『銀閣の人』

↓訪ねたことが在る場所に纏わる物語―2022年の夏に銀閣を訪ねている。―は興味が沸く。そういうことで手にした一冊である。

銀閣の人 (角川文庫) [ 門井 慶喜 ]



↑紐解き始めると少し夢中になる。頁を繰る手が停め悪くなり、素早く読了に至ったという感だ。

かの銀閣は、公式には慈照寺と称していて、相国寺の管轄下ということになる禅宗の寺院である。が、創建時は東山殿と称した。「銀閣」は後から出て来た通称である。本作はこの「東山殿」を築くことに情熱を傾けた人物を主要視点人物とする物語である。

「東山殿」を築くことに情熱を傾けた人物とは足利義政(1436-1490)である。足利義政は室町幕府の第8代将軍だ。第6代将軍の足利義教の子で、兄である第7代将軍の足利義勝が急逝したことから、弟であった足利義政が将軍となったのだった。足利義政が6歳であった頃、父で第6代将軍であった足利義教が暗殺されてしまった。そして後継者となった兄は急逝してしまった。足利義政は当時の慣例で寺に入るという予定であったのだが、兄の後継者ということに急遽決まったのである。

本作はその足利義政が将軍として成人し、色々と在って、やがて「応仁の乱」という事態になって行くというような時期から起こる。

足利義政が将軍であった頃に「応仁の乱」は起こっている。方々の大名家の後継者争いが重なったのだが、足利将軍家にも問題が起こりつつ在った。足利義政は後継者が居ないということで弟を後継者にしようとした。浄土寺の僧であった弟を還俗させた。弟は足利義視と名乗り、足利義政の後継者ということになった。が、そういうように決めて程無く、足利義政の妻であった日野富子が男児を産んだ。この実子をこそ後継者とすべきであると日野富子達は主張した。そういう波乱の予兆が強まった中で、東西の陣営に分かれた諸勢力の軍事行動、衝突が始まり、後に「応仁の乱」と呼ばれる通算10年間以上の戦乱ということになってしまう。

そういう戦乱の時期の最中、更に戦乱が段落した後ということにもなるのだが、足利義政は「東山殿」を築くことに情熱を傾けるようになる。足利義政の祖父は、その存命中は「北山殿」と呼ばれた鹿苑寺、所謂「金閣」を築いている。この祖父が築いたモノに対して、足利義政は自身が築くモノを模索するのである。

「侘び寂び」というような、何か“日本文化”のキーワードのような語句が在るが、これの「元祖」というような考え方を持つに至った人物は足利義政である。その境地に至る迄の経過が本作の物語の柱ということになる。

この時代の“将軍”というのは、言わば「王」である。その「王」としての存在感を示すには、政治、軍事、経済と様々な分野での活動ということが在るのであろうが、足利義政はその政治、軍事、経済の何れをも択ばなかった。足利義政は「文化」によって存在感を示した。そして足利義政が打ち出したモノは、現在に至る迄「和風な建築様式」の基礎で在り続けている。所謂「書院造」だ。

家屋等に関して、漠然と「集団」として屋内に在るという前提が在ったかもしれない中、足利義政は「個人」を前面に押し出すようなことをした。そこが画期的だ。そして「簡素」を演出するために驚く程の手間や経費を注ぎ込んでいるというのが「東山殿」の特徴という側面も在る。更に「寂び」という考え方には、「時を経た変化」で好さが増すというような想いさえ籠っているのだという。

更に足利義政が自身が過ごす場所として造った東求堂同仁斎の「四畳半」という建築様式は、茶室の源流となったとも言われるのだが、「室内に共に在る人達の間の関係性」を「新たな何か」にするような面さえ在ったかもしれないと本作では示唆されている。

本作は、足利義政が誰かと言葉を交わす、何らかの事柄に臨むということの他、回想や故人達との幻影を見ながらの遣り取りというようなことも交えて、「文化」によって存在感を示すことになった足利義政という人物を掘り下げた物語である。その足利義政本人の想いに加え、妻の日野富子や、息子ということになる足利義尚(第9代将軍)との想いの工作というようなことも描かれる。非常に興味深い。

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