「こういう本が在る」と知った時、特段に関心を示さない場合も在れば、強い関心を示す場合も在る。強い関心を示し、本を手にした後、直ぐに紐解き始めない場合も在れば、直ぐに紐解く場合も在る。
「強い関心を示す」ということになって、「直ぐに紐解く」ということをしたとなれば「縁が強い一冊」ということになるのだと思うが、頁を繰る手が停め悪くなって、素早く読了に至ったということにもなると「大切な一冊」ということになるかもしれない。
↓本書はその「大切な一冊」ということになったかもしれない。

↑本との出会いについては「単なる偶然」という場合も多いと思うのだが、そういう「偶然」に「強く感謝しなければなるまい」と思う場合が在ると思う。本書は正しくそういう存在になった。
本書について、「女性のノンフィクション作家がサハリンを2回訪ねて綴った本」と聞いた。期待したとおりの部分、期待したとおりでもない部分、期待を大きく超えた部分と様々な要素が織り交じり、夢中になったのである。
結局、先人達の旅を想いながら、現地も観て思索を巡らせるということになると思う。2017年11月の旅は夜行列車でノグリキを往復することが核となっているが、1934年に樺太(サハリン)に入っている林芙美子が綴った事柄等に想いを巡らせている。加えて鉄道関係の興味というような要素も在る。2018年9月の旅は、1923年の宮沢賢治の足跡を追う、加えて樺太(サハリン)を訪ねた中で綴った詩等を引きながらかなり詳しく様々なことを綴っている。本書の題名の「サガレン」は少し古めなサハリンの呼び方であるが、宮沢賢治が用いた語であるという。本書の基礎となったのは雑誌連載ということなのだが、連載題名が「サガレン紀行」であったそうだ。
著者は方々を取材旅行や私事旅行で訪れて種々の作品を綴っているということだが、ロシアに縁が深い、縁が深いでもないが何度も訪ねているということでもないようであることが冒頭部で判る。初めてのサハリンだということだが、そういう「初めて訪ねて如何?」が掘り下げられることを少し期待したが、その辺はアッサリとしていた。本書は「今、この時の旅」というよりも「時空を超えて思索する」という要素が色濃いというように思った。
林芙美子は行商に携わった母親の下で育ち、少女期から随分と旅をしていたそうだ。縁者が在るでもない東京に出て様々な仕事も経験したという。その林芙美子は作家として名を成してからも色々な旅をしていた。樺太に関しても詳しく綴られているそうだが、著者はその林芙美子が綴った樺太の旅に纏わるモノを、長い夜行列車の旅の道中に徒然を紛らわせるべく持ち込んで読み、記述されている様々な文物や出会った人達や、林芙美子御本人の身に起こった出来事や、道中で計画を変更したらしい経過等を色々と考察しているのである。
夜行列車で辿り着いたノグリキに関する事柄は、期待していたような「初めて訪ねた方による紀行」という感だ。自身はサハリンは何度となく訪れていたが、ノグリキを訪ねる機会は設けられていなかった。それ故に興味津々だった。
後半、というよりも6割以上を占めているように見受けられるのだが、宮沢賢治を巡る部分は「非常に深い宮沢賢治の文学に纏わる論考」という様子だと思った。教員であった宮沢賢治は、教え子達の就職を巡って大泊(現在のサハリンのコルサコフ)に在った企業を訪ねるべく旅をした。が、御本人の心境としては、前年に他界してしまった妹に纏わる想いを整理するかのような旅となっていた。鬱々とした、別れの際に渦巻いた想いが消化し切れないという様子が色濃く滲む詩を綴りながらの旅であったが、樺太に上陸してから「妹の魂が向かって、辿り着いたであろう浄土」のイメージを得たかのような様子も伺えるという。
更にその後半部では、かの『サハリン島』のチェーホフや、チェーホフも『サハリン島』の註等で言及した農学者ミツーリにも話題が及ぶ。この辺りも更に掘り下げる余地が在ると思うが、本書では1870年頃のミツーリ、1890年のチェーホフ、1923年の宮沢賢治が栄浜(現在のスタロドゥプスコエ)周辺で、概ね同じ場所を歩いているようだという話題が面白かった。
サハリンは色々な事柄の境界という様相を呈しているのかもしれない。先人達が綴ったモノを手掛かりに考えると、「魂」というようなモノの境界でさえあったかもしれない。大変に興味深い。
本書は単行本化され、それが文庫化されていて、自身はその文庫を手にした、文庫には文庫版独自の著者による後書が付されている。本作の後、著者は2019年8月に3度目のサハリン訪問を敢行したそうだ。
本作で取上げた林芙美子の紀行文に、パンを売っていたポーランド人が登場する。その同一人物が、林芙美子と殆ど同時期にサハリンを訪ねたポーランド人が綴った文章にも登場するのだという。そのポーランド人は、流刑で入ったサハリンでアイヌの研究を進めたというピウスツキについて調査をしていたのだという。第1次大戦後の独立ポーランドの指導者であった人物の実兄としても知られる。そのピウスツキは地元の女性と暮らし、子どもも設けたのだが、諸般の事情で彼らを残してサハリンを離れて、後にパリで客死してしまっていた。林芙美子と同じポーランド人に出会ったという人物は、そのピウスツキと暮らしたアイヌの女性や子どもについて調べようとしていたのだという。そういうことで、著者はピウスツキに纏わる話題を掘り下げようと考えていたようだ。ところが2020年からは感染症の問題で国外との往来が実質的に禁じられたようになり、2022年以降は事情でロシア渡航が困難になってしまい、サハリン取材は何時になったら出来るのか、見通しが立たなくなってしまったと在った。
勝手に思うのだが、著者のサハリン取材ももっと回が重ねられると、「今、この時の旅」という内容も増えるかもしれない。如何なって行くのか判らないのだが。また、チェーホフの足跡というようなことであれば、ノグリキへ向かう列車の途中駅であるティモフスコエからバスで訪ねるアレクサンドロフスク・サハリンスキーが面白いと思う。帝政期や、ロシア革命後の日本軍による「保障占領」という時期のイメージが拡がることであろう。本書にも「保障占領」に関連の話題は在った。
「旅」に関しては、恐らく旅人の数だけその姿が在る筈だ。「今、この時の旅」も、「時空を超えて思索する旅」も、その他に様々なモノが在るのであろう。本書に触れてそんなことも思った。
何れにしても色々な意味で興味深い力作だ。御薦めしたい。