらも捜査を行うことになった。樫山警視と田川刑事とが活動を始める。

物語の殆どの部分が田川刑事を視点人物として展開している。田川刑事は、捜査活動中に耳目に触れた事柄を悉く手帳に綴り、随時その手帳を捲って眺めながら考えるというやり方で捜査に臨む。リフィルをドンドン追加する分厚い手帳がトレードマークだ。

このベテラン捜査員の田川刑事に対し、樫山警視が在る。キャリアとして、警視庁部内の様々な部署や他県警、または関係機関との連絡調整というような事柄は鮮やかな手並みだ。他方で現場経験は浅い。田川刑事と共に聴取や推理を重ね、時には田川刑事に叱咤激励を受けながら被疑者の聴取に臨む等する。

「叩き上げの中の叩き上げ」というベテラン捜査員と、「スマートなエリート」であると同時に「少し若く、経験がやや浅い」という捜査員とのコンビで、難解な事態を少しずつ解き明かす。所謂“凸凹コンビ”という感じも在って、少し面白い。

事件に関わったベトナム人女性と老女との来し方を追いながら、樫山警視と田川刑事は文字どおりに東奔西走する。事件関係者の来し方の様々な事柄に、街の人達の善意にも援けられながら辿り着くのだが、樫山警視と田川刑事は、そして物語の読者は衝撃を受ける。そうやって捜査に勤しむ樫山警視と田川刑事は「事件の裏」に突き当たって行く。

因みに、最近読了した同じ作者の『覇王の轍』に“北海道警察本部捜査二課長”として赴任する女性キャリアの樫山警視が登場する。本作の樫山警視と同一人物であるようだ。多分、『覇王の轍』の物語は『アンダークラス』の物語の少し後という感じであろう。

様々な要素が織り交じり、実に興味深い作品だ。現代社会の「何時の間に?」という「歪み」に想いを巡らせる材料にもなるかもしれない。広く御薦めしたい。

『覇王の轍』

↓「色々な意味合い」で凄く面白い小説だと思う。休日の時間を費やして、頁を繰る手が停められない状態に抗うことなく、素早く読了に至った。

覇王の轍



↑作中での出来事の舞台が北海道で、何となく判る場所がモデルになっているというのが多く出て来るので、作中世界に入り込み易かったかもしれない。全編を読めば意味が解るという感じのプロローグが在るのだが、その中には「宗谷線の永山駅」という駅名が出て来て、「おっ!?」と思った。

物語の冒頭…警察庁キャリアで、警察官としては警視の階級を有する女性、樫山順子は北海道へやって来ていた。非常に急な形で、北海道警本部の捜査二課長を拝命して赴任することになった。前任者の事情に関連した急な異動であったために手頃なフライトを取り損ね、新幹線で函館に上陸することにした。そして少しだけ時間が在ると考え、縁在って八雲町の牧場主に嫁いだ高校生だった頃からの友人を訪ねてみるというようなことをしていた。そこに「課長の運転手を務めるのだ…」という指示を受けたという伊藤巡査長から連絡が入り、車で函館へ移動し、慌ただしく札幌へ飛び、とりあえず北海道警察に着任した。

着任した北海道警本部の捜査二課では、贈収賄事件の捜査の真っ最中であった。北海道庁で道立病院に関する事務を担当している女性職員が、医療機器等の会社から収賄しているというのだ。件の女性職員は度々東京に出て新宿歌舞伎町のホストクラブで豪遊しているのだという。贈賄をしているのが東京方面の企業であることから、事案は東京の警視庁の捜査二課との合同捜査ということになった。警視庁の捜査二課でこの件の指揮を執っている小堀理事官は、樫山課長と同様のキャリアである。小堀は色々な経過が在って、理事官として現場で指揮を執ることに拘る男である。

北海道警側、警視庁側の双方共に、ベテラン捜査員のリーダーシップの下に着々と贈収賄事件の捜査を進めていた。この他方、樫山は気になる案件に巡り合った。ススキノの旧いビルで、転落事故が発生し、東京から来ていた男性が死亡したという出来事が在った。如何いう人物が事故死したのかが不明朗であったのだが、調べると件の男性は国交省で鉄道関係の事に携わっていた技官であったのだ。気になることは調べてみなければ気が済まない性質の樫山は、独自に調べてみると、「事故」ではなく「殺害」であった可能性を見出してしまった。「殺害」の捜査が行われず終いで、「事故」ということになってしまっているのは大問題である。樫山は、合同捜査のカウンターパートである小堀に、贈収賄の捜査の傍ら、気になるので少し調べたいと伝えて了解を得た。

樫山は調べる中で、国交省技官が死亡してしまった事案が、鉄道を巡る重大な事案が背景に在ることを知ってしまう。更に、合同捜査で贈収賄に携わった4名を拘束した事案にも関連が在ることに気付いてしまう。

こういうように、何やら驚くような展開となる物語だ。事件と、作為的に隠蔽されてしまった事件と、そして国の中に蠢いている妙な事情とが複雑に絡まり、そうした中で筋を通したいとする樫山や小堀の苦闘が描かれる物語だ。何か「複雑な読後感」というように思った。

主人公ということになる樫山は、個人としては鉄道旅行を少し好み、各地の路線の白地図の乗車した区間をマーカーで塗ってみることを愉しんでいるような面が在るのだが、仕事では自腹で部下と懇親するというような感じで筋を通し、少し肩に力が入って仕事の世界を生きる女性キャリア官僚だ。慣れた捜査員のようなことを出来るのでもなく、方向音痴な傾向で何処かを訪ねるようなことが些か苦手でタクシーを多用するのだが、独自の人脈で情報を得る、または得た情報の裏を取ることを重ね、事の真相を推論するという独特な感じで事案に臨んでいる。そんな様が少し面白い。加えて本作では「どんでん返し」も在る。

基本的には、事件の謎を追うというエンターテインメントだが、社会に横たわる大きな影を考えるような内容も含まれている。大変に興味深い作品だ。

『新宿花園裏交番 ナイトシフト』

↓愉しく読んだ小説である…

新宿花園裏交番 ナイトシフト



↑近年の、感染症の問題で色々と在った新宿を舞台に、密度が濃い出来事が展開する物語で、色々と考えさせられながらも、頁を繰る手が停められなかった。

作中の「新宿花園裏交番」に関しては、同じ作者の別作品に登場している。複数の警察署の管轄区域が半ば重なるように接している新宿の繁華街に、配置人員が多い“ジャンボ交番”が幾つか在って、その一つが「新宿花園裏交番」ということになっている。そこに勤務する坂下浩介巡査が主人公という別な作品も在った。それを愉しく読了していた。

本作はその、「新宿花園裏交番」の坂下浩介巡査、彼より少し若い内藤章助巡査が主人公というようなことになっている。題名に在る「ナイトシフト」というのは、夕刻から深夜、更に翌朝までというような、交代制勤務の現場で見受けられる“シフト”の一つである。本作は坂下浩介巡査と内藤章助巡査が「ナイトシフト」ということで勤務していた或る日の出来事という物語だ。物語そのものは、坂下浩介巡査や内藤章助巡査が視点人物として進む部分の他、何人かの事件関係者、または事件の捜査に関与することになって行った警察関係者を視点人物とする部分が次々に折り重ねられている。何か「映像作品」のように、出来事の連鎖するかのようにも見える様、折り重なった出来事が次々に収束するような様子が、テンポ好く描かれている。

明確に時期は示されていないが、作中世界は感染症の問題で社会が揺らいでいた2020年から2021年頃を背景としていると見受けられる。何時でも大勢の人達で溢れている筈の新宿地区も、外出の自粛やら飲食店等の営業の自粛やらで人影が疎らになってしまっていた。「“未来都市”のようだ」という、少し現実離れしたフィクションのような街並みが拡がる状況だ。こうした中でも、制服や装備を身に着けて交番に勤務する坂下浩介巡査や内藤章助巡査は外を巡回する任務に就いているのである。

そういう任務の中、保育所が入居するビルの辺りで、異様に多いカラスに悩んでいるという話しが持ち上がった。問題のビルの屋上に上がってみた坂下浩介巡査は、半ば白骨化している遺体を発見し、その周辺にカラスが群がっていることを知る。そして遺体を巡る捜査が必要で在るため、連絡を取って、辺りを管轄する署の捜査員達を現場に迎えた。

ところがである。迎えた捜査員達のまとめ役である刑事が署の副所長との電話連絡で声を荒げた。感染症の問題が発生し、官公署として「都内で初めて」とされる“クラスター”という話しになってしまい、捜査員達は“濃厚接触者”とやらに指定され、とりあえず引揚げなければならないということになったのだという。近隣署で人員を手配する等して、何とか警察は活動を続けるということにはなった。

そういう具合で、感染症の問題で異様な光景を見せていた街で、何やら混乱している状況の中で色々な人達の動きが折り重なり、生じた問題が収斂して行く。「如何する?如何なる?」と夢中で読み進めた。

或いは本作は、感染症の問題で何やら妙な様子になっていたという“時代”を、エンターテインメントたる「交番の若い警察官が奮戦する物語」という体裁で「記録…」という感じかもしれない。過剰なまでに“自粛”なるモノが要請され、「余計な事をしなければ好いのであろう…」という程度に思っている多数の人達の他方に「余計な事…」をして問題を拡げている例が在る。そして問題で混乱していても、対応を迫られる出来事は生じ、その対応で奔走する人達は在る訳だ。そして愉快なのは、そういう事態を嘲笑するかのように、何やら仕掛ける人物も現れるという辺りなのだが。

なかなかに愉しんだのだが、一つだけ凄く感じ入った挿話が在った。作中で、混乱した状況の故に思いも掛けずに大活躍をすることになる、何年か前の経緯で閑職に左遷された、定年が近い警察官が登場する。彼の妻が、作中での色々な出来事も生じる病院に、末期癌で入院中だ。入院病棟の廊下の窓の辺りに妻が佇み、彼がそこを観られる辺りに足を運び、携帯電話で話している。そして、何もかも見舞が禁じられ、長く人生を共に歩んだ家族が普通に言葉を交わせない、場合によってはそうしている間に死んでしまう可能性さえ在るという様子に疑問を呈する。その関係の挿話が、何か凄く刺さった。

本作は、繁華街の交番で若い巡査が奮戦して、意外な拡がりを見せる事態に向き合う様がテンポ好く描かれているエンターテインメントだが、他方に感染症の問題で揺らいだ時代を告発するような、「柔らかい布に包んだ鋭い刃」というようなモノも感じる。なかなかに面白い。

『新宿花園裏交番 坂下巡査』

↓なかなかに愉しい“警察モノ”の小説だった。

新宿花園裏交番 坂下巡査(祥伝社文庫か21-5)



↑紐解き始めて夢中になり、素早く読了に至った。

本作は、題名のとおりに新宿の花園裏交番に勤務しているという坂下浩介巡査が主人公という物語である。警察官になって2年という、「交番の若いお巡りさん」という感じの青年である。作中、高校生であった頃の事を「10年前」としているので、27歳、28歳であると判る。

本作は4つの章、または篇から成る。最後の1つは「短めなエピローグ」という雰囲気も色濃いので、実質的には3つの挿話を組合わせて創られた物語という感だ。各章または篇には「冬」、「春」、「夏」、「秋」と季節の名が冠せられている。各章または篇の出来事が在って、3カ月程度を経たということで、次の章または篇が始まっている。

「冬」、「春」、「夏」の各章または篇である。各々が好い纏まりで“篇”という雰囲気も漂うのだが、各々に前のモノで語られた事柄への言及が出て来る関係で、各々が長い物語の“章”というような印象だ。故に以降は「または篇」を排する。

「冬」の章は、繁華街の数在る配置される警察官が多い交番の一つに勤務する坂下浩介巡査が登場し、起こった出来事に向き合って奔走しながらも、嘗て縁が在った人物によく似た男に出くわしたことを気に懸けているというような話しになる。「春」の章、「夏」の章にもその気に懸る人物が向き合う事案に関わる。

主人公の坂下浩介巡査の周辺の人達、交番の大ベテランである上司や、新宿で名前が売れている女性の名物刑事等、魅力的な劇中人物が多い。何か、経験不足を熱意で補いながら、出くわす人々と、人々が関わる事案に向き合う様が、「お仕事モノ」的であり、同時に「青春モノ」的で、更に事案の事情を解き明かす「事件モノまたは推理モノ」で、非常に愉しい。

個人的には、随分と古い時期ながら、新宿界隈に多少は馴染んでいるので、作中の色々な場所の雰囲気が少し思い浮かばないでもなく、何となく入り込む感じで読み進めた面は在った。

こういう感じの小説は好きだ。

『ルポ プーチンの破滅戦争 ―ロシアによるウクライナ侵略の記録』

↓2023年1月に登場している一冊である。紐解き始めて素早く読了に至った。

ルポ プーチンの破滅戦争 ??ロシアによるウクライナ侵略の記録 (ちくま新書 1702)



↑本書は、題名で直ぐに判るとは思うが、2022年2月24日以降の「侵攻」を巡る内容である。

本書の著者は大手新聞社で国外に設けた取材拠点に出て取材活動を行う経験を重ねている記者である。本書の内容に在る取材当時(2022年)、更に現在もエジプトのカイロで主に活動している。

ウクライナとロシアとの紛争は2022年2月に突発的に発生したのではない。少なくとも2014年頃から摩擦が続いていた。そして2022年に入って緊張が高まり、2月には「侵攻が起こってしまう」という話しになった。

そうした中、カイロに在った著者は「緊迫する情勢の取材」に従事することとなり、ウクライナに入る。著者はモスクワに在った時期も在り、ロシアやウクライナでの様々な取材経験も有しているという。そういう訳で、適任者として現地へ向かったのだった。

「起ってしまう」という話しが出ていた中で現地取材をし、「起ってしまった」という中でとりあえずウクライナを離れた後、再度取材の準備を行い、4月下旬から5月上旬に現地へ入って再度取材を行っている。

本書の題名に「ルポ」と在る訳だが、こうした現地取材での見聞と、背景情報や見聞からの観方ということが本書の内容ということになる。

国外の注目すべき事態が起こってしまっている地域へ入り込んだ日本人記者の目線で観た現地の様子や一寸した経験が少しだけ挟まりながら、ウクライナ国内の識者、自治体幹部或いは政治家、様々な市井の人々にインタビューを試み、それを纏めたモノが豊富に掲載されている。加えて報じられた、または何らかの形で伝えられたロシア、ウクライナの両大統領の発言等も取上げられる。

結局「人々の肉声」に重きを置いた内容である。“戦場”と化してしまった「自分達の街」で何が起こったのかという生々しい話しも多い。

ロシア側は素早く政権転覆をしてしまう事を図ったと見受けられるが、ウクライナ側がそれを何とか阻止した。そこで戦いが長期化し、余りにも色々な事が起こってしまっている。

ウクライナ側は、政権が主戦論寄りであるかのようにも見えるが、著者の観方は独立を護るべく何とか抗わなければならないと考える世論が強いということである。が、市井の人達の声に耳を傾けるように、本書に在ったインタビューを読めば「生命を擦り減らすような怖ろしい事態を早く収束したい」という想いも強いと感じた。

或いは「収束の機を逸して長期化?」というような状況が、この紛争の中に在るような気もするのだが、本書の内容は知っておくべき内容だと思った。

新聞や雑誌のようなメディアでは「紙幅の制約」というようなモノは免れ悪いと見受けられる。それに対して、本書のような書籍は、現地取材もしたという著者の想いを力一杯に綴ることも叶うであろう。そういう「現地で聴いた肉声」を記録として残し、読者に伝えようという、著者の溢れる想いというようなモノを、頁を繰る毎に感じた。

「戦場の真実」とでも呼ぶべきモノが如何なっているのかは判り悪い面は在るかもしれない。が、“戦場”と化してしまった「自分達の街」―“戦場”を通り越して、失礼ながら“廃墟”の様相を呈してしまっている例まで在る…―で過ごす羽目に陥った人達の肉声は重たい。更に、色々な背景の、ウクライナ国内の識者の観方も興味深い。中には開戦前と進行中との複数回に亘って話しを聴いた方も見受けられ、それが非常に興味深い。

ウクライナにもロシアにもロシア語話者は多く、そういうように自認していないにしてもロシア語を解する人は多い。故に両国間で“言葉”は通じる。が、目下の情勢が進む中で“話し”が通じ悪くなってしまっている面も在るようだ。本書の中ではそういうことも示唆されている。

極個人的には「“言葉”が通じ悪くても“話し”は判る」というような、国境を越える善隣関係の構築と発展を願い続けたという面が在る。そういう経過を負うが故に「“言葉”が通じても“話し”は判らない」という情況が深まっているようであることに戸惑う。そして「“言葉”が通じても“話し”は判らない」という情況下で、多くの生命が擦り減らされるような振舞いが続いていることに戦慄してしまう。

余計な極個人的感想も付しておいたが、本書は広く読まれなくてはならない一冊であると思った。

『樹林の罠』

↓気に入っているシリーズの新作というのは、「遠方の友人知人の消息を知る」という感じで愉しく読む。札幌都心部に在るという警察署の刑事達が活躍する「道警シリーズ」の新作だ。

樹林の罠



↑シリーズの愛読者には御馴染の面々が活躍して、事件の謎を解き明かして行くという展開である。頁を繰る手が停め悪くなってしまい、素早く読了に至った。

明確に年月が記されているのでもないが、2021年頃の感染症の問題で何となく落ち着かないような様子の中で、作中の出来事が起こっている。

“大通署”の佐伯刑事は、部下の新宮刑事と盗犯の担当をしていた。大きな事件の特捜本部等からは外され、細かい事件を扱うことが専らであった。

同じ“大通署”で少年係に在る女性の小島刑事は札幌駅前の交番に急行していた。上川管内の小さな町の小学3年生女児が、列車を乗り継いで札幌駅にやって来て「御父さんに会う」としていて交番に保護されたのだという。小島刑事は女児を保護して児童施設に泊らせる段取り、旭川で働く母親が迎えに来るように連絡を取ること、札幌市内に在るという父親と連絡を取って家庭の事情を尋ねる等して奔走していた。その父親の職歴等を聞く中、旭川の「ブラックな感じ」の会社の名前が出て、少し気になっていた。

機動捜査隊の津久井刑事は、「ひき逃げ?」という情報で現場へ急いだ。車から出た男がフラフラとしていて、通り掛ったトラックにひかれて死亡してしまったというのだ。男性は、何らかの危害を加えられたように見受けられた。そこで“大通署”に捜査本部が立上り、捜査が始まった。

そんな時、“大通署”の管轄内で、弁護士事務所が「家宅侵入の被害」という連絡が入った。佐伯刑事と新宮刑事はこの件の対応をすることになった。未だ戸建ての住宅等も目立つ辺りで、自宅に併設されている弁護士事務所を訪ねて様子を調べる中、相談を受けていた弁護士が会う予定になっていた人物が浮かび上がる。その人物は、トラックにひかれて死亡してしまった人物であった。

幾つかの出来事が不思議な結び付きを見せる、或いは不思議な結び付きから「事の真相」が解き明かされて行く。弁護士事務所の「家宅侵入の被害」という地味な案件が、思いも掛けない拡がりと深まりとを見せて展開する。

作中、佐伯刑事、小島刑事、津久井刑事は各々の部署に在るのだが、このシリーズの最初の作品、またはそれ以前からの仲間であり、今般も絶妙なチームワークで事件解決に向けて奔走する。モデルになっている場所が在るのか否かは判らないが、彼らは<ブラックバード>というジャズを流していて、ライブも可というバーに集まっている。バーと言っても、珈琲も飲めるようだ。

本作では、過去の経過を知り得る人に会うことや容疑者を追うようなこと等、物語の殆どの部分が札幌都心部で展開している。個人的には土地勘が在る辺りなので、作中で描かれる場所の雰囲気が強く思い浮かび、何か夢中で「入り込む」というような感じにもなる。

『母という呪縛 娘という牢獄』

↓何かで紹介されていて興味を覚え、入手してゆっくりと紐解き始めたが、次第に引き込まれたという感であった一冊だ。

母という呪縛 娘という牢獄



↑本書は、実際に起きてしまった事件に纏わる内容である。が、読後には「事実は小説よりも奇なり」という、少し言い古された諺を想い起さざるを得ない。

本書の序章に、事件を巡って逮捕されて施設に収容されている犯人と著者とが「第三者」として面会をすることが叶い、聴き取りや他の調査とで本書が綴られて行くようになる経過が示されている。正直、この辺りで既に「手が込んだ小説?」という雰囲気が漂っていたように思う。そして全体の「驚くべき!?」という以外に形容する術が思い当たらないような展開が在る。

滋賀県の平穏な地域の河川敷で発見された“不審物”が「人体の一部」であると判る。調べると、発見現場の少し先に住んで居た58歳の女性が姿を消していると見受けられた。“不審物”は女性の遺体の一部であるらしいということになった。女性と同居していた34歳の娘が在ったが、少なくとも彼女が遺体を損壊し、遺棄したと推定された。そしてほぼ間違いなく殺害したと見受けられるということになった。「その背後に?」ということで、母娘の経過を探って綴ったのが本書なのだ。

多少、乱暴な言い方だが、何やら「怖いモノ観たさ」というように表現し得る気分で、本書を読んでいて頁を繰る手が停め難くなってしまった。本書を読んでいて、「如何してこういうことに??」と、変に引き込まれてしまっていることに気付いてしまう場面が連発した。

逮捕された女性は、大学の看護学科を出て資格を得て、病院の看護師として勤務し始めて日が浅いのだが、既に30歳代である。これには訳が在る。9年間も「浪人」をしていたのだ。医学部進学を目指す生活を長く送っている。受験科目が多く、人気が高いので倍率も高く、浪人を重ねる受験生も見受けられるのが国公立大学の医学部の入試というモノだが、それでも「9年」というのは少し異様である。本書はそんな様子や、そういう様子の中での母娘の様子や、様々なことに可能な限り踏み込んで綴っている。

或いはこの逮捕された女性は、「第三者」に来し方を語りたかったのかもしれない。著者はそれを真摯に受け止めて本書を綴ったということなのかもしれない。綴られている内容を読む限り、母は「何か病んでいる?」というようにしか思えない。そして様々なやり方でそれと向き合う中、娘の方も「何処か病んでしまった?」ということなのかもしれない。何か、余りにも閉鎖的な人間関係の中で「病膏肓に入る」というようになって行き、この娘の父親というような人が手を差し伸べられずに苦しんでいるというような様子も伺える。

事件の関連事項を掘り下げて調べ、それを綴った本書なのだが、何か「手が込んだ小説」というようなモノを読んだ際のような読後感だ。何か引き込まれる本書であるが、或いは「病める時代」というモノを象徴的に物語るようなないようかもしれない。酷く考えさせられた一冊だ…

『土竜』

↓少し評判になっている小説と聞き及び、入手して紐解いてみた。「なるほど!面白い!!」という感で少し夢中になり、素早く読了に至った。

土竜



↑巻末の「初出」という辺りから察すると、文芸誌に6回に分けて掲載されていて、何か「6篇」というように感じないでもない面が在るかもしれない。が、間違い無く最初から「6つの章から成る1つの長篇」という企図で創られた小説であると思う。先の方の篇に現れる話題が、後の方の篇で「回収」という例も多く在るのでそういうように思った。

本作は「竜二」(りゅうじ)という男を主人公とする物語である。「各篇」というようにも見える「各章」は、各々に視点人物が設定されている。「竜二」自身が視点人物となっているのは2つの篇、または2つの章である。(以降は「章」としたい。)

「竜二」は高知で育っている。冒頭の章は、戦争未亡人であり、苦労しながら4人の子ども達を育てた女性が登場し、視点人物となる。この女性の末の娘が他所で子を産み、女性の所にやって来て「預かってくれ」ということになる。この子が「竜二」である。

以降、「竜二」は中学生、高校生と育ち、高校を卒業した少し後の時期が在って、高知を離れて東京に出る。高知に残った友人が視点人物となる章が入って、5つ目の章では時間が随分と発つ。「竜二」は東京に出て俳優となり、一定の成功も収めるのだが、事件を起こしてしまって悶々と過ごしている最中だった。そして終章だ。

ハッキリ言えば、作者の高知東生(たかちのぼる)の「自伝」というような内容の小説になっている。「竜二」のモデルは御自身であると判る。作中人物達も、小説としての脚色は入ったにしても、手近な人達に直接的なモデル、または何人かのモデルを合わせて造形している人物も在るのだと思えた。また作中の様々な挿話も、実際の出来事や見聞に負うところが多いかもしれない。

複雑な生い立ちで、青春を駆け抜け、養父の事情も絡まって故郷を離れた「竜二」は、掴んだ成功を零して悶々とする中、改めて自身の人生と向き合うことになって行く。凄く引き込まれる物語だった。

作中には「竜二」が生きる時代の情況―世相や話題になった事件等―が示唆される言葉も入っている。そういうのが「判る…」と思ったのだったが、作者は自身より4年程度年長ということで、「自身の頭の中に在る“人生年表”というような諸々の記憶」が被っていることに気付いた。序でに、本作の主な舞台ともなっている高知についても、極短い滞在ながらも一度訪ねた経過が在って、街の様子が頭に思い浮かんだ。そういうような意味でも、本作は面白かった。

作者は色々な活動に携わってもいるようだが、こういう興味深い小説を綴り続けるのであれば、自作も是非読みたいと思った。

『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』

↓非常に興味深い内容が愉しめる一冊であると思う。凄く「新書らしい」というようにも思った。

占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色 (岩波新書 新赤版 1964) [ 佐藤 洋一 ]




本書の題名にも在る「オキュパイド・ジャパン」というのは1945年から1952年の「占領下に在った日本」を意味する。そして本書だが、その「占領下に在った日本」の様子を詳しく論じているという程のことではない。本書は「“史料”としての写真」、「“写真文化”の歴史」、「写真の継承」というような諸要素が合わさった事柄を述べていると思う。

現在、1945年から1952年の「占領下に在った日本」で撮影されたカラー写真が色々と伝えられている。

伝えられている写真には様々な性質のモノが在る。伝えられる写真を撮った人の属性、目的等が色々と在る。大雑把に言えば、公務で撮った可能性が高い画も在れば、個人的な画も交る。

そしてその伝えられている“カラー写真”とは「スライド」である。多くがコダック社のリバーサルフィルムで撮影され、コダック社へモノを送ってスライド化するのである。

多分「写真を撮る営為」と「モノとしての写真」というようなことでは、時代が変われば色々と変わるのだと思う。「スライドの“カラー写真”」という時代には、「撮影者等の“語り”が加わって投影され、家族や友人や知人等が集まって観る」という営みの存在感が大きかった。殊に個人的な画はそういう傾向が強かった。

公的な機関に「資料」または「史料」として伝わるモノに多く見受けられる、公務で撮った画に関しても、「スライドの“カラー写真”」は「公務の報告に際し、説明の“語り”が入って、報告会参集者に投影して見せる」という利用のされ方だったようだ。

そういう“語り”の前提が在って、モノクロ写真を貼り付けた写真帖(アルバム)のようにコメントが或る程度詳しく残る場合が生じているのでもないのが「スライドの“カラー写真”」の特徴ともなるようだ。

その他、本書には占領軍関係者等による「写真を撮る営為」に関する事や、史料としての扱い方、今後の展開や期待等の豊富な話題が盛り込まれている。

「写真を撮る営為」と「モノとしての写真」というようなことについては、1940年代という程に遡らなくても、この20年間以内位で随分と変わっているというように観る。「写真を撮るカメラを…」とでも言えば首を傾げる人達、「写真とはスマートフォンに画像を記録すること」とでも思っている人達が相当に多いことであろう。用紙にプリントする以上に、デジタルデータとして保管される写真が圧倒的に多い様子にもなっているであろう。こういうのは然程古くからのことでもないと思う。

そういう変遷が在るからこそ、「“史料”としての写真」、「“写真文化”の歴史」、「写真の継承」というような事柄に想いを巡らせることに大きな意義が在ると思う。本書では、デジタル技術による画像処理の恩恵も少なからず受け、貴重な画を少し多めに紹介しているのだが、それらが素晴らしく少し驚く。正しく「オキュパイド・ジャパンの色」である。

色々な要素が合わさって興味深く読み進められる一冊であると思う。御薦めしたい。

『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』

↓本書の登場を知り、直ぐに入手に動き、届いた本書をゆっくりと紐解いた。そして頁を繰る手を停め悪くなり、素早く読了に至った。

欧州戦争としてのウクライナ侵攻 (新潮選書)



↑多様な論点を論じたモノを積み上げた、実に読み応えが在る一冊であると思う。

本書の題名にも在る「ウクライナ侵攻」は、「何時“終わる”のか誰も知らん」という意味での「長期化」という様相で気持ちが曇る。生命が擦り減るような事が既に1年間も繰り返されていて、何時までやっているのか判らない。「その他大勢」に過ぎない市井の一個人が、何かを如何こう出来るのでもないが、それはそれとして「何とかならないものか?」と思う。

その「何とかならないか?」に繋がるか否かは判らないにしても、「少し間口を拡げた論点」を知る、学ぶというのは重要であると感じる。声が大きそうな人の言うことに頷いているばかりではなく、「如何しましょう?」を受け止めて自身で考える必要が在ると思う。そのためには「考える材料」が沢山要ると観る。仮令「如何しましょう?」に「如何するのが善いものか…」で応じるにしても、静かに材料を集めて考えることが肝要だと思っている。故にこの種の本を眼に留めると手にするのだ。

とりあえず「彼の地の事態」について、本書の題名にも在る「ウクライナ侵攻」という表現を用いた。が、この「事態を如何いうように呼ぶのか?」ということ自体が、或いは重大な論点にもなり得るということが本書の中にも在った。争う場合、「如何いうように聞こえる?」が大切だということである。

ロシアが「特定軍事行動」と称する行動、「侵攻」を始めてからの推移が在る。そういう推移の中で、事態の「落としどころ」というようなことが益々混迷している経過が在る。そして欧州諸国が巻き込まれ、関与もしている。NATOという枠組みを通じて米国も巻き込まれ、関与している。そういうことで事態は既に「欧州戦争」の様相である。

本書はその「欧州戦争」という観点で、「彼の地の事態」そのものに加え、NATOに関連する諸問題にも紙幅を多く割いている。その結果として、「侵攻」の脅威が世界に広げてしまった過ぎる程に大きな波紋が、より詳しく描き出されている感である。

「侵攻」の脅威が波紋を拡げる中、破壊や殺戮の「エスカレーション」が懼れられることになるが、その「エスカレーション」を抑止しようと両陣営が色々と発信しているというような事の論考も在った。

目下のロシア側の行動が意味する何か、ウクライナ側の反応を考えると、戦闘を停止する動きに如何いうように繋げるのか“答案”というようなモノは示し悪い。

戦争行為の中での“勝利”というのは「目的を果たす」ということになる訳だが、ロシア側がそれを得るにはウクライナが崩壊するというような事態であり、ウクライナが何かを譲歩するような余地が全く無く、南東部の4州を「併合」と称する動きで何やら訳が解らなくなった。また戦局が進む中で余りにも色々と在って、「何処で妥協?」が判らなくなってしまってもいる。

そして、事態がとりあえず落ち着いたという後、ロシアと各国との関係を如何して行くのかも全く判らない。ロシアと各国との入り組んだ経済関係が、「制裁」の件も絡んで複雑になっているが、それの“着地点”というようなモノを示すことが叶わない。

また、ウクライナは戦禍で大いに荒廃してしまって、戦闘が落ち着いた後に大変な苦難を抱えることは明らかだが、ロシアがとりあえず撤退しても、ロシアの側は「再度の“行動”」という余地も残るかもしれない。如何いうようにするのが善いのか?これも難しい。

本書にはこういうような論点、また「ロシア国民を如何観る?」というような事等、扱っている範囲は広い。NATOを巡る少し前の論考に手を入れたモノ、侵攻の事態推移を観ながら書き綴り続けて手を入れたモノ、本書が出る直前に書き下ろしたと見受けられる箇所が組み合わさった労作である。

それにしても、本書のような幅広い論点を示してくれるモノに触れて「彼の地の事態」を想うと、何か「“妙な時代”に入口辺り」に居合わせてしまっているというようなことを感じる。

本書は広く御薦めしなければならない一冊だと思う。

『安倍晋三 回顧録』

↓大変に話題になっている本であるようだ。何とか入手し、紐解いてみて、素早く読了に至った。

安倍晋三 回顧録 (単行本)



↑手元の本を見ると「2023年2月10日 初版発行」で、更に「2023年2月20日 再版発行」となっている。予想以上の反響で、急いで刷り増ししたという情況が伺える。

首相経験者の事績や人物を語る評伝や伝記、当該人物をモデルとした主要視点人物が登場する小説というようなモノは多々在ると思う。が、書き綴ったか、話したことを文字に起こすかで「首相経験者御本人の回顧談」が本になって登場するという例は、日本国内では余り無いような気がする。

本書は通算で3188日間、日本の憲政史上では現在時点で最も長く首相を務めた安倍晋三の回顧録である。1回に2時間程度の時間を取り、18回、計36時間に亘ってインタビューを重ね、御本人の言を文字に起こしたモノである。

全体に「問い掛けと応答」という体裁である。雑誌等で見掛ける、ややボリュームが在るインタビュー記事が折り重ねられているような雰囲気である。

冒頭、2020年に首相を辞任する前後の時期のことが振り返られ、以降は最初に首相に就任して1年余りで退陣した時の様子から、自民党が野党となっていた時期に総裁を目指し、そこから選挙に勝って政権を取り、首相として活動した中での様々な話題が概ね時系列に並ぶ。途中、首脳外交で接している外国指導者に関する挿話を纏めたような箇所も在った。

全般に「〇〇は如何ですか?」というような調子が排され、「XX年の〇〇の件はこういうように言われていましたね?」というような、遠慮せずに斬り込むような調子も在って、「安倍晋三政権の時代に、こういうのが在ったな…」とニュースを色々見た側としても記憶が蘇る感だった。

安倍晋三の2回目の首相就任以前、小泉純一郎首相の後は「日本の首相は殆ど毎年交替している??」という様子だったと思う。そういうことを想うと、安定的に首脳外交を展開して、各国の指導者達の間でも一定以上の存在感を示し得たということは存外に好かったのかもしれないと思える面も在る。

他方、「再チャレンジ」で野党党首から首相を目指した時は、民主党政権下で「損なわれた何か?」が在って、それを「取り戻すのだ!」という強い気持ちを持っていたのかもしれない。が、長く続けた中で、自民党政権の下で「損なわれた何か?」、または「看過されてしまった何か?」というようなモノが色々と在るのかもしれないというように、個人的には思わないでもない。

色々と語られている内容について、個人的には「本当か??」という程度に思ったモノも一部に在ったが、一つ感心した内容が在った。それは2回目の首相就任から長く活動出来たことに関して「1回目の“挫折”から立ち直ろうとして始めた」としていた点だ。5年程度で返り咲いた「再チャレンジ」ということになる。首相のような要職を務めるという大きなことではなくても、この「再チャレンジ」という考え方は、一寸大切であるような気がした。

巻末に色々な資料も収録されている。その中に、葬儀の際の菅義偉のスピーチ、国会での野田佳彦の追悼演説が在った。何れも評価が高かったスピーチだが、読んでみて好いと思った。

聞けば2022年前半に出版の準備が整っていながら「少し待て」となっていた本書であるという。安倍晋三が凶弾に斃れる羽目になってしまった後、御遺族たる奥様の了解も得て出版に踏み切ることになったそうだ。数奇な生い立ちの本かもしれないが、「安倍晋三政権の時代とは如何だった?何だった?」を考える重要な材料になりそうだ。現在も、未だ「安倍晋三政権の時代」の余韻の中に在るのかもしれない。だから本書は大きな存在感を放つのだとも思う。

『ウクライナ戦争をどう終わらせるか: 「和平調停」の限界と可能性』

↓題名を見て興味を覚え、直ぐに入手して紐解いた。出逢って善かった一冊だ。

ウクライナ戦争をどう終わらせるか: 「和平調停」の限界と可能性 (岩波新書 新赤版 1961)



↑現在、非常に大きな問題となっているウクライナでの戦争を入口にしながら、軍事紛争に苦しんでいた状況の解決と事後の様々な事柄、そうした関係地域での日本の国際協力の経過というような幅広い話題を取上げ、ウクライナでの危険な状態を脱することを期したいとする内容で、読み応えが在る一冊になっていると思う。

「戦争の終わらせ方?」というようなことは、辞書や百科事典に載っているようなことでもないのかもしれない。が、「戦争が終わる」というのは、「何れかの陣営が軍事的に勝利」というような第2次大戦のような状態でもなければ「交渉による和平合意」ということにしかなり得ない。ロシア側が<特定軍事行動>と称する「侵攻」に端を発するウクライナでの戦争も、とりあえずは「交渉による和平合意」を目指す他に無いのかもしれない。そういうことで、少しの間模索された停戦合意の経過、それが沙汰止みのようになった後の経過等を本書では論じている。更に、色々な事例や、幾人かの論者が取上げている論点を紹介し、「戦争犯罪」なるモノの取り扱いを巡る事柄も取上げている。こういう事柄を論じている例は余り知らず、少し参考になった。加えて「経済制裁」に関する事も広く論じられていた。

既に戦争は1年も経ち、ウクライナ各地の民間人の間では子ども達に至る迄、戦争状態が日常化してしまうような状況に陥っている。少しでも早く停戦への動きが加速して頂きたいものだ。そして戦禍で荒廃してしまった国を建直すというような動きの中、様々な国際協力の模索ということも在るであろう。そういう国際協力ということに関して、日本は存外に豊富な経験を有しているということも本書では紹介されている。

残念ながら、開戦から丸1年を経て、停戦の動きは未だ視えない感である中だが、それ故に本書には「とりあえず読むべき!」という内容が込められていると思う。御薦め!

『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』

↓何処となく惹かれるモノが在って手にし、紐解き始めて少し夢中になった一冊である。

ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世 (講談社現代新書)



↑現在のドイツやイタリア、更にフランスやスペインも少し入るような欧州の“中世”、日本史で言えば平安時代の半ばに相当するような10世紀の様子を背景に、合戦や謀略や政治的駆け引き、近親者間での愛憎や争い迄と、実に色々と在る群像のドラマが展開するような物語であった。壮大な大河ドラマが展開するという内容で非常に面白かった。

オットー1世(912‐973)が本書で語られる物語の主人公に据えられている。「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」という概念はカール大帝(742?‐814)が創ったとされる。そのカール大帝が開いた帝位の伝統が途切れ、約40年ぶりにオットー1世は「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となった。そして後に<神聖ローマ帝国>と号することになる“帝国”を拓いたとされる。(同時代の、また御本人の認識としては「カール大帝の後継」であって、<神聖ローマ帝国>と号する存在が確立するのはもっと後、13世紀頃のようだ。)

本書はこのオットー1世の事績と時代を語る内容だ。そして御本人や同時代人が然程意識していなかったにせよ、現在の“ドイツ”という概念、そういうように呼ばれる版図の礎を築いた側面も在る。故に本書の題名に「ドイツ誕生」と在るのだ。

カール大帝が築いたフランク王国は、当時の「財産」としての領土や王権に関する理解、加えて相続の慣行により「分国」になって行った。大雑把に、現在のフランス辺りの西フランク王国、ローマ以北のイタリア辺りの中フランク王国、ドイツ辺りの東フランク王国に別れた。そして各王国内に色々と事情が在った。各王国は有力な大公の公国の連合体のような様相も呈した。

オットー1世はこれらの中、東フランク王国の王家の出である。父の代迄に東フランク王国は集権的な体制の礎を築き、「分国」になって行くような相続方式を改め、オットー1世が東フランク王国の王位を単独で引き継ぐというような体制を造った。そういう条件下、オットー1世は大公の公国の連合体のような様相を、「王に一定の権利を認められた伯爵が集まる封建制度の王国」という様相に替えて行き、更に当時の学識者で、文書作成等に通じた聖職者を行政官、官吏とするような体制を築いて行った。そういう動きの他方、異母兄、弟、息子と近親者が反乱の旗頭になるというような事態が繰り返し発生する。加えて、子女が次々に夭逝するという不運も相次いでいた。

それでも、オットー1世は東フランク王国で強力な権勢を有する体制を築いて君臨し、ハンガリーやスラブ系の諸族との争いでも優位に立つようになり、西フランク王国にも影響を行使するようになり、イベリア半島のイスラム勢力やビザンツ帝国との外交等も展開して行く。加えてイタリアに関しても、長きに亘っての争いを制し、やがて「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となって行くのだ。

オットー1世が軍勢を率いてイタリア方面に何度も押し出した経過の中、「“民衆語”とやらを話す連中が…」とイタリアの人達が彼らを他称した訳だが、それが「ドイツ」という概念の起こりと見受けられるらしい。「ドイツ」という語の基礎となるのは「民衆の」という表現であるという。そういう意味で、オットー1世は「ドイツ」という概念を産み出すような動きを起こしたと言い得る訳だ。

オットー1世の時代の後、ドイツの有力な王が「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となることが繰り返された。そしてイタリアに遠征するというようなことが重ねられた。他方、遠征に従軍するドイツ各地の伯爵達の伯爵領での権益が従軍の見返りに強化されて行く。こうしてドイツ語圏の色々な様子が何世紀にも亘って作り上げられることになる。その「起こり」はオットー1世の時代と言い得る。そういう意味でもオットー1世は「ドイツ誕生」の鍵となっているのかもしれない。

個人的には、嘗て自在に列車に乗降可能な“レイルパス”を手に欧州諸国の各地を巡った中で、ドイツを東西南北に様々に動き回った思い出が在る。そういう時期に通り過ぎた記憶が在る地名が沢山出て来るのが本書だ。当然、オットー1世の時代に鉄道は通っていないが、本書に在る地名で思い出して、「東へ進んだ…南へ進んだ…そして北側…」と位置関係を思い出していた。現在に迄、その地名が伝わる辺りや、地域間を結ぶ街道のようなモノや街の様子も想像し悪いような時代に、愛憎、謀略、野心に溢れる人達が展開したドラマを思い浮かべながら、少し引き込まれながら本書を愉しんだ。

高校2年の時に履修した世界史で、「オットー1世」という名は在ったような気もする。が、本書のような「凄いドラマ」の主人公とは思わなかった。自身が高校生だった頃の世界史は、何となく「極々大雑把な経過」と「極めて知名度が高い用語」とに終始する感じだった。そういう意味で、もう少し「人々のドラマ」というのか、判り易い形で「産業や文化活動の変遷」というような事柄が入り込む余地が大きい気がした日本史がより面白いと思い、高校2年の時の2科目と違って1科目を択ぶことになった高校3年の時は、日本史を択んで履修した。序でながら、大学受験の選択科目も日本史にしたのだった。ということで、本書のような本に時々出くわし、世界史を復習または「改めて学ぶ」というようなことをして何年も過ごしている気がする。

こうした「世界史関係の話題」というのも、時には凄く興味深いモノだ。

『教養としての日本の城』

↓各地の城址を訪ねるというようなことに関心を持っている分には、非常に興味深い一冊に出くわすことが叶ったと思う。

教養としての日本の城 (平凡社新書1023)



↑本書は「各地の城址を訪ねる」ということの御案内に留まらず、判り易く目立つ形で残る建築、或いは存在が伝わる巨大な城ということを入口に「近世の文化の変遷」を説くような、なかなかに興味深い内容を展開していると思う。

「城」とでも言うと、色々な史跡が在って、その内容は様々である。が、「城」とでも言えば「大きな石垣の上に、大きな建物が建つ」というような様子を思い浮かべるというのが「公約数的な理解」になると思う。そういう「大きな石垣の上に、大きな建物が建つ」というような様子の「多分“元祖”」は、かの安土城と思われる。本書はその安土城に纏わる篇を冒頭に置き、以降は「近世の文化の変遷」の中で語るべき内容を持つ各地の城を取上げた篇を連ねている。

本書で取上げられている各地の城は、安土城、大坂城、小田原城、熊本城、姫路城、二条城、彦根城、名古屋城、江戸城、島原城、原城、丸亀城、宇和島城、高知城、松山城、松前城、五稜郭ということになる。これらの中、個人的には原城、宇和島城、松前城は近寄った、または遠望したということも無い。江戸城も「城址を訪ねて」というようなことはしていないかもしれないが、東京に在れば、その城址に相当する場所を動き廻った経過は在る。そういう具合ではあるが、とりあえず取上げられた場所の多くを訪ねた、または立寄った―「訪ねた」と言いたい程にゆっくりしたということでもないながら、近くに行ってみた、眺めてみた、辺りを歩き廻った記憶が在るという感じ―という経過が在る。本書の叙述で「そうだ…あそこは…」と色々と思い出す場面も非常に多かった。

安土城が登場したような頃の、それ以前の時代には余り知られなかった「遠い国の宣教師の見聞」というような外国の建築の様子の伝承、鉄砲の類のような新しい武器を多量に用いる戦術の導入と普及を踏まえて、新しい様式の城が登場した。やがて、「徳川方と豊臣方で全国の諸勢力を巻き込む戦い?」という中で城の建設が流行り、建築の技術等が著しく発展した時期が在る。その後は「火災等で損なわれたモノを“旧に復する”」ということが専らである時代が続く。やがて幕末期に新しい発想での築城も見受けられるが、戊辰戦争関係の戦闘で、それらの城が大きな存在感を示し得たとも思い悪い面も否めない。こうした変遷が、現在に伝わる城の建物等の様子の紹介も交えて、詳しく語られているのが本書だ。読み易く面白いので、頁を繰る手が停まらずにドンドン読み進めた。

更に本書では、「火災等で損なわれたモノを“旧に復する”」ということで、防火のための工夫等が加えられる、そうした意図で改められるということが無いままに何度も「建直し」が繰り返されたらしい経過、新しい工夫が入るでもないままに創建時の形での「建直し」が為されて現在に伝わっているという経過、他所の建物の旧い建材が大胆に再利用されていると見受けられる建物等、「諸外国の事情と比べると、少し驚く」という内容も取上げられている。

本書は、訪ねてみて興味深い各地の城址の豊富な話題を供しているが、それに留まらず「近世の日本?」を広く深く思う材料を供してくれているというようにも思う。非常に興味深いと思う。