<しゃちブレンド>の色々な意味でバランスが好い感じの味が素晴らしい。延々と「夜の残滓」という感である早朝の時間帯に似合うのは、自己流でも何でも構わないと気が済むようにゆったりと淹れて頂く珈琲という感だ。暖房を程々に利かせた居室から、少し「怖いもの見たさ」に近い気分で玄関前の戸外に出て様子を伺えば…風がやや強く冷たい。“体感”は「ハッキリと冬」という気がした。
何時であったか?偶々出くわした<しゃちブレンド>は名古屋の業者が送り出しているモノだ。そういうことで「名古屋」が何となく頭の隅に在る。それに少々関連するが、2月に名古屋方面から当地を訪ねて来た皆さんと会う機会が在り、何となく頭の隅の「名古屋」が少しだけ大きくなっている。
頭の中で何処かの地域の存在が少々気になっていると「行ってみたい場所の“分厚いリスト”」というようなモノの中で急速に「開くと直ぐ出て来るような頁」に出て来るようになる。「名古屋」もそういうような感ではあるのだが、今年設けた「ふらりと出掛ける」というような時間の中では、何となく通過してしまった。3月はかなり前向きに寄ろうとしていたが、最初に上陸した辺りで半ば雪のような冷たい雨で濡れてしまって、少し弱ったので、一気に西へ動いてしまった。8月には、何となくで最初から西に上陸し、更に西を巡るということをしてしまった。
「ふらりと出掛ける」というような時間の中では、「確定的予定」は“出国・帰国”と呼びたいような、自身の住まいを出て戻るという部分「だけ(?)」に近い感じだ。「ふらりと出掛ける」というような時間というモノは、そういう程度が程好いのだと思っている。変な回り道ばかりしているかもしれないが、例えば頭の隅の「名古屋」というような場所にも、そのうちにきっと辿り着くことであろう。
何か近年は「ふらりと出掛ける」というような時間を設けることが叶うと、西日本方面に何となく足が向く。ほんの少し動くと、「異なる伝統が積み重ねられたような経過が在る諸々の地域」と出くわすことが出来る。「色々な要素の様々な場所」が「連なっている」という感じなのだ。何処かに何となく滞在する中で「変な回り道」が無制限に出来てしまう。そういうのが「無限に好い」と感じてしまう。
「ふらりと出掛ける」というような時間を設けることが叶って、自身のような流儀で動き回るというのは?或いは「コストパフォーマンスが悪い」ということになるのかもしれない。コストパフォーマンス?略してコスパ?「最小限の投下資本で最大限の利益を…」というようなことであろうか?そういう見地でモノを考えるのなら、自身のモノも含めて、多分圧倒的多数の人達の「人生そのもの」に関して、「然程好くないコスパ」なのではないかという気がすることが多く在る。
実は今…多少「厄介(?)」な情況になっているかもしれない。
例によって、適当に夕食を愉しみ、眠気に抗わずに眠ったのだが、深夜帯に眼が開いた。何となく起き出して、また横になり、眠ったような、眠っていないような感じになり、そのうちに最近読んでいるシリーズの小説を読み始めた。やがて、小説は読了に至ってしまい、「夜の残滓」が非常に色濃いとは言え、時間帯は早朝に移ろってしまっていた。そして<しゃちブレンド>を淹れてみたという訳だ…
或いは?時計の“アラーム”をセットし「朝の居眠り」に備えるべきなのかもしれない。
そういうのを「厄介(?)」な情況になっているかもしれないとした訳だが、体調が悪いとか、身体の何処かを傷めてしまったとか、自由に行動出来ない程度の異常な事態が生じているという程でもない。
そんなことを考えていれば、「夜の残滓」が少し拭い去られ、<しゃちブレンド>のマグカップも空いた…
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