早朝に想う…

「今朝の1杯目」となったのは<Qグレード認証 コロンビア>だ。先日使い切った<Qグレード認証 エチオピア>と同時に入手していたが、<Qグレード認証 エチオピア>を先行して使っていたので、開封せずに暫く保管して在って、<Qグレード認証 エチオピア>を使い切ったということで開封した豆だ。

<Qグレード認証 コロンビア>もまた、高品質であると認められた「Qグレード」なる認証を受けているというモノだ。<Qグレード認証 コロンビア>は、「苦さ以外の、珈琲の味の諸要素」が色々と交った、少し個性的な味わいが好いと思う。

夕刻に、何となく<花春 粕取焼酎>を愉しみ、「自宅のダイニングも同然…」と勝手に思っている御近所の店で食事を愉しみ、「さて、一日が暮れた…」と横になって、時間帯は承知しないが眠ってしまった。そして眼を開けた…

「日本時間+2時間」の“サハリン時間”であれば、「早起きな傾向の人が何となく起き出す」というような時間帯であると思うが、“日本時間”では「少し異様?」な時間帯に起き出してしまった。が、改めて眠ってみようというのも、何となく「苦行…」というものである。であれば?美味い珈琲でも淹れて、悠然と過ごすのが好い…一応、平日なので、後刻に居眠りに陥った場合、寝過ごさないように時計のアラームはセットしておいたが…

また「GoTo」なるモノが頻繁に耳目に触れるような感だった…

何度か綴ってもいるが、自身では「GoTo」と何処かの方に命令形で言われるまでもなく、「I go to XXX」と必要が在れば、或いは思い立てば何処へでも出掛ける。当初から、「利用の激減等で維持困難な施設、関係者の雇用、その関係者が不利益を被ることがないような“セーフティーネット”のようなことへの目配り」とでもいうような支援を行うことと、「金を注ぎ込んで、正規の価格を度外視したような形で利用可とし、とりあえず利用を増やすこと」というような取組とは「少し違う?」と思っていて、前者は必要かもしれないが、後者は然程に急は要さないというような気がしていた。

また「GoTo」なるモノが頻繁に耳目に触れるというのは、「札幌・大阪市を除外」というような話しになったからだ。

個人的には、「GoTo」なるモノについて「札幌・大阪市を除外」というような話しに関して、「とにかく哀しい」という感を抱いている。こういうように「名指し!」を受けたことで、札幌や大阪が「不幸の巣窟?」とか「正常に暮らすことが出来ない毒物でも蔓延?」というような“イメージ”になってしまう。そういうのは「XX人やって来て、XXXの売上が見込まれ、それが損なわれ…」というような問題の比ではない、「“プライスレス!!”なネガティヴイメージ」で、金額換算不可能な程度に大きなダメージのような気がする。札幌や大阪に関して、例えば「高い場所から落下して、相当なダメージを受けている人が苦しそうにしている場所に駆け寄って、木刀のようなモノでも持ち出して無茶苦茶に殴打して…」というような、無情にして悪辣な所業に晒されたというような憤りのようなモノさえ禁じ得ない…

とりあえず“国”の事案と思えるモノに関して、「それは…」と“都道府県”の事案であるかのようなことが呟かれる。そして“都道府県”に問うと「あれは“国”の…」である。こういうような「スタートラインが全然判らない??」が蔓延していた中、何となく「GoTo」なるモノについて「札幌・大阪市を除外」というような話しに至ってしまった。

こういうようになると、「名指し!」を受けた地域の側では「他所から余計なモノが持込まれて不幸になった」というような感じ方が拡がり、それ以外の地域では「名指しされている辺りは拙い…」とか「名指しされている辺りの者は出入りしてくれるな!」、または「誰でも彼でも、その辺と往来した経過の在る者は避けろ…」というような感じ方が拡がることであろう。或いは、「既に!!」そういうようなことになって、そして半年以上も経って、そういう感じ方が蔓延、浸透しているのかもしれない。

「GoTo」なるモノは、「人々が行き交って結び付く」というような「“普通”な営為」を、曲がりなりにも支えようとしたモノだったのではないか?しかし、「他所から余計なモノが持込まれて不幸になった」とか「ややこしいかもしれない辺りの者は出入りしてくれるな!」というような感じ方を推し拡げてしまうばかりになっていないか?「人々が行き交って結び付く」というような「“普通”な営為」とは逆の、「人々を分断する」というようなことを促進してしまっていないか?

そういうように見える中、俗に言う<コロナ禍>というモノによる「最大最強の“被害”」は「人々の心を荒ませたこと」に他ならないような気がするのだ。「他所から危険が持ち込まれている!?」と「他所=危険の要因=排すべし」とするメンタルは、「日頃は然程意識しないかもしれないような、地域間のゆるやかな繋がり」のような「普通」を排してしまうような「荒んだ」考え方のように思う。そういう「荒んだ」ような考え方を「普通」な程度にするには?幾ら金を遣っても、足りないかもしれない。

それにしても、そういう具合に「荒んでいる?」ような時に、「札幌・大阪市を除外」というような「名指し!」が在ると、“北海道”とか“大阪府”という中での「域内での地域間のゆるやかな繋がり」というようなモノを、「頑丈なハンマーで叩いて粉々に…」ということになってしまわないだろうか?

“北海道”の中に在って、既に“札幌”について「あそこは!?」という感じ方は拡がっているように、何となく思わないでもない。「他所から危険が持ち込まれている!?」として「他所=危険の要因=排すべし」となってしまうような場合の“他所”に“札幌”が「最も身近で最大の脅威」とでもいうような位置づけで入り込んでいるかもしれない。

他所の県に関して、現行の県の枠組みが定まって行く過程の以前の時期に「各々が別々であった」という経過が在って、それの故に「A地方とB地方とは、何となく張り合っているような感」という「県の一体性?」というようなことが在ると聞いたことが在る。“北海道”は如何であろうか?

自身の祖父母、伯父や伯母等は“内地”という表現を時々口にしていた記憶が在る。彼らより頻度が低いが、自身の両親やそれに近い世代、または叔父や叔母に相当するような世代位までは“内地”という表現を口にするかもしれない。明確な定義が在るのでもないが、“北海道”に対して「それ以外の日本国内」を“内地”とする訳だ。こういう表現は、古くから、恐らくは明治期から何となく使われて来たのであろう。

“北海道”に対して「それ以外の日本国内」を“内地”と何となく一括的に称しているというのは、逆に言えば“北海道”というモノに「漠然とした一体感」を多くの人が感じているということなのかもしれない。しかしながら、“北海道”の中で、何となく人口が集まる「一寸した街」は相互に「過ぎる?」という程度に遠く、そういう意味で各々の「一寸した街」に在る分には、「〇〇?あれは他所…」と北海道内の他地域を感じてしまう面が在るかもしれない。

例えば…稚内・旭川間は250㎞余り…稚内・札幌間は370㎞程…稚内・函館間は700㎞余りである。稚内がマイナーなので、これを東京に見立てれば、250㎞余りの旭川は浜松辺り、370㎞程の札幌は名古屋周辺、700㎞余りの函館は姫路の少し向こうというような感じになる。

自身は学生の頃に東京都新宿区に住んでいた。4年間程の住んでいた期間を通じて、浜松、名古屋、姫路の何れへも足を運んだ経過は無かった。各地に観たいモノは幾らでも在るが、機会を設け損なっていた。そして何かの催事に参加するというような場面も偶々生じなかった。

そうやって思うと、例えば稚内に在って、旭川、札幌、函館というような他の街に関しては「そう言えば何年も全然行っていない…」が最初から幾らでも在るような感である。“北海道”というモノに「漠然とした一体感」は在ったにしても、「あそこ?あれは他所…」という感じ方も否定し悪いのだ。

例えば“札幌”に関して、「GoTo」なるモノ関連で「名指し!」を受け、他の都府県で「北海道?」とややネガティヴなイメージが拡がっていたとする。そういう時、“北海道”ではあっても、“札幌”との距離が東京・名古屋間という程度に離れた場所に在れば「一緒にしてくれるな!!」という感じ方も免れ悪い。そういう中で、北海道の内側で“札幌”が「最も身近で最大の脅威」でもあるかのような考え方が精錬されてしまっているような感がしないでもない。

本当に最初から「利用の激減等で維持困難な施設、関係者の雇用、その関係者が不利益を被ることがないような“セーフティーネット”のようなことへの目配り」とでもいうような支援を行うことと、「金を注ぎ込んで、正規の価格を度外視したような形で利用可とし、とりあえず利用を増やすこと」というような取組とは「少し違う?」と思っていて、前者は必要かもしれないが、後者は然程に急は要さないというように考えていて、「GoTo」なるものに関しては「?」と感じていた。名状し悪い嫌な感じも排除出来ないと思っていたが、何やら「とんでもない“荒み”の悪循環?」というようなモノが生じてしまっているかもしれない。

或いは不穏な世情かもしれないが、それはそれとして心穏やかに過ごしたい。<Qグレード認証 コロンビア>のマグカップが空いてしまったので、「今朝の2杯目」も淹れてみた…

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