三浦綾子作品そのものに関して、長い間余り触れたこともない感じだった。美瑛を訪ねると、十勝岳の噴火に備えた防災工事という経過が在る旨の話しを訪ねる都度というように聞き、その中で「昔の大変な災害の頃の様子に題材を求めた小説『泥流地帯』」と耳にしていた。「機会が在れば」ということでも埒が明かないので「機会を設けてみよう!」と本を手にすると凄く興味深かった訳だ。
特段に「有名作家の作品であるから読む」ということを個人的にはしない。が、今般は偶々三浦綾子作品を幾つか続けて読んだというような様子になっている。そういうことを友人等との話しで話題にしてみると、「あの作家の作品なら…」と既読作品が話題に挙がる場合も意外に多い。中には「以前に何作品も続けて沢山読んで、自宅の本棚に未だ何冊も在る」というようなことを言っていた方も在った。
その三浦綾子作品として世に出た最初の作品で、この作家の作品の「代名詞」のような存在感を放ち、様々な形で小説を原案とする映像作品も色々と登場しているのが『氷点』だ。文庫本は上下巻の2冊で成っている。
↓こちらが上巻である。
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↓そして下巻である。
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本作は、「辻口家の人々の物語」ということになる。そして一家の“娘”である陽子がヒロインということになるであろう。
作中の辻口家の主である啓造は、旭川の街で少し知られた病院の院長である医師だ。辻口が学生時代に師事した教授の娘である夏枝が妻だ。2人の間には徹という息子とルリ子という娘が在った。
辻口家が住んでいるのは神楽の一軒家である。“見本林”―植樹をする樹木の種類を研究すべく、様々な種類の樹木を植えた林―の傍ということになっている。物語の主な舞台は、一家の住む神楽や、行動圏ということになる旭川の街ということになる。
「旭川市」に対して「神楽」は長く「隣りの集落」であった。「神楽」の一部を成していた「東神楽」は独立した村、やがて町となって現在に至るが、他は「神楽町」ということになっていた。旭川駅の南側に在る川を渡ったような辺りに広がるのが「神楽」である。この「神楽」は1968(昭和43)年に旭川市に編入されて現在に至っている。
物語は昭和21年頃に起こっている。そして物語終盤迄に時が流れ、初めて小説が発表されたような昭和30年代の最後頃に迄至る。作中、辻口家の住所に言及される場面では「旭川市外神楽町」と出て来る。作中の時代は未だ「旭川市」ではなく「神楽町」だった訳だ。
物語の最初の方で、夏枝は彼女に想いを寄せる辻口病院の医師である村井と自宅で会っている。そこに3歳の娘のルリ子が居て、外で遊んでいるようにと夏枝は言い、ルリ子は外に出ていた。
やがて「ルリ子が居ない?」という騒ぎになる。そして夜になり、明け方近くに近所の川原でルリ子の遺体が発見された。通りすがりに出くわした男、佐石が手に掛けてしまったのだった。旭川を離れて札幌に在った時に逮捕された佐石であったが、留置された施設内で首を吊って自殺してしまったのだという。
啓造は戦争末期に産まれたルリ子について、終戦を挟んで多忙を極めた時期に余り接する機会さえ設けられず、3年と数ヶ月で生命を喪う羽目に陥ったことを嘆いた。同時に、ルリ子が姿を消した時の情況から夏枝を心の底で憎むようにもなっていた。
そういう中、夏枝は女の子を引き取って育てたいと言い出した。啓造は少し思うところが在った。そして学生時代からの友人で、札幌で身寄りのない乳児を預かる乳児院の仕事に携わる医師の高木に相談し、或る女児を引き取ることを決める。
夏枝が産んだということにして引き取った女児は陽子と名付けられ、辻口家に入って育てられることになったのだ。
こうして展開する物語は、啓造、夏枝、徹、陽子と適宜視点を変えて綴られる。啓造が抱え込んだ重大な秘密、密かにそれを知ってしまった夏枝が互いに牽制し、やがてぶつかる様、仲良しの兄と妹という感情を踏み出したモノを陽子に感じる徹、両親や兄と実は血が繋がっていないということに少しずつ気付きながら成長する陽子と、各々の展開が周辺の人達も関わりながら交錯して物語は展開する。
上巻は事の起こり、陽子の登場とその成長を軸に、啓造や夏枝の複雑な想いが絡まる。「この一家?如何なって行く?」と気になり、本の頁を繰る手が停められなくなる。
下巻は高校生になる陽子が中心になる感だ。大学生となった徹の存在感も増し、その友人の北原も重要かもしれない。展開する物語の中、陽子は一家の中での重大な秘密にも直面して行くことになる。
多分「街の名士」というような、地域での社会的地位も在る、経済的にも豊かと見受けられる辻口啓造の一家は、何等の問題も無いように見えることであろう。しかしそういうように単純でもない。“妬心”、“憤怒”というようなモノに起源が在るらしい“攻撃性”の故に「重大な秘密」が生じ、それが家族を何らかの形で苦しめる。そしてそれが、事情を承知しているのでもなく、自力で如何こう出来るのでもない陽子に突き付けられて行く。そういう感じだ。
本作は表層的には、恵まれた家庭の夫人による浮気や不倫、継子をいじめてしまうような事柄、出生の秘密を知らずに育つヒロインの物語ということになるのかもしれない。が、もう少し深い層が在りそうだ。それは「秘めてしまっている悪意がもたらす何か」という人生模様というようなことを綴ろうとしているのかもしれない。「秘めてしまっている悪意」が、所謂「原罪」というような概念、「実は“罪”を追ってしまっているかもしれない人間」ということなのかもしれない。
作中では、辻口家の在る神楽や旭川の街の様子が美しく描写され、鮮やかに作中世界を思い浮かべることが出来る。作中の「辻口家」の近くという設定の“見本林”は旭川駅から然程遠くはないのだが、自身は偶々訪ねたことが無い。(余計なことだが、“見本林”に至る道に入り、途中で左折して日帰り入浴施設に行ったということは在った…)それでも作中の活き活きとした描写で様子が思い浮かべられる。「北国の林」という風情が非常に色濃く伝わる本作の描写は、辺りの様子に親しんだ作者ならではの描写であるとも思う。
加えて、全般的に「美しい林を望む典雅な邸宅で繰り広げられるドラマ」という様子で、何処となく「モスクワ辺りで観られる舞台演劇が醸し出すような作中世界」をも思い浮かべてしまった。初登場が1964(昭和39)年と半世紀以上も以前、「もう直ぐ“還暦”」という程度の旧さではある本作だが、作品は全く色褪せてはいないと思う。「今更…」ということでもなく、未読の方におかれては是非手にしてみて頂きたい。自身、頭の隅で「今更、物凄く以前のベストセラーを?」という引っ掛かりも禁じ得なかったが、手にして読んで、そういう引っ掛かりは雲散霧消した。御薦めだ。
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