『灰色のミツバチ』

↓ウクライナの作家による小説である。原語はロシア語である。なかなかに興味深く読み進めて読了に至った。

灰色のミツバチ



↑一貫して主人公の視点で綴られている。何か「或る男の日記」というような内容を、作家が小説仕立てに整頓したかのような感もした。余り長くはない節が“1”から“74”迄、折り重ねられている。回顧するような場面や、別な場所での動きが出て来るというようなことはない。淡々と時系列に作中の状況は動く。

作中の出来事に関して、作中に年号は明記されていないのだが、2017年頃が想定されていると見受けられる。2018年にロシア語の初登場した後、順次各国で翻訳が登場したようである。恐らく、作者自身が思う以上に「示唆に富む」というような作品になっているのかもしれない。読み進めながらそんなことも思った。

「セルゲイ・セルゲーイチ」という男が本作の主人公だ。作中で「セールイ」や「セリョージャ」とニックネーム、愛称で呼ばれる場面も在るのだが、殆ど一貫して「セルゲーイチ」というように描写される。ロシア語は人の呼び方に関して何通りもの呼び方を使い分ける傾向が在るが、本作はスッキリしているように思う。

物語は冬の或る日から起こる。セルゲーイチが寒い部屋で過ごしているというような様子から始まる。

セルゲーイチはウクライナのドネツク州の小さな村に住んでいる。ウクライナでは「分離主義者」という呼び方をされたようだが、「ドネツク人民共和国」と号してウクライナからの独立を叫ぶ勢力が在り、ウクライナ政府が派遣する軍隊との間に交戦状態が発生している。その交戦状態の前線で両陣営が対峙している近くに空隙が出来る場合が在る。「グレーゾーン」というモノだ。誰かが明確に定めるのでもない存在でもある。セルゲーイチの村は、その「グレーゾーン」であった。

セルゲーイチの村が「グレーゾーン」というようなことになって3年にもなる。通電が停まって久しく、家電製品等は使えず、携帯電話のようなモノに充電というようなことも出来ない。石炭を蓄えてストーブを焚き、灯は蝋燭を使う。最早、村民は各々に他所へ移ってしまっている。村にはセルゲーイチと、幼馴染のパーシャの2人しか住んでいない。

セルゲーイチは養蜂家である。鉱山の仕事をしていたが、肺を少し傷めてしまって仕事を退いた。そして養蜂家として活動するようになり、少し久しくなっていた。冬は納屋に収めた巣箱でミツバチが冬ごもりである。花が見受けられるような春から盛夏がミツバチを使って蜂蜜を集める仕事が本格化するシーズンとなる。

村での冬の顛末を経て、セルゲーイチは交戦の最中も同然である「グレーゾーン」を少し離れて、もう少し悠然と養蜂家としての活動をしたいと思い付く。そして愛車でミツバチの巣箱を載せたトレーラーを牽引して出発するのだ。

本作は冬の村での出来事を経て、思い立ってミツバチの巣箱を抱えて旅に出るというセルゲーイチの行動の顛末である。ウクライナのパスポートを持ち、ロシア語話者であるセルゲーイチだ。2014年頃から大きく様変わりした「ウクライナ国内」を動き回って如何いう様子に出くわすのかということになる。

本作の中でも示唆されているが、本作の物語の背景にはロシア語話者等の一部が分離独立を叫んで内戦というようになってしまったという様子がある。「異なる」ということを「容認」でもなく、「排除」というような方向で動き、武力紛争迄生まれている。本作のセルゲーイチは、この戦争に関して「参加していない」として淡々としている。そして異文化に些かの居心地の悪さを吐露する場面も在るが、タタール人の同業者の家族と助け合うというような場面も在る。

黒と白というようにハッキリ分けようとするのに対し、何通りも在る灰色である。各々の灰色を容認し、淡々と生きるというようなことをセルゲーイチは志向しているのかもしれない。文化的なモザイクであるウクライナに関して、余り強く「黒か?白か?」と問うばかりでは、戦争のような様子にしかならないということであろうか。こういう様子が続き、そして現今の戦禍という様子にも通じている。

作者のアンドレイ・クルコフは「ソ連のレニングラード」で生まれ、子どもの頃に親の仕事の都合でウクライナに遷り、以降はウクライナで育って1990年代以降はウクライナ国籍である。「ロシア語話者のウクライナ人」である。そういう背景の作者は、2014年以降の諸情勢に関して、色々と「感じるところ」が在って本作を綴ったのであろう。

本作のセルゲーイチは常識的な普通な人のように思えるのだが、一部の人達の目線では異端ということになっている。加えて「異端」の意味合いも様々だ。こういう辺りが、作者による「読者諸賢への問い掛け」なのかもしれない。

本作に関しては、ウクライナの多くの人達の「深層」のような場所に導いてくれるような気がしないでもない。何通りも在り得る各々の灰色を容認するというような在り方が、実は求められるのかもしれない。この「灰色」の示唆が、現今の状況下で非常に重いようにも思う。

少しでも広く読まれるべきであると思いながら感想等を綴っている。広く御薦めしたい本作だ。

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