↑1月下旬に映画を愉しく観た経過が在った。そういうことで原案になった小説を読んでみようと思い付き、上巻と合せてこの下巻を入手して読んだという訳だ。
少年から大人へという年代の若者である才蔵、才蔵と出会う骨皮道賢や蓮田兵衛、道賢や兵衛と関わる女性の芳王子が主要な人物達であると思う。彼らが視点人物になっているが、他に才蔵と縁が在り、「土倉」と呼ばれた貸金業を営む僧兵の法妙坊暁信が視点人物になっている部分も在る。順次視点人物が切替りながら綴られ、作中の出来事が力強く動くという感じだ。
作中で取上げられているのは、室町時代の半ばを過ぎ、室町幕府の体制下で社会が変化したことを受けて起こるようになった「土一揆」である。その「土一揆」も、食料や金銭を巡っての暴動的な感じであったのだが、「武家の出であるらしい指導者」として名前が残ったという蓮田兵衛は、或る種の暴力革命のような発想で「土一揆」の先頭に立ったのかもしれない。そういう感じで少し引き込まれる物語だった。
京都に立地した幕府は、京都に出て来ている方々の大名が様々な役目を担う機構という感じになり、モノの流れのネットワークが拡がる中で銭を使うことが普及し、銭の動きのネットワークも拡がりつつあったのが室町時代だ。そして銭を集めて豊かになる人達の他方、何かの契機で社会的地位を損なう人達も発生し、天候不順による農作物の不作や疫病というような要素も相俟って、困窮する人達が目立ち、酷い格差社会になっていたという時代である。為政者はそうした状況を如何にかしない、出来ない、する気もないという様子だった。そこで社会を如何にかしようとしていたというのが、作中の蓮田兵衛ということになるのかもしれない。
「人生と共に在る社会」ということ、逆に「社会の状況故の人生」というようことで主要な人物達の様子が描かれた上巻に対し、下巻は棒術を究めるべく師匠の下で修行する才蔵の事や、一揆の企てを進める蓮田兵衛の陣営、そしてその蓮田兵衛と個人的に通じていながらも幕府の治安維持の仕事を請け負う骨皮道賢の動き、そして「一揆」とダイナミックな感じになって行く。
「一揆」に関して、本作では次々と視点人物を切替えた節を積み重ねて、巧みに攻める一揆側と、苦戦を強いられる鎮圧を目指す側との戦闘が活写される。やがて一揆側の勢力も鎮圧され、最後の抵抗と首謀者たる蓮田兵衛達の逃走の顛末に入って行く。また戦いの様子等に関連し、高い場所から眺めてみるというような描写も適宜用いられ、何か「作中の時代の京都」という雰囲気が生き生きと伝わる。それらにより、少し夢中になった。頁を繰る手が停められない感じになって行ったのだ。
「無頼」というと、何か「悪漢」というようなことを思い浮かべないでもない。が、本作では「受け継がれた地位や財産等が在るのでもない」という者が、格差社会を何とか潜り抜ける、更に才覚でネットワークを築くようなことをして想いを遂げて行こうとする様子を「無頼」と呼び、それが現れ始めた時代を「室町時代」としているような気がする。「頼るべき何かが無い」という文字どおりの「無頼」な訳だ。そして蓮田兵衛や骨皮道賢は「無頼」を代表する者達として作品の主要人物に据えられているような感だ。
「室町時代」ということになると、時代モノの小説や映像作品は然程多くなく、何となく地味かもしれない。が、モノの流れや金銭の流れが発展してネットワークが拡がる中で“格差社会”が拡がり続けているような感というのが、何となく2010年代以降の様子に通じるような気もする。そうした意味で「室町時代」は少し注目すべきなのかもしれない。
映画か契機で出会った小説だ。読了して、映画制作の話しが持ち上がるというのに大いに納得する感じではあった。若い才蔵の成長と、才蔵が見上げる蓮田兵衛や骨皮道賢の不敵な生き様という様子が、京都の街で展開されるダイナミックな戦闘と絡まるという感じであるからそう思った。広く御薦めしたい作品だ。
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