<サードウェーブテイスト>を<アロママグ>に注いだモノを静かに啜る。
居室の窓を開けてみれば、少し涼しい空気が室内の湿った空気と入替るというのが身体で判るような気もする。当地は20℃を挟むような気温で、雨が交って空気が湿っていたのだ…
過ぎる程に静かな感じだ。時折、遠くの鳥の声が聞こえ、車輛が通過する音が多少聞こえるという程度だ。窓を閉めてしまえば、そういう音も然程気にならなくなるが…
何やら“日常”に戻って、少しずつ“日常”に「改めて馴染んで行く」という途上に在るような気がしている。
結果的に体力を費やすようなことをし続けていたのであろう。何やら酷く「眠くなり易い」という気もしている。前夜も早めに休んだ。朝は気付けば少し明るくはなっていた。同時に曇天で綺麗に明るくもないが…
「特段に何かで取り込むという程でもない昨今…」と思い付いて、時間を設けて出掛けてみることにしたのだった。「見慣れぬ路の向こうの見知らぬ街」という具合に、方々を随意に動き、そんなことの繰り返しで「少しばかり馴染んだ(というつもりになっている)かもしれない」という場所も在るので、そういう場所での滞在も含めながら時間を過ごした。
後から振り返れば、しぶとく梅雨の状況が続いて雨勝ちであった状況が落ち着いた少し後であり、激烈に気温が上昇して熱中症のようなことへの強い注意喚起がなされているという時期の少し前という期間に動き回っていた。冷涼に過ぎるかもしれないような地域に在って、(飽くまでも!)「時には“らしい!”感じな夏を…」と思い付いた。30℃を少し超えるような程度で晴天という状況が続いて、一部に35℃に届いたという状況も交ったようだ。
(飽くまでも!)「時には“らしい!”感じな夏を…」という意味では、「或いは好適な状況」だったかもしれない。が、一寸コンビニで飲物を求めるような場面で、店員さんが「暑いですね…」と敢えて声を掛けてくれる場面が頻発したのだった。客観的には「哀れな程に、尋常でなない程度な酷い汗をかきながら、飲物を求めに店に寄ったおっちゃん」という状態であったのであろう…
方々に在った際、深夜や早朝に「何処を訪ねる?こんな所も…あんな所も…そんな所も…それから…更に…」と色々と立寄る事も可能であると思いを巡らせた。しかし実際には「こんな所…更に…」という程度で、「暑いから…無理は止そう…」というようにしたことが多かった…
それでも(飽くまでも!)「時には“らしい!”感じな夏を…」という中で様々な文物に触れる機会が設けられたことには「大感謝!」という感に浸っている。
この何年間か、何処かへ出掛ける用事が在った際に「何やら宿泊が…」というような状況に頻繁に出くわした中で思ったことが在った。
例えば…「4万人収容の野球場」というような場所に「6万人」が押し掛けたとする。2万人は入ることが出来ない。それでも1万5千人を無理に野球場に入れる。するとグランドに人が入ることになるので試合は開催出来ない。とりあえず人が集まっているだけで、訳が判らない…
何か日本中の方々で、上述の図式のように「収容可能人員を少し超えた人数が犇めいて、本来のその場の機能が何なのか判らなくなっている」というのが在ったのかもしれない。
それが最近は、例えば「4万人収容の野球場」というような場所に「4万人を超えない人達」というようなことになっている訳だ。であれば?思い付いて何となく立寄れば、各々にその場所を普通に愉しむことが叶うのではないだろうか?
例に使った「4万人収容の野球場」というような場所に「4万人を超えない人達」というようなことについて、4万人どころか「4千人」とか「4百人」というようなことになって、「流石に場所やサービスを維持し悪い…」となっているのかもしれない。そういう「場所やサービスを維持する。そのために何らかの支援を行う」ということと、「サービスについて金をばらまいて値下げをして利用を促す」ということとは、実は「意味が違わないか?」と最近思うようになった。
色々と思うのだが…とにかくも今は「好い時間を過ごすことが叶った!」という満足感に溢れている。「無理は止そう…」という程度だと思いながら動いたが、それでも収拾困難な程度に多くの写真も撮った。ゆっくり整理したい。そしてそうしながら、「今回は“積み残し”が…何れ…」と考えるのも好いであろう。
そういうことを思っていれば、<サードウェーブテイスト>を満たした<アロママグ>が空いた…
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