『じんかん』

↓500頁を少し超えているので「分厚い一冊」という感の小説だが…厚さが気にならない!!ドンドンと頁を繰ってしまい、停まらなくなってしまう…

じんかん [ 今村 翔吾 ]



↑5月下旬に登場したばかりの、1984年生まれの作者による小説だが…少し先に「名作!!」と語られているのではないかと思わせるものが在った。広く御薦めしたい感の一冊との出会いを喜んでいる…

或る程度名前が知られている他方、詳しい事柄に関して不明点も多々在るという史上の人物という例は多い。戦国時代の「梟雄」と呼ばれ、何か「悪役的イメージ」が在るかもしれない「松永久秀」もそういう例の一つということになるであろうか。

作中にも在る表現だが「人がなせぬ大悪を一生の内に三つもやってのけた」と評される松永久秀である。仕えていた三好長慶を兄弟や後継者諸共に暗殺したとか、13代将軍弑逆事件を起こしたとか、東大寺大仏殿を焼き払ったというようなことである。そういう悪評に彩られた男は織田信長の麾下で活動し、謀反を企てて許され、その後は更にもう一度謀反に及んでいる。

こういうことで「梟雄」と呼ばれ、「悪役的イメージ」が在る松永久秀なのだが、本作はその人生が掘り下げられる。そしてこの男の生き様のようなモノを介して、人生や社会を問うような趣も在る。

物語そのものは…安土城の場面で起こっている…

織田家の小姓頭の一人である狩野又九郎が早馬でもたらされた報せを織田信長に報告しようとしている。夜に居室で「自身の時間」を過ごしている“上様”に「好くないこと」を報告するのは気が重いが、又九郎は報せを伝えない訳にも行かない。信貴山城に在る松永久秀が謀反に及んだというのである。謀反は二度目となる。一度は許されていたのだが、また謀反に及んだというのは凶報であると又九郎が考えた。

「二度目の謀反」という松永久秀の行動は、織田家中の感覚では「許し難い凶事」で、それを“上様”に伝えなければならない又九郎は緊張するのだが、当の“上様”は非常に平静であった。

やがて信長は「とりあえず自分の独り言を聞け!」という意味で「壁になれ」と又九郎に命じる。そして酒まで運ばせて、酒を啜りながら信長は語る。或る時、松永久秀と夜を徹して語り合う機会が在り、松永久秀から聴いた彼の人生について、又九郎に話して聞かせる。その話しの内容というのが、本作の物語になっている訳だ。

信長が又九郎に聴かせる松永久秀の物語…これは信長自身よりも一世代上の男が経験した“時代”の証言であり、信長はそれに共感していることが伺えるのである。それが本作の内容の大半ということになる。

本作は、各章の最初の辺りで、「信長が松永久秀と語り明かした或る夜に聴いた話し」を聞かされる又九郎の目線の部分が入るのだが、大半は「松永久秀が語る自身の歩み」そのものである。松永久秀を中心的視点人物に据えた、彼が関わる様々な出来事というのが本作の大半を占めている。

不正や暴力が横行するようになっていた戦国乱世に松永久秀は生を受けた…不運な境遇の中で三好元長に巡り会う。そして三好元長が想う新たな世という想いに強く共鳴する。三好元長が排されてしまった後、三好家に仕えるに至り、家中で重きを為すようになって行く。そして大和に多聞山城を築き、織田信長麾下に入って行く。

そうした歩みが実に活き活きと綴られている本作…本当に引き込まれる。神仏を度外視するような考えに至る「過ぎるまでの合理性」というようなモノが吐露されるが、そういう辺りにも酷く惹かれる…

「人がなせぬ大悪を一生の内に三つもやってのけた」と評される出来事の真相はどういうことであったのか?勿論、本当の事は判り悪いのだが…「梟雄」と呼ばれる「悪役的イメージ」に「収まり切らない何か」というのが溢れているのが本作だ。

素早く読了に至った後、本の分厚さを視て苦笑いしてしまっている。本当に一旦紐解き始めれば「分厚さ」が全く気にならず、頁を繰る手が停まらなくなる。広く御薦めしたい!!

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