休日の朝…

<大阪ストロング>を口にした時の苦味と香ばしさを噛締めるような感…「正しい休日の朝」というように感じる。

早朝から、コインランドリーに足を運んで洗濯をして、引揚げて帰宅して一息入れる中、ゆったりと珈琲を淹れる。というだけのことだが、何やら好い感じだ。

昨日は…早朝から“茶替り”に「沖縄県から取寄せた一升瓶の中身」を、何処となく“湯飲茶碗”を思わせなくもない、個性的な手作り風のグラスに注いで頂くようなことをして寛ぎ、何気なく横になって少し長く居眠りに陥ってしまっていた。そういうことで「無為な休日」という感が強い。

そういうことで前日は早めに休み、スッキリと早めに起き出し、今日は「正しい休日」ということにしようかと考えていて、これまではそういうように経過していると思う。

20℃に届くか届かないかで、曇天で雨も混じるような様子が先週から続く感だ…空気が湿って、何となく心地好くないような感にはなるが、酷く暑いというのでもない。方々で気温が上がっている様子も伺えるが、当地は何やら「蚊帳の外」という感だ…

蚊帳と言えば、蚊帳を製造する際の布地の端切れを利用したということから起こったという奈良の“ふきん”が気に入っていて、最近また入手したモノの中から<アマビエ>の図案が入ったモノを使っている。「疫病退散」の護符というような<アマビエ>だが…そういうモノの御蔭か、とりあえず自身は健やかではある…

そんなことを想っていれば、<大阪ストロング>を満たしたマグカップが空きそうになって来た…

好天傾向な朝に…

<大阪ストロング>の香ばしさと苦さが酷く好い…今朝の2杯目となるブレンド珈琲だ。

1杯目は名古屋の<しゃちブレンド>で、バランスが好い感のモノだったが、2杯目の<大阪ストロング>は「極深!」という焙煎で、香ばしさと苦さとが前面に突出している。1930年代辺りに供され始めたらしい代物を意図したブレンドであるという<大阪ストロング>だが、何処となく「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」という浪漫が漂う。

友人諸賢の間で、「彼が妙に好んでいるらしいブレンド珈琲?妙な名前で…どういうモノ?」ということにもなっていると見受けられる<大阪ストロング>は、少し前に取寄せて在ったのだが、今朝その袋を開けて使い始めた。「自身の定番」という代物に再会したという感で、少々気持ちが弾む。

当地では、週末から好天な傾向が続いている。昨日の日中には「20℃」に届いていたようだ…しかし、少々風が強めで、戸外を歩き回る、或いは佇むような場合には、些か心地好くもない場合は在る。

昨日、一寸話題にしていたのだったが…7月4・5・6日というのは、稚内では<北門神社祭>の時季で、例年であれば色々な催事が見受けられる。今季に関しては“事情”により、神社の社殿や境内で催す極一部の事を除き、中止になってしまった。日中に20℃に届くような、温かめな好天と言える状況下で「残念感」が膨らむと、昨夕言葉を交わした皆さんとの話しで話題に上った。

そういう7月最初の週末だが、何やら気持ちが曇る話しも伝わっている。九州の「豪雨災害」である…

殊更に甚大な被害が発生したという熊本県人吉市の周辺の地域だが、何度か通って、そして立寄った経過も在る。伝えられる状況には驚くばかりだ…

そして余り詳しく話しが伝わらない感だが、熊本県南部と境を接する鹿児島県の一部、宮崎県の一部も大雨に見舞われたようだ。宮崎県側のえびの市には立ち寄ったことも在った…

ほんのささやかなことながらも、御縁が在った場所での甚大な被害の災害という報は気持ちが曇るものだ。地域の皆さんに心よりお見舞い申上げる。

何か近年は、夏季から秋季に「豪雨災害」という状況が方々で頻発しているような感だ。「異常な」という水準の大雨が、どういうものか「異常でもない」ということになってしまったのであろうか?

一寸戸外の様子を伺ってみた…20℃に届きそうな按配ではあるが、何やら風は強い…戸外に佇むような場面では、とりあえず薄い上着や帽子でも着用した方が好いかもしれないと感じた…

好天な月曜日が始まろうとしている…色々と思っていた間に、<大阪ストロング>を満たした<NARA>のマグカップが空いた…

「WED 31」→「WED 1」…

愛用の腕時計のカレンダーは、早朝に「WED 1」と改めた。気付かずに「WED 31」のままにして、何日か経つと「何やらよく判らない…」ということになってしまうかもしれないが、それは避けられた。日付が変わり、月が改まった。が、夜が明け切る以前にスッキリと眼を覚ましてしまった朝だ…

今朝の2杯目となった<サードウェーブテイスト>は、1杯目の<しゃちブレンド>とは明らかに香りも味も違う。<サードウェーブテイスト>は“変化球”で、<しゃちブレンド>は“直球”という感か?

昨夕、久し振りという形になったが、友人と食事を愉しんだ折りに話題が珈琲に及んだ。「手軽に愉しむ1杯」と広く親しまれている珈琲に近いような、「珈琲」とでも聞けば思い浮かべるであろう味わいに近いような感じのブレンドは、上記2者の何れかということであれば<しゃちブレンド>ということになるであろう。<サードウェーブテイスト>は、かなりハッキリと「好き嫌い」が分かれる味であるように思う。或いは?<しゃちブレンド>の残量が少な目な時に、少量の<サードウェーブテイスト>を混ぜてしまい、その混ぜたモノを挽いて淹れると「意外に好い??」という気もしないではない。実は<スマート珈琲店オリジナル>の、缶に残った量が多少少なかった際に<サードウェーブテイスト>を些か加えてみて、何となく好かったということも在った。

気の置けない仲間で、何となく集まって四方山話をしながら過ごすというような時間…実に好ましいものであると思う。四方山話?珈琲、酒、料理、旅の見聞、往年の音楽、映画、テレビドラマ、最近読んだ本…本当に話題は尽きないものだ。

実は随分と以前に「あそこの“ザンギ”が好かった」と私が話題にしていて、友人は「是非、行きましょう!!」としていて、何やらなかなか機会を設けられずに居たのだった。漸く念願叶ったというようなことでそれを頂く等してゆったりとした。と言って、酷く遅くなったのではない。訪ねた店が開店する数分前に辿り着いて、顔馴染な店の方が戸を開けた際に「この店も開店前に行列が出来て、凄いじゃないですか!?」と冗談を言いながら入ったスタートだった。

酷く遅いでもない時間帯に引揚げ、直ぐに休み、深く眠って早起きであった。早起きの際には?「極々短い散策」ということで、海岸の景色を伺った…光が天に解き放たれ悪いような、雲がやや多い状態で、光は少し潮流が感じられる海面に揺らいでいた感だった。

そして既に2杯目の珈琲を頂いている。既に「7月」となった…稚内は「各地で暑さに倦んだ皆様は是非とも当地へ…」と言ってみたくなる冷涼な地ではあるが、それでも「過ぎる程?」にクールな感じになっていると思う。そういう訳で「“らしい”夏?」を求めて何処かを訪ねるようなことばかりを夢想する昨今だ…そうしていた間に<サードウェーブテイスト>を満たしたマグカップが空いた…

曇天の朝に…

<しゃちブレンド>を淹れた。今朝の一杯目には、こういうような「バランスが好い」というような感の珈琲が好適かもしれない。方々で好評を博しているブレンドに近い感なのかもしれない。

何やら肌寒いように思える朝である。最近は曇天で、光が解き放たれないような感の早朝というのが多い。他方で日中に天候が好転する場合も在る。天候が好転すれば、然程気温が上昇せずとも、陽射しで少しばかり空気が温まる。そして陽射しが「少しキツい?」という気がする場合が在る。そういうことを想うと、曇天で抜ける風が少々冷たいというような早朝の状況は何となく妙であるような気がする。

方々で30℃に届くような気温にもなっているようだが、この辺りは依然として20℃に届かず、何となく「15℃を挟む」という状態である。何か何時までも、戸外に出る際には、風除けに上着や帽子を着用したいような感じが続く…日中に天候が好転する場合には、上着は無しでも可という場合も在るのだが…

こういう様子なので、「暑さに倦んだ各地の皆さん!!是非とも当地へ!!」と何時も申し上げるのだが…最近は「時には“暑いぞ!何とかしろ!”とでも言ってみたい…」と、「夏季に何処かへ?」というようなことばかり思い描いている。

「何処かへ?」という場合、大雑把に2つのやり方が在るように思う。

1つは、少し広域的に、一定の期間で広範な地域をぐるりと巡ってしまうような感じだ。最初の方に至り着いた辺りを起点に、更に向こうを目指して何日間か動き続けるというような状況を想定している…

もう1つは、勝手に“別宅”と称する何処かを拠点ということにして、その“別宅”を起点に周辺で過ごすような感じだ。最初はその“別宅”と称する辺りを目指し、そこで過ごしてから引揚げるような状況を想定している…

以前は殆ど前者、「専ら動き回る」という感で、一定の期間に亘って「毎日違う街で夜を明かす」ということを続けるようなこともした。最近は、勝手に“別宅”と称するような場所に陣取って、そこを起点に動き回るようなことをする割合が高まっているように思う。

最近は、少し以前に方々で撮った写真を何となく視ては、色々なやり方で方々を巡ることばかりを思い描いている。思えば…或る程度「気が済むように」というのか、「巧くやっている」というのは、自身の人生に在っては「時間を設けて物見遊山に出てみる」ということ位かもしれない。他のことに関して?今更、簡単にどうこうなるのでもないであろうから、「時間を設けて物見遊山に出てみる」という程度のことは続けたい感だ…

6月22日…ロシアのニュースでは、「独ソ戦開戦の日」ということで、戦禍で斃れた人達を悼む記念行事が催されていることが伝えられた。6月23日…日本のニュースでは「沖縄戦の日」ということで、これもまた戦禍で斃れた人達を悼む記念行事が催されていることが伝えられていた。そういうような事が起こっていた時代も在った訳で、「時間を設けて物見遊山に出てみる」という程度のことを思い描き、我が人生で巧く出来たことは「時間を設けて物見遊山に出てみる」という程度のことと嘯いている状況は酷く恵まれているのかもしれない。

沖縄と言えば…自身では訪ねた経過が無い…が、最近は泡盛の「俄かファン」を自認している。泡盛に関しても、戦禍で酒造の場が大きく損なわれてしまい、苦心の末に復興を図る、或いは新興の会社が工夫を重ねて造るというようにして送り出されるようになった訳だ。平和であるからこそ、美味い酒が送り出せる、そして多少遠方に在ってもそれを頂くことが叶うという訳だ。

そんなことを想っていた間に<しゃちブレンド>のマグカップは空いた…

雨交じりな朝へ…

<サードウエーブテイスト>と、長い名前を勝手に縮めて呼ぶことにさせて頂いた、大阪からやって来たブレンド珈琲を愉しんでいる。今朝の1杯目…昨日は、休日なので寧ろ酒類ばかりを嗜んで珈琲を淹れなかったような気がするのだが、今朝は初手から「変化球」というような味わいを愉しんでいる。

「変化球」と表現したのは?苦味が前面に出るでもない、酸味、フルーツ的な感というモノが寧ろ前面という、たぶん好き嫌いが分かれると思われる個性的な味わいの珈琲であるからだ。そういう“個性”を愉しむというのが、「サードウェーブ」と称する珈琲の業界の潮流なのだそうだ。故に<サードウエーブテイスト>とブレンドに命名されたということだが…潮流であろうが、何であろうが、珈琲はブレンドでもストレートでも、各々の味を各々に好いと思って愉しむことが叶えば、それで十分というものだ。これまでにも「変化球」と表現したくなる味の珈琲は色々と試してみた経過も在る。それぞれに好かったが…この<サードウエーブテイスト>は、「評価が酷く高いらしい?」と敢えて「変化球?」を試してみた、送り出した方の「挑戦!」の成果というのが、一寸面白い…

然程意識しなかったが、「夏至」を過ぎていたようだ。「酷く陽が長くなった…」と感じるようになるのは5月下旬で、そういう感じはもう少し続くと思うが、「陽が長い」のピークを過ぎたということになる。

そういうことではあるのだが…「酷く寒いという状態は免れているが、と言って温かく快適ということでもない」という感じばかりだ。当地では「15℃に届く?届いた?」という感じの日が多いように思う。他地域では20℃を少々切るというようなことになれば、「少し寒く…」と話題になるような時季である…厳冬期に身に着けるモノこそ使わないが、何やら秋や冬にも愛用していた衣類を今でもさり気なく使っている場面が多い。

こんな様子なので「各地の皆様におかれては、暑さに倦んだら是非とも当地へ!」と何時も申し上げている。が、最近思っているのは「時には“暑い!何とかしろ!”とでも叫んでみたい…」と、些かの時間を設けて、夏の間に他地域へ御邪魔してみるというようなことだ…実現出来るか否か、未だ判然ともしないのだが…人は「手近に在りもしない何かを勝手に渇望する」という、愚かな存在なのかもしれないから、冷涼な地域に在る身としては「暑い夏?」をほんの数日、少しだけ経験してみたい等と思う訳だ。

このところは「読書衝動」、「読書意欲」が強まっているかもしれない。少し精確を期せば…「何となく眼に留まって気になる」という本が色々と見付かって、「遠慮は要らん!」とそれらをドンドンと入手してしまっていて、拙宅内に何となく「未読な本」が溜まっているので、それをドンドン読む昨今なのだ。

そんなことで、休日も平日も、少しだけ心豊かに過ごすことが適っているような気がしないでもない…

今朝は…少々雨交じりになってしまっている。戸外で活動しようというようなことが在るのでもないので、然程気になりはしないが…雨除けに上着や帽子を着用して戸外に出ねばなるない…

そう思っていた間に<サードウェーブテイスト>を満たしたマグカップが空いた…

2杯目の珈琲を頂きながら…

今朝の2杯目は<スマート珈琲店オリジナル>だ。1杯目は<しゃちブレンド>だった。

京都の老舗が導いた“解”のようなブレンドとローストが受け継がれている<スマート珈琲店オリジナル>…名古屋の業者が「街の象徴」たる“名古屋城の鯱”に因んだ名を冠して、自信を込めて送り出している<しゃちブレンド>…甲乙付け難い。両者を続けて頂いている現在、何となく<スマート珈琲店オリジナル>の方が、苦味という要素が前面に出ているという違いに気付く感じだ。

同じモノに関して、甲乙を見出そうというようなことは余り好まない。モノには「各々の佳さ」または「好さ」が在る筈だ。その“各々”を愛でればそれで善い筈だ。殊に珈琲のような嗜好品は、そういう考え方で接することが似つかわしいと思う。

偶々、拙宅で頂いている珈琲豆が、京都から、名古屋からと異なる地域から取寄せたモノとなっている。少し前には広島、大阪、奈良というような各地から取寄せたモノや、札幌で入手のモノを使っていた経過も在った。それらには「各々の佳さ」または「好さ」が在ったと思う。そういう各地からの珈琲豆に限らず、それを送り出してくれた各地の街にも「各々の佳さ」または「好さ」が間違いなく在ると思う。

偶々住んでいる稚内にせよ、珈琲豆を発注した業者が所在するとして挙げた京都、名古屋、広島、大阪、奈良、札幌、その他の何処の街でも構わないと思うが、方々に何となく「偶々に御縁が在って」という程度に半ば「訳も無く」立寄って、「各々の佳さ」または「好さ」に「出くわすことを試みる」というようなことをすることを私は好んでいる。

この10年間程度のことを何となく思うと、方々に何となく「偶々に御縁が在って」という程度に半ば「訳も無く」立寄って、「各々の佳さ」または「好さ」に「出くわすことを試みる」というようなことをしようとする場合、「酷く便利になっている」ということに思い至る。交通や宿泊―宿泊施設のみではなく、夜を明かすことが安心して出来る場所全般―が国内の主だった街では知り易くなり、確保し易くなって来たように思う。宿泊に関しては、旅客が多い時季に一部の場所で確保し悪い場合も生じてしまう場合は在ったが…

だから…私は「思い立って時間を設けられた時」に勝手に、可能な範囲で動くことを好む。他方、興味を覚えた場所が「勝手に、可能な範囲で」ということでは訪ね悪いと気付いた時には、それを些か嘆く…しかし、嘆いていてもどうにもならないので、アッサリとそれはパスしてしまう。そんなことで、或る時点で思い描いていた経路や訪問先等が、何時の間にか変わっているということも多い。日頃から「決めたことは、決めたとおりに、正直に」というのが好いと考えているが、方々に何となく「偶々に御縁が在って」という程度に半ば「訳も無く」立寄って、「各々の佳さ」または「好さ」に「出くわすことを試みる」というようなことを私的にしてみる分には、そんな程度で構わないような気がしている。

最近は…“事情”により「県境を越えるな」という感じだ。方々を動き回った経過が在る感想として言えば、国内の交通網は「県境を度外視して発展」という感であって、「県境を越えるな」と言われていること自体が“異常”と感じられる。更に、例えば「他県ナンバーの車に嫌がらせ」のような情況が方々に在るらしいと聞けば「この国は毒されている?」というようにさえ思ってしまう。

私自身は「そのうちに時間を設けて…」と常々思っている。が、「県境を越えるな」が昂じて「毒されている?」というようにさえ思ってしまう状態が見受けられる訳で、恐らく“年単位”で「人が随意に動き回る」という状態にはなり悪いような気がする。他方で、「人が随意に動き回る」という状態が「抑制され続ける」と「困る…」というのも在るのだと思う。

「困る…」というのが在るから、“振興”とか“支援”というようなモノも出て来ることであろう。が、個人的にそれが利用し易いか否かは判らない…極々個人的な希望を言えば…例えば関西の私鉄に乗り放題だった<スルッとKANSAI>のようなモノ、九州で普通列車に随意に乗車可能であると同時に料金を払えば特急列車にも乗車出来るようになっていた券のようなモノ、そういう「随意に動き回って、あなたなりの旅を…」というモノが売り出されることが奨励される、時季を限定せずに方々で各々に売り出されることが推進されるというような状態にでもなれば好いと思っている。

こういうのは、飽くまでも極々個人的な行動様式に合わせた勝手な希望だ。が、近くでも遠くでも、勝手に、可能な範囲で「偶々に御縁が在って」という程度に半ば「訳も無く」立寄って、「各々の佳さ」または「好さ」に「出くわすことを試みる」ということを大勢でやり始めれば、「人が随意に動き回る」という状態が活性化するのではないか?

「人が随意に動き回る」という状態に関しては、“経済”というような文脈で論じられる。が…方々の街へ「訳も無く」立寄って、「各々の佳さ」または「好さ」に「出くわすことを試みる」ということをやって「気付いて」みれば、それを試みた人達が「少しでも心豊かに」ということにならないだろうか?実を言えば、最近の“事情”を巡る動き、変化の中で「毒されている?」というようにさえ思ってしまう雰囲気、「多少“心”を病んだか?」というような感じが「何よりも拙い?!」と思っている。

「見慣れぬ道程の向こうの見知らぬ街」へ「訳も無く」立寄って、「一寸した“素敵”なモノ」を拾い集めてみる。そういうことが「心豊か」にしてくれる筈だと私は思う。そこに“プライスレス”な価値を見出したい。

というようなことを想っていた間に…今朝の2杯目の<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップは空いた…

薄暗い朝…

<しゃちブレンド>は些か御無沙汰だ。久し振りにその芳香が居室内に立ち込めている。名古屋から送り出された珈琲豆は、昨夕無事に拙宅に到着した。それを開封して硝子の保管容器に容れた。そこから必要量の豆を出して、挽いて、ゆったりと淹れてみた。実に好い…

ハッキリ言えば旧聞であろうが、珈琲に関しては、何やら「サードウェーブ」という言い方が在るらしい。「第3の波」ということになる。米国での言い方なのだと聞いた…

「第3の波」と言うからには、「第1の波」(ファーストウェーブ)や「第2の波」(セカンドウェーブ)も在ることになる。

「第1の波」(ファーストウェーブ)というのは、珈琲が大量に流通するようになって、広く家庭でも愉しまれるようになって行ったという流れであるという。「第2の波」(セカンドウェーブ)というのは、少しこだわったカフェチェーンの台頭というような流れであるという。

それらを踏まえた「第3の波」(サードウェーブ)というのは、珈琲の産地にこだわる、珈琲そのものの色々な味わいを愉しむ、1杯ずつ丁寧に淹れてみるというような「更に踏み込んだ愉しみ方の拡がり」というようなことであるらしい。

そういうことらしいが…考えてみると、何でも「モノが認知されて或る程度広く容れられるようになる」という段階の後、「容れられたモノが少し洗練される」という段階を経て、「更に楽しみ方を深める」という段階になるのではないかと思う。珈琲でも、酒でも“嗜好品”というのはそういう感じなのだと思える。

更に、「モノが認知されて或る程度広く容れられるようになる」という段階と「容れられたモノが少し洗練される」という段階は或る程度並行し、「更に楽しみ方を深める」という段階は広範に各々の時機に並行的に始まっているというようにも思う。日本での珈琲は?“喫茶店文化”というようなモノの拡がりや深まりと、一般家庭での普及とが並行し、そこに米国の流儀等のチェーンや、そういうモノを少しは意識しながらも独自に展開する国内のチェーンが台頭し、それらが混然となっている中でまた新たな何かが登場している…ということなのだと思う。

全く「だから?」というようなことを想いながら、少し御無沙汰していた気に入っているブレンド珈琲をゆったりと啜る朝だ…

こんな朝の天候は「何時までも薄暗い…」という感の曇天である。空気が少々湿っているかもしれない。15℃を挟むような気温で、風は微弱である。寒いという感は免れているが、温かく快適とも言い悪い、「この時季に有り勝ち」という状態だ。

夏へ向かって季節が動くという時季には、相対的に暑いか寒いかというような感、気温や湿度等の感じ方の落差が大きく、身体には存外に「些かの負担」を強いているのかもしれないと思わないでもない。

夏へ向かう時季に限らず、季節の変わり目には身体への「些かの負担」が強まって、老若を問わず、更に日頃の状態も問わずに「弱り易い」という状態に何時の間にか陥っているものかもしれない。そうなると体調を崩し易くなる。

体調を崩すというのは愉快なことではない。が、別段に悪いことでもない筈だ。そういうことが無いように注意喚起は常々行われている。各々が意は払うが、それでも思いも掛けずに体調を崩してしまうことから、免れ悪い場合もある。

そういうことを思い出すのは、最近は体調を崩すこと、殊に感染症に関して、罹患してしまうとそれが「悪いこと」であるかのように言われ、更に「相互監視」か何かのようになって、「感染者が発生したのは周りで発生させたのだ!」という“言いがかり”が大手を振っているというような状況に思い至るからだ。

こんな情況なので、季節の変わり目には身体への負担が増して、何時の間にか草臥れて身体が弱り、体調を崩してしまうということが無いように、「些か気を張った感じ」が続いていることに気付く昨今だ。そしてそれにやや疲れて来た感であることに思い至る。

こういう気分であるが故に、偶々読んだ時代モノの小説に在った「尽くされて当然の主もいなければ、尽くして当然の臣下もいない」というフレーズが気になった。武家の世界で、主は尽くされるモノで、臣下は尽くすモノというのが当然視されている面が在ったかもしれない。が、小説の主人公はそれに関して「当然という訳ではないのではないか?」と言い放つ。

現代の私の生活に、人生に時代モノに出て来る武家の世界は何ら関係無い。が、色々な事柄に関して“当然視”が文字どおりに当然となっている、そうするような圧力めいたモノが幅を利かせているのは多く在る。そんな時に「本当に“当然”か?もしかすると馬鹿げている?」と、立ち止まって考えるようなことが出来るというように在りたい。そう思うことが多い。そして、随分と以前からそうしようとしていたように思う。

季節の変わり目には身体への負担が増して、何時の間にか草臥れて身体が弱り、体調を崩してしまう…体調を崩す主要因は、所謂“感染症”に類するものである訳だ…体調を崩すことは好ましくはないかもしれないが、非難めいたことを言われるような、悪いことではない筈だ。

そういうことを考えていた間に<しゃちブレンド>を満たしたマグカップが空いた。珈琲の芳香と味をゆったりと愉しむことが叶う状態ということで、体調は普通と言って間違いないであろう…

それは悪くないが、何時までも薄暗いような感じの曇天については「もっと光を!」と言ってみたくなる…

様子…

<スマート珈琲店オリジナル>の芳香と味を愉しむ…過ぎる程に静かな何時もの感じな朝である。

玄関前で戸外の様子を伺った。曇天でやや薄暗い。15℃に届くかどうかというような気温であると思う。風が微弱で酷く寒くはない。が、温かく快適というのでもない。総じて「肌寒い」という感。こういう様子が「ありがち」な当地の様子であるように思う。

何か何時までもこういう「肌寒い」が続き、漸くに「多少暑い」という感、敢えて“多少”を付しておきたい、「湿った空気が少しばかり温くなって、何となく“大浴場の洗い場”のような空気感」というのが時々見受けられ、そういう様子は然程長くは続かず、そのうちに「肌寒い」に戻る。そして何時の間にか「寒い…」ということになって、季節が動いたと感じざるを得なくなる。

こういうの…各地で暑さに倦んでいるような皆様には、是非とも当地へ御運び頂いて、「涼しいを通り越す場合」を愉しんで頂きたいと思う。が、当地に在り続ける分には、こういう様子は好いような、好くないような、何とも言い難い。時には「少し違う様子」の中に身を置いてみたいというようなことも思う。

時には「少し違う様子」の中に身を置いてみたいというようなことを思いながら、方々の色々な場所の情報を何となく見る…

最近は“事情”が在って、方々の色々な場所で休業状態が続いていたが、次第にそれを止めて開き始めている様子が伝わる。が、何処も主に近隣や同一県内の人達が訪れて差し支えないというようになったという感だ。そういう中、「6月18日まで〇〇県からの来場は御遠慮下さい」というのが散見した。この「〇〇県」に「北海道」が在る!?

「北海道」…最近の“事情”で些か困って、「〇〇県は」と名指しをされてしまうことも止むを得ないのかもしれない。が、問題が本当に在ると見受けられるのは「札幌辺り」だ。当地、稚内辺りではない。

稚内・札幌間というのは、九州新幹線の博多・鹿児島中央間よりも遠く、上越新幹線の新潟・東京間よりも遠く、東海道新幹線の東京・名古屋間に比肩するような距離だ。誰も、福岡県と鹿児島県、新潟県と東京都、愛知県と東京都を「一括」はしないのではないか?「北海道」というだけで、福岡県と鹿児島県、新潟県と東京都、愛知県と東京都という程度かそれ以上に離れた札幌辺りと当地が「一括」である…

最近、「北海道」という呼称は「札幌周辺限定」にしてしまって、他の場所は別な呼称にしてしまうというのは如何か等と、何となく思わないでもない。最近の“事情”は「人が集まると問題」ということらしいが、何となく戸外に出て辺りを見て「通行人が…居ない…」というのが「10回中6回から8回」というのが当地である。序に言えば、時間帯にもよるが、「10回中3回」程度の確率で、通行人ではなくエゾシカやキタキツネを見掛ける…猫がチョロチョロしている場合も在る…札幌辺りとは様子が違い過ぎる。

そのうち、普通に何となく動き回っても然程ガタガタ言われるでもない様子になることであろう。そうなれば、時には「少し違う様子」の中に身を置いてみたいというようなことも、何となく現実味を帯びるのであろう。

そういうことを思っていた間に<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップが空いた…

6月6日が巡って来た…

<スマート珈琲店オリジナル>を啜る…京都の老舗喫茶店が導き、受継がれている“解”というような感のブレンドであるが、珈琲の諸要素のバランスが素晴らしいように思う。立ち込める芳香と共にゆったりと味わう…

「6月6日6時」が今年も巡って、それを過ぎたようだ。

「6月6日6時」というのは私自身が産まれたと伝えられる日時で、普通に時間が過ぎている限り、年に1回は必ず至る日時だ。

この「年に1回巡って来る、産まれたと伝えられる日」が、俗に“誕生日”と呼ばれる。

ロシアの人形アニメーションの『チェブラーシカ』で、ワニのゲーナがアコーディオンを鳴らしながら「残念ながら…誕生日は年に唯1回だけ…」という意味の歌詞を朗々と歌う場面が在る。正しく「年に1回巡って来る、産まれたと伝えられる日」で、正直なところ新年の1月1日というような日以上に「とりあえず無事(?)に1年が過ぎたか…」というように感じる。

ロシアの人形アニメーションのことを引っ張り出したが、ロシアでは「6月6日が誕生日」という話しになると、「プーシキンと同じ!」ということになる。その他、幕末期から明治期に英国からやって来て活躍した事業家のトーマス・ブレイク・グラバーも「6月6日が誕生日」である。随分以前にスコットランドを訪ねた際に知ったことだが…

更に…自身が小学生の頃に流行った『オーメン』という映画で、“悪魔の子”が「6月6日6時」に産まれたということになっている。小学生の頃、誰かがその映画の話しをしていれば、近寄らないようにしていた…「6月6日6時」に産まれた?それは私だ!!

少し前までは「1年間程度、全然使わなかった…」という年も少なくなかった“健康保険”だが、近年は何となく使う機会も生じている。だから「とりあえず無事(?)に1年が過ぎたか…」というようなことが頭の中を過ぎる場合も在る訳で、そういう場合が“誕生日”となっているのだ。

更に、「とりあえず無事にここに在ること」について、時には何かに向けて「感謝の意」のようなモノでも表する機会を設けるべきだと、最近は考えるようになっていて、方々で散策をする中で神社を訪ねてみるということを好むようになってしまった。

昨夕、久々に友人と夕べの一時を過ごして話したが、友人が何処かで読んだか聴いた話しとして興味深いことを言っていた。

人には“故郷”と“異郷”とが在り、両者の間を色々に往来するというのが人生なのだ。そういう主旨だったと思う。

住んでいる場所、酷く慣れ親しんだ場所、自身の感覚の基礎になるような場所、深い記憶の中に在る場所が“故郷”で、必ずしもその限りでもない場所が“異郷”であろう。が、“故郷”と“異郷”とを往来する中で、“異郷”の様々な事を順次知り、少しばかり見慣れてみることを重ねる中で、“異郷”の欠片を“故郷”に採り入れることが出来る筈だ。それが多く出来れば、人生は一層豊かになるのではないか?

“故郷”と“異郷”とを往来し、“異郷”の欠片を“故郷”に採り入れてみたとして、幾らかの利益が産まれる訳でもないであろう。が、「プライスレス!!」な何かが人の中に積み重ねられる筈だ。そんなモノを追掛けることが叶えば、それで善い…

“誕生日”なるものが巡って来た中で何となく思っている。曇天で、やや冴えない天候の朝…悠然と啜っていた<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップが空いた…

6月だ…

窓辺が酷く眩しい感じがする朝だ…

<スマート珈琲店オリジナル>の芳香が好い。啜ってみると程好い苦味が更に好い。ゆったりと淹れて、ゆっくり味わう訳である。

少し窓を開けてみた。寒くない…風が強いのでもなく、朝の光が溢れている戸外の爽やかな空気が居室内に流れ込む感だ。何となく、随分と久し振りに窓を開けたような気もする。

光の感じは初夏というようにさえ思えるが、何か「漸く爽やかな春」という程度に感じている朝だ。こういう朝に、京都の老舗喫茶店の珈琲が酷く合うような気がしている…

所用で一寸出ていた中で月が改まった。6月だ…

月が改まるというような時、出先に在るというようなことになると、何やら「何時の間にか?」という感が強まると思う。と言って、平常に地元に在っても「何時の間にか?」という程度に感じる場合も在るが…

最近の“事情”というもので、外を出歩くことを控えるとか、種々のサービスの営業を休むというようなことが続いていた。「続いていた」と過去形にしたが、とりあえず“緊急事態”と称していた状態は“解除”ということにはなった。

そういう状況下、週末から週初めに出掛けた先では、何となく「未だ街が“準備中”?」というように感じられた。それ程に人出が急激に増えているようにも視えず、様々な営業も「開店中」、「変則的な開店」更に「未だ閉店が継続」も見受けられた。これが1週間ズレて、来週の初めにでも様子を視るのであれば、少し感じは異なったかもしれない。

地元に関しては、最近の“事情”で変わった様子というようなことが、私自身の暮しでは些か視え悪いと思っている。5月上旬の連休に関しては“要請”というようなモノを受けて、眼に見え易い近隣の様々な営業で「閉店」が多く見受けられた。些か不便も感じた。それが5月半ば頃には「変則的な開店」となって、何時の間にか余り気にならなくなった。

そういうことのもっと以前に、地元に関しては「ずうっと以前から人出は非常に少ない」という状況が“普通”である。何気なく戸外に出て、眼に留まる通行人が「居ない…」というのが「10回中の7回から9回?」という状態なのだ。だから、最近の“事情”で人出が減っているのか否かは視え悪いと思っている。

しかし、それでも「アレ??」というのは在る。例えば、少し目立つ建物の宿泊施設で、点いているべき灯りが消えて人気が無く「休業している?」という感であったり、列車が発着する時間帯の駅、減便体制の都市間バスの発着する停留所付近で乗客が極めて限られてしまっている状況は視掛ける。

この辺の場合「他地域からの来訪者」が少々目立つのは「これからの時季」ということになる。或いは「例年との落差」が「より激しい」というようになるのが、「寧ろこの先?」というようなことかもしれない。

方々から伝わる話しに耳目を向けると、6月後半頃までは「県境を越える移動は?」となっているようである。「思い付いて何処かを訪ねてみる」というのが容認されるようになるのは、その少し先か?

実は週末、久し振りに「25℃超」という戸外を歩く機会が生じ、久し振りに「暑い…」と思ったということが在った。そんな中で、「夏季に何やらの用事が多々発生するのでもない状況?夏季に時間を設け易い?」と思っている。夏季に時間を設けて、他地域に出て「暑い…」と呟きながら色々な文物に触れるというようなことに関しては、随分と御無沙汰してしまっている。今年に関しては「或いは好機?」と思わないでもない。

何か最近は…「或る日、不意に斃れてしまったら?アレを視たかったというような後悔が多々残るかもしれない…」という問題意識のようなものが自身の中で高まっている。「思い付いて何処かを訪ねてみる」というのが容認される、或いは少し位はガタガタ言われる状態は続くかもしれないが、夏季に時間を設けて他地域に出て「暑い…」と呟きながら色々な文物に触れるというようなことを計画してしまうかもしれない。

窓を開けると、戸外の音が居室内に在っても聞こえる。「こんなに音が?」と久し振りなので少々戸惑う。通過する車輛の走行音や、カラスの野暮な声の他、近所の寺の鐘の音も聞こえる。意外に好いかもしれない。

そのうち窓は閉めようと思うが、やや湿った空気が程好く入換った。夜に雨が降り始め、深夜帯には雷雨模様だったのだ。溢れていた朝の光は、流れて来て多めになっている雲に陰り始めてはいる。

何時も「暑さに倦んだ各地の皆様におかれては、涼しいを通り越す当地へ!」としている。それは変わらない。が、今季は「涼しいを通り越していることが些か不満なので暑い各地へ…」と考えていることに気付いて苦笑いしてしまう。

そんなことを思っている間に<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップが空いてしまおうとしている。

「不要不急」と云うが?

<スマート珈琲店オリジナル>の芳香が好い感じだ…

前日夕刻は泡盛を少々頂いた後に一寸食事に出て、幾つか気に入っているモノを摘んで、何となく御機嫌で引揚げ、何時の間にか眠ってしまっていた。そして迎えた朝であるが、昨日と然程変わらない、雲が暑い感じで些か湿っている朝だ。余り明るくはない…

2月下旬頃からであったか?「不要不急」という表現が耳目に触れる状態が続いているような気がしている。そういう中で「不要不急」というのは「何なのか?」と思っている。

「不急」というのは、酷く大雑把に言えば「明日出来ることは明日で構わないじゃないか」というような程度のことかもしれない。

例えば…「〇月△日までに支払いを御願いします」というような買物等の請求書でも届いたとして、「来週まで?明日支払えば問題は無い」というような場合。「△月〇日まで品物を保管しますから御連絡願います」という郵便局の“不在連絡”のようなモノを受けた場合、「では明後日に窓口で受取ろう」というようなことをする場合。

こういうような事柄の多くが「明日出来ることは明日で構わないじゃないか」というような話しになり、「不急」と表現し得るのかもしれない。

で、「不要」の方は如何か?これが実は「よく判らない?」と思っている。

何かをしようと思い付く。思い付いてから「こういう理由が…」というようなことを更に思い付く。時にはそれが“理由”の体裁を成しているのか否かが曖昧な場合さえ在るかもしれない。が、それでも「何かをしよう」が「何かをしなければならない」ということになる。そして「何かをする」という段階に入って行く。

殆ど全ての「人々の所為」は、こういう具合に「行為者の中で必要と思われている」という状態だからこそ行われる。

他所の人達が好き好んで行く場所に関して、自身ではその場所に行こうというように全く思わない場合が多く在る。逆に私が好んで行く場所について、他所の人達は別段に行こうともしないという場合も在る。

というように「行為者の中で必要と思われている」という状態は、「完全に勝手に発生する」という状況で、客観的に“要”または“不要”と決め悪いのではないかと思うのだ。

だから「不要不急」の「不要」がよく判らないと思うのだ。

実は3月初めから予定されていた、定例的な私用で出掛けるという時期が間近になっている。用事の日付が決まっていて、「明日出来ることは明日で構わないじゃないか」というような話しでもない。そして私自身にとっては、必要なので設定している私用である。

そういうようには思っているが、何となく「不要不急」という話しが賑々しく聞こえていた間に、「用事で出掛けて構わないのか?」と疑問を感じ始めていた。しかし「自身の“必要”を他所の人から“不要”呼ばわれされる筋合いでもない!」というように考え始めるようになった。

「不要不急」という話しが賑々しい昨今、用事で出掛けた先で「それなりに愉しく過ごす…」ということを思っても…些か不自由であることは免れ悪いであろう。それでも、「少し様子が違う場所を少しばかり散策」という位のことは出来るであろう。

そんなことを思っていた間に<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップが空いた。今日も少し気温が上がらない感だが、風が弱いのは幸いだ…

日曜日…朝…

<コトブキヤブレンド>の芳香が好い。ゆったりと啜ると、何やら安堵感が拡がる…

未だ「休日の朝」という風情であるとは思うが“一仕事”を終えた。“一仕事”と言っても、コインランドリーを利用したというだけのことだ。洗濯―洗って乾燥し、持ち帰って…―を無事に済ませた訳だ。持ち帰った衣類等も置くべき場所へ。何やら酷く安堵する。10℃を切っていて、何やら風が冷たい。そういう中で、片道が徒歩で15分前後の場所をゆらゆらと歩いて往復したということになるが、そういうことをした後には「行って、用事を無事に足して、戻った…」という安堵感も重なる。「普通に居室に在る」という以上でも以下でもないのだが、複数の“安堵感”が乗じられているような状態なのだ。

実はコインランドリーの直ぐ傍にコンビニが在って、機械が動いていて洗濯と乾燥が終わるのを待っていた間にカップの珈琲を求めてゆったりと頂くというようなこともしていた。それはそれで非常に好いが、「拙宅の居室で豆を挽いてからハンドドリップで淹れる」という1杯の珈琲は格別に好いような気がする。

珈琲のような嗜好品は“気分”で“味”という程には至らない「口にした時の感じ方」が多少変わるのだと思う。最近は<コトブキヤブレンド>を使う機会が多いが、これは何時でも質が変わるのでもないものの、挽いた時の加減や、淹れる際の湯の注ぎ方加減で「ほんの少々」は味が変わるかもしれない。しかし、それは何らかの測定で明らかにするようなことが出来る程の差異でもないであろう。寧ろ、例えば「一仕事済んで安堵」、「苛立ったから落ち着こう」、「何となく…」というような、淹れた時の“気分”で「口にした時の感じ方」が多少変わるという要素が大きいと思う。

「“一仕事”が済んで安堵」という中、「多少、長閑…」と思える「休日の朝」という風情が未だ残るような感という状況下で、「広島の喫茶店のスタンダード」を謳う<コトブキヤブレンド>を淹れて悠然と啜る。これは非常に好ましい状態で、「(このところの)何時もの」というブレンド珈琲が殊更に美味く感じられるというものである。

居室で淹れる1杯の珈琲というようなモノに関しては、“気分”で「口にした時の感じ方」が多少変わるという程度のことは在りそうだが、「ハッキリと不味い!」という情況が生じるとは考え悪い。普通に淹れている範囲では、同じ豆を使うのなら、何らかの測定で明らかにするようなことが出来る程でもない差異が生じる場合が在る程度であろう。

多くの場合、同じような営みを同じように行う限り、何時でも結果は然程変わらないのかもしれないというようには思うが…珈琲を淹れてみるという程度のことから少し間口を拡げて考えると…実は“気分”で随分と様子が変わってしまうということが在るのかもしれないと思うことが在る。

例えば…ずうっと以前からやろうとしていることが在って、時間を要している間に、他の「急ぐ!!」という事柄が出て来る、または関連する「?」という事柄が出て来たとする。そうなると、ずうっと以前からやろうとしていることが「非常にきな臭い?!」と視えてしまう。「急ぐ!!」が在る焦燥感、「?」を巡る疑念というような“気分”に引っ張られる訳だ。

例えば…或る行いを「原則禁止とする」というような場合…「〇〇しないように御願い申し上げる」とでも言われるのと、「〇〇はさせない」とでも言われるのであれば、「〇〇を原則禁止」という結果は同じであるにしても、感じ方が異なる。言われた時の“気分”の差異というものだ。

最近は殊更にそういうのが耳目に触れるような気がしている…

そういうことを思っていれば<コトブキヤブレンド>を満たしたマグカップが空いた…天候は多少好天して来た。休日の日曜日…どうしようか?

雨交じりな朝に…

<コトブキヤブレンド>の芳香が立ち込める。今朝の1杯目…「広島の喫茶店のスタンダード」を謳うブレンドだが、なかなかに好い感じだ。

昨日の日中から雨交じりな感じが続いている。10℃に「届くかどうか?」という次元の気温であるようだ。今朝は風が弱く、酷く寒いような感は免れているが、雨で湿っている。

昨日は雨交じりであったことから、殆ど外に出ていない。一昨日は少々出てみたが、その中で「エゾヤマザクラが漸く咲き始めている」という様子に気付いた。そうやって気付いてから数日というような頃には、所謂「見頃」になっている場所も出て来ることであろう。少し楽しみではある…

最近は「例の事情」に覆い尽されたような雰囲気が延々と続いている。連休明けで多少は落ち着くかと思っていたが、未だドタバタしている。「例の事情」の要因である<感染症>そのものよりも、何やらのドタバタの様々な故に色々な意味でオカシイ感じになってしまいそうで、一部には既にそうなっているかもしれないという気もする。

<感染症>に関して、「北海道は一寸大変…」とされている。が…稚内に在る分には「少し遠い場所の出来事」という感も拭い悪い。

というのも、<感染症>の問題で「一寸大変…」なのは札幌なのだ。稚内・札幌間の距離は、名古屋・東京間に比肩する。だから「名古屋周辺の各県に在って、東京周辺の首都圏で災害や事故が発生している様子が伝えられている」というような感覚に近い状況で、<感染症>の問題に関して聞かされているという状態に在るような気がする。

それでも、物理的な距離としては稚内・札幌間と名古屋・東京間とは似たようなものかもしれないが、心理的な距離としては、稚内・札幌間は名古屋・東京間の何倍も近いと思う。名古屋でも東京でも、様々な用事は各々の中京圏とか首都圏という範囲で済む場合が殆どであると思う。対して、稚内に在れば、何かの用事で札幌に在る機関等に御世話になるという例は少なくない訳で、名古屋・東京間を往来するよりも稚内・札幌間を往来する方が「手近な感じ」かもしれない。と言って、稚内・札幌間の列車等の乗客数は名古屋・東京間のそれに遠く及ばないが、それは恐らく名古屋・東京間の場合には「個々人の都合」ではなく「広域展開しているビジネスの都合」で関係者が動き廻っているというのが多く含まれているからであろう。

北海道内の場合、稚内に限らず方々に在る人達が、個々人の都合であれビジネスの都合であれ、札幌と往来する必然性が生じる場合が少なくないと見受けられる。だから、札幌で「何やら大変…」を聞くのは「遠くの出来事」だが、「そこへ行かなければならない場合も…」という事柄に思い当たり、何やら複雑な気分になってしまう訳だ。

北海道というのは、大雑把に530万人強が住んでいて、その中の200万人弱が札幌市内に、札幌駅へ小一時間で出られるような、JR北海道のICカードが利用可能なエリアで合わせて270万人程度と「北海道民の半分強」が集まっている。故に、様々なサービス等は悉く札幌辺りに集まっていて、方々の人達は必要な場合に出掛けることになる。そういうことで、「例の事情」で札幌辺りの様々な機能が損なわれるようなことにでもなれば、少々ややこしい…

自身も、定例的な所用で札幌辺りに出る機会は在る。「札幌圏以外との往来は控えるべきで…」というようには云われている。が、必要な場合は免れ悪い。

そういう他方で、「遠くの出来事」でリアリティーが薄い感も否定し悪い状況で、何時の間にか<コロナ脳>なる語が散見するが「わぁーわぁー!!」とやっているのが散見する、聞こえて来るのにウンザリもする。

ウンザリとしていて、何か好いことが在るのでもない。漸く咲き始めたエゾヤマザクラの「見頃」でも楽しみに過ごすこととしたい感だ。

そう思っていた間に<コトブキヤブレンド>を満たしたマグカップが空いた…

「FRI 31」→「FRI 1」

「FRI 31」を「FRI 1」へ…愛用の腕時計の文字盤、<3>の辺りに表示されているカレンダーを調整。今月は忘れずに、1日の朝に行った。必要な月の初めに、数日間気付かずに放置したままになっているというのも多いので、或いは今日のようなことは、自身としては珍しいかもしれない。

そういうことをしながら<コトブキヤブレンド>を啜る。「喫茶店のスタンダード」という感であることを謳う、広島からやって来たブレンド珈琲の芳香が好い…所謂“フルーティー”というような、珈琲の持つ味が苦味の奥に籠っているような味わいが「喫茶店の…」という風かもしれない。

何となく雲が多い感の早朝だ。光が解き放たれるような、劇的な感じの空模様は視られないと思い、「極々短い散策」には出ずに珈琲を悠然と淹れてみた訳だ。夜明のような時間帯に珈琲を啜るというのは好い…

朝早くから、カメラを提げて何となく辺りを歩くとか、居室で湯を沸かしながら珈琲豆を挽いてハンドドリップで淹れてみるというようなこと…自身では愉しいので、些か早朝に時間が在るのでやっているのだが…他所の方の目線では「奇矯な振舞」、「何が面白いのか判らない」ということになるのかもしれない。逆に、私の目線で、他所の方がやっていることに「判らない?」というのも色々と在るかもしれない。

最近の「事情」に関連する「休業要請」というモノの中、“パチンコ店”を巡る話題が少し賑やかだった。極一部の“パチンコ店”が「休業要請」を度外視して営業している例が見受けられ、それが「問題!!」ということで話題になっていた。

この「問題!!」に関連して色々な話しが耳目に触れたのだが、私は些か「妙な事?」を想っていた…

「この国には、少しばかりの時間が出来た時、“パチンコ店”にでも行ってみるということしか思い浮かばないのかもしれない人達が何と多いことか?!」というようなことである。

或る意味で豊かな社会に身を置いている中、「御愉しみ」に類するモノや事柄は幾らでも在ると思う。“パチンコ店”もそういうモノの一つかもしれない。が、それに関して「休業しろ!」となって、それを度外視している例が在れば非難がましい話しになっているなら、適当に距離を置いて他の「御愉しみ」に興じてみれば好いのではないか?それでも“パチンコ店”というのに、「それ“しか”無い?本当にそれで好い?」というようなことを思ってしまったのだ。

例えば…千円前後で“〇〇文庫”とか“〇〇新書”の1冊でも求めて紐解けば…半日や1日はその1冊と共に愉しく過ごすことが出来る。自室で本を読むのが興醒めなら、空いている喫茶店にでも入れば、数百円の飲物で2時間や3時間は粘ることも出来るかもしれない。自室で本を読む場面で、飲むモノや摘むモノを帰宅前に買い求めるというのも在るかもしれない。こういうのを合算して「2千円も在れば、半日は愉しく過ごせる」ということにならないだろうか?更に…“〇〇新書”のようなモノに見受けられる、新しい研究等に依拠した余り知らなかったことを紹介するような内容に触れて、少しなりとも役立つかもしれない知識を得られるなら、知識は何万円とか何十万円に相当するというような高い価値を持つことになるのではないか?勿論、即座に現金が入手出来るのでもなかろうが…

こういうようなことを思うと…「2千円で一攫千金」ということになるのは、“パチンコ店”へ行くことではなく、読書にでも興じることなのではないだろうかと、私自身は思うのだ…

或る意味で豊かな社会で「御愉しみ」に類するモノや事柄は幾らでも在る。多少高価な道具が必要なモノも在る。年に数回興じる程度なら「高過ぎ…」という例も多いと思うが、「その気になれば毎日でも興じる」ということであれば、「1年の日数で割れば、1日あたりの出費は喫茶店で飲物を1杯頂くような金額に満たないじゃないか…」というのも幾らでも在るような気がする。

こういうことを言っていると、「数字は嘘を吐かないが、嘘吐きは数字を弄ぶ」というようなことを思い出してしまうが…それでも「各々の多様な御愉しみ」を見出すことが叶う程度に、とりあえず「心だけは豊かに在りたい」と考えることは悪くはないと思う。

そんな考え事をしていれば、<コトブキヤブレンド>を満たしたマグカップが空いた…

水曜日=祝日=中休み…

<スマート珈琲店オリジナル>の芳香と、スッキリした苦味が非常に好い…今朝の2杯目だ…

1杯目は<コトブキヤブレンド>だった。如何にも「喫茶店の1杯」という様々な要素を容れたブレンドだった。それに対して、<スマート珈琲店オリジナル>は、スッキリした苦味が少し前面に出ている感で、やや「深煎り」に寄っているかもしれない。

<スマート珈琲店オリジナル>は京都から、<コトブキヤブレンド>は広島から各々取寄せた。ほぼ同時期に発注していて、発注は広島への方が少し先だったが、モノの到着は京都からの方が少し早かった。それはどうでも構わないのだが…

迂闊にも“常備品”の珈琲豆を切らした数日を過ごす羽目に陥ったが、当分は問題は生じないであろう。所謂「連休」の最中、居室でゆったりと珈琲を淹れるということもままならないのは、かなりの苛々を強いられてしまうことであろう。そんな状態を想像すると、今朝の2杯目となる<スマート珈琲店オリジナル>を悠然と啜っていて拡がる安堵感は大きい…

4月29日は<昭和の日>ということで休日だ。週の半ばの水曜日が祝日の故に休日というのは好い。文字どおりに「週の中休み」というものだ。

水曜日が祝日であれば、祝日前の月曜日と火曜日、または祝日後の木曜日と金曜日も休暇を取ってしまえば、土曜日、日曜日が絡んで少し纏まった時間を設けられるというものだが…今般はそういうことをしてはいない。今般は来週の前半にも祝日が固まっていて、休みの期間は長く出来そうだが、何やら昨今の「事情」で何処かへ出掛けるということが憚られる感で、方々で「臨時休業」や「(施設や店舗等)の制限付利用」のような動きが拡がっていて、気儘に過ごせるというのでもない。実を言えば、極々手近な辺りでも、先週の土曜日からそういうような動きが拡がっていて、休日や夕べの過ごし方に関して些かの不便、不自由は生じている…

些かの不便や不自由が生じてはいるが、何時かの「大停電」というような状況とは違い、一寸したモノを普通に買ってどうこうすることは出来て、場所は限られてはいても食事を摂るような場所も見付かり、拙宅に在る分には「普通に特段の予定が無いような時」という程度に過ごす分に問題も無い。

何か今朝は雲が多いのか、少し薄暗い感じの早朝だと思っていたが…明るい筈の時間帯に写っても曇天で、何となく雨も交じっている…多少「冴えない休日」という様相ではある。

そう思っている間に<スマート珈琲店オリジナル>を満たしたマグカップは空いてしまった…

「出入禁止」??

未だ「休日の朝」という感が色濃いようには思うが、今朝は“一仕事”を済ませて、何やら「休日の大切な用事を早くも終えた…」というような気分に浸ってしまっている…

「大切な用事」と言っても、コインランドリーを利用という程度のことで、どうということでもないのだが、“家事全般”に些かの苦手意識が在る自身にとっては、コインランドリー利用という用事が無事に足りるというのは、殊更に強い安堵感を覚えるのだ…

こういう時こそ、ゆったりと珈琲でも淹れたい感なのだが…迂闊にも「常備品」の珈琲豆を切らしてしまったことが悔やまれる…「替り」という訳でもないが…沖縄県から取寄せたばかりの泡盛は確りと在る…休日を好いことに、泡盛を少々頂いて寛いでいる…

泡盛の本場である沖縄県の業者に発注すると、何かでもたつかない限りは、発送の旨の連絡が入って、翌日にモノが北海道へ飛んで、夜中に中継地点の旭川に入って、そのまま翌朝には稚内に着いて配達という段取りになる。「沖縄から北海道の北」という、国内輸送経路としては「最長の部類?」と見受けられる状況ながら、「中1日」でモノが届いてしまう…些か驚いてしまう…

泡盛に関しては、大阪の<リトル沖縄>で一寸愉しんだ経過は在るが、その本場である沖縄県に足を踏み入れたことは無い…興味深い文物が色々と在るようで、恐らく「北海道の様子に馴染み切っている」という私のような者の目線では悉くが新鮮であろう景色の沖縄県には、何時か立寄ってみたいとは思っている。が、残念ながらその機会が無いまま年月を重ねてしまっている…

こういう例のような、「そう言えば〇〇県を訪ねたことが無かった」とか、「〇〇県は随分と御無沙汰になってしまって…」というような状況を、戯れに「〇〇県?俺は出入禁止かもしれない…」と言ってみることがないでもない。こう言えば「幾ら何でも“出入禁止”は無いでしょう…」という反応が最も多い訳で、私の流儀の“ネタ”のようなものだ…

この「〇〇県出入禁止」というのも、とある地方に住む諧謔好きなおっちゃんが自己流の“ネタ”のつもりで口にするのであれば、恐らくは人畜無害なのであろうが…最近は、少し本気で他県の人を捕まえて真顔で「出入禁止!」と言い出すような事例も見受けられるようで、正直驚く…

移動をすると、感染症が拡がる危惧が在るので、移動を控えるようにということになっている。正直なところ、何となく戸外に出てみて、「眼前数十メートルに、自身以外の“人間”が居ない…」という状態が「10回中の7回から8回」という過ぎる程度に静かな場所に住んでいて、「出るな!」とか「動くな!」と叫ばれても、感染症に罹患する遥か以前に具合が悪くなりそうになってしまう…が、人口が多い場所では「移動を控えるように」は一定程度切実なのであろう…

そういうようには思うが、最近は「A県の主な街とB県の主な街との移動を御遠慮願う」というようなことから始まって「来てしまったことを後悔する程に!!」とまでして、移動を止めさせるような意図を吐露する例が見受けられる…何か、奇怪というのか、意味不明というのか、スッキリしない感じだ…

日本国内では、「北海道」は「例外の中の例外」というように思う。例えば稚内から函館まで、概ね700㎞在るが、これは東京から青森の距離に比肩する。東京都青森との間に幾つの県が在るか?北海道では、その程度の距離の中に県境が現れない…これは日本国内では、本当に「例外の中の例外」だ。他所では「A県の主な街とB県の主な街」というのは30分や小一時間で往来可能で、日常的に人が行き交っているのが「寧ろ当然」である。「30分や小一時間の移動」というのは、「札幌市内の通勤や通学」で幾らでも例が在るような時間に過ぎない。

そういう中なので、「事情」の故に「移動を控えるよう」ということが在ったにせよ、「当県への出入禁止」を告げるかのような勢いでモノを言うのは、「流石に変…」というような気がしてしまうのだ…

感染症の拡がりで、医療機関で必要以上に手が割かれて色々と不具合が見受けられてしまう、医療機関が動き悪くなるというようなことが危惧されるかもしれない。そして感染症そのものも、重症化して生命の危険という場合が在る。そういうことを危惧するのは判るが…最近は寧ろ、「感染!!」と揶揄される、差別されることを「より一層」危惧しているかのような“空気感”を感じないでもない…そしてそういうことを感じて、「感染症そのものの以前に心を病んでいる人が溢れていないか?」というようなことを思わないでもない…

何時の間にか泡盛を満たしていたタンブラーは空になったが…「動くな!!」が少しでも緩和されるのであれば、面倒な感染症でも患って急に斃れるような時に、多少なりとも後悔が少ないように色々な場所を訪ねておきたい…というようなことを思う機会が増えた昨今だ…

上る朝陽を望む…:稚内港北防波堤ドーム周辺(2020.04.25)

休日の土曜日の早朝ということになった…休日も平日も在ったものではない。何時でも過ぎる程に静かな街で、更に静かな早朝、フラフラと「極々短い散策」に出てみる…

↓浪の音が聞こえるでもない状況だった…
25-04-2020 morning (11)
↑何やら「日出を待つ…」というような感じになった時間帯だ…未だ午前4時台である…

↓音が聞こえるという程ではないながら、静かな海面に変化が生じる「打ち寄せる浪」は些か見受けられるような状況が続いた…
25-04-2020 morning (14)

↓東寄りな丘陵の向こうに朝陽が覗いた…
25-04-2020 morning (16)

↓何か「朝が産まれる瞬間」に立ち会うことになったような…少し不思議な気分に包まれた…
25-04-2020 morning (21)

こうした「らしい!」という感の夜明の光景に出くわすことが叶う時間帯が、日を追って早くなっている…多少寒い中、季節は着実に「進んで」いる訳だ…

プライスレス?

時折吹き抜けているらしい強風に由来すると見受けられる音が、戸外から聞こえている場合が在る。そんな音と、暖房器具が稼働している音だけが聞こえる静か過ぎる状態である。

ほんの少し、玄関前で戸外の様子を伺ったが…何か時折風が「唸っている」とか「叫んでいる」というような感じの音を発する。気温はプラス―流石に4月22日にもなれば、マイナスは考え悪いが…―で低温でもないとは思うのだが、少し冷えた空気が勢い良く巡る感で、何やら寒い感じがする。「極々短い散策」に出ることは止め、ゆったりと珈琲でも淹れてみる…

<大阪ストロング>の芳香が非常に好いのだが…豆を使い切ってしまった。拙宅では「常備品」と勝手に位置付けている珈琲豆が切れてしまった。発注して、それが届くまでの間は居室でゆったりと珈琲を淹れることは叶わない。が、珈琲を頂く場所は、然程何でも在るでもない小さな街にも、色々と在るのだ。こんな程度のことを「一大事」でもあるかのように何気なく書き綴っている。或いは、非常に長閑なものである…

珈琲豆でも、他の何でも、頼めば届く。代金決済も別段に支障は無い。一寸したモノを入手しようとすれば「迷わず通販」が結果的に速く入手出来て安価と言って間違いではない地域に居る。昨今の「事情」の中でもそれは然程変わっていない。多分、昨今の「事情」の中であっても、これからも余り変わらないであろう。と「思いたい…」という側面も否定しないが…

地震、津波、水害というようなことで、何処かの地域が広範な物理的損害を被っているのでもない。何時かの「大停電」のように、基幹的な機能が広範に損なわれているのでもない。それでも何やら「日常が壊れる?」という様子を見せつけられ、そういう中に放り込まれ、「そうしなければならない」とでもいうような空気感が日々刻々と強まっている。学生の頃に随分と流行った記憶が在るが『世にも奇妙な物語』というモノが在った。怪談か何かのような不思議な状態が発生してしまうという短篇ドラマを集める映像作品であった。少し思うのは、最近はその『世にも奇妙な物語』のような世界に入り込んだというような気がするということだ。

「新しい」とされ、治療ノウハウが乏しい感染症が流行ってしまい、重症化して亡くなってしまっている例が聞こえている。「死亡X人」という形で伝わっているが、その「X人」の周辺に「Xの何倍か」の御遺族が在る。自身の乏しい経験に則して言えば、90歳代にもなったような高齢者が色々な経過の中「何時かは…」と思っていた状況下で他界するのは「静かに偲ぶ」という状況になるが、面倒な病気や事故のようなことでの「急逝」は衝撃がより大きく、気持ちの持って行く場所が見出し悪いものだ。そういう状況が拡がっていることにもなる昨今だ。

それを忘れてはならないと時々思い出しているのだが、最近は別な意味での「気になる…」が少し拡がっているような気がしている。そしてそれを憂慮している…

例えば…俄かに酷く多忙になって、経験が豊富でもない事案を抱えて、苦慮しながら懸命に仕事をしている医療関係者を捕まえて心無いことを言う人が在る…働く場での様々な問題が惹起している…準備も整わない中で学校を閉めてしまって「学びの場」の機能が損なわれてしまっている…そういうような状況が伝わって来る。

あの<東日本大震災>で損なわれた、例えば鉄道路線のようなモノが何年も掛って運行が再開出来るようになったということが最近伝わった。そういう物理的な損失を取り戻すには金を掛けることが出来る。が、上述したような働いている人達の傷を受けるような心や、そういう人達にオカシナことをする人達の心の闇のようなモノや、「学びの場」が損なわれたことで損なわれるかもしれない様々なモノは、「金銭で贖えない」のではないか?

あれはクレジットカードの宣伝に出て来た表現だったと記憶している。<プライスレス>という表現だ…

何かを購入した代金や、何かのサービスを利用した料金は、金額が明示されるので、それをクレジットカードで支払えばそれで好い。が、購入したモノを贈った人が喜んでくれたという嬉しさや、滞在した場所で絶景を視た感動や、何かをやった満足というような事柄には価格が無い。<プライスレス>という訳だ…

個人的にはこの<プライスレス>という表現が少し気に入っている。人生は<プライスレス>な価値を追い求めるのが本筋なのだと勝手に思っている。

そういうように思っているからこそ、色々なモノが物理的に損なわれているでもない中、上述したような「心の問題」、「知識等の問題」という<プライスレス>な問題が拡がっているかのように見受けられることが気になっている…

昨今の「事情」、ハッキリ言うと感染症の問題で人命が危険に晒されている、既に大勢亡くなっているというのは傷ましいのだが、何となく「感染症そのものよりも、そこから明らかになった諸問題の方が、社会に残すダメージがより大きい?」というような気がしているのだ。

そんなことを何となく思いながら、強風の中に朝の光が眩しい感じになって来た窓を視る。そして<NARA>のマグカップに残った<大阪ストロング>を飲み干した。暫くは、拙宅で淹れる珈琲豆が無い…

些かの雨交じり…

<大阪ストロング>の芳香が過ぎる程に静かな居室に立ち込めている…一応「早朝」という時間帯には入っているように思うが、未だ「深夜」のような雰囲気の中で起き出し、この<大阪ストロング>をゆっくりと淹れた…

前夜は、恐らく巷の小学生が宿題に勤しむか、テレビ番組やらゲームに興じているような時間帯に何となく横になり、そのまま眠ってしまったらしい…何やら「夕べの一時」というモノが消失してしまったかのような感を覚えなくもない…

何方をどのように向いても「感染症」の話題で辟易するが、そういう中に「罹患してしまうと香りや味が判らない症状が…」という事柄が在った。自身は、大変に気に入っているブレンド珈琲の芳香を心地好いと思っている状態であって、恐らく現在時点で何ら問題は無いであろう…

この<大阪ストロング>の豆が残り少なくなってしまっている。拙宅の「常備品」と位置付けている珈琲豆そのものが余り無い。近日中に仕入れなければならないと記憶に留めるようにする…

珈琲豆は通販で仕入れている。発注する各地の業者は、何処かの港に船で持ち込まれて輸入された生豆を焙煎し、袋に詰めるなどして発送してくれる。発送された珈琲豆は、飛行機で飛んで空港間を動く場合も在ろうが、全国に張り巡らされた道路網を経て、運送会社が築き上げたネットワークに乗って、拙宅への配達業務を行う場所に至る。そしてそれが届いて、拙宅で豆を挽いて、湯を沸かして美味い珈琲を淹れる訳だ。

珈琲豆を買入れて、拙宅で淹れるということをこうして考えると、実に多種多様なインフラストラクチュアが駆使されていて、元来の生豆が輸入される時点から拙宅へ届く時点までに実に多くの人達が働いているということに思い至る。そして拙宅で安心して珈琲を淹れられるというのも、豆を挽くグラインダーを動かす電力が供給され、湯を沸かすガスが普通に器具を動かせるようになっていて、水道が正常に水を供給してくれるからだ。インフラストラクチュアとそれを支える人達の御蔭である。

こういう程度の想像力を働かせながら、時々考える。モノを買う都度に支払う消費税のような税金に関しては、「買ったモノが手許に届くまでに関わった多くのインフラストラクチュアを支え、様々な過程で携わっている非常に多くの人達が安心して仕事を続けられるような社会の仕組みを護る」という意味で、「支払うべき正当性」が高いのではないかとである。どの位の割合が妥当なのかということになれば、そこには“正解”は簡単には見出せないであろうが…

これに対して、一定の金額以下の給与所得者に関しては、確か「特別徴収」と呼ばれている筈だが、所謂「天引き」で給与から引き去る形で納入している所得税が在る。所得税に併せて、健康保険や年金関係の支払も在る。

健康保険や年金関係は、とりあえず満額を収める以外に選択の余地等無いと思うが…所得税?これは特段に収めずに「勝手に使え!」とでもなれば、その分で消費をして、消費税のようなモノを支払うので「逆に多く納税」ということになるのではないだろうか?随分と以前から、そんなことを時々考える…

その所得税に関して、年に一度「調整」というのが在って、幾許かが「引かれていない…」とか「少しだけプラス?」となっている場合が在る。しかし、「急にまとまった金額を頂いた」というようなことでもないので、その分の「ささやかな得」―と言って、毎月天引きされた金の合計額が、支払うべき所得税より多少多かったと戻されているので、「得」という程でもないかもしれない…―という金は「何時の間にか消えている…」ということばかりだ。金額も記憶に留まらない場合ばかりである。

こういうようなことを思いだしていると、何やら世の中が困っていると「一律に10万円差し上げます」ということが取沙汰されている。この位の金額が不意に入るのであれば、「あの時の10万円」と多少の記憶に残るような気はする。が、同時に思う。「本気で困っている」という人達にとっては「既に少し遅過ぎる?」というようなことだ。

既に2月位から、昨今の「事情」に関連して「本気で困る」という状態の片鱗は出ていた筈だ。そして3月を経て、4月も第3旬に入った。「救いの手」ということなら、今頃は既に伸ばされていなければ、助かるものも助かり悪くなってしまいはしないだろうか?それが少し気になる…

それにしても「人の営み」というモノは、「動き廻って、集まって」というような所が“起点”になっているという例が「実に多い」ということに改めて思い至る。これまで、そういうことに想像力が余り及ばないような感じだったかもしれない…

当地に関しては…とりあえず一寸戸外に出て眼にする現在の光景は、昨年や一昨年と何ら変わりも無いような気がするのだが?それでも「動き廻って、集まって」というような所が“起点”になっている営みは、“起点”が忌避されている中で「困った…」が累積し始めている筈だ。

色々と思っていた間に、天が多少明るくなった。少し雨が交じって、雲が多目だ…そして<大阪ストロング>を満たしたマグカップは空いてしまった…

休日に…

未だ「休日の朝」という風情が色濃いが、“一仕事”済ませてスッキリとして、そして非常に寛いでいる。早朝の、開店から間も無いような頃合いを目掛けてコインランドリーへ足を運んで利用したのだった…

少しばかり雲が多い早朝で、4月9日の雪が4月10日に融けてしまった後という状況であった。しかし早朝にまた雪が交じった。何か嫌な気もしたが、雪が止めば天候は好転し、雪は別段に積もってはいない。多少の肌寒さが在る中、無事にコインランドリーでの用事を済ませて引揚げ、洗って乾かした衣類を普段置いて在るように戻した…

所謂「家事全般」だの「整理整頓」というモノがやや不得手なままに年齢を重ねて来た関係上、コインランドリーで洗濯を済ませるというような事に関して、酷く「仕事をしたぁ!!」という気になってしまう。そしてその後の「解放感」のようなモノが異様に大きい…

そういう中で淹れた<大阪ストロング>の芳香と、口にした時の苦さが実に心地好い。「休日の朝」は、こういう具合に「気に入っている珈琲を淹れて寛ぐ」というような程度が程好いのであろう…

実はこの<大阪ストロング>は「今朝の3杯目」だ…最初の2杯は、コインランドリーを利用していた最中、近所のコンビニで求めて頂いたモノだ。何時の間にか全国各地で「在って普通」という感になっている「コンビニの珈琲」だが、随分と気に入っている。国内の何処に在っても、それなりの頻度で利用し、地元に在ってさえも時々利用する。「飲物は砂糖無しが好い…人生は甘い方が好いかもしれないが…」と称して、珈琲は九分九厘“ブラック”で頂く。コンビニのモノも、拙宅で淹れるモノも、何処かのカフェで頂く場合も、そこは共通だ…

不意に思い出した話しが在る…

嘗て、自身でも「御厄介になっていた大学」に当時人気が非常に高かった女優が入学したことが在った。大勢の新入生が集う入学式に、その女優が現れると噂され、結局現れなかった…そうして暫く経ち、その女優が中退してしまったと伝わった。

その話しを聞いて、「多分、入学式に出なかったので、色々と在った中で何時の間にか中退となってしまったのか?」と思ったことを思い出した…

入学式そのものは?何をどうやったか、時間が経てば、否、然程の時日を経ずとも「思い出せない…」という程度の催しかもしれない。が、何やら“総長”やら“学部長”やらという教授達の中から互選された皆さんが壇上に並んでいて、新入生が集まった中に身を置いたというだけで「“大学”という場所に、自身はとりあえず辿り着いた。行ってみたいと思っていた場所に、居て構わないことになった。とりあえず迎えて頂くことが出来た!」と力が入った。嬉しかった。

そういうことだから、何がどうであろうと「迎えられた時に力が入って嬉しかった」ということを覚えていて、無事に卒業に至ることが叶ったのだと自身では思っている。中退となったことが伝わった女優は、多分そういう想いを抱く場を設け損なったのだろうと考えたのだ…

最近の「事情」で、人が多く集まるということが忌避される中、入学式のような催しは「行うことが出来ない」となってしまっている例も多いのかもしれない。気の毒なことだが、新たな場に踏み出す皆さんにおかれては「それでも迎えられている」と、何らかの契機で“力”を得て頂きたいものだと思う。

大学ということに限らず、最近の「事情」は「学びの場」というモノの「存立?」を問うような状況をもたらしてしまっているのかもしれない。

「事情」により、「学校の休校」という措置が広く講じられることになった。その時、「学校に在るべき子ども達が家庭に在る」ということで生じる不具合、不都合が論じられる機会は多かったが、何か「学びの場」が「大きく損なわれないか?」ということに関しては、然程論じられていなかったというような気がしないでもない。そういう辺りに、何か“学校”のような場所を「軽侮する気分」というようなモノが見え隠れしている、或いはその種の気分が「本音」というような印象を拭い切れなかった…

学校の勉強というモノが礎という建前ではありながら、中高大の入学試験を突破するのは一味違うノウハウが在る…学校で教えることの多くが、実社会で出くわすでもないことかもしれない…何年も学校で英語を習っても、英語を話すのが堪能な人が多いのでもない…そういうような話しが多々在って、そこから“学校”のような場所を「軽侮する気分」というようなモノが醸成されているような気がしないでもないのだ。

「事情」により、「学校の休校」というのは避け難いとして「学びの場」はどうすれば善いのか?休校措置が長引く中、教育に携わる皆さんが「遠隔?」というような事に取組む「色々な意味合いでの課題」に向き合っているのが最近の状況であろう。

コインランドリーで洗濯をした経過に一寸戻る…

洗って乾かした衣類を持ち帰ろうと、適当に畳んでバッグに詰めようとしていた。白いシャツは、不用意に汚れが付いた場合に目立ち易いとか、長く使った場合の「草臥れた感じ」が、色の濃いモノの色褪せた感じと違って、何となく好きでもないということで、自身の持っていた衣類の中には無かった。黒っぽいモノが多かった。シャツの形などは然程変わったモノ等在るのでもないが、色々な素材のモノが混在していた。

そういう状況で思った。自身とは逆に「白いシャツ」を殊更に好むとか、「それでなければダメ!」という方も巷には在ることであろう。自身は偶々黒っぽいモノを多く持っていたが、違う色を好む方も巷には多く在ることであろう。何種類かの素材のモノを自身では持っていたが、同じ素材のモノを愛用している方も多いと思われる他方、それを忌避する方も、違う素材を愛用する方も多く在ることであろう。

こんなことは「当たり前」なのだが…結局、色でも柄でも素材でも「選択肢」を「多様化」していくことで、人々は豊かになって行ったのではないであろうか?不意にそんなことが頭の中に過ぎったのである。

衣類の場合、どういうモノであろうとも、例えばS、M、L、XLというようなサイズの種別を設けることは免れ悪いと思うが、それ以外の色や素材や形に関して「選択肢」を排して、「全部同じ!」にしてしまえば、製造や流通は究極的に「合理化」出来る筈だ。個人的には、そういう「合理化」はやや迷惑と感じ、どんどん「多様化」して頂く方が、色々な意味で豊かに生きられるとは思っている…或いは、文明は「合理化」と「多様化」とが競り合って動いているのかもしれないというようにも思う…

こんな話しを持ち出したのも、「学びの場」というモノが、或いは「学校のみ」でもあるかのように、少なくとも心象の中で「合理化」されてしまっていて、他方に「軽侮する気分」も醸成されて来て、「学びの場」の「豊かさ」を求める「多様化」に配意されなかった、または配意されなさ過ぎだったのかもしれないと思うからだ。

「学校」のように集まって学ぶということには「替え難い好さ」は在ると思う。他方に「独りで何かを学ぶ」ということは出来なくもない。と言うより必ず出来る。そういうことをやろうとすれば、材料は多く在ると思う。好き勝手に知識を習得して、後はそれを自身のモノとして活かすなり、単に持っていればそれで構わないのであれば然程差障りは無い。が…「学校で学んだ証」を示すというような、「遠隔?」というようなことを考えると「色々な意味の課題」が生じる訳だ…

色々と想いを巡らせていた間に<大阪ストロング>を満たしたマグカップが空いた。「あの街は…」と寂しくなり、愛用の錫のタンブラーを引っ張り出し、<いりおもて>を注いだ。大阪の<リトル沖縄>を何となく思い、「休日らしく!」と午前中から“消毒”とする…

雨へ…

「今朝の2杯目」は久し振りの<大阪ストロング>ということにした。「1杯目」は<しゃちブレンド>であった。「何方が?」と問われても甲乙は付け悪い…

<大阪ストロング>に関しては、何となく名前が面白く、友人諸賢の間でも「彼が殊更に好んでいるらしいブレンド珈琲で、何時も大阪の業者に発注しているらしい…」と御記憶頂いている。「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」というような、1930年代頃の浪漫が何となく感じられる代物だ。「珈琲を供する喫茶店」というモノの“黎明期”の雰囲気を現在に伝えている“極深煎り”の豆だ…

その<大阪ストロング>を、暖房器具が稼働中の音だけが聞こえる、過ぎる程に静かな居室で啜る…香ばしい感じの芳香が辺りを包んでいる…

例えば…近所の店で昼食を愉しもうとでも思って戸外に出る場合…何台かの車輛が通り過ぎて、横断歩道を渡って、馴染みの店に至り着くまでの2分間か3分間に「他の人」が歩いている様子を視掛けないという場合が在る。実際、昨日はそういう場面が在った…と言って、これは最近の「事情」の故でもない。思えば「殆ど常時」がそういう感じだ。

こういう場所で静かに暮らしていて、最近の「事情」による影響というようなことは、個人的には些か判り悪い…それでも「人の移動が半ば絶える」とか「人の集まりが取り止められる」ということで、「誰かがやって来て、集まる」という前提で為されている営みは、悉くが「半ば停止」を強いられている訳だ。

こんな場所に居て、何となく気が詰まって出掛けてしまった…「不謹慎だ!!」とでも仰りたい方には、言わせておけば好いと思っている。別段に違法な振舞や無茶な事をしたのでもない。ただ散策に興じて“気晴らし”をしただけのことだ。

自身の病歴に鑑みれば、面倒な感染症に罹患した場合、重症化する可能性が少々高いのかもしれない。面倒なことになったら、先に斃れるのは自身だ。「不謹慎だ!」とでも非難される皆さんに在っては、そういう時点に至った時に「あの愚か者が…」とでも快哉を挙げて、祝賀会でも催せば好いであろう…という位に思っている…そして自身としては、面倒なことになって不意に斃れるなら、少しでも悔いを残さないように、桜の咲く麗しい光景位は、気が済むように視ておきたかったということで出掛けたのだ。

結局“気晴らし”をしながら方々を眺めて、少し考えた。「それでも」とである。

何やら「大変だ!」と言ってはみても、それでも天候は普通に移ろい、それでも花は咲き、それでも頬を緩めて花の美しさを眺める人々が在り、それでも新入学や結婚のような人々の人生の節目は訪れていて、それでも美味いモノを提供しよう、佳いモノを売ろうというような働く人達は普通に動いている。

「人の移動が半ば絶える」とか「人の集まりが取り止められる」というような中、眼に視え易い変化は飲食店業界に顕著かもしれない。

飲食店と言っても「宴会を催す」ということではなく、「個別に食事を愉しみに訪れる」という分には、普通に利用可能で、それの積み重ねで店は保たれている。極端に旅行者が多いような場所では、「激減した旅行者という状況下、辺りを何となく動いている近隣の人達はそこそこ寄ってくれて…」というようなことになるであろう。近所の常連が客の多数派という場所では、「地元の皆様に愛される店を目指し…」と自身のペースで営業を続けるばかりなのであろう。そういう場所を幾分実見して来た。

何時でも、何でも、事業というようなモノは「可能な範囲で出来るように」ということで取組む他に無いのだとは思うが、昨今の「事情」でその「可能な範囲で出来るように」というのが際立つのかもしれない。

それにしても、改めて「人の営み」というようなモノは「誰かがやって来て、集まる」という前提で為されていると実感せざるを得ないのが昨今の情勢だ。それが巧く運ばない状態になり、何やら「支援」とか「対策」となっている。

この「支援」とか「対策」だが、正直なところ、取沙汰されている金額が巨大に過ぎて、何やらよく判らないと感じている…

素朴に思う…「金は天下の廻りモノ」で、人々が金を使うことで様々な営みが為されるということであれば…「金を使い易い」というようにすれば、「支援」とか「対策」というようなモノの実は上る筈だ。

であれば…<令和の徳政>とでも称して、「2年間所得税免除」とか「2年間消費税休止」というようにしてしまえば、「使える金が増える」ということで、消費活動が活性化するのではないであろうか?こういうのであれば、課税、徴税の事務を「停めるだけ」で、大きな労力が居るのでもない…そういうことで所得税相当の金が随意に使えるなら、外食は少々奮発出来るであろうし、訪ねてみたい場所へ行くのも時間さえ設けられれば何時でも随意に出掛けられる…

こういうことをするなら、政府のような機関としては、「予定した歳入を断念」という部分が「公費負担」となるだけのことだ。何かを何千万世帯に送るような「本当かよ?!」というようなことをやる膨大な労力とは無縁だ…

何やらの観光旅行関連のクーポン券が出ても、多分、私自身のような「何でも好き勝手に…」という人種にとっては、然程使い易いモノにはならないような気がする。そこで「では“天下の廻りモノ”を可能な範囲で出来るように廻すようにさせてくれ…」と思い付いたのだ…

そんなことを思っていると…出先で、真昼間に雪へと変わった雨に似た感じの雨が落ちて来た…そして<大阪ストロング>を満たした<NARA>のマグカップは空いた…

稚内港北防波堤ドームを望む…:朝(2020.03.26)

早朝に「東寄りな空が明るい感じ?」ということに気付けば、「極々短い散策」と称して戸外に出てみたくなる。

現在の時季、早朝は概して気温が低い…と言って厳冬期のような氷点下は免れている。寧ろ「風の強弱」で「感じ方」が随分と左右されるような種類の寒さと言えるように思う。

戸外へ出てみれば、歩行が困難に思える程度というような酷い状態ではないが、何か「風が少々強い…」という感がした。身体に風が当たると「寒い…」という呟きが口を突いてしまう。

↓沿岸部が近付けば、過ぎる程に静かな街に波音が少し聞こえていたが、ややダイナミックに海面が畝っている感だ…
26-03-2020 morning (3)

↓海側に向けては「傾斜が在って、曲面を帯びた壁」という感の稚内港北防波堤ドームの屋蓋に浪が当たって飛沫が散っている様子が視える…そして上空では海鳥が舞う…辺りを眺めていた間に、東寄りな天の明るさが増して来た…
26-03-2020 morning (5)
↑こういう浪(場合によっては更に強い浪…)から沿岸の人や鉄道軌道等を護る意図で築かれた筈の稚内港北防波堤ドームだ。或いは「本領発揮」に近い状態かもしれない…

↓日出時刻を少し過ぎ、画の奥側、東寄りな宗谷丘陵の辺りで朝陽の放つ光が強めになって来た…が、どういうものか、低空に雲が多く、上る朝陽そのものは視え悪い…
26-03-2020 morning (8)

殆ど「浪の音」だけが聞こえているような、朝陽の光が解き放たれようとしているような時間帯…音を聞きながら、逆に寧ろ静けさを味わう感だった…

少しの間、海岸に佇んで景色を愛でたが…マダマダ冷たい感の風が身体に少々刺さるような感でもあった…

眠り悪い??

暖房器具が稼働する音だけが聞こえている、過ぎる程度に静かな居室に<しゃちブレンド>の芳香が立ち込める。心地好い苦味だ…

「プラス2時間」な「サハリンの時間帯」であれば、「午前6時前に何となく起き出してしまった…」ということになるであろうが、「日本の時間帯」としては「異様に早い?」ということになりそうな時間帯に眼が開いてしまい、それ以上は無理に眠り悪いような気がしたので起き出した。場合によって、後から眠気を覚えたら小一時間も休むということも出来るかもしれない…

随分と以前、何方かが言っていて「そういうものなのか?」と思っていたことが在る。

「“眠る”という営為にも存外な“エネルギー”を要するのかもしれない。“エネルギー”が溢れる若い人達は際限無く“眠る”かもしれない。が、“いい加減な年代”に差し掛かると、“エネルギー”が不足してしまって、余り長く“眠る”ということをし悪くなる…のかもしれない?」というようなことを言った方が在って、「そういうものなのか?」と思っていたのだった。なるほど、自身も“いい加減な年代”に差し掛かって、存外に“エネルギー”を要してしまうかもしれない“眠る”という営みを持続することをし悪くなってしまっているのかもしれない。

そんな他方、気に入っていた歌の詞に「眠りは麻薬♪」というのが在ったことも思い出す。耽溺してしまう危険なモノのように、際限無く“眠り”を貪ってしまうという場合が誰にでも在るのかもしれない。自身でも「無意識に疲労回復を図ろうとしている?」と、多少訝しく思う程度に、長めに眠ってしまうという日が時々在ることに気付く…

昨日は、朝の6時前後に「不意に雪…」で辺りが白く染まって驚いたが、その雪は1日を通して消えてしまった…今朝は穏やかな感じである…

「普通」??

<しゃちブレンド>を今朝の一杯目ということにした。名古屋の業者が自信を持って送り出しているらしい、なかなかに好い感じのブレンドだ。暫くは大阪からやって来た<ハイブレンド>を寧ろ中心に愉しんでいたが、そちらの残りが少なくなったので、残量にゆとりが在った<しゃちブレンド>をまた使っている。

全く「だから?」というような程度の事柄だが、朝は気に入った珈琲を淹れて悠然とそれを啜っているというような過ごし方をすることが好いものだと思う。「好い」と思うと同時に「そうしたい」とか「そのように在りたい」というようにさえ思う場合も在る。それは、如何なる場合でも「ドタバタしたくはない…」というような感じ方の裏返しでもあると観ている。

深く眠ることが叶ったような、その限りでもなかったような、妙な按配の朝となっている気がする。「何?」という程のこともせず、読書に興じる他は、少しばかり拙宅近隣や、近隣という程でもない街の中を動く程度で、文字どおりに「何となく…」という具合に三連休が過ぎ、明けた月曜日も特段に変わったことも無い感じで過ぎた。月曜日の夕刻は軽く<あさ開>の粕取焼酎を嗜んでから食事を愉しみ、直ぐに休んでしまった。変な時間帯に眼を開け、少し居室でぼんやりしてからまた休み、そしてまた起き出した。こういうことになると、最初に思わず休んでしまった時には「深い眠り?」という感だが、少し後に再度休むと何やら「眠りが浅い?」と感じてしまう訳だ。こういうような差異の詳しい理由が判るのでもない。そして、それを追求しようかという意志も無いが…

相変わらず、何処をどういう具合に視ても<COVID-19>関係の話題ばかり溢れているような感だ。「疫病が世界的に流行ってしまう」というのを<パンデミック>と言うそうだが、何か特殊な感じがしないでもないこういう用語が、日常的語彙に入り込んで居座っているというような感だ。

<パンデミック>という様相だが、世界保健機関(WHO)が出しているレポートを視ると、他地域を往来した人が「感染症の陽性」であったことが明らかになったという例が在る地域も在るが、各国内で感染が拡がっているという地域も多くなっていて、後者では重症化して残念な結果になっている例も目立っている。一部に「何故、あの国はこんなに亡くなっている??」という少し気になる様子が見受けられる。そういうのは、例えば「50人収容の医療機関が在る所で、150人の患者が在って、美味く手が施せず…」というような状況でも積み重なっているのであろうか?

国内の様相?未だ「〇〇で感染」がドンドン伝えられている感ではあるが、他方で「“対策”の故に“滞ってしまっている”様々な事」を「如何に?」という事への関心が高まっているような気がする。

「“対策”の故に“滞ってしまっている”様々な事」を「如何に?」という事…何か、「人々の営みは人々が動き回ることによって成り立っている」という「当然!」な事を、“対策”の故に停めようとしてしまった結果によって、強く思い知らされたというように感じる。

“対策費”というようなことで、余りにも桁が大きく、「如何程の金??」と正直なところ理解に苦しむ程度の額を投じようとしていると伝わっている。“激変”で多くを損なった人達を何とか救うということでは幾つか取り得る手段も在るのかもしれない。が?“激変”の中で、冷静に考えて収入が損なわれたということでもないということなら、それに該当する人達は「少し以前の“普通”への回帰」を「少し意識的」に試みてみるということ位しか出来ないのではないか?少しばかりの現金や、何やらのクーポンが配布されたとして、然程有効でもないような気がしないでもない…

3月中の様相に関して…何か「感染症そのもの」よりも「感染者が出入したらしい(=感染経路?)と名指しされること」をより一層警戒しているかのような、何か重苦しい空気感を感じ続けて来た。個人レベルに関しても「何処かの人達から伝染する?」、「自身が誰かに伝染させてしまう?」というような事を、方々から延々と繰り返し繰り返し言い立てられているかのような、「何も悪い事をしていないのに、あなたがそこに居ること自体が悪い!」とでも、「世の中全体から生きていることに異を唱えられている?」かのような「酷く嫌な気分」になっていた。

然程混み合うとも見受けられない場所を一律に閉鎖してしまうとか、施設の本旨を損なわないように何らかの工夫の余地も在りそうな場所を延々と閉めているという様子に、「感染症そのもの」よりも「感染者が出入したらしい(=感染経路?)と名指しされること」をより一層警戒しているという感が酷く強まっていた。或いは「感染症そのもの」の以前に「社会の心が病んでしまった?!」とでもいうような、妙な感じがしていた。そしてその感は余り変わっていない…

自身は「丈夫な位が長所?」という程度に自認している「人並な体力の成人男性」ということであるが、近年は「年代相応?」という程度に些か「健康を損なってしまっている…」という面も在る。<COVID-19>の感染症だが、重症化してしまう場合と、その限りでもない場合が在る。例えば「人並な体力の成人男性」ということが共通していても、体質や傷病歴や服用している医薬品やその他の“個人差”によって、症状は色々と異なるらしい。自身は「人並な体力の成人男性」だが、傷病歴のようなことを思うと、或いは「感染症に罹患した場合に重症化する可能性が低くない?」という分類になってしまうかもしれない。

自身について「傷病歴に鑑みて、感染症罹患の場合に重症化?」という危惧が心の奥に在るので、「何処かの人達から伝染する?」、「自身が誰かに伝染させてしまう?」というような事を、方々から延々と繰り返し繰り返し言い立てられているかのような状況を「殊更に嫌だ!!」と思っているのかもしれない。そう思っていると、「何も悪い事をしていないのに、あなたがそこに居ること自体が悪い!」とでも、「世の中全体から生きていることに異を唱えられている?」かのような「酷く嫌な気分」にもなる。

個人的にも「愉しくない気分」を半ば強いられるような状況だと感じ、何となく「世の中がパッとしない?」という空気感が周囲に満ちているように思う中…「人生の終焉」というようなことにでもなれば「無念!!」ということになってしまう。そういうことが無いように…少しでも「自身なりの“普通”」に過ごしたい感が少し強まる昨今である。

<しゃちブレンド>は1杯目が空いた。2杯目を淹れてみたところだ。未だ朝の時間はゆったりと流れている感だ…雪が消えていたところに、淡い雪が不意に降り積もったが、天候が好転しているようで、日中には降り積もった分が余り気にならない感じになりそうな様子だ…

些かの苦味…

<ハイブレンド>を過ぎる程に静かな居室でゆったりと啜ってみる。「喫茶店向け…」と称するブレンド珈琲は、珈琲の色々な味の要素が適度に混ざったミディアムローストな豆だ。夜明前にこういう珈琲を啜っていると、何やら「終夜営業の喫茶店」というような場所にでも入り込んだような気分だ…

特段に時間帯を確かめていたのでもないが…昨夕は夕食をゆったりと愉しんだ後、何となく横になって、そのままに何時の間にか眠ってしまっていたようだ。目を覚ませば、何やら変な時間帯だった。「プラス2時間」な時間帯に在ったとしても「少し早起き?」ということになりそうな時間帯であったが…確り眠った後に、再度寝るのも少しキツいので、何となく起き出して、そのうちに<ハイブレンド>を淹れたという訳なのだ。

先日、言葉を交わした方には中学生のお子さんが在るということだった。「お子さんの最近の様子」というような事に関連する話題に及んだのだった。

中学生は、現在は「想定外の長期休暇」という状況下に在るということになる。

この辺りでは、“夏休み”も“冬休み”も概ね3週間程度で、曜日の関係か何かで何日間か前後するというような按配だ。その“夏休み”や“冬休み”であれば、少し前から「楽しみにする期間」が在って、何らかの活動の予定が入ってみたり、宿題の類が在って勤しんでみる等、色々と在る。中学生が学校へ毎日出るのでもなく、自宅をベースに動くのが“夏休み”や“冬休み”で、保護者と顔を合わせる、自宅内で居合わせるという機会はやや多くはなる。

今般、「想定外の長期休暇」という状況下になった。中学生達は、学校へ毎日行くのではなく、自宅をベースにするようになって、保護者と顔を合わせる、自宅内で居合わせるという機会はやや多くはなる。が、“夏休み”や“冬休み”とは相当に勝手が違う。或る日、不意に「明日から“休み”で学校に来るな」と言い渡され「それっきり…」という感なのだ。

こういうのは、「嘗ては中学生だった多くの人達」の中で、経験したことが在る人は殆ど無いのではないだろうか?大きな災害でも発生して、平常とは大いに様子が異なるという経験をされた方は多く在るかもしれない。が、疫病に備えて、人が集まることを忌避するということで「とりあえず休みになってしまった」というのは?聞いた記憶が無い…自身の記憶を辿れば、何やら風疹が流行って来たとかインフルエンザが流行っているというようなことが取沙汰されて、何日間かの“学級閉鎖”、“学年閉鎖”ということになって、不意に休みになった例が何度か在ったと思う。が、今般のようなやり方は全く記憶に無い。

言葉を交わした、中学生のお子さんが在るという方にしてみれば、勉強をしたり身体を動かしたりで、お子さんが健やかに成長していくことを見守るばかりで、今般のような措置が急に講じられたと言って、特段に何が出来るのでもない。とりあえず「中学生…とりあえず時間を持て余して、何やら倦んでいるように見えるかもしれない…」ということだった。

例えば「一人になったら本を読む」というような習慣の在る中学生なら、少し多く本も持っていて、時間が出来たと読書に興じることであろう。毎日、一定時間の勉強を習慣にしているような中学生なら、淡々とそれを続けるであろう。が、「その限りでもない」という例が「少し多数派?」であるらしい。

毎日学習する中学生が、今般の措置の期間中に淡々と日頃の習慣を続ける他方、その限りでもない中学生が只管に時間を持て余すということになると、新学期にでも「学校を再開」となった時、所謂「できる子とできない子との差」が酷く拡がってしまいはしないだろうか?そして、3学期に例えば10のことを新たに教わって覚えるようになっていたとして、それが出来なかったために新学期は15のことを新たに教わって覚えることになってしまい「ついて行き悪い…」という例も生じはしないか?そして、成績を決める材料の校内の試験も実施出来ない。中学校は相対評価で、その内容が高校進学の際に反映される部分がそれなりに大きいとも聞く。とすると、「2学期の“もう一歩”を3学期で!」というように、この機会を大切にしようとしていた想いが無になってしまう。それ以前に、「3学期の成績はどういうように決めるのか?」が全く判らない…

自身は、手近に中学生が在るのでもない訳で、今般の「不意に明日から休み…」という学校の様子を想像し悪かった面が在ったが、偶々言葉を交わした方との話しで色々とイメージが拡がった感だ。と言って、何やら「豊かな何か」ということでもなく、必ずしも愉快でもないのだが…

結局、人が集まることを忌避しようという、様々な場所の休止、閉鎖は幅広く「月末まで延期」となってしまった。正直、些か落胆している。そして疑問も感じる…

中学生の件で…例えば「一人になったら本を読む」というような習慣の在る中学生なら、少し多く本も持っていて、時間が出来たと読書に興じることであろうと考えた。不意に「とりあえず休み」であれば、本でも読もうということになるであろうが、手持ちの本を一通り読了した後は「図書館?」とでも考える。が、何処へ行っても公立図書館が閉鎖になってしまっているのだ…

図書館…閲覧室に沢山の人が居る、新聞・雑誌のコーナーに集まって読み耽っている人達が大勢見受けられる、人が集まる催事を開催というのは、「人が集まることを忌避」という見地で好ましくないのかもしれない。が、読みたい本を借りようという人達が、何分間か中に入って本を借りるという程度のことに大きな問題が在るであろうか?その行為自体、人が出ないので短縮営業の例も見受けられはするが、普通に営業している食料品や日用品を売っている店に出入して買物をすることと大きな差は無いのではないか?図書館のような場所は、“開架式”の場合にはフラフラと棚を視て廻って「こんな本が在った!」が愉しい側面、そういうことをやっていると小一時間も愉快に過ごせるという側面も在るが…出入の時間を縮減するために、「この本!」と事前連絡を図書館側と利用者とで取って、それを貸し出すようなやり方を工夫すれば、「その辺で買物」と変わらないような感じで多くの人が図書館を利用可能なのではないか?疫病という不幸な状況下ながらも、「本に親しんで心豊かに」という青少年が寧ろ増えるのではないか?

疫病への備えとして、施設を閉鎖してしまうということは、他に出来そうなことも無い中で止むを得ないのかもしれない?が、例えば図書館は「多くの人達が本と出会って心豊かに」ということが本旨である筈で、そうした本旨を極力損なわないための一工夫、一手間が全然見受けられないような気がする。

施設そのものであれ、施設での諸活動であれ、各々の本旨は何なのか?結局、余り顧みられていないかもしれない。顧みられているのは?「〇〇で感染?」という事でも生じた場合、「〇〇という場所?」、「あそこの管理が悪い!!」というような「犯人捜し」を忌避するということではないか?「感染症そのもの」ではない「感染症発生の犯人捜し」を必要以上に危惧…既にそういうようになってしまっているのではないか?

何やら「苦い」モノが込み上げるようだ…そこで「心地好い苦味」でそれを中和しようと、気に入っている珈琲を啜る…そうしていれば<ハイブレンド>のマグカップは何時の間にか空いてしまった。どういう状況下であろうと、とりあえずは「心豊かに」というように生きたい。「心豊かに」という程のものでもない、空っぽでくだらない生き方しかしていないかもしれず、「変な自己満足」に過ぎないのかもしれないが…が、少なくとも「感染症そのもの」ではない「感染症発生の犯人捜し」を必要以上に危惧というような、「心を病んでしまっていないか?!」というような傾向には、「自身の中」では「断じて与しない!!」と念じることにしよう…

そして「今朝の2杯目」となる珈琲でも淹れる…次は何にしようか?と思っていたが、少し残った<しゃちブレンド>に<ハイブレンド>を加えて挽いたモノをドリップしてみた…これが意外に好い!

月曜日の朝…

<しゃちブレンド>が月曜日の朝の1杯目ということになった。月曜日の朝は、日曜日に早めに休んでしまって、何となくぼんやりとしてしまって迎えていることが多いかもしれない。今朝もそんな例に漏れない感だが、そういう朝には適度な苦味が好い感じの<しゃちブレンド>が合う…

眠っていた間に、ほんの少しだけ降雪は在ったような感だが、穏やかな感じの朝となっている。気温は0℃を割り込む感で、余り上昇していないが…

例の<COVID-19>の関係で、方々の各種施設が休止状態になっているのが、今週も続くというような状況になったようだ。

そういう話しが聞こえて来た他方…土曜日に開業した東京の新しい駅で、記念に切符か何かを求めようと集まった人達の様子を撮った写真が何処かに出ていた。駅の職員か関係者かが札のようなモノを持って行列を仕切っているようだったが、何やら「180分待ち」と書かれたモノを手にしている様子が伺えた。「3時間も待つというのは、どの位の数の人達が?」と思った。昔の理髪店のように、理髪師のおっちゃんが1人30分程度を要して施術をしている場所に5人か6人の客が同時に集まれば、6番目の客は2時間程度は待つことになるであろうが…新しい駅で記念のグッズを求めるというようなことなら、1人何分も要する訳でもあるまい。そういうことで「3時間待つ」というのは?野球場が満員になるような次元の「何万人」という程度の人数が居たというようにも想像してしまう…

「人が集まる」が忌避されている。そういう中、集まってしまうような場合も在るというのが視えて少し驚いた。方々の各種施設を休止しているが、年間に50万人が来場するのであれば「1日平均で1500人程度」が出入する勘定で、年間に100万人が来場するのであれば「1日平均で3000人程度」が出入する勘定だ。こういう次元の場所に関して、「人が集まる」を忌避しようとして休止をするのであれば、或る程度の「効果?」ということにもなるのかもしれない。他方に、「そう言えば、立寄った時に居合わせたのは、自身を含めて片手の指で数えられるような人数だった…」という程度に閑散としているような場所も多々在る―そんな場所でも、もっと人数が入っている場面は在るであろうが…―訳だが、そんな場所も「一律!」のように休止している。或いは「休止…」という「空気」に包まれてしまっているのかもしれない。

時々“刑事モノ”の小説を愉しむ。あの種のモノでは、作中の捜査員が事件関係者の「足取り」を追跡する。被疑者かもしれない人物が、犯行推定時刻に居た場所、その前後に立寄っている場所を聞き込み捜査で明らかにするというような描写が定番だ。こんなことを思い出すのも、最近は<COVID-19>の感染者が見付かったということになり、その人物が「あそことあそこに寄っていて…」と、何やら「“刑事モノ”の事件関係者の足取り」というように伝えられていると感じられるからである。何か、適法性に疑義が在るような事や違法行為に手を染めているのでも何でもないのに、犯罪事件の被疑者またはそれに準じるような位置に「何時の間にか置かれている??」というような「嫌な気分」が込み上げて来る…個人的にそういうように感じる場合が在るのだが…方々で多少でも不特定のやや多い人達が集まる場所の関係者に至っては、「自分達の場所の名前や場所が出て来ると…」という“風評”を危惧しているのであろう。故に、年間に何十万人も出入している場所に限らず、然程人が多くない場所も「一律!」と休止してしまうような状態が続く…というような気がしている。

近年の実績として、年間に何十万人も集まっているような場所に関しても、<COVID-19>関係やその他の事情で、来訪する人達が激減している中、「危惧する程に来場者が在るのでもない…」というように、既になっているのかもしれない。それでも“風評”の危惧は誰も拭えない…“風評”は厄介であろう。北海道では、地震の後の停電で大騒ぎになったが、たった2日間、3日間の間に通電が停まって不便を強いられ、来訪する人達を迎え悪くなっていたというだけだったのが、何ヶ月間にも亘って「例年ペース」に戻らなかったということが在った筈だ…<COVID-19>で何やら「感染者が寄ったらしい」となれば、何ヶ月間も人が寄り付かないということも危惧される訳だ。

何か最近は、他所の人を見れば「人から伝染する」となり、自身に関しても「誰かに伝染させてしまう」となり、「疫病の中にどっぷりと圧し沈められている?」というような、酷く嫌な感じが溢れているような気がする。感染症でどうかなる遥か以前に、気持ちがオカシクなってしまいそうだ…

そんなことを思っていた間に<しゃちブレンド>が空いたので、2杯目は<ハイブレンド>を淹れた。<ハイブレンド>は、国外の人達が「これ?日本の流儀の珈琲?」とでも言い出すかもしれないような味わいであると思う。中のコロンビア豆に由来すると見受けられる酸味が苦味の奥に残るような按配だ…今週も…とりあえず普通に過ごしたい感だ…

「先」???

<ハイブレンド>というブレンド珈琲の豆が昨夕に到着した。それを淹れる、例によって過ぎる程に静かな朝である。未だ少し暗い時間帯だが、適当に焼酎を頂いて、夕食を愉しんで、多分少し早めな位に眠ってしまい、スッキリと起き出したのだ…

友人諸賢の間で、<大阪ストロング>というブレンド珈琲の豆に関して、私が酷く好んでいると御記憶の方が多いようだ。「大阪が大大阪と呼ばれた時代…」―「そんなん知らんわ…」と大阪出身の方の反応が在ったということも在ったが…―という1930年代前半頃の浪漫が漂う、「極々深煎り」という豆が<大阪ストロング>だ。それを送り出す大阪の業者が、「広く“スタンダードなブレンド珈琲”として使われるモノ」として永く送り出し続けているというのが<ハイブレンド>だ。「真っ黒」な<大阪ストロング>のようではない、ミディアムローストで「珈琲豆の色」とでも聞けば思い浮かべるような感じの代物が<ハイブレンド>だ。大阪に限らず、何処かで喫茶店に入って、ホットコーヒーを何となく御願いすると頂くことが叶うような、珈琲の苦味や酸味が適度に混じり合った「美味い珈琲」という感じだ。これもなかなかに満足度が高い…

そんな<ハイブレンド>を啜る他方、戸外の様子を少しだけ伺うと、若干の雨交じりだ。0℃を少し超える気温が続いているらしい。

どっちをどう向いても<COVID-19>の話題ばかりである…

2月末から3月15日、3月16日辺りまで、「人が集まる場所」の臨時休館というような状況が続いている。「再開が近い?」と様子を伺っていたのだが…甲子園球場での春の<選抜高校野球>について、検討していた「無観客」を諦めて中止とか、プロ野球の3月20日の開幕を4月頃へ延期するというような話しが伝わる中、「臨時休館の延期」を「決めた」という事例が散見するようになって来ている。そういう「流れ」なのかと思っている…

色々な場所の臨時休館というような状況は、例えば災害にでも見舞われると、「色々な意味での物理的な不具合」が生じてそうせざるを得ないとなってしまう場合も在ろうが、その限りでもない「開館するなら、何ら問題は無い」という中で、視えない<COVID-19>の故に閉める訳だ。閉めない場合は、普通に運営する態勢を普通に整えて臨まなければならない筈だが、「再開が近い?」という時期に至って尚「普通に運営する態勢を普通に整えられるか?もう時間も無い…」ということになっている。それ故に「臨時休館の延期」を「決めた」という事例が現れ始めたというように想像している。

こういうようになって来ると、各交通機関の運行・運航に関して「間引き」というようなことも実施され、そのうちにそれが“常態化”してしまい、「アレは不便」と烙印が押されてしまって、益々利用が少なくなって「更に間引き」というようなことになって行ってしまう…という予感もしないではない。

「人が集まる」を<COVID-19>の故に忌避しようとしている訳だが、こういう事態になってみると、これまでの「普通の社会生活」は「人が集まる」ということを通じて成り立っていたものなのだということに思い至らざるを得ない。

その他方で思う。「人が集まる」を忌避するなら忌避したで、「代替的な何かが出来ないのか?」ともう少し何とかすると、「逆に便利で快適に」という状況にもなるかもしれないのではないか?

例えば…夥しい数の人が集まる何かの窓口が在ったとして、窓口での手続きの「オンライン化」のようなことにもっと踏み込むとか、集まる人が分散するように出張所的窓口を増やすというようなことをすると、もしかすると「逆に便利で快適に」となるのではないだろうか?そういうことを考えると「人手が多く要るように?」ということにもなろうが、逆に余りに長い間に亘って「人手を省き過ぎた」という側面も在るのではないか?

そういうようなことを時々思うようになったのだが、「人が集まる」を忌避するということで、「必ずしも本意でもない、積極的に参加する希望を有しているのでもない、様々な集まり」が休止されているという状況で、これは「少し気楽…」という感は否定しない。更に「少し気楽…」かもしれない中、「だからこそ“大切にしたい”という集まり」は一層重要と考えたいという感も在る。

2月末から3月15日、3月16日辺りまで、「人が集まる場所」の臨時休館というような状況に関して、“延長”という「流れ」が出そうな状況下、更に交通の様子も変わりそうな感でもある中、何となく「先の予定」が立たない…

そう思って考えていた間に、窓の外が多少明るくなった。多少明るくはなったが、何となく雨も交じるような、雲が非常に多い状況で、やや薄暗いと言わざるを得ないかもしれないが…

そして多少温くなった<ハイブレンド>を飲み干した…

好き余韻…

<しゃちブレンド>の相変わらず好い芳香が立ち込める…

前夜はほんの少しだけ、普段よりも就寝が遅かったのかもしれない。それでも普段眼を開けるような時間帯に起き出した。ぼんやりとしてしまった感で、素早く珈琲を淹れてみたというのでもなく、<しゃちブレンド>の1杯目が現れた時間帯は普段より少しだけ遅めだったかもしれない…

「普段よりほんの少しだけ就寝が遅かった?」というのは、昨夜に少し“懇親”という機会が在ったからに他ならない。

近所に勤めている友人との間で、やり取りの中に名前が出ると「〇〇氏」ではなく敢えて「〇〇師」と書いてしまう共通の友人が在る。友人との間では、共通の友人について“師匠”の「師」が酷く似合う人物と言っている…

私自身にせよ、近所に勤めている友人にせよ、共通の友人である“師匠”は非常に永い縁が在って、様々な思い出も多い。“師匠”は遠方に住んでいるのだが、稚内に滞在中であって、諸般の事情によって予定をやや早めて稚内を離れようとしているのであった。一般には“歓送会”とか“壮行会”と呼ぶのかもしれないが…とりあえず3人で「再会を期す静かな夕べ」を、「用が在ったらここへ電話してくれ…」という程度に頻繁に寄る、御近所の店で催していた。

2人の友人は清酒を燗で、私は「港町には“波”のラベルが非常に似合う」と敢えて店主氏に御用意願った本格焼酎をロックで少々と適度に呑んで、些かの料理を摘んでの歓談という次第である。

こういう気の置けない古くからの友人のささやかな集いというようなモノは非常に好い。話題は溢れていて、歓談は尽きない。互いの方々での見聞、文化や歴史関連の事柄、映画や音楽に話題が及び、時には歌の一節が飛び出すというような愉し気な時間が瞬く間に過ぎてしまったのだ…

そういう好い時間の小さな余韻というような中で、好きな珈琲でも啜る朝は好い…

他方、今朝は何やら薄暗いような気がする。“雨”というのか、「雨が雪へと変わる??」というような感じのモノが交じっている曇天だ。プラス気温の他方で風が多少強く、加えてやや冷たい。昨日は晴れていたのでもなかった他方、風は微弱で酷く寒いとは思わなかったのだが…

そして今日は…「3月11日」だ…9年前の大震災の日だ。亡くなられた人達の冥福を御祈りすると同時に、実は未だに色々と残っているという課題が解決することを期し、更に“教訓”が活きるようになることを願うばかりだ…

少しだけ戸外の様子を玄関前で伺えば…「雨が雪へと変わる??」というような感じのモノが「雪!?」に変わっていた…

雪をブラインドの隙間から覗きながら…<しゃちブレンド>を静かに飲み干した…

「苦味」…

<しゃちブレンド>を静かな朝に淹れるということが「定番化」している。珈琲を早朝から淹れるということ自体は、<しゃちブレンド>と出くわす以前からやっていることだが…最近は<しゃちブレンド>の芳香が立ち込めるという状態が「待ち遠しい」というような気分が交じっている。

愛用している腕時計の文字盤の「3」に相当する箇所に「曜日・日付」が表示されるようになっている。「31日間の月が改まった後」には、この箇所を調整する必要は無いが、その限りでもない月の場合には調整は必要だ。「2月」の後の「3月」は「必ず調整が必要」なのであるが、何日間か失念して、或る日この表示を視て「何故X日なのだ?」と不審に想い、調整をしなければならなかったということに思い至る。何日前であったか、思い至って調整をしておいた。

その腕時計の「曜日・日付」の箇所だが、今朝は「TUE 10」と表示されている。「10日の火曜日」であるが、「3月」に改まったのは、所用で出掛けている最中のことで日曜日だった。そして「10日」も経ってしまっている。「速い…」というような気がする。

3月に入って、氷点下の気温で曇天という感じが続いたような気がしていて、そのうちに「久し振りに稚内港に流氷」という状況があり、やがて「プラス」に気温が上昇した。「プラス」気温でも風は冷たいので、戸外での活動に際しては、もう少し低温な場面での防寒の準備と何ら変わらない対応が必要だとは思うが…「プラス」の気温の下では、例年よりは少な目ながらも、積雪が融けて、融け切らずに残るモノも在り、何やら「とにかく足下が悪く、水溜まりも多い」という状況が現れる。これは少しばかり嫌な状況だ。滑って転倒すれば酷く汚れる…汚れる程度であれば、身に付けていたモノを替えるという程度のことだが、思わぬ負傷のリスクが生じているというのが気になる。比較的近年に、脚を滑らせたことから思い掛けないやや重い負傷という経過が在るので、かなり気を遣っている昨今だ…

少し気になっていることが在る…

世間には、伝染してしまう病気が在って、感染発症した人の中で重症化してしまい、残念な結果に至ってしまうという例も在る。

例えば…1人が残念な結果に至ったとする。当該の病気の患者が100人であれば「死亡率1%」だ。1000人であれば「死亡率0.1%」で、10000人であれば「死亡率0.01%」だ。

或る程度広く知られて、永い年月に亘って注意喚起されているような病気であれば、患者として認知される人数が多いので、上述の例の「1000人」や「10000人」という患者に対する死亡率が取沙汰される。が、新しい病気と見受けられるモノが登場してしまった場合、明確に当該患者と判る例が少ないので、上述例の「100人」のようになってしまう。

最近話題になっている<新型>というモノは、上述例の「100人」の型になっていて、「従前の感染症以上に死亡率が高い」という「ように見えている」という状態なのではないか?最近になって認知された、相対的に非常に「新しい」モノであるが故に、永く注意喚起されている他のモノに比べて「死亡率を算出しようというような場合の分母が小さい」ということなのではないのか?拡がり切ったような時、永く注意喚起されているようなモノと同列なモノにでもなった時、「異様に高い死亡率」ということにもならないという可能性は高いような気がしないでもないのだ…

何となく…「数字は嘘を吐かないが、嘘吐きは数字を弄ぶ」というようなことを思い浮かべないでもない…自身はどちらかと言えば「数字を弄ぶ嘘吐き」な部類かもしれないと自覚している。故に何かで“数値目標”を云々している脇にでも出れば「本当に好いのか?“数字”というのは都合好いように幾らでも造ることも出来るのでは?そして“数字”は何時の間にか独り歩きして迷惑の類をもたらす場合も在る」と考えるようになっているが…

最近話題の<新型>は「疫病」な訳で、大変なことになっている人達に向けて御見舞いを申し上げるという以外に、何が出来るのでもないというように思う。それでも「かなり強い注意喚起」という下に社会全般が置かれている…

最近の様子を想うと…人が集まることや動くことへの制限というようなこと、自粛を求めるというようなことが続くが「何時までやれば済むのか?」が全く見えない。危険性を論えば「限り」など在る筈もないかもしれない…そして気になるのは「他の人から伝染してしまう…自身の側から伝染してしまう…」と「周囲も自身も何もかも」を「感染源?」と疑ってしまうような…「何もかもダメ」とでもするような空気感のようなモノを感じるようになって来た。

こうなると…<感染症>の以前に「或る種の心の病」というようなモノが異様に拡がったのかというような気にもなる。珈琲のような「心地好い苦味」とは明らかに種類が異なる「変な苦味」を多少覚えるようになった…

こんな時期だからこそ、“疫病退散”の祈願でもしながら、方々の神社でも訪ねてゆっくりとしたいような気分が変に高まってしまうが…移動の自粛というのが拡がる中、交通の減便もされようかという状況になっているようで、時間を設けてふらりと出掛けるのも少々憚られる按配だ…

そんなことも考えながら啜っていた「心地好い苦味」の<しゃちブレンド>を満たしたマグカップがもう直ぐ空いてしまう…

木曜日…か…

「今朝の2杯目」となっている<しゃちブレンド>を啜れば、何やら「身体に沁みる」というような気がする…静かな街の過ぎる程に静かな居室で、気に入っている珈琲を悠然と頂くというような時間が有難いという想いが込み上げるのだが…同時に、所用の関係で出掛けて、結果的に午前中から日付が変わる手前まで動くようなことになった月曜日が在り、何となく倦怠感を抱いた火曜日、水曜日を経て「普通?」という感になった木曜日を迎え、大きな安堵感のようなモノが満ちているのであろう。そこで珈琲を啜るというのが非常に好い訳だ…

<しゃちブレンド>は、名古屋の業者が地域の象徴のようになっている「名古屋城の鯱」という辺りから名付けたブレンド珈琲であるが、恐らく大きな自信と矜持を伴って送り出している商品なのであろう。広く薦められるようなバランス好い味わいの珈琲だと思う。

「名古屋城の鯱」だが…江戸時代を通じて名古屋城の天守閣の上に在ったモノを、尾張徳川家の「最後の殿様」とされる徳川慶勝が明治期に入って下ろさせて、政府への献金ということで贈ったのだそうだ。そしてそれが献金として容れられたというのでもなく、様々な催しの“展示品”となり、終いには国外の博覧会にまで運ばれて、「晒し者!?」と徳川慶勝以下の尾張徳川家に関係が在る人達が複雑な想いを抱かざるを得なかったという挿話を聞く…

「鯱」というのは、「水を掌る霊獣」というような理解が在ったようで、屋根に飾るというのは「防火の御守」という意味合いだったらしい。過日立寄った小樽で、明治期に建てられたという建築を眼にする機会が在ったが、一部に「鯱」が飾られていた…これは興った街が規模の大きな火災に見舞われてしまって、多くの木造建築が被災したと見受けられる中、少し高まったであろう“防火”という意識も込めた石蔵のような造りの建物で街を再建して行った中、「防火の御守」という意識で一部に「鯱」を飾ったのであろう。或いは、当時として手が込んだ建築である店舗を立てた店主が「自分も“一城”の主!」と、城の建築に在るような「鯱」を飾ってみたいと思ったのかもしれない等と想像する…

<しゃちブレンド>を送り出している名古屋の業者というのは、他にも色々な珈琲を販売していて、以前から何度も利用した経過が在るのだが…<しゃちブレンド>を愉しむことになった際、一寸した偶然が在った。名古屋から御迎えする人達と話しをする機会が生じたのだった。

名古屋から御迎えする人達と話す…例えば、「稚内市と隣りの留萌市との距離は190㎞である」というようなことを言ってみても、先方には「判り悪い」ということは必定だと思う。そこで…近鉄名古屋・大阪難波間の特急列車の走る距離を確認すれば189㎞であることが判った。それを踏まえて「稚内・留萌間の190㎞は、名古屋・大阪間の近鉄特急が走るような距離」とでも言えば、名古屋辺りの人達には「伝わり易い」と考えた訳だ…

そういう“ネタ”を掘り起こすようなことを少しばかりやってみれば…「名古屋周辺…色々と面白そうだ…」とか「近鉄の沿線…愉しそうだ…」ということが眼に留まり、更に「そう言えば名古屋辺りでは名鉄というのも在って、空港と街との間で少し利用した経過が在るだけだった…」と色々と沿線の街に関して情報を仕入れてみたりする…

こういう「偶然の重なり」で、私が慢性的に抱えている「何処か行きたい症候群」は刻々と悪化してしまう…

「何処か行きたい症候群」が何となく悪化してしまっていて、「出掛けたい!!」という想いが募る昨今だが…とりあえず今月の半ば位までは、全国の方々で「少し人が集まる」というような催しや施設は中止とか閉鎖ということになっていて、何か出掛けるということ自体が憚られる様子だ。所用で出掛けた際にもそういう「憚られる」という空気感に満ちていたような気がする…

何か最近は「少し先に…」と想いを巡らせながら、「ゴチャゴチャしている昨今…先が見えない」と想いを巡らせることを留め、それでも「少し先に…」と思い付き、またそれを「意味が薄い?」と排してしまうということが“無限ループ”になってしまっているような気がしないでもない。

稚内辺り…氷点下3℃、氷点下4℃というような感じが続き、風の強弱に拠って寒さの感じ方が多少変わるような状態が続いている…相変わらずだ…今日はやや薄暗い曇天で、天候に関しては「下り坂」という説が出ている…

これから…「積雪期の最終盤へ」というような時期、他地域では桜も咲き誇るような時期、「出掛けたい!!」とでも思い立った時に憚ることが無いような状態になってくれることを願うばかりだ…そう思っていた間に<しゃちブレンド>のマグカップは空いた…

「Trust no one...」??

<しゃちブレンド>の芳香が好い。「何時もの朝」に戻ったというような気がする…当地は氷点下4℃というような按配で曇天…やや薄暗いような感も否めない朝を迎えている…

昨日は「何となく長い1日?」ということであったかもしれない…

新札幌駅に近い辺りで午前中から所用を足した。無事に終了した時点で12時15分を過ぎたというような感じだった。そこから札幌駅へ移動し、昼食を摂り、旭川まで列車で北上した。旭川でゆったりしていて、極々軽く夕食を摂り、稚内へ向かう列車に乗車して更に北上した。列車の中では…読み掛けになっていて、少しだけ残った小説を愉しく読了した後、何となく眠気が射した…士別駅に着くというようなアナウンスを聞いたが、居眠りしてしまい、気付くと幌延駅を発車するというような場面だった…かなり深く、やや長めに眠ってしまった。そして列車は定刻に稚内駅に到着した。足下が凍っている感じなので慎重に歩いて帰宅した。モノを置いて「やれやれ着いた…」と居室内の椅子に座れば、直ぐに日付は変わった…

列車内で少し深く、やや長い時間眠ってしまった関係で、到着して直ぐに「バタン…」と眠ってしまうという感じでもなかった。この時季には在ることだが、室内も酷く寒々しい感じで、暖房を急いで点けて、少しだけ温まるのを敢えて待ったという一面も在る。列車に乗る前にペットボトルの水や、缶入りのブラックコーヒーを「車内用…」として求めていたが…やや長く眠ってしまったので缶入りのコーヒーは手付かずだった。そこで、やや寒い居室で、冷たかったモノが温くなってしまっている状態のそれをゆったりと飲んでいた…

そんな訳で「何となく長い1日?」と感じていたが、そこから何となく休んで朝を迎えたという訳だ…

12月下旬に決まった予定のとおりに所用を足しに出た。出た序でに少し辺りを歩き廻ってみることもしたが…「非常事態」ということで「不要不急の外出を控えよう」ということになり、何処も「長閑…」というのか「やや驚く程度に静か」という状態だったと思う。頭の中を過ぎったのは「何時まで続くのか♪見せてもらうさ!♪」という『雨上がりの夜空に』という歌の一節だった…

聞こえて来たニュース…サハリンでは「北海道との間を往来する航空便」を3月5日から運休することにしたのだという。現地では「21日以内に北海道に在った」という経過が在る場合には「14日間隔離」という措置になるらしい。となれば…「とりあえず北海道・サハリン間の往来は停止」ということになってしまうであろう。

こういう話しを聞けば…そのうち「北海道と国内他地域との間」とか「北海道内」というレベルでも「往来制限」というようなことになってしまうのではないかと「嫌な気分」が膨らむ…

「<感染症>そのものの以前に<感染症過剰警戒症候群>が蔓延?」という程度に、<感染症>の被害は然程でもなく、<感染症過剰警戒症候群>というようなモノが「酷い影響」をもたらしてしまうのかもしれないというように「何となく感じる…」と考え始めていたが…杞憂に終始しないかもしれない…誰でも“感染”という可能性を排除し得ないのはインフルエンザのようなモノかもしれないのだが、昨今の情勢は「誰かから遷される…」と社会に在る人々相互で「誰も信じるな!」と煽り立てているかのような、何か「苦い」というようなモノを感じる。昨日、偶々言葉を交わした人と話題にしたやや古いテレビドラマのシリーズに「Trust no one...」(誰も信じるな…)という台詞が在るのだが…そういう次元でもない。

嫌な感じの苦さに想いが至ったが、心地好い苦さの<しゃちブレンド>のマグカップは何時の間にか空になった。とりあえず…何やらよく判らない状況に陥っていて、月末や来月初めという次元の時期に関して、予定というようなものを立て悪い状態ではあると思う。

過剰?

<しゃちブレンド>は「今朝の2杯目」となっている…前々日にやや遅めに就寝ということになり、前日はやや早めに就寝ということだった。結局、若干早めに起き出し、「1杯目」を愉しんで、暫くして「2杯目」ということである。時々「冷蔵庫や電子レンジを置いていない中?」と不思議がられるが、拙宅には「随時、珈琲を淹れる」ということのために豆を挽くグラインダーや、ハンドドリップで淹れるためのモノは確り揃っているのだ。「早朝に気に入っている珈琲を淹れて…」というのは「豊かな時間…」という程度に感じる…

どうも最近は<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>に関する話題に覆い尽されている感だ。感染して発祥してしまったという方や、そういう方の身近に在る方、或いは残念なことになってしまった方には御見舞い申し上げる他に無い。が、何か最近の様子は、実際に感染・発症していない多くの人達が只管に慄いて、徒な混乱が生じようとしているかのようにも視え、何かその「<感染症>そのもの以外の混乱」というようなモノの方が「より大きな不安要素」というように感じられる…

<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>は「インフルエンザのような所謂“感染症”の一つ」で、重い肺炎に陥るというような重症になってしまう「場合も在る」ということで「要警戒」であることは間違いないのであろう。だからと言ってピリピリしてどうにかなるのでもない…

色々な形で「人が集まる」ということを「忌避」という動きが在る。感染症の拡がりを抑制する上では、他の手段は考え悪いことかもしれない。が、これによって「色々などうしても必要な社会活動が阻害されはしないか?」ということが気になる。お子さんを育てながら大切な仕事に勤しんでいる方が多く在る訳だが、日中にお子さんが過ごす場所について、一律に「とりあえず感染症拡大防止に向けて休む」と不意になってしまっても「どうする?」となってしまうばかりだ。結果的にどうしても必要な諸活動を縮小せざるを得ないことになってしまうかもしれない。「<感染症>そのもの以外の混乱」というようなモノの方が「より大きな不安要素」というように感じられるというのは、こういう種類の事柄だ…

そんな「不安要素」も思い浮かんでいるが、他方に何となく思うことも在る。「人が集まる」ということを「忌避」という動きを受けて、これまでに何となく大勢が集まって行っていたような事柄に関して、「やり方を少し考えよう…」と「敢えて集まらずに何とかする」ということも模索されているように見受けられる。そういうことをやってみれば…これまでが「実は単なる不合理…」という以上でも以下でもなかったということが明らかになり、将来的には今般の情勢下での取り組み方が標準型になって、結果論として「改善…」という事例も出て来るのではないかということである。

こういう少し変かもしれない事を思うのも…少し以前に負傷してしまった時、負傷した時の状況を想うと、更に重い症状に陥ってしまう或いは重い後遺症を負ってしまうという場合も在り得た訳で、寧ろ「この程度に収まったことを感謝すべき…」というように考えた、或いは考えることにしたという経過が在ったからなのだ。「人が集まる」ということを「忌避」という動きという中で、どうしても必要な活動が巧く進められない混乱に陥ることを危惧してしまわないでもないが、他方に「実は単なる無駄…」という事柄に過ぎなかった色々な事例が暴かれて、多方面で「改善…」という結果がもたらされる「可能性も在る?」という程度に思ってみたい…

妙な事を考えてしまっていたが、何となく「<感染症>そのものの以前に<感染症過剰警戒症候群>が蔓延?」と思わないでもない昨今だ。もしかすると、<感染症>の被害は然程でもなく、<感染症過剰警戒症候群>というようなモノが「酷い影響」をもたらしてしまうのかもしれない…

「今朝の2杯目」だった<しゃちブレンド>は空いてしまった。早速に「今朝の3杯目」を淹れた…早い時間帯の短い間にやや強い勢いで降っていた雪が晴れた…雪や雨は必ず晴れるようになっている訳だ…

充実…

<しゃちブレンド>の芳香が、過ぎる程に静かな部屋に立ち込める…日によっては、「特段に抗う必然性も無い…」と眠気に任せて、眠ってしまう場合も在るような時間帯に至ってしまっているのだが…思わず「休む前に一杯…」と<しゃちブレンド>を淹れてしまったのだ…

今季は「短くはない人生で初めてというレベル…」とまで口にする方も見受けられる程度に雪が少ない状況の稚内だが…雪、氷、氷点下の気温というような状況に縁が薄い地域からやって来た人達の目線では、現在の稚内の状況でも「十分…」に雪は多く視える筈だ…今日は、実際にそういう感想を漏らす、自身と比べれば相当に若い世代の皆さんと出くわして話しをする機会が在った。

多様な関心を持ちながら学ぶ若い人達と語り合ってみるというのは、色々と気付くことも在るので興味深い。それこそ、<しゃちブレンド>を送り出した業者が主に活動しているというような地域からやって来た人達で当地とは事情が大きく異なる。更に、この当地で私自身は「少し…変わっている?」と言われるような暮し振りでもある。「アレも無い、コレも無い、ソレも無い…それでも“豊か”と思える時間だけが身近な辺りを流れている…」とか「数字は嘘を吐かないが、嘘吐きは数字を弄ぶのかもしれない…」というようなことを口にしたが、先方にはウケたかもしれない。

北海道の人口規模が小さな街というような場所では「アレも無い、コレも無い、ソレも無い…」というように考えてしまい勝ちだ。これに対して、かなり大きな都市圏であってさえも「アレも無い、コレも無い、ソレも無い…」というように考えてしまうような傾向も在るように見受けられた。そこは興味深かった…或いは全国各地を訪ねて「こういうの!面白いじゃないか!!」と、仮令「小さくか細い声」に過ぎないとしても、叫び続けてみるというような価値は在るのかもしれない。そんなことを思った。

何か「好い時間」を過ごすことが叶ったような気がして“余韻”に浸っている。そこで<しゃちブレンド>を淹れて啜ってみたくなった訳だ…

私が「雪が降ると“一寸した騒ぎ”になってしまう」という地域で過ごしたのは、ここまで生きた年月の「1/12」にも満たない期間だ。「冬季は雪と氷が当然!!」と心身に染着いている筈だが、それでも派手に転倒して酷い目に遭った経過も在る。稚内を訪れている諸君に関しては、「雪が降ると“一寸した騒ぎ”になってしまう」という地域から来ているのだから、その「雪や氷の上を歩く場合に注意」ということだけは忘れずに、安全に過ごして頂きたいものだ。そして、何やら世の中がゴチャゴチャとしているような雰囲気な中で訪れた稚内で、多くの想い出を作って、溢れ出るような土産話を持ち帰って頂きたい。

そんなことを思っていれば、<しゃちブレンド>の残りが少なくなってしまった…

静かに…

未だ「休日の朝…」という風情が色濃いかもしれない。薄暗い感じを免れているとは思うが曇天だ。然程風が強いのでもなく「氷点下一桁前半」という次元の気温であるようだ。

「休日の朝…」という風情が色濃い状況だが、既に早朝から“一仕事”した。コインランドリーを利用しに出て、洗濯を済ませて、そこから帰宅したところである。

帰宅して程無く、<しゃちブレンド>を淹れた。コインランドリーを利用という程度のことながら「用事を足した」という安堵感が在って、気に入った「(このところの)何時もの」という感になっている珈琲が殊更に美味い…或いは「こういう美味さ」を「お愉しみ」ということにして期待しながら、日々の安寧で長閑な暮らしというものが展開しているのかもしれない。

最近「催しの中止」というような事が随分と盛んに伝えられているように思う。<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>に関連し、「多数の人が集まることを避ける」ということであるようだ…

実は稚内でも「催しの中止」ということが在るのだが、これは雪原で犬橇の競走をするという催しで、今季の異様な“少雪”の故に、雪原である筈の場所に藪が覗いている箇所が多々在って、犬橇を走らせるような状況ではないので中止としたのだ。変なタイミングになってしまって、巷では誤解されるかもしれないが、<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>とは全く無関係だ。

<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>に関して、発症してしまった方や、大変な事態になっている方には御見舞い申し上げる他無い。他方、「新型」と在るので「何やら判らない?!」という少し強い不安感は拭い切れないが、「インフルエンザのような所謂“感染症”の一つ」ということで、例年の冬季の流行期のように注意喚起ということ以上に手が施せないような気もする。

最近耳目に触れた報道の中に、「地下鉄車内で咳をした人が在って、居合わせた人が“非常停止ボタン”を押した」という話しが在った。こういうのを聞くと「既に一寸した“パニック”??」という感じもする。<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>は「インフルエンザのような所謂“感染症”の一つ」で、重い肺炎に陥るというような重症になってしまう「場合も在る」ということで「要警戒」ではあろうが、近くで咳をした人が在った程度で「伝染する!!」と“パニック”のようになる程のものでもないのではないか?

フィクションの世界では「感染すると9割程度が発症し、発症すると8割以上が重症化し…」という「途轍もない恐ろしさ」の細菌が出て来る場合も在るが、そういうモノは現実には極々稀である筈だ。少なくとも<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>はそういう程度にとんでもないモノではないのではないか?

<新型コロナウイルス(COVID-19)感染症>に関して、発症してしまった方や、大変な事態になっている方には御見舞い申し上げる他無いのだが、「要警戒」と意識はしながらも「過剰」にはならずに静観する以外に出来ることも無い…少なくともこの国は、大きな災害で妙なパニックが起こるようなことから免れている、「難事に冷静に向き合って、居合わせた人達が可能な範囲で助け合う」というようなことが出来る人達が多く住んでいる場所だと思う。とりあえず「落ち着く」べきだと思う。

そういうことを考えながら<しゃちブレンド>を啜っていれば…窓の外では雪が多少交じって来た…

音…

午前7時頃、拙宅の玄関前に佇むと「太鼓の音」が聞こえることが在る。

重い感じの音で、最初はやや間隔が開いて「ドーン…」という音が聞こえ始め、やがて「ドーン、ドーン…」と少し音の間隔が狭くなる。近所の<北門神社>で太鼓を打っているのであろう。あそこの社殿の中には、雅楽で使うような型のモノと見受けられる、大きな太鼓が在った…神職の皆さんの中には雅楽の楽器の心得が在る方も見受けられ、何かの折りに演奏されているのを拝聴したことも在った。

大きな太鼓の音は、古くは何かの合図ということで、少し広い範囲に聞こえるという性質のモノであったかもしれない。が「朝の一時に玄関前で聞こえる」というのは、何か「在りそうで、余り在るのでもない」という気がする。神々に手向けられる音なのか?そういう太鼓の音が聞こえる朝というのも、少し興味深い。太鼓の音が気になるということではない。太鼓の音が「聞こえる程度に静か」というのが好いのだ。静けさを破るのは、野暮ったいカラスの声という感だ…

そういう状況下で<しゃちブレンド>を淹れた。「今朝の2杯目」ということになってしまっている。深く眠り、スッキリと起き出した感の朝だ。清々しく晴れているのでもないが、穏やかな冬の朝という按配である。

夕食は「用が在ったらここへ電話してくれ…夜は大概出ている…」と嘯く場合も在るような近所の店で愉しんだのだが…昨夕は本当に友人から電話が入って、店の方が応答し「お見えになるそうです…」との話しに…そして先方が程無く「ここに居たか…本当に…」と現れた。友人は夜行バスに乗車して出掛けようとしていたところだったということで、近くに何となくやって来たという訳だった。事前に予定をしたのでも何でもなかったが「語る夕べ」ということになった。そういうのも時には好いものだ…

太鼓の音が聞こえる程度に静かな街で、ゆったりと過ごす…悪くないものだ。そう思っていた間に、<しゃちブレンド>が満たされていた<NARA>のマグカップが少々軽くなってしまった…

稚内港北防波堤ドーム…(2020.02.19)

広く注意喚起が為されていたというような感でこそなかったが、何やら風が強めな荒天傾向が少し続いていた。戸外に出れば、やや強い寒風が身体に刺さるような気がしていた…

朝、戸外の様子を少しばかり伺ってみれば、その冷たく強めな風が穏やかになっていた。そういう訳で「極々短い散策」に出てみた…

↓全般的に雪が少なめな傾向は変わらないが、それでも些かの降雪が積もった…
19-02-2020 morning (2)

↓道路の積雪は、少し気になる程度という感じになると速やかに除けられているように見受けられる…
19-02-2020 morning (4)

↓やや雲が多めな感ながら、明るく穏やかな空模様に見えた…
19-02-2020 morning (8)

↓風が穏やかであれば、氷点下4℃程度というのも、快適ではないがキツいという程でもない…
19-02-2020 morning (13)

最近は、この画のような程度の明るさになる時間帯が少しだけ早くなっていることを自覚し易くなった…季節は進んでいる…

荒天ながらも少し前向きな気分?

<しゃちブレンド>は、名古屋の業者が「地域のシンボル」となっている「名古屋城の鯱」に因んで命名したと見受けられるブレンド珈琲で、流石になかなかに美味い…

また冷え込みが少々厳しくなって来た。今朝は多少風が強い中、少し降雪も交じっている感だが、「降って積もる」というよりも「不規則な吹溜り」が辺りに散見するという感じだ…

この週末は「稚内へ還って来た!」という感の、ユジノサハリンスクからやって来た<ルースキー・テーレム>の公演へ足を運ぶ機会を設けることが叶った。大変に幸いである。生の楽器演奏や歌を聴くというようなことは、兎に角も愉しいものだ!

何やら「気象予報」という段階で、今週は些かの荒天傾向であるとされていたらしい…その予報のとおりに展開しているのかもしれない…

週末の金曜日は「旧交を温める」という程に御無沙汰でもないが、暫く会う機会を設けられなかった人と関を設けて愉しく過ごす機会が在った。そして週末は<ルースキー・テーレム>公演を愉しんだ。何か「少しばかり弾んだ気分の朝」ということで月曜日の朝を迎えている。

少しばかり荒天な傾向ながら、何となく元気に過ごそうという、所謂「前向き」な気分というものである。多少、マグカップの中の<しゃちブレンド>が少なくなって来たが、これの程好い苦味が心地好く感じられる朝だ…

ところで…<ルースキー・テーレム>の2013年以来の稚内での公演等の様子を撮った画が収まったアルバムのコレクションが出て来た…酷く愉しい!

気温低下…

「今朝の2杯目」に<大阪ストロング>を頂いている。「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」というような浪漫が漂う“お気に入り”のブレンド珈琲だが、丁度豆を使い切る形になった。「今朝の1杯目」で頂いた<フレンチ>の“深煎り”を超えている“極深煎り”の<大阪ストロング>は、より重厚な苦味が感じられるような気がする。

多少雲が厚い朝である。雪でも降り始めそうな感がする曇天で薄暗い。鮮やかな光が解き放たれるという訳でもない感だ。戸外の様子を伺うと、また空気が変わっている…

戸外の空気というようなモノは、毎日のように感じ方が変わるのが当然ではあろうが、精巧な感知器でもない「自身の身体の感覚」という曖昧なモノであっても、明らかに気温が下がったと判る…昨日の「プラス2℃」が「氷点下2℃」というような感じに下がっているようだ。

この時季は、昨日のようなプラス気温が「突発的変事」であって、氷点下の気温が「平常」なのかもしれない。「突発的変事」のプラス気温の故に、積雪の状況が変わり果てていた。道路面に不規則極まりなく、一部が凍る凹凸が発生し、水溜まりのような感じや、硬く凍ったような積雪の上に水を撒いてしまったかのような、極めて厄介な状況が見受けられたのだった。その後、プラス気温が続いた日中で凍結箇所の多くは融けたが、何やら不規則な凹凸は残っていた。

その不規則な凹凸が気温低下で凍ると、酷く鬱陶しい状況が生じてしまうことが危惧されたが…夜間から早朝の間に、一部に除雪車輛が作業を行ったらしく、不規則な凹凸が一部取り除かれていた。やや少ない積雪で、一部に凍っている場合が見受けられるので要注意というような次元の路面状態だ。昨日の朝よりも落ち着いていると言い得るであろう…

何となく気が向いて、控え目なヴォリュームで音楽を流している…『ライヴ・イン 根室 1977』という渡辺貞夫のバンドによる古い録音なのだが、<HUNTING WORLD>という曲が気に入っている。

実は気が向いて、居室で音楽でも聴こうかという場合…ノートパソコンに読み込み済のデータを再生して聴いている。それ程多くのデータを入れているのでもない。膨大な量の音楽CDが、何となく保管されて在るだけという状態だ…

CDプレーヤーを含むオーディオ再生装置を求めたいという希望が無いのでもないが…テレビのような他の家電製品と同様で、求め損なったままに何年も過ぎてしまっている。

手近な所に、こういう「求めたいという希望が無いのでもないが、敢えて求めないままに年単位の時間が経過」という例が溢れている。他方、衣類や珈琲や酒、読みたい本はドンドン入手し、写真を撮る機材も時々入手している。何か「何も無い!」という「振り」をしながら「好き勝手をする」という、「傍目に奇妙な流儀」を好き勝手に愉しむ途を探ろうとしているのかもしれない…

そんなことを思っていれば、「雪でも降り始めそう…」という気配が微妙に強くなった感のする薄暗い戸外がブラインドの間から覗く中、<大阪ストロング>の残りが少なくなって来た…

プラス?

「今朝の2杯目」は<フレンチ>である。「1杯目」とした「極深煎り」の<大阪ストロング>に対して「(普通の)深煎り」という感の<フレンチ>である。「似た傾向」の苦味や香り、そして飲んだ時の心地なのだが「やや軽い」という感で心地好い。既に明るくなっている中、あの<大阪ストロング>の重厚さよりも、この<フレンチ>の感じが似合うのかもしれない。「迂闊なモノを持たせる位なら…」と札幌の“母上”が土産に寄越した代物がこの<フレンチ>だ…

2月11日が「建国記念の日」ということで休日だった。その休日がとりあえず明けた。休日は「何をしたという程のことも…」という感だった。拙宅居室に在っては珈琲や焼酎を頂いていた程度で、文庫本を手に喫茶店等を梯子して読書に興じる、或いは立寄った店で何となく流れていたテレビ放送や録画に興じてしまうというような程度のことをして、夕食を愉しんだ後には眠気に抗わずに何時の間にか休むという状況…或いは「正しい休日」というものなのかもしれない。

例によって、玄関前で戸外の様子を伺った。何か「空気の変化」というようなモノを感じざるを得なかった…

氷点下10℃を伺うような、この辺りとしては「シーズン最低という感」な低温で、酷く冷たい風が抜ける状態が何日間か続いた。昨日の休日は、依然として「快適とは言い悪い」という次元であることに何ら変わりは無いものの氷点下4℃程度に気温が上昇していた。その状況から、更に気温が上昇して0℃からプラス2℃という程度になっているのだ?!厳しい寒さをもたらしていた強力な寒気が何処かに去ってしまったのであろう…

こういうようになると、積雪面の上に立ち、何となく踵に力を入れると「力を入れた辺りが凹む」という現象が見受けられる。こういう「相対的に気温が上昇」となれば、積雪が少々融けて嵩が減り、積雪に覆われていた面は「ぐちゃぐちゃ」になってしまう…純粋に「路面状況」ということで考えると、やや「厳しい低温」の方が安定すると思うのだが、それでも0℃程度で“プラス”も交じるような気温であれば、地域によっては「シーズン最低に近い?」という程度であろうから快適でこそないものの「楽…」ではある。

きっと遠くない間に、気温がまた下がることも在るようには思うのだが…最近は早朝の明るめになって行く時間帯が早くなり、夕刻の暗めになる時間帯が遅くなり、「少し日が長く…」を自覚出来るようになって来ている。季節は着実に動いている…

ブラインドの隙間に覗く、やや雲が多いものの暗くはない空を視ながら啜っていた<フレンチ>も、残りが少な目になって来た…

不思議な早朝…

今朝は「既に3杯目」となってしまっている<大阪ストロング>を啜る。一部の友人が、私が殊更に好むブレンド珈琲として<大阪ストロング>という呼称を記憶してくれている例さえ在るが、「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」というような、何か「古き佳き時代…」という浪漫が漂う香ばしく苦い珈琲が酷く好い…大阪から遥かな距離を隔てた稚内でこの<大阪ストロング>を啜っている訳だが…

夕刻に夕食を愉しみに出て、引揚げてから然程間を置かず、夕刻の服装のままにゴロリと横になる。そうすると眠気が酷く強くなり、特段にそれに抗う理由も見出せず、そのままに眠ってしまう。そして変な時間帯に気付く時、「妙??」な状況が発生している場合が在る…

「だらしない!」と御叱りを受けそうだが…ゴロリと横になる時、靴下は特段に脱いだというように記憶していない状況にも拘らず…気付いた時に「右足に靴下を履いたまま、左足は裸足」となってしまっている場合が在る。「眠っていた間に脱げてしまったのか?」と訝しく思う。足下の側を探るが、左足に履いていた筈の靴下が見当たらない…「何処へ??」と不審に感じながら、何となく眠ってしまっていた間は頭が在った側、枕元に眼が向いた。左足に履いていた筈の靴下が、枕元に在る…

「私に何が起こったのか?」と首を傾げること頻りだ…眠っていた間に足が動き、寝返りというような中で左足の靴下が脱げて足下側に在るというのであれば、何となく判るような気がする。が、何故に脱げてしまった靴下が枕元に在るのか?!全然判らない…

そういう全然判らないことを考えていたからというのでもないが、何やら変な時間帯に起き出し、<大阪ストロング>を淹れて啜りながら、過ぎる程に静かな居室でゆったり過ごしているのだが…珈琲も既に3杯目となってしまった。

国内を広く覆っているらしい寒気の影響と見受けられるが、氷点下10℃を伺う気温になってしまっているが…静かで穏やかな朝だ…

考えてみると…否、考えるまでもない!今日は休日である。変な時間帯に起き出して、日中に眠くなれば…また眠って差し支えない訳だ…

低温継続…

漸く、今朝の1杯目の<大阪ストロング>を淹れたというような感である。相変わらずの芳香が静かな室内に立ち込める…

昨夕は友人と軽く呑むという機会が在り、何やら愉快に過ごした感で、拙宅に引揚げた直後に就寝ということになった。そして、朝寝坊というのでもないが、「何時もの変に早起き」という時間帯よりもやや遅い程度の時間帯迄、深く眠っていた…

戸外の気温が上がらない…氷点下8℃、氷点下9℃というような感じが継続している…

稚内辺りは、周辺の海水の関係で気温が比較的安定する地域であり、冬季は内陸よりも気温は下がらない。そういう場所なので、氷点下8℃、氷点下9℃というような感じは「冬季の最も低目な部類の気温」というように思える。

冬季のユジノサハリンスクに在った時、氷点下20℃程度が連発していて、或る日に氷点下9℃というようになると「マイルドな寒さ…」と考えていた。暑さや寒さの感じ方は非常に“相対的”なのだと思うが…現在は「冷え込んでいる?」というように考えている。

こういうように気温が多少下がると…暖房器具の燃料の消費がやや速くなる。「燃料切れ」で暖房が停まってしまうと、著しく室内気温が低下し、心地好い程度に上昇させるために余分な燃料が必要になってしまう。それ故に「燃料切れ」を回避しようと給油をしておかねばならない…

何となく雪や低温のシーズンも“後半”というように思える時季になったが…変に「時季らしさ」が増しているような昨今だ。

何時も思っているようなことだが…何かを掴んだような気がしていて、何時の間にか指の間からそれが零れ落ちてしまっていた…逆に何かに手を掛けたというのでもないが、何時の間にか手の中に何かが残っていた…そういうのが不規則に繰り返されているような気がする…例えばこの冬は…「冬らしさ」に手を掛けていたという意図も無かったものの、何時の間にか「冬らしさ」が手許にというような感かもしれない。

そういうことを思っていた間に<大阪ストロング>を満たしたマグカップが空こうとしていた…

寝過ぎた…

<大阪ストロング>がより一層「効く…」というような感じがする朝だ…苦味と香ばしさとの刺激が酷く心地好い…「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」というような浪漫が溢れる、大阪の業者が出しているブレンド珈琲豆なのだが、酷く気に入っている代物だ。

口にした珈琲について、より一層「効く…」というように感じるのも…「寝過ぎてしまった」という後の早朝であるからだ…

日曜日の午後、未だ戸外が暗くなっていたでもないような時間帯に、何となく横になった…そして居眠りに陥った…一度眼が開いたように思うのだが…そのまま再度眠ってしまったようだ…

気付けば月曜日の早朝…推定睡眠時間が13時間や14時間と見受けられる状況である。

推定と言って、スタート時間帯が曖昧でよく判らないが、13時間や14時間と見受けられる位に長く寝ていると、深く眠ってスッキリというのでもなく、「身体が少し痛い…」というような感じになってしまう。余り長く寝たまま、余り長く座ったままというのは好くないのであろう…

「寝ている」方向とは違う「立っている」方向に身体を伸ばそうと、玄関辺りに佇んで戸外の様子を少々伺った。寝ていた間にほんの少々雪が降り積もったようだが、風は微弱で穏やかなように思えた。氷点下4℃というような次元の気温らしいが、強風が吹き荒れたほんの少し気温が高かった日よりも“キツい”という程でもない…

格別に草臥れるようなことをしていた経過に思い当たらないが、それでも推定睡眠時間が13時間や14時間ということをやらかしてしまった…起き出した直ぐ後に「身体が少し痛い…」と些か不快であったが、<大阪ストロング>を啜りながらゆったりしている間に、少しばかり落ち着いた。

こういう日は…結果的に頭がスッキリして、何やらの作文に勤しむというような事柄には好適なのかもしれない…そういうのも悪くはない。

もう暫くは…<大阪ストロング>をゆっくり愉しんでいて差し支えはない…

荒天…

<大阪ストロング>は既に「今朝の2杯目」だ…愛用の時計の秒針を眺めて、15秒間程度ということにして、「極深煎り」の真っ黒な豆を挽き、新しいドリップポットを使って少し丁寧に淹れてみる珈琲…苦味と香ばしさが素晴らしいブレンドだと思う。

特段に「抗う理由」も見当たらないので、眠気に抗わずに寝入ってしまった時間帯は全く確認していない…そういう様子で、何やら起き出して「とりあえず…」と<大阪ストロング>を淹れた。程無くマグカップが空になり、それでも“早朝”と言い得るような範囲の時間帯なので「今朝の2杯目」をゆったりと淹れていたのだ。

芳香が立ち込めている居室は、過ぎる程に静かということでもない。原則的には静かだが、何やら強風に由来する戸外からの雑音と、吹き貯まった雪を除けようという作業中の車輛が発しているらしい音が少し聞こえている…

昨日から「荒天への注意喚起」という状況である。酷い強風で、今日は列車やフェリーの運休・欠航が決まっているようだ…

そういう状況で、一部に雪が酷く吹き溜まっている様子のようだが…拙宅の周囲のような極々手近な辺りでは、酷い雪という程でもない…

昨日の日中からの荒天で、夕刻に拙宅へ引揚げた際には「少し雪を漕いで扉に近付き、扉を開けてスコップを取出して、扉の前の雪を少々除け…」ということをイメージしていたのだったが…無用だった…今朝に至っても、別段に拙宅の扉の前に雪は積もっていない…

それでも、もう少しばかり強風という状況は続くのであろう…注意喚起という状態は続いている…雪交じりな感で雲は分厚い様子と見受けられ、日出の時刻辺り、それを過ぎてしまっても何やら薄暗い…

これから外に出て動く中、この荒天の思いがけないような影響で、動き悪い状態になっている箇所に出くわす可能性が排除出来ないので「要注意」とは思うのだが…静かな金曜日を淡々と過ごすような感であろうか?

元号が改まって初めての1月だったが…今日までだということに思い至った…そして、そんなことを思っていた間に「今朝の2杯目」であった<大阪ストロング>を満たしていたマグカップも空になった…

「仕方ない」…

<大阪ストロング>の芳香が静か過ぎる室内に立ち込める。早朝は、このブレンドの苦味が酷く心地好いような気がする。

拙宅にはテレビは置いていない…

2011年であったか?テレビ放送の電波方式を切り替えるというようなことで、対応するために何やら機器を用意しなければならないというようなことであったのだが、「この日から切替わる」という日に至るまで何もしなかった。そしてその時期、偶々サハリンとの間を往来したというようなことも在ったのだったが、居室でテレビを点ければ「全く放送が受信出来ない」ということになった。

その後、「特段に急いで新しいテレビを用意するという程のことも…」と放置していた。そして引っ越しということになった時、放送が受信出来るのでもない状態になってしまっていた大きなブラウン管方式のテレビは処分してしまった。新たな居室に住み始めてから「そのうちにテレビを…」と思わないでもなかったのだが、結局求めることもなく、何年も経過してしまった。

よく「近頃の若者は…」とやや新しい傾向を論じる場合が在る。私自身は、何時の間にかそういう「近頃の若者は…」というのと合わない場合が多いような気がしているが、「近頃の若者はテレビを視ない」ということなら、私は「若者の中の若者」ということになる。テレビ放送の電波方式を切り替えて以来、「自身の住まいでテレビを視ない」というのが当然のようになっている。そもそも置いていないのだから、どうこう出来るのでもないのだが…そういうことをやっていると、出先の宿の居室に在る場面でも、部屋に置かれたテレビを敢えて点けないままで居る場合も少なくない。ノートパソコンを持参し、出先で撮った写真を整理するとか、WiFiの恩恵でネットを利用して利用すべき交通機関の確認等をするというのが室内での過ごし方である…そして、出先の宿の部屋では、拙宅に在る時と同様かそれ以上に「早寝早起き」という感でもある…

そういうように「テレビを視ない者」ということになるのだが、それでも色々な場所でテレビ放送が流れているのが耳目に触れる場合は多々在り、そんな時に「こういうニュースが大きく取り上げられている」ということに触れる訳だ。

こういう暮らし振りで、別段に何か不便が在るという程のことでもなく、普通に過ごしているのだが、偶々耳目に触れるテレビニュース等で「こういうニュースが大きく取り上げられている」ということを知る時に、色々と考える場合も在る。

最近は、深刻な症状で死亡者も発生するというような、伝染する新しいウイルスの問題が大きく取沙汰されている。こういう疫病は、症状が拡がっていると見受けられる地域を閉じてしまうようなことで対処する他無いのかもしれない。そうなれば、人々の往来は鈍化してしまうから、人々の往来に伴って発生する経済活動もまた鈍化する。が、公になっているだけで「何十人」が死亡しているという感染症への対処だ。「大変なことになっている地域の皆さんに御見舞い申し上げる」であり、「少しなりともおかしな症状が出れば、新しいウイルスの関連という可能性も排除出来ないから要注意」である筈だ。

しかしながら、何となく非常に目立つのは「人々の往来は鈍化してしまうから、人々の往来に伴って発生する経済活動もまた鈍化する」という側面での「影響」が殊更に大きく取り上げられているという例だ。

「夥しい数の人達が旅行等で動き回る」という状況が予想される、期待されるという時期に“疫病”で「動くな!」である。「動き回る」に対応する大変さに対し、それを「キャンセル…」に対応する大変さも在る。前者に対し、後者は只管に重苦しい。それが嘆かれる事態であることは想像に難くはない。しかし、発生している事態は「人命に関わる疫病」なのである。「大変なことになっている地域の皆さんに御見舞い申し上げる」が第一義であって、事態の鎮静化を願う他に何も出来ない。これこそ、頻繁に人の口の端に上る「仕方ない」というものではないか?

そんなことが少しばかり気に掛かる昨今…疫病そのものに関することや、関連した人の動きの急変で困惑を強いられるという例の何れにも御見舞い申し上げ、少しでも早く事態が鎮静化することを祈るばかりだ。これからどういうように事態が推移するのかも注視せねばなるまい…

考えていた間に、マグカップを満たした<大阪ストロング>は残りが僅かに…未だ早いので更に珈琲を淹れて愉しむという程度の時間的なゆとりは大きい…

少雪…

<大阪ストロング>の芳香が立ち込める。口にした際の香ばしい苦味が非常に好い!少し暫く振りに頂いている…

<大阪ストロング>というブレンドの名前は、何となく目立って覚え易いが…大阪には「大阪ストロングコーヒー」というように呼ばれる、「老舗喫茶店で出したような感じの珈琲」を供するという店が在る。実際にその老舗喫茶店が現在に続いているという例も見受けられるのだが…

「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代…」ということになる1930年代初め、珈琲を供する喫茶店が大阪でも登場して流行るようになったそうだ。そんな頃、広く普及していた訳でもなかった珈琲を淹れるべく、色々と試して、後に「大阪ストロングコーヒー」と呼ばれることになる、深く炒った豆を使う濃い感じ、「真っ黒」な珈琲が登場する訳だ…

そんなモノを意識して、大阪の業者が送り出している<大阪ストロング>というブレンドが在って、随分と気に入っていて、何度も取寄せている…暫く、全く別なモノを続けて使っていたが、何か妙に<大阪ストロング>が懐かしくなり、暫く振りに入手した訳だ…

「1月下旬」という時季…「氷点下の気温が当然」というのは「時季らしい」と言えるが、何か「妙に雪が少ない」という状況である…

手近なこととして、例年は「除雪作業にやや手間取った」というようなことが何度か在るものなのだが、「そう言えば今季は?」というようなことを、昨日言葉を交わした方と話題にしていた。

今季の様に「異様?」とまでは思わなかったが、昨季も雪は少な目に推移した。一昨季は少し雪が多かったかもしれない。昨日言葉を交わした方は「(多い、少ないと)“かわりばんこ”と思っていた」とし、その限りでもないと首を傾げた。“かわりばんこ”は“替り番”ということで、例えば子ども達が緑地のブランコを使っているような時、「順番に交替して使うようにしよう」というような意味で「“かわりばんこ”!」という具合に言うのだ。

雪の少ない、多いはシーズン毎に変動するのが当然ではあるが…或いは自身の地域で「普通…」という具合でも「あそこが酷いらしい…」という話しは伝わるのだが、今季は「何処へ行っても“異様”なまでに少雪」というように聞く…それも北海道内に限らず、本州方面の例年は雪に見舞われる各地で、どうしたものか“共通”で雪が少ないらしい…

雪が少ない他方…別段に空が美しい好天が多いというようにも感じられない…今朝は薄暗い感じを免れているようには思うが、何やら雲は多目である…

そんなことを思っていて、<大阪ストロング>を満たしたマグカップが空いてしまいそうになっている…次は?<枕崎>?これは珈琲ではない!!

薄暗い感の朝に…

<MIKASA>という奈良からやって来たブレンドの芳香が好い…

奈良の店による4種類のブレンドの「お試しセット」を文字どおり試して、気に入った2種類を改めて入手していた。<SARUSAWA>というブレンドを使い切って、現在は<MIKASA>を使っている…

<MIKASA>は、所謂「フルーティーな珈琲」という味わいが「仄かな苦味」と融合したような味わいである。恐らく<SARUSAWA>よりも好みが分かれると見受けられるのだが、自身ではこういうのは好みだ…

1月も最終週を目前にしている。未だ、日付を書こうとして「2019」と勘違いする場合が無い訳でもないが、それでも抵抗感少なく「2020」と書くことが出来るようになって来た気がする。

2020年に関しては“オリンピック”なのだが…その大会期間に相当する7月後半から8月は、交通や宿泊が極端に混み合う場所が在って、何やら動き悪いという状況が想定される。例年、夏季に関しては交通や宿泊が極端に混み合う場所が見受けられ、動き悪い感は排除し悪い。それでも昨年は、どうしても足さなければならない所用に絡めて多少動き回った経過は在ったが…今年も、そういうような感じ、どうしても足さなければならない所用で動く程度で、夏季は何となく地元で普通に過ごすという按配であろうか?

尤も稚内に在れば、夏季に関しては「日本国内では最高かもしれないような“避暑地”に最初から在る」ということになる。方々の皆様におかれては、各地の熱さに倦んだ時には、真直ぐ稚内へ御運び頂くと「涼しいを些か通り過ぎてしまう」場合さえ在るので御薦めだ!夏季は…何かの序でに好い景色に触れてみることでも出来れば「善い…」ということにしておきたい…

早々とそういうことを思うに至っているのだが…何か最近は「何処か行きたい症候群」が酷く疼いている…

振り返れば、9月、10月、11月、12月と「どうしても足さなければならない所用に絡めて」ということにして、好きなように動き回ってみるようなこともしていない訳でもないが…何となく6月に山陰方面に強行突入し、「全く初めて」となった島根県に足を踏み入れ、戯れに「長州打込み!」と称して萩に至り、関西方面に流れてから“帰国”ということにして以降、「少しばかり本格的な感じがする…」というような他出から縁遠くなってしまっている…勿論、「どうしても足さなければならない所用に絡めて」ということで動いた中でも、「相当な距離を彷徨してしまっている」という状況ではあるのだが…

「何処か行きたい症候群」の「疼き」が和らぐようなこと…それは、何処かの都市圏等で“1日乗車券”というような類のモノを手にして、次々と現れる様々な文物に触れ、訪ねた街の空気感の中に何となく浸って、好きな写真でも撮ってそれを適宜整理し、“予約”というようなことは「必要と言えば必要か…」の最低限―“帰国”と戯れに呼ぶが、出先の交通結節点と地元とと往復する術、一部の宿泊―だけにしてしまって、「気儘な時間に身を置く」というようなものである。

そんなことを想っていれば…<MIKASA>を満たしたマグカップが空いてしまった…また湯を沸かして「本日の2杯目」を淹れてしまった…

その「本日の2杯目」の<MIKASA>を啜りながら、更に想う…気候が悪くない感で、交通や宿泊が極端に混み合う場合が考えられる夏季を外して…春季か秋季…可能であれば「気儘な時間に身を置く」ということをしたいという気分が高まっている…

一昨日、昨日は東寄りの空が明るく、昨日等は「暁に向かってフェリーが出航」という様子さえ見受けられたが…今朝は雲が厚目で、何時までも薄暗いような感だ…

今更ながら年頭に…

<SARUSAWA>とは、興福寺の辺りの猿沢池に因んだ命名と思うが、奈良の店から取寄せたブレンド珈琲の豆を挽いて、ゆっくりと淹れてみた。暖房機が稼働する音、強いて言えば小さな置時計が動く音が聞こえる程度の静か過ぎる居室内に、<SARUSAWA>というブレンドの芳香が立ち込めている。

何時の間にか…1月も第3旬に入って行く…今年に関しては、何となく居眠りして、気付くと日付も年も改まっていたという様相だった。前年や前々年のユジノサハリンスクでのように、時報が鳴って花火を挙げるという催しを覗きに出るというようなことも無かった。「所在無く」という程度に年末年始を過ごし、やがて週末が繰り返され、気付けば1月20日に至っていたのだ…

巷には「年頭所感」というようなモノも出回っているのかもしれない。1月20日に至って、そういうようなことを言い出しても、何やら「時宜を逸している」というような感も否定出来ないかもしれない。が、1月末頃迄は「新年会」等と称して、何かの集まりが催される場合が多いと聞く。そういう「年頭の集まり」という中では、そのように呼ぶか否かは度外視して、とりあえず「年頭所感」というような話題に及ばざるを得ないことであろう。

ここで「年頭所感」という程のことを話題にしたいという程のことでもない。実は、年頭に何気なく“占い”というようなモノを眼に留め、内容を書き写して在ったのだ。

“占い”というのは生まれた年や誕生日等で人々を一定数の類型に分類し、各類型が「相対的に“より好い運”と言えそうなのは、年の中で〇月、月の中で前半か後半か、週のの中では〇曜日」という程度のことを示唆し、各類型に見受けられるらしい性格、性質を少しばかり顧みて「こんなことに配意してみると好いかもしれない」という程度のコメントを添える、というようなモノだと思っている。こういうのは「勝手な理解で、多分正しくない」とでも言われれば、恐らくそのとおりなのだと思うが。と言って、自身では然程「見当外れ」でもないとは思っている。

自身は申年生まれで、誕生日は双子座ということになる。

申年の2020年…「運勢が好転し、自信は急上昇するでしょう。為すことすべてがうまくいき、あらゆる面で物事がうまく進みます」ということだ。そしてこの後に「何かよくわからないことがあっても、他の人、とくによく知らない人のいうことを簡単に信じてはいけません。騙されないように注意してください。卑劣になったり、目立ったり、威張ったりすると、人からあら探しされてしまいます。これは仕事面でとくにいえることで、何かに得意になりすぎたり、ことを急ぎすぎたりして、キャリアの発展の妨げになるようなことは避けてください」と在る。後半は2020年に限定されることでもなく、毎年そういうような感じで配意はすべきことではなかろうか?

双子座の2020年…「今年は公私共に新たな出会いと発見の年。意外な人物から人生を左右するような出会いがもたらされる予感。また、自分の中に、新しい能力を見つけたり、まわりの才能に驚いたり、次々と新鮮な発見が続きます。そこから、あなたの好奇心が刺激され、探究の一年になっていきます」ということなのだそうだ。そして「注意したいのは独占欲。どんなことも周りと共有するようにしましょう」という後段が在る。この後段だが「自分が!!」と欲張る、必要以上に事案の占有意識が高過ぎて、何となく巧くモノが動かないということは多々在る筈で、全く“一般論”というような感じがする。

「申年の双子座」という“占い”の上での類型に分類される私の2020年…「新たな出会いや発見が期待され、為すことも巧く運び、自信が上昇する良運な年である筈。故に思い違いで慢心しないこと」というようなことであろうか?

過去数年、或いはこの十年位を何となく振り返る。

「運が好い」というようなことは、恐らくどういうように考えても「相対的に」というようなことにしかならないような気がする。そういうことで「20xx年は20xy年と比べれば…」ということで「多少は運が好い」、「多少は運が悪い」という程度のことは言い得るだろう。が…そんなことに何となく想いを巡らせている自身というモノは、「ここに現に生きている」という一事によって「既にかなり好運」と言えるのかもしれないというようにも思っている。

近年を想い起せば、負傷してしまったとか、健康を害していることの指摘を受けたとか、やや「ロクでもない…」という程度に思わざるを得なかった年も在った。他方そういう中で、例えば負傷した際には「もっと酷いことになった可能性も排除し悪かった状況下、“この程度”であったことを幸いとしなければなるまい」という程度に考えた。健康を害していることの指摘を受けた際には、「多少の“好くない”を抱えても、身動きが出来ないような羽目になっているのでもない。身動き出来ない羽目に陥る前に、問題と多少向き合う機会を設けられたことは幸い。“好くない”に鑑みて、無理をしないようにしよう」という程度に思っていた。何時の間にか「思うことにした」という側面も在るかもしれないが。

負傷した際に「もっと酷いことになった可能性も排除し悪かった状況下、“この程度”であったことを幸いとしなければなるまい」と考えた、或いは考えるようにしたことが契機になって、何となく「ここに自身がこうして“在る”ということについて、何かに何となく感謝すべきなのであろう」というような考えを抱くようになったと思っている。

少し以前…何年前か?ファンタジー系な物語のアニメ作品を視たのを覚えている。作中世界に“等価交換”なる概念が出て来た。何かの願いが叶えられれば、他方で何かが喪われてしまう。叶えられた願いと喪われたモノとで“等価交換”というようなことになるという話しだったと記憶している。

或いは、この“等価交換”でもないのであろうが、何かで「非常に好い」ということが在れば、その他方に「パッとしない」というのも在るのが、“平常”というものなのかもしれないというようなことも思わないでもない。

「新たな出会いや発見が期待され、為すことも巧く運び、自信が上昇する良運な年である筈」と“占い”の上ではなっている2020年の時間が流れている。思えば近年に幾分見受けられた「パッとしない」が在る以上、「相対的に近年の中では悪くない感じを期待出来る…期待したい…」というようには思うのだが、どのようになるのか?「年頭所感」という程のことでもないが、何となく考えていた…

そんなことを想っていた感に、<SARUSAWA>を満たしていたマグカップは殆ど空いてしまっている…

数字…

奈良から取寄せて在った<KENYA>は、既に「今朝の2杯目」になった。この芳香が酷く好い…

俄かに気に入った料理等、愉しい夕食を頂き、些かの蒸留酒も嗜み、「さて休もう…」ということにして眠ってしまった時、時間帯は全く気に掛けなかった。多分、今時の小学生でもゲームに興じるか、宿題に勤しんでいるかのような時間帯に眠ってしまったのであろう…

そういうことの「当然の帰結」として早起き…1杯目をゆったりと愉しみ、直ぐに2杯目の珈琲も淹れてしまったのだ…

耳目に触れた話題は、京都の都心部で、30年間近く営業を続けた有名な大型書店が閉店することになったのだということであった。

最近は街の中の書店は売上が伸び悪いのかもしれない。そういう中、「昭和の終わりから平成の初め」というような時代からの商業施設がリニューアルされるような状況も大きな街では見受けられる訳で、或いは「閉店」というより「グループ会社内での店舗統合」というようなことが実態なのかもしれない。

そういう話題が耳目に触れたが、思ったのは書店の売上ということでもない。件の書店が立地したような、大きな街の都心部を「行き交う人々の数」というようなことだ。

偶々話題が耳目に触れた京都にせよ、他の大都市にせよ、大きな街の都心部には各種の鉄道が乗り入れている。地下鉄でも、私鉄やJRでも列車は6輛編成程度で走っている事例が多いように思う。各地のその種の乗物も好きで、何処かに出掛けた場合に随分と利用する訳で、そんな中での観察の結果として思ったのが「6輛」という観方だ。

6輛編成の列車には300人やそれ以上の乗客が乗り込むことが出来る。早朝から夜中まで、列車の混雑率にはバラつきは在る。曜日毎の差異も在ろう。運行頻度も時間帯毎に異なる。が、「10分間隔で列車運行」となれば「1時間に6本」である。朝6時から夜11時までとすれば17時間稼働することになるので、「1日に102本の列車」ということになる。300人乗る6輛編成の列車に「満員の1/3」が終日の平均乗車率と想定すれば、「毎日1万人余り」が動いていることになる。

「1万人余りが動いている」という駅で、下車して上記で出した書店のような場所を通り過ぎる、「潜在的に買物客になり得る」という人達の数は、「乗客の1/3程度」としても「1日3千人余り」となる。「1日3千人余り」が1年間となれば、「年に100万人弱」が動き回るということになる。

こういう極めて単純化したモデルで、「年間に100万人は動き回っている筈」という地区で店舗を営むということをやっていて、そこで「閉店」、実態的に「グループ会社内での店舗統合」と見受けられる事態が惹起する。恐らく、こういう単純化したモデルで「年間に100万人は動き回っている筈」という地区というようなモノは、日本国内全体で考えれば「寧ろ少数派??」という気がしないでもない…

実はこんなことを考えた切っ掛けが他にも在った。

何やら来る4月に新しい施設をオープンするというようなことで、新しい施設の知名度が「然程高くない?」と見受けられるため、懸命な宣伝活動が展開されているのだそうだ。

その「新しい施設が懸命に事前宣伝」というのは「普通」に聞こえるのだが…聞こえて来て「違和感」を禁じ得なかったのが、「施設は年間100万人来場を目標としており、それの達成の可否が問題視されている」という話しが聞こえて来たことだ。

施設の性質によっては、“採算ライン”というような要素が在って、そういうモノを勘案すると「1日平均3千人程度が訪れる=年間100万人来場」というのが妥当なラインと目される場合も在り得るのであろう。が…多くの場合、新しい場所を訪れる人というのは「開業後の評判を受けて増減」という程度のモノであって、「1日平均〇人=年間〇人来場」は「関係者間での部内的目標」としては適切な場合は在っても、「公表して達成の可否を論じる」という性質のモノとも思い悪いのだ。

更に言えば…北海道内の場合、例えば稚内・函館間の距離が東京・青森間の距離と比肩するような広大な地域の中で、上述の「大都市圏で年間に100万人位は動き回りそう」というモデルを示すことが叶いそうな場所は「札幌都心部の繁華なエリア」程度しか思い浮かばないのである。だから、新たな施設を開業して、「1日平均3千人程度が訪れる=年間100万人来場」というのは、「どうしても何とかしたい“採算ライン”」というような性質の目標なのだとすれば、「最初から無茶?」ということになるのではないだろうか?「関係者の意気込み!」としては、「100万人」であろうが、それ以上であろうが、随意にすれば好いと思うが…

気になるのは、“採算ライン”というような「どうしても何とかしたい!しなければならない!」という要素が在るのか否かは承知しないが、新しい施設に関して「1日平均3千人程度が訪れる=年間100万人来場」というのが「独り歩き」という様相にも見えることだ。悪くすれば、「独り歩き」の数字に「振り回される」という滑稽な状況も生じてしまうかもしれない…

巷には、こういう「過大と見受けられる数字が独り歩き?」という事例も見受けられるのかもしれないが、他方に「実際に達成された高い数字」が「完全に黙殺」とか「無視」という事例も存外に在るのかもしれない。そんなことも同時に思わないでもない…

俗に「数字は嘘を吐かない」とは言う。他方で「嘘吐きは数字を使いたがる」とも言うかもしれない。或いは私は、数字を弄ぶ嘘吐きか?

色々と思っていた間、「今朝の2杯目」であった<KENYA>を満たしたマグカップが空いた…

少し引っ掛かった話題から…

<KENYA>と呼ばれる珈琲豆…奈良の店から取寄せて在ったミディアムローストの豆だ。アフリカの東側のあのケニヤからやって来た豆で、所謂「フルーティーな珈琲」という独特な味わいのモノだ。やや苦味は弱目かもしれない中に、些かの酸味というような感か…暖房器具が稼働中という音だけが聞こえる静かな居室内に、この芳香が立ち昇っている…

何か漸くこうした「平日の静かな朝」という感じが、馴染んだとおりの雰囲気でまた定着している感だ。出入りが多い、或いは出先に在ったという期間が少しばかり続いていて、それが「平常化」ということになり、そこから少し期間を経ている訳だ。

最近、耳目に触れて気になった話題が在った。

大分県別府市に、647室の客室を擁し、約千人の従業員が働く大型ホテルが在るというのだが、このホテルでは年末年始の繁忙期を過ぎた後、1月中に「10日間」の「休館」ということをしているのだそうだ。

「10日間」の「休館」で、約千人の従業員は全員が「休暇」というような具合になる。この間、従業員に関しては“視察”ということで旅行に出るようなことも奨励され、一部旅費の支給も行われるという。こういう取組が評判で、新規採用の募集の際も好調であるのだという。

何か大胆な話しで「凄い!」と思う反面、「何となく引っ掛かる…」というようなことも感じていた。

ホテルのような、原則的に「毎日!」というように利用客を迎える場所では、従業員は連休を取得し悪いということは在るのだと思う。例えば、現在は約千人の従業員を擁するという場所で、千三百人とか千五百人でも居れば、交替で連休を取得するというやり方もやり易くはなるかもしれない。が、そうすれば経費が膨らみ過ぎて経営が不安定になってしまうのであろう…

そういうことで、この話題にしたホテルでは、色々な部内での議論や試行の結果、「休館」を設定して、その間に従業員が連休ということにしてみて、現在は「1月中に10日間」ということにしているのであろう。

これ…「大胆!」とも思えるのだが、ホテルという場所は「毎日満室」ということでもなく、相対的に空室が目立つ時季というのも在る筈だ。そして「休館」という設定にした日に「何としても利用!!」と言い出す利用客が酷く多いということでもないとも見受けられる。だから、このホテルに限らず、「やってみようと思えば他所でも出来る…」ということなのだと思う。勿論、或る地区の何軒かのホテルで「横並び!!」に「休館」というようなことにでもなれば、他地域から当該地区を訪ねようとする場合に単純に困るという場合も生じるので、多少慎重にはならざるを得ないのかもしれないが…

この別府の大型ホテルの件が耳目に触れた時、「何となく引っ掛かる…」というようなことも感じた。

「考えてみれば出来ないということもない?」と見受けられる「休館を設定」というようなことに関して、余り行われている例が無いということが引っ掛かり…加えて「休館で全員!」ということにでもしなければ連休が取得し悪いということに引っ掛かったのだ…

「休館を設定」の例が少ないということ以上に、「休館で全員!」ということにでもしなければ従業員は連休が取得し悪いということに引っ掛かった。これは「祝日で連休」ということにでもしなければ、休暇を取得しない、出来ない、考え悪いという“事情”に通じるというような気がしたのだ。

耳目に触れて気になった件を少し想い起していたのだが…自身では、近年は「可能な範囲で休暇は普通に取得」というようにしようとしていて、実際にそうしている。或る時、急に深刻な健康上の問題でも惹起して身動きし悪くなってしまう可能性も排除し悪いと思っている。そうなった時に「あそこに行ってみたかった…」と思い付いてもどうなるものでもない。極力、様々なモノを好き勝手に視に行きたいものだ…

そんなことを言っているが…何十年か先、普通に旅行をしているのか、訳も判らずに徘徊しているのか判然としない状態で、愛用のカメラを提げて何処かの街でフラフラしている私の姿が誰かに目撃されるという日がやって来るのかもしれない…

<KENYA>を満たしたマグカップが空いてしまった…また湯を沸かして、もう1杯淹れてみよう…

<成人の日>らしい…

一寸湯を沸かし…「5:5」、「6:4」という目盛が入った、鹿児島県から取寄せたグラスに湯を注ぎ、<刀 KATANA>という酒を注いだ…何か「独特な味わいのハーブティー」という感でもあるのだが…「一口頂こう…」ということには好適な美味いお湯割りが出来上がる…

昨夕、古くからの友人と一席設けて、何となく焼酎のお湯割りを頂いた。多少御無沙汰したお湯割りが妙に好く…迎えた朝に「一口…」と思ってしまった訳だ。“原酒”に類する酒を態々割るまでもないとも思うが、態々用意するお湯割りというモノの名状し悪い美味さというものには惹かれてしまう…

惹かれると言って、朝から延々と芋焼酎のお湯割りを茶代わりにしているのも「如何なものか?」と思い…奈良から取寄せて在ったブレンドの豆<ROKUMEI>を挽いて珈琲を淹れる。「休日の朝」により似つかわしいのは、「お湯割りを…」というのでもなく、「珈琲を…」という程度のことかもしれない。

<ROKUMEI>を啜りながら思い出したことが在る…

あれは大学に進学した年だった。当時、1月8日位に年末年始の休みが明けて大学の授業等に行くというようになっていたのだが、「1月15日」が休日であって、何かそのことに首を傾げてしまった。そして気付いた。「1月15日」は他の「〇〇の日」というのと同じ「祝日」だったのだ。大学の授業等が休みになる訳である…

自身が御厄介になった、札幌市内に在った小学校、中学校、高校では「1月15日」は「冬休みの一部」であって「祝日」ということを殆ど意識せずに居た訳だ。本州方面の小学校、中学校、高校では、私が御厄介になった東京都内の大学と同様、1月8日位に年末年始の休みが明けて授業等が始まるというようになっているらしい。「1月15日」は、「少しラッキーで1日余計に休みが生じる」という程度に認識されていたようだ。

多分、こういうのは現在でも然程変わっていないのであろう。北海道内では1月15日頃は未だ冬休みであろう…何時の頃からか、「1月15日」は日付固定の祝日ではなくなった。「成人の日」ということで、毎年少しずつ動いている…

「成人の日」と言えば、各自治体で<成人式>を催す。これに関して「その年に20歳を迎える予定の人達」を招く場合と、「その年に20歳を迎えた人達」を招く場合とが在るようだ。私は進学に関係して引っ越しをしているのだが、札幌市が「その年に20歳を迎える予定の人達」という基準で案内をしていたらしく、1月に御案内を頂いていたが、何やら落ち着かない状況だったので<成人式>には行かなかった。そして移り住んだ新宿区では「その年に20歳を迎えた人達」を招く基準で案内をしていたらしく、1月に御案内を頂いた。が、住み始めたばかりの場所で「20年が…」という話しになっても別段に面白いのでもない訳で、<成人式>には行っていない。

結局、<成人式>の御案内を2回頂いて、2回とも足を運んでいない訳だ…そんなことを仕出かして、既に<成人式>の“ダブルスコア”を大きく通り越し、“トリプル”が些か意識の端に上るようになって来ているのだが。

「<成人式>の御案内を2回頂いて、2回とも足を運んでいない」と或る方と話した時に話題にすれば、その方は「そう言えば出身ということになる〇〇市からも、20歳の頃に住んでいた△△市からも<成人式>の御案内なるモノを貰った記憶が…無い!」と半ば憤慨していたが…何がどういうことになっているのか?

毎年のように、この時季には<成人式>そのものや関連する色々な話題が聞こえて来る。「<成人式>の御案内を2回頂いて、2回とも足を運んでいない」という奇妙なことを仕出かしてしまった自身としては「とりあえず色々と…」という具合に何となく聞き流す場合が多い話題でもあるが…

<成人式>とは言うが、何時の時点で、何を持って「成人」と定義すべきなのであろうか?結局、生まれてから死ぬまでに色々と在って、その間に延々と「斯く在りたい」を負い続けているのが人間というモノで、「成人」というようには何時まで経っても簡単には言えない…近年はそんなことを思う場合も少なくない。

妙な事を思い出しながら啜っていた<ROKUMEI>を満たしていたカップも、何時の間にか空いてしまった…