アイヌに限らず「“樺太”に纏わる題材」というのは、自身としては「地元、少なくとも地元に近い辺りの事柄」で、何となく「“郷土史”の一部のような感」とも思ってしまう。そういう事柄が出て来る小説が「最近は少し話題に…」というのは気になっていた。
↓その「気になっていた…」を入手し、ゆっくりと愉しく読むことが叶った。
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↑19世紀の後半、或いは終わりの方から20世紀初め頃を主な作中の時代としている。なかなかに重厚な雰囲気も好い感じの小説だった。
偶々であるが、同じ作者の小説を既に読了した経過が在った。同じ作者による『天地に燦たり』は、3人の主要視点人物達の物語が各々に展開、やがて交差し、最終盤の挿話に収斂して行くというような構成だった。実は本作もそういうような感じが在る。
本作で主要視点人物となっている作中人物は色々と居るが、最も主要なのは2人だ。1人は樺太のアイヌである“山辺安之助”ことヤヨマネクフで、もう1人はロシア帝国支配下のリトアニア出身のポーランド系である“ブロニスワフ・ピウスツキ”である。
或いは強いられ、或いは選んで遍歴を重ねることとなった山辺安之助とピウスツキである。各々の人生が樺太で交差することとなる。(※ 以下、自身での「呼び易さ」ということで、作中では幾つかの呼び方が登場するのだが、本稿では“山辺安之助”と“ピウスツキ”としたい。)
樺太、またはサハリンは「無主の地」という状況であったが、明治期に入ってからロシア帝国の領域に入ることとなった。現地のアイヌの一部は北海道に移住することとなった。少年であった山辺安之助の姿もその中に在った。彼らが移り住んだ村では、やがて疫病が流行って多くの死者が発生し、村を維持出来なくなり、人々が離散してしまった。山辺安之助は樺太へ引揚げる。この樺太へ引揚げる際、「日本国民としてロシア領に入り込む際に行使する旅券(パスポート)に明記する氏名」として山辺安之助という通称が決まったのだった。彼は「故郷へ引揚げるために、故郷ではない国による公式書類に、本来のモノとは異なる氏名を明記」という不思議な経験をすることとなった。
ピウスツキはリトアニアでポーランド語を母語とする家族の中で生まれ育ったが、ロシア帝国支配下のポーランド語地域では「公にポーランド語を話すこと」が禁じられてしまっていた。そんな中で育ったが、学問を志してサンクトペテルブルグの大学で学ぶこととした。そこで交流が在った人達の中に、かのレーニンの兄であるアレクサンドル・ウリヤノフが在ったが、ピウスツキはそのアレクサンドル・ウリヤノフ達が携わったとされる「皇帝暗殺謀議」というモノへの連座に問われてしまった。逮捕拘束され、酷い拷問まで受けた挙句に、サハリンへ流刑となってしまったのだ。彼は「故国が奪われ、故国を奪った国に人生を奪われた」というような経験をすることになる。
不慣れであるに留まらず、必ずしも良好とは言い悪い環境のサハリンで、人生を奪われてしまったような絶望の中に在ったピウスツキは、環境に適応して独自の文化の中で生きている地元の諸民族と出会ったことで活力のようなモノを得る。そして民俗研究やその他の活動に身を投じて行くこととなった。
他方に、とりあえず故郷ではあるが、移ろう時代の中で様々に変わっている樺太で普通に生きようとしている山辺安之助が在った。自身を含むアイヌのような、地元の諸民族の生き方、在り方がどのようになって行くのかということに彼は思いを巡らせていた。
やがて山辺安之助とピウスツキの人生が交錯する。山辺安之助の幼馴染がピウスツキの調査活動を手伝ったことが契機で、両者は出会うことになるのだ。
民俗研究に携わる者と、その研究対象たる少数民族の1人ということで出くわしたピウスツキと山辺安之助とであるが、各々にではあるが、一定程度の共通性が在るのかもしれない問題意識を抱えている。失われたか、失われようとしているのかという“故郷”や、自身が帰属する、または帰属したいと考える“社会”の「今」と「未来」がどうなるのか?そういう中で「生きる」ということに向けて自らを突き動かしているのは何なのか?そんなことを問い続けて、各々の人生が動いているような気がした。
作中、色々な人物が登場するが、個人的に一寸面白かったのは寧ろ「二葉亭四迷」の筆名で知られる長谷川辰之助と、かの大隈重信である。長谷川辰之助は、母国の独立運動の関連で来日したピウスツキの案内役として現れている。大隈重信は、長谷川辰之助に連れられたピウスツキが会いに行った大物として現れる。更に、大隈重信は白瀬中尉の南極探検の後援をしていたことから、探検隊に参加して帰国した山辺安之助に会う場面も在る。或いは大隈重信は、ピウスツキや山辺安之助の考え方とは異なる、当時は寧ろ一般的であった考え方を象徴するような存在として登場しているかもしれない…
樺太またはサハリンに関して、作中の時間の中でも、「ロシアに…」と、後から「日本に…」と帰属が変わっていて、途中に日露戦争も在って、正に「大きく動いた時代」という中で物語が展開している。そうした中で、“文明”か“未開”か?“強い”か“弱い”か?そういう二項対立に対し、「それだけでもない何か」を模索していたのが、或いは山辺安之助やピウスツキの人生であったのかもしれない。
本作は一般に馴染が薄いかもしれない、流刑ということでサハリンに入ったことが契機で民俗研究に身を投じた人物と、その人物と接点が在った民俗研究の対象でもある集団を構成している人物という、やや「変わった切り口」の物語という体裁ではある。が、本作は「文化」、「文明」、「教育」、「社会」というような「非常に広く深い普遍的なテーマ」を考える材料のようにもなるような物語だと思う。
「気になっていた…」を入手して、非常に有益であったと思う。広く御薦めしたい作品だ!!
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