深く長目に眠った後に…

「朝の1杯目」として<しゃちブレンド>を淹れた。芳香が好ましく、そして味も好い。未だ色濃い「夜の残滓」という感の早朝は、好みの珈琲でも頂いてゆったり過ごすという程度が好い。今朝は些かの雨が交っているような感じになっている…

一昨日は何やら「確り眠った」と言い得る時間が短かったような感で、昨日は夕刻に眠さと怠さを覚えていた。その関係で、早目な時間帯に休んでしまった。そして、少し長目に休んだようだ。一昨日と昨日との眠った時間を均せば、多分「何時もの感じ…」なのであろう。

昨日、早めに抗い悪い眠気を憶えたのは、一昨日に確り眠った時間が短めであったという「理由らしいモノ」が判り易い。そういう判り易いことに他方に、「理由らしいモノ」が「判り悪い?」という事案も多く在る。或いは「理由らしいモノ」が「判り悪い?」という方が、身の周りのあらゆるモノを眺めた場合に、比率が高いのかもしれない。

自身には、何となく挙げてみたい「気に入っている街」というモノが在る。それらを思い浮かべて、「気に入っている」とする理由を考えてみると、「理由らしいモノ」が判り易い場合も、判り悪い場合も在る。

そういう中で「札幌」は非常に判り易い。長く住んでいた。自身の住まいの場所の変遷を顧みると、現在住んでいる街の次に長いのが札幌である。「育った街」ということになり、「御出身は?」とでも問われれば「札幌」とでもするのが妥当だと思う。自身に関しては、東京の大学に御厄介になっていて、そこから現在も住んでいる街へやって来た経過が在るので「東京出身」と思っている方が周囲に何となく在って、自身でそれを一寸知って驚いたことも在る。また、札幌方面へ移動する場合に、旭川を経由する列車を好んで利用しているので「あの人は旭川出身」と思っていたという人も在った。

昔、青森県の情景の歌詞が入った楽曲をヒットさせた歌手が「青森県出身」と方々で思い込まれていて、実は歌手御本人が「熊本県出身」だったという例が在ったと聞く。そういうようなもので、実は「札幌出身」である自身が「東京出身」、「旭川出身」と思われようが、長く稚内に居るので「稚内出身」と思われようが、そんなことはどうでも構わない。自身としては、出身地と言い易い場所で、現在も縁が切れていない札幌に関しては「気に入っている街」というモノの一つに何時でも挙げたいというだけだ。

「気に入っている街」に関して、美しい季節毎の風景が紹介されるとか、何やら楽しそうな場所が出来たというような話しを聞くのは嬉しい。が、妙な犯罪、死傷者が多く生じた事故、災害、その他の「好ましくない感じ」の報は、本当に気持ちが曇るばかりである。

現在、札幌に関しては毎日のように「好ましくない感じ」の報で取沙汰されている。自身では「例の“事情”」と呼び習わしている事象の関連だ。

何か「危険だ」の「異常だ」のと連呼されている。少し大袈裟な例えに聞こえるかもしれないが、「無実の罪を被せられて凄惨な拷問を受けている」という状態に陥った「愛すべき存在である誰か」の姿を眼前に突き付けられる、半ばフィクションのような程度の酷い不快感を、殆ど毎日のように覚えている。

札幌は「人の往来」が基礎に在る街だと思う。(何処でも街にはそういう要素は濃いが…)何かの仕事であれ、物見遊山の観光であれ、方々の夥しい数の人達が出入りする、そしてそうし易くしながら発展し、人の往来を支える様々な雇用が在って社会が成り立っている。社会を支える人々が暮し易くなるように、“積雪地”というネガティヴな条件にも屈せずに社会資本を整備して来た経過も在る。それが札幌だ。

そういう「人の往来」が基礎に在る状況であるが故に、敢えて申し上げるが、冬季のインフルエンザの流行というようなモノの話しは毎シーズンのように聞こえて来る。「例の“事情”」に関連する事象も、或いは「少し似たような感じ?」という風に個人的には感じる。北海道の人口の半分近くは、札幌市内と、市外ながら小一時間で札幌都心部と往来出来るような範囲に集まってしまっている。インフルエンザにせよ、例の“事情”にせよ、感染症のようなモノが拡がる場合には被害が集中してしまうことは逃れ難いかもしれない。

何か「危険だ」の「異常だ」のと連呼されているので「札幌と往来?危険だ!」ということになる。そういうのは色々と在って「<GoTo>とやらで他地域の人達が出入りして、危険なモノが持ち込まれた!止めてしまえ!」というような論も拡がっている感だ。それは何となく「自身が今居る地域以外は悉く危険!ダメ!」というような、よく判らないメンタルが涵養されているばかりではなかろうか?

既に4月末や5月初めの時点で、「地域間の往来が感染症を拡げるので危険」というような話しになり、「県境でチェックだ!」ということになってしまい、立場の在る方が「来てしまったことを後悔させてやれ!」という趣旨に受け止め得る発言―アウトローな世界を描く小説や映画で、「敵役の頭目」のような役が口にする台詞のようで、現実とも思い悪かった…―をしたとかで物議を醸した事例も在った。何やら、その種の「他所=危険の要因=排すべし」というメンタルが、現在のこの時点に至るまで涵養され続けて、或いはその純度や密度が高まっているかのような気がしないでもない。

誰かが病気を療養ということなら、「早く快復すると好いですね」と見守る他に出来ることなどない。例の“事情”(=感染症の問題)で「殊に好ましくない状態」の他所の街に関しては、病気を療養という身内、友人、知人を見守る程度に見ていれば、それで十分というような気がしないでもない。

少し前から何となく思っていたことでもあるが、「例の“事情”」、俗に言う<コロナ禍>というモノによる「最大最強の“被害”」は「人々の心を荒ませたこと」に他ならないような気がしている。「自身が今居る地域以外は悉く危険!ダメ!」とでもいうような、「他所から危険が持ち込まれている!?」と「他所=危険の要因=排すべし」とするメンタルは、「日頃は然程意識しないかもしれないような、地域間のゆるやかな繋がり」のような「普通」を排してしまうような「荒んだ」考え方のように思う。そういう「荒んだ」ような考え方を「普通」な程度にするには、幾ら金を遣っても、足りないかもしれない。

色々と考えてしまっていた間に<しゃちブレンド>のマグカップが空いた。「今朝の2杯目」に<Qグレード認証 エチオピア>を淹れた。この1杯で、在った豆を使い切った形になったが…<Qグレード認証 エチオピア>の味わいも非常に好い。

そして「夜の残滓」は何時の間にか拭われたが、雨が「何時でも降りますよ!待機中です!」というような状況、天が厚めな雲に覆われてしまっている薄暗い朝だ。

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