<Qグレード認証 エチオピア>は「今朝の2杯目」となった…芳香と、独特な味のバランスが非常に好い…
「エチオピアの珈琲」と聞けば、何となく「エチオピアへの親近感」というようなことを想い起す。親近感を抱くこととなった最大の切っ掛けは、何時の間にか「かなり以前」ではあるものの、エチオピア出身の方と親しく言葉を交わす機会が在ったということだが、もう一つは鎌倉の禅寺にエチオピアの有名なマラソン選手の言を引いたモノが在ったということだった。ローマ、東京と五輪のマラソン競技を連破―当時は「初めて!」であったらしい…―したエチオピアのアベベ選手は「他の選手と競走しているのではなく、自分との競走なのだ」としていたということで、その言が「自身と向き合う」という“禅”に通じるとして禅寺で紹介されていたのであった。昨日、10月21日…1964年の出来事であるが、そのアベベが「マラソン連破」を達成した日であったということだ…エチオピアの方と言葉を交わした時にも、「日本ではマラソンのアベベ選手が、非常に有名で、彼の母国がエチオピアであるというのも知られている」と話題にすれば、「アベベはエチオピアでは“真の英雄”とされている人物」とのことだった。そんなことを想い出す。
そんなことで<Qグレード認証 エチオピア>を啜って美味いと思っているが、今朝は何となく曇天という朝である。気温は10℃を超えているらしいが、最近の「多少肌寒い…」という傾向に変わりは無いように思う…
このところは、「〇〇のクーポン」だの「〇〇の商品券」だのというモノが色々と出回っているようだ。そういう類のモノに関して、現金と同様にあらゆる場面で使えるのでもないということで、自身では敢えて入手していない。故に使っているのでもないが…最近は色々な場所で発行される様々なモノが出回っているようで、商品やサービスの代価としてこれを受取る人達が、なかなかに煩雑で大変なことになってしまっているかもしれない…
昨今の「〇〇のクーポン」だの「〇〇の商品券」だのというモノに関しては、所謂“経済対策”ということで登場しているモノも色々と在るようだ。
「金は天下の廻り物」ということが在る。「〇〇のクーポン」だの「〇〇の商品券」だのというモノを発行し、それが使われることで「金は天下の廻り物」という状況を創出しようと考えられているのであろう。
「金は天下の廻り物」?であれば、所得税を減らすとか、消費税を期間限定で止めてみるとか、「個々人が使える金を多少増やす」ということを図れば好いような気がする。個人的には、そういうのが有難いような気もするが、こういう考え方は排されるらしい。
理由は?人々が随意に使える金を手にすれば、「貯蓄になる」ということで、「金は天下の廻り物」ということになり悪いというのだ。
こういうことに関して、少し思うことが在る。
人々が随意に使える金を手にすれば、「貯蓄になる」というのが、忌み嫌われなければならないことであろうか?
これは裏返せば、「とりあえず金を預けておく」と誰もが安心して金融機関を利用し得るということに他ならず、「金融機関が信用し悪い=タンス預金」ということよりも、余程好いのではないだろうか?
そういうように思うのだが…他方で「随意に使える金」を「敢えて使わない」ということで「貯蓄」なのであれば?それは「未来」が「不安」ということだ。
「本当に!」という次元で「貯蓄ゼロ」を是認する人は極めて少数派になってしまうと思う。誰しも、思いも掛けずに「少々纏まった支出」という事例は在り得るので、そういうことに備えることを誰も否定し悪い筈だ。が、そういうことで貯める分を「とりあえず増やす…」という傾向ばかりが目立つのであれば?それは「未来」が「不安」という傾向が酷く強いということに他ならないのではないだろうか?
「未来」が「不安」という傾向は、「抑制的な消費」ということに直結しているかもしれない。「抑制的な消費」ということに関しては、或いは「既に必要な色々なモノが備わっているので、敢えてより以上の消費をしなければならない必然性も?」という側面も在るのかもしれない…
「とりあえず金を預けておく」と金融機関に預金が集まれば、金融機関は色々な活動をしようとしている顧客へ融資を行う筈だ。が…有望な融資先が見出し悪くなってしまっているのかもしれない…
「とりあえず金を預けておく」と誰もが安心して金融機関を利用し得ること自体は非常に好いと思う。が、「未来」が「不安」であるが故に、「不意な纏まった支出に備えよう」という次元を通り越した感じで、貯金に精を出すというメンタルが在るなら、それは大きな問題だ。金融機関で、とりあえず預金が集まったにしても、「金は天下の廻り物」と融資が巧く出来ないのであればそれも問題だ…
結局?「金は天下の廻り物」ということになり易いようにと「〇〇のクーポン」だの「〇〇の商品券」だのというモノを色々と出したにしても?効果は限定的なのではないか?
「未来」が「不安」だと「必要以上?」に思わず、随意に使える金を手にすることでもあれば、「自身が心豊かに生きたと思えるように金を遣おう!」とでも「考えられるようになる」というように仕向けることが求められているのではないか?
「〇〇のクーポン」だの「〇〇の商品券」だのというような話しだが…個人的には、話しを聞く都度に「発行することや、発行する仕組みを構築すること等“自体!”が真の目的??」と感じないでもない。
そんなことが思い浮かび、何やら珈琲の苦味が心持ち増したような気もしたが…<Qグレード認証 エチオピア>のマグカップが空いた…
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