<Qグレード認証 エチオピア>という、昨夕に名古屋から拙宅まで届いた珈琲豆を挽いて淹れているのだが、これが酷く好い!このところは気に入ったブレンドを色々と愉しんでいたが、久し振りに「シングルオリジン」(「特定し易い単独の起源」という程の意味であろう…)というようにも呼ばれる「〇〇の豆」と限定されたモノを使っている。今般は「エチオピアの豆」ということになる。
エチオピアに関しては、何時の間にかかなり古い話しになったが、親しく言葉を交わした方がエチオピアからやって来た方だったということが在って、勝手に親近感を持っている。更に、学生時代に訪ねた鎌倉の禅寺で、他の選手と競い合うのでもなく、自身と競うとしていたという、エチオピアの有名なマラソン選手の言が紹介されていて、“徳”の一つとされるかもしれないような「克己」というような考え方に国や地域や人種は無関係だと気付かされたということが在って、何となくエチオピアに敬意のようなモノも抱いている。
そのエチオピアから幾つもの海を越えて日本国内にやって来た珈琲豆…気に入っている<しゃちブレンド>を手掛けている名古屋の業者で焙煎されて、それがまた海を越えて拙宅に届いた訳だ。所謂「エチオピアのモカ」というモノで、苦味以外の「珈琲の味の様々な要素」が華やかに交じり合ったというような感だ。「公約数的な珈琲の味」とは少しだけ異なるような気がするというのがこの豆であるが、私はこういうのも好きなのだ。今朝は早朝から既に2杯目である…
耳目に触れた些細なことが少しばかり気に掛り、何度か何となく思い起して考えている間に、「こういうモノは概して?」と或る程度「“一般論”??」というような体裁に考えが纏まる、または纏まったような気になる場合が在る。
どういうような業種の、どういうような業務であれ、「人の異動」ということは「特殊な例外」でもなければ必ず生じる。
その「異動」に際して「(前任者の)継承」というようなことを耳にする場合が非常に多いように思う。
例えば、「前任者が気に入らないから!」と何でも「止めろ!」、「変えろ!」ということでも始めると、無駄な混乱が生じて方々に御迷惑というだけのことに陥るかもしれない。勿論、異動を契機として「少し立ち止まって考える」というようなことをして、「こういう悪いことをやってしまっている…」というようなことでも在るなら、それは「とりあえず止める。そしてより好いやり方に改める」ということをしなければならないのであろうが。
そういうように思う他方、「異動」に際して「(前任者の)継承」というようなことを耳にする時に思うのは、「“継承”を謳う程に価値が高いことが積み重ねられていた訳か?」ということである。
恐らく様々な事柄は、「間違ってはいないのかもしれないが、と言って好いとも思い悪い」という例と「間違いが在るかもしれないが、それでも好いと思える」という例に大別し得るのだと思う。
極個人的には、多分“後者”を「より善い」と考える傾向が強いかもしれない。しかしより広く採用されるのは「間違ってはいないのかもしれないが、と言って好いとも思い悪い」の側であろう。「間違ってはいないのかもしれない」のなら、それで「善い」という訳である。
だからこそ、「異動」に際して「(前任者の)継承」というようなことを耳にする場合が多いのであろう。
無駄な混乱や御迷惑というのは無用かもしれない。が、「異動」ということを契機に「それが善いか?」、「より佳いことが在るのでは?」、「本当に好いか?」と「少し立ち止まって考える」というようなことが、もっと在っても構わないのではないだろうか?
更に踏み込めば…「明確に“間違い”とも言い悪い」ということであれば「だからこれはこれで善い」という「ことになっている」というのが、余りにも多いのではないだろうか?そういうような気がして、「異動」に際して「(前任者の)継承」というようなことを耳にする場合、殊に「継承」を「謳っている?」というように感じられると「?」と何となく思うのだ。
このところ、広い意味で「異動」に類する話しが何件か耳目に触れた中で、何となく考えていた。
曇天の故か、少し暗い早朝であるような気がするのだが、一寸調べれば、何時の間にか日出時刻が5時半を伺うような時間帯になっているのが最近の状況である。少し前の感覚が残る中での「少し暗くないか?」という感じ方でもある訳だ。
何となく考え事をしながら啜っていた<Qグレード認証 エチオピア>の「2杯目」…もう直ぐカップが空いてしまう…
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