「長閑な休日の朝」という感だ。戯れに「正しい休日には…」と称している、コインランドリー利用というような用事も無く、本当に「居室で悠然と…」という過ごし方になっていて、何時の間にか眠気でも覚えたなら、遠慮も会釈も無しに居眠りに陥ってもどうということもない訳だ。「真の休日」という具合か?
不意に思ったのだが、“未来形”の表現というのは、些か難しい。例えば「2週間後」というような場合、「少し先」と表現すべきか、「一寸だけ先」と表現すべきか、少し迷う。2週間という程度の時間は、存外に直ぐに過ぎるので「一寸だけ先」と感じるが、それでも「色々と展開が在る筈の1週間」を挟むので「少し先」という感じ方も強い。素直に「2週間後」とでも称すれば何ら疑念は湧かないのかもしれないのだが、少し気になった。
実は、定例的な所用で他地域に出掛けるという予定が以前から決まっている。傍目には「そんなモノは不要不急!!!!!」とでも喚かれそうだが、自身にとっては、何処の誰が何をどういうように言ってみようと“予定”は“予定”なのだ。或る程度、切実に足したい用事が在るのだ…
定例的な所用で他地域に出掛けるという予定が月曜日に発生するので、その前の週末に多少ゆっくりとしたい。そうなると、自ずと何処かで宿泊施設を利用するというような段取りになる。
宿泊施設の利用?自身の中では「4桁の価格」という程度が「概ね適正」であると思っている。場所、時期によって色々と事情は在るのであろうから「X千円程度」という限定を敢えてしないようにしている。「5桁の価格」となれば、何となく「高い!?」と感じる。というのも、自身の場合は早朝から張り切って移動する場合も多いので、「或る程度限定的な滞在?とすれば?高い宿泊料金を出すなら、何処かでゆったりと酒でも呑む?または、“休憩所”的な場所に?」と思ってしまうのだ…
一頃、国内外の来訪者がこの国で溢れ返っているというような状況で、「4桁の価格」という程度の「概ね適正」が「何となく不足」ということも多かった気がするのだが、最近はその限りでもない。極々個人的な感じ方として「好ましい!」という程度には思う…
「4桁の価格」という程度で利用可能な宿泊施設の側でも、“需給バランス”というような要素に鑑みて価格帯が上下するというのが普通だ。この「上下幅」について、大きめな場所と小さ目な場所が在る。自身では、一部の有名チェーンについて、この「上下幅」の大きい傾向の場所と、然程でもない場所は何となく判った気にはなっているのだが…最近に関しては、この「上下幅」の「下寄り」で利用可能な場合が少し増えているようにも見受けられる…
こういう「4桁の価格」という程度で利用可能な宿泊施設に関して、幾つかのネットのサービスを利用して予約し、そして実際に利用もする。予約時点で、施設内容と価格とに納得していて、実際に利用して「大いに期待外れ」という事例は殆ど無い。逆に「気に入った!!!」と、同じ街を訪れる場合に、勝手に「〇〇の別邸」と称して繰り返し利用する場合さえ在る…
そんな感覚で、「実質的に初めて立寄る街」(随分と以前に通り過ぎていながら、方々を見て廻ることや、宿を求めるに至った経過が無いので「実質的に初めて」と表現したくなる場所だった…)で宿を求めてみた経過が在った。街で最も大きな鉄道駅の直ぐ近く、宿の前に佇むと、駅の大きなビルの一隅が何となく見えるというような場所だった。宿の部屋で飲むモノを求めるような店や、食事を愉しむような場所も近くに多々在り、景色が好い場所までも至近であった。宿の館内も快適で、汗で汚れた衣類を洗うランドリーも利用可能だった。
その宿を利用した際だが、チェックインの際に「GoToキャンペーン」なるものも御案内を頂いたことを記憶している。
「実質的に初めて立寄る街」で一夜の宿を求めようと思い立った時、利用し慣れているネットのサービスを駆使し、宿泊料金の支払も事前に完了という体裁で利用した。チェックインの際、当時は始まって日が浅かったらしい「GoToキャンペーン」なるものの“適用”という話しが、フロントの方から出たのだ。
何やら書類に必要事項を記載し、「ネットのサービスを駆使しして、宿泊料金の支払も事前に完了という体裁」という場合にはそのネットのサービスの関係で領収書を態々用意し、それらを所定の場所へ送って、後日に金が振り込まれるということらしい。利用した宿は…「樋口女史」を1人引っ張り出すと「ドクター野口」が戻って来るというような価格帯だった。ということは?「ドクター野口」が2人に届くか否かの金額が、何時も残高が少ない自身の銀行口座に送り込まれるまでに1時間や2時間も手間を掛けることになる…「そんな価値が?!」と思った。
自身は「Go to XX!」と命令形で誰かに指図されるまでもなく、「小遣いが捻出可能で時間が設けられる」ということで、随意に出掛けたまでのことだ。宿泊施設の利用に関しても、自身で随意に予約して、予約した際に「妥当!」と思える料金を普通に支払ったまでのことだ。何やらで1時間かそれ以上もかかるかもしれない手続きをすることを強いられる何物でもない。「キャンペーンの適用になったので払戻が…」と、その場で勝手に「ドクター野口」でも寄越されるなら、御近所で美味そうなモノでも夕食か朝食に見繕うか、御近所の店で気に入ったモノでも在れば土産に求めるということになるだけのことだ。
「GoToキャンペーン」なるものに関して、その「実質的に初めて立寄る街」で一夜の宿を求めようと宿泊施設を利用した時に、宿の方の話しを聴いたというだけで特段に関係も無いままに推移しているのだが…極最近になって、何やら少し頻繁に耳目に触れるようになった気がする。
最近耳目に触れるのは?「“GoTo”の見直し否定」というような言辞だ。責任在る立場の人達が、実施中の「GoToキャンペーン」なるものに関して「そのまま続ける」としているのだそうだ。
思うに「見直し」という表現は、「完全に歪んでいる」と見受けられる。「見直し」というのは、ハッキリ言って「止めてしまえ!」とか「止める筋合い!」という意味で、場合によっては「止めないのは人倫に悖る!!!!」という含意さえ在るかもしれない表現だ。
「GoToキャンペーン」なるものに関して、責任在る人達が「見直し否定」という言い方?そこには「そんなモノは止める筋合いであるにも拘らず、止めないとほざいている!如何よ?!この外道共は!?!」という意図を感じないでもない…
自身としては、「巧く機能しなくなった各種のサービス、その関係施設を何とか維持するための支援」と、「ドンドンと金を出して正しい価格を度外視してとりあえず誰かが利用するように仕向ける」というのは「似て非なるもの??」と当初から思っている。そういう意味で、この「GoToキャンペーン」なるものに関しては、「何となく判らないのですが…」とは思っていた。そして今でもそういう想いは変わらない。
「最近の“事情”」という中、「GoToキャンペーン」なるものに関して、止めるだの止めないだのと今更ガタガタ言って、何か得られるであろうか?「止めう筋合い!」という感じ方と「アレはアレ、コレはコレ」という感じ方との“分断”が推し進められるばかりだ…
「GoToキャンペーン」なるものは「国の事案」である。“国”に向かって「どうしますか?」と問えば、「各々の都道府県の事情で御判断頂き…」という話しになる。これを受けて都道府県の代表に「どうしますか?」と問えば、「アレは国の進めていることで…」となる。だから、何処まで行っても「〇〇の現場でこうなっている?ではこのように…」ということにはならない。
この「哀れな国(?!)」にはこういうのが溢れているような気がする、とりあえず“国”の事案と思えるモノに関して、「それは…」と“都道府県”の事案であるかのようなことが呟かれる。そして“都道府県”に問うと「あれは“国”の…」である。更に…“都道府県”の事案と思えるモノに関して、「それは…」と“市町村”の事案であるかのようなことが呟かれる。そして“市町村”に問うと「あれは“都道府県”の…」である。色々な事案に関して、“スタートライン”のようなモノが何時までも引かれないのだ。
こういう「客観的に観て、考えて、考える程に意味不明!!」が、実は溢れていて、そういうモノを容赦、容認している余りにも情けない状態が見受けられる…「哀れな国(?!)」とでも呼んで納得してみる以外に何が出来ようか??
そういう「相変わらず…」な傾向の中で、よく判らない「GoToキャンペーン」なるものが論じられている。が、そんなモノはそんなモノとして、「最近の“事情”」に纏わることが多少小五月蠅い感じになっている中、「また“分断”が煽られていないか?」というようにも思えて、何となく警戒感を抱く…
平和な休日に不穏なことを考えざるを得ないような感も否定しない…それにしても風が強めで冷たい状態が続いている…
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