運航日誌:豊後→豊前→筑後→筑前→肥前→肥後→薩摩…(2018.11.26)

大分県の別府を発ち…杵築と宇佐とに寄り…福岡県に入って小倉を通り過ぎて博多へ…博多から鳥栖や熊本や八代を抜けて鹿児島県内に入り、鹿児島に至った…旧国名で言えば、豊後、豊前、筑後、筑前、肥前、肥後、薩摩と「J」の字を逆立ちさせたような形で鉄路を辿ったということになる…

今般…<ぐるっと九州きっぷ>というモノを初めて利用している…3日間連続有効で、JR九州の普通列車等は乗り放題…で、特急券等の料金を別途払うと、特急列車と九州新幹線(小倉・博多間以外の、JR九州が列車運行を行う博多・鹿児島中央間)の列車に乗車出来る…<青春18きっぷ>的に利用可能で、「優等列車優先」な区間で「使えると便利だが…」という列車に乗車可能になっている…特急券等の料金も、回数が多くなり過ぎると高価になってしまうが…納得出来る範囲で使えば善いというものだ…

今日は…杵築の城下町の風情を少々楽しんでから訪ねた宇佐八幡宮が好かった!!非常に古い由緒の神社…天地や森のエネルギーが渦巻いているような感がする場所だ…“御朱印帳”というモノまで入手して、御朱印まで頂いてしまった…これから、収集が趣味に加わりそうな感もする…

そして博多で<HRC>に道草で、食事を摂ってから一寸買い物し、<800系>という「九州だけで運用」の新幹線の車輛で鹿児島へ…鹿児島では雨交じりだったものの…<屋台村>で想定以上にゆったりとした…

そんな訳で…ほろ酔いで宿に…とりあえず休む…

「囚われた」??:レーニン広場(2018.11.23)

↓レーニン像が、妙な鳥籠のようなモノに押し込まれてしまったように見えて…一寸笑ってしまった…
23-11-2018 evening (4)
↑レーニン像の直ぐ手前で…大きなヨールカ―ロシア流のクリスマスツリーのようなモノ―を設置する工事が進んでいて、その骨組みが高い層まで組み上がって来たのである…位置関係で、レーニン像が籠に押し込められているように見えてしまったのだ…

雪も降って、1日の最高気温も低めになっている中、年末年始を彩るモノの設置工事…俄かに「歳末ムード」まで漂い始めた…

終に来た…

「持ち帰り」で求める珈琲を文字どおりに居室へ持ち帰っても、極々近所のカフェで求めるモノなので、全然冷めない…それをゆったりと啜るのが非常に心地好い…居室は、程よく暖房も効いているのが有難い…

夕刻に、何時の間にか「何時もの…」という感じになっている按配で食事を摂り、ゆっくりと居室に引揚げて珈琲を啜りながら一日を振り返る…今日は「来るべきモノ」が「来てしまった」という感である…

早朝に氷点下5℃程度、またはそれ以下というのが珍しくない感じになって少し経った多方、「積雪期が始まる…」という感の降雪や積雪からは免れ続けていた…それが今朝に至り、多少降り続いて、少しばかり積もった…

今朝の雪は、「積雪期の初期」に在りそうな「湿り気が多いベチャベチャなモノ」ではなかった…氷点下5度以下の気温なので、「厳冬期の粉雪」というクォリティであった…そして天候が少し好転した日中も、気温は「0℃に届いていない?」という状況…日本の用語で言う“真冬日”であったらしいユジノサハリンスクだ…雪は「適温な中で保存」という状況で、夕刻まで然程溶けてはいなかった…

若干の積雪に、「一日中 0℃を超えない気温」と…「本当に冬!!」という感じな状態が「来てしまった」という感だ。これも「来るべきモノ」だった訳で、今日にいたるまで降雪らしい降雪も無く、積雪が見受けられなかったというのが、「寧ろ異状」ということだったのだ…

昨シーズン…積雪が解けた水が凍った箇所で滑って、酷い目に遭った訳だが…今季はそういうのだけは避けたい…いよいよ「戸外では慎重を期す!!」を徹底しなければならないと思う…と言って…何ら特別なことが出来るでもないとも思うのだが…

昨年の11月下旬…何となく設けた時間を活かして、気になる文物に触れてみたり、「勝手知った(つもりになっている)他所」という程度の場所に足を運んで好き勝手に過ごすようなことを構想していたのだったが…自身の身体に異状が生じ「少しばかり静養」という状況だった…速いのか、遅いのか、そういう状況から丸一年を経たということになる…

最近は…夕食時に「食中の飲み物」としてビールを頂くことが多いからなのか、早めの時間帯に「何となく…」と眠気を覚え、それに抗わずに眠ってしまうことも少なくない…そういうことをしでかすと、夜中の妙な時間帯に目を開ける…そういうことをすると、直ぐに再度眠ることもし悪く、少し起きていて…変な時間帯にまた眠くなって休む…朝は、夜中に起き出すという展開でもなかった時と然程変わらないような時間帯に起き出す…変な感じだ…

特別に何かが出来るのでもないとは思うが…「凍っている足下」が「生じ易く」なってしまっている。これは「絶対に忘れてはならない!!!」と、記憶に刻むべく、こうして何やら書き綴っている次第だ…

暗い蒼…:レーニン広場(2018.11.15)

日没から暫らく経つ…街に灯りが目立ち始めて少し経つ頃…沈んだ夕陽の残照による空の色への影響が急速に弱まり、空の広い部分がナイトブルーへ向かい始める…

↓そういう瞬間に「暗い蒼」が覗く…
15-11-2018 evening (5)
↑名状し難い、独特な色彩…好い!

このレーニン広場が視える辺りにはベンチが据えられていて、そこに腰を下ろして一息入れることがしばしばだったが…積雪シーズン到来を目前に、ベンチが片付けられていた…

ワンス・アポン・ア・タイム…

近所のハンバーガーを主体とした店によく寄る…

「この間は〇〇だったから…今日は〇〇を御願いしよう…」と考えながらモノを頼むので、口を突いて「今日は…」という言葉を発してしまう。「そういう言い方をする人は?居ない…」と酷く可笑しがる店員さんが在るのだが…他の店員さんは一味違って、「こんにちは!今日はどうします?」と向こうから尋ねて来る…そういう場合も「今日は…」と応えてしまうのだが…

過日、そこに立寄ると「誰か…私の名を呼んだか?」と思った…声の方を振り返れば知った顔が…

私に気付いて声を掛けた人物…互いに「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような、「一昔以上前の稚内」の色々な様子を知っている、一定の頻度で連絡を取るとか会うということでもないながら、友人の範疇という人物だ…現在は御自身の出身地であるサハリンに在って色々とやっているようだが、永く稚内に在った経過も在る人物…

「御無沙汰した!前に会ったのは…アレの時か?久し振りだ…」と互いに偶然の再開を祝し、少しばかりビールを頂いて話しをした。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような、「一昔以上前の稚内」…“蟹船”と通称されていた貨物船が連日のように稚内港に入り、その数は年間数千隻に上った…入港に伴って上陸する船員は、「入港隻数×平均的乗員数」な訳で、直ぐに年間数万人となる…ピーク時には、上陸船員の数が「街の人口」を大きく凌駕するようなことさえ在ったが、「街の人口」に「比肩する」という状況が少し続いていた…

“蟹船”と通称されていた貨物船に関しては色々と「問題」は在った訳だが…それでも「街の人口」に「比肩する」という男達が他所からやって来て、相応の金を手に街に出ているという状況の下、「色々…」と在った訳だ…

“蟹船”と通称されていた貨物船が持ち込むモノを廻って色々な商取引が生じる…商取引が生じた中、関係先が別な関係先との商取引を行うという“波及”は間違いなく在った…上陸船員達は、船に関する消耗品を求める他、個人的な消費の意欲も旺盛だった…動き回る時は「街を歩いているのはロシアの船員ばかりだ…」と言われる程に歩いた他方、タクシー等も盛んに利用した…相当な「金回り」が在った訳だ…

他方…飲めや騒げやな男達…小さな摩擦から大きな摩擦、喧嘩沙汰に一寸した事件も「散見」というのを「通り越した」程度に在ったかもしれない…怪我や病気も在る…不注意や不運という次元の負傷も在れば、喧嘩沙汰の末での負傷というような「愚か者!」とでも言いたくなるような事案も一定数交ざった筈だ…何やら「恐ろしげな連中が跋扈」というイメージも無いではなかった…この辺に関しては、現地入りして色々とアンケート調査も交えながら考察した研究も存在しているが…

こういうような状況…既に「一昔以上前」で、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなる…出くわした友人と、そんな時代の想い出も交え、最近の「過ぎる…」という程に静かな稚内のこと等を暫し話していた…加えて、友人が最近に出くわした興味深かったということ等も教えて頂いたが…

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期…何やら「恐ろしげな連中が跋扈」というイメージが定着し、拡がっていた感な中、「出入を規制しろ!!」という論調も在った…そういう最中、「問題」が見受けられた“蟹船”に規制を加える動きが生じ、結果的に少し経って数が少々回復するものの、入港が減ったということが在った。そうすると、「入港による経済効果が圧縮されては困る」という論が湧き起こる…

「出入を規制しろ!!」という論と「入港による経済効果が圧縮されては困る」という論…相反するようにしか見えないのだが…「出入を規制しろ!!」という論に与していた人達が、何時の間にか「入港による経済効果が圧縮されては困る」という論に与していたというのも…少なからず在ったような気がする…そして私はそういう状況に首を傾げていた…

「出入を規制しろ!!」という論と「入港による経済効果が圧縮されては困る」という論…前者は「“ややこしい”ことは出来れば排除したい」という話しだ。そして、あの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期のロシア等に関する“ネガティブイメージ”は、一部に未だに残っているかもしれない…後者は、「実は地域が、上陸船員の懐で養われていた…」という側面を現しているかもしれない…“規制”の故と決め付けることもし悪い「ビジネス上の事情」も多分に在ると思うが、上陸船員が減少した中で事業が縮小したような企業、廃業したような企業も実は在ると思う…

色々と在るのだが…「出入を規制しろ!!」も「入港による経済効果が圧縮されては困る」も、何れにしても圧倒的多数の上陸船員は「普通の人々」という以上でも以下でも無いという視点が抜け落ちているような気がしてならないのだ。

例えば…不注意や不運という次元の負傷というようなことは、誰にでも起こり得る。何処に在っても起こり得る。そういうことなので、医療機関というモノが存在する…

或る地域で医療機関を設けて運営する場合には、「人口○万人の地域にXXの病床を備え、XX人の医師が常勤している場所」というようなことを考えると思う。が、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期の状態であれば、この「人口○万人」に関して「人口○万人(×1.5~2)(半数位は外国人?)」ということを考え、その上で「XXの病床を備え、XX人の医師が常勤している場所」とか、その他のサービス体制を考える様なことが必要だったのではないだろうか?

実際…例示した医療に関して、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期には…「言葉が通じない人達の受診が散見する医療機関…一寸困った…」というだけで、「色々と出来る事を考えた??」というのがよく判らない…そのうちに状況が変わって、「人口○万人(×1.5~2)(半数位は外国人?)」という状況でもなくなってしまって現在に至っているという訳だが…現在では、あの時期のような「一寸困った」は希になっていると見受けられるが…

最近…「外国の人が纏まった数になって地域へ入り込む」ということに関連する話題が耳目に触れる機会が多くなった。国外からの来訪者を迎え入れようとか、最近になってまた俄かに“外国人労働者”なる後も散見している…

国外から旅行で入り込む人を多く迎えるにしても、“外国人労働者”にしても、色々と論じられるのはどちらかと言えば「経済効果」というような性質の事柄だと見受けられる…とりあえず「“ややこしい”ことは出来れば排除したい」ということでもなく、「経済効果」というような側面に鑑みて、積極的に旅行者や労働者を迎え入れるという声が少し大きく、疑問を呈する声が少しばかりというように感じる…

色々と環境が変わると、人は新しい視点を持てるようになる場合も在る…

例えば…「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期…「自分の会社は上陸船員と取引が在る訳でもないから、どんなに沢山来ようが、何ら関係無い」としていた人が在った。そういう人に出くわして「確かにそのとおりでしょう…しかし、彼らと取引をやって、利益を出したから何年か前からの懸案を解決したいとか、業務継続の上で必要に迫られたとかで、御社に仕事を発注する人達が現れるかもしれない…否、極最近に受けた仕事の背景にそういう事情が既に在るかもしれない…そういうことが無制限に拡がっている訳で、多くの人々が地域に出入していることが、本当に100%無関係というのは、実は考え悪いのだとも思いますが…」と申し上げた。「それもそうだ!」ということで、その人は私の受け売りで、色々な人に申し上げた話しをしたらしい…ずうっと後になって、「○○さんが言っていて…」と私の申し上げた話しが出たことが在って、「多分、私が言った話し…」と思いながら、「そうですね…」と聞いていたということさえ在った…

こういう程度の新しい視点を持てるようになる場合も在るのかもしれないが…「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期に関しては、「出入を規制しろ!!」という論と「入港による経済効果が圧縮されては困る」という論ばかりが聞こえていた感だ。上陸船員の多くが、親兄弟や妻子が在り、働いたり休んだり、好きな料理に舌鼓し、時には酒を飲んで高歌放吟し、気が大きくなって口論に及ぶ場合も在り、草臥れれば眠り、浴室も御手洗も使い、病気を患う場合も、怪我を負ってしまう場合も在る…「当たり前の人間」ということにさえ、気付かないのか、無視しているのかというような状況で、「ややこしい」とか「経済効果」というようにしか、考えられなかったのではないか?

何処でも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期のようになるとも思わない…が、“統計”のような考え方で、「“或る時期の稚内”という過去のモデル」の事象が「他の何処か」で起こり得る可能性は低くはないとも思う…「経済効果」で労働者を迎えるとして…それが相当な数になれば「ややこしい」にもなるかもしれない…迎えた労働者は、「当たり前の人間」という以上でも以下でもないのだが、そういう当然の理に「普通に向き合う」ことが出来るだろうか??

稚内は静かで、時に「過ぎるが…」としながら、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ワッカナイ」とでも形容したくなるような時期のこと等を話すという機会が不意に在って、最近視掛ける報道等を思い出し、少し色々と考えていた…

そういう他方…丁度1年前、ユジノサハリンスクに在って不運にも負傷した時…あの医師は「近く帰国?であれば、そちらで診て頂くのが好いと思うが…」という調子ではありながら、一応「普通の受診希望者」として遇して頂き、措置を受けられた…御蔭で事後に妙な問題も発生せずに、「これは多少時間が掛かる症状…」と時間は要したものの普通に負傷は癒えた…

“外国人労働者”を迎えるとして…彼らも不運な負傷という場合が在る訳で…そういう時はどうするのだろう?「○○だったらどうする?」と「何かをやるのが難しいかもしれない、または出来ないかもしれない事由」、或いは「らしきもの」を挙げ連ねるのは、一般論として余り賢明なこととも思わない。が…「“外国人労働者”を迎える」というのは、「何処かの遠い地域の人間が、仕事という理由で移り住んでくる」という以上でも以下でも無い筈だ。「簡単なことだろうか??」というようには思う…

思ったことを少し整理して書き綴っておきたい気分になったが…また、「この間は〇〇だったから…今日は〇〇を御願いしよう…」と考えながら、近所の馴染みの店で道草ということになりそうな感の昨今である…

穏やかな週末に…

横断歩道で信号待ちに…

佇みながら、何となくポケットから煙草を1本取り出し、さり気なく愛用のオイルライターで点けた…

吸った煙を吐き出した時、何となく視線を感じた…視線の側を頭の中で探って、ゆっくりと振り向く…女性が1人、私の側に視線を注ぎながら、ゆっくりとこちらの側へ進んで来る…

何となく眼が合い…彼女は少し微笑んだ…

何処かで何かの折に会った女性だったか?記憶の糸を手繰るが、思い当たらない…私の場合…「先方がよく覚えていて、私の側が余り覚えていない」というのもよく在る…或いはそういう例の一つかもしれないとも思った…

些か妙な感じだったが、信号待ちが終わり、横断歩道を渡った…すると女性は私の直ぐ脇に居た…

「煙草を点けたところを視て…いいなぁ…と思って…自分も一寸吸いたくなって…何となく視てしまっていたのです…一寸、失敬しましたね…」と彼女は言う…横断歩道を渡り切り、彼女は私が進むのとは別な方向に去った…

この女性と…何処かでまた出くわす?そんなことが在るとも思い悪いのだが…何か「かなり昔のテレビドラマや演劇に在りそうなシーン」と思い、少々苦笑いしてしまった…

「変わったこと」と言えば、上述の話し程度なもので…曇天で雨混じりな時間帯も在ったが、適当に食事を愉しみ、サウナを利用し、居室で居眠りに及び、そのうちに夜というような、実に平穏な土曜日を過ごした…が、前日夕刻に「荒天への注意喚起」という噂も聞いていた…噂のとおり、午後から夕刻に強風が吹き荒れている時間帯が在った…

そういう土曜日が明けて日曜日…前日の強風は既に無く、穏やかな感じで天候も晴れである…

金曜日の日中から夕刻に、些か気になったことが在った…

日本国内に在る方と連絡を取るべき事案が在った。先方から、当方にメール連絡を頂くというようなことになっていた…

前週の金曜日の、先方が日本国内の私の所属先とやり取りをしていた中、当方のメールアドレスを確認するかのような内容が見受けられたということを報られていた。そこで月曜日の朝に、こちらで連絡をお待ちしていると、そのまま返信して頂けば好いように当方からメールを出した。

特段に返信が無いままに数日が過ぎた。通信に何らかの問題が在ったのかと、少々気になり始めた。そして金曜日に至り、未だに連絡が無い…

こういう状態であれば…架電によって、通信が正常か否かを口頭で質すでもする他ない…先方の所属先に架電…御本人が不在で、出張に出ていたということが判ったのだが、当方へ電話等で御連絡を頂けるということになった。

やがて…電話連絡が入った。先方の御本人ではなく、所属先の方だった。当方への電話が何やら思うように繋がらないということなのだが、“国際電話”に関しては手持ちの電話の色々な契約条件等で、何やら繋がったり、繋がらなかったりということも在るのであろう。

そういう事情が解ったが、電話の向こうで先方の所属先の方が言った。「本人に電話して頂くことは可能でしょうか?」とである。

私は「お前!!“可能でしょうか”というのは何だ!?どういうつもりだ!?貴様!!」と激怒した。この場合、とりあえず要件を足すのに、確実な方法、可能な選択肢は当方から本人に架電する他に無い…この場合「恐れ入りますが、本人に電話を懸けて頂くようにお願いします」な筈だ。

そういうことを先方の所属先の方に告げ、「それでは直ぐに電話を架ける!」と通話終了…その後、先方の御本人と電話で話すことが出来て、とりあえず用事は足りた…

普通に「お願いします」という話しが、何故「可能ですか?」なのか?!全く判らない…

そう言えば、以前にはこんなことが在った…

空港の乗客向け保安検査の場所…毎度何やら面倒なのだが…最近は、ズボンのベルトの金具が金属探知機に反応するので、「恐縮ながらベルトを外して頂くようにお願いする」ということになる場合も在る。大概はゲートのような場所を潜る前に「外して頂くようお願いします」としている。

一度、かなり気分を害したことが在った。「差し支えなければ外して下さい」である。「差し支え」は、大概は在るのではないか?!何故普通に「御協力を御願いします」ではなく、(多少の差し支えも在る場合が多いのが判り切っているのに)「差し支えなければして下さい」なのか?その時は、外したベルトを振り回して、言っていた係員を叩いてやろうかと本気で思った。(流石に「叩いてやろうか!!」と思っただけで、本当に叩いてはいないが…)

何時の頃からか、「お願いします」という筋合いの話しを、別な表現で言うというのが多くなっているような気がする。そしてそれが不快に思える場合さえ在る…もしかすると、私の感じ方、考え方が「何時の間にか少数派…」なのかもしれないのだが…それでも何か納得出来ない…

それにしても…「荒天への注意喚起」ということまで在って、少しばかり薄暗かった土曜日と比べれば、見違えるような好天となっている日曜日である…

ニュアンス…

ぼんやりと部屋に1人で居て…何となく「疲れた…」というような言葉が漏れる場合が在る…誰かが何かを言って来るでもない…漫然と言葉が漏れてしまう…

「疲れた…」というような言葉…意味合いが幾つか在るような感であることに思い至る…大雑把に分けると、“徒労感”と“疲労感”とである…

何か、「全然面白くないようなこと」や「無駄にしか感じられないことに時間を費やす羽目に陥ったこと」というので、多少体力が損なわれたような場合…「著しい不愉快さ」を伴う“徒労感”ということで「疲れた…」ということになる。更に、多少ニュアンスが異なるかもしれないが、「そういうのは…無いだろう!!」というような話しに出くわして気分を著しく害したような場合の、「身体というより精神」という意味で「疲れた…」と感じざるを得ない時…“徒労感”ということになる…

この“徒労感”という意味で「疲れた…」というような言葉が漏れる場合…本当に体力を消耗してしまって、深く眠ることが適う場合も在るが、それなりに高い確率で「或いは浅めな眠り」に終始して、何となくスッキリしない状態を引き摺ってしまう場合も在る…

この“徒労感”に対する“疲労感”は?「満足し得る何かに勤しむなどして、多少体力を使ったかもしれない…」とか、「力を尽くして、“とりあえず好し”という程度の結果は得られたような気がして少々安堵…」という場合に「疲れた…」という言葉が漏れる場合…それが“疲労感”である…

今日…少し前に何となく「疲れた…」というような言葉が漏れてしまったのだが…今日に関しては“疲労感”というものであろう…今日は早めに就寝したい…

極短い時間見受けられる色彩…:レーニン広場(2018.10.18)

↓レーニン像の背中側、西寄りの空…雲が面白い色になっていた…
18-10-2018 evening (27)

↓ほんの短い時間、雲が「赤紫?」というような色味を帯びて輝くことが在る…が、時間は非常に短い…
18-10-2018 evening (29)

何とも形容し悪い感じの、「人工的?」とも感じられるような、独特な色彩だと思う…

↓かなりキツい感じの色彩は、程無く「多少落ち着いた」というようにも思える色合いになる…
18-10-2018 evening (40)

こういうように、日々様子が異なるので…何度同じ場所で空を眺めても愉しい…

好い感じな日曜日の朝…

頻繁に持ち帰りの珈琲を求める近所の店―住まいの出入口から、集合住宅の間に在る広場的な場所を通り抜け、レーニン通に出た辺りに在る…持ち帰りの珈琲を求めて、店の前で煙草を点けて、出入口前で一本蒸かして、その後に住まいまで持ち帰っても珈琲は全然冷めない…―が、何時の間にか「10時頃の開店」を「8時頃の開店」に改めていた…曜日は無関係らしく、日曜日の今朝、営業していた…入って、顔馴染みの店員さんに「おはようございます」で、珈琲を求めて持ち帰った…

そんな珈琲を啜りながら、ややゆったりとした気分の日曜日の朝である…天候は好い…そして「やや冷える」という感じだ…

2月に関西方面に立寄った―神戸に宿を取り、淡路島の<高田屋嘉兵衛顕彰館>を訪ね、京都に在るロシア正教の教会を眺めた…―際、ジーンズ穿きで長袖Tシャツ―ロシア海軍仕様のモノ―を着て、その上にロシア製でニットを使った裏地も在る上着を着ていた…今朝も、想い起すとその時と同じという服装だった…今朝のユジノサハリンスクは、あの時の朝の気温より、多少温度が低めかもしれない…

10月のユジノサハリンスクの気温等の感じが、何となく「そう言えば2月に関西を訪ねた時の雰囲気に?」と少し思っていたのだった…「2月の関西」と「10月のユジノサハリンスク」の決定的な違い?「2月の関西」は「1ヶ月程もすると春」だが、「10月のユジノサハリンスク」は「1ヶ月経つか経たないかで冬」である…

少しのんびりとしたい気分の週末だが…振り返ると先週は週初めにアイスホッケー、週末にバスケットボールと、スポーツ観戦を愉しむ機会に随分と恵まれた。非常に好いことだ!!

実は…珈琲を求めて住まいへ引揚げるに至る前…平日同様な要領で朝食を愉しみ、辺りを一回り歩いた…天候が好い休日…好い景色を眺めようと、別段に用が在るでもないのに、愛用のカメラを手に一寸歩き回る…何か非常に贅沢であるような気がする…

そしてゆっくりと珈琲を啜るが…未だ冷めていない…

地面の落葉が…:サハリン州郷土博物館前(2018.10.18)

ユジノサハリンスクでは街路樹等の紅葉が未だ「眼に愉しい」という感である他方、“落葉”も目立ち始め、葉を落としてしまった枝ばかりが剥き出しの木も散見するようになっている…

↓朝…こんな様子に出くわした…
18-12-2018 morning (14)
↑博物館の手前の、広い設えの歩道の大きな部分が「街路樹の植栽」に充てられているのだが、そこに「敷き詰めた?」かのように落葉である…赤系、橙系というような、「紅葉色」に地面を塗ってしまったかのようだ…

人々が歩く歩道の上に関して、結構な頻度で清掃を行うので、落葉は直ぐに片付けられてしまうのだが…街路樹が植栽されている箇所は、歩く人も無いではないが、歩く場所と想定されていない関係上、積もった落葉は殆どそのままになる…

こういう「一寸…好い感じ…」に頻繁に出会うような時季かもしれない…

深まる秋…:サハリン州郷土博物館(2018.10.17)

↓博物館の塀の辺りに近寄った…
17-10-2018 morning (11)
↑紅葉した木々…かなり葉が散ってしまっていて…奥の建物がかなり広く覗く…

↓地面がかなり落葉で埋まっている様子も判る…
17-10-2018 morning (12)

やがて…木々の葉は殆ど無くなってしまい…雪も交じるのであろう…

灯りが入って…:レーニン広場(2018.10.11)

↓何時の間にか灯りが少し目立つが…空には多少の明るさが残る…
11-10-2018 vol01 (13)
↑雲と空が複雑に色々な色を見せ、それが「この日のたった一回のセッション」という具合に組み合わさる…

こういうような様子を何となく眺める…愉しい!!

日没間際…:レーニン広場(2018.10.10)

このところ…「例によって…」という雰囲気にもなっているが、夕食を摂った後に少々歩いた…

↓レーニン広場の様子!!
10-10-2018 vol01 (9)

↓「碧空に流し込んだ…」というように白い雲…殆ど沈みかかった西日の強く感じられる光…何か劇的だ!
10-10-2018 vol01 (10)

「或いは雲と空が西日の光で面白い様子に?!」と思い、こんな様子が視られるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前の広い歩道に据えられたベンチに陣取って様子を伺ったが…雲は徐々に流れ去ってしまった…

今日の「流れ去る前」の雲だが…何か「モノクロ画が妙に似合う」という様子だった…

「今日…」という言い方…

立地が便利で、出て来る料理が好いという店は「何度となく立寄る」ということになって行く…お店の人達とも何となく顔馴染になって行く…

そういう店では…「Aという料理かBという料理が好きで…CやDも好く…Eも捨て難い…」ということになり、料理を頼む前に「今日は…AとCで?否、BとEに…よし!今日はBとEをお願いしよう!」と考えていて…そのまま「今日はBとEを…」と口を突いて言葉が発せられる…

こういう“思考パターン”と“行動”とは…場所が変わっても然程変わるものでもない…

ユジノサハリンスクに在って、今年5月末にオープンだったと記憶するが、御近所のハンバーガーの店を利用する頻度が何時の間にか多くなった…立地が便利で、出て来る料理が好いので「何度となく立寄る」という店の一つになっている…

そのハンバーガーの店…何かを頼む前に「今日は…AとCで?否、BとEに…よし!今日はBとEをお願いしよう!」と考えていて…そのまま「今日は…BとEを…」と口を突いて言葉が発せられるようになっている…

この「今日…」の部分が「Сегодня...」(セヴォードニャ…)という具合になるのだが…今日この件の店に寄って、料理を頼もうと「Сегодня...」(セヴォードニャ…)と口にした…愛想好く迎えてくれた女性の店員さんがクスッと笑って「Сегодня?」(セヴォードニャ?)と鸚鵡返しする…

「妙なことを口にしたか?それとも抑揚が妙だったか?」と思ったが…店員さんによると、頻繁に現れて、料理を頼む都度に「Сегодня...」(今日…)と口にしてから言い出すというのが、「酷く特徴的!!」ということで、横に居た別な店員さんと話題にしていたというのだ…

別に「Сегодня...」(今日…)が「妙?」というのでもなく、聞き悪い抑揚で口にしたというのでもない…そういう語句を選んで口にするという人が「そう言えば…あのおっちゃん!他の人はそんなことは言わないよね??何となく面白いね…」ということになっていた訳だ…

それにしても…場所が変わっても然程変わるものでもない自身の“思考パターン”と“行動”とが、「変わった場所の人々」に「一寸した笑い」を提供しているとは…複雑な感じだが、そういうのも悪いという訳でもない…何かで不快感を与えてしまっているとか、不格好というのでもない…「他所の人が余りしない、何となく面白い言い方」というだけなのだから…或いは…「さりげない振る舞いが関係者の中でネタになる」という程度に、頻繁に現れているということか?

とりあえず、そういう「適度に馴染んだ御近所の店」が在るような状況は悪くない…

「65」という数字に関するお訊ねが契機で一寸考えたこと…

或る方に「(サハリンの)自動車のナンバープレートに“65”と在って、地域を示すコードとのことだが、そういう地域というモノは幾つ位在るのだろうか?」とお訊ねを頂いた。

地域…「連邦構成体」と呼ばれるモノということになろうが、ロシアの見解では85で、諸外国の見解では83である…

46の「州」 (область)、9の「地方」 (край)、3の「市」(連邦市、город)、22の「共和国」 (республика)、1の「自治州」 (автономная область)、4の「自治管区」 (автономный округ) で、合計が85だ…「クリミア共和国」と「セヴァストポリ連邦市」を、ロシアでは「編入した」としているが、諸外国はこれを認めないので83としている訳だ…

サハリン州は、この46在る州の1つだ。これに対してウラジオストクを擁する沿海地方という例のような“地方”というモノが在るが、これは“州”と機能的に差が在るのでもない。帝政時代の国境の地方の呼称というような歴史的な地区区分に依拠して名前が残っているというようなモノだ…

共和国、自治州、自治管区は、主に少数民族の自治というような建前の地方に設けられている機構だ。連邦市は周囲の州から独立して単独で連邦構成体を構成し、連邦政府の直轄下に在るというモスクワやサンクトペテルブルグのような特別な事例である。

「連邦構成体」というモノに関しては、1993年のロシア連邦の憲法を基礎にしている訳だが、地域区分自体はソ連時代から受け継がれている例が殆どだ…サハリン州にしても、ソ連時代の1946年に明確化した版図を受け継ぎ、「ポストソ連」とでも呼ぶべき1990年代にはソ連時代の地方行政機構が何となく受け継がれた…

1990年代に少しずつ「ロシア連邦としての新たな体制」が固まって行く中、地方の行政機構も色々とルールが整備された。サハリン州にしても、本格的な公選で「州の行政府の代表」たる知事が選出された。

残念ながら航空機事故で他界してしまったのだが、ファルフトディーノフ知事という方が在った。ソ連時代以来の豊富な行政経験を有し、連邦政府や他地域との人脈も豊かなリーダーで、住民の人気も高く敬愛されていたというが、この方が「公選制の強力な地方指導者」というイメージの“知事像”を創り、体現していたかもしれない…

その後、ハロシャービン知事が登場する。それまでの州政府では、知事の下に第一副知事を筆頭に各々の所掌分野が設定される等した副知事が何人か居て、色々な分野の局が設けられ、各局長の指揮下に部や課が在るような体制だった。が、ハロシャービン知事の下、サハリン州政府に関しては「“連邦構成体”としての独立性」が強く意識されるようになり、機構の改編、或いは「呼称の変更」が為された。

ハロシャービン知事の下、「○○局」に関しては「○○担当省」という呼称になって適宜編成も変わって行った。従前の「局長」は「大臣」となった。「局次長」とか「上席の部長」というような幹部職員は「副大臣」となった。そして知事自体は「州政府首班」を公称するようになった。「州首相」ということである。

ハロシャービン知事が不名誉な形―解職という羽目に陥った…―で去った後、コジャミェコ知事が登場した。

コジャミェコ知事の下、「○○担当省」という呼称の機構は存続し、幹部を「大臣」、「副大臣」と称することも継続している。が、「州政府首班」、「州首相」は知事自身ではない…「知事」という呼称が復活して多用されるようになった。結局、各担当省の大臣の上席という位置付けで「州政府首班=首相」が別に据えられ、「副首相」というポストも目立つようになった。

「知事」というのは?結局「連邦構成体」として「一定の独立性を持つ政体」の“元首”、“大統領”のような存在に再定義された訳だ…一口に「サハリン州の知事」とは言っても…その職に在る方の性格や能力等の「属人的事情」の故に差異が生じるということも多少は在ろうが…“位置付け”そのものが変遷しているように見える一面が在る…

「行政機構の代表」、「公選制で権威が高まった代表」という時代から、「一定の独立性を持つ自治政府の代表」ということになり、「行政機構や住民の上に君臨する存在」へとなって行った…それがサハリン州の知事であろう…他所はどうなのか、余り詳しくは判らないが…

で…このサハリン州のコジャミェコ知事だが…アムール州の知事を務めていて、知事解職で混乱したサハリンに「知事職臨時代行」に指名されて乗り込み、やがて正式に知事に選任された経過が在る。今度は、新しい知事の選任を巡って混乱している沿海地方で、「知事職臨時代行」に指名されたのだという。結果、「一身上の都合」でサハリン州知事を退任し、沿海地方で知事職臨時代行に就任する訳だ…

或る方にお訊ねを頂いた「ロシアの地方の区分」に少し関連し、何となく「だから?どうした?」に類するようなことを色々と思い出していたが…「一寸したニュース」に少し関連で、自身の見聞と観方とを少し纏めておきたかった…

土曜日…休日!!

ボリュームが在るサンドイッチの朝食…24時間営業の店を朝早めに利用するという「普段の感じ」で利用したのだが、今日は「休日の土曜日」である…

あの店の一部の店員達の間で、私に関しては「午前7時頃に現れるおっちゃん」という認識が在るらしく、時々「今朝は少し早いですね?」とか「少し遅かったですね?」と話し掛けられることも在る…今朝はそういうことも無く、至って普通だった訳だ…

そうやって、休日でありながらも平日同様に朝食を楽しんでみて、何となくダラダラと時間が経ってしまっている感なのだが…「まぁ…いいか…」ということにしてしまいたいような感である…

振り返ると…9月2日の日曜日に何やら用事が入ってしまっていて「勝手に日曜日が没収された…」というような感だった…その後の平日は、バタバタする羽目になって9月5日に札幌へとりあえず出て…9月6日の地震や停電の中で無理矢理に稚内へ引き揚げ…9月7日にサハリンへ渡り…9月8日と9月9日の週末は終日用事が在って…以降は「何となく怠い…」と思いながら昨日、9月14日の金曜日まで平日を過ごした…

更に遡れば…8月24日に朝から夜まで酷く動いて消耗し、8月25日と8月26日の週末は「動けない…」という感じになり、以降の平日は普通に過ごしたが、8月31日の夕方から9月1日は、一寸ばかり買い物に出るようなこともしていた…

そんなことで「とりあえず休日…」という感じが「久し振り」なのである…天候も悪くないので、何となくゆったりと過ごしたいように思う…

巷には…毎週のように何処かに出掛けているとか、2週連続でマラソン大会に出場してしまうというような人も在るのだろうが…私はそういうのでもなく、「とりあえずゆっくりする日」が欲しい性分だと思う…

レーニン広場:強めな西日の光…(2018.09.13)

夕食を摂った後、レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎辺りに足を運んでみた…

↓レーニン像の背後で強力なライトを点したかのような情況だった…
13-09-2018 in evening (1)

↓道路面も照らし出されていて、光が当たらない部分との対照が面白い…
13-09-2018 in evening (2)

空気が生温かい感じもして、暫らく戸外で寛いだ…

一寸困った…

「国土交通省新千歳空港事務所によると、新千歳空港では空港ビルが終日閉館となり、国内線・国際線ともに6日、全ての便が欠航する予定」というニュースが…滑走路等は無事ながら、ターミナルビルに大きな影響で「開けられない…」との判断に至ったのであろう…

空港以外では、鉄道や札幌の地下鉄が運行不可能に陥り、高速道路も方々が通行止め…動き悪い中、空港に何とか行く算段はとりあえずしたのだが…

今日は、この後の予定が…どうしようか?こういうような状況も珍しい…

聞けば、震度が殊に強かった地域の発電所が緊急停止し、発電量と需要とのバランスが大きく崩れ、方々の発電所が続々と停止し、北海道中で停電に陥ってしまった訳だ…

どういうようになっているのか…

何やら不穏な9月6日の朝…

何やら「揺り起こされる?」かのような、妙な感じがしたが…「ガタガタガタ…」と揺れていた…そして「停電?」という状態…

とりあえずバッテリーで動くノートパソコンでインターネットを使うことは出来た…地震だった…午前3時8分に発生ということだったらしい…

個人的には、随分と久し振りに「はっきり自覚出来る地震の揺れ」を覚えることとなった…

現在は札幌市内に在る。多少、湿度が高い多方で気温は低くない…戸外の様子を少々窺ってみたが…停電で街灯さえ点いていない状況だ。空はやや雲が多い…

台風がどうしたこうしたというのが落ち着こうとしていた中で稚内から都市間バスで南下し、翌早朝に地震に遭遇…妙な感じだ…

午前3時台に「揺り起こされる」ような状態の後…少し休み、明るくなって起き出したのだが…午前3時台以降、広い地域で停電中であるという…

新千歳空港はターミナルの建物内で被害が生じたらしいが、滑走路等は無事で、航空路線は普通に運行される計画らしい…多方、広域停電で鉄道の運行等は大きな影響を受けそうだ…

どういう具合か?とりあえず札幌の天候は好いのだが…

慌ただしいが…

金曜日の夕方から動き、土曜日まで…限られた時間の中で一寸出掛けるということをした…

本当は土曜日から日曜日にゆっくり動きたかったのだが、個人的には「酷い迷惑!!」と感じている“用事”が勝手に日曜日に入ってしまっている…前の週に関しては、金曜日までに色々在って、草臥れて動ける状況でもなかった…となれば、この「金曜日の夕方から土曜日」よいうことでもする他無い…

「時には北海道内の列車で一寸動いて…」というように思い…稚内駅から夕方に発つ普通列車で名寄駅に出て、名寄駅で待機している列車に直ぐ乗り換えると旭川駅に夜遅くに着く…そうやって…「ネットカフェでの夜明かし」である…

早朝…旭川からバスで札幌に出た…「札幌へ向かうバス乗り場」が「旭川駅の真ん前」という場所に6月から変わったのだそうだ…一つ知った…

札幌では…札幌駅周辺の店の開店を待ち、一寸欲しかったモノを仕入れた…「直ぐに試用」ということもしたいモノだが…梱包を開けると持ち帰り悪くなるので…とりあえずそのまま稚内まで抱えて行く…

日曜日に勝手に入った“用事”も在るので…とりあえず早く引揚げようと、列車で北上を開始…旭川駅を昼に発ち、稚内駅に夕刻着く列車に間に合いそうだ…

長袖Tシャツを着ているが…日が高くなると、やや暑いと感じる程度になって来た…

仕入れたモノ?そのうち、ゆっくりと…

「動けなかった」週末が明け…

<ピョートル大帝>ブレンドを朝からゆったりと淹れた…

何時の間にか「月曜日の朝」を迎えている…土日の休日…珈琲を淹れる程度のことさえ億劫に思えて…本当に「動かなかった」という具合にぼんやりと過ごすことになってしまっていた…

「動かなかった」という客観的な状態の背後に…「動けない」とか「動きたくない」というような、「可能か?不可能か?」とか「その気が在るか?無いか?」という事情が滲む場合というモノが在る場合も見受けられると思う。

休日ということになった土日に関して、実際に「動かなかった」という状態で、やや長く眠ってしまって、とりあえず「ゆっくり」としていたのだったが…実際、何となく「動けない」という程度に、金曜日の1日で消耗してしまっていた感だった…それ故に「動きたくない」という、「何もせずにのんびりしたい…」という感じになっていたのだ…

そういう「字面どおりに休む」という「休日」を過ごし、「とりあえず平日を平日として過ごす」ということは出来そうな状態の朝になったと思う…平日朝の恒例で、普通に珈琲を淹れて、美味しく頂いている訳だ…

消耗するようなことをする羽目になった後の“快復”に、従前以上に「時間を要する?」というようになってしまっているように思う場合が、最近は多く在るようになった気がする…体力が衰えているのか?或いは、衰えという程でもないのか?

週末に関しては、「台風または台風が変化した低気圧への警戒」という話しになっていて、強い風雨が危惧されていた…

週末に戸外での開催が予定されていた催事が、軒並み中止ということになっていた…実際、週末は少し風が強く、雨が交じる時間帯は在ったが…その辺を買物や食事等で少しだけ動き回っていた分には「天候が少々冴えない週末…」という程度に感じられた程度で…「台風または台風が変化した低気圧の影響」というようなモノを特段に意識するというような感でもなかった…

迎えた朝…「麗しく晴れて」ということでもない。「曇天…」であるが、降雨は無く、道路面も乾いている…しつこい水溜りが些か在るようだが…

「消耗」する羽目だった金曜日頃から、多分「20℃に届かない」という状態が稚内では続いているような気がする。週末は「長袖Tシャツの上にワークシャツまたはデニムの(裏地が無い)上着」で辺りを歩いて「丁度好い」という程度だった…

この辺りでは…小中学校等の夏休みは既にお終いで、平日は登校する小中学生を近所で見掛ける…何となく「夏は終わっている?」という感じになっている…

「対岸」にて…

燕の姿が視えず、独特な、やや甲高い鳴き声も聞こえない…代わりに、カラスの野太い鳴き声ばかりが聞こえる…

暫く振りに稚内で朝を迎えた…昨日は午後10時頃には酷く眠くなって休んだが、朝は5時前に起き出している…身体は「サハリン時間」の「プラス2時間」な感じのままだ…

昨日は<ペンギン32>で宗谷海峡を越えた…「2往復の欠航」という状況が発生していた関係で、何となく乗客が昨日の「コルサコフ→稚内」の便に集まっていて、60名程度の乗船だった…

船内の“1階”で何となく居心地の好さそうな場所が見当たらず、“2階”に陣取っていた…出発時のコルサコフでは雨が降っていたような感じだったが、それほど揺れるでもなかった…が、途中からは「かなり強い向かい風」の干渉を受けていて、多分海峡部に入る辺りだと思うが、やや大き目に揺れていた。聞けば、稚内では「1時間程度、到着が遅れる?」という話しになっていたらしいが…定刻の13時30分から10分か15分程度遅れたという程度の到着だった…

稚内港のターミナルから、稚内での拙宅まで…特段に嵩張るモノが無い状態なら、徒歩でも構わないのだが…今般は「ユジノサハリンスク滞在で、余り使わないモノを持ち帰ろう…」と段ボール箱に細々したモノを入れて持って来ていたので、徒歩がキツく…ターミナル前からタクシーに乗車した。“ワンメーター”の610円ということで…何となく暫く振りに「日本の硬貨」を使った…

以降…「サハリン時間」で行けば「午後4時過ぎ」という次元になる「遅めな昼食」を摂り、一つだけ細かい用事を足したのだが…以降は一寸サウナに寄って、夜食を愉しんで…直ぐに休んでしまった…

稚内の拙宅…水と電気は正常に使用可能であったが…朝になって「ガスコンロの火が点かない!?」と慌てた…<ガス緊急>に相談し、御担当に「朝一番!!」で御登場願ったが…コンロの点火装置の電池が切れてしまっていた…ということで、ガスも正常だった…これで、拙宅での滞在に何らの問題は無い…“問題”という程のことでもないが…何時の間にか東側の空地にプレハブが建っていて、気に入っていた窓の眺めが「壁しか視えない…」ような感じになって、多少寂しいというのは在るが…

ユジノサハリンスクで、「乗船前日」に珈琲豆を求めて持帰っている…ロシアの会社によるブレンドの<ピョートル大帝>である。ロマノフ朝の歴代皇帝で「最も精力的であった」かもしれない人物のエネルギーに肖りたいような気がしないでもないが…「やや暫く振りに愉しむドリップの珈琲」という具合だ…ユジノサハリンスク等では、“エスプレッソマシーン”を使うような淹れ方がカフェでは主流だ…6月にウラジオストクで“ドリップ”と見受けられるモノを愉しんだが…それ以来か?昨日は、稚内で休日等に寄る機会が多い喫茶店で、“サイフォン”の珈琲をゆったり頂く場面も在ったが…

早朝、拙宅で夜間に閉め切っていた後、「空気がべたべたと…」というように感じたので、窓を開けて<ピョートル大帝>ブレンドを啜っている…外気が流れ込む分には、屋内も気持ち好い…戸外は18℃や19℃という感じだ…長袖Tシャツ1枚にジーンズ穿きという位で、別段に抵抗感も無い…

とりあえず…今週は「催事の週」という状況でもある…

えっ?第2旬…?

休日の土曜日ということになった…時々在る「怠い感じな休日の朝…」というモノを過ごしている…

「8月11日」になっている。特別に、何かの思い入れが在るような日付でもないのだが、既に「8月第2旬」に足を踏み入れている…この8月に関しては、7月末辺りに色々と出入が在って「何時の間にか…」という感じで月が改まり、月が改まった後にも色々とパタパタしてしまい、第1旬が直ぐに過ぎてしまった…

実を言えば…今日は日帰りで一寸出掛けてみようと、ちょっとしたツアーを申し込んでいたのだったが、何やら海象が台風の干渉で好ましくないと中止になってしまった…結果として今朝は「怠い感じな休日の朝…」というモノになってしまったということなのだ…予定した内容と同様、或いはそういう要素を含む内容の“次の機会”というようなモノが、何時設けられるのかは判然としない…

「ツアー」ということに関して言えば、今年は6月にウラジオストクを訪ねようとした際に申し込んでみたツアーに関して、「最少催行人員?」という状況であったものが「実施!」ということになり、大変愉しかったという出来事が在ったので…今般、「残念ながら…」というのは「そういうことも在るであろう…」という程度に思ってはいるのだが…

かなり長い期間に亘り、8月頃に一寸した時間を設けて好きなことに興じるというようなことには縁薄い感じで過ごしていると思う。予定が多過ぎで落ち着かないからに他ならない…故に時間を設けて好きなことに興じるのは、10月の末の方から12月位というようなことが多い…短めな時間ということなら、春や秋にも時間を設ける場合が在るが…夏は、例年「色々な予定…」で、特段に好きなことに興じるのでもない…強いて言えば、夏季も何かの合間に写真でも撮るという程度か…

今季に関して?例えば、「何時の間に今月は第2旬に足を踏み入れた?」という程度になることは「無い」訳ではないが「少々珍しい」と思うのだが…今季は必要以上に“緊急”だの“非常”だのが連呼されていて、好ましくない状況である…世の中には災害のような「本当の緊急」が多々在る訳だと思うのだが、考えてみれば全然そういうことでもないのに、そういうのが連呼される…愚かしいとも思える状況が見受けられるのだが、率直に大いに不快な感だ…

「怠い感じな休日の朝…」というモノを過ごしてはいるのだが…平日同様に午前6時台から起き出している…朝から早速洗濯機を使い、“一仕事”が終わってしまった…7月末から8月…朝と日中から午後の温度差が大き目で、意外に汗をかいた…洗濯物も溜め過ぎれば好くないというものだ…

今朝は曇天で…深夜に雨が降っていた気配が在る…現在は15℃程度であろうか?

蛾…:ネベリスク(2018.08.01)

↓霧雨が交じるような湿った朝…濡れた木製の床に不思議なモノを見付けた…
01-08-2018 at Nevelsk (2)
↑何となく派手な色の蛾が…

少し長い時間、この蛾は動かなかったようだが…写真を撮って暫くして再度同じ場所を視た時には飛び去ってしまっていた…

変な尺度…

不意に思い出した…

高校を卒業して「とりあえずフリー」という状況下…当時の自宅に入っていた新聞を広げて、1面の右上側から、何やら細々した数字が酷く沢山並ぶ株価情報のようなモノや、然程興味の無い広告を除いて、殆ど「隅から隅」という感で読んでいた日が多かった…

そういう時期も在ったが、結局のところ、新聞は「漫然と広げて、気になった見出しや写真等の添えられた記事をランダムに読む」というようになっている…

近年は、何処に在ろうともネットに掲載された記事で新聞報道の内容を知ることが増えたが…そのネットの記事に関しても、漫然と端末の画面を視て、気になった見出しや写真が添えられている内容を何となく視るという感じになる…

そういう訳で…「あっ!この件!」と「気になっていて視る」というモノの他に…「何なんだ?」と、見出しや写真を「妙だ…」と「訝しく思って視る」というモノが交ざる…

最近、その「妙だ…」と「訝しく思って視る」という感で在った話題に、少し引っ掛りを覚えている。

何やら、ビジネスパーソンが着用するようなスーツ姿らしい女性の写真が在って、その脇に「生産性がない」というような言葉が視えた…

「生産性がない」というのも、何やら意味深長だ…或いは「芸能ネタ」とも思った。申し訳ないが、最近の女優、芸人、歌手や演奏家に関して、顔と名前が一致しないとか、顔や名前を知らないという例も少なくない。写真はそういう、芸能関係の人物で、どうしたものか「生産性がない」という意味深長な言葉が添えられた記事が出ているのかもしれないと思った…

そこでこの記事は…「妙だ…」と「訝しく思って視る」という記事の一つとなった訳だ…そして、繰り返し視て、引っ掛りを覚えている…

写真の女性は国会議員だった。その国会議員の女性が、思う所を綴った文章に用いた「生産性がない」という表現が「問題?」となっているという話題だった…

誰かが人生のパートナー、或いは伴侶と呼べる人物を見出し、人生を分かち合って生きて行く…何処にでも在る話しな訳だが、中にはそういう場面で、多数派とは言い難いかもしれない選択をする方も見受けられる。そういう少数派に関しても、一定程度の権利を護るようにすべきだということに、この女性国会議員は違和感を覚えるのだという。

そういう中で、「子どもが生まれない」という状態が在り得ることを挙げて、「生産性がない」としている…更に「生産性がない」人達の権利を護るようなことに「税金を投じるのは如何か?」というような主張を展開しているのだという。

例えば…「こういう人達の権利を護ろう」というような主張に対して、「少し違和感を覚えないでもない」と主張するのは…「在り」なのかもしれない。が…私の感覚としては「人の人生」やら「子どもを授かる」というようなことに関して「生産性」というような表現が出て来る感覚は?理解し難い…更に…理解したいとも思わないかもしれない…

「子どもが生まれない」という状態…これは「多数派とは言い難いかもしれない選択をする人達」に「限ったことでもない」かもしれない。“選択”としてのそういう状態も在るのかもしれないが、「そういうことになってしまった…」という状態も在るかもしれない…こういうことについて、「生産性」と他所の人に論じられなければならないものなのだろうか?

「子どもを授かる」というようなことも含めて、多くの人達の「人生」に関して、「生産性」というような尺度で「そもそも論じることが出来るのだろうか?!」というように、何となく私は思っている…

それにしても…この国では「休暇を取得して好きな場所に出掛けて過ごす」というような話しが、殆ど即座に「経済効果」というような話しになる。「好きなことにでも興じて心豊かになりたい」というような「休暇」は、「それだけで十分」なのではないか?そう思うのだが「経済効果」である…こういうような発想に「首まで浸かっている」という所から、「人の人生」を「生産性」なる尺度で論じる…そういうことだろうか?

「人生」というモノの中には、「“選択”!!」と好き好んでどうかなる、どうかする場合も在ろうが、その限りでもない場合も多々在るように思うが、それがどうであろうと「各々が受け止める」べき筋合いで、他所の人に「生産性」なる尺度で論じられる何物でも無いように思う…

そんなことで…偶々視たスーツ姿らしい女性の写真が在って、その脇に「生産性がない」というのが気に掛かったというお話しだった…

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2018.07.21)

午前中から昼頃には、「蒸す…」というように思えた他方、「暑い…」という程でもなく、雲も多かった土曜日…それが午後に入れば雲が流れ去り、青空が眩しく、陽射しが強烈に感じられた…グングン気温が上がり、25℃を超えていた…「今季初?」というような感の25℃超だった…

↓大聖堂の屋根が輝いていた…
21-07-2018 The Cathedral (4)
↑背後の雲の形?何となく、ロシアの東側の地図を思い出すような形?

↓「輝く夏空」というモノを背景に聳え立つ大聖堂…階段の下から見上げると「空へ続くように…」というようなことを思った…
21-07-2018 The Cathedral (5)

↓よく大聖堂を眺める側に廻り込んだ…
21-07-2018 The Cathedral (11)

やや湿度が高い感な中で25℃超となったが…気温以上に「暑い」というような感じもした…これには、こういう「好天で気温が上昇」という状態に「不慣れ…」だったという事情も在ったかもしれない…

こういう天候の御陰で、何やら酷く汗をかいた…

土曜日の湿った朝に想う…

「身体のリズム」というようなモノに、平日であるか休日であるかは余り関係が無いのかもしれない…平日と似たような時間帯に起き出して、平日同様に空腹感も在り、平日の「よくあるパターン」で朝食を摂り…今日は休日なので、そのまま住まいに引揚げた…そして一息入れている…

曇天で雨交じり…そういう朝になったが、このところはそういう天候の中での「肌寒さ」は退潮している。少し気温が上がって、湿った空気が身体に纏わりつくかのようである…湿度がやや上がり、身体を動かせば軽く汗ばむような感じでもある…住まいには<シュマコフスカヤ>という、ロシアの沿海地方の会社の製品だというガス入りミネラルウォーターを概ね常備しているが、消費量がやや増えているかもしれない…切らしてしまわないように、時々思い付いたら補充をしておくべきであろう…

西日本方面の広い範囲で発生した大雨災害に気持ちを曇らせている感じが続いているが、今度は方々での「酷暑」という話題である…

何千人もの方達が酷暑のために体調を崩して救急搬送で…亡くなってしまう方まで在るとなれば…最早、或る種の“災害”ではないか?事情が許すなら、思い切って暑さが知れているレベルの、北海道の北や東の沿岸部や、サハリンのような場所にとりあえず移動して暫く滞在してしまうようなことでも…結局「暑い」のは、暑い場所に在る限り、簡単に逃れられず、地震や津波や水害のように動きが在るでもなく身体にダメージを与えてしまう場合が在って、非常に厄介だと思う…

そんなことに思い至る時…大雨災害で住まいが損なわれる等した皆さんは、自身で何とかやっていた環境から弾き出されてしまっている状態で御不便な中だ…一層、大変だ…こんな時…少しばかり「涼しい」という地域で、「被災地で住宅に被害を受けて避難中の皆さんを酷暑の期間に御迎えする」というような話しが…出ても悪くないのではないかと、個人的には思わないでもない…

本当に、大変な状況下に在る皆さんにお見舞い申し上げる。

私は「愉しく観た映画の、物語や、出演俳優の風貌や雰囲気は覚えていて直ぐ思い出す他方、映画の題名や主演俳優の名をよく忘れる」という、少し面倒な性分だ…最近、そういう「面倒な流儀」で、何となく思い出していた映画が在った…

その作品…色々な特技を持つ詐欺師達がチームを組んで、ラスベガスの巨大カジノホテルで厳重に保管されている売上金を、色々な手立てを尽くして奪おうとする…という物語だった…ディーラーの仕事に就いてカジノの内部に潜り込む仲間が在れば、客ということにしてカジノホテルに滞在して機会を伺う仲間が在り、セキュリティーシステムを解いてしまうことに腐心する仲間が在ってと、色々な出来事が在って犯行が決行されるというような話しだったと記憶している…

勿論、こういう映画はフィクションだが…思うのは、「ラスベガスのカジノホテル」というようなモノは「凄まじい金額の売上」が在るのかもしれないということと、大金が在る場所には強奪しようとか、騙し取ろうという輩も現れるので、警備しようとする側との密かな攻防も在るのであろうということだ…

大雨災害の色々な処理も急がなければならないような最中、事前の予定をそのまま推し進めて、カジノを開設することも含むリゾート地を開発するというような趣旨の法案が成立したそうだ…

こういうような新しい法が登場し、「日本国内にカジノ?」という話しになった中、「凄まじい売上のカジノホテルから売上金を奪取しようとする詐欺師一党と経営側警備陣との攻防」という内容の映画をぼんやり思い出していた訳だ…

「カジノ」というようなモノは、「娯楽映画のネタ」になる程度に「凄く判り易い」という次元の「金が集まる」という場所ではあるのだろう…「金が集まる」というなら、「景気が悪い小さな街に、そういうモノでも登場すると、多額の金が巡って辺りが華やかになるか?」というようなことを思わないでもない…

この「カジノ」が日本国内に登場するようになるという話しだが…何となく「“ギャンブル依存症”対策のような議論が十分でもない」というようなことが聞こえて来る…

“ギャンブル依存症”というようなことは…「カジノ」が無くても、現代日本でパチンコやパチスロやその他の「公認されているような賭け事」が存在する以上、「既に大問題」という面が在るのだと思う。聞けば、強過ぎる刺激で、神経が害されてしまって、賭け事にのめり込んでしまう、或る種の「深刻な病気」と言い得るのが“ギャンブル依存症”というものなのだという。賭ける金が欲しいために生活を無茶苦茶にするような借金地獄に嵌り込んで、周辺の人々まで不幸にしてしまうことや、後先を顧みずに犯罪に及んでまで金を手にしようとするような、余りにも酷い状態になってしまうことも“ギャンブル依存症”には在るのだという…

こういう深刻な問題に関しては…「カジノ」がどうであろうと、何か手を打つとか、問題に取組んで努力をしている人達を支援するというようなことは「しなければならない」ように思う。

そういう「カジノ」がどうであろうと、「しなければならない」に関する話題が聞こえて来ていて、個人的には少し釈然としない感じがしないでもないのだが…そのこと以上に、「素朴に思う」ことが在る…

「カジノ」を設けることで、来訪者を増やして行くことや、消費が増えること、それによって経済活動が拡大活発化することを目論んでいるのだろうが…「カジノ」はそういうことに資するような、“キラーコンテンツ”になり得るのだろうか??

国外から日本を訪れるという人達…少なくとも、「カジノ」が無い中でも減っている訳ではなく、寧ろ増えているのが近年の状況だ…ということは?「カジノが在ればもっと!」という主張が在るなら、それは「全く無い訳ではない」かもしれないが、「間違いないことという訳でもない」のではないだろうか?

「来訪者を増やして行くことや、消費が増えること、それによって経済活動が拡大活発化することを目論む」のだとすれば?交通や宿泊施設が「もっともっと便利に!!」というように誘導するとか、「国外から来る多くの人達も当然含めて」という観点で「誰でも街の様々なサービスをもっと便利に利用可能」なように、端的に言えば色々なモノの支払いを現金ではなくクレジットカードでも出来るようにするようなことへ誘導するというようなことが、何処かに「カジノ」を設けるよりも余程有効なのではないだろうか?

例えば…「あそこは“カジノ”も在って、何やら独特な雰囲気の場所で…」という独特な感じの街が、日本国内の何処かに現れるというようなことでもあれば…そういうのも面白いかもしれないが…それだけのことだ…

それよりも、「あの街からこの街へ動くには、現状では、実質的に“自家用車”の類しか行き交う手段が無い…」というような場所に、「誰でも気軽に利用出来る公共交通」が整備されれば…「整備」と言って、鉄道建設のようなことまでせずとも、何処でも道路は普通に整っているので、小さなバスを何台か用意して、運営できる人員や経費を少しばかりどうにか出来れば、何処にでも可能性は在る…そういうのが整うと…来訪者が動き回る場所が拡大し、同時に近隣地域に住む人達も便利になる…何処かに「カジノ」を設けても、そういうことにもならないのではないか?

そして…最近思うのは、1990年代位までに比べて、最近は航空券等が安価に気軽に求められ、「使用機材が小さい」とか「何かの理由で殊更に込み合う時季」という“特殊事情”を除けば、予約し易くなっている…他方、交通手段を確保して何処かへ向かおうとしても、何やら向かった先での宿泊場所を確保するのに難儀することが多い…宿泊施設のようなモノは、繁忙期の他方で閑散期も在って、簡単に数が増えないのかもしれないが…何か税制面での優遇を行う等の措置で、供給を増やして行くというようなことにはならないだろうか?こういうことが出来れば、これは「国内外の何処からであろうと、或る地域を訪れる人を少しなりとも増やす」ということになる。特定の何ヶ所かの「カジノ」よりも、投じる経費や手間に対する見返りが大きいように思う…

「カジノ」というようなモノを巡って、“ギャンブル依存症”というような問題は看過出来ないのかもしれないが、それよりも「そもそも“カジノ”は何を目指す?」とか、「目指すモノを得るために“カジノ”が本当に最良の選択か?」というような点が、「実はよく判らない?」というような気もする…

自身は米国に上陸した経過は在るが、ラスベガスを訪ねてみたことはない…が、聞けばラスベガスには、ぼんやり思い出していた映画のネタになっているかもしれないような「凄まじい売上のカジノホテル」も在るには在るが、寧ろ「青少年からお年寄りまで、誰でも楽しめるショーを売りにする場所」や、「見本市やコンベンション」というようなこと、「温暖な気候で、のんびりと休日を過ごす愉しく居心地が好い街づくり」というようなことで、最近は多くの来訪者を迎えているらしい…序に言えば、ラスベガスはメジャースポーツの誘致を願い続けて来たようだが、近年NHLのチームが出来た…

そういう「カジノ」と言えば思い出すような「ラスベガス」でさえ、最近は「カジノ以外」に眼を向けている…そういう中で「カジノ」なのだろうか?

何となく湿った空気感の休日の朝だ…

月とレーニンと…(2018.07.18)

日が沈んでしまうような時間帯まで晴天が維持される…最近、在りそうな無さそうな感だった…

↓午後10時前の様子である…レーニン広場にも灯りが入り始めた…
18-07-2018 night (9)
↑画の左端…上の方…白く丸みを帯びたモノ…「何?」と訝しく思ったが…月だった…

このところ、日が沈んでしまうような時間帯に何となく雲が多いという感じが多く、「暫らく月を視ていない?」という按配で、尽きの存在を何となく失念してしまったかのような按配になっていた…そこで、月に気付いた直後に「何?」と思ったのだった…

何処となく…「時季らしい」という感じの好天に見放されているような気がしないでもないが…時に見受けられる、画のような「明るい夕べ」は好い感じだ…

〝時季”が終わり…

未だ薄暗い早朝に、ぼんやりと目が開き掛かる。そして「不自然な感覚」が左の脹脛に…所謂“こむら返り”である…久し振りに発生してしまった…

“こむら返り”というのは唐突に発生する…激しい運動をするでもないので、運動中にそういうことになって困るというのでもない…大概は寝ている状況で発生してしまう…或いは、何となく寝ている間に被っているモノから足がはみ出していて、はみ出している足を身体の他の部分との温度差で「相対的に冷えている」という筋肉がどうかなるのだろうか?何れにしても、少し困る…

そういうように、激しい運動をするでもないのに“こむら返り”で「脹脛が多少痛い…」と情けない状況になってしまうことが在るような者の目線で…ワールドカップのサッカーのように、90分間、更に延長戦に突入すると120分間も走り回るようなことをしているサッカー選手というのは「凄い人達だ…」と改めて思ったりする…

ロシアで開催されたサッカーのワールドカップ…フランス対クロアチアの決勝戦が戦われ、フランスの優勝で終わった…

こういうような競技の国際試合に関して、個人的には「旧ユーゴスラビア諸国のチーム」が出ていると、何となく応援している…

「旧ユーゴスラビアのチーム」を少し意識して応援することになった直接的な切っ掛けは、2006年にバスケットボールのスロヴェニアのチームを少し近くで視たからかもしれない。

旧ユーゴスラビア諸国は、各々が長い歴史や独自の文化的伝統を有する国々ではあるが、旧ユーゴスラビアが各々の国々に分裂して独立国となって行った1990年代以降に登場している。「現在の国際関係の中で言う“国”」としては新しい。そしてそれらの国々で、各競技の団体が整えられ、国際競技団体に加入し、代表チームが国際大会に参戦するようになって行って、現在に至っている…

2006年にバスケットボールのスロヴェニアのチームを視た時…彼らは「新しい国のチームを担っている俺達が、このチームの歴史を創って行くのだ!」という気概に溢れているように視えた…伝統や実績を誇るチームに伍して、力を出し切って闘うという闘志に溢れているように視えた…そんな雰囲気に惹かれたのだ…

今般のワールドカップに登場したクロアチアのチームにも、そういうような「新しい国のチームを担っている俺達が、このチームの歴史を創って行くのだ!」という気概や闘志に溢れる様子を感じ、少し惹かれた…

優勝したフランスは、「近未来のビッグネーム?」という若い世代の比率が高いチームに巧く世代交代を果たし、好機を着実に得点へ結び付け、手堅く護るという、更に試合を重ねる毎に錬成度を高めるかのような素晴らしいチームを大会に送り込んで来た…

対するクロアチアは…「絶妙な巧さ」が方々で評価され、各々に華々しい実績も在る、「本当にクロアチアを代表するようなスター選手」を集めてチームを組んで来た。<黄金の世代>とクロアチア国内で高い期待を掛けられていた世代の選手達だ…彼らは「4年後には多分、主軸から外れる…」という「(自分としては)最後のチャンス!」という中で勝利への執念、闘志を燃やしていた…

クロアチアの主軸を担った選手達は「30歳代に差し掛かったような世代」ということになるが…考えてみると、この位の世代の選手達が「サッカーボールと出会った」というような幼少期は…旧ユーゴスラビア諸国で、凄惨な武力紛争も見受けられたような、過酷な時代だったということになる…未だ小さな子どもに過ぎなかった彼らを可愛がってくれたであろう、身近な年上の人達―両親、祖父母、伯父伯母、兄や姉…―が、理不尽極まりない戦禍に散って、哀しく辛い思いを味わったという選手達も在るかもしれない…だからこそ、彼らは栄光を掴みたかったのかもしれない…

クロアチアは1998年大会で3位入賞を果たし、「新興チーム」ながらも存在感を示した経過が在ったが…今回は「正しくあと一歩で…」という2位だった…きっとクロアチアで、「あの2018年のチームが…」と色々なことが語り継がれ、何時か栄光を掴み取ってくれることであろう…

それにしても…クロアチアも含めた旧ユーゴスラビア諸国は、概して「中小規模な国」というイメージだ。物凄く大きな人口を擁しているでもなく、経済活動の規模もその人口に見合ったものだ…しかし、国際試合で大善戦が出来るようなチームを送り出す、「素晴らしいスポーツ文化の力」を持っている…敬意を表すべきであろう…

何となく…テレビで多少観戦をしたり、試合の解説記事をネットで読むというような「ワールドカップの時季」が終わってしまって…一寸寂しい…

こうした中なのだが…最近、時々思うことが在る…

“試合”が行われて、“勝敗”のような結果が在って…“試合”の中での「チームや選手の“内容”の“良し悪し”」というのが論ぜられるようなことが多く在る…

その他方に…“勝敗”のような結果は在るのだが、“試合”が「行われたのか?行われていないのか?」が判り悪いような、「何かスッキリしない」という状態が時々在る…

更に…“勝敗”のような結果だけが在って…“試合”をするような内容の「プレーそのものが行われたのか?行われていないのか?」が全く判らないような状態…こういうのさえ、時々在る…

要は、大善戦して一定の成績を残すスポーツチームのように、「力を尽くしてモノに取組んだ」という事例の他方、「モノに取組んだのか否かが判り悪い程度のことしか出来ていない」とか、「よく考えると、出来たとか出来ないとかの以前に、物事に真面目に向き合ったか否かさえ判らないレベル?」というのも、巷には存外に多いかもしれないということだ…

何事にせよ…「力の入り過ぎ」は按配が悪い場合も在るのかもしれないのだが…それでも「モノに取組んだのか否かが判り悪い程度のことしか出来ていない」とか、「よく考えると、出来たとか出来ないとかの以前に、物事に真面目に向き合ったか否かさえ判らないレベル?」というのは、個人的には「全然、納得出来ない」というようには思う…

M.S.コルサコフ胸像(2017.07.07)

「コルサコフ」というのは人名に由来する地名だ…

コルサコフでは…「1853年にネヴェリスコイが哨所を開いた」という故事を「建都」と位置付けているが…その頃は総督の名に因んで「ムラヴィヨフスキー」と地名を名付けていた…かの、ウラジオストクの銅像を視たことも在ったが、今日の極東ロシアの版図を拡げる活躍を見せたムラヴィヨフ・アムールスキー総督である…

この「ムラヴィヨフスキー」に関しては、諸般の事情で活動を休止してしまい、その後1869年に至って本格的に活動を再開した。その時に、当時のコルサコフ総督の名に因んで「コルサコフスキー」と改めて名付けた…これが、サハリンがロシア領であった時期を通じて「コルサコフ」で定着し、「大泊」と呼ばれた樺太時代を挟んでソ連かされた時、また「コルサコフ」と呼ばれるようになって現在に至っている訳だ…

↓1990年代、「帝政時代以来の歴史」に意識や目線が向いていた中、「建都140年記念」と銘打って登場したのだという、コルサコフ総督の胸像だ…
07-07-2018 Корсаков М.С. в городе Корсакове (1)
↑街の名が人名に由来となれば…その由来に関わる人物のモニュメントが在るというのは、別段に不思議なことではない…

↓近付いて、少し「アップ!」な感じで…
07-07-2018 Корсаков М.С. в городе Корсакове (2)
↑朝の時間帯の光加減で生じる陰影の感じが、なかなかに好い…

湿った深夜に想う…

深夜の外気は多少湿っていた…小雨が交じり、それが断続していたのであろう…

早目な時間帯に眠気が差し、それに抗うでもなく休んでしまい、中途半端な時間帯に眼を開ける…そして直ぐに眠るということでもない…漫然と幾許かの時間が流れ、何時の間にか再度休み…やがて早朝を迎える…

こういう傾向が何となく強まっているような気がしないでもない…

7月の第2旬に足を踏み入れていた…ここで漸く「変に寒い…」は免れた感だ…10℃台の気温だ…日中で18℃や20℃になるという按配だと思う…

「変に寒い…」が続いていた期間、曇天に雨が交じるようなことばかりで、いささかの晴れ間が「希少な現象」でもあるかのように錯覚してしまう程だった…が、ここで漸く「北国の空の素晴らしい蒼」も見受けられるようになった感だ…

そういう空模様を見上げながら…日本国内の方々で、複雑な想いで空を見上げる人達が多数在るであろうことに想いが至ってしまう…深甚な被害が発生した大雨…被災地域の皆様にお見舞いを申し上げる…「あの時に立ち寄った…通り過ぎた…」という程度ながらも、見知ったような地域での大きな被害に気持ちを曇らせながら報道に接している昨今だ…

気に懸かるニュースというようなものは、何時でも幾分は在るものだと思うが、そういうモノの一部に関しては「何となく引っ掛かり続ける」という場合が在って、そこが切っ掛けで色々なことを何となく考えるという場合が在るのだ…

これから先の色々な過程で「事実関係がどのように立証されて行くのか?」というようには思うのだが、文部科学省の幹部が、私立大学に供される資金を巡って、或る大学にそれを供するようにする見返りに、大学を受験する息子を合格させるようにしたということが在ったらしい…「小説か漫画か?」と思ったが…残念ながら「現実の事件」であるようだ…

自身も、一応は大学という場所の御厄介になっていて、「かなり古い話し」ではあるが、“受験生”というのも経験している。当時のルールの中で、可能な範囲で力を尽くし、「入試の答案の、自身のモノを処理する時に“手違い”でも在ったか??」と本気で思いたくなる程に「運好く…」という具合で大学に滑り込んだと思っている…「“全滅”…そうなっても、自身の人生がそこで終わるでもなく…」程度に想いながら、最後に残った1箇所の合格発表―受験番号が大学構内に掲出されるのを視に行った…―で自身の受験番号を見付けて…確か7回位は、「立ち去ろうとして、引き返して確かめる」というようなことをして、口の中がカラカラになるような感じの中で漸く家族に「驚くな!在った!俺の番号が…嘘じゃない!」と電話したような覚えが在る…

そういう自身が経験した「知り得る状況」に鑑みて、伝えられているニュースの出来事が「信じ難い…」ように思えるのだ…

各教科の試験に加えて、小論文や面接が在るようなタイプの入試だとして…各教科の試験成績がほぼ同一な中で「最後の何人かの合格者」を決める場合…小論文や面接に関して「恣意的かもしれない、審査をする側の判断」が入る場合は免れないかもしれない。「どちらを合格に?」となって、「そう言えばこっちの受験生は、大学が世話になっている筋の、あの人の息子で…ではこっちにしよう…」というのは、絶対に無いとも言えないかもしれない。そういう「親の人脈」のようなモノと縁薄い受験生にとっては、面白くないことこの上ないであろうが…だが伝えられている事件はこういう次元ではない!学科試験に関して、「合格点に達するように加点した」というのだ…そして、そういう処理が在り得ることを、受験生本人が薄々か明確にか承知していて、普通は何校も受験するであろうが、当該の大学だけを受験というようなことをしていたらしいという…

この一件…これから先の色々な過程で「事実関係がどのように立証されて行くのか?」というモノではあるのだが…“親の人脈”で、何となく在りそうな「面接が他の人より有利だったかもしれない…」というのを踏み越えて、「学科試験に加点する」ということが「行われたらしい」というのに、名状し悪い衝撃を受けてしまった…そして、受験した本人が薄々か明確にか「承知していた?」という節が伺えるという話しも伝わり、ますます驚いている…

大学受験をするような年恰好にもなれば、親の職業や社会的地位を一定程度解して、「自身は恵まれている」とか「少なくとも不利にはならない」という程度のことは思うであろう…が、その親の「働きかけ」で、公正である筈の試験で「加点」…逆に「減点」でも、そういうのは「出鱈目!!」である…

ここで問いたくなる…「出鱈目が罷り通る世の中に生きたいのか?」とか、「出鱈目に乗っかった人生が幸せなのか?」というようなことをだ…

そういうことで、このニュースが「何となく引っ掛かり続ける」という具合になっている。

そして更に思う…或いは「〇〇さんが言った」という程度のことで、よく判らない「加点」とか「減点」というようなことが…巷には意外に多いのかもしれないというようなことをだ…存外に「出鱈目が罷り通る」というような状況なのかもしれない…

そんな考え事をしてしまっているが…時間が進み、早朝が近付いている…相変わらず外気は少々湿っているようだ…

レーニン通とプルカエフ通との交差点…(2018.07.07)

土曜日は「朝早くから晴天」という状態だった…「休日の土曜日としては、或いは最近の状況として“朝から晴天”は少々珍しい?」と、朝食を摂りに出た足で歩き回った…

↓レーニン通を南下し、プルカエフ通との交差点に至った…
07-07-2018 on morning (1)
↑巨大な塔がロータリーに聳え立っている…

↓西寄りな側から、東側の空を背景にロータリーを望んだ…
07-07-2018 on morning (3)

↓少し東寄りな側に廻り込むと、見え方が少し変わった…
07-07-2018 on morning (7)
↑東側からの光を受けて、塔の頂上の「双頭の鷲」が輝いている…

それにしても…「休日の朝」なので、辺りの交通量は未だ少ない…

こういう光景が見られる晴れた朝…好い感じだ…

【速報】ロシア対クロアチア

1対1から延長…

延長ではクロアチアが得点したが…ロシアも得点…2対2…

PKではロシア、クロアチアの順…

ロシアがキックを止められて始まったが…5人目までで4対3…ロシアが敗れた…

残念!!!

【速報!】ロシアが史上初のベスト8!!:W杯サッカー

スペイン対ロシアの試合…1対1となったまま延長に突入し、延長でも両者無得点でPK戦へ。

PK戦で先に蹴るのはスペイン。ロシアは1本を止めて優位に立つが、5回目のキックを弾き、その時点で4本を成功させていたロシアの勝利が確定した。

ロシアのテレビ中継では、アナウンサーが裏返ったようにも、涙声にも聞こえる絶叫で「スペインに勝った!勝った!史上初!史上初のベスト8!次は7月7日!」という実況。

中途半端な時間に居眠りし、深夜に起き出して…「そう言えばスペイン対ロシアのサッカー?」と途中の1対1になっていた試合のテレビ中継を観た…

赤のユニフォームのスペイン…白のユニフォームのロシア…赤のスペインばかりがボールを持っているように見えたが…なかなか得点が出来ない…ロシアの反撃も決まらない…そして延長…それでも決まらずにPKへ…

PKでスペインのキックをロシア側が止めた時…思わず拍手してしまった…そしてスペインの5人目のキックが弾かれて「PK 4対3」でロシアが勝った…

ユジノサハリンスクは午前4時前後になっていたが…何処かで集まってテレビ観戦していた人達が外に出て来たらしく…「ラッシーヤ!チャンピオーン!」と歌うように大声を張り上げて、ラッパを鳴らして歩き回っている様子も…暗くて視えなかったが、音は聞こえた…

後年の語り草になりそうな「歴史的な勝負」を生で視た型になった…

Вперёд Россия!(フピェリョド ラッシーヤ)=進めロシア! (2018.06.29)

↓食事に寄った店に飾られていたモノ…
Вперед Россия... 29-06-2018
↑国際大会に登場するロシアチームに声援を贈る応援団が掲げる旗である…

サッカーW杯がロシアで開催、ロシアチームも出場という中、こういうモノが飾られているのだと思う…

2018年W杯のロシアチーム…事前の“低評価”を跳ね返し、決勝トーナメントにコマを進めたことが話題である…

「ロシア型(仮称)」??

未だ「暗くなり切らない…」ような時間帯に眠気を覚え、何時の間にか眠ってしまい、「明るくなりかけている…」というような時間帯に眼を開けた…「早寝早起き傾向」と呼んでいる状態だ…

未だ多少灯りが残る時間帯に、「晴れる?」と何となく思ったが、それは雲に灯りが跳ね返っているような辺りの空が明るめに視えていたに過ぎず、何となく厚めな雲で空は埋まっていて、やや薄暗く湿った曇天である…とりあえず風は微弱であるが、気温は5℃とか、それを少し上回るような按配かもしれない…

話題になっているサッカーのW杯は、日本のチームが決勝トーナメントにコマを進めた。久し振りなことである…

先日、友人からお誘いを頂いて、互いに気に入っている料理を少々頂きながらビールを呑んだ愉しい席が在ったが、W杯等の談議に及んだ。「日本チームの大健闘」とか、「ロシアでのプレー経過から、ロシアでも知られている本田選手が大事な場面で輝いた」というようなことを話題にした…

そしてロシアのチームに話題が及んだ…“ランキング”等は無関係に、決勝トーナメントにコマを進めた。友人は「戦い易い予選リーグの組み合わせだったかもしれない…“あのチームは気の毒”と思えるような組み合わせのグループも在る…」としていた…確かにそうだ…

ロシアのチームに関しては…次の対戦相手がスペインのチームということで…「最早ここまで…」という観方が支配的であるようだ。「語り草になるような大差の敗戦さえ在り得る」と話題にしている人も在った。

その場で口にはしなかったが…サッカーは“1対0”が非常に多いゲームで、「格下と目されるチームが格上と目されるチームに勝つ」が意外に多い…20年以上も前になったが、五輪のサッカーで日本のチームがブラジルのチームに勝ったことも在った。積極果敢にシュートを放ち続けたブラジルが得点出来ずに終始し、“ワンチャンス”というような感じで日本が1得点出来て、それで試合が決まった訳だ…

そんな話しをしていた時には、未だ“出来事”が起こっていなかった訳だが…ドイツのチームが韓国のチームに敗れ、予選リーグで大会を去るという出来事も在った…ドイツは得点出来ないままに試合は最終盤に至り、韓国も必死に防戦した…そういう中で、韓国の攻撃が成功して得点が挙がり、勝負が着いた訳だ…

サッカーの試合には、そういうことも在る…スペインのチームと言えば…彼の国は、世界中の有名選手が犇めくようなリーグを擁していて、そのリーグで活躍している「オールスター!!」のような様相だ…それに比べるとロシアのチームは地味かもしれない…しかし、サッカーは“1対0”が非常に多いゲームだ…輝くスター選手達の猛攻を凌ぎ、そんな中での一寸したチャンスを巧く掴むと、「支配的な観方を覆す」ような出来事も在るかもしれない…

愉しい席を共にした友人に限らず、色々な人が言っているのだが…“ロシア”の人達がモノに取り組むと、「始まり」は勢い良く取り掛かって「好いぞ!」という具合になるのだが、何となくその勢いが続かず、「仕上げ」がスッキリしないことが多い傾向が在るのだという。

以前にこの友人とアイスホッケーを話題にしたことが在ったが、アジアリーグの<サハリン>は、シーズン前半に勝ち星を重ねて、地元ファンの期待が膨らむが、何かリーグの終盤に「勝ち続け切れない」傾向が在るとしていた。もしかすると、ロシアのW杯サッカーも、そういうことだと感じている方が多いということだろうか?

それにしても…「ロシア型」とでも仮称すれば好いだろうか?モノに取り組み、最初は「好いぞ!」という感じになって、「仕上げ」が冴えない場合も在るというような状態…これに対して、「寧ろ“仕上げ”が好い」という状態も在るのだろうか?何となく思うのは…個人でも団体でも、実は「ロシア型」(仮称)という例が、世の中では「寧ろ多数派?」なように思えなくもない…

こういうようなことを考える他方…「異様な6月?!」という感じがするユジノサハリンスクだ…昨年も「寒い…」という感じがすることは在ったが…「今年程度に天候不順だったか??」というように感じている…予報では、もう数日も経てば気温が上昇するらしいのだが…

こういう寒い中…W杯関係が“熱い”ような、「ロシアの人達はやや冷めた?」というような微妙な感じはする…が、事前の低評価を跳ね返して、決勝トーナメントにコマを進めたロシアのチームには親しみのような、「行け!!」と声を掛けたいような気分も在るので、「“波乱”が起こる確率が存外に高いのがサッカーというゲームじゃないか…」と思っていることにしよう…

雨上がりのライラック…(2018.06.27)

「曇天で雨交じり…気温が上がらず、時々強めで冷たい風…」という日が変に多いユジノサハリンスクである…

そんな中、「雨交じり」だった時間帯が過ぎ、「雨上がり」という状況が発生するのだが…「雲の切れ間から光…」とでもいうような「雨上がりらしさ」とは縁遠い、「降っていない…戸外で濡れないから好い…」という具合でどんよりと曇っていることが多い…

↓そういう「雨上がり」の中でライラックを眺めた…
27-06-2018 morning (8)
↑一部の花に雨の滴が見受けられる…しっとりと艶やかだ…

何やら、「冴えない感じの天候」が続く…「何時まで続くのか♪見せてもらうさ!♪」という気分だ…

聖パウロ・ルーテル教会:ウラジオストク(2018.06.11)

↓ドイツ、またはドイツ語圏の国々で見受けられる教会を思い浮かべる建物だ…実際、かなり古い話しになってしまっているが、ドイツ語圏の国々を訪ねてこの種の建物を色々と視た記憶は在る…しかしこれを視掛けた場所は、ウラジオストクである…
11-06-2018 Vladivostok vol04 (5)
↑ウラジオストク都心部の海岸寄りに延びるスヴェトランスカヤ通を西寄りから東寄りへ進み、金角湾を跨ぐ巨大な橋梁<黄金橋>の下を潜って、更に少しばかり進んだ辺りに見受けられる…

↓「明らかにロシア以外の何か…」と思わせるが、ドイツ人建築家が設計して1907年から1909年で建築された教会であるそうだ…
11-06-2018 Vladivostok vol04 (4)
↑当時はドイツ系の人達も多くウラジオストクに在って活動しており、ルーテル教会の信者も多く、こうした教会の建築に至ったのだという…現在の<GUM百貨店>の建物を建てたドイツ系の会社が、資金の拠出で大いに協力したという…

↓建物の直ぐ脇が坂道で、ケーブルカーの「下側」の乗降場へ続く辺りなのだが、建物の側面や裏の様子が面白い…
11-06-2018 Vladivostok vol04 (6)

中にはドイツ語圏の教会に見受けられるようなパイプオルガンも在るらしい…それを使うコンサートの告知が、近隣やウラジオストク都心部等で幾分見受けられた…

教会は1935年に閉鎖された後、建物が色々な用途に用いられ、1997年に至ってルーテル教会に復旧したのだそうだ。この建物は、ドイツでも「海外のドイツ文化遺産」として高く評価されているという…

このドイツ系のルーテル教会は、色々な人達が出入して、各々に活動していたという、「ウラジオストクの歩み」が色濃く反映された存在と言い得る建物だと思う…

平穏な…

「あづましくない」という言い方…北海道で頻繁に聞かれる…所謂“方言”というモノで、北海道以外の地域では然程耳にするでもない…

「あづましくない」は、何とも名状し悪い「居心地の悪さ」というような、やや広い概念を表現しているように感じる…

「あづましくない」は…「あづましい」が「ない」と結び付いた否定形である訳だが…「あづましい」という表現に関しては、「吾妻しい」という言い方、「吾が妻が傍に居る時の様な安らいだ気分」というのが起こりだという説が在るそうだ…個人的には、そういう状況を経験したことが在るでもない―そもそも私に“妻”と名の付くモノが在った例が無い…―ので、よく判らないが…

実は最近、この「あづましくない」という語が頭の中を過る機会が多い…

負傷してしまって、負傷箇所に関して「一応“治癒”ということで段落」とはなっている。そういうことにしてから一定の時日も経ているのだが…恐らく、負傷していない箇所との「力」のバランスが悪いことは何をどうしても否定し難いこと、治癒に至るまでに無意識下に不自然な動きばかりしていたこと、その他雑多で色々と判り悪い要因が複合的に折り重なっていると思うのだが、自身の身体に関して「名状し悪い居心地の悪さ」というようなモノを感じてしまうことが多いのだ…

快復に時間を要する負傷とはなってしまったが…妙な場所を打って酷く傷めて、大きな影響が残るという程のことはなかった…そうした意味で「所謂“不幸中の幸い”に類する状況」と自身では考えていたのだった…

相当以前に、別な個所を負傷した際には、「治癒に至るまでに無意識下に不自然な動きばかり」が原因だったと思うのだが、「何故だ?何故、ここが痛む…」という妙な現象が在った。今般、「名状し悪い居心地の悪さ」を覚えて「あづましくない」という語が頭を過るにしても、その種の「妙な現象」からは免れている…それを以て「幸い…」という程度に思うことにしようと考えている。それでも「あづましくない」が頭の中を過るのは免れられないのだが…

その「あづましくない」が何度か思い浮かんだ日中を過ごし、最近寄る機会が増えている店で食事を愉しんでから住まいへ引揚げた…

「最近寄る機会が増えている店」というのは、「“普通”なことをしている平日」であれば、多分98%程度の確率―残りの2%は、「100%」とも断言出来ないので遠慮したに過ぎず…100%と言い切ってしまって差し支えない…―で動き回るエリアに所在し、「住まいへ引揚げる道すがらに寄る」という感じで利用するのに好適な場所だ…

何時の間にか…ここに寄ると、店の人達の側から「毎度どうも…」とでも言い出しそうな空気感が伝わるようになった…ユジノサハリンスクも、飲食店等で「もう少し何とかならんのか?!」という程度に無愛想な場所は「寧ろ珍しい」感じで、何処も普通で愛想も悪くない店員さん達が多い…そういう中だが、「時々現れるあのおじさん」程度に先方の記憶に留められるようになると…「毎度どうも…」とでも言い出しそうな空気感が沸き起こるようになる…

新しい場所を開拓するのも好いのだが…何度も立ち寄っている場所は、慣れて来るので、何となく足が向く頻度が高まる…思えば…今日は朝も、昼も、「場所が好い」、「価格が何となく手頃」、「営業時間が利用し易い」、「出て来るメニューが何となく好い」という理由で頻繁に利用する場所に寄っている…それらの場所でも、寄れば「毎度どうも…」とでも言い出しそうな空気感が沸き起こる…

結局のところ…この「毎度どうも…」というような雰囲気が、自身にとっては「あづましい」ということなのであろう…

何処となく身体の按配に「あづましくない」を感じる場面も在る多方、日頃の行動の中では「あづましい」が散発する…こういう程度なのが「平穏な暮らし」というものなのだろう…

妙に寒い…

一見すると「フロントがジッパーのカーディガン?」とも思えるような、殆どの部分がニットのような生地のロシア製ジャケットを所持している。昨年の秋に入手したモノで、存外に使い勝手が好く、求めた時に何となく思った以上に活躍している…

想い起すと…2月にこの上着を着て一時帰国をした…氷点下20℃近いユジノサハリンスクや、それより気温が高いものの戸外は氷点下の北海道内では、温かいアンダーウェアに生地が厚いワークシャツを中に着込むような感じでニット帽を被ったが…途中に立ち寄った関西方面等では、長袖Tシャツの上にこの上着を着て外を動き回った…

「長袖Tシャツに少し温かい上着」という出で立ちで関西方面を動き回った2月下旬…彼の地では、少し肌寒い時に5℃を挟む感で、日中は10℃を挟む感だった…

あの時は神戸の三宮に逗留して<高田屋嘉兵衛顕彰館>を訪ねる等、なかなかに愉しかったので懐かしく状況を思い出すということも在るのだが…そんな時のことを思い出したのは、今日、正しく「2月下旬に関西に立ち寄った」という場面と「同じような服装」で辺りを歩き回ったからに他ならない…

今日、ユジノサハリンスクでは朝早くには5℃を挟むような気温帯で、日中も10℃に届いたのか、届かなかったのかという按配で、吹き抜ける風がやや強い場合には「風のやや冷たい感じが刺さるような…」という状況だった…

こういう「寒くて冴えない天候が続く…」というような状況下…日本国内各地で「かなり暑くなった」というニュース…やや不思議だ…

土曜日の朝を迎えた…

最近は「夕刻」とか「夜」という言葉の使い分けに関して、何やら「訳が判らない」ように思える…

「夜8時」と言って、「夕刻」に「なりかかっている」ような微妙な光の按配なのがユジノサハリンスクである…更に「夜9時」という辺りで、漸く「夕刻」という言葉が、何となく馴染んでみたりする…

そんなことを思っていたのだが、昨日の「午後4時半」に御近所の顔見知りの方と出くわし、先方に「Добрый вечер」(ドブルィー ヴェーチェル)と声を掛けて頂いた。「こんばんは」である…私は1日の何時でも使える「Здравствуйте」(ズドラーストヴィーチェ)で応じた…

ユジノサハリンスクで「午後4時半」…“概念”としては「夕刻」で「こんばんは」が妥当なのだろうが…空模様は?「金曜日!午後のひと時、如何お過ごしでしょうか?」という雰囲気で、かなり明るい…何か妙だ…

そういうことで、「夕刻」と表現すべきか、「夜」と表現すべきか、何となく頭の中で「座りが悪い」のだが、「一応、夜…」になった…金曜日なので、翌日は休日の土曜日だ…

今週は…月曜日の日中に、少しばかり「気分がザラザラする」ような感じであり、それでも夕刻にゆったりと食事を愉しみ、何となく長閑な夕べを過ごそうとしていた…そこに…何やら気分を波立たせるような話しが聞こえて、酷く苛立つような羽目に陥り、何となくやろうとしていたことに手が付かず、寝てしまおうとしたが苛立って眠れないというようなことになってしまった…

そういう様子で、安眠出来ずに迎えた火曜日はやや草臥れ、早目に眠って深夜に目覚め、何やら睡眠のリズムが狂い、何となく落ち着いたのは木曜日である…

そういうことで、「変な疲労感」が在るかもしれない…「変な」と敢えて付すのは、例えばかなりの距離を歩く、数時間の力仕事、慣れない運動というような、「判り易い事由」というのが特定し悪いように思える疲労感なのだ…安眠し損なってリズムを崩したという辺りに事由を求める他無いかもしれない…

昨日の日中、「やや変わった様子」に出くわした。

御近所の消防署の前で、時々見掛ける、幾つかのパターンが在る作業服風なユニフォームや、火災現場に踏み込む消防隊員が使うユニフォームに身を包んだ何人かの署員達が建物の前に並んでいた。辺りで、デジタル一眼レフカメラを手にした人が動画撮影らしきことに勤しんでいる。

「何事?」と足を停めたが…署員が何やらサッカーボールを手にしている…辺りに居合わせた関係者が「サッカーの代表チームの応援メッセージビデオさ…」と、珍しそうに見ている私に言った…「そうでしたか…」と大きく頷き、邪魔にならないように通り過ぎた…

ロシア国内で開催中のサッカーW杯…ロシア代表チームは、「出場国中で“ランキング”が最下位…」で、開会前には「然程の期待は出来ない?」という見方が強い感だったらしいが…予選グループの2試合を連勝で、他にも2勝のチームが在って、残りの試合の結果と関係無しに決勝トーナメントに進出を決めた…

“ランキング”というものは、何やら国際試合の戦績が数値化され、ドンドン加算され、その数値の多い順で決めるモノらしい。そうなると…「開催国枠」でW杯出場が確定しているロシアチームは、ランキングで数値を加点していく対象になる予選の試合を戦わない。他所のチームに比べて、ランキングに数値を加える機会がかなり少ないということになる…そうなれば予選を戦っている他所のチームが、ランキングに数値を加えている間、何も数値が増えない…そうしている間に、相対的に順位は下がってしまう…

という訳で…多分、“ランキング”というのは、「第X位」という具体的な数字よりも、「A位からB位グループ…C位からD位グループ…E位からF位グループ……」というような程度に、もっと大雑把に「各国チームの漠然とした評価?」というように考えるべきかもしれない…

勿論、“ランキング”に関して、最上位10チーム位と、最下位周辺の10チーム位では、各選手の技量やチームの戦術や経験に大き過ぎる差異が在るかもしれない。が、そういう極端なことでもなければ、“ランキング”の「第X位」の違いは、あまり関係ないのかもしれない…更に言ってしまえば…サッカーというゲームは「1対0」というような試合も多く、格下と目されるチームが格上と目されるチームに勝つという展開も、「存外に在る」ように見受けられる…

結局…ロシアチームは「出場国中で“ランキング”が最下位」なのは事実だが、表面的に出ている事実の裏には、「実に色々な事情」が隠れているというようなことに思い至る…

こういう、「何かの数値」というモノには“裏”が存外に多いように思う…数値に限らず、表面的には「こういう具合…」でしかないモノでも、「かなり煩雑な“裏”」が在るモノ…手近なことから大げさな話しに至るまで、存外に多いのかもしれない…

そんな考え事をしていると、辺りは「夜」と表現することへの抵抗感が殆ど感じられないような雰囲気になり、眠気に抗い難くなった…そして…気付くとぼんやりと明るい…

金曜日の夜が更けて行く…

金曜日の夜が静かに更けて行く感であるが…随分と「速く」こういう時間帯が巡って来た感である…

今週は月曜日や火曜日が祝日のために休業日だった…水曜日から金曜日の「3日間のウィークデー」という中、金曜日の夜が「あっという間」に巡って来たことになる…

稚内に在って、早目な時間帯に覚えた眠気に抗わずに何となく休み、早目に起き出す場合が在ると「(日本時間プラス2時間な時間帯の)“サハリン時間”で暮らしている?」と半ば戯れに称する場合が在る。で、実際にその“サハリン時間”の中に在って…何となく早目な時間帯に眠気を覚え、それに抗わずに休んでしまうということをやってしまう傾向を帯び始めた…

この連休…「気侭に写真を撮る」ということを随分とやっていたのだが…早目に居眠りをしてしまっていて、撮った写真の整理が存外に捗らない…と言って、締め切りのようなモノが在る作業をどうこうしようというのでもないので、ゆったりとやれば善いことではある…

「撮った写真の整理」というのは、主にカラー写真でHDR画を創るようなことだ…カラー写真の多方、この数年愉しんでいるモノクロ画の方は、「撮ったモノを取り出して、選んでみる」というだけの整理で、作業は酷く速い…

その酷く速く整理出来るモノクロ画を用いて、気に入った画を展示するような文脈で、撮影した時の状況、その時に考えたことや、事前や事後に仕入れた話のタネ等を纏めてみるという作業はそれなりに進んでいる…

連休には、既に「別邸」と呼びたい宿に逗留して、「もう1日や2日の滞在…」と思う程度な短い期間の滞在のウラジオストクで過ごしたが、これまでの計3回の訪問時の写真を纏めている…今般の訪問の関係は、未だ“段落”でもないが…過去2回と合わせて、一群の記事は存外な量になっている…

実はこの静かに更けて行く金曜日の晩…未だ暗くならない夕刻に居眠りをしてしまい…暗くなってから起き出した…そのまま眠くなるまで起きて居ようとした訳だが…「眠くなる」が存外に早く訪れているので、何となく苦笑いだ…

「薄暗い1日」という感だ…

雨交じりな時間帯が長く、雲が多い状態が朝から夕方まで続き、屋内では「照明を点けない」という状態で居ることは殆ど無い感じだった…

6月2日にユジノサハリンスクに入って以降は好天に恵まれていた。日中の気温は20℃を越え、「そう言えば、厳冬期の1月や2月には“氷点下20℃”が頻発したが、ここでプラス20℃…」と妙な感慨が沸き起こった…

そんな状態であったものが、この「薄暗い1日」には気温が下がって、何となく10℃前後、或いはそれを割り込んでいる感で「多少肌寒い?」感も免れ悪いかもしれない…

近くロシアでは<ロシアの日>なる祝日になる。「6月12日」である…

ロシアでは「〇〇の日」と「休日にする」ことになっている祝日は、そのまま祝日にし、毎年のように前後の曜日等の様子を視て、政令で休日期間を定めるようにしている。今年の場合、6月12日が火曜日なので、前日の6月11日を政令で休日に指定した。逆に6月9日の土曜日は「原則的に短縮で官公署等の窓口は開く」というようなことになっている。そういうことで「日曜日から火曜日の3連休」だ…と言っても、土曜日は色々な動きが鈍く、何となく「4連休」的な雰囲気になるのかもしれない…

「6月12日」の<ロシアの日>とは何なのか?これはソ連時代最末期の出来事を捉えて、ポストソ連時代の政権が定めた祝日ということになる。その呼称に変化は見受けられるものの、一定の年月を経て祝日(=休み)が定着して現在に至っている…

ソ連時代最末期…15の共和国で構成されていたソ連からバルト3国が「脱退」し、残る12共和国でも「主権」というようなことが話題になった。1990年6月12日に、当時の「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」が「主権宣言」を行った。これは“連邦”を脇にやって“共和国”が前面にというような「象徴的」な意味合いが大きく、「主権宣言」をしてみて何が変わるというのでもない状況だった…

更に…この「主権宣言」の1年後の1991年6月12日に「史上初」ということになった“ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国大統領”の選挙が行われ、かのボリス・エリツィンが選挙で大統領に選任された…

やがて1991年末にソ連の旗が下ろされ、ソ連に加盟していた12の国々で「ポストソ連」とでも呼ぶべき時代に入って行く…

1992年にこの「6月12日」が“最高会議”の決定で祝日化され、<独立記念日>と称された…やがて1993年10月の騒動―新憲法の国民投票や国会議員選挙の実施を巡り、早急な実施を求める大統領側と、それに異を唱える“最高会議”側や副大統領等が揉めて、国会議事堂に軍隊が出動して発砲も在った一件…―を経て“最高会議”が廃されてしまった…そこで、祝日の権威を守ろうと1994年には改めて大統領令で「6月12日」が<独立記念日>と定められた…

とりあえず「現行の国の制度になってからの新しい“休日”」は歓迎されたが…「独立??」という状態は続いた…そして1998年に<ロシアの日>に呼称を改めるということになった…

今年は「6月12日」が<ロシアの日>ということになって「20年」という訳である…現行の体制の登場に関連した祝日ということになろうが…ソ連時代に「体制の登場に関連した祝日」だった<革命記念日>は廃され、「休日が在る時季として定着していた…」ということに鑑みて、かなり古い故事を持ち出してその時季に別な祝日を制定した…ロシアに在って「“ソ連”から“現体制”へ」という程度の体制の変化が、これから先に起こるか否かは知る由もないことなのだが…在った場合には、新たな体制の登場に関連した祝日が制定され、「6月12日」に関して<革命記念日>が辿ったような経過になるだろうか?

日本では…とりあえず“祝日”が多い。小学生位の頃には「こういう由来で“〇月〇日”は“〇〇の日”ということになった」という話しに興味を持った…そしてそれらを集めて、“祝日”を決めて休日にするというルールにしたということを知った訳だ…

が…何時の頃からか「〇月の第〇月曜日」というモノが多数派になり、何時の間にか新しい“祝日”が登場し、「6月以外は毎月のように祝日が在る」という状況になっているので、「こういう由来で“〇月〇日”は“〇〇の日”ということになった」という話しが「どうでもいいこと」のような印象になった…そして、「休日が増えると経済効果」という話しばかりが聞こえ、「仕事を早く終えて、早く帰る日を設けると経済効果」という話しまで聞こえて来る…

<ロシアの日>のように「現行の体制の登場に関連した祝日」ということ「らしい」ものの、「何か意味が判り悪い?」とやっている間に「とりあえず休日として定着」というのが、好いのか否かは少々判断し悪いと思う。が、「休日=経済効果」というような雰囲気よりも「幾分は好い」というように思う。

必ずしも休日、祝日と関係が深いでもないのかもしれないが…今年、日本国内では<明治150年>というのを随分聞く…

これに関しては…「現行の体制の登場に関連」という意味で取り上げられているのであろうか?「現行の体制」ということなら…寧ろ「1945年起点」であって、「1868年起点」なのだろうかと思う…

「明治元年」としてみた時、結局は「体制の登場」という現象が起こったのかもしれない…が、その中で行われたことは「それまでの時代との変な“分断”」だったのではないだろうか?その“分断”というのは「1945年起点」という説を採って、「現行の体制」に纏わること等を考える場面でも多々在るかもしれないが…

何となく思うのだが…1868年の「明治元年」という以上に、1858年に諸外国との条約で、日本国内に「現在も続くモノの直接的な前身」と言い得る各国の在日公館が登場したという出来事の方が、「思い返す価値が高い史上の出来事」というような気がしないでもない…

それにしても…自身が小学生位の頃には“明治時代”とでも言えば「100年位の昔」だったのだが…何時の間にか「150年位の昔」になってしまった…“50年”だ…

例えば…日本に各国の在外公館が登場した1858年から50年遡れば…1808年だが、ロシア船とのトラブルに鑑みて<北方警固>という動きが在って、会津松平家の武士達が宗谷にやって来たという出来事が在った。そしてかの間宮林蔵の樺太探検の1回目だ…

例えば…最近立ち寄って面白かった大阪城は…1615年に落城し、その後に徳川幕府が再建して幕末に幕府方が捨てて落城となった“大坂城”が公園化した場所だ…1615年から50年遡った1565年…1615年の大坂城の戦いで寄せ手の総帥であった徳川家康は…漸く三河の大名としての位置を築いたところだった…京の都では、かの松永弾正や三好三人衆が征夷大将軍の足利義輝を襲撃して弑逆に至るという衝撃の事件が起こっている…

何やら“50年”というのも…凄く長い時間だ…「明治100年」に生まれた自身は…“50年”を生きていることになる…前日に誕生日を迎え、何やらそんなことを考えていた…

6月初めに5月を少し振り返り…

6月に入っていた…

「桜が漸く咲いた…」という辺りでユジノサハリンスクを離れ、道草をしながら用事を足した足で稚内へ戻り、稚内から南下で札幌で一息入れ、新千歳空港からユジノサハリンスク空港に飛んで来た…

好天の土曜日であったユジノサハリンスクでは、22℃程度になっていた…何やら少し暑い感で、ランチに出た店で何となく頂いたビールが酷く美味かった…

そういう日の翌日…日曜日の朝は曇天で、気温は11℃程度になっている。やや空気が湿っているような気がしないでもない…

かなりの頻度で寄る店へ朝食に…顔馴染みな店員さんに「そう言えば見掛けませんでしたね?」と話し掛けられ、一寸出ていた旨を告げれば「少し気にしていたんですよ…」という話しだった。よく現れる、先方にしても顔馴染みな私が暫く視えなければ、「そう言えば、あの人を視ないな…」と話題になっていたのかもしれない…何となく気に入った場所については頻繁に寄るので、そういうことも在るのかもしれない…

6月に入る前…5月を通じて少し気になったことが在る…

日本国内のニュースで、「アメリカンフットボール」やそれを縮めた「アメフト」、「アメフット」という語がかなり耳目に触れた…

アメリカンフットボールは、米国では非常に人気が高い多方、日本ではそれ程でもない。そういう意味で、連日のようにそれへの言及が在るということ自体が珍しい…またアメリカンフットボールは、米国でも学生スポーツやプロスポーツのリーグ戦は秋季に催される…だから「5月」にこのアメリカンフットボールに言及している話題がドンドン出ているというのも、少し不思議である…

5月の日本国内のニュースで、アメリカンフットボールへの言及が多かったのは、学生スポーツでの妙な出来事の故である…

アメリカンフットボールは、プレーの局面毎に担当する選手が分業する仕組みである。攻撃局面を担当する選手達に対して、守備局面を担当する選手達を送り込んで攻防を展開する…

攻撃局面では、ボールがクォーターバックに渡り、クォーターバックを起点に「誰かがボールを持って走る」、「クォーターバックが投げるパスを駆け出した他の選手がキャッチする」というようなことで「4回で10ヤード」をクリアして攻撃権を保持し続けるか、ゴールラインを越えて得点を挙げることを目指すことになる。この攻撃局面のチームに対峙する守備局面のチームは…攻撃意図を挫くべく、クォーターバックが思うように動けないよう、クォーターバックの方に向かって行くということをよくやる…クォーターバックの脇で、そういう相手からクォーターバックを護る動きをする選手というのも在る訳だが…「投げさせない!」とクォーターバックの側に飛び込むように突き進んで、激突してしまうような場面も全く無い訳でもない…それでもクォータバックがボールを手から放してしまえば、クォーターバックに向かって行くというのは、原則的にダメということになる。向かって行った側は「投げられた…止められなかった…」と、他の選手の動きやボールの行方を追うことになる…「次はさせないぞ!」とクォータバックを睨む位のことは在り得るだろうが、ボールを放した後にぶつかって行くということにはならないのだ…

こういうアメリカンフットボールの攻守でよく在る場面からはみ出し…ボールを投げて、投げたボールの行方を視ているクォーターバックの後ろに回り込んで、下半身に後ろからタックルという、アメリカンフットボールで見受けられる“プレー”というのでもなく「ならず者が、気に入らない奴を襲撃」という、奇妙な状況が発生してしまった…そしてこのクォータバックが全治3週間の怪我を負ってしまったのだという…

学生スポーツのアメリカンフットボールの試合で、悪質な反則が在って負傷者が発生という事態…その後始末というようなことで、連日のように関連の話題が出ていた…それ故に5月を通じて、アメリカンフットボールという語が耳目に触れる頻度が酷く高かったのだ…

この話題に触れ…何となく思ったのは「この国の“嫌な面”が何処となく凝縮されている?」というようなことだ…

悪質な反則に及んでしまった選手…何やら「半ばイジメ?」のようなことを監督やコーチにされてしまっていて、思い詰めた挙句にやってしまっているのだが…「であれば、活動と距離を置いてみるようなことをしてみるというのも“在り”では?」と何となく思う…

こう言うと「それは“他人事”だから、そんなことが言えるのではないか?」と誹りを受けるであろう…この「誹りを受けるであろう」がポイントだ。極々限られた人間関係の中で、実は“個人”としてモノを考えるという姿勢や能力が損なわれてしまっている…ということが無いだろうか?

何やら「半ばイジメ?」のようなことを監督やコーチにされてしまって…それが「故無きこと」か「故在ること」か自身で考えるか、思い悩んでわけが判らなくなった時、「第三者的に考えて助言、または助言めいた事」を話してくれるような人が在る、「別な人間関係」は選手には無かったのだろうか、と何となく思う。

しかしあの選手は、酷い状況になり、自身が知り得る本当のことを明らかにし、負傷させてしまった側に謝罪しようと自身で出来そうなことに力を尽くした…

これに対して、チームを擁する大学や監督というのは…何か「善悪が“グレーゾーン”な場合に、言質を与えないようにする」という類のパフォーマンスを「おたくが悪い!!」とハッキリしている中で繰り返している。何か、滑稽だ…そして「何をしてしまったか?」を曖昧にしようとしてしまって、大学の中での役職に留まろうとして、結果的に“風当り”でそちらも辞任だ…

「半ばイジメ?」のような理不尽が在ったとして、それに声を上げ悪い…極々限られた人間関係の中で、個人がモノを深く考え悪い…「とりあえずグレーゾーン」で、「多分、ハッキリ悪い」を受け入れない…「外から視て如何?」と無関係に、内輪でモノを考えて、最終的に“風当り”が中途半端に強くなって困るというようなこと…

これらが、或いはアメリカンフットボールの一件に凝縮された「この国の“嫌な面”」というように何となく思う…

問題が在った大学は…日本国内最大級の学園で、学生総数は何処かの地方の小さな市が数個分であろうし、大学自体の他に関係の中学・高校等も全国各地に多々在る…そうした中、学校等の“名前”だけで「おたくは…」と変な“風当り”のようなモノが既に在るらしいが…そういうのも、やや困りモノかもしれないように感じる…

5月を通じて、「変に“アメリカンフットボール”という語句が耳目に?」と思った訳だが…最近はこの件以外に、色々と「気に懸けるべきニュース」も在るような気がする。そういう「もっと大事なのでは?」が伝わり悪い状況でも生じているなら…それも余り好ましくないのかもしれない…

そんなことを考えている日曜日の朝だが…今朝は何やら雲が多く、薄暗い感じが続いている…

『新選組颯爽録』(2018.05.31)

稚内から旭川を経て札幌へ向かうという「長時間の列車での移動」を前に、「車中で読もうか?」と文庫本を一冊入手した…

↓稚内辺りから紐解き始め…結局、旭川に着く前に読了してしまった一冊だ…

新選組颯爽録 (光文社文庫)



↑7篇の短篇が集まった1冊である。7篇は何れも、かの新選組に在った人物達を主人公としている…

新選組や、その関係者に関しては色々な挿話が伝わり、小説作品も多いのだが…本作は「かなりひねった」感じの作品も含まれていて、なかなかに新鮮だ…

7篇の中、『新選組の事務官』や『馬術師範』、更に『密偵の天才』というのが面白かった。が、残る『戦いを避ける』、『よわむし歳三』、『ざんこく総司』、『芹沢鴨の暗殺』も好かった…

結局…「全部好い」ということか?そのとおり!時代モノ、新選組関係に親しんでいる自身として、「秀逸!!」と感心しながら列車の座席で夢中になって読了してしまったのだった…

思うに…この作者もかなり新選組関係の色々なことにかなり関心が深い、更に好きなのであろう…

旧 第4師団司令部庁舎=<ミライザ大阪城>(2018.05.20)

大阪城天守閣の脇に、「重々しい洋館」という雰囲気な建物が在る。

↓こういう具合の建物だ…これは「第4師団司令部庁舎」として登場した建物であるのだという…
Former The 4th Division HQ at Osaka Castle on 20-05-2018 (1)
↑大阪城天守閣は、「昭和」に改元となった頃にその“記念事業”と位置付けられ、「“大大阪”のシンボル」として、天守閣が無くなって久しい城で「“らしい”感じ」を目指して建てられた「和風な外観」である。対して、この建物は「欧州の何処かの国の城館」という風である…

明治時代以降、大阪城の敷地は陸軍が利用していたが、大阪城天守閣の計画が出て、一部が公園化されて行く。その大阪城天守閣建築を目指した多額の寄付が集まった中で、第4師団司令部庁舎もほぼ同時期に建築されている…

出来上がったモノを視た建築家達の中に、「大阪城天守閣の和風な外観に対し、第4師団司令部庁舎も、もう少し和風な意匠を採り入れるようなことをして、辺りの一体感、親和性を高める工夫が在っても悪くないのでは?」という意見を持つ人達が現れたのだそうだ…そういう考え方を受けて、「コンクリート造のビルに、瓦屋根のような和風な意匠を容れる」という“帝冠様式”と呼ばれる建物が方々に登場することになる。1930年代に一寸流行る“帝冠様式”だが…「華美な装飾は無用…」ということになって、“帝冠様式”は1938年頃には廃れてしまう…

実はユジノサハリンスクに、その“帝冠様式”が廃れて行くほんの少し前ということになる1937年に竣工した博物館の建物が在って、なかなかに面白い趣が在るのだが…そんな様式が登場する切っ掛けになったという「第4師団司令部庁舎」は気になっていた…

「第4師団司令部庁舎」は博物館として利用されていた時期が長かったということだが…その利用が終了した後は、少し長く“空き家”になっていたようだ…それがまた利用されることになった。2017年に商業施設化された。1階に土産店等の店舗が入り、2階、3階、更に屋上が飲食店になって、<ミライザ大阪城>を名乗っている…

<ミライザ大阪城>と名乗る商業施設になったということは…“帝冠様式”登場の経過故に、何となく関心が在った「第4師団司令部庁舎」の中を視る機会を設け易くなったことになる。

↓「中はどういう様子?」と館内に足を踏み入れれば…いきなり「らしい!」感じのシャンデリアのような照明器具が迎えてくれる…
Former The 4th Division HQ at Osaka Castle on 20-05-2018 (3)
↑ここでは「古い建物の趣」を「活かす!」という方向の内装を採用したようだ…

↓土産物や飲食物を売る店舗が、嘗ては色々な用途の部屋になっていたであろう場所に入っているが、廊下の天井は「往年の司令部」という雰囲気が色濃く残る…
Former The 4th Division HQ at Osaka Castle on 20-05-2018 (4)

立ち寄ったのは「ランチ終了」というような時間帯、そして「ディナー開始にやや間が在る」というような時間帯と「中途半端」だったので、好天の日曜日で人出がやや多く視えた割には、2階以上は閑散としていた…

↓御陰でこういう雰囲気を眺めて愉しむことが出来た…
Former The 4th Division HQ at Osaka Castle on 20-05-2018 (6)
↑飲食店になっている箇所は硝子張りな扉が付けられていて、廊下に観葉植物も見受けられるが…廊下の感じは、軍服に身を包んだ司令部関係者が行き交っていたであろう時代の外観をかなり伝えていると思う…

↓3階は、2階以上に「昔の感じ?」を伝えているような気がした…
Former The 4th Division HQ at Osaka Castle on 20-05-2018 (7)

この他に「天守閣が視える屋上」も在るが、立ち寄った時には「営業時間外」で立ち入り出来なかった…

ここの様子を視て…「機会が在れば、ゆっくりと食事に寄るのも好いかもしれない…」とも思ったが…こんなに立派な昭和の初め頃の建物を気軽に覗くことが出来る場所も貴重で、「単純に一寸除くだけでも、また寄りたい…」と思わせてくれる感だった…

大阪城の天守閣の辺り…「ド定番!」ではあるが…こういう「古くて新しい」が極最近に至って登場というのが面白い…

<УССУРИЙСКИЙ БАЛЬЗАМ CLASSIC>=極東の銘酒…<ウスリースキー・バリザム>(2018.04.29)

↓非常に渋いボトルの酒だ…
29-04-2018 (9)
↑沿海地方で「地域のシンボル」のようになっている、ウスリートラの画が入った美しいラベルが使われている…

↓裏側はこういう具合になっている…
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↓数々の薬草を漬け込んだ酒で、色々と種類は在るようだが、これは45度の代物だ…
29-04-2018 (10)
↑甘いような…苦いような…名状し悪い味だ…

1894年に工場が起こったそうだが、沿海地方のウスリースクで製造されている…「極東の銘酒」という趣だ…

これの噂を耳にして、「ウラジオストクで求めてみようか?」とも思ったのだが、「サハリンでも売っている…」と聞き、そういうことはしなかった…そして、ユジノサハリンスク市内の店で見付けて入手した訳だ…

ガブガブ呑むような代物ではない…本当に「一寸…」という感じで頂く…これを「キュッ」と頂き、「口直し」にガス入りミネラルウォーターという位が程好い感である…

少しずつ頂いていたが…先程の一口が“最後”となり、ボトルが空いた…そのうち、また入手したい感だ…

ウズベキスタン料理の店:ウラジオストク アレウツカヤ通(2018.05.05)

ユジノサハリンスクからウラジオストクの機中、“機内誌”に在ったウラジオストクの飲食店の広告を視ていた…

「アレウツカヤ通17番」という住所の店が在ったことを記憶に留めたが…実際にアレウツカヤ通を歩くと、「15番」の次が「19番」で、「奇数の並び」で在れば両者の間に存在する筈な「17番」が見当たらずに戸惑った…

そうすれば、複雑な地形の上に街が築かれているウラジオストクらしく、「15番」と「19番」との間に在った階段またはスロープを上った奥に建物が在って、そこが「17番」だった…

↓これがその、多少戸惑いながら辿り着いた店だ…
dinner at Vladivostok on 05-05-2018 (2)
↑「ウズベキスタン料理」ということだが、それ以外と見受けられるモノも扱っていた…なかなかに落ち着いた、好い雰囲気の場所だった…

↓<ハルチョ>という適当に香辛料が効いたスープを頂いた…
dinner at Vladivostok on 05-05-2018 (5)
↑朝から随分と動き回った日の、「多少…早いかもしれない?」という感の夕食に、こういうのは好い…

↓そして「ウズベキスタン料理」と言えば<プロフ>!!
dinner at Vladivostok on 05-05-2018 (7)
↑<プロフ>はソ連時代にロシアでも定番化したようで、出先で視掛ければよく頂くのだが…この店のモノは、小さく辛い唐辛子が1本入っていて、そういうモノが食欲を強く刺激してくれて、細かく刻まれた具材や米飯も好く、酷く美味かった…

ここも、一度寄ってみたに過ぎないのだが「ウラジオストクの想い出の味」という場所になった…“次回”が在ったとして、今度は戸惑わずに辿り着くことが叶う筈だ…

>>Чайхона Хлопок: ресторан узбекской кухни Владивосток