『龍華記』(りゅうかき)

「縁が在る」という程ではなくても、「居心地が好い…」というようなことで何度も寄っているような地域を、作中世界の主要な舞台としているような小説が在ると知れば、少し強い興味が沸く。

↓何度も寄っている奈良を舞台にした時代モノの小説である。

龍華記



↑史上の事件を題材にしながら「人の在り方?」というようなことを描いているような、なかなかに秀逸な小説で、休前日に紐解き始め、そのまま休日に時間を設けながら素早く読了に至ってしまった…

「興福寺」と言えば、現在でもよく知られている奈良の有名な寺だ。近鉄奈良駅に程近く、奈良を訪れる多くの人達が立ち寄る場所だ。

本作は、<源平合戦>という情勢へ踏み込んで行くような時代を背景とし、興福寺の僧が主人公となっている物語だ。

奈良に関して、作中の時代には寧ろ「南都」と呼ばれていた。(現在でも「南都」という語は用いる場合が在ると見受けられるが…)この南都には興福寺の他にも東大寺や、その他幾つもの有力な寺院が在った。(現在に至るまで続いている寺も多い訳だが…)

この時代の有力寺院には、大きく分けて2種類の僧が在った。一方は「学侶」と呼ばれ、有力な貴族の子弟等が出家して寺に入っていて、学問をして各種の祭礼儀式を担い、寺を代表するような立場になって行く場合も在るという存在だ。他方に「悪僧」と呼ばれる人達が在る。所謂“僧兵”であり、武器を手に立ち上がる場合も在るが、寺で発生する様々な仕事に携わっている人達ということになる。

本作の主人公である範長(はんちょう)は興福寺の「悪僧」である。が、当初は「学侶」だった。<悪左府>として知られた摂関家の藤原頼長が範長の父である。興福寺は「藤原家の氏寺」という性質も帯びており、寺を代表する立場になるべく、摂関家を始めとする有力な家の子弟が送り込まれる慣行が続いていて、範長もそうなって行く筈だった。が、父の頼長が<保元の乱>で敗れて討死してしまった後、従弟の信円が入り込んで彼に替ってしまい、立場が無くなった。そこで範長は「学侶」たることを捨て、「悪僧」として興福寺に在って活動している。

隆盛を誇った平氏は、南都の有力寺院が実質的に治めている大和国の支配を強化しようと図る。そして検非違使を南都に常駐させようとし、その一行を差し向けた。

平氏の専横を快く思わず、同時に長く続く大和国の体制を維持すべく、有力寺院の悪僧達は抵抗の意思表示をしようとする。やって来る検非違使の一行を見張ろうと動き始めた悪僧達の中に範長の姿が在った。

検非違使の一行と範長を含む悪僧達が小競り合いになってしまったが、激昂した悪僧側が検非違使の一行に斬り掛かり、死傷者が発生する。こうした事態を受けて、平氏は大軍を南都へ侵攻させた…

小競り合いが起こってしまう経過から始まり、平重衡が総大将として指揮を執る大軍が侵攻して、南都が焼け落ちてしまうという顛末が前半の内容である。所謂「南都焼討」だ…

「南都焼討」の最中の異常な状況下、そしてその後の復興を図ろうとする時期、源平合戦の結果として平氏が敗亡してしまう経過という移ろいの中、範長の心は動き、やがて独自の境地へ至って行く。

範長は「南都焼討」へ至ってしまった経過の中での自身の振る舞いや在り方、そしてそんな異常な事態の後を受けた時期の生き方に関して強く自問し、その解を見出して行くことになる。

中世の動乱という作中世界の物語なのだが…「“立場”が絡まる同調圧力が渦巻く」というような中、「個人としての善意や希望が踏み躙られる」というような雰囲気は、何処となく「寓話的に現在を映す?」という感も抱いた…

物語は、奈良の自身が何度も歩いたような地区も含む辺りで展開しているので、「あの辺りか?」と判る叙述も在って、何となく読んでいて力が入った。そういうことはそういうこととして、本作の「寓話的に現在を映す?」という感、変わって行く範長の姿に感じ入るものが在った。

所謂「(平重衡の)南都焼討」ということをクローズアップした小説作品の類例は知らないので、それを題材にしているというのが興味深い。他方、作中で描かれる出来事―焼討の様の描写が…なかなかに凄い…―のような災いを潜り抜けて、再建を何度もしながら文化財が伝えられて来たという歴史にも思いを巡らせてしまう。

これはなかなかに面白いので、広く御薦めしたい感だ。

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