“29”→“1”…

<Qグレード認証 エチオピア>を「今朝の1杯目」として淹れてみた。芳香が立ち込めているのだが、この味が気に入っている。スッキリしているような、ボンヤリしているような早朝に、個性的かもしれない味わいの、自身で気が済むようにハンドドリップで淹れた濃い珈琲は非常に好い…

愛用している腕時計の文字盤<3>の辺りに曜日と日付のカレンダーが表示される。曜日の“MON”は問題無いのだが、日付が“29”になっていた。摘みを操作して「クルッ…」と数字を回して、“30”、“31”を経て“1”というようにした。これで愛用中の腕時計は、「3月1日(月) XX時YY分」と表示してくれていて、日付が改まれば「3月2日(火) XX時YY分」となって行くことになる。

以前、こういう操作をしないままにして、表示について「訳が判らん…」というようになってしまったことが在ったので、何時の頃からか配意するようになったのだ。「30日までの月」に関して「“31”→“1”」という操作は年に何度か生じるのだが、「“29”→“1”」は年に一度「2月から3月」にだけ生じる操作ということになる。

全く「だから?」という話しではあるのだが、「少し前に年が改まった…」という感で、未だ「2019年の出来事」を指し示して「去年…」と言ってしまう場合―「4月から翌年3月」という単位の1年が生活感覚の基礎になっている学生等では、こういう傾向は更に強いかもしれないと思うが…―さえ多いかもしれないなか、「2021年」が何時の間にか「丸2ヶ月間」も過ぎてしまったのである。これに些か驚く昨今なのだ。

昨年の2月末頃、「何を考えていたであろうか?」と当時綴ったモノを一寸引っ繰り返してみた…色々な状況に触れた中で「<感染症>そのものの以前に<感染症過剰警戒症候群>が蔓延?」というような感じ方をしていた。「<感染症>の被害は然程でもなく、<感染症過剰警戒症候群>というようなモノが“酷い影響”をもたらしてしまうのかもしれない?」という程度に考えていた。こういう観方に関して、最近でも「余り変わらない?」と思っている。或いは1年前に何となく思った<感染症過剰警戒症候群>というような感のモノによって、世の中が些か「荒んだ?」というような感じ方をする場合も在る。

そういう中、バタバタと時間は過ぎて行くが、個人的な日常は至って平穏である…

少し前に「0℃を挟む気温帯」から「氷点下5℃を挟む気温帯」に温度低下が見受けられたのだったが、土曜日の朝等は低温が継続し、日曜日は気温が少し上昇していたようだった。日曜日は「プラス側」に気温が上昇し、積雪が多少融けて、何やら湿っている、濡れているという様子が拡がっていた…そして迎えた月曜日の朝であるが、気温は然程下がっていない。降水が交れば“雪”にはなるような、プラス2℃や0℃というような程度と見受けられる。そして雲が多目で薄暗い…

何時の間にか「今朝の1杯目」の珈琲が空いてしまった…「今朝の2杯目」でも淹れたい気分だ…

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