『北朝の天皇-「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』

用語、呼称というようなモノに関して何度も聞いていて、記憶にも残っている他方で、「ではそれが如何なるモノか?」とでも問われると、些か心許無いというような例…存外に多いのではないだろうか?

日本史に「南北朝時代」というモノが在って、「南朝」と「北朝」とが在ったということは何度も聞いていて、記憶にも残っている。では、その「南朝」や「北朝」は如何いうような経過を辿ったのか?歴史の教科書に登場する「〇〇天皇」という名の中では何となく目立つ存在である後醍醐天皇が関わる「南朝」は話題に上ることが少し多目なような気もするのだが、「北朝」というモノの経過に関しては承知している事柄が、何やら酷く少ないような気もする。

↓本書の題名を視た時、そんなことを思い、何か酷く本書を読んでみたくなった。そして読んでみて好かったと思っている一冊だ。

北朝の天皇-「室町幕府に翻弄された皇統」の実像 (中公新書)



↑或いは本書は、「北朝」という切口で「所謂“室町時代”そのものの変遷」の概要を判り易いモノにしてくれているかもしれないというようなことも思った。

“皇位”というモノは、継承権が在ると見受けられる何人かの中から選ばれた継承者が受継ぐ訳だが、概して「天皇の子や孫」か「天皇の兄弟」か「天皇の兄弟の子」ということで受継がれて行った。そういうことになると、「A皇子の系統」、「B皇子の系統」と皇位継承権を有する人達の系譜に分裂が生じる。

こうした皇位継承権者の系譜に分裂が生じるような事象は古くから何度も見受けられるのだが、「南北朝時代」という状況に入って行く前段の鎌倉時代後半には「大覚寺統」と「持明院統」との分裂が少し「拗れて」しまったような感になっていた。そして所謂「建武新政」の起こりと挫折、室町幕府発足から日が浅かった頃の混乱というような状況の中、後世に「南北朝時代」と呼ばれる状況が生じるのである。

皇位継承権者の系譜に分裂が生じるような事象は「大覚寺統」(南朝)と「持明院統」(北朝)ということに留まらず、実は「持明院統」(北朝)の中でも生じてしまったという経過も在る。

「南朝」は「飽くまでも理想を追う」というような在り方を目指したのに対して、「北朝」は「飽くまでも生き残る」というような在り方を目指したのかもしれない。その「北朝」が如何にして生き残り続けたのか?それが本書のテーマになる。

「北朝」というモノは、「室町幕府」が統治者として君臨する“権威”を獲得するために「丸抱え」を図ったモノであり、「北朝」の側でも生き残りのために「抱えられることにした」という、独特な「共存体制」なのだった。それが何代にも亘って継続し、やがてその「室町幕府」と「北朝」との「共存体制」が維持し悪くなって行く。

本書ではこういう事柄に関して、様々な史料から判る多彩な挿話を織り込みながら判り易く説いている。全体として、深い思惑が一致して共謀的な関係に在りながら、関係者個々人の性格や相性で色々と揺れる経過も交えて、長く続いた両機関の数奇な物語という感じに纏まっているかもしれない。少し夢中になってしまった…ハッキリ言えば、「小説やテレビドラマの主人公のモデル」というような人物達が多く居る訳でもない、室町時代の将軍や天皇というような人達に関して、「何となく動き回る様子、交わしている会話の感じ」が思い浮かぶような内容が綴られた本書は、単純に酷く面白かったのだ…

本書の“あとがき”の部分等に「クロ以外はクロではない」と「シロ以外はシロではない」という表現が対で登場する。

「クロ以外はクロではない」?「これだけは絶対にダメ」ということでもない限り、或る程度は何でも容認してしまうような余地を残す在り方…「シロ以外はシロではない」?「こうでなければならない」というモノ以外は容赦しないというような感の在り方…というような感ではないかと思う。

「クロ以外はクロではない」は「北朝」の経過で、「シロ以外はシロではない」は「南朝」の経過であったかもしれない。が、そういう古い時代のことに留まらず、“時代の精神”とか“傾向”というようなモノは「クロ以外はクロではない」と「シロ以外はシロではない」との間を揺れていて、現在でもそういう“揺れ”が在るのかもしれない。

なかなかに興味深く読了した一冊であった!

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