<エチオピア・ゴティティ>を「今朝の1杯目」ということで淹れた。「珈琲…」とでも聞いた時に多くの人が思い浮かべる「“公約数的”な感じ?」とは「少し違う?」という味わいの珈琲であると思う。札幌の店で頂いた「苦味以外の諸々な珈琲の味の諸要素」が複雑に交じり合ったような感じを愉しんでいる訳だが、少量の豆を土産感覚で求めて持ち帰ったということで、既に残量はやや少なくなっている…
先日、話題にしていた方が在ったのだが、最近は「“午後4時”が“少し明るい”ということに、不意に気付いて驚く」という場合も在るかもしれない。冬至となって行くような頃、「外が暗くなったな…」と窓辺を視て、時計に目を落とせば「未だ午後4時少し前…」という様子だったのだ。
何かで聞いた。“クリスマス”というのは、「冬至が終わって、少しずつ明るい時間が長くなり始めることを寿ぐ」という古い祭祀に、キリスト教関係の色々な事柄が入り込んで成立したらしいというようなことだ。確かに冬至が終わり、少しずつ明るい時間は長くなっているのかもしれないが、個人的には、未だそれ程強く意識するような変化でもないような気がしている。
夕刻の日没に対し、朝の日出は、当地では未だ午前7時を少し過ぎるような感だ。早起きな性分なので、明るい時間が「一段階…」という程度に早くならなければ、「冬至が終わって、明るい時間が少しずつ長くなり…」を意識し悪いかもしれない。
拙宅の辺りは「極々短い散策」と称して少しだけ歩けば、東寄りな空が視える海岸に至る。こういう場所に在れば、何時でも「天候が好く、その時間帯に他の都合が無いのなら、日出時刻周辺の様子を眺めたい…」というように思う。そういうことで、思い付いて様子を眺めてということも、年間ではそれなりに多い回数になっているかもしれない。
そういうことをしている他方、拙宅の周辺で「初日の出」を眺めた記憶は無い…例年、「1月1日の日出時刻の辺り」は他地域に在る場合が多い。そして当地に偶々在った場合も、天候が悪かったと記憶している。
「1月1日の日出時刻の辺り」は他地域に在るとして、その「自身が偶々在った地域」で「敢えて眺める」という感じで「初日の出」を視たという記憶も薄い。偶々、日が高くなる様子を眼にして「そう言えば…“初日の出”ということか…」と思うという場合は在ったかもしれない。
何か「日出の勢いにあやかり…」という程の想いを抱くということでもなく、自身では何処となく「初日の出」の「素っ気無い??」かもしれないが…他方で日出時刻周辺の風景を眺めるようなことは好んでいる…一寸、不思議だ…
そう思う他方、「初日の出」に強い思い入れを示す人達も在るようだ。そういう人達は、思い思いに、訪ねてみたい場所で眺めてみようとされている。そういう人達が一定数在るという状況を受け、「イベント!」というのも各地で見受けられるとは聞く。が、今年は“事情”でそれらを中止した例ばかりらしい。
そんなことを耳にして…「初日の出」に強い思い入れを示す人達が随意に「初日の出」を眺めれば、それで十分な筈で、どうしても「イベント!」が「必要なのだろうか??」と思った。更に…考えてみると「どうしてもしなければいけない…」が、実は世の中には「意外に少なかった?」というようなことに思い至らないでもない。
特別な「イベント!」ということ等が何も無くても、「或る朝、日出時刻周辺の光景を眺めると素晴らしかった!」という程度のことは周辺に幾らでも在るように思う。そういうことに気付く、眼を向けるというようにすれば、「少しばかり心豊かに」というように過ごせるような気がする。
そんなことを思っていると、暗い早朝から「御苦労様…」という感なのだが、拙宅の極近隣の駐車場で除雪作業が行われ始めていた…
今季…何となく雪は多いように感じる。昨季は「異様?!」と思える程度に少なかったからというのも在る。或いは「昨季の未達分を遅ればせながら御届けしています。今季の分は、一寸遅れていますがこれからです…」という具合に雪が降っているというような、妙な想像さえしてしまう。
当地は、北海道内の色々な場所と比べて、相対的に然程雪が多いというのでもないような気はしている。寧ろ“吹き溜まり”で少々按配が悪いという感じだ。海に開かれた地形で、海水が温度調整をする機能を果たすためか、内陸部のように極端な低温にもなり悪い。が…冬季は、他地域とを結ぶ交通に、何やら“運休”が生じ易く、多少不便に思う場合も在る。と言って、極めて個人的に考えれば、他地域との間を常時往来するのでもないので、然程の深刻な影響も被っていないかもしれないのだが…
当地に在って、何となく雪は多いように感じてはいたが、驚くのは色々な形で伝わる他地域の様子だ。明らかに当地より多い雪という例を多々聞く…「御見舞い申上げます」という以外に言葉も無い。
雪は厄介だが…時季を過ぎればどうということもなくなる…厄介な他方で、雪が降った後の夏は水不足にはなり悪いという恩恵も在るかもしれない…そういうようにでも思う他無いような気もしている…
色々と考えていた間に<エチオピア・ゴティティ>のマグカップが空いた。「今朝の2杯目」として<しゃちブレンド>を淹れた。これは「バランスが好い感じ」で、「珈琲…」とでも聞いた時に多くの人が思い浮かべる「“公約数的”な感じ?」に近いように思う。
「今朝の2杯目」を淹れていた間に、極近隣の駐車場でやっていた除雪作業も終わって、車輛が引揚げていたようだ…それにしても…「夜の残滓」というような時間がマダマダ長い…
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