『京都の歩き方:歴史小説家50の視点』

↓大変に愉しいエッセイ集だと思う。雑誌連載を基礎にした50篇にも及ぶエッセイが集められているのだが、ドンドン読み進めて素早く読了に至った。

京都の歩き方:歴史小説家50の視点 (新潮選書)



↑週刊誌で1年間という連載であったという。そうなると毎週掲載で50篇程度だ。そして雑誌の刊行時季を意識していたのか、または後から季節毎の話題というように整理をしたのか、「秋」、「冬」、「春」、「夏」というように章を設定している。

「歩き方」と称して、個別具体的に何処かを訪ねるというようなことを積み上げているという程でもない。「歴史小説家の視点」と称して、歴史に纏わる話題ばかりという程でもない。京都で暮らすようになった両親の下、京都で生まれ育って、そのまま京都に住み続けて活動しているという筆者が、普段動き回っている様子が伺えるような内容や、そういう普段着の中で思い出した話題を少し掘り下げるという感じの内容が本書であると思う。

生まれ育っていて、そのまま住み続けて活動しているということで、筆者は「京都」を「訪ねてみる場所」というように考えることをし悪い。そういうことで、実際に住んでいる人達の何倍もの人達が訪れて、「〇〇は京都で観たい」と拘りの在る人達も相当数になる筈だが、筆者は「住んでいる場所が深い歴史を持っている」という様子、長く歴史に興味を持っていて関連の題材を求めて小説も綴っているので歴史関係の事項を想い出す場合が多く在るというような、「自然体」で本作のエッセイ各篇を綴っているというように感じた。その筆者の「自然体」が実に心地好い。

「京都」は、或いは「“京都”というイメージが消費される場所」という性質が在るかもしれない。が、偶々そこで生まれ育って、大学迄卒業してそのまま住んで活動しているということであれば「“イメージの消費”と無関係な自身が居合わせている街」という目線が在る筈だ。本書のエッセイ各篇では、そうした目線で綴られたモノが大半であると思った。

或る程度の規模である他地域の街を訪ねると、その街や、街が含まれる圏域で「棲むように滞在して時間を過ごす」という意識で動くと愉しい場合が在ると個人的には思っている。そうした意味で「消費されているイメージ」と関連が薄い、「自然体」な本書のエッセイ各篇は、何か「響く」というような気もする。出逢えて善かった一冊であった。

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