映画『八犬伝』…(2024.10.28)

「休業日に映画を観る」というのは嬉しく愉しいものだ。小中学生の頃から、いい加減な年齢の“おっちゃん”になっている現在に至る迄、そこに変わりは無い。

稚内にも映画館は在る。所謂“シネコン”方式という当世風のモノだが、3スクリーンという体制で、巷に潤沢に在る上映作品の中には上映が見受けられない例も残念ながら在る。それでも新作登場という時の、上映案内の掲示等には何となく眼を向ける。そして「これ!」という作品が在ると、休業日に時間を設けて立寄る訳だ。

今般、注目した作品は『八犬伝』だ。

↓とりあえず予告篇等のリンクを挙げておこうと思う。







結局、“虚”と“実”とを織り交ぜた物語を創っているということになると思う。

『八犬伝』というのは江戸時代の後期、19世紀の小説である。現代風に呼ぶならば「ファンタジー」ということになるであろうか。作者の滝沢馬琴(「曲亭馬琴」という号も用いている。)は、この作品を通算28年間に亘って綴り続けていた。最終的には眼を患ってしまい、失明して上手く原稿を綴ることが叶わなくなってしまった。が、それでも先立ってしまった息子の妻であった女性が、最初から文章を綴ることを得意としていたのでもなく、漢字を余り知らないような状況でさえあった中で懸命に手伝い、作品が完成している。

映画では、この滝沢馬琴の物語が柱になる。熱い想い、人生を賭すように執筆に懸命な馬琴が在る。そして妻や息子との生活も在る。この滝沢馬琴の年来の友人である葛飾北斎が在り、息子の友人である渡辺崋山が在るのだが、滝沢馬琴が家を訪ねて来た彼らに「あの『八犬伝』の構想は…」と語っている内容として、「ファンタジー」の『八犬伝』の物語の映像が在る。

こういうような形で、滝沢馬琴自身の人生という“実”の部分と、彼が創った「ファンタジー」の物語が展開する“虚”の部分とが螺旋のように絡み合って展開するのがこの映画だ。

自身としては、本作は滝沢馬琴自身の人生という“実”の部分が主軸となる物語であるように思う。が、他方の「ファンタジー」の『八犬伝』の物語の映像が素晴らしい。“八犬士”という、「珠を持っている運命の戦士達」が登場するが、限られた尺の中で彼らが上手く紹介され、やがて巡り合って共闘し、巨大な怨霊が背後に在る悪の勢力を討つという様子なのだが、最近の技術を駆使した美しい画で織り成される物語が凄く好い感じであった。

滝沢馬琴自身の人生という“実”の部分では、葛飾北斎との対話、歌舞伎を観に行った場での鶴屋南北との対話、息子を見舞に立寄った渡辺崋山との対話というようなことを通じて、個人の人生、更に社会の“虚”と“実”について、その“虚”や“実”との向き合い方に関して語っているような内容が心に刺さる。更に、身体が弱く、自身の何らかの業績という程のモノが無いながら、喜びと矜持を持って父が綴る原稿の校正等をしていた息子が、「父と作品を…」と言い遺して他界した経過を踏まえ、息子の妻が滝沢馬琴の執筆を手伝い、支えようとする終盤の方は、観ていて涙ぐむかのような感じも在った。

色々な意味合いで愉しめる作品だと思う。これをゆっくり観る機会が設けられて非常に好かった。

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