静かな早朝に…

<Qグレード認証 コロンビア>をゆったりと淹れた。芳香と味わいが心地好い。

明るくなるのが早い時季に比して、少しだけ眼が開く時間帯が遅くなっているかもしれない。が、飽くまでも「少しだけ」であって、「早寝早起き」の傾向に大きな変化は無い。

前日夕刻に気に入っている酒を多少嗜み、御近所で夕食に何か気に入ったモノを愉しみ、特段に時間帯を確かめるでもなく「眠い…」と感じた時点で眠ってしまうというようなことをすれば、自ずと「早寝早起き」になってしまうというものだ…前日に、余程エネルギーを使ったとか、何やらで深夜帯に漸く寝付いたというようなことでもなければ、大概は「午前7時には寝て“居られない…”」というような具合だ。他方で、休日などは日中の妙な時間帯に居眠りに及んでしまう場合も在るのだが…

そうして向かえた早朝は12月10日だ。特段に12月10日に思い入れが在るというのでもない。「2020年最後の月」ということになったと思えば「既に月の“三分の一”が過ぎた」と、「12月10日」という日付に意が向いた訳だ。

12月になれば、何となく「今年は…」と振り返ってみたい気分にもなる。

「今年」ということで、最も頻繁に耳にしたことは?「感染症」という語であり、それに絡まって「感染X人」という話題だったことに間違いは無いと思う。その他に催事等の「中止」という話しが非常に多かったと思う。

「中止」に関しては、多分、本来の語義を少し逸脱しているような気もする「自粛」なる、最近では耳目に触れると些かの不快感を禁じ得ない表現の連呼で、何やら「圧力」のようなモノが発生して、続々と「中止」に「追い込まれた?」というように感じる側面も在る。

原則的には、催事のような事を計画していて、他方に“事情”が色々と在るなら、準備に必要な期間等に鑑みて「悪くてもこの時期に開催可否を確定しなければ、色々と面倒…」という時点に至って「如何しよう?」で差し支えないというように思う。が、「自粛」なる「圧力」というようなモノで、「中止」を「当然視」するかのような事も、変に多かったのかもしれない。

何か、これまでに在ったような、無かったような、少し変わった状況が生じていたと観ていたのだが、他方に想うことも在った。

様々な催事が「中止」というようなことになったというのは、社会の或る側面が“リセット”されてしまったと視ることは出来ないだろうか?“リセット”されて「しまった」とも言えるが、“事情”の「圧力」でして「しまった」かもしれない他方で、「敢えて何も無い“原初”に回帰」という考え方は出来ないのか?そんなことを少し思った。

関係者や辺りの人々が覚えている程度の「何年か前」に始まった新しい催事であれ、「相当な昔…」から受継がれているらしいという伝統を誇る催事であれ、「初めて始めてみた」という出来事の以前に相当する“原初”には存在しなかった訳だ。それらが“事情”の「圧力」で「中止」ということになったが、結果論としては“原初”に戻っただけではないか?

現在時点の状況?「相当な昔…」から受継がれているらしいモノも、「何年か前」に始まった新しいモノも、何もやっていないような感で、正しく“原初”だ。だから、これから先は「多くの人が“価値在る”と心から思う、認めているモノ」とか、「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」だけが“復活”というのか、半ば“新設”というような感で開催されるようになって行くのではないだろうか?

何処かの地域で催事が催されることに関して、催事“そのもの!”が「多くの人が“価値在る”と心から思う、認めているモノ」とか、「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」ということになっているのか否かという以前に、何やら「経済効果」というようなことが論じられる場合が非常に多いような気がする。そういう傾向に少し疑問を持っている。

開催する催事が「多くの人が“価値在る”と心から思う、認めているモノ」、「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」ということになっているのであれば、自ずと色々な意味での“参加”の我が拡がる筈で、「経済効果」というのは「結果として生じる」のではないか?「結果として生じる」という「経済効果」とやらに関しては、有難く享受すれば善い筈だ。「経済効果」は「目指す」というモノなのだろうか?

振り返ってみて…何処かの地域の催事を目掛けて訪ねてみたということをした記憶は余り無い。訪ねてみれば、偶々何かの催事を開催中だったという例が些か在ったかもしれない。そういうことで、それ程多いでもない「催事との邂逅」という中で、「好かった!」というような感じなのは「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」と「傍目にも感じられる」というモノであるように思う。「経済効果」を「目指している」と「傍目に透ける?」というような雰囲気のモノは、「とりあえずあの辺りが混雑していた…」に終始するばかりだ…

もしかすると?「中止」の催事の多くは「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」ということでもなく、「可能な範囲」を些か超えていて、「出来るように」でもないのに無理をしているモノであったかもしれない。そういうように観ると?現下の状況は「禍」ではなく「好機」ではないのか?

「禍」が「好機」となって、催事に関しては“原初”に回帰で、「半ば新たに設ける…」という程度の感じで、「多くの人が“価値在る”と心から思う、認めているモノ」、「やりたい人達が可能な範囲で出来るようにやって、関わった人達が心から愉快だと思うモノ」だけが残って行けば…多分、それで十分のような気がする。

何れにしても、何やら“事情”で大変であることに対応しようという「感染X人」系統と感じられる話題が多く聞こえて来るが、もう少し「で?こうなってしまった時代?如何しよう?」という話題を聞きたいような気がする。

そういうことを想っていた間に<Qグレード認証 コロンビア>の1杯目が空いてしまった。さり気なく2杯目を淹れてみた…

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