少し前に読んだ三島由紀夫のエッセイを集めた『戦後日記』の中に「裁判」という話しが出ている。その「裁判」というのは、小説『宴のあと』に関して、モデルになっているとされる人物が「プライバシーの侵害」を主張し、出版社と小説の作者(=三島由紀夫)とを訴えて訴訟を起こしたということだった。
昭和30年代の半ばというような時代の出来事で、この種の裁判というのも然程例が無く、“作品”以上に“裁判沙汰”に注目が集まっていたような状況であったらしいことが『戦後日記』の叙述から察せられた…
敢えて括弧を付してみたくもなるような「三島由紀夫の文章」は色々と読んでいるが、未読の小説作品も多々在る…『戦後日記』の中で言及が在った『宴のあと』もそうした未読作品の1つであったことに思い至った…
↓これがその『宴のあと』である…
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↑文庫本は1969年、三島由紀夫が存命であった頃に初登場している。版を重ね続けていて、旭川の書店で入手した本は2018年の「第77刷」だ。「第77刷」というのは?他には余り視た記憶もない…文庫本として世に出て半世紀にもなる訳だが、恐らく「在庫が無く、入手困難…」であった時期が殆ど無いというような感じで、「何時でも入手可能」な程度に刷られ続けていたのだと推察出来る…
『宴のあと』は色々な経過を経て料亭の経営者となっていた女性と、外務官僚出身で大臣まで務めたことがあるという、妻に先立たれた男性とが出会って結婚し、男性が都知事選挙に擁立されたという辺りで起こる事態の顛末である。
<雪後庵>という、古い邸宅とその庭園を活かした料亭を営む「かづ」は、大使経験者達、元外務官僚が催した席で「野口」に出会う。やがて2人は交際し、結婚に至る。
野口は「革新党」の顧問を務める、清貧を謳う知識人というような人物だった。かづは「保守党」の政治家達が設ける席を通じて、政治の世界を知らないでもない人物で、一定の資産さえ有している。
革新党は来る都知事選挙に野口を擁立することを決める。野口はそれを受け容れた。かづはそうなると、選挙違反に問われる可能性さえ排除出来ないような事前運動にのめり込む。
夫婦が臨んだ選挙で、2人の間に溝が生じて行く…そしてどうなったか?という物語だ…
読後に“満腹感”を催すような「三島由紀夫の文章」で、昭和30年代前半辺りの世界で繰り広げられる、少し年嵩な男女の愛憎と「政治」とが描かれる訳だ。
三島由紀夫は、実際に起こった事件等を参考に、事件関係者を“作中人物”として練り上げ、“作中世界”を巧みに組み上げ、あの「三島由紀夫の文章」で作品を創ったという例が多く在る作家だ。『宴のあと』に関しても、作品が登場した頃には「同時代」な、「タイムリー」な話題が含まれていたということなのかもしれない。が、現在の時点でこれを読んでも「のめり込んで暴走する女と、その女に付いて行けない、御し難いものを感じてしまう男」という、或いは演劇でも視ているような気にさえなる物語である。正しく“作品”で、“裁判沙汰”の中で「何がどういうように問題になったのか??」と不思議な気分にさえなってしまう。
『宴のあと』は、流れが演劇を思わせる―『戦後日記』に観劇や映画鑑賞をした話題が幾度も出て来る。意識するしないを問わず、三島由紀夫は自作の構成の中で自然と「演劇のような」感じで物語を綴っていたのであろう…因みに三島由紀夫には戯曲作品も在る…―のだが、読者に示される作中世界というのは、何か鮮やかな色彩の情景写真が随時提示されているかのようである。そして人物の、ことにかづの描写は「丁寧に女性モデルを撮るポートレート写真」に写っているモノを「言葉だけで伝えようとしている?」かのようである。正に「鮮やかな画が浮かぶ」というような感で、作中世界に引き込まれた…
読後に何となく思ったが…本作は作中の“時代”を少し変えて翻案し、テレビドラマか何かにでも仕立ててしまうことさえ適ってしまうような気もした。正しく、少なくとも文庫本で「第77刷」と半世紀も、作品の初登場時は更に以前だが、永く読み継がれた“古典”である。本作を読み終え、やや大きな満足感に包まれている…

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