『尹東柱詩集 空と風と星と詩』

一冊の本との出会いにも色々と在る。今般、少し不思議な経過で、日頃は余り着目しないような内容の一冊に出会うことが叶ったように思う。

少し前にネット上のニュースを見ていて「同志社大学」という文字が眼に留まった。別段に同志社大学に個人的な縁が在るというのでもない。少し前、京都を何度も訪ねた中、同志社大学の傍を歩き廻ったということを思い出し、勝手に親近感を覚えていたことを思い出し、ニュースを詳しく読んでみた。

ニュースの中には古い青年の肖像の写真が掲げられていた。写真の人物が尹東柱(ユン ドンジュ)という詩人であると判った。1945(昭和20)年2月16日に福岡刑務所で獄死してしまったとのことだが、同志社大学に在学していた経過が在り、同志社大学では没後80年ということで名誉文化博士の学位を贈ったのだそうだ。

↓その尹東柱(ユン ドンジュ)の作品を文庫本で読むことが出来ると知り、文庫本を入手してみたのだった。

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)



↑作品は朝鮮語で詠まれた詩で、その本来の詩も収録されているが、それの翻訳が本書の内容で、巻末に解説が在るという体裁だ。

自身は朝鮮語は全く知らない。その部分は読んでいない。日本語に翻訳の作品を読み、そして解説も読んだ。それ程に分量が多いのでもないので、素早く読了に至ったという感じになった。

尹東柱(ユン ドンジュ)(1917‐1945)は、現在では中国の一部になっている朝鮮語を話す人達が住む地方に産れている。その地方というのは、朝鮮半島の人達が移り住んだというような経過が在って、尹東柱(ユン ドンジュ)はそういう人達の後裔ということになる。やがて日本統治下の朝鮮半島に移る。そうやって成長して行った。そこから日本留学を志す。当初は東京の立教大学に学ぶことにしたが、従兄が京都に在ったことから京都に移ることを希望し、改めて同志社大学で学ぶこととしたのだ。その同志社大学に在った中で、朝鮮独立を企てる運動に関与という治安維持法に纏わる嫌疑で逮捕され有罪となって、収監された福岡刑務所で獄死してしまったのだった。

尹東柱(ユン ドンジュ)は少年期から詩を詠んでいた。長じて青年となっても詩作は続けていた。日本へ留学する直前、尹東柱(ユン ドンジュ)は自作詩による詩集を編んだ。可能であれば出版をすることを希望したが叶わず、3部の写しを用意し、恩師と友人に贈った。尹東柱(ユン ドンジュ)が獄死して10年を経て、友人が大切に持っていた詩集『空と風と星と詩』が韓国で出版された。そして大いに評価された。国語の教科書にも作品が掲載されているのだという。

本書にはその詩集『空と風と星と詩』に在る作品に加え、色々な形で伝えられていた尹東柱(ユン ドンジュ)の作品が集められている。御自身で編んだ詩集の作も、それ以外の作も、特段に区別なく興味深く触れることが出来た。

「戦時中に同志社大学で学んでいて、母語の朝鮮語で詩作もしていた青年が獄死という運命を辿ったが、その作品が伝わっている」という事だけで予備知識が無い状態、強いて加えると「学生を護る、援けることが叶わなかった」と大学がこの青年の件を記憶に留めていて伝え続けようとしていて、没後80年に改めて顕彰したという報に触れたというだけの状態で、「外国語から翻訳された詩に触れてみる」という以上でも以下でもない感じで本書を紐解いたのだった。

『序詩』と題された、自ら編んだ詩集の冒頭に掲げられた詩である。これは人生の最後の時迄、信じる道を歩み続け、詩作も続け、詩が風に乗って星のように高い天に至って遍く拡がるようにというような感じなのだと思った。青年詩人の、詩作への熱い想いを吐露したような内容であろう。

こうした「志」を掲げているが、各作品は穏やかで、宵や早朝の静寂を見詰めて綴られたような感じの作が多いような気がした。更にキリスト教や欧州諸国の様々な文学作品や哲学に通じていると伺わせるような内容も含んでいたと思う。「政治犯」というようなことで投獄されてしまったという経過が在る詩人だが、その作品は「若く瑞々しい感覚で、夢中で詩作に勤しんだ結果」という様子で、何等の政治的な内容も感じられない。何処かに社会の様子を見詰めての想いが滲んでいるのかもしれないが、「政治」という感は伝わらない。

尹東柱(ユン ドンジュ)は朝鮮語が母語だ。母語で詩を詠んでいて、それを愛していて、作品を書き留めていたというだけだ。そして真摯に文学を学ぼうとしていただけだ。本書を読むとそういうことが強く伝わる。調べて公正に観るというのではなく、「こうだ!」と勝手に決めて、決めた方向性「ということに」するという方式で、色々とやってしまうというような様子の中で、尹東柱(ユン ドンジュ)はよく判らない罪を負わされてしまったということになるのであろう。

尹東柱(ユン ドンジュ)は「異郷に移り住んで暮らす道を択んだ先祖」を持って、自身も朝鮮半島に移り、更に日本へ留学と「異郷に遷る」ということをしている。何かそういう「“異邦”を見詰める目線」を自ずと備えているかのような様子が、各作品から滲み出ているような気もした。先祖以来、物理的に幾つかの地域を移動しているということに加えて、その精神が何時も旅しているかのような様子が何となく思い浮かぶ。例えば『また別の故郷』というような作品に触れてそんなことを思った。そういった感じが、年月を経て如何なって行ったのかは、誰にも判らないというような経過になってしまったのだが。

詩集というようなモノ、それも外国語の翻訳というモノは殆ど読まないと思うのだが、今般は偶々見たニュースが契機で興味深い人物と作品に出会うことになった。非常に好い経験が出来たと思う。

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