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↑頁を繰る手が停められなくなって、大変な勢いで読了に至った。そして深い余韻に浸る感だ。
本作は「創作そのもの」と「創作に打ち込む人の物語」とが螺旋状に組合さるような感じだ。「創作そのもの」が「虚」であり、「創作に打ち込む人の物語」が「実」である。
本作で「虚」ということになっているのが、よく知られる「八犬伝」の物語であり、「実」ということになっているのが、その「八犬伝」を28年間にも亘って綴り続けた滝沢馬琴(「曲亭馬琴」の号でも知られ、本作中でも「曲亭」と呼ばれている場面が在る。)の物語である。滝沢馬琴が「八犬伝」を綴っていた期間は、彼の後半生そのものである。最晩年の、他界してしまう少し前に長大な「八犬伝」は完結を迎えたのだ。
本作は一貫して「虚」の部分と「実」の部分とが交互に出て来る。滝沢馬琴が友人等に「八犬伝」の構想を語って聴かせているという内容が「虚」で、そして滝沢馬琴の人生の様子の「実」なのである。これが最終盤は本作の物語全般のエピローグのように「虚実冥合」という章になって行く。「虚実冥合」という章は、視力を失ってしまう最晩年の滝沢馬琴が、口述筆記で「八犬伝」を完成させて行く様、その口述筆記という方法で綴られているあらましということになって行く。
下巻に至ると、「実」の部分が深くなって行く感じだ。滝沢馬琴は老いて行くのだが、他方に病弱な息子が在り、息子が先立ってしまうというような展開が在る。そして滝沢馬琴の数少ない友人として登場する、葛飾北斎や渡辺崋山(息子と知り合って親しくなるが、家を訪ねている中で滝沢馬琴とも友人と言い得る間柄になった。)とのやり取りで「人生の“虚”と“実”」というようなことが語らわれる場面が在る。
或いは、本作は「日本の長篇ファンタジーの元祖」であるかのような「八犬伝」のあらましを紹介しながら、それを産出した作家である滝沢馬琴の人生や創作に打ち込む様と、「人生の“虚”と“実”」というようなことが真の主題なのかもしれない。「人生の“虚”と“実”」というようなことに関する「葛飾北斎の観方」と対になる「滝沢馬琴の観方」が在り、両者の何れとも少し違う「渡辺崋山の観方」が在る。「そして本作を御読みの、そこの方は如何か?」という訳である。
更に「虚実冥合」という終章は、先立ってしまった滝沢馬琴の息子の妻であった路の物語、また路が視力を失った滝沢馬琴の活動を手伝おうとする経過、滝沢馬琴の路を観る目線とその変化というような物語で、この章だけでも読み応えが在ると思う。
「日本の長篇ファンタジーの元祖」であるかのような「八犬伝」そのものを現代の小説としてアレンジして創るということに留まらない、「あの物語を創った作家の熱い想いとその人生を描き、螺旋状の構成にしてみたことで、本作は非常に余韻が深い作品になったと思う。
大変に愉しんだ映画が契機で、なかなかに素敵な小説に出会って、凄く善かったと思っている。

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