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↑何かの雑誌に載っている「対談」というような感じで2人が語らったことを文字に起して読み易くしたというモノである。登場しているのは、現在御存命の人達の中、見聞や経験が非常に豊かで、論客で文章家としても知られる、なかなかに大きな存在感を放つ方達であるように思う。90年代の連立政権であった時期に<さきがけ>の理論的指導者であったという経過が知られ、深く広い学識を備えた論客にして文章家である田中秀征と、数々の著名な方達へのインタビューや様々な論で知られる佐高信の2人である。
田中秀征は石橋湛山の論を随分と研究している。石橋湛山御本人と接点の在った人達と接して活動もしていて“孫弟子”を自認しているのだという。佐高信も石橋湛山の論に触れていて、そして田中秀征との交流の中で色々と聞いているという感だ。佐高信がインタビュアー的に話しを振り、田中秀征が語るというような調子が本書の基調であるように思う。深く広い学識を備えた論客にして文章家である田中秀征が30歳代であった頃、「政界入りも目指す気鋭の論客」に原稿を求める20歳代後半の雑誌編集者として佐高信は出逢っている。そういう頃から半世紀を超える交流の在る2人の対談が本書である。本の題名のとおり「石橋湛山」という人物、その論、思想や行動様式から伺える様々な事柄等を語らうという内容も在る。が、「石橋湛山を敬慕する知識人として政界入りを果たして活躍した」という経過の田中秀征が来し方を振り返るような内容も多い。それらを全て纏めて「石橋湛山に刺激を受けた」というその内容を伝え、加えて「こういう時代になって行った経過」の一部を想い起し、「時代に問う」というような事柄を発し、同時に「未来へ向かう人達に遺したい言葉」という感じで本書の対談が在ったというように感じる。
自身は「石橋湛山」という人物については「教科書に名が載っている場合が在る過去の首相経験者で故人」ということしか知らないように思う。世の中に“内閣総理大臣”というモノが在ると判った子ども時代、今は亡き“親父殿”が、「期待されて総理大臣になって、その時々に色々と在って、次の人に替って行く。色々な人達が居たが、古くは病気で直ぐに辞めてしまった人が在った。何ヶ月も総理大臣の椅子には居なかった。本当に直ぐ辞めたことが記憶に残る。石橋湛山という人だ」と話してくれたことを記憶している。そういうことなので、“親父殿”に近い世代で学の在る田中秀征が石橋湛山が示していた考え方等を語り、現在の様々な様子を論じる基礎のように話題にするという感の本書の対談に少し強めに引き込まれた。
大学で哲学を、それも当時は主流でもなかった「プラグマティズム」というような事柄等を学び、雑誌記者、論陣を張る執筆者となって行く中で経済学を独学したという石橋湛山は、やがて政治の世界に身を投じる。哲学という土地に経済学という基礎を設け、政治という建物を建てようとしたというような在り方が石橋湛山の歩みなのだと田中秀征は説いていた。石橋湛山は、技術や知識を豊富に有する国となった「小さな日本」が世界の国々と上手く協調して進んで行くような様子を一貫して志向している。そういうような観点で「昨今の様子は如何なのか?」というのも本書の重要な論点であるように思った。更に自民党政権を担ったような人達の系譜を語る部分が在るが、田中秀征の用語では、「保守本流」というようなモノに対して「自民党本流」というようなモノという分け方が示されていた。こういうのは面白かった。
そうした「石橋湛山」を巡る論が本書の趣旨なのであろうが、それはそれとして、現在の様々な様子へ連なるような色々な動きが在った90年代の連立政権であった時期を振り返るような内容が、非常に興味深かった。「自社さ」というような時期、田中秀征は<さきがけ>の理論的指導者として自民党と社会党を結び付ける活躍も見せ、当時の指導者の傍らに何時も在った訳だ。結局、状況に振り回されて思うように動けなかった面も在った「自社さ」の政権だが、「余り言えないこと」としながら阪神淡路大震災の頃の挿話が少し入っている辺りは少し心動かされる。そういう事に加えて、現在の選挙制度に向かって行く辺りの事柄も少し読ませた。
最近、「政治」は少し揺れているかもしれない。そういう中であるからこそ、過去の「あの人は!」というような人物の考え、行動様式、事績を論じてみることや、過去の或る時期に纏わる回顧に触れることは重要だと思う。本書に触れられた善かった。

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