『八犬伝 上』

↓大変な勢いで読了した。頁を繰る手が停められなくなってしまっていた。

八犬伝 上 (角川文庫)



↑上下巻ということになっている作品の上巻である。下巻が待てないという前のめりな感じ、上巻の余韻に浸りたいという感じが交互に沸き上がり、何かこの作品に夢中になったことに気付かされる。

少し前に、最近公開の映画『八犬伝』を大変に愉しく観た経過が在った。そして映画の原案になっている小説の存在も知り、その小説の「改版第7版」というのが「程無く登場」、言葉を換えると利用している通販サイトで「少し待てば発送される」という状態になっていた。そういうのを見て、それこそ2秒後に申し込み、拙宅に本が届くのを楽しみに待っていて、届いて早速に紐解き始めた。

『八犬伝』というファンタジーの起こりが在って、やがて作者の滝沢馬琴と、友人で絵師の葛飾北斎が現れるという小説の感じは、映画で観たとおりだ。と言うより、映画の方がこの小説を参照して制作されているのだ。が、自身は映画を先に観たので、「小説では」という以前に「映画では」と思ってしまう。そういうように、馬琴が創作する物語である「虚」と、馬琴自身の人生、暮らしの一部という「実」の部分とが交差しながら展開する物語である。それを最初の方で確かめたような感じで、以降は小説の作中世界にドンドン入り込んで夢中になっていた。

小説を原案とする映画は多々在る。個人的な見解であるが、そういう作品は「映画を観てから小説を読む」という方が「小説を読んでから映画を観る」というよりも好ましいように思う。というのは、「映画」は「小説」以上に制約が多く、それの中で映像を見せて台詞の音声や音楽を聴かせるのだが、一定程度の上映時間で収まるように纏める脚本で物語が展開するので、小説で仔細を知り過ぎていると「物足りない」と思う場合も在るのだ。異なる表現方法なので、各々のそれぞれに愉しめば十二分ではあると思う。が、「物足りない」
という不満めいた何かが生じる確率が高いのは「小説を読んでから映画を観る」という方だ。

今般は「映画を観てから小説を読む」という形だった。映画の中では「何となく示唆」という様子だった滝沢馬琴と葛飾北斎との交友の経過、滝沢馬琴が作家になって行く迄や作家としての活動というような来し方という「実」が小説では充実している。それが在って、滝沢馬琴が熱い想いで綴る『八犬伝』が在る。本作では「虚」の部分になる『八犬伝』そのものだが、これも八犬士や周辺の人達の背景等が少し掘り下げられている。『八犬伝』は1週間程度というような時日で目まぐるしく事が展開するような部分の他方、少し時間を要する展開という部分も在る。

「虚」の部分は順次登場する八犬士の相互の出会いや共闘、そして個別に冒険をすることや苦難を潜り抜けるという場面等が折り重ねられる。「実」の部分では『八犬伝』の最初の方、物語の前半に相当する部分が好評を博している様子が示唆され、他方で色々な仕事を並行する滝沢馬琴は存外に『八犬伝』に時間が掛かっているという様子が出て来る。

「作家の物語」と「作家が創った物語」が螺旋状に読者に迫るという感じで、実に愉しいと思う。下巻が凄く楽しみだが、それはそれとして、とりあえず本作は広く御薦めしたい。

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