今朝も<モカイルガチェフ>の芳香が好い…
湿って温い空気を屋内から追い出そうと窓を開けたが…東寄りな側から朝のやや強めな光…多少暑く感じる朝だ…稚内の気温は、多分22℃や23℃程度なので、酷く暑いのでもないが、空気が湿って、湿った空気が日差しで少々温められている。「大浴場の洗い場のような…」と呼んでみることが在るような空気感だ…
一昨年や昨年、8月上旬はサハリンに在って、稚内には無かった。今年に関して、国外に出る予定こそ無かったが、稚内を離れる可能性も在った。が、8月最初の週末は稚内に在った。
「8月最初の日曜日」というのは、稚内では「花火大会」が恒例だ。今年の8月最初の週末、稚内は概ね好天に恵まれた。花火大会は「ベストコンディション」とまでは言い悪いであろうが、少なくとも「悪くない…」とは言い得る状況下で催行され、ゆっくりと愉しむことが叶った…
何時の間にか月が改まった中、週末にはノシャップの夕景や、稚内港北防波堤ドーム辺りの早朝の様子を眺めるというような機会も設けられた。
前月に関しても…久し振りに北門神社の<神輿海上渡御>を視ることが叶ったところだったが…何となく…「時季らしい」という程度に「在るべきモノ」に触れるようなことをするのは悪くないものだ…
何やら地震や台風や、某国との摩擦やらと、色々と世の中は揺れているが…私個人は個人的な課題が無いでもない状況ではありながら、比較的平穏に過ごしているというように思う。個人的な課題の故に、「先の予定」がやや立て悪い側面は在るが…と言って、それが致命的な問題でもないであろうという程度に思うことにしている。例えば「或る朝、その日の夜や翌日の予定がよく判らない」というようなことも多々在る…否、そういう日の方が多いのかもしれないのだから…
拙宅では…入居の際に不動産屋が「室内で煙草?思う以上に汚れる場合も…」というようなことを言っていたので、「屋内禁煙原則」にしている。玄関前で外の様子を伺いながら、一寸煙草を点けるというのが、季節を問わずに常態化している。現在の状況…そういう按配で、ぼんやりと戸外の状況を伺うというようなことをするには好適だ…
そんなことを思っていた間に、<NARA>のマグカップに満たした<モカイルガチェフ>が空になった…
好天の休日…朝…
香る<モカイルガチェフ>が美味い…何時もよりも豆が少な目で、やや薄い感も否定し悪いが、これはこれで悪くないかもしれない…
開けてみた東寄りの窓から外気と、辺りの道路を時々通過する車両の走行音が入って来る…天候は好い…温く湿った空気に“蓋”をしていたかのような雲が何処かへ流れ去った…蒼の色画用紙のような空に、何時の間にか月が改まって8月ということになった時季の眩しい光が溢れている…
未だ…「休日の朝」という雰囲気が色濃い時間帯かも知れないが、既に一つ用事を足した…コインランドリーへ足を運んで、汗で汚れたTシャツやジーンズを洗って乾燥である…
最近利用しているコインランドリーは、朝6時台から開いているので「面倒だ…」と行くのを取り止めてしまう気分に陥る以前に「行くぞ!!」と出掛けて利用してみるには好適だ…自身と似たような発想をする人達が多いのか、或いは近隣の宿に滞在中というような人達が「1日の色々の前に…」と利用するのか、コインランドリーは何となく混雑した感であった…
コインランドリー…何時もは店内に漫然と座って洗濯の終了を待つが、今日は朝から陽射しが強めで室内がやや暑く、店の前で戸外の風に当たってぼんやりするような場面も在った。様子を視ていると、自家用車等でやって来て、車で過ごすか一度離れてしまうという利用者が多いように思うのだが…何やらTシャツにショートパンツという出で立ちの若者が、洗濯の終了をじっと待っている様子が見受けられた。店の前に…サイクリング旅行を思わせる自転車が置かれていた。若者は自転車で北海道内でも巡っているのであろう。何気なく眼に留まったが、Tシャツの背中に東京に在る聞いたことがある大学の名前が在って「自転車部旅行班」という文字が入っていた。自転車を駆って方々を巡ってみようという仲間の集まりだと思うのだが、若者は1人だった…
私の洗濯が進行中の最中…洗濯が終わった人達が各々のモノを畳んでバッグや籠に入れて持ち帰っているが、自転車旅行中らしい若者は、終わっても何やらブツブツ言っている…どうも生地の厚いモノ何点かが、巧く乾かなかったらしい。であれば、「乾燥のみ」という100円で10分間程度の機械が在り、それを使えば粗方乾いているモノならほぼ間違いなく乾く。若者に声を掛けてみると、若者は「その100円を使うか否か…」というようなことを言う…そんな感覚も在るかと笑ってしまったが、店の前で少し若者と言葉を交わした。
若者は北海道を自転車で巡ろうという仲間に加わった訳だが…仲間内で「稚内に集まって」という話しになったという。1人で動いている若者…仲間達は今日の昼に飛行機で稚内に着くのだという。そんな仲間達を迎えようと、「東京から稚内へ自転車?!」と驚いたが…若者は<青春18きっぷ>を手に東京から列車に乗って新潟へ出て、フェリーで小樽に上陸して稚内へ北上したのだそうだ。「早朝に上陸して…1日で着くか?」と出発してみて…「三百数十キロメートル」に驚愕したそうだ。東京から新潟の新幹線の列車が330㎞余りで、小樽・稚内とか稚内・網走というのと移動距離は然程変わらないと教えてあげた…序に稚内・旭川というようなことなら、東京・浜松というような感じであるとも話題にした。後から若者は「稚内のコインランドリーで話した地元のおっちゃんによれば…」と話のタネにするかもしれない…
若者は自転車で去って行った。「気を付けて!」と手を振って見送った…少し前であれば、“涼しい”や“爽やか”を通り越していた時期も在った訳で、最近の様子なら熱中症に要注意ということはあるにせよ、自転車で動き回るのも悪くはないかもしれない。外で長い時間を過ごすことに抵抗感も薄い感の状況だ…小樽から稚内の道程…正直なところ少々キツかったらしいが…無事に空路で上陸する仲間達を迎えて、愉しい旅を続けて欲しいものだ。
稚内に関しては…今日出くわした若者でもないが、「学生の頃に…」とか「若かった頃…」という思い出を教えてくれる方に多く出会う。稚内は「人々の青春の日々の想い出」と共に、人々の心の中に在る…そういう値があるであろうか?
最近は…私流の用語である「正しい休日」というのが知人の間に多少普及していて、金曜日に会って別れる時に先方から「では“正しい休日”を…」と御声掛け頂く場合も在る。“正しい休日”とは、洗濯をするとか、サウナを利用するとか、カフェで読書に興じるとか、気が向けば散歩に出て写真でも撮るというような、「予定らしい予定を拒むかのように、漫然と過ごす休日」ということに他ならないのだが…今日はそういう具合になるか?
そんなことを思っているが、<NARA>のカップに満ちていた<モカイルガチェフ>は残量が少な目になって、少しだけ温くなってしまった…
開けてみた東寄りの窓から外気と、辺りの道路を時々通過する車両の走行音が入って来る…天候は好い…温く湿った空気に“蓋”をしていたかのような雲が何処かへ流れ去った…蒼の色画用紙のような空に、何時の間にか月が改まって8月ということになった時季の眩しい光が溢れている…
未だ…「休日の朝」という雰囲気が色濃い時間帯かも知れないが、既に一つ用事を足した…コインランドリーへ足を運んで、汗で汚れたTシャツやジーンズを洗って乾燥である…
最近利用しているコインランドリーは、朝6時台から開いているので「面倒だ…」と行くのを取り止めてしまう気分に陥る以前に「行くぞ!!」と出掛けて利用してみるには好適だ…自身と似たような発想をする人達が多いのか、或いは近隣の宿に滞在中というような人達が「1日の色々の前に…」と利用するのか、コインランドリーは何となく混雑した感であった…
コインランドリー…何時もは店内に漫然と座って洗濯の終了を待つが、今日は朝から陽射しが強めで室内がやや暑く、店の前で戸外の風に当たってぼんやりするような場面も在った。様子を視ていると、自家用車等でやって来て、車で過ごすか一度離れてしまうという利用者が多いように思うのだが…何やらTシャツにショートパンツという出で立ちの若者が、洗濯の終了をじっと待っている様子が見受けられた。店の前に…サイクリング旅行を思わせる自転車が置かれていた。若者は自転車で北海道内でも巡っているのであろう。何気なく眼に留まったが、Tシャツの背中に東京に在る聞いたことがある大学の名前が在って「自転車部旅行班」という文字が入っていた。自転車を駆って方々を巡ってみようという仲間の集まりだと思うのだが、若者は1人だった…
私の洗濯が進行中の最中…洗濯が終わった人達が各々のモノを畳んでバッグや籠に入れて持ち帰っているが、自転車旅行中らしい若者は、終わっても何やらブツブツ言っている…どうも生地の厚いモノ何点かが、巧く乾かなかったらしい。であれば、「乾燥のみ」という100円で10分間程度の機械が在り、それを使えば粗方乾いているモノならほぼ間違いなく乾く。若者に声を掛けてみると、若者は「その100円を使うか否か…」というようなことを言う…そんな感覚も在るかと笑ってしまったが、店の前で少し若者と言葉を交わした。
若者は北海道を自転車で巡ろうという仲間に加わった訳だが…仲間内で「稚内に集まって」という話しになったという。1人で動いている若者…仲間達は今日の昼に飛行機で稚内に着くのだという。そんな仲間達を迎えようと、「東京から稚内へ自転車?!」と驚いたが…若者は<青春18きっぷ>を手に東京から列車に乗って新潟へ出て、フェリーで小樽に上陸して稚内へ北上したのだそうだ。「早朝に上陸して…1日で着くか?」と出発してみて…「三百数十キロメートル」に驚愕したそうだ。東京から新潟の新幹線の列車が330㎞余りで、小樽・稚内とか稚内・網走というのと移動距離は然程変わらないと教えてあげた…序に稚内・旭川というようなことなら、東京・浜松というような感じであるとも話題にした。後から若者は「稚内のコインランドリーで話した地元のおっちゃんによれば…」と話のタネにするかもしれない…
若者は自転車で去って行った。「気を付けて!」と手を振って見送った…少し前であれば、“涼しい”や“爽やか”を通り越していた時期も在った訳で、最近の様子なら熱中症に要注意ということはあるにせよ、自転車で動き回るのも悪くはないかもしれない。外で長い時間を過ごすことに抵抗感も薄い感の状況だ…小樽から稚内の道程…正直なところ少々キツかったらしいが…無事に空路で上陸する仲間達を迎えて、愉しい旅を続けて欲しいものだ。
稚内に関しては…今日出くわした若者でもないが、「学生の頃に…」とか「若かった頃…」という思い出を教えてくれる方に多く出会う。稚内は「人々の青春の日々の想い出」と共に、人々の心の中に在る…そういう値があるであろうか?
最近は…私流の用語である「正しい休日」というのが知人の間に多少普及していて、金曜日に会って別れる時に先方から「では“正しい休日”を…」と御声掛け頂く場合も在る。“正しい休日”とは、洗濯をするとか、サウナを利用するとか、カフェで読書に興じるとか、気が向けば散歩に出て写真でも撮るというような、「予定らしい予定を拒むかのように、漫然と過ごす休日」ということに他ならないのだが…今日はそういう具合になるか?
そんなことを思っているが、<NARA>のカップに満ちていた<モカイルガチェフ>は残量が少な目になって、少しだけ温くなってしまった…
去り行く7月の最後に…
雨交じりな朝だ…昨日の「やや過ぎる…」という程度に湿潤だった空気は、この雨の予兆だったのかもしれない。
温くなって、湿っている空気を多少追い出そうと、窓を開けた。適当に室内の空気が巡り、快適度が僅かばかり増したような気がする。
早速に珈琲を淹れてみた。<NARA>の大きなマグカップに満たした<モカイルガチェフ>の芳香が心地好い。
「身体の各部を結節している箇所」とでも言うのか?そういう箇所が「緩んだ」かのような心地悪さを、昨日は感じていた…そういうことで、早めに休んでしまい、そして朝は早めに起き出した…
何か「深く眠った後の爽快感」に溢れるという状況ではあるのだが…臀部、太腿の裏、脹脛が「張っている…」というように感じる…これは、日曜日に自転車を乗り回し、辺りを歩き回るという具合に身体を動かした故であろう…「原因不明の不具合」というような憂慮すべき状況ではない。
「原因不明の不具合」と言えば…腕時計が…動かなくなってしまった…新しいモノを早急に手配せねば…それが届くまでの間、多少不便だ…
常用していた腕時計が使えない状態ながら…他のモノで時刻等を視る…「7月31日」の朝である…少し前に「7月になった…」と思っていたような気がするが…
時々「〇月?もう終わり?!何をやっていたか…?」というように思う月末が在るような気がする。この7月は、それに該当するような気がする。
「7月は、もう今日で終わり?!何をやっていたか…?」というように思う状況だが…7月は北門神社の<神輿海上渡御>―昨年、一昨年は催行日に稚内に居合わせなかったので視なかったが、悪天候で中止だったらしい。久し振りの開催に居合わせたのは僥倖だった…―を視て、更に美瑛に寄って「咲き誇る多数の向日葵」を視た。こういうのは非常に好かったように思う。
そんなことを思っていると…<モカイルガチェフ>を満たした<NARA>のマグカップが空いた…今日は…もう一杯淹れよう…
温くなって、湿っている空気を多少追い出そうと、窓を開けた。適当に室内の空気が巡り、快適度が僅かばかり増したような気がする。
早速に珈琲を淹れてみた。<NARA>の大きなマグカップに満たした<モカイルガチェフ>の芳香が心地好い。
「身体の各部を結節している箇所」とでも言うのか?そういう箇所が「緩んだ」かのような心地悪さを、昨日は感じていた…そういうことで、早めに休んでしまい、そして朝は早めに起き出した…
何か「深く眠った後の爽快感」に溢れるという状況ではあるのだが…臀部、太腿の裏、脹脛が「張っている…」というように感じる…これは、日曜日に自転車を乗り回し、辺りを歩き回るという具合に身体を動かした故であろう…「原因不明の不具合」というような憂慮すべき状況ではない。
「原因不明の不具合」と言えば…腕時計が…動かなくなってしまった…新しいモノを早急に手配せねば…それが届くまでの間、多少不便だ…
常用していた腕時計が使えない状態ながら…他のモノで時刻等を視る…「7月31日」の朝である…少し前に「7月になった…」と思っていたような気がするが…
時々「〇月?もう終わり?!何をやっていたか…?」というように思う月末が在るような気がする。この7月は、それに該当するような気がする。
「7月は、もう今日で終わり?!何をやっていたか…?」というように思う状況だが…7月は北門神社の<神輿海上渡御>―昨年、一昨年は催行日に稚内に居合わせなかったので視なかったが、悪天候で中止だったらしい。久し振りの開催に居合わせたのは僥倖だった…―を視て、更に美瑛に寄って「咲き誇る多数の向日葵」を視た。こういうのは非常に好かったように思う。
そんなことを思っていると…<モカイルガチェフ>を満たした<NARA>のマグカップが空いた…今日は…もう一杯淹れよう…
ぼんやりしている朝に…
<モカイルガチェフ>を<NARA>のマグカップに満たした…ゆったりと啜る…20℃を超えた気温が続いていて、早朝から窓を開けた…非常に居心地が好い空間となっている拙宅の居室ではあるが…何か酷く「ぼんやり」とした感の朝だ…
金曜日の夕刻から土曜日の夜で、所用のために札幌を急いで往復した経過が在った。日曜日は休養と思ったが、<ちょうかい>が入港中と聞いていたので、朝から動き、天北2号、天北1号、末広の各埠頭が在る辺りを存外に歩いた。以降も何をしたという程でもなかったが、未だ暗くなる以前、日没までに数時間も在るような頃に、身体を横たえてゆったりして、何時の間にか眠ってしまった。気付いて深夜だったが、開けっ放しだった窓を閉めて直ぐに休んでしまった。そして気付けば早朝で、既に明るかったという次第だ…
やや「長過ぎる?」という程度に眠って、何やら「ぼんやり」という状態になってしまっている…
昨日の日中、喫茶店に立寄って新聞を広げた。テレビ欄に何気なく眼が向いた。夜、午後8時頃からは、どのチャンネルも参院議員選挙の開票情報の特番になっていた。そんな時間帯、私自身は眠ってしまっていたが…
札幌から北上しようとしていた土曜日の午後、札幌駅周辺で選挙運動をやっている様子を視掛けた。候補者本人がマイクを手に話しをして、運動員がチラシのようなモノを配布して、車で助手席に陣取った候補者が沿道の人々に手を振りながら次の地点へ向けて去って行く様子だった。
札幌で視掛けた選挙運動の様子は、或いは普通のことなのかもしれないが…随分と久々に視掛けたような気がして、少し強く記憶に残ったのだ。稚内辺りでは、国政選挙の選挙期間中に、名前や顔が売れた候補者や関係者が街に現れる場合も在るようだが、限られた時間の中でそれに出くわさない場合も多いので、殆ど選挙運動を視掛けない訳だ。そういう意味で酷く新鮮に思えたのだった。その時に視掛けた候補者だが、残念ながら当選は叶わなかったようだ…
選挙と言えば…ロシア国内やかなり以前に訪れた欧州の国々等で、選挙の期間の様子を視ているが、ポスターや看板の掲出が街で見受けられる程度で、日本国内の選挙運動のような選挙カーが走り回っているような様子は視掛けなかった。何かあの選挙カーが現れる様子は、「或る種の祭り」のようにさえ思えてしまうのだが…何となく独特だ…
候補者達や各政党の運動期間中の主張を振り返ると…酷く大雑把に言えば「色々な事が美味く運んでいるので続けよう」というのと「あちらもこちらも困っているので何とかしよう」というのとに分かれていたように思う。どうなのだろう?主張が正反対で、「どちらが“本当”??」と思ってしまう…
とりあえず「祭りの後」というような状況だ…どんな事柄でも、視る角度を変えれば、変わって視えるというもので、同じ事柄を正反対に描写するというような場合も無いとは言えないかもしれない。しかし“真実”は多分動かない…
そんなことを思いながら<モカイルガチェフ>を啜っていたが…<NARA>のマグカップが空いてしまった…
金曜日の夕刻から土曜日の夜で、所用のために札幌を急いで往復した経過が在った。日曜日は休養と思ったが、<ちょうかい>が入港中と聞いていたので、朝から動き、天北2号、天北1号、末広の各埠頭が在る辺りを存外に歩いた。以降も何をしたという程でもなかったが、未だ暗くなる以前、日没までに数時間も在るような頃に、身体を横たえてゆったりして、何時の間にか眠ってしまった。気付いて深夜だったが、開けっ放しだった窓を閉めて直ぐに休んでしまった。そして気付けば早朝で、既に明るかったという次第だ…
やや「長過ぎる?」という程度に眠って、何やら「ぼんやり」という状態になってしまっている…
昨日の日中、喫茶店に立寄って新聞を広げた。テレビ欄に何気なく眼が向いた。夜、午後8時頃からは、どのチャンネルも参院議員選挙の開票情報の特番になっていた。そんな時間帯、私自身は眠ってしまっていたが…
札幌から北上しようとしていた土曜日の午後、札幌駅周辺で選挙運動をやっている様子を視掛けた。候補者本人がマイクを手に話しをして、運動員がチラシのようなモノを配布して、車で助手席に陣取った候補者が沿道の人々に手を振りながら次の地点へ向けて去って行く様子だった。
札幌で視掛けた選挙運動の様子は、或いは普通のことなのかもしれないが…随分と久々に視掛けたような気がして、少し強く記憶に残ったのだ。稚内辺りでは、国政選挙の選挙期間中に、名前や顔が売れた候補者や関係者が街に現れる場合も在るようだが、限られた時間の中でそれに出くわさない場合も多いので、殆ど選挙運動を視掛けない訳だ。そういう意味で酷く新鮮に思えたのだった。その時に視掛けた候補者だが、残念ながら当選は叶わなかったようだ…
選挙と言えば…ロシア国内やかなり以前に訪れた欧州の国々等で、選挙の期間の様子を視ているが、ポスターや看板の掲出が街で見受けられる程度で、日本国内の選挙運動のような選挙カーが走り回っているような様子は視掛けなかった。何かあの選挙カーが現れる様子は、「或る種の祭り」のようにさえ思えてしまうのだが…何となく独特だ…
候補者達や各政党の運動期間中の主張を振り返ると…酷く大雑把に言えば「色々な事が美味く運んでいるので続けよう」というのと「あちらもこちらも困っているので何とかしよう」というのとに分かれていたように思う。どうなのだろう?主張が正反対で、「どちらが“本当”??」と思ってしまう…
とりあえず「祭りの後」というような状況だ…どんな事柄でも、視る角度を変えれば、変わって視えるというもので、同じ事柄を正反対に描写するというような場合も無いとは言えないかもしれない。しかし“真実”は多分動かない…
そんなことを思いながら<モカイルガチェフ>を啜っていたが…<NARA>のマグカップが空いてしまった…
窓を開けて…
<NARA>のマグカップに<モカイルガチェフ>を満たした。芳香が辺りに立ち上る。ゆったりと啜る珈琲が美味い…
窓を開けてみた…20℃を超える気温が一昨日、昨日と続き、昨日は時々小雨が交じった…何となく湿って温まった空気が籠っていたが、開けてみた窓から、やや冷涼な朝の外気が屋内に流れ込む感である。心地好いと思いながら…窓を開けたことが久し振りであったというように思い至った…
窓と言えば…ロシアの人は「居室の窓を開けて換気」ということを好むようだ。ユジノサハリンスクでは、冬季の好天な日に、ダイレクトに入り込む外気が当たるでもない箇所の窓を少しだけ開けるというのが頻繁に見受けられたものだ。そして訪日した経過が在る方と話して、時々仰る方が見受けられるのは、泊まった宿の部屋に入ってみた時に「窓が…全然開かないようになっている…」という部屋が見受けられ、少々驚いたという話しが在った…
何気なく窓を開けて思い出した話しだったが…一寸、色々と思い出した。こういう「些細な話しのタネ」というモノは、その辺に幾らでも在るものだと思う。
早寝な傾向は続いているが…今朝は極端に早起きをしたでもなかった…最近は、夕刻に外を歩き廻る展開が続き、昨日はゆったりとしていたのだったが…
少しばかり気が重い感の、他出する用事も在る週末に入る…
窓を開けてみた…20℃を超える気温が一昨日、昨日と続き、昨日は時々小雨が交じった…何となく湿って温まった空気が籠っていたが、開けてみた窓から、やや冷涼な朝の外気が屋内に流れ込む感である。心地好いと思いながら…窓を開けたことが久し振りであったというように思い至った…
窓と言えば…ロシアの人は「居室の窓を開けて換気」ということを好むようだ。ユジノサハリンスクでは、冬季の好天な日に、ダイレクトに入り込む外気が当たるでもない箇所の窓を少しだけ開けるというのが頻繁に見受けられたものだ。そして訪日した経過が在る方と話して、時々仰る方が見受けられるのは、泊まった宿の部屋に入ってみた時に「窓が…全然開かないようになっている…」という部屋が見受けられ、少々驚いたという話しが在った…
何気なく窓を開けて思い出した話しだったが…一寸、色々と思い出した。こういう「些細な話しのタネ」というモノは、その辺に幾らでも在るものだと思う。
早寝な傾向は続いているが…今朝は極端に早起きをしたでもなかった…最近は、夕刻に外を歩き廻る展開が続き、昨日はゆったりとしていたのだったが…
少しばかり気が重い感の、他出する用事も在る週末に入る…
多少湿っている?
時々、不意に飲みたくなるのが<明治 ブルガリア のむヨーグルト>というモノ…思い付いて近所のコンビニで仕入れて来て、早速拙宅で開けている…「朝の一時の飲物」には好適であると勝手に思っている…
拙宅では、特段に新聞の購読はしていない。郵便受けに新聞が入っているということは無いのだが…先日、何やら新聞のようなモノを見付けて不審に思った。が、それは<選挙公報>という代物だった。“選挙区選出”、“比例代表選出”と各々在って、2つが組合さるように帯封のようなモノで束ねられた状態で、拙宅の郵便受けに入っていた…参議院議員選挙が近いのだ…
“国政選挙”の場合…稚内に関しては、選挙運動の期間中に“選挙カー”のようなモノが現れる機会が非常に少ないので、「選挙期間中である」という意識が余り高まらないかもしれない。何時だったか…何やら「遠くの方で大きな音?この静かな街の平穏を掻き乱す不埒者か?!」と訝しく思っていれば、音が近付いて、国政選挙の選挙運動をやっている車輛が通り過ぎて「そうだったのか…選挙か…」と思ったというようなことが在った。
そんなことを思い出しながら、何気なく<選挙公報>というモノに眼を通してみた。こういうのは、何となく視ない場合も、思い付いてゆっくり視る場合も在るが、今般は「そう言えば、少し暫くぶりに一寸ゆっくり視たかもしれない…」という感だった。
この種のモノは…何か「見慣れた感じ…」で「だから?」というように思うというパターンが多いような気がするが…他方に「こういうのは斬新?!かもしれないが、少し極端で、必ずしも好いということもないことを訴えていないか?」という主張も見受けられるように思う…参議院議員選挙の場合、特定の事案への関心で、その件を何やら訴えているというのも見受けられ「そういう関心というのも巷には在るのか…」と考える場合も在る…結局、「参考になるような、ならないような…」と<選挙公報>はその辺に置いたままになり…何時の間にか“古新聞”のような扱いになるのであろう。実際、新聞に使用されている仕様の用紙が使用されているように見受けられるモノだ…
日本の場合、「選挙の投票」は“義務”ではなく“権利”である。“権利”を行使するもしないも、それを有する人の随意である。参考になったような、ならなかったような<選挙公報>を視たが…どうしたものか?投票そのものは、投票日の日曜日に取り込みそうな見込みであっても、期日前投票に行けば出来る訳だ…
今朝は空気が湿潤な感じだ…昨日の日中に24℃程度まで気温が上昇し、そこから大きく下げてはいないが…何となく「小雨が交じる?」という雲が厚く、余り明るくない状態なのだ…
一昨日、昨日と夕刻に戸外に出て景色を眺めることを愉しんだが…今日はそういうことをやり易くはないかもしれない…そう思いながら「或いは日中から夕刻に天候が好転?」と考えないでもないが…
拙宅では、特段に新聞の購読はしていない。郵便受けに新聞が入っているということは無いのだが…先日、何やら新聞のようなモノを見付けて不審に思った。が、それは<選挙公報>という代物だった。“選挙区選出”、“比例代表選出”と各々在って、2つが組合さるように帯封のようなモノで束ねられた状態で、拙宅の郵便受けに入っていた…参議院議員選挙が近いのだ…
“国政選挙”の場合…稚内に関しては、選挙運動の期間中に“選挙カー”のようなモノが現れる機会が非常に少ないので、「選挙期間中である」という意識が余り高まらないかもしれない。何時だったか…何やら「遠くの方で大きな音?この静かな街の平穏を掻き乱す不埒者か?!」と訝しく思っていれば、音が近付いて、国政選挙の選挙運動をやっている車輛が通り過ぎて「そうだったのか…選挙か…」と思ったというようなことが在った。
そんなことを思い出しながら、何気なく<選挙公報>というモノに眼を通してみた。こういうのは、何となく視ない場合も、思い付いてゆっくり視る場合も在るが、今般は「そう言えば、少し暫くぶりに一寸ゆっくり視たかもしれない…」という感だった。
この種のモノは…何か「見慣れた感じ…」で「だから?」というように思うというパターンが多いような気がするが…他方に「こういうのは斬新?!かもしれないが、少し極端で、必ずしも好いということもないことを訴えていないか?」という主張も見受けられるように思う…参議院議員選挙の場合、特定の事案への関心で、その件を何やら訴えているというのも見受けられ「そういう関心というのも巷には在るのか…」と考える場合も在る…結局、「参考になるような、ならないような…」と<選挙公報>はその辺に置いたままになり…何時の間にか“古新聞”のような扱いになるのであろう。実際、新聞に使用されている仕様の用紙が使用されているように見受けられるモノだ…
日本の場合、「選挙の投票」は“義務”ではなく“権利”である。“権利”を行使するもしないも、それを有する人の随意である。参考になったような、ならなかったような<選挙公報>を視たが…どうしたものか?投票そのものは、投票日の日曜日に取り込みそうな見込みであっても、期日前投票に行けば出来る訳だ…
今朝は空気が湿潤な感じだ…昨日の日中に24℃程度まで気温が上昇し、そこから大きく下げてはいないが…何となく「小雨が交じる?」という雲が厚く、余り明るくない状態なのだ…
一昨日、昨日と夕刻に戸外に出て景色を眺めることを愉しんだが…今日はそういうことをやり易くはないかもしれない…そう思いながら「或いは日中から夕刻に天候が好転?」と考えないでもないが…
20℃に達した日の夕べに…
夕刻のこと…戯れに「拙宅の冷蔵庫…」と呼ぶ極々近所の店で…<氷 for drinks>なるモノを求めた…居酒屋の「〇〇サワー」とか、やや良が少ないハイボールが入っているようなグラス程度の容器に、飲食店の製氷機から出て来る氷が詰まった代物だ…
持ち帰って、氷を何かに開けるでもなく…容器をグラスに見立て…<大阪焼酎 国乃長>をドボドボと注いだ…そしてその、「氷がたっぷりな<大阪焼酎 国乃長>」をゆっくりと頂いている…
<大阪焼酎 国乃長>は、酒造の伝統が在る大阪府北部の高槻市、「摂津富田」と呼ばれる辺りで造られている酒粕焼酎で、大変に気に入っている…これのロックという形になるが…美味い!!
この数日、好天が続いている…今日は…暫くぶりに20℃に達し、「夏?」という感になった…冷涼に過ぎる稚内に在って、「20℃…」というと、何やら「冷たい美味いモノ」が欲しくなる…そんな訳で…<大阪焼酎 国乃長>のロックだ…
凝縮された清酒の味で、度数がほんの少々高いという酒粕焼酎…確り冷やした冷酒のようでもあり、実に感じが好い…
美味い酒を口にした後は…適当に夕食を楽しみ、「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢に入るのが好さそうだ…
現在の稚内…好天で中途半端に気温が上昇した場面で見受けられる霧が少々発生している…
持ち帰って、氷を何かに開けるでもなく…容器をグラスに見立て…<大阪焼酎 国乃長>をドボドボと注いだ…そしてその、「氷がたっぷりな<大阪焼酎 国乃長>」をゆっくりと頂いている…
<大阪焼酎 国乃長>は、酒造の伝統が在る大阪府北部の高槻市、「摂津富田」と呼ばれる辺りで造られている酒粕焼酎で、大変に気に入っている…これのロックという形になるが…美味い!!
この数日、好天が続いている…今日は…暫くぶりに20℃に達し、「夏?」という感になった…冷涼に過ぎる稚内に在って、「20℃…」というと、何やら「冷たい美味いモノ」が欲しくなる…そんな訳で…<大阪焼酎 国乃長>のロックだ…
凝縮された清酒の味で、度数がほんの少々高いという酒粕焼酎…確り冷やした冷酒のようでもあり、実に感じが好い…
美味い酒を口にした後は…適当に夕食を楽しみ、「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢に入るのが好さそうだ…
現在の稚内…好天で中途半端に気温が上昇した場面で見受けられる霧が少々発生している…
肌寒い感の朝…
少しばかり陽射しも感じられ、寧ろ明るい空の朝である。他方で方角によっては、少しばかり雲が多いような感じもする。気温は10℃程度だ。然程強くもない風が抜けているが、風は多少冷たい感でもある。「爽やか」とか「涼しい」という次元を“オーバーラン”という具合だろうか?
玄関前でそういう戸外の様子を伺う傍ら、珈琲を淹れた…<モカ・イルガチェフ>である。芳香が拙宅屋内の、何時も居る辺りを包んでいる…
「エチオピアの珈琲豆」と聞き、随分古い話しながら、エチオピアの青年と愉しく言葉を交わしたということで、勝手に抱くエチオピアへの親近感も在って<モカ・イルガチェフ>という珈琲豆を入手してみる機会が何度も在った。そして気に入った!今般もその<モカ・イルガチェフ>を入手して使用中である。
珈琲は嗜好品で「頂く者が気に入っている」という以外に「選択した理由」というようなモノは無用なのだと思う。私はこの<モカ・イルガチェフ>の苦味と酸味とのバランスが何となく気に入っている。そしてエチオピアに勝手に親近感を抱いているので、何か頂くと気分が好い…
珈琲豆は通販で取寄せる…大阪の業者、名古屋の業者というのが多かったが、今般は横浜の業者だったようだ…
横浜…先般、久々に横浜を通り過ぎたのだったが…横浜は箱館(往時の標記にさせて頂く…)と共に、幕末期に開港して外国船を迎えるようになった。神戸等は時期が少し遅れている…
横浜開港よりかなり以前から、長崎にはオランダ船が出入していた。そのオランダ船が珈琲を持ち込んでいて、出島に在ったオランダ人や、出島に出入していた極限られた日本人が珈琲を頂いていたとは見受けられる…しかし、或る程度広く人々が口にするのは…多分、幕末の開港の後で、横浜の何処かとか箱館の何処かで、誰かが「新奇な?これは?!」と試飲していて、何時の間にか広まったのであろう…
「横浜の業者から稚内の拙宅へ届いた珈琲豆」を使っていて、そういうことを何となく思ったのだが…他方で…稚内の宗谷公園には珈琲豆を象った記念碑が在る。1850年代に、辺りの警固ということで津軽から宗谷にやって来た武士達が、「オランダ渡りの薬湯」というようなことで、珈琲を飲んでいたという話しが伝わり、「習慣的に日本人が珈琲を頂いていた最初の事例?」という話しになっている…
珈琲が薬湯?そういうようなことは気に掛けたことも余り無い…1850年代の宗谷と言えば、他所からやって来て滞在する人達にとっては、日頃馴染んでいるようなモノを入手して食べる―平和な江戸時代に工夫が進んで、手が掛かる料理が登場した他方…江戸時代の人達は存外に粗食だったかもしれない…それでも自ずと“バランス”というモノは在ったようだ…―ということがし悪い状態で、栄養のバランスが崩れてしまう場合や、東北地方辺りとも趣が異なる気候条件に身体が必ずしも馴染まずに体調を崩す場合も在って、苦労が絶えなかったのかもしれない…
現在となっては…何処で暮らそうと、何でも何となく入手可能で、1850年代の人達のような苦労は無縁であるとは思う。が…それでも「栄養バランス?」という問題が生じてしまったり、「健康を損なった??」という場合は生じている…時代は移っても、移った時代の中で、何やら課題、問題がそれなりに生じるということなのであろう…
今一度、戸外の様子を伺ったが…何やら「肌寒い?」というような気がしないでもない…方々で梅雨時季の湿り過ぎた感じ、蒸し暑さのようなモノにウンザリしてしまったという方でも在れば…稚内へ来ると好いかもしれない…「爽やか」とか「涼しい」という次元を“オーバーラン”しているのだ。気温の落差で体調を崩してしまうことに注意しなければならないかもしれない…とすると?1850年代辺りに東北地方から宗谷にやって来た武士達と、似たような次元のことに気を遣うのか?!
そんなことを思っている間に…<NARA>のマグカップに満たされていた<モカ・イルガチェフ>が空いてしまった…
玄関前でそういう戸外の様子を伺う傍ら、珈琲を淹れた…<モカ・イルガチェフ>である。芳香が拙宅屋内の、何時も居る辺りを包んでいる…
「エチオピアの珈琲豆」と聞き、随分古い話しながら、エチオピアの青年と愉しく言葉を交わしたということで、勝手に抱くエチオピアへの親近感も在って<モカ・イルガチェフ>という珈琲豆を入手してみる機会が何度も在った。そして気に入った!今般もその<モカ・イルガチェフ>を入手して使用中である。
珈琲は嗜好品で「頂く者が気に入っている」という以外に「選択した理由」というようなモノは無用なのだと思う。私はこの<モカ・イルガチェフ>の苦味と酸味とのバランスが何となく気に入っている。そしてエチオピアに勝手に親近感を抱いているので、何か頂くと気分が好い…
珈琲豆は通販で取寄せる…大阪の業者、名古屋の業者というのが多かったが、今般は横浜の業者だったようだ…
横浜…先般、久々に横浜を通り過ぎたのだったが…横浜は箱館(往時の標記にさせて頂く…)と共に、幕末期に開港して外国船を迎えるようになった。神戸等は時期が少し遅れている…
横浜開港よりかなり以前から、長崎にはオランダ船が出入していた。そのオランダ船が珈琲を持ち込んでいて、出島に在ったオランダ人や、出島に出入していた極限られた日本人が珈琲を頂いていたとは見受けられる…しかし、或る程度広く人々が口にするのは…多分、幕末の開港の後で、横浜の何処かとか箱館の何処かで、誰かが「新奇な?これは?!」と試飲していて、何時の間にか広まったのであろう…
「横浜の業者から稚内の拙宅へ届いた珈琲豆」を使っていて、そういうことを何となく思ったのだが…他方で…稚内の宗谷公園には珈琲豆を象った記念碑が在る。1850年代に、辺りの警固ということで津軽から宗谷にやって来た武士達が、「オランダ渡りの薬湯」というようなことで、珈琲を飲んでいたという話しが伝わり、「習慣的に日本人が珈琲を頂いていた最初の事例?」という話しになっている…
珈琲が薬湯?そういうようなことは気に掛けたことも余り無い…1850年代の宗谷と言えば、他所からやって来て滞在する人達にとっては、日頃馴染んでいるようなモノを入手して食べる―平和な江戸時代に工夫が進んで、手が掛かる料理が登場した他方…江戸時代の人達は存外に粗食だったかもしれない…それでも自ずと“バランス”というモノは在ったようだ…―ということがし悪い状態で、栄養のバランスが崩れてしまう場合や、東北地方辺りとも趣が異なる気候条件に身体が必ずしも馴染まずに体調を崩す場合も在って、苦労が絶えなかったのかもしれない…
現在となっては…何処で暮らそうと、何でも何となく入手可能で、1850年代の人達のような苦労は無縁であるとは思う。が…それでも「栄養バランス?」という問題が生じてしまったり、「健康を損なった??」という場合は生じている…時代は移っても、移った時代の中で、何やら課題、問題がそれなりに生じるということなのであろう…
今一度、戸外の様子を伺ったが…何やら「肌寒い?」というような気がしないでもない…方々で梅雨時季の湿り過ぎた感じ、蒸し暑さのようなモノにウンザリしてしまったという方でも在れば…稚内へ来ると好いかもしれない…「爽やか」とか「涼しい」という次元を“オーバーラン”しているのだ。気温の落差で体調を崩してしまうことに注意しなければならないかもしれない…とすると?1850年代辺りに東北地方から宗谷にやって来た武士達と、似たような次元のことに気を遣うのか?!
そんなことを思っている間に…<NARA>のマグカップに満たされていた<モカ・イルガチェフ>が空いてしまった…
早くも週末…
<モカ・イルガチェフ>の芳香が屋内に漂う…好い感じだ…
豆で仕入れていた<モカ・ラデュース>や、豆を挽いた状態だった<奈良ホテルオリジナルブレンド>を使い切ってしまった後に利用出来ることを目指して、<モカ・イルガチェフ>の豆を仕入れていたのだ。これを挽いて、ゆっくりと―と言って、然程の時間を掛けることもない…―とハンドドリップで珈琲を淹れる。
相変わらず「早寝早起き」な傾向だが…最近は早朝に眼を開けて暫く経って、居眠りしてしまうというような、「二度寝」風なことになる場合も散見する…今朝もそういうような感じであったかもしれない…
5月に元号を改めて以降だけでも、何やら「変な暴力的事件?」、「複数の死傷者が発生した事故」が多く伝えられ、少し規模が大きな地震というのも伝えられた…<平成>に関しては「災害が多い時代だった」と振り返られている感も在るのだが、そういう傾向を引き継いでしまっているのだろうか?
当地に在っては、日曜日から月曜日に少し天候が優れなかった後、何となく穏やかになって、何時の間にか金曜日である。早い…
巷での不穏な感じも在るようなに思うが、自身は至って平穏だと思う。今年は…或いは昨年から、何となく多く写真を撮っている。それを整理して“ウェブギャラリー”に収めるというようなことを順次進めるのだが…これの進捗が「今一つ…」に陥っている…
モノクロ画とカラー画を並行して撮る…モノクロ画は、撮った画を確認して、ギャラリーに収めないモノを除けてしまうだけのことで速い…カラー画は、主にHDR画創りの材料にしている関係上、作業時間を要する…そうした事由で、何処かへ出掛けた後に「記憶に残る…」、「気に入った…」、「記憶に留めたい…」というような内容を、写真を掲出しながら綴るという営みに関してもモノクロ画に関係するモノが大きく先行することとなる…
こういうようなことは、全く「だから??」という話しでしかない…
先週末(土曜日)には、少し変わった場所に足を運ぶような機会も在って、1週間の経過が酷く早いように思っていたが…「6月」自体が酷く早く過ぎているような気もしている。月初めに思い付いて出掛けてみた経過が在るからであることは疑い無い…「少し変わった…」は時間経過を「速い」と錯覚させてくれるものでもあるように思う…
ずうっと以前から「何となく…」という具合に思っていて、近年「少し形を帯びた?」という考え方なのだが…「心豊かに」ということを「極力最優先」にするのが、自身にとっては「替え難い佳いこと」なのだと思う。よく「時間が在れば〇〇を訪ねたい」というようなことも耳にしないでもない…そういうのは?飽くまでも「可能な範囲」は逸脱し悪いのかもしれないが、「多少強引にでも時間を設ける」ということをして構わないのではないかと思う。
自身にとっての「心豊かに」というのは?気が向くままにフラフラと動いて、多少なりとも関心が在る文物に触れることに他ならない…だから、今年に関しては、「未だ、時間を設ける余地は残っている」とも思えるので、「必要に迫られた何かに時間を割く」という可能性は排除し悪いものの、「心豊かに」を優先したいということだ。
最近は、温かい感じと肌寒い感じの「切り替わり」が多少目立って…外に出る時に身に着ける衣類を選ぶことに多少悩む…
そういうことを色々と思っていた間に、<モカ・イルガチェフ>を満たした<NARA>の大きなマグカップは空になっていた…
豆で仕入れていた<モカ・ラデュース>や、豆を挽いた状態だった<奈良ホテルオリジナルブレンド>を使い切ってしまった後に利用出来ることを目指して、<モカ・イルガチェフ>の豆を仕入れていたのだ。これを挽いて、ゆっくりと―と言って、然程の時間を掛けることもない…―とハンドドリップで珈琲を淹れる。
相変わらず「早寝早起き」な傾向だが…最近は早朝に眼を開けて暫く経って、居眠りしてしまうというような、「二度寝」風なことになる場合も散見する…今朝もそういうような感じであったかもしれない…
5月に元号を改めて以降だけでも、何やら「変な暴力的事件?」、「複数の死傷者が発生した事故」が多く伝えられ、少し規模が大きな地震というのも伝えられた…<平成>に関しては「災害が多い時代だった」と振り返られている感も在るのだが、そういう傾向を引き継いでしまっているのだろうか?
当地に在っては、日曜日から月曜日に少し天候が優れなかった後、何となく穏やかになって、何時の間にか金曜日である。早い…
巷での不穏な感じも在るようなに思うが、自身は至って平穏だと思う。今年は…或いは昨年から、何となく多く写真を撮っている。それを整理して“ウェブギャラリー”に収めるというようなことを順次進めるのだが…これの進捗が「今一つ…」に陥っている…
モノクロ画とカラー画を並行して撮る…モノクロ画は、撮った画を確認して、ギャラリーに収めないモノを除けてしまうだけのことで速い…カラー画は、主にHDR画創りの材料にしている関係上、作業時間を要する…そうした事由で、何処かへ出掛けた後に「記憶に残る…」、「気に入った…」、「記憶に留めたい…」というような内容を、写真を掲出しながら綴るという営みに関してもモノクロ画に関係するモノが大きく先行することとなる…
こういうようなことは、全く「だから??」という話しでしかない…
先週末(土曜日)には、少し変わった場所に足を運ぶような機会も在って、1週間の経過が酷く早いように思っていたが…「6月」自体が酷く早く過ぎているような気もしている。月初めに思い付いて出掛けてみた経過が在るからであることは疑い無い…「少し変わった…」は時間経過を「速い」と錯覚させてくれるものでもあるように思う…
ずうっと以前から「何となく…」という具合に思っていて、近年「少し形を帯びた?」という考え方なのだが…「心豊かに」ということを「極力最優先」にするのが、自身にとっては「替え難い佳いこと」なのだと思う。よく「時間が在れば〇〇を訪ねたい」というようなことも耳にしないでもない…そういうのは?飽くまでも「可能な範囲」は逸脱し悪いのかもしれないが、「多少強引にでも時間を設ける」ということをして構わないのではないかと思う。
自身にとっての「心豊かに」というのは?気が向くままにフラフラと動いて、多少なりとも関心が在る文物に触れることに他ならない…だから、今年に関しては、「未だ、時間を設ける余地は残っている」とも思えるので、「必要に迫られた何かに時間を割く」という可能性は排除し悪いものの、「心豊かに」を優先したいということだ。
最近は、温かい感じと肌寒い感じの「切り替わり」が多少目立って…外に出る時に身に着ける衣類を選ぶことに多少悩む…
そういうことを色々と思っていた間に、<モカ・イルガチェフ>を満たした<NARA>の大きなマグカップは空になっていた…
幾許かの「久し振り」も在った週末が過ぎて…
<モカ・ラデュース>の芳香が好い…
<奈良ホテルオリジナルブレンド>は使い切ってしまったので、未だ在った<モカ・ラデュース>の豆を挽いて、珈琲をゆっくりと淹れて頂いているというような具合だ…
多少…肌寒い…昨日辺りから「15℃を挟む」という気温が「10℃を挟む」という気温になっている。そして風が強い…昨日は飛行機やフェリーが運航を見合わせてしまったのだと聞いた…屋内に在って、強風に由来する妙な音が色々と聞こえるということでもないのだが…それでも一寸戸外の様子を伺おうと、拙宅玄関の扉を開閉しようとする時に「圧される?」、「引っ張られる?」というような風の影響を感じる場合が無いでもない…
週末は「久し振りに…」というのが幾分在った…
土曜日は…「景色が好い所を巡って写真でも撮って…」というお誘いを頂いたので愉しく出掛けた…宗谷岬の店で<帆立 塩ラーメン>を頂き、その後に豊富温泉で一寸入浴という予定外の場面まで在ったが…何れも「久し振り…」で「前回」が何時だったのか、やや不鮮明、と言うよりよく判らない…時には好いものだ…
日曜日は…近くの映画館で映画を観た…率直に申し上げて…館内は酷く空いていた…観たのは『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』だった…大音量の中で作中世界に没入するかのように愉しむ…意外に夢中になってしまった…
そしてタラタラと迎えた月曜日の朝…昨日は大阪府内で発生した凶悪事件のニュースが終日流れていたような感だった…最近は何やら「?」というような暴力的事件が少し続いてしまっているような気がしないでもない…何か残念に思う…が…手近な辺りは平穏だ…
今朝も雲が多目だ…雨は交じっていない…しかし風が強い感じで、気温は「10℃を挟む」という按配だ…多少肌寒いので、外に出る際には上着を羽織るべきであろう…
そんなことを思っていた間に、<NARA>のマグカップに注いで在った珈琲が空になった…
<奈良ホテルオリジナルブレンド>は使い切ってしまったので、未だ在った<モカ・ラデュース>の豆を挽いて、珈琲をゆっくりと淹れて頂いているというような具合だ…
多少…肌寒い…昨日辺りから「15℃を挟む」という気温が「10℃を挟む」という気温になっている。そして風が強い…昨日は飛行機やフェリーが運航を見合わせてしまったのだと聞いた…屋内に在って、強風に由来する妙な音が色々と聞こえるということでもないのだが…それでも一寸戸外の様子を伺おうと、拙宅玄関の扉を開閉しようとする時に「圧される?」、「引っ張られる?」というような風の影響を感じる場合が無いでもない…
週末は「久し振りに…」というのが幾分在った…
土曜日は…「景色が好い所を巡って写真でも撮って…」というお誘いを頂いたので愉しく出掛けた…宗谷岬の店で<帆立 塩ラーメン>を頂き、その後に豊富温泉で一寸入浴という予定外の場面まで在ったが…何れも「久し振り…」で「前回」が何時だったのか、やや不鮮明、と言うよりよく判らない…時には好いものだ…
日曜日は…近くの映画館で映画を観た…率直に申し上げて…館内は酷く空いていた…観たのは『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』だった…大音量の中で作中世界に没入するかのように愉しむ…意外に夢中になってしまった…
そしてタラタラと迎えた月曜日の朝…昨日は大阪府内で発生した凶悪事件のニュースが終日流れていたような感だった…最近は何やら「?」というような暴力的事件が少し続いてしまっているような気がしないでもない…何か残念に思う…が…手近な辺りは平穏だ…
今朝も雲が多目だ…雨は交じっていない…しかし風が強い感じで、気温は「10℃を挟む」という按配だ…多少肌寒いので、外に出る際には上着を羽織るべきであろう…
そんなことを思っていた間に、<NARA>のマグカップに注いで在った珈琲が空になった…
悪くない…
<奈良ホテルオリジナルブレンド>の芳香が好い…<NARA>という某チェーンカフェの大き目なカップを満たすようにたっぷりと用意した…
朝に拙宅で珈琲を淹れるという程度のことが、何か少し新鮮だ…暫く旅をして、戻って程無く所用のために1泊で出掛けた…勿論、旅から戻ってから所用で出るまでの間にも拙宅で珈琲は淹れたが…今朝は、どういうものか「久し振り」という感が強い…
昨夕は、何やら酷く眠たかった…夕食を摂りに出ようと思った時点で軽く眠かったが…日頃から馴染んでいる、お気に入りのモノ等を頂きながら何となく読書に興じていると、「イマドキは子ども達でも元気一杯に動いているであろう…」という、この時季であれば空にナイトブルーが残るような時間帯に「酷く眠い…」という按配だった…
何も遠慮することは無い…眠ければ眠る他に無い…少々早めに就寝で、何となく早めに眼は開けた…この時季の早過ぎる感な日出の時刻は過ぎて少し経っていたころだった…
そうやってゆっくり休んだが…それでも「眠い朝」という感は否定し悪い…他所へ出て、元気に歩き回るようなことが多少続いたので、身体が休養を欲しているのかもしれない…この週末は何となくゆっくり過ごしたいが、実際にゆったり出来そうな感ではある…少し外に出て、景色を愉しむような時間も設けられそうだ…
何か「もう直ぐ梅雨入り?」というような地域が、梅雨時季の不順な天候になってしまうか、未だそうはならないかというような「隙間」とでも呼ぶべき状態で、概ね好天であった中に乗込んで、存外に歩き回って日焼けした…一時的には日焼けした顔の肌が「少し痛い…」という程度だったが、それが落ち着いた…それでも会う人に「日に焼けた??」と問われる場合も在る程度だ…
その各地を巡った際は「25℃を挟む気温…さり気なく30℃に届いた日が…」という感だった。それが「15℃を挟む気温」となっている…一昨日や昨日の旭川も似たような「15℃を挟む気温」では在るが「20℃に近い側」という場面に、湿潤な空気の故に「気温以上に暑く思える」という場面が在った…対して稚内は「15℃?やや切る?」で、風が多少冷たい…
この時季は、何処に在っても「気温の上下幅が少々大き目」という傾向は在るかもしれないが…6月前半は「他地域も動き回った」という場面が出来たことで、「気温の上下幅が大きい」ということが際立った形である…そういうようになると、身体の中の均衡が多少崩れて「怠い??」というようになってしまうことは在るかもしれない…
そういう状態では在るのだが…色々と興味深い見聞をして戻ったばかりで、自身にとっては「不意に沸いた…」という感も多少は在る他所での所用も無事に済み、気分的には悪くもないのだが…
今日、明日辺り、稚内は「晴れたり、曇ったりで、場合によって降雨が交じる」という天候で気温帯も「15℃を挟む」ということらしい…悪くはない…
朝に拙宅で珈琲を淹れるという程度のことが、何か少し新鮮だ…暫く旅をして、戻って程無く所用のために1泊で出掛けた…勿論、旅から戻ってから所用で出るまでの間にも拙宅で珈琲は淹れたが…今朝は、どういうものか「久し振り」という感が強い…
昨夕は、何やら酷く眠たかった…夕食を摂りに出ようと思った時点で軽く眠かったが…日頃から馴染んでいる、お気に入りのモノ等を頂きながら何となく読書に興じていると、「イマドキは子ども達でも元気一杯に動いているであろう…」という、この時季であれば空にナイトブルーが残るような時間帯に「酷く眠い…」という按配だった…
何も遠慮することは無い…眠ければ眠る他に無い…少々早めに就寝で、何となく早めに眼は開けた…この時季の早過ぎる感な日出の時刻は過ぎて少し経っていたころだった…
そうやってゆっくり休んだが…それでも「眠い朝」という感は否定し悪い…他所へ出て、元気に歩き回るようなことが多少続いたので、身体が休養を欲しているのかもしれない…この週末は何となくゆっくり過ごしたいが、実際にゆったり出来そうな感ではある…少し外に出て、景色を愉しむような時間も設けられそうだ…
何か「もう直ぐ梅雨入り?」というような地域が、梅雨時季の不順な天候になってしまうか、未だそうはならないかというような「隙間」とでも呼ぶべき状態で、概ね好天であった中に乗込んで、存外に歩き回って日焼けした…一時的には日焼けした顔の肌が「少し痛い…」という程度だったが、それが落ち着いた…それでも会う人に「日に焼けた??」と問われる場合も在る程度だ…
その各地を巡った際は「25℃を挟む気温…さり気なく30℃に届いた日が…」という感だった。それが「15℃を挟む気温」となっている…一昨日や昨日の旭川も似たような「15℃を挟む気温」では在るが「20℃に近い側」という場面に、湿潤な空気の故に「気温以上に暑く思える」という場面が在った…対して稚内は「15℃?やや切る?」で、風が多少冷たい…
この時季は、何処に在っても「気温の上下幅が少々大き目」という傾向は在るかもしれないが…6月前半は「他地域も動き回った」という場面が出来たことで、「気温の上下幅が大きい」ということが際立った形である…そういうようになると、身体の中の均衡が多少崩れて「怠い??」というようになってしまうことは在るかもしれない…
そういう状態では在るのだが…色々と興味深い見聞をして戻ったばかりで、自身にとっては「不意に沸いた…」という感も多少は在る他所での所用も無事に済み、気分的には悪くもないのだが…
今日、明日辺り、稚内は「晴れたり、曇ったりで、場合によって降雨が交じる」という天候で気温帯も「15℃を挟む」ということらしい…悪くはない…
日没の頃…:利尻富士の眺望:ノシャップ岬(2019.05.23)
久々に…
「毎年の恒例」というようなものでも、その「恒例となっている時期」にその場に居ない状態が続くと、恒例でも何でもなくなってしまう…
5月後半の時季に恒例化している催しに関して、昨年、一昨年と稚内から離れていたことで、今年に至って久しぶりに出くわすことになった。
どうということもない…恒例の<健康診断>というモノである…昨年や一昨年は偶々、実施時期に稚内に居なかったということで…放置してあったのだ…
個人的には…「ガタガタと“健康”を連呼するようなこと」というのが、「最も不健康なのではないか?」という程度に思っている…気を遣おうが遣うまいが、健康を大きく損なう場合には損なってしまい、その限りでもない場合も多い。多分、少し広い意味では“健康”だが、私は寧ろ「思い掛けない、存外に治療に手間や時間を要する負傷」という事態に陥らないように留意してはいる…実際、一昨年に思わぬ負傷で、それ以降はそういう意識が少々強まっているとは自覚出来る…
最近、戦国時代を扱う時代モノの小説等に、「織田信長が最期を遂げた」とか「上杉謙信が他界した」というような描写や言及が在ると…「自身はこの人達が世を去ったような年代?」と思う場合も在る。そういう程度に、いつの間にか齢を重ねてしまった…そういう具合になってみて…何か「漠然と思い描く程度に身体が動かない?!」というようになって来たとは思う…が、だからと言って大きな“問題”を感じているのでもない…
巷では「○○が身体に好い」というような按配の「食べ物を巡る話題」というのが多い。私は然程関心が無い…更に「身体に好いと話題の○○が品薄」というような話題が派生するなら「??」とさえ感じる…
食べるモノというのは、「ハッキリ有毒」とか、「体質的にどうしても身体が受付けない」という「食べられないモノ」でもない限りは、在るモノ、用意出来るモノを色々と選り好みせずに頂けば…それで悪くないのではないかと思う。
例えば、「1ヶ月間、朝、昼、晩と毎回全く同じモノだけを食べ続ける」とか、「毎日のように大量の○○」というような、「極端に偏っていないか??」ということはやらない方が好いのかもしれないが…どんなモノでも、「市場に佳いモノを送り出そう」という生産者が在るので、そういう人達の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむようにすれば…それで十分だ。
実を言えば…「食い物の好き嫌いはするな!!」が、私が育った家の“家訓”(!?)のようなものだと自身で考えている。そういう中で「食材等の生産者の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむように」という境地に至った訳で、「○○が身体に好い」というような按配の「食べ物を巡る話題」というのには興味が沸かないのだ…
私自身、「昨日はAだったから…今日はBで…気に入っているCを明日に…」という食事のパターンも在るが、「大変気に入っているX!!明日も!!明後日も!!」という食事のパターンも在る方だと思う。と言って、「3食同じモノを延々と繰り返す」ような極端なことをするのでもない…何でも元気よく、「食材等の生産者の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむように」という境地で、加えて食事の多くが外食なので、料理を手掛けて頂く方への感謝も忘れずに頂くというだけのことで…それで、必要な、或いは必要以上に栄養は摂っている訳だ…
そういうことで…自身の“健康”については、何となく「とりあえず“問題”という程のことも…」という位に思っているが…何時の頃からか、「ガタガタと“健康”を連呼するようなこと」というのが「最も不健康なのではないか?」というような感じ方が強まってしまっている…
何時の頃からか?「腹囲」というモノを計測し、一定の数字を超えていると“問題”とするというのが始まった。非常に不愉快なので、名前を挙げることすらしたくない!!!
その「一定の数字」だが…日本国内では大柄な分類になると見受けられる私は、大学生位だった頃に「成人の身体」になったと見受けられるようになって以降、「未だ嘗てクリアしたことがない水準」である。
「未だ嘗てクリアしたことがない水準」が掲げられている…クリアしていないということは、とりあえず“問題”であるようだが、自身は別段にそれでも普通に生きている!何か「生きてそこに在る」という「事実そのもの」が“問題”とでも言われているかのような、非常に不愉快な気分になった。
健康診断で、尿検査や血液検査を行って、「内容を検討してみると、○○の症状という危惧が在る」というようなことでも言っているのなら…そういうのは「在り」かもしれない。体内のモノを化学的に調べるということをした結果なのだろうから…そして内容を個別に伝えるというようなことであれば、それは健康診断の本旨ということであろう…が!!「個別に違って当然!!」の身体の大きさに由来することを捉まえて、何やら基準を勝手に設けて、“問題”とか何とか言うのは一体何なのか?!健康診断の基準を示すような機関という、公に影響力を行使するような場所が、「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いだ!!というように私は思った。そして、そういう感じ方、考え方は現在でも変わっていない…
公に影響力を行使するような場所が、「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いのネタになっている“健康”とやら…「健康」というのは、普通な語彙で、使用が憚られるものでも何でもないのだが…「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いのネタになっていると個人的に思うので、時に“健康”という語を自身の中で「不愉快な語彙」に分類している場合も在る。
自身は普通に生きているのだが、「未だ嘗てクリアしたことがない水準」で“問題”呼ばわれという感…こういう状況になって以降、「世の中の“オカシイ”という度合」が強まってしまったのではないかと、少し漠然と感じている。
こういう感じ方を、極端であるとか、極々少数派で取るに足らないという見方も在るとは思う。が、それで結構!!公に影響力を行使するような場所が「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いだというように思うというのは止められない。
この件に限らず…「年を追って強まっているかのようにも見える傾向?」というように思うのだが…この国では必要以上に“提供者側の論理”とでもいうような考え方が幅を利かせていないだろうか??私が「不愉快極まりない!!」と思った上述の件に限ったことでもないような気がする…
そういうようなことを想い起していたが…何となく久し振りだった健康診断…採血で、やや以前のテレビシリーズの『Xファイル』に出て来た“エイリアン”のような黒とか緑という液体が噴き出したのでもなく、普通な赤い鮮血が出て「とりあえず普通の人間」ということがハッキリして、やや早めな時間帯に会場入りして順調に済ませることが出来たので、とりあえず善かった訳だ…
5月後半の時季に恒例化している催しに関して、昨年、一昨年と稚内から離れていたことで、今年に至って久しぶりに出くわすことになった。
どうということもない…恒例の<健康診断>というモノである…昨年や一昨年は偶々、実施時期に稚内に居なかったということで…放置してあったのだ…
個人的には…「ガタガタと“健康”を連呼するようなこと」というのが、「最も不健康なのではないか?」という程度に思っている…気を遣おうが遣うまいが、健康を大きく損なう場合には損なってしまい、その限りでもない場合も多い。多分、少し広い意味では“健康”だが、私は寧ろ「思い掛けない、存外に治療に手間や時間を要する負傷」という事態に陥らないように留意してはいる…実際、一昨年に思わぬ負傷で、それ以降はそういう意識が少々強まっているとは自覚出来る…
最近、戦国時代を扱う時代モノの小説等に、「織田信長が最期を遂げた」とか「上杉謙信が他界した」というような描写や言及が在ると…「自身はこの人達が世を去ったような年代?」と思う場合も在る。そういう程度に、いつの間にか齢を重ねてしまった…そういう具合になってみて…何か「漠然と思い描く程度に身体が動かない?!」というようになって来たとは思う…が、だからと言って大きな“問題”を感じているのでもない…
巷では「○○が身体に好い」というような按配の「食べ物を巡る話題」というのが多い。私は然程関心が無い…更に「身体に好いと話題の○○が品薄」というような話題が派生するなら「??」とさえ感じる…
食べるモノというのは、「ハッキリ有毒」とか、「体質的にどうしても身体が受付けない」という「食べられないモノ」でもない限りは、在るモノ、用意出来るモノを色々と選り好みせずに頂けば…それで悪くないのではないかと思う。
例えば、「1ヶ月間、朝、昼、晩と毎回全く同じモノだけを食べ続ける」とか、「毎日のように大量の○○」というような、「極端に偏っていないか??」ということはやらない方が好いのかもしれないが…どんなモノでも、「市場に佳いモノを送り出そう」という生産者が在るので、そういう人達の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむようにすれば…それで十分だ。
実を言えば…「食い物の好き嫌いはするな!!」が、私が育った家の“家訓”(!?)のようなものだと自身で考えている。そういう中で「食材等の生産者の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむように」という境地に至った訳で、「○○が身体に好い」というような按配の「食べ物を巡る話題」というのには興味が沸かないのだ…
私自身、「昨日はAだったから…今日はBで…気に入っているCを明日に…」という食事のパターンも在るが、「大変気に入っているX!!明日も!!明後日も!!」という食事のパターンも在る方だと思う。と言って、「3食同じモノを延々と繰り返す」ような極端なことをするのでもない…何でも元気よく、「食材等の生産者の努力に感謝と敬意を表し、それぞれの食品が持っている栄養を得るように、各々の味わいを愉しむように」という境地で、加えて食事の多くが外食なので、料理を手掛けて頂く方への感謝も忘れずに頂くというだけのことで…それで、必要な、或いは必要以上に栄養は摂っている訳だ…
そういうことで…自身の“健康”については、何となく「とりあえず“問題”という程のことも…」という位に思っているが…何時の頃からか、「ガタガタと“健康”を連呼するようなこと」というのが「最も不健康なのではないか?」というような感じ方が強まってしまっている…
何時の頃からか?「腹囲」というモノを計測し、一定の数字を超えていると“問題”とするというのが始まった。非常に不愉快なので、名前を挙げることすらしたくない!!!
その「一定の数字」だが…日本国内では大柄な分類になると見受けられる私は、大学生位だった頃に「成人の身体」になったと見受けられるようになって以降、「未だ嘗てクリアしたことがない水準」である。
「未だ嘗てクリアしたことがない水準」が掲げられている…クリアしていないということは、とりあえず“問題”であるようだが、自身は別段にそれでも普通に生きている!何か「生きてそこに在る」という「事実そのもの」が“問題”とでも言われているかのような、非常に不愉快な気分になった。
健康診断で、尿検査や血液検査を行って、「内容を検討してみると、○○の症状という危惧が在る」というようなことでも言っているのなら…そういうのは「在り」かもしれない。体内のモノを化学的に調べるということをした結果なのだろうから…そして内容を個別に伝えるというようなことであれば、それは健康診断の本旨ということであろう…が!!「個別に違って当然!!」の身体の大きさに由来することを捉まえて、何やら基準を勝手に設けて、“問題”とか何とか言うのは一体何なのか?!健康診断の基準を示すような機関という、公に影響力を行使するような場所が、「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いだ!!というように私は思った。そして、そういう感じ方、考え方は現在でも変わっていない…
公に影響力を行使するような場所が、「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いのネタになっている“健康”とやら…「健康」というのは、普通な語彙で、使用が憚られるものでも何でもないのだが…「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いのネタになっていると個人的に思うので、時に“健康”という語を自身の中で「不愉快な語彙」に分類している場合も在る。
自身は普通に生きているのだが、「未だ嘗てクリアしたことがない水準」で“問題”呼ばわれという感…こういう状況になって以降、「世の中の“オカシイ”という度合」が強まってしまったのではないかと、少し漠然と感じている。
こういう感じ方を、極端であるとか、極々少数派で取るに足らないという見方も在るとは思う。が、それで結構!!公に影響力を行使するような場所が「大きな顔で個々人に言いがかり」という「道に外れていること甚だしい!!!」というような振る舞いだというように思うというのは止められない。
この件に限らず…「年を追って強まっているかのようにも見える傾向?」というように思うのだが…この国では必要以上に“提供者側の論理”とでもいうような考え方が幅を利かせていないだろうか??私が「不愉快極まりない!!」と思った上述の件に限ったことでもないような気がする…
そういうようなことを想い起していたが…何となく久し振りだった健康診断…採血で、やや以前のテレビシリーズの『Xファイル』に出て来た“エイリアン”のような黒とか緑という液体が噴き出したのでもなく、普通な赤い鮮血が出て「とりあえず普通の人間」ということがハッキリして、やや早めな時間帯に会場入りして順調に済ませることが出来たので、とりあえず善かった訳だ…
<うにクリームパスタ>(2019.05.22)
極近所に、「用が在ったら…ここへ電話してくれ…」と嘯いてしまう程度の頻度で食事に寄る店が在る…(本当に電話が架かって来たことも在る…)
日頃の気に入っている各メニューが好いので寄る訳だが…材料が入手し易い時季に、数量限定で「一寸変わったモノ」を供してくれる場合も在るので、そういうモノを愉しむ場合も多い…
↓昨日から…こういうモノが登場した!!

↑今が時季!!生ウニを使ったパスタだ!!
クリーム系のソースを使ったパスタと生ウニ…余り視掛けない組み合わせかも知れないが…酷く好かった!!
↓「美味しいモノは直ぐに無くなる…(=速攻で完食してしまう…)」ので、その姿を記録に残そうと、頂く前に確りと写真に収めた次第…

本当に「材料が入手し易い時季に、数量限定」の代物…提供可能な期間に再度、再々度御願いしてみたい代物だ…
誰にも知らせないで、自分だけで愉しみたいような気にさえなる代物だが…それでも非常に美味く、見栄えも好いので、こういう具合に纏めてしまった…
日頃の気に入っている各メニューが好いので寄る訳だが…材料が入手し易い時季に、数量限定で「一寸変わったモノ」を供してくれる場合も在るので、そういうモノを愉しむ場合も多い…
↓昨日から…こういうモノが登場した!!

↑今が時季!!生ウニを使ったパスタだ!!
クリーム系のソースを使ったパスタと生ウニ…余り視掛けない組み合わせかも知れないが…酷く好かった!!
↓「美味しいモノは直ぐに無くなる…(=速攻で完食してしまう…)」ので、その姿を記録に残そうと、頂く前に確りと写真に収めた次第…

本当に「材料が入手し易い時季に、数量限定」の代物…提供可能な期間に再度、再々度御願いしてみたい代物だ…
誰にも知らせないで、自分だけで愉しみたいような気にさえなる代物だが…それでも非常に美味く、見栄えも好いので、こういう具合に纏めてしまった…
明るい朝…
<エチオピア モカ ラデュース>の芳香…静かな朝に似合う…
週末が「妙に速い…」という感じで過ぎてしまった…普通に「早寝早起き」な暮らしぶりであったのだが、週末に関しては「変な時間帯に居眠りに陥ってしまった」ということも在った…そういう具合の他方、読んでいた小説の『風の如く』が期待以上に愉しく、随分と読書時間―本を持って喫茶店に出て、ゆっくりと読むというようなこと…―を積極的にやっていた…
今朝も明るいが…最近は日出の時間帯に低空の雲が多目で「蒼…」という早朝から、俄かに陽射しが鮮やかという按配になることが多い。気温も少し上がっていて、日中は「多分20℃を伺う?」という具合、「生温かい…」という場合も見受けられる…とは言え、6月頃までは「気温が乱高下?」という按配で、多少肌寒い場合も在り得るのが「この辺りの感じ」というものだとも思う。それでも、温かい感じなのは悪くない…このところの日中は、半袖Tシャツの上に厚目な記事の長袖シャツを引っ掛けるような服装で戸外に出て、抵抗感が無い感じだった…
何時の頃からだろうか?「立場の在る方」が、漢字の読み方を間違って言っていたとか、発言が不穏当であるということが“ニュース”になる機会が妙に増えているような気がする…
漢字の読み方を間違って言っていた?こういうのは、「立場の在る方」に留まらない話しではないのか?これは「あの字はこういう読み方が正しく、こういう意味なのだ」という「話しのタネ」という程度のことであろうとも思う…勿論、言葉は正しく用いられるべきであろうが、結局のところ「誰でも一寸間違う」という程度に日本語は煩雑だということではないか?“話題”として多少面白いかもしれないが、「話しのタネ」という域を出ない事柄のように思う場合が在る…
発言が不穏当であるということ?これに関しては、その場の「話しの意味的な纏まり」を半ば度外視して、その場で用いられた表現の一部を切り抜き、「問題だ!?」と言ってみるような場合が多いかもしれないというように思う場合も在る…そういうように思う場合も多いのだが…それでも「流石に一寸妙な??」という場合も時には見受けられるが…
「立場の在る方」による発言が不穏当であるとなれば、「(立場に)相応しくない」ということになり、「辞めろ!」ということにもなる。それは判らないでもないのだが…例えば“立場”というのが、会社の経営者や官公署の幹部というように「部内の人事」で就く立場なら、一般の人達と然程関係無く就いた立場で、不穏当な発言というようなことが在った場合には「オカシイじゃないか…」と言ってみるというのも判る…が…“立場”が「選挙公職」である場合?それに関しては「不穏当な発言をするような候補者を選任した有権者がどうなのか?」ということになるのではないだろうか??
人は…「記憶に留める」というよりも「忘れる」ということを繰り返して人生を過ごしている…そういうモノなのかもしれない…が…「選挙公職」というような方が、「(立場に)相応しくない」というような不穏当な発言をしたということなら…「絶対に忘れない!!」ということにして、次の選挙では「アレにだけは絶対に投票しない!!」というようにすべきではないだろうか?
先日…流石に不穏当に過ぎる発言として、日本の政府が外国政府に詫びを入れるというような例が在ったと伝わる…発言者は「選挙公職」だ…であれば…次の選挙に出馬するなら、「アレにだけは絶対に投票しない!!」というようにするというだけのことだと思う…が…それでも当選する場合も在るのが「よく判らない…」のだが…
何やら妙なことを想い起していた間に、<エチオピア モカ ラデュース>が入った“NARA”のマグカップが空になった…
週末が「妙に速い…」という感じで過ぎてしまった…普通に「早寝早起き」な暮らしぶりであったのだが、週末に関しては「変な時間帯に居眠りに陥ってしまった」ということも在った…そういう具合の他方、読んでいた小説の『風の如く』が期待以上に愉しく、随分と読書時間―本を持って喫茶店に出て、ゆっくりと読むというようなこと…―を積極的にやっていた…
今朝も明るいが…最近は日出の時間帯に低空の雲が多目で「蒼…」という早朝から、俄かに陽射しが鮮やかという按配になることが多い。気温も少し上がっていて、日中は「多分20℃を伺う?」という具合、「生温かい…」という場合も見受けられる…とは言え、6月頃までは「気温が乱高下?」という按配で、多少肌寒い場合も在り得るのが「この辺りの感じ」というものだとも思う。それでも、温かい感じなのは悪くない…このところの日中は、半袖Tシャツの上に厚目な記事の長袖シャツを引っ掛けるような服装で戸外に出て、抵抗感が無い感じだった…
何時の頃からだろうか?「立場の在る方」が、漢字の読み方を間違って言っていたとか、発言が不穏当であるということが“ニュース”になる機会が妙に増えているような気がする…
漢字の読み方を間違って言っていた?こういうのは、「立場の在る方」に留まらない話しではないのか?これは「あの字はこういう読み方が正しく、こういう意味なのだ」という「話しのタネ」という程度のことであろうとも思う…勿論、言葉は正しく用いられるべきであろうが、結局のところ「誰でも一寸間違う」という程度に日本語は煩雑だということではないか?“話題”として多少面白いかもしれないが、「話しのタネ」という域を出ない事柄のように思う場合が在る…
発言が不穏当であるということ?これに関しては、その場の「話しの意味的な纏まり」を半ば度外視して、その場で用いられた表現の一部を切り抜き、「問題だ!?」と言ってみるような場合が多いかもしれないというように思う場合も在る…そういうように思う場合も多いのだが…それでも「流石に一寸妙な??」という場合も時には見受けられるが…
「立場の在る方」による発言が不穏当であるとなれば、「(立場に)相応しくない」ということになり、「辞めろ!」ということにもなる。それは判らないでもないのだが…例えば“立場”というのが、会社の経営者や官公署の幹部というように「部内の人事」で就く立場なら、一般の人達と然程関係無く就いた立場で、不穏当な発言というようなことが在った場合には「オカシイじゃないか…」と言ってみるというのも判る…が…“立場”が「選挙公職」である場合?それに関しては「不穏当な発言をするような候補者を選任した有権者がどうなのか?」ということになるのではないだろうか??
人は…「記憶に留める」というよりも「忘れる」ということを繰り返して人生を過ごしている…そういうモノなのかもしれない…が…「選挙公職」というような方が、「(立場に)相応しくない」というような不穏当な発言をしたということなら…「絶対に忘れない!!」ということにして、次の選挙では「アレにだけは絶対に投票しない!!」というようにすべきではないだろうか?
先日…流石に不穏当に過ぎる発言として、日本の政府が外国政府に詫びを入れるというような例が在ったと伝わる…発言者は「選挙公職」だ…であれば…次の選挙に出馬するなら、「アレにだけは絶対に投票しない!!」というようにするというだけのことだと思う…が…それでも当選する場合も在るのが「よく判らない…」のだが…
何やら妙なことを想い起していた間に、<エチオピア モカ ラデュース>が入った“NARA”のマグカップが空になった…
薄暗い感じの朝に…
薄暗い感の朝だ…室内に立ち込める<エチオピア モカ ラデュース>の芳香が好い…「とりあえず…」と朝一番に珈琲を淹れてみた…戸外は雨交じりであるようだ…
このところ、日付や曜日が頭の中で曖昧な感じになってしまっている…“予定”という程のモノも無いような具合に「10連休」というのが入っていて、何となくのんびりしていて、日付や曜日を然程気にせずに過ごした感覚に「素早く馴染んでしまった…」というようなことなのかもしれない…
珈琲を淹れてゆったりと頂いているが…少しだけ気になることが在る…
珈琲を淹れて、カップに注いで飲むという段に至る時…「コーヒーがはいった」という表現をする人…存外に多くないだろうか?実は連休中にも出くわしたのだ…
この「コーヒーがはいった」だが…「入った」ではないか?そして「淹れる」が「入れる」と混同されていないだろうか?
個人的には「淹れる」と書き、話し言葉としてもそのつもりで口にしていて、カップに注いで飲むという段に至る時には「出来上がり…」とか「準備完了」と書くか言うかする…
ドリップ方式のコーヒーメーカーのイメージなのだろうが、「コーヒーを落とす」という言い方も耳目に触れるような気がする。その場合、カップに注いで飲むという段に至れば「落ちた」と、方々の受験生の皆さんに一寸嫌がられそうな表現になる…
結局、こういうような表現は書く人、言う人の随意で、読むか聴くかする人が判れば用が足りるので、どうでもいいのかもしれないが…個人的には、北海道風に言う「あづましくない」(何か居心地が好くない…)を感じる場合が多い。それ故に、「この意味なのだ!!」と「一般的に仮名で書く」という風なモノにも敢えて漢字を使って書く場合が多い。「標記がオカシイ」と仰る方も在るかもしれないが、「私はこれで好いと思っている」というだけのことだ…
「淹れる」と「入れる」との混同に起因すると推定される「コーヒーがはいった」が何となく気になったが…それ以上に、相当に長く気になっていることが在る…
例えば、「稚内へ向かう」ことを表現する場合に「電車で行く」という表現を耳にする…私はこの表現に大きな違和感を抱く。稚内辺りで「電気で動く電車」は全く走っていない。言うなら「列車で行く」ではないか?!
何時の間にか…“電車”というのが「鉄道の軌道上を走行するモノの代名詞」という感になり、“列車”が“電車”に置き換わったのか?それでも「非電化」の鉄道は多々在り、北海道に在っては「電化」が寧ろ非常に少ない…そんな北海道で「電車で行く」で違和感が無い場所は、札幌圏と札幌駅・旭川駅間と新函館北斗駅・函館駅間という位ではないか?他はディーゼルカーが運行されている…燃料を入れて、エンジンを動かして走行しているという車輛だ。北海道は電気を供給する架線が軌道上に無い区間ばかりだ…だから“電車”は動かない…でも「電車で行く」なのだ??
だから…個人的には「悉く“列車”と表現」ということにしている。車輛の型がどうしたこうしたとなれば“電車”という表現は使うが…「移動手段として利用」という場合、「車輛に関すること」に意識が向いて「電車に乗った」とは言う場合も在るが、「列車に乗った」と言う方が多いと思う…都市部には“〇〇電鉄”とか“〇〇電車”という通称が広く深く定着しているような鉄道も多く見受けられるが、そういうモノを利用したことに言及する場合、個人的には「〇〇の列車を利用」とか「XXの〇〇線の列車に乗車」と表現するのが「最も落ち着く」という感じだ…
全く「だから??」というように話しが転がってしまった…
淹れた珈琲をゆったりと頂きながら、雨交じりで薄暗い中でふと思いが至ったのは…「5月に月が改まって10日になってしまった」ということだった…「速い」というような気がしたのだ…
4月末に稚内から一寸出て、美瑛、旭川、札幌という中で何となく月が改まり、月が改まって直ぐに小樽に―意外に長い御無沙汰だった…―寄ってから引揚げ、後は「何となく…」という日々だが…そういう中で「10日」である…
このところ、日付や曜日が頭の中で曖昧な感じになってしまっている…“予定”という程のモノも無いような具合に「10連休」というのが入っていて、何となくのんびりしていて、日付や曜日を然程気にせずに過ごした感覚に「素早く馴染んでしまった…」というようなことなのかもしれない…
珈琲を淹れてゆったりと頂いているが…少しだけ気になることが在る…
珈琲を淹れて、カップに注いで飲むという段に至る時…「コーヒーがはいった」という表現をする人…存外に多くないだろうか?実は連休中にも出くわしたのだ…
この「コーヒーがはいった」だが…「入った」ではないか?そして「淹れる」が「入れる」と混同されていないだろうか?
個人的には「淹れる」と書き、話し言葉としてもそのつもりで口にしていて、カップに注いで飲むという段に至る時には「出来上がり…」とか「準備完了」と書くか言うかする…
ドリップ方式のコーヒーメーカーのイメージなのだろうが、「コーヒーを落とす」という言い方も耳目に触れるような気がする。その場合、カップに注いで飲むという段に至れば「落ちた」と、方々の受験生の皆さんに一寸嫌がられそうな表現になる…
結局、こういうような表現は書く人、言う人の随意で、読むか聴くかする人が判れば用が足りるので、どうでもいいのかもしれないが…個人的には、北海道風に言う「あづましくない」(何か居心地が好くない…)を感じる場合が多い。それ故に、「この意味なのだ!!」と「一般的に仮名で書く」という風なモノにも敢えて漢字を使って書く場合が多い。「標記がオカシイ」と仰る方も在るかもしれないが、「私はこれで好いと思っている」というだけのことだ…
「淹れる」と「入れる」との混同に起因すると推定される「コーヒーがはいった」が何となく気になったが…それ以上に、相当に長く気になっていることが在る…
例えば、「稚内へ向かう」ことを表現する場合に「電車で行く」という表現を耳にする…私はこの表現に大きな違和感を抱く。稚内辺りで「電気で動く電車」は全く走っていない。言うなら「列車で行く」ではないか?!
何時の間にか…“電車”というのが「鉄道の軌道上を走行するモノの代名詞」という感になり、“列車”が“電車”に置き換わったのか?それでも「非電化」の鉄道は多々在り、北海道に在っては「電化」が寧ろ非常に少ない…そんな北海道で「電車で行く」で違和感が無い場所は、札幌圏と札幌駅・旭川駅間と新函館北斗駅・函館駅間という位ではないか?他はディーゼルカーが運行されている…燃料を入れて、エンジンを動かして走行しているという車輛だ。北海道は電気を供給する架線が軌道上に無い区間ばかりだ…だから“電車”は動かない…でも「電車で行く」なのだ??
だから…個人的には「悉く“列車”と表現」ということにしている。車輛の型がどうしたこうしたとなれば“電車”という表現は使うが…「移動手段として利用」という場合、「車輛に関すること」に意識が向いて「電車に乗った」とは言う場合も在るが、「列車に乗った」と言う方が多いと思う…都市部には“〇〇電鉄”とか“〇〇電車”という通称が広く深く定着しているような鉄道も多く見受けられるが、そういうモノを利用したことに言及する場合、個人的には「〇〇の列車を利用」とか「XXの〇〇線の列車に乗車」と表現するのが「最も落ち着く」という感じだ…
全く「だから??」というように話しが転がってしまった…
淹れた珈琲をゆったりと頂きながら、雨交じりで薄暗い中でふと思いが至ったのは…「5月に月が改まって10日になってしまった」ということだった…「速い」というような気がしたのだ…
4月末に稚内から一寸出て、美瑛、旭川、札幌という中で何となく月が改まり、月が改まって直ぐに小樽に―意外に長い御無沙汰だった…―寄ってから引揚げ、後は「何となく…」という日々だが…そういう中で「10日」である…
改元初日…
愛用の、“手巻き”で機械式のロシア製腕時計は、文字盤の“3”の辺りにロシア語標記の曜日と数字の日付が表示される。曜日は殆ど触る必要は無いが、日付は時々調整しなければならない。その日付の調整を頻繁に忘れるのだが…「4月30日の後の5月1日」というのは、随分と賑やかに「5月1日!!」とやっていたので、忘れずに調整した…
「変わったこと」と言えば…そういう次元の話しで、普通に「何となくぼんやりとした休日」を過ごしていたような気がする…“居候所”と呼んでいる場所に滞在で、札幌に在る…
考えてみれば…“改元”の理由として挙がる事柄が「天皇陛下崩御」というだけに絞られるようになった、明治以降の“一世一元”が定着して「一世紀半」で、「天皇陛下が退位され、新たな陛下が即位されることで改元」というのは初めてだ…古い例を詳しく調べれば、新帝即位を契機に改元というのは色々と在ったと思えるのだが、それが「ずっと前から予告」で、「新たな元号を決めました」と「事前発表」というのは、永い歴史の中で初めてだったのだと思う…
そういう「初めて!!」が色々と含まれていた訳だが…<令和元年>ということになって?何が変わったか?特段に何も変わっていないような気がする…何やら5月1日が休日になったので、ゆっくり過ごしているというだけのことだ…
昨日…ケーブルテレビで放映されていたのを録画したということで、少し前に話題になった時代モノの映画『忍びの国』を観た…
『忍びの国』に関しては、原案の小説を愉しく読んだ経過も在り、興味深く愉しく観たのだが…後から「じわり…」と気になった…
戦国時代の伊賀は、金で忍者の仕事を請け負うような人々が多く居るという国だった…何をするにしても、誰かが銭を出し、それを頂いて仕事に勤しむという訳だ…周辺の国々を制圧していた織田家の勢力が伊賀へ侵攻するということになった…指導的な立場の人達が郷土を防衛するための抗戦を呼び掛ける…で…「誰が銭を出す?」ということになり、とりあえず何処かに逃れようとする人達ばかりで、侵攻を受けた当初の伊賀側は大苦戦に陥ってしまう…
そういう状況の中、“銭”だけでもない何かに気付いて行くというような主人公達の動き、苦戦を跳ね返す秘策というのが物語の肝ということになる…
痛快で愉しい作品で、アクション描写も愉しいという映画だが…何か作中の伊賀の人達の在り方というのが…「平成の御代の人々」に重なるような気がしないでもなかったのだ…
何かにつけて…何かをやれば即座に「経済効果」を云々するというのが「平成の御代の人々」ではないだろうか?その割には、何かを「やること自体が目的で、真の目的を瞬時に見失ってしまっている」ということが在り勝ちでもある…あらゆる事柄に「銭?」と言い続けている、観た映画の作中に出て来る人達と凄く重なる…
そんな「余計な事」を何となく思いながら、少し前に話題になった映画を何となく観た訳だ…
何となく…「連休だから…一寸気分転換に…」とふらりと出ているが…その出ている時間の経過が存外に速い…
元号は変わったが…何となく早寝早起き傾向な暮らしぶりは…余り変わらない…
「変わったこと」と言えば…そういう次元の話しで、普通に「何となくぼんやりとした休日」を過ごしていたような気がする…“居候所”と呼んでいる場所に滞在で、札幌に在る…
考えてみれば…“改元”の理由として挙がる事柄が「天皇陛下崩御」というだけに絞られるようになった、明治以降の“一世一元”が定着して「一世紀半」で、「天皇陛下が退位され、新たな陛下が即位されることで改元」というのは初めてだ…古い例を詳しく調べれば、新帝即位を契機に改元というのは色々と在ったと思えるのだが、それが「ずっと前から予告」で、「新たな元号を決めました」と「事前発表」というのは、永い歴史の中で初めてだったのだと思う…
そういう「初めて!!」が色々と含まれていた訳だが…<令和元年>ということになって?何が変わったか?特段に何も変わっていないような気がする…何やら5月1日が休日になったので、ゆっくり過ごしているというだけのことだ…
昨日…ケーブルテレビで放映されていたのを録画したということで、少し前に話題になった時代モノの映画『忍びの国』を観た…
『忍びの国』に関しては、原案の小説を愉しく読んだ経過も在り、興味深く愉しく観たのだが…後から「じわり…」と気になった…
戦国時代の伊賀は、金で忍者の仕事を請け負うような人々が多く居るという国だった…何をするにしても、誰かが銭を出し、それを頂いて仕事に勤しむという訳だ…周辺の国々を制圧していた織田家の勢力が伊賀へ侵攻するということになった…指導的な立場の人達が郷土を防衛するための抗戦を呼び掛ける…で…「誰が銭を出す?」ということになり、とりあえず何処かに逃れようとする人達ばかりで、侵攻を受けた当初の伊賀側は大苦戦に陥ってしまう…
そういう状況の中、“銭”だけでもない何かに気付いて行くというような主人公達の動き、苦戦を跳ね返す秘策というのが物語の肝ということになる…
痛快で愉しい作品で、アクション描写も愉しいという映画だが…何か作中の伊賀の人達の在り方というのが…「平成の御代の人々」に重なるような気がしないでもなかったのだ…
何かにつけて…何かをやれば即座に「経済効果」を云々するというのが「平成の御代の人々」ではないだろうか?その割には、何かを「やること自体が目的で、真の目的を瞬時に見失ってしまっている」ということが在り勝ちでもある…あらゆる事柄に「銭?」と言い続けている、観た映画の作中に出て来る人達と凄く重なる…
そんな「余計な事」を何となく思いながら、少し前に話題になった映画を何となく観た訳だ…
何となく…「連休だから…一寸気分転換に…」とふらりと出ているが…その出ている時間の経過が存外に速い…
元号は変わったが…何となく早寝早起き傾向な暮らしぶりは…余り変わらない…
強風な朝…
室内に、ゆったりと淹れた気に入っている珈琲の芳香が立ち上っているという状況は、安堵感のようなモノを覚えるのだが…今朝はその安堵感のようなモノが殊更に大きいように思う…何やら…空気感が不穏なのである…
天候は悪くない…空は明るく、雲が多い部分を通り過ぎた朝陽が光を放っている…そういう状態の他方で、何やら風が酷く強い…風によって生じる音…何かの隙間を吹き抜ける時の「ヒューッ!」という類の音や、何かに風がぶつかっているような「ゴーッ!」という類の音や、風で動いているモノがぶつかって生じるような雑多な音が混じり合う…各種の音の“協奏”のような按配だ…
玄関前で戸外の様子を伺ってみたが…強い風は少々冷たいので、戸外の体感は「雪でも降り始めそう…」という時季に感じるような感覚かもしれない…出掛ける際には、積雪期に着用する場合も在るようなジャケットで出掛けるのが好いような気がした…
こういう有様では…風の“協奏”が聞こえる中、室内で珈琲でも啜るというのが好いのかもしれない…今朝は<エチオピア モカ ラデュース>だ…
<エチオピア モカ ラデュース>は、以前に利用した経過も在ったが、名古屋の業者から取り寄せた…好いモノを色々と送り出している感じの業者で、拙宅で使う珈琲豆を発注する何社かの中に確り数えている感じだ…勝手なイメージだが…名古屋辺りは喫茶業界が活発で、珈琲を売る業者も色々と活発に活動しているのかもしれない…
その名古屋…2月末、3月末と慌ただしく立ち寄った街だ…移動の途中に泊まったという形であったが、然程時間を過ごしたのでもない…そういうことなので「次に機会が在れば…」と周辺の色々なモノに関する話しのタネに耳目が向いてしまう…
結局、「一寸行ってみたい…」という場所が多く在り過ぎ、同時に「やや不慣れな地域を列車等で動き回ること自体が一寸愉しい」ということが手伝って、この名古屋のように「何となく通り過ぎて…」という場所が、設けた旅の時間の中で「殆ど“必ず”」という程度に生じてしまう。かなり古くから変わらない「私の少々独特な傾向」というものである…
そんなことも在って、「何となく気に入ったエリア」に何度も足を運んで、“隙間”を色々なパターンで繋ぎ合わせるかのように巡るというようなことを、最近は少し多くやっているかもしれない…
「何となく気に入ったエリアに何度も」という他方、全然足を運んだことが無い場所や、「本当に通り過ぎただけ…」で足を運んでいないも同然の場所というのが、日本国内だけでも多々在る…そんな場所を「何時か訪ねよう…」と色々考えるのも、それはそれで愉しいとは思うが…
3月末から4月には…「足を運んでいないも同然の場所」と「何となく気に入ったエリア」とを組み合わせて、“隙間”を色々なパターンで繋ぎ合わせるかのように巡るということをやっていた…静岡県や三重県は「足を運んでいないも同然の場所」で、奈良県、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県は「何となく気に入ったエリア」ということになる訳だ…
こういうような旅に、早くも「また出たい…」という欲求が沸き上がってはいるが…来る連休は、既に方々が混み合って、手配可能にしても割高なので、何となく「諦めムード」になってしまっている…
「一寸、何処かへ…」というようなことは、何時なりと、可能な時に可能なように時間を設けて実現すればそれで好いことで、特段に「〇月でなければ!!」という拘りもないことから、「追って色々と考えていることを現実化…」で差し支えないように思う…
そんなことを思っている間に…珈琲を注いだ“NARA”のカップが空いたが…強風な感じは続いている…
天候は悪くない…空は明るく、雲が多い部分を通り過ぎた朝陽が光を放っている…そういう状態の他方で、何やら風が酷く強い…風によって生じる音…何かの隙間を吹き抜ける時の「ヒューッ!」という類の音や、何かに風がぶつかっているような「ゴーッ!」という類の音や、風で動いているモノがぶつかって生じるような雑多な音が混じり合う…各種の音の“協奏”のような按配だ…
玄関前で戸外の様子を伺ってみたが…強い風は少々冷たいので、戸外の体感は「雪でも降り始めそう…」という時季に感じるような感覚かもしれない…出掛ける際には、積雪期に着用する場合も在るようなジャケットで出掛けるのが好いような気がした…
こういう有様では…風の“協奏”が聞こえる中、室内で珈琲でも啜るというのが好いのかもしれない…今朝は<エチオピア モカ ラデュース>だ…
<エチオピア モカ ラデュース>は、以前に利用した経過も在ったが、名古屋の業者から取り寄せた…好いモノを色々と送り出している感じの業者で、拙宅で使う珈琲豆を発注する何社かの中に確り数えている感じだ…勝手なイメージだが…名古屋辺りは喫茶業界が活発で、珈琲を売る業者も色々と活発に活動しているのかもしれない…
その名古屋…2月末、3月末と慌ただしく立ち寄った街だ…移動の途中に泊まったという形であったが、然程時間を過ごしたのでもない…そういうことなので「次に機会が在れば…」と周辺の色々なモノに関する話しのタネに耳目が向いてしまう…
結局、「一寸行ってみたい…」という場所が多く在り過ぎ、同時に「やや不慣れな地域を列車等で動き回ること自体が一寸愉しい」ということが手伝って、この名古屋のように「何となく通り過ぎて…」という場所が、設けた旅の時間の中で「殆ど“必ず”」という程度に生じてしまう。かなり古くから変わらない「私の少々独特な傾向」というものである…
そんなことも在って、「何となく気に入ったエリア」に何度も足を運んで、“隙間”を色々なパターンで繋ぎ合わせるかのように巡るというようなことを、最近は少し多くやっているかもしれない…
「何となく気に入ったエリアに何度も」という他方、全然足を運んだことが無い場所や、「本当に通り過ぎただけ…」で足を運んでいないも同然の場所というのが、日本国内だけでも多々在る…そんな場所を「何時か訪ねよう…」と色々考えるのも、それはそれで愉しいとは思うが…
3月末から4月には…「足を運んでいないも同然の場所」と「何となく気に入ったエリア」とを組み合わせて、“隙間”を色々なパターンで繋ぎ合わせるかのように巡るということをやっていた…静岡県や三重県は「足を運んでいないも同然の場所」で、奈良県、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県は「何となく気に入ったエリア」ということになる訳だ…
こういうような旅に、早くも「また出たい…」という欲求が沸き上がってはいるが…来る連休は、既に方々が混み合って、手配可能にしても割高なので、何となく「諦めムード」になってしまっている…
「一寸、何処かへ…」というようなことは、何時なりと、可能な時に可能なように時間を設けて実現すればそれで好いことで、特段に「〇月でなければ!!」という拘りもないことから、「追って色々と考えていることを現実化…」で差し支えないように思う…
そんなことを思っている間に…珈琲を注いだ“NARA”のカップが空いたが…強風な感じは続いている…
「中身」…
少し陽射しが入り込んでいる室内に珈琲の芳香が…好い感じである…
<エチオピア モカ ラデュース>…エチオピアのモカのブレンド…久し振りに、これを扱っている名古屋の業者から取り寄せた。
“中深煎り”という、日本国内の喫茶店でポピュラーな程度のロースト…「業務用」と称していて、少し纏まった量が安価に入手出来る…そんな<エチオピア モカ ラデュース>をゆったりと淹れている朝だ…グラインダーで豆を挽き、湯を沸かしてハンドドリップである…
色々と愉しみな事が多い中で、ゆったりと珈琲を淹れてみることも愉しむといおう場合も在るかもしれないが…他に「愉しみ」という程のことも見当たらない中、ゆったりと珈琲を淹れると妙に愉しいということもあるかもしれない…昨今の状況は?後者に寄っている感じか?
何れでも構わないが、何となく<NARA>という、奈良の旧駅舎を利用した観光案内所にテナント入居している有名チェーンカフェの大き目なカップに、淹れてみた珈琲を注いでゆっくり頂く朝というものは好い…
最近、「気付いた」というのか「気になった」のだが…清酒の入った“一升瓶”は何処の地域の何れの酒造会社のモノであっても、型や大きさに然程の違いは無いように見えるが…“四合瓶”になると、酒造会社毎に「型の好み」のようなモノが在るようで、或る会社のモノが細長い他方、別の会社のモノが太目で背が低いというような差異が存外在るようだ…
3月末から4月冒頭に方々を巡った中、奈良県宇陀市内、大阪府高槻市内、兵庫県神戸市内と各地で“四合瓶”に入った清酒等を求めて拙宅に送り込んだ…それを順次「開けて」は「空けて」いる訳だが…そんな中で「あれ??」と同じ容量のボトルでも形が違う場合が存外に在ることに気付いた訳だ…「だから?」という話しだ。こういうモノは、中身が美味ければ、それで好いのだから…
清酒は「中身が美味ければそれで好い」という側面も在ろうが、それでも酒造会社や立地する地域のイメージ、製品の雰囲気等という色々な要素も在って、そういうことで用いるボトルが、同じ容量でも感じが違うということも在るのであろう…偶々、例えば「A社のXXとB社のYY」という具合に、立て続けに試して、味の違い等を愉しみながらボトルの形状やラベルを眺めると、会社が打ち出したいイメージのようなモノを強く感じることも出来るのかもしれない。そうやって考える中…「これは?或る時期に、現在の規格の“四合瓶”が偶々在って…偶々使って…そして現在に至る?」というような“偶然説”に行き当ってしまう場合も無くはないが…
酒類が収まった美しい容器が並ぶ様を眺めるような…「外見の好さ」というものも大切かもしれないのだが…それでも「中身の味」は更に大切ではないだろうか?最近…そういうようなことを何となく思う場合が多い…
そんなことを考えていた間に…<エチオピア モカ ラデュース>のカップが空になった…
<エチオピア モカ ラデュース>…エチオピアのモカのブレンド…久し振りに、これを扱っている名古屋の業者から取り寄せた。
“中深煎り”という、日本国内の喫茶店でポピュラーな程度のロースト…「業務用」と称していて、少し纏まった量が安価に入手出来る…そんな<エチオピア モカ ラデュース>をゆったりと淹れている朝だ…グラインダーで豆を挽き、湯を沸かしてハンドドリップである…
色々と愉しみな事が多い中で、ゆったりと珈琲を淹れてみることも愉しむといおう場合も在るかもしれないが…他に「愉しみ」という程のことも見当たらない中、ゆったりと珈琲を淹れると妙に愉しいということもあるかもしれない…昨今の状況は?後者に寄っている感じか?
何れでも構わないが、何となく<NARA>という、奈良の旧駅舎を利用した観光案内所にテナント入居している有名チェーンカフェの大き目なカップに、淹れてみた珈琲を注いでゆっくり頂く朝というものは好い…
最近、「気付いた」というのか「気になった」のだが…清酒の入った“一升瓶”は何処の地域の何れの酒造会社のモノであっても、型や大きさに然程の違いは無いように見えるが…“四合瓶”になると、酒造会社毎に「型の好み」のようなモノが在るようで、或る会社のモノが細長い他方、別の会社のモノが太目で背が低いというような差異が存外在るようだ…
3月末から4月冒頭に方々を巡った中、奈良県宇陀市内、大阪府高槻市内、兵庫県神戸市内と各地で“四合瓶”に入った清酒等を求めて拙宅に送り込んだ…それを順次「開けて」は「空けて」いる訳だが…そんな中で「あれ??」と同じ容量のボトルでも形が違う場合が存外に在ることに気付いた訳だ…「だから?」という話しだ。こういうモノは、中身が美味ければ、それで好いのだから…
清酒は「中身が美味ければそれで好い」という側面も在ろうが、それでも酒造会社や立地する地域のイメージ、製品の雰囲気等という色々な要素も在って、そういうことで用いるボトルが、同じ容量でも感じが違うということも在るのであろう…偶々、例えば「A社のXXとB社のYY」という具合に、立て続けに試して、味の違い等を愉しみながらボトルの形状やラベルを眺めると、会社が打ち出したいイメージのようなモノを強く感じることも出来るのかもしれない。そうやって考える中…「これは?或る時期に、現在の規格の“四合瓶”が偶々在って…偶々使って…そして現在に至る?」というような“偶然説”に行き当ってしまう場合も無くはないが…
酒類が収まった美しい容器が並ぶ様を眺めるような…「外見の好さ」というものも大切かもしれないのだが…それでも「中身の味」は更に大切ではないだろうか?最近…そういうようなことを何となく思う場合が多い…
そんなことを考えていた間に…<エチオピア モカ ラデュース>のカップが空になった…
穏やかな朝…
窓から朝陽の光が射し込む室内で、何となくゆっくりと珈琲を啜る朝…好い感じだ…陽が高くなり始める頃の様子を戸外で眺めてもみたが…その陽がやや高くなり、室内に射し込む光は温かく柔らかいような気がする…
<TOKYO ROAST>の芳香が好い…「濃い味の珈琲」と日本国内で言った場合に思い浮かべるような按配…と言って、所謂「強めな焙煎」という程度でもないロースト…インドネシアやコロンビアの豆をブレンドしたモノであるようだ…スッキリと適度に苦い…
何時の間にか金曜日になっていた…特に待ち望んでいたのでもなく…忌避していたのでもないが…淡々と時間経過しているという感だ…
先週は?神戸に在って、北上のフライトを利用すべく待機で、そのフライトを順調に利用し、やがて列車で旭川に入って、宿に備わった大浴場を利用して休んだ…そんなことだったが…今週は「どうでもいいような平日」である…
最近は…先週に撮ったモノ等、写真の整理をゆっくりとやっているか、さもなければ読書に興じるかというような感で過ごしていることが多い…他に…何箇所かから仕入れていた清酒類を愉しむか、珈琲を淹れるかという按配か…
このところ…「十連休は?」ということが話題になるが…早くから何らかの準備をしていたのでもなく…他方、3月最初頃の時点で「全く別なイメージ」を持っていたという側面も在る訳で…特段の準備や計画は無い…何処へ行くのも交通機関が混み合い、行った先でも混み合っているという状況も想像に難くない中…「敢えて何をするというのでもない…」という過ごし方にするのが面白いのかもしれない…
何時の間にか4月に入っていたが…今日は早くも12日だ…
<TOKYO ROAST>の芳香が好い…「濃い味の珈琲」と日本国内で言った場合に思い浮かべるような按配…と言って、所謂「強めな焙煎」という程度でもないロースト…インドネシアやコロンビアの豆をブレンドしたモノであるようだ…スッキリと適度に苦い…
何時の間にか金曜日になっていた…特に待ち望んでいたのでもなく…忌避していたのでもないが…淡々と時間経過しているという感だ…
先週は?神戸に在って、北上のフライトを利用すべく待機で、そのフライトを順調に利用し、やがて列車で旭川に入って、宿に備わった大浴場を利用して休んだ…そんなことだったが…今週は「どうでもいいような平日」である…
最近は…先週に撮ったモノ等、写真の整理をゆっくりとやっているか、さもなければ読書に興じるかというような感で過ごしていることが多い…他に…何箇所かから仕入れていた清酒類を愉しむか、珈琲を淹れるかという按配か…
このところ…「十連休は?」ということが話題になるが…早くから何らかの準備をしていたのでもなく…他方、3月最初頃の時点で「全く別なイメージ」を持っていたという側面も在る訳で…特段の準備や計画は無い…何処へ行くのも交通機関が混み合い、行った先でも混み合っているという状況も想像に難くない中…「敢えて何をするというのでもない…」という過ごし方にするのが面白いのかもしれない…
何時の間にか4月に入っていたが…今日は早くも12日だ…
穏やかな朝に…
「些かのカロリーが在る麻酔」…酒類のことをこのように称することも在るかもしれない…昨夕は些か嗜んで、多分午後11時近くになり、何か「そのまま…」という感じで眠りに落ち、気付けば午前5時前だった…
全く「些かのカロリーが在る麻酔」という按配で、「多分、この街で売っているのはここ位?」という東京の浅草からやって来た<電気ブラン>と、道内の銘酒<国稀>を頂き、何やら「あれ!」、「それ!」と様々な串焼きを頂くなどして、友人達と一時を過ごした訳である…
迎えた朝は穏やかな感じだ…
穏やかな朝には…珈琲でも淹れるのが好い…<エチオピア>の芳香が室内に立ち込めている…
<エチオピア>は、神戸メリケンパークで立寄ったカフェのチェーン店で売られている豆で、もう一つ別なモノも在るのだが…今般、追加で何処かから豆を仕入れておくということも必要かもしれない…
当面…個人的な“課題”は、最近多く撮って未整理な写真を整理するというようなことだ…とりあえずSDカードに入ったままのデータをパソコンに出してチェックして、ウェブギャラリーに出すようにする、または気に入ったモノに関して備忘録的意味合いを込めたコメントを添えて記事的にしておく…そういう感か…
昨日御一緒した友人の一人が、拙作写真を視て、偶々持っているカメラを有効活用すべく撮影を積極的にやってみたいというようなことを言っていて、何やら写真談議に及んだが…同好の士が増えるのは好いことだ…そして、方々を動き回って写真を撮ってみるようなことは「非常に手軽で凄く楽しい」という営為だと思う…
随分以前に「写真が面白い…」と思い始めて、色々な場所に出掛けてドンドン撮ってみていたような頃は…「フィルムを仕入れて、撮影後に現像プリント」ということで、手間や経費がかなり発生したが…「デジタル」では、データ整理の手間が生じるばかり…そして機材を入手する経費は要るが…道具は積極的にドンドン使うのなら、入手経費程度の働きは直ぐにしてくれる筈で、損は無いと思うのだ…最近主に愛用中の2台カメラや交換レンズは、自身にとって「少しだけ思い切った買物」ではあったと思うが、「出費以上の歓び」をもたらしてくれていると思っている…
「デジタル」になって「フィルムを仕入れて、撮影後に現像プリント」は原則的に無用とはなった…が、それでも気に入ったモノをプリントするとか、“フォトブック”にでも纏めてみるということは出来る…時間的な制約等で、然程積極的にそういうことをやっていなかった期間が続いているが…「そういうことでもやろうか?」と思い付き始めている…
穏やかな朝に…珈琲の芳香が立ち上る中で、こういう愉しいことを思うのは悪くない…
全く「些かのカロリーが在る麻酔」という按配で、「多分、この街で売っているのはここ位?」という東京の浅草からやって来た<電気ブラン>と、道内の銘酒<国稀>を頂き、何やら「あれ!」、「それ!」と様々な串焼きを頂くなどして、友人達と一時を過ごした訳である…
迎えた朝は穏やかな感じだ…
穏やかな朝には…珈琲でも淹れるのが好い…<エチオピア>の芳香が室内に立ち込めている…
<エチオピア>は、神戸メリケンパークで立寄ったカフェのチェーン店で売られている豆で、もう一つ別なモノも在るのだが…今般、追加で何処かから豆を仕入れておくということも必要かもしれない…
当面…個人的な“課題”は、最近多く撮って未整理な写真を整理するというようなことだ…とりあえずSDカードに入ったままのデータをパソコンに出してチェックして、ウェブギャラリーに出すようにする、または気に入ったモノに関して備忘録的意味合いを込めたコメントを添えて記事的にしておく…そういう感か…
昨日御一緒した友人の一人が、拙作写真を視て、偶々持っているカメラを有効活用すべく撮影を積極的にやってみたいというようなことを言っていて、何やら写真談議に及んだが…同好の士が増えるのは好いことだ…そして、方々を動き回って写真を撮ってみるようなことは「非常に手軽で凄く楽しい」という営為だと思う…
随分以前に「写真が面白い…」と思い始めて、色々な場所に出掛けてドンドン撮ってみていたような頃は…「フィルムを仕入れて、撮影後に現像プリント」ということで、手間や経費がかなり発生したが…「デジタル」では、データ整理の手間が生じるばかり…そして機材を入手する経費は要るが…道具は積極的にドンドン使うのなら、入手経費程度の働きは直ぐにしてくれる筈で、損は無いと思うのだ…最近主に愛用中の2台カメラや交換レンズは、自身にとって「少しだけ思い切った買物」ではあったと思うが、「出費以上の歓び」をもたらしてくれていると思っている…
「デジタル」になって「フィルムを仕入れて、撮影後に現像プリント」は原則的に無用とはなった…が、それでも気に入ったモノをプリントするとか、“フォトブック”にでも纏めてみるということは出来る…時間的な制約等で、然程積極的にそういうことをやっていなかった期間が続いているが…「そういうことでもやろうか?」と思い付き始めている…
穏やかな朝に…珈琲の芳香が立ち上る中で、こういう愉しいことを思うのは悪くない…
青葉横丁…<静岡おでん>…:静岡(2019.03.30)
ユジノサハリンスク空港からウラジオストク空港での乗換を経て成田空港へ上陸…安価で居心地の好さそうな一夜の宿を求め…何気なく「例えば静岡?」と調べると…週末、月末、年度末でありながら…希望していた感じの場所が見付かった…
というだけのことで静岡に辿り着いた…着いた時点で、小雨が交じったが、曇天の夕べという感で静岡である…列車での移動に際して通り過ぎてばかりいた静岡駅で初めて下車し、街に出た訳だ…
↓こういう場所が在る…

↑青葉横丁と称する…小ぶりな感じの、おでんの店ばかりが集まっている。静岡では「一寸した、立寄りたいスポット」になっているようだ…
↓満席または混み合っている店が目立った中、とりあえず座れる感じだったので御邪魔した店だ…

↑何処もこういうような感じの入口で、カウンターが設えられていて、おでん等を頂く…
↓静岡県内で醸されているという<正雪>という清酒を一杯頂きながら、おでんを摘んだ…

こういう場所は好い…地元の方達…店主氏や居合わせた方と色々とお話しをしながら、一人で立寄っても存外に愉しく過ごすことが叶うのだ。
↓見た目が「黒!!」という出汁で煮るおでん…店主氏によれば、静岡の流儀では「出汁を啜る」ということはせず、串に刺した具を皿に盛ってドンドン頂くということなのだ…

↑“牛すじ”、“しのだ巻き”、“しらやき(しろ)”、“ちくわ”…色々と在る<静岡おでん>から…“出汁粉”と呼ばれている調味料をやや多めに振掛けるのが静岡の流儀らしい…(他にも色々頂いたが…居合わせた方と話しが弾んでドンドン頂いていたので、写真は撮っていない…)
「黒!!」という出汁の見た目だが…色々な具材の内容物の味が混ざり合った、存外にマイルドな感じの味わいで、ドンドン頂くことが出来てしまう…
静岡県内でも「富士川と大井川の間」という位、静岡市を中心とするエリアで普及していて親しまれているモノで、年中愉しむモノなのだそうだ…青葉横丁の各店は冷暖房完備で、夏も冷房を利かせて、中でおでんを肴に飲むのが普通らしい…そしてこれは「駄菓子屋の定番」だったという経過も在るという「おやつの替り」で子ども達も頂くモノだというのだ…
ここへ寄る前に道草した店で流れていたテレビに県内の天気予報が流れていた。東部、中部、西部、伊豆というように地方を分けていたが、静岡県は東西にかなり広く、加えて伊豆半島も在って地域毎に天候等も違う…そして東京電力のエリアと中部電力のエリアが県内に混在しているというように「東京圏寄り」なエリアも「名古屋圏寄り」なエリアも在る。旧国名で言えば駿河、遠江、伊豆と3国が合わさっている…伝統や文物も、人々の嗜好や性格も、その他色々も多様な県なのだという…
↓それにしても、この<静岡おでん>は好かった!!

↑「一寸…」と一定頻度で立寄って愉しむことが叶うような、手頃な感じのモノでもある…
折角に設けてみた“時間”を過ごそうとしている「初日の夕べ」…なかなかに好い感じで、縁がやや薄かった静岡県と出会ったという感である…
というだけのことで静岡に辿り着いた…着いた時点で、小雨が交じったが、曇天の夕べという感で静岡である…列車での移動に際して通り過ぎてばかりいた静岡駅で初めて下車し、街に出た訳だ…
↓こういう場所が在る…

↑青葉横丁と称する…小ぶりな感じの、おでんの店ばかりが集まっている。静岡では「一寸した、立寄りたいスポット」になっているようだ…
↓満席または混み合っている店が目立った中、とりあえず座れる感じだったので御邪魔した店だ…

↑何処もこういうような感じの入口で、カウンターが設えられていて、おでん等を頂く…
↓静岡県内で醸されているという<正雪>という清酒を一杯頂きながら、おでんを摘んだ…

こういう場所は好い…地元の方達…店主氏や居合わせた方と色々とお話しをしながら、一人で立寄っても存外に愉しく過ごすことが叶うのだ。
↓見た目が「黒!!」という出汁で煮るおでん…店主氏によれば、静岡の流儀では「出汁を啜る」ということはせず、串に刺した具を皿に盛ってドンドン頂くということなのだ…

↑“牛すじ”、“しのだ巻き”、“しらやき(しろ)”、“ちくわ”…色々と在る<静岡おでん>から…“出汁粉”と呼ばれている調味料をやや多めに振掛けるのが静岡の流儀らしい…(他にも色々頂いたが…居合わせた方と話しが弾んでドンドン頂いていたので、写真は撮っていない…)
「黒!!」という出汁の見た目だが…色々な具材の内容物の味が混ざり合った、存外にマイルドな感じの味わいで、ドンドン頂くことが出来てしまう…
静岡県内でも「富士川と大井川の間」という位、静岡市を中心とするエリアで普及していて親しまれているモノで、年中愉しむモノなのだそうだ…青葉横丁の各店は冷暖房完備で、夏も冷房を利かせて、中でおでんを肴に飲むのが普通らしい…そしてこれは「駄菓子屋の定番」だったという経過も在るという「おやつの替り」で子ども達も頂くモノだというのだ…
ここへ寄る前に道草した店で流れていたテレビに県内の天気予報が流れていた。東部、中部、西部、伊豆というように地方を分けていたが、静岡県は東西にかなり広く、加えて伊豆半島も在って地域毎に天候等も違う…そして東京電力のエリアと中部電力のエリアが県内に混在しているというように「東京圏寄り」なエリアも「名古屋圏寄り」なエリアも在る。旧国名で言えば駿河、遠江、伊豆と3国が合わさっている…伝統や文物も、人々の嗜好や性格も、その他色々も多様な県なのだという…
↓それにしても、この<静岡おでん>は好かった!!

↑「一寸…」と一定頻度で立寄って愉しむことが叶うような、手頃な感じのモノでもある…
折角に設けてみた“時間”を過ごそうとしている「初日の夕べ」…なかなかに好い感じで、縁がやや薄かった静岡県と出会ったという感である…
一寸思い出したことから…
穏やかな天候の朝を迎えた…
少し前に、京阪電車の1日乗車券を手に、利用可能なエリアを巡ってみたことが在った…
この1日乗車券で乗車してみたかったのは、京都の地下鉄に乗り入れている区間から地上に出て琵琶湖に近い浜大津との間を往来する京津線と、浜大津の南に在る石山寺、北に在る坂本比叡山口との間を往来する石山坂本線とであった。
京津線は京都の地下鉄より小柄な4輛編成の電車が、大津市内の路上、併用軌道の区間に飛び出して“路面電車”の様相を呈するのが面白い…石山坂本線は、可愛らしい2輛編成の電車が有名な社寺も沿線に多いような場所をゆったりと往来しているのが好ましい…
この京津線で浜大津に入り、南寄りへ、北寄りへ往来して建部大社や日吉大社を訪ねてみたのだった…
建部大社の辺りから北上しようとした際には、「カメラ提げている?写真撮る?今日は写真を撮るには好い日和だね…ところで、妙に重そうな荷物持って?」とホームで出くわした、話し好きそうな地元のおっちゃんに話し掛けられたりした。日吉大社の辺りでは、“茶店”風な売店で大津市内で醸している清酒を一杯だけ頂き、店のおばちゃんと愉しく話した。何やら「気侭な一人旅を随意に楽しむ」という風情が溢れる好い時間を心地好かった陽射しの中に過ごし、早くも「酷く懐かしい…」という想いさえ湧き起こる…
この京阪の車輛の車内…様々な広告や、広告のようなモノが掲出されている。沿線の様々なサービスの宣伝の他、乗車マナー啓発や、電車に乗る乗客に向けた情報提供や、沿線での催事の案内のようなモノ等、色々と在った。
そんな中に…「地元の生徒や学生や愛好家から募った、短歌か俳句だろうか?」というようなモノが紹介されているのを眼に留めた。俵万智…短歌に親しんでいるでもない私でも名前位は聞いている歌人が、審査員代表のコメントも寄せていた。
何気なく眼に留めたのは…「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」という作品だった…
何か惹かれた作品だったのだが…短歌にしても俳句にしても、文字数が何となく合わない…
↓気になって調べると…こういう活動が在って、惹かれた作品は“第12回”の入賞作品の1つだったようだ…
>>電車と青春21文字のメッセージ
石山坂本線には駅が21在るそうだ。これに因み、「21文字」ということで、短歌や俳句に準じた作品を毎年募っていて、面白い作品を選んで表彰という活動が続いているのだという。石山坂本線の雰囲気が「青春っぽい」という大津市内の中学生が言っていたという話しも在ったらしく、<青春21文字のメッセージ>と銘打って、生徒や学生や愛好家の作品を募っているようだ。「21文字」というのは?「独自な文芸」ということになるであろう…
眼に留めた「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」という作品が登場した事情は判った…
それにしても…電車に乗り込んで、とりあえず何かを読むというようなことは古くからよく在ることな訳だが…最近は…「考えてみると、少々不気味ではないか?」という程度に、誰も彼もが下を向いてスマートホンの画面に見入っている…何となく手持ち無沙汰な電車の中に限らず…「何処でも?!」という感じかもしれない…
「車窓の外」?石山坂本線は、特段に雄大な風景や、何かの景勝地が鮮やかに視えるというようなことでもないかもしれない…が、永い人々の営みが折り重なって現在に至っている街並みが在り、視ていれば「小さな発見」は多々在る筈であろう…
そういうことは、別段に石山坂本線に限った話しでもないとは思う。「どうでもいいかもしれないこと」である可能性も大きいとは思えるのだが…日々「小さな発見」のようなモノを追ってみるというようなことも、悪くは無いような気がする。
この「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」からは…「ずうっと下を向いたままに車内に在る」という状態にはなり悪い状態になってしまった或る時、顔を挙げて窓の外を視て「何かに気付いた?!」という様子が伝わる…
自身では時々何処かへ出掛けて、この京阪電車でもないが、繰り返した旅行で馴染んだような、或いは利用機会が極々限定的であるためになかなか馴染めないような、方々の公共交通機関でふらりと移動することを好む…そんな時、座って眠ってしまう場合も在るが、外を漫然と眺めていることが多い…誰も彼もが下を向いてスマートホンの画面に見入っている中、「愉しい!!」という感じで外を視ていると、「あの辺りに不審者が約一名…」という程度に、当該の乗物に乗り合わせた他の乗客達に思われているかもしれないが…それでも「小さな発見」の想い出を重ねることに“価値”を感じる。
これは“旅”に限ったことでもない…「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」の作者が、日頃の通学か通勤かで利用する路線の列車で、偶々顔を挙げて窓の外を視て「何かに気付いた?!」という様子のように…「小さな発見」の機会は、毎日の暮らしの中に無制限に横たわっている筈なのだ…
そんな訳で…「下ばかり向く」のでもなく、「一寸外を眺めよう」ということの“価値”に、この「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」が改めて気付かせてくれたのだ!
因みに…自身はタッチパネルの画面が何となく苦手で…スマートホンは常用していない…そして所有もしていない…そういうことで、何か“非主流”的、“反主流”的な立場かも知れないが…しかし「下ばかり向く」というようなことで、「見逃してしまっている何か」は各地に広く多く在って、「膨大な遺失利益」のようになってしまっているような気がしてならないのだ…
少し前に、京阪電車の1日乗車券を手に、利用可能なエリアを巡ってみたことが在った…
この1日乗車券で乗車してみたかったのは、京都の地下鉄に乗り入れている区間から地上に出て琵琶湖に近い浜大津との間を往来する京津線と、浜大津の南に在る石山寺、北に在る坂本比叡山口との間を往来する石山坂本線とであった。
京津線は京都の地下鉄より小柄な4輛編成の電車が、大津市内の路上、併用軌道の区間に飛び出して“路面電車”の様相を呈するのが面白い…石山坂本線は、可愛らしい2輛編成の電車が有名な社寺も沿線に多いような場所をゆったりと往来しているのが好ましい…
この京津線で浜大津に入り、南寄りへ、北寄りへ往来して建部大社や日吉大社を訪ねてみたのだった…
建部大社の辺りから北上しようとした際には、「カメラ提げている?写真撮る?今日は写真を撮るには好い日和だね…ところで、妙に重そうな荷物持って?」とホームで出くわした、話し好きそうな地元のおっちゃんに話し掛けられたりした。日吉大社の辺りでは、“茶店”風な売店で大津市内で醸している清酒を一杯だけ頂き、店のおばちゃんと愉しく話した。何やら「気侭な一人旅を随意に楽しむ」という風情が溢れる好い時間を心地好かった陽射しの中に過ごし、早くも「酷く懐かしい…」という想いさえ湧き起こる…
この京阪の車輛の車内…様々な広告や、広告のようなモノが掲出されている。沿線の様々なサービスの宣伝の他、乗車マナー啓発や、電車に乗る乗客に向けた情報提供や、沿線での催事の案内のようなモノ等、色々と在った。
そんな中に…「地元の生徒や学生や愛好家から募った、短歌か俳句だろうか?」というようなモノが紹介されているのを眼に留めた。俵万智…短歌に親しんでいるでもない私でも名前位は聞いている歌人が、審査員代表のコメントも寄せていた。
何気なく眼に留めたのは…「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」という作品だった…
何か惹かれた作品だったのだが…短歌にしても俳句にしても、文字数が何となく合わない…
↓気になって調べると…こういう活動が在って、惹かれた作品は“第12回”の入賞作品の1つだったようだ…
>>電車と青春21文字のメッセージ
石山坂本線には駅が21在るそうだ。これに因み、「21文字」ということで、短歌や俳句に準じた作品を毎年募っていて、面白い作品を選んで表彰という活動が続いているのだという。石山坂本線の雰囲気が「青春っぽい」という大津市内の中学生が言っていたという話しも在ったらしく、<青春21文字のメッセージ>と銘打って、生徒や学生や愛好家の作品を募っているようだ。「21文字」というのは?「独自な文芸」ということになるであろう…
眼に留めた「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」という作品が登場した事情は判った…
それにしても…電車に乗り込んで、とりあえず何かを読むというようなことは古くからよく在ることな訳だが…最近は…「考えてみると、少々不気味ではないか?」という程度に、誰も彼もが下を向いてスマートホンの画面に見入っている…何となく手持ち無沙汰な電車の中に限らず…「何処でも?!」という感じかもしれない…
「車窓の外」?石山坂本線は、特段に雄大な風景や、何かの景勝地が鮮やかに視えるというようなことでもないかもしれない…が、永い人々の営みが折り重なって現在に至っている街並みが在り、視ていれば「小さな発見」は多々在る筈であろう…
そういうことは、別段に石山坂本線に限った話しでもないとは思う。「どうでもいいかもしれないこと」である可能性も大きいとは思えるのだが…日々「小さな発見」のようなモノを追ってみるというようなことも、悪くは無いような気がする。
この「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」からは…「ずうっと下を向いたままに車内に在る」という状態にはなり悪い状態になってしまった或る時、顔を挙げて窓の外を視て「何かに気付いた?!」という様子が伝わる…
自身では時々何処かへ出掛けて、この京阪電車でもないが、繰り返した旅行で馴染んだような、或いは利用機会が極々限定的であるためになかなか馴染めないような、方々の公共交通機関でふらりと移動することを好む…そんな時、座って眠ってしまう場合も在るが、外を漫然と眺めていることが多い…誰も彼もが下を向いてスマートホンの画面に見入っている中、「愉しい!!」という感じで外を視ていると、「あの辺りに不審者が約一名…」という程度に、当該の乗物に乗り合わせた他の乗客達に思われているかもしれないが…それでも「小さな発見」の想い出を重ねることに“価値”を感じる。
これは“旅”に限ったことでもない…「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」の作者が、日頃の通学か通勤かで利用する路線の列車で、偶々顔を挙げて窓の外を視て「何かに気付いた?!」という様子のように…「小さな発見」の機会は、毎日の暮らしの中に無制限に横たわっている筈なのだ…
そんな訳で…「下ばかり向く」のでもなく、「一寸外を眺めよう」ということの“価値”に、この「スマホを忘れた日、車窓の外を初めて見た日」が改めて気付かせてくれたのだ!
因みに…自身はタッチパネルの画面が何となく苦手で…スマートホンは常用していない…そして所有もしていない…そういうことで、何か“非主流”的、“反主流”的な立場かも知れないが…しかし「下ばかり向く」というようなことで、「見逃してしまっている何か」は各地に広く多く在って、「膨大な遺失利益」のようになってしまっているような気がしてならないのだ…
休日の時間に…
冷蔵庫に冷やして在った<ミリンダ>が酷く美味い…オレンジ味の炭酸…どうということもないのだが…
稚内の拙宅では、引っ越した際に「四半世紀程経過していた代物…」の冷蔵庫を始末し、「そのうちに新しいモノを…」と思って、結局求めることなく数年が経過した…「部屋に冷蔵庫すら無い…空っぽな人生…」と戯れ交じりに嘯くのが常だが…
ユジノサハリンスクで「居室の冷蔵庫に置いた清涼飲料を愉しむ」ということが常態化したことを踏まえ、稚内の居室に冷蔵庫を用意することを考えないでもないのだが…稚内の居室では珈琲豆を仕入れて、居室に在るグラインダーで挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れるという愉しみが在る…
先日…そういうような話しをしていたら、話していた相手に問われた…「部屋に冷蔵庫が無い?他方で珈琲の豆を挽く道具は在る??」と驚かれた…確かに「モノの必要度、需要の高さ」の「一般的な感じ」を度外視した在り方かもしれない…だが…随分と古くから、「一般的な感じ」らしきモノに然程の関心を寄せないというのが、自身の流儀で、そういうのが染着いているのかもしれない…
実は…「部屋に冷蔵庫が無い?他方で珈琲の豆を挽く道具は在る??」と驚かれるまで、稚内の拙宅の状況に関して、然程不自然とも感じていなかったのだ…永い間、「他所は他所…自分の所は自分の所…」と考えて来た結果に過ぎない…
3月14日にユジノサハリンスクに入った…そして直ぐに週末になり、また週が明けて日々を過ごし、2回目の週末に入っている…何処となく「落ち着いた」ような気はしている…が…次の週末に関しては、「何処に在って、何をしているものか?」という状況になって来ている…
「先の事」は「なるようにしかならない…」ととりあえず然程考えないようにして…何となく落ち着いた状況の中でゆったりと過ごしている。こういうのは好い…
今日の様子だが…3月20日から3月22日の様子は「何だったのか?!」と思える程度に、穏やかな好天である。何となく時々思う「旅行時の天候運が悪い人が、寒さやら降雪という現象に追い掛けられ、この辺りをチョロチョロしていたがために天候が崩れた?」というように考えてしまった…
現在も、雪は存外に残っているような感ではあるが、かなり融けてもいる。建物の屋根を覆っていた雪は、日中で相当に落ちてしまったようにも思える…辺りは何やら「雪解け水でベチャベチャ」か、「積雪が緩んでしまっている」という状態が多い感だ…
結局「落ち着いた状況」だと思うのは…ユジノサハリンスク滞在の中で、頻繁に立寄るような場所に殆ど一通り立寄り、何となく「普段の」というようなペースになって来たような気がしているからなのであろう…
「頻繁に立寄るような場所」?ユジノサハリンスクでの普段の活動を行う場所の他、飲物を求めたり食事を摂るような、所謂“立ち回り先”というようなことに他ならない…
飲物を求めたり食事を摂るような場所…ユジノサハリンスクでは、店側の人が一方的に「いらっしゃいませ!」と言うような感じでもない。普通に「こんにちは!」という具合に、互いに出会いの挨拶を交わす。
私が、顔馴染みな店員さんが居る店に入って、何やら頼んでというような場面…ビデオにでも収めて、言葉を発している場面に字幕を付ければ…直接的に発している言葉としては「こんにちは!」とか「こんばんは!」というようにしかならないと思う。
が…私が感じているニュアンスに即して字幕を創るなら…私の側は「どうも!」とか、「暫くでした…」という具合で…先方に関しても「毎度様!とか「何時もありがとうございます。いらっしゃいませ」ということになると思う。実際…私の側は「見覚えの在る人が居た…何となく好かった…」と思いながら「こんにちは!」や「こんばんは!」を発する。そして先方の様子からも「〇曜日に現れるおっちゃんが今週も現れた…」とか、「あの客が現れた…」という「顔馴染な人が登場!歓迎!」の空気感が伝わるのだ…
そんな中で休日の土曜日の時間が流れているが…「遅めの朝食兼早めな昼食」を愉しみ、その足でサウナを利用…そして居室に引揚げ、窓から射し込む午後の陽射しが温かいと居眠り…夕刻に至れば、多少散策をして、夕食である…
稚内の拙宅では、引っ越した際に「四半世紀程経過していた代物…」の冷蔵庫を始末し、「そのうちに新しいモノを…」と思って、結局求めることなく数年が経過した…「部屋に冷蔵庫すら無い…空っぽな人生…」と戯れ交じりに嘯くのが常だが…
ユジノサハリンスクで「居室の冷蔵庫に置いた清涼飲料を愉しむ」ということが常態化したことを踏まえ、稚内の居室に冷蔵庫を用意することを考えないでもないのだが…稚内の居室では珈琲豆を仕入れて、居室に在るグラインダーで挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れるという愉しみが在る…
先日…そういうような話しをしていたら、話していた相手に問われた…「部屋に冷蔵庫が無い?他方で珈琲の豆を挽く道具は在る??」と驚かれた…確かに「モノの必要度、需要の高さ」の「一般的な感じ」を度外視した在り方かもしれない…だが…随分と古くから、「一般的な感じ」らしきモノに然程の関心を寄せないというのが、自身の流儀で、そういうのが染着いているのかもしれない…
実は…「部屋に冷蔵庫が無い?他方で珈琲の豆を挽く道具は在る??」と驚かれるまで、稚内の拙宅の状況に関して、然程不自然とも感じていなかったのだ…永い間、「他所は他所…自分の所は自分の所…」と考えて来た結果に過ぎない…
3月14日にユジノサハリンスクに入った…そして直ぐに週末になり、また週が明けて日々を過ごし、2回目の週末に入っている…何処となく「落ち着いた」ような気はしている…が…次の週末に関しては、「何処に在って、何をしているものか?」という状況になって来ている…
「先の事」は「なるようにしかならない…」ととりあえず然程考えないようにして…何となく落ち着いた状況の中でゆったりと過ごしている。こういうのは好い…
今日の様子だが…3月20日から3月22日の様子は「何だったのか?!」と思える程度に、穏やかな好天である。何となく時々思う「旅行時の天候運が悪い人が、寒さやら降雪という現象に追い掛けられ、この辺りをチョロチョロしていたがために天候が崩れた?」というように考えてしまった…
現在も、雪は存外に残っているような感ではあるが、かなり融けてもいる。建物の屋根を覆っていた雪は、日中で相当に落ちてしまったようにも思える…辺りは何やら「雪解け水でベチャベチャ」か、「積雪が緩んでしまっている」という状態が多い感だ…
結局「落ち着いた状況」だと思うのは…ユジノサハリンスク滞在の中で、頻繁に立寄るような場所に殆ど一通り立寄り、何となく「普段の」というようなペースになって来たような気がしているからなのであろう…
「頻繁に立寄るような場所」?ユジノサハリンスクでの普段の活動を行う場所の他、飲物を求めたり食事を摂るような、所謂“立ち回り先”というようなことに他ならない…
飲物を求めたり食事を摂るような場所…ユジノサハリンスクでは、店側の人が一方的に「いらっしゃいませ!」と言うような感じでもない。普通に「こんにちは!」という具合に、互いに出会いの挨拶を交わす。
私が、顔馴染みな店員さんが居る店に入って、何やら頼んでというような場面…ビデオにでも収めて、言葉を発している場面に字幕を付ければ…直接的に発している言葉としては「こんにちは!」とか「こんばんは!」というようにしかならないと思う。
が…私が感じているニュアンスに即して字幕を創るなら…私の側は「どうも!」とか、「暫くでした…」という具合で…先方に関しても「毎度様!とか「何時もありがとうございます。いらっしゃいませ」ということになると思う。実際…私の側は「見覚えの在る人が居た…何となく好かった…」と思いながら「こんにちは!」や「こんばんは!」を発する。そして先方の様子からも「〇曜日に現れるおっちゃんが今週も現れた…」とか、「あの客が現れた…」という「顔馴染な人が登場!歓迎!」の空気感が伝わるのだ…
そんな中で休日の土曜日の時間が流れているが…「遅めの朝食兼早めな昼食」を愉しみ、その足でサウナを利用…そして居室に引揚げ、窓から射し込む午後の陽射しが温かいと居眠り…夕刻に至れば、多少散策をして、夕食である…
土曜日の朝だ…
3月23日の土曜日になった…と言って、特別な事が在るのでもないのだが、何か時間経過が早いような気がしている…
日本国内では桜が開花したという報が出たような頃に、ユジノサハリンスクでは雪が降り、積雪が殆ど無かった場所が「積雪期らしいような様子」にドンドンと戻って行った…3月22日に関しては、雪の量がやや多かった…吹雪き模様も想定されて注意喚起という感であったが、然程でもなく、「普通の雪の日」という状態だった…
3月22日の降雪と積雪に関しては、久し振りのことだが、朝に戸外に出て「どうやって歩こうか?」と一寸考えてみるような程度の積雪だった…日本国内の桜という話しに対しての雪で、何か「酷く遠くの“北国”に居る」という妙な感じがしたが…ユジノサハリンスクは日本国内各地から、物理的な距離は然程遠いのでもないとは思う。交通の便で、移動時間ということでは微妙かも知れないのだが…他方、北海道内は日本国内であっても「桜の報の他方で雪」という状況が在ったかもしれない…ユジノサハリンスクは北海道内と似たような状況である訳だ…
何か最近は…早めな時間に眠気を覚え、抗わずに眠ってしまって、深夜に眼を覚まし、少し起きていてまた休んでというような感じ、「短めな睡眠が重なる」というような傾向が強くなっているような気がする…時には在る「不貞寝でもしていたい気分」ということなのだろうか?或いは何かでエネルギーを使って草臥れているのか?
そういう中で「時間経過が早い?」という気がしているが…<宇宙船 地球号>は、列車やバスのように、区間によって速度が極端に変わる訳でもない筈で、時間経過は概ね一定な筈…時間経過に関しては、単純に「感じ方」という話しだ…
とりあえず朝だが…何か眠い…とりあえず休日な土曜日である…
日本国内では桜が開花したという報が出たような頃に、ユジノサハリンスクでは雪が降り、積雪が殆ど無かった場所が「積雪期らしいような様子」にドンドンと戻って行った…3月22日に関しては、雪の量がやや多かった…吹雪き模様も想定されて注意喚起という感であったが、然程でもなく、「普通の雪の日」という状態だった…
3月22日の降雪と積雪に関しては、久し振りのことだが、朝に戸外に出て「どうやって歩こうか?」と一寸考えてみるような程度の積雪だった…日本国内の桜という話しに対しての雪で、何か「酷く遠くの“北国”に居る」という妙な感じがしたが…ユジノサハリンスクは日本国内各地から、物理的な距離は然程遠いのでもないとは思う。交通の便で、移動時間ということでは微妙かも知れないのだが…他方、北海道内は日本国内であっても「桜の報の他方で雪」という状況が在ったかもしれない…ユジノサハリンスクは北海道内と似たような状況である訳だ…
何か最近は…早めな時間に眠気を覚え、抗わずに眠ってしまって、深夜に眼を覚まし、少し起きていてまた休んでというような感じ、「短めな睡眠が重なる」というような傾向が強くなっているような気がする…時には在る「不貞寝でもしていたい気分」ということなのだろうか?或いは何かでエネルギーを使って草臥れているのか?
そういう中で「時間経過が早い?」という気がしているが…<宇宙船 地球号>は、列車やバスのように、区間によって速度が極端に変わる訳でもない筈で、時間経過は概ね一定な筈…時間経過に関しては、単純に「感じ方」という話しだ…
とりあえず朝だが…何か眠い…とりあえず休日な土曜日である…
温かかった日に…
「プラス5℃」というような気温…例えば鹿児島県か何処かのような、日本国内の温暖とされる地域では「酷く寒い」という話しになるのだろうが…ユジノサハリンスクでは「春へ向かって、少し温かくなっている」ということになる…好天な傾向が続いていると思う。陽射しが心地好い時間帯が多い…
日本国内を動いて、稚内で過ごして、ユジノサハリンスクに入ったが…何となく意識が「旅の途上」と「地元」と「半ば地元のようになっている出先」とで揺れ動くような、やや落ち着かない状況である…もう何日かで落ち着くような気がするが…
思うと…「旅の途上」というような状況で、「悪天候に行く手を阻まれて」というような事例が、自身の経験では存外に少ないと思う。色々と悪天候や災害発生での交通の乱れ等に出くわしたという経験も色々と耳にはするのだが…
好い感じの天候が続いていると思っていれば…ユジノサハリンスクは何やら明日から急に寒くなって雪が交じるという予報になっている…或いは?色々と悪天候や災害発生での交通の乱れ等に出くわしたという経験が多い…些かの語弊を怖れずに言ってしまうと、「少々“旅行運”が好くないかもしれない」という人が辺りで動いているのかもしれない…寒さや雪や、その他は、或いはそういう「少々“旅行運”が好くないかもしれない」という人を追い掛けているのかもしれない…そんなことを思わないでもない…
日本国内を動く中、ユジノサハリンスクで滞在する中で、「唯一の“らしい”感じの趣味」である写真撮影を愉しむが、写真の点数が多くなって整理が少々追い付いていない…が、何か締め切りが在るでもないので、ゆっくりとやっていて、色々な画を視ながら色々と思い出して様々なことを想い起す…
そして想い起したのは…日本国内を動いて宿に泊まった場面だ…2月末から3月の期間…何軒も宿に泊まったのだが…そう言えば居室でテレビを点けた例が無かった…
近年―と言うより、何時の間にか少し長い期間になっているかもしれないが…―は、何処かに出る場面で愛用のノートパソコンを持ち、滞在する宿の部屋で写真の整理に着手してみるようなことをする場合も少なくない…そういうことをやっているから「テレビを点けない」というのも在るが…2011年の夏以降、「基本的にテレビは視ない?」という傾向になってしまい、「とりあえずテレビを点ける」という感覚が消滅してしまっているからかもしれない…
「基本的にテレビは視ない?」という傾向になってしまったのは…“デジタル”なる方式にテレビの電波が切り替わるというようなことになった場面で、偶々出張に出ていて、出張から戻ると従前からのテレビが視られない状態になっていた。で…「別段に困る訳でもない…」とテレビを視ないようになってしまった…“100%”ということではなく、外では視ることも在るのだが、住まいでは「視ない…」という訳だ…
そういう状況だが、ユジノサハリンスクでは居室に備わっているテレビを点けて、何やらやっているテレビドラマを愉しむことも在る…そのユジノサハリンスクだが、一寸離れていた間に“デジタル”なる方式にテレビの電波が切り替わったようだ。毎度「そのまま」にしてテレビドラマを視ることの在ったチャンネルが、一寸変わっていた。テレビを点けると、余り見覚えのないチャンネルで驚いた…で、色々と弄って、また以前から視ているチャンネルを見付けたような次第だ…
テレビドラマ…嘗ては…と言って、随分と昔の事という感じだが…週に1本や2本、「これは愉しみ!!!」というテレビドラマの放映というモノが在って、放映時間の少し前になるとテレビの辺りに陣取り、ゆっくりとドラマを愉しみ、終わると「あぁ、愉しかった!!」とテレビを停める…そういう楽しみ方をしていたもので、際限なく「とりあえずテレビが点いている」という状態には、多少の苛立ちのようなモノも覚えないでもない…
高校生の頃だったか?酷く熱心に、毎回真面目に視ていた時代劇ドラマが在った…幕末期を背景としたドラマだが、力一杯に“創造の翼”が躍動しているような中身で、忍者が色々と蠢くという具合だ…
そのドラマ…主人公達のグループが、悪漢達の居る場所に押し込んで闘って倒すという場面が毎回のクライマックスだ…よく在るパターンではある…悪漢達の頭目格の人物と、主人公が対峙する…場合によって、主人公達と深い因縁が在る敵役ということも在るが、大概の挿話では悪漢達は主人公達のグループの明確な正体を把握しているということでもない…そこで「何奴!!」というように誰何する…誰何された主人公は応じる…「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」とである。そして「天魔覆滅…!」と刀が一閃して、或いは手の込んだ強敵との闘いの演出が在って、敵役が斃される…この場面のBGMが無茶苦茶に好い!!(BGMを収録したディスク…廃盤のような?入手困難である…)
何か相当な年月を経てもよく覚えているのだが…「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」というのが非常に好い!或いは「斯く在りたい」という気がしないでもない…
名声や地位のようなモノを求めて何かをするのではない…何かをしていることや、成し遂げたという姿が知られずとも構わない…表でも裏でも、確かな結果というモノが在る筈で、それを追って見定めたい…というのが「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」という台詞の、私なりの解釈なのだ…
何か最近思うのは…「本当に価するのか??」というような感の名声や地位を得よう、得た振りをしようというように視える何かが多いような気がすること…「本当にやったのか?」というような感にも拘らず、何かをやっているとか、成し遂げたと声高に主張しているように視える何かが多いこと…そういうのが「少し増えていないか?」とか「或いは溢れていて…辟易気味…」と感じるということだ…
自身では「名も無く、地位無く、姿無し…」でも、必要と思うことを可能な範囲で出来るようにやっているだけだが…最近は「本当に価するのか??」というような感の名声や地位を得よう、得た振りをしようと、「ハッキリ言えば“傍迷惑”だよな?!」という言動が繰り返されている、更にそういう“傍迷惑”が放置容認されているというのが、些か目立つような気がしないでもない…そういうことに気付いた時、真面に向き合えば不愉快なだけだから、放っておくに限るとは思うが…それでも「天魔覆滅!」とザックリするようなことでも可能なら…そうしてしまいたくもなるかも知れない…
何やら話しがドンドン拡がったような、方々に飛び散ったような感になったが…何時の間にか少し遅めな時間帯に入ろうとしている…
日本国内を動いて、稚内で過ごして、ユジノサハリンスクに入ったが…何となく意識が「旅の途上」と「地元」と「半ば地元のようになっている出先」とで揺れ動くような、やや落ち着かない状況である…もう何日かで落ち着くような気がするが…
思うと…「旅の途上」というような状況で、「悪天候に行く手を阻まれて」というような事例が、自身の経験では存外に少ないと思う。色々と悪天候や災害発生での交通の乱れ等に出くわしたという経験も色々と耳にはするのだが…
好い感じの天候が続いていると思っていれば…ユジノサハリンスクは何やら明日から急に寒くなって雪が交じるという予報になっている…或いは?色々と悪天候や災害発生での交通の乱れ等に出くわしたという経験が多い…些かの語弊を怖れずに言ってしまうと、「少々“旅行運”が好くないかもしれない」という人が辺りで動いているのかもしれない…寒さや雪や、その他は、或いはそういう「少々“旅行運”が好くないかもしれない」という人を追い掛けているのかもしれない…そんなことを思わないでもない…
日本国内を動く中、ユジノサハリンスクで滞在する中で、「唯一の“らしい”感じの趣味」である写真撮影を愉しむが、写真の点数が多くなって整理が少々追い付いていない…が、何か締め切りが在るでもないので、ゆっくりとやっていて、色々な画を視ながら色々と思い出して様々なことを想い起す…
そして想い起したのは…日本国内を動いて宿に泊まった場面だ…2月末から3月の期間…何軒も宿に泊まったのだが…そう言えば居室でテレビを点けた例が無かった…
近年―と言うより、何時の間にか少し長い期間になっているかもしれないが…―は、何処かに出る場面で愛用のノートパソコンを持ち、滞在する宿の部屋で写真の整理に着手してみるようなことをする場合も少なくない…そういうことをやっているから「テレビを点けない」というのも在るが…2011年の夏以降、「基本的にテレビは視ない?」という傾向になってしまい、「とりあえずテレビを点ける」という感覚が消滅してしまっているからかもしれない…
「基本的にテレビは視ない?」という傾向になってしまったのは…“デジタル”なる方式にテレビの電波が切り替わるというようなことになった場面で、偶々出張に出ていて、出張から戻ると従前からのテレビが視られない状態になっていた。で…「別段に困る訳でもない…」とテレビを視ないようになってしまった…“100%”ということではなく、外では視ることも在るのだが、住まいでは「視ない…」という訳だ…
そういう状況だが、ユジノサハリンスクでは居室に備わっているテレビを点けて、何やらやっているテレビドラマを愉しむことも在る…そのユジノサハリンスクだが、一寸離れていた間に“デジタル”なる方式にテレビの電波が切り替わったようだ。毎度「そのまま」にしてテレビドラマを視ることの在ったチャンネルが、一寸変わっていた。テレビを点けると、余り見覚えのないチャンネルで驚いた…で、色々と弄って、また以前から視ているチャンネルを見付けたような次第だ…
テレビドラマ…嘗ては…と言って、随分と昔の事という感じだが…週に1本や2本、「これは愉しみ!!!」というテレビドラマの放映というモノが在って、放映時間の少し前になるとテレビの辺りに陣取り、ゆっくりとドラマを愉しみ、終わると「あぁ、愉しかった!!」とテレビを停める…そういう楽しみ方をしていたもので、際限なく「とりあえずテレビが点いている」という状態には、多少の苛立ちのようなモノも覚えないでもない…
高校生の頃だったか?酷く熱心に、毎回真面目に視ていた時代劇ドラマが在った…幕末期を背景としたドラマだが、力一杯に“創造の翼”が躍動しているような中身で、忍者が色々と蠢くという具合だ…
そのドラマ…主人公達のグループが、悪漢達の居る場所に押し込んで闘って倒すという場面が毎回のクライマックスだ…よく在るパターンではある…悪漢達の頭目格の人物と、主人公が対峙する…場合によって、主人公達と深い因縁が在る敵役ということも在るが、大概の挿話では悪漢達は主人公達のグループの明確な正体を把握しているということでもない…そこで「何奴!!」というように誰何する…誰何された主人公は応じる…「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」とである。そして「天魔覆滅…!」と刀が一閃して、或いは手の込んだ強敵との闘いの演出が在って、敵役が斃される…この場面のBGMが無茶苦茶に好い!!(BGMを収録したディスク…廃盤のような?入手困難である…)
何か相当な年月を経てもよく覚えているのだが…「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」というのが非常に好い!或いは「斯く在りたい」という気がしないでもない…
名声や地位のようなモノを求めて何かをするのではない…何かをしていることや、成し遂げたという姿が知られずとも構わない…表でも裏でも、確かな結果というモノが在る筈で、それを追って見定めたい…というのが「名も無く、地位無く、姿無し…されど…この世を照らす光在らば…この世を斬る影も在ると知れ…」という台詞の、私なりの解釈なのだ…
何か最近思うのは…「本当に価するのか??」というような感の名声や地位を得よう、得た振りをしようというように視える何かが多いような気がすること…「本当にやったのか?」というような感にも拘らず、何かをやっているとか、成し遂げたと声高に主張しているように視える何かが多いこと…そういうのが「少し増えていないか?」とか「或いは溢れていて…辟易気味…」と感じるということだ…
自身では「名も無く、地位無く、姿無し…」でも、必要と思うことを可能な範囲で出来るようにやっているだけだが…最近は「本当に価するのか??」というような感の名声や地位を得よう、得た振りをしようと、「ハッキリ言えば“傍迷惑”だよな?!」という言動が繰り返されている、更にそういう“傍迷惑”が放置容認されているというのが、些か目立つような気がしないでもない…そういうことに気付いた時、真面に向き合えば不愉快なだけだから、放っておくに限るとは思うが…それでも「天魔覆滅!」とザックリするようなことでも可能なら…そうしてしまいたくもなるかも知れない…
何やら話しがドンドン拡がったような、方々に飛び散ったような感になったが…何時の間にか少し遅めな時間帯に入ろうとしている…
雪が…少ない…:サハリンスカヤ通(2019.03.14)
空港にて…
新千歳空港へやって来た…
利用するフライトの搭乗手続きが始まるまでの間は、館内でゆっくりと過ごせば好い…“フードコート”に陣取り、暫し座っているという具合か…
前々日の夕刻に列車に乗って、夜に旭川…“大浴場”自慢の宿に「時季ならでは」の状態で安価に滞在することが叶った…“大浴場”利用でゆっくりと過ごした…旭川で何をするという程のことでもないが、日帰り入浴の温泉施設という系統のモノの内容の場所で、少しゆっくりは好い感じだ…
前日は朝から「普通列車の旅」で旭川から札幌へ…このパターン…意外に気に入っている…札幌で少しゆっくりとし、“親父殿”に頼まれた細かい用事も無事に素早く足してしまった…“居候所”へ…
何やら草臥れて、早めな時間帯から居眠りで、今朝はやや早めの起床ということになったが…結局“居候所”から、JR新札幌駅へ向かい、<ICOCA>で改札を潜り、やって来た<快速 エアポート>で新千歳空港へ…呆気ない感じだ…
聞けば…2月末から3月初めに“母上”が風邪で体調を崩したらしい…今般、ユジノサハリンスクへ向かう前だけ“居候所”に寄り、稚内へ北上する時には通過していたが、結果論として「ハッキリ体調が優れない人が居る」という場所に押し掛ける野暮な真似は避けられた…
写真を撮っておくのを完全に失念したが…神戸空港で見付けてあった、灘の老舗の製品で、凝った容器に入った清酒を土産としたが、酷く歓んでくれた…後日ゆっくりと頂くのであろう…12月に寄った時も…その前に広島で見付けて在った上質な清酒を土産にして喜ばれた。
彼らは、毎日ということでもなく、気が向いた日に「概ね一合前後?」という量を「一寸、美味いな…」と頂いて愉しんでいるということだった。全く“適量”というものであろう…“親父殿”はかなり若かった頃に清酒を嗜んで、「何となく…合わない?」と思っていたそうだが、近年は“母上”が時々欲しがって呑むのに付き合い、「悪くない…」と思っているそうだ…
こういう「一寸した土産も持って御機嫌伺い…」というような立寄り方の次回?何時になるか…よくは判らない…
互いに離れていようと、何だろうと、互いに健やかで諸事順調であることを祈りながら…という人達は、直接に血を分けた身内に限らず、実に大勢居るものだ…そういう他方、“言いがかり”を喚き続け、周辺を巻き込んで“言いがかり”を押し通し、結果論として人を大いに虚仮にして憚らないような不埒者というのも在る…
不埒者は真面に相手にする必要はない。殊に人を虚仮にするような真似をしていると在れば…「500万倍返しだ!!!!」という程度には思うが、ロクでもないことをしているのは、何処かでそういうことをしている者の身に何やら厄介が降り掛かることであろう…そしてそんな者は「完全に相手にせずで差し支え無し」と考える…対して互いに健やかで諸事順調であることを祈りながらという人達に関しては、何処で何をどうしていようが、慮って大切にしたい。そしてそういう人達が多く在り、些かの不運に見舞われても、そうした中で何とか切り抜け得る状況に留まり、何とか生かされているということに感謝しながら健やかに過ごしたいものだ…
利用するフライト…新千歳空港に着いて、折り返すという便であるが…とりあえず新千歳空港へ向かうようになっている状況らしい…好かった…
利用するフライトの搭乗手続きが始まるまでの間は、館内でゆっくりと過ごせば好い…“フードコート”に陣取り、暫し座っているという具合か…
前々日の夕刻に列車に乗って、夜に旭川…“大浴場”自慢の宿に「時季ならでは」の状態で安価に滞在することが叶った…“大浴場”利用でゆっくりと過ごした…旭川で何をするという程のことでもないが、日帰り入浴の温泉施設という系統のモノの内容の場所で、少しゆっくりは好い感じだ…
前日は朝から「普通列車の旅」で旭川から札幌へ…このパターン…意外に気に入っている…札幌で少しゆっくりとし、“親父殿”に頼まれた細かい用事も無事に素早く足してしまった…“居候所”へ…
何やら草臥れて、早めな時間帯から居眠りで、今朝はやや早めの起床ということになったが…結局“居候所”から、JR新札幌駅へ向かい、<ICOCA>で改札を潜り、やって来た<快速 エアポート>で新千歳空港へ…呆気ない感じだ…
聞けば…2月末から3月初めに“母上”が風邪で体調を崩したらしい…今般、ユジノサハリンスクへ向かう前だけ“居候所”に寄り、稚内へ北上する時には通過していたが、結果論として「ハッキリ体調が優れない人が居る」という場所に押し掛ける野暮な真似は避けられた…
写真を撮っておくのを完全に失念したが…神戸空港で見付けてあった、灘の老舗の製品で、凝った容器に入った清酒を土産としたが、酷く歓んでくれた…後日ゆっくりと頂くのであろう…12月に寄った時も…その前に広島で見付けて在った上質な清酒を土産にして喜ばれた。
彼らは、毎日ということでもなく、気が向いた日に「概ね一合前後?」という量を「一寸、美味いな…」と頂いて愉しんでいるということだった。全く“適量”というものであろう…“親父殿”はかなり若かった頃に清酒を嗜んで、「何となく…合わない?」と思っていたそうだが、近年は“母上”が時々欲しがって呑むのに付き合い、「悪くない…」と思っているそうだ…
こういう「一寸した土産も持って御機嫌伺い…」というような立寄り方の次回?何時になるか…よくは判らない…
互いに離れていようと、何だろうと、互いに健やかで諸事順調であることを祈りながら…という人達は、直接に血を分けた身内に限らず、実に大勢居るものだ…そういう他方、“言いがかり”を喚き続け、周辺を巻き込んで“言いがかり”を押し通し、結果論として人を大いに虚仮にして憚らないような不埒者というのも在る…
不埒者は真面に相手にする必要はない。殊に人を虚仮にするような真似をしていると在れば…「500万倍返しだ!!!!」という程度には思うが、ロクでもないことをしているのは、何処かでそういうことをしている者の身に何やら厄介が降り掛かることであろう…そしてそんな者は「完全に相手にせずで差し支え無し」と考える…対して互いに健やかで諸事順調であることを祈りながらという人達に関しては、何処で何をどうしていようが、慮って大切にしたい。そしてそういう人達が多く在り、些かの不運に見舞われても、そうした中で何とか切り抜け得る状況に留まり、何とか生かされているということに感謝しながら健やかに過ごしたいものだ…
利用するフライト…新千歳空港に着いて、折り返すという便であるが…とりあえず新千歳空港へ向かうようになっている状況らしい…好かった…
少々南下…
日付が…変わっていた…
サウナに入って…大きな浴槽を使う…大浴場というモノは好い…
普通に大浴場の施設を利用すると…施設毎の差異は在ろうが千円前後?地域によってはもう少し高い場合も在るか?そういう感じのモノが館内に備えられた宿泊施設…「6千円で御釣」というような次元の価格帯で1泊利用出来るのであれば、なかなかに好い…
大浴場が備わった宿泊施設…概して人気が高く、旅行者が多いシーズンには利用する機会が少なくなってしまうが…「この時季の旭川」なら、簡単に泊まることが叶うというものだ…
札幌へ南下しようとしている訳だが…夕刻6時前に稚内を発ち、夜9時半に旭川に着くという列車を利用した…そのまま乗っていれば札幌へ着くが…「夜11時に札幌駅に着いてから…どうするのだ?!」という感じで…旭川で泊まり、札幌は翌朝にゆっくり出れば十分だ…
12月に稚内から札幌へ出た際も、同じようなことをした…旭川では…本当にその辺で軽く夜食というだけで、直ぐに宿に引っ込んで大浴場を利用して休んでしまう訳だが…
今日は…音威子府駅の手前で、何となく「宗谷線の“名物”」という感じで嫌だが…「鹿と接触した模様のため、車輛点検を行っています。暫くお待ち下さい」が生じてしまい…以降は10分程度定刻より遅れての運行だった…
そして旭川で宿に入って一息…戸外に一寸出ると…「遅い時間帯に営業…」というタイプの食事が摂れる店が散見していて…どうしたものか「博多の流儀」を謳っているラーメン店に寄ってしまった…福岡では余りラーメンは頂いていないかもしれない…九州では鹿児島でラーメンを頂いた機会がやや多いだろうか?旭川で頂いた「博多の流儀」を謳うラーメンのスープで、何となく鹿児島を思い出した…「一緒にしてくれるな!?」と福岡、鹿児島双方の人達にお叱りを受けるかもしれないが…偶々頂いたラーメンのスープの味が、記憶の中で、妙な具合に交差してしまったという話しだ…
既に「今日」だが…寝過ごしてしまうのでもなければ…早めな時間帯の列車で札幌まで出てしまいたい…と言って…「早く眠らなければ…」という程でもない…眠くなった時点で眠ってしまえば好い訳だ…
サウナに入って…大きな浴槽を使う…大浴場というモノは好い…
普通に大浴場の施設を利用すると…施設毎の差異は在ろうが千円前後?地域によってはもう少し高い場合も在るか?そういう感じのモノが館内に備えられた宿泊施設…「6千円で御釣」というような次元の価格帯で1泊利用出来るのであれば、なかなかに好い…
大浴場が備わった宿泊施設…概して人気が高く、旅行者が多いシーズンには利用する機会が少なくなってしまうが…「この時季の旭川」なら、簡単に泊まることが叶うというものだ…
札幌へ南下しようとしている訳だが…夕刻6時前に稚内を発ち、夜9時半に旭川に着くという列車を利用した…そのまま乗っていれば札幌へ着くが…「夜11時に札幌駅に着いてから…どうするのだ?!」という感じで…旭川で泊まり、札幌は翌朝にゆっくり出れば十分だ…
12月に稚内から札幌へ出た際も、同じようなことをした…旭川では…本当にその辺で軽く夜食というだけで、直ぐに宿に引っ込んで大浴場を利用して休んでしまう訳だが…
今日は…音威子府駅の手前で、何となく「宗谷線の“名物”」という感じで嫌だが…「鹿と接触した模様のため、車輛点検を行っています。暫くお待ち下さい」が生じてしまい…以降は10分程度定刻より遅れての運行だった…
そして旭川で宿に入って一息…戸外に一寸出ると…「遅い時間帯に営業…」というタイプの食事が摂れる店が散見していて…どうしたものか「博多の流儀」を謳っているラーメン店に寄ってしまった…福岡では余りラーメンは頂いていないかもしれない…九州では鹿児島でラーメンを頂いた機会がやや多いだろうか?旭川で頂いた「博多の流儀」を謳うラーメンのスープで、何となく鹿児島を思い出した…「一緒にしてくれるな!?」と福岡、鹿児島双方の人達にお叱りを受けるかもしれないが…偶々頂いたラーメンのスープの味が、記憶の中で、妙な具合に交差してしまったという話しだ…
既に「今日」だが…寝過ごしてしまうのでもなければ…早めな時間帯の列車で札幌まで出てしまいたい…と言って…「早く眠らなければ…」という程でもない…眠くなった時点で眠ってしまえば好い訳だ…
美味い珈琲でも淹れて…
今朝の「2回目」ということになる…旭川駅脇のビルに入っている珈琲のチェーン店で求めた豆…<フレンチロースト>は使い切ったので、もう1つの<エチオピア>を使っている…その<エチオピア>の芳香が「過ぎない程度…」という暖房が利いている室内に静かに立ち込める…
「1回目」の時点で未だ薄暗かった空も明るくなっていて、何やら“蒼”が眩しい…気温は氷点下2℃や氷点下3℃という感か?風が弱めで、もっと温かいような気がしないでもないのだが、玄関前で道路の様子を視れば路面に凍っている箇所が見受けられるから、0℃を割り込んでいるということは間違いない…
稚内では…「雪が少ない…」が挨拶代わりのような状況だ…例年の様子を知る人が“違和感”、或いはそれを通り越した“不審感”のようなモノさえ抱くような少なさだ…本当に「3月前半」というより、「積雪シーズン終了間際の4月上旬」と錯覚してしまうような感だ…
3月1日の昼に稚内に到着した…もう直ぐ1週間経つ…速い…
3月2日に友人と会おうという相談になっていたので、その友人に稚内入りで利用する予定の列車を伝えてあった。すると友人は稚内駅に現れた…そこから…戯れに「“任意同行”で連行されてしまった…」と称したが、御近所の馴染んだ店に同道してランチをゆったりと愉しんだのだった…
それからは…予定どおり3月2日に友人との席を設けた他、<ルースキー・テーレム>の公演をゆっくりと愉しむ機会も設け、<ルースキー・テーレム>のリーダーであるアンドレイ・メリニチェンコさんが“友情出演”した<松山隆宏ライヴ>も愉しむことが叶った…
そういう心温まるような一時で、ゆっくりして愉しく過ごしている他方…「くだらない…くだらな過ぎる…」というような話しも在って、少なからず気分を害する…
日本国内上陸後…熱田神宮、大神神社、枚岡神社、春日大社、上賀茂神社、下鴨神社、伏見稲荷大社、北野天満宮、建部大社、日吉大社、石清水八幡宮、日前宮、大鳥大社、住吉大社と、方々の由緒在る社を訪ねてみた…少しずつ、方々の社に渦巻くエネルギーを分けて頂いたというような気分でもあるが、眼に留めた光景を、社そのものばかりでもないが、多数の写真に収めている…モノクロ写真は粗方纏まって、少しずつブログ記事にも整理しているが…カラー写真はマダマダ未整理だ…
「気分を害するような話し」に向き合っても、何ら得ることも無い…放っておくことにして、色々な様子を思い出しながら、写真の整理にでも勤しみたい気分だ…
それにしても…<エチオピア>が美味い…
「1回目」の時点で未だ薄暗かった空も明るくなっていて、何やら“蒼”が眩しい…気温は氷点下2℃や氷点下3℃という感か?風が弱めで、もっと温かいような気がしないでもないのだが、玄関前で道路の様子を視れば路面に凍っている箇所が見受けられるから、0℃を割り込んでいるということは間違いない…
稚内では…「雪が少ない…」が挨拶代わりのような状況だ…例年の様子を知る人が“違和感”、或いはそれを通り越した“不審感”のようなモノさえ抱くような少なさだ…本当に「3月前半」というより、「積雪シーズン終了間際の4月上旬」と錯覚してしまうような感だ…
3月1日の昼に稚内に到着した…もう直ぐ1週間経つ…速い…
3月2日に友人と会おうという相談になっていたので、その友人に稚内入りで利用する予定の列車を伝えてあった。すると友人は稚内駅に現れた…そこから…戯れに「“任意同行”で連行されてしまった…」と称したが、御近所の馴染んだ店に同道してランチをゆったりと愉しんだのだった…
それからは…予定どおり3月2日に友人との席を設けた他、<ルースキー・テーレム>の公演をゆっくりと愉しむ機会も設け、<ルースキー・テーレム>のリーダーであるアンドレイ・メリニチェンコさんが“友情出演”した<松山隆宏ライヴ>も愉しむことが叶った…
そういう心温まるような一時で、ゆっくりして愉しく過ごしている他方…「くだらない…くだらな過ぎる…」というような話しも在って、少なからず気分を害する…
日本国内上陸後…熱田神宮、大神神社、枚岡神社、春日大社、上賀茂神社、下鴨神社、伏見稲荷大社、北野天満宮、建部大社、日吉大社、石清水八幡宮、日前宮、大鳥大社、住吉大社と、方々の由緒在る社を訪ねてみた…少しずつ、方々の社に渦巻くエネルギーを分けて頂いたというような気分でもあるが、眼に留めた光景を、社そのものばかりでもないが、多数の写真に収めている…モノクロ写真は粗方纏まって、少しずつブログ記事にも整理しているが…カラー写真はマダマダ未整理だ…
「気分を害するような話し」に向き合っても、何ら得ることも無い…放っておくことにして、色々な様子を思い出しながら、写真の整理にでも勤しみたい気分だ…
それにしても…<エチオピア>が美味い…
12時間…!?
久し振りに、拙宅の室内に珈琲の芳香である…
昨日の朝、旭川駅で列車に乗る前、隣接するビルに入っている有名チェーン店で珈琲豆を仕入れた訳だ…朝から早速使用していることになる…
昨日は順調に列車が北上して稚内駅に着いた…
移動中の車窓の眺めで、「雪が少ない…」と驚いた。稚内市の領域に入った辺りでは、通常であればこの時季には雪で覆われていそうな場所で、少し広くクマザサが覗いていた…「3月末頃?」というような状況である…
冬季の場合、少し不在だった拙宅に戻ると、暖房を入れて、暖房が利くまでの間は外―食事に出る、お茶を飲むということだ…―で過ごす…
そういう通例にも従い、ゆったりと昼食を摂って、その足で出掛けてサウナを利用し、午後6時前に帰宅した訳だ…そこでベッドに横になった…そして眠ってしまった…
何となく眼を開けて、また眼を閉じてというような具合でダラダラとしてしまったが…気付けば朝の6時前で、外も明るい感じになっていた…
約12時間も寝てしまった…拙宅に戻り、殆ど何もやっていないような具合だ…
昨日の朝、旭川駅で列車に乗る前、隣接するビルに入っている有名チェーン店で珈琲豆を仕入れた訳だ…朝から早速使用していることになる…
昨日は順調に列車が北上して稚内駅に着いた…
移動中の車窓の眺めで、「雪が少ない…」と驚いた。稚内市の領域に入った辺りでは、通常であればこの時季には雪で覆われていそうな場所で、少し広くクマザサが覗いていた…「3月末頃?」というような状況である…
冬季の場合、少し不在だった拙宅に戻ると、暖房を入れて、暖房が利くまでの間は外―食事に出る、お茶を飲むということだ…―で過ごす…
そういう通例にも従い、ゆったりと昼食を摂って、その足で出掛けてサウナを利用し、午後6時前に帰宅した訳だ…そこでベッドに横になった…そして眠ってしまった…
何となく眼を開けて、また眼を閉じてというような具合でダラダラとしてしまったが…気付けば朝の6時前で、外も明るい感じになっていた…
約12時間も寝てしまった…拙宅に戻り、殆ど何もやっていないような具合だ…
とりあえず…:運航日誌(2019.02.28)
雨?窓から、「マダマダ暗い早朝」という1日で最も静かかもしれない<新世界>を覗くが…路面は濡れていて、窓辺に雨水が跳ね上がっていた…
成田空港に下り立って、直ぐに<成田エクスプレス>と新幹線の<のぞみ>を乗り継いで名古屋に至り、以降は昨日まで好天に恵まれていた…昨夕も「やや雲が?」というように感じられる場面が在ったのだが…そろそろ“周期”で降雨も在るのであろう…
「北上開始」の日である…
暗い早朝に「少しばかり強い?」というような気もした雨だが、明るくなる中で多少は弱まった感だ…
私の場合…夢中になって、急ぐべきでもないにも拘らずに随分と熱心に動き回る傾向が在る…好天なら、バタバタと外に出て、空港へ向かうまでの間に色々とやっていたかもしれないが…「雨?ゆっくりと出よう…」という按配になった…
こういうのも…ある種の「導き」のようなモノかもしれない…宿では嵩張るモノを稚内の拙宅に発送し、少しばかり身軽になって、宿の朝食も頂いて、ゆっくりと出発の支度をした…
今般…「近年の気に入っているパターン」で、「神戸空港・新千歳空港」のスカイマークのフライトを利用することとした…要は神戸の三宮を目指し、三宮から<ポートライナー>で空港に入れば善いのだ…
そんな訳で…地下鉄の動物園前から梅田に出て、阪急の列車で神戸三宮に到着したが…何か神戸で寄り道をするには中途半端な時間だった…加えて嵩張るモノを預けるロッカーが直ぐ手近に見当たらなかったので…空港に真直ぐ向かってからゆっくりした…
神戸空港到着直後、既に受け付けていたので搭乗手続を済ませた…あそこでは館内の<上島珈琲店>のカフェが、以前にも利用した経過が在り、なかなかに気に入っているので、ゆっくりと過ごしてから保安検査等である…
それにしても…保安検査等は時々「酷く苛立つ!!」という場合が在る…
2つの列で保安検査をやっていた…どちらも然程乗客が多いのでもない…直ぐに済むと思ったのだったが…
最初に並ぼうとした列…入口辺りで何人かが詰まっている…多分、御夫妻という男女と6歳位と見受けられる子どもを頭に小さな子ども達が4人位…御家族なのであろう…館内で飲んでいた紙カップに入った飲料をどうすべきかとか、最近はアレを出して別に拝見というようなことが次々に追加されていて、不慣れな旅行者には判り悪い…何時までも入口を塞いでゴチャゴチャしている…
思ったのだが…こういうのは係員が素早く補助すれば好いのではないか?更に…「6歳位と見受けられる子どもを頭に小さな子ども達が4人位」で、連れている大人も旅に不慣れと見受けられて、何となくゴチャゴチャしていたのだが…そんな小さな子ども達を捉まえて、何の保安検査か?!訳が判らない…
何時まで掛かるのかが判らないので、もう一方の列に並んだ…「アレを出して別に拝見」の故に、ゴチャゴチャとトレーを抱えることを無理強いされる…動き悪い…前の男性が詰まった…無理な姿勢を強いられていてモノを危うく落としそうになった…落としてしまうと不具合なモノが色々と在るのだ!!
前の男性が詰まったのは…何やら機内持ち込みの荷物に関して、大きさの目安が示して在る場所に照らして大きさを測り、「サイズがオーバー」と云々しているのである。「明らかに大きい!!」のでもない…線から1cmか2cm位うはみ出していたかもしれない…そんな次元だ…男性も「えっ?!」という感じだ…恐らく“機内持ち込み対応”と謳って売られているケースであろうし、多分その男性も何度も飛行機の中に持ち込んでいるのであろう…余りにも「恣意的」ではないか?!何やら視ていて気分を大いに害した…結局、航空会社のカウンターに行って預けてくれというようなことになって、何やらゴチャゴチャしている…
無駄に時間を要し、モノの件でイライラとして来たが…今度は後からベルトや時計を外してくれということで「おまえ!!オカシイ言葉遣いだ!!気をつけろ!!」と声を荒げてしまった。普通に「御願いします」ではなく「よろしいでしょうか」である。こちらに“選択肢”が在るのか?!「無い」のだから、係員は普通に「御願い」の筋合いではないか?!「また…」だ…実に気分が悪い!!
こういう保安検査だが、最初から「〇〇、〇〇、〇〇を外して下さい」と係員が来る人達の前に立って「御願いする」べきなのである。判ったような、判らないような掲示が在れば済むのでもない筈だ…前述の小さい子ども達を何人も連れている例や、その他に少しなりとも補助が必要な人が在れば即座に対応出来る筈だ…それをせずに、「御願い」の筋合いを普通に出来ずに、何度もアレをしろだ、コレをしろだである。そのうちに後続の人が来て、益々ゴチャゴチャとする…
以前…負傷して不自由な状態で一時帰国した際…当初予定に則って動き、成田空港に上陸しながら、敢えて列車で北上したが…あの時、こういう馬鹿げた空港の状態を避けていて「本当に善かった!!」と思った…あの時、今日のようなことでも在ったら、自由が利く方の腕に何かモノを持って、係員に向かって行ったかもしれない…
とにかくも…仕切りが悪い!!悪過ぎる!!!ダメだ!!!!こういうようなことをやっている国が、オリンピックの誘致に際して、世界中の人々に向かって「“おもてなし”の国」等と…全く馬鹿げている…
ハッキリ言おう!ユジノサハリンスクやウラジオストクの空港で、保安検査の際には係員が「ベルト、時計は外して下さい」と、検査場にやって来る人達に言っているのである。言い続けている…普通に最初から御願いもせずに、後からゴチャゴチャ言うのでは揉めるということも在るかもしれないが…それにしても「この国」ではそういう極々簡単なことが全然出来ないようだ…或いは、何時の間にか「出来ない種族と化した」のか?
ということで…「だから飛行機は余り好きではない!!!」ということにしておきたい…それにしても…「水が低い方に流れる」というような按配で、「オカシイ事を仕出かす輩」が在るが故に、小さな子どもに至るまで何やら検査な訳だ…
そういうゴチャゴチャを乗り越え、無事にスカイマークのフライトで新千歳空港に到着した…
一寸だけ札幌駅に立寄って外に出たが…プラス5℃近い気温だったであろうか?些かの積雪が在るのは「決定的な差」ではあるものの、名古屋、奈良、京都、和歌山で朝早くに戸外を歩き回った際、恐らく「1日の最低気温に近い感じ」だったと思うが、その時がプラス5℃程度だったようだ…あちらでは、そういう最低気温から10℃を超えて、場合によって15℃に近いような「1日の最高気温」になるが…札幌ではプラス5℃程度が「1日の最高気温」という訳だ…
そして札幌から…旭川に出て一夜を明かすこととした…列車を利用したが…旭川の手前に相当する深川で少々長く停車した…深川の先で、南下中の列車が「鹿と衝突」という話しで、車輛の点検を行っているとのことだった…18分間の延着だった…
多少馴染んだ駅に近い宿を押さえていた…そこに入る…とりあえず夕食を摂った…もう、何処にも行かずに休もうと思う…連日、考えてみれば相当に歩いた…重めな荷物を、持ちっ放しで活動した日も幾日か…正直…些か草臥れた…
稚内には…明朝の列車で向かうこととする…
成田空港に下り立って、直ぐに<成田エクスプレス>と新幹線の<のぞみ>を乗り継いで名古屋に至り、以降は昨日まで好天に恵まれていた…昨夕も「やや雲が?」というように感じられる場面が在ったのだが…そろそろ“周期”で降雨も在るのであろう…
「北上開始」の日である…
暗い早朝に「少しばかり強い?」というような気もした雨だが、明るくなる中で多少は弱まった感だ…
私の場合…夢中になって、急ぐべきでもないにも拘らずに随分と熱心に動き回る傾向が在る…好天なら、バタバタと外に出て、空港へ向かうまでの間に色々とやっていたかもしれないが…「雨?ゆっくりと出よう…」という按配になった…
こういうのも…ある種の「導き」のようなモノかもしれない…宿では嵩張るモノを稚内の拙宅に発送し、少しばかり身軽になって、宿の朝食も頂いて、ゆっくりと出発の支度をした…
今般…「近年の気に入っているパターン」で、「神戸空港・新千歳空港」のスカイマークのフライトを利用することとした…要は神戸の三宮を目指し、三宮から<ポートライナー>で空港に入れば善いのだ…
そんな訳で…地下鉄の動物園前から梅田に出て、阪急の列車で神戸三宮に到着したが…何か神戸で寄り道をするには中途半端な時間だった…加えて嵩張るモノを預けるロッカーが直ぐ手近に見当たらなかったので…空港に真直ぐ向かってからゆっくりした…
神戸空港到着直後、既に受け付けていたので搭乗手続を済ませた…あそこでは館内の<上島珈琲店>のカフェが、以前にも利用した経過が在り、なかなかに気に入っているので、ゆっくりと過ごしてから保安検査等である…
それにしても…保安検査等は時々「酷く苛立つ!!」という場合が在る…
2つの列で保安検査をやっていた…どちらも然程乗客が多いのでもない…直ぐに済むと思ったのだったが…
最初に並ぼうとした列…入口辺りで何人かが詰まっている…多分、御夫妻という男女と6歳位と見受けられる子どもを頭に小さな子ども達が4人位…御家族なのであろう…館内で飲んでいた紙カップに入った飲料をどうすべきかとか、最近はアレを出して別に拝見というようなことが次々に追加されていて、不慣れな旅行者には判り悪い…何時までも入口を塞いでゴチャゴチャしている…
思ったのだが…こういうのは係員が素早く補助すれば好いのではないか?更に…「6歳位と見受けられる子どもを頭に小さな子ども達が4人位」で、連れている大人も旅に不慣れと見受けられて、何となくゴチャゴチャしていたのだが…そんな小さな子ども達を捉まえて、何の保安検査か?!訳が判らない…
何時まで掛かるのかが判らないので、もう一方の列に並んだ…「アレを出して別に拝見」の故に、ゴチャゴチャとトレーを抱えることを無理強いされる…動き悪い…前の男性が詰まった…無理な姿勢を強いられていてモノを危うく落としそうになった…落としてしまうと不具合なモノが色々と在るのだ!!
前の男性が詰まったのは…何やら機内持ち込みの荷物に関して、大きさの目安が示して在る場所に照らして大きさを測り、「サイズがオーバー」と云々しているのである。「明らかに大きい!!」のでもない…線から1cmか2cm位うはみ出していたかもしれない…そんな次元だ…男性も「えっ?!」という感じだ…恐らく“機内持ち込み対応”と謳って売られているケースであろうし、多分その男性も何度も飛行機の中に持ち込んでいるのであろう…余りにも「恣意的」ではないか?!何やら視ていて気分を大いに害した…結局、航空会社のカウンターに行って預けてくれというようなことになって、何やらゴチャゴチャしている…
無駄に時間を要し、モノの件でイライラとして来たが…今度は後からベルトや時計を外してくれということで「おまえ!!オカシイ言葉遣いだ!!気をつけろ!!」と声を荒げてしまった。普通に「御願いします」ではなく「よろしいでしょうか」である。こちらに“選択肢”が在るのか?!「無い」のだから、係員は普通に「御願い」の筋合いではないか?!「また…」だ…実に気分が悪い!!
こういう保安検査だが、最初から「〇〇、〇〇、〇〇を外して下さい」と係員が来る人達の前に立って「御願いする」べきなのである。判ったような、判らないような掲示が在れば済むのでもない筈だ…前述の小さい子ども達を何人も連れている例や、その他に少しなりとも補助が必要な人が在れば即座に対応出来る筈だ…それをせずに、「御願い」の筋合いを普通に出来ずに、何度もアレをしろだ、コレをしろだである。そのうちに後続の人が来て、益々ゴチャゴチャとする…
以前…負傷して不自由な状態で一時帰国した際…当初予定に則って動き、成田空港に上陸しながら、敢えて列車で北上したが…あの時、こういう馬鹿げた空港の状態を避けていて「本当に善かった!!」と思った…あの時、今日のようなことでも在ったら、自由が利く方の腕に何かモノを持って、係員に向かって行ったかもしれない…
とにかくも…仕切りが悪い!!悪過ぎる!!!ダメだ!!!!こういうようなことをやっている国が、オリンピックの誘致に際して、世界中の人々に向かって「“おもてなし”の国」等と…全く馬鹿げている…
ハッキリ言おう!ユジノサハリンスクやウラジオストクの空港で、保安検査の際には係員が「ベルト、時計は外して下さい」と、検査場にやって来る人達に言っているのである。言い続けている…普通に最初から御願いもせずに、後からゴチャゴチャ言うのでは揉めるということも在るかもしれないが…それにしても「この国」ではそういう極々簡単なことが全然出来ないようだ…或いは、何時の間にか「出来ない種族と化した」のか?
ということで…「だから飛行機は余り好きではない!!!」ということにしておきたい…それにしても…「水が低い方に流れる」というような按配で、「オカシイ事を仕出かす輩」が在るが故に、小さな子どもに至るまで何やら検査な訳だ…
そういうゴチャゴチャを乗り越え、無事にスカイマークのフライトで新千歳空港に到着した…
一寸だけ札幌駅に立寄って外に出たが…プラス5℃近い気温だったであろうか?些かの積雪が在るのは「決定的な差」ではあるものの、名古屋、奈良、京都、和歌山で朝早くに戸外を歩き回った際、恐らく「1日の最低気温に近い感じ」だったと思うが、その時がプラス5℃程度だったようだ…あちらでは、そういう最低気温から10℃を超えて、場合によって15℃に近いような「1日の最高気温」になるが…札幌ではプラス5℃程度が「1日の最高気温」という訳だ…
そして札幌から…旭川に出て一夜を明かすこととした…列車を利用したが…旭川の手前に相当する深川で少々長く停車した…深川の先で、南下中の列車が「鹿と衝突」という話しで、車輛の点検を行っているとのことだった…18分間の延着だった…
多少馴染んだ駅に近い宿を押さえていた…そこに入る…とりあえず夕食を摂った…もう、何処にも行かずに休もうと思う…連日、考えてみれば相当に歩いた…重めな荷物を、持ちっ放しで活動した日も幾日か…正直…些か草臥れた…
稚内には…明朝の列車で向かうこととする…
立砂(たてずな):賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)=上賀茂神社(かみがもじんじゃ)(2019.02.25)
穏やかに過ごしてはいるが…
ユジノサハリンスクでは、建物の壁に「危険」とか「注意」という意味の語を大書したプレートが貼り付けられている場所が多々見受けられる。
以前に日本国内からユジノサハリンスクへやって来た方にお尋ね頂いたことも在ったが、「危険」とか「注意」という意味の語を視れば、「どういうことか?!」と思わないでもない。
「危険」とか「注意」という意味の語のプレートは、極普通なオフィスや店舗、場合によって住宅として利用されている部分も在るような「普通な建物」に貼り付いている。「ややこしいモノ」が在るような場所でもない…と言うより、多くの人が行き交うような街の中に、「ややこしいモノ」を扱うような場所を、普通は設けない…
何が「危険」とか「注意」なのかと言えば…冬季に雪や氷が落下するということに関してなのだ…
昨日…「久し振り?」に日中の最高気温が「プラス1℃、プラス2℃」というようなことになった…そうなると、硬く凍り付いて屋根に貼り付いたようになっていた大きな氷が少々融ける。そうなると「ドッサッ!!!」と下に落下する…偶々戸外に出て、その「ドッサッ!!!」に出くわした…目の前に氷と若干の雪が落ち、轟音のような音がして、氷が砕けて飛び散っていた…ぼんやりと軒下周辺に居て、そういうモノが当ると…確かに「危険」だ…
そういうのも在るのだが、街の中では時々「高い箇所の積雪を落としてしまう」という作業をやっている様子を視掛ける。高い所に上って作業をしている人達が在って、大概は1人がその下に立って、通行人に注意喚起をするか、上の方に大声で通行人が居ることを伝えている。そういう努力もなされているので、「ドッサッ!!!」には然程頻繁には出くわさないような気もするが、それでも在る…そこで方々の壁に「危険」とか「注意」という意味の語のプレートが登場する訳だ…
そんな訳で「危険」とか「注意」という意味の語のプレートは多く視るユジノサハリンスクではあるが…概して「平和な地方の一寸した規模の街」という感じになるような気がしている…
最高気温が「プラス1℃、プラス2℃」というような状況…日本国内の方々では「酷く寒い…」という話しになることが必定であろう…が、ユジノサハリンスクでは「氷点下20℃台の最低気温」が続いていた状態を漸く免れたということの中での出来事で、「不意に温かくなった…」ということになっている…
何となく思っていたのは、降雪や積雪が少なく、「分厚い雪雲」という「天空の断熱幕」のような存在が希薄なので、強力な寒気が地上に元気よく吹き込んで来るというような状況だった…が…好天傾向は続いている中で、不意に気温が上昇した?ということは?強力な寒気も、流石に頑張り続け過ぎて“息切れ”ということになったのだろうか?
酷く低温なのも何となく疲れるが…不意に気温が上がって、硬く凍った雪などが緩んで水分が出て来ると、夜間や早朝にそれがまた凍り付き、「歩き悪い凍結箇所」が現れる、増えるという「面白くない状況」も登場してしまう。
思い返すと…2017年11月、既に積雪が見受けられ、何となく気温が上下していた中、「偶々佇んだ階段の上」のコンクリート上にテカテカな硬く薄い氷が貼り付いていたのだった。そこに何気なく佇んだ瞬間に足を滑らせ、身体が宙に浮き、高さにして2.5m程度は在ったと思うが、階段の上から下に落下して左腕を痛烈に強打してしまった訳だ…
そういう“アクシデント”の原因になり得る“凍結”である。最近は、少々気が張って草臥れそうになる程度に注意している…「氷の季節」を何とか無事に乗り越えたい…
“アクシデント”に関しては…自身では「不幸中の幸い」と思うように、或いは思い込むようにしていたと思う…快復には存外に時間を要した…身体の特定部位が動かない、動かせないという状況で派生的問題が生じて不安も覚えたが、それも時間が解決してくれた…これは運が悪ければ、もっと深刻な負傷ということになっていてもおかしくはなく、現在も自由に動くことが出来ない状態であったかもしれない…更に、「飛行機の一般乗客の座席以外の場所に積まれて移動」で、現在の時点で“享年”という形容がされていたという状況さえ排除出来なかったかもしれない…時々、所謂「2時間サスペンス」で“○○警部”というような役で出演している俳優に「一寸だけ似ている??」と茶化される場合も在る私だが、その種のドラマの劇中で「階段から転落…頭を強打…」と不幸な事件は頻発しているのだ…
昨年の11月…“アクシデント”から丸1年を経た中、「“アクシデント”は不運だったが、もっと悪い状況になってしまう可能性が排除出来ない状態だったことを考えると、“不幸中の幸い”という程度に考えていたことは間違いではない」という想いが甦った。そして「或いは…“生かされた”のかもしれない…何処かで、何かに敬意や感謝を表するというようなことを、多少積極的にしても善いのかもしれない…」というような、「輪郭がやや曖昧な想い」が形成されつつ在ることを感じないでもなかった…
その「輪郭がやや曖昧な想い」に関して、輪郭が「明確化」したのは昨年11月に日本国内へ向かった時だった…
2017年11月には「時間を設けることが叶ったので、方々に寄ってみよう」というようなことを色々と考えていて、その中での“アクシデント”であったため、日本国内では「医師に診て頂いて静養」に終始した感だった。“リベンジ”というのでもないが、丁度1年経って「多少窮屈な日程でも、あの時に上陸したかった九州に足を踏み入れ…」と考えた…
設けた時間を利用して何処かを訪ねる場合、「少々馴染んだ地域の馴染んだ場所」を目指す場合も、「訪ねた地域の中の知らない場所」を目指す場合も在る。或いは、「両者を適宜組み合わせる」というイメージかもしれない。今般、「訪ねた地域の中の知らない場所」ということで、大分県の<宇佐神宮>を訪ねてみた…
<宇佐神宮>…奈良の大仏様が登場した少し後の時代…女帝の寵愛を受けて権勢を振ったという僧が在って、やがては「帝位を継ぐ??」というような話しにまでなった…話しの起こりに「宇佐八幡の御神託…」ということが在って、調査のために役人が派遣された。役人は「帝位をその僧に継がせるというような御神託は無い」と復命した。件の役人は追放の憂き目を見てしまうが、やがて女帝も崩御して僧の権勢は衰え、次の時代が開かれて行く…
そんな挿話が教科書にさえ出ている…その「酷く古い由緒」の<宇佐神宮>は独特なムードが在った…広壮な境内に入って行き、そこで神社には御朱印というモノが在って、それを頂いて参拝するという習わしが在ったということに不意に気付いた…で、初めてその御朱印を頂いて参拝をしてみた…何か「生かされている」というようなことに関しての「敬意や感謝」というようなモノが「八百万の神々」へ「届いた?」というような気がした…
そのことが契機となり、昨年の11月から12月の日本国内に在った時には、何箇所かの神社を訪ねてみた。神社に関しては、何か「天地のエネルギーが渦巻く…」とでもいうようなことが感じられ、以前から寄ってみることは好んでいたのだが…
実は、また日本国内に入るという予定が在るのだが…多分、また何箇所か神社に立寄ってみることになると思う…
色々と思いながら、比較的穏やかに過ごしているように思うが…極最近は「月が美しい!!」という感じだった…
以前に日本国内からユジノサハリンスクへやって来た方にお尋ね頂いたことも在ったが、「危険」とか「注意」という意味の語を視れば、「どういうことか?!」と思わないでもない。
「危険」とか「注意」という意味の語のプレートは、極普通なオフィスや店舗、場合によって住宅として利用されている部分も在るような「普通な建物」に貼り付いている。「ややこしいモノ」が在るような場所でもない…と言うより、多くの人が行き交うような街の中に、「ややこしいモノ」を扱うような場所を、普通は設けない…
何が「危険」とか「注意」なのかと言えば…冬季に雪や氷が落下するということに関してなのだ…
昨日…「久し振り?」に日中の最高気温が「プラス1℃、プラス2℃」というようなことになった…そうなると、硬く凍り付いて屋根に貼り付いたようになっていた大きな氷が少々融ける。そうなると「ドッサッ!!!」と下に落下する…偶々戸外に出て、その「ドッサッ!!!」に出くわした…目の前に氷と若干の雪が落ち、轟音のような音がして、氷が砕けて飛び散っていた…ぼんやりと軒下周辺に居て、そういうモノが当ると…確かに「危険」だ…
そういうのも在るのだが、街の中では時々「高い箇所の積雪を落としてしまう」という作業をやっている様子を視掛ける。高い所に上って作業をしている人達が在って、大概は1人がその下に立って、通行人に注意喚起をするか、上の方に大声で通行人が居ることを伝えている。そういう努力もなされているので、「ドッサッ!!!」には然程頻繁には出くわさないような気もするが、それでも在る…そこで方々の壁に「危険」とか「注意」という意味の語のプレートが登場する訳だ…
そんな訳で「危険」とか「注意」という意味の語のプレートは多く視るユジノサハリンスクではあるが…概して「平和な地方の一寸した規模の街」という感じになるような気がしている…
最高気温が「プラス1℃、プラス2℃」というような状況…日本国内の方々では「酷く寒い…」という話しになることが必定であろう…が、ユジノサハリンスクでは「氷点下20℃台の最低気温」が続いていた状態を漸く免れたということの中での出来事で、「不意に温かくなった…」ということになっている…
何となく思っていたのは、降雪や積雪が少なく、「分厚い雪雲」という「天空の断熱幕」のような存在が希薄なので、強力な寒気が地上に元気よく吹き込んで来るというような状況だった…が…好天傾向は続いている中で、不意に気温が上昇した?ということは?強力な寒気も、流石に頑張り続け過ぎて“息切れ”ということになったのだろうか?
酷く低温なのも何となく疲れるが…不意に気温が上がって、硬く凍った雪などが緩んで水分が出て来ると、夜間や早朝にそれがまた凍り付き、「歩き悪い凍結箇所」が現れる、増えるという「面白くない状況」も登場してしまう。
思い返すと…2017年11月、既に積雪が見受けられ、何となく気温が上下していた中、「偶々佇んだ階段の上」のコンクリート上にテカテカな硬く薄い氷が貼り付いていたのだった。そこに何気なく佇んだ瞬間に足を滑らせ、身体が宙に浮き、高さにして2.5m程度は在ったと思うが、階段の上から下に落下して左腕を痛烈に強打してしまった訳だ…
そういう“アクシデント”の原因になり得る“凍結”である。最近は、少々気が張って草臥れそうになる程度に注意している…「氷の季節」を何とか無事に乗り越えたい…
“アクシデント”に関しては…自身では「不幸中の幸い」と思うように、或いは思い込むようにしていたと思う…快復には存外に時間を要した…身体の特定部位が動かない、動かせないという状況で派生的問題が生じて不安も覚えたが、それも時間が解決してくれた…これは運が悪ければ、もっと深刻な負傷ということになっていてもおかしくはなく、現在も自由に動くことが出来ない状態であったかもしれない…更に、「飛行機の一般乗客の座席以外の場所に積まれて移動」で、現在の時点で“享年”という形容がされていたという状況さえ排除出来なかったかもしれない…時々、所謂「2時間サスペンス」で“○○警部”というような役で出演している俳優に「一寸だけ似ている??」と茶化される場合も在る私だが、その種のドラマの劇中で「階段から転落…頭を強打…」と不幸な事件は頻発しているのだ…
昨年の11月…“アクシデント”から丸1年を経た中、「“アクシデント”は不運だったが、もっと悪い状況になってしまう可能性が排除出来ない状態だったことを考えると、“不幸中の幸い”という程度に考えていたことは間違いではない」という想いが甦った。そして「或いは…“生かされた”のかもしれない…何処かで、何かに敬意や感謝を表するというようなことを、多少積極的にしても善いのかもしれない…」というような、「輪郭がやや曖昧な想い」が形成されつつ在ることを感じないでもなかった…
その「輪郭がやや曖昧な想い」に関して、輪郭が「明確化」したのは昨年11月に日本国内へ向かった時だった…
2017年11月には「時間を設けることが叶ったので、方々に寄ってみよう」というようなことを色々と考えていて、その中での“アクシデント”であったため、日本国内では「医師に診て頂いて静養」に終始した感だった。“リベンジ”というのでもないが、丁度1年経って「多少窮屈な日程でも、あの時に上陸したかった九州に足を踏み入れ…」と考えた…
設けた時間を利用して何処かを訪ねる場合、「少々馴染んだ地域の馴染んだ場所」を目指す場合も、「訪ねた地域の中の知らない場所」を目指す場合も在る。或いは、「両者を適宜組み合わせる」というイメージかもしれない。今般、「訪ねた地域の中の知らない場所」ということで、大分県の<宇佐神宮>を訪ねてみた…
<宇佐神宮>…奈良の大仏様が登場した少し後の時代…女帝の寵愛を受けて権勢を振ったという僧が在って、やがては「帝位を継ぐ??」というような話しにまでなった…話しの起こりに「宇佐八幡の御神託…」ということが在って、調査のために役人が派遣された。役人は「帝位をその僧に継がせるというような御神託は無い」と復命した。件の役人は追放の憂き目を見てしまうが、やがて女帝も崩御して僧の権勢は衰え、次の時代が開かれて行く…
そんな挿話が教科書にさえ出ている…その「酷く古い由緒」の<宇佐神宮>は独特なムードが在った…広壮な境内に入って行き、そこで神社には御朱印というモノが在って、それを頂いて参拝するという習わしが在ったということに不意に気付いた…で、初めてその御朱印を頂いて参拝をしてみた…何か「生かされている」というようなことに関しての「敬意や感謝」というようなモノが「八百万の神々」へ「届いた?」というような気がした…
そのことが契機となり、昨年の11月から12月の日本国内に在った時には、何箇所かの神社を訪ねてみた。神社に関しては、何か「天地のエネルギーが渦巻く…」とでもいうようなことが感じられ、以前から寄ってみることは好んでいたのだが…
実は、また日本国内に入るという予定が在るのだが…多分、また何箇所か神社に立寄ってみることになると思う…
色々と思いながら、比較的穏やかに過ごしているように思うが…極最近は「月が美しい!!」という感じだった…
G.I.ネヴェリスコイ像:コルサコフ(2019.02.16)
赤い薔薇…一輪…(2019.02.13)
相対的に…
暖房が効いて、多分プラス22℃やプラス23℃は在る部屋で…アイスクリームを頂くのが酷く好い…適当に冷えた、濃厚なクリームのケーキでも頂くような…そういう感じなのだ…
“かき氷”のような感じ…日本の用語で言う「氷菓」は身体が多少冷えるが…日本の用語で言う「ラクトアイス」、「アイスクリーム」はそれ程でもない…近所の店で売られているのは、日本の用語で言う「ラクトアイス」、「アイスクリーム」に類するモノだ…居室内で飲むミネラルウォーターを求めようと店に立寄り、何となくアイスクリームを眼に留め、ムラムラと欲しくなって求めてしまった訳だが…この「思わず…」の頻度が…意外に高いかもしれない…
夕方にアイスクリームを頂きながら…日中に近所の方と言葉を交わしたことを想い起す…
近所の方が…「少し…温かくなったかな?」と言い出した…「そうですね…」と相槌を打っておいた…
確かに…陽射しが少々心地好い感じがするような晴天で、冷たい風が吹き抜けているのでもない…それは非常に結構だが、気温は氷点下13℃程度であった…普通に「寒い…」という感じの気温だ…稚内では「氷点下13℃」ともなれば「シーズンで最低に類する気温」ということになるであろう…が、ここでは「少し…温かくなったかな?」なのだ!?と言っても…早朝に氷点下25℃を挟むような気温が続き、氷点下30℃前後まで時折在る中、「穏やかな感じに晴れて陽射しが心地好い」という中で「相対的に気温が上昇して温かい」ということに間違いは無いのだ…
何やら「訳が判らん…」という雰囲気だ…
稚内辺りよりも気温が低い地域に居るのだが…冷たく強めな風が「常時…」という按配な稚内に比べると、風が微弱な場合が多い訳で…そういう意味では「凌ぎ易い」というようには思っている…
が…何となく戸外に出る場面で、酷い低温の故に「気が張る」のか、多少「草臥れ易い?」のかもしれない…或いは、何日か前に少々草臥れて、少し早く寝入ってしまってから変な時間帯に起き出し、何やら直ぐに眠ることも出来ずに「中途半端な夜更かし」に近い状況に陥り、そういうことの御蔭でその翌日も変な時間帯に眠気を覚えて…というのが中途半端にダラダラと繰り返され、続いているのかもしれない…何となく、夕刻に居室に戻って少しだけ経ってから…「記憶が途切れる…」ということが何度か繰り返された…「記憶が途切れる…」は少々大袈裟かもしれない…訳が判らない感じで、眠ってしまうのだ…「何時の間にか!?いきなり眠ってしまった?酷く妙な時間帯に眼を開けてしまった…」と眉を顰めてしまう訳だ…
それにしても…最低気温の氷点下25℃というような辺りと比べれば、温度が高くなっているのは間違いなく、日中の最高気温に近い訳ではあるが、「氷点下13℃」を捉まえて「温かい」という表現になるというのは…訳が判らん世界だ…
“かき氷”のような感じ…日本の用語で言う「氷菓」は身体が多少冷えるが…日本の用語で言う「ラクトアイス」、「アイスクリーム」はそれ程でもない…近所の店で売られているのは、日本の用語で言う「ラクトアイス」、「アイスクリーム」に類するモノだ…居室内で飲むミネラルウォーターを求めようと店に立寄り、何となくアイスクリームを眼に留め、ムラムラと欲しくなって求めてしまった訳だが…この「思わず…」の頻度が…意外に高いかもしれない…
夕方にアイスクリームを頂きながら…日中に近所の方と言葉を交わしたことを想い起す…
近所の方が…「少し…温かくなったかな?」と言い出した…「そうですね…」と相槌を打っておいた…
確かに…陽射しが少々心地好い感じがするような晴天で、冷たい風が吹き抜けているのでもない…それは非常に結構だが、気温は氷点下13℃程度であった…普通に「寒い…」という感じの気温だ…稚内では「氷点下13℃」ともなれば「シーズンで最低に類する気温」ということになるであろう…が、ここでは「少し…温かくなったかな?」なのだ!?と言っても…早朝に氷点下25℃を挟むような気温が続き、氷点下30℃前後まで時折在る中、「穏やかな感じに晴れて陽射しが心地好い」という中で「相対的に気温が上昇して温かい」ということに間違いは無いのだ…
何やら「訳が判らん…」という雰囲気だ…
稚内辺りよりも気温が低い地域に居るのだが…冷たく強めな風が「常時…」という按配な稚内に比べると、風が微弱な場合が多い訳で…そういう意味では「凌ぎ易い」というようには思っている…
が…何となく戸外に出る場面で、酷い低温の故に「気が張る」のか、多少「草臥れ易い?」のかもしれない…或いは、何日か前に少々草臥れて、少し早く寝入ってしまってから変な時間帯に起き出し、何やら直ぐに眠ることも出来ずに「中途半端な夜更かし」に近い状況に陥り、そういうことの御蔭でその翌日も変な時間帯に眠気を覚えて…というのが中途半端にダラダラと繰り返され、続いているのかもしれない…何となく、夕刻に居室に戻って少しだけ経ってから…「記憶が途切れる…」ということが何度か繰り返された…「記憶が途切れる…」は少々大袈裟かもしれない…訳が判らない感じで、眠ってしまうのだ…「何時の間にか!?いきなり眠ってしまった?酷く妙な時間帯に眼を開けてしまった…」と眉を顰めてしまう訳だ…
それにしても…最低気温の氷点下25℃というような辺りと比べれば、温度が高くなっているのは間違いなく、日中の最高気温に近い訳ではあるが、「氷点下13℃」を捉まえて「温かい」という表現になるというのは…訳が判らん世界だ…
Мороз(マローズ)=厳寒…(2019.02.08)
昨日…氷点下25℃近くになっていたようだ…今朝もそういうような低温が続いている…Мороз(マローズ)=厳寒というものだ…
玄関前に出て戸外の様子を伺ったが…若干被っている雪を踏むと、低温時に特有な「ギュッ…」という音がした…
昨夕はよく寄る店へ出掛けて夕食を愉しんだ…同席者も在って、色々とお話しをして、愉しく、少し温かい気分になる一時を過ごしたと思う。
そこから住まいへ引揚げ、引揚げる直前に「お持ち帰り」な珈琲を求め、居室でそれを頂いた…そして直ぐに休んで、何やら早起きし…戸外の様子を伺って「厳寒継続中」を確かめた訳だ…
昨日の午後に伝わっていたローカルニュースだが…サハリンの中北部内陸では「氷点下40℃台」が見受けられたそうだ…最も低温と見受けられる場所というのは、「氷点下47℃」とか「氷点下50℃」だったというようなことだ…話しを聞いて「温度計が壊れてるのか?!」と思ってしまったが…
そんな状況に多少驚き、ユジノサハリンスクも「厳寒継続中」だが…天候は穏やかなものだ…で…未だ、少し早過ぎる感じの時間帯…多少ゆっくり出来る…
玄関前に出て戸外の様子を伺ったが…若干被っている雪を踏むと、低温時に特有な「ギュッ…」という音がした…
昨夕はよく寄る店へ出掛けて夕食を愉しんだ…同席者も在って、色々とお話しをして、愉しく、少し温かい気分になる一時を過ごしたと思う。
そこから住まいへ引揚げ、引揚げる直前に「お持ち帰り」な珈琲を求め、居室でそれを頂いた…そして直ぐに休んで、何やら早起きし…戸外の様子を伺って「厳寒継続中」を確かめた訳だ…
昨日の午後に伝わっていたローカルニュースだが…サハリンの中北部内陸では「氷点下40℃台」が見受けられたそうだ…最も低温と見受けられる場所というのは、「氷点下47℃」とか「氷点下50℃」だったというようなことだ…話しを聞いて「温度計が壊れてるのか?!」と思ってしまったが…
そんな状況に多少驚き、ユジノサハリンスクも「厳寒継続中」だが…天候は穏やかなものだ…で…未だ、少し早過ぎる感じの時間帯…多少ゆっくり出来る…
考え事…
「眠ってしまっていたのか?どの位、眠っていたのか…もう朝?否、深夜か?起きるべきなのか?更に眠るべきなのか?」というような思考が頭の中を、鈍い調子で巡る…眠っていた筈であったところから、意識が覚醒しようとし始めているような状況だ…
そういう中、然程意識せずに身体が動こうとするのだが、直ぐに慌てる…「うゎっ!?」と声こそ出ないが、思わず眉を顰める…脹脛が「バリッ!」と音でも立てるかのような、鈍いようでいて鋭い痛みに襲われる…何とか痛みが和らぐ姿勢を探ろうと、脚を動かし、身体全体の向きを必死で調整するが…基本的には「刺さったモノが外れる」というように痛みが弱まるまで動けない…
こういう「早朝や深夜の“こむら返り”」というのは…困る…原因がハッキリしているのでもなく、予防措置を取ることが容易なのでもない…
勝手に思うのだが…ブランケットを被って休んでいて、何時の間にか身体が温まり、何となくブランケットの隙間から下肢を出してしまう…そうなると、ブランケットを被っていた部分と、結果的に被っていなかった部分とで「身体の表面や中の温度差」が出来る…そうなると、身体の中を巡る血液の流れ方に“格差”が生じる…そして結果的に、適度に厚みが在る脹脛の筋肉に変な痙攣のようなモノが生じて痛くなってしまう…或いはそういうことなのだろうか?
多少厄介だが、時々生じてしまう状況である以上、何となく「適当に痛みを誤魔化す」というようなことでもする他ないのかもしれない…
或いは、何となく思っている以上に自身の身体は「自由に動かない」というようになってしまっているのかもしれない…「えっ?あそこは歩く距離??」という具合に言われてしまうような場所を歩いて往来するという程度のことは、未だ平気でやってしまうことが多いが…全力で駆けるようなこと、長距離走、その他の飛んだり跳ねたりは、多分余り出来ないことであろう…長距離走は、短距離の全力疾走に比べて、以前から苦手としていたものではあるが…
相当に以前から、時には“こむら返り”というようなことは在ったが…最近は「何時の間にか発生頻度が高まった??」と思える…こんなモノは、精確に記録しているのでもないので、よくは判らないが…
一昨年11月の“アクシデント”に関しては、「或る程度“元通り”という感じに…本件は“段落”…」と落ち着くのに半年近くを要した。負傷によって「動かない」または「動かせない」という箇所が生じてしまった訳だが、「負傷箇所そのもの」が時々見受けられるらしい「厄介事」を免れて快方に向かっても、今度は「通常の“運動機構”を動かさない状態に在った」ということで、「細々とした部分の劣化」が色々と生じてしまって、「普通に動く、動かせる」になるまでに時間を多少要した訳だ…
こういうのは…何時の間にか「酷く以前の事」になってしまった別な部位を巡る“アクシデント”の際にも在った。何も「特別」というのでもない身体は、「絶妙なバランス」の上に在るモノだということを理屈として何となく理解していたつもりだったが…改めてそれを復習する羽目になった訳だ…
一昨年11月の“アクシデント”は、雪が積もり始めたような状況下で「変な凍結箇所」をぼんやりと踏んで足を滑らせたことに起因するものだった…今季は積雪が少ないという状況ではあるが、凍結箇所は見受けられる。故に、近年に無い程に「安全!!」に気を配っている…「気を配っている」と言って…特別な事が出来るのでもなく、「気を付けよう!!」と「思っているだけ…」に過ぎないが…
それでも強いて「思っているだけ…」を“形”にしたモノは…11月下旬に日本国内に在った際、何箇所か神社を訪ねて「自身の安全を祈る」というようなことをして、“御朱印”というものを頂くようにしてみたということが在る…何時の間にか、神社が持っている“雰囲気”に何となく惹かれ、何処かを訪ねる時に有名な神社が在ると判ると立寄ってみるというようなことは在った…が、今後はそういうことを多少積極的にやるようになって行くかもしれない…日頃は「自身は“無神論”的な感覚かもしれない」ということにはしている…他方で、何処となく「因果応報」に近いような考え方を半ば無自覚にしていることに気付く場合も在る…
「因果応報」に近いような考え方?例えば…「晴天の下で催しが無事に…」というような状況で、「悪天候によって中止」というようなことを聞けば…「祝福されていない??」と頭の中で、半ば無自覚に考えてしまう場合が在るというようなことだ…
最近、何やら年金支給に関連する事情に鑑みて、所謂“定年”を延長するようになるというようなニュースが耳目に触れる…そういう話題に触れると、ぼんやりと「これまでの自身の歩み」や「これからの自身の歩み」というようなことについて想いが巡る…
所謂“社会人”という枠に足を踏み入れたような頃は、元号が替って然程時日も経ていなかった中、「何やら“時代”が動く?動いた?」という雰囲気だった…そんな中「“新しい時代”の中で生きる世代の先頭」にも「“旧い時代”の中で生きる世代の最後尾」にも「なり得る?」というように漠然と思っていた。そんな頃から相当な時日が経ち、また元号が替ろうということになっている中、自身は「“新しい時代”の中で生きる世代の先頭」だったのか、「“旧い時代”の中で生きる世代の最後尾」だったのか、「何れでもなかったのか」というのはよく判らない…が、「凄く巧く行ったのでは?」も在れば「全然巧く行かなかった?」も在ったと言えるし、現在でも双方が在ると思えるし、今後も双方共に在ることであろう…
で、その「凄く巧く行ったのでは?」にせよ、「全然巧く行かなかった?」にせよ、何れにしても半ば無自覚に「因果応報」に近いような捉え方になっている…「巧く行く」については「正しい観方を揺るがさずに貫くようにしたから」と思うことにして、「巧く行かない」に関しては「余計なことばかりを考えて、ロクでもない事を重ねたのであろう」ということにしている…ようだ…
偶々…「早朝の“こむら返り”が酷く痛かった…」ということで、色々な事を考えてしまったが…考えたことが、酷く漠然としていたので、こうして綴ってみて纏めた訳だ…こういうことは「自身のメモ」でもあるが、「第三者の眼に触れる場合も多い」という場所に書き残しておくということで、丁寧に真面目に整理する位が「程好い?」と思う場合が近年は多い…
そういう中、然程意識せずに身体が動こうとするのだが、直ぐに慌てる…「うゎっ!?」と声こそ出ないが、思わず眉を顰める…脹脛が「バリッ!」と音でも立てるかのような、鈍いようでいて鋭い痛みに襲われる…何とか痛みが和らぐ姿勢を探ろうと、脚を動かし、身体全体の向きを必死で調整するが…基本的には「刺さったモノが外れる」というように痛みが弱まるまで動けない…
こういう「早朝や深夜の“こむら返り”」というのは…困る…原因がハッキリしているのでもなく、予防措置を取ることが容易なのでもない…
勝手に思うのだが…ブランケットを被って休んでいて、何時の間にか身体が温まり、何となくブランケットの隙間から下肢を出してしまう…そうなると、ブランケットを被っていた部分と、結果的に被っていなかった部分とで「身体の表面や中の温度差」が出来る…そうなると、身体の中を巡る血液の流れ方に“格差”が生じる…そして結果的に、適度に厚みが在る脹脛の筋肉に変な痙攣のようなモノが生じて痛くなってしまう…或いはそういうことなのだろうか?
多少厄介だが、時々生じてしまう状況である以上、何となく「適当に痛みを誤魔化す」というようなことでもする他ないのかもしれない…
或いは、何となく思っている以上に自身の身体は「自由に動かない」というようになってしまっているのかもしれない…「えっ?あそこは歩く距離??」という具合に言われてしまうような場所を歩いて往来するという程度のことは、未だ平気でやってしまうことが多いが…全力で駆けるようなこと、長距離走、その他の飛んだり跳ねたりは、多分余り出来ないことであろう…長距離走は、短距離の全力疾走に比べて、以前から苦手としていたものではあるが…
相当に以前から、時には“こむら返り”というようなことは在ったが…最近は「何時の間にか発生頻度が高まった??」と思える…こんなモノは、精確に記録しているのでもないので、よくは判らないが…
一昨年11月の“アクシデント”に関しては、「或る程度“元通り”という感じに…本件は“段落”…」と落ち着くのに半年近くを要した。負傷によって「動かない」または「動かせない」という箇所が生じてしまった訳だが、「負傷箇所そのもの」が時々見受けられるらしい「厄介事」を免れて快方に向かっても、今度は「通常の“運動機構”を動かさない状態に在った」ということで、「細々とした部分の劣化」が色々と生じてしまって、「普通に動く、動かせる」になるまでに時間を多少要した訳だ…
こういうのは…何時の間にか「酷く以前の事」になってしまった別な部位を巡る“アクシデント”の際にも在った。何も「特別」というのでもない身体は、「絶妙なバランス」の上に在るモノだということを理屈として何となく理解していたつもりだったが…改めてそれを復習する羽目になった訳だ…
一昨年11月の“アクシデント”は、雪が積もり始めたような状況下で「変な凍結箇所」をぼんやりと踏んで足を滑らせたことに起因するものだった…今季は積雪が少ないという状況ではあるが、凍結箇所は見受けられる。故に、近年に無い程に「安全!!」に気を配っている…「気を配っている」と言って…特別な事が出来るのでもなく、「気を付けよう!!」と「思っているだけ…」に過ぎないが…
それでも強いて「思っているだけ…」を“形”にしたモノは…11月下旬に日本国内に在った際、何箇所か神社を訪ねて「自身の安全を祈る」というようなことをして、“御朱印”というものを頂くようにしてみたということが在る…何時の間にか、神社が持っている“雰囲気”に何となく惹かれ、何処かを訪ねる時に有名な神社が在ると判ると立寄ってみるというようなことは在った…が、今後はそういうことを多少積極的にやるようになって行くかもしれない…日頃は「自身は“無神論”的な感覚かもしれない」ということにはしている…他方で、何処となく「因果応報」に近いような考え方を半ば無自覚にしていることに気付く場合も在る…
「因果応報」に近いような考え方?例えば…「晴天の下で催しが無事に…」というような状況で、「悪天候によって中止」というようなことを聞けば…「祝福されていない??」と頭の中で、半ば無自覚に考えてしまう場合が在るというようなことだ…
最近、何やら年金支給に関連する事情に鑑みて、所謂“定年”を延長するようになるというようなニュースが耳目に触れる…そういう話題に触れると、ぼんやりと「これまでの自身の歩み」や「これからの自身の歩み」というようなことについて想いが巡る…
所謂“社会人”という枠に足を踏み入れたような頃は、元号が替って然程時日も経ていなかった中、「何やら“時代”が動く?動いた?」という雰囲気だった…そんな中「“新しい時代”の中で生きる世代の先頭」にも「“旧い時代”の中で生きる世代の最後尾」にも「なり得る?」というように漠然と思っていた。そんな頃から相当な時日が経ち、また元号が替ろうということになっている中、自身は「“新しい時代”の中で生きる世代の先頭」だったのか、「“旧い時代”の中で生きる世代の最後尾」だったのか、「何れでもなかったのか」というのはよく判らない…が、「凄く巧く行ったのでは?」も在れば「全然巧く行かなかった?」も在ったと言えるし、現在でも双方が在ると思えるし、今後も双方共に在ることであろう…
で、その「凄く巧く行ったのでは?」にせよ、「全然巧く行かなかった?」にせよ、何れにしても半ば無自覚に「因果応報」に近いような捉え方になっている…「巧く行く」については「正しい観方を揺るがさずに貫くようにしたから」と思うことにして、「巧く行かない」に関しては「余計なことばかりを考えて、ロクでもない事を重ねたのであろう」ということにしている…ようだ…
偶々…「早朝の“こむら返り”が酷く痛かった…」ということで、色々な事を考えてしまったが…考えたことが、酷く漠然としていたので、こうして綴ってみて纏めた訳だ…こういうことは「自身のメモ」でもあるが、「第三者の眼に触れる場合も多い」という場所に書き残しておくということで、丁寧に真面目に整理する位が「程好い?」と思う場合が近年は多い…
1月第3旬へ…
眠気に抗えずに休み、深夜に眼を開け、何となく「早朝」という時間帯まで起きていて、再度眠って「平日であれば、既に色々とやっているような時間帯?」にまた起き出す…「朝食としては遅過ぎ、昼食にはやや早い」という時間帯に食事を摂り、サウナにでも行って、帰り道に「遅い感じの昼食で、早過ぎる夕食を兼用?」と食事を摂る…多少の居眠りも交じりながら、夕刻から夜の一時を過ごす…
こういうような「土曜日の夜から日曜日」というのは悪くないと思っている…12月以来、こういう感じの休日がやや増えたような気がしている…
今日の場合…「早朝」という時間帯まで起きていたのは、バスケットボールの<ヴォストーク65>が「(ユジノサハリンスクとの)時差8時間」というモスクワ郊外で「サハリン時間の深夜」に試合をやっていて、その状況がネットで伝わったので、詳しい状況に接していた訳である…<ヴォストーク65>は連勝を「10」に伸ばしてリーグ戦の首位を堅持している。そして2位、3位の「15勝」に対して「17勝」と微妙に抜け出すということも出来た…2位、3位のチームとは今後に「直接対決」も在る…そして僅かに3敗の、2回在る対戦の1回目で敗れた相手との直接対決も残っている…当分はこの<ヴォストーク65>への注目は続く…
少し前に<ふるさと納税>なるモノに関するニュースを眼に留めて、何となくメモしておいたが…多少時間が在ったので、少しばかり関連情報にも目を通すようにしてみた。
正直<ふるさと納税>に関しては、関心が在るような、「自分自身には無関係」ということにしているような、「少し微妙な存在感」なのだが…少なくとも「一寸、考えるべきモノ」というようには捉えている…
眼に留めたニュース…それは<ふるさと納税>に対する「返礼」ということで、寄付した金額の4割に相当するギフト券の類を提供し、夥しい金額を集めるという出来事が在り、事案を所管する総務省の大臣が「法制度の隙間を捉えた行動で、凡そ良識あるとは思えない」と激怒していると伝えられたのだ…
これの関連情報…話しが発信されてから1週間程度を経て、やや出回っている話しが少なくなっているように見えたが…大臣が「良識あるとは思えない」と激怒したという町を擁する県の知事が「明確にルールを示したのでもなく、出来るようにやっただけではないか?」と反論めいたコメントをしているようだったのが目に留まった…
実は最初にこのニュースを視た時に思ったことが在る…
「良識あるとは思えない」ということをやるような町が現れたのは、激怒している大臣の所管する省で造った制度の故で、「良識があるとは思えない」という言葉は「そのまま(省に)還って来る?」というようにも思ったのだ。
更に、この激怒している大臣という話しを受けての県知事の談だ…「明確にルールを示したのでもなく、出来るようにやっただけではないか?」だ。「明確でもないかもしれない」という「ルール」?「法制度の隙間を捉えた行動」ということに他ならないのではないか?換言すると、「法制度の隙間を捉えてでも何でも、得をすれば善い」という風潮が溢れていて、何処かの県の町と雖もそういう例は免れ得ない…更に踏み込むと「法制度の隙間をを捉える」のが、「何処かの県の町というような自治体の仕事」のようになっているのかもしれないということか?
<ふるさと納税>なるモノ…「自治体へ寄付をすると納税額を控除」という「寄付」だ…
「寄付」というモノには色々な形が在るのだと思うが…「自治体へ寄付をすると納税額を控除」というのが、様々な「寄付」以上に突出して優遇されているように見受けられる…「寄付」という意味で、「特定のモノだけが抜きん出て優遇」の「度が過ぎる」というように思えなくもない…
「寄付を募る」ということ自体、ドンドンやれば善いのだと思う。自身で気前良く寄付が出来るでもないが…それでも何処かの地域で大きな災害でも在って、困っている人が大勢居るとでも聞けば…或いは貴重な文化遺産が損なわれてしまったので修復したいとか…逆に何処かの地域で「粋な取り組みじゃないか!」という何かが在れば…寧ろ“募金”と呼ばれる場合が多そうなことを例示したが、「寄付」はしてみたい…
で…「寄付」をしてみたとて…例えば私財を投げ打って、何かの立派な建物でも建てて「〇〇記念〇〇」と名前が付いてしまうような大袈裟な話しでもないことなのだから…とりあえず、例えば「稚内市〇〇のXXさん」という位に、受付簿にでも記載して頂ければ十分だと思う。「ありがとうございます」程度に、ハガキ1枚のメッセージでも頂けば大感激だ。別段に「返礼」等は求めない…何故なら「寄付」をするのは、「私の極々ささやかな寄付金が、少し困っている場で役立てば幸い」とか、「粋な取り組み!遠くから静かに応援させてもらう」ということで「寄付」をするのだから…
「寄付」である<ふるさと納税>なるモノ…「返礼」ということになって、「返礼」の「お得」を競って「金を集める」ということ「自体」が「目的」のようになってしまっていないだろうか?そして、その「返礼競争」というような中で、「より多く金を集める」のが、何やら「甲斐性」のようにさえ語られているのではないだろうか?
何処の町も…十分な財源が在るのでもない…<ふるさと納税>なる「寄付」で資金が集まるのは大歓迎であろう。集めた資金の一部を「返礼」に回す訳で、「返礼経費の予算を別途」という程でもない訳だ…だから「10億の中、4億を“返礼”で寄付者に戻してやっても、6億は随意に出来る資金…20億なら12億…30億なら18億…」という訳だ。これは財源規模が然程でもない自治体にとっては、「激烈に強力な何か」のようになってしまっているのではないか?
この「返礼」だが…何やら“特産品”というようなことになっている。“特産品”?どうも肉や野菜や海鮮等の一次産品が念頭に置かれているようだ…が、地域によっては真珠養殖をやっている、精密機械の工場が立地している、家電製品の大工場が自慢というのも在る筈で…更に宝石の研磨や、金銀の加工と言うような伝統を有する地域も在るであろうし…高価な工芸品を造っている地域も多々在る筈だ…そういう関係の「地域に深く所縁が在る」という筈のモノを「謝礼」に用意するのが「罷りならん」という話しになっているのは意味不明だ…
この「返礼」であるが…小さな町の“特産品”たる一次産品に関しては、供給力が酷く大きいのでもない…それが「返礼」ということで、「自治体が大量にお買い上げ」の形になると?そういうことが続くと、生産、流通、販売の経路が「オカシクなる」という危惧はないのだろうか?実際…「“特産品”たる一次産品の全く新しい販路を拓き…」と旗を振ってみても、「非常に鈍い反応」という例は、方々の道府県で在るのではないだろうか?それは、「然程の規模でもない生産の中、一定の販路に生産物を出す」という努力が地道に永く続けられて奏功し、それが「生産の殆ど全て」を占めてしまっているという証左だと思う…
<ふるさと納税>の「返礼」ということで「寄付した金額の4割に相当するギフト券の類を提供」という話しが在った。これは?考えてみると、供給が限られる“特産品”たる一次産品に関して「自治体が大量にお買い上げ」の形にが続き、生産、流通、販売の経路が「オカシクなる」という危惧を想うと、「寧ろ良心的」なように思える。これは…「金が在る限り無制限に出来る」ということで、「寄付」を受ける側にも、「返礼」に期待する「寄付」する側にも「最も公平」ではないのか?
或いは「全国一律に、寄付額の3割を何種類かの指定ギフト券で謝礼に宛てることを認める」とでもするのが、“問題”の町が在る県の知事が言う「明確にルールを示す」というモノではないのか?そして、そのギフト券を利用可能な「全国特産お買い得市場」のような通販サイトを、各地の特産品の提供を受けて設けるようにすれば?意外に悪くないのかもしれない等と、漠然と思う…が、実際には「寄付」をした側が「丸儲け」ということになるばかりかもしれないが…
<ふるさと納税>の「返礼」に関連する情報を詳しく提供しているウェブサイトというモノも、今般の事象で関心を持ったので少し見てみた…雰囲気は…「金融商品、保険商品のセールストーク以上に、露骨に“得”を謳う」という雰囲気だった。“得”を謳うのも結構だが…個人的には「程度の問題??」という感を抱いた…序ながら…その種のウェブサイトで「理想的な返礼はギフト券」と示唆されているように感じられた…“問題”の町では、それをヒントにしたのかもしれない…
既に…大都市圏の自治体で、「“返礼”への欲に駆られた<ふるさと納税>」が目立つようになり、「住んでいる地域への納税」という地方自治の基礎が「オカシイ」ことになりかけている事例が目に付くらしい。<ふるさと納税>に「批判的な意見」を発する人達はそこを捉えて、「オカシイことになるから、早く止めた方が?」としている。個人的には、この観方に少し惹かれる…
少し前に『運命の卵』という古い小説を読んだ…或る研究者が、鶏卵の成長を促して、速く大きな鶏を育てて、肉や卵の供給を飛躍的に増やす可能性が在る技術を見出す…愈々生産の実験をしようとした時…鶏卵ではなく蛇の卵が入り込み、禍々しい大蛇が街に溢れて大変なことになってしまった…という、科学に明るいことからSF的な発想も入れた独特な小説を綴っていたミハイル・ブルガーコフの作品なのだが…<ふるさと納税>を余り長く続けていると、小説の「大蛇が出て大変!」のようなことが起こるような気がしてならない。既に?方々の自治体の税収等の収支状況に、一部「?」という状態が生じているとも聞く…
こういうような「考えたこと」は「飽くまでも個人的に考えたこと」で、何処かの機関の公式的な見解でも何でもない。と、一応加えておくが…時には「極個人的に考えたこと」を書き綴って整理してみたいと思う…
そんなことをしていたが…何時の間にか「1月」は「第3旬」である…
こういうような「土曜日の夜から日曜日」というのは悪くないと思っている…12月以来、こういう感じの休日がやや増えたような気がしている…
今日の場合…「早朝」という時間帯まで起きていたのは、バスケットボールの<ヴォストーク65>が「(ユジノサハリンスクとの)時差8時間」というモスクワ郊外で「サハリン時間の深夜」に試合をやっていて、その状況がネットで伝わったので、詳しい状況に接していた訳である…<ヴォストーク65>は連勝を「10」に伸ばしてリーグ戦の首位を堅持している。そして2位、3位の「15勝」に対して「17勝」と微妙に抜け出すということも出来た…2位、3位のチームとは今後に「直接対決」も在る…そして僅かに3敗の、2回在る対戦の1回目で敗れた相手との直接対決も残っている…当分はこの<ヴォストーク65>への注目は続く…
少し前に<ふるさと納税>なるモノに関するニュースを眼に留めて、何となくメモしておいたが…多少時間が在ったので、少しばかり関連情報にも目を通すようにしてみた。
正直<ふるさと納税>に関しては、関心が在るような、「自分自身には無関係」ということにしているような、「少し微妙な存在感」なのだが…少なくとも「一寸、考えるべきモノ」というようには捉えている…
眼に留めたニュース…それは<ふるさと納税>に対する「返礼」ということで、寄付した金額の4割に相当するギフト券の類を提供し、夥しい金額を集めるという出来事が在り、事案を所管する総務省の大臣が「法制度の隙間を捉えた行動で、凡そ良識あるとは思えない」と激怒していると伝えられたのだ…
これの関連情報…話しが発信されてから1週間程度を経て、やや出回っている話しが少なくなっているように見えたが…大臣が「良識あるとは思えない」と激怒したという町を擁する県の知事が「明確にルールを示したのでもなく、出来るようにやっただけではないか?」と反論めいたコメントをしているようだったのが目に留まった…
実は最初にこのニュースを視た時に思ったことが在る…
「良識あるとは思えない」ということをやるような町が現れたのは、激怒している大臣の所管する省で造った制度の故で、「良識があるとは思えない」という言葉は「そのまま(省に)還って来る?」というようにも思ったのだ。
更に、この激怒している大臣という話しを受けての県知事の談だ…「明確にルールを示したのでもなく、出来るようにやっただけではないか?」だ。「明確でもないかもしれない」という「ルール」?「法制度の隙間を捉えた行動」ということに他ならないのではないか?換言すると、「法制度の隙間を捉えてでも何でも、得をすれば善い」という風潮が溢れていて、何処かの県の町と雖もそういう例は免れ得ない…更に踏み込むと「法制度の隙間をを捉える」のが、「何処かの県の町というような自治体の仕事」のようになっているのかもしれないということか?
<ふるさと納税>なるモノ…「自治体へ寄付をすると納税額を控除」という「寄付」だ…
「寄付」というモノには色々な形が在るのだと思うが…「自治体へ寄付をすると納税額を控除」というのが、様々な「寄付」以上に突出して優遇されているように見受けられる…「寄付」という意味で、「特定のモノだけが抜きん出て優遇」の「度が過ぎる」というように思えなくもない…
「寄付を募る」ということ自体、ドンドンやれば善いのだと思う。自身で気前良く寄付が出来るでもないが…それでも何処かの地域で大きな災害でも在って、困っている人が大勢居るとでも聞けば…或いは貴重な文化遺産が損なわれてしまったので修復したいとか…逆に何処かの地域で「粋な取り組みじゃないか!」という何かが在れば…寧ろ“募金”と呼ばれる場合が多そうなことを例示したが、「寄付」はしてみたい…
で…「寄付」をしてみたとて…例えば私財を投げ打って、何かの立派な建物でも建てて「〇〇記念〇〇」と名前が付いてしまうような大袈裟な話しでもないことなのだから…とりあえず、例えば「稚内市〇〇のXXさん」という位に、受付簿にでも記載して頂ければ十分だと思う。「ありがとうございます」程度に、ハガキ1枚のメッセージでも頂けば大感激だ。別段に「返礼」等は求めない…何故なら「寄付」をするのは、「私の極々ささやかな寄付金が、少し困っている場で役立てば幸い」とか、「粋な取り組み!遠くから静かに応援させてもらう」ということで「寄付」をするのだから…
「寄付」である<ふるさと納税>なるモノ…「返礼」ということになって、「返礼」の「お得」を競って「金を集める」ということ「自体」が「目的」のようになってしまっていないだろうか?そして、その「返礼競争」というような中で、「より多く金を集める」のが、何やら「甲斐性」のようにさえ語られているのではないだろうか?
何処の町も…十分な財源が在るのでもない…<ふるさと納税>なる「寄付」で資金が集まるのは大歓迎であろう。集めた資金の一部を「返礼」に回す訳で、「返礼経費の予算を別途」という程でもない訳だ…だから「10億の中、4億を“返礼”で寄付者に戻してやっても、6億は随意に出来る資金…20億なら12億…30億なら18億…」という訳だ。これは財源規模が然程でもない自治体にとっては、「激烈に強力な何か」のようになってしまっているのではないか?
この「返礼」だが…何やら“特産品”というようなことになっている。“特産品”?どうも肉や野菜や海鮮等の一次産品が念頭に置かれているようだ…が、地域によっては真珠養殖をやっている、精密機械の工場が立地している、家電製品の大工場が自慢というのも在る筈で…更に宝石の研磨や、金銀の加工と言うような伝統を有する地域も在るであろうし…高価な工芸品を造っている地域も多々在る筈だ…そういう関係の「地域に深く所縁が在る」という筈のモノを「謝礼」に用意するのが「罷りならん」という話しになっているのは意味不明だ…
この「返礼」であるが…小さな町の“特産品”たる一次産品に関しては、供給力が酷く大きいのでもない…それが「返礼」ということで、「自治体が大量にお買い上げ」の形になると?そういうことが続くと、生産、流通、販売の経路が「オカシクなる」という危惧はないのだろうか?実際…「“特産品”たる一次産品の全く新しい販路を拓き…」と旗を振ってみても、「非常に鈍い反応」という例は、方々の道府県で在るのではないだろうか?それは、「然程の規模でもない生産の中、一定の販路に生産物を出す」という努力が地道に永く続けられて奏功し、それが「生産の殆ど全て」を占めてしまっているという証左だと思う…
<ふるさと納税>の「返礼」ということで「寄付した金額の4割に相当するギフト券の類を提供」という話しが在った。これは?考えてみると、供給が限られる“特産品”たる一次産品に関して「自治体が大量にお買い上げ」の形にが続き、生産、流通、販売の経路が「オカシクなる」という危惧を想うと、「寧ろ良心的」なように思える。これは…「金が在る限り無制限に出来る」ということで、「寄付」を受ける側にも、「返礼」に期待する「寄付」する側にも「最も公平」ではないのか?
或いは「全国一律に、寄付額の3割を何種類かの指定ギフト券で謝礼に宛てることを認める」とでもするのが、“問題”の町が在る県の知事が言う「明確にルールを示す」というモノではないのか?そして、そのギフト券を利用可能な「全国特産お買い得市場」のような通販サイトを、各地の特産品の提供を受けて設けるようにすれば?意外に悪くないのかもしれない等と、漠然と思う…が、実際には「寄付」をした側が「丸儲け」ということになるばかりかもしれないが…
<ふるさと納税>の「返礼」に関連する情報を詳しく提供しているウェブサイトというモノも、今般の事象で関心を持ったので少し見てみた…雰囲気は…「金融商品、保険商品のセールストーク以上に、露骨に“得”を謳う」という雰囲気だった。“得”を謳うのも結構だが…個人的には「程度の問題??」という感を抱いた…序ながら…その種のウェブサイトで「理想的な返礼はギフト券」と示唆されているように感じられた…“問題”の町では、それをヒントにしたのかもしれない…
既に…大都市圏の自治体で、「“返礼”への欲に駆られた<ふるさと納税>」が目立つようになり、「住んでいる地域への納税」という地方自治の基礎が「オカシイ」ことになりかけている事例が目に付くらしい。<ふるさと納税>に「批判的な意見」を発する人達はそこを捉えて、「オカシイことになるから、早く止めた方が?」としている。個人的には、この観方に少し惹かれる…
少し前に『運命の卵』という古い小説を読んだ…或る研究者が、鶏卵の成長を促して、速く大きな鶏を育てて、肉や卵の供給を飛躍的に増やす可能性が在る技術を見出す…愈々生産の実験をしようとした時…鶏卵ではなく蛇の卵が入り込み、禍々しい大蛇が街に溢れて大変なことになってしまった…という、科学に明るいことからSF的な発想も入れた独特な小説を綴っていたミハイル・ブルガーコフの作品なのだが…<ふるさと納税>を余り長く続けていると、小説の「大蛇が出て大変!」のようなことが起こるような気がしてならない。既に?方々の自治体の税収等の収支状況に、一部「?」という状態が生じているとも聞く…
こういうような「考えたこと」は「飽くまでも個人的に考えたこと」で、何処かの機関の公式的な見解でも何でもない。と、一応加えておくが…時には「極個人的に考えたこと」を書き綴って整理してみたいと思う…
そんなことをしていたが…何時の間にか「1月」は「第3旬」である…
レーニン通の朝…(2019.01.15)
<ОСТРОЖНО:ВОЗМОЖЕН СХОД СНЕГА И НАЛЕДИ С КРЫШИ>(2019.01.15)
↓朝8時台のレーニン通…

↑ビルの軒下に看板が据えられている…通の灯り等が綺麗にボケた面白い画になった…
↓こういう状態で据えられているが、近付いて立止り、ゆっくり視なければ書いてある文字が読み悪い…

やや独特なステンシルの字体…
冒頭の「ОСТРОЖНО」(アスタロシナ)は「注意」で、ここで区切りになる…
以下の「ВОЗМОЖЕН СХОД СНЕГА И НАЛЕДИ С КРЫШИ」(ヴァズモージェン スホート スニェーガ イ ナーリェディ ス クリシー)は「屋根から雪や氷の塊が落下する場合が在る」ということだ…
気温が「氷点下一桁台前半」に「上昇」した中、こういうモノが目立つような感じになっていた…
「氷点下」な気温を捉まえて少々「妙?」な気もするが、最近の「最低気温=氷点下20℃前後」という状況下では相対的に「温かい」のだ…

↑ビルの軒下に看板が据えられている…通の灯り等が綺麗にボケた面白い画になった…
↓こういう状態で据えられているが、近付いて立止り、ゆっくり視なければ書いてある文字が読み悪い…

やや独特なステンシルの字体…
冒頭の「ОСТРОЖНО」(アスタロシナ)は「注意」で、ここで区切りになる…
以下の「ВОЗМОЖЕН СХОД СНЕГА И НАЛЕДИ С КРЫШИ」(ヴァズモージェン スホート スニェーガ イ ナーリェディ ス クリシー)は「屋根から雪や氷の塊が落下する場合が在る」ということだ…
気温が「氷点下一桁台前半」に「上昇」した中、こういうモノが目立つような感じになっていた…
「氷点下」な気温を捉まえて少々「妙?」な気もするが、最近の「最低気温=氷点下20℃前後」という状況下では相対的に「温かい」のだ…
早くも10日経った今年…
気付けば「1月第一旬」が過ぎ去ろうとしている…ということは、レーニン広場で打ち上げ花火を眺めて迎えた「新しい年」の2019年というモノが、速くも10日過ぎようとしているということになる。365日の2019年は、残すところ355日になったのだ…
「新しい年」を迎えたとして…個人的には、何か「新しいこと」を如何こうしようと考えているのでもない。従前どおりに過ごすばかりだ…強いて言えば、「昨シーズンのアクシデント」というモノが在ったことから、「冬季の安全」というようなモノを「従前に無い」と感じる程度に意識していることが「多少新しい?」のかもしれない…
私のように、「新しい年」と言って何か新しいことを如何こうしようとしているのでもないのは“論外”だが、「一般論」として「新しい年の新しい何か」には「期待」が寄せられるというものだ。そしてそういう「期待」に関して論じられるのが聞こえて来る…
そういう「聞こえて来る」という中で、「少し気になる?」と思っていることがある。
日本では今年が、実質的な<移民元年>になりそうなのだという。「問題が??」という論と同時に、「人手不足の改善」というようなことへの「期待」も語られる…そういうモノが聞こえている…
「人手不足の改善」というようなことへの「期待」…何十万人もの国外の人達が日本にやって来て働くようになる…ということらしいのだが…個人的には「“期待”するとおりに多数の人達がやって来て働くのか?」というように思う…言葉を少し換えると、「“職場”としての“日本”」というようなモノが、「色々な国々の人達から視て魅力的か?」ということである。更に踏み込むと、「日本に住んでいる人達にとって、“日本”というものが働き易い、住み易い場所なのか?」というようにも思える…
どういう文脈の話しだったか?私が中学生か高校生の頃…“親父殿”が口にしていた…
「昔は…千円札を持っていると、休みの日に床屋に行って、そこから映画を1本観て、食事をして家に帰ってもポケットに釣銭が在った…今は?そういうことをしようと思えば、1万円札が要るか?」とである…
“親父殿”が口にした「昔」がどの位の年代を指し示すのかは不明確だが…1940年代産まれな彼が少年から青年になって、働いて来たような長い年月で、モノの値段やら給与というような貨幣価値が大きく変わっていて「何時の間にか随分と様子が…」という慨嘆が在ったのであろう…
「休みの日に床屋に行って、そこから映画を1本観て、食事をして家に帰ってもポケットに釣銭」という状況に「1万円札が要る」という感覚…昭和後期、昭和末期の状況ということになろうが、「平成最後」という現在も、余り変わらないのではないだろうか?
勿論、色々と差異は在るであろうが…多分3千円台位かそれより安価な理髪店の料金、通常1800円で「割引」という場合も在る映画館の入場料、高いモノから安いモノまで幅がかなり大きい、と言って高級店で奮発するのでもなければ2千円代位(?)と見受けられるような食事代を合わせると「1万円札を使って、ポケットに釣銭」ということになるであろう…
こうやって考えると…色々なモノの料金や、料金設定の基盤に在るような人々の給与等の収入水準というようなモノが…「何十年も大きく動いてはいない」ということになるのではないか??
物価が上昇して、収入水準がその上昇率に追い付かないというような状態は困ると思える…そういう意味で、物価や収入水準が「何十年も大きく動いてはいない」というのは「安定」ということにはなるであろう。が…その「安定」というものが、「色々な方面に変な犠牲を強いている」という上に在るのであれば?何か妙だ…
世界の色々な国々では「物価が上昇して、収入水準がその上昇率に追い付かないというような状態」も在るのかもしれないから、そういうのが当然と思っている人達にとって日本の状況は魅力的かもしれない…が、それが「色々な方面に変な犠牲を強いている」という上に在るのなら?魅力的でも何でもないのではないか?
実質的な<移民元年>になりそうなのだという制度変更が行われたというが…既に現状でも「グレーゾーン」のような、「少し変な部分も?」という<技能実習>なる制度が在る。そういうのにしても、「以前はあの国の人達だったが、最近はこの国の人達」と“変遷”が既に発生しているらしい。「日本で手にする金」が、自国での収入水準等に照らして「破格という訳でもない…」という例が、或る程度多くなっているということではないだろうか?
そういうことを思う時…「人手不足の改善」というようなことへの「期待」に応えるように、何十万人もの人達がやって来て働くというように「なって行くのだろうか?」と思えてならない…
国内外の何処から来ようが、とりあえず仕事が在って、働く条件を容れるなら誰でも仕事が出来る…というようには「なっていない」訳だが…それは何故か?普通に働いて生きて行く権利を護って行くためではないのだろうか?そこを考えると…実質的な<移民元年>になりそうな状況を創出しようとする一方で「“移民”でなない!」という話しにもなっている現況に、何やら「名状し悪い不快感のようなモノ」を禁じ得ない…
更に思うのだが…20歳代前半の若い会社員が、過労状態で自殺してしまうというような、「余りにも可哀相」な事件が起こる「働き易い、住み易い場所なのか?!」と厳しく問いたくなるような国に、「勝手が違う他地域…それも“違い”の程度が相当に大きいと見受けられる外国」から大勢の人達を迎えて善いのだろうか?迎える羽目になる地域についても「何をどうしたら?どうなるのか?」と訳が判っていなかったり、その種の人達が一定程度入り込むことを「想定さえしていない」という場合さえ多々在りそうな状況で、「大丈夫??」というように素朴に思う…
気付けば「1月第一旬」が過ぎ去ろうとしている中、最近聞こえて来る話しから、一寸考えていたことを整理してみた…
「新しい年」を迎えたとして…個人的には、何か「新しいこと」を如何こうしようと考えているのでもない。従前どおりに過ごすばかりだ…強いて言えば、「昨シーズンのアクシデント」というモノが在ったことから、「冬季の安全」というようなモノを「従前に無い」と感じる程度に意識していることが「多少新しい?」のかもしれない…
私のように、「新しい年」と言って何か新しいことを如何こうしようとしているのでもないのは“論外”だが、「一般論」として「新しい年の新しい何か」には「期待」が寄せられるというものだ。そしてそういう「期待」に関して論じられるのが聞こえて来る…
そういう「聞こえて来る」という中で、「少し気になる?」と思っていることがある。
日本では今年が、実質的な<移民元年>になりそうなのだという。「問題が??」という論と同時に、「人手不足の改善」というようなことへの「期待」も語られる…そういうモノが聞こえている…
「人手不足の改善」というようなことへの「期待」…何十万人もの国外の人達が日本にやって来て働くようになる…ということらしいのだが…個人的には「“期待”するとおりに多数の人達がやって来て働くのか?」というように思う…言葉を少し換えると、「“職場”としての“日本”」というようなモノが、「色々な国々の人達から視て魅力的か?」ということである。更に踏み込むと、「日本に住んでいる人達にとって、“日本”というものが働き易い、住み易い場所なのか?」というようにも思える…
どういう文脈の話しだったか?私が中学生か高校生の頃…“親父殿”が口にしていた…
「昔は…千円札を持っていると、休みの日に床屋に行って、そこから映画を1本観て、食事をして家に帰ってもポケットに釣銭が在った…今は?そういうことをしようと思えば、1万円札が要るか?」とである…
“親父殿”が口にした「昔」がどの位の年代を指し示すのかは不明確だが…1940年代産まれな彼が少年から青年になって、働いて来たような長い年月で、モノの値段やら給与というような貨幣価値が大きく変わっていて「何時の間にか随分と様子が…」という慨嘆が在ったのであろう…
「休みの日に床屋に行って、そこから映画を1本観て、食事をして家に帰ってもポケットに釣銭」という状況に「1万円札が要る」という感覚…昭和後期、昭和末期の状況ということになろうが、「平成最後」という現在も、余り変わらないのではないだろうか?
勿論、色々と差異は在るであろうが…多分3千円台位かそれより安価な理髪店の料金、通常1800円で「割引」という場合も在る映画館の入場料、高いモノから安いモノまで幅がかなり大きい、と言って高級店で奮発するのでもなければ2千円代位(?)と見受けられるような食事代を合わせると「1万円札を使って、ポケットに釣銭」ということになるであろう…
こうやって考えると…色々なモノの料金や、料金設定の基盤に在るような人々の給与等の収入水準というようなモノが…「何十年も大きく動いてはいない」ということになるのではないか??
物価が上昇して、収入水準がその上昇率に追い付かないというような状態は困ると思える…そういう意味で、物価や収入水準が「何十年も大きく動いてはいない」というのは「安定」ということにはなるであろう。が…その「安定」というものが、「色々な方面に変な犠牲を強いている」という上に在るのであれば?何か妙だ…
世界の色々な国々では「物価が上昇して、収入水準がその上昇率に追い付かないというような状態」も在るのかもしれないから、そういうのが当然と思っている人達にとって日本の状況は魅力的かもしれない…が、それが「色々な方面に変な犠牲を強いている」という上に在るのなら?魅力的でも何でもないのではないか?
実質的な<移民元年>になりそうなのだという制度変更が行われたというが…既に現状でも「グレーゾーン」のような、「少し変な部分も?」という<技能実習>なる制度が在る。そういうのにしても、「以前はあの国の人達だったが、最近はこの国の人達」と“変遷”が既に発生しているらしい。「日本で手にする金」が、自国での収入水準等に照らして「破格という訳でもない…」という例が、或る程度多くなっているということではないだろうか?
そういうことを思う時…「人手不足の改善」というようなことへの「期待」に応えるように、何十万人もの人達がやって来て働くというように「なって行くのだろうか?」と思えてならない…
国内外の何処から来ようが、とりあえず仕事が在って、働く条件を容れるなら誰でも仕事が出来る…というようには「なっていない」訳だが…それは何故か?普通に働いて生きて行く権利を護って行くためではないのだろうか?そこを考えると…実質的な<移民元年>になりそうな状況を創出しようとする一方で「“移民”でなない!」という話しにもなっている現況に、何やら「名状し悪い不快感のようなモノ」を禁じ得ない…
更に思うのだが…20歳代前半の若い会社員が、過労状態で自殺してしまうというような、「余りにも可哀相」な事件が起こる「働き易い、住み易い場所なのか?!」と厳しく問いたくなるような国に、「勝手が違う他地域…それも“違い”の程度が相当に大きいと見受けられる外国」から大勢の人達を迎えて善いのだろうか?迎える羽目になる地域についても「何をどうしたら?どうなるのか?」と訳が判っていなかったり、その種の人達が一定程度入り込むことを「想定さえしていない」という場合さえ多々在りそうな状況で、「大丈夫??」というように素朴に思う…
気付けば「1月第一旬」が過ぎ去ろうとしている中、最近聞こえて来る話しから、一寸考えていたことを整理してみた…
穏やかな休日に…
ユジノサハリンスクの年末年始は「穏やかな天候」で推移している。結構なことだ…
昨夜は雪が舞っていて、朝までに些かの積雪が見受けられた。と言って、「辺りを白く彩った」とでも形容すべき程度のことで、明るくなれば明るい空で、空には蒼が拡がっている…
年末年始の話題の中…古式な大砲を引っ張り出し、盛大に「ドカン!」と音を鳴らす恒例行事をやっている神社が在って、それが今年も行われたということが伝えられていた…
古式な大砲で「ドカン!」というのは何やら面白そうだ…「機会が在れば視てみたい」というようには思ったが…12月31日から1月1日に日付が変わるような時間帯らしい催事を視に、その現地まで簡単に出掛けられるだろうか?交通や宿泊が混雑することが明々白々な時季…「過ぎる程に入念な準備」が必要な筈だ…
私は何処かへ出掛けることが嫌いではないが…「過ぎる程に入念な準備」が「必要な筈」と頭に浮かんだだけで「パス…」というように考えてしまう。出掛ける場合には、気軽に「そうだ!!」と出掛ける程度が好い…
随分と以前に、全国の何処の地域の人でも「名前位は知っている。知っているという程でもないにせよ、名前を聞いたことは、ほぼ間違い無く在る筈」という伝統的な祭りが開催されている地域の方と話していて、その祭りに話題が及んだということが在った。
相当に有名な祭りだが、話した方によれば、相当に古くから街の特定の層に属する方達に受け継がれて来たという性質のモノで、その層に属しているでもない多くの人達にとっては、他地域から祭りの時季に立寄って「何やらやっている…こういうモノか…」と眺めている人達と大差が無いのだという。相当に有名な祭りながら、「自分達のモノ」という意識は殆ど無く、「地元の風景??」というような程度に「思う場合も無くはない」というようなことを仰っていた。
或いは…「機会が在れば視てみたい」と何処かを訪ねてみる切っ掛けとなる場合も在るような有名な催事も、各々の地元に在っては、必ずしも「人々が熱中している」という程でもないというのが存外に多いのかもしれない。そしてそういう有名な催事だが…これを訪ねるとなれば…交通や宿泊が混み合う理由となる訳で…「過ぎる程に入念な準備」が「必要な筈」ということになってしまう…
交通や宿泊が混み合う程度に、人々が特定地域を訪れる…催事が在れば、そういう「地域振興」というような意味で、好ましいかもしれない状況が発生する可能性は認められる…が…如何に催事の規模が相当に大掛かりなモノであったにしても「地域を訪れる来訪者の7割や8割を占める」という程度に「決定的!」であるような事例等…多分、日本中でも殆ど無いであろう…世界中で考えれば、日頃は人影が無いような特殊な場所に、年に1回や何年に1回の催しで夥しい人達が集まるというようなことが、もしかすると在るのかもしれないが…
「地域を訪ねる人達が少しでも増えるように」ということ…そういう「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方が巷に無い訳でもないと思う。そういう考え方に関して、100%否定はしないが、100%肯定することも出来ない。どんなことでも「100%」は無いので、当たり前に過ぎる言い方になってしまったかもしれない…もっとハッキリ言えば、「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方に関して、「ネガティヴな観方」を個人的にはしている…
何となく記憶を辿ることも出来るような「何処かへ出掛けた」という過去10年間かそれ位の経験を振り返る…“仕事”というモノで「〇〇で開催されるXXXXという会合に参加」という、「広い意味での“催事”」と言い得るかもしれない理由で出掛けた事例は思い当たる。が、そういうのを除くと「“催事”を理由に出掛けた」という事例に全く思い当たらない…知名度の高い低いを問わず、広く知られている祭りのようなモノを目掛けて出掛けたという事例が全く思い当たらない…出掛けて、フラフラと辿り着いた先で「〇〇で開催されるXXXXという会合」のなかなかに大規模なモノが開催中で、宿泊先確保に難儀したということが在った記憶は在るが…
余程知名度が高いようなモノも含めて…“催事”が何処かの地域を訪ねるという「決定的な理由」になるのだろうか?理由にはなり得ても、「決定的」とも言い切れない…私はそういうように感じる…
知名度が高い祭りのようなモノが開催されるということも含めて、各々の地域には、各々の地域で積み重ねられた伝統のようなモノが在って、そして現状が在る。その現状が「居心地が悪くない」という状態であることに、訪ねてみて気付くと…「気に入った!!」ということになって、何度でも勝手に訪ねるのだ…“催事”に関する宣伝等は無用である…
こういうのは?「特殊な考え方」なのだろうか?私自身は「当然」だと思っているのだが…
自身で「当然」と思っていても、周辺では「特殊」と視るかもしれない。周辺で「当然」としていても、自身では「特殊」に視えたり、感じたりするかもしれない。何でもそうだ。だから物事を見詰めて「こういうように言っている人が在るが、本当に?」と自分なりに考えてみなければならない筈だ。しかし…最近は何かにつけて「〇〇さんが言っている」というような口を利く人が目に留まり、個人的には少なからず呆れている…
私にとって、「時には…」と思い付いて出掛けてみるというのは…何かで読んだか、聞いたかしたような文物に触れてみたり、多少不慣れな交通機関をも駆使して動き回ることを愉しみ、気に入った様子の写真でも撮って…というようなことだ。多少なりとも興味が在る展示が為されている施設には入場券を求めて入るが、“テーマパーク”と称するモノの多くは、相当に名前が通っているモノでも入ったことは無い。「時間が設けられることになった」という時に出掛けるので、“催事”に合わせてどうこうするというようなことなど、最初から諦めている。出先に在る時に、プロスポーツの試合でも開催と判れば、何とか潜り込むことを考えるという位はするかもしれない…相当に旧い記憶だが、そういうことをしてかなり愉しかったという想い出も在る…
そういうことなので…「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方に関して…「自分は、全くと言って間違いでもない程度に関係無いかもしれないような感覚なので…理解困難…」という程度にさえ感じる場合も在る…
何かの“催事”に関して宣伝が行われていたり、伝えられていたりすると、その催行地域に関して「知る切っ掛け」という程度にはなるであろう。が、それはテレビドラマでも放映されて、「ドラマ『〇〇〇』の舞台」と話が広まるのと…似たようなものかもしれない…
「ドラマ『〇〇〇』の舞台」という話しに関しても、そのドラマ自体が広く親しまれるモノ、“成功作品”と言われるようなことでもなければ…「何それ?」ということになるかもしれない。それは“催事”に関して宣伝することについても、或る程度は言えるのではないだろうか?相当に力を注いで宣伝しても、直ぐに知名度が高まるのでもない…
年末年始の話題に触れた中、何となく考えていたことを纏めてみた…実は…「時には気分を変えて考え事でも?」と、「朝食には遅めで、昼食にはやや早め」という時間帯に、時々利用する店にノートパソコン持参で出て、珈琲を頂きながら綴っていたのだった…時にはこういうのも悪くはない…今、カップに入っている珈琲は?何杯目だったか?
昨夜は雪が舞っていて、朝までに些かの積雪が見受けられた。と言って、「辺りを白く彩った」とでも形容すべき程度のことで、明るくなれば明るい空で、空には蒼が拡がっている…
年末年始の話題の中…古式な大砲を引っ張り出し、盛大に「ドカン!」と音を鳴らす恒例行事をやっている神社が在って、それが今年も行われたということが伝えられていた…
古式な大砲で「ドカン!」というのは何やら面白そうだ…「機会が在れば視てみたい」というようには思ったが…12月31日から1月1日に日付が変わるような時間帯らしい催事を視に、その現地まで簡単に出掛けられるだろうか?交通や宿泊が混雑することが明々白々な時季…「過ぎる程に入念な準備」が必要な筈だ…
私は何処かへ出掛けることが嫌いではないが…「過ぎる程に入念な準備」が「必要な筈」と頭に浮かんだだけで「パス…」というように考えてしまう。出掛ける場合には、気軽に「そうだ!!」と出掛ける程度が好い…
随分と以前に、全国の何処の地域の人でも「名前位は知っている。知っているという程でもないにせよ、名前を聞いたことは、ほぼ間違い無く在る筈」という伝統的な祭りが開催されている地域の方と話していて、その祭りに話題が及んだということが在った。
相当に有名な祭りだが、話した方によれば、相当に古くから街の特定の層に属する方達に受け継がれて来たという性質のモノで、その層に属しているでもない多くの人達にとっては、他地域から祭りの時季に立寄って「何やらやっている…こういうモノか…」と眺めている人達と大差が無いのだという。相当に有名な祭りながら、「自分達のモノ」という意識は殆ど無く、「地元の風景??」というような程度に「思う場合も無くはない」というようなことを仰っていた。
或いは…「機会が在れば視てみたい」と何処かを訪ねてみる切っ掛けとなる場合も在るような有名な催事も、各々の地元に在っては、必ずしも「人々が熱中している」という程でもないというのが存外に多いのかもしれない。そしてそういう有名な催事だが…これを訪ねるとなれば…交通や宿泊が混み合う理由となる訳で…「過ぎる程に入念な準備」が「必要な筈」ということになってしまう…
交通や宿泊が混み合う程度に、人々が特定地域を訪れる…催事が在れば、そういう「地域振興」というような意味で、好ましいかもしれない状況が発生する可能性は認められる…が…如何に催事の規模が相当に大掛かりなモノであったにしても「地域を訪れる来訪者の7割や8割を占める」という程度に「決定的!」であるような事例等…多分、日本中でも殆ど無いであろう…世界中で考えれば、日頃は人影が無いような特殊な場所に、年に1回や何年に1回の催しで夥しい人達が集まるというようなことが、もしかすると在るのかもしれないが…
「地域を訪ねる人達が少しでも増えるように」ということ…そういう「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方が巷に無い訳でもないと思う。そういう考え方に関して、100%否定はしないが、100%肯定することも出来ない。どんなことでも「100%」は無いので、当たり前に過ぎる言い方になってしまったかもしれない…もっとハッキリ言えば、「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方に関して、「ネガティヴな観方」を個人的にはしている…
何となく記憶を辿ることも出来るような「何処かへ出掛けた」という過去10年間かそれ位の経験を振り返る…“仕事”というモノで「〇〇で開催されるXXXXという会合に参加」という、「広い意味での“催事”」と言い得るかもしれない理由で出掛けた事例は思い当たる。が、そういうのを除くと「“催事”を理由に出掛けた」という事例に全く思い当たらない…知名度の高い低いを問わず、広く知られている祭りのようなモノを目掛けて出掛けたという事例が全く思い当たらない…出掛けて、フラフラと辿り着いた先で「〇〇で開催されるXXXXという会合」のなかなかに大規模なモノが開催中で、宿泊先確保に難儀したということが在った記憶は在るが…
余程知名度が高いようなモノも含めて…“催事”が何処かの地域を訪ねるという「決定的な理由」になるのだろうか?理由にはなり得ても、「決定的」とも言い切れない…私はそういうように感じる…
知名度が高い祭りのようなモノが開催されるということも含めて、各々の地域には、各々の地域で積み重ねられた伝統のようなモノが在って、そして現状が在る。その現状が「居心地が悪くない」という状態であることに、訪ねてみて気付くと…「気に入った!!」ということになって、何度でも勝手に訪ねるのだ…“催事”に関する宣伝等は無用である…
こういうのは?「特殊な考え方」なのだろうか?私自身は「当然」だと思っているのだが…
自身で「当然」と思っていても、周辺では「特殊」と視るかもしれない。周辺で「当然」としていても、自身では「特殊」に視えたり、感じたりするかもしれない。何でもそうだ。だから物事を見詰めて「こういうように言っている人が在るが、本当に?」と自分なりに考えてみなければならない筈だ。しかし…最近は何かにつけて「〇〇さんが言っている」というような口を利く人が目に留まり、個人的には少なからず呆れている…
私にとって、「時には…」と思い付いて出掛けてみるというのは…何かで読んだか、聞いたかしたような文物に触れてみたり、多少不慣れな交通機関をも駆使して動き回ることを愉しみ、気に入った様子の写真でも撮って…というようなことだ。多少なりとも興味が在る展示が為されている施設には入場券を求めて入るが、“テーマパーク”と称するモノの多くは、相当に名前が通っているモノでも入ったことは無い。「時間が設けられることになった」という時に出掛けるので、“催事”に合わせてどうこうするというようなことなど、最初から諦めている。出先に在る時に、プロスポーツの試合でも開催と判れば、何とか潜り込むことを考えるという位はするかもしれない…相当に旧い記憶だが、そういうことをしてかなり愉しかったという想い出も在る…
そういうことなので…「地域振興」ということ、取分け「観光振興」というような意味合いで、「催事(イベント)を!!」という考え方に関して…「自分は、全くと言って間違いでもない程度に関係無いかもしれないような感覚なので…理解困難…」という程度にさえ感じる場合も在る…
何かの“催事”に関して宣伝が行われていたり、伝えられていたりすると、その催行地域に関して「知る切っ掛け」という程度にはなるであろう。が、それはテレビドラマでも放映されて、「ドラマ『〇〇〇』の舞台」と話が広まるのと…似たようなものかもしれない…
「ドラマ『〇〇〇』の舞台」という話しに関しても、そのドラマ自体が広く親しまれるモノ、“成功作品”と言われるようなことでもなければ…「何それ?」ということになるかもしれない。それは“催事”に関して宣伝することについても、或る程度は言えるのではないだろうか?相当に力を注いで宣伝しても、直ぐに知名度が高まるのでもない…
年末年始の話題に触れた中、何となく考えていたことを纏めてみた…実は…「時には気分を変えて考え事でも?」と、「朝食には遅めで、昼食にはやや早め」という時間帯に、時々利用する店にノートパソコン持参で出て、珈琲を頂きながら綴っていたのだった…時にはこういうのも悪くはない…今、カップに入っている珈琲は?何杯目だったか?
今年最後の土曜日…夕刻に想い起す…
「あと〇日」という表現が耳目に触れる機会が次第に増えている…2018年というモノも残り少なくなった…
「2018年最後の土曜日」というモノ…昨日の時点では、何処かに出掛けたいような気分であったが…朝、平日同様な時間帯に起き出した後、再度眠ってしまい…何となくサウナを利用する、食事に出るというような按配でゆっくりと過ごした感だ…
2018年…昨年11月の“アクシデント”の後、按配が好くない状況下で迎えた。年が改まった時点ではユジノサハリンスクに在った…レーニン広場で華々しい花火が上がったのは好いが…「花火が引火で大きな“ヨールカ”(ロシア流のクリスマスツリー)が炎上」という騒ぎが在った。何方かが手持ちのスマートフォンか何かで撮影した動画というモノが、ロシア全土で放映されているニュース番組で「各地の話題」というように出ていた…
こういうように思い出すと…「ロクでもない…」という具合に2018年を迎えたのかもしれない…が、往時を思い出すと、「ロクでもない…」という程には思っていなかったような気もする。
“ヨールカ”炎上は「縁起が悪い…」というようには感じられたが、辺りの何かの施設が火災になってしまうようなことを思えば…「語り継がれる妙な話し」が一つ増えたという程度のことだ…後始末をして、急遽の“代打”を用意するようなことに奔走した人達は大変だったとは思う。実際に、炎上騒ぎの翌日には、何事も無かったかのように、一回り位は小さいものの、“ヨールカ”がレーニン広場に輝いていた…
自身の“アクシデント”に関しては、恢復に時間を要する負傷の故に不自由を強いられることにもなるので、非常に不運であった訳だが、私は直ぐに「不幸中の幸い」というモノであると思っていた。“アクシデント”の状況を想えば、負傷の度合いが更に面倒な状況をもたらす可能性は高かった。また、身体の妙な箇所を強打して「死亡事故」になってしまったという可能性も否定出来ない。巷には、「あの男のようなややこしい奴は…」程度に蔭で囁いていた人達は多分多く在ったように思えなくもないが…正しく「不幸中の幸い」という感の負傷だった訳だ…
2018年に関しては、少しだけ時間を設けて、「一寸した寄り道…」のような按配で他所の地域に出るような場面も在った…
文字どおりの「一寸した寄り道…」としては…成田空港に上陸後、札幌に寄って用事を足してから稚内へ向かう前に時間を設け、関西方面で多少時間を過ごした。近年、関西方面は方々から来訪する旅客が増加中で、宿泊施設を確保することが多少難しい場合も在る…が、私にとっては、「様々な、多少違う伝統を積み重ねた地域が連なっている」という場所で、各々に特徴が在る私鉄各社の列車、場合によって路線バス等で気儘にそういう場所を巡って過ごすのが非常に好いのだ…
そういうことだが…“アクシデント”からの恢復が十全でもなかった2月下旬…神戸に陣取ることにして、淡路島に<高田屋嘉兵衛顕彰館>を訪ねた…日露交渉史上に足跡を残す、立志伝中の商人…その生誕地であり、一線を退いて後継者達に事業を譲った後に過ごしたという地域に在る顕彰館は、綺麗な公園の一隅を占めている場所だった。神戸都心部の三宮からバスに乗り、あの明石海峡大橋を渡って淡路島に上陸するのだ。淡路島上陸が全く初めてだったことと相俟って、ここを訪ねた件が強く記憶に残る…
そして5月下旬…“アクシデント”からの恢復に関して、漸く「この負傷に関して、とりあえず段落…」というような感じになって非常に善かったのだが…この時は大阪に陣取り、大阪城の敷地に残る「江戸時代の建造物」が、期間限定らしい形で公開されていたので、張り切って見学に行った…“大坂城”だった江戸時代…豊臣政権による城が<大坂の陣>で焼け落ちてしまった後、徳川幕府が改めて同じ場所を整地して城を建設した。大きな天守閣は在ったようだが、火災で損なわれて再建されないままだったという。あの敷地に色々と屋敷のようなモノや蔵が在って、それらを結ぶ、平素から色々な人達の通路になっていたような建築物が残っていて公開されていた…幕末…<鳥羽伏見の戦い>の局面で「明日は反撃!」と気勢が上がっていた中、総大将の徳川慶喜は、手近に居た何人かの人達を引き連れて城を夜に抜け出し、近くに停泊中だった幕府海軍の旗艦たる<開陽丸>に乗り込み「江戸へ!!」と言い出した…艦の指揮官たる榎本武揚が上陸中で不在と副長達が出航を渋ると、「ではその方を艦長と致す故、善きに計らえ…」という話しで出航してしまった…翌朝の大坂城は…「大樹公は何処におわす!!」と血相を変えた幕臣や…「中将様は何処?」と悲嘆に暮れる、徳川慶喜に主君を連れ去られた会津松平家中の人達が走り回っていた訳だ…話が長くなったが…その“脱出”してしまった徳川慶喜達を探して血相を変えていたであろう人達が走り回っていたと思われる場所の一部と思われる箇所を観たのだ…酷く興味深い見学だった…
11月下旬には…「前年は“アクシデント”で、方々に“寄り道”という予定を断念した…」という想いが込み上げ、少々時間を設けた…広島を経由して九州上陸を果たし、やや慌ただしい形ではあったが、九州各地を少しだけ巡ってみた。九州というのも「様々な、多少違う伝統を積み重ねた地域が連なっている」という場所であり、気儘に各種交通機関で巡るのが愉しいという地域である。
未だ記憶に新しく、一部に「写真が未整理」でもある11月下旬の件ではあるが…「歴史の教科書に出て来るモノ」ということで、随分以前から興味が在って、立寄る機会を設け損なっていた<宇佐神宮>に寄る機会を設けられた。所謂「宇佐八幡」である…この<宇佐神宮>で…“御朱印帳”を求めて御朱印をお願いしてみた…そして旅の途次で何箇所かの神社に寄り、“御朱印”をほんの少し集めてしまった…史跡でも在って、独特なムードの在る、古い古い由緒を誇る神社は、何やらエネルギーが渦巻くような感じも在って、何となく寄ること自体が好いのだが…昨年の経過の故に「八百万の神々に、自身の“安全祈願”?」という気分が沸き上がったのである…
11月下旬に関しては…「1時間以上も駅から延々と歩いて到達」という出来事の故に、立寄った方々の中では霧島神宮が思い出深い場所となったことを、敢えて書き出しておく必要が在るであろう…
これらの文字どおりな「一寸した寄り道…」の他…2018年は何回かウラジオストクを訪ねてみた…昨年は8月にクリリオン岬を洋上から眺めるツアーに参加したことや、9月にアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねたというのが思い出だったが…今年はウラジオストクが「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という按配になった…
更にユジノサハリンスクに在って、<ヴォストーク65>との出会いは「非常に好かった出来事」である。「地元にプロリーグのチーム」ということで、地元チームに声援を送りながら競技の観戦を愉しみ、リーグ戦の行方を眺める…実に好いものだ!!自身は「札幌育ち」ということになるが、札幌程度の大都市でも、考えてみればプロスポーツのようなモノに関して「地元チームに声援を送りながら競技の観戦を愉しみ」ということが出来るようになったのは「極近年」という状況ではないのだろうか?ユジノサハリンスクは札幌の一割強のような人口規模の街だが、そういうスポーツ観戦のお楽しみも在る訳だ…
こういうような…「何処かを訪ねて見聞を広め…」というようなことに類することに関しては、随分と以前から「適当に巧くやっている」というように思う。他に「適当に巧くやっているでもない」ということも多いかもしれない…が、他所では私が「適当に巧くやっている」ことに関して、「巧くやっているでもない」という例は多々在るのかもしれない…街の灯りの数だけ人生が在って、人生の数だけその「在り方」も在るのだから…「巧くやっている」と思える何かを愛でていれば好い筈だ…
「あと2日と少々」ということになるのだろうか?2018年は?住まいの極近所の気に入っている店で何となくゆっくりと夕べを過ごし、自身の2018年の一面を少しばかり振り返った…2019年に年が改まって行く時点…ユジノサハリンスクに在る予定だ…
「2018年最後の土曜日」というモノ…昨日の時点では、何処かに出掛けたいような気分であったが…朝、平日同様な時間帯に起き出した後、再度眠ってしまい…何となくサウナを利用する、食事に出るというような按配でゆっくりと過ごした感だ…
2018年…昨年11月の“アクシデント”の後、按配が好くない状況下で迎えた。年が改まった時点ではユジノサハリンスクに在った…レーニン広場で華々しい花火が上がったのは好いが…「花火が引火で大きな“ヨールカ”(ロシア流のクリスマスツリー)が炎上」という騒ぎが在った。何方かが手持ちのスマートフォンか何かで撮影した動画というモノが、ロシア全土で放映されているニュース番組で「各地の話題」というように出ていた…
こういうように思い出すと…「ロクでもない…」という具合に2018年を迎えたのかもしれない…が、往時を思い出すと、「ロクでもない…」という程には思っていなかったような気もする。
“ヨールカ”炎上は「縁起が悪い…」というようには感じられたが、辺りの何かの施設が火災になってしまうようなことを思えば…「語り継がれる妙な話し」が一つ増えたという程度のことだ…後始末をして、急遽の“代打”を用意するようなことに奔走した人達は大変だったとは思う。実際に、炎上騒ぎの翌日には、何事も無かったかのように、一回り位は小さいものの、“ヨールカ”がレーニン広場に輝いていた…
自身の“アクシデント”に関しては、恢復に時間を要する負傷の故に不自由を強いられることにもなるので、非常に不運であった訳だが、私は直ぐに「不幸中の幸い」というモノであると思っていた。“アクシデント”の状況を想えば、負傷の度合いが更に面倒な状況をもたらす可能性は高かった。また、身体の妙な箇所を強打して「死亡事故」になってしまったという可能性も否定出来ない。巷には、「あの男のようなややこしい奴は…」程度に蔭で囁いていた人達は多分多く在ったように思えなくもないが…正しく「不幸中の幸い」という感の負傷だった訳だ…
2018年に関しては、少しだけ時間を設けて、「一寸した寄り道…」のような按配で他所の地域に出るような場面も在った…
文字どおりの「一寸した寄り道…」としては…成田空港に上陸後、札幌に寄って用事を足してから稚内へ向かう前に時間を設け、関西方面で多少時間を過ごした。近年、関西方面は方々から来訪する旅客が増加中で、宿泊施設を確保することが多少難しい場合も在る…が、私にとっては、「様々な、多少違う伝統を積み重ねた地域が連なっている」という場所で、各々に特徴が在る私鉄各社の列車、場合によって路線バス等で気儘にそういう場所を巡って過ごすのが非常に好いのだ…
そういうことだが…“アクシデント”からの恢復が十全でもなかった2月下旬…神戸に陣取ることにして、淡路島に<高田屋嘉兵衛顕彰館>を訪ねた…日露交渉史上に足跡を残す、立志伝中の商人…その生誕地であり、一線を退いて後継者達に事業を譲った後に過ごしたという地域に在る顕彰館は、綺麗な公園の一隅を占めている場所だった。神戸都心部の三宮からバスに乗り、あの明石海峡大橋を渡って淡路島に上陸するのだ。淡路島上陸が全く初めてだったことと相俟って、ここを訪ねた件が強く記憶に残る…
そして5月下旬…“アクシデント”からの恢復に関して、漸く「この負傷に関して、とりあえず段落…」というような感じになって非常に善かったのだが…この時は大阪に陣取り、大阪城の敷地に残る「江戸時代の建造物」が、期間限定らしい形で公開されていたので、張り切って見学に行った…“大坂城”だった江戸時代…豊臣政権による城が<大坂の陣>で焼け落ちてしまった後、徳川幕府が改めて同じ場所を整地して城を建設した。大きな天守閣は在ったようだが、火災で損なわれて再建されないままだったという。あの敷地に色々と屋敷のようなモノや蔵が在って、それらを結ぶ、平素から色々な人達の通路になっていたような建築物が残っていて公開されていた…幕末…<鳥羽伏見の戦い>の局面で「明日は反撃!」と気勢が上がっていた中、総大将の徳川慶喜は、手近に居た何人かの人達を引き連れて城を夜に抜け出し、近くに停泊中だった幕府海軍の旗艦たる<開陽丸>に乗り込み「江戸へ!!」と言い出した…艦の指揮官たる榎本武揚が上陸中で不在と副長達が出航を渋ると、「ではその方を艦長と致す故、善きに計らえ…」という話しで出航してしまった…翌朝の大坂城は…「大樹公は何処におわす!!」と血相を変えた幕臣や…「中将様は何処?」と悲嘆に暮れる、徳川慶喜に主君を連れ去られた会津松平家中の人達が走り回っていた訳だ…話が長くなったが…その“脱出”してしまった徳川慶喜達を探して血相を変えていたであろう人達が走り回っていたと思われる場所の一部と思われる箇所を観たのだ…酷く興味深い見学だった…
11月下旬には…「前年は“アクシデント”で、方々に“寄り道”という予定を断念した…」という想いが込み上げ、少々時間を設けた…広島を経由して九州上陸を果たし、やや慌ただしい形ではあったが、九州各地を少しだけ巡ってみた。九州というのも「様々な、多少違う伝統を積み重ねた地域が連なっている」という場所であり、気儘に各種交通機関で巡るのが愉しいという地域である。
未だ記憶に新しく、一部に「写真が未整理」でもある11月下旬の件ではあるが…「歴史の教科書に出て来るモノ」ということで、随分以前から興味が在って、立寄る機会を設け損なっていた<宇佐神宮>に寄る機会を設けられた。所謂「宇佐八幡」である…この<宇佐神宮>で…“御朱印帳”を求めて御朱印をお願いしてみた…そして旅の途次で何箇所かの神社に寄り、“御朱印”をほんの少し集めてしまった…史跡でも在って、独特なムードの在る、古い古い由緒を誇る神社は、何やらエネルギーが渦巻くような感じも在って、何となく寄ること自体が好いのだが…昨年の経過の故に「八百万の神々に、自身の“安全祈願”?」という気分が沸き上がったのである…
11月下旬に関しては…「1時間以上も駅から延々と歩いて到達」という出来事の故に、立寄った方々の中では霧島神宮が思い出深い場所となったことを、敢えて書き出しておく必要が在るであろう…
これらの文字どおりな「一寸した寄り道…」の他…2018年は何回かウラジオストクを訪ねてみた…昨年は8月にクリリオン岬を洋上から眺めるツアーに参加したことや、9月にアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねたというのが思い出だったが…今年はウラジオストクが「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という按配になった…
更にユジノサハリンスクに在って、<ヴォストーク65>との出会いは「非常に好かった出来事」である。「地元にプロリーグのチーム」ということで、地元チームに声援を送りながら競技の観戦を愉しみ、リーグ戦の行方を眺める…実に好いものだ!!自身は「札幌育ち」ということになるが、札幌程度の大都市でも、考えてみればプロスポーツのようなモノに関して「地元チームに声援を送りながら競技の観戦を愉しみ」ということが出来るようになったのは「極近年」という状況ではないのだろうか?ユジノサハリンスクは札幌の一割強のような人口規模の街だが、そういうスポーツ観戦のお楽しみも在る訳だ…
こういうような…「何処かを訪ねて見聞を広め…」というようなことに類することに関しては、随分と以前から「適当に巧くやっている」というように思う。他に「適当に巧くやっているでもない」ということも多いかもしれない…が、他所では私が「適当に巧くやっている」ことに関して、「巧くやっているでもない」という例は多々在るのかもしれない…街の灯りの数だけ人生が在って、人生の数だけその「在り方」も在るのだから…「巧くやっている」と思える何かを愛でていれば好い筈だ…
「あと2日と少々」ということになるのだろうか?2018年は?住まいの極近所の気に入っている店で何となくゆっくりと夕べを過ごし、自身の2018年の一面を少しばかり振り返った…2019年に年が改まって行く時点…ユジノサハリンスクに在る予定だ…
雪と“ヨールカ”:レーニン広場(2018.12.19)
月曜日…
「月曜日の朝」を迎えているのだが…何か「訳が判らない間に…」というようにも感じる…
前の1週間の時間経過を酷く早く感じているということなのであろう…前々週は落ち着いていて、その更に前の週は動き回っていた…両者の中間のような、「落ち着いているつもりでいたものが、動き始めると何となく慌ただしく、続々と様子が変わって、気付けば週末」ということだったように思う…
前週、火曜日の夜から南下し、水曜日に落ち着き。木曜日は国際線のフライトだったが、時差の関係で何となく「夜まで掛かった」ような按配になった…そこから「サハリン時間」で、やや怠い金曜日が過ぎ、直ぐに土日も過ぎてしまった…
何か「訳が分からない間に…」という具合に「月曜日の朝」だが…今週の時間を何となく“普通”に過ごすと、少しは訳が分かるようになるだろうか?
今朝は…氷点下7℃というような程度の気温らしい…
前の1週間の時間経過を酷く早く感じているということなのであろう…前々週は落ち着いていて、その更に前の週は動き回っていた…両者の中間のような、「落ち着いているつもりでいたものが、動き始めると何となく慌ただしく、続々と様子が変わって、気付けば週末」ということだったように思う…
前週、火曜日の夜から南下し、水曜日に落ち着き。木曜日は国際線のフライトだったが、時差の関係で何となく「夜まで掛かった」ような按配になった…そこから「サハリン時間」で、やや怠い金曜日が過ぎ、直ぐに土日も過ぎてしまった…
何か「訳が分からない間に…」という具合に「月曜日の朝」だが…今週の時間を何となく“普通”に過ごすと、少しは訳が分かるようになるだろうか?
今朝は…氷点下7℃というような程度の気温らしい…
<宗谷>:稚内駅(2018.12.11)
稚内駅を発着する1日に3往復の特急列車の中、2往復は稚内・旭川間を往復し、1往復が稚内・札幌間を往復する…
稚内・札幌間を往復する特急列車が<宗谷>である…「札幌発」は朝で、「稚内発」は夕刻だ…
↓旭川から着いた列車の車内整備を行い、そのまま札幌へ向かう<宗谷>ということになる…

↑冬季には「夜…」という雰囲気が色濃くなる中で列車が稚内駅に登場する…
↓用意の切符を手に改札口を潜り、席に荷物を置いて、発車までの間に外から車輛を眺めながら一息入れる…

<宗谷>で使用される車輛はキハ261系ディーゼルカーだ。近年、北海道内で登場する新しい車輛はこの型になっているのだが、「初登場!」は稚内・札幌間の列車だった。そういう訳で、この車輛に関しては「稚内に来る(行く)列車」というイメージが強い…
以前に同僚が札幌から列車を利用した際、見慣れない車輛が代車として札幌駅に登場したということだった…するとホームで「稚内に行くアレが視えないが…どうなっている!?」とブツブツ言っている方が見受けられたという…このキハ261系のイメージが定着しているのだ…
こんな様子を視て、車内に戻って席に着けば「お待たせ致しました。間もなく発車です」ということになり「ドアが閉まります…」で静かに動き始める…暗い、夜行列車も同然の車窓という中、読み掛けの小説の文庫本を読み終え、居眠りも交じりながら旭川駅までこの列車に乗車した…
稚内・札幌間を往復する特急列車が<宗谷>である…「札幌発」は朝で、「稚内発」は夕刻だ…
↓旭川から着いた列車の車内整備を行い、そのまま札幌へ向かう<宗谷>ということになる…

↑冬季には「夜…」という雰囲気が色濃くなる中で列車が稚内駅に登場する…
↓用意の切符を手に改札口を潜り、席に荷物を置いて、発車までの間に外から車輛を眺めながら一息入れる…

<宗谷>で使用される車輛はキハ261系ディーゼルカーだ。近年、北海道内で登場する新しい車輛はこの型になっているのだが、「初登場!」は稚内・札幌間の列車だった。そういう訳で、この車輛に関しては「稚内に来る(行く)列車」というイメージが強い…
以前に同僚が札幌から列車を利用した際、見慣れない車輛が代車として札幌駅に登場したということだった…するとホームで「稚内に行くアレが視えないが…どうなっている!?」とブツブツ言っている方が見受けられたという…このキハ261系のイメージが定着しているのだ…
こんな様子を視て、車内に戻って席に着けば「お待たせ致しました。間もなく発車です」ということになり「ドアが閉まります…」で静かに動き始める…暗い、夜行列車も同然の車窓という中、読み掛けの小説の文庫本を読み終え、居眠りも交じりながら旭川駅までこの列車に乗車した…
雪交じりな休日…
珈琲の芳香が室内に舞う…好い感じだ…「休日」の心安らぐ一時という感である…
週末に関して「荒天への注意喚起」というようなことが為されていたような気がしたが…稚内は「時々雪が交じり、気温は氷点下が続いている」という感じで、“好天”とは言い悪い他方で、特段に“荒天”という気はしない…「(当地の基準で)普通な冬季の天候」という位に思える…
拙宅の辺りから南側へ15分弱も歩くと、1920年代に稚内に鉄道が延伸された当時に駅になっていたという辺りに至る。往年の“駅前旅館”の後裔ということになる宿泊施設が幾分見受けられる辺りだ…その辺りにコインランドリーが在る。早朝から開いているということが判り、朝から足を運んだ…近隣のコンビニで握り飯や大福や飲物を随時求めて、持ち込んだ文庫本を読みながら、洗濯と洗濯ものの乾燥が終わるまでの時間を過ごし、モノをバッグに詰め込んで、引揚げる訳だ…
そういうようなことで戸外を少々歩いたが…「南側から北側へ」と歩いた復路で、身体に当たる風がやや強めで冷たかった…
珈琲は、旭川で豆を2袋求めて在った…1袋は空いてしまい、現在は2袋目を開けて愉しんでいる。今度は<エチオピア>というモノだが…明確に<モカ>でもない感じだ…
結局「日本国上陸」から2週間経った…第1週は方々を動いていて、第2週は稚内に在ったということになるが…早い…
方々を動いていた第1週には、訪ねた先々で随分と写真を撮ったが…整理がなかなか捗らない…が、それはそれとして、訪ねた際の事等は写真を交えて綴るようにはしていたが…
写真に関しては…稚内でも少々撮っている…その辺にエゾシカが大きな顔をして佇んでいるというような、少し面白いモノも交じった…こちらもゆっくり整理すれば好いのだと思う…
稚内に在って…拙宅に何となく置いて在るジーンズの中から適当に選んで着用している訳だが…何か微妙に心地が好くない…ジーンズの場合、“新品”が今一つ身体に馴染まず、「少し使い込んだ…」という位が心地好いということも時には在ると思うが、そういうことではない…
最も近い時期に入手している一群のモノを、主にユジノサハリンスクに持ち出して着用している…そしてそれより以前の時期に入手しているモノが拙宅に在る…よく見ると…「最も近い時期に入手している一群」に比べると、「それより以前に入手」のモノは「ワンサイズ大きい」のであった…これは「決定的な差異」とは言い難いのだが…何か「腰回りのフィット感が悪い」という感じになってしまい、少しそれが気になるようになって来た…
そういうことなので、洗濯したばかりの、ユジノサハリンスクから穿いて来たモノである「最も近い時期に入手している一群のジーンズ」の1本に替えてみた…「気になる…」が直ぐに解消された…何時の間にか、身体の按配も変わっているということであろうか?
朝早くからコインランドリーで洗濯をして、珈琲を頂いて寛ぐというようなことをしていると…何やら昼頃にでもなっているような気分だが…未だ午前中だ…
週末に関して「荒天への注意喚起」というようなことが為されていたような気がしたが…稚内は「時々雪が交じり、気温は氷点下が続いている」という感じで、“好天”とは言い悪い他方で、特段に“荒天”という気はしない…「(当地の基準で)普通な冬季の天候」という位に思える…
拙宅の辺りから南側へ15分弱も歩くと、1920年代に稚内に鉄道が延伸された当時に駅になっていたという辺りに至る。往年の“駅前旅館”の後裔ということになる宿泊施設が幾分見受けられる辺りだ…その辺りにコインランドリーが在る。早朝から開いているということが判り、朝から足を運んだ…近隣のコンビニで握り飯や大福や飲物を随時求めて、持ち込んだ文庫本を読みながら、洗濯と洗濯ものの乾燥が終わるまでの時間を過ごし、モノをバッグに詰め込んで、引揚げる訳だ…
そういうようなことで戸外を少々歩いたが…「南側から北側へ」と歩いた復路で、身体に当たる風がやや強めで冷たかった…
珈琲は、旭川で豆を2袋求めて在った…1袋は空いてしまい、現在は2袋目を開けて愉しんでいる。今度は<エチオピア>というモノだが…明確に<モカ>でもない感じだ…
結局「日本国上陸」から2週間経った…第1週は方々を動いていて、第2週は稚内に在ったということになるが…早い…
方々を動いていた第1週には、訪ねた先々で随分と写真を撮ったが…整理がなかなか捗らない…が、それはそれとして、訪ねた際の事等は写真を交えて綴るようにはしていたが…
写真に関しては…稚内でも少々撮っている…その辺にエゾシカが大きな顔をして佇んでいるというような、少し面白いモノも交じった…こちらもゆっくり整理すれば好いのだと思う…
稚内に在って…拙宅に何となく置いて在るジーンズの中から適当に選んで着用している訳だが…何か微妙に心地が好くない…ジーンズの場合、“新品”が今一つ身体に馴染まず、「少し使い込んだ…」という位が心地好いということも時には在ると思うが、そういうことではない…
最も近い時期に入手している一群のモノを、主にユジノサハリンスクに持ち出して着用している…そしてそれより以前の時期に入手しているモノが拙宅に在る…よく見ると…「最も近い時期に入手している一群」に比べると、「それより以前に入手」のモノは「ワンサイズ大きい」のであった…これは「決定的な差異」とは言い難いのだが…何か「腰回りのフィット感が悪い」という感じになってしまい、少しそれが気になるようになって来た…
そういうことなので、洗濯したばかりの、ユジノサハリンスクから穿いて来たモノである「最も近い時期に入手している一群のジーンズ」の1本に替えてみた…「気になる…」が直ぐに解消された…何時の間にか、身体の按配も変わっているということであろうか?
朝早くからコインランドリーで洗濯をして、珈琲を頂いて寛ぐというようなことをしていると…何やら昼頃にでもなっているような気分だが…未だ午前中だ…
雪交じりな朝…
旭川から稚内へ北上する直前、思い付いて駅ビルのカフェで珈琲豆を仕入れたが、そういうことをして好かったと思う…
有名なチェーンカフェの「クリスマス限定」と称する、赤い包みの<エスプレッソブレンド>という豆…他にも仕入れたが、とりあえず<エスプレッソブレンド>というキツいローストの豆を拙宅のグラインダーで挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れている…芳香が室内に漂い、何か心地好い…
<エスプレッソブレンド>という豆を使って、ハンドドリップで珈琲を入れると…何処となく、ユジノサハリンスクで“アメリカーノ”と呼び習わしている、エスプレッソを薄めるような感じの珈琲に似た味になる…というような気がする…ユジノサハリンスクに在る時は、この“アメリカーノ”を好んで求める。その味わいを、稚内に在って思い出しているということになる…
何となく「冴えない天候」という感であるのだが…“雨”が交じる状況が続いていた…「12月の雨」という状態に関して、当地では「些かの違和感」も禁じ得ない…が…今朝に至って“雪”が交じるようになった…聞けば、週末は「荒天への注意喚起」という状況らしい…
過日、鹿児島の屋台村で中国地方出身の学生さんと言葉を交わした。先方の出身地、馴染みの地域を通り抜けて鹿児島に到達して“安着祝い”に料理を摘まんで焼酎を頂いていた訳だが…話題が「雪」に及んだ…
中国地方も存外な頻度で冬季には雪に見舞われる…対して鹿児島では「稀な出来事」である…気温が10℃を切ると「或いは雪?」と話題にする方が在るというが、「10℃」では雪にはならない…更に…雪が降ると「“雪合戦”というモノをやってみよう!」とはしゃぐ仲間が在るという話しだった…学生さんは、そういう展開になると「えっ?!」と驚いてしまうとしていた…「氷点下の雪」という北海道やサハリンでは、雪がサラサラに過ぎて、雪玉が作り悪いが…ベタベタした雪であれば容易だ…お店の方は「雪が酷く珍しい鹿児島ですから…鹿児島県人の“雪合戦”…優しく付き合ってやって下さい…」としていた…
そういう笑い話を思い出したのは…今朝時点で交じっている雪は、雪玉を作ることも容易と見受けられる、少しベタベタとした雪であるからだ…
少しだけ…辺りが白くなって来ているが…このまま気温が上がらずに雪が交じり続けるのかもしれない…個人的には…昨シーズンの負傷の経過も在るので、凍る足元には気を付けたい…ということばかり考えている…
それにしても…少し大きなカップを満たすように淹れた<エスプレッソブレンド>という豆をハンドドリップしたモノ…美味い!
有名なチェーンカフェの「クリスマス限定」と称する、赤い包みの<エスプレッソブレンド>という豆…他にも仕入れたが、とりあえず<エスプレッソブレンド>というキツいローストの豆を拙宅のグラインダーで挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れている…芳香が室内に漂い、何か心地好い…
<エスプレッソブレンド>という豆を使って、ハンドドリップで珈琲を入れると…何処となく、ユジノサハリンスクで“アメリカーノ”と呼び習わしている、エスプレッソを薄めるような感じの珈琲に似た味になる…というような気がする…ユジノサハリンスクに在る時は、この“アメリカーノ”を好んで求める。その味わいを、稚内に在って思い出しているということになる…
何となく「冴えない天候」という感であるのだが…“雨”が交じる状況が続いていた…「12月の雨」という状態に関して、当地では「些かの違和感」も禁じ得ない…が…今朝に至って“雪”が交じるようになった…聞けば、週末は「荒天への注意喚起」という状況らしい…
過日、鹿児島の屋台村で中国地方出身の学生さんと言葉を交わした。先方の出身地、馴染みの地域を通り抜けて鹿児島に到達して“安着祝い”に料理を摘まんで焼酎を頂いていた訳だが…話題が「雪」に及んだ…
中国地方も存外な頻度で冬季には雪に見舞われる…対して鹿児島では「稀な出来事」である…気温が10℃を切ると「或いは雪?」と話題にする方が在るというが、「10℃」では雪にはならない…更に…雪が降ると「“雪合戦”というモノをやってみよう!」とはしゃぐ仲間が在るという話しだった…学生さんは、そういう展開になると「えっ?!」と驚いてしまうとしていた…「氷点下の雪」という北海道やサハリンでは、雪がサラサラに過ぎて、雪玉が作り悪いが…ベタベタした雪であれば容易だ…お店の方は「雪が酷く珍しい鹿児島ですから…鹿児島県人の“雪合戦”…優しく付き合ってやって下さい…」としていた…
そういう笑い話を思い出したのは…今朝時点で交じっている雪は、雪玉を作ることも容易と見受けられる、少しベタベタとした雪であるからだ…
少しだけ…辺りが白くなって来ているが…このまま気温が上がらずに雪が交じり続けるのかもしれない…個人的には…昨シーズンの負傷の経過も在るので、凍る足元には気を付けたい…ということばかり考えている…
それにしても…少し大きなカップを満たすように淹れた<エスプレッソブレンド>という豆をハンドドリップしたモノ…美味い!










